一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「思えば思われる」

...2017/04/30 10:50...

みどりの日、こどもの日のゴールデンウイーク
の到来で、人口流動が活発化する季節です。
こいのぼりが春風におよぐ季節になった。

私たちが子どもの頃は、青空の下で屋根より高い
こいのぼりが見られたものだが、今時は少子化に
加え住宅事情が影響して小型化し、マンションの
ベランダどころか、机上で楽しむミニチュアサイズ
のものまで登場しているようだ。

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今日、浅草を訪ねたら相変わらず凄い人出でした。そして
外国観光客の多いこと。外国語が飛び交って、ここは日本
なのだろうかと、ふと錯覚を起こすほどでした。そんななか、
浅草寺の横で、こいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいた。

「子どもの日」 が近くなると、幼稚園児が自分で
作った黒と赤や青のこいのぼりを持って帰る姿を
よく見かける。それは、娘の思い出につながる。

赤と青の色を選んで2 匹のこいのぼりを作った。
パパの黒のこいのぼりはどうしたのかなと思いつつ、
2 匹は誰かと聞くと、「赤はママで、青は自分」。
パパはどうでもいいのかなと半分すねてしまった。
こいのぼりが風になびく季節になると思い出す。
子育て真っ最中の頃の懐かしい出来事だ。

良寛が 「春は花 山ほととぎす 秋はもみじ花」 と
歌っているように日本の四季は世界に誇れるものだ。
それに川、海、山、池なども豊富に存在し、外国には
ない美しさがある。

ゴールデンウイーク。
今年は、5/1、2に休みを取れば9 連休とか。
皆さん、楽しいゴールデンウイークを・・・・・。


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「思えば思われる」

人間には世の中から認められたいという
欲望があるという。それは自分という存在の
確認であり、一生続く欲望と見られるようです。
こんな話を聞いたことがあります。

もっぱらお年寄りをダーゲットに詐欺商法を
持ちかけられ、被害にあったおばあちゃん。
それを知って駆け付けた家族。
「何でこんなバカなことに引っかかるの?」
すると、おばあちゃんはこう言ったそうです。
「そやけど、あなたたちよりも彼らの方が
ほんまに優しかった」。

「優しかった」。すなわち自分の存在をちゃんと
認めてくれた、というわけです。病院でも長期入院中の
お年寄りには 「今日は顔色がいいですね」 といった
看護師さんの一言が、薬より何倍も効果があるという。
わかる気がする。

子どもは見舞ってくれなくなった。自分は忘れられて
いるのだろうか。ふとそんな思いにかられがちな病院で
看護師さんからかけられた一言。それもずっと見守って
くれていたんだと思える言葉。うれしいに違いない。

知人の臨床心理士が言っていた。
「相手を認めることが私たちの仕事の基本です。
悪いところを直してあげようなんて思っていたら、
みなさん、心を開いてくれません。いいところを探して
相手の存在をちゃんと認める。そういう人間関係が
できてはじめて向かい合えるんですよ」 。
私ふうに言えば、それは 「思えば思われる」 関係だ。

人間関係は難しい。苦手な人物はいろいろいる。
嫌いだから付き合わない。それですむなら、そうしたい。
しかし職場などではそうもいかない。どうするか、
とりあえず見方を変えてみる。彼の良いところは
なんだろう。その人ならではの持ち味はあるものだ。
先の臨床心理士の話だと、悪いところと思えるところでも、
見方を変えれば、それがその人の憎めない
ところだったりするという。

長所の一つや二つはすぐ見つかるだろう。
後はその良いところを大切に思って接してみる。
すると、彼の態度も変わってきた・・・・・。
思えば思われる、である。

昨今は 「心の病」 はもちろん、いじめも増えている。
世の中の息苦しさは増す一方のようです。
悲しいかな、それは思えば思われる関係ではなく、
嫌えば嫌われる関係を物語るものだろうと思います。

心理学では 「好意の返報性」 に対して 「嫌悪の報復性」
というそうだ。報復なんて、怖い話ではないですか。
互いに 「思えば思われる」 、この関係でいたいものです。


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伝法院   ~浅草寺の本坊と国の名勝庭園~

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「浅草観音うら ・ 一葉桜祭り」 の 「花魁道中」 を見た後、浅草寺
へと戻ったら伝法院庭園入口の付近へたどり着きました。ちょうど
春の伝法院庭園の特別公開が開催されていました。案内した外
国の方が、ぜひ庭園を拝観したいと言うので、入口にいったら最
終入園時間は4 時とのことで慌てました。 伝法院庭園の拝観に
は 「大絵馬寺宝展」 の拝観も含まれており、数々の寺宝や江戸
情緒の残す庭園は一見の価値ありと思い、寺院庭園を散策して
みました。庭園からは、浅草寺の五重塔と東京スカイツリーが見
えるスポットですが、この日は曇り空、五重塔は修復中なので見
ることは出来ませんでした。上の写真は以前に撮ったものです。

