一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





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「いかなる道も努力が大切」

...2017/04/16 09:00...

春の訪れとともに、桜前線が南から北へと
移動しています。日本列島はまさにピンク色に
染まりつつあります。東京の桜もあっというまに
満開を過ぎ散りはじめています。

雨が降ったり風が強かったりするたびに、
はかなげに散っていく桜を見ると、季節限定の
美しさだとわかっていても、なんだかちょっぴり
せつなくなってしまいます。 でも、街には新入生や、
新入社員らしき若者たちを見かけることも多く、
その初々しい様子に、希望に満ちた若かりし頃の
気持ちを思い出したり・・・・。

さて、4月は年度の変わり目。
学校や職場では、多くの別れがあり、そして
それと同じくらい多くの出会いがあったことでしょう。
季節と同じように、めぐる命と同じように、人生にも、
悲しい時があれば、嬉しい時もあり、つらい時もあれば、
楽しい時もあります。悪い時には挫けず、良い時には
おごらず、常にそれぞれの局面で、ベストを尽くす。
持って生まれた能力、才能は人それぞれ千差万別、
様々ですが、自分の持てる力を最後のひとしずくまで
出し切って人生を生きたいものです。

四月八日はお釈迦様の誕生日だったんですね。
お釈迦様は生まれてすぐ、七歩歩いて 「天上天下
唯我独尊」 と言われたと伝えられています。
この言葉の意味は、「この世の中に自分という人間は
たった一人。授かったこの命を最高に輝かせるぞ。」
ということ。どうぞ自分を大切に、命を大切に。
それがお釈迦様が指先で示されている、
” いのちを輝かせる ” ということではないかと思います。

そして季節は、その名の通り花咲き乱れる春です。
春は、いのちの再生のとき。
私達も気分を一新して、
心の中まで花いっぱいにいたしましょう!


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「いかなる道も努力が大切」


人はこの世に誕生し、好むと好まざるに
かかわらず一人ひとり違った生活環境の中で育ち、
そして生長し、やがて別の世界へと飛び立ちます。

誰もが悩み、迷い、苦して、それに加え楽しんで
生きているわけですが、どうしても他人と比較する
心が内在していると思います。その心が良き方向へ
の手本であればいいのですが、往々にして我欲や
私情に及び数々の悲劇や惨状を招いています。

誰もが同じ道を歩む必要もないし、進むことは出来ない
ことを認識するべきではないだろうか。これは決して努力
なくして適当に生きればよいと言っているわけではなく、
身の丈にあった人生の形成を念頭に入れておく必要が
あるのではと考えます。

やはりその人の可能性を追求するためには、持って
生まれた才能に努力という作業が継続的に必要であり、
置かれた環境でやれることをやり抜くことです。
言うことは簡単ですが、これがなかなかできないものです。
20歳を過ぎたら自分の姿はすべて己の責任であり、
この現実の姿が身の丈にあったものと認識すべきでしょうか。

人生の構築を司るのは遺伝的要素が3割、
生活環境が3割、努力が3割、それに運が1割と、
上司から伺った事がある。少なくとも努力以外の項目が
半分とし、高校や大学での合格点である60点には努力
の項目を8割にすれば到達できることになる。

やはり努力することは万人にとって大切であり、
能力の開花に直結するものと思います。
いかなる道においても努力なくして大成した人はおらず、
学校教育現場、特に小中学生にこの努力の意味を
浸透させることが大切かもしれません。

時々、なぜ勉強しなければならないの? という声を聴く。
いかなる世界でも一つのことを知ると異なる別の世界がみえ、
新たな興味や関心が生まれるものです。
このプロセスを相手の理解度に合わせて論するのが
大人のやるべきことではないだろうか。

山に登るにしても幾つものルートがあり、
それぞれの道で出会う風景が異なるように、個性を醸し出し、
人としての基本的責務を全うすればよいのではと思います。
まさに 「急がず、休まず、怠らず」 でいきたいものです。



