一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。

       
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「上を向いて」

...2018/04/01 11:53...

4月 (卯月) 春風が心地よく吹くこの季節。
卯月の由来は、卯の花が咲く月 「卯の花月」 を略した
ものという説があります。新年度または新学期の時期で、
学校 ・ 官公庁 ・ 会社などでは入社式 ・ 入学式が行わ
れる慌ただしい時期だ。そして出会いの季節でもあります。

一週間前には枝一杯に咲き誇っていた桜の花ですが、
東京の桜は、あっというまに満開を過ぎ散りはじめています。
緑の葉が顔をのぞかせる存在に変わってしまいました。
皆さんの所は如何ですか?

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昨日、知り合いが入院したので、見舞いに昭和大学病院へ
出掛ました。(左) 横の道路が桜のトンネル通路になって、
それは見事な感じでしたが、もう花びらが舞い散り、葉も顔
を覗かせていました。(右)

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」 というと、林芙
美子の 『放浪記』 であるが、日本人の心性には、どうして
も 「咲く」 は同時に 「散る」 という連想がでてくるのは、花
の命が余りにも短いからだろうか。

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ハラハラと散る桜の風情も良いのですが、ふと思いました。
散った花びらが、そこかしこと積っているのです。民家の庭
先にも・・・。これからの時期、毎日、毎日、掃除をするのが
大変だろうなぁ~と思いました。自分の庭木でないのに。

今日1日は、エイプリルフール 「4月馬鹿」 といって、罪の
ないウソをついてよいとされる日になっています。その昔、
ヨーロッパでは 3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭
りを開催していましたが、フランスのシャルル9世が 1月
1日を新年とする暦を採用しました。これに反発した人々
が4月1日を 「ウソの新年」 として位置づけ、馬鹿騒ぎを
するようになったのがエイプリルフールのはじまりとされ
たようです。

最近、様々な不祥事が相変わらず表面化してきています
が、報道されている分だけでも 「エイプリルフール」 と思い
たいものです。それにしても、この 「4月馬鹿」 の 「馬鹿」
という言葉は、考えたら、馬や鹿の動物に対して大変失礼
だと思いませんか?

桜の花びらが舞い落ち、川などの水面に寄り集まって流
れていく様子を 「花筏 (はないかだ)」 と呼びます。花が
散ったあとの景色にも美を見いだす、繊細な日本の心。
毎年、桜の花を咲かせながら南から北へと日本列島を
旅して行く。桜の季節は進学、就職、転勤などで新しい
生活が始まる方も多いことでしょう。今しか味わえない
ワクワクを楽しんでほしいと思います。

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「上を向いて」

「日本一の星空」 を観光ビジネスにつなげた
という、ある村の物語がテレビで紹介されていた。
何も売りがないと思われていた村の財産を発見して、
産業に育てた経緯が面白い。現地に行ってみたく
なる星空イベントの数々も紹介されていた。

この事業を立ち上げたスタッフの言葉が良かった。
「日本人はいつから下ばかり見るようになったんだろう。
歩いていてもスマホに目を落とすばかりで、空を見ない。
たまには満天の星空を心ゆくまで味わってほしい」。
まったくその通りとうなずいた。

電車の中でも街頭でも、実に多くの人たちが一斉に
スマホをいじっている。便利なものだと理解していても、
あの光景だけはどうもなじまない。空の広い地方のこと、
都会人よりは空を見上げる機会が多いと思っていたが、
車で通勤し一日中パソコンに向かう毎日では、
都会と一緒かもしれないとも話していた。

詩人、高村光太郎の妻、智恵子は東京の空、
灰色の空と、本当の空が見たいと詠ったが、
でも東京だって広い公園で結構な星空が見られる
ことに驚くことがある。郊外の多摩地域なら尚更だ。

ところで、13日の金曜日で仏滅。
暦の上の少ない確率でそうなるだけだが、
こう重なると、ちょっと身構えてしまう日ではある。
13日の金曜日や仏滅は本当に不吉なのか。
何事もなく過ごすには・・・・。最近の気になる
出来事と重ねて、あれこれと考えていたが、
気分は変わった。

昼は空の青さと木々の緑を、夜は星を見上げて
歩けば、何かいいことがありそうな気がする。
上を向いて歩くのは、涙をこぼさないためだけ
ではなさそうだ。東京は一等星は見えるはず。
地方なら尚更、満天の星空が見えるだろう。
何か、もやもやして内向きな時、ちょこっと
上を向いて見てはどうだろうか。
「明日、頑張るんだぞ!」 と、
星たちが励ましてくれそうな気がする。

星という字は、日が生まれると書きます。
辛い時は "星" を見上げてください。
きっと明日が生まれます。
そして "明日" は、明るい日に違いありません。

思い通りにならないときは、明日がんばろう。


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「春季 ・ 皇居乾通り」  一般公開 2018

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桜の季節に合わせた皇居・乾通りの一般公開が24日から始まり、
普段なら入れない大都会のど真ん中にある秘密の花園? 「春季
・ 皇居乾通り 一般公開」 に行ってきました。 ポカポカ陽気の下、
桜が一気に満開を迎えた皇居の桜を堪能してきました。 と、言い
たいのですが、満開まではいかずも、それなりに楽しんできました。
(笑) 大行列を覚悟で、いざ出発!

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乾通りの一般公開は、天皇陛下の80歳の傘寿を記念し2014年
春に始まった。以降、桜と紅葉が見ごろを迎える春と秋に実施され
てきましたが、昨年は樹木の植え替えで中止だったため、春の公
開は2 年ぶりの春の一般公開となりました。この桜を見るために、
前回2016年春の公開時は、なんと51万人が訪れるほどでした。
今回も日頃入れない皇居で、お花見を楽しみたいですね。

「平成30年春季 ・ 皇居乾 (いぬい) 通り一般公開」
春季  3月24日 (土) から4月1日 (日) までの9日間
     午前10時~午後3 時半 (入門は午後3 時まで)
コース  (入門) 坂下門→宮内庁庁舎前→乾通り→乾門 (退出)
     皇居東御苑においても臨時に公開する。

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地下鉄 ・大手町駅の改札口を出たときから人の波。 やっと皇居に
たどり着いたら警察の方に 「二重橋方面へお進み下さい」 と言わ
れ、え~、かなりの距離です。 (上) 歩くこと10分くらい皇居前広
場を淡々と進みます。二重橋を過ぎ、やっとテントらしいものが見
えてきました。(下左) しかし、ここまで一度も立ち止まることもなく
スムーズに進みました。やっとテント前で5~6分待ったのみです。
以前のように何時間も待つ行列はなかったです。ホッ

初日の24日は、開門の時点でおよそ3700人が皇居の坂下門前
に列を作り、入門を早めて午前9時40分に開始したようですが、早
めに並んだ方が待ったという事ですかね。今回は一般公開がそれ
ほど知れていなかったのでしょうか。ラッキーでした。

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「荷物検査 ・ ボディチェック」
坂下門から入門する前に、手荷物検査とセキュリティチェックが
行われます。飲食、飲酒、喫煙をすることは固く禁止されており、
これに反した場合は退去を求められることがあります。

長時間待つこともなく、スムーズに白いテントまで進みます。(上)
ここで最初に手荷物検査です。警察官が中身をざっとチェック。
(下左) これを通過すると、さらにその先にもテントがあり、今度
は金属探知機でボディチェック。(下右) 若干の時間が掛かる
要因のひとつはこれですね。考えてみると何万人もの人をチェ
ックする方も大変です。 桜見で荷物検査があったのは新宿御
苑以来のことです。(笑)  新宿御苑は禁酒ですから。

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以前は、坂下門まで辿り着くのに1時間半以上かかりました。今回
は荷物検査後もスムーズに進みます。(下左) 坂下門もをくぐり、
入城です。(下右) ご覧のように人はまばらです。なだらかな坂を
上って宮内庁庁舎前へ進みます。坂下門は宮内庁への通用門で、
公務出入りが多く警護も厳重です。普段、一般の人は入れません
が、皇居で一番使われてる門です。

「坂下門」
西の丸に続く坂の下に位置しているので、この名があり、江戸時代
は西の丸下から西の丸への裏門として使われていました。坂下門
は、文久2年 (1862) に 「坂下門外の変」 の現場となったところです。
幕府の安定をはかるため朝廷との公武合体を推進する老中 ・ 安藤
信正は14代将軍 ・ 徳川家茂のもとに孝明天皇の妹 ・ 和宮を降嫁
させましたが、これに憤激した尊王派の志士によって信正が坂下門
外で襲撃され、負傷して失脚した事件が、いわゆる 「坂下門外の変」
です。 歴史上、重みのある門なわけです。

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坂下門から宮内庁の庁舎脇を通り、乾門までの数百メートルの区
間は、通称 「乾通り」 と呼ばれ、両側にはソメイヨシノや八重桜、
モミジの木が立ち並ぶ路です。毎年3月末から4月初めはサクラ、
11月頃には紅葉に美しく彩られるようです。普段は皇宮警察が二
つの門の警備に当たって入退者をチェックしており、宮内庁職員
や関係者以外は通行できなくなっている通りです。

ここ皇居の前身江戸城は、1457年太田道潅の築城に始まり 、
1590年北条氏滅亡と同時に徳川三代により日本の政治文化の
中心となり、明治維新以降、1000年以上住み続けられた天皇が
京都から移り、今、皇居となっているところです。

