一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





いつも訪問して頂きありがとうございます。






「十里の一歩と百里の一歩」

...2019/03/24 13:58...

「暑さ寒さも彼岸まで」
その言葉の通り、春分の日の翌日は東京は22度もあった。
彼岸の頃になれば、春ならば余寒の寒さも薄らぎ春らしくなる。
と、思いきや一転して、昨日は寒かった~。10度くらいだった
でしょうか。寒暖の差の激しさに戸惑い、北海道は雪が降った
というから驚きです。日本列島の長さと気候に改めて驚きます。

そんな、時ならぬ北海道の雪に驚き、また、時ならぬ雪の日に
大事件が起こった年が江戸にはありました。それは、今から
159年前のことです。1860年3月24日がその日。
この日は歴史上有名な、「桜田門外の変」 が起こった日です。

桜田門外の変は、日米修好条約締結や開港政策、
それに安政の大獄などによる倒幕派への強圧的な政策をとり
続ける大老井伊直弼への不満から、水戸 ・ 薩摩の浪士が
井伊大老の登城を狙って襲撃、井伊大老を暗殺した事件です。

桜田門外の変が起こった日、江戸には大雪が降ったとのこと。
それにしても、この時期に 「大雪」 とは驚きです。
江戸の人々もこの大雪は 「前代未聞」 といぶかった
そうですから、当時の人達も驚いていたようです。

もし、この日がこんな天気でなければ、ひょっとして
井伊大老の暗殺は失敗に終わって、日本の歴史も
今とは違ったものになっていた可能性もありますね。
「歴史にもしもはない」 といいますが、
やはり 「もしも・・・」 と考えてしまいます。

EE157975-1.jpg 
EE157966.jpg EE157963.jpg
さて、今朝は爽やかな日和りの東京です。
この暖かさに答えるように、東京でも桜の花が咲き始めました。
公園を歩いていると、桜の木の下で頭上を見上げる家族ずれ、
カップルの姿がそこかしこにありました。皆一様に、
咲き始めたばかりの数輪の花を見上げているのでした。
まだ2分咲くらいですが、きっと、週末は花見客で
桜の名所はごった返すことでしょうね。

今も昔も、この時期になると多くの人が楽しみにしている
のが花見。桜の花が散ってしまうまでの短い期間、
江戸の桜の名所を古地図片手に散策してみたい。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------

「十里の一歩と百里の一歩」

十里の旅の第一歩。
百里の旅の第一歩。同じ一歩でも覚悟が違う。
三笠山にのぼる第一歩。富士山にのぼる第一歩。
同じ第一歩でも覚悟がちがう。
どこまで行くつもりか。どこまでのぼるつもりか。
目標がその日その日を支配する。

この言葉,まさにその通りだとは思いませんか?
この言葉は、横浜高校野球部の監督として何度も同校を
全国大会に導き、今はプロで活躍している松坂投手をはじめ、
多くのプロ野球選手を育てた監督の座右の銘なのだという。
松坂投手自身もその影響を受けて、自らの座右の銘にして
いるほどのようです。座右の銘は、自分の人生を狂わさない、
言わば羅針盤の役割も果たしてくれます。
何かあったときに思い返すだけで力が出てきます。

先日、居酒屋で幼馴染と飲んでいたら、近所の少年野球
の監督さんと遭遇。一緒に飲んでいて貴重な話が聞けた。
この言葉の持つ意味は深いものがあり、私も感銘をうけました。

目標や夢に置き換えて考えてみました。
簡単に達成できるものよりも、さらに険しく高い目標を設定して
その実現にむけた一歩を踏みだす。人間、気持ちの持ち方一つで
全てが変わります。強い気持ちを持つ! という動作が大切なのです。
諦めたその瞬間ゲームオーバーなのです。全てが終了してしまいます。

高い目標を達成するまでには、非常に苦しくなる時期が必ずある。
スランプに陥ってみたり、思いもしない妨げがあったり。
そういったものに出くわした時は、決してひるまず、
目標達成というゴールへ向けて着実に進んでいる
自分が、今そこにはいるのだということを自覚する。
そう考えるだけでも力が湧きますよね!

