一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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[友を思いやる心]

...2017/12/03 10:04...

12月 (師走)
今年も残すところあと1カ月となりました。
頬をかすめる風が、ひんやりと冷たくなってきました。
寒さに身をすくめながら歩いていると、影がずいぶんと
長く伸びています。その影もまた、なんだか寒そうに
丸くなっていました。

さて、「師走」 です。
師走の由来は、僧侶が仏事で走り回る忙しさからという
平安期からの説というのが一般な師走の語源のようです。
ここでいう 「師」 は、法師の師と言うことになりますね。
他には、普段はゆったりと構えている師匠たちも、
この月ばかりは忙しく立ち働くため師走などともいいます。

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街を歩けば、どこもかしこもイルミネーションにクリスマスツリー。
何だか、こっちまでワクワクしてきます。仲間内での会合の後、食事
しに東京駅前の 「KITTE (キッテ)」 に立ち寄ったら、1 階アトリウム
に巨大なホワイトツリーが設置されていました。仕事帰りにふと目に
すると、ちょっとうれしくなる一瞬です。

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まるで雪が降り積もったかのように真っ白な装飾が施され、本物の
モミの木を使った、屋内では日本最大級となる高さ約14mのクリス
マスツリーという。時間と共に色が変わり、キラキラと輝きだす景色
に思わず足を止めて、ジッと時を忘れて眺めたくなります。

大掃除や年賀状など年の瀬を迎える準備で気ぜわしくなります。
クリスマスや忘年会などイベントも盛り沢山のあわただしい中にも、
その先にある新しい年、新しい四季循環の始まりを予感して、うき
うきとした気分になる月でもあります。このうきうきした気持ちを糧に、
さあ、一年最後のあわただしい月を乗り切って行きたいと思います。
すでにインフルエンザの流行も始まっているようですし、皆さまも
忙しい日々で体調を崩さないように気をつけてください。
今日も元気に頑張りましょう!


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「友を思いやる心」

「おじいちゃん、今から帰る」
3年生の孫娘から携帯電話に、帰るコールの
ベルが鳴る。家は学校から遠く、道のりは長い。

定年退職した近所の方が、多摩郊外
に引っ越して久しい。その方が近くまで
出かけて来たと、わが家に立ち寄ってくれた。
いただいた手土産で、お茶しながら話が弾んだ。
話題は、やはりお孫さんのことだった。

今は、防犯パトロールをしているのだという。
防犯防止パトロールのタスキをかけ、自転車をこぐ。
児童に会えば声をかけながら通る。
「おかえりなさい、気をつけてね」。
「ただいま」 という子、頭をペコンと下げる子。

ある日、交差点で孫の帰りを待っていると、
いつも一緒の女の子がいない。
孫に 「リーちゃんは?」 と聞くと、その朝、リーちゃん
はひざに血を流し、待ち合わせの場所に遅く来たという。
自転車で転んだそうだ。お孫さんは、水道の有るところ
まで連れて行って水で洗い流し、2人で自転車を押して
学校へ行き、保険の先生に診てもらった。

半年ほど前、そのお孫さんは自転車で転び、
ズボンに穴をあけ、半ベソをかいたことがあったようだ。
お孫さんは、家に着くと大粒の涙で、しゃくり上げて泣いた。
そんな経験が、今回の行動に生かされたのだろうか。
交差点で一人待っている友達のことを思い、けがをしても
頑張ってペタルを踏んだリーちゃんもけなげだ。
友を思いやる2人の女の子。

お孫さんが2歳の時、娘が家にいないと母親は
パニック状態になっていたころ、トボトボと我が家
に 「こんにちは!」 と訪ねて来た事があった。
その理由が、美味しいりんごをお姉ちゃん (我が家の娘)
に上げるためだった。早々、連絡すると、それこそ吹っ
飛んできたという感じで、お孫さんを抱きしめていた。

「お姉ちゃんにりんご上げたの!」 と言うと、「そう偉いわね~」
と、叱りもせず頬を摺り寄せていた。やさしく、思いやり
をもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ。
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ。
気持ちを大切にする、そんな家族だった。

引っ越しの時、べそを掻いていたお孫さん。
やさしい心も成長していることを嬉しく思った。
子どもの頃の友達は、生涯の良き友といいます。
やさしい心と共に大事に友情を育ててほしい。
これからもご家族と共に静かに見守りたい。

