一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。








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「今いる場所で・・・」

...2017/10/29 09:20...

10月 (October)。
暑かったり、台風に振り回されたり、
散々な10月も月末を向かえます。
先週、台風の過ぎ去った後、皆さんの所は
大丈夫だったでしょうか? 台風の影響を
受けた方々には、お見舞い申し上げます。

桐一葉。
桐の葉が 1 枚落ちるのを見て、秋の訪れを知る。
また衰亡のきざしの象徴とされるようです。
桐の葉は大きい。秋になる団扇ほどもある大きな
その葉が枯れ、乾燥してやがて桐の枝を離れて
地に落ちます。風がない夜にでもこの葉は落ち、
地上でカサカサ乾いた音を立てます。

「一葉落ちて天下の秋を知る」

と言う言葉があり、これから出た季語だそうです。
夏の季節を通じて空を隠していた桐の葉が落ちる
のを見て、秋の訪れを知ると言った意味の言葉です。

転じて、勢い盛んに栄えたものが、
凋落して行く様子の例えとして使われることもあります。
葉の落ちた音に驚いて、暫し声をひそめた秋の虫が
再び鳴く頃、落ちた桐一葉に感じるものは
秋の訪れなのか、人生の秋の兆しなのか・・・・・。
まさに衆議院選挙の結果を彷彿させます。

夜が長くなってきたこれからは、読書に親しむのに
良い季節 「読書の秋」 です。 「文化の日」 にまたがる
2週間を 「読書週間」 というらしい。秋の夜長スマホを
本に変えて、文学に親しむのも良いものです。

昔と比べて気候が異常に変化しており、従来の
季節感とのずれを実感することが多くなりました。
秋の夜長に・・・・・と、昔の人が言ったとおり、
これから良い季節を満喫したいものです。

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「今いる場所で・・・」

政治の世界や昨今の芸能界を眺めていて
学んだことが一つあります。それは、どんなに不満が
あろうとも、どんなに苦しかろうとも、自分の属する
組織から出てはいけないのではないか、ということです。
同じ世界で生きていくつもりならば、である。

外に出て理想を貫こうと思っても、
小さい組織では思ったように動けない。
整ったシステム、十分な人員や経済的基盤を持って
いなければ、良い考えがあっても実行に移せない。
能力のある人が大きな団体の外に出たばかりに、
元の組織を批評するだけの存在となってしまって
いるのは、本人が一番残念なのではないだろうか。

それより、今いる場所で誠実に働いて、
勉強して、力を蓄えて、やはりこの人でなければと
押し上げられるようになる日を、自分の意見が取り
入れられるようになる日を待つことが、結局のところ、
自分の理想を実現する近道なのではないだろうか。

オセロゲームで自分の色の石が少なく劣勢に
見えても、ある時どこかに置いた石が効いて、パン
パンパンと自分の色に変わる時が来るかもしれない。
元のところで意見が入れられないとか、
不遇であるのは自分にも理由があるはずだ。

ならば、自分が変わらなければどこへ行っても同じ。
数年前のベストセラー 「置かれた場所で咲きなさい」
(渡辺和子著) ではないが、見事な咲き方でなくても、
今いる場所で一生懸命咲こうとすることが、
次につながるのだろうと思います。

「置かれた場所で咲く」 。
確かに大変つらい境遇で、それをするのは難しいと
思います。ただ、置かれた場所で咲くって言うのは、
苦しい境遇でも我慢しろ、耐えろ、逃げるな、咲け!
といっている訳ではないと思います。

置かれた場所で最善の行動をしようとするときに、
不平不満の心を持ってかなしい顔をしているより、
明日はまた良いことができると思っていたほうが、
人生に良い影響を与えるように思います。

私たちは、つい、表に出るものに目を奪われ
がちですが、本当に大事なものである心や気持ち
は表には出ません。しかし、日々の生活感でも、
その表に出ない心や気持ちが、私たちを支えて
くれているのではないでしょうか。

渡辺和子さんは36歳で、岡山県のノートルダム
清心女子大学の学長になった人です。若くして、
慣れない土地で大任を任された彼女は思いつめ、
修道院を出ようとまで思った時、一人の宣教師が
渡してくれた短い英語の詩の冒頭の一行には、

Bloom where God has planted you.
(神が植えたところで咲きなさい) でした。


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高田馬場・流鏑馬 (穴八幡宮流鏑馬神事)

