一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「介護」

...2016/12/11 09:30...

時の流れというのは早いモノで 「桜がキレイだなー」 と
思っていたら、いつの間にやら 「んー」 ・・・もう師走だ。
今年も残すところあと3 週間となりました。
頬をかすめる風が、ひんやりと冷たくなってきました。
寒さに身をすくめながら歩いていると、
影がずいぶんと長く伸びています。
その影もまた、なんだか寒そうに丸くなっていました。

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12月に入り、イルミネーションが、あちこちで見られるようになり
ましたね。日暮れとともにキラキラと輝きだす街の景色に思わず
足を止めて、ジッと時間を忘れて眺めたくなります。 最近は
一般の家庭でもイルミネーションを飾る家が増えているようです。
近所でも飾っていて、通りすがりの方がスマホで写真を撮って
いく方が多いようです。電気代がかかるだろうなぁと、
心配してしまいますけどね。(笑)

忘年会シーズンだ。
酒好きな身には、どうしても道行く人々の行く先が、
皆、忘年会場へと急ぐ姿にみえてくる。(笑)
飲んで今年のうさを晴らそうという名目で設けられた
のが忘年会であろうが、飲み過ぎた翌朝はつらい。
今年1年なんとか頑張ったのだから、「少しくらいハメを外し
たっていいじゃん」 とばかりに、いつもより酒量が増える。
寝床の中で後悔のほぞをかんでも遅い。
ほどほどにしたいものだ。


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「介護」

母親を介護している知り合いの方が、こんなことを言っていた。
日々、子育てと介護に追われて過ごしていると、自分が一人
っきりのような気がしてくる。毎日が不安や不満でいっぱいに
なってくることもあると言う。その日もいつものように介護に
明け暮れ、母のおむつ替えに不満が爆発していたという。
母が悪いのではない。「なぜ自分が、自分が」 と思いつめ、
周囲が見えなくなるというのだ。

日中仕事して夜中に起こされ、母の世話をしながら
何度か首を絞めたくなるようにさえ思ったことがあったという。
介護をしていると 「自分の方が先に死ぬのではないか」 と
不安が付きまとうこともある。「きつい」 という物理的束縛から、
「つらい」 という精神的苦痛に行きついてしまうのだろう。

時として、乱暴に接したり、怒鳴ったりもする。その結果、
あとで悩み、苦しみ、自己嫌悪になるのだろうと思う。
母親が施設に短期入所できるようになり、精神的に安定
してきたようだ。あの時なんでそんなことを考えたのかと、
今は逆に申し訳なく思うこともあるという。
これが心の余裕だろうなとつくづく思う。

介護、一口に言っても言葉では言い表せないほど大変なことだ。
7年前、「お元気ですか」 などのヒット曲で知られ、あの笑顔と
朗らかさに思いも寄らなかった清水由貴子さんの悲痛な死。
あまりにも突然な訃報に 「どうして?」 という思いが込み上げて
きて驚きと同時に胸の痛む方もいたことだろう。「この方法しかない」
と決断した時、その人には社会の手を借りることなど選択肢する
余裕はなかったのだろう。長年にわたる母の介護疲れが、
清水さんを自殺に追い込んでしまったのだろうか。
高齢化社会の問題点を象徴する一つの出来事と思う。

確かに、介護保険制度があるとはいうものの、急速な
高齢化で施設が足りず、要介護者でも利用できず家族に
依存しているケースが多いという。彼女の最後の選択は、
私たちにさまざまなことを考えさせる。彼女と同じように、
精いっぱい生きて、力尽きて命を絶つ人は他にもいるだろう。
個人や家族だけでは限界につき当たる。施設へ入れることは
情が薄い、という風潮にためらってはならないと思う。
もんもんとしている方が、見る側も見られる側も何倍も不幸なこと。

勤めを辞めて24時間付きっ切りでやらねばいけない。
パートで働く時間もない。年金も十分でない。
行き詰るに決まっているじゃないですか。それが根っこなんですよ。
「何千人待ち」 ともいわれる施設の建設を急いでほしいものだ。
政治とは、社会とは、カジノ法案よりも、こうした立場の人に手をさし
のべるのが政治家の責務ではないだろうか。介護。家族。生き方。
そしてどれも人ごとではないなと思う。いつかは来る、自分が見る側、
見られる側の問題として考えて見たいものです。


