一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






いつも訪問して頂きありがとうございます。

仕合せと幸せを繋ぐ 「糸」

...2017/11/26 09:43...

秋もいよいよ深まり、紅葉のシーズンを迎えています。
紅葉という言葉からは、カエデなどが真っ赤に染まった
葉っぱを思い浮かべますが、葉が黄色く変化するのも
紅葉の一種。黄葉 (こうよう) と呼ぶこともあります。
その年の天候や環境の変化などによって、同じ土地の
同じ木々であっても、色づき具合が毎年異なるといわれ
ています。その色が変化する仕組みは、まだ分かってい
ないことも多いようです。

また、紅葉した木々を観賞する 「紅葉 (もみじ) 狩り」 は、
すでに奈良~平安時代には貴族の間で行われていたと
され、その様子が和歌にも詠まれています。美しく色づい
た葉を追い求めて野原を歩く、貴族たちの姿が目に浮か
ぶようです。私も、道端に落ちたカエデの葉っぱがあまり
にも鮮やかな赤い色をしていたので、思わず拾って見つ
めてしまったことがあります。

南北に長い日本では、紅葉前線が北から南へと下りきる
までに、10月初旬から12月初旬ごろまでかかるともいい
ます。自然が織りなす鮮やかなアートを、心ゆくまで観賞
してみませんか。冬支度の前に・・・・。

散るすすき 寒くなるのが 目に見ゆる  小林一茶

秋が深まり、日に日に散っていくすすきの穂。それを見ると、
日ごとに寒くなってくるのが目に見えるようだと詠った。

今週末にはもう師走。
今年も残すところ一ヶ月となり、慌ただしい毎日が続きます。
ちょっとした気の緩みが事故のもとになります。
気を敷きしめて残りの日々を過ごしたいものです。


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「仕合せと幸せを繋ぐ 「糸」」


先日、職場の仲間の結婚式に招かれた。
新郎、新婦に対する想いは、今まで作ってきた
二つの物語を大切にして、これから始まる新しい
物語を二人で築き合ってほしいとの願いを込めて
歌います。と、新婦の友人達が歌い出した。
                     
          「糸」 作詞・作曲 中島みゆき
 なぜ めぐり逢うのかを
  私たちは なにも知らない
  いつ めぐり逢うのかを
  私たちは いつも知らない

  どこにいたの 生きてきたの
  遠い空の下 ふたつの物語

  縦の糸はあなた 横の糸は私
  織りなす布は いつか誰かを
  暖めうるかもしれない     

たしか、中島みゆきさんの 「糸」 という曲だったと思う。
祝い酒を飲みながら聴いていた同僚が、突然
「この曲は出会いの原点を大切にしている曲だよなぁ」
と言いだした。「逢うべき糸に出逢えることを人は
「仕合わせ」 というんだろう」 と。

その時は、ほろ酔い気分だったので聞き流していた。
後日、気になって 「仕合わせ」 を辞書で調べてみた。
「仕合わせ」 は、「運命の巡り合わせ」 とあります。
そしていわゆる 「幸せ」 という言葉は、幸福、
幸運、さいわい。

歌詞の中で 『仕合せ (しあわせ)』 という言葉が
出てくるのですが、仕合せというのは運命や巡り合わせ
という意味の言葉です。一般的な、「幸せ」 とは意味が異
なるようです。人と人の出会いは良いことも悪いこともある。
けれど時には仕合せと言える出会いもあるのだと・・・・。

なるほど~。普段生活していると
「幸せ」 が当たり前に使われているけれど、
運命の巡り合わせがあって、幸せにつながる。
「仕合わせ」 も 「幸せ」 もある意味、同じなんですね。

日本語は、その時の気持ちによっていろいろな
ニュアンスを楽しめる素敵な言葉だなぁと思う。
「しあわせ」 と平仮名で書くのもそれぞれの筆圧や個性に
よって、いろいろな 「しあわせ」 があるのかもしれません。

