一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「女子社員が過労死」

...2016/10/30 08:52...

10月らしからぬ真夏日がありつつも、朝晩の肌寒さで
季節の移り変わりを実感します。眠れなかった夏の夜は、
なかなか辛かったのですが、快適に眠れるようになって、
気持ちよく目が覚めるも、ああ、また寝ちゃった。
うれしい寝坊の日が続く。

さて、
春の行楽がお花見なら、秋の行楽の目玉はもみじ狩り。
数々の和歌に詠まれてきたように、もみじ狩りは古くから
貴族の間で楽しまれ、江戸時代になると、庶民の間にも
もみじの美しさを楽しみ、宴を催す習わしがあったという。

紅葉前線は桜前線とは逆に北から南下していき、朝の
最低気温が8度以下になると葉が色づきはじめるという。
桜の美しさは毎年変わりませんが、もみじは年によって
美しさが変わるといわれ、上天気が続き、夜が冷え込む
年には、とくに美しく紅葉するとか。

もみじの名所は、全国各地にあるが、都会でも公園や
並木道などでもみじの美しさを楽しめる。秋が深まる
につれて、私たちの目を楽しませてくれるのが“紅葉”。
季節の移ろいに喜びを見つけることは、四季がある日本
ならではの楽しみですね。皆さまは、これからどんな
紅葉を楽しまれるのでしょうか。

  秋の夕日に 照る山紅葉(もみじ)
    濃いも薄いも 数ある中に
      松をいろどる かえでやつたは
        山のふもとの 裾模様

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「女子社員が過労死」


「休日返上で作った資料をボロくそに言われ、 
もう体も心もズタズタだ」。「男性上司から女子力がないと言われるの、
笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界である」。時間外労働は
約105時間にのぼった。SNSで 「死にたい」 などのメッセージを同僚、
友人らに送っていたという。彼女がどのような毎日を送っていたのか、
容易に想像することができます。

入社1年目だった大手広告会社の女性社員が過労自殺で亡くなった。
労基署は 「仕事量が著しく増加し、時間外労働も大幅に増える状況に
なった」 と認定し、心理的負荷による精神障害で過労自殺に至ったと
結論づけた。このニュースについては様々な議論が交わされているが、
我社の職場でも話題となった。同僚たちと話しているうちに、ニュース
の原因を労働量そのものに求めること自体が違っているように思えた。

残業105 時間というのは、1日当たり約5 時間強ぐらいだろうか。
定時が18 時だとしたら、毎日23 時まで働かなければいけない、
といった状況です。毎日定時帰りが当たり前の人にとっては、
信じられないほどの労働量です。しかし投資銀行、広告代理店、
商社やベンチャー勤務の人にとっては、確かにそこまでのもの
ではありません。そういう意味では、「おれはもっと働いてるぞ!」 
と短絡的に考える人がいるのもわかる気がします。

問題は105 時間という残業量それ自体にあるわけではないように
思います。自分が心から打ち込め、周りともいい関係を築き、上司
からアドバイスや助言もされるような環境であれば、残業を何十時
間しても苦にはなりません。慣れない業務でも持ち前の責任感で
一生懸命やり、毎晩遅くまで残業し休日出勤もする。
そして、なんとか作り上げた結果を上司に提出するものの、「こんな
の全然使えねえよ!お前いい加減にしろ。明日の朝までにもう一回
やってこい!?」 と詰められ、朝まで自宅で仕事をしなくてはなら
ない羽目になる。そんな日々が毎日、終電近くまで休日もなく続く。

その結果、身の回りのことに気を使う余裕もなく、女性ならメイクも
しっかりできない。そういう状況に陥れた上司から、「お前ほんと
女子力ないな!」 といじられ繰り返されていたとしたら・・・・・。
断言しますが、どんなに強い人でも簡単に壊れます。
自分の身の丈にあっていない業務を押し付け、長時間労働させ、
「全然ダメだ」 「やる気あるのか」 「死んだほうがいいレベル」 の
ように嘲笑し続ける。そこで無理をしてがんばり続けると、
ある日自分で命を絶ってしまうでしょう。

いくら役職についてる上司だと言ってもさ、常識を外れたこと
言ったらだめだよね。人を意味もなく傷つけるのはだめだよね。
人の上に立っても気がつかないのは本当にだめだよね。
重労働、パワハラ、セクハラの三重苦。
これをもってしても 「情けない」 といえるのかどうか。

今回は超大手企業で起こったからこそ大きく取り上げられて
いますが、おそらく他にも同じような事象は数限りなくある
ことでしょう。そして、それらはいつも 「過労」 「パワハラ」 と
いう一言でくくられてしまいます。若手社員が追い詰められて
自分で命を絶つということがある意味 「普通」 である日本社会、
端的に言って異常です。

