一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。








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「天使と悪魔のささやき」

...2018/10/21 20:55...

いつのまにか、
肌寒くなり季節の変わり目を感じますね。
秋という字は、穀物を表す禾部 (のぎへん) と、
穀物を乾かす火を組み合わせた会意文字です。
したがって、秋は 「収穫を深く喜ぶ」 時期でも
あります。一方で、冬に向かう季節でもあるので
物寂しさを感じる季節でもあります。

何かをしてもらったら 『ありがとう』 と言える。
『お先にどうぞ』 という思いやりの気持ち。

仕事柄、愛嬌のある後輩たちに囲まれていたので、
自分の娘にも無意識にそういうことを求めてしまって
いたのかもしれない。振り返って考えてみると、
長女はクールな性格で、体育会系。運動部で散々
鍛えられていたので、よその方への挨拶は問題ない
が・・・・と知人は笑って話していた。

喜びの感情を表したり、人に 「ありがとう」 と声に
出して言ったりすることが苦手な子はいると思います。
でも、そういう子こそ、日ごろから意識してやって
いないと、いざというときに自然と言葉が出てこないんです。
採用の面接を何年も担当している先輩は、緊張して
しまったせいか、全く笑顔を見せられないまま面接を
終える学生さんに出会うことがあるという。
もったいないですよね。就職の面接でも、仕事をしていく
うえでも、第一印象や感情表現は大切だと思います。
特に 「笑う」 ということを忘れないでいてほしいです。

心を伝えることも、意味を伝えることも、
義理人情や御恩というものを伝えることも、
一つ一つがなかなかに難しいようです。
そんなことにいちいちくじけてる場合ではないが、
くじけそうになる日は誰にもあるよね、と同感します。
笑顔と思いやりの言葉、ちょと考えてみます。

 夕空晴れて 秋風吹く
     月影落ちて 鈴虫なく・・・・・


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「天使と悪魔のささやき」

今から話すことは、先生が自分自身にいつも
いい聞かせてることなんです。先生だから何でも
出来るわけではないし、強いわけでもありません。
人間ですから、つらい時も逃げたい時もあります。
でも、だからこそ人間なんです。
そんなつもりで聞いてください。

人は心に 『天使と悪魔を抱いています』。
よく目標を立てよとか、ここまで頑張れとかいいます。
先生もそんな話しをよくします。でも出来る人と出来ない
人がいます。ではできる人と、できない人の差は
何なのか、考えてみたことはありますか?
能力だという人がいますが、そうではありません。

できない理由の多くは、時間がないとか、
いまは必要でないとか、そんな言い訳をして
自分を正当化しようとしている自分がいるのです。
そうです。自分の中の悪魔がささやくのです。
『大丈夫だよ、お前だけではない。皆やれて
いないんだ』 と・・・・。その悪魔のささやきに、
自分自身を納得させることになるのです。

しかし、やりきる人は、悪魔のささやきの
中で、天使の言葉が聞こえてくるのです。
『今やらなければどうする。それを成しえること
が将来のお前にとって大切なんだよ』 と・・・・・。
その言葉に奮起します。

要は、成すか、成さぬかは、自分の心の悪魔と
天使のささやきから始まるのです。よく心の葛藤と
いいますが、心の葛藤とは、このささやきをいうのです。
みなさんは、悪魔のささやきと、天使のささやきの
どちらを多く聞きますか?

いつも穏やかな口調で語る中学の先生が亡くなった。
訃報の知らせを聞いて、仲間とお通夜に行って来た。
祭壇の前で手を合わせているうちに、中学時代の
先生の話を思い出し、しばらく絶句してしまった。
先生の話を聞くのは、みんな楽しみだったし、
いつも考えさせられることばかりだった。

何かを成せる人も悪魔のささやきがあるのですね。
その時に 『初心にかえったり、ライバルの頑張りを
思い出したりしながら、悪魔のささやきを天使の
ささやきに変えているのですよね・・・・先生。

