一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「失敗は成功を教える」

...2017/12/10 09:56...

師走を迎え、
いっそう寒さも厳しくなって来ました。
朝、カーテンを開けると外は一面の銀世界です。
気温は寒いんだけど、シバレルと言うほどではない。
北国に居る友人に電話したら、こんな答えが返ってきた。
東京も先日は寒かったけど、北国はもう冬なんですね。

さて、忘年会シーズンだ。
酒好きな身には、どうしても道行く人々の行く先が、
皆、忘年会場へと急ぐ姿にみえてくる。(笑)
今年の忘年会は・・・・「なんで?」 とおもうほど
日にちが重なり、断るのが辛い。酒飲みには
飲み会が減ると辛いものだ。(笑)

そうそう、「忘年」 とは本来、
自分の老いを忘れることなんだそうです。
「忘年の交わり 」 とは年齢に関係なく親しくすること。
「忘年の友」 とはそんな友達のこと。
そう考えると、素敵な言葉なんですね。

飲んで今年のうさを晴らそうというのも
いいが、ついつい盛り上がってしまい、
飲み過ぎた翌朝はつらい。寝床の中で後悔の
ほぞをかんでも遅い。ほどほどにしたいが、
でも、やっぱい飲みたい。(笑)

さて、寒い日が続きますが、
今年、最後の20日あまりを健やかに
お過ごしになられますように・・・・・。


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「失敗は成功を教える」

日本人は悲観的に過ぎる国民だという。
マスコミの報道を見ているとよくわかる。
マスコミは、楽観論を報じない。確かに失敗や
危機を報じ、国民に警告を発することは大事だ。
しかし、要はどうやって乗り越えるかである。

失敗は誰でもする。
それを乗り越えて人は一人前になる。
「私、失敗しないので」 はドラマだけの話。
「自分は失敗しない」 と信じる人ほど怖いものはない。
どこかの指導者じゃないが、致命的な失敗を
しても懲りないからだ。

なぜ失敗したのか、何が問題だったのか、
いまどうすればいいのか、それが肝心なのだが、
失敗した人をただ断罪し糾弾するだけでは、
上策とはいえない。

経済についても同じ。
円高になれば輸出企業はもうからないが輸入企業
はもうかる。だが 「苦しい」 と声を上げるのは輸出
企業だけだ。なぜなら輸入企業が 「もうかてます」
といおうものなら、賃上げ値下げの要求が殺到する。

円安になればその逆。
つまり円高に振れても円安に振れても、声を上げるのは
苦境になる企業だけ。マスコミはその声だけ拾い上げる
から、楽になった方の情報を国民が受け止める機会がない。

苦境だけ報じられても、国民としてはちょっと困るんじゃ
ないか。投資家は、企業の業績は株価に直接に響くから、
敏感すぎるほど目を配っている。円高円安に過度に
悲観的にならないし、楽観的にもならない。

私たちは、失敗や苦境をもっと前向きに受け止め、
一方にそれを脱する方法や真実があるはずだ、
と考えることも大事だろう。
居酒屋で同僚たちとの会話が弾んだ。
たまには酒の肴に、こんな話もいい。

Failure teaches success.
(失敗は成功を教える)


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  特別名勝  六義園 (回遊式築山泉水庭園)

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友人を訪ねて駒込へ出かけ、東京メトロ・南北線駒込駅2番出口
を出たらすごい人の行列。六義園の染井門のあるところです。
まさに紅葉の時期。大勢の方が紅葉狩りに来ていたのでしょう。
六義園なんて実に久しぶりなので、帰りに立ち寄ってみました。
都内を代表する日本庭園として名高く、海外からの観光客も多い。
モミジの紅葉に囲まれ、見事な景観を観賞したので紹介します。

