一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「上を向いて」

...2018/04/01 11:53...

4月 (卯月) 春風が心地よく吹くこの季節。
卯月の由来は、卯の花が咲く月 「卯の花月」 を略した
ものという説があります。新年度または新学期の時期で、
学校 ・ 官公庁 ・ 会社などでは入社式 ・ 入学式が行わ
れる慌ただしい時期だ。そして出会いの季節でもあります。

一週間前には枝一杯に咲き誇っていた桜の花ですが、
東京の桜は、あっというまに満開を過ぎ散りはじめています。
緑の葉が顔をのぞかせる存在に変わってしまいました。
皆さんの所は如何ですか?

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昨日、知り合いが入院したので、見舞いに昭和大学病院へ
出掛ました。(左) 横の道路が桜のトンネル通路になって、
それは見事な感じでしたが、もう花びらが舞い散り、葉も顔
を覗かせていました。(右)

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」 というと、林芙
美子の 『放浪記』 であるが、日本人の心性には、どうして
も 「咲く」 は同時に 「散る」 という連想がでてくるのは、花
の命が余りにも短いからだろうか。

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ハラハラと散る桜の風情も良いのですが、ふと思いました。
散った花びらが、そこかしこと積っているのです。民家の庭
先にも・・・。これからの時期、毎日、毎日、掃除をするのが
大変だろうなぁ~と思いました。自分の庭木でないのに。

今日1日は、エイプリルフール 「4月馬鹿」 といって、罪の
ないウソをついてよいとされる日になっています。その昔、
ヨーロッパでは 3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭
りを開催していましたが、フランスのシャルル9世が 1月
1日を新年とする暦を採用しました。これに反発した人々
が4月1日を 「ウソの新年」 として位置づけ、馬鹿騒ぎを
するようになったのがエイプリルフールのはじまりとされ
たようです。

最近、様々な不祥事が相変わらず表面化してきています
が、報道されている分だけでも 「エイプリルフール」 と思い
たいものです。それにしても、この 「4月馬鹿」 の 「馬鹿」
という言葉は、考えたら、馬や鹿の動物に対して大変失礼
だと思いませんか?

桜の花びらが舞い落ち、川などの水面に寄り集まって流
れていく様子を 「花筏 (はないかだ)」 と呼びます。花が
散ったあとの景色にも美を見いだす、繊細な日本の心。
毎年、桜の花を咲かせながら南から北へと日本列島を
旅して行く。桜の季節は進学、就職、転勤などで新しい
生活が始まる方も多いことでしょう。今しか味わえない
ワクワクを楽しんでほしいと思います。

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「上を向いて」

「日本一の星空」 を観光ビジネスにつなげた
という、ある村の物語がテレビで紹介されていた。
何も売りがないと思われていた村の財産を発見して、
産業に育てた経緯が面白い。現地に行ってみたく
なる星空イベントの数々も紹介されていた。

この事業を立ち上げたスタッフの言葉が良かった。
「日本人はいつから下ばかり見るようになったんだろう。
歩いていてもスマホに目を落とすばかりで、空を見ない。
たまには満天の星空を心ゆくまで味わってほしい」。
まったくその通りとうなずいた。

電車の中でも街頭でも、実に多くの人たちが一斉に
スマホをいじっている。便利なものだと理解していても、
あの光景だけはどうもなじまない。空の広い地方のこと、
都会人よりは空を見上げる機会が多いと思っていたが、
車で通勤し一日中パソコンに向かう毎日では、
都会と一緒かもしれないとも話していた。

詩人、高村光太郎の妻、智恵子は東京の空、
灰色の空と、本当の空が見たいと詠ったが、
でも東京だって広い公園で結構な星空が見られる
ことに驚くことがある。郊外の多摩地域なら尚更だ。

ところで、13日の金曜日で仏滅。
暦の上の少ない確率でそうなるだけだが、
こう重なると、ちょっと身構えてしまう日ではある。
13日の金曜日や仏滅は本当に不吉なのか。
何事もなく過ごすには・・・・。最近の気になる
出来事と重ねて、あれこれと考えていたが、
気分は変わった。