『成せば成る。成さねば成らぬ。成らぬは人の成さぬなりけり』。
この言葉はよくそれをあらわした言葉だと思います。
辛く苦しんでる時、『天使と悪魔』 が会話しませんか?
その時にこの話を思い出し、『成せば成る』 と思いながら、
悪魔のささやきに負けないように頑張れ・・・・・と、
先生の声が聞こえてきそうだ。合掌


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「法の日フェスタ in 赤れんが」 2018
法務省旧本館 (赤れんが棟) 法務史料展示室

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平成30年 (2018) は、明治改元が布告された明治元年 (1868)
から起算して満150年の年に当たります。各施設などで記念行事
なるものが行われてますが、法務省でも 「明治150年」 関連企画
(記念講演 ・ 赤れんが棟見学ツアー等) や成年年齢引下げに関
するイベント等も行われています。特に法務省旧本館 (赤れんが
棟) は、普段、平日にしか公開していないのですが、6日 (土) に
「法の日フェスタ in 赤れんが」 を開催するというので、近所の
カメラ好きの方と見学してきました。

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一般の方が法務省のお世話になることは少ないでしょうが、法務省
のあるところは霞が関1丁目1番地。国道1号線を挟んで向かいは
皇居 ・ 桜田門。電車だと地下鉄丸ノ内線 ・ 日比谷線 ・ 千代田線
の 「霞ヶ関駅」 からでしょうか。私たちは地下鉄有楽町線の 「桜田
門駅」 で下車。(下左) 目の前には法務省旧本館 (赤れんが棟)
と法務省や検察庁、裁判所等が見えます。(上) 右には警視庁が
睨みを効かせています。慣れない場所に降り立ったなぁという感じ。
警視庁や裁判所ですから何故か緊張します。(笑)

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「法務省 ・ 旧本館 (赤れんが棟)」
明治政府は、諸外国との条約改正に先立ち、近代国家としての
体制を整えるため、明治19 年 (1886) に西洋式の建築による
官庁集中計画に着手しました。日比谷に諸官庁を建てる案を作
成し、実際に建てられたのは、司法省と大審院 (後の最高裁判
所) の建物です。司法省の庁舎 (赤れんが棟) は、明治21年
(1888) に着工され、明治28年 (1889) に竣工しました。

旧司法省庁舎であった現・中央合同庁舎第6号館赤れんが棟は、
中央合同庁舎第6号館A棟、B・C棟等の整備に伴い、平成6年
(1994) に創建時の外観に復原され、国の重要文化財に指定
され、法務総合研究所 ・ 法務図書館として使用されています。
そして3 階には法務史料展示室が開設され、平成17年(2005)
にリニューアルに併せてメッセージギャラリーが併設されました。

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皇居西側の外桜田門と祝田橋の間、凱旋濠の前に建つ赤煉瓦の
建物。(下左)  この敷地は江戸時代米沢藩上杉家上屋敷として
使われていたそうです。そうなのか~。ここはかつて上杉家の屋敷
があった場所なんだ。近辺には歴史跡が多くあり感動します。

「米沢藩上杉家江戸藩邸跡碑」 (下)
関ヶ原の戦いの後、上杉景勝は徳川家康によって出羽米沢30万石
に移封されました。慶長8年 (1603)、桜田門外の当地 (現法務省
の一部) に建てられた上杉家の江戸屋敷は 「桜田屋敷」 と呼ばれ、
幕末まで江戸藩邸として中心的な役割を果たしました。上の絵図は、
江戸時代初期に製作された 「江戸図屏風」 に描かれた藩邸周辺の
様子です。左上の部分が上杉家の江戸屋敷で、右側が桜田門です。
桜田門外の変が上杉家の目の前で起こっていることを思うと、歴史
を感じますね。近くには名裁判官と言われた大岡越前守の屋敷も
あり、法曹関係の役所が建っているのも不思議な縁を感じます。

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日本の政治の中心である霞が関エリアで、堂々たる煉瓦造の法務
省 ・ 旧本館 (赤れんが棟)。西門付近ではロンドンのホースガーズ
衛兵さながらに眼光鋭い警備員がいます。でも現役庁舎として使わ
れていることから、敷地内館内ともに立ち入り区域や撮影場所など
はきびしく制限されています。普段も近寄りがたい雰囲気ですが、
この日は法務省の職員が看板を背負ってのお出迎えです。(下右)
門と屋根が帽子風の守衛室が印象的です。(下左)

