一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





いつも訪問して頂きありがとうございます。



「まさか」 の坂

...2016/11/27 16:42...

散歩道で見かけるイチョウやカエデが色づいて
いるのを見ると、秋の深まりを感じます。
それもそのはず、もう立冬が過ぎ冬の始りです。
冬至まで日はどんどん短くなり、寒さは増してきます。

さて、先週はブログを更新出来ませんでした。
実は、仕事の関係で上司とサンタクララ (カリフォルニア州
にあるシリコンバレーの中心地) に出かけていました。
せっかく訪問して下さる皆さんには、申し訳なく思います。
ここにお詫びを・・・・・。 ┓ ペコ

さて、22日だったでしょうか、現地のニュースで驚きました。
福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.4 の地震が発生、
太平洋側沿岸などに津波警報・注意報が発令されたとニュース
で速報していました。東日本震災のことが頭に浮かび震えました。
上司が日本に電話で確認し、幸に大事に至らずホットしました。

後のニュースで、明け方の強震・津波に冷静に対応、福島県
いわき市の小学校は、付近の沿岸に津波警報が発令されると
全校児童宛てに避難を指示する緊急メールを発信。「児童たち
の安全を最優先」 に考えた措置。津波被害を逃れるため避難
する人たちの車列。目の前に津波の危険が迫っているにも拘
わらず、反対車線を空けたままマナーを守るとは、と驚きを
伝えていました。

国によって捉え方が違うんだなと思いながら、こんなことも
伝えていました。「学校で学ぶ一番大事なことは、外国人すら
解けない英語の読解問題の解き方ではなく、まさにこういう
ことだよ」 と。日本の緊急時の対処能力はずば抜けている。
日本らしいね。秩序に思いやり、冷静さまで! 
日本の対応を称賛していました。

帰国する日は、アメリカの祝日である 「感謝祭」 でした。
収穫を感謝する日のようですが、現在のアメリカでの感謝祭は、
家族や親戚、友人、知人が集まっての大規模な食事会という
雰囲気の行事となっていて、大切な家族行事のひとつと位置
づけられているそうです。日本で言うところの 「勤労感謝の日」
がどうやらそれにあたりそうです。

勤労感謝の日を英語で言うと Labor Thanksgiving Day と
なります。呼び名は違えど、どちらも 「秋の収穫」 に感謝し
祝う祝日。七面鳥料理がふるまわれると聞き、帰国するの
をためらいました。(笑) お腹がパンクするほど詰め込ん
で楽しく過ごすそうですから、多くのアメリカ人が一番好き
な祝日のようです。秋の収穫に感謝しつつ美味しく頂き、
そして家族を大事にしたいものです。


--------------------------------------------------------------------------------------------------------

「まさか」 の坂

上司に誘われて同僚達と小料理屋へと出かけた。
居酒屋はよく行くが小料理屋となるとなじみが薄い。
女将に 「あ~ら! お久しぶり~」 と声を掛けられる上司。
仕事中はしかめっ面なのに顔が緩み、まんざらでもない
様子に苦笑いした。まずは型通りにビールで乾杯し、
いっとき職場のことで花が咲く。
失敗やら小言やら子どもの頃の思い出話もでる。

宴の時間がながれ・・・すると酔いに任せて上司が語り始めた。
人生には上がり下りの坂のほかに 「まさか」 の坂があると口にした。
すると一人が、ちょっと笑って、「おれなんか 『まさか』 と言うより
『またか』 だな」 とつぶやいた。つられて笑ってしまった。

人生の 「まさか」 の坂は、家のことを顧みずに働き続けた
定年亭主が、妻を慰労しようと温泉にでも連れて行こうと思った
その矢先にがんになった・・・・・・という例を挙げて話された。
「まさか」 の現象を 「矢先症候群」 というらしい。

「仕事と人生」 には三つの坂があるといいます。
一つ目は上り坂、つまり万事が好調で、何をやってもうまくいく時です。
二つ目は下り坂、つまり不調に陥って思い通りにならない時もあります。
そして、三つ目の坂、これは“まさか”という坂です。
この “まさかの坂” は急に出現するという。