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  ~庭園さんぽ~  東京国立博物館

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上野の桜を鑑賞していたら桜より人に酔ってしまい、気分直しに
国立博物館本館の裏手にある庭園が一般公開しているので立ち
寄ってみました。上野の花見はもう、人、人、 人で、桜と桜の間を
歩く気力さえおきませんでした。(苦笑) 普段はお茶室利用者以
外入れない庭園。しばし酔い覚まし、気分なおしに散歩です。

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「国立博物館」 (上) 「本館入口」 (下左) 「チケット売り場」 (下右)

東京国立博物館 (愛称・トーハク) は、明治5年 (1872) 湯島聖堂
の大成殿で最初の博覧会を開催したとき、わが国初の博物館とし
てその産声をあげ日本で最も長い歴史を もつ博物館です。日本
を中心にした東洋のさまざまな国や文化の 美術作品、歴史資料、
考古遺物などを集めて保管展示しています。その数は11万件以
上。なかには国宝87件と重要文化財633件が含まれています。
エントラスに入ると大理石の中央階段に圧倒されます。ステンド
グラスや階段手すりに施された装飾、クラシックな照明が創建当
時の姿を今に伝えています。ここでも外国の方が多かったです。

料 金   :  一般620円、大学生410円
         期間中は庭園は無料で入場できます。
開館時間 :  9時~17時30分(入館は16時30分まで)   
休館日   : 月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌火曜日に休館) 

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東京・国立博物館の本館の北側には見事な日本庭園があります。
大変広く、池を中心に5棟の茶室を配し、四季折々の花や紅葉に
彩られる憩いの 空間です。かつてあった動植物の研究部門「天産
部」の名残で、珍しい樹木や野草が植えられているのも特徴です。
また、5代将軍徳川綱吉が法隆寺に献納した五重塔や、石碑や
燈籠などが庭園には遺されています。あまり大々的に広告され
ないので、殆どの人は知らないようです。

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以前、企画展を観に国立博物館に行ったとき、常設展もせっかく
だから見てみよう~と、本館を歩いていたとき、ふと覗く窓から見
えた庭園がなんとも素敵でした。あれ? ここは何なんだろう? 
と、 思って調べてみたら、寛永寺の元庭園だったと知りました。

庭園は、春の桜の季節と秋の紅葉の季節に一般に開放しています。
自由に散策出来て、また、庭園内の5棟の茶室は、茶会 ・ 句会等に
利用できるようです。(要事前申込、有料) 庭園へは東洋館レストラン
・ ラコール脇から入園します。(下左) 料金は入園無料ですが、博物
館の入館料が必要です。

春の庭園開放 2017年3月14日(火)~5月7日(日) 10:00~16:00
秋の庭園開放 2017年10月24日(土)~12月3日(日) 10:00~16:00

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庭園には、桜以外の見どころも豊富。約2万4千平方メートルの
広い敷地には池を中心に5棟の由緒ある茶室が配され、普段で
も茶会や句会に利用されているようです。円山応挙の障壁画が
見事な「応挙館」、小堀遠州が建てた「転合庵」。“大和の三茶室”
に数えられる「六窓庵」、など歴史に名を残す名茶室ばかりです。
東京に多いメジャーな大名庭園とは少し趣を異にしていました。
都内でもこうしたゆったりと過ごせる時間が存在してましたか・・・。
季節毎にまた違った表情を魅せてくれるのでしょうね。
隠れ家的名園がピッタリの表現ですね。

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「五重塔」  (上)
東洋館のレストラン ・ ラコール横から小道を進むと右手に由緒
ある五重塔が見えてきます。高さ570センチメートルの銅製の塔。
最上部の相輪には龍が絡み付き、垂木 (たるき)、斗拱 (ときょう)
の組み物の細部まで入念に作られています。(下左) 基壇に第
五代将軍徳川綱吉が法隆寺に奉納した旨の銘文が線刻されて
います。徳川綱吉の存命中 (宝永6年・1709没) に、院号と俗
名を併記することは一般的になく、没後に奉納時の年号と施主
の銘文が 書き加えられたのではと言われています。