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「六義園正門」 (上) 「染井門」 (下左) 「正門・受付」 (下右)
駅近くの染井門、通常は閉まっているのですが、紅葉のこの時期
には開いていて、こちらから入る人が多いです。門の右側の塀に
そって行列が出来ていました。六義園は久しぶりという事もあって、
本郷通りを5分ほど歩いて正門から入場しました。こちらも団体客
が多く、ごった返していました。年配の方々が多かったです。

「特別名勝 六義園 (りくぎえん)」
開園年月   昭和13年10月
所在地    東京都文京区本駒込六丁目
開園時間   午前9時~午後5時 (入園は午後4時30分まで)
休園日    年末・年始 (12月29日~翌年1月1日まで)
入園料    一般300円 65歳以上150円 
        (小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)

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明治時代に岩崎家の所有であった頃の雰囲気を残す 「内庭大門」
(上) をくぐると、枝垂桜が広場の真ん中にデーンとそびえています。
(下右) 春に枝いっぱいの薄紅色の花を咲かせる名木として有名。

六義園は、徳川五代将軍 ・ 徳川綱吉の側用人 ・ 柳沢吉保が、自ら
の下屋敷として造営した大名庭園です。元禄8年 (1695) に加賀藩
の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、
指揮し平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、
7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ 「回遊式 築山泉水庭園」
を造り上げました。柳沢吉保の没後、荒れ果てていたこの庭園は明治
時代に三菱財閥創設者 ・ 岩崎彌太郎の所有に。その後、昭和13年
(1938) には東京市に寄贈されると一般公開も始まり、昭和28年
(1953) に国の特別名勝となりました。

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「六義園」 の正門を一歩くぐると、都心とは思えない時を忘れたよう
な別世界。美しく手入れされた木立が青々と茂り、澄み切った空気
が清々しく漂ってきます。六義園に映し出された和歌山市の景勝
地のパネル展示もありました。(下)

「六義園」 という名は、中国の詩の分類法 「六義 (風 ・ 賦 ・ 比 ・
興 ・ 雅 ・ 頌)」 にならった 『古今和歌集』 序文にある和歌の分類
の六体 (そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、い
わい歌) に由来するものです。すなわちこの庭園はその名が表す
ごとく、「和歌の庭」。 吉保の文芸趣味を反映し、万葉集や古今和
歌集に詠まれた 「和歌」 の風景を庭造りのベースとなっています。
万葉集や古今和歌集から名所 ・ 名勝を選び、園内に和歌にちな
む景観 「八十八境」 をちりばめています。なかでも多いのが、「和
歌の浦」 をはじめとする紀州 (現在の和歌山県) の景勝地。園内
を巡るうちに、実際に和歌山へ足を伸ばしたくなるかもしれません。

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「中の島 (妹山 ・ 背山)」
しだれ桜を後に道なりに進んでいくと、ぱっと視界が開け、中心に
川や海に見立てた大泉水と呼ばれる泉が見えます。正面の中の
島には二つの山があり、左の山が妹山 (いものやま) で右の山が
背山 (せのやま) です。妹背とは、夫婦、または兄と妹を指し、夫
婦円満、子孫繁栄の願いがこめられているようです。玉笹と名付
けられた玉笹石が屹立しています。(下右) 玉笹石は、歌の中
の男女を隔てる笹に見立てられています。

~ いもせ山 中に生 (はえ) たる 玉ざさの
    一よのへだて さもぞ 露けき ~  

と、詠まれた紀州 ・ 和歌の浦の風景を映しているのです。
妹山と背山との間に生えた笹竹の、節と節の間の、そんな短い一
夜を隔てただけでも、私はこんなにも悲しみの涙に暮れるのです。
「玉ざさ」 の 「玉」 は、単語を美しく飾るための 「美称」 で、意味は
ありません。ようは、笹のことです。「ひとよ」 は竹の一節という意味
の 「一節」 と、一晩という意味の 「一夜」 を掛けています。