人を糸、その触れ合う様を布と例えて、縦の糸と
横の糸、そしてその糸に斜めの糸が加わると、
絆の固い家族を想像してしまいます。
私たちもまるで一本の糸の様に細くてもろい生き物。
織り成す事で、きっと強くなれるのでしょう。

時には、せっかく素敵な人と結ばれた 「糸」 を
自ら断ち切り、他の女性に走る人もいますよね。(笑)
「人間ほど、愚かで、わがままで、自分勝手な
生き物はいない」。最近、よくそう思ったりもします。

「仕合わせ」 = 「幸せ」。
この2つの言葉を上手に 「繋い」 でこの 「糸」 という
曲を中島みゆきさんは、書いたのだろうなぁと・・・。
その深い歌詞の意味を感じ取りました。

みなさんは 「仕合わせ」 と呼べる
「幸せ」 に巡り逢ったことがありますか?
私が横の糸なら、縦の糸は 『あなた』 ・・・。
これからの人生でお互いの 【糸】 を紡いで
素敵な人生の織物を作りたいものです。

「何も知らない」 だから人生は面白い。
涙する人は 「苦しさ ・ 辛さ」 を知っている。
それだからこそ 「出会い」 とは素晴らしい。
「仕合わせ」 が 「幸せ」 になりますように・・・・・。


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「ゴッホ展 ~巡りゆく日本の夢~」   
    東京都美術館  2017

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3連休に上野の東京都美術館で開催している 「ゴッホ展」 を観賞
しに訪れたのですが、当然のごとく凄い行列。それでもあきらめき
れず、夜間に切り替えて無事に鑑賞出来ました。久しぶりの美術
鑑賞です。会場内で知り合いに遭遇。昼に訪れたが行列が凄く
て夜間にしたのだという。やっぱり夜間は空いてていいね・・・と
苦笑い。そんなわけで、芸術の秋を堪能しました。紹介します。

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上野では東京国立博物館で 「運慶展」、国立科学博物館では
「古代アンデス文明展」、上野の森美術館で 「怖い絵」 展、上野
公園内では省エネ 「あかりパーク ・ 2017」 も開催されていて、
それぞれ秋の芸術を求めて集合した感じで大混乱でした。日も
暮れた夜間に訪れたら人も疎らでした。その前に省エネ 「あか
りパーク ・ 2017」 を見学。こちらは人でいっぱいでした。

「東京都美術館」
美術館や動物園などの文化施設が集積する通称 「上野の山 」 の
一角に位置し、東京を代表する文化施設群の一翼をなす美術館。
明治後期から大正にかけて近代美術館の必要性が議論されたが
予算不足のため頓挫。そうした折、若松 (現在の北九州市) の石
炭商 ・ 佐藤慶太郎から東京府に美術館の設立資金として建設資
金の全額100万円 (現在の32億円相当) を寄付する申し出があ
り、東京都美術館は 「東京府美術館」 として大正15年 (1926)
に日本で最初の公立美術館として開館しました。

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昼間 (下左) は、入場制限されてかなりの行列でしたが、夕方以降
はガランとしてスムーズに入場出来ました。(上) 私は時間をかけ
てじっくり見るタイプなので、夜間は人も少なく絵を鑑賞出来るため
に、いつもより時間をかけて丁寧にみました。夜間はそう言う人が
多いみたいです。真の美術好きの方たちなんでしょうね。

ファン・ゴッホは、浮世絵をはじめとする日本美術から大きな影響を
受け、生涯にわたってさまざまな作品を描きました。今回の 「ゴッホ
展」 は、その副題が示す通り、日本の、特に浮世絵との邂逅によっ
て、浮世絵がどれだけゴッホの絵に影響を与えたか、ということが
大きなテーマになっています。

「ゴッホ展 ~巡りゆく日本の夢~」
会期 : 2017年10月24日 (火)~2018年1月8日 (月・祝)
会場 : 東京都美術館
時間 : 9時30分~17時30分 (金曜日は20時まで)
料金 : 一般1600円、大学生・専門学校生1300円、
      高校生800円、65歳以上1000円