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近所のカメラ好きの方に 「流鏑馬」 を見に行きませんかと誘いを
受けた。流鏑馬! テレビでよく見かけるが実際に見学したことは
ない。興味もあってお供させてもらった。 場所は戸山公園で、新
宿区早稲田に鎮座する穴八幡神からほど近い場所にあり、尾張
藩徳川家下屋敷の跡地という歴史があるらしい。東京メトロ東西
線早稲田駅を下車、駅の案内に 「穴八幡方面出口」 とある。
久しぶりにワクワクしながら都立戸山公園 ・ 箱根山地区へ。

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流鏑馬が奉納される穴八幡宮は金銀融通のお守り 「一陽来復」 も
有名です。穴八幡宮に伝わる 「流鏑馬 (やぶさめ)」 は、現在でも
地域の一大イベントとして、毎年、体育の日に古式豊かにして勇壮
な流鏑馬が開催されています。

「穴宮神社」
流鏑馬が奉納される穴八幡宮の由来は、康平5年 (1062) に源義
家がこの地に氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀られ
たのが始まりです。寛永13年 (1636) 幕府弓持組頭がこの地に的
場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀した。山すそを切り開
いたところ神穴が出現し、以後穴八幡と称するに至った。商売繁盛
や金運上昇に加護があるとされる金銀融通のお守り 「一陽来復」
で有名です。お守りが受けられる冬至の日から翌年節分の日まで
の1か月半の期間には多くの人たちでにぎわいます。

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「高田馬場の開場式典・寛永13年 (1636)」 (上) 「流鏑馬絵巻
射手の図 (穴八幡宮社蔵)」 (下左) 「穴八幡神社入口の流鏑馬
像」 (下右)

「高田馬場流鏑馬 」
流鏑馬は、騎射の一種で、矢継ぎ早に矢を射る練習として、走る馬
上から的を射る射技です。平安末から鎌倉時代に武士の間で盛ん
に行われました。八代将軍吉宗は久しく途絶えていた流鏑馬の儀
式を制定しました。これに基づいて享保13年 (1728) に世嗣の疱
瘡 (天然痘) の平癒祈願のために流鏑馬を高田馬場で奉納した
ことが、穴八幡宮神事流鏑馬の始まりとされています。

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「都立戸山公園 (箱根山地区)」
流鏑馬が行われる戸山公園箱根山地区には、その名が示すように
小高い 「箱根山」 がある公園です。お椀をふせたような形の玉円峰
と呼ばれる築山があり、それが現在の箱根山です。箱根山を中心に
東海道五十三次に似せて造った、尾張藩の徳川光友の戸山荘庭園
があった所です。秋は紅葉、春は桜で有名です。朝夕にはご近所の
方の散歩コースにもなっている憩いの場所です。現在の高田馬場流
鏑馬は、昭和54年 (1979) から会場を都立戸山公園に移して開催。
明治6年から終戦まで、ここに陸軍の兵学校がありました。

「高田馬場」
東京の高田馬場の名物と言えば、早稲田大学と鉄腕アトム (高田
馬場はアトム生誕の地) だけではありません。地名の通り、かつて
は 「馬場」、お馬さんがいたところなのです。「高田」 の名前は徳川
家康の側室の一人である 「高田殿 (阿茶局)」 がお気に入りの地
だったからだそうですが、三代将軍家光の時代に旗本たちの馬術
訓練場となり、「高田 の馬場」 と呼ばれるようになりました。

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会場である 「都立戸山公園 (箱根山地区)」 に着いた時には、もう
すでに観客で一杯でした。(下左) 1~2番的は満杯で仕方がない
ので最後の的である3番的に場所を確保して待機。椅子席が設置
されていましたが、きっと招待客や有料客の席なのでしょう。(下右)

この 「流鏑馬」 が行われるようになったのは、八代将軍吉宗の治世。
将軍の世継ぎが疱瘡 (ほうそう) にかかり、その回復を祈って奉納
されたのが始まりのようです。流鏑馬は単なる馬術ではなく 「神事」、
神様に捧げるものなのです。予防接種のない時代は、こうした 「厄
除け」 が大切なんですね。将軍家ではその後も、世継ぎ誕生の祝
いなどの折にこの地で流鏑馬を行なってきましたが、子どもの健や
かな成長を祈る 「節句」 のような意味もあったのでしょう。