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「出汐湊 (でしおのみなと)」
渓流から大河川、それが最終的に海へと流れていく河口の湊をイ
メージしているようです。大泉水の池畔の名のひとつで、眺望に恵
まれ、向かい側に中の島、左手奥には蓬莱島、対岸に吹上浜があ
ります。江戸時代に彫られた 「出汐の湊」 という石柱がありました。 
(下右) これは八十八境を現代に伝える石柱で、頭が三角に尖っ
ているものは作庭当時に作られたものです。当初は88カ所あった
ものの、今残るのは32カ所のみだそうです。石柱から紀州 ・ 和歌
の浦の姿を映し出している風景を想い、和歌を詠んだわけです。

~ 和歌の浦に 月の出汐の さすままに 
  よるなくたつの 声そさひしき ~

「出汐」 とは船が港に入る時に満潮になるのを待つことですが、ここ
では 「月の出汐」 ですから、月の出を待っている様子をあらわして
います。和歌の浦で、月の光が差すと共に汐が満ちてきた。そこへ
鶴の声が寂しく響き渡ると詠みました。

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庭園は大泉水をぐるりと取り囲むように広がっています。水辺の道
を歩き、時に橋を渡ったり、飛び石の上を歩いたりしながら、庭園
の風景をさまざまな角度から楽しむことができます。(上) 神仙思
想を主題とした石組の蓬莱島 (ほうらいじま)。(下右) 大泉水の
島の一つです。不老不死の仙人が住んでいるとの伝説の島です
が、この島が築かれたのは明治時代、岩崎弥太郎の庭園になっ
てからのようです。

吹上の浜 (下左) は、紀伊国の歌枕のひとつで、和歌山市の紀ノ
川口の湊 (みなと) から雑賀の西浜に至る海岸です。かつて、西南
の激しい風が白砂を吹き上げていたことからこの名が付いたといわ
れています。清少納言も 『浜は吹上の浜』 と名所の随一に挙げま
した。吹上とは美しく貴賓な場所とのイメージがあります。
吹上浜が広大な白砂の浜であるようですね。

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岸辺を西に進むと道路脇の右手に石柱があり、記された文字は、
「志るへの岡」。八十八境55番の 「指南岡 (しるべのをか)」 の
ことを指します。(上右)

~尋行く 和歌のうら路のはま千鳥 跡ある方に 道しるべせよ~

という和歌に詠まれた 「千鳥橋」 がこの先にあります。(上左) 
その千鳥橋の手前にあることから、「指南岡」 と名付けられています。
鳥の千鳥が足を交差させて歩く様子から、ジグザグの形を 「千鳥」 と
呼びますが、千鳥橋はかつては実際にそういう形をしていたそうです。
「橋」 は、別の世界に移動する意味も持ちます。浜千鳥の足跡とは、
和歌の言葉や言霊の象徴の意味もあるそうです。私を和歌の奥義に
連れてって、と誰かが呟いているのかもしれません。左手の川沿い奥
には、「滝見茶屋」 があります。(下) 茶屋は江戸時代には無く、岩崎
家の時代に作られたようです。「滝見茶屋」 の中に入ると、木枠越しの
眺めはまるで絵画のよう。(下右) 滝見茶屋に座って、ゆっくりと渓流
のせせらぎの音に耳を傾けてみれば、都会の真ん中にいることを忘
れさせます。

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六義園を買い取った三菱財閥の祖岩崎家が熱海の別荘から移築
した吹上茶屋があります。(上) 戦火、その後の火事により失われ
たものを再築して、今は来園者が休憩して、お茶などを楽しむ憩い
の場所になっています。 のんびりとお茶を味わいながら眼前に広
がる美しい景観を堪能しつつ、ひととき日々の喧噪を忘れるのも
いいものです。抹茶セット (抹茶と上生菓子のセット510円) を頼
もうとしたら、客が多く時間がかかるというので諦めました。クスン

水辺に悠然と枝を広げるのは、江戸時代からの歴史があるといわ
れる 「吹上松」。(下左) 樹齢をこの庭と共に重ねる老松の姿に悠
久の時を感じますね。六義園が作られたときは、園内に多くのマツ
が植えられていたそうです。現在は、そのほとんどは失われてしま
いましたが、この 「吹上松」 だけは当時のものだそうです。吹上の
松の菰巻きには、おめでたい梅の花をかたどった 「梅結び」 が
施されています。(下右)