例えば、今川義元は、織田信長の奇襲に遭い、
壊滅的な敗北を喫し義元自身も討ち取られてしまいました。
その織田信長も天下統一を目の前にしながら、本能寺の変で
腹心の明智光秀の軍勢にあっけなく滅ぼされてしまいました。
今川義元にとっても、織田信長にとっても、上り坂の最中に
突然現れた “まさかの坂” の犠牲者になってしまいました。

このような歴史的人物ではなくても、日常の私たちの 「仕事と人生」
にも急に出現するかと思います。「長年の取引先が倒産してしまった。
親友に裏切られるとは。信じていた人が、まさかこんなことに・・・」
ということが起きてしまいます。また、交通事故にあったり、
身内の不幸があったり、“まさかの坂” の例は枚挙に暇がないほど、
人生にはつきものといっていいかもしれません。
アメリカ大統領選挙でも、誰しもが確実と思っていた
クリントン候補でなく、トランプ氏が当選してしまった。
これも 「まさか」 の坂かもしれません

巧妙な落とし穴のように、油断している時に突然出現する坂です。
よく昔の人は 「一寸先は闇」 と言われます。人生の好調な時、
上り坂の時にまるでエアポケットに入ったように “まさかの坂” が
出現して奈落の底に突き落とされたりします。
また下り坂の時に、追い打ちをかけるように “まさかの坂” が現れて、
これでもかという具合に決定的なダメージを与えてしまうこともあります。

しかし、残念ながらこの “まさかの坂” は実に予測不可能な坂なのです。
だからこそ、“まさか” なのです。これを防ぐ手立ては大変難しいですが、
常に油断をしないことを心の戒めにするしかないかもしれません。
そんな時、今さらと生きるのか、今からと生きるのか。
この 「今さら」 の 「さ」 を 「今から」 の 「か」 に換えて生きることこそ、
まさかの坂に出会った時の生き方のようです。

人生というのは、そんなにいいことばかり続きません。
辛い山も険しい坂もあります。イメージが先行して悪い方へと
考えがちですが、しかし、「まさか」 という良い坂もあるはずです。
辛いことや苦しいことを全部帳消しにしてくれる不思議な幸運の
坂が・・・・・あるような気がします、確かな。

不思議な幸運の 「まさか坂」 が・・・・・。


----------------------------------------------------------------------------------------------------------

清泉女子大学本館  (旧島津公爵邸)

EE18984.jpg
近所のカメラ好きの方から、女子大に写真を撮りにいかないかと
誘われた。エッツ、女子大? と面食らった。 聞けば清泉女子大
学本館 ( 旧島津公爵邸) は、竣工100年記念にフォトコンテスト
を開催し、一般公開するらしいと分かった。女子大か悪くないなと
思い一緒に出掛けてきました。この施設は学びの場として使用し、
学生たちに本物の文化に触れる環境を提供しているようです。
施設を見学するだけでも価値がありそうです。11月6日の事です。

EE18558-2.jpg 
EE18554.jpg EE18540.jpg
JR山手線 ・ 五反田駅から、新八ツ山橋に至る山手通りを歩いて
約10分。ビジネス街と閑静な住宅街の中、通称 「島津山」 と呼ば
れる小高い丘の上に清泉女子大学があります。 周辺は都内でも
有数の高級住宅街として知られます。 大学正門 (下左) 脇の守
衛所で、学外者入構確認のため許可書 (下右) を受け取って入
ります。女子大の構内に入る機会はあまりないので緊張しますね。
ちょっとわくわくしますが、テーマは 「コンドルの建てた西洋館」
を撮ること。目的を間違えてはいけません。(笑)

正門前エントランスに聖ラファエラ・マリアのモニュメントが設置され
ていました。(上) 大学の設立母体である聖心侍女修道会創立者、
聖ラファエラ ・ マリアのことば 「すべての人が幸せになるように働く
ことそれがまことの愛」 が刻まれています。石の周りの花壇は一年
中植物で囲まれ、四季の移り変わりを感じながら学生は登校する
ようです。

