一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






いつも訪問して頂きありがとうございます。


「お母さんが好き」

...2017/04/23 20:53...

青森地方では桜が満開と聞きました。
すでに東京は桜が散り、その姿さえ見当たりません。
日本列島、長い島国ということがわかります。
雨が降ったり、風が強かったりするたびに、はかなげに
散っていく桜を見ると、季節限定の美しさだとわかって
いても、なんだかちょっぴりせつなくなってしまいます。

EE35010.jpg  EE35013-2.jpg

でも、街には新入生や新入社員らしき人を
見かけることも多く、その初々しい様子に、
希望に満ちた若かりし頃の気持ちを思い出します。

さて、我が社でも多くの新入社員を迎えました。
やはり、新入社員が入社してくると、職場のそれまで
の雰囲気が一変し、ピリッとした感じが伝わってきます。
また、自分の新入社員時代の失敗談に花が咲いたりと、
先輩社員も何となくソワソワしています。

入社式で社長がこんな訓示をしていました。
社会人としてのスタートを切った皆さん。
私の信条である 『真実一路』 という言葉を贈りたいと
思います。これは、自ら正しいと信じる道を貫き通す、
という言葉です。書物や歴史、先輩や同僚から学び、
自分は何をすべきかを必死になって考える。

そうして自分のやるべきこと、正しいと信じられる
道が見えれば、たとえ周りの人に反対されたとしても、
それを信じて突き進んでいくことで、必ずや目標を
達成することができる、私はそう信じています。

社会人として成長を続けていくと、様々な壁に
直面することがあります。そのようなとき、自分は何を
正しいと考え、重きを置く価値はどんなものか、といった
自分の 『軸』 をしっかりと把握していれば、どのような
環境であっても、そこに立ち戻って物事を考えて
判断することができます。時代の変化の波に
流される心配もなくなります。

今日から皆さんが取り組む仕事は、「小さな仕事」
「地道な仕事」 であると感じることが圧倒的に多い
と思います。 一見、小さく見える仕事であっても、
そこには必ず、皆さんそれぞれの知恵やアイデア
を施す余地が無数に存在します。

自分 なりに工夫をし、相手の期待を少しでも上回る
仕事に仕上げる ことができれば、そこには新たな価値が
生まれます。そうした 創意工夫を積み重ねることによって、
その仕事は 「誰にでもできる仕事」 ではなく、「自分だから
こそできる仕事」 へと昇華していくのです・・・・・と。 
心新たに・・・・・私も頑張りたい。

Where there's a will there's a way.
   ( 志あるところに道あり )


---------------------------------------------------------------------------------------------------------

「お母さんが好き」

久しぶりに小学校の頃の仲間たちと飲み会があった。
会社や知人たちと違って、幼馴染は子どもの頃の
自分に戻れる気がして嬉しいものだ。
大いに盛り上がった。

一人だけ 「風邪気味なので・・」 と酒を控えた。
「この時期に風邪かよ」 と思ったが、彼は体調が
悪いと決まって 「風邪をひいた」 が口癖だった
のを思い出した。いつまでも変わらないその姿に、
幼馴染はいいなあと思う。その 「風邪」 にまつわる
ユ~モアな詩を小学校の教師をしている一人が
話してくれた。

ぼくもかぜをひいた。
だから、「バカはかぜをひかない」
という言葉を思い出して、お母さんに、
「ぼくはバカじゃないね」 と言った。
そしたらお母さんが、
「今はバカでもかぜをひくのよ」 と言った。
バカはかぜをひくの? それともひかないの?

バカはかぜをひかない?
その言葉よりもこの親子関係の話の方が話題になった。
「今はバカでもかぜをひくのよ」。 お母さん、きつ~い
ひとことですね。きっとこの詩を書いた子は 「あなたは
バカじゃないよ。平気、平気」 という言葉を待っていた
に違いない。でも、現実はそう甘くはなかった。(笑)

こんなきつい冗談が通じるのは、親子関係の土台が
しっかりしているからでしょう。この子もクールに受け
止める余裕があるから、こんな詩が生まれたのでは
ないでしょうか。

両親が忙しくてなかなか家族でゆったり過ごすことが
できない子すらいます。そんな子は、ときどき親の愛情を
確認したくなるものです。子どもは、親の愛を獲得する
一番の近道は 「頭のいい子になること」 だと感じています。
「ぼくはバカじゃないね」 という言葉の裏に、「ぼくを好きか
どうかを知りたい」。そんな気持ちが潜んでいることもある。
と、この幼馴染の教師は話していた。

