一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





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「目標を達成する覚悟」

...2018/10/07 09:45...

10月 (神無月)
夏が過ぎ、あっという間に10月を迎えました。
10月を英語では、October (オクトーバー) と
いいますが、これに似た英単語を知っていますか?
Octopus (オクトパス)、日本語では 『タコ』 のことです。
この二つに共通する部分は “ oct ” これはヨーロッパで昔、
使われていた 「ラテン語」 という言語で 『8』 を表す言葉です。
Octopus は8本の足という意味で、タコを示します。
イメージしやすいですね。

では、なぜ October が8月ではなく10月なのでしょうか。
そもそも10月=October はローマの暦に由来します。
ローマの暦には1月、2月がなく、現在でいう3月が
1年の始まりだったのです。3月から数えていくと
10月は8番目、それで 「8番目の月」 = “ October ”
とあらわすようになりました。

同じように9月は 「7番目の月」= “ September ”、
11月 は「9番目の月」 = “ November ”
12月は 「10番目の月」 = “ December ” と表します。
ちなみに 「~番目の月」 という名称がついているのは
9月~12月で、1~8月は神様の名前や皇帝の
名前などが由来となっています。

「1年が3月から始まる」 というとですか、
しっくりこないかもしれませんが、日本でも
学校などの新学年は4月から始まりますよね。
似たような感覚と思ってください。

また、1年が3月から始まるからこそ、
2月だけほかの月に比べて短いことや、
閏年には2月に1日加えることも納得できますね。

“ October ” という単語ひとつでも、いろいろと
知識は広がります。知識を広げることで、そこにまた
新しい発見が生まれてきます。当たり前のことや、
何気ないものを掘り下げることにより知識は広がります。
勉強の秋、これまで以上に深い勉強をし、
知識を広げていきましょう。

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「目標を達成する覚悟」

十里の旅の第一歩。
百里の旅の第一歩。同じ一歩でも覚悟が違う。
どこまで行く積もりか目標がその日その日を支配する。

この言葉,まさにその通りだとは思いませんか?
この言葉は、横浜高校野球部の監督として何度も同校を
全国大会に導き、今はプロで活躍している松坂投手をはじめ、
多くのプロ野球選手を育てた監督の座右の銘なのだという。
松坂投手自身もその影響を受けて、自らの座右の銘にして
いるほどのようです。座右の銘は、自分の人生を狂わさない、
言わば羅針盤の役割も果たしてくれます。何かあったときに
思い返すだけで力が出てきます。

先日、近所の飲み屋で幼馴染と飲んでいたら、
近所の少年野球の監督さんと遭遇。一緒に飲んでいて
貴重な話が聞けた。この言葉の持つ意味は深いものがあり、
私も感銘をうけました。

目標や夢に置き換えて考えてみました。
簡単に達成できるものよりも、さらに険しく高い
目標を設定して、その実現にむけた一歩を踏みだす。
人間、気持ちの持ち方一つで全てが変わります。
強い気持ちを持つ! という動作が大切なのです。
諦めたその瞬間ゲームオーバーなのです。
全てが終了してしまいます。

高い目標を達成するまでには、非常に苦しくなる時期が
必ずあります。スランプに陥ってみたり、思いもしない
妨げがあったり。そういったものに出くわした時は、決して
ひるまず、目標達成というゴールへ向けて着実に進んで
いる自分が、今そこにはいるのだということを自覚する。
そう考えるだけでも力が湧きますよね!

少年野球の監督さんが体験を例に話してくださった。、
高校生の時、河川敷で行われる校内耐寒マラソンで10 kmを
走った時のこと。自分の持ちタイムで走りきろうと思えば決して
きつくはありません。10 kmといっても最初は流れに乗っていく
ので楽ですが、道中のポイントポイントでペースが上がると脱落組
がでてきます。ここで一踏ん張りするかどうかで全てが決まります。
7 km地点を越えたあたりから9 kmまでがヤマになります。
ついていくだけで精一杯の状況なので一番苦しい時です。
とにかく遅れはとらないということと、ただただ呼吸を整える
ことだけを考えていたという。