一生懸命働くことは素晴らしいことです。
なによりも大事なことは、「人の気持ちを考えること」 です。
明らかに無理なことを 「お前の責任だ」 と押し付けられ、
できなかったことに対して延々と 「フィードバック」 される。
これはもはやいじめの域です。数十分でもきつい経験なのに、
それが毎日夜遅くまでずっと続いていたら・・・・。
ぼくだったら耐えられません。

部下を持っている人、チームをリードする人、会社の経営者。
すべての方に、「働いている社員はコマではないのです。
ひとりひとり繊細な心と多様な価値観を持っている人間である」
ということをこれ以上ないぐらい強く認識してもらいたいです。
人にダメ出しするんじゃなくて、手を取り合って行く社会であって
欲しいと願う。そして、ぼくもそれは絶対に忘れないようにしたい。
人の命は地球より重いのです。


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「 ゴッホとゴーギャン展  2016 」 
   二人の画家が上野で出会う  東京都美術館

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秋は美術鑑賞するにも良い季節になりました。上野の森では東京
都美術館と上野の森美術館での展覧会で、ゴッホが注目を集めて
います。多くのメディアに取り上げられており、会期中ずっと混雑は
続くものと思われます。まず最初は東京都美術館で開催されてい
る 『ゴッホとゴーギャン展』 を鑑賞してきました。

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東京都美術館は 「東京府美術館」 として生まれたのは大正15年
(1926)。大正が終わり、昭和が始まった年です。このころ上野公園
では、9月に院展 (日本美術院) と二科展 (二科会) が、10月には
文展 (文部省美術展覧会 )がすでに開催されていました。 やがて
東京府美術館がこれらの会場となります。秋に展覧会が多く開か
れたことから、「芸術の秋」 の由来になったともいわれています。

いつでも美術にふれられる場がほしい――。
長年の悲願は、たったひとりの実業家の篤志によって実現しました。
北九州の石炭商・佐藤慶太郎氏が建設資金の全額100万円 (現在
の32億円相当) を東京府に寄付しました。石炭商として決して大手
ではない佐藤慶太郎氏は、アメリカの実業家カーネギーに倣い、全
財産の半分を社会のために使ったのです。 現在の建物は昭和50年
(1975) に竣工しました。日本で最初の公立美術館として開館された。
大規模改修工事を実施し、2012年にリニューアルオープンしました。

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オランダに生まれ、フランスで活動したゴッホと二月革命の年にパリ
で生まれたゴーギャンの二人の画家の初期から晩年にわたる油彩
画約50 点を含む約60点を展示し、接点と作品に焦点を当てた展
覧会です。 混雑が予想されると思ったのですが、遅い時間のせい
か案外空いていました。 前に並んでいた年配の方は知らなかった
のか窓口で2千円出して千円返されて戸惑っていました。都の施設
なので65歳以上は1000円です。私達、一般に比べたら600円も
違うんですよ。この差大きいですね。(笑) しかも、11月16日(水)
はシルバーデーにより65 歳以上の方は無料。都の施設は年配
の方に優しいんです。他の施設だったら割引ないと思います。

  「ゴッホとゴーギャン展」  東京開催
会場 :  東京都美術館 企画展示室
期間 :  2016年10月8日 (土) ~12月18日 (日)
時間 :  9時30分~17 時30分 (金曜日は20 時まで)
料金 :  一般 1600 円・大学生1300 円・
       高校生800 円 65歳以上 1,000円

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世界で愛されるゴッホとゴーギャン。この二大巨匠に焦点を当てた
日本初の展覧会が、東京都美術館で開催されています。

現実の世界から着想を得て、力強い筆触と鮮やかな色彩で作品を
生み出したフィンセント・ファン・ゴッホ (1853-1890)。一方、装飾的
な線と色面で、目には見えない世界をも表現しようとしたポール・ゴ
ーギャン (1848-1903)。絵画表現から生い立ち、性格も異なる二人
ですが、親しい交友関係を築き、約2ケ月間、南仏アルルで共同生
活を送るなど、互いに刺激し合う間柄でした。この展覧会では、ゴッ
ホとゴーギャンの代表作に、二人に影響を与えたミレーやモネ、ピ
サロなどの作品も展示しています。パリに出たゴッホが受けた印象
派の影響や2人の出会い、共同生活とその破たん、ゴッホの自殺、
ゴッホの死後のゴーギャンの生活を順を追って紹介しています。

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会場内はかなり混み合っていましたが、特に最初の部屋のゴッホ
の作品の周りは人だかりができていました。 ただ、人の頭越しに
後ろからしか観られないということはありません。 上手く立ち回れ
ば全ての作品を目の前で鑑賞することも可能でした。

