一ヶ月に2 回満月を迎える月を 「ブルームーン」 という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。



   
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「無難な人生」 『有り難い人生』

...2020/02/16 09:50...

2月も半ば。
受験シーズンも山場を迎えるころですね。
巷を賑わせている新型コロナウイルスも心配で、
受験生のみならず、ウイルスに負けない体力
を保つことを心がけておきたいところです。

薬剤師の知人から聞いた話ですが、
病気やウイルスを防ぐ免疫力を司るのは、
ずばり腸だという。私たちの免疫力のおよそ
70%が腸でつくられていることをご存知ですか?
腸のなかにある免疫組織が、体内にとりこまれた
病原菌を分解し、抗体をつくる働きをしていて、
その抗体がウイルスの体内侵入 (感染) を
防いだり、毒素を中和したりしているという。

免疫細胞と大きく関わりがあるのが、腸内細菌です。
私たちの腸内には、1000種、1000兆個以上の
腸内細菌が存在していて、それらと免疫細胞が
タッグを組んで、外敵から身を守っています。
近年では、腸内フローラという言葉も聞きます。

免疫力には腸内細菌が関わっているわけですから、
免疫力を高めることは簡単。腸内細菌の種類を
増やせばよいのです。空気が乾燥していて、
ウイルスが蔓延しやすい季節こそ、腸内細菌の
餌になる穀物や野菜類、豆類、果実類など
植物性食品を摂ることが重要で、発酵食品を
意識して摂る事も大事なようです。

日に日に感染者が多発すると、
人混みの中は避けねばと心配になりますね。
まずは、マスクに手洗いにアルコール消毒と
準備したいところですが、なにせどこも品物は
売り切れで手に入らない。困ったものです。
2月は逃げると言いますが、
早く 「コロナウイルス」 は逃げ去って欲しい。


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「無難な人生」 『有り難い人生』

今年、東京オリンピックが開催される。
観戦したくて熱心にチケットを予約するも当確なし。
スポーツは、様々な競技があって楽しいはずなのに・・・。
普段はあまり日本ではポピュラーでない競技も沢山
ありますが、色んなところで頑張っている人が
たくさん居るのだなと思いながら見ていました。

特にマイナーなスポーツは、期待を一心に背負って
凄いプレッシャーと闘ってきた人気のスポーツ選手に
比べて、冷ややかな目で見られがちですが、熱心に
取り組む姿には、心から拍手を送りたい気持ちになる。

結果として・・・・やっぱりと、課題を残した競技となるわけ
ですが、選手の表情やインタビューのコメントなどを
聞いていると暗さは全くありませんね。それどころか、
むしろすでに次の課題に向けての意気込みを語って
いる選手がほとんどです。こういう部分がスポーツ選手
たるゆえんなのでしょう。

目の前のやるべきことに最善を尽くし、
結果に関してはしっかり正面から受け止め、
自分で課題を探し克服する、という手順を体が
覚えているのだと思います。

この姿勢は、物事に対しての取り組みにも
参考になるのではないでしょうか。人は真剣に物事
に取り組めば取り組むほど、様々な課題や障害と
ぶつかってしまいます。でも、それを克服していく事が
人間を成長させてくれるし、幸せにしてくれるのでしょう。

真剣に取り組まなければ課題や障害にも気付かない
生活を送ってしまう。オリンピック選手のプログから、
次のような言葉をみつけました。

難題のない人生は 『無難な人生』 
難題のある人生は 『有り難い人生』

皆さんはどちらの人生を選びますか?
私なら、後者を選んで欲しいと思っています。


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衆議院  「憲政記念館」 2020

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日枝神社に初参りした帰りに、国会議事堂でも参観しようとした
のですが、年初めで休館らしく残念。そこで近くの憲政会館でも
見学しようと立ち寄りました。普段は、、国会議事堂を見学する
小中学生の修学旅行や社会科見学の団体も多いのですが、
この日は年配の団体さんがいました。トイレは何処ですか? 
と聞かれるしまつ。(笑) たまには政治に関することも・・・。

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国会議事堂正面の前には、「国会前庭」 と呼ばれる公園が広が
っています。その公園に隣接して建っているのが、憲政記念館。
江戸初期には加藤清正の屋敷が建てられ、幕末には井伊直弼
の上屋敷となり、戦前には陸軍の参謀本部があった場所です。

「憲政記念館」
憲政記念館は、昭和35年 (1960) に憲政の功労者である尾崎
幸雄を記念して、 尾崎記念会館が建設されます。その後、これを
拡大して議会開設80年を記念して、議会制民主主義についての
認識を深めることを目的として、昭和47年 (1972) に 「憲政記
念館」 が開館しました。外観的なインパクトは、それほどでもあり
ませんが、日本の議会政治について学ぶことが出来る施設です。