しかし、不思議なもので、あと1kmの看板が見えると
今度は順位を意識しだします。前を1人ずつ抜いて1つでも
順位をあげていくぞと気合をいれ、今まで一歩一歩歯を食い
しばって走っていたのに、何故か足も軽くなりラストスパートを
決める自分がそこにはいました。監督自身、短距離が得意
だったので出来たのかもしれませんが、あの時の快感は
いまも忘れることができないと話す。日頃の練習の成果が
一番大切な時にだせたことは自信にもつながったようです。

私たちの日頃の取り組み方も一緒なんですね。
目の前の行動も大切ですが、その先にある大きな目標
(自分の将来の夢) を実現させるためには何をするべき
なのかを、いい機会なので今一度考え直してみたいものです。
十里の旅ではダメですよ! 百里の旅の第一歩を踏みだす
覚悟を決めて、日々の行動を起こしていきましょう!

私たちの持つ将来の大きな目標を実現させるために、
全ての行動の一つ一つがその日その日を支配する
ものであって欲しいです。「人生を変えたい」 「夢を実現
したい」 と思う人は多い。しかし、一体どれだけの人が
その実現に向け努力しているだろうか。どんな戦いでも
相手に覚悟があれば、覚悟のない人間は負けるのです。

これはビジネスでも同様です。
大きな挑戦をするとき、成功する人は必ず覚悟を
もって取り組むという。その覚悟の差が、考えるチカラ
や努力へと姿を変えて結果につながるのだろう。
だから、成功する人は覚悟のないケンカはしない。
成功する人は、覚悟の大切さを知っているのです。


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  「氷川祭」  赤坂・氷川神社 2018

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所要で赤坂に出掛けたら、街中が半纏姿の人の多いこと。何かの
イベント? と思いきや、赤坂 ・ 氷川神社のお祭りのようでした。
神輿だけなら素通りするところでしたが、山車が出るようなのです。
早々に用事を済ませて、山車の後を追いかけました。(笑) 
 祭の太鼓が テンテケテンと 鳴っちっち 
    みんな浮き浮き 踊るのに・・・・・

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赤坂サカスには、氷川神社を出発した山車が2其待機していて、
法被姿の人が大勢詰めかけていました。(下左) また脇の道路
には町会神輿も多数待機しています。(下右) この後、 駐輿式
を執り行い、町会神輿は地域を巡行し、山車は一ツ木通りから
青山通りを経て国際医療福祉大学へ進むようです。この大学の
エントランスに一時、宮神輿が搬入されいるためのようです。

「赤坂サカス」 (上)
赤坂TBS放送センターの玄関口に広がる 「Sacas広場」、ライブハウ
ス 「赤坂BLITZ」 や 「赤坂ACTシアター」 を備えるエンターテインメ
ントエリアで、2008年に誕生した港区赤坂の複合施設です。演劇、
音楽、イベント、そしてショッピングにグルメ、魅力あふれる場所です。
赤坂サカスをローマ字表記 「Akasaka Sacas」 にして右から読むと
「SACA ・ SAKA ・ SAKA」 = 「坂 ・ 坂 ・ 坂」 になることなど、赤坂
という土地の持つ、「和」 のイメージを重視してつけられたようです。

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境内に入ると凛とした雰囲気が漂い、心が鎮まります。六本木と赤
坂の中間に位置する閑静な住宅街にあり、周囲の喧騒から遮断
されたように厳かな雰囲気に溢れる。この神社は参拝後に心身共
に身の引き締まる思いにさせてくれます。コンクリートの神社が多い、
東京都心にあって昔ながらの木造のお宮です。すでに山車も宵宮
巡行のため搬出され、閑散としていますが夜の方が賑わいます。

「赤坂 ・ 氷川神社」
氷川神社は951年に現在の赤坂四丁目のあたりに創建されました。
享保15年 (1730)、江戸時代に徳川八代将軍 ・ 徳川吉宗の命で
造営された由緒ある神社です。倹約政策を進めた吉宗らしく、華美
な彫刻はなく、質実で簡素な江戸当時の姿のまま現存する社殿です。
ご祭神は素盞嗚尊 (すさのおのみこと)、奇稲田姫命 (くしいなだひ
めのみこと)、大己貴命 (おおなむぢのみこと) の3祭神です。ご祭
神の素盞嗚尊がヤマタノオロチのいけにえになりそうだった奇稲田
姫命の為、ヤマタノオロチを退治し、結ばれたことから良縁・縁結び、
厄除け、商売繁盛のご利益があります。御祭神も素盞嗚尊ですの
で、他力本願ではなく一 生懸命努力している人に、ご利益を与え
てくれるという、私が女性だとしたら絶対に行くと思います。 (笑)

