一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「歴史から何を学ぶべきか」

...2016/08/28 09:03...

二十四節気の 「処暑」 も過ぎ、暦の上では暑さが
おさまるころとなりました。が、まだまだ暑い日が続く。
8月終盤にも関わらず、当たり前のように真夏日が続い
たと思ったら、予想外にも台風の猛威も容赦なかった。
皆さんの所はどうだったでしょうか? 被害に遭われた
方々には、心からお見舞い申し上げたい。

時計が気になる。あと20秒、10秒、5秒・・・・。
リオ五輪レスリング女子で、伊調馨選手が残りわずか
3秒で大逆転し、4連覇を達成。登坂絵莉、土性沙羅選手
も終盤に盛り返して 「銀」 から 「金」 メダルに変えた。
最後まであきらめない精神は、壮絶な練習量で培った
伝統の力という。

リオ五輪。
地球の裏側から送られてくる映像には思わず眼がしらが
熱くなる。勝って涙、負けて涙の選手たち。そんな姿に
こちらも共感する。吉田沙保里選手がまさかの敗戦。
4連覇の夢を絶たれた最強女王の号泣きに胸を打たれた。
「(天国の) お父さんに起こられる」 「ごめんなさい」 と
しゃくりあげた。「ずっと怖くて、プレッシャがあった」
と打ち明けた。ご苦労さま、涙を拭いて~と思った人も
多いのではないか。

卓球女子団体の銅メダル。福原愛選手の涙は、印象深い
シーンのひとつだろう。「泣き虫愛ちゃん」 が成長の跡を
示して手にした 「涙の銅」 の輝きは、金にも劣らないように
感じられた。選手たちの涙には、人生を懸けた重みがある。
そんな姿を前にしてインタビューするアナウンサーにも涙あり、
目元をぬぐう光景あり。報道は冷静にすべきだが、こらえ
切れないのはやむを得まい。

リオ五輪で日本勢はメダル41個と大活躍した。
練習は裏切らない。苦しんだ分だけ、喜びも大きい。
アスリートたちの戦う姿から私たちも何かを得られた。
涙腺の緩んだ目に、最後まで焼き付けたリオ五輪。
喜びや涙とともに今度は、もう一つのオリンピック、
「パラリンピック」 で選手たちの活躍を願う。

オリンピックは記録がのこり、
    パラリンピックは記憶にのこる


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「歴史から何を学ぶべきか」


人の記憶というものはどんどん薄れてゆくものだ。
世の中もまたしかりで、時代とともに価値観も変わり、
大切なものも変わってゆく。
殊に記憶は変質しやすく、おおむね人の記憶は
「自分の都合の良い」 ものに変化してしまうもので、
都合よく少しずつ記憶をゆがめるうちに、最後には
事実とは正反対となって定着したりもする。

これが個人的なことであれば笑い話で済んだり、
訂正したりすることもできるが、国家間というような
大きな単位になるとそう簡単にいかない。
「先の戦争」 のことも 「聞かない」 「教えない」 で
やってきたツケで日本の青少年はあの戦争が
なぜ起きて、何が起こり、結果どうなったかを
ほとんど知らない。

広島、長崎の原爆忌がいつなのかさえ若者の
8割近くは知らないという。「終戦記念日」 というが、
日本がポツダム宣言の受諾を国民に表明したのが
8月15日であって証印したのは9月2日だから、
他の戦争当事国にとっての終戦は9月2日か
翌日の3日になる。

私は 「終戦記念日」 という言い方に違和感を抱く。
これは 「終戦」 ではなく 「敗戦記念日」 と記憶
すべきではないか、と。「戦いに負けた」 のである。
負けたから何もかもごめんなさい、あるいはハイ
終わりました、では無責任だろう。
なぜ防げず、なぜ始まり、なぜそういう結果に
なったのか学ばなければ過ちが繰り返される
おそれがある。何のための記念日なのかを
きちんと学ばなければ記憶がゆがむ。

