一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「入れ墨に熟考を」

...2018/05/27 14:55...

風薫る爽やかな季節となりました。
5月も残すところあと4日。連日気温が25℃前後と
汗ばむ陽気の日が続いていますが、吹き抜ける風
に乗り、みずみずしい青葉の香りが駆け廻ります。

今朝、早起きしてジョギングをして来た。
公園の近くを通ったら何やら人が大勢いた。
そして音楽が聞こえてきた。近づいてみると、
どうやらラジオ体操をしていることが分かった。

ラジオ体操と言えば、夏休みの行事なはず。
毎日、おこなっているというから驚き。
中にはジョギングした後、公園によって参加して
いる方もいるらしい。私も参加して、何十年ぶり
かのラジオ体操を楽しんだ。

「凄いな~」 と思わず声がでた。
何よりも驚いたのは、参加しているその年齢である。
「90歳でも、まだまだいける」。多くの人が力強い
勇気をもらうに違いない。「人生、目標を持って生き
生きと・・・」 というスタンスに反対する人は居まい。

サミュエル ・ ウルマンの 「青春」 の詩に、“ 青春とは
人生のある期間ではなく、心の持ち方である・・・・・”
という有名な一節があります。

<青春> は心の在りようと同時に、「生きがい」
を持つことによって、身体も若返ることができる。
老いは避けられないものではありますが、高齢化
社会において、いかに人生と向き合い、目標を
持つことによって、元気に明るく生きる工夫と努力、
それぞれの目標を持つ意義と、家族と人の絆の
大切さを示してくれているようです。

人生はいつも 「今から」 ~。
一歩一歩登りつづければ頂上に立てる。
「自分の可能性に挑み続ける・・・・・」 、諦めない一歩。
私達も 「生涯青春」 であるように、頑張りたいものです。
「青春」 の詩には、こんな一節も・・・・・。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。

爽やかな朝を迎えた、今朝の東京でした。


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「入れ墨に熟考を」

先日、ある新聞で入れ墨についてもっと鷹揚で
あれという大学教授のコメントを目にした。
よく理解できず再度読み直してみたが、入れ墨は
江戸時代からあるもので、外国では風習やファッション
になっているのに、日本では奇異の目で見られている。
東京オリンピックを控え、多くの外国人の訪問を
考えて、もっと寛容の精神で認めるべきでは、
という意見であった。

入れ墨は皮膚表面に描写した図柄を永久に
残すもです。そのために針を用いて色素を皮膚
内にとどめるため、その行為には出血が当然の
ほかに、細菌感染を起こす可能性が潜んでいる。
しかし、皮膚の代謝機能からすれば、
大きなマイナスになるものとはいえないらしい。

これまテレビなどでアスリートの上腕や首まわりに
時々見かけていたが、最近の海外のスポーツ番組
などでは特に珍しくないほど、よく目に入ってくる。
そのため若い人が入れ墨にあこがれやファッション
性を抱き、入れ墨を安易に入れるケースが多いと聞く。
一時の思いで入れ墨を入れて、後にそれを元の皮膚
に戻そうとすると、非常な苦痛と多額の費用がかかる。

振り返ってみると、昔、銭湯に行ったときに
入れ墨が目に入ってドキっとした思いがよみがえる。
自分自身の学生の頃、スキーで骨折した経験がある。
入院いた日に、同室の年老いた方から 「親から
もらった身体に傷をつけるものではない」 と
一喝されたことを思い出した。

育った環境や伝統で行う入れ墨の風習を一方的に
批判するわけではないが、日本ではまだ良しとしない
考え方が一般的であろう。皮膚に刻み付けるのでは
なく、頭の中にその思いを記憶させるのが良いと思う。

シャープペンの先で、同じところを同じように
(イニシャルやハート形など) なぞることも結果的に
入れ墨と類似した行為であり、それにより消えなく
なった事例をいくつか見聞したことがある。

若者よ、気を付けて!
入れ墨を施す前に一度熟慮してみてはと、
先日、三社祭で見かけた入れ墨をみて、
観客の若者が 「カッコいい」 と絶賛していたので、
心ながら切に思い訴えたかったのでした。


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    「三社祭」  浅草神社  2018

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友人からの思いがけない電話で、出掛けたのが浅草。20日は
ちょうど 「三社祭」 の最終日。本社神輿が練り歩く最大のヤマ場。
この日は、東大の五月祭もあり、午後からでも訪れてみようかと思
ってた矢先だったが、むげに断ることも出来ず出掛けてきました。
雷門前の通りは開放されて、ただでさえ人が多いのに、観光客と
祭り見学客で賑わっていました。

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浅草寺と比べるとちょっと影が薄いですが、「三社祭」 を主催する
のは浅草神社です。(上) 雷門から仲見世を歩いて行くと浅草寺
の正面にたどり着きます。その浅草寺の右手隣りにあるのが 「浅
草神社」です。参拝する方の長い列ができていました。(下左) 
すでに神輿は、宮出しで神輿庫は空っぽでした。(下右)

「浅草神社」
ある日、檜前浜成、武成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ、
網に像が引っ掛かりました。地元の知識人である土師真中知に
見せたところ、「これは観音様の像だから大切にしなさい」 と教
えたのです。そこで像を祀ったのが浅草寺の始まりだとされる。
そして真中知の死後、浜成・竹成と合わせて三人を神様として
祀ったのが 「浅草神社」 です。浅草神社は明治時代に入るま
では浅草寺と一体でしたが、神仏分離によって浅草寺と分離
しました。社殿は、慶安二年 (1649) に三代将軍家光が観音
堂と同時に寄進したもので権現造りの重要文化財です。浅草
神社を 「三社さま」 と、お祭りを 「三社祭り」 として親しまれて
いるのは、この三柱の神さまを祀っていることに由来します。

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本社神輿は、大きくせり出した蕨手や、神輿の胴回りに吊るされた
鏡など、神様をお乗せする乗り物として、なんともいえない風格が
あります。白い布が巻かれているのは、邪気がつかないように、通
常の神輿と違って、白布で巻いて守っているんだそうです。また鏡
は己自身だけでなく己の心をも映し出す物であるということから、
魔を払って、心も磨き清めるという意味合いがあるようです。(下左)

「宮神輿」
「浅草神社」 には、三基のお神輿があります。浅草神社に祀られた
三社大権現の神霊を移して奉安するための神輿が、本社神輿とい
い、町内神輿とは別格で 「宮神輿」 と呼びます。 戦前の宮神輿は
「徳川家光」 の奉納といわれ戦災で焼失し、現在の宮神輿は 「一之
宮」 「二之宮」 「三之宮」 が奉納されています。神輿は、鳳凰の飾り
がついているのが 「一之宮」 です。(上)  橋の欄干に付いている
「擬宝珠」 がある神輿は 「二之宮」 と 「三之宮」 です。(下右)
三社祭で担がれる 「宮神輿」 の重さは約 1 トンだそうです。

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「三社祭のはじまり」
現在は浅草神社の例大祭として行われている三社祭ですが、
江戸時代末までは浅草寺と浅草神社が一体となった神仏混交
の行事でした。起源は「神輿を奉り船遊びを営んで天下の安寧
を祈るよう」 との阿弥陀三尊のお告げを得て、正和元年 (1312)
3月18日 (観音示現の日) に行われた 「舟祭」 にあるようです。
もともとは 「観音祭」 「浅草祭」 とも呼ばれていました。祭礼は
現在のような神輿かつぎが中心ではなく 「山車 (だし)」 が中心
であったようです。現在は5月第3週の金・土・日曜に行われます。
正式名称は 「浅草神社例大祭」。

「示現」 とは・・・・・仏や菩薩が、人々を救うためさまざまな姿に
変化してこの世に現れることをいいます。「浅草の観音さま」 と
して知られる浅草寺の本尊・聖観世音菩薩の示現は推古天皇。

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三社祭の3日目の5月20日 (日) は、浅草神社が持つ三基の神
輿が主役。早朝6時頃に神様を乗せた本社神輿3基が、神社を出
る 「宮出し」 からはじまります。氏子たちによる神輿は、浅草神社や
浅草寺境内を練り歩きます。宮出しの際には境内における一般の
見物はほとんど出来ないです。浅草寺周辺は、一時立ち入り禁止
になるようです。 それでも朝6時にはカメラを手にした方が大勢集
まるという。浅草寺の境内を練り歩いた後、神輿は各町会の担ぎ手
にリレーされて、一之宮神輿は東部方面、二之宮神輿は西部方面、
三之宮神輿は南部方面へと町内を巡る。一般の担ぎ手も加わって
最高潮を迎えます。ちょうど 「三之宮」 の宮神輿が仲見世から雷門
へ出るところでした。すごい人でした。もちろん仲見世の店のシャッ
ターは閉まっています。

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「一之宮」 (東部) の本社神輿
「一之宮」 神輿は、御本尊観音様の 「御示現」 に関わった土師真
中知命 (ハジノマツチノミコト) が祀られています。浅草5~7丁目
から花川戸1~2丁目の東部方面です。一番、穏やかな御神輿の
感じがして、私の好きな地域の神輿です。同じ神輿を心おきなく担
いで、その喜びを分かち合う、この地域はそういう人情の深い下町
なのでしょうかね。 人情味あふれる地域です。

祭の古語は 「万葉集」 にもでてくる 「まつらふ」 で、神様を招いて
お供えをし、悪や病を退け福をもたらしてくださるように祈ることだ
そうで、大祭、祭礼、神幸祭などというのが一般に 「祭り」 という
そうです。 祭りというと必ずでてくるものの中に神輿があります。
そもそも神輿は、神様が巡行するときの乗り物。だから神様の
数だけあるのが一般的だそうです。

