一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。
           
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「自然と語ろう」

...2017/02/19 08:38...

昨日は雨水 (うすい) の日でした。
しかし、本格的な春の訪れにはまだ遠く、
大雪が降ったりもします。三寒四温を繰り返しながら、
春に向かっていきます。ところで、お雛様は雨水の日に
飾り始めるといいと聞きますが、どんな理由なんでしょう?
あなたの 「気になる」 は、わたしの 「気になる」 。
では、ご一緒にスタディーターイム。

お雛様を飾るのに良い日とされている 「雨水」 ですが、
そもそも雨水とは、なんの日なんでしょうか。雨水は 「うすい」
と読みます。 「あまみず」 と呼んでしまうと意味が違って
しまいますのでくれぐれも間違えの無いように・・・・。
現在広まっている定気法では太陽黄経が330度のときで、
立春から数えて15日目頃、今年は2月18日になります。
立春は 「春のきざしが感じられるころ」 のことをいい、啓蟄は
「冬眠していた虫が地上へ出てくるころ」 のことをいいます。
この2つの間にある雨水は、冬が終わって春へと変わって
いく動きがみえてくる季節といえます。

この日から、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃。
これから春になっていくよ~って、お知らせの日なんですね。
山に積もった雪もゆっくりと溶けだし、田畑を潤します。
昔から、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。
草木が芽生える頃で、春一番が吹くのもこの頃です。

お雛様を飾ると良いと言われるのは、この日に飾ると、ズバリ!
良縁に恵まれると、言われているからなんです。
やっぱり女の子は、すてきな旦那様とめぐり逢って欲しいですね。
なぜ、雨水に良縁?
といっても、なぜ雨水と良縁が関係があるんでしょう?

理由は諸説あるようですが、日本神話から来ているようです。
雨水から雪が雨に変わり、春に向かっていくので、農作業の
準備などが始まります。この時期から、草木も芽吹き、雪解け
水が川に流れ始めます。じつは、水は命の源であるとされ、
母と考えられていたんです。なので、水の神様は、子宝の神様
とされていたり、安産の神様として崇められていました。
このような理由から、お雛様を雨水の日に飾ると良縁に
恵まれると言われるようになったようです。

生命の源である、水の神にあやかって、雨水の日に
ひな人形を飾ると良縁に恵まれる。可愛い子供が
幸せであるように願う気持ちの現れなんですね。
我が家も娘とかみさんが、何やら押し入れに頭を
突っ込んで、ひな飾りを取り出していました。(笑)
出掛けようとしたら、娘が 「パパ~、出かける前に
ひな壇作ってからにしてよね~」 だって。

ひな飾りを飾っている期間中、お酒を飲むと幸せな
気分になれる・・・・・と、勝手に解釈して晩酌を楽しみたい。

♪  金のびょうぶに うつる灯 (ヒ) を
     かすかにゆする 春の風
    すこし白酒 (シロザケ) めされたか
     赤いお顔の 右大臣 (ウダイジン)


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「自然と語ろう」

人生って、いいことも続くけど、悪いことも続く。
やはり悪いことが続くとかなり落ち込むものだ。
普段の生活の中で、楽しいことや良いこともある
はずなのに、それらが目に入らない。それどころか
「なんで、こんなに悪いことばかり続くのだろうか」 
「わたしのどこがわるいんだろう」 「私は、こんなに
一生懸命なのに」 と、自分を正当化したり、
自分を責めたりする。

こうなると最悪の状態だ。
「どうでもいいや」 と投げ出したくなる。
仕事も生活も何もかも放り出してしまいたくなる。
まさに 「どん底」 だ。そんな 「どん底」 から立ち直る
ために、「自然の中に身を置いてみるんだよ」 と
上司が話した事があった。

上司の友人は会社を経営していたが倒産した。
借金取りに追われ、自殺も考えたらしい。
「もう死にたい」 と、長年寄り添った奥さんに言ったところ、
その奥さんは 「死ぬ前に何したい?」 と聞き返したという。
「南の島に行って、ボーッとしたい」 と答えたら
「行ったらいい」 と言われたという。とてもそんな状況じゃない。
でも奥さんに背中を押され、南の島に出かけたという。

コバルトブルーの美しい海を見ているうちに、
自分のちっぽけさに気づき 「命までとられるわけでもない」
「死ぬ気で向かい合えばなんとかなるかも」 と、思えてきたらしい。
今は再び再建するための準備をしているようです。
そう上司が話されて 「どうしょうもなく落ち込んだ時は、
大自然と会話してみるといい」 と話された。