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坂下門を潜って、なだらかな坂を右に上っていく途中に宮殿東庭
に通じる坂があります。(下左) 東庭は、新年や天皇誕生日の一
般参賀が行われる場所です。「皇居 ・ 宮殿」 は、文化勲章の授与
式や外国の大使が信任状を天皇に渡す捧呈式など、また宮中晩
餐など皇居のいろいろな儀式が行われる場所です。宮内庁舎前は、
かなり広いスペースで、やっと解放された気分になります。(下右)

「宮内庁庁舎」  (上)
坂下門のなだらかな坂を上がると、宮内庁庁舎がそびえ立ってい
ます。皇室関係の国家事務、天皇の国事行為にあたる外国の大使
・ 公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、
御璽 ・ 国璽を保管する内閣府の機関です。昭和10 年 (1935) に
建設され、明治宮殿が焼失してから今の宮殿が建設されるまでの
間、仮宮殿として用いられたようです。現在の宮殿とは渡り廊下で
接しているそう です。想像と違って洋風の趣もある建物でした。

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「富士見櫓」 (上)
宮内庁庁舎の反対側にある立派な石垣と大きな櫓は 「富士見櫓」
です。三層の富士見櫓がまるで天守閣のような姿に見えますが、
江戸城の天守閣は3 代将軍 ・ 家光の時代に火災で焼失し、それ
以後は再建されませんでした。従って、それ以降はこの富士見櫓
が天守閣のような役割を果たしていたようです。「櫓」とは、倉庫や
防衛の役割をもった建物で、江戸城には19 の櫓がありました。
「山下通り」 (下左)
「山下通り」 は、桜やもみじの木も多く、四季の移り変わりが楽しめ、
木々に囲まれたいかにも皇居らしいところですと職員の方が説明さ
れていました。皇居の中でも割合に静かで緑多い通りのようです。
通りの右側奥は 「紅葉山」。江戸時代、将軍の霊廟がありました。
「蓮池参集所」 (下右)
山下通りと乾通りの角にあるのが 「蓮池参集所」 です。蓮池参集所
で皇居の清掃に取り組む勤労奉仕団を労い、両陛下がご会釈に臨
まれる場所のようです。「勤労奉仕団」 と聞くと、何か畏まってしまい
そうですが、要は 「皇居と赤坂御用地で除草、清掃、庭園作業など
を行う 」ボランティア活動をなさっている方たちです。皇居周辺が手
入れされているのも、この方々の尽力もあるわけです。

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「局門 (旧女官官舎屋敷の正門)」  (上)
旧女官官舎屋敷に勤めていた方の出入り門で、いわば大奥の女
中が出入りしていたのにちなんで、奥女中の通用門であったこと
から 「局門 (つぼねもん)」 とも云われています。 表門屋根には、
蕾付き菊の花の飾り瓦と菊のご紋が入る鬼瓦。江戸時代のお局
門は東御苑の本丸にあった局門です。内部の建物は、現在宮内
庁の倉庫として使われているとのことです。

「門長屋」 (下)
局門の先に 「門長屋」 があります。普段は見ることが出来ません
が、乾通り通り抜け一般公開の時は間近に見ることができます。
長屋門 (下左) は、最初は諸大名の武家屋敷門として発生しまし
たが、その後、有力武士の武家住宅の表門の形式として広く利用
されるようになりました。武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に
門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用さ
れていたようです。(下右) 門の両横には警護の武士が控える板
張りの長屋が続き、今でも門から武士が出てきそうな雰囲気です。
門は閉じられていましたが、中に何があるのか気になりました。

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乾通りから蓮池濠越しの石塀に白壁を望むのが 「富 士見多聞」
です。江戸城の歴史的的遺産で、特に秋の紅葉を通して見る多
聞は絵になる風景のようです。この場所でしか見られないので、
なんと 「感動」 ものです。蓮池の石垣は堅牢で高く、石垣の高さ
は水面から約20メートルもあるそうです。(下左) 桜は6分咲き。

「富士見多聞」  
「多聞 (たもん)」 とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋
造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれました。 鉄砲や弓矢が
納められ、戦時に格子窓を開けて蓮池掘側の敵を狙い撃つこと
ができました。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万一に備えら
れていました。江戸城本丸には15棟の多門があったが、富士見
多門は、その中の随一の遺構です。「富士見」 という名前は、富
士山がよく見え、眺望の良い高地にあったためにつけられました。

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皇居の乾通りでの一コマ。通りは桜を見にきた人々でにぎわいを
見せており、カメラやスマホ、中にはタブレットを手に桜が咲いて
いる様子を撮影していました。乾通りは一方通行でも広く開放感
があります。旗を持っているツアーコンダクターの後ろを、ぞろぞ
ろと付いていく団体もいました。この一般公開にツアーが組まれ
ているのに驚きました。桜を見るだけなら他にもあるわけですが、
桜よりも、普段見られないものを見ることに価値を見出している
人も結構いました。私もその一人です。ここでも外国の方が大勢
いました。東京はどこかしこも外国人だらけですね。(笑)

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乾通りは樹木の植え替え工事でサクラの種類と数が大幅に増え、
今回から30品種を超える100本余りのサクラを楽しむことができ、
このうちソメイヨシノは6分から8分咲きの満開とはいかず、それで
も刻一刻と開花が進んでいました。

「ソメイヨシノ (染井吉野)」
お馴染みのソメイヨシノ (染井吉野 ) は、サクラの名所として古来
名高く、和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山 (奈良県) にち
なんで 「吉野桜」 として広まったが、ヤマザクラとは異なる種の桜
であることが分かり、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同
する恐れがあるため、染井村の名を取り 「染井吉野」 と命名した
という。花弁は5枚で葉が出る前に花が開き、咲き始めは淡紅色、
満開になると白色に近づくようです。

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ハイライトは、門長屋と呼ばれる場所の紅枝垂れ桜。ちょうど満開
の紅枝垂れ桜が素晴らしいです。まるで花火のように咲き誇る姿
(上) に、仲間同士で “一杯やりたい” なんて冗談も出るほどの
絶景です。ただし飲酒はもちろん禁止。今年は花数がっ少ない。

「ベニシダレザクラ (紅枝垂桜)」  
古くから寺社を中心に全国各地で栽培されており、平安時代に
はすでに記録があり、垂れ下った枝に薄紅色の花をつける姿は、
別名 「糸桜」 。花が紅色のシダレザクラを 「紅枝垂」 と呼びます。
親のエドヒガンの枝は上に伸びますが、シダレザクラの枝は下に
垂れ下がっていきます。満開になった枝の下から木を見上げて
みると、桜の花のシャワーが降り注いでいるように見えます。
しなやかな枝に小さな花が多数つき、ほかの桜と比べ優雅な感
じがしますね。シダレザクラは写真愛好家の方々に特に人気の
高いサクラです。まるで日本画のように美しいです。

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道の両側に新たな桜が多く植えられており、訪れた人々は石垣や
堀を背景に美しい景色を眺めながら、春の一日を楽しんでました。
今回は、植え替えたばかりの小さな木々の桜を紹介してみます。

「ジンダイアケボノ (神代曙)」 (上)
日本からワシントンに送られたソメイヨシノがあり、それを育てた桜
で 「アケボノ」 とアメリカで呼ばれた種類の桜でした。それが日本
の神代植物公園で植えられ、そのうちの1 本が、アケボノと違う花
を咲かせたことで、神代植物公園で生まれたジンダイアケボノとい
う名前がつけられています。花弁のピンク色が濃くグラデーション
があり、全体的に鮮やかであることが特徴です。この桜は母親が
ソメイヨシノですが、父親はどこの誰だか分からないという。波乱
万丈な生き方をしている、そういう桜なんですね。愛おしいです。

「ヨウコウ 〈陽光)」 (下)
「ヨウコウ (陽光)」 は、オオシマザクラとエドヒガンの交配にカン
ヒザクラを交配して作られた栽培品種です。名前は、世界の平和
を願い 「天地に恵みを与える太陽」 という意味を持つ 「陽光」 と
名付けたそうです。花は大きめの紅色で花数も多く、満開期には
木全体が鮮やかな紅色に染まります。 まるで春の陽を花いっぱ
いに集めたような、あたたかな印象の桜です。「私が主役!」 と
いわんばかりに、皆さんの注目を集めていました。

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振り返ってみれば、人々の波は切れ目無く続いています。しかし、
私たちが通る場所だけは、意外と空いていて、ゆったりと開放感
がありました。時間帯も良く、進む途中に空間が出来ていたので
しょう。お蔭で結構ゆったりと桜鑑賞も出来ました。日頃のおこな
いが良いのでしょう。 きっと。(笑)

「エドヒガン (江戸彼岸)」 (下)
名前の通り春の彼岸ごろに花を咲かせます。開花状況によって
花びらの色が変化するものが多く、地域によって変化の仕方が
多種多様な珍しい桜みたいです。花びらの付け根の萼 (がく)
と呼ばれる部分が、ぷっくりと膨らみ、まるでひょうたんみたい
な形をしています。(下右) サクラの中では非常に長寿の種で、
岐阜県根尾谷の薄墨桜、巨岩を割って生えている岩手県盛岡
市の石割桜などが有名です。

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一生懸命に写真を撮る人々に係りの方が、こんな呼びかけを・・・。
「美しいものは、みんなで共用しましよう。出来ればカメラで撮るのも
いいですが、あなたの瞳に残せば、もっと素敵です」。係りの方の説
明に妙に納得して一本取られた感じでした。確かに瞼に残せたら・・。

