一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。







いつも訪問して頂きありがとうございます。


「朝ごはん」

...2016/10/02 11:20...

十月 ・ 神無月 (かんなづき) になりました。
この月は日本中の神々が出雲大社に集まり、
神様がいなくなってしまうからと言う説です。
日本全国が 「神無月」 の時に、一つだけ違った呼び
名でこの月を呼ぶ場所があります。それは出雲です。
出雲ではこの月に全国から神様が集まってくるのですから、
「神無月」 ではなくて 「神在月 (かみありづき)」 となります。
神在月の出雲では、神様が額を寄せ合いながら 「縁結び」
の相談をします。

  最近はみんな、理想が高くてこまるよ~。

なんて愚痴を言う神様もいたりして大変のようです。(笑)
更に言いますと、日本全国から神様がみないなくなってしまう
と不用心ですから一人だけ留守番として残る神様がいます。
この神様は恵比寿様だといわれます。
ひとりぼっちで留守番をする可愛そうな恵比寿様を慰めるために、
この月には恵比須講が行われます。たった一人大切にされる
恵比寿様にとっては、十月は意外に楽しい月かもしれません。
一人ニコニコ恵比寿顔 ?

     CC28632.jpg 
  CC28634.jpg CC28625.jpg
さて、「縁結び」 と言えば、東京では赤坂・氷川神社が有名です。
その昔、八岐大蛇 (やまたのおろち) の生贄にされかけた奇稲田
姫命 (くしいなだひめのみこと) と、それを助けた素戔嗚尊 (すさ
のおのみこと) が祀られている神社です。後に二人が夫婦になっ
たことから 「縁結び」 にご利益があるとされています。(上)

先日、この赤坂 ・ 氷川神社を訪れる機会がありました。
縁結びのお守りもありましたが、購入したのが月ごとの季節の花が
描かれた 「花福土鈴」。(左) 気に入ったのが幸福を沸かして注ぐ!
「やかん鈴」 の根付け。(右) 幸運を注ぎ分ける・・・・という意味を
込めて、やかんの形をしているそうです。「自身で幸運を湧かす努力
をすることが大切」 とか。幸運を湧かして、周りにも分けてあげられる
人になれますように・・・・と願いつつ、ゲットしてきました。

神社には良縁祈願祭というものがあります。 「縁」 という字は 「糸」
があり、ご縁は糸で結ばれています。 「結」 という字も 「糸」 に 「吉」
と書きます。 大切な良縁をいただいた時に 「結」 ということになります。
また、商売繁盛という見方からすると、日々の努力と心がけから導か
れたご縁は、立派な 「結果」 を結ぶというわけです。

今月は神様が留守の月です。幸運を一杯沸かして、
皆さんに幸運と縁結びが届きますように・・・・。

ピーン (。・ω・)σ ⌒■ トドクカナ

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

「朝ごはん」

本来、子育てにおいて、しごく当たり前だった
ことが、今、声高に叫ばれているようだ。
朝という漢字は 「十」 「月」 「十」 「日」 からなる。
これを順に並べれば、「十月十日 (とつきとうか)」。
新しい生命が母親の胎内に宿ってから、
この世に生まれてくるまでの時間のこと。
つまり、朝は誕生を意味する時間なのです。

朝食の大切さはいまさら論議されるまでもない。
生まれたばかりの赤ん坊は昼夜問わず、母乳を欲しがる。
それに応えることを怠れば子は育たないし、授乳を通して
こそ母子は絆を深めていくものだと思う。

毎朝の食事とて同様であろう。
「忙しくって朝食が作れない」 ということは、「忙しいから
赤ん坊に母乳を与えなくっても仕方がない」 ということと同じ。
しかし、なんだか世の中は、変な方向に向かっているようだ。

ある教員養成系の大学で、食生活が乱れがちな学生に
朝食を取ってもらおうと、食堂の朝食メニューを利用すると
ポイントがたまり、そのポイントに応じて割引が受けられる
取り込みを始めたという。大学は 「学生に朝食を取って
もらうには、楽しく、しかも得になる取り組みが必要」 と
語っているそうだが、何だか暗たんたる気持ちになった。