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    「神宮外苑のイチョウ並木」

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青山方面に出かけたついでに、神宮外苑の銀杏並木に立ち寄り
ました。ちょうど 「いちょう祭り」 で賑わい銀杏の葉が散る時期です。
その銀杏の絨毯を踏みしめて・・・・・・散歩でもと思ったのですが、
肝心の 「いちょう祭り」 が中止になっていました。何があったの?
それでも相変わらずの凄い人出でした。紅葉の名所ですからね。

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高層ビルに囲まれて季節感さへ危ぶまれる東京。秋の名残りを探
しに神宮外苑の銀杏並木を散歩しました。青山通りから明治神宮
外苑まで続く、あまりにも有名な並木道。とにかく凄い人でしょう。
奥に見えるクラシックな丸屋根は、聖徳記念絵画館で小さく見え
ます。(下左) 絵画館は夜にはライトアップされますが、この通り
からの景観は実に見事です。テレビ番組などでもよく登場する景
色なので、ご覧になった方も多いと思います。休日は車道が歩行
者天国として開放されます。人で散歩どころではありません。(笑)

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ヨーロッパでは珍しい樹木で、葉の形が珍しく神秘的な感じを抱か
せることから、ゲーテの書いた有名な詩 「いちょう (Ginkgo biloba)」
にみられるように恋愛に重なるエキゾチックな香りと親しみがあるよ
うです。これはもともと2枚の葉が 互いに 相手を見つけてひとつに
なったのでしょうか。 愛する妻とイチョウをこころから愛したゲーテ。

銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上、
古生代の末期 (約1億5千万年前、巨大な恐竜が棲息していた時
代) に地球上に広く分布し、生育していた樹種なんだそうです。
銀杏は 「東京都の木」 に指定されています。

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4並列の銀杏の大木が作り出した、銀杏並木の見事な景観です。
そもそもこのいちょう並木が出来たのは、明治天皇崩御後に建設
計画があがり、明治天皇大喪儀の葬場殿の儀が挙行された青山
練兵場跡地に大正12年 (1923) に完成。青山通りから樹高順に
絵画館を大きく見せる遠近法を使って植裁し、いちよう並木が出
来たという。 青山口から円周道路まで300mの並木は146本の
銀杏が植えられています。 車道の両側が歩道になっています。

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人々がスケッチや写真撮影を行っている光景を目の当たりにしま
すが、意外にも絵を描く人の多いこと。印象派の油絵の様な秋空
との色合い、まさに絵になります。最盛期には歩道さえも落ち葉に
よる黄色い絨毯で覆われ、一面黄色の不思議な空間に迷い込ん
だようになります。近郊のみならず、遠方からもこの銀杏並木を訪
れる人も少なくないのです。岡山から来たという老夫婦もいました。
彼女と一緒なら銀杏も彼女も素敵と聞こえてきそうです。私は落ち
ていた形のいい銀杏の葉を1枚拾って、読みかけの文庫本にそっ
とはさみました。

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どこまでも続く銀杏並木。どんどん色づき、葉が落ちていく。黄金の
絨毯の上を歩くとサクサクと音がする。その音が心地よく、ロマンチ
ックな気持ちにさせる。サクサク シャカシャカ、いつもより多めに踏
みしめます。銀杏並木は妙に落ち着いた不思議な気分になります。
中学生の頃、友だちと一緒にこの銀杏並木を良く歩きました。 そん
な時、いつかこの道を大好きな人と手を繋いで歩きたいと憧れたも
のです。遠い昔のこと・・・・。そして、初めてかみさんと手を繋いだ
のが、この銀杏並木なのです。うふ  ここは数多くのドラマロケ地
としても有名です。

