一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「元気の素は挑戦」

...2018/04/15 09:12...

毎年この時期は、「1年生になったら」
「新入社員の意気込み」 と、先栄あるムードに
思わず晴れやかになり、この時期に桜花が祝う
かのごとく、タイミングよく咲いてくれたでしょうか。
4月に入り、新入社員、新一年生として新生活を
始めた方も多いのではないでしょうか? 
なんだか私達もフレッシュな気分になります。

さて、ぽかぽか陽気で、のどかな春の日。
信号待ちをしていたら、新入生と思しきお子さんと
母親が、さほど長くもない横断歩道を、お子さまの
手を取ってさっさと渡って行った。信号が赤なのに。
確かに短い横断歩道は、待つのが面倒と思う気持ち
はわかります。けれど、これから社会のルールを
学ぶべき子どもが一緒なのだから・・・・。

「お母さん、まず先生が真っすぐ歩いてよ。
それを見てするから」。イソップ寓話の 「カニと母親」
にある 「斜めに歩いちゃだめよ」 と、カニの母親が
注意すると、子カニがこう返したという短いお話。
教える方が真っすぐに生き、歩く。そして、その時に
そのことを教えるのが大切なのだという教訓です。
イソップのカニさんもびっくりしていることだろう。
最近、大人の方を教えないとだめなんですね。

そして、新入社員の方は、何かと緊張したり、
初体験が多く、苦労の多いことだろうと思います。
高村光太郎の詩 「道程」 の中の “僕の前に、道はない。
僕の後ろに、道はできる。”  というのがあります。
新入社員の方は、焦らず、ゆっくり、でも確実に
ことを進めて頑張ってほしいですね。
身体にも、心にもやさしい生活ができますように!


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「元気の素は挑戦」

来日する外国の方が坐禅をしたいという。
友人から、どこか場所を知っているか? 
と相談された。最近、観光より禅等の実体験をしてみたい
人が多くなったようだ。今はどこも予約で満杯らしい。
上司に相談したら、知り合いの住職を紹介してくれた。

坐禅なんて職場の研修で一度体験したくらいだ。
坐禅をすることで精神を統一し、自分と向き合う時間を
設けると、心の中に変化が生まれてきます。集中力が
鍛えられる、心が落ち着く、ストレスの解消などと言われ、
精神面に非常にプラスの影響を与えます。坐禅をする
ことにより自我を捨て、無の境地を目指すことは、心を
リラックスさせる方法として体験者が増えているのだろうか。

お願いに訪れたら、特別に許可を頂いた。
住職の 「ご一緒にどうですか?」 とのご厚意に甘えて
私も体験することにした。背筋を伸ばし、禅堂内はシ~ン
と静まりかえる部屋で、息を整える。あまりにもの静けさに
呼吸することさえ憚れる思いだった。なれない姿勢で
いるだけに相当苦しかった。

警策を持った僧が近づいてきたので、叩かれるかと
思ったら、人生がねじれているせいか、姿勢もねじれて
いたみたいで、ちょっと左に傾いていたのを直すよう
促された。一般の人を警策で叩くことはないようだ。
それでも、じっと座るっていうのは、結構な苦痛だった。
姿勢の貧弱さに戸惑ったが、心の安らぎを得た。

さて、終わってから住職の法話があった。
話の中で、男時 (おどき)、女時 (めどき) という言葉が
よく出てきた。「人生には良い時、悪い時もあるという意味
ですね」 と、伺ったら 「そうです。長い人生の中には、必ず
そういうことが起きます。で、男時の時は、天狗になっては
いけないんです。そして女時の時は、ぐっと耐える。
仏教の言葉で忍辱 (にんにく) と言いますが、耐え偲ぶんです。
そうすれば、また男時が巡ってきます。」 「これは、会社の
経営者の方々にお話しするときなどにも、よくする話でが、
普段の仕事や家庭でも、そういうことはあるでしょう。」
と、話された。

能楽を大成させた世阿弥 (ぜあみ) は、
物事には時流によって優勢 ・ 劣勢が必ずある。これを
「男時 (おどき)」、「女時 (めどき)」 という言葉で表現し、
その弟子たちに残しています。世阿弥は晩年、佐渡に
流され亡くなるまで、能のことを考え悩み続けたという。

