一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「小さな勇気」

...2017/03/26 18:08...

大正ロマン風の袴姿を街なかで見かけて、卒業シーズン
も終わりを告げようとしている事に気づく。別れの季節も
やがて過ぎ、間もなく始まる出会いの季節。いま社会に
旅立つ彼女たちも、袴姿に先達の心意気を感じつつ、
それぞれの困難を乗り越えて活躍してほしいと願う。

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今日の東京は、小雨振る肌寒い日だが、21日 (火)、気象庁から
全国に先駆けて、東京の桜の開花が発表されました。東京 (靖国
神社) の標本木の開花の定義は5~6輪が咲くと開花となります。
近所の桜もつぼみが、だいぶ膨らんでいました。早めに目覚めた
桜もいくつか咲いていました。(左) 来週あたりは満開になる
のではないでしょうか。楽しみですね。

今年も 「別れの季節」 を迎えた人もいるだろう。
いつも娘を妹のように可愛がっている近所の女の子も
高校を卒業した。我が家に卒業アルバムを持って挨拶に来た。
聞けば、卒業式の間、ずっと泣いていたという。
「今のクラスの仲間や担任の先生との別れがとても悲しく、
寂しいから」 と。別れることの寂しさを、ちょっぴり感じた
のだと思います。別れの辛さが人を強くする。

「別れがあるから人の世は美しく、出会いがあるから素晴らしい」
君たちがもう少し成長したら、この言葉の意味が本当に分かる
時が来るでしょう。この三年間、素晴らしい先生とクラスの仲間
と一緒に過ごせた君たちは、とても幸せだと思います。
別れの時、ずっと泣けるくらい貴重な人生のひとコマを、
みんなで分かち合えたのだから・・・・。

 別れることは辛いけど、仕方がないんだ君の為~
来月、新しい世界に旅立つ君たち。
みんな、これからも焦らず、ゆっくりと頑張れ!
陽が沈むのは日に日に遅くなっています。
「暑さ、寒さも彼岸まで」。
春分も過ぎ、いよいよ春本番ですね。


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「小さな勇気」

古い話だが、中学校の卒業式で校長先生から
卒業する私たちにはなむけの言葉として、
「小さな勇気」 という 言葉が贈られた。
「・・・・・どんな苦難も乗りきれる大きな勇気もほしいには
ほしいが、毎日小出しして使える小さな勇気でいいから、
それが私はたくさんほしい・・・・」 。ほんの少しの優しさで、
救える心、生まれる笑顔。差し伸べる手は一瞬の勇気。
どんな苦難、迷いにも小さな勇気だけは失わず、
自分を大切にしてほしいと話されていたと記憶する。

娘を連れて出張のお土産を持って実家に行って来た。
久しぶりに娘に会った親父は、学校で起きたトラブルや出来
事を盛んに娘から聞いた後、この 「小さな勇気」 を論していた。
卒業するわが子よりも、当時、保護者として同席した父親が
強く心に残っていて、今でも大切な言葉としているのだろう。
とうに忘れていただけに、思わず苦笑いしてしまった。

しかし、今にして思うと 「小さな勇気」 を出すことが、
とても大事な事に思う。若い頃って、何か力になりたいと思っ
ても、何していいか分からずに無力を感じたりするものです。
でも 「小さな勇気」 が、ひとこと 「ありがとう」 と感謝される。
更に小さな勇気が自分を変える、周りが変わる事があります。

先日、地下鉄に乗った車内は、私を含め数人が立っていて
座席はほぼ満席でした。途中の駅で荷物を手に年配の方が
乗ってきた。少し足が不自由なようで杖をついていました。
「座らせてあげたい」 と思ったが空席がない。だがよく見ると
高校生らしい2人組みが座っていて、1人はバックを座席
の横に置いて座席を余分に占領している。荷物をどけて
座らせてやろうという雰囲気はない。