やさしい心
ともに過ごす時を尊び、味わい、慈しむ心のことです。


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銀杏並木   東京大学本郷キャンパス

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久しぶりに東京メトロ・南北線に乗って、駒込方面へ出かけた帰り
に途中下車。過ぎゆく秋に触れてみようと、東京大学・本郷キャン
パスに立ち寄ってみました。キャンパスの銀杏並木。いまが見ごろ
のラストチャンスかもしれないと思い大学構内を散歩してきました。
素晴らしい黄葉が見れるのではと期待して・・・・・訪ねました。

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「安田講堂」 (上) 「医学2号館」 (下左) 「法学部2号館」 (下右)

「東京大学」
ちょっと昔話をすると、幕末時の高等教育の中心は湯島聖堂と昌平
坂学問所が主となっていました。当時は儒学が官学でもありました。
それに対し洋学の研究所は、九段下の開成所 (審書調所) と神田
のお玉が池の医学所 (種痘所) でした。時代の流れで教育方針も
儒学から洋学への転換が始まり開成所が大学南校、医学所が大学
東校と改名。 以後南校と東校がひとつと なり明治10年に東京大学
として発足。本郷での東京大学は医学部から始まり法文理三学部
が入り、遅れて工科大学が入り現在の骨格をなしたといいます。

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東大駅前から赤レンガの塀に沿って歩くこと暫し、東京大学のシン
ボルである赤門が陽を浴びて朱色が一層鮮やかに映えています。
どなたも一度は、名前を聞いたことがあると思います。これが有名
な東京大学の代名詞ともいえる 「赤門」 です。平日は大扉が開か
れているのですが、土曜日だったので大扉は閉っていて小扉が入
口になります。(下左) 構内側から見た赤門です。(下右)

「赤門」
赤門は、正式名称を御守殿門といいます。
御守殿とは、江戸時代に徳川家将軍家の娘が三位以上の大名と
結婚した場合の敬称で、その居住する屋敷のことを指します。御
守殿門とは、御守殿の住む屋敷の門のことで、将軍家から夫人を
迎える場合の当時の慣例で朱塗りとされていました。東京大学の
土地は江戸時代、加賀藩前田家の上屋敷であり、赤門 は13代
藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える
際に造られた門です。国の重要文化財に指定されています。
赤門は古き歴史をもつ荘厳な門なのです。

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赤門を入って真っ直ぐに続く道に銀杏並木があります。教育学部
がある通りで、その先に医学部2号館本館があります。 ちょっと銀
杏並木の輝きがいまひとつって感じですが、何処からか吹く 新し
い風に揺れる黄金色の銀杏並木。この辺はこんな感じです。

「銀杏 (イチョウ)」
ヨーロッパでは珍しい樹木で、葉の形が珍しく神秘的な感じを抱か
せることから、ゲーテの書いた有名な詩 「いちょう (Ginkgo biloba)」
にみられるように恋愛に重なるエキゾチックな香りと親しみがあるよ
うです。銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質
学上、古生代の末期 (約1億5千万年前、巨大な恐竜が棲息してい
た時代) に地球上に広く分布し、生育していた樹種なんだそうです。
「東大マーク」 は、上の葉に、秋に色づいた銀杏の黄、下の葉に、
東大のスクールカラーとされる 「淡青」 に因んだ青を用いています。
銀杏は 「東京都の木」 にも指定されています。

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キャンパスはかつて、加賀前田家の屋敷だったことだけあって、
大名庭園の名残も感じられ、創立当時に植樹されたイチョウやケ
ヤキ、クスノキなどは大木に成長しています。キャンパス内の日当
たりのいい場所にある銀杏は早く色づき、そうでないものは緑色だ
ったりして、それもまた風情があって良いものです。