そういえば、学生時代に友人が失恋してすごく落ち込んでいたとき、
彼を励まそうと何人かで企画して登山に誘って行ったことがある。
南アルプスの山々を眺めているうちに彼は突然 「自分がこの世に
いるだけで奇跡だよなぁ」 「失恋したくらいでくよくよしてる自分が
情けない」 「恋の楽しさを教えてもらったと思えばいいよなあ」 と
いつの間にか前向きな彼がいた。

自然を相手にすると自分を見つめなおす気持になる
から不思議だ。人生っていいことも悪いこともあるんだ。
だから心に休みも必要なんだね。そして自然と語る。
たまには、自然と語る時間を作って、
心に休みを持ちたいものです。


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マリー ・ アントワネット展 2017
~美術品が語るフランス王妃の真実~  六本木ヒルズ

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すでに30万人が訪れているという話題の 「マリー・アントワネット展」。
会期末までに絶対に行くと言っていた、かみさんのお伴で鑑賞して
きました。独身時代 「ベルサイユのばら」 が大好きで 「ヴェルサイユ
宮殿」 に出掛けたほど、半端じゃなく好きらしい。そういう淑女達が
ワンサカ訪れて凄い人でした。(笑) 来場者の八割が女性でした。
私の方は、フランス革命を知るのにいいかなと、久しぶり二人で
デート気分です。ちょびっと紹介します。

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開催される森アーツセンターギャラリーは、六本木ヒルズ森タワー
52階 (下左 ) で展望台と同じフロアにあります。森アーツセンター
ギャラリーへの入場は専用の入口 (ミュージアムコーン) (上) から
です。チケット売り場のフロアは人でいっぱいでした。チケットを購
入するのに30分以上かかり、さらにエレベーターに乗るまでジグ
ザグに列を成し狭い部屋のうえ、私の周りは年配のご婦人の団体。
化粧の匂いで気分が悪く成るほどで、エレベーターに乗れたのは
30分後。1時間以上かかって52階へ。先が思いやられます。

「マリー ・ アントワネット展」 美術品が語るフランス王妃の真実
会期  2016年10月25日 (火) ~ 2017年2月26日(日)
会場  森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ 森タワー52階)

フランス王妃マリー ・ アントワネット (1755-1793) が暮らした
ヴェルサイユ宮殿の企画 ・ 監修のもと、彼女の激動の生涯を辿る
企画。肖像画はもちろん、王妃が愛用した食器や漆器、家具、身
に着けた衣服、そして革命期の資料など、美術的、歴史的に貴重
な品々200点あまりが展示される。最大の見所は、王妃が実際に
使った家具や同時代の浴槽などとともに原寸大で再現がなされる
のは史上初の試みのようです。

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それではさっそく、展覧会の会場へ!
エレベータを降りて係りの方に案内されたのが列の最後尾。え~
また行列です。(下右) ジッと我慢の子で待つこと10分。(下左)
も~並びました。待たされました。疲れました。あなどってました。(笑)
やっと会場内に入ると、高級感あふれる真紅の壁があらわれます。
ぐっとマリー ・ アントワネットの世界に引き込まれます。14歳で
政略結婚。そして異国の王太子妃へ。

第一章 ウィーンからヴェルサイへ、皇女から王太子妃へ
マリー ・ アントワネットは、ハプスブルク家の皇帝フランツ1世と、
オーストリア大公マリア=テレジアの15番目の子として生まれます。
彼女はシェーンブルン宮殿で幼年時代の大部分を過ごしたが、ル
イ15世の孫の王太子 (のちのルイ16世) とマリー ・ アントワネット
との 「縁談」 がまとまり、これを機にハプスブルク帝国と、そのライ
バルであったフランスとの絆が確固たるものになった。オーストリア
皇女からフランス王太子妃となるまでの少女時代の様子を紹介。

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マルティン・ファン・マイテンス 「1755年の皇帝一家の肖像」  (左)
会場に入って最初に目にするこの絵は、教科書でも見たことのある
「1755年の皇帝一家の肖像」。子沢山で知られたオーストリア大公
マリア ・ テレジア夫妻と子どもたち12人の様子が描かれています。
真ん中のゆりかごにちょこんと座っているのが、末娘であるマリー・
アントワネットです。マリーの母は、子供が生まれるたびに肖像画を
宮廷画家に描かせて祝ったそうです。同様の構図の肖像画が子供
の数だけあるのですね。