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国立博物館の敷地は、もとは寛永寺の境内でした。現在本館が
立っているところが寛永寺の本坊あたり、本館北側に広がる庭園
は寛永寺の庭であったと考えられます。ただし、庭は何度も改修
を重ねており、5棟の茶室なども移築されたもので、当時の面影
を残しているのは、本館東側の築山と中央の池のごく一部、そし
て庭の一角の古い墓石のみのようです。また、創設当初 「天産
部」 があったためか、多種多様な植物あることも、この庭園の
特徴なそうです。

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「春草廬 (しゅんそうろ) 」
江戸初期に海運と治水で功績のあった豪商の河村瑞賢が、約三
百年前、大阪淀川の治水工事の際に休息所として建てたものです。
本来茶室として建てたものではないので、にじり口はありませんが、
その素朴な造りは草庵の茶室として好ましい雰囲気をもっています。
入母屋、茅葺きで、五畳の主室には床の間があり、一段低いところ
の三畳の間があって、ここには向切炉が切られています。 入母屋
の妻に掲げられた 「春草廬」 の扁額は、能書家として知られる曼
殊院良尚法親王 (1622~1693) の筆で、三渓が耳庵に贈った
もののようです。

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「転合庵 (てんごうあん)」
小堀遠州 (1579~1647) が桂宮智仁親王から瀬戸茶入銘 「於大
名」 を賜わり、宮家を招き茶入披露の茶会をするため伏見の邸内
に建てた茶室です。その後、塩原又策 (三共株式会社。今の第一
三共の創業者) を経て、妻の塩原千代さんから昭和38年に茶入
とともに国立博物館に寄贈されたようです。茶室内には、 小堀遠
州の自筆の扁額が掛けられています。屋根は桧皮葺で、二畳台
目茶室で、下座床で 「にじり口」 と 「貴人口」 矩折りに配置され、
開放的な雰囲気を漂わせています。渡り廊下で水屋と四畳半の
席に繋がっています。転合庵の前 (上) は、樹木もなく開けてい
て池が広がっていて、 春には池越えにオオシマザクラ、エドヒガ
ンシダレを眺めながら花見の茶を楽しむことができます。(下)

【豆知識】 「小堀遠州 (小堀正一 )」
近江小室藩主 (1万2千石) で江戸初期の大名茶人。近江の国
に生まれ、幼少の頃より父新介正次の英才教育を受け、千利休、
古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道
指南役となる。慶長13年 (1608) 駿府城作事奉行をつとめ、
その 功により諸太夫従五位下遠江守に叙せられ、これより 「遠
州」 と 呼ばれました。書画、和歌にもすぐれ、王朝文化の理念
と茶道を 結びつけ、「綺麗さび」 という幽玄 ・ 有心の茶道を創
り上げた人です。

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春と秋の特別な時期にだけ公開。ケチくさいようですが、それで
よいような気がします。まず、江戸には大名屋敷がわずかばかり
残されていますが、寺の庭や商家の坪庭など、庶民が日々の暮
らしの中で眺められる庭園は相当に少ないです。そのためなのか、
歴史的建造物である庭園に入っても、それをきちんと尊重して味
わう感覚が非常に薄い感じがします。京都に生まれ育てば自然
に身に付くような事なのでしょうが。それで、限られた期間の公開
でも驚くほどに庭園が荒らされてしまうのだろうと思います。

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「博物館でお花見を」
東京・国立博物館の庭園では、ソメイヨシノ、オオシマザクラをはじ
め、ショウフクジ、エドヒガンザクラ、ギョイコウザクラなど、10種類
以上の桜が次々に花を咲かせます。上野公園の喧騒 を逃れ静か
に花を愛でることができる 「大人の花見スポット」 と して密かな人
気です。秘密の庭に咲く桜、秘かに桜を愛でる人々。 日本美術
の殿堂で、世界一贅沢なお花見が楽しめます。