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エントランス前には、「憲政の神様」 と呼ばれた尾崎行雄の銅像
と石碑が建てられており、水をたたえた池には鯉たちがゆったりと
泳いでいます。(上) 石碑には、「人生の本舞台は常に将来に在
り」 と刻まれています。(下) 「現在なしていることは、すべて将来
に備えてのことである」 という意味で、昭和8年秋、郷里三重県に
帰った尾崎行雄は、自邸に落ち着き、政争に明け暮れた76年間
を振り返って、「老成に安んぜず、将来に目を向けねばならぬ」
と自戒を込めて、この警句をつくったとされています。

「憲政記念館」 (東京都千代田区永田町一丁目)
入場料   :  無料
開館時間  :  9 時30分~17 時
休館日   :  毎月末 

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おなじみの 「尾崎行雄の銅像」 が、来館者を出迎えてくれます。
銅像は、昭和35年 (1960) の尾崎記念館建設に合わせて建立
されました。尾崎行雄の銅像は、正面玄関の池に立ち、帽子を持
った右手を高々と掲げ、来館者に 「ようこそ諸君!」 と呼びかけ
ているようです。このポーズは1950年、尾崎がハワイを発つ祭
の姿といわれ、91歳の尾崎の印象が見事に浮かんでくる姿です。

「尾崎幸雄」
明治、大正、昭和を通じて、護憲運動を進め、官僚政治・軍国主
義に反対した政治家。明治15年 (1882)、大隈重信の立憲改進
党に参加。明治23年 (1890) の第1回衆議院議員選挙に当選、
以後25回連続当選し、犬養毅らとともに藩閥による官僚政治に
反対し、憲法を基にした議会政治を実現しようとする護憲運動を
進めた。財産などによる制限のない選挙制度を実現しようとした
普通選挙運動でも活躍し、「憲政の神様」 と呼ばれた。96歳没

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「 尾崎メモリアルホール (1 階)」
玄関ホールすぐには、「尾崎メモリアルホール」 が設けられており、
衆議院から憲政功労者として表彰され、名誉議員の称号を贈られ
た尾崎行雄の足跡をしのんで、遺品、著作、書跡、写真などを展
示しています。また、昭和3年 (1928) に録音された尾崎行雄の
演説も聴くことができます。(下右)

「晩年の揮毫」  (下左)  
「美事なる 此議事堂に ふさわしき 
     議員を得るハ 何時の代ならむ」 九四翁行雄

昭和11年(1936)11月、17年の歳月を費やして国会議事堂が
完成した。この年に起こった2・26事件以降、政党政治の危機を
感じていた尾崎は、全体主義に傾斜していく議会人の姿を嘆き、
「立派な建物になりはしたが、この議事堂にふさわしい議員は
いつになったら現れるのだろう」 と詠じたという。現在の政治家
を見ていると、今も通じるものを感じますね。

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米国ワシントン ・ ポトマック川の桜並木が、日本から100年以上
前に贈られた 「日米親善」 の象徴であることはよく知られている。
尾崎が東京市長時代に桜を贈った日米親善コーナーもありました。
「ハナミズキ原木の株」 (下左) 米国より贈られたハナミズキの原
木の切り株で、花が結ぶ日米友好親善のシンボルとして陳列。
「ワシントン市から贈られた鍵」 (下右) 尾崎は91歳の時に渡米。
その時に市から尾崎に 「市の鍵」 を贈って敬意を表したという。

「桜とハナミズキ」
明治45年 (1912)、当時東京市長であった尾崎行雄が日米親
善の証として桜を贈り、その返礼に、大正4年 (1915) 米国から
ハナミズキが贈られました。 当館庭園のハナミズキは、尾崎記念
会館 (現憲政記念館) の建設が決まった際、あらためて米国から
寄贈され、竣工と同時に植樹されたものです。日本に初めてハナ
ミズキをもたらし、4月中旬から5月上旬にかけて見事に咲き揃い、
その清楚な花姿は多くの人を魅了しています。 また、米国へ贈っ
た桜も、現在も見事な美しさでポドマック湖畔の春を彩っています。

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尾崎が愛用した遺品をはじめ、「衆議院名誉議員」 の称号など功
績を讃えるものから、政治活動の分野まで興味ある資料が展示
されています。何しろ日本の憲政とともに歩んだ人物ですから。