昼は空の青さと木々の緑を、夜は星を見上げて
歩けば、何かいいことがありそうな気がする。
上を向いて歩くのは、涙をこぼさないためだけ
ではなさそうだ。東京は一等星は見えるはず。
地方なら尚更、満天の星空が見えるだろう。
何か、もやもやして内向きな時、ちょこっと
上を向いて見てはどうだろうか。
「明日、頑張るんだぞ!」 と、
星たちが励ましてくれそうな気がする。

星という字は、日が生まれると書きます。
辛い時は "星" を見上げてください。
きっと明日が生まれます。
そして "明日" は、明るい日に違いありません。

思い通りにならないときは、明日がんばろう。


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「春季 ・ 皇居乾通り」  一般公開 2018

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桜の季節に合わせた皇居・乾通りの一般公開が24日から始まり、
普段なら入れない大都会のど真ん中にある秘密の花園? 「春季
・ 皇居乾通り 一般公開」 に行ってきました。 ポカポカ陽気の下、
桜が一気に満開を迎えた皇居の桜を堪能してきました。 と、言い
たいのですが、満開まではいかずも、それなりに楽しんできました。
(笑) 大行列を覚悟で、いざ出発!

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乾通りの一般公開は、天皇陛下の80歳の傘寿を記念し2014年
春に始まった。以降、桜と紅葉が見ごろを迎える春と秋に実施され
てきましたが、昨年は樹木の植え替えで中止だったため、春の公
開は2 年ぶりの春の一般公開となりました。この桜を見るために、
前回2016年春の公開時は、なんと51万人が訪れるほどでした。
今回も日頃入れない皇居で、お花見を楽しみたいですね。

「平成30年春季 ・ 皇居乾 (いぬい) 通り一般公開」
春季  3月24日 (土) から4月1日 (日) までの9日間
     午前10時~午後3 時半 (入門は午後3 時まで)
コース  (入門) 坂下門→宮内庁庁舎前→乾通り→乾門 (退出)
     皇居東御苑においても臨時に公開する。

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地下鉄 ・大手町駅の改札口を出たときから人の波。 やっと皇居に
たどり着いたら警察の方に 「二重橋方面へお進み下さい」 と言わ
れ、え~、かなりの距離です。 (上) 歩くこと10分くらい皇居前広
場を淡々と進みます。二重橋を過ぎ、やっとテントらしいものが見
えてきました。(下左) しかし、ここまで一度も立ち止まることもなく
スムーズに進みました。やっとテント前で5~6分待ったのみです。
以前のように何時間も待つ行列はなかったです。ホッ

初日の24日は、開門の時点でおよそ3700人が皇居の坂下門前
に列を作り、入門を早めて午前9時40分に開始したようですが、早
めに並んだ方が待ったという事ですかね。今回は一般公開がそれ
ほど知れていなかったのでしょうか。ラッキーでした。

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「荷物検査 ・ ボディチェック」
坂下門から入門する前に、手荷物検査とセキュリティチェックが
行われます。飲食、飲酒、喫煙をすることは固く禁止されており、
これに反した場合は退去を求められることがあります。

長時間待つこともなく、スムーズに白いテントまで進みます。(上)
ここで最初に手荷物検査です。警察官が中身をざっとチェック。
(下左) これを通過すると、さらにその先にもテントがあり、今度
は金属探知機でボディチェック。(下右) 若干の時間が掛かる
要因のひとつはこれですね。考えてみると何万人もの人をチェ
ックする方も大変です。 桜見で荷物検査があったのは新宿御
苑以来のことです。(笑)  新宿御苑は禁酒ですから。