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「四合 (しあわせ) 稲荷神社」 (上) 「西行 (さいぎょう) 稲荷神社」
(下左)  「布袋尊像 (ほていそんぞう)」 (下右)

氷川坂側の参道を進むと立派な2 匹の狛犬が迎えてくれます。
鳥居をくぐって階段を登ると赤坂・氷川神社社殿へと続きますが、
手前の右手に 「四合稲荷神社」 が鎮座しています。稲荷四社を
合祀し、坂に住んでいた幕末に活躍した勝海舟によって、 「四合
稲荷」 と命名されたようです。「四合」 が「しあわせ」 と読み、一度
お参りすると4倍の効果があるそうです。左側には 「西行稲荷神社」
があります。こちらは火伏の稲荷 とも呼ばれ、火難除けのご利益が
あるとされています。西行稲荷神社には 「布袋尊像 (ほていそんぞ
う)」 がいました。布袋尊像は心身 が健康になるご利益があります
ので、しっかりお願いしておきました。独特の雰囲気が感じられます。

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境内の構成は当時からほとんど変わっておらず、江戸時代の氷川
神社を散策している気分になれます。石畳を踏みつつ、古い 木々
に囲まれた境内を散策すると、“ ここはほんとうに赤坂なの ” と思
えてくるほどで、境内の静謐さはいまも多くの人が感じる場所です。

「石灯篭」 (上左) 門の内外に立つ2 対4 基の石燈籠です。門外
の2 基は、遷座の年に岡崎城主老中水野忠之が奉納したものです。
「大イチョウ木」 (上右) 赤坂氷川神社が建立される以前から存在
し、推定樹齢約400 年の巨樹で、赤穂事件のあった当時からずー
っとこの場所で静かに歴史を見つめていたのかもしれません。
「力石」 (下左) 力石とは江戸時代、村や町などで力比べをする際
にこれを持ち上げて競ったもの。境内の一の鳥居 (南側) をくぐって
左手奥。この石には 「三十五貫 (約130キロ)」 と刻まれています。
「包丁の碑」 (下右)  境内には料理人たちの包丁供養のための
「包丁塚」 がありました。赤坂の老舗料亭をはじめ、多くの飲食店を
支えてきた包丁への感謝の気持ちがわかります。

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今からおよそ315年前、お江戸で仇討ち事件がありました。
播州赤穂浅野家の浪士四十七名が吉良上野介の屋敷に討ち入り、
その首級を挙げたというおなじみ 「忠臣蔵」 のお話です。

「浅野土佐守邸跡」 (上)
現在、氷川神社がある場所は元禄の頃、備後三次藩浅野家の下屋
敷があり、浅野内匠頭の夫人瑤泉院の実家でした。 元禄十四年に
浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介を切る赤穂事件が起きます。
浅野家が取り潰しされた後、瑤泉院は死去するまでここで暮らした
といいます。三次浅野藩はその後、後継者が早世して断絶となり、
8代将軍吉宗がこの場所に 氷川神社を造るのです。江戸幕府も
いろいろ考えたのでしょうかねえ。
「南部坂」  (下) 
南部坂の上から下を見たものです。(下左) 南部坂の登り口にある
石碑。(下右) この坂沿いに、アメリカ大使館宿舎が広がっています。
南部坂の東側が溜池まで、江戸時代には福岡藩黒田家の中屋敷で
した。勝海舟の蘭学の先生であった永井青崖が、このお屋敷で蘭学
を教えていました。南部坂と言えば、大石内蔵助が討ち入りの直前、
浅野内匠頭の未亡人を訪ねた帰りに下った 「南部坂・雪の別れ」 の
名場面になった坂です。「南部坂」 も氷川神社のすぐ近くにあります。

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「駐輿式」
鳶頭衆の木遣り唄が響き渡るサカス広場では、沢山の人が集まり、
周りを取り囲んだ広場で駐輿式が行われ巡行する人達も勢ぞろい。
山車二本も待機です。(上) その中でひときわ目立ったのが赤坂
の芸者衆達です。(下左) 芸者衆の艶姿に皆さんレンズを向けて
お気に入りの一枚に夢中でした。赤坂の土地ならではの祭りです。
江戸の心意気が生きています。一日多くの人が担ぎ、住む町を渡
御される宮神輿は、この場所には見当たりません。何処に? 神霊
が宿った神体や依り代などを神輿に移して、氏子地 域内に御幸し
たり、渡御したりするのは、神輿や鳳輦の登場する 祭礼のほとん
どは、神幸祭の一種のようですが。