「溶姫 (ようひめ)」 -1
溶姫は、文化10年 (1813) に徳川家斉の21女として生まれます。
加賀藩の前田斉泰に若干14歳で嫁ぎました。現在の東京大学赤門
は、その時に加賀藩邸に建てられた溶姫御殿の正門です。そして加
賀藩の上屋敷(現在の東京大学)に移り住みます。この時、前田家で
は嫁姑問題に気をもんでいたとされています。それは本来ならば、姑
である斉泰の母の地位が、嫁よりも上にあたりますが、溶姫は将軍の
娘であるため、身分がはるかに上だからです。溶姫自身は加賀藩に
とけ込もうと努力したが、大奥からの溶姫付きの女中達は尊大で、加
賀藩の女中や藩士を馬鹿にすること甚だしかったという。そのため加
賀藩士の多くは、溶姫取り巻きの専横もあり、主因が将軍家の娘で
ある溶姫にあるとして非常に恨んだといいます。

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一つ一つの建物の造りは重厚で、華美ではないけどその重みに
ふさわしい装飾がなされて、日本の最高学府の厳かなキャンパス
には、晩秋の空気が生み出す静かな雰囲気がマッチして銀杏が
よく似合います。そんな東大の魅力的な建物たちをいくつも見て
いるうちに感覚が麻痺してきて、全部修道院か教会に見えてきま
した。赤い法衣の見習いシスターが出てきそうな感じになります。

「溶姫 (ようひめ)」 -2
将軍家斉が諸大名に嫁がせた多くの息女は、実家を笠に着て夫
をも凌ぐ勢いだったという。しかし斉泰は、たとえ将軍家の娘だろう
と妻は夫に従うべきであると、婚礼の翌日鷹狩りから帰るなり溶姫
に自分の草履を脱がせるように命じた。それを断るようなら離別す
るつもりでいたところ、溶姫が嫌がりもせず庭先に降り立って斉泰
の草履を脱がせたため、以後2人は仲睦まじくなったという。当時
は、好き嫌いで結婚することはなかったでしょうから、溶姫のそん
な仕草に惚れちゃったんでしょうか。いい話じゃないですか。

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「東京大学 ・ 正門」
「赤門」 を正門だと思われている方も多いようですが、こちらが正真
正銘の正門です。築地本願寺の設計等で著名な伊藤忠太氏のデ
ザインによるもので、赤門ほどの派手さはないものの、花崗岩を貼っ
た重厚な門柱がアカデミックな雰囲気を漂わせています。入学試験
のときなどは、大きい門は閉めて、小さい門を通行にします。受験票
などをチェックするために東大生でも学生証を見せないと入れません。

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本郷通りに面する正門を入ると、みごとな銀杏並木が奥の安田講
堂まで黄金色のイチョウ並木が続いています。ここが有名な東大
のシンボル施設 ・ 安田講堂の正面に立ち並ぶイチョウ並木です。

「東大の銀杏並木」
東京大学本郷キャンパスの、正門から安田講堂までの約200 m
の銀杏並木は、明治38年 (1905) に濱尾新第三代総長が 『正
門を入ったら万人自ら襟を正すような厳粛な雰囲気にしたい』 と
の意向から、当時の小石川植物園長に命じて、周囲に銀杏の木
を移植させたそうです。百数十年の時を経て、東大生と共に立派
に成長を続けて、今日に至っているわけです。

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安田講堂へ向かう銀杏並木の反対、つまり正門方向です。
イチョウ並木の美しさに誰しもが歓声を上げています。綺麗~。
学生だけでなく、一般の方が写真撮影をしている人、親子連れも
多く見かけます。落ち葉を拾う子供たちや犬の散歩をする年配の
方々もいて微笑 ましい眺めです。見事な銀杏並木です。

「溶姫 (ようひめ)」 -3
その後、溶姫はふたりの息子を生みます。このふたりが、のちの第
13代加賀藩主の前田慶寧、第11代鳥取藩主の池田慶栄となりま
した。慶応4年 (1868) 溶姫は、倒幕の気運が高まった江戸が危険
であるため、加賀藩 (石川県) へ移ります。 そして、その2ヶ月後に
55歳で亡くなります。 幕末の動乱期、加賀藩で何が起きていたの
か、時期が時期だけに、暗殺の可能性も匂って来る謎の死だった
ようです。溶姫は、篤姫や和宮と同じく時代に翻弄された女性の
一人であったと言えます。

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葉が全てまっ黄色になって、それが落ち葉となり、あたり一面が
イエロー絨毯の状態となるのです。しかし、時期が早かったのか、
すでに箒で掃いた後なのか、残念ながら落ち葉が少なかったです。
落ち葉の絨毯をサクサクと踏みしめるのが好きなんですけどね。