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流鏑馬の出場者は射手 (いて) と呼ばれます。厳しい修業を積ん
だ者だけが射手になることができます。射手は、「立ち透かし (たち
すかし)」 と呼ばれる日本にだけ伝わる極めて優れた乗り方を身に
つけています。立ち透かしは、脚で馬体を挟まず、腰は鞍に触れ
ずに紙一重で浮かせるというもので、習得が大変難しい技術です。
この乗り方により、射手は疾駆する馬上でも上半身が上下動しな
い美しい姿勢を保ち、的を正確に狙うことができるのです。射手の
服装は立烏帽子 (たてえぼし)、綾藺笠 (あやいがさ) を被り、鎧
直垂に射小手を着け、行騰 ・ 太刀を履き、箙を負い弓矢を持つ
という重武装。当時は常に戦の危機であったため、すぐに戦場に
向かえるようこの格好であったそうです。武士の狩装束です。

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「綾藺笠 (あやい笠)」 (上左)   
武士が狩りや遠行、流鏑馬をする際に被る笠を綾藺笠といいます。
綾藺笠は藺草 (いぐさ) を綾織りに編み、裏に布を張った笠で、中
央には 「巾子 (こじ)」 と呼ぶ突出部があり、ここに髻 (もとどり) (髪
の束の部分) を入れ、笠の周囲に藍革と赤革の帯を垂らしています。
「射籠手 (いごて)」  (上右)
弓を射るとき、袖が弦に当たるのを防ぐために、左の手首から肩に
かけておおう布帛 (ふはく) 製の筒状の籠手 (こて) のことを言う。
裏地や長さ、付けた感じなど人によってこだわりが色々有るようです。
「尻鞘  (しりざや) 」  (下左)  
馬上において、馬の腰に鞘が直接触れることを避けるため、または
雨露や物損から防ぐ目的でつかわれたもの。太刀の鞘を覆う毛皮
製のカバーで、鹿、猪、熊などの毛皮で出来ています。平安時代
後期からあるれっきとした刀装具の一つ。
「行縢 (むかばき)」  (下右)
武士が旅や猟をする際に、袴の上から着装する服飾品の一種。
袴をはいていても、乗馬していばらの道を通れば足を痛めることが
多いので、武士はこれをはくことによって、その災いから逃がれる
ことができた。行縢は、「向こう脛巾 (はばき)」 の語から転じたもの
です。シカの皮を正式として腰から足先までを覆う長いものを着用。

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「弓」  (上)   
正式には籐を巻いた重籐弓を使用しますが、通常の弓も使います。
日本の弓は馬上で用いるには長すぎますが、これは古代において
弾力が無い木弓で飛距離を伸ばそうとした結果です。しかし、この
不便な長弓を馬上で自由自在に操ること、即ち弓馬の道を究める
ことが日本の武士のたしなみでした。ヨーロッパでは上下比率は対
称ですが、日本の弓は握りの部分を中心にすれば、上下非対称で、
半分が短くなっている極めて特殊な形状のようです。
「弦巻 (つるまき)」 (下左)    
弓道の道具の1つに弦巻という道具があります。 予備の弦を入れて
おく容器で、箙の後緒に取り付けます。弦は折り目が付くと切れ易く
なるため、このような丸い容器に保管します。引いている途中でたま
に弦が切れたりします。要はその予備の弦を巻いておく物です。
「弽 (ゆがけ)」  (下右)
弓を引く際に手を傷めないように用いる鹿韋の手袋です。馬上では
手元を見ずに箙から矢を抜いたり矢番えを行うため、硬いものや手
に対し大き過ぎるものは向きません。本来は右手にはめ、弦から右
手親指を保護するために使う。流鏑馬では両手にしています。製作
する職人は 『かけ師』 と呼ばれています。

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「神頭矢 (じんとうや)」
矢には様々な種類がありますが、儀式で用いるのは鏑矢、雁股矢、
流鏑馬や馬上武芸で用いるのは 「神頭矢」 といいます。硬い木の
小さな塊を矢の先に付けたもので、物に刺さることではなく、木の
板を割るための矢で、流鏑馬や馬上武芸でもこれを用います。(下)

この矢を騎手は走る馬の上から的を狙い射抜いていくのですが、走
り抜ける馬場に立てられた3つの的を的確に射抜かなくてはならない
とあって、騎手にはかなりの技術と正確さが要求されます。また古来
よりの武芸ということもあり、数々の流派や尊ばなくてはならないたく
さん礼法が存在します。格式高い神事であるということが言えます。