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目が覚める様な鮮やかな黄色と独特の強烈な銀杏のにおい・・・。
若干鼻詰まりぎみだったかもしれないけど。(笑) 歩道は黄金色に
染まる神宮外苑の銀杏並木の素晴らしさは、その下にいる人々す
べてが黄金色に染まるのです。とても幻想的な雰囲気になります。
ちょうど足元にも銀杏の絨毯が敷かれ、頭上にも銀杏の葉。銀杏
の葉を踏みつけて歩くのも実に味わいの深いものです。いちばん
いい時期は、この銀杏の葉が半分ほど落ちて道路を埋め尽くした
時です。深まる秋の美しい景色です。

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初冬の空気を吸いながら小一時間ほど散歩して奥の噴水のある
場所まで来たら 「いちょう祭り」 の中止の原因が分かりました。(上)

ここ明治神宮外苑で開かれていた現代アートのイベント会場で、
学生らが作った木製のジャングルジムのようなアート作品が燃え、
遊んでいた幼稚園児が死亡し、2人がけがをした火災事故があり
ました。火の回りが早く逃げ遅れたようです。ジャングルジムは中
で遊べるように開放されており、ジャングルジムの中心部分には、
木くずが絡みつくように飾り付けられ、飾りのおがくずが投光器の
熱で発火した可能性があるようです。ジャングルジム構造は井桁
に組んだキャンプファイヤーと同じです。 そこに大量のおがくず
(木くず) と投光器の発する熱に対して危険性の疑問を抱かなか
ったところに首を傾げてしまいます。今の学生は 「物の燃え方」
という単元で、構造から燃焼の可能性を感じないのは情けない
話です。知識や技術を持っていても知恵がなければ生かされま
せん。遺族でなくとも、子を持つ親なら同じように悲しみに包まれ
る話です。火災現場 (奥) 付近に設置 (下) された献花台で花
を手向ける人たちが大勢いました。私も手を合わせご冥福を祈
りましたが、火の中でさぞや熱かったろうなぁ~と思うと涙が出
てきました。子を持つ親として耐えられません。(涙) 

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 都内でイチョウ並木といえば、やはり神宮外苑のイチョウ並木が
一番有名だと思います。黄葉のトンネルの中をのんびりと散策 した
り、所々設置されてあるベンチに腰掛けてゆったりとイチョウ を眺め
てみたり、このイチョウ並木はほんとうに秋の風情を楽しむ ことがで
きます。神宮外苑の銀杏並木の素晴らしさは、そこを通った人でな
ければ味わえません。来年、訪れてみませんか?


「2016  トヨタ博物館
クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑」


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銀杏並木路を散歩した後は、噴水のある場所に屋台が並び食を
楽しむのですが、今年は火災事故で中止も仕方がありません。
奥にある聖徳記念絵画館前の広場で 「クラシックカー ・ フェステ
ィバル」 が開催されているというので迂回して訪ねてみました。

聖徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后の御聖徳を永く後世
に伝えるために造営された、神宮外苑のシンボルともいえる存在
です。青山通りの外苑入り口から銀杏並木越しに見る景観は、
東京を代表する風景のひとつとして広く親しまれております。
周辺をジョギングする学生の姿が多くみられます。

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聖徳記念絵画館前の階段から眺めた風景。中央の銀杏が神宮外
苑の銀杏並木です。(上) フラッグを持ってクラシックカーパレード
を見送るレーシングガール。(下左) 展示クラシックカー。(下右)

トヨタ自動車(株)の文化施設であるトヨタ博物館では、自動車文化の
継承・発展と車ファンの交流を目的に、国内外の歴史車や一般オー
ナーが所有する名車が一堂に会し、クラシックカーの魅力を味わっ
てもらうという企画で 「トヨタ博物館クラシックカーフェスタ」 を開催し
ています。2007年より東京でクラシックカーイベントを開催しており、
今年で10周年を迎えるようです。車ファンには堪らないイベントです。

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当日は10時~10時20分にオープニングセレモニーを実施し、
その後にスタート地点となる聖徳記念絵画館前から銀座中央通り
にかけて一般参加のクラシックカー約100台がパレードを実施。
クラシックカーが晩秋の東京を駆け抜ける恒例のパレードは見物。

欧州で生まれた自動車の歴史を後追いする形で欧米から学び、
発展してきた日本の自動車産業。その先人達の作品の先進性や
美しさを堪能すると同時に、日本の自動車の発展の歴史にも触れ
られる大きなイベントが都心で行われる意義は大きいと思います。
先人の偉大さを感じると同時に日本人が学び、そして挑戦してきた
歴史を見ると我が国の自動車ならではのオリジナリティも多々感じ
られる開催のようです。車ファンならずとも楽しみです。