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「宮神輿渡御」
三基の本社神輿は、西部・南部・東部の各町会に一基づつ割り
振られ、各町会ごとに練り歩き地域をこなした後、一本締めで締
めて次の担ぎ手に受け継ぎ、神輿渡御をします。各地域ごとに
引き渡すのは、こうすることで神様に各地区をご覧頂くのです。 

係りの方が 「一本締めでお願いします!」。出発を合図する手締め
の音が鳴り響き、神輿がグイッと持ち上がると、辺りは一瞬で興奮の
るつぼに。神輿を担げる喜びを爆発させるかのように、力強く神輿が
揺らされます。 神幸の途中、神輿を上下左右に振り動かしたり、わ
ざと荒々しく揺さぶることで、神輿に坐す神様の 「魂振り (たまふり)」
を行い、これにより神様の霊威を高め、豊作や豊漁、疫病の退散が
なると信仰されているのです。

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「二之宮」 (西部) の本社神輿
「二之宮」 神輿は、御本尊観音様の 「御示現」 に関わった、兄弟
漁師 ・ 檜前浜成命 (ヒノクマハマナリノミコト) が祀られた神輿。
浅草二丁目から西浅草3丁目、千束4丁目付近の西部地域です。
この地域の一部町会で毎年荒れ模様のようです。他の神輿と違っ
て凄い迫力に圧倒されます。以前には担ぎ手が神輿に乗るなどし
て問題になり、2008年は 「宮出し」 が中止されたことがあります。
通常は他の神輿と同じなんですが、国際通りの裏側あたり地域で、
暴れまくって歩道で見学しても容赦なく飛ばされます。コワいです。
(笑) 今回、「二之宮」 の神輿を見るには、時間的に余裕がなく
仕方なくこの地域へ。 命がけで、いざ!

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ご覧頂けるでしょう? (上) 気合充分とばかりに、神輿引き渡し、
引き受け、双方の代表が神輿に乗る。しかし、胸元や背中に刺青
を入れた男性が神輿の上て気勢をあげる。担いでいる神輿に乗る
のはご法度ですが、神輿渡しには儀式があって、その時は担当者
だけ許されます。 この時とばかりに入れ墨のお兄さん方が神輿に
乗って自慢の入れ墨を披露するわけです。担ぎ手の喧騒神輿に
圧倒されて見学どころではありません。他の地域とは一風異なる
空気が漂う。その神輿渡御をひと目見ようと、神輿の周りには多く
のギャラリーが群れを成す。ビルの上からも見学者が。(下左)
暴走を防ぐ為に神輿の周りは、多数の警察が付き添い監視して
います。(下右) 路地裏には機動隊が待機。華やいだ祭りの裏
に、こんな一面もあるのがこの地域なのです。

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丸金の半纏を見れば泣く子も黙るという組織。この町会 (西浅草
三) には指定暴力団の高橋組と中村会の二つの事務所があります。
大正期に浅草で土建請負業 「高橋組」 の看板を掲げて一家を構え
た歴史があり、浅草の高橋組と言わなくても下町では、丸金 (まるき
ん) で通るらしいです。(上) 正式名称は「住吉会浅草五代目高橋
組」。住吉会系中村会は指定暴力団で、四代目中村会会長は住吉
会会長補佐とう。(下)  (((( ;゜Д゜))) ガクガク ブルブル

昭和の30年代中頃から浅草でも人口減少で担ぎ手が少なくなり、
氏子だけではお神輿を浅草全町会を渡御できなくなってしまい、
担ぎ手募集などした時期があり、そうしたなかで ” 祭り同好会 ” と
いう人たちが集まり、だんだんヤクザも参加しアピールをするよう
になってきたようです。唯一彼らがお天さんの下で 「堂々と出来る
時間」 「ヤクザ界の文化祭」 とも言われている。何か問題を起こし
たら警察も 「即 ・ 逮捕 ・ 中止」 を考えてるが、さすがにこの祭り
だけは彼らも 「祭り」 に徹してる感じです。

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神輿を担いだあと、近くの通りで担ぎ手たちが集まり休憩していた。
それを群衆が取り囲むように見守っていました。(上左) 全身が入
れ墨の人を初めて見ました。怖々お願いしたら 「いいよ」 と写真を
撮らせてくれたのがこちらの方。(上右) 組員なのかはわかりませ
んが、子煩悩なお父さんという感じの方ですね。他に背中なら 「い
いよ」 と、二人の方が撮らせてくれました。(下) 我ながら度胸ある
な~と、後になってビビりました。(笑)  神輿見学時は、何度も吹っ
飛ばされそうになり、機動隊員に 「大丈夫ですか」 と抱きかかえら
れる始末。いや~、怖かった。

御神輿の担ぎ手は、入れ墨をした人は出来ないルールがある為、
さすがにいませんでしたが、でも観客らに全身の入れ墨を披露す
る方々もいます。最近の暴力団に対する目が厳しく、暴力団排除
条例で、ある程度の成果は出しているようですが、下町では一概
にこうした問題への判断が難しいこともあるようです。裏三社祭と
でも言うべき不思議な空間では、誰を排除するでもない、異様な
時間が流れていました。

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三基の本社神輿を境内から担ぎ出す 「宮出し」 の後、浅草の街
を巡る本社神輿の熱気は最高潮に達します。

宮神輿には、正面の屋根にそれぞれ 「何之宮」 と言う 「駒札」 が
付いていて、どちらを向いているか、そして、どの神輿か分かるの
ですが、先端の飾りが 「鳳凰」 なら 「一之宮」、「擬宝珠」 なら 「二
之宮」 か 「三之宮」 であることを知っていれば、遠くからも識別で
きます。 戦前は宮神輿に 『四之宮』 があったそうですが、戦災で
焼失しております。元々は町神輿でした。しかし、あまりに重かっ
たため、町会で担ぐ人がいなくなり、浅草神社へ奉納されました。
祭礼の際は、東照宮の御神霊を移し、四之宮として担がれたよう
です。重いといっても他の三基の宮神輿に比べると軽く、動きや
すかったため、担ぎ手がわざと乱暴に担ぐ事もあったため、『暴れ
神輿』 の異名をとっていたそうです。

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「三之宮 (南部)」 の本社神輿
「三之宮」 神輿は、御本尊観音様の 「御示現」 に関わった、兄弟
漁師 ・ 檜前竹成命 (ヒノクマタケナリノミコト) が祀られた神輿です。
浅草一丁目から駒形一丁目付近の南部方面です。雷門付近を練
り歩くので、勇壮な姿を一目見ようと大勢の見物客が押し寄せ大変
な混雑のようです。本社神輿の重さは1トン、120人の担ぎ手がよ
うやく運ぶ事が出来るヘビー級神輿です。その分、掛け声も迫力
を増し、江戸時代さながらの勢いの ある神輿が見られる感じです。

祭の古語は 「万葉集」 にもでてくる 「まつらふ」 で、神様を招いて
お供えをし、悪や病を退け福をもたらしてくださるように祈ることだ
そうで、大祭、祭礼、神幸祭などというのが一般に 「祭り」 という
そうです。祭りというと必ずでてくるものの中に神輿があります。
そもそも神輿は神様が巡行するときの乗り物。だから神様の数
だけあるのが一般的だそうです。

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三社祭に先駆け、神社の御神輿 (本社神輿) 3体 (一の宮、ニの
宮、三の宮) に御神霊を入れる儀式があり、神様には三社祭の三
日間、御神輿に分神霊 (わけみたま) として鎮座して頂き、お祭り
を通して浅草の町の様子を伺ってもらう。とかく神輿に注目されが
ちですが、屋台囃子 (下左) が聞こえてくると、先導役をつとめる
「猿田彦」 が登場し、神太鼓やお賽銭を担ぐ方や巫女がその後に
続きます。(下中) 神職や宮司が馬に乗り、(上) 神輿鶲共に厳
かに進みます。勇壮な神輿のイメージが強い三社祭ですが、本来
の神事としての三社祭の厳かさ、おおらかさを実感できる行列です。

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浅草には44の町会があり、それぞれが町会の神輿があります。
神輿の担ぎ手全員が揃いで着ている半纏も楽しみのひとつです。
本来は藍染で紺色が主流ですが、茶や緑といったカラーバリエー
ションも増え、柄も多種多様です。神輿を見つつ、町会ごとの半纏
を見比べてみるのも楽しいものです。

「半纏 (はんてん)」 
半纏とは現代風に簡単に言ってしまえば“ユニフォーム”のことで、
一目瞭然パッと見て「あれは??屋の職人だよ」とか、浅草風に言え
ば 「あれは○○町会の半纏だから○○の御輿だよ」 とかすぐに判る。
着る看板的な役割の物なのです。ですから無地に襟に屋号とか職
名が入って背中に家紋や印が入っているシンプルなものは職人さ
んに多いようです。反対に総柄で遠くからでも見て識別出来るよう
な半纏の場合、祭礼関係や鳶職の方の半纏が多いようです。

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ねじり鉢巻きキリリと締めて・・・。祭りで御輿を担ぐのですが、 頭に
巻くはちまきの結び方にも色々あるようです。江戸っ子の粋で鯔背
(いなせ) な姿は、やはりこの鉢巻きからでしょうか。

「角 (つの) はちまき」 (上左) 男性向けのカッコいいはちまきの巻
き方で、鬼の角のようにピーンっと先が立つはちまきの巻き方です。
結びの形を変えて、自分だけの結び方が出来るようです。
「くわがた結び」 (上右)  女性向けの粋な巻き方。 老若を問わず、
女性に似合う結び方です。 昨今のお祭りギャルに、 最も人気の
あるスタイルのようです。見ると惚れちゃうくらい素敵です。
「ねじりはちまき」 (下左) ねじり鉢巻きキリリと締めて、お馴染の
粋なスタイルで、最も威勢の良い結び方がコレ。短く刈りあげた
ヘアスタイルの男性を想像しますが、女性も似合うんだとか。
「喧嘩かぶり」 (下右)  江戸時代の髪型の定番といえば、ちょん
まげですよね~。喧嘩するときは、つかまれてしまって、とっても
邪魔になります。そんな江戸っ子たちが、喧嘩する時にちょんま
げを隠すためにかぶっていたのが、喧嘩かぶりだったそうです。