この時期になると人々が散歩や写真撮影を行っている光景を目
の当たりに しますが、意外にも絵を描く人の多いこと 印象派の
油絵の様な晩秋との色合い、まさに絵になります。本郷キャンパ
ス内は、誰でも自由に出入り出来ます。平日は年配の方やお子
様連れのお母さん方をよく見かけます。お子さまを連れて一度行
ってみると、将来のイメージトレーニングになるかもしれませんね。

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黄色の光の中、校舎も厳かな雰囲気が漂ってます。日が透けて銀
杏も葉もより輝いて見えて一年で一番美しい季節。晩秋を彩る大学
風景です。ここにいてよかったと心から思える銀杏並木。東大は自
然が多いので癒されますね。

「いちょう並木」 といえば、美しいシンメトリーを描く、明治神宮外苑
の銀杏並木を思い浮かべます。東大 ・ 本郷キャンパスの銀杏も見
劣りしません。 イチョウは長寿でその霊性も高く、浄化の力があり、
邪気を払って上空に飛ばしてくれるようです。気疲れや鬱状態に
なっている人はイチョウの木に触れてみるとよいかもしれません。
心身の疲労のリセットに効果大です。

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東京の数ある紅葉の名所の中で、私のお気に入りの場所が 「東京
大学のイチョウ」 です。大学の趣のある建物と合わせて、キャンパス
の中のイチョウってなんだか好きなんです。公園や日本庭園 のイチ
ョウもいいですが、晩秋になると黄色く色づく銀杏並木の キャンパス
内を散歩したくなります。

安田講堂前の芝生広場の地下に本郷キャンパスで一番大きな学食
・ 協中央食堂があります。 一般利用も可能なので安くてボリューム
のある学食に一度はチャレンジしたい。そう思って入ったのですが、
食堂のお姉さまが 「今日はもうお終いですよ」 と、土曜日は2時まで
のようです。残念なので、工学部11号館の1階にある 「スターバック
スコーヒー」 に行ってコーヒーを飲みました。コーヒーの味は、街の
「スタバ」 と同じでした。頭が良くなりそうな気がしたんだけど。(笑)

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学生の憩いの場所になっている 「コンコルド広場」。(上) その
一角に手に葉巻を持っている小粋な姿のコンドル像があります。
他に何やら怪しげな 「蛇塚」 もありました。

「ジョサイア ・ コンドル像」  (下左)
明治政府の要請を受けて来日し、優秀な弟子たちを次々と世に
送り出しました。文明開化の象徴として有名な鹿鳴館や神田のニ
コライ堂はコンドルの代表作です。弟子たちの作品には東京駅や
日本銀行、迎賓館赤坂離宮等があります。人々から親しみを込め
て 「コンドル先生」 と呼ばれた彼の銅像は工学部1号館広場に立
っています。日本の女性と結婚し、1920年東京で没しました。
コンドルの死から二年後に制作された像のようです。

「蛇塚」   (下右)
この広場には、江戸時代からの置き土産ともいえる古びた灯篭が
あります。その場所は加賀藩の女中屋敷があった所で、不義を働
いた女中は折檻を受け処刑されたと言います。この灯篭は、その
女中たちへの弔いの意を込めて建てられたのだそうです。 実際、
幾度かこの一帯を工事する計画が持ち上がったそうです が、その
度に現場では事故が起こり、結局工事は中止に追い込まれました。
現在も手付かずのままで残されているんだそうです。
時々女中の悲鳴が聞こえるそうですよ。(((( ;゜Д゜))) ガクガクブルブル

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東大工学部一号館前の 「大イチョウ」
工学部前のロータリーいっぱいに枝を広げる端正な姿は、全国の
数多いイチョウの中でももっとも整った樹姿です。大イチョウは非常
にのびのびと枝を広げています。若い樹のようにも見えますが、根
元に近づいてみれば、その幹の太さにはビックリします。おおよそ
5 mを越える幹周を持つこのイチョウが、たった100年ちょっとで、
これだけの大きさに育つかは疑問で、加賀藩時代からの樹では
ないかという気がします。