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ここが東京だということを忘れるくらいの静寂の中、紅葉に囲まれ
て、しばし立ち止まり眺めました。モミジの木々が生い茂る本当に
静かな散策路です。山や池が配された園内のいたる所で紅葉が
楽しめる。特に園の西、水香江あたりの紅葉が見事だ。昼の紅葉
も素晴らしいが、期間中、夜には庭園がライトアップされ幻想的な
景観が楽しめるようです。

余談だが、「生類憐みの令」 によって 「犬公方」 と揶揄された徳川
綱吉と、その寵愛を受けて異例の出世を続けた柳沢吉保、後世に
なって語られる二人はあまり良い印象ではないことが多い。しかし
実際には二人とも学才に優れ、政治的手腕にも長けていたようだ。
柳沢吉保が綱吉の寵愛を受けたのも、吉保を信頼に足る参謀と
して重用したということなのだろう。

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「つつじ茶屋」
吹上茶屋を横目に更に細い小径を奥へ奥へと進み、両側が深い
笹の林になっている通路を抜けると、そこに現れるのは小高い丘
の上に造られた 「つつじ茶屋」 です。つつじ茶屋は明治時代に岩
崎家の所有になってから造られたもののひとつで、戦災で焼失す
ることなく現存しています。なんと柱と梁に使われているのが 「つ
つじの木」。 どんなに大きなつつじだったのかと想像するだけで、
改めて岩崎家の財力に驚きます。茶屋の前にあるのが 「座禅石」
です。(下右) 静かな川に望んだ景色のよい場所にあるイメージ
で置かれているようです。 この 「座禅石」 も八十八境の一つで、
それを現わす石柱が座禅石の傍らに建てられています。座禅石
や茶屋に座ってゆっくり出来るはずもなく、後からの行列に押され
るように丘を下りてしまいました。(笑) 茶屋の中は人でいっぱい。

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「水香江」 
つつじ茶屋を訪ねて、北側に足を進めると枯山水のようになって
いる川の跡にでます。これが 「水香江 (すいこうのえ)」 です。「水
香江」 という名前も、あまり聞きなれい風雅な名前ですが、次のよ
う由来があります。現在の 「水香江」 は、水が流れてなくて、ここ
にはもともと水が流れていました。そして蓮が植えられていたそう
です。そして、「蓮の花の盛りの頃には、水までも良い香りがする」
ということから、水香江と名付けられました。「水香江」 の周りには
楓 (カエデ) が数多く植えられていますが、色ずく紅葉が見事な
風情を醸し出しています。

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「山陰橋」
ちょっと小高い場所にあるつつじ茶屋の目の前の遊歩道に沿って
右手に歩いて行くと、右手に剡渓流という小皮の流れがあり、そこ
に架けられた小さな橋が山陰橋です。その景色は絵の中にいるよ
うな感じで、紅葉の季節は水面に赤い葉が落ちて、幻想的で見事
な景色です。山陰橋の名の由来は中国の王羲之の息子が住んで
いた場所 「山陰」 に由来しているようです。ここを渡って行けば藤
代峠築山へ行くことができ、そのまま橋を渡らず歩けば先には 「芦
辺茶屋跡」 があり、渡月橋の裏側になります。

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小石川後楽園とともに、江戸の二大庭園と讃えられている駒込の
六義園。小石川後楽園は、水戸光圀が改修して 「後楽園」 と命名
して完成させました。六義園は柳沢吉保が元禄15年 (1702) に
庭園と下屋敷が一通り完成したと言います。元禄15年と言えば、
赤穂義士が未明に本所 ・ 吉良邸へ討ち入った年です。この庭園
の設計者は柳沢吉保。ドラマでの柳沢吉保といえば、水戸黄門の
宿敵で、悪役として描かれていますね。しかし実際の柳沢吉保は、
知性も実践力も備えた川越藩主です。今も埼玉県指定旧跡として
残る、三富 (さんとめ) 新田を開発した名老中でした。水戸光圀の
儒学思想の影響の下に築園された「後楽園」。 明るく開放的な
六義園と好対照をなしています。歴史を紐解いてみると、以外に
も面白いですね。