「法の日フェスタ」
毎年10月1日の 「法の日」 は、最高裁判所、法務省及び日本弁護
士連合会の共同の決議に基づき、法の役割や重要性について考え
るきっかけとなるよう設けられたものです。 「法の日」 から1週間は
「法の日週間」 とされ、最高裁判所、法務省 ・ 最高検察庁及び日本
弁護士連合会の共催で各地でイベントを行います。法務省・最高検
察庁では、今年も 「法の日フェスタ in 赤れんが」 を開催されました。
今年は、「明治150年」 関連企画 (記念講演,赤れんが棟見学ツア
ー等) や成年年齢引下げに関するイベント、検察官による模擬取調
べ実演や少年院教育プログラム体験などのイベントを実施します。

開催日時  平成30年10月6日(土) 10 時~16 時
会場      法務省 (千代田区霞が関1-1-1)
入口     法務省西門 (赤いれんがの建物側)

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検察庁など法務省系の近代的な建物が並ぶ中で、異色の洋風レ
ンガ建築です。様式としては、バロック調で、屋根などは空襲後の
東京駅赤レンガ駅舎に似ている感じです。西洋にあこがれていた
時代を彷彿とさせるレトロな建物という感じです。平日のみ展示室
を一般公開しているのですが、ちょっと見学が面倒です。入口の
守衛さんに 「史料展示室を見学したい」 と申告をします。色々と
行き方等の説明を聞き、建物に入ると警備員が史料展示室入口
まで案内。というふうに勝手に見て歩けません。ここは法務省だし、
一般人が気軽に入れたらそっちの方が問題ですよね。普段は車
寄せの入口 (下左) から入るようですが、この日は裏庭も公開し
ているようで、裏に通じる場所を聞かされ独自に進みました。
裏に出て来たところ。(下右) 裏庭の建物から展示室に入るよう
になっていました。

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皇居の周りにある建物で、インスタ映えする構造物の一つだと思う。
煉瓦造のレンガの色が美しい過ぎて、歴史の重みは伝わりにくい
かもしれませんが、こちらが法務省 ・ 旧本館 (赤れんが棟) の裏
側になります。平日の公開でも見ることは出来ないかもしれません。
まるでヨーロッパの宮殿のようなたたずまいに圧倒されます。

「赤れんが棟」
明治政府は、諸外国との条約改正に先立ち、近代国家としての体
制を整えるため、西洋式の建築を計画。その計画案の策定のため
にドイツの高名な建築家エンデとベックマンを招へい。ベックマン
が来日し、大規模な官庁集中計画案を作成しました。その帰国後、
完成案を持ってエンデが来日し、エンデは、当時の政治状況や反
対者の意見を考慮して、ベックマン案を縮小し、日比谷に諸官庁を
建てる案を作成。急勾配のスレート葺屋根を見せる尖塔部、 交差
ヴォールト様式を取り入れた、通称こうもり天井や法務史料展示室
への階段の照明 (突針) 等、ドイツ・ネオバロック様式で、明治の
近代公共建築を象徴する「赤れんが棟」を完成させます。

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中央部分の5連アーチのあるファサードが特徴で、シャープな華
麗さを感じる建物です。建物の周りは芝生になっていますが、階段
があって下へ降りると広場で休憩も出来る場所のようです。階段を
下る脇にはこの建築にかかわったエンデとベックマンの説明版が
ありました。(下右)

この建物は明治政府が招いたドイツ人建築家ヘルマン ・ エンデと
ヴィルヘルム ・ ベックマンの設計によるもので、司法省庁舎として建
てられました。明治政府は欧米列強にも引けを取らない首都建設の
ため、この一帯に中央官庁を集中する壮大な都市計画。しかし、財
政難もあり、中心人物であった外務大臣井上馨の失脚もあって頓挫。
わずかに実現されたものの1つが、この建物でした。第二次大戦の
東京大空襲でれんが壁を残して焼失しますが、2度の改修を経て
創建時の姿に復元され、往時の壮大な夢の存在を伝えています。