「チェンバロを弾くオーストリア皇女マリー・アントワネット」  (右)
こちらも有名な肖像画。フランスへの嫁入り直前と推測される絵です。
チェンバロを弾く姿が優雅ですね。うら若きオーストリア皇女が座って
いる場所は、赤い幕と風景画が嵌(は)め込まれた板張りの壁からわ
かるように宮殿の一室でしょうか。この後1770年4月、アントワネット
は14歳でウィーンを離れ、フランスへ嫁ぎます。

第二章 フランス王太子との結婚
1770年、マリーは14歳でフランスのルイ15世の孫、ルイ・オーギュ
スト (のちのルイ16世) に嫁ぎます。ここには、結婚祝いのセレモニ
ーの美術や絵が飾られていました。

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アンドレ・バセ 「マリー・アントワネットのヴェルサイユ到着」
若く美しいアントワネットの評判はたちまちフランス中に広がり、大
勢の民衆がヴェルサイユ宮殿に押し寄せ、その結婚を祝ったと言
われています。ハプスブルグ帝国とフランスの絆を堅くするための
政略結婚ですが、本人はまだ14歳。 何が何だかわからなかった
でしょうね~。ここには王立セーヴル磁器製作所 「王太子の結婚
祝いのテーブル飾り」 の模型も展示されていました。

第三章 即位-マリー ・ アントワネット誕生
1775年6月、ルイ16世の戴冠式はランスの大聖堂でフランス王
家の伝統に則り挙行されました。この戴冠式はルイ16世の治世
下において最も贅を尽くした行事だったようで、ルイ16世の王と
しての最初の言葉は、「神よ守り給え、このように若くして国を治
める私たちを!」 であったという。

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ジョゼフ ・ シフレ ・ デュプレシ 「ルイ16世」 (左)
ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「王妃 マリー ・ アントワネット」 (右)
結婚して4年後、ルイ15世が亡くなると、二人は若くして王位に就い
たのです。 1774年、ルイ16世の即位により、マリー ・ アントワネット
はフランス王妃になりました。 この時、ルイ16世は20 歳、マリー ・
アントワネットは19 歳でした。ルイ16世の肖像画を見ると、人のよさ
そうな感じがします。王家に生まれなければ、きっと平穏で幸せな市
民生活を送っただろうと思わせる温和な表情ですね。このルイ16世、
愛人を1人も作らず子供の面倒をみる良い夫・良い父親だったという。
白い肌、青い瞳、ブロンドの髪のマリー ・ アントワネットの美を人々は
賞賛! 肖像画を見ても、その美しさはわかります。しかし当時のマリ
ー ・ アントワネットは、パーティ三昧な毎日だった様子。 まだ19歳、
遊びたい年頃ですからね。自由奔放な王妃の浪費は、この頃すでに
始まっていたようです。

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マリー ・ アントワネットといえば、日本では漫画 「ベルサイユのば
ら」 で一躍有名になったフランス王妃。オーストリア皇女として誕
生し、14歳でのちにルイ16世となるフランス王太子と結婚。その
後、革命の波にのまれて37歳で断頭台の露と消えます。フランス
革命までの約20年、ヴェルサイユ宮殿で過ごしたマリー ・ アント
ワネットにとって、人生の最も輝かしい時代を過ごした 「思い出の
宝石箱」 とも言えます。

第四章 マリー ・ アントワネットと子供たち
ルイ16世とマリーには子供が3人いました。王妃は最初の女児を
出産後、1781年に待望の男児を出産します。彼こそ長い間待ち
望まれていた嫡子でした。が、末娘ソフィーが生まれたが、この子
は数ヶ月後に亡くなったようだ。マリー ・ アントワネットも彼女の母
同様に、子供たちの肖像画を多く残しています。 浪費家の一面
はありつつも、子供にとっては良き母だったようです。子供たちの
肖像画がそれを語っていました。

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フランソワ ・ メナジョ 「1781年10月22日の王太子ルイ ・ ジョゼ
フ ・ グザヴィエ ・ フランソワの誕生の寓意」

結婚11年目の皇子誕生の様子を寓意とした作品です。青い服を
着たフランス国家の擬人像が王太子を抱き、後ろには天使たち、
右下では役人たちが王太子を迎え入れようとしています。完全に
神のような扱いで描かれていて、その為この作品の本図は革命
で破壊されたそうで、この作品はその下絵のようです。