「マメザクラ」 (下左) 
今でこそ、様々な園芸品種が開発されて色が美しく、大きく華やか
な桜が増えましたが、平安時代までの日本人は野生の桜を鑑賞し
ていました。マメザクラはそうした野生の桜の1つです。 樹高や花
びらが小ぶりなことがマメザクラの由来です。日本的な控えめなた
たずまいと、白から薄いピンク色のやさしい花色から、「優れた美
人」 という花言葉がつけられた美しい桜です。

 「ウスズミ (淡墨)」 (下右)
明治時代に荒川堤で栽培されていた桜で、先天に切れ込みがあり、
花弁にしわのあるのが特徴です。白色の花と黒い枝の色合いを、
和紙をすき直した薄墨紙に例えたのが名の由来といわれています。
 優しく清く しなやかな 母によく似た 
     その姿 面影が 花に重なる 淡墨桜

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乾通りの両サイドにはロープが張ってあり、その外には係りの人が
いて、「撮影は両端でお願いします」 と道の真ん中だと通行の妨げ
になることを促していました。 スマホやデジカメで撮影をする人が
たくさんいて、長時間ひとつの場所にいると注意されます。

「コマツオトメ (小松乙女)」 (下)
ソメイヨシノと比べて花期はやや早く、花弁は5枚で小さく、花色はわ
ずかに濃く微淡紅色。上野公園の小松宮彰仁親王銅像の近くで原
木が発見されたことから、花が可愛らしく美しいので 「コマツオトメ」
と命名された。コマツオトメは上野公園の小松宮彰仁親王の銅像の
脇に1本だけ生えているほかに、半蔵門に所在する国立劇場の前
庭にも植栽されているそうです。小松宮彰仁親王ってどんな人なの
か調べてみました。12歳で出家して、お坊さんになるはずだったが、
時代が王政復古に変わったときに軍人エリートとして道を歩むことに
なった。近衛師団長、参謀総長、陸軍元帥となり、皇族の方が戦場
で指揮を執られ、その後、日本赤十字社の総裁として赤十字活動
の発展に貢献されました。58歳で薨去され国葬が営まれました。

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皇居にある桜というだけで、なんとなくすごいものに見えるから不思
議です。 乾通りの両サイドにはロープが張ってあり、その外には警
察官がいて、「撮影は1 ・ 2枚にしてどんどん歩いてくださ い」 とか
「皆さんのデジカメは性能が良いですから1、2 枚撮れば十分です
~。 先にお進みくださぁ~い」 と、混雑を避けるために盛んに先に
進むことを促していました。乾通りの一般公開、桜と見るといえば、
花見として座ってお食事など、と考える人もいるかもしれません。
しかし、この一般公開は乾通りを一方通行で、歩行での公開と
なっています。皇宮警察の方も宮内庁職員の方も整理に大変
なんですね。ご苦労様です。

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江戸城を築城した太田道灌の名前を由来とする道灌濠は、雑木
林と野草の茂るところとなっていて、皇居の中でもここが一番美し
い所と言われているようです。一昨年の春は桜が 咲き誇って、立
ち止まってカメラで撮影する姿が多く見られました。が、今年の桜
はいまいちパットしない咲きかたで少しがっかりです。崩御の前年、
手術を終えられた昭和天皇が “最後の花見” を楽しまれた所で
もあるのです。

「道灌濠 (どうかんぼり)」
普段、まず見ることが出来ないという道灌濠の付近は、江戸城の面
影を伝える濠 (ほり) や石垣が広がり、中でも、徳川家康が江戸城
を築くさらに前の、室町時代に太田道灌が築いた城の外濠だったと
いう。濠の奥は紅葉山のようで、徳川家康の廟所 (東照宮) が置か
れ、秀忠以降の歴代将軍の廟所も紅葉山に設置されました。江戸
開城後、明治政府により東照宮などの廟所は撤廃されます。大正
3 年 (1914) に、紅葉山に御養蚕所が設置され、養蚕は明治時
代から歴代の皇后に受け継がれ、毎年蚕を育て繭を収穫されてい
るようです。かつて日本を代表する産業であった養蚕。その古くか
らの姿が、皇居の森で守り受け継がれているわけです。

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吹上御所の塀の廻りにはヤマブキの花が綺麗に咲いていました。
(下右) そして 「外庭東門」 (上) と、そばには 「外庭東門警備派
出所」
(下左) があり警察が監視しています。 門の奥は吹上御所
に通じていて、陛下が外出時に車でここを通るという。 警備上の
都合もあって、詳しく教えてくれませんでした。江戸城を築城した
太田道灌とヤマブキといえば、「山吹の里」 の伝説があります。

「山吹の里」
鷹狩りに出た道灌が雨に降られ、近くの民家に蓑(みの)を借りに
立ち寄った。その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。
道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。
後でこの話を家臣にしたところ、それは後拾遺和歌集の 「七重八
重花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」 の兼明親王
の歌に掛けて、山間 (やまあい) の茅葺きの家であり、貧しく蓑ひ
とつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わります。
「貧しい民でさえ歌の心を解するのに、領主たる自分が知らぬの
は恥ずべき事」 と改心。今まで武術一辺倒であった己を反省して、
風雅の心を身に着けようと努力したという話。そうした心がけが
名軍師 ・ 道灌の才覚や人望を築き上げていったのでしょうね。

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坂下門から参入して、乾門までの一方通行ですが、途中、西桔橋
から本丸へ出るルートが設けられていました。(下左) 西桔橋を渡
ると皇居 ・ 東御苑へ行くことが出来ます。皇居東御苑は、江戸城
のあった所で、天守閣跡や大奥跡や松の廊下跡などがあります。
乾門か西桔橋か運命の分かれ道。(笑) 迷いましたが、通常は
通れない門なので乾門から退出に決定。

「乾濠」 (上)
名前の通り本丸の戌亥=北西の方角を囲む濠です。
乾門近くにある乾濠は、江戸中でもっとも美しく重厚な高い石垣と
塀が連なり、今でも江戸城の面影を色濃く残しています。北桔橋門
付近は本丸のすぐ近くにあるため、防備を厳重にしました。そこで、
石垣を高くし、濠も広く深くしてあるようです。以前は三日月濠と呼
ばれていましたが、乾門の建造にともない乾濠と呼ぶようになった
ようです。乾濠沿いに進むと、奥が出口の乾門があります。
「西桔橋」 (下右)
蓮池濠と三日月濠を隔てた土橋に架かるのが桔橋です。北桔橋と
同様に有事の際に跳ね上げて交通を遮断して本丸を防備したよう
です。東御苑へ通じる橋ですが、通常はこちらも通れません。

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だんだんと、終点の乾門が見えてきました。(下右) 西桔橋から乾
門までは、なだらかな坂道になっていて、両側に桜が咲き誇ってい
る感じで見事です。来た通りを振り返 ると、何と後ろはこんな混雑
状況でした。(下左) もう少し留まっていたいという名残惜しい人で
大混雑していました。乾門から出る時に、現代に引き戻された感覚
になった人は多かったのではないでしょうか。もう少し江戸時代に
居たかったそんな感じでした。 なかなか訪れる機会が無い場所だ
けに名残惜しさがあります。

「乾門」 (上)
この門は明治宮殿造営の際に建てられた京風の門です。宮殿が
ある旧西の丸の裏門にあたり、皇居の乾 (北西) の方向にあたる
ので、この名がついたといいます。普段は厳重に警備され一般の
人は出入りできません。新年の一般参賀で出口として利用される。

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一時間半の散歩は 「あっ」 という間でした。
皇居は都心に在って四季折々の花が咲き、鳥がさえずり、緑美 し
い場所で、日本の近代史を秘め、今尚日本の中心として歴史に年
輪を積み重ねています。あらためて感じたのは、皇居は 「城」 だと
いうこと。江戸時代の建築物はあまり残っていないが、石垣や勾配、
樹木や道などに城郭の名残を感じます。これだけ歴史の詰まった
ところはありません。徳川家が築いた争いのない江戸の時代を想
いながら乾門を後にしました。桜の名所は各地にたくさんあります
が、天皇陛下が国民に楽しんでほしいと願って実現した皇居の
一般公開。日本の春を堪能できる素晴らしいひと時でした。





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「ひと言の魔法」

...2018/03/25 17:50...

やわらかな日差しのぬくもりに心が
浮き立つ 「春隣」。外を歩くとつぼみだった
桜の花 がパッと開いて、あちこちで小さな
春を感じるようになってきました。

週末は桜も満開か? 
と思いきや日本列島、雪が降ったところもあって、
真冬に逆戻りのブブブルの先週でした。気温の
変化について行けない。天気予報見てたし、
寒くなるとは知ってたよ。でも、身体は忘れてた。
陽だまりのこの心地よさ、太陽の有り難み・・・・。
このまま本当に暖かい季節になって
くれるといいのだが・・・。

春を感じる鳥といえば、「ホーホケキョ♪」 で
親しまれているウグイス。 でも、「ホーホケキョ♪」 は
早春から夏にかけてで、秋冬のあいだは 「チャッチャッ」
という鳴き声のようです。皆さんのご近所では、
上手な鳴き声が響いていますか?
春の気配は視覚や空気で感じることが多いですが、
たまにはそっと耳をすませて、春の音を感じて
みたいですね。

さて、
3月は異動の季節でもあるんですね。
卒業、転勤や退職等、人生の節目の季節です。
先日も何人かの方が、転勤のため挨拶にこられた。
「人生、楽ありゃ、苦もあるさ」 という、ごまかしようのない
人生の真実をがっちり、心の土台に組み込んで、
次なる人生のステージに臨んで欲しいものです。
人の世は楽だけとか、苦だけということはありません。
楽の影には苦が潜み、苦の後には楽が待って
いるものです。 頑張りましょう!