大学は教育機関である。
まして、教員を養成する大学、朝食は生きるために
必要なものであり、楽しんだり得をしたりしなければ
ならない性質のものではないだろう。
朝食を提供することは、教育ではなくサービスだ。

そんなサービスを受けながら養成された教員が、
子供たちに対して、いったいどんな食教育を
説けるというのだろう。
教員にならなくても、親としてどうなってしまうのか・・・・・。
サービスではなく、育む。
それが今の教育に大きく欠けているのではないだろうか。
先日の仲間との酒の席で、朝食を取らない学生、
朝食を作らない親が多いと聞いて、
ふと、将来の姿を考えてしまいました。


-------------------------------------------------------------------------------------------------------

「氷川祭」  赤坂・氷川神社 2016

CC28745.jpg
土曜日に何気にテレビを見ていたら、氷川神社で 「赤坂氷川祭」
が行われていて、戦時中に焼失した 「宮神輿」 を復元新調、また
申年に合わせて氷川山車 「猿」 を修復しお披露目巡行。さらに
行列には、時代劇 「暴れん坊将軍」 でおなじみの俳優の松平健
さんが徳川吉宗に扮して白馬に乗って優雅に登場し、平成の世
に吉宗公が降臨したかのような豪華な行列の様子が映し出され
ていた。翌日は 「神幸祭」 が行われるようなので出かけました。

CC28568.jpg 
CC286482.jpg CC28650.jpg CC28559.jpg
境内に入ると涼として雰囲気が漂い、心が鎮まります。  六本木と
赤坂の中間に位置する閑静な住宅街にあり、周囲の喧騒から遮断
されたように厳かな雰囲気に溢れる。この神社は参拝後に心身共
に身の引き締まる思いにさせてくれます。コンクリートの神社が多い、
東京都心にあって昔ながらの木造のお宮です。

「赤坂 ・ 氷川神社」
氷川神社は951年に現在の赤坂四丁目のあたりに創建されました。
享保15年 (1730)、江戸時代に徳川八代将軍 ・ 徳川吉宗の命で
造営された由緒ある神社です。倹約政策を進めた吉宗らしく、華美
な彫刻はなく、質実で簡素な当時の姿のまま現存する社殿です。
ご祭神は素盞嗚尊 (すさのおのみこと)、奇稲田姫命 (くしいなだひ
めのみこと)、大己貴命 (おおなむぢのみこと) の3祭神です。ご祭
神の素盞嗚尊がヤマタノオロチのいけにえになりそうだった奇稲田
姫命の為、ヤマタノオロチを退治し、結ばれたことから良縁・縁結び、
厄除け、商売繁盛のご利益があります。縁結びといえば、東京大神
宮が有名ですが、御祭神も素盞嗚尊ですので、他力本願ではなく一
生懸命努力している人に、ご利益を与えてくれるという考え方も好き
ですから、私が女性だとしたら絶対に赤坂氷川神社に行くと思います。

CC28636.jpg 
CC28616.jpg CC286372.jpg
「四合稲荷神社」  (上)   「西行稲荷神社」  (下左) 
「布袋尊像 (ほていそんぞう)」 (下右)

氷川坂側の参道を進むと立派な2 匹の狛犬が迎えてくれます。
鳥居をくぐって階段を登ると赤坂・氷川神社社殿へと続きますが、
手前の右手に 「四合稲荷神社」 が鎮座しています。 勝海舟ゆか
りの 「四合稲荷神社」 です。古呂故稲荷、地頭稲荷、本氷川稲荷、
玉川稲荷の四社を合祀し、明治31年に赤坂氷川神社境内に建て
られたそうです。赤坂に住んでいた幕末に活躍した勝海舟によって、
「四合 (しあわせ) 稲荷」 と命名されたようです。「四合」 が 「しあわ
せ」 と読み、一度お参りすると4倍の効果があるそうです。 四合稲
荷神社の左には 「西行稲荷神社」 があります。こちらは火伏の稲荷
とも呼ばれ、火難除けのご利益があるとされています。西行稲荷神
社には 「布袋尊像 (ほていそんぞう)」がいました。布袋尊像は心身
が健康になるご利益がありますので、しっかりお願いしておきました。
岩穴には小さな狐がたくさんいました。 西行稲荷神社はすっぽり緑
に囲まれ、お社の後ろは特徴のある岩壁になっていて、岩穴を含め
神社全体に独特の神聖な雰囲気が感じられました。