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以前は、坂下門まで辿り着くのに1時間半以上かかりました。今回
は荷物検査後もスムーズに進みます。(下左) 坂下門もをくぐり、
入城です。(下右) ご覧のように人はまばらです。なだらかな坂を
上って宮内庁庁舎前へ進みます。坂下門は宮内庁への通用門で、
公務出入りが多く警護も厳重です。普段、一般の人は入れません
が、皇居で一番使われてる門です。

「坂下門」
西の丸に続く坂の下に位置しているので、この名があり、江戸時代
は西の丸下から西の丸への裏門として使われていました。坂下門
は、文久2年 (1862) に 「坂下門外の変」 の現場となったところです。
幕府の安定をはかるため朝廷との公武合体を推進する老中 ・ 安藤
信正は14代将軍 ・ 徳川家茂のもとに孝明天皇の妹 ・ 和宮を降嫁
させましたが、これに憤激した尊王派の志士によって信正が坂下門
外で襲撃され、負傷して失脚した事件が、いわゆる 「坂下門外の変」
です。 歴史上、重みのある門なわけです。

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坂下門から宮内庁の庁舎脇を通り、乾門までの数百メートルの区
間は、通称 「乾通り」 と呼ばれ、両側にはソメイヨシノや八重桜、
モミジの木が立ち並ぶ路です。毎年3月末から4月初めはサクラ、
11月頃には紅葉に美しく彩られるようです。普段は皇宮警察が二
つの門の警備に当たって入退者をチェックしており、宮内庁職員
や関係者以外は通行できなくなっている通りです。

ここ皇居の前身江戸城は、1457年太田道潅の築城に始まり 、
1590年北条氏滅亡と同時に徳川三代により日本の政治文化の
中心となり、明治維新以降、1000年以上住み続けられた天皇が
京都から移り、今、皇居となっているところです。

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坂下門を潜って、なだらかな坂を右に上っていく途中に宮殿東庭
に通じる坂があります。(下左) 東庭は、新年や天皇誕生日の一
般参賀が行われる場所です。「皇居 ・ 宮殿」 は、文化勲章の授与
式や外国の大使が信任状を天皇に渡す捧呈式など、また宮中晩
餐など皇居のいろいろな儀式が行われる場所です。宮内庁舎前は、
かなり広いスペースで、やっと解放された気分になります。(下右)

「宮内庁庁舎」  (上)
坂下門のなだらかな坂を上がると、宮内庁庁舎がそびえ立ってい
ます。皇室関係の国家事務、天皇の国事行為にあたる外国の大使
・ 公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、
御璽 ・ 国璽を保管する内閣府の機関です。昭和10 年 (1935) に
建設され、明治宮殿が焼失してから今の宮殿が建設されるまでの
間、仮宮殿として用いられたようです。現在の宮殿とは渡り廊下で
接しているそう です。想像と違って洋風の趣もある建物でした。

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「富士見櫓」 (上)
宮内庁庁舎の反対側にある立派な石垣と大きな櫓は 「富士見櫓」
です。三層の富士見櫓がまるで天守閣のような姿に見えますが、
江戸城の天守閣は3 代将軍 ・ 家光の時代に火災で焼失し、それ
以後は再建されませんでした。従って、それ以降はこの富士見櫓
が天守閣のような役割を果たしていたようです。「櫓」とは、倉庫や
防衛の役割をもった建物で、江戸城には19 の櫓がありました。
「山下通り」 (下左)
「山下通り」 は、桜やもみじの木も多く、四季の移り変わりが楽しめ、
木々に囲まれたいかにも皇居らしいところですと職員の方が説明さ
れていました。皇居の中でも割合に静かで緑多い通りのようです。
通りの右側奥は 「紅葉山」。江戸時代、将軍の霊廟がありました。
「蓮池参集所」 (下右)
山下通りと乾通りの角にあるのが 「蓮池参集所」 です。蓮池参集所
で皇居の清掃に取り組む勤労奉仕団を労い、両陛下がご会釈に臨
まれる場所のようです。「勤労奉仕団」 と聞くと、何か畏まってしまい
そうですが、要は 「皇居と赤坂御用地で除草、清掃、庭園作業など
を行う 」ボランティア活動をなさっている方たちです。皇居周辺が手
入れされているのも、この方々の尽力もあるわけです。