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「蛛道 (ささかにの道)」
藤代峠裏手の山道は蛛道と呼ばれます。古くはクモを 「ささがに」
といい、この道がクモの糸のように細いことから名づけられました。
また 「蛛道」 は和歌の道を表し、この和歌の道が細く長く絶えない
ようにという願いを込めているとも言われています。周辺の見事な
紅葉を成していて、しばし佇みました。ここにも石柱がありました。

~ わが背子が来べき宵なり ささがにの
   蜘蛛のふるまひ かねてしるしも ~ 「衣通姫 (そとおりひめ)」 

今宵はきっとわが背の君がいらして下さいますよ。ほら御覧なさい。
蜘蛛 (クモ) がこんなにせわしげに動いて、そのことを教えてくれて
いるんですもの。古代では蜘蛛が活発に動くのは待ち人が来る前
兆と考えられていました。歌を詠んだ衣通姫は、允恭 (いんぎょう)
天皇に愛された絶世の美女で、あまりに美しいので、衣を通して
輝いて見えたため 「衣通姫 」 と呼ばれるようになったという。

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「藤代峠」
「蛛道」 の背後に細長い登り口があります。この峠を登っていくと、
庭園内が一望できるエリアにたどり着きます。ここは江戸時代、江
戸百名山のひとつと評されていたそうです。人工的に築かれた築
山なので、わずか数分で山頂に到達できます。紀州の和歌の浦
近くに 「藤白坂」 という坂があります。「藤代峠」 は和歌の浦の
「藤白坂」 に見立てられているようです。

~ 藤白の 御坂 (みさか) を越ゆと白袴 (しろたへ) の
   我が衣手は 濡れにけるかも ~ 

藤白の坂を越えているうちに、私の着物の袖は山の雫にすっかり
濡れてしまったよ。紀の国から大和への帰路での歌です。一行は
坂の草露にも汗にも濡れたのでしょう。紀伊の南にある藤白神社
の近くに藤白峠への登り口があり、その途中に皇子の墓と歌碑が
あるようです。この峠は謀反の罪に問われた有馬皇子が絞殺され
た所でもありました。表面は単なる旅情の形にし、皇子を悲しむ
心を、その旅情の溶かし込んでいる感にも読みとれますね。

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紀州、藤白坂にちなんで名づけられた 「藤代峠」 から園内を一望
すれば、すっかり大名気分。いただきは 「富士見山」 と呼ばれ、江
戸時代には江戸城や大名屋敷群、彼方に富士山も望んだとか。

~ ふぢしろの みさかをこえて 見わたせば 
    かすみもやらぬ 吹上の浜 ~

藤代坂を越えて見渡せば、霞もまだ晴れない中に、吹上の浜の気
色が見渡せる。紀州 ・ 和歌の浦を見渡して詠んだ、この和歌その
ものの絶景が広がるのを実際に目にして、柳沢吉保が造った世界
の壮大さに深い感動を覚えました。

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「紀ノ川」
「藤代峠」 の南側に広場がありますが、その広場の先、大泉水の
一部が 「紀ノ川」 と呼ばれています。「紀ノ川」 というのは、奈良県
の大台ケ原から流れ出し、奈良県と和歌山県を流れて和歌山市で
紀伊水道に流れ込む大きな川です。有吉佐和子さんの小説に 「紀
ノ川」 といのがありますので、名前を聞いた方もいるとは思います。
その紀州の 「紀ノ川」 に見立てられて名付けられたものです。