年度末の決算や新生活を始める方は、
これからが忙しさのピークでしょうか。
これから先、辛いことや悲しいこともあるかと
思いますが、みなさんの人生というレールは、
どこまでも明るい未来へつながっています。
気持ちを新たに、暖かな春を元気に迎えましょう!

The future belongs to those who believe in the beauty of their dreams.
(夢を持つことの素晴らしさ、それを信じている人には未来があります)

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「ひと言の魔法」

いつもは、仲間内が多いのですが、
社員食堂で珍しく他の部署の女子社員と一緒に
食事をした。食事しながらお互い世間話や情報
交換したりと話が弾んだ。職場に戻って同僚が
「彼女たちの受け答えが上手だなぁ」 と言う。

私たちは会話中に 「うんうん」 と相づちを打ったり、
「そうですよね」 と同調したり、 「なるほどねェ」 と
感心したりするなど、さまざまな反応を話し手に
送っている。その中で 「分かります」 という共感の
ひと言ほど相手に満足感を与えるものはないの
ではないだろうか。相手は 「同じ気持ちになって
くれている!」 とうれしくなり、もっと話し続けよう
とパワーアップするものだ。

ちょっとした失敗をして愚痴をこぼしたとき、
聞いてくれていた相手の 「わかりますよ、その気持ち、
私も同じことをやらかしましたから」 のひと言に思わず
身をのりだし、「ホント?」 と同士を得た気分になり、
勇気さえ湧いてくるから不思議だ。共感してもらえて
いるという手応えは 「うんうん」 と首をふって聞いて
もらうのとでは天と地ほども違ってくる。
「おっしゃる意味、よく分かります」 「分かります、
本当にそうです」 などと積極的に共感のあいづちを
伝えた方が、会話は格段と活性化するものなのだろう。

平昌五輪で、カーリング女子日本代表 「LS北見」
チームが、「そだねー」 と会話する様子が注目された。
『そだねー』 は、相手の言うことをちゃんと聞いているよ、
という合図。試合中、笑顔を見せずポーカーフェースで
指示する韓国の 「メガネ先輩」 選手とは対照的に、
藤沢選手の方は「○○でいいかい?」 と北海道弁で
聞き、「そだねー」。「うん、いいよー」 と声が続く。
否定し合うことがなく、聞いていて心地いいやりとりだ。

相手の話に価値があると反応して、相手に気持ち
よく話してもらう方法として、同僚が教えてくれた。
そのフレーズが 「さ、し、す、せ、そ」 だという。
「さ」 = さすがですね。「し」 = 知らなかったです。
「す」 = 素敵ですね。「せ」 = センスがいいですね。
「そ」 = それはすごいですね。

どれもちょっとした小ワザだが、相手のことを考えて
できるささやかな心遣いでもある。これらを身につける
だけでも、会話は軽やかで楽しいものになりそうだ。
しかも、自分のためにもなれば、相手のためにもなる。
出会う人や知っている人のことを考えて、その人を
楽しませようとすることは、雑談のひとときも人間関係
も豊かにしてくれるに違いない。

よく話しの輪に入れない、思いを上手に伝えられない
と悩む人がいるが、まずこの 「さ、し、す、せ、そ」 の
ひと言にトライしてみることをおすすめしたい。
自分の気持ちはながながと説明しなくても、あいづち
のひと言で的確に伝えることができることが分かると思う。
勿論、「そだねー」 も、愛嬌があって、受けるかもしれない。

何気ない食事中のひょんな会話から、
「なるほど、分かります」。 「そうですよね」 などと
ひと言の魔法が、共感を伝える言葉であること
なんだなぁと改めて思ったのでした。
「そだねー」。(笑)


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「菜の花畑に~ におい淡 (あわ) し」  
     ~浜離宮恩賜庭園 ~

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知人の友人 (外国人) のお供で築地に行くことになり、ふと会社
の女子社員が浜離宮の菜の花 が、綺麗に咲いているというので、
春を探しに 「浜離宮恩賜庭園」 に立ち寄って見ることにしました。
そこは想像以上の菜の花畑で、辺り一面 が黄の絨毯だったの
です。「菜の花がきれい」 が、まさに春を 呼んでくれたのです。
桜が満開の前に、春を感じで下さい。 久しぶりの庭園散歩です。

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「浜離宮恩賜庭園」 (上) 「大手門橋」 (下左) 「大手門出入口」
(下右) 浜離宮恩賜庭園へは、色々な行き方がありますが、今回
は、JR ・ 新橋駅の地下道を通って汐留方面に向かいます。 大手
門橋付近の交差点は分かりづらく複雑で、いつも迷います。 今回、
築地川にかかる大手門橋を渡り、大手門から入りました。

開園時間 :  午前9 時~午後5 時
入園料   :  300 円 ・ 65歳以上150 円

庭園入口で、無料でユビキタス・コミュニケータという音声ガイド。
これがすぐれもので、説明設定の場所に近づくと自動的に反応し
て解説が始まります。自由自在に園内を散策して、なにもしなくて
も音声ガイドがついてくるので、外国の方にも人気でした。入場料
金は300円と、いつもながらお財布に優しい価格です。個人的に
は浜離宮はあまりにも広すぎて庭園とは思えない造りだと敬遠し
ていました。でも、久しぶりに歩いてみて違った 魅力も発見。

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「大泉水 (潮入り池)」 中の島茶屋や汐留付近のビル群が見える。

この地は、寛永年間 (1624-1644年) までは、将軍家の鷹狩場で
一面の芦原でした。ここに屋敷を建てたのは、承応3年 (1654)
四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。その後、綱重の子
の家宣が六代将軍になったのを契機に、屋敷は将軍家の別邸
となり、名称も 「浜御殿」 と改められました。以来、歴代将軍によ
って幾度かの造園、改修工事が行なわれ、11代将軍家斉の時
にほぼ現在の姿の庭園が完成しました。明治維新ののちは皇室
の離宮となり、名前も 「浜離宮」 となりました。その後、 関東大震
災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失 したり樹木
が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年、東京都に
下賜され、整備のうえ昭和21年に都立公園として一般公開され
るに至りました。

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入口からチョット歩き始めると 「わおー広ろ~い」 「きれい!」 異
様な空間に圧倒されます。松の木々の綺麗なこと。芝の綺麗なこと。
驚くばかりです。全体的に芝生の部分が多く開放感が あり、庭園の
周りは汐留の高層ビル群が目に飛び込んできます。まさに都会の
中の庭園風景です。

「内堀」 (上) 舟で運ばれてきた物質がここで陸揚げされました。
今も残る石積の護岸や陸揚げ用の石段などは、江戸時代の水運
の遺構として大変貴重なものだそうです。
「水上バス」 (下左) 「海岸」 (下右)
東京湾側で庭園の外にあたる 「海岸」 に出て来ると気持ちいい
潮風を受けます。水門で隔たれてはいますが、すぐ東京湾に隣接
しています。OLやサラリーマンが昼時ベンチで、よく弁当を食べて
います。この時期は外で弁当を食べるのもいいものです。「水上バ
ス乗り場」 があり、庭園に直結しているので浅草や両国 など隅田
川沿岸から来ることができます。平日でも結構混雑しています。

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「潮入りの池 (横堀)」 (上) 「水門」 (下左) 「お伝い橋」 (下右) 

「潮入りの池」 とは、海水を導き、潮の満ち干によって池の趣を変
えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。水門か
ら引き入れた江戸湾 (東京湾) の海水は、「横堀」 と呼ばれる縦に
長い池を経て 「潮入りの池」 に至ります。それらの池には海水魚が
泳ぎ、 護岸の岩にはカニやフジツボが 生息するなど、まさに海水
の庭園ならではの風情を楽しめます。「横堀水門」 昔からこの堰で
海水の出入りを調整しています。東京湾の潮の干潮を利用して池
の水位を上下させ、庭の趣に変化を持たせるように作られた 「潮入
の池」 に必要なものです。「海手お伝い橋」 横堀を区切る様に架か
るのが 「お伝い橋」。此の橋は樋の口山、横堀水門、新樋の口山に
繋がる橋です。橋の上から見ると水面に野鳥の遊ぶ姿を見ることが
できます。年中野鳥が生息し、都心のオアシスです。

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都心のビル街と広い庭園、将軍家でなければできなかった場所
柄を感じさせます。都内の庭園の中ではかなり広いです。 現在
は 「浜離宮」 として親しまれている庭園ですが、元々は将軍家
のものなので史跡としては 「浜御殿」 となるわけです。

6 代将軍・徳川家宣は、中島の茶屋、海手の御茶屋、清水の御茶
屋等を建て、浜御殿奉公を置いたり公家の接待の場として活用さ
れたようです。8代将軍・徳川吉宗は、ここを実用学の実験場とし
て活用し、サトウキビや朝鮮人参の栽培に成功。浜御殿の役人を
大幅 に減らしたり、5・6代将軍の側室の館を建設しました。徳川
の将軍達は、鴨狩や鷹狩りを頻繁に行 ったようです。生類憐れみ
の令を出した、5代将軍綱吉は鷹狩を廃止。復活させたのは8代
将軍吉宗といいます。11代将軍家斉の頃は、鷹狩も遊びとなり、
鴨場を利用して放鷹 (ほうよう) が盛んになったようです。
それぞれの将軍の個性が伺えて面白いですね。

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まず最初に向かったのがお花畑。都心のオアシスの貴重な花畑の
絶景です。春の陽射しに、恩賜庭園の菜の花畑が 一面黄色い花
で輝いています。都会にも春が訪れた、そんな光景ですね。一度
スイッチが入った春の花たち、菜の花が一面に広が り見頃を迎え、
確実に春は近づいてきているようです。

これぞまさに、「都会のオアシス」!
汐留に集まる日本が誇る企業のオフィス群の足元に、浜離宮恩賜
庭園の菜の花畑は広がっています。  まさか、東京の都心のど真
ん中に、それも高層ビル群に囲まれてこれほどの規模の菜の花畑
があったとは。その圧倒的スケールに、誰もが驚嘆することでしょう。 
こんなトコロが東京のヨサ。高層ビルの麓にある菜の花畑もいいも
のです。 数万本の菜の花の絨毯が見頃を迎えていました。

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東京都心部というと広大な菜の花畑が作れるような場所など、まず
期待できない訳ですが、そんな都心のしかも一等地にある浜離宮
恩賜庭園では、毎年、春になると広大な菜の花の群生が見られれ
るのです。高層ビル郡も菜の花をのぞいているのでしょうかね。
こんなトコロが東京都、しかも銀座のすぐ近くにあるんですよ! 