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雷門通りと、馬道通りは歩行者天国となり、浅草観光連盟主催の
「お祭り広場」 に。本社神輿を担ぐ以外の時間に、各町会が町神
輿や子ども神輿を繰り出します。雷門通りの雷門の前は、神輿が
集結する絶好の撮影スポットで人、人、人。カメラを向ける外国人
の姿も目立ちます。 普段の浅草とは様子が違うと語り、次々とや
ってくる神輿の姿をスマートフォンで街のにぎわいも熱心に撮っ
ていました。町会ごとに違う半纏にも興味があるみたいでした。

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晴天に恵まれ、お囃子の音と神輿を担ぐ声が街中に響き、浅草は
終日お祭りムードに包まれました。歩行者天国になった雷門通り
へ、「町内神輿連合」 の神輿が、次々にやってきてそれに合わせ
人もが移動します。名残惜しいお祭りの最終日を盛り上げ、一日
中お祭り一色です。息を合わせて神輿を上下に揺らす姿に、観
光客は神輿を囲んで、拍手と歓声を送って、いっしょに祭りを楽
しみます。浅草の顔である雷門も、この日は脇役です。

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下町の粋でいなせな人々が、それぞれの町の半纏を身にまとい、
掛け声を上げながら神輿を担ぐ大迫力な光景を間近で見られる。
担ぎ手達の江戸を、東京を大切に想う気持ち。そして、地元を大
切に想う気持ち。そんな想いが詰まった心意気が伝わってきます。
神輿の担ぎ手に女性も多かったですよ。(上) 近頃の男性は、
草食系が多いと聞きますが、それに変わる昨今の女性陣。何事
も積極的に打って出る行動には目を見張るものがあります。
そして頼もしくもあります。江戸っ子娘、イヨッ

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朝早くから長時間にわたり方面各町を熱く巡行してきた3基の本社
神輿は、日暮れ頃に再び浅草神社に戻り、あかあかと灯が入った
宮入り道中の高張提灯に迎えられます。浅草・三社祭のフィナーレ
は、激しくも幻想的な雰囲気に包まれるようです。神輿が集結する
前のひと時、人力車に乗った花婿、花嫁が通りかかり、皆の注目
を浴びていました。(下)   お幸せに!

受け継がれてきた義理と人情の心意気が、今も人々の胸に脈々と
息づく町 ・ 浅草。さわやかな風と夏の予感をお供にやって来る三社
祭は、そんな浅草っ子たちが身も心も解放して一気に弾ける、年に
一度の大イベントです。浅草っ子のみならず、全国のお祭り好きたち
から注目を集める三社祭。宮入りは、日没頃に静粛な式を終えて、
浅草の勇壮 な祭りが幕を下ろすのです。この後に浅草は、朝顔市
を迎え、 東京はあの暑い夏に向かっていくのです。





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「サラダ記念日」

...2018/05/22 22:16...

風薫る五月。
最近は強まる日差しに負けんぞといわんばかりに、
木々が一層青々しさを増してきました。この草木の
青葉の薫りが風に乗って届くので、「風薫る」 と表現
するわけです。逆に、この青葉の香りを運ぶ初夏の
風のことを 「薫風 (くんぷう)」 と言うんだそうです。

GWは、伊豆に住んでいる知り合いの招きで訪れた。
修善寺温泉で、日ごろの疲れを癒した。至り尽くせり
の持て成しを受けながらも、川端康成の 『伊豆の踊
子』 の舞台でもある 「旧天城トンネル」 や物語の舞
台となる場所を案内してくれた。川端康成が19歳の
時、実際に踊り子たちに出会った逸話は有名です。

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小説の舞台となった天城峠は、静岡県伊豆の下田街道の
河津町と天城湯ヶ島町との町境にあり、天城越えが最大の
難所でした。地元民の長年の願いにより、明治38年 (1905)
に開通。(上左) 小説にある、「暗いトンネルに入ると、冷た
い雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さ
く明るんでいた・・・」 の言葉通りに、トンネル内に入ると、最
初にその暗さとひんやりと冷たさを感じます。(下右) トンネ
ルを起点に伊豆の踊子の軌跡をたどってみると、学生と踊
子の像が、至る所にありました。(上右 ・ 下 左)

『伊豆の踊子』
川端康成の短編小説。川端の初期の代表作で、伊豆を旅
した19歳の時の実体験を元にしている。孤独や憂鬱な気
分から逃れるため伊豆へ一人旅に出た青年が、修善寺、
湯ヶ島、天城峠を越え湯ヶ野、下田に向かう旅芸人一座と
道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の
物語。孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、
素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過
程と、彼女との悲しい別れが描かれています。

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湯ヶ野温泉の福田家。川端康成が 「踊り子」 を執筆し、
その後も何回となく訪れております。その泊まった部屋が
当時のまま残されており、当時と変わらぬ河津川のせせら
ぎの音を聞きながら、一時 「踊り子」 の世界を味わうことが
出来ました。「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に
近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら・・・」。
川端康成の 『伊豆の踊子』 の書き出しの有名な冒頭の
文章が色紙でありました。(下左) 文学的才能に乏しい
私でも名文だと思います。偉そうに・・・。(笑)

「伊豆の踊子」  作詞 : 佐伯孝夫 作曲 : 吉田正
  天城七里は 白い雨 
   あなたと逢えたは 峠の茶店
   わたしゃ踊り子 太鼓をさげて 
   湯の町ながす 旅芸人
   花もつぼみの 紅椿

帰って来て、「伊豆の踊子」 を図書館から借りて再読して
みました。踊り子と主人公のあまりの無垢さと純真さは下
卑た世俗と隣り合わせにされることで尚際立ち、その無力
さの中でぽろぽろと流す涙の音に、打たれるものがあります。
孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂
う美しい青春の一瞬・・・・。あんな風に踊り子に出会ったら、
私の心もきっと癒されるだろうと思う。どこかしら懐かしい
日本を見るようで、この作品の 「伊豆の踊り子」 に感動を
呼び起こされました。そんなGWでした。

さて、20日にブログを更新しようと思っていたら、
思いがけなく友人からの電話。「浅草に居るから来い」 と。
そうなんです。20日は浅草で三社祭があったんです。
慌てて出掛けてしまい、ブログのこと忘れていました。(笑)
なので、お詫びを兼ねて、旅の話を追加して更新です。
良い人だなぁ~。(笑) 心も疲労もリフレッシュして
来たので、ボチボチとブログを再開します。宜しく!


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「サラダ記念日」

先日、朝のテレビで俵万智さんの 「サラダ
記念日の真相」 という秘話が放送されていた。
彼氏に料理を褒められてうれしい、はホントだけど、
実は料理はサラダではなく、カレー味の鶏の
から揚げで、日付も全然違う日なのだとか。

俵万智曰く、「メインがおいしいより、サブが
おいしい方がより記念日にすることに意義がある。」
「サラダがおいしい季節は初夏だなと思い、“ しちがつ ”
と “ サラダ ” という音の響きがさわやかなので決めた。
七夕という恋人のイベントの日ではなく、何でもない
日が記念日になることにより意味がある。」
「短歌は情報を正しく伝えるのが目的ではない、
気持ちをより効果的に伝えるものだから」 ・・・と。
さすがです。

歌集 『サラダ記念日』 は、当時高校の
教諭だった俵万智さんのベストセラー作品。
これほど評判となったのは、「この味がいいね」
と君が言ったから七月六日はサラダ記念日。
という一首をはじめ、短歌の常識を覆す口語体を
交えた軽やかで新鮮な歌風によるところが大きい。

「嫁さんになれよ」 だなんて 
カンチューハイ二本で 言ってしまっていいの

社会現象となった “31字” に秘められた
状況を詠んだ。俵万智さんは一躍、時の人に。

「サラダ記念日」 の選定過程を聞くうちに
中国故事の 「推敲」 の逸話を思い出しました。
昔中国の詩人が若い頃、ロバに乗って街を歩いて
いるとき、「僧は推す月下の門」 という一句が浮かび、
さらに 「推す」 のほかに 「敲く」 という語を思いつき、
ロバに乗ったまま夢中で手で門を押すまねをしたり、
叩くまねをしたりしたりして、どちらがいいか迷って
いるうちに、向こうから来た都知事の行列にうっかり
突っ込んでしまい、捕らえられてしまった。

彼が都知事の前で事の経緯を説明すると、
高名な詩人でもあった都知事は無礼をとがめる
ことなく、「それは 『敲く』 の方がいいだろう、
月下に音を響かせる風情があって良い」 と言った。
このことから 「文章を書いた後、字句を良くするため
に、何回も読んで練り直すこと」 を 「推敲 (すいこう)」
という・・・っていう、アレです。恩師から聞いた話。

なるほど・・・・伝える努力、か。
私もブログで文を打ちまくってますが、
果たして読み手をその気にさせているだろうか?
そういえば入社時 「文書は入社3年生をターゲット
に書け」 と指導された事があった。なんとか独り
立ちできるレベルの誰にでも分かるように、かつ
時間をかけずに読めるように、「伝える努力」 を
もう一度向き合う必要があるなぁ・・と
反省した朝でした。 心を込め・・・・改めて、

ちょっとした幸せな風景
あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように・・・・。


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世界最大級の超大型豪華客船
     外国客船3隻が横浜に同時入港 2018

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近所のカメラ好きの方に、世界最大級の超大型豪華客船3 隻が、
横浜港に同時入港するので、と誘いを受けた。この同時入港に
魅力を感じ、お供することにした。客船を見るのも悪くない。 まし
てや世界最大級となると興味が湧いてくる。久しぶりに横浜港へ
出かけました。ゴールデンウイークの初日、4月28日の土曜日
のことでした。ちょっと紹介します。お楽しみに!