第一章 「 近代絵画のパイオニア、誕生」
ゴッホは27歳で画家を志し、ほぼ独学でデッサンを始めました。
ミレーやカミーユ・コローらバルビゾン派の作品を好み手本とし、農民
や労働者の日常を描き出します。色彩や筆遣いはのちの作品と大き
く異なるものでした。ゴーギャンは34歳のときに仕事を辞め本格的に
画家の道へ進みます。のちの作品と比べると、この時期のゴーギャン
の作品は現実の世界に取材した写実的な画風が特徴です。ゴッホと
ゴーギャンの初期の頃の作品とともに、ミレー、ピサロ、モネなどゴッ
ホとゴーギャンに影響を与えた画家の作品も紹介していました。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「古い教会の塔、ニューネン (農民の墓地) 」
1885年 (左)
両親の住むオランダ北ブラバント州ニューネンに戻ったファン・ゴッホは、
アトリエを得て本格的に油彩画に取り組んだ初期の作品のようです。
牧師の家庭に育ったゴッホは教会を描くことが好きで、たくさんの教会の
絵を描いています。これは廃墟となった教会の塔とニューネンの農民が
眠る墓地が描かれ、何世紀も変わらぬ農民の生活と信仰のはかなさの
対照が象徴的に表わされている感じです。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「織機と織工」 1884年 (右)
全体として暗い色調で描かれるが、窓から差し込む光が大きな織機を照
らしているのが印象的でした。労働者に対する彼の関心は、敬愛するミレ
ーの作品や当時の社会情勢、宗教や文学の影響を受けていたようです。
貧困に苦しみながらも黙々と働く彼らの姿を、ゴッホは共感のまなざしを
もって描いています。織工は、ゴッホが理想の画家の一人として称賛し
たジュール・ブルトンに会いに行った旅先で見出したモティーフのようで、
実際に画家に会うことはかなわなかったが、このときに得た織工を描き
たいという情熱は薄れることなく、ニューネンに移った後に結実したとの
説明がされていました。この二枚は暗いイメージもあってか素通りする
人が多かったです。

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ポール・ゴーギャン 「自画像」  1885年前半  (左)
妻の実家で描かれた36歳のときの自画像。「屋根裏部屋に上がり首を
くくった方が良いのか、と毎日考えている」 と記すほど、妻の実家コペ
ンハーゲンで肩身の狭い思いをしていたゴーギャン。この自画像を描い
た後、画家に専念する決断をしてパリに戻ったようです。画家の強い決
意が感じられます。ダークトーンが多い中で赤と白が鮮やか。ポイントっ
ぽく使ってるのが絶妙で、顔のあたりはこれ以上赤が増えると主張が強
すぎるという所を踏みとどまっている感じがしました。ゴーギャンのサイン
って 「P.go」 なんですね。意外なサインになんだか微笑ましく思えました。

ポール・ゴーギャン 「夢を見る子供 (習作)」  1881年  (右)
第7 回印象派展 (1882年) に出品されたゴーギャンの愛児アリーヌが
描かれています。愛児を夢の中へ誘い、前方右のピエロ人形が、観る者
を絵の中に誘っている感じです。 また、飛ぶ鳥の描かれる壁紙は、画面
に装飾的、象徴的な要素を付与しています。やや印象派の技法で写実
的に描かれ、想像や幻想、夢といったものへの関心が伺えます。

【豆知識】  「習作」
タイトルによく 「習作」 と記されていることがあります。
本番の作品に取りかかる前に、形のバランスや構図や色味など作品を
構成する要素の構想を練るために作る作品のことです。ただ習作のみ
で本番製作まで至らなかったものも、習作と呼びます。 芸術分野で練
習のために作られる作品全般を指す名称です。

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二人の作品は特に重要な作品と位置付けられ、世界的にみても
借用が難しいと言われています。日本では 「ゴッホ展」 「ゴーギャ
ン展」 がそれぞれに何度か開催されてきました。 今回、国内外
の主要美術館の協力を得て、世界的にも開催の難しい 「ゴッホと
ゴーギャン展」 を日本で初めて実現したようです。 二人の画家
が描く、「リアリティー (現実)」 と 「イマジネーション (想像)」 は、
ゴッホとゴーギャンを知るうえで欠かせないキーワードで、二人
の画家の表現の違いや影響関係を明らかにしてくれます。

第二章 「新しい絵画、新たな刺激と仲間との出会い」
ゴッホはパリに移り印象派の影響を受け、色彩や新印象派の点描技
法など、幅広い様式と技法を吸収し、表現を急速に変えていきました。
ゴーギャンは、さらに大胆な色彩と多様な筆触を試み、新しい様式へ
の第一歩を踏み出しました。ここでは、ゴッホとゴーギャンが出会う直
前までの作品を見ることができます。ほぼ1年でこんなに色調が違う
のかと驚きました。