「凡人には、社会復帰も絶たれているのに、なぜ、
そこまで考え悩むのか? 考えて、どうなるのという気が
しますが・・・・」、と知人は応えた。すると 「今の人は、
すぐに 『それが何になるの?』 って言うでしょう。
世の中、そんなに有償のことばかりではないんです。
大体は、無償なんです。」 と答えた。

人を好きになるんだって無償の行為でしょう。
例えば小説を書いても認められない。何度でも書いて、
それでも認められなくても、本人が書きたいんだったら、
それでいいじゃないですか。周りがとやかく言うことじゃない。
努力や勉強は、命ある限り果てがないものです。
写経だってそうです。「書いたら、何かいいことありますか?」
って若い人で聞く人がいます。それを期待してやってないですよ。
だけど、自分が望まないとき、不思議にいいことが起こったりします。
そういうものです。有償を期待せず、挑戦し続けるのが人生です。

しかし、年を取ってくると、新しいことを始めるのにも、
おっくうにもなります。人は知らないものに向かって
挑戦している時は、心も体も若くいられるんです。
年を言い訳にしたら、その通りの戸籍年齢になる。
精神年齢は違うんです。自分の年齢は自分で作って
いくつもりで頑張りなさい。

いい泉は、くめば尽きないものです。
でも、くもうとしなければ、水はわかないかもせれません。
自分で自分の年齢、戸籍年齢を言って、もう、おれは年だから
って思ったら、その瞬間、その通りの年になって衰えてしまう。
やりたいことを、いくつになっても見つけてチャレンジして
いけばいい。一から勉強。新しく知ることで新しい世界が
開けてくるもんです。そして、そのことが元気のもとになるんです。
と、話された。座禅よりこちらの話に頷いた。

調子の波は誰にでもあるものですが、捉え方ひとつ、
自らの導き方一つで道が開けてくるかもしれません。
元気のもとは挑戦し続けることなんですね。


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洗足池公園 (勝海舟の墓)

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幼馴染の友人が洗足池近くに引っ越して行ったので、仲間で訪
ねました。近くには大きな洗足池があって、中原街道もあるので
すが、意外と閑静な住宅街が広がって、そりゃあ素晴らしい場所
で、羨ましく思いました。帰りに池の湖畔をぐるりと1周してみまし
たので紹介。お目当ての桜は、池のほとりと池の西北部一帯に
広がる桜山が見ものなのですが、すでに散っていました。ガックシ

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「洗足池公園」
五反田から中原街道を多摩川方面に向かい、環状七号線を越えて、
右側に大田区立洗足池公園があります。周囲1.2Km、広さ約4万
平方メートルの洗足池を中心に桜、柳、松林などの樹木の取り囲ま
れた、趣のある公園で、住民の憩いの場所となっています。桜の広
場や貸しボート等が設けられいて、家族ずれの訪問者も多い。池の
奥の小さな丘には、桜300本が植えられ、春には桜の名所として、
花見客で大賑わいする場所です。池の東岸には、勝海舟の墓もあ
ります。公園入口付近にある石碑 (上) は、大正12年建立の中原
街道改修記念碑。江戸と相模国を繋ぐこの中原街道、嘗ては急坂
が多かったようで、大正時代に大掛かりな改修工事が行われた事
が記されています。

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池の畔を時計回りに進んでいくと、赤い鳥居が目に飛び込んでき
ます。千束八幡神社の鳥居で、そばに池に架かる太鼓橋と大きな
木がそびえ立っていました。松や柳などの樹木も多く、落ち着いた
雰囲気のあるオアシス。ここから先は多くの見どころに出会えます。

「千束八幡神社」 (上)
千束八幡神社は、洗足池の西のほとりに鎮座する神社です。品陀
和気之命 (応神天皇) を祭神とする 「旗挙げ八幡」 とも呼ばれる。
貞観2年 (860) に、千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請され、
平将門の乱の際に鎮守副将軍として関東へ派遣された藤原忠方は、
その後に千束八幡を氏神としてこの地に残り、池上姓を名乗った。
奥州討伐へ向かう源義家が戦勝を祈願したとも伝えられています。