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通用は1隻か2隻なのですが、贅沢にも今回は3 隻が同時入港。
つまり、一度に豪華客船を3隻も観られるという、またとないチャン
スなのです。船好きの方なら胸躍る出来事でしょうか。

今回、入港したのは英国船籍の 「ダイヤモンド ・ プリンセス」。11万
トン級。(上) 「MSCスプレンディダ」 は13万トン級で横浜港初入港。
(下左) また4月1日に初入港し、4月2度目の 「ノルウェージャン ・
ジュエル」。9万トン級。(下右) 世界最大級の豪華客船はめったに
見られません。船旅と言うとタイタニックの映画のワンシーンのような
優雅な船旅を思い浮かべます。食事などによって服装も違ってくる
とか。私には無縁な世界ですが・・・・。(笑)

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通常、横浜港に寄港する客船は、この横浜ベイブリッジ (上) を通
って入港します。しかし、ベイブリッジの海面と橋の下部との間隙は
55メートルしかありません。今回、入港する 「MSCスプレンディダ」
の高さは66.80メートル。横浜ベイブリッジの下を通過できないの
で 「大さん橋 (国際客船ターミナル)」 には入港できず、貨物埠頭
の 「大黒ふ頭」 の方に着岸します。

「大黒ふ頭」 は横浜ベイブリッジの港外にあり、一般の方が立ち入る
ことが出来ないため、船を使って見学するクルーズしかありません。
(下右) 見学する船は色々あったようですが、私たちは小型の船で、
海上観覧クルーズを利用しました。なのでライフジャケット (救命胴
衣) の着用です。横浜ベイブリッジを潜ると、「MSCスプレンディダ」
が見えてきました。(下左) 大きいというより、デッカイという感じです。

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小型船はデッキに椅子が備えられていて、天井もなしなので条件
としてはよい環境だと思います。時々、波が荒くなり、久しぶりの船
にちょっとビビりました。(笑) 徐々に近づいて見上げると、その大
きさに圧倒されます。(下) スペイン風を取り入れた現代的なデザ
イン。ワンランク上の上級客室専用エリアもある豪華客船なそうです。

「MSCスプレンディダ」
総トン数 : 137.936 トン
全長 : 333.30 m 全幅 : :37.92 m  高さ : 66.80 m
乗客定員 : 3247名 乗組員数 : 1370名
船籍 : パナマ  就航年 : 2009年  横浜港初入港

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全長が333メートルということなので、東京タワーを横にした長さ
です。 海を走る姿は、まるで巨大なビル群のようです。ワァ、でか
~い。暫し、その大きさに写真を撮るのも忘れていました。我に返
って、皆さん写真を撮りまくりです。最初に見えた時は岸に建つビ
ルかと思いました。だんだん近づくと、その大きさに感動します。
私も10万トン以上の客船は、これで2度目です。今回の 「MSCス
プレンディダ」 は、3月にドバイを出発してUAEアブダビに向かい、
オマーン湾のマスカット経て、計8カ国13カ所に寄航するグランド
クルーズを終え、4月27日に日本に初寄港したようです。

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船内は、スワロフスキーを敷き詰めた階段がある華やかなアトリウム
が特徴的で、広々としたシアターで上演されるのは、ダンスやアクロ
バットを中心としたショー。多国籍の乗客も楽しめる内容になってい
るようです。注目は、「MSCヨットクラブ」 と呼ばれるVIPエリア。専用
キーを使って入る空間には、ピアノの生演奏も披露される専用のラ
ウンジ、バー、プールなどがあり、「船内の別世界」 と言うべき優雅
な雰囲気が漂い、24時間バトラーサービスが利用可能のようです。

創業者アポンテ一家が、イタリアのソレントで海に関わるビジネスを
始めたのは今から300年以上前のこと。以来、長年にわたり経験と
知識を培ってきたこの船主・船長一家は、後にMSCクルーズを創設。
現在、非上場企業としては世界最大のクルーズ会社なんだそうです。
年間を通じて地中海及びカリブ海を航行しており、また季節によっ
て北欧、大西洋、カリブ海 ・ キューバ、アンティル諸島、南アメリカ、
北アフリカ、ドバイ、アブダビ、インド等を航行しているそうです。

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クルーズは、時間を最も贅沢に過ごせる旅なんだそうです。航空
機であれば1時間で移動できる距離を、客船は1日かけて移動し
ていきます。狭い座席に押し込められ、時間的な効率を求める旅
ではなく、いかに 「心地よい時を過ごしていただくか」、客船はそ
のことだけを考えて、お客様を迎えているんだそうです。何とも贅
沢な旅なんですね。山下公園からの眺めで、右側の船が氷川丸、
左側の客船が、次に紹介する 「ノルウェージャン ・ ジュエル」 。

氷川丸は、日本郵船が昭和5年(1930) に竣工させた1万トン級
の貨客船です。北太平洋航路で長らく運航されました。戦前より
唯一現存する日本の貨客船であり、船内のインテリアなども含め
て貴重な産業遺産であるため、平成28年 (2016) に国の重要
文化財 (歴史資料) に指定されています。 氷川丸の船名は、
大宮氷川神社に由来します。一般公開されています。

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「MSCスプレンディダ」 を見学のあと向かったのが、山下ふ頭に停
泊している 「ノルウェージャン ・ ジュエル」 を海上から見学。横浜
港には今年4月1日に初入港したばかりです。これも大きいですね。
マリンアワーが小さく見えますね。(上) 横浜ベイブリッジの向こう
には13万トンの 「MSCスプレンディダ」 が、手前には 「ノルウェー
ジャン ・ ジュエル」 が・・・絵になりますね。(下左) 小さい船は小
回りが利くのでいいですが、でも、揺れの凄いこと船酔いしそう。(笑) 

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山下ふ頭に着岸しているので、山下公園からも見られましたが、船
尾からの眺めでしたから、洋上からの眺めは最高です。(上) 民間
船舶では、船首に所属を示す社旗を掲げ、船尾には船籍である旗
を掲げます。「ノルウェージャン ・ ジュエル」 はバハマ船籍なので
パナマの国旗が掲げられます。(下) 何処の国の船か分かります。

「ノルウェージャン ・ ジュエル」
総トン数 93.502 トン
全長 : 294 m  全幅 : 32.20 m
乗客定員 : 2.376名  乗組員 : 1.069名
就航 : 2005年  船籍 : バハマ  4月1日に横浜港初入港

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船には退屈知らずのエンターテイメントが満喫のようです。洋上初
のボーリングレーンも備える複合アミューズメントスペースは、昼は
スポーツバー、夜はナイトクラブとムードを変える、エネルギッシュ
な遊びどころとなっているそうです。活気に満ちたブリスウルトララ
ウンジで踊るダンス。 シャンパン、日本酒、スコッチに舌鼓。 トロピ
カルカクテルを飲みながらプールサイドでリラックス。パブでプレー
するビリヤード。気分次第で、誰かと会話を楽しむのもいいでしょう。
思いのままに寛ぎが出来て、クルーズライフに彩りを添えます。

お好みのダイニングで、お好きな時間に食事を楽しんでいただけ
るのが、ノルウェージャンクルーズラインのフリースタイルダイニン
グという。イタリアン、アジアン、フレンチ、ステーキハウス、寿司、
鉄板焼などの豊富なチョイスから選びいただけるようです。キャビ
ンでゆったりと過ごされたい場合は、無料のルームサービスも
あるようです。何とも贅沢ですね。

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この船は、船体の華やかなデザインが特徴的でした。(上)  客船
の最上階は、設備の整った高級感あふれる客室のようです。コン
シェルジュや24時間専属のバトラーサービス、専用のサンデッキ
も利用出来るそうです。新鮮な潮風にあたりながら楽しめば、一日
心穏やかに過ごせるますね。バルコニーで、移り行く美しい景色を
眺めて、非日常感に浸る。クルーズ旅行で気になるドレスコードも、
この船では心配無用とか。ドレスコードは一切無いようです。好き
な服装で、気楽な船旅が楽しめる。えんび服を持ってないから、
私的には嬉しいですね。(笑)

「ノルウェージャン・ジュエル」 は5月1日20時に次の寄港地に向
けて出港。横浜には4月末と10月と今回を含めて2018年中に
4回寄港する予定のようです。その後、シンガポールに回航して
改装工事に入り、その後ジャワ海、オールトラリア近海と回って、
2019年春に再び日本に寄港する予定のようです。

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普通の旅行と違って、船のクルーズには必ず最初にやらなくては
いけないことがあります。それが 「避難訓練」。日本船も外国船も
国際海事法に定められていて、避難訓練をせずに出航することは
できません。以前は出航後、乗客が少し落ち着いてから避難訓練
を行うこともあったようですが、出航して間もなく、座礁事故を起こ
したため、“出航前” が義務付けられたようです。乗客は避難訓練
に参加するよう義務つけられてもいます。

「これから避難訓練を始めます。次のような警報が鳴ったら、客室
にあるライフジャケットを着て、デッキに出てジャケットに書いてある
記号、番号 (客室のドアにも記載されている) の場所まで行ってく
ださい 」 という船内放送が流れるそうです。 集合した乗客は名前
または客室番号を呼ばれる全員点呼を取られます。その後、ライ
フジャケットの機能説明、緊急時の笛の使い方などのレクチャーを
受けます。映画 「タイタニック」 のケイトも笛で助けを呼んで発見さ
れました。大事な事項なのです。船長による船内放送で緊急事態
時の心得などの説明があり、訓練は終了ということです。