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赤坂氷川神社の宮神輿は江戸時代、2基所有していたそうですが、
1基は譲渡、もう1基は東京大空襲により焼失していたため、「神輿
舞い、山車が往く」 という宮神輿と江戸型山車が連合巡行する氷
川祭ならではの江戸の祭礼を再現すべく、新調されたようです。

「宮神輿」
祭礼の象徴の一つであった氷川神社の 「宮神輿」 は、現社殿を
造営した徳川吉宗公が、八代将軍に就任して三百年という慶祝の
年に向け、山車 「猿」 の修復と共に進めてきたのが 「宮神輿」 の
新調でした。焼失した宮神輿は台輪寸法五尺、重量1.5トンあり、
人が担げる大きさではないため、牛で曳いて巡行していたという。
その神輿をそのまま復元したのでは、この時代地域に即さない為、
人が担げる大きさである台輪寸法四尺、重量1トン超で製作をして、
このほど2年間を要し復元され、「氷川祭」 でお披露目されました。

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「山車」 とは、
祭礼の際、山 ・ 鉾 ・ 人形 ・ 花などを飾り付け、牛で曳いたり、人
が担ぐ屋台で、一本、二本と数え、山車の語源は、平安時代、大
嘗祭の際に曳かれた標山 (しるしやま) に由来し、神様の依り代
や、山車の中心にあった鉾の上につけられた 「出し」 という竹の
編み残された部分の名称に由来すると言われます。山車も神輿
同様、単なるお祭りの道具でなく、神聖な神様の乗り物なのです。

当祭礼の山車は、江戸型山車の中で最も知られる鉾台型山車で、
二輪車の上に三層の構造物があります。この三層部分の最上部は、
人形の部分であり、次の層は飾り幕に取り囲まれた枠で、人形は二
層目の枠内を上下できるように造られています。更に人形 ・ 飾り幕
の部分は折畳まれた状態で、最下部の部分から人形が 「せり出す」
という、二段上下可変式のカラクリ (機構) をもつもので、二段の台
の上に人形が座るようになっています。これは将軍の上覧に供する
ために江戸城の門を入るときの工夫である と言われます。つまり、
城門をくぐるとき、人形をからくりで下げ、 城門をくぐったあとで人
形をせり出し、将軍に上覧頂く構造に なっているんだそうです。

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「日本武尊」  (現赤坂六 ・ 七丁目町会)
様々な地域の山車に日本武尊の人形は多く見られますが、この熊
襲退治の女装の尊は珍しいようです。確かに見た限りでは被衣を
冠った牛若丸と見間違えるほどです。(下) 視線も面白いです。
嘉永6年 (1859) の作といわれています。飾り幕は、割模様、一
面ごとに図柄がおさまっています。上幕は、猩々緋枠内緑地雲竜
縫取玉眼入り。下幕は猩々緋牡丹に獅子、左下部に新町四丁目
五丁目 (旧町名) の縫取りがあります。

「日本書紀の日本武尊物語」
南九州の大隅辺りに勢力を持ち、朝廷に反目する熊襲 (くまそ) 族
を従わせるため、景行天皇は皇子ヤマトノオグナを遣わした。ヤマト
ノオグナは、女装しクマソタケル兄弟の宴会に紛れ込み、酔いがま
わってきたところを隠し持った剣で倒した際に、「自分は熊襲の中で
一番強く、自分に従わない者は1 人もいない。それなのに、 大倭国
にはわしらに優って強い男が居られたとは・・・。わしはあなたに御名
を奉りたい。日本最強の勇士を意味する 「ヤマトタケル」 の名を献上
されたという神話で有名。 後に 「ヤマトタケルノミコト」 と命名する。