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毎年実施されてるようで、乗車して記念撮影ができる 「記念乗車
撮影」 にはサンダーバード、ディーノ、エドセルの3車が供され、
多くの車ファン、親子連れ等の行列が出来ていました。

今年の企画展示は 「見て、聴いて、感じる 突き抜けたクルマたち」
をテーマに、日米欧の時代を象徴する6台を披露。巨大なテール
フィンを持つアメリカ車黄金期の象徴 「キャデラック エルドラド ビア
リッツ」 や、英国での車の価値観を変え独自の文化を築いた「モー
リス ミニマイナー」 が登場。日本からは、第1回日本グランプリのク
ラス優勝を飾った 「ダットサン フェアレディ SP310」 や、世界に通
用するスポーツカーをテーマに開発さた 「トヨタ 2000GT“スピード
トライアル " (レプリカ)」 と映画 「007は二度死ぬ」 でお馴染みの
“ボンドカー" などを展示。6台の走行する姿やエンジン音などを楽
しめる催しとなっているようです。

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「キャデラック エルドラド ビアリッツ」  (1959年 ・ 米) (上)
戦後のアメリカでは、パワフルで快適なクルマを求める人々のニー
ズによってクルマは巨大化し、航空宇宙時代を反映する巨大なテー
ルフィンは、世界中に影響を与えていました。それを象徴する1台が、
こちらのキャデラック・エルドラド・ビアリッツです。大胆なデザインと、
当時の最新技術を数多く取入れています。この車を見た人達は顔を
ほころばせながら 「すごーい!」 と感嘆していました。エンジン音と
優雅な走行シーンを観て心躍りますが、今のエコ時代の価値観で
見ると真逆の方向にいるようにも映ります。
「トヨペットクラウンRS21型」  (1960年 ・ 日) (下左)
初代クラウンの改良型で、エンジン性能の向上の他、内外デザイン
も細部が変更され、ボディパネルの品質も向上した我が国では初め
てのオーバードライブ (自動増速装置) を採り入れたニューモデル。
本格的な国産乗用車トヨペットクラウンは当初、個人所有のオーナ
ーカーとして発売されたが、タクシーにも活用され活躍したようです。
ウルトラセブンとかにも登場してた車だったので知ってはいたのです。
「ダットサン フェアレディ SP310型」  (1963年 ・ 日)」 (下右)
フェアレディは、日本の本格的なスポーツカーの先駆けとして、初代
は輸出中心でしたが、このモデルより国内市場も意識されるように
なったようです。第1 回日本グランプリでは、ポルシェ、トライアンフ
TR4など外国製スポーツカーを相手にクラス優勝を飾りました。モー
タースポーツが、自動車の優秀性や耐久性など、性能を大きくアピー
ルすると同時に、人車一体のドラマ、という普遍的な魅力に満ちあふ
れていることが大いに浸透し始めた時期でもりました。

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「フォード サンダーバード」 (1962年 ・ 米) (上)
アメリカのフォードで製造された高級志向のスペシャリティー ・ カー
で、1962年に登場した3代目の車。ケネディ大統領就任時には50
台のサンダーバードがパレードを行った車です。60年代のフォード
車によく見られる、丸型のテールランプはサンダーバードにも用いら
れ 「ロケット 」 の愛称で呼ばれました。インパネのきらびやかな作り
など、この時代のアメリカ車の良さが垣間見られます。
「エドセル サイテーション」  (1958 ・ 米) (下左)
「リンカーン」、「マーキュリー」、「フォード」 に次ぐ第4のディビジョン
として緻密なマーケティング理論に基づいて開発されたが、2年半で
製造が打ち切りになりました。しかし、個性的なデザインや斬新な機
構など、黄金期のアメリカ車を感じさせる車種です。ヘンリー・ フォー
ドが自分の若くして亡くなった息子の名前を付けたようです。
「ディーノ 246GTS 」 (1973年 ・ 伊)  (下右)
イタリアの自動車メーカーであるフェラーリが製造した初のミッドシップ
2座席スポーツカーです。今日ではしばしば 「フェラーリ・ディーノ」 と
呼ばれ、フェラーリのエンブレムを付けている車も多いですが、本来
別ブランドとされています。ディーノの車名はフェラーリ創業者の息子
の愛称からつけられたようです。ボディには「Ferrari」の文字と跳ね馬
のマークがなく、「Dino」 の名前のみであることが特徴。