女性を見かねて、私は思わず 「その荷物、下に置いて
この人を座らせてやってよ」 と声を掛けてしまった。
言いながら、一瞬、周りは緊張感が漂った気がした。
が、高校生はしぶしぶという感じながら、黙って荷物を
足元に下ろし女性を座らせてくれた。女性は高校生にも、
私にも深く頭を下げて、自分の荷物を膝の上に置いて
嬉しそうに着席した。「これから趣味の民謡の会に出かける
のです」 という。杖をつかいながらも趣味を楽しむ元気な
お年寄りの方でした。

そして偶然、私の降りた駅で彼らも女性も下車した。
すると、出口が同じだとわかった2人の高校生が、なんと、
杖を持つ女性の荷物を持って歩き始めたのである。
女性は遠慮したが 「一緒だからいい」 と、ぶっきら棒な
若者らしい言い方で答え、すたすた階段を上がっていく。
態度に現わすのは苦手のようだけど、接してみれば優しく
気のいいヤングなのだ。荷物を抱えて前を行く2人の高校生
の姿に胸が熱くなった。高校生も、捨てたものじゃない。

本当に小さな勇気だったけれど 「座らせれくれないか」 という、
私などには言えそうで、いままで中々言えなかった 「ひとこと」 を
ひょんなことから思い切って発したことで、若者と後味のいい爽
やかなコミュニケーションを生むことができた。礼を言って別れ
たが、うれしい一日だった。彼らも多分、少し良いことをしたと
いう気持ちになってくれたのではないだろうか。
ささやかな体験が、私をちょっぴり変えてくれた気がする。

ほんのちょっとだけ勇気を出すだけで、自分にも恩恵が返って
来るのです。受け取り方は十人十色ですが、ほんの少しの優し
さで、声かけて、手を差し伸べて、受け止めて、小さな勇気が
大きな勇気に繋がる。そういう小さい勇気を軽蔑していては、
いざというときの大きい勇気もつかめないのではないだろうか。
小出しして使える 「小さな勇気」 を持ちたいものです。


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  春を探しに~
        ― 浜離宮恩賜公園 ― 

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春の陽気に誘われて 「浜離宮恩賜庭園」 に行ってきました。
本当は、ここが目的で出かけたのではなく、電車内のどこかから
「菜の花がきれいだったよ」 という声が聞こえてきたのです。ちょ
うど新橋駅へ向かう電車だったので、急いで下車して行ってみた
というわけです。そして、そこは想像以上の菜の花畑で辺り一面
が黄色だったのです。「菜の花がきれいだった」 が、まさに春を
呼んでくれたのです。桜咲く前に、春を感じで下さい。

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「浜離宮恩賜庭園」 (上) 「大手門橋」 (下左) 「大手門出入口」
(下右) 浜離宮恩賜庭園へは、色々な行き方がありますが、今回
は、JR ・ 新橋駅の地下道を通って汐留方面に向かいます。 大手
門橋付近の交差点は工事中もあって、分かりづらく複雑です。
築地川にかかる大手門橋を渡り、大手門から入って行きます。

開園時間 :  午前9 時~午後5 時
入園料   :  300 円 ・ 65歳以上150 円

庭園入口で、無料でユビキタス・コミュニケータという音声ガイド。
これがすぐれもので、説明設定の場所に近づくと自動的に反応し
て解説が始まります。自由自在に園内を散策して、なにもしなくて
も音声ガイドがついてくるので、外国の方にも人気でした。入場料
金は300円と、いつもながらお財布に優しい価格です。PASMO
対応にもなっていてビックリしました。 個人的には浜離宮はあまり
にも広すぎて庭園とは思えない造りだと敬遠していました。
でも、久しぶりに歩いてみて違った 魅力も発見しました。