少年野球の監督さんが体験を例に話してくださった。、
高校生の時、河川敷で行われる校内耐寒マラソンで10 km を
走った時のこと。自分の持ちタイムで走りきろうと思えば決して
きつくはありません。10 km といっても最初は流れに乗って
いくので楽ですが、道中のポイントポイントでペースが上がると
脱落組がでてきます。ここで一踏ん張りするかどうかで全てが
決まります。7km地点を越えたあたりから9kmまでがヤマになります。
ついていくだけで精一杯の状況なので一番苦しい時です。
とにかく遅れはとらないということと、ただただ呼吸を整える
ことだけを考えていたという。

しかし、不思議なもので、あと1kmの看板が見えると今度は順位を
意識しだします。前を1人ずつ抜いて1つでも順位をあげていくぞ、
と気合をいれ、今まで一歩一歩歯を食いしばって走っていたのに、
何故か足も軽くなりラストスパートを決める自分がそこにはいました。
監督自身、短距離が得意だったので出来たのかもしれませんが、
あの時の快感はいまも忘れることができないと話す。
日頃の練習の成果が一番大切な時にだせたことは自信にも
つながったようです。

私たちの日頃の取り組み方も一緒なんですね。
目の前の行動も大切ですが、その先にある大きな目標
(自分の将来の夢) を実現させるためには何をするべき
なのかを、いい機会なので今一度考え直してみたいものです。
十里の旅ではダメですよ!
百里の旅の第一歩を踏みだす覚悟を決めて、
日々の行動を起こしていきましょう!

-------------------------------------------------------------------------------------------------------

明治150年記念
日本を変えた 「千の技術博 特別展」 2019

EE157889-1.jpg
同僚に誘われ終了間際に行って来たのが、国立科学博物館で
開催されていた日本を変えた 「千の技術博 特別展」。 明治改
元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換
するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学 ・ 技術
の成果が一堂に集まるというので興味深く、出掛けました。

EE157888-1.jpg 
EE157883-1.jpg EE157882-1.jpg
「国立科学博物館」 (上)
明治10年 (1877) 設立の、国立では唯一の総合科学博物館。
約452万点に及ぶ貴重なコレクションを備え、自然と科学技術に
親しむことのできるスポットです。展示は日本館と地球館に分かれ
ており、それぞれ自然と生き物の歩みが詳しく紹介されています。
チケット (下右) は上野駅構内の販売所で購入したので、特別展
の入口に直接向かいました。(下左)

日本各地の大学 ・ 研究機関や企業などから、約600点を超える
貴重な科学 ・ 技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
世界に誇る科学 ・ 技術をつくり出した人物や世の中との関係に
まつわるエピソードを取り上げ、新しい技術に接した時の人々の
驚きや、当時の世相なども紹介していました。 中でも、「重要文
化財」 や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」 等
に認定された約50点の資料は特に注目でした。

EE157884-1.jpg
明治150年を記念した展示会で、明治から平成に至るまでの、
日本を変えた科学技術に焦点を当て、貴重な資料のほか、化学
者 ・ 技術者の発明 ・ 発見にまつわるエピソードや世相、関連す
る写真などをあわせて紹介しています。日本の科学技術の歩み
を振り返り、その強みや面白さにスポットライトを当てることにより、
科学 ・ 技術の未来を考えるという企画のようでした。 国立科学
博物館の展示会は、写真撮影がOKなのが多いです。資料に
なりそうなものは、パシャパシャ写真を撮って来ました。(笑)

明治150年記念
日本を変えた 「千の技術博 特別展」
会期     2018年10月30日( 火) ~ 2019年3月3日( 日)
会場     国立科学博物館 (東京 ・ 上野公園)
時間     午前9時~午後5時
入場料   一般 ・ 大学生1.6001,円 小 ・ 中 ・ 高校生600円

EE157621-1.jpg 
EE157890-1.jpg EE157625-1.jpg
第一章 明治維新 科学と技術で世が変わる
明治維新から明治20年代までを区切りとして、教育や科学者の
登場、度量衡・医療制度の制定、産業や西洋建築、電気通信な
ど西洋の科学技術の導入で、まさに世の中が一変していきました。

西洋の科学は、江戸時代でも、一部の学者には知られていました。
しかし、多くの庶民が学ぶようになったのは、明治になってからだと
いわれています。学校教育などを通して、国民のほとんどが科学の
初歩を学ぶ・・・・・そんな時代がやってきました。鉄道や通信などの
近代化を国家主導で進め、また 「学制」 や 「医制」 を発布し、近代
的学校制度と衛生 ・ 医療制度の基礎をつくります。日本人が主導
的役割を果たせるようになるまで、多くの外国人教師や技術者に
指導を仰いだのです。