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流鏑馬の前に穴八幡神社では、宮司以下神職が神楽殿にて祭典
を奉仕し、流鏑馬射手に弓と矢が手渡される等の神事が厳かに行
われます。祭典の後、江戸時代装束を身に着けた射手らが馬とと
もに戸山公園までの道を練り歩きます。行列の到着が遅れ、予想
以上に待ちくたびれた頃、ようやく一行が姿を見せました。(上)
戸山公園に到着後、前駆、名代役、日記役を先頭に射手一同は、
設えられた流鏑馬の馬場に進み、馬場末 (馬場の最後の場所)
に向かい、一周して馬場元 (スタート地点) に戻ります。 いわば
流鏑馬一行のお披露目という感じでしょうか。

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穴八幡宮を出発した一行は、早稲田通りを練り歩いた後、会場に
続々と到着。すでに、この日を待ちかまえていた観客が、特設の
馬場の会場を埋め尽くしていました。高田の馬場と言えば、「忠
臣蔵」 四十七士の一人、堀部安兵衛の 「高田馬場の決闘」 で
も有名な所です。そうした江戸の武士の荒々しい由来とは裏腹
に、現代の 「高田馬場」 はほのぼのした、お馬さんとの触れ合
いが行われていたのでありました。

お馬さんの様子までじいいっと観察し、ヒヒーンといななくとパチ
パチと手を叩いてはしゃいでいます。やはり都心の子どもたちは
動物に触れる機会も少ないからなのでしょうか。確かに牧場や
競馬場でも近所にない限り、馬が疾走する姿はめったに見るこ
とができません。子どもたちはおじさんたちの装束のコスプレ?
よりも、生の動物の姿に興奮しているようです。私も・・・です。(笑)

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「的」
約200 m 一直線の馬場には砂が敷き詰められ、その馬場には
「さくり」 といわれる走路に低い柵を設け、それに沿って角柾目ヒ
ノキの的が三つ設置されています。馬場元 (入口) から十七間
(約31 m) 一の的、そこから四十二間 (約76 m) のところに
二の的、同じく三の的が立ています。最後の三の的。(上)

各的の場所には、矢取り、的目付、幣振役の方々が待機します。
(下左) [的目付] は、的の的中判定と的の架け替えを行います。
(下右) [幣振] は矢が的に的中したことを幣を振って知らせます。
[矢取] は射手が放った矢を拾い上げ、射手に手渡します。このよ
うに、諸役には様々な種類があり、いずれも流鏑馬において欠か
すことのできない諸役です。流鏑馬を支える諸役に選ばれること
もまた名誉なことなのです。

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「奉射 (ほうしゃ)」
最初に行われるのは舞殿で弓矢を授かった3人の射手による騎射。
流鏑馬の射手を務めるのは、鎌倉時代の礼法、弓術や弓馬術を今
に伝える小笠原流。 「インヨーィ (陰陽-射)」 と、静まり返った特設
馬場に響き渡る射手の掛け声。勇ましい狩装束の射手が駆け抜け
る馬上から三つの的を次々と射抜いてゆく。最高速度で駆け抜ける
馬を見るだけでも十分に迫力がありますが、さらに馬上の騎手が矢
を放ち、的を射抜くのですから見ごたえあります。

流鏑馬は、疾走する馬上から的に矢を射る、日本の伝統的な騎射
の技術 ・ 稽古 ・ 儀式のことを言う。 流鏑馬 (やぶさめ) の語源は
「矢馳せ馬」、馬を馳せながら矢を射ることから矢馳せ馬 (やばせ
うま) といわれ、時代とともに、「やぶさめ」 と呼ばれるようになった。

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伝統的な流鏑馬界には封建的かつ封鎖的な規律があって、奉納
行事として披露することが多いため、実践的な色あいが薄まり、様
式が重んじられています。つまり的を正確に射抜くこと以上に、儀
礼や所作が重視されてるのです。

射手が放った矢が的に当たる瞬間、的目付が采揚などの指揮と判
定を司った後、矢取役は矢を拾い、矢羽根に付いた泥を落とし、矢
受渡役に矢を渡します。(下左) 諸役が騎射を終え馬場末のいる
射手の所へ向かいます。(下右) 先頭の方が持っているのは矢袋
で、弓に不具合が生じた時に取り換える予備の弓が入っています。
次の射手が終わるまで待機して、馬装を改め、一行は馬場元へ戻
って行きます。(上)