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この地は、寛永年間 (1624-1644年) までは、将軍家の鷹狩場で、
一面の芦原でした。ここに屋敷を建てたのは、承応3年 (1654)
四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。その後、綱重の子
の家宣が六代将軍になったのを契機に、屋敷は将軍家の別邸
となり、名称も 「浜御殿」 と改められました。以来、歴代将軍によ
って幾度かの造園、改修工事が行なわれ、11代将軍家斉の時
にほぼ現在の姿の庭園が完成しました。明治維新ののちは皇室
の離宮となり、名前も 「浜離宮」 となりました。その後、 関東大震
災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失 したり樹木
が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年、東京都に
下賜され、整備のうえ昭和21年に都立公園として一般公開され
るに至りました。

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まず最初に向かったのがお花畑。真っ青な空の下、都心のオアシ
スの貴重な花絶景です。 春の陽射しに、恩賜庭園の菜の花畑が
一面黄色い花で輝いています。都会にも春が訪れた、そんな光景
ですね。一度スイッチが入った春の花たち、菜の花が一面に広が
り見頃を迎え、確実に春は近づいてきているようです。

これぞまさに、「都会のオアシス」!
汐留に集まる日本が誇る企業のオフィス群の足元に、浜離宮恩賜
庭園の菜の花畑は広がっています。  まさか、東京の都心のど真
ん中に、それも高層ビル群に囲まれてこれほどの規模の菜の花畑
があったとは。その圧倒的スケールに、誰もが驚嘆することでしょう。 
こんなトコロが東京のヨサ。高層ビルの麓にある菜の花畑もいいも
のです。 数万本の菜の花の絨毯が見頃を迎えていました。

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菜の花畑のはるか向こうに、晴海ふ頭で見たビル群が立ち並んで
いてすごく不思議な空間です。都会のビル群を間近に控えた庭園
ですが、その光景に不思議と違和感がありません。都会にこれだ
けの菜の花畑は貴重 ですね。菜の花に溶け込んでしまうくらい目
の前で飽きるまで見つ めていました。黄色い花には何か元気が
貰えそうです。

菜の花は、地中海沿岸を原産とするアブラナ科の植物で、日本へ
は弥生時代に中国から渡来したと言われています。菜の花その物
を食べるようになったのは、意外と遅く、明治時代以降のことです。
それまでは照明用の燃料である菜種油を採るために、栽培されて
いたと言われています。現在では、地球に優しいリサイクル資源
として注目されています。私たちが食用とする菜の花は、成長過
程によって呼び名が異なります。 若い茎葉が食用になるときは
「青菜」、花を付けているときは 「菜の花」、種子ができたときには
「油菜」 と呼ばれています。

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東京都心部というと広大な菜の花畑が作れるような場所などまず
期待できない訳ですが、そんな都心部のしかも一等地にある浜離
宮恩賜庭園では、毎年、春になると広大な菜の花の群生が見られ
れるのです。高層ビル郡も菜の花をのぞいているのでしょうかね。
こんなトコロが東京都、しかも銀座のすぐ近くにあるんですよ! 

 ♪ 菜の花畠に、入日薄れ~
大人になっても、好きな歌としてあげる人が多い 「朧(おぼろ)月夜」。
「春風そよふく 空を見れば」 というような、日本的な豊かな季節感
を表現し懐かしさのあるメロディーです。一番は、春風が小さい花
びらを揺らす一面の菜の花畑。二番は、さらに時が進み、「里わの
火影も」 「森の色も」 「田中の小路を たどる人も」 のように見えるも
のだけでなく、「蛙のなくねも」 「かねの音も」 など耳でとらえたもの、
そして 「・・・・も」 で列挙されるすべてのものが霞んでいる、のどか
な春の情景です。歌を口ずさめば、だれでも心の中に静かで幻想
的な菜の花畑が広がります。 それは、いつかどこかで見た事が
あるような思いを抱かせます。まさに春めく風景です。

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菜の花に引き寄せられるのは人間だけではありません。花には蜂
や蝶や鳥などが群がっているのが常です。菜の花畑でも、その一
角でヒヨドリ達の賑やかな声が! またムクドリが蜜を吸いにやっ
て来たようです。 花が咲いて、虫や鳥が集まって一足早い春を
楽しんでいるようでした。