第五章 ファッションの女王としてのマリー ・ アントワネット
輿入れのためフランスに到着したマリー ・ アントワネットは、パリの
華やかなファッションを目の当たりにし、瞬く間にその虜となった。
ファッションにお金を注ぎ込み、実家の母にまで怒られるほどだっ
たそうですが、彼女のファッションは常に貴族達の話題の的でした。
ここでは、帽子やドレスなど華やかな衣装のヴィジュアルをじっくり
見ることができました。

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エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「フランス王妃 マリー
・ アントワネット」
 (左)
フランス貴族のファッションリーダーとして、ダチョウの羽をつかった
アクセサリーや派手なデザインのドレス、高く結い上げた髪型など、
次々とあたらしいファッションで注目を集めました。そんな王妃の散
財ぶりに、国民からの不満は、じわじわと高まっていったようです。

ルイ ・ オーギュスト ・ ブラン, 通称ブラン ・ ド ・ ヴェルソワ
「狩猟をするマリー ・ アントワネット」
 (右)
王妃が経験豊かな乗馬の騎手であったそうで、描かれているのは
特に好んでよく行っていた狩猟の情景のようです。マリー ・ アント
ワネットは優美で軽快な様子で馬に横乗りしています。後景には、
上半身に聖霊騎士団の青いリボンをかけたルイ16世がいます。

第六章 王妃に従えた家具、調度品たち
マリー ・ アントワネットは衣裳だけでなく、インテリアにもこだわりが
あり、こちらでも流行の最先端! 特に花と真珠のモチーフがお気
に入りで、タペストリーや燭台もあれば、なんと日本製の漆器類も
収集していたそうです。様々な調度品が見られました。

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「寝台の上掛け」 1770年頃 (左) 
繻子地にシェニール刺繍で、アントワネットがとくに好んだ花柄の壁布。
これもゴージャスなデザインですね。ヴェルサイユをはじめとする宮殿
の装飾に執着したアントワネット。莫大なお金をつぎこみ、当時の流行
にあった家具調度品を揃えていきました。当時フランスがアメリカ独立
戦争に介入したことで国家財政が厳しくなっていたにもかかわらず、
王妃の散財は加速するばかりだったといいます。

「桃形蒔絵合子」 (右)
桃太郎さんが生まれてきそうな桃型の漆器。専門家によると中国向け
に作られたものとの事。当時、日本と清朝、清朝とフランス王室の間に
は交流があり、その過程でこの漆器がヴェルサイユに渡った、とも考
えられるそうです。当時の世界情勢の縮図・・・とも言えそうですね。
マリーアントワネットが日本のモノを目に手にしてたんですね。

第七章 再建された王妃のプチ ・ アパルトマン
ここでは王妃が実際に使用していた家具や、同時代の浴槽などを
使用してプライベートルームを再現! 居室、浴室、図書室の3つ
の部屋で構成されています。ついに部屋まるごと登場ですよ。

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【展覧会の注目ポイント! 王妃の部屋の再現】
マリー ・ アントワネットのプライベート空間、浴室、居室。これがな
んと今回の会場でも再現されました。実際に使った家具などを用い、
原寸大で見ることができるのです。現代は残っていない図書館は、
かつての設計図とともに最新デジタル技術で音や映像で演出して
いました。王妃の寝室の金襴をふんだんに用いた数々は、王妃の
金銭感覚が狂うのもさもありなん、という豪華さです。なにしろ、当
時のヴェルサイユ宮殿は、ヨーロッパ各国の王室に誇示された豪
華な宮殿の見本帳のようなものだったのです。その裏で、財政が
慢性的な赤字であったことなど、若い王妃には知る由もないこと
だったのかもしれません。

会場内に再現された居室だけは、特に写真撮影が許可されてい
ましたが、人が多すぎて撮るのに難儀でした。居室に展示されてい
る ≪寝台≫ の脚部はエジプト女性がかたどられています。 これは
マリー ・ アントワネットが特に好んだ装飾だったそうで、ヴェルサイ
ユ宮殿には他にもこのモティーフで飾られている場所があるとか。

第八章 マリー ・ アントワネットのセーヴル磁気の食器セット
インテリアに凝っていたマリー ・ アントワネットが、漆の器を好んで
いたのは驚きでしたが、なんと伊万里焼をイメージした和食器も購入
していたそうです。展示されている食器はいずれも美しくて、あまり古
さも感じないのが凄いです。