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仲見世通りから伝法院通りを左に曲がって、少し歩くと右手に門
があります。(上) こちらが通用門ということになります。(下右) 
通用門は明治36年に移築したものです。尚、仲見世通りを宝蔵
門に向かって歩くと、伝法院通りを渡ったすぐの左手、奥まったと
ころにあるのが荘厳な表門です。この表門をくぐると、浅草寺の本
坊であり貫首の居宅でもある伝法院です。 その敷地の大半を占
める伝法院庭園は、観光客の喧騒から隔絶され、静穏な空気が
流れる、江戸時代から継承される都内に残る数少ない寺院庭園
です。(下左)

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浅草寺の向かって左側、五重塔とその足元の建物が 「五重塔院」
と呼ばれています。その五重塔の横側に伝法院の庭園入り口が
あります。(上) 通常は扉が開いていますが、拝観終了後に撮っ
たので入口は閉まっています。浅草寺・伝法院庭園 「特別公開」
のお知らせ。(下左) 時間がなかったので慌てましたが、こちら
が入口になります。(下右) 毎年この時期に一般公開しています。

  国指定名勝 「伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展」
開催場所 : 伝法院庭園
開場時間 : 午前10時~午後4 時30分 (最終入園午後4 時)
拝観料   : 300円 (同伴者で中学生以下は2名迄無料)
※ 特別公開の収益は東日本大震災の義援金になるようです。

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先ずは 「大絵馬寺宝展」 などを観てから庭に出ます。浅草寺の
お宝である 「大絵馬」 など文字通り特大の絵馬の数々は現代の
ギャラリーであり圧巻です。「大絵馬寺宝展」 内での写真撮影は
禁止でした。出口の様子です。(上左) 出口には浅草寺の屋根
瓦として使用されているチタン瓦も展示されていました。(上右)
庭園に向かう場所から、後ろのビルみたいな物は修復中の五重
塔なんです。(下左) なかなかの景色なのですが残念でした。
以前、撮った時の写真を紹介しておきます。五重塔の右側に
東京スカイツリーが見えています。(下右)  見事でしょ。

「大絵馬寺宝展」
浅草寺が所蔵する貴重な大絵馬・扁額をはじめ、ご本尊の由緒と
寺の歴史を描いた 「浅草寺縁起絵巻」 や絵画工芸などの浅草寺
の多くの寺宝のうち、約60点の精華が特別に展示されていました。
幾度の火災や震災をくぐり抜けて、今に伝わる貴重なもので、浅草
寺の歴史と文化を物語る上で重要な作品群です。いつもは、お寺
の長押の上にあって、見上げるだけの大絵馬が、すぐそばで見ら
れて迫力満点でした。徳川秀忠、家光奉納の蒔絵馬が見所です。

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数々の見応えある寺宝を拝観した後は、伝法院庭園の散策です。
順路どおりに庭園を観ていきます。(下右) 最初は、「経が島」 を
中心としている池の庭園です。池の中に浮かぶ 「経が島 (きょう
がしま)」 には、一字一石の写経が地に埋められており、聖域とし
て扱われているため、立ち入り禁止になっています。(上) 池の
水面に映る五重塔と、本来なかなかの景色ですが、修復中の囲
いのみで残念。(下左) この 「経が島」 の周りは木々に囲まれ
ているせいか、都会にいながら空気がおいしく感じられます。

「伝法院庭園 ・ 経が島」
庭園入口から入りますと左手、北の池のほぼ半分を占めているの
が経ケ島で、浅草寺の中興第一世の忠豪上人の墓塔や石碑壁、
写経が埋められている浅草寺の聖域のようです。経が島から少し
進む (下右) と施無畏 (せむい) 橋があります。施無畏というのは、
畏れなきを施すと読みます。これは恐れを取り除くという意味です。
施無畏橋が、安心して訪れる人を歓迎しています。

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経が島から少し進むと大書院の前庭が見えてきました。伝法院 ・
大書院の手前には樹齢300年のしだれ桜が、その見事な枝に
花をつけています。残念ながら曇り空で、しだれ桜も映えません。