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会場に集まった100台近くのクラシックカーは、戦前の貴重なモ
デルから70~80年代のモデルまでバラエティにあふれた車です。
どのクルマもこのイベントを目当てに集まった観客に加え、通りす
がりの人の目も惹き付ける魅力的なモデルばかりでした。会場に
流れるジャズは心地よく、居心地のよい空間が演出されていまし
た。クラシックカーに詳しいといった雰囲気ではない親子連れや
カップルも多く、貴重なクラシックカーのオーナーたちも来場者と
気さくに交流している光景が見え、誰でも足を運びやすい都市部
のパブリックスペースを会場とする敷居の低さがこのイベント最大
の持ち味だろうと思います。

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「トヨタ 2000GT “スピードトライアル” 」 (1966年 ・ 日)」 (左)
初代クラウンから10年、欧米との技術格差が歴然とあった時代に
世界に通用するスポーツカーを目標にした2000GTは、国際自動
車連盟公認スピードトライアルに挑戦。台風が接近する中、72時
間、1万マイルなど3つの世界記録と13の国際記録を樹立し世界
を驚かせました車です。
「ホンダ N360」  (1967年 ・ 日本) (右)
ホンダ初のFF (前輪駆動) 方式を採用した軽自動車で、二輪をベ
ースとしたエンジンと技術で31馬力を発揮。当時の軽自動車の水
準を大幅に上回る性能と安価な設定により、記録的なベストセラー
カーとなった車。当時31万5千円と同クラス他車よりも10万円近く
安い価格だったようです。大卒で初任給が2万6千2百円の時代。

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「モーリス ミニ マイナー」  (1959年 ・ 英) (左)
英国での車の価値観を変え独自の文化を築いた大衆車の既成概
念を変え、1956年に勃発したスエズ動乱に端を発した石油危機に
よって、合理的な 「ミニ車」 を誕生させた車と言われています。ミニ
の革命的な先進性に気づき、最初に飛びついてきたのは最も保守
的だと思われていた王室や貴族階級などであった。これを知った会
社役員や高級管理職が続き、やがてあらゆる階層の人々に評価さ
れ愛用されるとるようになったようです。
「トヨタ 2000GT “ボンドカー”」  (1966年 ・ 日) (右)
「2000GT」 のオープンカーは量産車には存在しませんでしたが、
映画のために2台だけ製作され、通称ボンドカーとして知られるよ
うになりました。映画 「007は二度死ぬ」 (1967年公開) の中で、
イギリス情報部の諜報員ジェームズ ・ ボンド用のために作られた
車両。当時世界的な人気の映画に、日本車が採用されたこと自体
がニュースだったのですが、2000GTの登場は、実用車の印象が
強かった日本車のイメージを変え、工業国として発展する日本を
世界に示したと言われています。

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「スバル360」 1965年 (上左)
中島飛行機出身、元海軍大尉の百瀬晋六が主導して開発された
クルマで、大人4人を無理なく乗車させる革新的な軽自動車です。
販売価格は当時としては画期的な42万5千円、庶民にマイカー
の夢を抱かせました。その販売第一号者の納入先は、松下電器
の創業者である松下幸之助であったといわれます。
「マツダ ・ コ スモスポーツ」 1971年 (上右)
世界で初めてロータリーエンジンを搭載した車が公の場に姿を現
したのは、東京モーターショーとのことです。当時、その姿は人々
を驚愕させたという。美しく未来的なプロポーションに優れた走行
性能。「走るというより、飛ぶ感じ」 という言葉をまさに具現化した
車であったようです。ロータリーにかける情熱と執念により、ロー
タリーエンジン搭載車が誕生したのです。 TV番組 「帰ってきた
ウルトラマン」 の劇中に登場する車でもあります。
「ニッサンプリンス スカイライン2000GTA」 1967年 (下左)
1960年代、高まりを見せたモータースポーツ熱を背景にプリンス
自動車がスカイラインGTを開発。3連式のキャブレターでチューン
されたエンジンとスポーティなステアリング・ホイール、メーター類な
どの装備を持つスポーツセダンとして人気を博したという。1966年
の日産自動車との合併から1968年まで、スカイラインの車名に
プリンス名を残したようです。