EE18937.jpg 
EE19010.jpg EE19001.jpg
「清泉女子大学本館 (旧島津公爵邸)」
正門からつづく坂 (下右) をのぼってくと、高台に現れたのが風格
のある建物、「旧島津公爵邸」 です。(上) 旧島津公爵邸は、日本
の近代建築の礎を築いた英国人ジョサイア・コンドルの晩年の代表
作として知られ、大正4年 (1915) に建物は竣工。その後、館内の
設備や調度が整えられ、大正6年 (1917) に落成しました。東京都
指定有形文化財に指定されています。

江戸時代は仙台藩伊達家の下屋敷があった敷地を明治になって
薩摩藩島津家が買い取り、島津公爵家の屋敷となったものです。
当初は大名屋敷風な日本家屋に住んでいましたが、明治の末に、
西洋館に建て替えました。そんな島津家も昭和初期の金融恐慌
のあおりで昭和4年に一部を残して周辺部を売却、戦時中自宅の
維持も困難になり日銀に売却、戦後はGHQに接収され29年まで
駐留軍将校の宿舎として使用されてきました。その後、昭和36年
に清泉女子大学に売却され現在に至っています。正門前に説明
版がありました。この洋館で暮らした島津公爵は、あの篤姫の甥
に当る方で、薩摩の島津家の第30代当主の島津忠重公です。

EE18829.jpg 
EE18822.jpg EE18772.jpg
都心の山の手線内にありながら緑豊かで、静かな落ち着いた環境
にあるキャンパスで、恵まれた学習環境を誇っています。本館の右
側から裏側にまわると中庭がありました。(下左) レンガ敷の中庭は、
各教室棟 (上) や 図書館、講堂に面し多くの学生が行き交うキャン
パスの中心です。ベンチでは木陰で読書やランチを楽しむ学生で
にぎわい、コミュニケーションの場となっているようです。女の園で、
お兄さん二人がカメラをもってふらふらしてたら通報されてしまいそ
うなので、受付のある一号館のロビーへ行くことにしました。(笑)

「図書館」 (下右)
図書館は、広範囲な学問分野の研究に対応し、心豊かな人材を育む
ために、国内外の希少な文献や学術書などを含む約28万冊を所蔵
しているようです。気になったのが、正面入口の銘板には 「すべての
知恵は神から来る」 と刻まれていました。

EE19016.jpg 
旧島津公爵邸竣工100年を記念し、「旧島津公爵邸竣工100年
記念フォトコンテスト」 のイベントを開催。現在大学の施設として使
用している建物のため、この日のイベントでは、文化財である旧島
津公爵邸を特別一般公開して行なわれました。学生ガイドによる
見学ツアー、クラブ団体による発表等、在学生も多数参加して
竣工100年を盛り上げていました。

   「文化財である旧島津公爵邸を特別公開」
【日時】  2016年11月6日 (日) 10:00~15:00
【受付】  1 号館ロビー (9時45分~受付開始) 
【会場】  清泉女子大学本館 (旧島津公爵邸)

EE18865.jpg 
カトリックの修道会が母体の学校らしくマリア像がお出迎えです。
奥が後年建てられた校舎の一号館で、手前の旧島津公爵邸と繋
がっています。大小の応接室が南側の芝庭に面して並び廊下で
つながれ、その廊下は手前の大階段のある1階ホールや玄関ホ
ールとなっていました。ここが清泉女子大学本館の内部なのです。
ちょうどこの日、特別に見学クツアーを受け付けていたので申し
込み参加してみました。学生さんが案内してくれました。

「清泉女子大学」
聖心侍女修道会を設立母体とし1950年に横須賀に清泉女子大学
として創立。 米軍基地に隣接する立地は、女子大の環境として好ま
しくないことから、現在地の五反田へ1962年に移転が行われました。
キリスト教ヒューマニズムを建学精神とし、建学の精神達成のため、
「まことの知 ・ まことの愛」 ( VERITAS et CARITAS ) の追究を理念
とし、少人数教育から人格的触れ合いを通じ、自分で考え決断するこ
とができる女性を育てる教育。さらに自国と他国の文化を学ぶ事から、
地球市民として他者を愛する優しさを持った人間性を育てる教育を
実践しているようです。