「ヒ ヨ ド リ」 (下右)
全体が灰色に見える色彩の鳥で、虫や草の葉、芽も食べますが、
花が咲くと蜜を吸いにやってきます。東京では1970年頃までは
10月に渡来し翌4月に渡り去る冬鳥でした。それが、留鳥として
一年中棲むようになったといいます。 その昔、一ノ谷の戦いで、
源義経が平家の軍勢を追い落とした深い山あいを 「ひよどり越え」
というのも、そこが春と秋ヒヨドリの渡りの場所になっていたこと
からなようです。ヒヨドリの鳴き声は 「ピィーヨ、ピィーヨ!」 と鳴く。
「ム ク ド リ」 (下左)
全身は黒味のある褐色で、頭は灰色がかった黒褐色。
目の周囲から頬にかけて不規則な白斑があります。この白斑は
個体によって違っていることが普通です。くちばし、足は黄色です。
地上を歩いて餌を探すことが多く、その時にはくちばしを草株の
間に入れて開くことで、地面や草株にひそむ虫を探しています。
「リャー リャー」 とか 「キュリリッ」 といった鳴き声をします。

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花畑中の一部を切り取ってしまえば、ここが都心のど真ん中だな
んて分かりません。背景にはどこまでも続く黄色い菜の花畑が広
がっている・・・・かのよう。実際にかなり広いのは確かですけど。
春の陽射しもあったので、菜の花が一段と鮮やかに見えました。

遊歩道を歩いて菜の花に囲まれるも良し、あるいは横から眺めつ
つお茶を飲むも良し。菜の花のすぐ横でレジャーマットを敷いて
弁当を食べている家族連れもいました。外国の方の多いこと。
思わぬ都会の中の花畑に感激しているようでした。それにして
もこれだけ菜の花が集まっているせいか、甘い香りが強烈に
漂っていました。菜の花の香りって初めて嗅いだ気がします。

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花畑の中を歩ける道があります。菜の花によって作られる一面の
イエローカーペットの中を歩くのは、本当に気持ちの良いもの。
その心地良さは、どれだけ歩いても飽きることがありません。
誰もが癒されると思います。

日本を代表する花である 「桜」 と並んで、春を象徴する花と言えば、
「菜の花」 でしょう。関東では春の訪れを告げる2月下旬から暖かく
なった4月にかけて咲き誇る、まさに春の花です。菜の花というと、
もっと広大で雄大な自然の中に見渡すかぎり咲き誇る姿をイメージ
していましたが、都心のビル街に咲く姿は東京ならではのものです。  

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黄色のジュータンと青空のコントラストが気持ちいいです。
一般的に春到来を告げる季節の風物詩と言えば、真っ先に思い
つくのが桜・・・ソメイヨシノの開花だと思いますが、広い敷地内に
黄色い絨毯のように咲き誇る菜の花もまた同様に春到来の風物
詩じゃないかと思います。特に菜の花の場合は黄色い花が 「春の
陽気」 を連想させるので、桜の開花以上に春らしく、そして温かみ
のある光景じゃないかと思います。そんな光景が東京・・・しかも
都心のど真ん中で見る事が出来ます。新橋駅から徒歩10分
程度 にある浜離宮こと 「浜離宮恩賜庭園」 です。

今日はよく晴れた暖かい日。 黄色のジュータンの菜の花。
春をまどろむ鳥たちにやさしい春を感じました.。 菜の花畑で1時間
以上過ごしてしまいました。いくらでもシャッターが切れてしまって
キリがないし、せっかくなので浜離宮を少し散歩しました。ただし、
思ったよりも広すぎて、すべてを回ることは出来ませんでした。

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入口からチョット歩き始めると 「わおー広ろ~い」 「きれい!」 異
様な空間に圧倒されます。(下左) 松の木の綺麗なこと。芝の綺
麗なこと。驚くばかりです。全体的に芝生の部分が多く開放感が
あり、庭園の周りは汐留の高層ビル群が目に飛び込んできます。
まさに都会の庭園風景です。