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「源頼義」  (現伝馬町町会)
赤坂氷川山車では他には見られない唯一、鎧兜に身を固めて太
刀を佩き、強弓を持った凛々しくもきらびやかな姿です。製作者は
五月人形の名手、松雲斎こと古川徳山、弘化3年 (1846) に作
られ、明治38年 (1905) に久月によって修復されたといわれて
います。飾り幕は、朱の一枚の幕で、四面が孤立することなく岩と
波とが刺繍され、続き模様となっています。波は金糸の刺繍、岩
は黒糸の刺繍です。絵馬によると三層もある高い山車でした。

源頼義は八幡太郎義家の父親で、陸奥の安倍氏を討ち東国に源
氏の地歩を固めた武将です。平安時代の中頃、「安倍氏」 という豪
族が、岩手で勢力を広げていました。この力を恐れた朝廷は、武士
である源頼義を陸奥守として派遣し、戦争を始めます。源頼義は苦
戦しましたが、ついに安倍氏を滅ぼしました。安倍頼時の娘の夫で
ある藤原経清も源頼義によって殺されます。しかしその後、頼時の
娘は息子を連れて清原家の息子武貞と再婚することになります。
その息子こそが、のちの 「藤原清衡」 です。約百年間にわたる
「奥州平泉」 の歴史はここから始まります。東国との深い関係や
徳川将軍の遠祖だということで、頼義の人形が飾られたのかも。

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高層オフィスビル、大使館、高級料亭の他、赤坂サカスや東京ミッ
ドタウンやアークヒルズがある街。赤坂って、都会的で洗練された
大人の街って感じがしますよね。そんな赤坂で、千年以上の歴史
がある神社のお祭りが行われているのです。

赤坂氷川祭は、東京都港区赤坂にある赤坂氷川神社で毎年9月
に開催されているお祭りです。日本の伝統的な文化や江戸の粋
を感じられるということで、毎年3万人以上もの人が訪れる人気の
お祭りなんですよ。そんな赤坂氷川祭。かつての江戸では、日枝
神社の山王祭、神田明神の神田祭に次ぐ規模のお祭りだったん
ですよ。 江戸から伝わる貴重な文化遺産の氷川山車赤坂氷川
神社の宮神輿、赤坂の各町会の町会神輿が、赤坂の街を一緒
に練り歩くのが見どころです。

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都会の喧騒を忘れられる静寂な緑に包まれた環境の中、赤坂サ
カスで駐輿式を執り行なった後は、一ツ木通方面に向かい、氷川
神社への宮入り を17 時に予定して、巡行が再び行なわれます。

先導役の 「猿田彦 (天狗)」 (上)
東京各地の祭りでは、ほとんどどこでも猿田彦が登場して、神幸祭
の行列を先導します。今日でいう、高い赤鼻で赤ら顔で山伏のよう
な装束、一本歯の高下駄を履き、葉団扇を持ち、空を自在に飛び、
古事記の神話の中に登場する天孫降臨の際に 「天照大神」 の命
を受けて道案内をしたという猿田彦大神様です。渡御行列の先頭
にいる天狗は、猿田彦神のことです。道案内をしているのです。
「四神旗」 (下)  
四神を描いた4 本の旗で、四神は天の四方をつかさどる神で、
東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を表します。昔、朝廷
で元旦朝賀、即位礼などの折りに威儀をととのえるため、大極殿
または紫宸殿の庭に、四神を描いた四つの仗旗が立てられます。
これを四神旗といいます。羅紗地に金銀糸で縫いとりした見事な
四神の旗です。

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鎮守の神様が、行く先々の邪気を払いながら、旗や武具などを
前後に従え、古式にのっとり威儀を正して進みます。

「五色絹」  (上左)
神社の拝殿に上りますと、五色の布が目に付くと思います。御神前
の威儀具として設けられる真榊や、五色旗などさまざまなものに用
いられています。 吹き流しの五色の絹は、天地万物を組成してい
る 「青、赤、白、黒」 となり、黄色はありません。 それは天子の色で
臣下が使えないからです。方位では 「東西南北」 を示します。大相
撲で土俵の四隅にかかっている房も、青、赤、白、黒で、四神を表し
ています。黄色は中心の土俵の色になって神聖な場所のようです。
「神社神職 ・ 総代」  (上右)
「神職」 は神社の維持、運営に関わり、「総代」 は神社の氏子を代
表し、氏子や崇敬者に対して便宜をはかる神社の世話人的な役の
ようです。神社を維持、発展させていく上で欠くことのできない重要
な役割を担っているので、お祭りには欠かせない方たちです。
「巫女」  (下)
広くは神に仕える女性の意で、巫女さんは白衣に緋袴 (赤い袴)
を着ています。お祭りの時など舞を舞って、神さまにご覧いただく
ときには、千早を着て、花簪を頭に付けます。手には、五色絹が
ついた鉾先舞鈴 ・ 神楽鈴、また桧扇や舞扇を持ちます。未婚の
女性で、神社に奉仕するも舞姫と同じく正式には神職ではない。