「2 ・ 26事件メモ」 (下左)
昭和11年(1936) 2月26日朝、「昭和維新」 を唱える陸軍将校に
率いられた兵が首相官邸、蔵相私邸などを襲い、高橋是清蔵相等
を殺害した。これは、尾崎のもとに集まった事件に関する情報メモ。
「翼賛選挙に対する抗議文原稿」  (下右)
時局重大を理由に1年延期した総選挙に、非推薦で立候補した
尾崎は、この翼賛選挙を憲法違反の行為であると批判し、東条
英機首相らに推薦制の取り消しを要求した。翼賛政治体制協議
会は、候補者を推薦し、推薦者には政府の支援を得て臨時軍事
費から流用した選挙費用を与えた。いわゆる翼賛選挙です。

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1階の館内では、議場体験コーナーや憲政の歩みコーナーなど、
国会の組織や運営などを資料や映像で、わかりやすく紹介すると
ともに、憲政の歴史や憲政功労者に関係のある資料等を展示し、
とても見応えのあるものとなっています。

「議員登院表示盤」  (下左)
この表示盤は、昭和36年 (1988) 3月まで衆議院玄関で使われ
ていたものです。登院表示盤は、議事堂本館や分館の入口に設
置され、議員は自分の名札を 「赤地」 から 「黒地」 にかえして登
院したことを示した。現在は押しボタン式からタッチパネル式に
切り替わり、衆議院玄関を含め5 ヵ所に設置されているようです。
「門標」  (下右)
これは、現 ・ 国会議事堂が竣工した昭和11年(1936) 11月から
昭和44年 (1969) に国会外構が改修されるまで掲げられていた
ものです。向かって右側が 「衆議院」。左側が 「衆議院通用門」。

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「議場体験コーナー」
議場体験コーナーは、衆議院議場を体験することができます。
実際の4分の3の大きさで作られていて、使用されていた議員席
にも座ることができ、机には記名投票で使う木札 (白票が賛成票、
青票が反対票) が置かれています。我々一般庶民でも、永田町の
センセイの雰囲気を幾何か味わうことができます。ほとんどの見学
者がとりあえず座ります。わずか10 数席ですが、狭いとか、硬い
とかの感想を言いながら、必ず行うのが目の前の議員氏名の名札
を倒そうとすること。これは倒れません、ハイ。(上) 皆さんと同様、
私も議員席にちょと座って、本会議中の居眠り体験をしました。(笑)

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「国会の仕組コーナー」 や 「情報検索コーナー」 では、パソコン
で国会の仕組や世界の議会をわかりやすく紹介するほか、国会
の知識をQ&A方式で、ランキングを競うなど楽しみながら学習
もできます。国会関係のホームページや、衆参両院の審議中継
などを見ることができるようです。戦前・ 後の歴代首相の答弁の
声が聞けたりと、ちょっと変わった物もありました。(下右)  また、
「国会の速記 (衆議院) コーナー」 も、ありました。(下左)
館内の資料をしっかりみれば政治がより理解できます。

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速記コーナーでは、速記の歴史や会議録ができるまでの過程を
パネルや資料などで、また、普段目にすることがない速記符号も
見ることができます。「チン時計」。 (下左の奥)  帝国議会当時
から使われていた速記用時計で、5分毎に速記者交代の号鐘が
鳴ります。現在は、速記者席に時計が備え付けられています。
「速記用紙」 (上) 1分間に約350字、1秒間に6字程度を記録。
用紙は、書道半紙を反切りにして、背を糊付けしたもののようです。

「速記符号」   (下右) 
速記符号は、高速化する話し言葉に対応するため、限られた長さ
の直線、曲線、円や点を駆使し、書き取る線量を極力減らすなど
の改良がなされています。線量を減らせば高速度に対応できるが、
位置や読みが複雑化し、それを正しく反訳する頭脳が要求され、
他方、誤訳の防止を重視すると線量が増え、高速度に対応でき
ない面があるといいます。

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「第一展示室 (2 階)」
憲政記念館は、2 階が第一展示室で、1 階が第二展示室になっ
ているんですね。ですから最初に2 階へ進んでから、1階を見学
する感じです。嬉しいことに写真撮影はOKですが、写真禁止マ
ークのついている資料は禁止となっていました。(下左)

2 階に上ると最初に 「憲政史シアター」 があり、議会思想が移入
された幕末から今日に至るまでの憲政史に関する映像が見られ
ます。また、「憲政史映像選択コーナー」 では、パソコンで様々な
憲政の歩みを見ることが出来ます。その他に歴代の内閣総理大
臣や憲政史上の人々等、人物の肉声を聞いたり、履歴を検索で
きる 「映像検索コーナー」 に、「立体ビジョンコーナ」 では、初め
ての議会での出来事を立体映像で見ることもできます。

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「憲政の歩みコーナー ・ 壁面コーナー」
明治維新から帝国議会を経て現在に国会に至る憲政の歩みを、
文書類をはじめ、関係資料・写真などで見ることができます。憲
政の歴史に関係ある資料の企画展示も行っているようです。歴
史の教科書に載っているような物品が多数展示されていますが、
板垣退助や伊藤博文など超有名な人たちにまつわる展示品
など、とても楽しく拝見しました。