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「局門 (旧女官官舎屋敷の正門)」  (上)
旧女官官舎屋敷に勤めていた方の出入り門で、いわば大奥の女
中が出入りしていたのにちなんで、奥女中の通用門であったこと
から 「局門 (つぼねもん)」 とも云われています。 表門屋根には、
蕾付き菊の花の飾り瓦と菊のご紋が入る鬼瓦。江戸時代のお局
門は東御苑の本丸にあった局門です。内部の建物は、現在宮内
庁の倉庫として使われているとのことです。

「門長屋」 (下)
局門の先に 「門長屋」 があります。普段は見ることが出来ません
が、乾通り通り抜け一般公開の時は間近に見ることができます。
長屋門 (下左) は、最初は諸大名の武家屋敷門として発生しまし
たが、その後、有力武士の武家住宅の表門の形式として広く利用
されるようになりました。武家屋敷の長屋門では、門の両側部分に
門番の部屋や仲間部屋が置かれ、家臣や使用人の居所に利用さ
れていたようです。(下右) 門の両横には警護の武士が控える板
張りの長屋が続き、今でも門から武士が出てきそうな雰囲気です。
門は閉じられていましたが、中に何があるのか気になりました。

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乾通りから蓮池濠越しの石塀に白壁を望むのが 「富 士見多聞」
です。江戸城の歴史的的遺産で、特に秋の紅葉を通して見る多
聞は絵になる風景のようです。この場所でしか見られないので、
なんと 「感動」 ものです。蓮池の石垣は堅牢で高く、石垣の高さ
は水面から約20メートルもあるそうです。(下左) 桜は6分咲き。

「富士見多聞」  
「多聞 (たもん)」 とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋
造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれました。 鉄砲や弓矢が
納められ、戦時に格子窓を開けて蓮池掘側の敵を狙い撃つこと
ができました。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万一に備えら
れていました。江戸城本丸には15棟の多門があったが、富士見
多門は、その中の随一の遺構です。「富士見」 という名前は、富
士山がよく見え、眺望の良い高地にあったためにつけられました。

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皇居の乾通りでの一コマ。通りは桜を見にきた人々でにぎわいを
見せており、カメラやスマホ、中にはタブレットを手に桜が咲いて
いる様子を撮影していました。乾通りは一方通行でも広く開放感
があります。旗を持っているツアーコンダクターの後ろを、ぞろぞ
ろと付いていく団体もいました。この一般公開にツアーが組まれ
ているのに驚きました。桜を見るだけなら他にもあるわけですが、
桜よりも、普段見られないものを見ることに価値を見出している
人も結構いました。私もその一人です。ここでも外国の方が大勢
いました。東京はどこかしこも外国人だらけですね。(笑)

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乾通りは樹木の植え替え工事でサクラの種類と数が大幅に増え、
今回から30品種を超える100本余りのサクラを楽しむことができ、
このうちソメイヨシノは6分から8分咲きの満開とはいかず、それで
も刻一刻と開花が進んでいました。

「ソメイヨシノ (染井吉野)」
お馴染みのソメイヨシノ (染井吉野 ) は、サクラの名所として古来
名高く、和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山 (奈良県) にち
なんで 「吉野桜」 として広まったが、ヤマザクラとは異なる種の桜
であることが分かり、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同
する恐れがあるため、染井村の名を取り 「染井吉野」 と命名した
という。花弁は5枚で葉が出る前に花が開き、咲き始めは淡紅色、
満開になると白色に近づくようです。

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ハイライトは、門長屋と呼ばれる場所の紅枝垂れ桜。ちょうど満開
の紅枝垂れ桜が素晴らしいです。まるで花火のように咲き誇る姿
(上) に、仲間同士で “一杯やりたい” なんて冗談も出るほどの
絶景です。ただし飲酒はもちろん禁止。今年は花数がっ少ない。