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会場入口には 「ゴッホと日本」 をイメージした金屏風が設置されて
いました。葛飾北斎や歌川広重の浮世絵も展示されていて、いか
に影響を受けたか、ゴッホが日本を愛していたかが伝わってきます。

『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』 は全5章構成となっています。また、
ファン・ゴッホ作品40点と、同時代の画家の作品や浮世絵など50点
を展示し、日本美術がファン・ゴッホに与えた影響を検証する部分と、
大正から昭和初期にかけてゴッホゆかりの地を訪れた日本人たちの
「聖地巡礼」 の足跡をたどる部分にセクションが分けられています。

第一章 : パリ 浮世絵との出逢い
ファン・ゴッホは、1886年末から約2年間パリで暮らし、さまざまな
人々やものに出会うことになります。出会ったもっとも重要なものは、
「印象派」 と 「浮世絵版画」 と言われています。印象派の技法を吸収
したことによって、オランダ時代にカンヴァスを支配していた暗い色彩
が消え、明るい色調へと変化。さらに、浮世絵のもつ平坦で鮮やかな
色面の構成や西洋とは異なる遠近法を学び、実験的な模写をします。

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最初に、ゴッホの 「自画像」 が迎えてくれます。その後は、展示の
約半分が、浮世絵等になっていて、日本の絵が、ゴッホにどう影
響を与えたのか、という展示でした。

ファン ・ ゴッホ自画像 「画家としての自画像」 1887年
パリ滞在中の最後期に描かれた作品で、私自身は初めての拝見
ですが、日本には12年ぶり2度目の来日のようです。画面右側は
画中のゴッホが取り組んでいるのであろう絵画作品の画架 (イー
ゼル) が、画面下部では色彩豊かなパレットと数本の絵筆が画家
の力強い右手によって握られています。細かな筆触で覆われた青
色の上着や、原色が連なるパレットの描写には、彼がこの街で獲
得した色彩表現が遺憾なく発揮されている感じです。

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今回の展覧会で一番印象的だった作品は、この 『花魁』 ですね。
日本の絵なのだけれど、やはりゴッホが見ていた日本、ゴッホが
作りだした美しさがそこにはあって、すごく感動しました。

ファン ・ ゴッホ 「花魁 (溪斎英泉による)」 1887年 (左)
浮世絵に強い関心を持っていたゴッホは、当時パリで発行された
日本特集の雑誌の表紙を模写したものです。雑誌が左右反転し
て元の浮世絵を印刷したため、ゴッホの作品も反転して描かれて
います。オリジナルは溪斎英泉の 「雲龍打掛の花魁」 で、背景の
2 匹の蛙は歌川芳丸の 「新板虫尽」 から、左側の2 匹の鶴も浮
世絵からモティーフを引用したようです。しかし中央の花魁には、
オリジナルにはない鮮やかな色彩をふんだんに使用しており、
さまざまなモティーフを自在に組み合わせることで、ゴッホ独自
の花魁像に仕上げている感じです。
溪斎英泉 「雲龍打掛の花魁」 1820~1830年代 (右)
江戸時代後期に活躍した美人画で名高い浮世絵師 ・ 渓斎英泉
による花魁図 ≪雲龍打掛の花魁≫ をゴッホが模写した作品とい
う作品。ゴッホは浮世絵版画を収集し、それを模写した油彩画を
描き、構図や色彩を学び取っていきます。「雲龍打掛の花魁」 を
見れば、「なるほど」 と納得できますね。ゴッホの目に浮世絵が
どう映ったかを想像すると、じわじわと感動の波がやってきます。

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まさかゴッホ展に行って歌川広重の 「名所百景 亀戸梅屋敷」 とか
葛飾北斎の 「富獄三十六景 神奈川沖浪裏」 等が見られるとは思い
ませんでした。思いがけず、まだ実際に見たことがない浮世絵も見ら
れて、ちょっと得した気分で楽しみました。うふ