例えば、公園や乗り物で時々見かける、スマホに
夢中のお母さん。「あっ、ねぇねぇお母さん、見て~!」
お母さんは、スマホから目を離さず・・・。しかし、「見て、見て」
と言ってくれる可愛い時期は、ほんの一瞬だったとしみじみ
思います。共有したい時間、見てと言った時に見てくれると
いう安心、確信は親子関係における大切なベースになります。

なるほど、一緒にいても 「心あらず」 では一緒にいるとは
言えない。短い親子の時間をムダなく大事に過ごす。
忙しい親にしてみれば何とも厄介ですが、たまには
ぼくの方をしっかり見てよ、というアピールかもしれません。
普段の何げないやりとりが、子育ての勝負どころになる
こともあるのだなぁと思います。触れ合う時間の多寡よりも
質が大切とよく言いますが、あながちそうなのかも知れません。

愛されていると安心すれば、子どもは自ら育つ、
元気がでるのです。親が子どもに愛情を注いで、
子どもに接して、子どもに諭し、子どもと一緒になって
勉強してみる。「お母さんが好き」 「自分が好き」 と
言う子に育ててあげたいものです。


---------------------------------------------------------------------------------------------------------

  江戸 ・ 吉原 「おいらん道中」
     浅草観音うら ・ 一葉桜まつり

EE34960-3.jpg
外国の方を案内するので協力してくれと、知人に頼まれて出かけ
たのが 「浅草観音うら ・ 一葉桜祭り」。馴染みのない方も多いと
思いますが、浅草・浅草寺の裏側を少し行ったところの浅草警察
署の前の通りを 「一葉桜小松橋通り」 といいます。そこで毎年行
なわれるのが 「一葉桜祭り」 。その祭りで 「花魁道中」 があると
いう事です。最近は意外と外国の方にも人気のようです。柔らか
い薄桃色の花びらが風に舞う曇り空の下で、花魁道中は滅多に
観られませんから楽しみです。

EE34950-2.jpg EE34944.jpg
EE34942.jpg EE34943.jpg
この日は、朝から小雨が降ったり止んだりの空模様。開催するのか
不安でしたが、取り敢えず出掛けてみようと浅草寺の北側 「観 音
裏」 にある小松橋通り (上右) に着いたら、もう人でいっぱい。(上左)
係りの方に聞いたら開催するとの事で一安心。でも空模様が・・・。

2003年、江戸開府400年を機会に、「八重桜を街路樹とした町づ
くり」 を提案。観音裏の小松橋通りを中心に、一葉桜 (八重桜) を
植樹しました。それを記念して 「浅草観音うら ・ 一葉桜まつり」 が
行われるようになりました。八重桜は4月には桃色の花をつけ、夏・
秋には青々とした葉の美しさで道行く人を和ませてくれます。(下右)
八重桜を街路樹にしている町並みは東京でも珍しいようでます。
「浅草観音うら一葉桜まつり」 の会場近くの台東区千束3~4丁目
付近は、江戸時代、日本一の遊郭であった 「 吉原 」 が、明暦の
大火 (1657年) 後に中央区日本橋人形町から移り、第二次世界
大戦後まで約300年も続いたところです。

EE34934-2.jpg 
EE34930-2.jpg EE34939-2.jpg
「浅草観音うら一葉桜まつり」 は浅草寺の北にある 「観音うら」 と
呼ばれるエリアで開催され、「浅草観音うら三大祭り」 の一つに数え
られています。一番の見どころは 「江戸吉原おいらん道中」 です。
かつて “吉原” において一番格が高い遊女である花魁は芸事を究
め、高い教養を持っていました。江戸時代、吉原は遊郭であると同
時に文化の発信地でもありました。花魁には簡単に会えず、会うた
めには引手茶屋を通して呼び出しをしなければなりませんでした。
その際、花魁は見習いの禿 (かむろ) や振袖新造など大勢の供
を連れて歩いたのが 「おいらん道中」 です。江戸吉原ならではの
「花魁ショー」 には、当時の花街の様子が窺え、豪華絢爛な花魁
が練り歩くので、年々見物客が増えて人気があるようです。

EE34917.jpg 
毎年4月第2土曜日に繰り広げられる、江戸情緒を今に伝える無形
文化財 「江戸吉原おいらん道中」 。吉原の土地で代々受け継がれ
てきた華やかな花魁道中を、華やかな歴史絵巻を演出しています。
平成15年に始まり今年で15回目のようです。地元の人による児童
・園児によるパレードで始まり、花やしき少女歌劇団によるパフォー
マンス、「江戸吉原粋花街乃賑」 ステージショーや和太鼓演奏など
が浅草 ・ 小松橋通りの特設ステージで行われます。また柳通りには、
模擬店やフリーマーケットも出店。