「弁天島の弁財天社」 (下)
弁財天社は、洗足池にぽこっと突き出た弁天島 (下左) に建って
います。橋を渡り島へ入ると、木立の中に建つ赤い鳥居が出迎え
てくれます。(下右) 創建の年代は不詳で、古来より洗足池の守
護神として池の北端の小島に祀られていたが、長い年月の間に
池中に沈んだという。数多くの人の夢枕に現れたため、庶民の尽
力で再建され、地域密着の弁天様らしい雰囲気です。弁天島に
渡る赤い太鼓橋がレトロで、いい雰囲気。周辺は自然な豊かさに
小鳥のさえずりも聞こえてきて癒されます。

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池に浮かぶ水鳥を眺めながら、水上に架けられた長い木橋を歩き
散歩します。天気は曇り空、あたりは静かでのんびりモードです。
いやぁー気持ちが和みます。

「池月橋」 (上)
千束八幡神社境内を出てすぐの洗足池に架かる木造三連太鼓橋
の池月橋。初代の橋は、平成7年に開通した比較的新しい橋です。
周辺環境と調和させるため、木橋を採用していました。この池月橋
は、毎年、洗足池公園で行われているイベント 「春宵の響」 の舞台
として、地域に慕われる景勝地に溶け込んだ橋となっているようです。
演奏会では、浮かぶ船や洗足池の水面に響き渡る和楽の幻想的な
笛の音が池月橋で奏でられます。橋の名は、ある名馬伝説に由来。

「名馬池月像」 (下)
平安時代末期に石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、武将を従えて鎌
倉へと向かった。 その途中、洗足池の畔に宿営し、諸将の到着を待
った。その折、どこからともなく野馬が飛来。突然、源頼朝の前に現れ、
この野馬は、「池に映る月影のよう」 であったことから 「池月」 と名付
けられ源頼朝の乗馬とされた。これを吉兆とし、旗を差し上げ大いに
喜んだという。馬の像に乗ってしまう人もいるらしく 「馬に乗らないで
下さい」 との看板が脇に立っていました。(笑)

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この地域の古い地名は 「千束 (せんぞく)」 で、その名は平安時
代末期の文献にも見られるようです。由来としては仏教用語の千
僧供料 (せんそうくりょう) の寺領の免田であって、千束の稲が貢
租 (税) から免除されていたとする説や、「大池 (洗足池の別称)」
を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられてい
たとする説などがあるようです。しかし後に、身延山久遠寺から常
陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗った
という言い伝えが生まれ、千束の一部が 「洗足」 となった。この伝
承から 「洗足池」〟と呼ばれるようになったと言われています。
そうかぁ~、だから洗足池なんだ。

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池の桜公園裏方にある勝海舟の墓入口。(上左) 「勝海舟の墓」
と 「西郷隆盛留魂碑」 の標柱があります。(上右) 一番奥が勝海
舟夫妻の墓、墓の左側に隣接して 「西郷隆盛留魂祠」 があります。
歴史好きの散策スポットてもあるこの公園には、明治維新後、晩年
に暮らしていたという勝海舟の墓や別邸跡があるのです。

「水船(手水石)」 (下左)
海舟墓の手前の右手に手船 (手水石) がありました。勝海舟が亡く
なった直後の明治32年 (1899) に、勝海舟を慕う人々によって墓
前に奉納されたものです。背面には加納治五郎、榎本武揚、津田
真道、赤松則良ら著名な人々50余人の名が刻まれていました。

「東京奠都70周年記念碑」 (下右)
勝海舟墓の左手に、横長の碑がありました。当時の東京市長小橋
一太が識した碑文には東京遷都70年 (昭和14年1939) を記念
して 「両雄ノ英蹟ヲ貞石に勒して之ヲ顕彰シ永ク後昆に傳フ」 とあ
った。これは西郷隆盛と勝海舟、両雄の顕彰碑です。