歌川広重 「名所江戸百景・亀戸梅屋鋪」 安政4年 (1857) (左)
これは江戸の名所の風景を集めたシリーズで、浮世絵師の歌川広重
の晩年の作品です。亀戸の梅屋敷は、今の東京都江東区、亀戸天神
の裏手にあった梅園です。絵を見ている私たちの前に立ちはだかるよ
うに、梅の木が配置されています。近景と遠景の対比により、距離感を
出して、地面の深い緑色が上に行くにつれて淡くぼかされ、いつの間
にか赤みを帯びたあたたかい空の色に変わります。補色のグラデー
ションなどに、ゴッホは異国情緒を感じ魅了されたのかもしれません。
葛飾北斎 「富獄三十六景 山下白雨」  (右)
凱風快晴が 「赤富士」 と呼ばれるのに対して、山下白雨は 「黒富士」
と呼ばれています。裾野に夏の積乱雲がたち黒雲に被われ、稲妻が
走り、大地の躍動感を感じさせます。赤富士が静的であるのとは対照
的に描かれた作品です。また、富士山の頂上付近と下界との天候の
違いを描くことで、いかに富士が高い山であることを視覚的に訴えて
いるようです。

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ゴッホ 「カフェ・ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ」 (上) 
一見すると日本美術とは無関係にも見える作品の中に、よく見ると
右上の奥のほうに青い着物姿の女性が見え、その影響がうかがえ
る作品です。タンバリンのようなテーブルに肘を置き、煙草を手にし
ています。カフェのマダムで、ゴッホは彼女の店で浮世絵展を開い
ており、これはその時に描かれたもののようです。パリの画塾で知
り合ったロートレックに絵具の薄塗りを勧められて描いたそうで、都
会の風俗の一瞬を切り取るという、ロートレック好みの作品ですね。
ファン ・ ゴッホ  「三冊の小説」 1887年 (下左)
「三冊の小説」 という絵でした。これは、厳密に言うとちゃんとした絵
画じゃないのかも知れません。日本の貿易会社名の書かれた楕円
の板。(下右) パリ万博の展示準備をした 「起立工商会社」 という
会社の看板の裏に描かれた絵なのですが、それ自体にすでに存在
感があって、裏を見るとゴッホの絵があり、というとても興味深いもの
でした。これまで確かな根拠なく茶箱の蓋などと言われてきたという。

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ゴッホは、1853年にオランダで生まれました。27歳で画家になる
決心をし、33歳でパリにでます。そこで出会った日本の浮世絵に
すっかり夢中になり。買い集めたり、作品に描き込んだりしていき
ました。その後、暖かく光あふれる南フランスの街・アルルを日本
に重ねて、そこに引っ越しました。アルルでも日本への夢を込め
た多くの作品を描きましたが、37歳のとき自ら命を絶ちました。

第二章 :  アルル 日本の夢
ゴッホは南フランスの小さな街アルルに降り立ちます。喧騒のパリを
離れたゴッホにとって、陽光と色彩にあふれるアルルはまさに別天
地であり、この地を彼は、しばしば 「日本のイメージ」 と重ね合わせ
ていたようです。ゴッホ自身、日本を訪れたことはありませんが、浮
世絵絵画をはじめとする日本の美術品や工芸品に触れるなどして、
独自の日本のイメージを自らのうちに築き上げていったのでしょう。

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ファン ・ ゴッホ  「アイリスの咲くアルル風景」 1888年 (左)
南フランスのアルルという田舎町は、ゴッホにとって 「憧れの国 日
本」 のイメージをしばしば重ね合わせたといいます。近景のアイリス
の花や遠景の建物、木々などに日本の版画の影響が見て取れます。
ゴッホは浮世絵を見てその運筆のすばやさと簡潔な描線に感銘を受
け、その線描法を素描や油彩に積極的に取り入れていました。西洋
絵画で地平線を高い位置に持ってくることは、近代以前にはなかっ
たそうです。当時の西洋人の目には、大変新鮮に映り、すぐ真似
したくなったのでしょうか。
ファン ・ ゴッホ  「雪景色」 1888年  (右) 日本初公開
遠景にアルルの町並み、前景に茂みや板囲いを描き、中景の雪面を
白い絵の具で浮き立たせています。普段暖かな気候のアルルも、この
時は珍しく雪が降ったと言います。ゴッホは、アルルに向かう列車の中
で 「日本にもう着くか、もう着くか」 と胸を躍らせていたという。 彼の中
では、アルルが 「日本そのもの」 に思えたらしく、初日に降った雪を見
て 「まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」 と手紙
にも書いているほどでした。作品は、まさにその雪景色を描いたもので、
こちらは日本初公開。