「内堀」 (上) 舟で運ばれてきた物質がここで陸揚げされました。
今も残る石積の護岸や陸揚げ用の石段などは、江戸時代の水運
の遺構として大変貴重なものだそうです。
「三百年の松」 (下右) 今から約300年前六代将軍徳川家宣が、
庭園を大改修したとき、その偉業をたたえて植えられた松のよう
です。太い枝が低く張り出し、いまなお堂々たる姿を誇っています。
都内では最大級の黒松の大樹で、迫力のある枝ぶりが外国人を
も魅了しています。 浜離宮の見どころのひとつとなっています。

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「水上バス乗り場」 (上左) 「海岸」 (上右) 「将軍お上がり場」 (下)

東京湾側で庭園の外にあたる 「海岸」 に出て来ると気持ちいい
潮風を受けます。水門で隔たれてはいますが、すぐ東京湾に隣接
しています。 OLやサラリーマンが昼時ベンチで、よく弁当を食べ
ています。この時期は外で弁当を食べるのもいいものです。
「水上バス乗り場」 があり、庭園に直結しているので浅草や両国
など隅田川沿岸から来ることができます。平日も混雑しています。
「将軍お上がり場」 当時のままに残っている史跡で、将軍が隅田
川から浜御殿に来た時や、舟遊びの休息の際に立ち寄ら れた時
などに使用された所です。慶応4年(1868)1月12日 未明、最後
の将軍徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで破れ、大阪から軍艦開陽丸
で江戸に戻り、この場から上陸して騎馬にて江戸城 へ向かった話
は有名です。また、上洛の際、14代将軍徳川家茂 は和宮に京都
の西陣織をお土産に持って帰って来る約束をするのですが、結局、
京都滞在中に21歳の若さで病死。 その遺品だけが、江戸で待つ
和宮に届けられる事になります。亡くなった徳川家茂の棺もここ
から江戸城に運ばれました。

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「横堀水門」 (上左) 「お伝い橋」 (上右)  「潮入りの池」 (下)

「潮入りの池 (大泉水)」 とは、海水を導き、潮の満ち干によって
池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式
だとされます。 水門から引き入れた江戸湾 (東京湾) の海水は、
「横堀」 と呼ばれる縦に長い池を経て 「潮入りの池」 に至ります。 
それらの池には海水魚が泳ぎ、 護岸の岩にはカニやフジツボが
生息するなど、まさに海水の庭園ならではの風情を楽しめます。
「横堀水門」  昔からこの堰で海水の出入りを調整しています。
東京湾の潮の干潮を利用して池の水位を上下させ、 庭の趣に
変化を持たせる ように作られた「潮入の池」 に必要なものです。
「海手お伝い橋」 横堀を区切る様に架かるのが 「お伝い橋」。
此の橋は樋の口山、横堀水門、新樋の口山に繋がる橋です。
橋の上から見ると水面に野鳥の遊ぶ姿を見ることができます。
年中野鳥が生息し、都心のオアシスの風情があふれています。

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庭園内には、長い歴史、由緒正しさを感じさせる大きな樹木が
たくさんあります。しばしお殿様気分で散策もいいものです。

篤姫 (天璋院) と徳川家茂の正室 ・ 和宮は不仲だったという。
家茂が将軍を継ぎ、彼は 「公武合体」 のために皇女和宮と結婚
するのですが、天璋院はこの和宮との間に複雑な政治情勢を反
映させた嫁と姑の冷戦を繰り広げることになります。 なんと、まだ
26歳の若さで皇女和宮 (家茂との結婚当時は16歳) に対して
姑として対応しなければならなかったのです。そんな嫁姑の争い
も、天璋院が病気の和宮を見舞った辺りから雪解けになり、七夕
の夜に和宮様側からも打ち解けられて、その秋には 「浜御殿」 へ
三人お揃いで清遊に来られたのでした。この時の様子は明治に
なってから、勝海舟がこの日の事を伝えています。天璋院として
も、つかの間の幸せを味わえた時期だったのかも知れません。
「浜離宮」 は、まさしく安らぎを与えた場所だったのです。