浅草寺の伝法院は、もともとは浅草寺の住職らが生活する場所
としての 「本坊」 として造営されていたようです。本坊とは、主に
その寺院のトップである住職が生活を営む 「家屋」 のことです。
つまり、これが 「伝法院」 の役割であり起源と言うことになります。
江戸時代より、時の将軍や天皇家を招く場所とされており、明治
時代まではいっさい非公開とされていました。つまり、一般の人
は立ち入ることが叶いませんでした。しかし非公開であるのは現
在も同じなのです。ただ、古来とは違うのは、桜が満開に花を咲
かせる 「春」 や紅葉の 「秋」 に期間限定で公開されるようです。

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「伝法院庭園」
江戸時代前期より、ごく限られた人にのみ入園を許されていた浅草
寺の伝法院庭園。 戦災を免れることができたため基本的な庭園の
様相が大きく変わらず、当時の趣を現在にまでとどめています。

「伝法院」 の庭は、大きな池の回りをぐるりと一周して見る、池泉回
遊式の庭園です。この庭園は、寛永年間 (1624~1644年) に江戸
初期の大名茶人として知られる小堀遠州 (こほりえんしゅう) が築
いたものです。伝法院は、徳川将軍などが御成りの際に御膳所と
して使用したことから、大名ですら簡単に拝観できない秘庭でした。
庭園には石燈篭や宝塔が配置され、また四季折々の色をみせる
広葉樹も多く植えられ、一歩一歩違う景色をみせてくれます。この
伝法院の庭園は、平成23年に国の名勝に指定されています。

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浅草の町から、庭園へ一歩足を踏み入れると、そこは別世界。
雷門や仲見世の大賑わいとは対照的で、浅草の喧騒からは想像
もつかないほどの静寂があたりを包みます。都会の喧騒を忘れさ
せてくれる木々で囲まれた庭園につい見とれていると、この庭園
を造った遠州の偉業を称えずにはいられません。 京都の大きな
お寺に比べたら、それほど広い庭ではないのでしょうが、賑やか
な浅草の中にあると思うと奇跡のような空間でした。

約1万平方メートルあるこの庭園の周りは背の高い樹木で囲まれ
て、庭の中央にある池の周りは、キレイに手入れされた芝と松が
青々と茂っています。なだらかな起伏が設けられている園内の池
には鯉が泳ぎ、木々には野鳥がとまり、長閑な景色を楽しめます。
庭に面した大書院から西側の池を眺めると、左手に大きな築山が
あり、その山頂から流れ落ちる三段の枯滝石組と水面を表現した
州浜が広がります。そのまま視線を中央に移すと、出島や中島に
よって起伏に富んだ護岸が展開します。

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池に映る姿が美しい 「大書院」 は、寄棟造、浅瓦葺きの屋根を持ち、
東に渡り廊下がついています。4 時過ぎたので、縁側の戸板引き戸
が閉められました。庭の池側に降りると錦鯉が優雅に泳いでいます。
明治4年 (1871) に再建された、浅草寺本坊伝法院の書院の一つ。
上の間 ・ 中の間 ・ 下の間に分かれ、江戸時代、浅草寺は法親王
の兼帯寺であり、法親王様ご来寺の際には、大書院の間にて休憩
なされたようです。大書院の左側に微かにスカイツリーが見えます。

「大書院」
一般の住宅では、床の間の脇にある棚と障子で構成されたコーナ
ーを指すことが多いです。原形は、安土桃山時代に武家や貴族な
どの客殿形式として完成し、後に住宅形式となった 「書院造り」。
文章を書いたり書物を読んだりする空間が形式的に残ったもの。
日本の仏教寺院で僧侶が学問する場所。公家・武家住宅では居
間兼書斎として用いた部屋でしたが、一棟の建物全体を呼ぶよう
になったようです。 今でいう書斎のような場所でしょうか。

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大書院は、室内の華麗な装飾,庭園の眺望に配慮した柱配置な
どに近代的な技巧を凝らした造りになっています。 通常は外から
室内を眺められるように雨戸や障子も開けられていますが、訪れ
た日は終了間際だったので雨戸が閉じられていました。以前に訪
れた時の写真で紹介します。その時は、「お茶はいかがですか」
とお茶までいただいて、この一服のお茶に心癒されたものです。

知人が伝法院の内部を特別に見学した経験があって、聞くところ
によると玄関を入ると広く長い廊下。その先に見える、客殿の広間。
そして、台所、新書院の脇を通り、さらに奥へ進むと、こちらは築百
年余りの大書院。三室に分かれた奥の間には、床の間そして天袋
と地袋を備えた違い棚。各部屋には、桐、牡丹、水鳥の欄間彫刻
がそれぞれ施されており、その凝った細工や高い技術に、ため息
がでるほどだったようです。回廊から一望できる庭は、都会にいる
ことを忘れて美しさに浸っていたいほどだったそうです。ふ~ん