名称 : 第15回 「浅草観音うら一葉桜まつり 」
       「~江戸吉原おいらん道中~」
日程 : 2017年4月8日 (土)
時間 : 10時~16時 (花魁道中は13時と14時45分の往復路)
場所 : 台東区浅草 ・ 一葉桜小松橋通り
      (千束3丁目交差点から浅草7丁目交差点まで)

EE34859.jpg 
EE34816.jpg EE34817.jpg
吉原といえば何か物悲しいイメージがある柳の木を連想しますが、
それまで不評だった柳の木に代り、八重咲きのサクラである一葉
桜が通りに植樹された記念して毎年開催されているイベントです。
威勢のいい 「木遣り」 が響く中、纏 (まとい) が舞っています。
行列は木遣りから先導の金棒引きに続き、手古舞、提灯持ち、
禿 (かむろ)、花魁 (太夫)、振袖新造と続きます。

「木遣り (きやり)」 (上)
「木遣り」 本来は、読んで字のごとく木を遣り渡す(運ぶ)という意味
ですが、威勢のいい町火消のお兄さん達に唄われる唄のことです。
もともとは大木など運び出す時、その力を一つにまとめるための掛
け声、合図として唄われたものでした。このように作業唄であったも
のが、寺社や家などを建築すること自体が慶事であったことから、
おめでたい唄として唄われるようになりました。江戸の中期ごろには、
鳶職人の人達の間で盛んに唄われていたそうで、そのうち町火消が
鳶職人を中心に誕生したため、木遣り唄も自然と町火消の中に溶け
込み、受け継がれていったといわれています
「金棒引きの男衆」 (下)
花魁道中の先導役で、露払いの役目をします。金棒引きの音だけ
が響き渡ります。静かな行進です。 左手の提灯に注目。提灯を後ろ
へ回して腰の当たりで逆手に持っています。(下右) 提灯の文字が
後ろの方に向いています。 これは後に続く人の足元を照らすため
に、後ろ向きに持っているようです。当時は暗かったわけですから、
後ろに細かい気配りをしたんですね。

EE34826-2.jpg EE34823.jpg
EE34845.jpg EE34864-2.jpg
「手古舞」 (上)
江戸時代の祭礼で、男装の女性が山車 (だし) や神輿の先駆を
して舞ったのが始まりと言われています。持ち物は右手に "金棒"
(上に鉄製の輪が4~6個付く鉄製の棒)、左手に自分の名前が
書かれた 「提灯」 を持ち、本来は木遣りを歌いながら行進するん
だそうです。現在一般には、この 「てこまえ」 の姿を真似た衣装
を着て祭礼、その他の催し物で練り歩く女性たちのことをいうよう
です。山王祭や神田祭を中心とした江戸の祭礼でよく見かけます。
「雅屋」 (下左)
歌舞伎には幼少の頃から芸を磨き、代々受け継ぐ世襲制のシステ
ムがあります。日本の最高峰芸術として後世へ芸を受け継ぐ方々を
尊敬、尊重しながら、一方で江戸に栄えた楽しい 「歌舞伎」 を創り、
難解と思われがちな歌舞伎をもっと身近に感じて貰えるものを創り
国内外へ伝える組織のようです。
「助六」 (下右)
江戸の伊達男の助六は、花の吉原で大いにもてるがあちこちで喧嘩
を売る暴れん坊。その恋人の花魁 (おいらん) 「揚巻」 も、豪華な衣
裳に身を飾り、強い相手に臆することなく言いたいことを言いまくる。
華やかな吉原を舞台に登場する人物。油揚げの 「揚げ」 とのり巻き
の 「巻き」 から 「揚巻」 と呼ばれるようになりました。そして 「助六所
縁江戸桜」 の主人公・助六の愛人である吉原の花魁の名前も同じく
「揚巻」 という名前でした。このつながりから、寿司の揚巻も歌舞伎の
助六の人気にあやかるようにと、いなり寿司とのり巻きの詰め合わせ
のことを、いつしか 「助六」 と呼ぶようになったのです。

EE34832.jpg EE34828-2.jpg
EE34829-2.jpg EE34831.jpg
「提灯持ち」
大きな箱提灯に太夫の名前が入った箱提灯を持つ男衆のことで、
「象潟 (きさかた)」 太夫 (上右) と 「藤浪」 太夫 (下左) の名が
見えます。提灯持ちの着物には、入り角文様がちりばめられて
おります。片手で提灯を持っていますが、かなり重そうです。