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王立セーヴル磁器製作所 「日本 (皿)」 (左)
このコーナーは王妃が好んだ食器が展示されていました。 ズラリと
並ぶセーヴル食器のなかには、日本風デザインのものも。このお皿
は、伊万里焼から着想を得たものと考えられています。 王妃の母、
マリア ・ テレジアは日本の漆器をこよなく愛していたようで、その趣
味は娘にも受け継がれました。王妃自身もパリの美術市場で漆器
を買い集めたり、ヴェルサイユ宮殿には彼女のコレクションが残され
ています。これは 「日本」 という名前が付けられた食器で、日本の
食器を好んだ母、マリア ・ テレジアに贈ったものだそうです。
お母さん想いなんですね。

王立セーヴル磁器製作所 「豪華な色彩と金彩の食器セット」 (右)
マリー・アントワネットはこのように最高級の洗練された日本の漆器類
を収集し、これらを私室で大切に保管した。コレクションの全容は様々
な形の、独創性に溢れた70点を超えるもので、その多くが17世紀の
ものだったようです。この頃、日本では徳川家治の時代ですかね。

第九章 王妃の私的な離宮 : トリアノン
ルイ16世から贈られたプチ・トリアノンは、マリー ・ アントワネットだけ
の世界。ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮のひとつ、プチ ・ トリア
ノンは、宮廷の陰謀や中傷から逃れる彼女のオアシスだったのです。
トリアノンの地図や美術品、子供たちとの肖像画なども見られました。

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クロード=ルイ ・ シャトレ 「ヴェルサイユの岩場とベルヴェデーレ」
1774年に、王妃がルイ16世によって与えられた 「プチ ・ トリアノ
ン」 の様子もうかがえます。形式ばった宮廷生活を嫌ったアントワ
ネットは、この私的な離宮の敷地内に池や田舎風の離宮を作らせ、
牧歌的な暮らしを夢みました。照り返しを受けた湖の水面が夢幻
的な魅力をもたらしている感じでした。 かたくるしい宮廷から抜け
出してごく親しい友人を招き、オペラや舞踏会を開き、大胆なファ
ッションを楽しんだようです。しかし楽しい時間もつかのま国民の
不満が爆発。いよいよ革命が始まります。そして悲劇の結末へ。

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エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「ゴール ・ ドレスを着た
マリー ・ アントワネット」
 (左)
王妃はシンプルなシュミーズ ・ ドレスを着て、宝飾品は身につけず、
麦わら帽子をかぶり、ダチョウの羽根飾りをつけています。王妃が
身に着けているのは、ゴール ・ ドレスと呼ばれたシュミーズ・ドレス。
確かに当時流行していたものですが、あくまで親密な場面で身に着
けるもので、公的肖像画にふさわしい衣装ではなかったため、悪評
が広がり、この作品はサロンから運び出され別の絵が代わりに展示
されたという。その世間知らずのほどをよく表しているのが、この肖
像画だという。

エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「マリー=テレーズ ・
シャルロット ・ ド ・ フランス、通称マダム・ロワイヤルとその弟の
王太子ルイ ・ ジョゼフ ・ グザヴィエ ・ フランソワ」
  (左)
ルイ16世とマリー ・ アントワネットには婚姻後8年の月日が経って
も跡継ぎがいなかった。 1778年のマダム ・ ロワイヤルの誕生は
国王夫妻を安堵させたという。 その3年後、ついに王位継承者で
あるルイ ・ ジョゼフ ・ グザヴィエ ・ フランソワが生まれます。 幼き
王太子は水兵風のシルクサテンの衣服に身を包み、聖霊騎士団
の勲章と空色のリボンを身につけている。 マダム ・ ロワイヤルは
麦わら帽子をかぶり、縞模様のタフタで袖口が繊細なレースで縁
取られたドレスを着ている。彼女は小さな弟に対して見守るような
愛情深い眼差しを注いでいる感じです。

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「解読された1792年1月4日付の手紙」 (左)
およそ200点の美術品が集う今回の展覧会で、とりわけ大きな人垣
ができていたのが、マリー ・ アントワネットから恋人フェルセン伯爵へ
宛てた手紙 (複写) の展示ケースです。2人が使った暗号表の実物
と、墨塗りの手紙の複製が展示されていました。フランス革命勃発後
も、暗号を使うなどしながら手紙を交わしていました。中には部分的
に黒く塗りつぶされているものもあり、その解読が試みられ2016年、
ついにその一部が明らかになりました。フェルセンへの手紙の墨塗り
の下から浮かび上がったのは、「あなたを狂おしいほど愛しています。
一瞬たりともあなたを敬愛することをやめられません」 という文字。女
性らしいやわらかい文字で、情熱的な愛の言葉が書かれていました。
ガラス越しに食い入るように見ていた人が多かったです。