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「勝海舟夫妻の墓」
勝海舟の墓は洗足池の東側、桜公園の近くに建っています。生前
から勝海舟は別邸があった洗足池のほとりに墓を建ててほしいと。
「富士を見ながら土に入りたい」 との思いがあったことから、現在の
地に富士山が見える方向を向いて、夫婦並んで五輪塔が建てられ
ています。石塔の右側が勝海舟の墓です。(下左) 石塔の 「海舟」
の文字は、徳川慶喜の揮毫と伝えられています。(下右) 近くの桜
公園では、子どもたちの元気な声で溢れていました。そんな平和な
光景を、お墓が見守っているかのように見えました。

「勝海舟の最期」
明治32年 (11899) 1月19日、風呂上がりにトイレに寄った後に倒
れ、侍女に生姜湯を持ってくるように頼んだが、間に合わないとして
持ってこられたブランデーを飲んですぐに脳溢血により意識不明と
なり、息を引き取った。最期の言葉は 「コレデオシマイ」 だったという。

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「勝海舟の別邸 (洗足軒) 跡」
中原街道を渡り、すぐの洗足池図書館の前に洗足池の景色を愛
した勝海舟の別邸跡がありました。(上) 茅葺風の別邸を 「洗足
軒」 (下右) といい、戦後焼失してしまい、現在跡地は大田区立
大森第六中学校の敷地になっています。かってこの建物が建っ
ていたことを示す案内板もあります。(下左) 

鳥羽 ・ 伏見の戦い (1868年) で幕府軍が敗れると、徳川慶喜より
幕府側の代表として任じられた勝海舟は、官軍の参謀 ・ 西郷隆盛
と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。
その際、通りかかった洗足池の池畔の茶屋に立ち寄り休息しました。
晩年、その洗足池周辺の風景を愛した勝海舟は、この池畔に 「洗足
軒」 という別邸を設け、西郷隆盛と日本の将来について歓談したとも
いわれています。

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大田区北部に位置する区立洗足池公園は、都内でも有数な大き
さの池を有し、桜や紅葉の名所としても広く知られ、季節には近隣
はもちろん遠方からも沢山の見物客が訪れ賑わいをみせます。江
戸時代には、歌川広重による連作浮世絵 「名所江戸百景」 の中
にも描かれ、古くから景勝地として人々に親しまれています。

幕末明治期に活躍した 「勝海舟」 の名前くらいは誰もが知っている
ことでしょう。海舟は幕府の長崎海軍伝習に参加した後、万延元年
(1860) に咸臨丸の艦長となって福沢諭吉らとともにサンフランシス
コに渡ります。また、幕府側の代表として官軍の西郷隆盛と会談し、
江戸城の無血開城に尽力。当時の江戸の街は戦火から救われた。
明治維新後も海軍卿、伯爵、枢密顧問官などを歴任しています。

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「西郷隆盛留魂祠」
勝海舟が西南戦争に敗れて城山で自刃 (切腹) した西郷隆盛を
悼み、建てたという 「留魂祠」 が勝海舟の墓の隣接にありました。
西郷隆盛と勝海舟との会談によって 「江戸城の無血開城」 が実
現し、当時の江戸の街は戦火から救われた。しかし、明治10年
(1877) の西南戦争で、西郷隆盛は自らが創った明治新政府に
よって滅ぼされます。敵将とは言え、お互いに親交が深かった勝
海舟が、西郷隆盛の霊を祀った留魂祠です。(下右)

「留魂祠」 は、西郷の七回忌を供養して祀られたもので、留魂祠
の名は、漢詩 「獄中有感」 の 「願留魂魄護皇城」 に由来します。
祭神は南洲西郷隆盛です。(上) 「留魂祠」 参道の鳥居の前に
「南洲西郷先生留魂祠手墨之碑」 と陽刻された石標もありました。
(下左) 明治維新の両雄は、今なお相並んで我が国の将来を
見守っておられるのです。

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「西郷隆盛留魂詩碑」
西郷隆盛は、明治初期に起こった西南戦争によって死去します。
これを惜しんだ勝海舟は、西郷隆盛の三回忌にあたって内密に
私費を投じて建てたものです。当初は葛飾区の木下薬師浄光寺
境内に建てましたが、荒川放水路開墾に伴い、現在の場所へ移
されました。 自らの墓所のそばに、碑や祠を置 くことは、当時は
憚られたのであろう。勝海舟没後の大正2年、ようやく両雄はこの
地で相まみえ、眠ることになります。 いまなお豊かに残る閑静な
洗足池と勝海舟の墓が、幕末の偉人たちが歩んだ歴史を思い
起こさせてくれますね。