箱提灯とは、火袋 (紙を貼った覆いの部分) を縮めると上下の箱
の中に畳む構造になっています。上下に丸い蓋のある提灯です。
これは畳むと中に納まる事から箱提灯というらしいです。 16世紀
後半安土桃山時代の頃から作られていた箱提灯は、江戸時代に、
主として武家、貴族や吉原のおいらん等が外出の時これを使った
他、富裕な町家では婚礼等の儀式などにこれを用いたと言われて
いました。

EE34834.jpg 
EE34833.jpg EE34914.jpg
「禿 (かむろ)」
さて次は、赤い着物を着た禿 (かむろ) です。沿道からは、わあ、
可愛いとの声が・・・・。禿 (かむろ) とは、将来の 「花魁 (太夫)」
の候補生として、花魁の身の周りの雑用や行儀作法の見習いを
する10歳前後の少女のことで、たばこ盆とキセル入れを抱えて
登場します。(下左) 復路はたばこ道具を持っていません。(下右)

「禿坂 (かむろ坂)」
西五反田四丁目と小山台一丁目の境を下る坂で、一年に一度一
週間ほど、桜のトンネルに覆われる美しい坂道を 「かむろ坂」 と
いいます。江戸時代の少し悲しい言い伝えが残されていました。

江戸時代の延宝七年(1679)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩
士平井 (白井) 権八が鈴ケ森刑場で処刑され東晶寺に葬られた。
権八と恋仲の遊女 ・ 小紫は権八の処刑の報を聞いて店を抜け出
し、東晶寺に向かい墓前で悲しみのあまり自ら命を絶った。 この時、
帰りの遅い小紫を探しにきたお付の禿が帰り道でならず者に襲わ
れ、逃げ場を失い桐ケ谷の二ツ池に身を投げたという。 これを哀
れんだ近くの人が、亡骸を池の傍らの丘に葬り、その後、この一帯
の丘陵をかむろ山、これに通じるこの坂を 「禿坂」 と呼ぶようになっ
たと伝えられています。時代の発展とともにかむろ山は削られ池も
なくなり、現在その面影は坂道の名にしか残されていません。平井
権八は歌舞伎や浄瑠璃の主人公 「白井権八」 としても登場し、相
思相愛の小紫の話は、歌舞伎 「浮世柄比翼稲妻」 にもなっています。

EE34888.jpg
江戸の風情が今も残る浅草寺の北側 「観音裏」 にある一葉桜 ・
小松橋通りでは、「花魁道中」 の花形で豪華絢爛な 「花魁」 の登
場です。「象潟太夫」 と 「藤波太夫」 の2人の花魁が妍を競います。
かつらや衣装等合わせると30 ㎏にも及ぶ重量のものを身につけ
るため、美貌だけでなく、精神力や忍耐強さ、足腰の強さ等体力面
も要求されるそうです。

花魁の履き物は3 枚歯の高下駄で、大きく外側に八の字を描くよう
な歩き方から 「外八文字」 と呼ばれています。この優雅な歩み方は、
踏み出した足を地につけ、外方向に開くもので2 町を歩 くのに2 時
間を要したといいます。対して、京都島原では内側に 八の字を描く
歩き方で 「内八文字」 というそうです。稽古しても、一人前になるに
は三年はかかったという。石の上にも三年。何事も修行が第一
なんですね。

EE34918.jpg 
EE34882.jpg EE34885-3.jpg
沿道を優雅に練り歩くのは 「象潟太夫 (きさかただゆう)」。「江戸
吉原おいらん道中」 は、その華やかさから、まるで歴史絵巻を見
ているようです。「おいらん道中」 そのものも珍しいもので、東京
では滅多に見ることができません。華やかで美しい 「象潟太夫」
を演じるのは元宝塚の方らしいですよ。

「花魁道中」 は、多数の応募者から選ばれた一般女性が1年間
の練習を積み、このおいらん道中に臨むそうです。行列を構成
する男衆や新造などは、すべて地元の人たち。八重桜がはらは
らと舞い散る中、一歩一歩ゆっくりと外八文字を描きながら進む
花魁。匂い立つような色気に、我を忘れて見入ってしまいました。
その間、数分だったのか十数分だったのか・・・・・。ゆっくりゆっく
りと進む美しい行列には、その場を異世界に変えてしまう作用が
あったように思えました。