「アクセル・フォン・フェルセン」 (右)
彼こそがマリー ・ アントワネットの恋人であり、革命の動乱において
国王一家を堅固に支援し、また1791年の悲劇の逃亡 (ヴァレンヌ
逃亡事件) のお膳立てをしたアクセル ・ フォン ・ フェルセンです。
スウェーデンに戻った後、彼は生涯を通じて亡き王妃の思い出を抱
き続けたという。王太子カール ・ アウグストに毒を盛ったというあらぬ
疑いをかけられ、王太子の葬儀当日、群衆によって惨殺されました。
スウェーデンの礼服に身を包みヴェルサイユ宮に現れた時、舞踏会
で仮面をつけた女性が、優しく手をとってお喋りを始めました。女性
が仮面をはずすと、それは誰もが知っているフランスの王妃、マリー
・ アントワネットでした。王太子を出産していたマリー ・ アントワネット
は、後継者を生んだということで、安堵してフェルセンとの恋に積極
的になったことは想像に固いことです。言い方はどうであれ、現在の
言葉で言い表すと、不倫でしかないのですが・・・・・。

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【首飾り事件】
この首飾り事件は、ラ・モット夫人がロアン枢機卿に王妃が首飾り
を欲しがっていると持ちかけた詐欺事件で、王妃そっくりのニコル
・ ゲイという娼婦を使って信用させ、ラ・モット夫人はロアン枢機卿
に高価な首飾りを売りつけた後にそれを預かり分解し、イギリスな
どに売り払いました。 ロアン枢機卿は王妃に嫌われていたので、
何とか取り入ろうと必死になっていた隙をつかれただけですが、
王妃は自分の名が使われ侮辱されたとロアン枢機卿を逮捕させ
ました。しかし彼は無罪となり、逆に無関係だったはずのマリー
・ アントワネットが作らせたと国民は信じたようです。この事件は
軽薄で浪費家というマリー ・ アントワネットのイメージを定着させ、
王室にも大きな打撃を与え、世間の批判が高まる結果となった。

第十章 首飾り事件
いよいよ悲劇のエンドロールへと向かいます。国民の不満爆発の
きっかけとなった大スキャンダル 「首飾り事件」 が起こります。マリ
ー ・ アントワネットは詐欺の被害者でありながら、国民の信頼を失
う結果になってしまいました。マリー ・ アントワネットには、とんだと
ばっちりだったのですが、王妃としてのイメージを失墜させた事件
です。ここには、問題の首飾りの複製が展示されていました。

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エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「白いペチコートに
青いルダンゴト・ドレスをを羽織って座るマリー・アントワネット」
 (左)
この作品は、亡命先のサンクトペテルブルクで画家の手元に置か
れたものです。王室から注文を受けた最後の作品を手掛かりに、
おそらく本人を目の前にすることなく描かれたと言われています。
追憶の中の王妃を、画家はどんな思いで描いたのでしょうか。
王妃のドレスやその裾の毛皮の質感、足をのせたクッションの
タッセルは息をのむほどの緻密さでした。

シャルル ・ オーギュスト ・ べメールとポール ・ バッサンジュの
原作に基づく 「王妃の首飾り (複製)」 
(右)
これは 「首飾り事件」 で王妃のために作られたとされる首飾りの復
元です。オリジナルは647個2800カラットのダイヤでできていたそう
で、帯状に並び中央には特に大きなダイヤが配されています。恐
ろしく豪華で贅沢な雰囲気があり、浪費家として有名だったマリー
・ アントワネットが作らせたと国民は信じたようです。 枢機卿が
これに気づけば、歴史は変わったのかもしれません。

第十一章  革命の動乱の中の王妃
フランス革命がテーマの部屋では、バスティーユ占領の絵画や風
刺画、逃亡のルート、バスティーユ監獄のミニチュア、そしてマリー
・ アントワネットが義理の妹と刺繍をしたじゅうたんが展示されてい
ます。絨毯は、マリー ・ アントワネット晩年の2年間に制作された
ものだそうで、あまりに大きくてビックリ。こ、これ本当に作ったの?  
と驚きました。