天皇の口から敗戦を聞いた8月15日、人々は
虚脱感に陥ったという。しかし次の日には戦いを
やめて再生に動き出したようだ。戦争に勝者も
敗者もないが、心の中で時計の針を止めて、戦災の
悲惨さに思いを巡らし、平和の尊さをかみしめたい。
世代が変わっても、語り継ぐ使命は時がたつほどに重い。
71回目の夏も過ぎてゆく。
でも毎年、8月はやはり平和を考える月にしたい。

   過ち記憶し学ぶべき


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ルノワール展  
オルセー美術館 ・ オランジュリー美術館所蔵

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ニュヨークへ行っていた関係で、無理かなと思っていた 「ルノワー
ル展」。夏休みに入ると、さらに混雑が予想されるだろうと思い行っ
てきました。印象派といえばやはりルノアールを外すわけにはいき
ません。 娘は友だちと出掛け、久しぶりにかみさんと二人で絵画
鑑賞と洒落込んでのデートです。うふ 

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「新国立美術館」
東京 ・ 六本木にある美術館で、日本で5館目の国立美術館として、
2007年 (平成19年) に開館しました。東京大学生産技術研究所
跡地 (さらに元をたどれば旧日本陸軍歩兵第3連隊駐屯地の跡地)
に建設された美術館です。歴代の館長はすべて文部官僚からの天
下り何ですよね。コンセプトを 「森の中の美術館」 としており、設立
目的を展覧会の開催、情報収集およびその公開、教育普及として
います。館内にはミュージアムショップ、レストラン、カフェなどが
併設されています。黒川紀章設計の美術館としては最後とか。

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世界でも有数のルノワール・コレクションを誇るオルセー美術館と
オランジュリー美術館が所蔵する100点超の絵画や彫刻、貴重な
資料を展示。 画家、ピエール ・ オーギュスト ・ ルノワール (1841
-1919年) の全貌に迫ります。 中でもルノワールの最高傑作とさ
れる 《ムーラン ・ ド ・ ラ ・ ギャレットの舞踏会》 は日本で初めての
展示となります。幸福に身を委ねる人々、揺れる木漏れ日、踊る筆
触ーー。本物のルノワールに出会うまたとない機会で楽しみでした。

「ルノワール展 (オルセー美術館 ・ オランジュリー美術館所蔵)」 
会期    :  2016年4月27日~8月22日
場所    :  国立新美術館 
開館時間 :  10時~18時 (金曜は20時まで)
料金    :  一般 1,600円 大学生 1,200円 高校生 800円

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オルセー美術館コレクションの中核をなす作品としてこれまでなか
なか館外に出ることはなかったが、今展開催にあたってオルセー、
オランジュリー両美術館の全面的な協力により日本への貸し出し
が実現。加えて、マティスが 「最高傑作」 と称えた最晩年の 《浴女
たち》 も初来日するほか、対の作品として描かれた 《田舎のダン
ス》 と 《都会のダンス》 が45年ぶりに揃って出品されるようです。
《ピアノを弾く少女たち》 と 《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ
・ ルロル》 など、オルセー美術館と姉妹館のオランジュリー美術館
の共催による、パリでも実現不可能な競演も見どころでしょうか。

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新国立美術館へのアクセスは、東京メトロ千代田線乃木坂駅 から
美術館の西入口へ直結するこちらからが便利です。最近は掲示板
も凝っていて、否応にも心弾みながら入口へと進む方が多いです。

ルノワール (1841―1919) の本名は、ピエール ・ オーギュスト
・ルノワールと言います。フランス中西部のリモージュで生まれ、幼い
時にパリに移り住みました。父の勧めもあって、若干13歳で磁器絵
付け職人を目指して修行を開始しましたが、産業革命の波には勝て
ず、あえなく失職。絵付け修行中に、同僚から 「小ルーベンス」 とあ
だ名されるほど抜きん出た才能があったため、20歳頃から画家を目
指すようになります。 スイス人画家シャルル ・ グレールの主催する
画塾で学ぶうちに、その塾にて、後の印象派の主要プレーヤーとな
るモネやシスレーと出会い、以後、長い長い画家生活へと入りました。

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第1 章 「印象派へ向かって」
国立美術学校や私設のアトリエで絵画を学んだルノワールは、
モネやシスレーと出会い、印象派の手法を探求していきます。
画家の出発点を示す最初期の作品の紹介でした。