CC28759.jpg 
CC28767.jpg CC28760.jpg 
「勝海舟 ・ 坂本龍馬師弟像」 (下右) 「サン ・ サン赤坂」 (下左)
明治維新時に江戸八百八町を戦火から救った幕臣 ・ 勝海舟と弟子
の坂本龍馬の師弟像が、勝海舟の臨終の地である東京・赤坂の旧
居宅跡に建立され、9月10日に除幕式が行われたようです。刀のつ
ばをひもでくくり、決して抜かなかったという勝の姿と、師の身を守る
ように立つ龍馬が表現されています。(上)  この勝海舟が赤坂で
人生の大半を過ごしながら、偉業を顕彰する像はこれまでなく地元
の悲願だったようです。氷川神社のすぐ近くなので寄ってみました。

江戸城総攻撃の直前幕府の代表として官軍参謀の西郷隆盛と会談、
無血開城しました。明治維新にともない官軍から、徳川慶喜の駿府へ
の蟄居を命じられ、勝海舟は共に静岡に転居します。後に謹慎も解
除され新政府の海軍大輔に任官のためふたたび江戸に戻り、赤坂
のこの地を終ついの棲家としました。 勝海舟が亡くなった後の屋敷
跡は東京市に寄付され、氷川小学校として平成5年に廃校されるま
で使われました。 現在は特別養護老人ホーム 「サン ・ サン赤坂」
となっています。(下左) 小学校が老人ホームに変わるというのは、
いかにも少子高齢化を象徴する変化のようだが、このあたりでは活
発な再開発で個人住宅が減っていくという特殊事情もあるからです。
勝海舟は明治32年に満76歳で亡くなるまでここに住んでいました。

CC28761.jpg 
CC28764.jpg CC28762.jpg
赤坂氷川神社のすぐ近くには、大政奉還に奔走する坂本龍馬と勝
海舟が出会った歴史的に意味のある場所があります。氷川神社横
の本氷川坂を下った場所の建物に、勝海舟邸跡という木の標識が
立っています。(上) 勝海舟がこの場所に住んだのは1859年から
1868年ということで、幕末から明治維新にかけての激動の時代を
過ごしたことになります。坂本龍馬が1862年に初めて勝に面会し
たのがこの場所です。現在は 「ソフトタウン赤坂」 という建物が建っ
ています。(下)  重要史跡でありながらのギャップに戸惑います。

尊王攘夷に燃える若い龍馬は、開国派の勝を刺殺しようと赤坂を
訪れたが、逆に世界情勢を説かれて翻意し、門下生にしてほしい
と申し出たとされる。 逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への
流れに重要な転機を与えることになったのがこの場所なわけです。
この地に幕末から明治にかけて、どれだけの志士が訪れて、どれ
だけのことを勝海舟から学んだのだろうと、色々なことを考えさせら
れます。「竜馬がゆく」 で、あの坂本龍馬と千葉重太郎が勝邸に
行くシーンを思い出し、やや変な面白い感覚になりました。(笑)
「歴史ある街 ・ 東京」 を実感しました。

CC286422.jpg 
CC28501.jpg CC28644.jpg
今からおよそ315年前、お江戸で仇討ち事件がありました。
播州赤穂浅野家の浪士四十七名が吉良上野介の屋敷に討ち入り、
その首級を挙げたというおなじみ 「忠臣蔵」 のお話です。