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安田講堂のすぐ近くに三四郎池があり、キャンパス内でもっとも
自然が感じられる場所です。池は底が見えないくらい深い緑色で、
周辺の木々が水面に映り、心を癒してくれます。周りを一周できる
遊歩道があり、ゆっくりと自然を楽しみながら散歩ができます。

「三四郎池」
三四郎池の正式名称は 「育徳園心字池」 と言います。
寛永3年 (1626) 徳川家光の内命により、前田利常が育徳園を
造園し、池を心字池と呼びました。心字池とは心の字をかたどって
つくられた日本庭園の池のことです。現在のように三四郎池と呼ば
れるようになったのは、夏目漱石の小説 「三四郎」 の中で主人公
がヒロインと出会った場所がこの池のほとり。心字池は誰いうとなく
三四郎池と呼ばれるようになったといいます。

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キャンパスの銀杏並木の黄葉が日差しに輝いています。銀杏の
黄葉が見ごろの時期は、桜の花の期間より短いようで、色づきは
じめたころは緑の頃と見た目に代わり映えもなく、完全に黄色に
なるとすぐに散っていくようです。場所によってタイミングが同じわ
けではないし、その一瞬をとらえるのは難しいですね。桜の花が
散っても若葉が出てくるが、黄葉が散れば枝が残るだけ。
冬篭りに入るので、さびしい気分を味わうわけです。

夏目漱石  『三四郎』
熊本の高校を卒業し、大学に入学するために上京した小川三四郎。
だが東京は、自分の常識とは全く違った世界であった。さまざまな人
と出会い、三四郎は自分は三つの世界に囲まれていると感じる。一
つ目は、母のいる故郷熊本。二つ目は学問の世界。三つ目は、華美
溢れる世界であった。三四郎は、美禰子のいる三つ目の世界に心を
ひかれます。三四郎は美禰子に恋慕するが、美禰子は曖昧な態度
を続けるのみでした。そして美禰子は 「迷える子羊 (ストレイシープ)」
という言葉を三四郎に幾度となく投げかけ、ついには兄の友人と結婚
してしまう。田舎から出てきた小川三四郎が、都会の様々な人との交
流から得るさまざまな経験、恋愛模様が描かれている物語です。

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「ハチ公と上野英三郎博士像」
ハチ公と言えば、渋谷のハチ公像が有名ですが、東大の農学部
キャンパス内にもあります。農学部正門入って左 (アネックス前)
です。 また、農学部正門入ってすぐ右に 「農学資料館」 には上
野英三郎博士の胸像とハチ公の臓器を展示されています。この
像が 「人と動物の相互敬愛の象徴」 として愛されることを願い、
ハチ公没後80年にあたる2015年3月に建てられたものです。

ハチは上野博士が長期不在の後は渋谷駅から戻ることを知って
いました。生前のある日、博士が長期出張から渋谷駅に戻った時、
改札口でひとり待つハチに驚き、互いにじゃれ合って喜んだことが
あったといいます。待っていたハチと上野博士が喜ぶところを捉え、
犬の純真さとそれを受けとめる人の素直な心が表現されているよう
です。ハチ公を飼い始めてから1年半ほどのちに上野博士は大学
構内で急逝しました。それからハチは死ぬまでのほぼ10年間、朝
夕に渋谷駅に通い、博士の姿を探し求めた話は有名ですね。

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それにしても、この広大な敷地と銀杏並木。歴史の風格を感じさせ
る校舎たち・・・いいですね。こんなところで学問できるというのは羨
ましい限りです。歴史ある建造物と銀杏の黄色の絨毯は、歩いて
いると落ち着いてきて、いろいろなことを考える時間をくれそうです。
勉強嫌いな私でさえも、なんだか勉強したいような気分にさせられ
る不思議なキャンパスです。さあ、晩秋の東大に行って、あなたの
知的好奇心を刺激させてみませんか。

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歴史ある東大は、学問だけでなく自然も残っていた素晴らしいキ
ャンパスでした。ここに来て良かったと晩秋を彩る大学風景です。
東大は自然が多いので癒されます。一度はこの素晴らしい大学
に赤門から入学してみてください。4年間とは言いませんが、
せめて2 時間程の滞在をしてみてはいかがでしょうか。





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