「猫と少年」   1868年  (左)
最初に、こちらに向けた細身で柔らかそうなおしりが目に飛び
込んできました。 しかも一糸まとわぬなんと無防備なヌード。
ショートカットの少女? と思ったら男の子でした。少年が前向
きに寄りかかり、猫が乗っかっているものはなんだろうか? 
私の目には背の高い 「こたつ」 にしか見えませんでした。(笑)
猫の尾が少年の左手首に巻き付くでもなく重なり、裸にワンポイ
ントのアクセサリーは妙に人をドギマギさせます。黒と濃緑が基
調になっていて、全体にペタンとした色調はやはりマネに習った
ものでしょうか。 初期の作品は、全体的にこんな感じだったん
だろうなと思いました。

「陽光のなかの裸婦
    (エチュード、トルソ、光の効果)」  
1876年頃   (右)
駆け出しの頃に描き、第2 回印象派展に出した作品。背景にある
木々の緑は殴り書きのような激しい筆致で、未完成かと思うほどで
した。木漏れ日と色で表現した影のせいで、肌の上にまだらに置
かれた緑と紫が 「腐敗した肉体」 という評論を始め、多くの批評家
たちから酷評されたという。よく見ると自然な色遣いに見えたので
すが、「緑や紫の色斑」 と言われると、「ああ、そう見れば見えない
こともないね」 と思う。当時の人達にとって、この色の表現の仕方
は突拍子もなかったんだろうなぁと想像します。それだけ革新的
で、みんなを驚かせたということなのだから、アーティストには
最高の褒め言葉かもしれない。

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第2 章  「私は人物画家だ」 : 肖像画の制作
早い時期から 「人物画家」 であると自負していたルノワール。人物画
家として頭角を現し、その名を知られていきます。モンマルトルの若い
労働者から社交界の有名人まで、さまざまな人をモデルに描きました。

「クロード ・ モネ] 1875年  (左)
モネとルノワールは1860 年代初頭に出会い、印象派時代の仲間と
して、その友情は生涯続きました。印象派を代表する画家であり良き
友人でもあったクロード ・ モネが絵筆と調色板 (パレット) を手に持ち
ながら画架の前に立つ姿を描いた肖像画作品です。モネが身に着
ける黒い衣服 (仕事着) や帽子、頬から顎にかけて蓄えられた髭や
頭髪は、大きな窓から差し込む柔らかな陽光に包まれた背景の中で
逆光気味に浮かび上がっている感じがしました。友人モネをモデルと
した作品を数点手がけていたことが知られています。
「読書する少女」  1874-1876年   (右)
モデルは、1870年代半ばの作品に多く登場する、モンマルトル出身
の少女マルゴ。ルノワールのお気に入りのモデルだったようです。彼女
が若くして命を落としたとき、ルノワールは嘆き悲しんだという。繊細に
重ねられた色彩が、光を浴びた少女のぷっくりとした柔かな頬や唇を
浮き彫りにして、大人っぽく見えます。この絵に登場した時のマルゴ
は大人になりかけた、でも、あどけなさが残る不思議な魅力を持った
少女だったのかもしれない。読書する姿っに、しばし眺めていました。

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ガラス壁により館内は明るく、巨大な逆円錐の最上部に広がる
空中レストランがあります。一度も入ったことはありません。六本木
方面から美術館へ行く方も結構多いのですが、地下鉄千代田線
の乃木坂駅より直結なので、こちらが交通の便は良いです。

ルノワールは印象派の大家ではありますが、生涯を通じて細かく
画風を変化させています。1860年代、70年代、80年代、90年
代以降では、それぞれ微妙に画風が違っていますが、今回の展
示会ではそのあたりもたっぷり見比べられます。

第3 章  「風景画家の手技 (メチエ)」
人物画家としてのイメージの強いルノワールですが、実は風景画
も数多く手がけました。戸外にカンバスを立て、移ろう自然の光を
とらえています。特に1870年代には、油彩作品の4 分の1 を
風景が占めています。