「浅野土佐守邸跡」 (上)
現在、氷川神社がある場所は元禄の頃、備後三次藩浅野家の下屋
敷があり、浅野内匠頭の夫人瑤泉院の実家でした。 元禄十四年に
浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介を切る赤穂事件が起きます。
浅野家が取り潰しされた後、瑤泉院は実家で暮らしていました。元禄
十五年の十二月十四日は朝から雪が降り続いており、その中で討ち
入りを控えた大石内蔵助は瑶泉院に暇乞いにおもむきましたが、吉
良方に計画の漏れることをおそれて、ついに討ち入りのことを告げず
に去ります。”嘆く瑶泉院、苦しむ内蔵助” となる訳です。 瑤泉院は
残りの人生を死去するまでここで暮らしたといいます。三次浅野藩は
その後、後継者が早世して断絶となり、8代将軍吉宗がこの場所に
氷川神社を造るのです。江戸幕府もいろいろ考えたのでしょうねえ。

「南部坂」  (下) 
南部坂の上から下を見たものです。(下左) 南部坂の登り口にある
石碑。(下右) この坂沿いに、アメリカ大使館宿舎が広がっています。
南部坂の東側が溜池まで、江戸時代には福岡藩黒田家の中屋敷で
した。勝海舟の蘭学の先生であった永井青崖が、このお屋敷で蘭学
を教えていました。南部坂と言えば、大石内蔵助が討ち入りの直前、
浅野内匠頭の未亡人を訪ねた帰りに下った 「南部坂・雪の別れ」 の
名場面になった坂です。「南部坂」 も氷川神社のすぐ近くにあります。

CC28646.jpg CC28560.jpg
CC28639.jpg CC28640.jpg
境内の構成は当時からほとんど変わっておらず、江戸時代の赤坂・
氷川神社を散策している気分になれます。 石畳を踏みつつ、古い
木々に囲まれた境内を散策すると、“ ここはほんとうに赤坂なの ” と
思えてくるほどで、境内の静謐さはいまも多くの人が感じる場所です。

「大イチョウ木」 (上左) 赤坂氷川神社が建立される以前から存在し、
長い歴史の中で神社を見守ってきた存在です。天然記念物にも指定
され推定樹齢400 年の巨樹です。たくましく上へ上へと成長した大銀
杏の姿を見れば、明日も頑張るエネルギーが湧いてくる気がします。
「石灯篭」 (上右) 門の内外に立つ2 対4 基の石燈籠です。門外の
2 基は、遷座の年に岡崎城主老中水野忠之が奉納したものです。
「力石」 (下左) 神社正面の入り口を入ってすぐの左手奥に「力石」
があります。 これを持ち上げて力自慢を競うものですが、この石には
「三十五貫 (約130キロ)」 と切付があり、神社境内の土中から発見。
「包丁の碑」 (下右)  境内には料理人たちの包丁供養のための
「包丁塚」 がありました。赤坂の老舗料亭をはじめ、多くの飲食店を
支えてきた包丁への感謝の気持ちがわかります。

CC28668.jpg 
CC28504.jpg CC28655.jpg
氷川神社を散策した後は、駐輿式を執り行なうというので赤坂近辺
を散歩しながら赤坂サカスへ。(下左) 朝からアークヒルズ、赤坂
見附、一ツ木通りなど氷川神社の氏子地域を巡行していた列隊や
山車、神輿がすでに赤坂サカスに着いていました。(上)  この後、
駐輿式を執り行い、再び巡行し乃木坂方面に向かい、宮入りする
予定の様でした。駐輿式を行うため広場では準備中です。(下右)

「赤坂サカス」
赤坂TBS放送センターの玄関口に広がる 「Sacas広場」、ライブハウ
ス 「赤坂BLITZ」 や 「赤坂ACTシアター」 を備えるエンターテインメ
ントエリアで、2008年に誕生した港区赤坂の複合施設です。演劇、
音楽、イベント、そしてショッピングにグルメ、魅力あふれる場所です。
赤坂サカスをローマ字表記 「Akasaka Sacas」 にして右から読むと
「SACA ・ SAKA ・ SAKA」 = 「坂 ・ 坂 ・ 坂」 になることなど、赤坂
という土地の持つ、「和」 のイメージを重視してつけられたようです。