「エドヒガンシダレ 〈江戸彼岸枝垂〉」 (上)
ソメイヨシノの片親といわれ、近くの白いオオシマザクラと比べると
小さくて薄ピンク色でかわいらしい。枝を下に長く垂らして淡紅色の
小さな花が多数つき、開花時間の経過と共に花が白くなります。
「オオシマザクラ (大島桜)」 (下)
春に鮮緑色の葉が出ると同時に、純白または淡紅色の花を咲かせ、
伊豆七島や房総半島に自生する潮風に強い桜です。樹木は、木材
や薪炭に使われ、葉は塩漬けにし桜餅に使われます。

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「六窓庵 (ろくそうあん)」
慶安年間 (17世紀中頃) に奈良の興福寺慈眼院に建てられた
茶室です。 もとは興福寺大乗院内にあり、現在 ・ 奈良国立博物
館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録と共に大和の
三茶室といわ れました。明治8年 (1875) に物館 が購入、解体
輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれ
て明治10年に博物館に移築されました。にじり口にある手水鉢
(下右) は、四面に仏像が彫られた四方仏水盤といわれる形式
のもので、延長3年 (925) 関白 ・ 藤原忠平が建立したもので、
千利休をはじめ歴代 の大茶人が、これを賞賛した由緒ある
手水鉢のようです。

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ちょうど係りの方が来て、躙口 (にじりぐち) (下左) を開けて、
茶室内 (上右) を見せてくださいました。ラッキー。

千利休の求めたものが、暗い空間で落ち着いた雰囲気であった
のに対し、金森宗和は古田織部、小堀遠州と同様に、多くの窓を
配して利休と異なった明るい空間をつくって、窓の開け方にも様々
な工夫をしています。この茶室は六つの窓を持つことから 六窓庵
と呼ばれています。六窓庵は、外露地、内露地が揃って いる茶室
です。外露地には、寄付 (よりつき)、腰掛待合 (下右)、 雪隠が
設けられて、中門から内露地に入るようになっています。

【豆知識】  躙口 (にじりぐち)
躙口は、千利休が草庵茶室・待庵に設けた小さな入り口がはじまり
と言われています。封建社会での身分の上下関係は絶対的なもの
でしたが、茶室に入るには誰であろうとも、低く頭を垂れて伏して入
らねばなりませんので、茶室の中では、まず自分というものを一度
捨て、お互いにひとりの人間として対峙します。躙口から入ったら、
立場を捨て、無垢なありのままの姿になれということなんですね。
茶室のなかでは、亭主と客の関係や、隣席の人にすすめあい感謝
の念を捧げながら、一服の茶をいただきます。千利休は、この人と
人とのコミュニケーションの前に、まず、人はみな平等であると精神
的なバリアフリーを、それを儀礼として茶道に盛り込むために、出入
口に躙口を考案したのではないでしょうか。いつもは威厳をふりか
ざす天下人たちが平伏する姿を見て、にやりとする利休の顔が目
に浮かぶような気がします。

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博物館・本館は、もと寛永寺の本坊があったところ。 本館北側の
大庭園の池と築山が、かつての寛永寺境内の庭園の名残りを
とどめています。

この辺りはもともと寛永寺の境内であり、この地には寛永寺の
庭園がありました。この寛永寺庭園は、小堀遠州の作庭と伝え
られていますが、幕末の戊辰戦争で戦場と化し、多くの伽藍と
ともに焼失しました。 その後寛永寺は、明治12年 (1879) に
復興が認められ、現在の台東区上野桜木一丁目に再建され
ています。小堀遠州の作庭であれば、もっと石を多用し、躍動
感のある庭園に仕上がっているのではないかと思われますが、
現状の庭園は、実に穏やかな表情をしています。池を中心に、
周囲に園路が巡らされた池泉回遊式庭園。とても広くて綺麗
に整備されていて、庭園の美しさに感動です。