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「船名」
船の船首には必ず船名が記載されています。(上) 船首の右舷側
のみ文字の配列を船首から船尾方向に読めるようにするため日本
船は、右から左へと書くのが一般的で、外国船の英語表記は左か
ら右のままのようです。船体には運航会社のロゴが入っているのも
あります。(下左) また煙突の部分やバルコニーにも表示されてい
ます。(下中) 船尾には船名と船籍湾名が義務付けられています。
船尾の船名の下に船籍港を表記なので、この船の母港はロンドン
ということになります。(下右)

船の船首や船尾には日本丸、飛鳥など船名が書かれていますが、
たいていは船が進水するときに、その船の持ち主によって命名され
ます。船名は地名や都市名、花の名前、会社名をそのままつかった
ものなどさまざまですが、日本の船は日本語 (漢字、ひらがな、カタ
カナ) で書くことが決められているようです。日本以外では人名を付
けるため、当然ながら女性名を命名した船が多いようです。船は女
性名詞として扱われ、男性が産める唯一の娘ということらしいです。

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現代の船の種類は多種多様です。しかしブリッジやマスト、船首の
形状など、個々の部分をみれば、その基本的な形はどの船もそう
違わない。そんな中で、最も個性的で装飾的といえる部分が客船
の煙突のようです。排気口を翼のように左右に張り出させたもの、
いくつもの排気管をパイプオルガンのように並べたもの、その形状
は様々で、かつての船首像に匹敵する現代の客船のユニークな
シンボルとなっているそうです。

「煙突 (ファンネル)」  (上)
石炭焚きからディーゼルエンジンの時代になって、船の煙突から
吐き出される煙の量は極端に少なくなり、実際に排煙の機能を持
つ部分は、ごく細いパイプでこと足りるようになったようです。この
ため現在では、一般に煙突と呼ばれている部分は、厳密には煙
突ではなく 「煙突の囲い」 にすぎない。これは化粧煙突と呼ばれ
ているそうです。昔の様に煙突から煙がモクモクは無いわけです。
「ブリッジ (船橋)」  (下)
船長の指揮の元で操舵手や航海士によって舵輪が操作され、これ
らの主たる航海当直要員が周囲の海上を見張りながら適切な操船
を担うための指揮所として、現在の船橋となったようです。 英語の
"Bridge" から日本語でも 「ブリッジ」 と呼ばれることが多いです。
後方が見渡せるように船の両サイドに突き出ています。(下右)

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岸壁に停泊した船の係留索 (もやい綱) の船側の部分や係留に
金属でできた円盤のようなものが取り付けられていることがあります。
接岸中にロープを伝って船内にネズミが侵入するのを防ぐための
もののようです。

「ラット ・ ガード」  (下)
これはラットガード (ネズミよけ) と呼ばれるもので、ロープを伝って
船内にネズミが侵入するのを防ぐためのものです。船内の食料ば
かりか積荷までも食い荒すネズミは、船にとっては大敵で、ラットガ
ードを取り付けても、なお侵入してくるネズミを退治するために、か
つては世界のほとんどの国の船がネコを乗船させていたといわれ
ます。船内でのネズミ退治に活躍するネコの役割は、それほど重
要だったわけです。こうした習慣は、世界中にネコが広まる上でも
大きな役割を果たしたようで、遣唐使船などに乗って日本に渡って
きた中国産のネコも多かったらしいです。ソファーの上で退屈そう
にアクビをしているあなたの家のネコも、かつて世界の海を股に
かけて活躍した勇敢な船乗りネコたちの子孫かもしれませんね。

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船の世界には、国や言葉の違いをこえた、独特の表現方法があり
ます。船を近くで見ると、船名のほかに船体には様々な文字や数字、
マークが描かれています。それぞれに世界共通の意味があり、船が
港に入ったときの対応など、大きな船体を取り扱う上で役立ちます。

「バルバスバウマーク」  (上左)
水面下の船首の形をあらわすマークです。バルバスバウは水の抵
抗を減らして船がなめらかに進むように考えられた船首の形です。
(上右) バルバスバウ (球状船首) が海面下に沈んでいると、小型
船が気付かずに衝突する危険があるので、マークを付けて注意を
呼びかけます。
「スラスターマーク」  (下右)
スラスターは船を横方向に動かすための動力装置です。(下左)
大型客船は、港での接岸、離岸時に小回りのきくタグボートなどの
助力を必要とします。しかしタグボートでは手配の手間やコストが嵩
み、これを省くためスラスターが設置されています。小型船が、船の
側方を通航する場合に思わぬ水流を受けて事故が起きないように
するために位置を明示するマークです。

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「救命ボート」
船に救命ボートが設置されているのがわかります。救命ボートとは、
船舶の海難・水難事故時における脱出用や、水害発生時の被災者
を救出するための小型ボートのことです。救命ボートや救命いかだ
の場合、脱出後の漂流 に備えて様々な物も備え付けられています。
代表的なものに非常食や通信機、飲料水、釣具や医療キット、発煙
浮信号捜索隊に存在を知らせる海面染色剤などがあるそうです。
救命ボートを軽視して乗船人数分の半分程度しか用意していなか
ったために大勢の犠牲者が出たタイタニック号の沈没事故を教訓
に、現在の船舶では、本船乗員乗客数以上の救命ボート定員確保
が義務付けられているそうです。

膨らんで利用されるカプセル型救命艇もありました。(下右) 
一見、ビール樽のような形ですが、白い筒型のものです。いざという
時は、付いている紐を外して海に落とすと海に浮いて屋根付きのボ
ートになります。ちなみに韓国のセウォル号の事故で救助に来た人
が、このボートを海に落とそうとしてもできなかったのは、船の売買
が行われて運ぶ際にしっかりと固定していたものをそのままにして
いたため、使えなかったと言われています。点検を怠ったわけです。

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朝日が昇ると、最上階のデッキにある専用コースでランニングをす
る人など、クルーズ船での過ごし方は皆さまざまのようです。自分
のリズムで思い思いに自由に過ごす。これこそがクルーズ船なら
ではの楽しみ方といえます。クルーズには 「豪華な旅 」 というイ
メージがつきまといますが、ぐっと身近になったクルーズの旅。
ぜひ一度、その魅力を味わって見たいものです。

日本で船旅といえば富裕層の娯楽のイメージが強いが、外国客船
の比較的手軽な価格のツアーの登場で、アジアでクルーズ人口が
増加。港を持つ自治体は、大型客船の寄港による経済効果を狙っ
て誘致合戦を展開しているようです。一つの町の人口規模の客が
一度に訪れることになりますから、乗客や乗務員などが下船して街
で一人で3万円を使ったとして、一回で1億何千万円にもなるわけ
ですから、まさに経済効果が抜群なわけです。大型船を係留でき
る設備の整っている寄港予定地は大きな関心事のようです。

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「ノルウェージャン ・ ジュエル」 を見学した後は、大桟橋に停泊し
ている 「ダイヤモンド ・ プリンセス」 へ向かいます。(下右) 海上
からの眺めが素晴らしいです。大桟橋の上には人影が見えます。
(上) 船尾の姿は実に大きく見えます。(下左) デッカ~い。
ダイヤモンド ・ プリンセスは、海面から54 m の高さがあるので、
ギリギリでベイブリッジの下を通ってきたようです。

実は、この 「ダイヤモンド ・ プリンセス」 は日本生まれの大型豪華
客船なんだそうです。三菱重工長崎造船所で建造、「日本造船史
上最大客船」 として堂々デビュー。5カ所のメインダイニング、屋外
プールはもちろん全天候型の屋内プール、三層吹き抜けのアトリ
ウムなど、設備充実のメイド ・ イン ・ ジャパン客船として日本人に
親しまれてきたのが 「ダイヤモンド・プリンセス」 なんだそうです。

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ダイヤモンド ・ プリンセスの外観的特徴となっている船体幅をはみ
出すほどに長い 「ブリッジウィングエリア」。(下右) 最近の大型船
に多いようです。後方が見渡せるのが便利です。現代大型リゾート
客船が少しでも船内容積を確保しようとした結果生まれた 「箱のよ
うなお尻」 スタイルをした船尾。(下左) こちらも大型船のほどんと
が 「箱のようなお尻」。(笑) 英国船籍の商船であることを示す 
「レッド ・ エンサイン」 が翻ります。(下中)

「ダイヤモンド ・ プリンセス」
総トン数 : 115.875 トン
全長 : 290m  全幅 ; 37.50m
乗客定員 : 2.706名  就航 : 2004年  
船籍 : 英国  2013年5月横浜港初入港。

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横浜大さん橋のウッドデッキ越しに見る 「ダイヤモンド・プリンセス」 。
船の上層部分ですが、ビルやマンションが立ち並んだ感じです。
これが船ですから驚き。動くビル群という感じでしょうか。

「ダイヤモンド ・ プリンセス」 の船内を歩くと、まるで 「ホテル」 そのま
まなそうです。 設備はプール、劇場、シアターや、ショッピングモール。
カフェやバー、レストランも多数あり、見て歩くだけでも気持ちがわくわ
くするようです。日常から離れて過ごすクルーズの旅は、時に曜日を
忘れがちになります。デッキで食事ができるレストランもあり、天気が
良ければ朝食や昼食をデッキで楽しむ。世界的に有名なシェフが料
理を手がける店もあり、あえて着飾って特別な時間を過ごすのもクル
ーズの楽しみ方のひとつ。高級ホテルのような船内に圧倒されつつ、
その魅力を思う存分に楽しめるようです。我々、庶民は無理かな~。

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遊覧船と比べて、いかに大きいかわかります。11万トンですからね。
クジラの様な口ばしの船首。(下左) よく見ると回路になっているん
ですね。(下右) 人影が見えました。さぞや気分も最高でしょう。