CC28665.jpg 
CC28553.jpg CC286703.jpg
「駐輿式」
赤坂サカスではたくさんの人が集まり、駐輿式が行われました。
一日多くの人が担ぎ、宮神輿の新調に尽力された方々が住む町々
を渡御された宮神輿は、一回り大きくなった様に輝いていました。
(下右) 神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移して、氏子地
域内に御幸したり、渡御したりするのは、神輿や鳳輦の登場する
祭礼のほとんどは、神幸祭の一種のようです。

赤坂・氷川祭の宮神輿渡御に赤坂の芸者衆が参加されたようです。
午前中の行列に参加し、沿道の人々もみんなびっくりしたように見て
いたそうです。 赤坂サカスの駐輿式ではステージで踊りのご披露も
あり、お客様はカメラを舞台にむけ、大喜びでした。 (下左) 赤坂
の土地ならではのお祭り。江戸の心意気が生きています。

CC28612.jpg
「新神輿」
祭礼の象徴の一つであった氷川神社の 「宮神輿」 は、東京大空
襲の折、焼失していたようです。現社殿を造営した徳川吉宗公が
八代将軍に就任して三百年という慶祝の年に向け、山車 「猿」 の
修復と共に進めてきたのが 「宮神輿」 の新調でした。

戦時中に焼失した宮神輿は、台輪寸法五尺、重量1.5トンあり、
人が担げる大きさではないため、牛で曳いて巡行していたという。
その神輿をそのまま復元したのでは、この時代地域に即さない為、
人が担げる大きさである台輪寸法四尺、重量1トン超で製作をして、
このほど2年間を要し復元され、「氷川祭」 でお披露目されました。

CC28635.jpg
「山車」 とは、
祭礼の際、山 ・ 鉾 ・ 人形 ・ 花などを飾り付け、牛で曳いたり、人
が担ぐ屋台で、一本、二本と数え、山車の語源は、平安時代、大
嘗祭の際に曳かれた標山 (しるしやま) に由来し、神様の依り代
や、山車の中心にあった鉾の上につけられた 「出し」 という竹の
編み残された部分の名称に由来すると言われます。山車も神輿
同様、単なるお祭りの道具でなく、神聖な神様の乗り物なのです。

当祭礼の山車は、江戸型山車の中で最も知られる鉾台型山車で、
二輪車の上に三層の構造物があります。この三層部分の最上部
は人形の部分であり、次の層は飾り幕に取り囲まれた枠で、人形
はこの二層目の枠内を上下できるように造られています。更に人
形 ・ 飾り幕の部分は折畳まれた状態で、最下部の部分から人形
が 「せり出す」 という、二段上下可変式のカラクリ (機構) をもつ
もので、二段の台の上に人形が座るようになっています。これは
将軍の上覧に供するために江戸城の門を入るときの工夫である
と言われます。つまり、城門をくぐるとき、人形をからくりで下げ、
城門をくぐったあとで人形をせり出し、将軍に上覧頂く構造に
なっているんだそうです。赤坂氷川祭の祭礼で十三本もの山
車を有し、規模が大きいものであったことは、吉宗公が敬神し、
幕府の管理下にあった証なのです。

CC28542.jpg CC28544.jpg
CC28624.jpg CC28543.jpg
山車 「猿」  (赤坂表一二町会)
今回、江戸から現存する江戸型山車 「猿」 も復元されました。
鶏と猿は天下祭でも一番 ・ 二番をつとめ重視された主題で、小振
りながら、赤坂氷川山車のなかでは唯一、上段に六角の朱塗りの
高欄を持つ山車であったことが伺えます。(上左) 飾り幕は、上段
のものは緋色の一枚もので、六面それぞれに龍と波が刺繍され、
下段のものは紫地に神社神紋である 「左三つ巴」 が銀糸で刺繍
されています。(下左) 人形は弘化2 年 (1845) の作と伝えられ
ていますが、祭礼の折、「猿」 がでると “荒れる祭り" となること
が続いたため、明治33年初代の猿の頭を神社に奉納し、修理さ
れたものが現在に伝わる人形と言われています。