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フィンセント・ファン・ゴッホ  「パイプをくわえた自画像」  1886年  (左)
ゴッホは、画家としての人生において、多くの自画像を描いたことでも知
られています。激しい気性から決して人付き合いが得意とはいえなかっ
たゴッホのこと、創作の対象に鏡に映った自分自身を選んだことに不思
議はありません。観察者として自らを冷静に見つめる視線を持ち合わせ
ていたともいえます。ゴッホはオランダで習得した暗い色調の画面が時
代遅れであることを知ったという。身なりのよい気品ある人物として描か
れたこの自画像は、まだゴッホ特有の明るい色彩は見られませんね。

ポール・ゴーギャン 「マルティニク島の風景」  1887年 (右)
タヒチ時代前に旅したマルティニーク島での作品です。 コロンブスまで
も 『世界で最も美しい場所』 と言わせた島の景色は、ゴーギャンも夢中
になったといいます。しかし、熱帯の風景を忠実に描いたわけではなく、
手つかずの自然やプリミティヴな生活を求めて辿り着いた風景を描く際、
この地点から見えたであろう町の姿は省かれているようです。かつては
カリブ族に 「花の島 (マディニーナ)」 と呼ばれていたくらいですから、
筆を運ぶ上で、気持ちを掻き立てられるいろいろな発見と出会いがあっ
たことでしょうか。これも観たままの風景ではないみたいですね。だから
よけいに原始の風景みたく感じるのでしょうか。

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フィンセント・ファン・ゴッホ
「モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏」   1887年 (左)
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 と言えば、ルノアールの絵を思い出す方も
いるでしょう。 私もその一人です。 モンマルトルの風車小屋を改造した
ダンスホールで、当時の活気あふれるムーラン・ド・ラ・ギャレットの様子
は、多くの画家によって描かれました。当時モンマルトルの丘には安い
アパルトマンが多く、お金のない画家たちがたくさん暮らしていました。
裏側から見ると、周りには畑が残り、ここが新開地だったことの雰囲気
がよく伝わってきますね。ゴッホのパリでの暮らしは新印象主義の点描
法を取り入れたり、浮世絵からインスピレーションを得るなど画家を色
彩に目覚めさせた。描いたのは色にあふれた郊外の風景。同じく自然
を求めていたゴーギャンと、この年に出会うこととなります。

ポール・ゴーギャン 「ブルターニュの少年の水浴
(愛の森の水車小屋の水浴、ポン=タヴェン)」  
1886年  (右)
ポン=タヴァンに最初に滞在した時の作品のようです。印象派の手法で
描かれたもので、印象派の表現が色濃く残された細かい筆触により水
浴する少年を描いています。無心に遊ぶ子供たちやブルターニュの風
景の素朴さは、文明を厭うゴーギャンにとって、一種のアルカディアでも
あったのでしょう。その思いはやがて、ゴーギャンをタヒチへと導くことに
なるわけですが・・・・。この頃のゴーギャンらしい茶色と黄色の置き方が
特徴的です。ゴーギャンは元々こんな感じの絵も描いていたんですよね。

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ゴッホは1886 年にパリに向かうまで自画像を全く描いていません。
その理由は、パリに住む以前のゴッホが自画像を描くために適当なサイ
ズの鏡を持っていなかったためだと言われています。パリで弟テオと住
んで初めて、自画像を描くことができるサイズの鏡を入手しました。また、
ゴッホはモデルを雇うお金を節約する必要もあり、多くの自画像を制作
しました。今回、パリで描かれた3 点の自画像が展示されていますが、
それぞれ服装、表現方法、色調などが違う作品となっており、ゴッホが
自画像を描く際にさまざまな表現を試みていたことがよく分かります。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「パイプと麦わら帽子の自画像」 1887年 (左)
ゴッホはパリで、南仏マルセイユ出身のアドルフ・モンティセリの作品に
魅了され、敬愛する南仏出身の画家のイメージから着想されたようです。
仕事着に麦わら帽子をかぶり、パイプをふかすゴッホ34歳の自画像です。
どのように作風が変わろうとも唯一、ゴッホが自画像に描き続けたものが、
彼にとって心にやすらぎをもたらしたパイプだったのでしょう。キャンバス
の中でパイプをくわえて佇むゴッホの姿を見るたびに、彼にとってパイプ
が、まるで無二の親友の如く大切な存在だったことが窺えますね。前の
自画像より、わずか数ヶ月の間に表現方法が変わったことが分かります。