EE18802.jpg 
EE18801.jpg EE18786.jpg
大応接間の 「泉の間」
ガイド役の素敵な学生さんが、最初に案内してくれたのがこの部
屋です。「泉の間」 と名付けられた応接室。柔らかな明かりがこぼ
れます。内部の華美な色を抑えた白色調の美しさは、女子大と聞
いたせいでしょうか、何となく女性的な雰囲気に見えてきて不思議。
天井の漆喰装飾に、まず目を奪われます。バラの花模様。イギリス
人らしくコンドルが愛した花のモチーフ。部屋を広く見せるためでし
ょうか、鏡に映りこんでいる窓辺にもうっとりします。

旧島津公爵邸は、「一度は訪ねたい! 大学の名建築ランキング」
で、本館 (旧島津公爵邸) が10位にランクインするほど人気があ
るようです。文化財なので平日に定期的に見学ツアーを設けてい
るようですが、12月も予約でいっぱいと、かなりの人気のようです。
平日なので当然、授業があり教室のある部屋は見学できないよう
です。今回、特別なうえに休日なので教室内も見学が出来ラッキー。

EE18753-2.jpg 
EE18760.jpg EE18747.jpg
「小応接室」
南側のバルコニーの中心部分にあたる部屋が小応接室。ベランダ
に向かって窓が円弧状に突出し、天井も円弧にあわせて楕円状の
縁で装飾はシンプルに抑えて、曲線を強調している感じです。ゆる
やかな曲線を描く窓ですが、窓ガラスもカーブを描いてるのにびっ
くりしました。今の技術で再現できるのかどうかも不明とのこと。また
椅子に座ると、ベランダの柱と窓枠が重なって庭の景色が眺められ
るように計算されているようです。視界を遮らないように工夫されて
いるわけです。小応接間は現在も応接室として使用されています。
広い応接室から豊かな自然が織りなす四季折々の風景をここから
眺めると、 静かに思索に耽ることもできるでしょう。 やはり人間は
美しい物に囲まれなきゃだめです。自分の部屋、片付けよう。(笑)

EE18791.jpg
「廊下」
赤い絨毯の敷かれた本館1階は、大小の応接室が南側の芝庭に
面して並び廊下でつながれ、その廊下は玄関ホールに向かって
います。このホールを中心に、大小の応接室、大食堂と家族の食
堂、ホール等が配されています。廊下の左側の部屋は、もとは食
堂として使われていたようですが、現在は礼拝堂になっています。
清泉女子大学はキリスト教系の学校なので、本館内にチャペルが
あり、スワンネックのペディメントをのせ、脇に木羽目板が大食堂
の面影を偲ばせていました。残念ながら礼拝堂は撮影禁止でした。
学生ミサが行われたり、昼休みには聖歌隊の美しい歌声が響きわ
たるようです。また卒業生や大学関係者が結婚式を挙げることも
できるようです。

EE18963.jpg 
EE18666.jpg EE18966.jpg EE18672.jpg
「玄関」
正面玄関ポーチの内側です。大邸宅の割りに玄関部分が狭いよう
な感じを受けました。でもこの玄関は来客用のもので、家族の中で
は公爵しか使うことはできず、家族や使用人は別の出入り口を利用
するよう厳格に決められていたそうです。 玄関脇には待合室とクロ
ークが配されていたようですが、現在は理事長室と会議室になてい
ます。 玄関ドアにはめ込まれたステンドグラスの中央部を良く見ると、
丸に十字の島津家の家紋が入っていました。(下右) また、改修工
事に伴って正面玄関の塗装をはがしたため、扉は白木の素材とそ
こにはっきりと浮き出た草花の彫刻が楽しめました。(上) 玄関を
入って右手の壁がガラスのパネルの間仕切りで、 (下中) 何箇所
かカットガラスの中央がレンズ状になっている窓で、 (下左) 反対
側の階段の手すりが小さく見え、のぞきメガネみたいです。