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池の周囲に小径がめぐらされた「回遊式庭園」であり、歩むごとに
景観の変化を楽しめます。北側の池から西南の池の間は渓流の
ようになっています。庭園の諸所に石塔や石灯籠などが置かれ、
景観に趣を添えます。石橋を渡れば、岬のように池に突き出した
大出島に出るようです。喧騒を離れて、しばしの静寂。土の上を
歩き、風に吹かれ、若芽の柔らかな緑を愛で30分の散歩でした。
園内には 「大島桜」 や 「しだれ桜」 が自生していますが、曇り空
では満開の桜も映えませんね。(笑) 終了間際だったので人もま
ばらで、ゆったりと拝観できました。散歩にはよかったのですが、
土日となると訪れる人も多く、大混雑するようです。

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「新書院」
こちらは大正時代に造られた書院だそうで、書院群は明治後期から
大正期に復興された建造物のようです。縁側は前面ガラスで覆われ
ていて、昔のガラスですから、その歪みがまたいい感じで光を反射し
ているのです。“ 時 ” を感じさせます。素敵です。書院前の藤棚は
古い藤木にもかかわらず高貴な色を醸し出しているといいたいので
すが、残念ながら藤棚には藤の花は咲いていませんでした。 書院
前のソテツが見事です。いろいろな角度から知人が見ていましたが、
それがまた何故か自分のふる里の実家を思い出してキュンとなって
いました。(笑)  家の造りが同じだったんでしょうかね。
父母はお元気でしょうか。

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「天祐庵 (てんゆうあん)」
伝法院庭園内には 「天祐庵」 と呼称される茶室があります。名古
屋の茶人である牧野作兵衛が、安土桃山時代に千利休が京都に
建てた 「茶室不審庵 (ふしんあん)」 そっくりに天明年間に造った
ものです。もとは名古屋、そして向島の徳川圀順邸、その後は上
目黒の津村重舎邸にありましたが、昭和33年伝法院の庭園に移
設されました。天祐院の名前がついたのは、伝法院に移設されて
から付けられた名前で 「天を祐 (たす) ける」 という意味合いに
なるそうです。天祐庵の腰掛待合所もありました。(下右)

【メモ】
津村重舎氏とは、現在の薬品メーカー 「株式会社ツムラ」 の前身
である 「津村順天堂」 の創業者です。津村順天堂と言えば、年配
の方は 「バスクリン」 を思い出すのではないでしょうか。精製する
過程で出る ” くず ” を従業員が持ち帰り風呂に入れたところ、夏
のあせもが消え、冬には体がよく温まるという経験をヒントに 「くす
り湯中将湯」 を発売。さらにこれを改良 ・ 研究の結果を得て 「バ
スクリン」 が出来と言われています。 また徳川圀順氏とは、元 ・
日本赤十字社社長であり、水戸黄門さん (徳川光圀) の子孫です。

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小石に縄で結んである小さな石を見て、ここでも外国の方に質問
されてしまいました。 (下左)  よく見ると庭先に縄で結んである石
が置かれています。(下右) これは茶道における約束事 (作法)
で、茶庭や露地の飛び石を伝わっていくと、小石に縄で十文字に
結んである小さな 「関守石」 が置いてあることがあります。この石
が置かれた場合、「これより中に入ることは遠慮されたし」 のメッセ
ージがこめられています。いわゆる通行止めを意味します。新書
院前の水鉢の間にも木材に花を生けて置いてありました。(上)
止め石、留め石、関石、踏止石とも呼ばれています。物言わぬ
石に多くのメッセージが込められている 「関守石」。知れば知る
ほど面白く、奥の深い日本文化の一つなんですね。

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日本全国のみならず、世界各地から訪れる人で溢れるばかりの
浅草。しかし、伝法院庭園に一歩足を踏み入れると、誰しもその
変化に驚かされます。すなわち町の喧騒から静寂へ、草木と池
泉が織り成す豊かな自然へと一転します。

庭園は鑑賞する場所によって表情を変え、それぞれに私たちを楽
しませてくれます。庭園にこの趣きを写して、池や流れの岸にゆる
い傾斜で小さな玉石を敷き詰めた部分を州浜と言うのだそうです。
池を配した美しい日本庭園は外の人出が嘘のような静かさ。都心
の賑やかな場所にいることを忘れてしまうくらいです。仲見世の大
賑わいとは対照的です。庭を造った小堀遠州も、こんなに東京の
開発が進むとは思っていなかったと想像できます。