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シャルル・テヴナン 「シャン・ド・マルスの連盟祭1790年7月14日」
連盟祭は、、「国民と法と国王への忠誠」を誓うことを表明するため
集結した民衆と国王との和解を象徴するものでした。この時、巨大
な円形スタンドが整備され、楕円の会場中央では 「祖国の祭壇」
が、数千の聖歌隊と音楽隊による賑やかなミサを迎えることになっ
ていたようです。階段を一段一段上がり、宣誓する王と、マリー ・
アントワネットはその後方で王太子 (のちのルイ17世) を腕に抱
いています。この憲法制定をめぐる合意に基づく王と国民との幅
広い賛同は、翌年、国王一家の逃亡事件によりその限界が露呈
し、1792年王政は崩壊したのです。

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1789年7月14日。王政に対する民衆の不満が爆発し、フランス
革命が勃発します。革命の直接的な原因は財政破綻です。 この
破綻を民衆は、『赤字夫人』 と言われたマリー ・ アントワネットの
浪費であると信じて疑いませんでした。実際に使った金額は国が
引っくり返るほどのものではありませんでしたが、民衆は王妃のせ
いで国が傾いたと信じていたのです。それほどマリー ・ アントワネ
ットの評判は悪くなっていました。またルイ16世は、これまで王妃
の愛がフェルセン伯爵に向いているのを知っていましたが、人生
の最後の最後でやっと妻に愛されていると実感することができ、
司祭に対し、自分の髪の毛と結婚指輪を王妃に渡すように頼み、
『別れるのが辛いと伝えて欲しい』 と言い残して断頭台へ。

第十二章  牢獄から死刑台へ
監獄に幽閉されていたときに着用していた肌着やヘアバンド、靴の
展示もありました。 死刑台に向かうマリーの肖像画もあり、悲しい最
後なだけに、胸が苦しくなります。家族と引き離されていたルイ16世
は、1793年1月21日に断頭台へのぼります。そして1793年10月
16日、ついにアントワネットも死刑執行の日を迎えます。

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ウィリアム ・ ハミルトン 「1793年10月16日、死刑に処される
マリー ・ アントワネット」

処刑台に向かうマリー ・ アントワネットの姿を描いた一枚。髪を短く
刈り取られ両手を後ろ手に縛られて革命広場 (コンコルド広場) の
断頭台に向かうアントワネット。白い服に白い帽子そして毅然とした
姿勢が印象深いですね。 1793年の10月16日12時15分、刑が
執行され、マリー ・ アントワネットは37歳の若さで、その短くも劇的
な人生を閉じたのです。こうして、ヴェルサイユに咲いた一輪の花
は、美しくはかなく散っていったのです。

贅の限りをつくした華やかな宮廷生活から、時代の波にのまれ、監獄、
そして断頭台へ。あれほどファッションを愛し、豪華絢爛なドレスに身
を包んで暮らした彼女が最期に身に付けたのは、白の質素なチュニ
ックでした。群がる民衆たちの好奇と憎悪にみちた表情とは対照的に、
さいごまで気品を失わず静かに死に向かう王妃の姿が印象的です。

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1792年8月、チュイルリー宮殿が襲撃されたのち、王家はタンプル
塔に投獄されます。囚われの身となった彼らが衣装一式を所望した
ため、革命政府は王室に仕えていた御用商人にそれを依頼したが、
供給された下着や衣類は質素なものであったようです。

「マリー ・ アントワネットのシュミーズ (肌着)」 (左)
王妃の身の回りの品のなかには、「15点の小さなレースが施された
薄手の布製シュミーズ」 があった。このシュミーズは、バチストと呼ば
れる薄手のリネンの白布で出来ている。バチストは18世紀末にはも
はや贅沢品ではなく、下着などに用いられるようになったようです。
マリー ・ アントワネットの死後、王妃のシュミーズは娘マリー=テレー
ズによって保管され、その後、タンプル塔の警視の手に渡ったという。

「マリー ・ アントワネットの 「サン=チュベルティ風の 短靴」
(王妃の処刑もしくは埋葬の時に収拾)
 (右)
死刑判決を受けて、死刑台に連行されたマリー・アントワネット。
群衆の憎悪とは対照的に高貴で毅然とした態度で向かった彼女。
「そのときに脱ぎ落としてしまった短靴はある人物に拾われ、すぐ
さまある貴族に拾われた」 と書かれた資料から、おそらくマリー ・
アントワネットが忌まわしい日に履いていたとされるものです。