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「イギリス種の梨の木」  1873年頃   (左)
この作品は、近年オルセー美術館のコレクションに加わったものだ
そうで、それまで展示されたことが無く、白黒の複製図案でしかその
存在が知られていなかったという作品です。絵としては、ピンボケの
画像のような柔らかさが優しい日常の一日を表した逸品ですが、ど
ことなく迷いを感じさせます。後年のルノワールは、印象派の技法と
理念に行き詰まりを感じていたそうですが、木々の葉が揺らめいて
木陰で昼寝したいよう な感じです。

「草原の坂道」  1875年頃    (右)
麦わら帽子をかぶった子どもを連れて、日傘をさした女性が坂道を
下っています。黄色味を帯びた画面の中で見事なアクセントとして
効果を発揮している感じです。ルノワールは 「風景画なら、その中
を散歩したくなるような絵画が好きです」 と語っていました。人物画
家のイメージが強いルノワールですが、風景画の人気も高く、画家
のさまざまな魅力に触れたいという意向がうかがえます。上部中央
に糸杉かモミの木か、高い木がすっと立ち、視線を自然と引き寄せ
るようでした。これもルノアールの絵? と思わせる一枚でした。

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美術館前庭のベンチ付近にも掲示板が設置されています。駅等
にあるポスターも良いですが、このようなポスターも良いものです。

印象派の巨匠 ・ ルノアールの100点以上もの作品を一挙に鑑賞
できるなんて、まるで夢のよう! 中でも、最高傑作といわれる 「ム
ーラン ・ ド ・ ラ ・ ギャレットの舞踏会」 は初来日だというから、ファ
ンならずとも一見の価値あり。2 点揃うのが45 年ぶりとい う 「田舎
のダンス」 と 「都会のダンス」 ほかの名画の数々に、“ 本物 ” に
しかない魅力と迫力をダイレクトに感じられるはずです。

第4 章  「“現代生活” を描く」
今展の最大の見どころは、19世紀のパリで流行したダンスホール
のにぎわいを描いた 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」 です。
このほかにも郊外の舟遊びや流行のファッションなど、ルノワール
は “現代生活” を楽しむ庶民の幸せな日常をカンバスにとどめま
した。

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「ぶらんこ」  1876年   (左)
当時ルノワールが借りていたモンマルトルのアトリエ裏手の並木で、
「ぶらんこ」 を挟んでの談笑風景。 流行のドレスに身を包んだ娘が、
木漏れ日の下、男性と楽しげにおしゃべりしています。 紫がかった
青い影と、木漏れ日が織りなす美しい日常のひとこま。 「絵画は明
るくて、楽しくて美しいものであるべきだ」。その言葉のとおり、幸福
感に満ち満ちた1 枚ですね。ブランコはないとしても、せめて木漏
れ日の下を散歩するくらいの余裕を持ちたい。この点描表現の先
駆とも言える独特の表現は、当時ルノワールが追い求めていた表
現の典型例のひとつであったようです。

「アルフォンシーヌ ・ フルネーズ」  1879年   (右)
遠方にセーヌ川を望むテラスに座るのは、パリ郊外の行楽地シャト
ゥーに今も残るレストラン “フルネーズ” の主人の娘。女の白いドレ
スやテーブルクロス、ナプキンが、陽光を浴びて輝いて見えます。
精妙な色合いと、淡く軽やかなタッチによるやわらかな質感を感じ
ます。「フルネーズ」 とは、レストランの名前で、ルノワールを始め、
印象派の画家たちが好んで訪れたので 「印象派の島」 として今
でも有名です。ちなみにルノワールが愛妻アリーヌ ・ シャリゴに
初めて逢ったのもこのレストランで、《舟遊びをする人々の昼食》
にはそのときの愛妻の姿も描かれています。

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「ムーラン ・ ド ・ ラ ・ ギャレットの舞踏会」  1876年
ルノワールが手がけた、最も世に知られる印象主義時代の傑作の
ひとつ。題名の 「ムーラン・ド・ラ・ギャラット」 とは、パリのモンマル
トルに実際にあるダンスホールの名前で、描かれている人物は彼
の友人たち。 庶民の社交場での人生の喜びを鮮やか、かつ華や
かに画面いっぱいに表現されています。陽光の下での人物を描き、
木々の間から差し込む木漏れ日の描写が秀逸です。それにより楽
しく、陽気な雰囲気が見事に表現されている感じがします。母親が
働いているあいだ一人きりになる子どもたちを見て託児所を作ろう
と思い立ったルノワールは、ムーラン・ド・ラ・ギャレットで資金を募
るための仮装舞踏会を催したそうです。我が家に欲しい1 枚です。