でも正直、日本に住んでいる私から観ると、ゴッホの両方の絵を観て
「日本っぽいー」 って思う景色とは思いませんけどね。(笑)

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ファン ・ ゴッホ 「サン=トマリーの海」 1888年
この絵、豪快な波、しぶき、油絵具が何重にも重なりカンヴァスは
波よりも波らしく彩られ圧巻です。絵の具をたっぷり塗りつけていて、
そのまま固まっているので絵の具が立体的になっている感じでした。
水の流れをキャンバスの上で再現するように、絵の具がびよーん、
ねばねばーって伸びてるんですね。近くで見ると本当に凄いんです。
ファン ・ ゴッホ 「種まく人」 1888年
ミレーの 「種まく人」 のテーマへの関心は、ゴッホの初期の頃から続
いています。沈む太陽と、これから芽生える種という、生命の連環を
表現しているとのことです。夕日が大きく描かれているのは、ゴッホ
の思い入れを表しているのでしょうか。ゴッホは、歌川広重 「江戸名
所百景 亀戸梅屋敷」 を模写した油彩画を制作していますが、この
「種まく人」 も、近景の木の幹を拡大して描く点が歌川広重の影響っ
ぽいですね。浮世絵の影響を受けた絵として分かりやすいですね。

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今回、展示会の注目のひとつかもしれません。失われたファン ・ ゴ
ッホの幻の作品 「恋人たちのいるラングロワの橋」。 一部分のみ残
った作品の断片や手紙、メモを手掛かりに、日本人画家により復元
されて、展覧会場を移動するスペースに飾られていました。(右)

ファン ・ ゴッホ 「水夫と恋人」  1888年  (左)
ゴッホの作品として現存してる油絵は、「恋人たちのいるラングロワ
の橋」 の作品の中の手前の恋人たちが寄り添って歩いている一部
分の 「水夫と恋人」 として現存しているだけです。なんで一部分し
か残っていないのかは分からないけど、この作品は、描いている
最中に天気が悪くなり、アトリエで仕上げたもので、本人としては
満足できない作品になったようです。 とにかく絵の具が分厚いん
ですよ。遠近感を隠すかの様な、人物よりも道の方が盛り上がっ
て見えました。多彩な表現が詰め込まれている感じです。
古賀陽子画 「恋人たちのいるラングロワの橋」  (右)
今回特別に展示された作品。「恋人たちのいるラングロワの橋」。
これ、じつは日本人画家 (古賀陽子氏) が復元した作品なんです。
ゴッホは作品のイメージを伝えるため、スケッチの中に色を指定す
るメモを書き残していました。色彩はメモに書かれた色の指示を忠
実に再現し、空は浮世絵を意識して平たんな黄色に塗られ、その
代わり、ゴッホの多彩なタッチや、勢いのある筆遣いによる躍動感
を表現したようです。インパクトがすごくて、印象にすごく残る絵だ
なと思います。大勢の人が足を止め、真剣なまなざしで復元され
た作品に見入っていました。完成したゴッホの幻の作品。元の作
品が残っていない以上、復元できたかどうか、正解はありません。

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東京都美術館は、絵画ごとに説明が付いているので、会場に掲示
された説明を丹念に読んでいくと、彼がいかに浮世絵の影響を受
けたのか、彼の絵のどこが素晴らしいのか、を良く教えてくれます。
今回は影響を与えた歌川広重の浮世絵もたくさん観れました。
やっぱり思い出しますね。お茶漬けのおまけのカードを・・・。(笑) 
余談ですが、歌川広重作 「東海道五拾三次」 のカード 「お茶づ
け海苔」 シリーズが、永谷園から約20年ぶりに復活し、カード
付きの製品が11月より順次販売するようです。