フィンセント・ファン・ 「自画像」 1887年  (右)
初期の自画像には、背景にも衣装にもダークな色合いが目立ち、ネクタイ
を締め、上着を着た姿もあって重苦しい雰囲気が漂います。27 歳で画家
を志してからのオランダとベルギーで筆をとっていた頃の苦難続きだった
ゴッホの暮らしを映し出しているかのようです。ところがパリで、弟・テオと
の暮らしが始まった後は、印象派の影響を受けたことで色数が格段に増
えた他、衣装も麦わら帽子を被った姿など、比較的、軽装のスタイルが
描かれるようにさえなったのです。印象派の画家たちとの交流を経たた
めか、 明るい色彩で風貌も軽やかになっている感じですね。

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二人は画家としてはまだ駆け出しだった1887年にパリで出会い、
意気投合。ゴッホがゴーギャンをアルルに誘い、共同生活が始まる。
日常の現実的な風景を好み描いたゴッホに対し、ゴーギャンは記憶
と幻想を織り交ぜた自由な想像力をはばたかせた。 同じ風景を見て
いても、二人が心のフィルターを通してキャンバスに映し出された風
景は異なっていました。 お互いを賞賛し合いながらも、ときには意見
がぶつかりあったのでしょう。精神的に参ったゴッホは自らの耳を切
り落としたという事件が起こります。

第三章 
「ポン=タヴェンのゴーギャン、アルルのファン・ゴッホ、そして共同生活へ」
ゴッホは大都市パリの喧騒を離れ、南仏アルルに移り住みました。
南仏の強い光のもと、鮮やかな色彩と激しい筆触を用い、日常の現実
に根ざした主題を描きます。そしてゴーギャンがゴッホの誘いに応じて
合流し、二人の共同生活が始まります。二人は、ときにイーゼルを並べ
一緒に制作をし、互いの技法や表現を試み、強く刺激を受け合いました。
しかし、芸術観や性格の違いから激しい議論になることも次第に増え、
共同生活はわずか2ケ月で破綻することとなります。

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ポール・ゴーギャン 「アルルの洗濯女」 1888年  (左)
二人の暮らした家からほど近い場所で描かれた作品のようです。ゴッホ
と同じモチーフを描いたけれど、ゴッホみたいに遠くからではなく上から
覗き込むような構図になっていて、洗濯する女性を細部は描かれず色
面を用いた抽象的な画面です。洗濯する女性を見つめるような後ろの
人物は、少し年を取った彼女自身のようにも見え不思議でした。右端
には、ゴーギャンの求めた素朴さ、農村らしさを強調するようにヤギが
描かれています。写実を離れた、平面的な画面で、形も揺らめいてい
る気がします。私たちの知っているゴーギャンらしい絵に近いですね。

ポール・ゴーギャン 「ブドウの収穫、人間の悲惨」 1888年 (右)
アルルでゴッホと散歩している時に見たブドウ畑光景とのことですが、
作業している女性はブルターニュの風俗をしています。そして座り込ん
でいる悲嘆に暮れる女性も描かれています。 夕陽に染まるブドウ畑の
光景と、ブドウの収穫をするブルターニュ地方の女たちが一枚のカン
バスに表現されていますが、現実ではなく記憶と想像で描かれたのだ
そうです。対象を見ていないと描けないゴッホと違って、想像で描くこ
とが多いゴーギャンの特徴を表しています。手前の女性の腕と顔の
色があまりにも違いすぎて、ちょっと不安になってくる気がしました。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「収穫」 1888年
ゴッホは、種まきから刈り入れまで季節の移ろいとともに変化する
小麦の栽培に魅了され、重要な主題として繰り返し描いたという。
「ほかのすべての作品を完全に圧倒する」 というほど自画自賛す
る作品だったようで、この作品の周りには人だかりができてました。

麦の収穫の頃の風景で、収穫のさまざまな段階がひとつの画面に
強い日差しに照らされて輝く麦畑とその中で収穫をする農夫の姿を
多様な色彩で表現し、遠くの景色までていねいに描かれています。
小麦の実りや屋根の黄やオレンジに、空や尾根、荷車の青が対比
され美しい調和が生み出されている感じです。この収穫という作品、
観ていて素直に気持ちの良い作品だなって思えます。思わず深呼
吸をしたくなる、爽やかな空気を感じました。