~ 人ならば親の思ひぞ朝もよひ
       紀の川づらの妹と背の山 ~

あの紀の川辺に立つ妹山と背中の山がもし人ならば、母にとっては
最愛の子供たちだよな、と詠った。もし人間だったら親の最愛の子
であろう。紀の川沿いの妹山と背山よ。妹の山、背の山を夫婦とみ
た前の歌に対し、これは兄妹と解しています。妹山、背山のおだや
かな山容。その脇を滔々と流れる紀ノ川。 和歌を刻んだ石碑が
ひっそりと立てられていました。

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「渡月橋 (とげつきょう)」
中央に大きな池 「大泉水」 が広がる六義園には、いくつかの橋が
ありますが、特に有名なのが2 枚の大岩からなる橋、渡月橋です。
庭園にかかる大岩の橋のどっしりとした存在感が、独特の情緒を
湛えています。(下左) 芦辺茶屋跡のベンチから、渡月橋を鑑賞
する穴場のスポットです。(下右) このポジションからは、橋と水辺
の見事な調和が楽しめます。(上) もちろん実際に歩いて渡ること
もできます。江戸の風雅を今に伝えてくれる貴重な石橋です。

~ 和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 
     夜わたる月の 影そさひしき ~

和歌の浦の蘆辺に群生する鶴が鳴く声。そこに夜、空をわたる月
の影がさびしく輝いている。和歌のうら~ の歌から名づけられた
石の橋。2 枚の大岩の重量感が、あたりの雰囲気を引き締めて
います。昔は水面に映る月を愛でたのでしょうか。夜の渡月橋が
月明りで湾に浮かび、月も湾に映る姿を写真に撮りたいですね。

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六義園は随所に和歌が掲げてあり、和歌や古典に興味がある方
には楽しめる場所です。「庭が素敵だね~」。「紅葉がきれいだね」
と、帰ってしまうのはもったいないです。紅葉を観賞して終わっても
いいのですが、「和歌の浦」 の風景や 「万葉集」 および 「古今和
歌集」 に詠まれた風景を写した 「八十八境」 が築かれた場所を、
想像をフル回転させて庭を歩けば、知らないうちに風雅な世界に
浸ってしまいます。

万葉集や古今和歌集などの文芸に精通していた柳沢吉保は、
それら和歌が数多く詠まれた和歌山県の和歌の浦の風光明媚な
様をイメージして造営した六義園。庭園は中之島を有する大泉水
を樹林が取り囲み、紀州和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝
の景観が八十八境として映し出されています。六義園は柳沢吉保
が和歌の永遠なる境地に至るための、現代の和歌テーマ ・ワール
ドだったのかもしれません。

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小道に限らず、園内の樹間の道をたどると、柳沢吉保が歩いた和
歌の世界へと次第に誘われていくようでした。どこか、里山へ足を
踏み込んだような雰囲気でした。都会とは思えないこの景色。浜離
宮庭園と違って何十階もの高層ビルが視線に入らない分、都会の
中の異空間としてのイメージが強くなりますね。 都会のまさにオア
シス六義園は、ほんの一時ではありますが、日常から解き放たれ
た心休まる異空間を満喫できる場所だとわかりました。心に沁み
る和歌の詩情と和の美が満ちる庭園へ、都心の別天地へ、
一度、皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。

【おまけ】
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六義園正門の前にある建物は、児童書や絵本、幼児教育の専門
書等の出版で知られる 「フレーベル館」。(上左)  代表的な出版
物は、『ウォーリーをさがせ!』、『キンダーブック』、やなせたかしさん
の 『アンパンマン』 など、おなじみの出版社です。時々親に連れら
れて六義園正門に来ると、子どもたちは大騒ぎする。(上右・下右)
入口にもアンパンマンの銅像 (下左) があり、地下には教育玩具、
絵本、グッズの店も直営しています。ちなみに 「フレーベル」 という
名前は、ドイツ人で幼児教育の祖として知られるフリードリヒ ・ フレ
ーベルの名前から採ったものだそうです。





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