EE157611.jpg 
EE157615-1.jpg EE157628.jpg
「エジソン クラスM (蓄音機)」 (上)
エジソン最初の商用蓄音機の一つ。バッテリーによる電動式で、
書き込みと消去ができる。この蓄音機はエジソンがアメリカ公使を
通じて明治天皇に献上した蝋菅蓄音機だそうです。東京科学博
物館として上野公園内に新たに開館した記念として、昭和6年
(1931) に宮内庁よりエジソン蓄音機と地球儀などが下賜され
たそうです。ボディには、銘板がついていて、「発明王トーマス ・
A ・ エジソンから天皇陛下へ。敬意を表して」 と刻まれています。
左側のは明治時代の宮中で使われていた電気扇風機です。
「蘇言機 (重要文化財)」 (下左)
わが国で最初に音が録音 ・ 再生された錫箔蓄音機。エジソンの
フォノグラフの発明を聞いたイギリス人が本機を制作し、来日後
の明治11年 (1878) に、東京大学理学部の実験室で日本初の
録音 ・ 再生実験を行ったようです。中央の円筒に錫箔を巻いて、
そこに金属の刃で表面を刻んで録音するのだそうです。この機械
から日本の録音文化が始まったのか、とロマンチックな気分にな
りますね。凄い名前です。「言 (言葉) が蘇 (よみがえる) 機械」。
「平野冨二の活版印刷機」 (下右)
明治初期の印刷界のパイオニアである平野冨二が手掛けた現在
する最古の機械。インクを盛った組活字板の上に紙を置き、そこ
に上蓋をしてプレス場所へと移動させ、人力でレバーを引いてプレ
スし印刷する。NHK朝の連続ドラマ 「花子とアン」 にも登場し、実
際に撮影にも使用されたそうです。機械遺産に認定されています。

EE157744-1.jpg 
EE157732-1.jpg EE157745-1.jpg
第二章 科学で変える
わが国の150年の科学 ・ 技術の歴史のなかから、いくつかの身近な
科学のトピックスを取り上げていました。初めての女性科学者の誕生、
明治時代に科学の研究から生まれた 「アドレナリン」、技術の発達に
日本人が大きく貢献した 「水晶振動子 ・ 時計」 と 「磁石 ・ フェライト」、
新しい質量の定義 「シリコン単結晶」 など見所がありました。

明治・大正の頃、欧米でも女性科学者はあまりいませんでした。日本
では、大正2年 (1913) に東北帝国大学理科大学 (現在の理学部)
に帝国大学としては初めて女性の入学を許可し、女性科学者が誕生
する芽ができたようです。そん時入学したのが、数学科の牧田らくと
化学科の黒田チカ、丹下ウメの3名です。黒田は日本女性2人目の
理学博士となり、丹下はアメリカで博士号を取得した後、日本女性
2人目の農学博士となりました。黒田の研究論文も展示されてました。

EE157739-1.jpg 
EE157891-1.jpg EE157741-1.jpg
「水晶時計の表示部 (国産第一号)」 (上)
東京工業大学教授の古賀逸策が、温度変化に極めて安定的な水
晶振動子を考案し、それを用いた標準時計などを開発した。古賀
方式の水晶振動子は、ほとんどの電子機器の中に多数使われて
います。理化学研究所の池辺常刀の設計による第一号で、一種
の同期電動機で、時刻を示す文字盤を備えています。当時、世界
一正確な時を刻んだ水晶振動子です。左側は、水晶振動子の切
り出し模型で、水晶を板状に切り出して両面に電圧を加えると、結
晶に変形が生じる。この現象を 「逆圧電効果」 と呼びます。それ
を応用すると、正確な発信器をつくることが出来るんだそうです。
「タカヂアスターゼ薬 (紙箱)」 (下左)
高峰譲吉が発見した消化酸素を製品化したタカヂアスターゼは、
科学的成果が製品に結びつき、世界各国で発売されました。現代
でも胃腸薬、消化薬の成分として活用されています。夏目漱石の
「吾輩は猫である」 にも登場しますね。また、助手であった上中啓
三が結晶化に成功したアドレナリンは、当時多くの研究者が競っ
て研究しています。(右側の瓶) 日本人が発明した世界的胃腸薬。
「K . S磁石鋼、新K . S磁石鋼」 (下右)
テレビや携帯電話など、ほぼすべての電子機器やスピーカー、モー
ターなどに使用されている磁性材料、それがフェライトです。酸化鉄
の粉末にさまざまな金属酸化物の粉末を混ぜ合わせ、高温で焼き
固めてつくる。 強い永久磁石になるハードフェライトと、磁気をよく
通すソフトフェライトを発明したのも日本人でした。これが無ければ
情報通信機器は存在しなかったのです。世界も驚いた強力磁石。

EE157894.jpg 
EE157893-1.jpg EE157666-1.jpg
第三章 くらしを変える技術
電気の登場により暮らしはより便利になりました。現代の生活に電
気が無いと生活が困難です。長時間電気が通じないと、電化製品
だけでなく、社会全体が機能しなくなります。電気の登場により、家
の中や夜の街をあかるくし、人々の生活と労働の場を広げました。
さらにそのシステムを利用した電化製品の普及は、人々の生活を
大きく変えました。