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ポール・ゴーギャン  「アリスカンの並木道」  1888年 (左)
落ち葉の舞う秋の風景を描いたこの作品は、ゴッホと共同生活を始め
たばかりの頃、アルルを題材として描かれた絵です。軽やかな筆触で、
赤や黄に染まった葉が描かれ太陽光の強さで物の色彩の見え方がど
う違うのかを見比べる事が出来るのはとても趣があります。よく見ると紅
葉した無数の葉が舞い散って、一見静かな風景と思いきや絵の中に、
少し強い秋の風が吹いているんですね。秋の紅葉の雰囲気が、日本
にも有るような親しみを覚えます。この絵、安田火災東郷青児美術館
の所蔵品なんです。かつて、安田火災が五十数億円で落札した、
ゴッホの 「ひまわり」 の絵のそばに架けてあったのを覚えています。

フィンセント・ファン・ゴッホ 
「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」 1888年  (右)
2 月の真冬のパリより温暖な気候を期待して出発したが、アルルは雪
景色だったという。しかし、寒さの中でも春は訪れつつあり、画家は花
咲くアーモンドの小枝をホテルに持ち帰り、グラスに生けて描いたとか。
ゴッホは、浮世絵の鮮やかな色彩と単純だが洗練された構図に魅了
されていたといいます。その影響でしょうか、筆跡すサインを入れ妹
の誕生日にプレゼントとして贈ったそうです。

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  フィンセント・ファン・ゴッホ  「ゴーギャンの椅子」  1888年 
南仏アルルの黄色い家で共同生活をしていた頃、ゴッホが描いた 「ゴー
ギャンの椅子」。椅子の主はゴーギャンですが、そこに座っている人物の
姿はなく、二冊の本は、記憶や想像を広げて描く彼の制作アプローチを、
夕方や夜を示すガス灯やローソクは、ゴッホが 「詩人」 と評し、椅子に
ゴーギャンの面影を重ねたこの絵は、象徴的肖像画と呼ばれています。
そこにはゴッホのゴーギャンに対する尊敬と友情が垣間見えます。椅子
の上に立てられているローソクがなんとも物悲しいですよね。

ゴッホは当時すでに精神的におかしかったと言います。というのも、日常
的にアブサンという危険な酒を飲んでおり、それの幻覚症状により精神
的におかしくなっていたそうです。そういう精神的に不安定な状況で、些
細な事でケンカになり言い争い、結果ゴーギャンが家を出て行く騒ぎと
なりました。一緒に共同生活しながらも、やはりゴーギャンとゴッホは打
ち解けられなかったのでしょうね。ゴッホの悲しさが感じられます。

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会場は時代ごとに展示室の壁面の色が変えられていて、アルル
の 「黄色い家」 で過ごした当時の作品が並ぶ展示室の壁は鮮や
かな黄色でした。 また、展示の合間にゴッホの弟テオや画家の
ピサロやベルナールなどへの書簡から引用したその当時の2人
の感情を配し、当時の絵画に対する思いや、お互いへの印象な
どが来場者にもわかるように表示されていました。

「人は同時に二つのことはできない わたしのただ一つできること
それが絵画だ」 1985年 ゴーギャンからピサロ宛へ。

「ゴーギャンの手になるものは すべてやさしく悲痛な、驚くべく
性質をもっている」 1888年 ゴッホからベルナール宛

第四章 「共同生活後のファン・ゴッホとゴーギャン」
自身の耳の一部を切り取ったゴッホは、それ以後も精神障害による
発作に苦しみ、アルルから二十数キロ離れたサン=レミの療養院に
入院しました。アルルを去りパリに戻ったゴーギャンは、再びフラン
ス北西部のブルターニュへ赴きます。共同生活は破綻しましたが、
友人で画家のエミール・ベルナールも交え3人の交流は、ゴッホが
亡くなるまで続きました。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「ジョゼフ・ルーランの肖像」 1889年 (左)
ゴッホが住んでいた 「黄色い家」 の近くに住んでいたジョゼフルー
ランは、アルル時代のゴッホと親交の深かった人物で、さまざまな
面でゴッホを援助していたとか。 駅の郵便物係でよくゴッホの作品
のモデルになっています。 写実的な描写を離れ、より自由な表現
が見られます。 色彩は明るく温かく、背景に描かれた花模様が華
やかで装飾的に配されています。制服の青と目の色が合っていて、
立派なヒゲにも青色が入っています。

ポール・ゴーギャン 「紡ぐブルターニュの少女」 1889年後半 (右)
ブルターニュの衣装に身を包む少女の上に、黄色い雲から天使が
出現する。 中央の少女は、楽園から追放されたイヴあるいは若き
ジャンヌ=ダルクなどとさまざまな解釈があるようです。また、彼女
の手の形は仏像も連想させます。黄色い雲の上の天使も謎めいて
いるなぁと思いました。想像力が膨らみます。ル・プルデュに移り住
んだゴーギャンは、ほかの画家たちと一緒に小さな宿の装飾に取
り組んだという。そのうちの1 点で、多くの装飾画は取り外されたが、
壁紙に覆われ残されたのを1924年に再発見された作品のようです