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「九条館 (くじょうかん)」
九条館は、もと京都御所内の九条邸に建てられていたものを、
東京・赤坂に移築され、当主の九条道実氏の居室として使用して
いた建物です。昭和9年 (1934) に九条道秀氏より寄贈されて、
この庭園に移築されました。九条家は近衛家、一条家、二条家、
鷹司家などとともに摂政、関白に昇任できる五摂家のひとつです。
近衛家の次いで古く由緒ある家柄で、九条家は代々、漢籍、和歌、
書に精通し、京都の九条の地に邸を構えていたことから氏の名と
なりました。建物は、木造平屋建て瓦葺き、間口9 間半、奥5間半、
総坪数44坪、10畳2室からなり、廻り廊下をめぐらしています。
この日はここでも茶会があって、これ以上は近づけませんでした。

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「応挙館 (おうきょかん)」
応挙館は、もと尾張国 (現在の愛知県大治町) の天台宗寺院の
書院として寛保2年 (1742) に建てられ、後に東京品川の益田孝
(鈍翁 ・ 1848~1938) 邸内に移築、昭和8年に博物館に寄贈さ
れたそうです。室内に描かれている墨画は、天明4年 (1784)、
円 山応挙 (1733~1795) が明眼院に眼病で滞留していた際に
揮亳したものであると伝えられています。木造平屋建て、入母屋
造り、瓦噴き、2室、廻廊下を巡らせています。 普段は雨戸を開
けて、室内が見えるように開放するようですが、ここもこの日は
茶会が開かれるようなので傍には行けませんでした。残念!

【豆知識】  「円山応挙」
円山応挙は、高校生のころに幽霊の絵の話で有名と聞いたことが
あります。円山応挙は江戸時代の絵師ですが、将軍から幽霊の絵
を描くよう頼まれました。応挙は当時にしては写実派として 売って
いたので、見たことがないものは描けないと思い悩んで いたそうで
す。悩んでいるところに幽霊が現れて、何とか描くこと ができたので
すが、それは、応挙の悩みを知って自害した奥さん だったのです。
応挙の描いた幽霊画を受け取った将軍家では不吉 なことばかり
起きたので、その絵を津軽候に下げ渡したのです。その絵は津軽
弘前の久渡寺に保管されているそうですが、 この絵を公開すると、
崇りがあると言われているそうです。

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庭園内を散歩していると、和服姿の方を見かけました。歴史に名
を 残す由緒ある茶室での茶会なんていうのもいいですね。「九条
館 (くじょうかん)」 に 「応挙館 (おうきょかん)」 、そして 「転合庵
(てんごうあん)」 と、いずれも茶会の花盛り。桜の季節ですからね。
花見の宴もいいですが、心静かに茶を嗜むことも良いものです。

お茶席には大きく分けて二種類あるようです。
ひとつは、懐石、濃茶、薄茶をもてなす正式な茶会である 「茶事」
です。もうひとつは、多くの客を一同に招き菓子と薄茶 (あるいは
濃茶) のみをもてなす 「大寄せ」 の茶会です。初めてお茶を体験
する方は、まず茶事に招かれることはないはずですから、大寄せ
の茶会での作法を知っていれば大丈夫という。 まず、お茶を楽し
む ことが、一番大事なことのようです。

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池の向こうに 「転合庵」 をのぞむ、絶景ポイントです。
博物館裏のテラスにも、ベンチが設置してあるので、一段高い場
所から庭を眺めることも出来るようになっています。それぞれ に
皆さん散策の後にベンチに腰を降ろし池を眺めていました。上野
公園の賑やかな花見より、ゆるりと散歩しながらの花見を楽しむ
人達でしたが、年配の方が多かった気がします。