CC28526.jpg CC28525.jpg
CC28528.jpg CC28601.jpg
「日本武尊」  (赤坂六七丁目町会)
様々な地域の山車に日本武尊の人形は多く見られますが、この熊
襲退治の女装の尊は珍しいようです。(上右) 確かに見た限りでは
被衣を冠った牛若丸と見間違えるほどです。視線も面白いです。
嘉永6年 (1859 )の作といわれています。飾り幕は、割模様、一面
ごとに図柄がおさまっています。上幕は、猩々緋枠内緑地雲竜縫
取玉眼入り。下幕は猩々緋牡丹に獅子、左下部に新町四丁目五
丁目 (旧町名) の縫取りがあります。

「日本書紀の日本武尊物語」
南九州の大隅辺りに勢力を持ち、朝廷に反目する熊襲 (くまそ) 族
を従わせるため、景行天皇は皇子ヤマトノオグナを遣わした。ヤマト
ノオグナは、女装しクマソタケル兄弟の宴会に紛れ込み、酔いがま
わってきたところを隠し持った剣で倒した際に、「自分は熊襲の中で
一番強く、自分に従わない者は1 人もいない。それなのに、 大倭国
にはわしらに優って強い男が居られたとは・・・。わしはあなたに御名
を奉りたい。日本最強の勇士を意味する 「ヤマトタケル」 の名を献上
されたという神話で有名。 後に 「ヤマトタケルノミコト」 と命名する。

CC28751.jpg
今年の 「赤坂氷川祭」 は、德川八代将軍吉宗公将軍就任三百年
を機に、戦後焼失した「宮神輿」の新調と江戸型山車の 「猿」 も復
元し巡行を行いました。赤坂氷川祭の原型は、宮神輿と江戸型山
車の連合巡行にあり、実にこの組み合わせは、明治以来、神幸祭
において約100年振りの復活となったようです。  

江戸の祭りを語るには 「神輿」 と 「山車」 は欠かせません。
「神輿」 は普段神社に鎮まっておられる神様の御霊 を「神輿」 に
お移りいただき、氏子地域をご覧いただくと同時に祓い清めると
いった意味があります。「山車」 も山車人形を依り代として御霊を
移すという考えから、神様が人形になる場合もあれば、当時人気
である歌舞伎役者が人形となるなど、若干 「神輿」 とは異なる傾
向もあったようです。神田祭や三社祭などに見られる神輿の祭り
ではなく、関東では数少ない山車の祭りだったようです。

CC28673.jpg CC28671.jpg
CC28676.jpg
都会の喧騒を忘れられる静寂な緑に包まれた環境の中、赤坂サ
カスで駐輿式を執り行なった後は、乃木坂方面に向かい、宮入り
を17 時に予定して、巡行が再び行なわれます。

先導役の 「猿田彦」 (上)
東京各地の祭りでは、ほとんどどこでも猿田彦が登場して、神幸祭
の行列を先導している。長い鼻と赤ら顔の天狗の面をかぶり、一枚
歯の高下駄をはき、色あでやかな衣装をまとったその姿は、行列の
人気者です。 古事記の神話の中に登場する天孫降臨の際に 「天
照大神」 の命を受けて道案内をしたという猿田彦大神様です。

「四神旗」  (下)
四神を描いた4 本の旗で、四神は天の四方をつかさどる神で、
東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武を表します。昔、朝廷
で元旦朝賀、即位礼などの折りに威儀をととのえるため、大極殿
または紫宸殿の庭に、四神を描いた四つの仗旗が立てられます。
これを四神旗といいます。羅紗地に金銀糸で縫いとりした見事な
四神の旗です。