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「刈り入れをする人のいる麦畑」 1889年 
ゴッホが精神障害で入院していたサン=レミの療養院の部屋から
は麦畑を見渡すことができたという。1887年頃からゴッホの絵には、
太陽がぬっと顔を出したかのように描かれています。絵の前に立つ
と太陽の光をジリジリと、暑苦しいほどに感じてしまいます。「収穫」
の時期を迎えた、麦畑は黄金色に輝き、うごめいているようです。
ゴッホにとって、小麦の成長、成熟、収穫種蒔きという繰り返される
農作業は自然のサイクルと四季を象徴するものです。絵を描くこと
で、自身の感情を受け入れているようであり、療養院の窓越の麦
畑を見つめながらゴッホの気持ちと向き合ってるような、今まさに
シンクロする、空気感を味わえました。

麦畑を繰り返し描き、しばしば麦の成長に人間の生涯を重ねて
いたゴッホ。この翌年、37歳の若さで自らの生涯を閉じたのです。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「タマネギの皿のある静物」 1889年 (左)
ゴッホはゴーギャンと衝突します。 かけがえのない同志を失い、自らの
耳を切り落とし、心身ともに傷ついた。 この絵は、その翌年の初め病院
を退院した後に描かれたという作品です。テーブルの上に散らばるのは
タマネギ、酒のビン、パイプとキャンドル、コーヒー、手紙、健康書等で、
ゴッホの生活にとって最も身近なものばかりで、タマネギには 「疲労回
復」 「精神の安定」 などの効能があり、健康書には玉葱を用いた食事
療法が書かれていたのかもしれない。ゴッホは早く健康を取り戻し、手
紙によって人と繋がり、新たな生活を受け入れて絵を描きたい・・・・・。
この作品から彼の前向きな姿を想像してしまいます。優しい色使いとと
もにそれらを描くことによって、画家として、描く 「喜び」 を再び見出し
た、ゴッホの束の間の休息時間を感じます。狂気的な事件とは裏腹に、
色も筆致も穏やかで、優しい。 安らぎを求めて描いたのかな。

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ポール・ゴーギャン 「ハム」 1889年後半 (右)
ゴーギャンがゴッホとの共同生活を終え、再びブルターニュへ赴いて滞
在時期に描かれたという作品。ゴーギャンの描いた 「ハム」 は、やはり
その主役であるハムの存在感、インパクトを感じます。巨大なハムの塊
の生物的色彩は、金属の皿との対比で観る人に強烈な印象を与えます。
ゴッホの好きな日用品が並ぶテーブルは彼自身の自画像のようですが、
一方、ゴーギャンのハムは現実のものなのに、どこか不思議な雰囲気を
たたえています。同じように日常生活のモチーフを描いているが2人の
芸術観の相違から受ける印象は全く違うものになっていますね。価値観
の違い等から、ゴッホと別れた時期に描かれた作品なのでゴーギャンの
複雑な心境が、描かれているかもしれません。 ですが見続けていると
なんだかお腹が空いてくる不思議な作品です。(笑)

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共同生活の後、精神障害による発作にも苦しんだゴッホは、療養
院に入院します。二人は二度と会うことはありませんでしたが、
1890年7月29日にゴッホが亡くなるまで、手紙を通じて交流は
続きました。二人は才能を認め合い、互いに敬意を失わなかった。
ゴッホは自殺を図る三日前、弟テオへの手紙に 「ゴーギャンの美
しい絵が見られてとてもうれしい」 と記しています。ゴーギャンは、
タヒチに渡り、大作 『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々
はどこへ行くのか』 などを完成させて、最後はマルケサス諸島の
ヒヴァ=オア島で亡くなります。二人がお互いに敬意を抱いていた
ことは、そこに相手の存在を感じさせる 「椅子」 の作品を見ると
よく分かります。

第五章 「タヒチのゴーギャン」
文明の影響から解放されて、「汚れなき自然」 を求めたゴーギャンは、
南太平洋に浮かぶタヒチへ赴きました。ヨーロッパで過ごしてきたゴー
ギャンのタヒチへの幻想と現実が融合し、ゴーギャンの象徴主義は
複合的な要素を孕んでいきます。亡きゴッホに想いを馳せたのです。