留魂碑の表面には、西郷隆盛の漢詩一首が故人の書体で刻まれ、
その背面には、勝海舟の自筆で碑建立の動機が記されています。
勝海舟が留魂碑に選んだ西郷隆盛の漢詩は、文久3年 (1864)、
薩摩藩国父島津久光の怒りを蒙り、沖永良部島に流罪とされた時
の作で、「獄中に感あり」 と題する七言律詩です。勝海舟が留魂碑
にこの詩を選んだのは、西郷隆盛の揮毫したものが遺っていたこと
にもよるが、なんといっても <死後もこの世に魂魄を留めて、天子
の皇城をお護りしたい> という西郷隆盛の忠誠心を人々に広く知
らしめ、それによって逆賊の汚名を晴らしたいという切なる願いに
よるものであったかもしれません。この石碑はあちこちにある石碑
の中でも秀逸です。歴史好きなら涙してもおかしくないっ!
だって、表面が西郷隆盛の詩。裏面が勝海舟筆。感動的ですよ。

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「徳富蘇峰書碑」 (上)
祠のそばに昭和12年に建てられた碑がありました。勝海舟と西郷
隆盛の江戸城無血開城の偉業をたたえた徳富蘇峰の詩碑が青木
藤作ら九人の人々によって建立されたのがこの石碑です。徳富蘇
峰は、明治20年代に赤坂氷川の勝海舟の邸内の借家に住み教え
を受け、勝海舟を生涯の師の一人と仰いでいました。西郷どんと勝
海舟の両雄によって江戸市民の命が救われた偉業を讃え、両雄を
忍ぶ内容が刻まれています。

「南洲先生建碑記」 (下左)
留魂誌碑の工事を勝海舟に任された玉屋忠次郎が、明治16年
(1883) に建てたもののようです。留魂誌が明治12年に彫刻さ
れ、谷中の石工群鶴の元から浄光寺に至る経緯が記されている。

「勝海舟追慕碑」 (下右)
大正2年(1913)に勝海舟門下生の富田鐡之助が記したもので、
留魂誌碑が建立されてから現在地へ移設されるまでの経緯や、
有志により留魂祠が建てられたことが記されています。

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洗足池の風景に感嘆し、別邸と墓所を設けた勝海舟。今では池
の周りは閑静な住宅の多いこの地も、当時は自然の多い郊外だ
ったのです。水辺の景観の面影を今も残しています。大きな池の
ある公園が近くにあったら、勝海舟でなくとも憩いの場所ですよね。

人間の運命というのはわからないものです。維新前夜の両巨頭、
江戸明け渡しの会見で、「西郷さん、江戸はもう徳川のものでは
ない、日本の首都だ。 それでもあなたは攻めるとおっしゃるか」
「わかり申した。勝殿の御意見、わたしの考えとして、総督府の連
中にお伝え申そう」 と、語りあった間柄。それから十年後は反乱
軍の首魁として、西郷どんは鹿児島の城山に露と消えた。一方、
幕末の血で血を洗う権力闘争のなか、日本の未来を見通し、革
命の志士でもなく、偉大な軍人でもない勝海舟が、江戸無開城を
やってのけたスケールの大きさ、その奇才ぶりに、人々は共感を
覚えるのだろう。しかし、勝海舟の晩年は、子供たちの不幸に悩
み続け、その上、孫の非行にも見舞われ孤独な生活だったという。

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「遊歩道」
広い池を一周する遊歩道は整備され、清掃が行き届いているので
ゴミも落ちていないきれいな公園です。 閑静な街並みにある落ち
着いた雰囲気があって、心地よい風を頬に感じながら、太陽の光
が水面に反射してできる模様を見たり、湖畔の縁ではエサを求め
る鯉やアイガモたちのお相手をしたり、ゆったり時を過ごすのは、
何とも癒やされるはずです。また置かれたベンチに座って、ランチ
したり、本を読んだり、何もしないで池の風景をただぼぉっと眺め
たり、思い思いの過ごし方が楽しめますよ。ただ残念なのは桜の
名所でもあり、肝心の桜がすでに散ってしまったことです。桜山や
桜公園等、あちらこちらに桜が咲き誇ります。本当に残念でした。