EE18920.jpg 
EE18929.jpg EE18906-2.jpg
「中央階段」
洋館の階段は建築家にとって一番の腕の見せ所。階段は踊り場
までが一直線。 まるで、シンデレラが駆けおりてきそうなストレート
ラインです。中央から踊り場を経て左右に分かれて上がるバロック
的な演出です。(下左) 1 階から見上げても2 階から見下ろしても、
踊り場の壁面のステンドグラスがよく見えます。(下右) 窓を大きく
することで階段に光があふれています。 大階段は親柱、手摺りの
装飾もきめ細かく施されています。手すりに直接触れてみて下さ
いと言われてビビりました。部材も含め完全オリジナルというのは
大変珍しいとか。さすがはコンドルの仕事に間違いはありません。

案内してくれた学生さんの話にありましたが、とても歩きやすい階
段です。一段ごとの高さや幅がよく計算されています。同じコンドル
設計の鹿鳴館の階段もこんな感じだったんでしょうか。赤い絨毯の
階段、羽織袴の女学生が小脇に本を抱えてトントンと階段を下りて
くる、そんな風景を想像しますね。それを今の学生が2階の教室に
行くのに普通に使っているわけですから、羨ましい限りですね。

EE19015.jpg 
EE18900.jpg EE18916.jpg
「1 階ホール」
島津忠重公の邸宅として使われていた大階段のあるホールで様々
な催しが行われたという。談話スペースにもなっていて、島津家に
招待された紳士淑女達は、このロビーで御主人夫妻のお出迎えを
受けたのでしょう。大理石で作られた暖炉が目を引きます。(下左)
女性のドレス姿が一番引き立つ場所のようにも見受けられました。
古典的な音楽を耳にした時のような心地よさが、このホールにあり
ますね。休み時間には学生たちが集う贅沢な憩いの場です。

創立者であるマドレ・エルネスティナ・ラマリョの写真が展示してあり
ました。(下右) マドレ・エルネスティナ・ラマリョは清泉女子大学の
設立者。「本当の喜びは自分のために生きる時ではなく、人のため
に生きる時に感じるものです」 と語ったと言われています。品川に
キャンパスが移転した1962年から4 年間学長を務めたようです。
1969年、66歳で帰天。

EE18854.jpg 
EE18851.jpg EE18861.jpg
「2 階ホール」
2 階にも暖炉を備えた広いホールがありました。1 階と同じデザイン
で大理石で作られた暖炉、その上にはキリストが掲げられています。
意外とひっそでありながらゆったりとしたスペースです。現在はソファ
や椅子が置かれ学生さんの憩いの場となっているようです。2 階は
家族のプライベート・スペースで、、夫妻の寝室・夫人室・子供部屋
に使われていました。改築はされていますがデザインなどは当時を
忠実に再現しているそうです。洋館の2 階は会議室や教室として、
授業で使われていると聞き驚きでした。確かに学生さんはお嬢さん
っぽく、この環境で学んだら、そりゃあ上品にもなるでしょう。

EE18867-2.jpg 
EE18627-2.jpg EE18625-2.jpg EE18629-2.jpg
「客室 ・ 多目的部屋 (23教室)」
この廊下に面したほとんどの各部屋は教室に使われていて、しつこ
いまでの豪奢さを感じさせないのは、白タイル貼りの壁が清楚で明
るい印象をもたらすからでしょう。 部屋には暖炉があって昔の面影
が伺えます。 (下中) 赤い絨毯が敷かれた廊下なんて風情があり
ます。(上) 思わず駆け出す生徒さんがいても、叱られるより 「お静
かに~」 と穏やかに注意されそうな雰囲気ですね。(笑) 客室・多目
的部屋として使われていたこの部屋は、現在23教室 (下) として使
われているようです。授業が終わると懐かしのチャイムが館内に響
くんでしょうかね。暖炉のある教室なんてお洒落です。

EE18689.jpg 
EE18979-2.jpg EE18702.jpg
「公爵書斎 (A会議室)」
この部屋は、ひときわ格調高く、会議室らしい厳格な意匠でまとめ
られています。重厚感溢れる机と椅子が整然と並び、議題の重み
を感じますね。大理石製の暖炉といい、 窓とカーテンや装飾装飾
等を見ても当時最も優れたデザインによって作られているのが分
かります。部屋の椅子は横須賀の海軍機関学校のものを譲り受け
たとか。この部屋は公爵の書斎だったようです。 成るほどと納得
しました。現在は会議室に使用されているようで、窓から庭が見え
ました。腰壁の落ち着いた雰囲気が気に入りました。