「あかり」 は、明治時代を通して大きく変わりました。江戸時代の灯
火に加え、カンテラや西洋ランプが広まり、続いてガス灯と電灯が
現れました。それに伴い夜は明るくなり、夜間の労働を生み出す。
しかし、家庭電化製品が登場したのは、まだほとんどの家庭に電気
が通じていない頃でした。わが国で初めて芝浦製作所 (現・東芝)
が電球つき電気扇 (扇風機) を製造したのは明治27年(1894)。
この時はまだほとんどの家庭に電気は通じておらず、電灯が灯っ
た家でも部屋にコンセントはありませんでした。

EE157896-1.jpg EE157676-1.jpg
「ガス灯とアーク灯」 (左)
明治の始めにランプに続いて登場したのはガス灯でした。石炭か
らつくったガスは、そのまま燃やすだけであかりとして利用できた。
さらに光量が5倍になるガスマントルの発明によて、炭素電球より
昼光にちかく輝くガスのあかりは商店などで愛用された。日本で
初めて電気による照明の実験は、明治10年 (1877) 頃。虎ノ
門の工部大学校講堂で、アーク灯が点けられたようです。(右側
がアーク灯) これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯され
た瞬間でした。目もくらむような光がほとばしり、講堂を照らした。
「攪拌式電気洗濯機 ソーラーA型」 (右)
アメリカからの技術導入により製造された国産第一号の電気洗濯
機。たらいと洗濯板を使う洗濯は、主婦の仕事のなかでも重労働
であったため、当時の主婦の家事労働時間を大幅に削減してライ
フスタイルを大きく変えました。戦後いち早く普及したようです。昭
和5年(1930) 頃の製品で、当時の価格で370円だったようです。

EE157683-1.jpg EE157685-1.jpg
「自動式電気釜 ER-4」 (左)
ある一定の年齢層の方には懐かしいデザインかもしれません。
電気で米を炊く装置は戦前からあったが、経験と勘に頼ってきた
火加減を自動化するのは容易ではなかた。東芝から自動式電気
釜が発売されたのは昭和30年 (1955)。発売当初はなかなか売
り上げは伸びなかったという。大事なご飯を 「楽して炊こう」 とする
など、あまり感心なこととは思われなかったことのようです。
「電気冷蔵庫 SS-1200型」 (右)
日本初の家庭用電気冷蔵庫。家庭用冷蔵庫普及のきっかけは、
アメリカ製のモデルを国産化し、国内生産への先鞭をつけた冷
蔵庫です。昭和5年 (1930) 東芝製で、当時の価格は720円。
当時の大卒初任給が50円の時代。当時の 「大卒」 というのは、
今の 「大学」 ではなく、全国に8つしかない 「帝国大学」、つまり
「超エリート」 だったのですから、そのぐらいでも妥当でしょうね。

EE157697-1.jpg 
EE157686-2.jpg EE157700-1.jpg
第四章 産業を変える技術
動力源としての発動機をはじめ、自動車、鉄道、船舶や航空機か
ら産業用ロボットや宇宙探査まで、技術は150年の間に驚異的な
進歩を遂げました。モノを燃やし、その熱で機関を動かし動力を
得る。それが蒸気機関車、スターリングエンジン、ガソリンエンジン
などです。さらに高速で回転する機関が必要となりパーソンズター
ビンが考案されました。現代の火力や原子力の発電所も、蒸気を
発生させ、タービンを回していることに変わりなく、その原型はパー
ソンズタービンです。

日本に初めて自動車が輸入されたのは明治31年 (1898) です。
その後自動車製作の挑戦が始まり蒸気自動車などがつくられ、自
動車産業の先駆けとなった。高度成長期には高速道路の建設が
進み、自動車産業の発達と自動車の普及は社会に変化をもたらし、
その社会の要請に応えながら、技術開発が進められてきました。
その間、東洋工業 (現 ・ マツダ) のロータリーエンジンやホンダ
のCVCCエンジンなど、世界が驚く独自の技術も開発されました。
現代ではより環境にやさしく、安全な車を目指して、再び電気
自動車が開発され、自動運転の実現も間近となっています。