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こちらは池の畔の寺、「御松庵 ・ 妙福寺」。日蓮宗の古刹です。
この寺院の境内には伝説の松の木があるという事なんですが。
と言う事で、境内へ入って、竹林の道を進みます・・・・・ありました。

「日蓮上人の銅像」 (上)
御松庵は日蓮に関する伝説がもとになって成立した草庵で、日蓮
に帰依していた池上宗仲の館に立寄るため、千束の池にさしかか
ったとき、池のほとりで休息。このとき水中から七面天女が出現し、
日蓮が旅立ちをしたので道中守護をしてきた旨を告げ、日蓮の読
経を受けて消え失せた。その後、このことを記念して、土地の人達
が、堂宇を立てて七面天女を安置したのが、御松庵のはじまりで
あるという。法衣をかけた袈裟掛の松を護る護松堂が建てられ、
この堂名から御松庵と呼ばれるようになった。御松庵境内には
日蓮上人の銅像がありました。

「妙福寺の袈裟掛けの松」 (下)
時は弘安5年 (1282)、鎌倉時代の事。病を得た日蓮が身延山
久遠寺から常陸国 (茨城県) へ湯治へ向かう途中、この池の畔
で旅の疲れを癒すためにひと休み。袈裟をそばにあった松の木
に掛けて、池の水で足を洗ったのだと伝えられています。袈裟を
掛けたと伝承される松の木。洗足池公園にある妙福寺の境内に
あります。その後、日蓮は現在の池上本門寺付近にあった池上
宗仲の館で入滅しました。

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この池は、ボート以外にも公園で楽しめるのが、野鳥観察です。
何と公園でカワセミが見られるのですよ。ほかにもメジロ、ムクドリ、
白サギやカモメの姿も見られ、野鳥観察公園かと思えるほど、様々
な鳥がやって来て、訪れる人たちの目を楽しませています。

「ゆりかもめ」
東京都のシンボル鳥です。ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬にな
ると日本各地に渡ってくる、普通に見ることのできるカモメです。梅
雨の始まりとともに北部に戻っていきます。このカモメの楽しさは、
冬は頭部が真っ白なのに、夏場は真っ黒に変化することです。夏
羽は眼の周りの白さがくっきりと際立ち、意図的にお化粧したよう
で、ちょっとユーモラスにも見えます。昔はミヤコドリと呼んでいた。

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「アオサギ」 (左)
珍しい鳥を発見。飛んでいる姿の雄大さから、ツルの仲間と勘違い
される方もいます。アオサギを漢字で表すと蒼鷺となります。目の上
にある冠羽や翼の一部首の斑点の色もよく見ると紺色がかってます。
昔の日本では白でも黒でもない中間的な淡い色を蒼 (アオ) と称し
たため、この鳥をアオサギと名付けたのであれば、日本人が色に対
して繊細な感性を持っていたということでしょうか。孤独にたたずむ
姿は、水辺の王様といった風情さえ感じさせますね。

「カワウ」 (右)
全体に光沢のある黒色で、目はエメラルドグリーンで美しい鳥です。
しかし、たくさん魚を食べ漁業被害を引き起こすので、むしろ害鳥と
してマークされる存在。はっきり言えば嫌われものです。(笑) カワウ
は魚とりが得意。普通、水鳥の羽毛は撥水力がありますが、水の中
でスムーズに動くために、羽毛の撥水力を極力落としています。羽
毛に水がしみ込んで重くなり、飛べなくなってしまいます。羽を乾か
す必要があり、翼を広げている姿も結構な頻度で見られます。
「お前、カラスだろう」 というと、違うと首を振ります。嘘で~す。(笑)

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野鳥のほかにも、甲羅干ししている亀の親子や、オタマジャクシ、
カエル、夏は蝶々や蝉などの昆虫も観察できます。無数にいる鯉
の群れには人面魚も交じっているとか。 そして、犬を連れて散歩
している芸能人もいるようです。