第三章 : 深まるジャポニスム
アルルでの数カ月の生活は、ファン・ゴッホ自身の眼を 「日本人
の眼」 へと変えました。この時期の作品に見られる輪郭線や色彩
の特徴は、ゴッホが南仏の陽光のもとで、あたかも浮世絵を描い
た日本人の画家たちのように世界を見始めた結果です。ゴッホの
ジャポニスムは、いっそう深化していき、終生みずからの芸術を支
え続けていきました。

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ファン ・ ゴッホ 「タラスコンの乗合馬車」 1888年 (左) 日本初公開
フランス南部にあるタラスコンという街の馬車を描いた作品です。
真っ青な空、黄土色の壁、その中の緑色の鎧戸付きの窓。 中庭の
白い砂、そして真ん中に馬車の赤、鮮明なコントラストで描かれてい
ます。そして、馬車の下には薄い紫色が・・・・・これは馬車の影だろ
うか。白い砂の中で、薄紫色の影が涼しげで心地いい。この可愛い
乗合馬車も近代化の波で、そろそろ終わり・・・・という時期だったの
かもしれない。平面的な色合いで描いたりという点が浮世絵から影
響を受けた箇所でしょうか。
ファン ・ ゴッホ 「夾竹桃と本のある静物」 1888年 (右) 日本初公開
幼い頃から花が好きだったというゴッホが、画家生活の間に描いた
花は少なかったそうで、 「夾竹桃と本のある静物」 は亡くなる2年前
の貴重な作品だそうです。 夾竹桃を庭に咲かせたいと願うほど好き
だったという。愛と希望を象徴する特別な花だったのでしょう かね。
実際、この絵を観た時、他の作品とは違う柔らかい色使いが優しさと
温かみを感じ、ゴッホの哀しみや心の傷を癒す花に見え、私の一番
忘れられない作品になり、何度も戻って観てしまいました。

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ファン ・ ゴッホ  「寝室」  1888年
アルル時代の最高傑作の1つと評される作品。ゴッホ自身は、
この絵を、「陰影は消し去った。浮世絵のように平坦で、すっき
りした色に彩色した。」 と語り、精神病の発症後、「僕にとって
最高の場所は、あの寝室だったんだ。」 と弟テオに手紙を送っ
ています。と説明にありました。どこか空間全体がゆがんだよ
うな、不思議な印象を与えます。単純化された様式、水色と黄
色など、大胆な色の対比に平坦な色彩。ゴッホが浮世絵から
学んだ要素を取り込んだアルル時代の到達点を示す作品で
しょうか。絵の左側の扉はゴーギャンの部屋につながってい
たとされます。

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ファン ・ ゴッホ 「オリーヴ園」  1889年  (左)
オリーヴのうねるような幹と呼応した筆致によって、力強い存在感を
放っている感じですが、ゴッホは療養生活を送りながら、さらに新境
地を目指して作風を変化させていきます。ただ、病状は良くならず、
晩年、自殺する直前の1889年に病院の近くにある 「オリーブ園」
を描くなど、寒色系や暗い色合いの絵の具が画面中をうねり、不安
定な心情が全面に出ています。日本の影響下に描いていた葦ペン
デッサンを色彩と統合して、独自の油彩画へと発展させています。
ファン ・ ゴッホ 「渓谷 (レ ・ ペイルレ)」  1889年  (右) 
ゴーギャンとの作風の違いが共同生活をわずか2か月で破たんさせ
ます。そしてゴッホは自分の耳を切り落とすという事件を起こし、精神
を病んでいきます。事件の後、精神病院へ入院したゴッホの画風はさ
らに変化します。ゴッホの心の激しさが際立つ、うねるような筆致、感
覚的、直観的であることがはっきりと見て取れます。晩年の太めな荒
い筆遣いでありながら、原色ではない実景風な印象です。それでも
ゴッホ晩年の作品より、ゴーギャンが自身の作品との交換を申し込ん
だほど気に入っていたという。