EE157689.jpg EE157696.jpg 
EE157694-1.jpg
「パーソンズタービン」 (上左)
現在火力発電所や原子力発電所などで使用されているタービン
発電機の原型の一つで、イギリスの機械技術者が、1884年に
発電機駆動用に発明した軸流反動蒸気タービンです。反動ター
ビンは静翼 (固定羽根、衝動タービンのノズルに相当) で圧力降
下させるとともに、動翼 (回転羽根) でも圧力降下させ、動翼から
流出する蒸気の反動力によってロータを回転させるものです。
「全電気式産業ロボット (MOTOMAN-L10)」 (上右)
昭和52年(1977)、国内で初めて開発された全電気式の産業用
ロボット。従来の油圧式から全電気にしたことで、位置や速度の制
御性に優れ、保守点検が容易なことから、アーク溶接の自動化を
担い、わが国の自動車産業の品質の安定化とコストダウンに貢献。
その技術は進化し、日本はロボット大国と言われるようになりました。
「電気自動車とロータリーエンジン車」 (下)
20世紀はじめの電気自動車。(左側) 1900年頃のアメリカでは
約3割が電気自動車だったという。しかし、安価で性能の良いガソ
リン車が大量生産されにつれ、充電のわずらわしさや走行距離の
限界から、開発されなくなっていったという。展示している車は国
内を走った記録はないが元々熊本県球磨村の博物館にあったも
ので、大正9年 (1920) 頃の車のようです。世界を驚かせた実
用的ロータリーエンジン搭載のマツダ ・ コスモスポーツ車。(右側) 
東洋工業 (現 ・ マツダ) が昭和42年 (1967) に販売した乗用
車です。ロータリーエンジンは、熱エネルギーを、往復動機構を
経ることなく回転運動に変換できる原動機です。

EE157662-1.jpg 
EE157634-1.jpg EE157661-1.jpg
第五章 モノを変える技術
日本では古来より、天然の産物をうまく利用してきました。幕末に
西洋の科学技術が導入されると、積極的に新しい物質をつくり出
して活用するようになります。石炭の利用や製鉄は近代化の基盤
となり、空気から肥料をつくって食料が増産され、天然物や石油
などから新しい材料を生産して生活を便利で豊かにしました。

20世紀初頭にドイツで開発されたハーバー・ホッシュ法による空気
中の窒素ガスを使ったアンモニア合成は、日本だけでなく、世界の
本格的な近代科学工業の幕開けを告げ、しかも人類を救った画期
的な発明でした。日本の産業を支えた鉄鋼や炭鉱のほか、空中の
窒素から肥料や燃料を作り出すアンモニア合成技術から合成樹脂
・ 繊維、生活を変えた新素材まで化学の進歩が果たした役割を
紹介しています。

EE157641-1.jpg EE157899.jpg
EE157657-1.jpg EE157655-1.jpg
「射出成型機とセルロイド製品」 (上)
射出成型機 (上左) は、熱可塑性樹脂を成形する装置で、プラス
チック材料を熱で溶かして金型に高圧で注入し、冷却して成形する
もの。戦後、日本の各社がこの装置をモデルに射出成型機をつくり、
戦後の日本のプラスチック製品の原点となったようです。初期のプラ
スチックであるセルロイドの製造がはじまり、昭和12年 (1937) に
は、生産量は世界一となったようです。かつては、筆箱や石けん箱、
玩具など身の回りのいろいろなものがセルロイドで造つくられました。
(上右) その後、石油系プラスチックにその座を譲り汎用樹脂とし
ての役割を終えました。おきあがり人形は、幼い頃、こうした人形で
遊んだ方も多いでしょう。(右上) 昭和の香りがする石鹸箱 (左下)
は、かぐや姫 「神田川」 の世界。小さな石けんをこうした石けん箱
にいれて風呂に行ったと思われます。 洗い髪が芯まで冷えて、
小さな石けんカタカタ鳴った。その上にあるのが筆箱です。
「ストッキングと第一号ナイロン紡糸機」 (下)
今や生活になくてはならない合成繊維ですが、日本におけるナイロ
ンなど合成繊維の歴史は比較的浅く、本格的に普及するのは戦後
になってからです。日本で初めて、昭和17年 (1942) にナイロン
の紡糸に成功したナイロン紡糸機。(下右) 東洋レイヨン (現・東レ)
は、ナイロンのサンプルを入手して研究し、製糸に成功。独自技術
により製造したナイロンストッキングを発売した。(下左) 「戦後、靴
下と女性は強くなった」 といわれたほど、ナイロンの登場によりスト
ッキングが強くなり、女性のあこがれのまとであったようです。

EE157844-1.jpg 
EE157853-1.jpg EE157843-1.jpg
第六章 生命に関わる技術
日本の科学研究は、東アジア特産の天然物の研究によりいち早く
世界レベルに達し、世界的な医薬品の開発はノーベル賞へと結実
しました。日本の伝統的な産業である養蚕や稲作は、明治期にな
ると科学的な品質改良が取り入れられ、大きく進歩しました。植物
や動物などを科学的に研究することで天然物化学や生命科学が
発展していきました。油脂や薬などへの応用、近代日本の主要
輸出品であった養蚕や日本の食糧を支えた稲の品種改良など、
私たちの生活はより豊かになりました。