  菜の花畠に、入日薄れ~
大人になっても、好きな歌にあげる人が多い 「朧 (おぼろ) 月夜」。
「春風そよふく 空を見れば」 というような、日本的な豊かな季節感
を表現し懐かしさのあるメロディーです。一番は、春風が小さい花
びらを揺らす一面の菜の花畑。二番は、さらに時が進み、「里わの
火影も」 「森の色も」 「田中の小路を たどる人も」 のように見えるも
のだけでなく、「蛙のなくねも」 「かねの音も」 など耳でとらえたもの、
そして 「・・・・も」 で列挙されるすべてのものが霞んでいる、のどか
な春の情景です。歌を口ずさめば、だれでも心の中に静かで幻想
的な菜の花畑が広がります。 それは、いつかどこかで見た事が
あるような思いを抱かせます。まさに春めく風景です。

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菜の花畑の向こうに、汐留で見たビル群が立ち並んで いて、すご
く不思議な空間です。その光景に不思議と違和感がありません。
都会にこれだ けの菜の花畑は貴重ですね。菜の花に溶け込んで
しまうくらい、目の前で飽きるまで見つ めていました。黄色い花に
は何か元気が貰えそうです。

菜の花は、地中海沿岸を原産とするアブラナ科の植物で、日本へ
は弥生時代に中国から渡来したと言われています。菜の花その物
を食べるようになったのは、意外と遅く、明治時代以降のことです。
それまでは照明用の燃料である菜種油を採るために、栽培されて
いたと言われています。現在では、地球に優しいリサイクル資源
として注目されています。私たちが食用とする菜の花は、成長過
程によって呼び名が異なります。 若い茎葉が食用になるときは
「青菜」、花を付けているときは 「菜の花」、種子ができたときには
「油菜」 と呼ばれています。

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花畑の中を歩ける道があります。菜の花によって作られる一面の
イエローカーペットの中を歩くのは、本当に気持ちの良いものです。
その心地良さは、どれだけ歩いても飽きることがありません。誰もが
癒されると思います。花畑中の一部を切り取ってしまえば、ここが都
心のど真ん中だなんて分かりません。背景にはどこまでも続く黄色
い菜の花畑が広がっている・・・・かのよう。 実際にかなり広いのは
確かですけど。 春の陽射しもあったので、菜の花が一段と鮮やか
に見えました。

遊歩道を歩いて菜の花に囲まれるも良し、あるいは横から眺めつつ
お茶を飲むも良し。菜の花のすぐ横でレジャーマットを敷いて弁当を
食べている家族連れもいました。外国の方の多いこと。 思わぬ都会
の中の花畑に感激しているようでした。それにしてもこれだけ菜の花
が集まっているせいか、甘い香りが強烈に漂っていました。 菜の花
の香りって初めて嗅いだ気がします。

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黄色のジュータンと青空のコントラストが気持ちいいです。
一般的に春到来を告げる季節の風物詩と言えば、真っ先に思い
つくのが桜・・・ソメイヨシノの開花だと思いますが、広い敷地内に
黄色い絨毯のように咲き誇る菜の花もまた同様に春到来の風物
詩じゃないかと思います。特に菜の花の場合は黄色い花が 「春
の陽気」 を連想させるので、桜の開花以上に春らしく、そして温
かみのある光景じゃないかと思います。そんな光景が東京・・・、
しかも都心のど真ん中で見る事が出来ます。浜離宮こと 「浜離
宮恩賜庭園」 です。

今日はよく晴れた暖かい日。黄色のジュータンの菜の花。春をま
どろむ鳥たちにやさしい春を感じました.。 菜の花畑で1時間以上
過ごしてしまいました。いくらでもシャッターが切れてしまってキリ
がないし、せっかくなので浜離宮を少し散歩しました。 ただし、
思ったよりも広すぎて、すべてを回ることは出来ませんでした。

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6代将軍 ・ 徳川家宣が建てたという中島の茶屋で、一休みするこ
とにしました。お伝い橋を渡って進みます。浜離宮恩賜庭園を訪
れる方なら、必ず立ち寄る場所です。茶屋から眺めも良く、しばし、
寛ぐには持って来いの場所です。外国の方も多く訪れます。

「中島の御茶屋」
中島の御茶屋は、江戸の大名庭園等に設けられた園遊接待のた
めの施設です。宝永4年 (1707) 6代将軍徳川家宣が建てられ
て以来、将軍をはじめ御代様、公家たちがここで庭園の見飽きぬ
眺望を堪能したのでしょう。水の面に映える橋と茶屋の姿は、風趣
に富んでいます。 かつては眺めもよく、 海のかなたに房総を望め、
夕涼みや月見に使われたようです。

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わ~イイですね。畳の間に緋毛氈が敷かれて雰囲気も良いです。
室内は畳部屋の他に、テーブルといす席が設けられていますが、
椅子席はなれない外国の方達の為なんでしょう。しかし、不思議
にも畳の部屋には外国の方が、椅子席は日本人が座っていまし
た。(笑) 外にはテラスが設けられているのですが、いつも満席。

将軍や公家の方々は、ここ中島の御茶屋で 「茶」 を楽しみながら
眺望を堪能したというので、私達も季節限定の 「上生菓子抹茶セ
ット」 (下左) を注 文して、お殿様気分で抹茶を一服頂き ました。
「春にちなんで桜の花をあしらいました」 と生菓子の説明を受けま
した。えぇ、菜の花じゃなかったの? と、嬉しい誤算。四季折々の
季節感が小さな菓子の中に彩られ、口の中にも春が広がった感じ
で美味しかったです。結構なお手前でございました。抹茶を頂いた
直後に玄関先から大声が聞えてきました。どうやら中国系の十数
人の観光客の一団のようです。(下右) すぐ退散しました。(笑)

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潮入りの池の周囲には、全部で5棟の御茶屋が建てられていたが、
いずれも震災や第二次大戦の空襲により失われました。磯石など
の遺構を調査し、松の御茶屋と燕の御茶屋が復元され、鷹の御茶
屋は現在復元中で、完成すれば池 ・建物 ・ 橋などが織りなす大
名庭園の往時の景観に更に一歩近づいた景色がよみがえります。

「松の茶屋」 (上右)
11代将軍徳川家斉が在職中の天明7年 (1787) ~天保8年 (18
37) の間に建てられました。「中島の御茶屋」 と 対をなす端正な外
観の茶屋です。「潮入り の池」 の目の前に建っており、池への眺望
が大変よい御茶屋で、 明治2年(1869)、英国公使との会食場にも使
わたようです。平成22年に復元されました。 別名を 「翠松亭」。
「燕の御茶屋」 (下左)
11代将軍徳川家斉が建てましたが、第二次 大戦の空襲により焼失
しました。数寄屋風、眺望にも優れているため茶座敷として使われた
ようです。名前は、室内の釘隠しの金具の形が燕の姿であったから
と伝われています。平成27年に復元されています。
「鷹の御茶屋」 (下右)
鷹の御茶屋は、茅葺の農家の造りを模し、将軍が鷹狩りをする際
の休憩所として使われ、野支度のまま立ち寄れるように広い土間
があり、囲炉裏があったとされています。現在、復元工事中で、平
成30年3月下旬に完成予定。

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浜離宮恩賜庭園は、江戸時代に徳川将軍家の別邸として利用さ
れ 「浜御殿」 と呼ばれた南庭と、明治時代以降に造られた北庭と
に分けられます。南庭は、潮入の池と二つの鴨場をもつ、江戸時
代の代表的な大名庭園。旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田
庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入
りしているのは、江戸の大名庭園では都内で、ここだけとなってい
ます。昭和27年に周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史
跡に指定され、その美しさは折り紙つきです。この池を中心に、大
樹揃いの桜が園内に点在すること100本余。ソメイヨシノとヤエザ
クラ、それぞれの花が見ごろとなるのは4月初旬とか。

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春を告げる菜の花のほかに、忘れてならないのが梅の花。
日差しの暖かくなるこの時期に、一足早い春の到来を告げるのに
梅の花があります。春がそこまで訪れていることを気づかせてくれ
る梅の花は、サクラと並び、古くから日本人に愛されてきました。