EE18656.jpg 
EE18847-2.jpg EE18843.jpg
「公爵夫人居室 (22教室)」 (上) 「長女の部屋 (小会議室)」 (下)

庭に面した夫人居室は、この建物で最も眺めの良い部屋で、白大
理石の暖炉と鏡も備えられ、カーテンボックスや天井も装飾豊かに
設けられています。休憩時間に備え付けの鏡で学生さんは服装チ
ェックでもするんでしょうかね。 鏡に映った自分の姿が、優雅に見
えたのは気のせいでしょうか。(笑) 暖炉の枠は子供部屋は木製
が多いのですが、夫人居室の暖炉だけが白い大理石製です。大正
天皇皇后の行幸啓時に眺めの良いこの部屋を休憩所として使用す
る予定があったからだと考えられるようです。2階の個室には普通に
教室番号が付き、この22教室として活用されているようです。 確か
に黒板もある。2階ホールの北側に長女の部屋があり、小会議室と
して使用されているそうです。 内部の使用用途は変わったものの、
大正初期の栄華を誇った華族の生活を髣髴させる素晴らしい建物
でした。女中だまりや物置、バスルームなどもあり、案内の学生さん
が屋根裏部屋への階段もあると説明してくれました。

EE18646.jpg EE18717.jpg
EE18975.jpg EE18640-2.jpg
「公爵夫婦寝室 (21教室)」 (上) 「公爵居室 (20教室)」 (下)
天皇をお招きする事の出来る島津公爵家は、迎賓館の役割もあ
ったという事で、さすがに雅やかな洋館ですね。大震災や戦災を
免れて、よくぞ残ってくれたと思います。ここで学んだら、お上品
になりそうですね。

1つ1つ入念に作られた窓や暖炉部屋毎に微妙に違っていますが、
個室と言えども今どきの住宅の範疇を超えている感じです。机が並
び、黒板があり、当時の華やかさはありませんが、公爵夫妻の寝室
といえども教室として使われているので、室内の照明は蛍光灯にな
っていました。窓の外にはバルコニー (上左) が見え休憩中は、教
室から外に出て楽しく会話して過ごすんでしょうか。羨ましいです。
学生さんも落ち着いて勉学に励むことが出来ますね。こうして大切
に使われてるのは建物にとっても幸せな事ですね。

EE18725-3.jpg 
EE18649-2.jpg EE18632.jpg EE18559.jpg
「子供4人の部屋 (会議室)」
北側にあった2室は男子の子供部屋で、真ん中のしきりを取り払い
会議室として使用されているようです。模様の異なる青いタイル張り
の暖炉が残されていました。子供部屋からは、品川の海がよく見え
たそうです。 そういえば、校門から本館にたどり着くまでの坂道が
きつかった~。華族の中でも最高位の公爵だった島津家の栄華が
伺われる貴賓ある建物が教室として使われるのですから、学生さん
が羨ましいですね。

教室の入口に設置されていたのがこれ、(下左) 学生証をピット当て、
出席などを取るシステムになっているようです。また各部屋の椅子が
随分と洒落ていました。(下中) 女子大で気になったのがトイレです。
男子のトイレはあるのだろうかと? 一階の一号館にありトイレが使用
出来ましたのでチョイと拝借。教職員用に小用と個室が一つありました。
(下右) この日は、大勢の男子も押しかけていますので当然足りません。
女性がトイレで並ぶ風景はありますが、初めて男子トイレで並びました。
(笑) 冷静にニーズから考えれば合理的です。「男性が圧倒的に多い
組織や社会なら、女性はいつもその逆を体験しているのかもしれない」
と、ジェンダーの 「壁」 を体験をした気分になった次第です。