人類は古来より、植物や動物を直接利用して暮らしてきました。
栽培植物であるイネや飼育動物であるカイコの品種改良は、長い
年月における経験と努力でなされました。明治時代になると、新し
い生物学の知識に基づいた育種法などが導入され、品種改良は
革新的に進歩しました。そして現代は植物や動物のゲノムが解
読されつつあり、生物の利用の仕方が全く変わろうとしています。

EE157858-1.jpg EE157851.jpg
EE157879-1.jpg EE157901-1.jpg
「カイコ (家蚕) の品種」 (上左)
日本は、カイコを育て生糸を取る養蚕は、桑の生育に適しており、
江戸時代には幕府も奨励し非常に盛んでした。養蚕の技術も進
み、養蚕秘録のような技術書も書かれたようです。そして日本独
自の優良蚕品種開発が進み、輸出の第一は生糸であり、わが国
の近代化を支えたようです。江戸期から昭和期の繭の標本です。
「世界初のスタチン」 (上右)
天然物化学の伝統は現在でも引き継がれ、遠藤章博士は、約6千
株のカビとキノコを調べて生体内でのコレストロール合成反応を
阻害する物質を発見し、高コレストロール症の治療薬 「スタチン」
の開発に結びつけました。「スタチン」 は世界中の数多くの患者
を救った薬です。青カビの一種から発見されたのです。
「コシヒカリ (水稲農林100号) と現代の米の祖先」 (下)
植物の栽培は、気象条件によって左右されることから、冷害が起
こると、大きな被害を出してきました。研究熱心な農家が、冷害に
負けずに育っていた株を何年にも繰り返し栽培することによって、
独特の品種が生まれました。昭和28年 (1953) に越南17号の
系統名を付け誕生したのがコシヒカリ。(下左) 冷害でほとんど
のイネが実らなかった中、実をつけた稲穂の籾を原種として育成
し誕生されたのが、亀の尾4号で陸羽132号の親。現代のお米
の祖先のようです。(下右) 

EE157904-1.jpg 
EE157714-1.jpg EE157716-1.jpg
第七章 街づくりを変える技術
地震、雷、火事、親父。この怖いものリストの1番と2番は自然災害
です。突然襲ってくる自然災害。その国土で快適にかつ安全に暮
らすために、防災の技術が発達しました。震災の経験は耐震設計
を生み、重機は環境を住みよく変え、レーダーは自然に備える礎と
なりました。高層建築を支えた耐震設計、地震研究や土木 ・ 防災
技術を紹介。戦時中に発達した重機やレーダは、戦後民生用とし
て発展し、防災の場面で活躍しています。

光をとらえれば、遠くのものを見ることができます。電波をとらえれば、
遠くにあるものを知ることができます。第二次世界大戦中に発達した
レーダー技術は、戦後になると、航空、船舶の安全を監視し、気象
現象を観測し、今では自動車にも搭載されるようになりました。また、
レーダーの技術を応用した電子レンジは、家庭になくてはならない
家電製品となっています。

EE157905-2.jpg EE157728-1.jpg
「コマツブルドーザー G40」 (上左)
大規模な土木工事を人力で行うのは効率が悪い、そこでブルドー
ザーがアメリカで発明され、1940年代に日本にも輸入され、発電
所工事などに使われました。第2次世界大戦中、飛行場建設などの
目的で開発されたのが、国産初のブルドーザーです。ガソリン機関
トラクターの前方に、押土用のプレードを装着して改造し誕生した。
油圧方式は当時として画期的だったようです。それにしても、こん
なデカイのをよく会場に入れたなぁーと感心した。(笑) 
「富士山レーダー用マグネトロンM159A」  (上右)
富士山頂に、世界最大の気象レーダーがありました。これはレーダ
ーの心臓部です。昭和34年 (199) の伊勢湾台風による被害を契
機に、日本に近づくおそれのある台風の位置を早期に把握するため、
気象庁によって建設されたものです。高度成長期の日本を巨大台風
から守った 「富士山頂気象レーダー」。富士山に気象庁富士山気象
レーダーが設置されたのは昭和39年(1964)。気流の不安定な山
頂に、重量オーバーのドームをヘリコプターで設置するという無謀な
計画。その完成に心血を注いだ無名の男たちの挑戦を紐解いていく、
NHK総合テレビで放送された 「プロジェクⅩ 挑戦者たち」 をDVDで
見たことがあります。 当時、世界でも 最も高所に設置され、最も遠く
までの気象を観測できる最新鋭の施設で、以降、平成11年 (1999)
に気象衛 星にその役目を譲って歴史を終えるまで、35年間にわたっ
て日本の気象観測の文字通り最前線でありつづけたのです。