EE34889.jpg 
EE34894.jpg EE34916-2.jpg
花魁道中の華、こちらは 「藤浪太夫」 です。重そうな三枚歯の高下
駄を履き、男衆の肩を借りてシャナリ、 シャナリと独特な歩き方です。
衣装の豪華なこと。「色」 と 「粋」、「教養」 に 「芸」 までも兼ね備えた
花魁は、いわば女性の最高峰といった感じでしょうか。

花魁 は吉原遊廓の遊女で位の高い者のことをいいます。見習い
の少女が太夫のことを 「おいらの所の姉さん」 と言ったのが起源と
言われています。江戸時代、京や大坂では最高位の遊女のことを
「太夫 (たゆう)」 とも呼んでいました。花魁には教養も必要とされ、
花魁候補の女性は幼少の頃から禿(かむろ) として徹底的に古典
や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込ま
れていたようです。大名の相手も勤めるので、話術などのほか礼儀
作法も修得する必要があったので しょうね。 現代風でいえばスー
パーモデルと文化人をミックス したような存在といえるでしょうか。

EE34841-3.jpg EE34840-2.jpg
EE34820-2.jpg EE34915.jpg
花魁のそばで支えるのが 「傘持の男衆」 (上) と 「肩貸しの男衆」
(下) です。「傘持の男衆」 は、大きな傘を太夫の後ろから差し掛
けています。江戸初期まで傘は貴人が使う物という感覚が強くて、
武士を含め日常の雨よけ日よけは 「笠」 が一般的でした。ある意
味、長柄傘は貴人の象徴なのですが、実は平安期から長柄傘は、
遊女さんの目印でもあったようです。左手は後ろ向きで大変そう。
「肩貸しの男衆」 は、花魁 (太夫) が外八文字で歩く際に、無くて
はならない存在の男衆です。 花魁は、三枚歯の高い黒塗りの下
駄を履いています。外八文字と言われる、外側に大きく踏み出す
独特の歩き方をするので、肩貸しの肩に手をそえてバランスを
とらなければ歩くのは困難と言われています。一人では歩けな
いようです。側に付いて警護の役割もします。それにしても肩に
手を当てる場所にハンカチを添える心配りに感服です。

EE34850-2.jpg 
EE34852.jpg EE34849-2.jpg
「振袖新造」
振袖新造は、禿 (かむろ) から成長し、独り立ちする前の花魁付の
見習のことです。格の高い 「太夫」 になる将来が約束された役とい
われ、おもに 「花魁 (太夫)」 の身の回り全般をお世話します。禿の
中でも将来太夫になれることを約束された女の子で言わばエリート。
容姿が美しく、芸事などを楼主からみっちり仕込まれるようです。こ
のほかに 「番頭新造 (全てを取り仕切り、マネージャー的な役割を
担う 禿 (かむろ) ・ 振袖新造のお姉さん的な役割です。) 等もある
ようです。「新造」 とは武家や町人の妻を指す言葉であったが、後
に未婚の女性も指すようになったという。

EE34869.jpg 
EE34874.jpg EE34872.jpg
「吉原の狐舞ひ」
近くの吉原神社を中心に活動する江戸吉原の 「吉原の狐舞ひ」
が、おいらん道中に華を添えます。江戸の昔、吉原は廓の四隅と
大門の外には計5つの稲荷神社があり、遊女たちの信仰を受け
ており、遊女たち自身も 「狐」 と呼ばれていたりと、なにかと狐に
所縁のある街であったようです。そんな遊郭のある吉原では、大
晦日の夜に獅子舞の代わりに狐の面をかぶり、御幣と鈴を持ち、
錦の衣で美しく着飾った 「狐舞ひ」 が現れ、笛や太鼓の囃子を
引き連れて練り歩き、新年を寿いだと伝われております。当時は
吉原の中でしか見ることのできなかった特別で、粋な芸だったこ
とがうかがえます。こうした粋な芸であり、苦界に生きる遊女たち
の貴重な娯楽でもあった 「狐舞ひ」 も、遊郭の解体とともに姿を
消したようです。

EE34988.jpg 
EE34983.jpg EE34997-2.jpg
小松橋通りの往路の花魁道中が終わると、メインステージでは、
まずは望月太左衛社中と元吉原二三松姐さんによる 「江戸夢模
様」 2調鼓を披露。吉原の狐舞、江戸吉原粋花街之賑のおいらん
ショーが繰り広げられ、威勢のいい小太鼓の音が鳴り響き、一葉
まつりに花を添えていました。ステージ前は凄い人で、小雨も降る
中、何とかテントの中に潜り込んでの鑑賞でした。(笑) 本来はス
テージに屏風を飾るのですが、小雨模様で飾れなかったようです。