篤姫 (天璋院) は、徳川家に嫁ぎ、13代将軍徳川家定御台所
と なった人物。しかし夫の将軍・家定は病弱で、結婚して2年目
に 死んでしまいます。ああぁ、悲しきかな篤姫さん。

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「中島の御茶屋」 (上) 「松の御茶屋」(下左) 「燕の御茶屋」 (下右)
池の周囲には、全部で5棟の御茶屋が建てられていたが、 いずれ
も 震災や第二次大戦の空襲により失われ、再建した物もあります。

「中島の御茶屋」 は、江戸の大名庭園等に設けられた園遊接待
のための施設です。宝永4年 (1707) 6代将軍徳川家宣が建てら
れて以来、将軍をはじめ御代様、公家たちがここで庭園の見飽き
ぬ眺望を堪能したのでしょう。 水の面に映える橋と茶屋の姿は、
風趣に富んでいます。 かつては眺めもよく、 海のかなたに房総
を望め、夕涼みや月見に使われたようです。
「松の茶屋」 11代将軍徳川家斉が在職中の天明7年 (1787)
~天保8年 (1837) の間に建てられました。 「中島の御茶屋」 と
対をなす端正な外観の茶屋です。「潮入り の池」 の目の前に建っ
ており、池への眺望が大変よい御茶屋で、 明治2年 (1869) 英国
公使との会食場にも使わたようです。 第二次大戦の空襲により
焼失。平成22年 (2010) に復元されました。 別名を 「翠松亭」。
「燕の御茶屋」 現在、再建工事中です。 11代将軍徳川家斉が
建てましたが、第二次 大戦の空襲により焼失しました。数寄屋風、
眺望にも優れているため茶座敷として使われたようです。名前は、
室内の釘隠しの金具の形が燕の姿であったからと伝われます。

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「中島の御茶屋室内」 (下左)  「上生菓子抹茶セット」 (上右)
わ~イイですね。畳の間に緋毛氈が敷かれて雰囲気も良いです。

将軍や公家の方々は、ここ中島の御茶屋で 「茶」 を楽しみながら
眺望を堪能したというので、私も季節限定の 「上生菓子抹茶セット」
を注 文 (上右) して、お殿様気分で抹茶を一服頂き ました。「春に
ちなんで菜の花をあしらいました」 と生菓子の説明を受けました。
四季折々の季節感が小さな菓子の中に彩られ、口の中にも春が
広がった感じで美味しかったです。結構なお手前でございました。
最初はテラス以外は、人も少なかったのですが、直後に十数人の
外国人観光客の一団がやってきました。(下右) 

私が茶を堪能していると、皆さん私の真似をして茶碗を回す仕草
をしていたので、ちょっと説明。真剣に聞いてくれました。(笑) 
いざ、自分たちの所にも茶が届けられ、ぎこちない仕草も愛嬌が
あって微笑ましかったです。最後の茶を飲み干す仕草を表す、ズ
ッズッズッーと音を出して飲みますと説明したのに誰一人、上手く
出来ませんでした。この下手くそ! と思ったのですが、外国の
方はソバでもそうですが、吸うという動作は出来ないようですね。 
最後の 「ケコナ オマエデシタ (結構なお手前でした)」 に大笑い。
外国観光客にとって、ここは手軽に茶を体験する場所のようです。
それにしても日本文化に興味ある外国の方の多いこと。茶のこと
を質問されても素人ですから、答えるのに一苦労しました。