EE157906-1.jpg EE157907-1.jpg
「分割陽極マグネトロン」  (下左)
マグネトロンとは、極超短波の電気振動をつくりだす真空管。世界に
先駆けて日本人の研究が実用化に貢献しました。第2次世界大戦時
にレーダーの心臓部として開発が進み、民生用としても研究開発が
進められ、現在の電子レンジなどに使用されています。西洋の模倣
から脱却し、やがて世界を圧倒する独自の技術を獲得していった日
本の変遷や様々な分野における世界の動きが詳しく解説されていて
大変勉強になった。
「電子レンジ (業務用 DO-2273B)」 (下右)
昭和36年 (1961) に開発された日本初の業務用電子レンジ。
国鉄時代の食堂車に採用され、昭和36年(1964)の新幹線開業時
からビュッフェで、温かい料理を提供するという当時としては画期的
なサービスで、評判となったようです。その後、電子レンジ用マグネ
ットロンの開発が進み、小型化、低価格化により、瞬く間に家庭用
調理家電として普及しました。

EE157839-2.jpg 
EE157769-1.jpg EE157748-1.jpg
第八章 モミュニケーションを変える技術
遠くへ瞬時に正確に情報を伝える。実現させたのは電気による通
信技術でした。19世紀に有線電信で始まり、20世紀に入ってラジ
オやテレビなどが登場し、情報化社会へと発展してきました。そして、
コンピューターや人工知能(AI)は、人の想像を超えた速度で進化
しつつあり、人々のコミュニケーションが変わりつつあります。情報
通信技術が発展して、あらゆる産業に影響を及ぼし、我々の生活
を今までもこれからも一変させる可能性を秘めています。情報処理
と電気通信技術、音響 ・ 映像 ・ 光学 ・ 半導体技術の源流から
今までを圧巻の展示で構成していました。

1960年代に日本の社会に登場した、計数型電子計算機とよばれ
たコンピューターは、その名の通り計算やデーターを仕分けする目
的で導入されました。その後、プログラムを変えることにより、ゲーム
やワープロ、制御など多様な目的に使えるようになっていきました。
さらに、半導体技術の進歩はコンピューターの性能を飛躍的に上げ、
人間の能力を超えた大規模なシステムの制御や予測を可能にし、
大きく世の中を変えようとしています。自動計算機から人工知能へ
・・・・・時代は動こうとしています。

EE157755.jpg 
EE157758.jpg EE157763-1.jpg
「家庭用卓上電話と公衆電話」 (上)
黒電話は、アメリカ製の電話機のデザインに学び、自動式のための
ダイヤルを中央に配置し、コンパクトなスタイルとなり、以降の電話器
のスタイルの原型となった。保守すれば現代でも使用可能のようです。
黒電話は昭和8年ころ。黄色の電話は、電話ボックス用公衆電話で、
100円が使える公衆電話。昭和47年頃のもの。赤電話の正式名称
は「委託公衆電話」で、一般の電話と区別するためだったようです。
ダイヤルを廻した経験がない方も多くなった現在、黒電話や赤い公
衆電話が懐かしいですね。
「ポケットベル (ポケベル)」 (下左)
当初は呼び出し用端末として、電話をかけると着信音が鳴り、いつで
もどこでも呼び出せるというもので、呼び出された人は公衆電話等で
折り返し電話をかけ連絡を取っていました。その後送信者の電話番
号や10文字程度の数字列を送信できるようになり、「0840 (おはよ
う)」 「0906 (おくれる)」 「88951 (はやくこい)」 などの数字を使
ったメッセージのやりとりが大流行しました。サービスは終了しました。
「ショルダーホン100型」 (下右)
自動車から離れても利用できる車載 ・ 携帯兼用型自動車電話は、
電電公社の民営化の1985年に完成。その名も 「ショルダーホン」。
文字どおり、肩から下げて持ち運ぶことができ、歩きながら話せる。
今では当たり前のことですが、固定電話しかなかった当時はまさに
夢のアイテムでした。「しもしも~」 でお馴染みバブル芸人の平野
ノラさんで脚光を浴びたアレです。やはりどんなにお洒落なポーズ
をとってもゴツイです。(笑) スマートフォンにつながる端末の原型。