EE18561.jpg 
EE18566.jpg EE18567.jpg
「バルコニー」
南側の芝庭に面して円弧状のベランダは、イオニア式の柱が並び
円弧状の二層のベランダや窓が特徴的な曲線を描いています。
また市松模様の床が印象的です。2階のバルコニーから島津山の
緑を一望でき、広い庭園を眺めることができます。 当時は見晴らし
もよかったのでしょうね。石の列柱が見事で、バルコニーの曲線が
魅力的ですね。コンドルは邸宅を設計するとき、必ずと言っていい
ほどベランダを設けているようです。学生さんがここで、優雅に休憩
時間を過ごすのかと思うと、何とも羨ましいです。

EE18986.jpg
「本館の裏側」
薩摩の殿様、島津家が明治以降に東京に所有したおよそ2万坪
の土地。今は都心の高級住宅地・島津山として知られています。
その一部に残っているのが、大正初期に建てられた旧島津公爵
邸。現在その敷地は、清泉女子大学として利用されています。
上流階級の邸宅では和館と洋館を併設するのが主流だった当
時としては珍しく、はじめから洋館だけしか建てられませんでした。
1 階を接客の場、2 階を生活の場として設計され、当時の最先端
の生活スタイルを知る貴重な建築です。列柱を配した2階建ての
ベランダ、玄関ホールの優雅な階段など、「薩摩の殿様」 にふさ
わしい華麗な邸宅建築です。

EE19025-2.jpg 
EE19020.jpg EE19023.jpg EE19021.jpg
袖ケ崎という地名から、伊達藩時代は 「袖ケ崎御屋敷」 と呼ばれ、
島津忠重に公爵位が授けられ、袖ケ崎邸は島津公爵邸となりまし
たが、本邸は桜田にあった旧島津藩上屋敷で、袖ケ崎邸は当初は
公式行事の開催場所として使われていたようです。伊達藩邸の木
造家屋をそのまま使用していましたが、老朽化が著しくなったので、
英国風の西洋館を新築したようです。趣のある重厚な雰囲気は手
入れの行き届いた庭園と共に清泉女子大学を象徴する建物です。

島津邸は煉瓦造、地上2 階地下1 階建の大邸宅です。建築様式
はルネサンス様式ですが、特にベランダの柱頭飾りは、1階がトス
カーナ様式、2階がイオニア様式で古典主義の規範に従っている。
南側の庭園に面して、円弧状の二層のベランダや窓が特徴的な
曲線を描いています。外壁は当時最先端のデザインだった白タイ
ル貼りで、建物のアウトラインを強調するかのように貼られた隅石
には灰色の新小松石が使われているそうです。関東大震災にも
揺るぐことのなかった堅牢な建築でもあるようです。

EE18931.jpg EE18657.jpg
EE18699.jpg EE18793.jpg EE18982.jpg
EE18746.jpg EE18548.jpg
清泉女子大学の象徴である本館は、大正時代に旧島津公爵邸と
してイギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏により設計されたイタ
リア・ルネサンス様式の洋館です。建物の設計はコンドルに依頼
されていたが、家具調度など内装の整備については 薩摩藩の生
まれである洋画家の黒田清輝が別途担当したとも言われます。

天井も円弧にあわせて楕円状の縁で装飾され、設立当初からほ
ぼそのまま残る装飾階段の手摺や暖炉のデザインや色も各部屋
によって違う細かさ。緑はお嬢様、薄い緑は公爵、水色で帆立貝
のモチーフの暖炉は男の子たちの部屋用だったそうです。また、
ドアの鍵も配慮され、鍵穴カバー付きで、鍵穴から覗けないよう
になっていました。室内の装飾もアール・ヌーヴォー調のデザイ
ンで、教室として使われている部屋もありますが、当時の面影を
忠実に維持復元しているようです。コンドルの設計による数少な
い現存住宅建築の遺作として、こうした一流の空間を肌で感じ
られるものが、そのまま残されているようです。

EE18804.jpg 
EE18544-2.jpg EE18617.jpg
一号館の方を見ると、実に女子大らしく清潔な雰囲気が漂ってい
て感激します。(下左) 汗臭さがみじんもない。(笑) 地下にカフ
ェがあったのでチト覗いてみました。(下右) 卒業生が中心となり、
学内の厨房で手作りしたシフォンケーキ、コーヒー、紅茶や軽食等
もあります。女子大のカフェにお兄さんがいるのも浮きまくる感じ
ですが、滅多にない機会なので、コーヒーとケーキを注文。女子
大の味を堪能しました。乙女心が体の中でとろけました。(笑)