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今回は職員の誘導もなく、自ら中庭の赤れんが棟らせん階段部分
の外側入口から入ります。(上) 扉が閉まるために段ボール箱を
置いているのはご愛敬。(下左) 入口の階段を上がるとホールが
あり、普段では見ることのできない内観や照明装飾などの素晴ら
しいこと。(下右) 凄いなぁと思いながら2~3階へと進みます。

法務史料展示室 ・ メッセージギャラリーは、明治の雰囲気を今に
伝える法務省赤れんが棟の中の復原室 (旧司法大臣官舎大食
堂) と、明治時代から残るれんが壁がある部屋などからなり、「司
法の近代化」 と 「建築の近代化」 に関する史料及び司法制度改
革に関する広報 ・ 啓発資料等を展示しています。法務史料展示
室は、平成7年6 月から一般公開しており、また、平成17 年に展
示室を一部リニューアルし、重要なテーマの展示を行うための
メッセージギャラリーを併設したようです。

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石造りのらせん階段を3 階まで上がります。こちらも見事な階段の
照明 (突針) の素晴らしいこと。窓から指す光と調和して感激です。
(下右) 階段ホールは構造的な困難のほか、明治 ・ 昭和 ・ 平成
の各時代が重なり合う建物の歴史を重視して前代のインテリアを
保全したという。普段では見ることの少ないレトロな空間も、時折、
職員が行き来していて現在も法務省のオフィスとして使用されて
いる様子が分かります。(下左) 霞ヶ関の官庁街の中でひときわ
目立つ赤レンガ棟の建物の内部がこれですから期待が膨らみ
ます。案内板に沿って奥へと進みます。何故か緊張します。(笑)

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この部屋は、司法制度、法務行政への理解を深めていただくため
の重要な広報テーマについての展示。この日は、裁判員制度、陪
審制度についてパネル等で紹介や供述調書、起訴状の他に裁判
官、検察官、弁護士のバッチや検察官が利用する風呂敷も展示
されていました。(下右) 各国の法廷内の様子も模型で展示。

供述調書とは、被疑者や参考人が話した内容をまとめた書面です。
警察官も作成しますが、検察官の作成した供述調書は、用紙の右
端に赤色が配されるようです。起訴状は、検察官がどういう事実に
ついて被告人を裁判にかけるかを明らかにするものです。裁判の
最初に、検察官が読み上げます。多くの検察官は、裁判に出席す
る場合など、事件の記録を持ち運ぶ時に風呂敷を利用し、事件に
よって事件記録が厚くても薄くても包むことができます。不要にな
れば、小さくたたむこともでき便利のようです。検察の紋章である
「五三の桐」 が染め抜いてあります。

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各国の法廷には様々な構造のものがあります。法廷の内部を模型
で紹介していました。正面の法壇の上に座っている人が裁判官に
なります。日本の場合は法廷によって、検察官と弁護人が逆の場
合があるようです。裁判官は事件を審理し、有罪か無罪かを決め、
有罪の場合には刑も決めて判決をします。

「日本の裁判員法廷」  (上左)
裁判官の両脇に裁判員が並びます。裁判官の前に書記官。左側
は検察官、右側が前に被告人、後ろに弁護士が座ります。逆もあっ
たと思います。手前の席が傍聴席です。中央が証人台になります。
「アメリカの陪審法廷」  (上右)
陪審員12名が、裁判官と離れたところの左側に座ります。裁判官の
両脇が証人席で、前に書記官がすわります。陪審員の前が検察官
で、右側が被告人と弁護士が座ります。手前が傍聴席となります。
「フランスの参審法廷」  (下左)
裁判官の両隣が参審員です。左側の前に書記官で、その手前の
ブースの中に被告人が入り、前に弁護士が座ります。右側が検察
官で、手前が傍聴席になります。傍聴席は2階にもあるようです。
「ドイツの参審法廷」  (下右)
裁判官の両隣に参審員で、その両隣に検察官と司法補助官が座
ります。手前の両脇のブースや席や中央のテーブル席も被告人と
弁護士の席になります。裁判官の前が証人席となっています。
手前が報道と傍聴席になっているようです。