「ベニシダレザクラ (紅枝垂桜)」  
古くから寺社を中心に全国各地で栽培されており、平安時代に
はすでに記録があり、垂れ下った枝に薄紅色の花をつける姿は、
別名 「糸桜」 。花が紅色のシダレザクラを 「紅枝垂」 と呼びます。
親のエドヒガンの枝は上に伸びますが、シダレザクラの枝は下に
垂れ下がっていきます。満開になった枝の下から木を見上げて
みると、桜の花のシャワーが降り注いでいるように見えます。
しなやかな枝に小さな花が多数つき、ほかの桜と比べ優雅な感
じがしますね。シダレザクラは写真愛好家の方々に特に人気の
高いサクラです。まるで日本画のように美しいです。

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道の両側に新たな桜が多く植えられており、訪れた人々は石垣や
堀を背景に美しい景色を眺めながら、春の一日を楽しんでました。
今回は、植え替えたばかりの小さな木々の桜を紹介してみます。

「ジンダイアケボノ (神代曙)」 (上)
日本からワシントンに送られたソメイヨシノがあり、それを育てた桜
で 「アケボノ」 とアメリカで呼ばれた種類の桜でした。それが日本
の神代植物公園で植えられ、そのうちの1 本が、アケボノと違う花
を咲かせたことで、神代植物公園で生まれたジンダイアケボノとい
う名前がつけられています。花弁のピンク色が濃くグラデーション
があり、全体的に鮮やかであることが特徴です。この桜は母親が
ソメイヨシノですが、父親はどこの誰だか分からないという。波乱
万丈な生き方をしている、そういう桜なんですね。愛おしいです。

「ヨウコウ 〈陽光)」 (下)
「ヨウコウ (陽光)」 は、オオシマザクラとエドヒガンの交配にカン
ヒザクラを交配して作られた栽培品種です。名前は、世界の平和
を願い 「天地に恵みを与える太陽」 という意味を持つ 「陽光」 と
名付けたそうです。花は大きめの紅色で花数も多く、満開期には
木全体が鮮やかな紅色に染まります。 まるで春の陽を花いっぱ
いに集めたような、あたたかな印象の桜です。「私が主役!」 と
いわんばかりに、皆さんの注目を集めていました。

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振り返ってみれば、人々の波は切れ目無く続いています。しかし、
私たちが通る場所だけは、意外と空いていて、ゆったりと開放感
がありました。時間帯も良く、進む途中に空間が出来ていたので
しょう。お蔭で結構ゆったりと桜鑑賞も出来ました。日頃のおこな
いが良いのでしょう。 きっと。(笑)

「エドヒガン (江戸彼岸)」 (下)
名前の通り春の彼岸ごろに花を咲かせます。開花状況によって
花びらの色が変化するものが多く、地域によって変化の仕方が
多種多様な珍しい桜みたいです。花びらの付け根の萼 (がく)
と呼ばれる部分が、ぷっくりと膨らみ、まるでひょうたんみたい
な形をしています。(下右) サクラの中では非常に長寿の種で、
岐阜県根尾谷の薄墨桜、巨岩を割って生えている岩手県盛岡
市の石割桜などが有名です。

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一生懸命に写真を撮る人々に係りの方が、こんな呼びかけを・・・。
「美しいものは、みんなで共用しましよう。出来ればカメラで撮るのも
いいですが、あなたの瞳に残せば、もっと素敵です」。係りの方の説
明に妙に納得して一本取られた感じでした。確かに瞼に残せたら・・。

「マメザクラ」 (下左) 
今でこそ、様々な園芸品種が開発されて色が美しく、大きく華やか
な桜が増えましたが、平安時代までの日本人は野生の桜を鑑賞し
ていました。マメザクラはそうした野生の桜の1つです。 樹高や花
びらが小ぶりなことがマメザクラの由来です。日本的な控えめなた
たずまいと、白から薄いピンク色のやさしい花色から、「優れた美
人」 という花言葉がつけられた美しい桜です。