まるで見る者に音楽や笑い声が溢れ出すように聞こえてきそうな、
とてもにぎやかな光景が描かれています。かつてこのキャンバスに
触れたルノワールと、そこにいた夫人、そして息子と、遥か遠く一万
キロも離れた極東の地、平成の日本でこれを目の前にしている私達
とが、まるでその瞬間を共有しているような気持ちになり、そんなこと
を想像していたら、「あぁ、この作品は、なんて幸せな一時なのだろう」
と、なんだか胸があつくなってとても感動しました。1875年の発表当
時も大きな話題を呼んだそうですが、140年経った今も、引き寄せら
れるように、この絵の前には凄い人だかりでした。

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皇太子ご一家も鑑賞したという 「ルノワール展」。
「ムーラン ・ ド ・ ギャレッド」 とは店の名前で、ムーラン=風車、ギャ
レッド=焼菓子と言う意味なんだそうです。改装された風車小屋を
ダンスホールとして使い、そこで焼き菓子やお酒が振舞われていた
ようです。幸せな明るい雰囲気の作品を描き続けたルノワールです
が、彼自身の人生はどうだったのでしょうか。

明るい作風の作品を多く描いている中でも、戦争があったり、病気が
あったりと波瀾万丈でした。 戦争で親友画家バジールを失い、我が息
子も第一次世界大戦で負傷、ルノワール自身もドイツ軍に作品を奪わ
れそうになるなどの危機もあったそうです。さらに晩年にはリウマチに
悩まされながらも、必死に制作活動は続けていたと言います。それで
もずっと明るい雰囲気の作品を描き続けたルノワール。それは今も尚、
この時代にまでも華やかな雰囲気をもたらしてくれて、幸せな気分を
私たちに与えてくれています。

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ルノワールが光の効果を重んじ形状の正確性を失った純粋な印象
主義に疑問を抱き始め、古典主義へと傾倒していった時代に制作
された代表作 ≪ダンス三部作≫ の二枚。45年ぶりに揃って来日。

「都会のダンス」  1883年 (左)
優雅で洗練された雰囲気、上質なシルク地を思わせるハイセンスな
本繻子のドレスを纏い、澄ました表情や慣れた仕草は、喧騒とは程
遠い都会的で上品な印象を観る者に与えてくれます。シルクの夜会
服を纏う美しい女性はシュザンヌ ・ ヴァラドン。後に画家ユトリロの母
となり、自身も画家となりました。女性の肌は陶器のようになめらかで、
絹のドレスの光沢感もリアルに表現されている感じです。 チョンチョン
と素早い筆遣いで描く印象派の技法から脱して、古典的な手法で描
いているようで、印象派をも超える表現へ進もうとしていたルノワール
の意欲が伺えます。

「田舎のダンス」  1883年 (右)
戸外のダンスホールで踊る男女が、臨場感たっぷりに描かれています。
女性のモデルは、ルノワールの妻となるアリーヌです。『都会のダンス』
とは対照的に、気楽で田舎的ながら、どこか心を許してしまえるような
安心感や幸福感を与えてくれます。当初は、この両作品ともシュザンヌ
がモデルを務める予定でしたが、アリーヌの嫉妬により 「田舎のダンス」
のモデルはアリーヌになったとか。二人に心惹かれ、ぞれに感じていた
人物像や抱いていた想いが表現されているのようにも見えますね。

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波打つガラス壁が幻想的な空間を演出し、二階の壁面には木材を
貼り付け安らぎと暖かさを感じる空間。吹き抜けを介して1Fロビー。