CC286782.jpg CC28687.jpg
CC28689.jpg CC28731.jpg
鎮守の神様が、行く先々の邪気を払いながら、旗や武具などを
前後に従え、古式にのっとり威儀を正して進みます。

「五色絹」  (上左)
神社の拝殿に上りますと、五色の布が目に付くと思います。御神前
の威儀具として設けられる真榊や、五色旗などさまざまなものに用
いられています。 吹き流しの五色の絹は、天地万物を組成してい
る 「青、赤、白、黒」 となり、黄色はありません。 それは天子の色で
臣下が使えないからです。方位では 「東西南北」 を示します。大相
撲で土俵の四隅にかかっている房も、青、赤、白、黒で、四神を表し
ています。黄色は中心の土俵の色になって神聖な場所のようです。
「神社神職 ・ 総代」  (上右)
「神職」 は神社の維持、運営に関わり、「総代」 は神社の氏子を代
表し、氏子や崇敬者に対して便宜をはかる神社の世話人的な役の
ようです。神社を維持、発展させていく上で欠くことのできない重要
な役割を担っているので、お祭りには欠かせない方たちです。
「手古舞」  (下左)
「手古舞」 は、江戸の祭礼で山車を警護した鳶職のことですが、
現在一般には、巡行隊列や催し物で先頭を練り歩く役割をします。
衣装は、刺繍をした襦袢の上に、揃いの着付けを片肌脱ぎにして
襦袢を見せ、たっつけ袴をはき、花笠を背中に背負い右手に金棒。
「高張提灯」  (下右)
高張提灯は大型の棗形の提灯で、長竿の先につけ、提灯には定
紋や屋号などを書き、もっぱら目印として利用されていました。現
代では町内会などを銘打たれの提灯を持ち、巡礼の行事に練り
歩くようです。

CC28749.jpg
山王日枝神社と神田明神の祭礼(天下祭・御用祭)には江戸城
の門をくぐる際のからくりを持つ 「江戸型山車」 の巡行でした。

昔の赤坂氷川神社祭礼は、神社の宮神輿を氏子二十一ケ町の
山車十三本が警固の形をとって神領内を巡行していたようです。
この山車の巡行は明治末から大正初期まで続けられたといわれ
ています。 この後、『天下祭』 『御用祭』 の廃絶、関東大震災、
戦災の災禍、電灯線の架設により、都内の山車が消えたいった
とき、氷川神社の祭礼も同じくして町神輿中心の巡行となってい
ったそうです。都内からほとんど姿を消していった山車が、氷川
神社には完全な形ではありませんが、九本も現存しています。

CC28705.jpg 
CC28714.jpg CC28709.jpg
神幸祭、宮御輿が氏子町会によって担がれます。町会グループ
からまた次の町会グループへ、氷川様への崇敬と赤坂を想う心
を繋ぎます。粋で鯔背な江戸っ子のカッコ良いところを祭りで発
揮継承してくれています。神輿の周りは凄い人だかりです。

享保15年 (1730)、八代将軍吉宗の命により、赤坂氷川神社
が赤坂4丁目から赤坂6丁目に遷されたことや、現在の赤坂迎
賓館のある場所には、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷が有っ
たことから紀州和歌山と赤坂は江戸時代から深い関わりがあり、
吉宗の将軍就任300年を記念して、秋の大祭 「赤坂氷川祭」
に、ことしは特別に和歌山市の和歌祭の隊列が招待され、前
日に祭りに加わり巡行したようです。

CC28754.jpg
「神幸祭」 は、氷川の神様が神輿に乗られて氏子の町々を巡行
することで、人々はその御神徳をいただき、幸福と町の繁栄を祈
請する、という伝統儀です。前日は町会神輿が練り歩いたようで
すが、この日は宮神輿と山車二本の連合巡行が行われました。