明治維新、大正のデモクラシー、昭和の帝国議会などの激動期
に関わる資料が沢山あります。5.15 事件、2.26 事件で斃れ
た政治家の資料も有ります。また、歴代首相や政治に大きく関わ
った、政治家の直筆の書なども有ります。それそれ書体に特徴が
あり、興味深かったです。

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「終戦の詔書原案」  (上)
昭和20年 (1945) 8月14日の御前会議で、ポツダム宣言の受
諾が決定され、詔書が発布されます。翌15日正午、いわゆる 「玉
音放送」 が行なわれたのち、「内閣告諭」 が読み上げられました。
「聖断既に下る」 として、国を挙げて 「国威を恢弘 (かいこう)」 す
る決意を明らかにするとともに、「内争」・「軽挙妄動 」 を戒めました。
早稲田大学教授で内閣嘱託の川田端穂が作成した原案です。
「高橋光威電報 平田東助宛」  (下左)
大正9 年 (1920) の総選挙に圧勝し、原敬内閣の政権運営は安
定します。しかし翌年、原敬は関西での政友会大会に向かう途中、
東京駅改札口付近で刺殺された。高橋内閣書記官長が、即日、
内務大臣に凶報を知らせた電報。原は、第19代 内閣総理大臣。
「昭和天皇 「大喪の礼」 案内状」  (下右)
戦前から戦後の昭和激動時代を歩まれた昭和天皇は、昭和64年
(1989) 1月7日に崩御され、同日、新元号は 「平成」 と決定され
ます。在位62年余りの昭和天皇の 「大喪の礼」 は、平成元年2月
24日に新宿御苑で行わた。その時の 「大喪の礼」 の案内状です。

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国会議事堂に隣接する国会前庭は、憲政記念館や時計塔のある
北庭と、回遊式庭園の南庭からなります。北地区は、三権分立を
象徴するとされる時計塔が建てられシンボルになっています。(上)
噴水の他に、ベンチや休憩スペースが多々あります。多種多様な
桜が植樹され、米国から贈られたハナミズキは、4月中旬から5月
上旬にかけて見事に咲き揃い、その清楚な花姿は多くの人を魅了
しています。

「時計塔」
尾崎記念会館 (現 ・ 憲政記念館) 建設時に、施設の一環として、
塔前面の噴水池 ・ 花壇とともに設計され、昭和35年 (1960) に
完成。三面塔星型は、立法 ・ 行政 ・ 司法の三権分立を象徴した
ものです。塔の高さは 「百尺竿頭一歩を進む」 と言うことわざの努
力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺 (30.3m)
よりも高くした31.5 mに設定されています。チャイムは10 時 ・
13 時 ・ 17時 に鳴動します。これは、衆議院、参議院の会議
開会時刻と退庁を標準にしたものです。

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永田町界隈に勤務する国家公務員らにとっては憩いの空間で、
「永田町のオアシス」 と称される。昼休みになると、衆参両院と省
庁から多くの職員が訪れ、ランチタイムを楽しみます。小学校の
社会見学でも、国会議事堂を見学した後は、お昼は噴水広場で
お弁当という光景もしばしば見かけます。この噴水広場はテレビ
ドラマ 「相棒」 のロケ地としても有名です。ちょうど、警察庁と警
視庁の建物がバックに映りこむので、意味ありげな会話シーン
には、ここがよく登場しています。「噴水広場」 (上)

「電子基準点 (東京千代田区)」   (下左)
この電子基準点は、我が国の準天候衛星システムや米国のGPS
などの衛星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な
三次元位置を計測 ・ モニタリングする施設です。
「日本水準原点標庫」   (下右)
全国の土地の標高を決める基となる 「日本水準原点」 があります。
軍事的な理由から全国の測量を進めた参謀本部 ・ 陸地測量部
(国土地理院の前身) が、この地に置かれていた名残である日本
水準原点が園内に存在することが有名。改修工事中でした。

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国会 (衆議院 ) の組織らしく、ちょっといかめしい感じを想定して
いましたが、職員の方もやさしく案内 ・ 対応していただきました。
少し敷居が高い施設かと思っていましたが、実際に訪れてみる
と魅力的なコンテンツが盛りだくさんでした。すばらしい展示の
割には、結構空いていて、ゆっくりと見ることができました。政治
に関心がない人でも、歴史に興味があれば十分に楽しめます。
これがきっかけで政治に関心を持つことが出来るかもしれません。
ぜひ、国会議事堂見学の際に立ち寄られてみてください。





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ちょっとした幸せな風景
あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように・・・。

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