1917年に落成したイタリアルネサンス調の建物と、緑豊かな環境
でキリスト教精神に基づいた 「心の教育」 も行われているようです。
新館と接続されているので、学生は普通に階段ホールで友達と話し
たり、公爵居間で講義を受けたりしている。庭に出ると、バルコニー
を背景に芝生の上で語り、建物の中の振舞いを学ぶ教育的価値も、
キャンパスの中に洋館がある効果だろうと思います。訪れて気分が
いいのは、今もこの建築が必要とされている感じがするからだと思う。
洋館が持つ価値が自然に生かされるような用途に転用され、新たな
命が与えられています。1962年に清泉女子大学本館になるまでが
45年。それから今までが46年。すでに大学校舎としての歴史のほう
が長い。建設当初からの意匠だけでなく、建物の生かされ方も清泉
女子大学本館 (旧島津公爵邸) の価値だろうと思い感激します。

EE19018.jpg 
EE18531.jpg EE18962.jpg
「奥庭」 (上)
本館のバルコニーに面した奥庭は、都心とは思えないほどの緑が
あります。春には桜や色鮮やかなキリシマツツジが咲き乱れるとか。
天気の良い日には、学生たちが芝生で昼食をとったり、おしゃべり
をしたりと、憩いの場所になっているようです。 キリスト教精神を建
学の理念とした清泉女子大学ですから、キリスト像 (下左) が奥庭
にあり、学生たちの学びを静かに温かく見守っています。庭園には
大きなフウの木もあります。 (下右) フウは 「楓」 と書くマンサク科
の落葉樹で、台湾や中国南部に自生しています。推定樹齢200年
の大木で、仙台藩 ・下屋敷時代の名残りのようです。江戸の昔、台
湾から渡来したこの木は、「高尾もみじ」 と呼ばれ、名木の誉れ高
かったとか。歴史を見つめて来た古老に敬意を表して,品川区の
天然記念物に指定されているそうです。

EE18594.jpg 
EE18806.jpg EE18808.jpg
島津山と言われた場所ですから裏庭の芝生の奥は緑多き場所に
なっています。広い庭園の奥には明治天皇や大正天皇がこの屋敷
に行幸した際の休息所跡が残っています。明治14年 (1881) 明治
天皇・皇太后が島津侯爵邸に行幸啓になられ、この場所に設けられ
たあずまやで満開のつつじを鑑賞されたようです。(下右) また大正
6年には西洋館落成披露のため、大正天皇・皇后も行幸啓され、品
川沖が見渡せる風光明媚な場所だったので、休息所からの海の眺
めを楽しまれたという。当時は崖の上のお屋敷という感じだったの
でしょうかね。

EE18534.jpg
江戸の大名屋敷の名残り。公爵家時代の華麗な生活の面影。
そうした歴史を感じさせながら、今も女子大の教室として活躍中。
来年100歳の誕生日を迎える建物ですが、いい建物人生を送っ
ているなあと感心しました。優れた建築の価値を身近に感じる学
生生活は、かけがえのない経験になると思います。多くの年月が
流れ、多くの学生がこのキャンパスに通い、学び、清泉女子大学
の精神である 「まことの知、まことの愛」 を胸に社会へと巣立って
行って欲しいですね。普段は女子教育の学び舎として使用され
ていることから、大学構内に立ち入ることはなかなかできません。
限定された日時での公開とはいえ、伝統と歴史を刻んできた
由緒あるお屋敷が目の当たりにできる大変貴重な機会でした。





未分類 | TRACKBACK(-) | COMMENT(-) |










CALENDER
02 ⇔ 2017/03 ⇔ 03
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
AquariumClock 2
プロフィール

Author:takasan
ようこそ!

ちょっとした幸せな風景
あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように。

ライブカメラ
最近の記事
リンク
このブログをリンクに追加する