赤坂は銀座と並ぶ高級な繁華街として栄華を極め、高級料亭、
外堀通りを挟んだ永田町2丁目を含めレストランシアターのミカド、
中華料理の山王飯店、ロシア料理のマノス、ビブロスなどには
外国人客が多かった。またアマンドやトップス&サクソンはTBS
やレコード会社に出入りする芸能人、そしてファッションモデル
などの文化人などが多く街は華やかさを呈しています。

CC28697.jpg
氷川神社の神幸祭の付け祭りが発展したものが現在の山車曳行
を中心とした川越まつりであり、関東では数少ない山車の祭りです。
現在、神田祭や三社祭に見られる神輿の祭りではないわけです。

赤坂氷川神社境内にて毎年恒例の盆踊りを実施されます。また境
内には数々の露店が立ち並び、また赤坂を代表する名店による出
店やビアガーデン。赤坂芸妓衆のおもてなしと共にビールを片手に
和食やフレンチ、イタリアンなど各店自慢の一品を楽しむことができ
ます。都心のオフィスビルを背景に、街明かりにライトアップされた
山車が境内に展示され江戸絵巻が壮麗に浮かびます。

CC28725.jpg 
CC28734.jpg CC28715.jpg
“赤坂” という地名からもわかるように、赤坂には多くの 「坂」 があり、
それも細かい坂が 「これでもか」 とばかりある。 チョンマゲの時代
から、今と同様に急坂だったようで、山車の巡行で一番難所が坂
です。(下) 登りも大変なら、下りもちょっと手を緩めると暴走しか
ねず、特に気を引き締めるようです。確かに神輿と違って大変です。
また山車は街中に電線が貼られた都合などから運用が難しくなっ
たそうです。道路に面した立木が道を蔽うため、山車の三層を縮め、
更に立木の枝を押し上げて通過します。(上) 華やかさの裏には
こんな苦労があるわけです。華やかな江戸の絵巻も、こうした難題
で次第に減少していくことに寂しさを感じますね。

CC28753.jpg
司馬遼太郎もここ氷川神社を気に入って、拝殿の 「御簾 (みす) と
青畳が、朱漆によく似あって神寂 (かみさ) びた色気さえ感じさせる」
し、「境内も、閑寂でいい」 と書いています。大きな樹々に囲まれ、
神社の歴史に思いをはせれば、近くに住んでいた勝海舟の朗らか
な声が聞こえてきそうな気がします。赤坂氷川神社の祭礼の山車
巡行の復興は有り難く、江戸時代から伝わる赤坂の財産を後世
に伝えてほしいと思いました。

【おまけ】
CC28509.jpg CC286003.jpg
CC285151.jpg CC285191.jpg
久しぶりに赤坂サカスに来たので、ちょっとTBS放送センターに立
ち寄ってみました。正面玄関を入った奥に、人気のカフェがあります。
打ち合わせ中のタレントさんに会えたりしますが、写真を撮ると怒ら
れます。(笑) 一般の人も利用できます。カレーが美味しいです。
この日は左手のロビーに 「渡る世間は鬼ばかり」 の店のセットが
設置されていました。特別企画で9月18日から19日に放送され
るために展示していたようです。(下)

「TBS放送センター」
1 階は総合受付とロビー、中央管理室及び防災センター、2 階から
6 階まではTBSテレビのスタジオ、8 階と9 階がTBSラジオのスタジ
オ、最上階が東京放送ホールディングスの役員室、それ以外は社
員食堂、医務室、理髪室、コンビニが12 階にあるようです。屋上に
36mの巨大なパラボラデッキがあり、ビッグハットと呼ばれる。9つ
のテレビスタジオでは、毎日多くの番組を収録、放送されています。
一般の人の見学は出来ません。学校単位で見学ができるようです。






未分類 | TRACKBACK(-) | COMMENT(-) |










CALENDER
10 ⇔ 2017/11 ⇔ 12
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
AquariumClock 2
プロフィール

Author:takasan
ようこそ!

ちょっとした幸せな風景
あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように。

ライブカメラ
最近の記事
リンク
このブログをリンクに追加する