浜離宮恩賜庭園にも梅林があり、八重寒紅 ・ 白滝枝垂 ・ 冬至 ・
八重野梅 ・ 紅千鳥など、様々な種類の梅があります。見頃は3月
上旬。早いものでは八重寒紅が1月から、枝垂梅は2月中旬が見
頃のようです。今年の梅は、全体でみると比較 的ゆっくりとしたペ
ースで咲き始めてるようでした。まだ頑張って梅が咲き残ってます。
梅の花の甘い香りに、顔もほころんだ一日で した。

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ここでも菜の花の他に梅にも外国の方が群がって、盛んに写真を
撮っていました。都会のオアシスに満足しているようです。梅は枝
に沿うように咲きます。桜のように密集して咲かないのが特徴で、
そのため写真に撮ると、ちょっと散漫な感じになってしまい残念。

梅は中国原産の花木で、朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたと
いわれています。正確な渡来時期はまだわかっていませんが、『万
葉集』 では100首を超える歌が詠まれていることから、奈良時代に
はすでに栽培されていたようです。観賞価値の高い花を咲かせる
「花ウメ」 と、薬や食品加工用に向く良質の実をつける 「実ウメ」 に
分けられ、目的の違いにより剪定方法や肥培管理など栽培方法が
異なるようです。花ウメの観賞対象は花のほかに香りや、幹の形や
枝ぶりです。寿命の長い樹木なので、年月をかけて樹形をつくる
のも楽しみの一つのようです。

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冬の寒さがまだ厳しい時期に、一輪また一輪と咲く梅の花は、派手
な美しさこそ感じられませんが、そこは何となく耐える力強さといった
ものを感じさせる早春の花だと思いますよね。今ではお花見というと
桜のことだが、万葉時代には梅の方が人気があったようです。「わが
園に 梅の花散る ひさかたの 展より雪の 流れくるかも」 というの
は、万葉歌人の大伴旅人が梅に感嘆して詠みました。

「緑萼 (りょくがく)」 (上)
緑萼梅 (りょくがくばい) という萼が緑色の白梅だそうです。青白い
色の八重咲きの花です。花びらの外側の萼が緑色なので 「緑萼」
と付いたと思われます。遠めに見ると淡い黄緑色の花が咲いてい
るように見えます。珍しい梅のようです。
「思いのまま」 (下)
梅には、一本の木に紅白の花を一緒につける種類があります。
(下右) それが 『思いのまま』。どんなふうに花が咲くのか、人間の
手では決して制御できないことから、『思いのまま』 と名づけられま
した。一本の木に白や紅と違った色の花が咲くことを 『咲き分け』、
花びらそのものに色が混じることを 『絞り』 と言います。(下左)
こちら人間の方の「思いのまま」ではなくて、梅自身の 「思いのまま」
に咲くことに、計り知れない自然の不思議さを感じます。「ああもした
い、こうもしたい」 とは思いますが、なかなか思い通りにならない昨今、
「梅の木」 の方から 「思いのまま」 の気持ちを聞けるものなら、
聞きたいものです。 (笑)

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花木園に、見事な 「カンヒザクラ (寒緋桜)」 が咲いていました。
誰もがイメージするような淡い白色でわーっと花が咲くのではなく、
濃いピンクのつり鐘状の花がかわいらしく咲いています。どこより
も早く春の訪れを感じさせてくれるカンヒザクラ。そのかわいらしい
佇まいの桜を堪能しました。「沖縄で、全国初の花見」 とのニュ
ースが毎年ありますが花見の花は、この 「寒緋桜」 のことです。

「カンヒザクラ (寒緋桜)」
寒緋桜の特徴は、濃いピンクの花が釣り鐘のように下向きに咲く。
(下右) やや小ぶりな一重の花が咲き、同時にいくつも花が咲く
ため、それほど小さくは感じません。むしろ下向きに咲く姿が、他
の桜にはない美しさと迫力を生み出しています。「寒」 い時期に
「緋」 色の花が咲く 「桜」 ということで、寒緋桜と呼ばれるようにな
ったようです。沖縄では桜と言えばこのカンヒザクラ (寒緋桜) を
指します。 文字通り 「あでやか」 な赤にも紫にも近い濃い色は、
やや気まぐれで美しい女性を連想させます。ちなみに桜の花言
葉の一つに 「優美な美人」 というものがあります。こちらも美しい
女性に例えられていますが、寒緋桜もまた美しい女性に例えら
れているんですね!

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日本を代表する花である 「桜」 と並んで、春を象徴する花と言えば
「菜の花」 でしょう。関東では春の訪れを告げる2月下旬から暖かく
なった4月にかけて咲き誇る、まさに春の花です。菜の花というと、
もっと広大で雄大な自然の中に見渡すかぎり咲き誇る姿をイメージ
していましたが、都心のビル街に咲く姿は東京ならではのものです。  
都会の菜の花は、江戸の香りを今に伝える庭園で力強く咲き誇っ
ていました。東京の歴史の流れを江戸時代から見守ってきた、
浜離宮恩賜公園で和を感じ、心癒されました。

【おまけ】
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浜離宮で菜の花を楽しんだ後は、歩いて築地市場へ。移転問題
で色々と話題の築地市場ですが、近いうちに見ることができなくな
るのは間違いありません。なので今のうちに築地周辺は楽しんで
おきたいところです。休日の午後の築地はガランとしています。
どこでご飯を食べようか迷ったのですが、すし三昧に入ることにし
ました。甘さを感じる非常に美味しかったです。マグロの炙りも非
常に脂が乗っていて口溶けまろやか、たまに食べるお寿司って
いいですね。観光地値段なのでしょうが、満足のお寿司でした。





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「我以外皆我師」

...2018/03/18 10:41...

一気に季節が進んだ感じです。
でも、夏を思わせる陽気かと思えば、ぶるぶると
震える日や朝晩の冷え込みもあり、この季節
どうなっているのと体調に気を使う毎日ですネ。
三寒四温とはまさにこのことです。

そして暖かくなってくると、
早速話題となり始めたのが、桜の開花日。
そうか、もう三月も半ばですから、
そろそろという気も。半月後には、お花見かな?
やはり春が来るのは嬉しいですね。

帰宅途中、街路樹にいくつか、ピンクの花が
咲いていました。おや、気の早い桜か?
と思いましたが、どうも木の姿が桜と違うし、
花の色も桜にしてはかなり濃い感じ。
近づいてみれば、桜ではなくて花蘇芳でした。

桜にはまだ早いか? と思いましたが、
帰って来てニュースを見ると、東京で桜が開花した
とのこと。平年より9日早く、観測を開始以降3番目
に早い開花となったようだ。この分で行けば、
週末には満開の桜がみられるかもしれない。

桜ばかりが話題になるこの頃ですが、
他の花たちも頑張っています。
桜も、それ以外の花にも目を向けて、
楽しい春を迎えましょう。

 もうすぐはぁ~るですねぇ 
     ちょっと気取ってみませんか!


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「我以外皆我師」

卒業シーズンだ。
女袴と言えば巫女や弓道の姿を思い浮かぶ。
この時期、華やかな袴姿の女子大生を見かける
と、あらためて卒業式の季節なんだなぁと感じる。

中学の時、校長先生が卒業生に贈る言葉として、
「壁は乗り越えられる者にしか与えられない」 という
ものだったと記憶している。「たとえ試練に遭遇しても、
それは乗り越えられる者に与えられたのだから、
必ず乗り越えられる、くじけるな」 と。門出にあたって、
良い言葉を贈られたなァと、今にして思う。

新たに巣立つ人々に 「心の成長をつづけよう」 と
未来へ向かって自分の夢をかなえる努力の大切さを
それぞれ話されていました。「最高の指導者、仲間、
先生方に支えられた」 と思った瞬間からすでに
その後の学びの道は開かれたと言える。

近所の子もこの春に卒業する。私もおせっかいだが
先輩ぶって卒業する人々に言葉を贈りたい。
私は、夢だった教師になっていないのだが・・・・。
宮本武蔵の 「我以外皆我師」 という言葉を贈りたい。
「われ以外みなわが師」 と読みます。

自分以外の、人でも物でも皆、自分に何かを教えて
くれる先生だという意味です。私達は、この世に生を受ける
ときには、言葉も何も知らない純粋な心で生まれてきます。
そして、親から、友達から、学校の先生から、自然から、
いろいろなことを吸収し学んで成長していきます。
ところが、いつのまにか 「学ぶ心」 を忘れ、人の未熟さ
が気にかかるようになってはいないでしょうか。

豊臣秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する
時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、
常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを
忘れない習性を備えていたという。だから、彼が学んだ人は、
ひとり織田信長ばかりでない。どんな凡下な者でも、つまら
なそうな人間からでも、彼は、その者から、自分より勝る
何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。
まさに 「我れ以外みな我が師也」。

人はそれぞれにあった道を進むのです。そして、
人の価値も同じです。他人のことをとやかく言う者は、
他人の言葉に流されるといいます。
自分の道をしっかりと見つめて下さい。
いろいろんな人にめぐりあい、いろいろなことを考え、
人を 「中身」 で判断できるようになってほしいものです。

別れはつらい。涙が切ない。
しかし、春の日差しが一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。
向こうには新たな出会いが待っています。
早く自分の目標を見つけて下さい。
本当の自分だけは見失わずに・・・・・。
さあ、明日に向かって 「がんばろう!」 ・・・・よ。