2014年から日本発着のクルーズ航路に就航し、以来2017年まで、
いずれのクルーズプランもほぼ完売という人気ようでs。プリンセスク
ルーズは、すでに2018年のクルーズプランを発表し、これまでの4月
~11月に加えて、2019年の2月と3月にも日本発着クルーズを追加
するなど、「乗りたいのに乗れない」 という声に応えるべく、日本向けク
ルーズのシーズンを延長したんだそうです。金持ちが多いんですね。

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「ダイヤモンド ・ プリンセス」 は、米企業プリンセスクルーズが運航
する英国船籍の外国船なので、乗船する場合は寄港停船中であ
っても出国扱いとなるようです。旅行会社などが企画する通常の
船内見学会のみであっても、パスポートの提示と出国手続きが必
要なんだそうです。船内はすでに外国なんですね。海外旅行に
つきものの大きな荷物は船室に残し、日中の寄港地での観光を
身軽に楽しめるのです。陸上の移動では毎日のようにしなければ
ならない荷解き、荷造りから開放され、その日の気分で船内でも
楽しめる。クルーズは一見効率が悪いように見えて、実は大変合
理的な旅の形ともいえる旅なのです。

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何より、クルーズほど旅らしい旅はありません。スーツケースに収め
てきた洋服や靴はクローゼットに収納すると、自分の部屋になった
という実感がわくようです。その部屋を寝起きしながら刺激的な船
旅を過ごすと思うと期待に胸が高まります。 港 に別れを告げる。
汽笛がこだまする中、遠ざかっていく景色はこの上なく旅愁をかき
たてます。そしてまたゆったりとした時間の流れの中で、船からで
しか見ることのできない光景を楽しみながら、次の寄港地で色々
な出会いへ、思いを馳せる時間もあるのです。あ~船旅したいね。

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海上観覧クルーズを終え、久しぶりに山下公園をちょっと散策。
この日は土曜とあって、混雑? と思いきや、のんびりと過ごす方
が結構いました。「MSCスプレンディダ」 の13万トン級で横浜港初
入港しているにも関 わらず、やっぱり 「大黒ふ頭」 は行けないので、
諦める人が多かったようです。潮風の心地よいこと・・・・やっぱり海
は広いな大きいな。

野口雨情作詞の物悲しい童謡 「赤い靴」 をモチーフにした銅像が
ありました。で、歌に登場する少女が、膝をかかえて海を見つめな
がら物憂げな表情を浮かべています。歌詞の中に 横浜の波止
場から船に乗って~とあるので、この横浜の山下公園に設置され
たのでしょう。「異人さんに連れられて行っちゃった~」。私も異国
に船旅したくなりました。




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「感謝の哲学」

...2018/04/29 09:16...

4月になって、日々朝の明るさが
増して起床が少し楽になったと感じます。

先日、帰宅途中の出来事。
通勤ラッシュで混み合うホームで、電車を待って
いたら、傍らに十円玉がひとつ落ちているのに
気がついた。周囲には電車待ちの人たちが列を
組んで並んでいるし、おまけにたかが十円である。
知らないふりをして、そのまま電車を待つことにした。

で、しばらくして電車がホームに到着したそのとき。
私の前の方に並んでいた外国人男性が突然列を
飛び出し、そのまま勢いよく上体を屈ませながら、
傍らの十円玉を拾いあげて立ち去っていった。

・・・・のだが、あまりに激しくしゃがんだものだから、
デイパックのサイドに入れていたペットボトルがこれ
また勢いよく前方に転げ落ちた。おまけに、ちょうど
そこに大勢の降車客がなだれ込んできたものだから、
ペットボトルはみんなに蹴られてもみくちゃに・・・・。

必死で回収しようとする外国人の努力むなしく、
未開封らしきペットボトルはコロコロッ! と線路の
下めがけて一直線。 当の彼はしばらく茫然と立ち
つくした後、今度は " Shit !! " (くそっ!) とか呟きながら
イライラし始めて、とうとう十円玉を放り投げてしまった。
十円を拾ったがために、百円以上するペットボトルを
失ってしまった恨みを、こういう形でぶつけるしか
なかったのだろうか。

ただ、そうこうしているうちにも電車の扉は容赦なく
閉まってしまった。「十円玉ひとつのために、ペット
ボトルを失い、拾った十円をも失い、電車にも乗り遅
れて地団太を踏む外国人を尻目に、ぼくらが乗った
電車はガタンゴトンとゆっくり発車し始めたのでした。

何かを得れば、何かを失う。
そして何ものをも失わずに、次のものを手に
入れることはできない。おだやかなることを学べ 。
「お静かに!」 が口癖だった担任の先生が
話されたことを思いだしました。

さて、ゴーウデンウイークが始まった。
1日と2日の休みを取れば9連休だ。
私もあやかりたい気分です。
家に閉じこもっていてはもったいない。
さあ 飛び出そう・・・・・。


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「感謝の哲学」

人とのかかわりは、自分に大きな影響を与えてくれる。
何げない一言で背中を押されたり、自分の価値観を
変えるきっかけになったり、新しい考え方を見つける
機会を提供してくれたりするものです。

同僚と新橋界隈をウロついていたら、新入社員時に
社長だった方と遭遇した。「元気か?」 と、我々には
馴染みのない小料理屋へ誘われた。すでに一線か
ら退いた前社長と話す機会があって嬉しかった。
実力者といわれながらワンマンさゆえ、社員の酒の
サカナにされ悪口、陰口を言われながらもいつも
人を大切に、人を生かして使うことを考えている人
でした。話術にたけた方で、話をして飽きなかった。

楽しい話に花が咲きました。
そのなかで、なるほど、この哲学があるからこそ、
社員に対する感謝の念を持って居られたに違い
ない。ひとつ例にとっても、あれほど素直に表現
出来るんだなァと思った話があります。
それは 「自然法爾 (じねんほうに)」 という哲学。

「人間は生きている限り、自然に対しても、社会や
人間、物に対して、その成り立ち、育ち方、ありようと、
自分とのかかわり合いを考えたら、ありがとうという
感謝の気持ちを持たにゃあいかんよ」 と話された。
「たとえばフロに入る時、体を洗いながら考えて
ごらん。きょう一日、私の体はホントによく働いて
くれたなァって。そうすると、ありがとうってなるよね。
そしたら、ありがとうっていうんだよ」。

「手さん、手さん、ありがとう。シャボンをぬりながら、
足の裏さん、ありがとう。こんな重い体を支えてくれて
大変だったろう。ひざ小僧さん、ありがとう。よく耐えて
くれたねえ。おしりさんもありがとう。ザブトン代わりで
ご苦労さん! こうやって体のあちこちにお礼を言い
ながら洗ってやるんだよ」

こんなふうに考えると体をいたわり、大切にするよう
になり、病気の時も変にあせったり、イライラしたりも
しないそうです。「長い間、故障もせずによく働いてくれ
ました。いい薬と、いいお医者さんにかかって、早く治し
てあげますからね。ゆっくり休んでくださいよって、体の
悪くなった部分にいたわってやるんだ。そうすると本当
に心安らかに体をいやす事ができるんだよ」 と。

こうした話はいろいろな立場の人に、いろいろな状況や
実例に変えて、具体的に語られていく。その心のこもった
話の確かさ、豊かさ、楽しさ、ご自身で実践されているの
ですから、人の心をとらえて放しません。

この時も私は、またまた話にひきずり込まれてしまった
のですが、自然法爾の心とは簡単にいえば次の言葉に
要約されるのだそうです。「おはよう」 「いってまいります」
「ただいま」 「いただきます」 「ごちそうさま」 「ありがとう」
「ごめんなさい」 「おやすみなさい」。

この8つの言葉が内包し、表している人の心、人の情。
これを素直にいえさえすれば親子の断絶も、暴力ざたも
起きぬかもしれません。誰かのたった一言で、肩の荷が
軽くなり、あるいは生きている喜びを感じる時もあります。
人とのかかわりの大切さや言葉の重みを胸に、今まで
以上に人とのかかわりを大切にと思わずにはいられない。


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「つつじまつり」  根津神社

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友人を訪ねて本郷に出掛けた。帰りに駅まで見送ってもらった途
中に、ツツジが見ごろなので見て行ったらと誘われた。本郷と言え
ば根津神社だ。ツツジの名所でもある。花の開花は地元の方が詳
しい。我々だといつ頃が見ごろか迷うこともある。久しぶりい参拝が
てら、咲き乱れる色とりどりのつつじ達を楽しんで来ました。やっぱ
り年配の方が多かったですが、カップルも結構多かったですよ。

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根津神社の 「つつじヶ岡」 は、五代将軍・徳川綱吉が社殿造営時、
庭につつじを植えたことに始まり、七千坪の神苑は世に 「つつじヶ
岡」 と呼ばれる名勝であったようです。 近隣に住んだ多くの文豪と
ゆかりが深く、現在もツツジの名所としても知られています。根津神
社のつつじ苑は、ツツジの種類が多く、開花時期が異なるため、早
咲きから遅咲きへと花が移り変わり、比較的長い期間にわたりツツ
ジを楽しむことができます。 大きな鳥居前の通りを上るのが S 坂。
(下右)  森鴎外の作品 『青年』 に出てくる主人公は小泉純一。
森鴎外はコイズミ君が上り下り したこの坂を 「ぞんざいにSの字を
書いたような坂・・・」 と表現している有名な坂です。 小泉純一は
元総理大臣とは関係ありません。(笑)

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都心にある 「つつじの名所」 といえば根津神社。今回はツツジを
愛でる前にちょっと境内を散歩しました。まずは根津権現と言われ
る神社の朱塗りの立派で大きな鳥居をくぐって参道へすすむ と、
右にカーブしながら楼門へと導かれます。(上) 当時表参道口に
鳥居はなかったようです。楼門前の神橋 (下左) は最近のもので、
遷座三百年記念事業の一環として、平成18年に完成しました。