幕府が江戸に移った慶長年間(徳川二代秀忠)に、庄司甚左衛門
が幕府に願い出て現在のよしまちべに芸者さんの集まる所を作り
ました。よしが茂った原だった事から “よし原” と呼びましたが、明
暦の大火で焼失した以降、浅草田浦に移し、これを “新よし原” と
改称し、当時の粋な人が集まる江戸文化のもうひとつの発祥の地
となりました。芸を売るというプライドと格式を持ち、芸事をみっちり
仕込まれた芸者と太鼓持ちによる独特のお座敷芸も生まれ、粋な
お客様たちに珍重されました。

EE34967.jpg 
EE34968-3.jpg EE35008.jpg EE34969.jpg
「花魁ショー ・ 座敷の場」
吉原では様々な作法や独特のルールがありました。客が花魁とは、
最初の顔合わせである 「初会」 から始め、2回 (裏を返す)、3 回
目 (馴染み) と少なくとも3 回登楼しなければ、親しく接することが
出来ませんでした。ステージでは 「座敷の場」 で、掛け見世、盃毎、
煙管毎など、その様子が再現されました。

花魁ショー 「江戸吉原粋花街乃賑」 三浦屋店先の場の一幕。
舞台は、遊郭として栄えた吉原。主人公の助六は男だてに身をや
つして吉原に通い、往来を行き交う男たちにけんかをふっかけ、刀
を抜かせようとします。助六を間夫に持ち、相思相愛なのが三浦屋
のおいらん 「揚巻」 です。彼女に言い寄る男衆。現れた助六は、江
戸紫の鉢巻き、背中に尺八を差し、黄色の足袋にげたを履き、蛇の
目傘持った右腕を高く上げて見得を切ります。江戸っ子が最も粋を
感じる男だてのいでたちです。振袖新造に囲まれる助六。(下中)
「象潟太夫」 は、「揚巻」 として舞踊ります。(上) 大勢の若い衆や
禿を伴って登場する 「揚巻」 が纏うのは金をあしらった打掛の 「掛
け見世」。(下右) 花魁一の揚巻が、この打掛を脱ぐと鮮やかな紅
色の色っぽさにウットリ。(下左)

EE34994-3.jpg 
EE34990-3.jpg EE34991-2.jpg
花魁ショー ・ 座敷の場 「盃毎」
妖艶で華やかな花魁文化は 「遊女評判記」 等の文学作品や浮世
絵に描かれるなど、古き良き江戸の文化として語り告がれています。
そんな 「座敷の場」 の 「盃毎」 で、花魁の心を映し出す一場面です。

お大尽を迎え、花魁と契りを交わす 「固めの杯」 を実演します。
まずは振袖新造からお大尽へ盃が渡され、これを飲み干します。
手が震えています。客席からは笑いがこぼれます。続いて花魁に
も盃が渡され・・・受け入れて飲み干すか? 固めの杯です。神道
の結婚式で、夫婦となる男女が神前で3種の盃を用いて酒を飲む
三々九度と、共に盃で酒を飲む固めの杯の儀式ということです。
今年のお大尽は、浅草三丁目東の町会長さんだったようです。
花魁もこの杯を飲み干し、めでたくお大尽さん大願成就です。

EE34964-3.jpg 
EE34962-3.jpg EE34963-2.jpg
花魁ショー座敷の場 「煙管毎」
花魁は、煙管 (きせる) に、刻みたばこを詰めて火をつけます。
シーンと静まり返った会場に緊張が走ります。というのも、この煙草
を客に渡すも渡さぬも、花魁の胸三寸にあるからです。花魁と客が
契りを交わす 「煙管渡し」 の実演です。いわゆる 「お気に入り」 か
どうかの瀬戸際なわけです。緊張します。

煙管 (きせる) は、喫煙道具の1つで、雁首と吸い口の部分の両端
だけ真鍮が使われ、途中は竹が使われ素通しになっています。位
が上ると帯の幅が広くなり、それに合せてその帯にさす煙管も長く
するしきたりがあり、煙管の長さで格が分かったようです。また、刻
みたばこは良質な日本古来の銘葉 (在来種) を主原料とし、熟成
した芳醇な香りとうま味を味わう事が出来るようです。