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アレクサンドル ・ クシャルスキー 「王妃マリー ・ アントワネット」
これは晩年の黒い喪服に身を包んだマリー ・ アントワネットの胸像
です。ルイ16世が処刑されてからはずっと喪服だったそうで、背景
も暗く牢獄の中で描かれているようです。 ちょっとやつれ気味に見
えて、かなりマリー ・ アントワネットと違った感じがします。牢獄での
生活が大変だったことが想像されます。ヴェルサイユ宮殿が所蔵す
るこの絵は、クシャルスキによる数々のレプリカの一点という。多くの
レプリカが制作されたことは、王政復古以降、マリー ・ アントワネッ
トが君主政の殉教者として崇拝の対象となった証なんでしょう。処刑
の前日、看守に 「今まで親切にしてくださってありがとうございました」
と声をかけ、看守が号泣してしまったという逸話も残っています。

第十三章   殉死した王妃の崇拝
ルイ18世による王政復古期の1814年からブルボン家が断絶する
1830年のあいだに、前例がないほどの規模で広く流布したという。
フランス国外でも画家たちが、国王一家の末路を主題とする作品を
広く流通させ、亡くなった王妃のイメージは、その後、ロマン主義的
な崇拝の対象となったそうです。

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エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランの原画に基づく
「王妃マリー ・ アントワネットと子供たち ( タピスリー)」
 (左)
ブルボン王朝の継続を実現したマリー ・ アントワネットへの敬意を
示すこのタピスリーは、ヴィジェ ・ ル ・ ブランの絵画の複製を織り
出された物のようです。フランス語でタピスリーは、壁掛けなどに
使われる室内装飾用の織物の一種。綴織壁掛のことです。

赤いドレスと赤い帽子を被った王妃の膝元には、末子のノルマンデ
ィー公爵ルイ ・ シャルルが座っており、年上の娘マリー=テレーズ
・ シャルロット ・ ド ・フランスは母親に体をすり寄せています。第一
王太子ルイ ・ ジョゼフ ・ グザヴィエ ・ フランソワは聖霊騎士団の勲
章の正章を身に付け、誰もいないゆりかごのカーテンをわずかに開
いている。空のゆりかごは、このタピスリーの下絵として使われた原
画の制作中に、生後わずか11ヶ月で夭折したソフィー ・ エレーヌ ・
ベアトリクスの存在を暗示しているようです。マリー ・ アントワネット
は生涯4人の子どもを授かりました。彼女の育児スタイルは、愛情た
っぷりで優しく、時には厳しい教育ママ。遊びにふけっているイメージ
の強い彼女ですが、子どもたちには立派なお母さんだったようです。

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『ベルサイユのばら』 を持ち出すまでもなく、日本で最もその存在を
知られている外国の王妃。 もしかしたら 『源氏物語』 よりもマリー ・
アントワネットの生涯は多くの日本人に知られているかもしれません。
王妃として、女性として、母として、華やかすぎるくらいの生活の陰で、
心にぽっかり空いてしまっている穴を埋める 「何か」 を必死に探し求
めていた。 そんなマリー ・ アントワネットの生き様に人々は憧れや共
感を抱くのかもしれませんね。最後までフランス王妃として、そして母
として威厳と気品を守り、露と消えていくマリー ・ アントワネット。 亡く
なる前の妹につづった手紙などは、紙にびっしりと、小さな文字で悲
痛な思いがつづられています。思わず目頭が熱くなるものばかりです。

私はルイ16世の戴冠式での一言がすべてを示唆していたのかと
思わざるを得ませんでした。『神よお守りください・・・国を統治する
には若すぎる私たちを・・・・・』。やはり2人は若すぎて周りの大人
が多すぎたのか・・・・。時を超え、人々を魅了してやまないマリー・
アントワネット。フランス革命でその命を散らした気高き王妃。今回
の展覧会は、歴史上の人物としてではなくひとりの人間としての存
在を、時代の空気とともに立体的に味わい、思いを馳せることが
できる貴重な機会でした。

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生誕から260年以上たった今も、多くの人々を惹きつけてやまない
「フランス王妃 マリー ・ アントワネット」。運命によって、想像もしな
い試練を受けた悲劇のヒロイン。私にとってマリー ・ アントワネット
という人は実際の出来事に加え、つくり出されたイメージとが混ざり
合って、「実際にはどんな人だったんだろう」 と想像力が無限に尽
きることなく膨らんでしまう、不思議な魅力を持つ人です。もう260
年以上も前に生きた人物に、なんだかずっと片思いをしているよう
な状態です。こうした彼女は、「悲劇の女王」 なのかもしれません。

マリー ・ アントワネットの最期の言葉は、『さようなら、子供達。
あなた方のお父さんのところに行きます。』 でした。





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