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豪華な廊下を辿り、3 階の資料室にやってきました。この部屋には
「接写撮影禁止」 と案内板に書いてあったのですが、受付のお姉
さんに 「部屋を撮影してもいいですか?」 と質問した所、「展示史
料の接写撮影でなければ問題ありません」 とのこと。いや~、聞
いてみるもんですね~。部屋全体を撮ることはOKでした。

「法務史料展示室」
唯一残っていた創建当時に撮影された写真を基に、当時の姿を
復原したものだそうです。かつての旧司法大臣官舎大食堂でした。
華美な装飾こそありませんが法務の威厳を現す質素な彫刻が柱
の上部に視てとれます。天井の白漆喰からは、すずらんを模した
シャンデリアが吊り下がり、8灯の電球がやさしく室内の資料を照
らしています。床は楢と黒檀の寄木張り、壁は漆喰塗りで、腰壁
には欅を使用しているそうです。まるで、明治時代にタイムスリッ
プしたような雰囲気です。

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今回の企画展示で取り上げている史料の多くは、法務省の前身で
ある司法省によって作製された写本です。 これら写本上の美しい
文字を見るにつけ、パソコン入力に慣れてしまった身には尊敬の
念を禁じ得ません。 日本の法伝統を後世に伝えようと、苦労して
写本を作った先人の思いに触れるだけでも価値があります。明治
時代は知識不足の私ですが、見所を職員が分かりやすく説明し
ながら案内してくれたので、史料に出てくる江藤新平、山田顕義
の名前が出てくると、素直に感動します。

「近代法典の編さん」
明治時代における我が国近代化の過程について考えるとき、い
わゆる 「お雇い外国人」 といわれる人々の存在を無視できません。
法典や法制度の近代化に際しても、たくさんのお雇い外国人が
重要な役割を果たしました。司法省がフランス人ボアソナードの
協力を得て草案を作成し、元老院の審議を経て公布された旧刑
法は、近代法の原則を種々盛り込んだ我が国最初の基本法典
です。(下左) また、明治の著名な事件史料、法務省の沿革資
料、法務行政の歴史資料などを併せて展示しています。 ガラス
ケースの展示棚には引き出しがあって、貴重な資料の中に政府
転覆を謀った雲井竜雄の資料を視つけた時には、大政奉還ツ
ーリングで度々取り上げただけに心躍りました。近代化を図る
日本の努力その情熱の一端を感じます。

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「裁判官の法服」
陪審裁判がおこなわれていたころ、裁判官は襟が紫色の法服を、
検事は襟が紅色の法服を、弁護士は白色の法服を着用していま
した。この法服は昭和22年まで使用されていたようです。現在は
全体が黒色の法服を裁判官が着用するのみで、検事、弁護士は
法服を着用しません。実際に法廷で使用していた法服です。

陪審制度は、あまり知られていませんが、戦前、日本にも陪審制度
が存在しました。陪審制度とは、裁判員制度とは異なり、陪審員だ
けで有罪 ・ 無罪を決め、陪審員が有罪と判断した場合に、裁判官
が 「懲役年」 といった刑の内容を決めるものでした。陪審制度は
昭和3年に始まりましたが、昭和18年 「陪臣法の停止に関する法
律」 によって停止されました。この陪審制度についても紹介。

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「メッセージギャラリー」
司法制度、法務行政等への理解を深めていただくため、「司法の
近代化」 と 「建築の近代化」 に関する史料及び司法制度改革に
関する広報 ・ 啓発資料等を展示しています。 法務行政や赤れん
が棟復原改修等に関するビデオもご覧いただけます。 昭和の改
修後の赤れんが棟と平成に復原された赤れんが棟の模型を展示
しており、両方を見比べることができます。 また、赤れんが棟の屋
根の四隅にある飾り金物 (突針) は、実物大のものを身近に見る
ことができます。(上 ・ 左の奥にある飾り金物) 明治初期に近代
国家を目指し整備した法関係資料等も展示されていました。