 「ウスズミ (淡墨)」 (下右)
明治時代に荒川堤で栽培されていた桜で、先天に切れ込みがあり、
花弁にしわのあるのが特徴です。白色の花と黒い枝の色合いを、
和紙をすき直した薄墨紙に例えたのが名の由来といわれています。
 優しく清く しなやかな 母によく似た 
     その姿 面影が 花に重なる 淡墨桜

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乾通りの両サイドにはロープが張ってあり、その外には係りの人が
いて、「撮影は両端でお願いします」 と道の真ん中だと通行の妨げ
になることを促していました。 スマホやデジカメで撮影をする人が
たくさんいて、長時間ひとつの場所にいると注意されます。

「コマツオトメ (小松乙女)」 (下)
ソメイヨシノと比べて花期はやや早く、花弁は5枚で小さく、花色はわ
ずかに濃く微淡紅色。上野公園の小松宮彰仁親王銅像の近くで原
木が発見されたことから、花が可愛らしく美しいので 「コマツオトメ」
と命名された。コマツオトメは上野公園の小松宮彰仁親王の銅像の
脇に1本だけ生えているほかに、半蔵門に所在する国立劇場の前
庭にも植栽されているそうです。小松宮彰仁親王ってどんな人なの
か調べてみました。12歳で出家して、お坊さんになるはずだったが、
時代が王政復古に変わったときに軍人エリートとして道を歩むことに
なった。近衛師団長、参謀総長、陸軍元帥となり、皇族の方が戦場
で指揮を執られ、その後、日本赤十字社の総裁として赤十字活動
の発展に貢献されました。58歳で薨去され国葬が営まれました。

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皇居にある桜というだけで、なんとなくすごいものに見えるから不思
議です。 乾通りの両サイドにはロープが張ってあり、その外には警
察官がいて、「撮影は1 ・ 2枚にしてどんどん歩いてくださ い」 とか
「皆さんのデジカメは性能が良いですから1、2 枚撮れば十分です
~。 先にお進みくださぁ~い」 と、混雑を避けるために盛んに先に
進むことを促していました。乾通りの一般公開、桜と見るといえば、
花見として座ってお食事など、と考える人もいるかもしれません。
しかし、この一般公開は乾通りを一方通行で、歩行での公開と
なっています。皇宮警察の方も宮内庁職員の方も整理に大変
なんですね。ご苦労様です。

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江戸城を築城した太田道灌の名前を由来とする道灌濠は、雑木
林と野草の茂るところとなっていて、皇居の中でもここが一番美し
い所と言われているようです。一昨年の春は桜が 咲き誇って、立
ち止まってカメラで撮影する姿が多く見られました。が、今年の桜
はいまいちパットしない咲きかたで少しがっかりです。崩御の前年、
手術を終えられた昭和天皇が “最後の花見” を楽しまれた所で
もあるのです。

「道灌濠 (どうかんぼり)」
普段、まず見ることが出来ないという道灌濠の付近は、江戸城の面
影を伝える濠 (ほり) や石垣が広がり、中でも、徳川家康が江戸城
を築くさらに前の、室町時代に太田道灌が築いた城の外濠だったと
いう。濠の奥は紅葉山のようで、徳川家康の廟所 (東照宮) が置か
れ、秀忠以降の歴代将軍の廟所も紅葉山に設置されました。江戸
開城後、明治政府により東照宮などの廟所は撤廃されます。大正
3 年 (1914) に、紅葉山に御養蚕所が設置され、養蚕は明治時
代から歴代の皇后に受け継がれ、毎年蚕を育て繭を収穫されてい
るようです。かつて日本を代表する産業であった養蚕。その古くか
らの姿が、皇居の森で守り受け継がれているわけです。