《ムーラン ・ ド ・ ラ ・ ギャレットの舞踏会》 の向かいに都会と田舎の
ダンスが並んで展示されてました。3点だけを飾った部屋は、真ん中
にソファが置かれ、座ったまま絵に見入る嬉しそうな観客もいて、ゆっ
たりと見ることができました。人々のざわめき、健やかな華やぎが画面
から立ち上るようで・・・・やっぱり3点ともステキでした。19世紀当時の
パリの人々の人生を楽しんでいる様子が生き生きと伝わってきます。
作品を通して、ルノワールが生きた時代を垣間見られるのも興味深い
ですね。

第5章  「絵の労働者」 : ルノワールのデッサン
ルノワールは、印象を描きとめ、構成を練り、新しいアイデアを試すた
めのデッサンにも熱心に取り組みました。 また若い頃、磁器の絵付け
職人として腕を磨いた彼は、画家になっても地道な修練をおろそかに
しませんでした。デッサンには画家の試行錯誤の跡が隠されています。
普段は見る機会の少ないルノワールのデッサンを紹介しています。

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「座る裸婦 ・ あるいは身づくろい」  1890年頃   (左)
ルノワールは日常の営みに没頭する裸婦のスケッチを数多く描いて
います。1880年以降、古典的伝統に関心を示すようになったルノワ
ールにとって、裸婦は恰好のモティーフでした。このデッサンは、彼
が敬愛する18世紀ロココの画家も多用した、赤くやわらかな素材サ
ンギーヌで描かれています。こういう作品はちょっと意外でした。

「浴女 (左向きに座り腕を拭く裸婦)」  1900~02年頃  (右)
ルノワールの婦人像、裸婦像のデッサンを眺めながら会場を進んで
いると、妙にシャープな印象の裸婦像が目についたのがこの作品。
画家にとっては本格的な作品のために描く素描の目的は明確に違
いないが、素描に描かれなかった部分をその作品の 「余剰」 として
受け取ることができます。余剰がどんなものかを具体的に想像する
わけではないが、素描から始まる情感の広がり、その豊かさが味わ
えるような気がします。

第6 章  「子どもたち」
ルノワールにとって、子どもは重要なモチーフでした。子どもを描い
た作品には、注文に応えたものと、3 人の息子ピエール、ジャン、
クロードをモデルに自発的に描いた作品という、2 種類があります。
自身の3人の息子たちを愛情を込めて描いています。

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「道化師 (コ コの肖像)」  1909年   (左)
ココの愛称で呼ばれた三男クロードをモデルにした作品です。
道化師のような赤い服を着て、愛らしい表情を浮かべています。
自分の息子を描くというのはそれだけで特別な作品だと思うので
すが、これを描いた当時、ルノワールはリュウマチに苦しめられて
いて、滑車を使った器具で腕の上げ下ろしをしながら描き上げた
と知って、更にグッときました。作品を見ながらルノワールの父親
としての気持ちを色々想像してしまいます。温かみと深い情愛に
溢れた眼差しは、正しく父親ならではのものですね。

「ジュリー ・ マネ あるいは猫を抱く子ども」  1887年  (右)
猫を抱いている少女は、女性画家ベルト ・ モリゾと画家マネの弟
の一人娘のようです。早くに両親を亡くしたジュリーは 「印象派の
おじさんたち」 に守られて育ちました。慈しみと優しさを感じるこの
作品から、ルノワールがこの娘をどう感じていたのか、 想像すると
楽しい。 凛とした気品を感じさせ、わずか9歳とはとても思えない
ような雰囲気を漂わせています。 それにしても顔が丸いなあ~と
いう印象が強烈なのですが、猫の表情がとても幸せそうに笑って
いるように見え、めちゃくちゃ可愛い。この絵は印象派のおじさん
たちがいて、なによりも両親がいた。 まさに幸福な子ども時代の
思い出そのものだったのでしょう。 ジュリーは生涯この絵を手放
すことがありませんでした。癒される絵の一枚でした。

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「母性あるいは乳飲み子 (ルノワール夫人と息子ピエール)」 1885年
お乳をあげている女性は、ルノワール自身が生涯愛した奥さんです。
今回の目玉作品でもある 「田舎のダンス」 で踊っている女性と同じ。
そしてこの子どもは二人が授かった長男坊だそうです。 この作品を
皮切りに、ルノワールは息子をモデルにした作品を次々と手がけて
いきます。印象派の作風から離れ、明確な輪郭線を持っているのが
特徴です。見るとほのぼのとした気分になれます。赤ちゃんのむち
むちしたお尻と足に触りたくなります。幸せの姿が、ここに描かれて
いますね。