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ゴッホが生きたのは日本で言えば江戸後期から明治初期。江戸
時代は鎖国していましたが、長崎の出島ではオランダとだけ取引
きする日蘭貿易は許されていました。日本の浮世絵がオランダの
ゴッホの目に触れたのはこのためです。当時のオランダの人々が
グレポンと呼ばれる、皺の寄った特別の紙に描かれた浮世絵を見
て、感動していたなんて日本万歳です。精神病で療養中のゴッホ
の部屋に縮緬絵が飾ってあったそうです。

第四章 : 自然の中へ 遠ざかる日本の夢
1888年のクリスマス前、ファン ・ ゴッホは耳切り事件を起こし、コー
ギャンとの共同生活も終焉を迎えた。アルルの病院に入院した後、
ファン・ゴッホはサン=レミの精神病院に移った。これ以降、ゴッホの
日本への熱狂と賞賛は影を潜めるが、その後も日本美術からの影
響は受け続けました。

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ファン ・ ゴッホ 「草むらの中の幹」 1889年  (左)
療養中のゴッホにとって、病院は閉鎖的な施設でもあり、遠くを見る
ような風景は描けなくなります。そこで自分の足元に視点をフォーカ
スして、足元に生えている木の幹や雑草とかを細やかに描くように
なっていきます。この作品でも、木の太い幹の根元が丁寧に描かれ
ていて、ゴッホは日本人に強いあこがれを持っていたので、日本人
というのは自然を愛する人たちなので、草の芽、一本一本を描いて
研究して人たちだとゴッホはイメージしていたこともあって、こういっ
た作品を残しました。
ファン ・ ゴッホ 「蝶とけし」 1888年     (右)
精神病療養所に入ってからは、庭の片隅や植物をクローズアップで
描いた作品が増え、それらの何点かは日本の花鳥画を思わせます。
絵も雰囲気が変わっており、日本の花鳥画をモチーフにしたような
絵もあったりして、ゴッホは本当に日本が好きだったんだなと感じら
れました。日本の文化に興味があった、ということなんだと思うので
すが、自分の中で独自の日本像を作っていっているような感じがし
て、それもまた面白い所だと思いました。

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ファン ・ ゴッホ 「ポプラ林の中の二人」 1890年 日本初公開
オーヴェール時代にゴッホが好んで使った横長の画面に、ポプラ
の木の列柱と明るい色彩の下草が描かれています。視点は俯瞰
的ではなく、手前から林の奥まで見通すように設定されているが、
木々の間に見えるのは濃紺の背景です。

ゴッホがこの世を去る直前に描かれた作品です。これが今回の展
覧会で観たかった作品のうちのひとつです。 解説でも説明されて
いましたが、このように画面を遮るように木の幹を描くのも浮世絵
からの影響のようです。それはそれで、妙に惹かれる作品です。
顔も足もはっきりと描かれていない少々不気味な二人の男女に
待つ未来は果たして・・・・。

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モネもマネもゴッホも、日本の浮世絵に影響を受けていたのは、
以前、美術展でも学んでいました。でも、こんなにもゴッホが日本
に強く憧れていたなんて知りませんでした。 日本ってその昔から
世界のユートピアだったんですね。 日本美術とファン ・ ゴッホの
関係性にスポットを当て、これまで知られなかった貴重な資料と
ともに紹介され、ゴッホ以外の作品が多数あり、『これはゴッホじ
ゃないやん!!』 とツッコミたくなりますが、歌川広重、葛飾北斎
も観れちゃう! ・・となれば、お得なのかなと思いました。(笑)

第五章 : 日本人のファン ・ ッホ巡礼
1890年 (明治23年)、パリの北西に位置する小さな町オーヴェー
ル=シュル=オワーズで、ゴッホは息を引き取ります。 ゴッホの死
からおよそ20年を経て、日本では 「白樺派」 およびその周辺の文
学者や美術家たちの間でゴッホの紹介が始まります。大正から昭
和初期にかけて、渡仏した日本人の多くがゴッホの作品と足跡が
残るオーヴェール=シュル=オワーズへと赴き、ガシェ家には、
来訪した日本人の名が記された芳名録が3冊残されました。