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最初に目にするのが巨大な門で、この大きな門は 「桜門」 です。
楼門は、三間一戸のいわゆるハ脚門で、入母屋造りの屋根を持ち、
騒然と佇んでいます。そこを潜ると、右手に舞殿、左手に手水屋が
あり、その奥に透塀に囲まれて本殿が建っています。 (下左)

楼門は宝永3年 (1706) の造営以来のもので 「江戸名所図会」 の
描くそのままを目の当たりにすることができます。が、昭和35年に半
解体修理がおこなわれるも、その後15年で著しく生物劣化が 認め
られ何度も再々修理された、いわば病弱な門のようです。(笑)
立派な門なんですけどね。手抜きしたんでしょうか。正面右側の
守護神は水戸光圀公がモデルと伝えられています。(下右)

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正面の門は 「唐門」 で、一間の平唐門となっています。 (上)
中心の社殿は本殿と拝殿とそれぞれつなぐ弊殿 (相の間) が
字形に構成され、一つ屋根で一字にまとめあげられている典型的
な権現造なそうです。天井には今は剥損したが、藤原立信の墨江
の龍が画かれてあったという。権現造りの本殿 ・ 幣殿 ・ 拝殿 ・ 唐
門 ・ 西門 ・透塀 ・ 楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化
財に指定されています。東西にのびる 「透塀」 は、社殿の周囲を
ぐるりと囲う形式をとっています。(下) 名称の由来は格子部より向
こう側が見えることによる。総延長200m、300年を経てなお寸分
の狂いが生じぬのは、近年の調査で昔の徹底した基礎工事がし
てあったからだと判ったようです。何事も基礎が大事ですよね。

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「根津神社」
拝殿前に行くと参拝者の行列を見かけるのですが、この日はチラ
ホラと見かける程度でした。ツツジを鑑賞される 方が、まずお参り
をとの気持ちでしょうか。時間が経つにつれ拝殿 前の広場から
さらに唐門を抜けての行列でした。ビックリです。

根津神社は、日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、
宝永2年 (1705)、五代将軍・綱吉は兄・綱重の子ども・綱豊 (後の
六代将軍・家宣) を養子にした際、千駄木にあった根津神社を綱重
の江戸根津屋敷跡に献納し大造営を行いました。これが現在の根
津神社です。根津神社は、権現造りの手本のような建物です。お参
りする時、眼の前にあるのが 「拝殿」。(下右) 一番奥の一段高い
建物が、神さまのお住まい 「本殿」、両方をつなぐ中間の所を 「弊
殿」 といい、この三つひと続きの形式を 「権現造り」 というようです。

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「乙女稲荷神社」 (上左)
根津神社境内の斜面上に鎮座する乙女稲荷神社。かつて境内の
内外には遊郭があったが、何らかの理由で亡くなった遊女を祀った
のが始まりだという。池を挟んで社殿は舞台作りになっています。
「千本鳥居」 (上右)
乙女稲荷の両側には奉納された鳥居が立ち並ぶ。くぐった中央
に乙女稲荷神社があります。トリイとは「通り入る」 の意味です。
朱色は魔よけを意味し、神聖な色とされ豊穣を象徴 する色です。
「塞の大神碑」 (下左)
この 「塞の大神碑」 は、旧中山道と旧日光将軍御成道との分岐点
(現・東大農学部前) にあったものです。江戸時代一里塚のあった
ところです。その跡地に明治6年に建てられ、道路の拡幅のため
碑は根津神社に移されました。塞の神は邪霊の侵入を防ぎ、道
行く人を災難から守る神様です。
「駒込稲荷神社」 (下右)
本殿の西側に鎮座しています。もとは徳川綱重の邸内社つまり
綱重のお屋敷に鎮座していた神社だそうです。社殿前の手水舎
の屋根に、三葉葵の紋が残っているところが、徳川将軍家に関
係する神社であることを物語っていて素晴らしいと思います。
しかし、手水舎の水が水道の蛇口になっていました。(笑)

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「徳川家宣 ・ 胞衣塚」 (上)
根津神社の境内地は、元々、6代将軍家宣の父徳川綱重の下屋
敷で、家宣も寛文2年 (1662) この地で生まれました。ここに家宣
の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重
なっています。胞衣 (えな) とは、胎児を包んだ膜と胎盤をいいます。
古来日本には胞衣信仰があり、子どもの誕生後その胎盤を土に埋
めるという風習があったそうです。産湯井戸も社殿の東側の社務所
の庭にあるのですが、こちらは非公開のようです。
「文豪憩いの石」  (下左)
境内に文豪憩いの石と呼ばれる大きな石があります。座るのにちょ
うどよさそうなその石は、森鴎外のほか、夏目漱石などが散歩の途
中そこに座って、小説の想を練ったと言われています。明治の文豪
が近所に居を構え、数々の名作を残した文学ゆかりの地として親し
まれ、散歩コースとしても人気があったようです。現在では筆で名を
成したいと思う人ではなく、神社を訪れる年配の方々の腰かけに
なっています。文豪に縁の深い神社なんですけどね。 (笑)
「森鴎外奉納の石」 (下右)
現在は水飲み場として利用されていますが、日露戦争戦利砲弾を
飾るための台座であったようです。裏側に陸軍医監・森林太郎 (森
鴎外の本名)」 の銘がありました。森鴎外は根津神社に戦利品とし
て奉納したようです。明治39年といえば日露戦争の勝利に国中が
沸いていた時期で、夏目漱石が 「我輩は猫である」 や 「坊ちゃん」
を立て続けに書いていた頃です。

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「つつじ苑」
現在有名なつつじヶ岡は、当時 「仮山 (つきやま)」 と呼ばれており、
おそらくツツジに限らず様々な種類の花々が植えられていたので
はと思います。今も花季 (4月中旬から下旬ごろ) には、3千株が
咲き乱れています。 この時期には 「文京つつじまつり」 が境内で
開催され、様々な行事、甘酒茶屋、露店を楽しむ参拝者で賑わい
ます。 ツツジを見るにはこの時期が一番良い頃合いです。

「文京つつじまつり」
第49回 平成30年4月7日~5月6日開催
つつじ苑入苑は期間中の9 時~17時30分 (18時完全閉苑)
入苑の際、神苑整備事業として200円寄進されます。
期間中は、根津権現太鼓などのさまざまな催しが行われます。

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境内のつつじ苑は、約100種3000株のツツジが咲き競います。
種類が非常に多く、開花時期が違うため、早咲きから遅咲きへと
花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます。
中には豆つぶほどの小さい花の「フジツツジ」、風車のような花弁の
ハナグルマや黒つつじの異名がある 「カラフネ」 など、珍しいつつじ
もあるので、つつじ苑の中を歩きながら、探してみるのも楽しみの一
つてす。根津神社で、ずば 抜けて有名なのが、社殿左の丘に植え
られたツツジ郡で、シーズン には膨大な数の観光客が訪れます。

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「キリン (麒麟 ・ クルメツツジ)」 (上)
霧島ツツジから改良された品種で、ツツジの園芸種の中でも花が
美しく、桃色の花がとても綺麗で人気のあるツツジです。 小さな花
を枝先に多くつけ、丘いっぱいに咲いていると、まるで花のじゅうた
んを敷き詰めたような美しさです。花色は淡桃色で、二重で小輪の
花を咲かせます。樹形が小さく纏まり易いです。久留米ツツジの中
でも有名な品種です。見事な桃色にほれぼれします。
「ヒノデ (日の出)」 (下)
花色が特に鮮やかでまぶしい、赤系の花を咲かせ中輪咲きです。
開花期は鮮やかなピンク色に樹形が包まれ、遠くからでも目を引
きます。桃色の品種の中では紅色に近いです。1本でも充分存在
感がありますが、数本寄せ植えでアクセントやシンボルツリーにも
なるようです。まぶしい花! ひときわ目立つ花色! 視線が釘付
け間違いナシです。庭先に咲いていたら・・・と、見るたび思います。

クルメツツジ (久留米) は、江戸末期に久留米藩士によって、キリ
シマツツジ、ミヤマキリシマ等をもとに、品種改良されたものだそう
です。多くの品種があります。ツツジの中では樹形が小さく纏まり
易いといった特徴があります。私もこの花は好きです。

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トコナツ (常夏)」  (上)
小さな花を多くつけ、一斉に咲くので花の全体が花色に染まります。
一重の白に赤の斑入りの花ですが、花色はピンク、白、絞りの3色
咲き分けの特殊な性質で、枝ごとに花色が変わります。そのため、
一株でピンクや赤、白、しぼりなど幾種類もの花色を楽しめます。
何色も楽しめる! お得なツツジですね。咲き分けの美しさは、
この写真でも、十分伝わるのでは・・・と、思います。

「ヤマツツジ (山躑躅)」 (下)
ヤマツツジは各地の山野に自生し、日本の景色を彩るツツジの代
表格。山野の丘陵地や林道脇でよく見かけ、他のツツジよりも花期
は長いようです。朱色に咲き誇るヤマツツジは緑によく映え、白っぽ
い花粉は数珠のようにつながり、虫に運ばれやすいようになってい
るんだそうです。万葉の昔から親しまれ、室町時代から庭木で鑑賞
されていたという。ヤマツツジの花が見頃になると、山肌を赤く染め
て、そりゃ~見事ですよね。花や葉に強い神経毒類が含まれている。

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ここのツツジは園芸種のクルメツツジが大部分を占めています。
「クルメツツジ (久留米)」 といえば、花の小さい種類のツツジで、
江戸時代に流行した花のひとつでもあります。