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ポール・ゴーギャン 「タヒチの3人」 1899年  (左)
ゴーギャンのタヒチ滞在期を代表する作品のひとつ。
タヒチの現地民の豊満で原始に溢れた日に焼けた体が強調されてい
ます。観る者へと身体を向ける者、観る者へ背を向ける者、人物同士
の対比的位置関係や堂々としたタヒチの生命力に溢れた独特の表現
の美しさも、この作品の見所でしょうか。タヒチへのゴーギャンの個人的
視点や、観察による対象の捉え方には、画家としての喜びの感情や溢
れる野心的感覚を感じます。 左の女性は左手に青いりんごを持つこと
から 「悪」 を、右の女性は花を差し出していることから 「善」 を象徴して
いると説明がありました。ゴッホ亡き後のゴーギャン。 タヒチに行って
そこで描いた作品が展示されていますが、深い精神性を感じて、
「うーむ」 と唸ってしまいました。

ポール・ゴーギャン 「タヒチの牧歌」 1901年 (右)
タヒチで描かれた最後の作品のうちの一点のようで、簡素な草ぶきの
小屋や人物の服装がそうした素朴な生活を示してくれています。しかし
海上に浮かぶ帆船から、この地も完全に文明から隔絶されていたわけ
ではないことが分かります。しだいに文明社会に同化していくタヒチが
予感できます。ゴーギャンは文明化されていない素朴な世界を追求し
続けたといいます。現実のタヒチに幻滅することも多く、最愛の娘の死
や悪化する健康状態にもかかわらず、画家は夢見ることをあきらめな
かったのでしょう。真っ赤に燃え上がるような大地の色がとても印象的。

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ポール・ゴーギャン 「肘掛け椅子のひまわり」 1901年 
ゴッホの死から11 年後にゴーギャンがタヒチで描いた 『肘掛け椅子の
ひまわり』です。ゴッホへの哀悼の意を込めて描かれたといわれており、
タヒチにはなかったひまわりの種をわざわざヨーロッパから取り寄せて
島で栽培し、作品を完成させたのです。亡き友人を想い、賛辞を込め
て制作されたのだろう。そこには、ゴーギャンのゴッホへのオマージュ
が垣間見えます。以前、ゴッホ展の時は最後にあの有名なひまわりの
絵が展示してありました。今回はゴーギャンの 「肘掛け椅子とひまわり」
の絵が最後に展示してありました・・・・! もうロマンチックですね。(笑)
変わらぬゴッホへのリスペクトや思いがつまった渾身の 1 枚です。

ゴッホがゴーギャンをアルルに迎えるときに用意した椅子や、ゴッホを
象徴するようなひまわりを描いています。窓の外はゴーギャンの現在を
表すタヒチの海です。ゴッホの耳切り事件で、共同生活が破綻した二人
ですが、ゴーギャンはゴッホのことを忘れず、後年にも懐かしく思い出し
ていたことが分かります。ひまわりと椅子。この組み合わせに、込み上
げてくるものがありました。表現も考え方も異なり、時には激しく意見を
ぶつけあったこともあったけど、晩年に描かれた 「肘掛け椅子のひま
わり」 からは2 人の間にあった絆を感じることができました。「ひまわり」
をゴーギャンが描いた。しかも椅子の上に・・・・・。絵を通した友情話っ
て、いいですね。 ぜひとも会場でご覧ください!

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会場の出口にはアルルでゴッホとゴーギャンが使っていたゴッホの椅子、
ゴーギャンの椅子が再現され、実際に座ることができます。また、ここは
カメラの撮影も OK で皆さん盛んに撮っていました。私もですけど。(笑)

パリに出て印象派の影響を受け、アルルで共同生活し、やがて分かれて、
それぞれ自らの絵画世界を造り上げていく過程を、作品を観ながらたど
れる展覧会でした。ゴッホの 「ゴーギャンの椅子」 とゴーギャンの 「肘掛
け椅子のひまわり」 を共に観ることが出来たのは収穫でした。こういう演
出だと、鑑賞者は二人のいろんなエピソードを思いながら感激します。
今回は展示品のすべてが解説付きで、今まで知らない画家や絵はスル
ーしてたのですが、こういう方法だとさらに楽しみが増えて賛成ですね。
ただ、解説を読むことでなかなか進まないのが難点でしょうか。

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前のゴッホ展は最後にあの有名なひまわりの絵が展示してあったの
ですが、今回はゴーギャンの 「肘掛け椅子とひまわり」 の絵が最後
に展示してありました。アルルへやってきたゴーギャンを歓迎するた
めに描かれた 「ひまわり」。あっという間に破たんしてしまったけれど、
歓迎してくれた友の気持ちに感謝や賛辞を込めて描かれたという印
象が、絵からドーンと伝わってきました。最後の展示で、まさか涙が
流れるとは・・・・。こんな展覧会の感じ、初めてです。ドキュメンタリー
映画よりも、ドキュメンタリー? 本物の絵がそこにあるのですから。
二人の関係と絵に込められた思想とか感情がよく分かる美術展で
した。とにかく最高でした。 さあ今度は上野の森美術館へ。






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