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佐伯祐三 「オーヴェールの教会」  1924年   (左)
ゴッホが描いて有名になった 「オーヴェールの教会」 を、佐伯祐三
氏が描いた作品。日本画家 ・ 佐伯祐三はフォーヴィズムの大家モ
ーリス ・ ド ・ ヴラマンクに師事し、ヴラマンクやユトリロの影響を受
けながら独自の作風を追求していました。しかし、彼が他の誰よりも
崇拝していたのがファン ・ ゴッホでした。佐伯氏はこのオーヴェール
の教会の他にも、アルルのはね橋やカフェテラス、郵便配達夫など、
ゴッホが描いたモティーフを描き続けました。
前田寛治 「ゴッホの墓」  1923年  (右)
オーヴェールの墓地には、ゴッホをずっと物心両面で支え続けた弟
・ テオの墓も並んでいて、その様子を描いた洋画家 ・ 前田寛治氏
の 「ゴッホの墓」 の作品です。ゴッホは、ピストル自殺を図るのです。
そして弟テオに看取られながら、しずかにこの世を去ります。最後ま
で兄をささえてきた弟、テオもその半年後に亡くなります。兄弟は仲
良く永遠の眠りについています。改めて、日本を愛した画家に親近
感を覚えますね。

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アニメや映画の舞台となった街を訪れる 「聖地巡礼」 が、ここ数年
盛んに行われていますが、実は100年も前から日本人は同じことを
やっていたのです。ゴッホ聖地巡礼! 同じ画家をはじめとして様々
なジャンルの文化人が遠路はるばるオーヴェールまでやって来たの
です。日本を愛したゴッホは、同じように愛されていたんですね。

『芳名録Ⅰ: 初編』  表紙1922年3月9日~12月17日署名分 (左)
ガシェ家に残された3 冊の 「芳名録」 の一冊。日本初公開! ゴッホ
の死後、医師ポール=フェルディナン ・ ガシェに遺された作品を観
るため、そしてゴッホ最期の地であるオーヴェールを巡礼するため
に多くの日本人がガシェ家を訪れ、『芳名録』 に名前を残しました。
「芳名録」 は、その場所を訪れた日本人が名前を書いたノートです。
全部で3 冊あり、なんと合計約240人が署名をしています。ゴッホ
と日本には意外なカンケイがあったのですね。

『芳名録Ⅰ: 初編』  黒田重太郎の記載 (右)
大正11年 (1922) の訪問者を証言する1冊目の芳名録に、最初の
記念すべき署名が記されたのは3月9日、それは画家 ・ 黒田重太郎
氏だったようです。7月には白樺派の児島喜久雄が、9月には画家の
中澤弘光氏や間部時雄氏ら、美術関係者の訪問が記されています。
中澤氏と間部氏は、ともに現地でスケッチも描き、詳しい訪問記を残
しています。しかし、日本の画壇への影響という点で重要な役割を果
たしたのが、彼らに続いた里見勝蔵氏だったといいます。

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「ひまわり」 も、「ローヌ湖畔の星空」 も無く地味・・・・と言えば地味
な感じのゴッホ展でしたが、ゴッホの絵の他に浮世絵や日本人の
ゴッホ研究についても紹介しているんです。聖地巡礼的な足跡が
分かって、それも面白かったです。特に印象に残ったのが、式場
隆三郎博士へ送ったゴッホの葉書の文字です。細かくて小さい文
字だけれど、とっても美しい文字でした。絵を描かれる人は字も上
手なんですね。ゴッホから入って日本画に興味を持つルートもあり
だなー、と思いました。札幌から始まったゴッホ展。東京を経て京
都へと巡りますが、亡くなってから127年後の日本は彼の眼には
どのように映っているのでしょうかね。





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