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「フォルクスワーゲン タイプ1」 (1956年 ・ ドイツ)
「カブトムシ型」 といわれるヤーライ流線型ボディの典型で、世界的
に親しまれた。丸みの強いボディは空気抵抗が小さいだけでなく、
鋼材の節約や強度確保、それらに伴う軽量化の効果もあるという。
全鋼製ボディは、当時の車としては気密性も高く(窓を閉めておけば)
「水に浮く車」 としても有名だったようです。タイプ1とは 「1型」 の意
味で、呼び名は1960年代の北米で広まり、現在では主に専門家や
愛好家による愛称となっているようです。本国ドイツで1979年に生産
が終了した後もブラジルでは長きにわたり製造が続けられていました。

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「フォードモデルA」 (1931年 ・ アメリカ)
1927~1931年まで、アメリカのフォード社によって発売された車。
当時のフォード社を代表するほどの売り上げを記録。アメリカの自
動車王であるヘンリーフォードが生み出した工業製品の大量生産
量方式、そこから生まれたT型はまさにその代表格でした。しかし、
ライバル車の台頭もあり、すでに時代遅れとなりつつあったT 型に
変わり1927年新たに投入されたのがA型でした。

2800ccのSV型4気筒エンジンにH型3速ギヤーボックス、4輪ド
ラムブレーキを装備、T 型に見られた特殊な運転方法や貧弱なブ
レーキやサス等を改め、ライバル車並みの装備と質実剛健性を売
りに、T 型の15年間のギャップを奪還、再びアメリカの自動社業界
の大ヒット車となりました。当時、モデルAの登場はアメリカで年間
の十大ニュースに選ばれるようなビッグニュースだったという。

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パレード後は絵画館前に車両を展示。愛車を解説するパネルや、
当時のカタログなど関連グッズを並べ、思い入れを表現するオー
ナーも多数いました。このような名車に乗っているオーナーさん
達ですから当然車好き。愛車について聞くのも楽しみの一つです。
オーナーさんによっては「座ってみますか?」 なんて言ってくださ
る方もいて、車マニアには最高の日ではなかったかと思います。

オーナーの方々は、展示車両のドレスアップやエンジン始動など盛
り上げてくれます。主役となるのは一般オーナーから募集したクラシ
ックカーですが、会場キャパシティーの関係で台数は100台に限定
されています。しかし、事前審査によって原則として同一車種は1台
しか参加が認められないため、車種構成には偏りがなく、毎回なん
らかの変化があるのは、見る側にとっては嬉しいことです。

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デモ走行などが実施され周りは車ファンでいっぱいです。やはり
年配の方が多いように見受けられました。懐かしい車に笑顔がは
じけます。スーパーカー世代には懐かしい、親子代々大切に乗り
継いでいる車、稀少な車などバラエティに富んだクラシックカーが
来場者を楽しませてくれました。

どの車も飾りでなく、きちんと走る状態になっていて、見た目だけで
なくきちんと走れるコンディションを保っているのにオーナーさん達
の車愛を感じました。いわゆる“クラシックカー”という言葉がぴった
りな歴史や風格を感じさせる車から、子供の頃によく見ていた車が
あったり、スーパーカー世代にはたまらない車もあったり、それぞれ
の世代でいろいろな見方で楽しめるイベントでした。

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こんな催しを見ると、「なるほどクルマも文化だなと思いました。
文化は歴史から生まれるものだなあ・・・・」 と納得するのですが、
でも、クラシックカーのせいか、参加者も見学者も、年配の方々
ばかり・・・・みたい感じでしたが、小学生くらいの男の子がデジ
カメで一生懸命に写真を撮っている姿が印象的でした。






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