ツツジの観賞や栽培の歴史は長く、万葉集にも詠まれるなど古い
時代から愛好されてきました。 現在でも日本人に最も親しまれて
いる花木のひとつだといえます。長い歴史の中でも、特に江戸時
代の寛文から元禄のころに栽培が大流行し、数多くの園芸品種が
作出されたようです。この時代の深紅の花を咲かせる‘本霧島'、大
輪紫色花の‘大紫'や白花の‘白琉球'は、300年以上の時を超えて、
現在も公園や庭園などに植えられています。クルメツツジは江戸末
期から明治時代に多くの品種がつくられ、大正以降に広く普及した。

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「五葉ツツジ ( シロヤシオ ) 」  (上)
本州の東北地方から近畿地方にかけてと四国に分布し、太平洋
側の山地に生えるようです。和名の由来は枝先に五枚の葉をつ
けることからなそうです。シロヤシオは五葉ツツジの別名で、葉と
花が同時に出て、共に美しいが、中には樹全体が真っ白になる
ほど花つきのよいものもあるようです。純白のそれは美しい花で、
穢れのない少女という感じでしょうか。で、見頃が過ぎていました。
この五葉ツツジは 「敬宮愛子親王のお印のツツジ」 として、文京
つつじまつり40周年記念に植樹されたんだそうです。

   真っ白な 花は俯き 物思い
       そよ風渡る 五月の空に

「ベニキリシマ (紅霧島)」 (下)
ベニキリシマは、「江戸キリシマ系」 に分類され本霧島、八重霧島と
ならんで、江戸時代から続く銘花として今日も多く栽培されている江
戸キリシマの代表的な園芸ツツジの一品種です。紅色が鮮やかな
色ですが、緋色のツツジほど眩しくはなく、紅紫色に見えて落ち着
いた色です。一重咲きで花弁に凹んだ縦筋が入り、刈り込みに強
いので垣根や目隠しとしても人気のようです。

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一般的に公園や道路の植え込みなどで見られるツツジは、ほと
んどがヒラドツツジの仲間のようです。安い、丈夫、育てやすい、
管理の手間がかからない、メリットの多い種類です。綺麗に咲か
せるためには、それなりに手入れをしてあげないといけません。
幹線道路沿いの植え込みに植栽されているツツジを見れば、
あまり元気がないのがわかると思います。排気ガス、栄養状態、
水不足などによる土の汚染などが原因で、綺麗な花を咲かせる
だけの元気がありません。やはりどんな花にも手入れが大切な
わけです。 奥方のお肌も同じでしょうかね。たぶん (笑)

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「アケボノ (曙)」 (上左)
最近よく見かけるようになったピンクの大きな花を咲かせます。
標高1000m以上の高い山地の岩場崖地に見られ、春の山々に
彩やかなピンク色の花が咲き乱れる風景は絶景のようです。ヒラ
ドツツジの品種です。相撲の元横綱と同じ名前ですねー。
「クロフネ (黒船躑躅)」 (上右)
「クロフネツツジ」 は朝鮮半島に自生する野生ツツジで、その美し
さからツツジの女王とも呼ばれているようです。うすいピンク色の
芳香のある花を数個つけ、その後枝先に5枚葉が輪生状につき
ます。確かに花びらがどことなく気品に見えます。が、見頃を過
ぎたようで華やかさが薄れています。優しい感じがしますね。
「セイガイハ (青海波)」 (下左)
セイガイハはツジ科の半落葉性低木で、生長も遅いが、花付きも
あまり良くないので、樹木全体が満開となるというようなツツジの
開花風情とはほど遠い咲き方のようです。花冠は基部まで深く
切れ込んでいます。和名は、細く波形に湾曲した様子を雅楽舞
う時の衣装の 「青海波紋様」 に見立てたものだそうです。
「カバレンゲ (樺レンゲ)」 (下右)
日本の山野に自生する大輪美花のつつじで、「カバレンゲ」 とも
呼ばれます。枝の先端に花がたくさんつきます。外側から咲き始
める様子がレンゲの花にそっくりです。栽培にはほとんど手がか
からないので、庭木、垣根などに最適です。カバ・・・・カバ?? 
動物園で見たカバを想像してしまいますが、とんでもないほど
綺麗なツツジです。素敵なお嬢様という感じでしょうかね。

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「フジツツジ (藤躑躅)」 (上)
フジは富士ではなく藤の方で、名前の由来は、花色が藤色を帯びて
いるからという。花の裂片の上側の弁に、濃桃色のブロッチと呼ばれ
る斑点模様が入る。5本ある雄しべは長く伸び、先端が上に曲がる
ようです。このツツジって極小サイズなんです。それでも立派なツツ
ジで、小さな貴婦人とでもいいましょうか。淡い赤紫色のかわいらし
い花を咲かせており、訪れた家族連れらを和ませていました。
「リュウキュウツツジ (琉球躑躅)」 (下左)
江戸時代から栽培されており、キシツツジとモチツツジの交雑種で、
花の色は白く大輪。そこから、白琉球の別名がありあす。花は漏斗
形で、先が5つに裂け上の裂片に淡い黄色の斑点が入ります。純
白の花は周りを明るくしますが、名前のわりに寒さに強く、名の地
方名とは対比した性質のようです。
「千重オオムラサキ」 (下右)
千重オオムラサキというツツジです。オオムラサキツツジは公園や
庭木、道路脇の植え込みによく植えられているのを見かけますが、
千重 (ちえ) は、たくさん重なることという意味ですから、花が八重
のようなので、千重という名が付い薔薇の花のようなつつじです。

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つつじヶ岡の小径。休日などは人ごみで渋滞すること必須です。
満開のつつじに埋もれそうなほど、凄い人出でした。

ツツジは漢字で書くと 「躑躅」 と書きますが、それは 「躊躇 (てき
ちょく)」 と言う意味があるそうです。「躑躅」 には 「行っては止まる」
という意味があり、見る人の足を引き止める美しさから、この漢字が
使われたといわれています。見る人を引き止めるくらいに美しく咲く
からという由来と、実はツツジには毒のあるものがあり、それを食べ
た羊が足をふらつかせた事が由来と言う説があるそうです。

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「ホリウチカンザキツツジ (堀内寒咲)」 (上)
ツツジで 「ホリカン」 というあまり聞いたことのない名前ですが、他
のツツジよりパッションピンクの鮮やかさがダンゼンきれいなのです。
植木屋さんもよくわからないようですが、作出した人の名前らしい・・・
とのこと、そうなら 「堀内寒咲」 さんが作り出したということになります
が・・・・?。このツツジ、アザレアの交配から生まれた品種で、よりア
ザレアに近い美しさだという。鮮やかな色が目にしみますね。

「老いの目覚 (クルメツツジ)」 (下)
随分と強烈な名前ですよね~。クルメツツジの品種で、よく道路の
脇に植えられているピンク色のツツジです。花が満開になると、葉
が見えないほど花びらは広がって大きく見えます。目の覚める様な、
濃いめのピンク花で一重咲きです。それにしても、「末摘花」 みたい
な源氏名を貰ったツツジもあるのに、「老いの目覚め」 なんて、なん
とも可愛そうなネーミングです。花色が引き立つのにね。クスン

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三色の花が咲くツツジのお話。
昔、海岸にきれいな若い娘の水死体があがりました。肌は白く透き
通り、鼻筋もとおった美しい顔立ちをしておりました。村人たちは、
この見た事もない娘を可哀そうに思って、海が見渡せる丘の上に
墓を作ってあげました。そして数年がたち、不思議な事に娘の墓
から一本のツツジが芽を出しました。このツツジは、花の色が赤白
黄色と三色に分かれていてとても美しいツツジでした。

ある日、一人の村人がどうしてもツツジの花が欲しくなり、一枝だけ
折って自宅へ持って帰りました。するとどうしたことか、村人の腹が
痛みだし、ツツジの花はその日のうちにすっかり枯れてしまいました。
このツツジは誰が折っても、同じように腹が痛みだすという事が続く
ようになりました。何だか薄気味悪くなってきた村人たちは、お坊さん
を呼んでツツジにお経をあげてもらいました。村人たちは、念のため
に和尚さんにツツジの枝を一枝折ってもらうと、まもなく和尚さんの
腹が痛みだしました。村人たちは 「お経の功徳も効かないので、こ
のツツジはあの死んだ娘の化身に違いない」 と考えました。あの若
さで死んでしまって、きっと心残りだったに違いないと、村人たちは
娘の事を憐れみ墓を大切にしたという。花は眺めてこそ美しい
というお話でした。

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次から次へと鑑賞者が訪れて、小道は瞬く間に人で一杯になって、
人の多さに驚きです。美しい花を見る人々は、どの顔も笑顔満開。
赤く染まっているのは、早咲種のツツジです。丁度今が咲き始め
の時期で鮮烈な色合いが輝いています。花を見るにはこの時期
が一番良い頃合いです。まだ緑色は遅咲きのツツジのようです。

にほふ (匂う) やにほえをとめ (匂え乙女) の枕詞として、躑躅が
出てきますが、昔から華やかで優雅なその姿は、いろいろな人の
心に鮮やかに残る強い印象を持っているんですね。お花はそれ
ぞれに個性があって本当に見ていて楽しいです。何より移りゆく
季節を感じる国に生まれて本当に良かったと感じる瞬間です。

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森鴎外や夏目漱石などを始めとする明治 ・ 大正期の文学作品の
なかにも旧名の 「根津権現」 としてよく出てくる根津神社。現在で
も、地元のお年寄りなどには根津神社を 「権現さま」 という呼び方
が残っているらしいです。つつじの種類が多く、つつじの開花時期
が異なるため、つつじ苑全体がつつじの花に包まれるという光景を
期待するのは無理があるようです。 しかし、花がいつの年も美しく
咲くように、年月を経ても変わらないものは確かなようです。真っ赤
な燃えるようなツツジがとても綺麗でした。私の心も真っ赤。うふ





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