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「手古舞」  (上)
「手古舞」 は、江戸の祭礼で山車を警護した鳶職のことですが、
現在一般には、巡行隊列や催し物で練り歩く役割をします。衣装
は、刺繍をした襦袢の上に、揃いの着付けを片肌脱ぎにして襦
袢を見せ、たっつけ袴をはき、花笠を背中に背負い右手に金棒。
国際医療福祉大学の女子学生らが、神輿や山車の警固・先駆
の役割を演じて参加していました。可愛かったス。
「赤坂芸者衆」  (下左)
都内を代表する花街 「赤坂」。その主役の芸妓衆たちも参加して
華を添えていました。赤坂芸者と聞くといつも思い出すのが、「花
で言うなら、新橋が菖蒲、柳橋が水仙で、赤坂は牡丹」。大正時
代の赤坂芸者が残した言葉です。「政治の奥座敷」、「政治は赤
坂で決まる」 とまでいわれていました。時代は移り変わり、現在
赤坂組合に加盟する料亭は6軒、芸者衆は25名のみのようです。
「高張提灯」  (下右)
高張提灯は大型の棗形の提灯で、長竿の先につけ、提灯には定
紋や屋号などを書き、もっぱら目印として利用されていました。現
代では町内会などを銘打たれの提灯を持ち、巡礼の行事に練り
歩くようです。

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江戸型山車二本が、夕刻より宮神輿が氏子地域を巡行します。
江戸時代の赤坂氷川祭は、神輿とともにこの江戸型山車が両輪で
巡行することが原型でした。江戸の祭礼の中心であった江戸型山
車の巡行を都心で今もってできるのは、地域の特徴でもあります。

「金棒 (かなぼう)」 (下右)
祭礼行列や山車の先頭に立ち、金棒(鉄棒)で渡御の道の路面を
突いて鳴らして、地下に潜む邪気を追い払い、神祭が通る巡行路
を清める役割をはたします。金棒から 「願えば “かな”う」 とされ、
合格祈願などの願掛けの神さまとしても崇敬を集めてきました。
金棒で頭をたたいてもらうと、子供たちは 「健康にすくすく育ち」、
大人は 「除災招福」 が訪れると言われています。金棒を見つけ
たら近づいてみてください! (笑)

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山王日枝神社と神田明神の祭礼 (天下祭) には、江戸城 の門を
潜る際のからくりを持つ 「江戸型山車」 の巡行でした。昔の赤坂
氷川神社祭礼は、神社の宮神輿を氏子二十一ケ町の山車十三
本が警固の形をとって神領内を巡行していたようです。この山車
の巡行は、明治末から大正初期まで続けられたといわれてます。 
その後、『天下祭』 『御用祭』 の廃絶、関東大震災、戦災の災禍、
電灯線の架設により、都内の山車が消えたいったとき、氷川神
社の祭礼も同じくして町神輿中心の巡行となっていったそうです。
都内からほとんど姿を消していった山車が、氷川神社には完全
な形ではありませんが、九本も現存しています。 山車人形には、
(翁、日本武尊、猩々、神武天皇、恵比寿、源頼義、猿、翁二人
立、源頼朝)、毎年異なった人形が使用されます。

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「国際医療福祉大学 ・ 赤坂キャンパス」 の正面玄関には赤坂氷
川神社から宮神輿が搬入され、御旅所祓い斎行後、丸1日展示さ
れていたようです。宮神輿が赤坂氷川神社以外に置かれるのは異
例のことです。大学の位置する場所は、もともと赤坂氷川神社が創
始された場所であることから、御旅所として宮神輿を駐輿すること
になったそうです。今後、年に1度の祭礼の時だけでなく、年間を
通じて 「江戸型山車」 が見られるよう 「常設展示」 にするようです。
氷川神社まで渡御する儀式が行われていました。(下右)