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「春を探しにゆるり散歩」  ~新宿御苑~

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「桜が咲いているらしいので、写真を撮りに行きませんか?」 と、
近所のカメラ好きの誘いを受けたのですが、「桜?、まだでしょう」
と言いつつ春の花々を観賞するのも良いかなと新宿御苑へお供
しました。娘を誘ったら 「行かな~い」。 かみさんとの買い物には
よく出かけるのですが、こうして娘は父親離れしていくんでしょうネ。
かみさんに弁当を作ってもらい、寂しく一人出掛けました。(笑)

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「新宿門」 (上) 「料金所」 (下左) 「入場ゲート」 (下右)
人がまばらに見えますが、次から次へと来苑者が絶えません。
特に外国の方の多いことに驚かされます。何で・・・? と、思った
のですが、どうやら早咲きの桜が目当てのようです。以前は入苑
のチケットはカード型でしたが、今はバーコードの入場券。

「新宿御苑」
新宿御苑の敷地は、豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康
が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた
江戸屋敷の一部でした。明治の頃は植物御苑とし、その後、皇室
の庭園として改造。戦後、新宿御苑は皇居外苑、京都御苑ととも
に国民公園となります。 プラタナス並木が美しいフランス式整形
庭園、イギリス式風景庭園と日本庭園を巧みに組み合わせた庭
園は、明治時代の代表的近代西洋庭園であり、日本における数
少ない風景庭園として都民に親しまれて います。

時間 : 9 時~16 時 (入園16 時まで、閉門16 時30分)
料金 : 新宿御苑への入園料 (大人200円、小・中学生50円)

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朝からぽかぽか陽気のこの日、春に向け歩みを進めている園内、
どんな草木や花々が咲き、私たちを迎えてくれるか楽しみながら
園内を散歩することにします。新宿御苑内に入ると、とても静かな
処で都会を忘れさせてくれます。時々森の向こうに高層ビルを見
ると、我に返ります。芝生がとても広くてピクニックやヨガ、寝っ転
がっている人もいます。それぞれがすごく気持ちいい時間を過ご
せる場所だと思いました。 四季折々の自然が満喫できる都会の
オアシスといった感じで、とても好きな公園です。 外国の方にも
人気です。唯一お酒の持ち込みができないのが残念です。(笑)

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最初に向かったのは新宿門近くに咲く、ハクモクレンを訪ねました。
(上) 他の木と違い、木の近くまで寄れるのでとても人気の木の様
です。日本庭園にも咲いていました。(下左) 日本庭園のお茶室 ・
楽羽亭前の巨樹は、江戸時代に植えられたといわれる日本随一の
名木のようです。冬の間、毛皮のコートの様な冬芽に覆われていた
花の芽が、数日のあたたかさから花開いたようです。(下右) 

「ハクモクレン (白木蓮)」
白木蓮はモクレンの仲間で、真っ白な花が春の訪れを感じさせてくれ
る落葉高木の1つです。花が開くと風が上品な香りを運び、心を和ま
せてくれます。樹高10~15m ほどに生長し、春になると新葉が出る
前に大型で厚みのある白い卵形の花を上向きにたくさん咲かせます。
ハクモクレンの花言葉とは、『気高さ』 『高潔な心』。イギリスの王宮植
物園園長がモクレンを中国から導入したときに、「枝先にユリの花が
ついている木」 と評したことにちなんでいます。樹を埋め尽くすほど
たくさん咲く純白の花は美しく、ふと足を止めて見入りたくなります。

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ハクモクレン の後は、西休憩所に向かう園路の途中、右手側に木
の枝からすだれのように垂れる花が特徴の 「ハチジウキブシ」 が
見ごろになっていました。時折り吹く風に、ゆらゆらと花房が揺れ
る姿は、海をゆったりと泳ぐイカの群れの様に見えてきます。(下左) 
遠くから見ると木が黄緑色に染まていますが、近づいて見ると、
一房にコロンと丸い花が50以上咲いてます。(下右)

「ハチジョウキブシ」
ハチジョウキブシは、八丈島で発見されたキブシの変種で、漢字で
は 「八丈木五倍子」 と書きます。実を五倍子 (ふし : お歯黒などに
利用されていた染料) の代用としたのが由来となっているようです。
キブシより花が大きく、房が長いという特徴で、葉が出る前に、黄色
い小さな紡錘形の四弁花を花序に多数枝垂れさせます。 花びらは
4枚で釣鐘状に咲き、開ききることはないそうです。

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ウメは別名、春告草とも呼ばれているのはご存知でしょうか。その
名前の通り、まもなく訪れる春を告げる花なのです。 冬の寒さが
あるからこそ、春をむかえる喜びもひとしおではないでしょうか。

「梅」
春らしい日差しが園内をぽかぽかと照らしています。
御苑には園内各所に約300本のウメを植栽していますが、数十本
ほどがまとまって楽しめるエリアがいくつかあります。そのうちのひ
とつが 「エコハウス (レストランゆりのき)」 前も、ウメ鑑賞のスポット
です。(上) 丸い植え込みの周りに約70本のウメを植栽してます。
最盛期には白梅、紅梅が咲きそろい、華やかなウメのお花見を楽
しむことができます。遠くからでも梅林全体がほんのりと花の色に
染まっている様子が分かりますね。最近は女性の方でも本格的に
写真を撮る人もいて感心します。特に年配の人が一眼レフを手に
しているのには驚きです。私はデジカメだけど。(笑)

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風もなく穏やかに晴れ、お昼近くにはポカポカ陽気になりました。
三角花壇近くの植え込みでは、トサミズキが見ごろをむかえていま
した。そしてトサミズキの園路を挟んだ反対側にはシナミズキの植
栽があり、園路を飾っていました。でも通り過ぎる人が多かったです。

「トサミズキ (土佐水木)」 (上)
トサミズキは葉が出るよりも先に、5~7個の丸みのある黄白色の小
花が連なり花序になって下垂します。四国地方を原産とし、特に名
前が示すように高知県内の山地の石灰岩地域に多く生育します。
江戸時代から観賞用に栽培されていて、切り花の利用や庭木とし
てよく植えられています。ランプシェードのような形の可愛らしい花
ですね。しべの赤い色がチラチラと見えています。たくさんの花を
つけて景色をパッと明るくしているのが印象的でした。
「シナミズキ (支那水木)」 (下)
中国原産で 「支那水木 (シナミズキ)」 といい、一房に7、8個と花数
が多いのが特徴です。ちょうど向かい合って咲いているトサミズキの
仲間で、違いを見比べてみると楽しいです。 一房の花の数が多く、
黄色花をたくさん咲かせ花は下向きに咲くようです。中には、ジンチ
ョウゲをしのぐ匂いがするようです。

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新宿御苑には約65種類約1100本の桜の植栽があります。現在
は、オカメの他には、カンザクラ、カワヅザクラ、シュゼンジカンザ
クラ等が見ごろを迎えたようです。4月中旬の八重桜まで華やか
に続く新宿御苑の桜が楽しめます。園内は日に日に春色に染ま
っていきそうです。また園内では葉を落とした落葉樹や池の水面
から、小鳥やカモたちのおしゃべりがよく聞こえます。新宿御苑は
野山と比べれば、野鳥の種類は限られますが、母と子の森という
エリアは、自然の雑木林になっているので、多くの鳥を見る事が
出来ます。バードウォッチングにぴったりのシーズンですね。

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新宿門からサービスセンターに向かう園路の三又路近くに、凛とし
たピンクの色が鮮やかな桜が咲いていました。その名も 「オカメ」。
とにかく色、鮮やかなので皆さん足を止めて写真に収めていました。
でも名前は分からなかったようです。表示されていないので・・・。

「オカメ (桜)」
オカメはカンヒザクラとマメザクラの交配で生まれた栽培品種で、
イギリスの桜研究家によって作出されたようです。花は一重咲きで、
桜の仲間としては小さく、枝先に可愛らしい濃いピンク色の花が下向
きに咲くようです。(下右) 花びらを包む萼片の鮮やかな色はカンヒ
ザクラに、下向きに咲く可憐さはマメザクラに似ているようです。お父
さんにもお母さんにも似ている愛らしいお嬢さんといった感じでしょう
かね。色良し、姿良し・・・本当に日本美人ですネ。 でも、おかめ桜
なんて、もっといい名前を付けてあげたらいいのに・・・。 可愛い花
なんだから・・・と、少しぼやいてしまいたくなりました。(笑)

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日本庭園や上の池近くに咲く 「カンザクラ (寒桜)」 がみごろを
むかえていました。外国の方が 「オー、トレ ビアン (très bien)」 と、
盛んに連呼していました。桜を初めて見る方達なのでしょうかネ。
あたたかさの影響もあってか、咲き進むペースも例年になく早ま
っているようです。

「カンザクラ (寒桜)」 (下右)
カンザクラは漢字で 「寒桜」 と表す名前のとおり、冬の寒い最中に
桜のなかでトップを切って一番早く開花する桜です。カンザクラは、
カンヒザクラとヤマザクラの種間雑種の栽培品種です。花びらは
淡いピンク色ですが、ガクの鮮やかな濃い紅色がカンヒザクラに
似ているようです。 

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園内には約10本のカンザクラがあるようですが、なかでも木が大き
く、整った樹形で人気を集めているのが、日本庭園 ・ 翔天亭近くの
大木です。(下左) 芝生に大きく枝を広げる大木がピンク色に染まり、
遠くからでも目をひく華やかさです。翔天亭近くには3本のカンザクラ
が並んでいますが、そのうちの2本がみごろになり日本庭園の入り口
を飾っています。特に真ん中のカンザクラは、腰の高さまで枝が伸び
ているので撮影にはぴったりで、皆さん自慢の写真を撮っていました。
枝先まで淡紅色の花がいっぱいに咲き、春の色彩に染まっています。