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「レンガの壁」
日本の近代化を象徴する文化遺産である赤れんが棟の創設に関
する史料や建築技術に関する史料を展示しています。昭和改修、
平成大改修の記録等も展示され、後ろの壁は剥き出しの赤煉瓦で
あることに気が付きます。これは戦災時の壁をそのまま残したもの
で、壁には配管の溝の跡、仕上材の下地を取り付けるための木れ
んが、型枠調整用金物などがみられます。また焦げた跡などが生
生しく刻まれています。レンガ壁の構造がわかるように、あえて露
出させているようです。当時の煉瓦には秘密があり、作土 (さくど)
というものが混ぜられているという。川沿いの砂と粘土が混ざった
部分を入れると煉瓦の収縮量が減りしまるようです。地震のエネル
ギーを吸収する役割ができ、関東大震災にも耐えることができた。

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「バルコニー」
解説員の説明を一通り聞いた後、最後に案内されたのがここバル
コニー。展示室から外のバルコニーに出られるようになっています。
正面、木立の先は国道1号線を挟んで向かいは皇居。中央の白い
建物は桜田門です。(上) 椅子が備えられていて、バルコニーから
の眺めはなかなか気分が良い。余談だが、このあたりは幕末まで
米沢藩上杉家の江戸屋敷があったところ。米沢藩といえば上杉景
勝が初代藩主であり、NHK大河ドラマ 「天地人」 の主人公、直江
兼続の活躍を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
暫し寛いで、遠き幕末の昔へと思いを馳せました。

【おまけ】
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「桜田門 (渡櫓門)」 (上)   「外桜田門 (高麗門)」 (下)
警視庁の向かいにあるこの門は桜田門と呼ばれますが、正式には
外桜田門といい、本丸に近い内桜田門に対してこの名が付けられ
ました。古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来します。外側
の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、外桝形という防御
性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました。
「内桜田門」 は、「桔梗門」 とも呼ばれており、単に 「桜田門」 とい
う場合にはこの門を指します。(上)

「桜田門外の変」
安政7年 (1860) 3月3日、その日は 「桃の節句」 の祝賀のために、
大名が揃って江戸城へ登城する日でした。「桜田門外の変」 は、江戸
城の入り口となる桜田門のすぐ近くの場所で起こった事件です。将軍
継嗣問題や朝廷の許可も得ぬまま、不平等条約とされた日米修好通
商条約を結び、「安政の大獄」 で吉田松陰ら尊王派を弾圧、水戸藩
の家老までも処刑。強圧的な政策をとり続ける江戸幕府の大老 ・ 井
伊直弼への不満から、水戸・薩摩の浪士が井伊直弼の登城を狙って
襲撃、井伊直弼は暗殺されます。この桜田門外の変からわずか7年
後に大政奉還が行われ、さらに2年後明治天皇が江戸城に入った
ことからも、この事件が与えたショックの大きさが伺えます。日本の
政局が一転したといっても過言ではなく、現在の総理大臣的存在
の大老が暗殺されたという大事件です。

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検察庁など、法務省系の近代的な建物が並ぶ中で、異色の洋風
レンガ建築の法務省旧本館 (赤れんが棟)。ここでは法務総合研
究所 ・ 法務図書館として使用されています。実際の業務は中庭
から続く高層ビルで行われているようです。平日でもこの資料展
示室の窓からしか眺められない中庭も見られて満足でした。

法務省と聞くと、近寄りがたい気難しい方を想像しますが、どうして
入口から受付、解説員といい、皆さん腰が低くて丁寧に説明をして
くれる姿に感銘をうけました。頭もかなり良いことは確かです。(笑)
近代国家としての飛翔を期する日本という国家の意気込みと、
それを正面から受け止め、我が国の司法制度の基盤形成に大きく
貢献した先人に敬意を評したい。この後、皇居 ・ 桜田門へ散歩。





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