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日記役が立ち出て、射手の中から一番の射手がこれに出向かって
ひざまずくと、日記役は 「流鏑馬はじめませ」 と宣する。いよいよ、
流鏑馬射手三騎による流鏑馬が始まります。射手は馬を全速力で
走らせながら一の的から順に、弓に矢を番えては放ち馬場を駆け
抜けます。その勇姿に観客の歓喜の声と拍手が鳴り響きました。

大勢の観客が見守る中、約200 m の馬場を走り抜けながら、その
間にある三つの的をめがけて矢を放します。矢が的に当たると、観
客からは、大きな歓声と拍手が沸き起こっていました。が、私たちの
居る場所は馬場末の三の的付近。一~二番の的は遥か彼方で到底
見えません。わ~っと歓声が上がりると、どうなっているの? と馬場
沿道から眺めます。「おおぉ~」 と歓声が上がれば的に当たったんだ。
「ああぁ~」 と聞えれば、外れたんだぁと感じるしかありませんでした。

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「射程」
馬場の両端を馬場元 (スタート)、馬場末 (ゴール) といい、射手は
馬場の三ヵ所に立てられた的に矢を放つ。砂塵を巻き上げて疾走
する姿は迫力十分だ。馬を馳せながら矢声 (やごう) をかけるが、
意味のない言葉は臆病声といい、意味ある言葉として 「インヨー
(陰陽)」 の声をかけます。矢声は番える動作の間に発すのだという。

神事では、一の的まで 『インヨウ (陰陽)』、二の的までに 『インヨウ、
インヨウ』、三の的まで 『インヨウ、インヨウ、インヨウ』 と矢声を掛ける
そうですが、夢中だったので気が付きませんでした。(笑) 騎射挟物
では、三の的までに掛ける3回の言葉が 『ヤーオー』 に変わるという
相違があるのだそうです。馬はデリケートなので、鳴り物やカメラのフ
ラシュ撮影などは嫌うのでやってはならないが、観衆が普通にほめ
たたえる歓声を上げるのは大いにしてもらってよいということでした。

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「的中」
的をめがけ疾走する馬上から矢が放たれ、見事命中。気持ちよく
的板が飛び散ります。矢が的に当たる度に、馬場沿道から拍手と
歓声が沸き起こります。それにしても凄い技でありスピードです。
ちょっとあなどれません。的から的までの所要時間は約5秒位だ。
この間に弦に矢をつがえ、的を狙い、弓を引き絞り、矢を放ちます。
一瞬の手違いが勝負の分かれ目。息が詰まり手に汗握る瞬間です。
この人馬一体の疾走感が流鏑馬の醍醐味だそうです。

矢を継ぐことを 「矢継がえ」 といい、「矢継ぎ早」 とは流鏑馬から出
た言葉です。相撲と同様に伝統の専門用語が多いです。馬の走る
速度が早過ぎると騎射は難しい。そのためサラブレッドは速過ぎる
ので使用されません。矢継がえが遅れて騎射に間に合わなかった
場合は、その矢を捨て去って、次の矢継がえを行います。一の的
を射るための矢で二の的を射ることはできません。流鏑馬は矢継
がえで勝負が決まるとも言えますね。

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太平の世とはいえ本物の武士によって行われた江戸時代の流鏑
馬は、現在よりも的中率が高かったようです。ただし、当時は馬の
体格も小さく、スピードも今より遅かったのだともいう。 すべての、
騎射が終了し最後に行列を組んで引き上げていく。 射手たちは、
常に表情を面に表すことなく粛々と、かつ勇壮に、すべての演武
を無事に終えました。都立戸山公園の特設馬場での流鏑馬が終
わり、穴八幡宮へ神事の報告へ向かう一同。最後に神前で礼拝
し高田馬場流鏑馬が終了します。威風堂々、馬場を引き揚げる
流鏑馬関係者に惜しみない拍手がおくられました。

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世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を高田馬場で行ったのが、
将軍家奉納の穴八幡神事 ・ 高田馬場流鏑馬。意外にもこの 「流
鏑馬」 の見学者は親子連れが多かったです。もちろんマジな望遠
レンズを携えて早朝から場所取りをしている御仁たちは、シニアを
中心とした文化レベルの高い方たちのようですが、その人達に混
じって、 「お馬さん」 を見ようという子どもたちの姿に嬉しくもありま
した。古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬。 貴重な伝統行事を
見て、古い時代の美に感動をおぼえたのであります。
私も 「弓道」 をやってみようかしら。うふ 

帰りに・・・・、何故か早稲田駅近くで、
     名物の 「鯛焼き」 を買って帰宅しました。





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