EE157774-1.jpg EE157779-1.jpg
「ニコン NIKKOR-S」 (左)
ニコン初の交換式一眼レフカメラで、世界中の報道カメラマンに愛
用されるきっかとなった機種。昭和39年(196)の東京オリンピック
のシンボルマークとして有名な亀倉雄策氏がデザインを担当した。
このレンズの製造年は1972年。グアム島で元日本兵、横井庄一
氏が発見され、ポツダム宣言から約28年経って帰国。同氏の 「恥
ずかしながら帰って参りました」 という発言が流行語となった年。
「テープレコーダーG型」  (右)
創業から数年して、東京通信工業(現・ソニー)が本格的に民生用の
分野に進出するきっかけとなった製品。しかし当初は、16万円という
高額であったため、一般消費者には手が出なかったようです。昭和
25年 (1950) の製品で、原品は未来技術遺産に指定されています。
テープレコーダーは、磁気テープなどのテープ状の記録媒体に、信
号を記録 (および再生) する装置で、普通、磁気テープに磁気記録
の形で電気信号を記録する。

EE157782.jpg EE157790-1.jpg
「ソニー ウォークマン 一号 TPS-L2」 (左)
昭和54年 (1979) にウォークマン1号機 「TPS-L2」 が発売された。
「音楽を携帯し気軽に楽しむ」 という新しい文化を創造した。小型化・
軽量化 ・ 薄型化を限りなく追求したのもウォークマンの歴史であった。
当初はあまり売れなかったが、西城秀樹が上半身裸、短パンでウォ
ークマンを聴きながらローラースケートをしている写真を雑誌に掲載
されたのを機に、店舗で品切れが続出し、その後の大ヒットしたという。
「ソニー ポータブルテレビ TV8-301」  (右)
ソニーが開発した世界初の直視型ポータブルトランジスタテレビ。
光を電気に変える光電管や信号を憎幅する電子管が登場して本格的
なテレビの研究が始まり、高柳健次郎が最初のテレビの研究を開始。
1926年12月25日、奇しくも大正天皇崩御の日。高柳博士は、石英
版に書いた 「イ」 の字の映像を機械式の円形撮像装置で読み取って、
電子式のブラウン管に送り、映像を映し出すことに成功します。世界
で初めてブラウン管に映像が送られた瞬間でした。「テレビ」 という
メディアはここから発達していきます。

EE157837-1.jpg 
EE157832-1.jpg EE157798-1.jpg
「HITAC5020 日立製作所製」 (上)
東京大学で真空管式計算機TACの開発にかかわった方が、日立
製作所に入社し開発を先導したという。努力と根性でつくたわが国
初の大型コンピューター。配線ミスひとつ許されない根性ものです。
科学技術計算だけなく事務計算にも適してるように設計され、加減
算を1秒間に約5万回できる処理能力をもち、外国機とそん色ない
性能であるが、現代のパソコンとは比較にならないようです。右側
の青いのが地球シミュレーター (初代) で、世界のスーパーコンピ
ューターのTOP500で2002~2004年の間計算速度第1位。
地球温暖化予想や地球内部ダイナミクスなどの研究に貢献した。
「日本語ワードプロセッサ JW-10」  (下左)
初の日本語ワードプロセッサ。文章の読みを文節ごとに区切って
入力する文節指定入力と漢字部分を指定して入力をする漢字指定
入力を供用することで、効果的な日本語入力を可能にした。かな漢
字変換技術で開発された言語処理技術は世界中の象形文字入力
技術に大きな影響を与えたといわれています。昭和54年(1979)
発売で、プリンターを搭載し、価格は630万円だったようです。
「電子式卓上計算機 コンペットCS-10A」 (下右)
オールトランジスター・ダイオードによる電子式計算機として、昭和
39年(1964) に世界でも最初期に発売され、その後の小型化や
普及に道を拓いた製品。ゲルマニウム ・ トランジスタ530個とダイ
オード2.300個を含む約4.000点の部品からなり、重量は25㎏
もあったようです。定価は53万5千円で、当時の大衆的な乗用車
とだいたい同じ値段だったようです。

EE157643-1.jpg
明治初年からの工業技術、産業技術の進歩スピードの半端なさを
目の当たりに出来る展示会でした。工部大学校を始め、様々な教
育機関で学んだ人たちが、いろんな分野で生活に必要になる技術
を開発していったんだなあと思った次第。「こんな短い年数で、ここ
まで進化したのか」 と、あらゆる分野の技術革新が手に取るように
感じられる展示でした。実用的なものはもちろん、コミュニケーショ
ンロボットのような娯楽に近いものもあって、人の暮らしを感じました。
痛そうな治療法の絵やレトロ家電、平野ノラが持ってる電話の実物
があって、意外と楽しかったです。紹介したのは、ほんの一部でしか
ありません。それにしても技術ってホント進んでるんだね。





未分類 | TRACKBACK(-) | COMMENT(-) |










CALENDER
04 ⇔ 2019/05 ⇔ 06
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
AquariumClock 2
プロフィール

Author:takasan
ようこそ!

ちょっとした幸せな風景
あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように。

ライブカメラ
最近の記事
リンク
このブログをリンクに追加する
最新記事