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「石棺」 (上)  
大書院の隣の新書院の前に、古墳時代の石棺という石造物が置
かれていました。説明によると、明治初年に本堂裏手にあった熊谷
稲荷の塚を崩した際に出土したという 。浅草寺一帯は遺跡地にな
っており、種々の出土品もあるようなので、専門家の話を聞いてみ
たい気もします。初めはここに似つかわしくないように思いましたが
高札を読んで、なるほどと納得しました。古墳時代に住んでいた豪
族のものらしい。江戸時代、海辺に近かったこの周辺です。その昔
には古墳時代の人が生活していたのですね。石棺は一枚岩です。

「石燈籠」 (下)
伝法院庭園には、数基の石燈籠が安置されています。この石燈籠
は、江戸時代前期の延宝3 年 (1675) に小堀政延によって奉納
されたもののようです。当初は本堂前や本堂裏に、やがて現在の
地に移されたようです。小堀政延は、近江小室藩第3 代藩主で、
政延の祖父が伝法院庭園を手掛けたとされる小堀遠州です。祖
父の造園と伝わる庭園に、孫の奉納にかかる燈籠が置かれ、浅
草寺と小堀家の縁の深さを感じされられますね。

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「三社船祭礼再興碑」 (上)   
浅草 ・ 三社祭の始まりは正和元年 (1312) と伝わっています。
明治時代以前、本祭礼において執行される船祭礼が隔年で行な
われていたようですが、経済的な困窮お理由に明和6年に一時
中断されたそうです。この碑は百十五両という多額の出資お行い、
船渡御再興を実現し、永続させる基礎を作った功績を讃え、明
和8年 (1771) に造立されたもののようです。三社祭が現在まで
継承されているのは、祭礼の復興に尽力した人々の証なんです。

「石造多宝塔」 (下)
天祐庵から出口へと向かう途中、囲いの中にあった燈籠の一基が、
宝篋印塔のようでもあり、そうでもないような妙な形をしている事に
気が付きました。説明によると、応永三十二年 (1425) の造立で
製作者は不明。上部には饅頭型を作り出していることから、きわめ
て特異な形態の多宝塔のようです。この宝塔に窓を穿って石灯籠
に転用したという事らしい。

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池に沿って南に行くと鎮護堂との境に出ます。柵の外にある鎮護
堂は明治時代に伝法院の守護として祀ったものです。(上) 境に
沿って進むと、二つの池をつなぐ水路がありました。池を配した美
しい日本庭園は、外の人出が嘘のような静かさです。都心の賑や
かな場所にいることを忘れてしまうくらいでした。

昔、NHKで放送しているブラタモリの番組で、伝法院が紹介され
ていたのを思い出しました。やはり非公開のため、番組では特別
に中に入れてもらったようです。番組では住職さんがタモリさんと
久保田祐佳アナを案内していました。住職の解説では、伝法院
はかつて僧侶や将軍以外立ち入りを禁止された神聖な場所で、
震災戦災にも耐え、江戸時代の姿をそのまま残していると言っ
たような内容でした。私も時々観ていますが、ブラタモリは隠れ
た人気みたいですね。

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関東大震災や太平洋戦争で江戸情緒の多くが失われた浅草に
おいて、その風情を今日に伝える庭園です。池泉を回遊して大
書院の向かいにある中島に立つと、飛石を配した州浜と大書院
を通して、五重塔とスカイツリーを同時に眺めることができる絶好
の撮影ポイントです。しかし、五重塔は修理中だし、スカイツリー
は曇り空で見えず。今回は本当に残念でした。以前の写真で紹
介します。(上) でも、庭園内から観えるスカイツリーが新旧の
建築物のコラボレーションで、ここは浅草なんだと思いました。

【おまけ】
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上野桜祭りのブログで紹介した 「時の鐘」。浅草にもありました。
本堂南東にある小高い丘は、弁財天を祀る弁天堂が建つことから
弁天山と呼ばれました。(上) 現在は公園となっており、弁天堂に
向かって右手に鐘楼があり、そこに掛けられているのが浅草 「時
の鐘」です。(下) 鐘は元禄5 年 (1692) に五代将軍徳川綱吉の
命により改鋳され、江戸の市中に時を告げていた鐘のひとつです。
時計が現在のように普及していなかった江戸時代、時の鐘が人々
に時刻を知らせていました。戦時中、多くの寺の鐘が供出を余儀
なくされたなかで、弁天山の 「時の鐘」 は、特に由緒がある鐘と
いうことで残されたようです。現在も毎朝6時に役僧によって撞か
れており、大晦日には新年を告げる 「除夜の鐘」 が鳴らされる
ようです。





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