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中の池のレストハウス前に 「修善寺寒桜 (シュゼンジカンザクラ)」
がみごろをむかえています。周りに遮るものがない水辺の特等席
から、園路や池の上にのびのびと枝をのばした姿は魅力のひとつ。
ピンク色に染まった大木は遠目にも目をひくので、散策なさるお客
さんも自然と桜の方へ足が向かうようです。水面を彩る花影もカメ
ラマンの方や桜鑑賞を楽しむ方から人気の桜のようです。

「修善寺寒桜 (シュゼンジカンザクラ)」
修善寺寒桜はカンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種と考えられ
ている栽培品種で、大きいものは樹高10メートルにもなるそうです。
名前の通り静岡県修善寺町の修善寺にある物が原木であるとされ
ています。花びらはやや濃いピンク色ですね。色はカンヒザラに、
花の形はオオシマザクラに似ているようです。

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桜といえばソメイヨシノがお馴染みですが、御苑の 「修善寺寒桜」
は、水辺の景色を楽しめる休憩所 ・ レストハウスのすぐそば、この
場所の一本だけのようです。中の池のふちで堂々とたたずむ姿は、
この時期人気を独り占めしている感じの桜です。満開になると伸び
た枝の花は園路側にピンクのトンネルが出来上がって、お客さん
を喜ばしているようです。ここにも外国の方が大勢いました。

桜のそばに寄ってみると、木の中から、「ピーヨピーヨ」 と、可愛
らしい声が聞こえてきました。声の主はヒヨドリでした。(下左) 小鳥
が集まる様子は 「ヒヨドリもお花見をしに来たみたい」 と思えてしまう
ほどですが、ヒヨドリたちのお目当ては花見というよりも、甘い花の蜜
のほう。花の蜜を好む野鳥は、虫の少ない冬に咲く花にとって貴重
な花粉の運び手となります。甘い花蜜は鳥を誘うための、とびっきり
のごちそうというわけです。園内でいち早く開花したカンザクラの花
蜜をお目当てに集まって来たようです。

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クリスマスローズは、サービスセンター近くの他、エコハウス裏の植
え込みにひっそりと咲いていました。園内を華やかに彩るクリスマス
ローズの花を楽しみました。ここでも気付く人が少なく残念でした。

「クリスマスローズ」
うつむきがちに咲くクリスマスローズの花は、立って観賞するより屈ん
で覗き込むように見ると、愛らしい姿が楽しめます。花びらのように見
える部分は、実はガク (萼) で、雄しべの周りをぐるっと囲っている物
が、花びらが退化した 「蜜線 (みつせん)」 なんだそうです。(下左)
クリスマスローズが日本に伝わってきた時期は、江戸末期から明治初
期頃で、導入された当時は現在のように観賞用として庭に植えて楽し
むわけではなく、薬用植物として導入されていたようです。クリスマス
ローズ・・・という名前なのに、クリスマスには咲いていません。ショック
を受ける人もいます。 (笑) クリスマスローズの花が小首を傾けるよう
に、心の奥底に秘められた苦悩を訴えるように、うつむいて花弁を密
やかに開く様子が花言葉の一つ一つに印されているようです。クリス
マスローズにつけられた花言葉は 「私を忘れないで・・・・」。

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「ジャノメエリカ」 (上)  
サービスセンター近くに、「ジャノメエリカ」 が咲いていました。木が
ほんのりとピンク色に染まっています。繊細な枝に小さな花がびっ
しりと咲くため、株全体を見るとにぎやかな印象を受けますが、一
つ一つの花も可憐で個性豊かです。桃色や薄紫色の花を咲かせ
ます。名前は花の中心の黒い部分 (葯) が蛇の目模様に見える
ことから。(上右) 可愛らしい花の形に、多くのお客さまが写真を
撮られていました。ランプみたいな形で可愛いです。

「スイセン (ペーパーホワイト ・ ニホンスイセン)」 (下)
サービスセンター近くにスイセンがお出迎えです。2月いっぱいま
でが見ごろですが、頑張って咲いててくれました。管理事務所近く
では花の中心が黄色いニホンズイセンも咲いていました。(下右)
純白の花びらが光を受け止めて、ひときわまばゆく感じられます。
多くの方が足を止め、花からただよう甘い香りを楽しんでいました。
ニホンズイセンがポツリポツリと混じって咲いているところもあり、
一面真っ白の中に黄色が混じり、いいアクセントになっています。

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「サンシュユ (山茱萸)」 
中の池付近で、「サンシュユ」 が見頃をむかえていました。この花
はロウバイやマンサクと同じように、春先に黄色の花を葉が出る前
に咲かせます。この黄色の花が、秋にはグミの様な真っ赤な実を、
鈴生りに着け、これも見事です。遠くから見ると、花で木一面がうっ
すら黄色く染まっていますが、(下右) 花を近くで見ると、枝先に
小さな花が集まって咲いています。(下左)

そういえば宮崎県出身の先輩がよく宴席で、
 庭の山しゅうの木 鳴る鈴かけて ヨオーホイ 鈴の鳴るときゃ 
出ておじゃれヨー と、渋い声でよく歌っていました。哀愁のメロディ
で感激の宮崎民謡の稗搗節です。この歌には、源平合戦の一つ、
壇ノ浦の戦いに敗れた平家の娘鶴富姫と追討の武将との悲恋の
物語が歌い込まれている様です。昭和初期に椎葉に伝わる源氏
の那須大八郎と鶴富姫の悲恋物語を題材にして創作した歌詞が、
現在の 「稗搗節」 だそうです。 禁じられた恋で、人目を忍ぶ愛を
歌ったもの何ですね。 サンシュの木に付けた鈴が鳴れば 「今日
は会える」 のサインとか。

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気温の上昇とともに春の花たちが開いてきた園内、大木戸休憩所
近くやサービスセンター近くではハシバミの花が咲いていました。
ひっそりと花を咲かせているハシバミの木を偶然見つけました。

「ハシバミ」
ハシバミは日本や朝鮮半島、中国に分布する落葉低木です。一般に
はあまりなじみはありませんが、庭園樹として用いられることが多い樹
木です。ハシバミの木を見ると、枝先などにぷらーんとぶら下がってい
るものが観察できます。これがハシバミの花です。ハシバミにはオスと
メスの花が別々に咲きます。黄色くぷらーんと垂れ下がっているのが
オスの花、(上) 枝から出ている芽の先端に赤い柱頭が見えている
のがメスの花です。(下右)

「ハシバミ」 にまつわる有名なお話をひとつ。
グリム童話の 「灰かぶり (シンデレラ)」 では、このハシバミの若枝が、
不幸な末娘の運命を逆転させるきっかけとなっています。 毎日、継母
と姉たちにいじめられる灰かぶり。彼女はハシバミの小枝を亡くなった
本当のお母さんのお墓にさして大泣きします。ほおをつたわる彼女の
涙がその小枝に落ちると、その枝はみるみるうちに見事な大木に成長
しました。 その後、毎日お祈りをすると、そのたびにどこからら白い小
鳥がやってきて、彼女の願いをかなえてくれるようになったのです。
こうして舞踏会に行くための素敵なドレスや黄金の靴も手にいれること
ができました。 さて、この後のシンデレラストーリーは、皆さん、もちろん
ご存知ですよね。

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「東屋」  (庭園や公園に設ける休憩用の小さな建物) (上)
「旧御涼亭」 という中国様式の建物の池の縁に 「東屋」 があります。
多くの外国の方々が東屋を撮影していのが非常に印象的でした。
新宿御苑には日々多くの外国人観光客が訪れますが、わざわざ
この東屋を撮りたいなんて思わないでしょう。実はアニメーション
映画 「君の名は」 でお馴染みの新海誠監督の過去作品 「言の葉
の庭」 に登場する主人公が出会う場所のモデルとなった所です。
改めて、アニメが世界中で支持されていると実感します。

「言の葉の庭 (ことのはのにわ)」 のヒロイン、雪野百香里は高校
の古典教師でした。新宿御苑の休憩所で主人公の高校生、秋月
孝雄と出会います。雨が木々をぬらす美しい風景のなか、御苑内
でビールを飲む雪野 (実際は園内は飲酒禁止です) と、学校をさ
ぼって靴のデザインに没頭する秋月。雪野は秋月に向けて 「鳴る
神の 少し響みて さし曇り 雨も降らんか 君を留めん」 と短歌を
謎かけのようにつぶやき、物語が動き始めます。雨の日だけの逢
瀬を重ねて心を通わせていく。万葉集の一篇から始まる孤悲 (こ
い) をモチーフに、繊細なタッチで描かれるラブストーリーです。
アニメファンにとっては、聖地巡礼の場所なんですね。

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新宿という大都会にありながら、自然豊かな場所です。想像以上
に広々としており、のんびりと散歩するもヨシ。芝生にゴロンと寝っ
転がって、日向ぼっこするのも最高です。都心の喧騒に疲れたら
新宿御苑で、ゆっくり落ち着くのもいいと思います。ニューヨーク
のセントラルパークは流石! と、ばかり思っていましたが、日本
にもよい公園があることに気づきました。春の花々に出会い一日
楽しめました。この次は敷物を持って、1日中寝っ転がっていよう
と思います。(笑)





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