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吹上御所の塀の廻りにはヤマブキの花が綺麗に咲いていました。
(下右) そして 「外庭東門」 (上) と、そばには 「外庭東門警備派
出所」
(下左) があり警察が監視しています。 門の奥は吹上御所
に通じていて、陛下が外出時に車でここを通るという。 警備上の
都合もあって、詳しく教えてくれませんでした。江戸城を築城した
太田道灌とヤマブキといえば、「山吹の里」 の伝説があります。

「山吹の里」
鷹狩りに出た道灌が雨に降られ、近くの民家に蓑(みの)を借りに
立ち寄った。その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。
道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。
後でこの話を家臣にしたところ、それは後拾遺和歌集の 「七重八
重花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」 の兼明親王
の歌に掛けて、山間 (やまあい) の茅葺きの家であり、貧しく蓑ひ
とつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わります。
「貧しい民でさえ歌の心を解するのに、領主たる自分が知らぬの
は恥ずべき事」 と改心。今まで武術一辺倒であった己を反省して、
風雅の心を身に着けようと努力したという話。そうした心がけが
名軍師 ・ 道灌の才覚や人望を築き上げていったのでしょうね。

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坂下門から参入して、乾門までの一方通行ですが、途中、西桔橋
から本丸へ出るルートが設けられていました。(下左) 西桔橋を渡
ると皇居 ・ 東御苑へ行くことが出来ます。皇居東御苑は、江戸城
のあった所で、天守閣跡や大奥跡や松の廊下跡などがあります。
乾門か西桔橋か運命の分かれ道。(笑) 迷いましたが、通常は
通れない門なので乾門から退出に決定。

「乾濠」 (上)
名前の通り本丸の戌亥=北西の方角を囲む濠です。
乾門近くにある乾濠は、江戸中でもっとも美しく重厚な高い石垣と
塀が連なり、今でも江戸城の面影を色濃く残しています。北桔橋門
付近は本丸のすぐ近くにあるため、防備を厳重にしました。そこで、
石垣を高くし、濠も広く深くしてあるようです。以前は三日月濠と呼
ばれていましたが、乾門の建造にともない乾濠と呼ぶようになった
ようです。乾濠沿いに進むと、奥が出口の乾門があります。
「西桔橋」 (下右)
蓮池濠と三日月濠を隔てた土橋に架かるのが桔橋です。北桔橋と
同様に有事の際に跳ね上げて交通を遮断して本丸を防備したよう
です。東御苑へ通じる橋ですが、通常はこちらも通れません。

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だんだんと、終点の乾門が見えてきました。(下右) 西桔橋から乾
門までは、なだらかな坂道になっていて、両側に桜が咲き誇ってい
る感じで見事です。来た通りを振り返 ると、何と後ろはこんな混雑
状況でした。(下左) もう少し留まっていたいという名残惜しい人で
大混雑していました。乾門から出る時に、現代に引き戻された感覚
になった人は多かったのではないでしょうか。もう少し江戸時代に
居たかったそんな感じでした。 なかなか訪れる機会が無い場所だ
けに名残惜しさがあります。

「乾門」 (上)
この門は明治宮殿造営の際に建てられた京風の門です。宮殿が
ある旧西の丸の裏門にあたり、皇居の乾 (北西) の方向にあたる
ので、この名がついたといいます。普段は厳重に警備され一般の
人は出入りできません。新年の一般参賀で出口として利用される。

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一時間半の散歩は 「あっ」 という間でした。
皇居は都心に在って四季折々の花が咲き、鳥がさえずり、緑美 し
い場所で、日本の近代史を秘め、今尚日本の中心として歴史に年
輪を積み重ねています。あらためて感じたのは、皇居は 「城」 だと
いうこと。江戸時代の建築物はあまり残っていないが、石垣や勾配、
樹木や道などに城郭の名残を感じます。これだけ歴史の詰まった
ところはありません。徳川家が築いた争いのない江戸の時代を想
いながら乾門を後にしました。桜の名所は各地にたくさんあります
が、天皇陛下が国民に楽しんでほしいと願って実現した皇居の
一般公開。日本の春を堪能できる素晴らしいひと時でした。





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あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように。

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