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日本の文化 (茶の文化) はさらに続き、「この竹は (下右) 何を意
味するの?」 と質問されてしまいました。よく見ると庭先に竹が置
かれています。(上右 ・ 下左) これは茶道における約束事 (作法)
で、茶庭や露地の飛び石を伝わっていくと、小石に縄で十文字に
結んである小さな 「関守石」 が置いてあることがあります。この石が
置かれた場合、「これより中に入ることは遠慮されたし」 のメッセー
ジがこめられています。いわゆる通行止めを意味します。本来は縄
で結んだ小石を置くのですが、外国の方が庭に入り込むので、分か
りやすく竹で表しているようです。止め石、留め石、関石、踏止石と
も呼ばれます。「関守石」 と聞いても知らない人がほとんどだと思い
ます。かくいう私も、何のことだか知りませんでした。物言わぬ石に
多くのメッセージが込められている 「関守石」。見つめれば見つめ
るほど面白く、奥の深い日本文化の一つといえるでしょうね。

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都心にありながら25万平方メートルもの広い敷地に、8千本の樹
木と、海水を引き込んだ大きな池を持った良い気場に包まれた公
園です。長い年月を掛けて造られた庭園も、関東大震災や戦災に
よって貴重な建造物や樹木が消失してしまい大変残念に思います。

東京都内には 「恩賜公園」 と呼ぶ公園が何箇所かあります。
例えば、上野公園も正式名称は 「上野恩賜公園」。井の頭自然文
化園も 「井の頭恩賜公園」 と言います。「恩賜」 というのは戦前に
宮内庁が御料地として所有していた土地が公に下賜 (恩賜) され、
整備された公園で 「浜離宮」 のように庭園が下賜された場合も
正式名称は 「浜離宮恩賜庭園」 と呼ばれます。

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「小覗」 (左上)  「覗窓」 (上右)  「引掘」  (下左)  
「鴨」 (下中)  「庚申堂鴨場」  (下右)
林の中を歩いていると、盛り上がった土手があります。土手の向こう
側は庚申堂鴨場(こうしんどうかもば)といわれ、 かつてカモを狩猟
するための狩場となっていました。

鴨場は遊猟施設であり、江戸時代には、どこの大名の別荘にもあっ
たものだそうです。 浜離宮にある二つの鴨場でも、 昭和の代まで
実際に使われていたとのこと。徳川の将軍達は、鷹狩りを頻繁に行
ったようです。目的は遊びではなく、民情視察、身体の鍛練、土風
刷新等だった。 生類憐れみの令を出した、5代将軍綱吉は鷹狩を
廃止。 復活させたのは8代将軍吉宗といいます。11代将軍家斉の
頃は、鷹狩も遊びとなり、鴨場を利用して放鷹(ほうよう) が盛んに
なったようです。それぞれの将軍の個性が伺えて面白いですね。

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庭園内は、至る所に松が植えられいます。こういうところに日本らし
い造形を感じてしまいます。この地はもともと徳川将軍家の鷹狩り
場であり、歴代の将軍が御殿を立て、庭園を整備することで徐々
に出来上がってきました。大変広い敷地を持っており、回るのが
けっこう大変です。徳川吉宗お手植えのトウカエデ (唐楓) もあり、
秋にはきれいに紅葉します。水に恵まれているこの庭園の池に
は、ハゼやドロメ、ユビナガスジエビやチチュウカイミドリガニなど
今でも、潮入の池には生息しているようですよ。江戸時代には釣
りを楽しんでいたとか。今でも水の底が見えるほど綺麗な池です。

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「小の字島」 (上)  「お伝い橋」 (下)
水に恵まれているこの庭園は、お伝い橋のほかにも、小さな橋が
幾つもあるのです。弧を描く小さな橋にもそれぞれに名前が付い
ていて、橋の上から見る景色に風情あり、水面に映るビル群も徳
川家の時代とはまた違った都会のオアシスを感じます。

「中島の御茶屋」 まで架けられている橋をお伝い橋といいます。
「お伝い橋」 は、宝永4年 (1707) 徳川家宣によって架けられ ました。
お伝い橋の中間に小さな島があります。この小さな島は 「小の字島」
と言います。島と左右に並ぶ島の形が、漢字の 「小」 の字になって
いますので 「小の字島」 と呼ばれているようです。浜離宮庭園の中
心をなす 「潮入の池」 は、御茶屋のある中島や小の字島などの
ある 「大泉水」 と海岸に近くに横たわる 「横堀」 の2つから成っ
ています。それぞれの池の周囲には散策路があり、「お伝い橋」 
などの橋を渡りながら散策をすると庭園の様々な景観を楽しむ
ことができます。