【豆知識】
乗車駅と下車駅近くの切符 (または定期券) を使い、間を無賃で
乗車する不正乗車の一種をキセル乗車といいますよね。これは煙
管 (きせる) の作りが、吸い口と刻み煙草を入れる火皿の両端だ
け金属で出来ていることから、入口 (乗車駅) と出口 (下車駅) の
分だけお金を払う乗車方法をキセルに例えた言葉のようです。
元は学生の隠語でしたが、 明治以降に一般でも広く使われる
ようになったそうです。

EE34951.jpg 
EE34947.jpg EE34954-2.jpg
小松橋通りに到着したとき沿道はアマチュアカメラマンが場所取り
に争奪戦中でした。年に1度の機会を逃すまいと、みなさん鼻息が
荒い、荒い。土地柄なのか、来ている人の年齢層は高めで、疲れ
ないようにとの配慮からか椅子持参の方もいました。そして、やた
らと知らない人に話しかけられます。それにしても外国の方の多い
こと凄かったです。この場所だけでも外国人が7人くらいいました。
(上) 昔は富士山と芸者が日本のイメージでしたからかも知れま
せんが、どこでこんなイベントを調べるんでしょうかね。

EE34999.jpg EE34904.jpg
EE35000-2.jpg EE34903.jpg
歩く美術って言っていいほど、その豪華な着物を着て堂々と歩い
てお披露目する絢爛豪華な打掛は見事な出来栄えです。、

「衣装」
花魁の着物は 「見せること」 が一番重要でした。そのため実用性は
ほとんどありません。 現代でいうなら、ステージ衣装のようなもので
しょうか。 基本的な重ね方は、襦袢などの下着類を着て、その上に
小袖を2枚ほど重ねます。そこに帯を結び、さらに打掛を3枚ほど重
ねるのです。花魁の着こなしで特徴的なのは、帯を前で結ぶ 「前帯」
でしょう。前帯はもともと既婚者を表す結び方で、遊郭では一夜限り
の妻を意味しました。結び目が前にくるので大きな柄を見せやすく、
特に帯を前に垂らす 「まな板帯」 (下左) はお気に入りの絵柄を目
立たせられるので多くの花魁が好みました。浮世絵でもまな板帯姿
は定番です。裾を長いまま引きずって歩くと、裾がめくれてしまった
り足に纏わりつくことがあり、それを防止するために裾の部分に
「ふき」 といわれている綿を入れて、厚みを出していました。(下右)

EE34907.jpg EE34909.jpg
EE34910.jpg EE34911.jpg
「下駄」
それぞれの履物に注目して見ました。足を撮ってごめんね。 「わっ
ちの下駄はえらい重いので、踏んでしまうとたいへんでありんすぇ」

花魁が履く黒塗りの三枚歯下駄 (上左) は、重量が片足で3 ㎏ も
あったといわれます。(上左) そのため、独特の歩き方 (外に大き
く脚を開き、八の字を描く歩き方) が考案されました。江戸でも昔は
京都をまねて内八文字だったといわれてます。 当時の有名太夫
「勝山」 が外八文字で歩いた事がキッカケ。そこで京は内八文字、
江戸は外八文字になったといわれます。30センチの高さが有る下
駄で練り歩くのですから大変だと思います。「禿 (かむろ)」 が履い
ているのは、舞妓さんなどが愛用する底の厚い 「ぽっくり 下駄」
(上右) でしょうか。因みに舞妓さんの新米が履く下駄を 「おこぼ
の下駄」 と言って、内側に鈴が付けられているようです。 歩くと
コボ、コボと音がなる事から、おこぼと言います。 「振袖新造」 の
は、やや高さのある2枚歯の下駄です。(下左) そして手古舞さん
は 「わらじ」 という事です。 (下右)

EE34912.jpg EE34913.jpg
EE34854.jpg EE34856.jpg
花魁の髪型は、伊達兵庫 (だてひょうご) です。髷用に折り曲げた
髪の毛を脳天に突き立てて、その根本を残った毛でぐるぐる巻いた
形のことで、上下に広げるとちょうちょうの形になります。これが 「伊
達兵庫」 (上) のようです。遊女の代表的な髪型は、伊達兵庫、つ
ぶし島田、丸髷といったところで、歌麿の浮世絵のほとんどが灯籠
鬢の丸髷なそうです。「振袖新造」 (下右) の髪型は、日本髪の代
表的な髷を3つに折り畳んだ島田髷。「島田髷」 には様々な種類が
あり、「投げ島田」 や 「つぶし島田」、「くるわつぶし」 など根がずっ
と低い髷も平たいものを結うようです。修行中の 「禿 (かむろ)」 は、
おかっぱ頭だったが吉原等では、禿島田という髪飾りを沢山付け
た高島田になったようです。