「国際医療福祉大学 ・ 赤坂キャンパス」
もともとは 「大岡越前守」 のお屋敷があったところで、そこを地元の
有志の方々の手で学校が開校され、赤坂小学校になったそうです。
1992年に檜町小学校に統合され閉校。跡地に国際医療福祉大
学が開校。こちらの国際医療福祉大学グループは、港区内に、国
際医療福祉大学三田病院、山王病院、グループホーム青山、医
療福祉総合研究所などなど展開しています。勉強する気になり
そうな「教室」がたくさんありました。(笑)

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宮神輿は国際医療福祉大学を発輿され、赤坂周辺の氏子地域を
渡御し、赤坂氷川神社に宮入りされます。神幸祭、宮御輿が氏子
町会によって担がれます。町会グループ からまた次の町会グル
ープへ、氷川様への崇敬と赤坂を想う心を繋ぎます。粋で鯔背な
江戸っ子のカッコ良いところを祭りで発揮継承してくれています。
神輿の周りは凄い人だかりです。

神社で御輿を用いるのは、祭礼にあたっての神幸祭のときです。
神幸とは、神体が本社から氏子町内に渡御することをいい、氏子
たちが神輿をかついで各地区を練り歩き、 そうすることで神に各
地区をご覧いただくのです。神幸の途中、神輿を上下左右に激
しき振り動かしたりして、わざと荒々しく扱うことがあります。これ
が神輿に坐す神の 「魂振り」 で、これにより神の霊威を高め、
豊作や豊漁、疫病の退散がなると信仰されているのです。

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氏子24町会地域の町神輿15基も繰り出され、氷川神社を発興し、
赤坂の街を盛大に練り歩きます。その後ろから観客もゾロゾロとつ
いて行きます。日枝神社の山王祭もさることながら、最近とみに熱
いのが氷川神社の例大祭。清祓式に始まり、宵宮巡行、神幸祭と
9月の約1週間、街はまつりの熱気に包まれます。

元々氷川神社の場所には、浅野内匠頭の奥さんである、遙泉院の
実家があったとのことで、大石内蔵助が討ち入り前には訪れたこと。
また、幕末には勝海舟も近くに住んでいたとのことですので、大石
内蔵助や勝海舟もこの辺りを歩いたんだろうな~と思うと・・・・ロマ
ンがありますね。彼等が歩いた時には、ここはどんな景色だったの
だろうと想いを馳せてみたり。今も江戸情緒を残す人情味厚い街。
そして、まつり好きなお土地柄。赤坂の夜は更けて往きます。

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町会の神輿は、宮神輿にくらべて小ぶりで見劣りますが、粋のいい
のが赤坂っ子。しかし、浅草の三社祭の女神輿に比べたらお淑や
かです。その変わり、色っぽさには自信があるようです。(笑)

そもそも 「祭り」 という語は、何を意味していたのでしょうか?
その語源については、「神さまに仕えマツル」 の 「マツル」 である
とか、同じ祖神を同胞が 「マツリアウ」 からであるとか、「神さまの
訪れをマツ」 の 「マツ」 という語が関わっているなど諸説あります。
いずれにしても、お祭り (祭祀) とは神さまをお招きして饗応 (き
ょうおう) のご接待をすることをいい、それは神さまと人との交流の
機会でもありました。かつては、神さまに奉仕することが主であっ
たお祭りが、やがて神さまに祈願をするようになり、そして願いが
叶うと感謝の気持ちを表すお祭りを行うようになりました。 こうして
祈願と感謝のお祭りは、絶えることなく繰り返し続けられてきて、
今日に至っているのです。

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地域の人たちの熱い想いで日本の伝統文化を復活させた 「赤坂
神社 ・ 氷川祭」。貴重な文化遺産である氷川山車を間近に見た
り、神輿と氷川山車との連合巡行を楽しんだり、美味しい屋台を
楽しんだり。この後僕たちは、飲食店が多く並んでいたエリアに
向かいました。途中、ドラマ 「相棒」 に登場する小料理屋 「花の
里」 のロケ地が通り道にありましたので、一通り楽しみます。(笑) 
そして、近くにあった焼肉ランチの看板につられてお店へ。千円
でけっこうな肉の量の、お得感のある焼肉ランチを食べました。
ついついビールも飲んでしまいました・・・・。焼肉ランチに満足
し、続いてはほろ酔いで夜の赤坂に向かいました。うふ





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