「オオバン」 (左)
頭や首は黒い羽毛で被われ、胴体はグレーの羽毛をしています。
嘴から前額にかけての額板と呼ばれる部分が真っ白というコント
ラストのはっきりした水辺の鳥です。オオバンは餌を取られても威
嚇をしたり追い払う行動をしません。争っても勝ち目がないのでし
ょう。カモたちにとっては、食べ物を恵んでくれる幸せを呼ぶ鳥。
一生懸命に潜って水草をくわえて上がってきて、餌を奪われて
いく姿は、仕方がないとはいえかわいそうです。クスン

「カルガモ」 (右)
他のカモがシベリアなどの北方から冬に日本に渡ってくる冬鳥で
あるのに対して、一年中見ることのできる 「留鳥」 です。春先にな
ると親ガモの後を、一生懸命にお尻をフリフリして追いかける子ガ
モのお引っ越し姿は、何とも愛らしい何度みても心ときめきます。
ヒナを育てる環境をよりよくするためだと考えられます。 カルガモ
の子育ては 「巣は用意する。安全は確保する。エサは自分で取っ
てこい」 というスパルタ育児。 ヒナが早く自立するためのようです。

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「キンクロハジロ (金黒羽白)」 (左)
白と黒のコントラストが綺麗で冠羽に黄色い目は雄。このカモの
名前は全て色から来ています。キンは金色で、このカモの光彩が
黄色いことから、全身が黒いことから 「クロ」、そして翼の上の部分
には白いまだら模様 (斑紋) が入ることから 「ハジロ」 を取り、「キ
ンクロハジロ (金黒羽白)」 と名前がつきました。雌は全身、濃淡
の差はあれ、褐色をしています。日本では冬季に越冬のため飛
来し、冬の間でしか観察する事ができません。もうそろそろ繁殖
のため、シベリアへ戻る時期でしょうか。

「マガモ」 (右)
代表的なカモの仲間、マガモです。国内に飛来するカモの仲間の
中で最も数が多いのがこのマガモ。冬鳥として越冬に日本列島各
地にやって来ます。オスの頭部は、光沢を帯びた緑色に嘴は全て
黄色で目立ちます。マガモは古来、人との付き合いの古いカモで、
人はこのマガモを飼いならして家禽化しアヒルを作りだしています。
カモは、昔から良く歌に詠まれています。

春雨や喰はれ残りの鴨が鳴く   (小林一茶)

一茶の時代 (江戸後期)、カモは貴重な食糧源であったのでしょう。
まだ寒い雨、生き残った鴨の声は何を物語っているのでしょうか。
一茶の句には一見単純そうで、その裏にあるものの深さを考え
させられますね。

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駅前や街道沿いから一歩入ると、都内屈指の広さを有する淡水池
が広がっており、静かで環境のよいところだと思います。東側には
水生植物園などもあり、草木が多く、色とりどりの葉っぱや花びら
が日々を楽しくしてくれます。洗足池で見られる冬の野鳥はほとん
ど水鳥ですが、かっては水鳥以外にも色々な野鳥が渡りの途中で
滞在するため、見ることが出来るようです。瞬間池中のユリカモメ、
一斉に飛び立ちました。オオタカが来たのです。平和そうに見える
公園でもやはり野生の厳しさはあるのです。スズメもさっと藪の中
に避難します。どうして全部がほぼ同時に飛び立てるのか不思議
です。その中でカワウだけは全く動じませんでした。(笑)

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公園から眺める夕日がとてもきれいで、東京にもこんなに美しい
公園があるのか、と訪れるたびに感じる、そんな洗足池です。どこ
かヨーロッパにでもいるような錯覚を感じるのは、私だけだと思い
ますが、おススメの場所です。これだけの範囲に、誰もが知るさま
ざまな年代の偉人所縁の場所があるのは、なかなか興味深いの
ではないでしょうか。この池畔には源頼朝や日蓮上人、勝海舟、
西郷隆盛など歴史上の偉人達に所縁のある場所が点在し、歴史
好きにはたまらない様々な伝承が残されています。史跡に纏わる
伝承や偉人達が生きた時代に思いを馳せつつ、夕日が美しい時
間帯に散策して見るのも良いところです。久しぶりに歴史と向き合
い、自然に癒されたひと時でした。





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