高島田と言えば、上流武家の女性が結った高島田は正式な儀式の
場には必ずこれを結いました。最も根が高く上品な形が文金高島田
です。元々は武家の若い女性の髪形でしたが、次第に花嫁の髪型
として用いられるようになり、明治以降には花嫁の正装として白無垢
や打掛を着る際の定番の髪型として定着していきました。嫁ぐ娘の
ために母親が髪の中に小判を一枚忍ばせ、そのために高く結い上
げられたことが文金と呼ばれる髪型の由来とも言われています。

EE34921-3.jpg 
EE34925.jpg EE34924.jpg
特設ステージでの花魁ショーが終わると、再び復路の 「花魁道中」
の開始です。花魁の前を歩くかむろ役、後ろを歩く振り袖新造役も
一般区民が協力しているのです。満開の一葉さくら並木をしずしず
と歩く姿は、素人とは思え無い風格でしたよ。

「指切拳万、嘘ついたら針千本呑~ます♪」
子どもの頃、よく約束の厳守を誓うために行われる、おまじないの
合言葉ですよね。よく考えると、約束するのに“指を切る”とは、物
騒なことです。この 「指切り」 は遊郭の吉原が発祥という。男女が
愛情の不変を誓い合う証拠立てることを 「心中立」 と言いますが、
指切は、遊女が客に対する心中立てとして、小指の第一関節から
指を切って渡したことに由来しているようです。 これにはかなりの
激痛が伴うため、それほど愛してるということを意味し、貰う客も、
遊女の思いに応えるくらいの気構えが必要であったといいます。
しかし、実際に切る遊女は少なく、贋物(模造品)の指が出回った
らしいです。 そして、この 「指切」 が一般にも広まり、約束を必ず
守る意思を表す風習へと変化したようです。今では簡単に 「指切
りげーんまん♪」 と歌いながらしていますが、本当は切ない恋心を
抱いた遊女達が、惚れた男に 「あなただけを 愛している」 と
誓う為の真剣なものだったんですね。

EE34953-2.jpg 
EE34948.jpg EE34926.jpg
華やかな花魁の姿に、江戸時代の優雅な雰囲気を感じます。
花魁はどんな職業であったかなんてことは抜きにして、豪華絢爛
たる江戸吉原おいらん道中、これからも日本の文化遺産として、
未来に伝えていきたいですね。

教科書では教わらない歴史上の人物の奥深き心情をたどると、
華やかな表舞台の裏では、悲惨な人生を一生懸命生き抜いた
「遊女」 の姿があります。江戸の人々が一生に一度は行きたい
と願った吉原遊郭。そこは 「理想の恋愛」 を楽しむ場所だった
のでしょうか 。格の高い太夫や花魁は、理想の恋人たるべく、
美貌に加え、様々な芸事や教養を身に付けて自らを磨き上げた
江戸のスーパーウーマンにほかならなかったのでしょう。その華
やかな世界の裏側では、いろいろと厳しい波乱の生涯を終えた
わけです。吉原は裏文化の発信地だったのかもしれませんね。
報道関係の方も取材にたくさん見えていました。(下左)
本格的なテレビ用カメラで中継もしていました。(上)

EE34929-4.jpg
日が傾き、町が闇色に暮れるほんの少し前――。
仲の町の茶屋に吊るされた灯籠に、ぽつりぽつりと灯りが点りは
じめる。そこに陽が登ったかと見紛うほど眩しい光を纏った花魁が、
供を引き連れて現れた。「おい! 見ろよ!」 「あれは・・・藤浪太夫
・・・じゃねぇか」。 僅か数分の距離を、小一時間もかけて練り歩く
―― のちに 「花魁道中」 と呼ばれる儀式。遊女という波乱の生涯
を終えた、たくさんの美しき人達を思い浮かべながら、浅草は
オモテも裏も奥が深いと感じる思いで後にしました。

はらはら舞い散る 桜吹雪
艶の異世界 夜明けを知らず
桜大門 見返り柳
此処は郭 (くるわ) の龍宮城





未分類 | TRACKBACK(-) | COMMENT(-) |










CALENDER
08 ⇔ 2017/09 ⇔ 10
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
AquariumClock 2
プロフィール

Author:takasan
ようこそ!

ちょっとした幸せな風景
あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように。

ライブカメラ
最近の記事
リンク
このブログをリンクに追加する