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都心のビル街と広い庭園、将軍家でなければできなかった場所柄
を感じさせます。都内の庭園の中ではかなり広いです。新橋地域
の再開発により、浜離宮恩賜庭園の周りには、近代的な高層ビル
が数多く建築されました。ここでは、庭園の美のみでなく、広大な
庭園と高層ビルの織りなす景観も楽しむことができます。広大な
庭園だけあって都会の喧騒とはかけ離れた雰囲気です。

「潮入りの池」 (上) の背後に見える高層ビルは、向かって右から
あの1年目の女性に過労死させる事件を起こした 「電通本社ビル」
で通称 「カレッタ汐留」 ビルです。その隣がコンラッド東京が入る
「東京汐留ビル」、さらに隣が 「日本通運本社ビル」 です。左隣り
の黒っぽいビルが 「汐留住友ビル」 です。左端の2塔ビルは 「タワ
ーマンション」 です。東京湾側の海岸 (下左) に見えるのは、建物
内にクリニックや24時間スーパー・病院・美容室・カフェ・保育所や
スポーツジムもあるので生活の大半をマンション内で行うことが出
来る高級分譲 ・ 賃貸タワーマンションの 「ザ ・ トウキョータワーズ 
シータワー」 です。57階 3LDK で1億5千5百万円とか。高さ193
メートルの分譲マンションとして日本国内最高階層のようです。
中央の見事な高層ビル (下右) は 「ラ ・ トゥール汐留」 です。
右手に微かに東京タワーが見通せます。左のガタイのいいビル
は 「汐留ビルディング」 で、以前ポケモンセンターがありました。

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庭園内でも外国人観光客がたくさんいて、浜離宮は観光スポット
になっているようです。たしかに和の雰囲気いっぱいでイイでしょ
うね。庭園の池には、ビルが映り江戸・明治・現代が不思議に調
和して見えます。現代人の目から見ると、公園も庭園も変わらな
いものとして映るかもしれません。もし同じ散歩をするなら、確か
にジュース代くらいの入園料はかかりますが、こういう場所で散
歩をしてほしいと思います。歴史と伝統に触れる、いいチャンス
になりますから。「浜離宮恩賜庭園」 は、お勧めです。

【おまけ】
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浜離宮恩賜庭園から新橋駅へ帰る途中に日本テレビに立ち寄っ
て、日本テレビ社屋の壁面にアニメの巨匠宮崎駿監督が手がけ
た宮崎駿デザインの 「日テレ大時計」 を見てきました。(上右)
ついでに 「大屋根広場」 (下) も。

「日テレ大時計」 は、全体は手作業によって叩き出された銅板で
覆われ、その大きさは高さ約12m 、幅約18m にも及びます。随所
に散りばめられた32箇所もの仕掛けが連動し物語性を生み出す、
まさに日本最大級の 「からくり大時計」 です。この大時計の中には
「音」 を司るキャラクターと、「動き」 を司るキャラクターたちが棲み
つき、時計全体でひとつの楽曲を創します。大屋根広場 (下) は、
日テレ系で放送している news every で、着ぐるみのそらジローと
気象予報士の木原さんによる天気予報の時間ですが、その後ろ
にはいつもたくさんの親子は映っていますよね。実は東京汐留に
ある日本テレビの 「大屋根広場」 という広場で開催されています。
本番は18:50頃から 「こんばんは~!」 の声でスタート。その後、
天気予報が入ります。最後に全体が映る瞬間があります。後ろの
ママと子供たちを順番に映してくれます。なので、夕方から大勢の
親子が集合します。我が子のテレビ出演は、ちょっとした思い出。
しかし、子どもより出たがりのママが多いようです。(笑)





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