花びらが池に散るとサクラの季節が終わりを告げます。
春は終わり、庭園もさわやかな初夏を迎えることになります。

いやはてに 鬱金ざくらの かなしみの 
       ちりそめぬれば 五月はきたる

逝く春を惜しんで、北原白秋はこんな歌を詠みました。

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庭園内には、ひっそりと石碑なども点在してありました。

「町田久成の碑」 (上左)
初代博物局長 (館長) 町田久成 (1838~1897) の顕彰碑です。
町田久成は、19歳で江戸に出て学び、慶応元年 (1865) に渡英、
大英博物館などを訪れ日本での博物館創設を志し、帰国後初代
博物局長として日本の博物館の基礎を築きました。
「第二回内国勧業博覧会の碑」 (上右)
明治政府は勧業政策の一環として博覧会を開催、その第一回から
第三回の会場が上野公園でした。明治10年 (1877) の第一回博覧
会では、本館北側のバルコ ニーのあたりに、日本で初めて美術館
という名の煉瓦造りの建物が建てられました。博物館に碑が残って
いるのは、この第二回のみです。
「鉄燈籠」 (下左)
石の台に据えられた鉄製の燈籠。火袋は松皮菱を透かし、竿に
は雲龍文を鋳出しています。しかし、鉄製のため錆が著しく付き、
基壇だけが、そのままの状態でおかれています。
「有馬家の墓石」 (下右)
東京国立博物館は寛永寺の境内であった土地に建てられたもので、
庭園ももとは寛永寺の一部でした。公園として整備するために博物
館敷地内の墓所が整理されたとあります。越前丸岡藩主有馬家の
墓石です。なぜこれらの墓石だけがここに遺されたのかは不明の
ようです。よく言う祟りがあったのでしょうかね。コワッ

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「厳有院 (徳川家綱) 霊廟 ・ 勅額門」
国立博物館の庭園の裏の通りにあるので柵越えにパシャ。(笑)
厳有院霊廟は、寛永寺にある霊廟で四代将軍徳川家綱が埋葬さ
れていました。家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第二
次世界大戦で焼失したが、この勅額門と水盤舎は災を免れた貴
重な遺構です。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風
付、銅瓦葺です。

四代将軍家綱は、慶安4年 (1651) に父 ・ 家光の死に伴って、
わずか十才で将軍の座につき、延宝八年 (1680) に39才で没。
法名を厳有院 (げんゆういん) という。乳母は矢島局、三沢局。
幼くして将軍になり、社会不安が起こるのは当然で、秀忠・家光
時代に改易されて職を失った浪人達に不穏な動きが発生。その
最たるものが、由比正雪の乱の幕府転覆計画。幸い未然に防ぐ
ことが出来たが、以後幕府は浪人を出さないよう改易を大幅に
減少。また、末期養子の禁を解除するなど、これまでの武断政
治から、文治政治へと方針を転換しました。明暦の大火を教訓
に両国橋を架設し、両国橋のたもとに 「火除地」 を設けました。
「すぐに壊せる」 という条件に一部を許可したために、さかんに
土俵が作られたという。これが発端となり、両国は相撲の街とし
て知られるようになったようです。家綱の死により、徳川将軍家
の直系の子が将軍職を世襲する形は崩れました。

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見上げれば薄紅にかすんで見える花の空、変わらぬ花見の宴。
小袖に咲いた満開の桜花の和服での散策。桜を愛してやまない
日本人の心をうつした数々の名品での茶会。隠れ家的名園です。
たくさんの茶室が移築保存されているのも貴重ですね。それだけ
場所があるのだなー、と訪れて感心しました。広い上野公園の
魅力のひとつを発見した価値はありました。

芭蕉の高弟だった宝井其角の俳句は、こんな感じです。

「酒を妻 妻を妾の 花見かな」

桜の花が咲きこぼれる空の下、夫婦仲むつまじい、江戸の春の
情景です。たまには、夫婦二人だけでの花見もいいものです。うふ





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