「ガブリエルとジャン」  1895年 (右)
仲良く遊ぶ二人はルノワール家の子守をしているガブリエルと二男
のジャンです。ガブリエルはこの頃16 歳といいますが、立派な母親
という感じです。ガブリエルはジャンが成人するまで子守を続けモデ
ルも務めました。ルノワールが没した後、ジャンはガブリエルの結婚
の世話までしたと言いますから、自身が育てて貰ったことについて、
余程感謝していたのでしょう。チーズピザをびよーんと伸ばしている
? などと思って近づいてよく見たら、あれ~れ。ガブリエルが持って
いるのは、あきらかに馬のおもちゃじゃん・・・と、勘違いでした。(笑)
次男のジャンは後に映画監督になりました。

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美術鑑賞した後は、決まってコーヒータイムで立ち寄るのが 「カフ
ェ ・コキーユ (貝 ・ 仏語)」 です。アートを楽しむ方、偶然立ち寄っ
た方など、さまざまな人々が行き交う「出会い」の場所。待ち合わせ
はもちろん、館内を巡った後の休憩など、気軽に立ち寄れるエント
ランスカフェです。ちょっとした時間の合間にドリンクや軽食をしな
がらくつろぐ語らいの場所です。

第7 章  「花の絵のように美しい」
かつてルノワールは、ドラクロワによる戦闘図を目にして 「花の絵
のように美しい」 と称えました。彼にとって花の絵は美の基準だっ
たようです。花を描くとき、私は1 枚のカンヴァスを失うことを恐れ
ずに、さまざまな色調を置き、色を大胆に試みます。こうした試行
錯誤から得られた経験を、他の絵に応用するのですと、ルノワー
ルは語ります。

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「桟敷席に置かれたブーケ」 1880年頃 (左)
劇場の桟敷席に置かれたブーケ。さりげなく置かれた淡いピンクの
バラの花束が美しい。持っていたのは若い女性でしょうか。ほんの
り薄暗い中にも光と影のコントラストが色っぽさも醸し出していて、
そっと語りかけてくるよう。 舞台が始まる前よね? 男性が女性に
プレゼントするのかしら。 それとも舞台に出演する女優さんへの贈
り物かしら。 こんな素敵なお花をもらって一緒に舞台を観るなんて
嬉しいだろうなぁと、かみさんは独り言。(笑) 人物が描かれていな
い分、想像力をかきたてられます。この絵の前には全然人がいなく
て、ずいぶん長い時間二人きりでした。うふ  静かな絵だけれど
一気にハートを鷲掴みにされました。ドラマが感じられる一枚です。

「グラジオラス」  1885年頃 (右)
印象派を乗り越え、古典的な形態把握を目指していた頃で、長男
ピエールを取り上げた医師に贈られた作品という。透明な花瓶に
活けられたグラジオラス、バラ、ダリアの茎まで詳細に描かれて、
優しくて、この桟敷に誰が誰のために花を置いたのか、これから
何が始まるの? とか、様々に想像力を掻き立てさせてくれます。

8 章 「ピアノを弾く少女たちの周辺」
ルノワールはピアノを弾く少女のモチーフをたびたび描きました。
その一つ、《ピアノを弾く少女たち》 が国家に買い上げられたことで、
画家としての地位を確立します。当時の現代美術館ともいうべきリュ
クサンブール美術館が1892 年に購入した、最初の絵画です。中産
階級の娘を描いたこの時期の作品には、理想化された構図と、調和
のとれた色彩が特徴的です。

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     「ピアノを弾く少女たち」  1892年
ルノワールが初めて国の依頼を受けて描いた作品。
美術の教科書の表紙にもなっているくらいで、ルノワールの作品
の中では最も有名なものの一つ。 少年時代に聖歌隊に入ってい
たというルノワール。 音楽に親しみ、有名音楽家などとの交流も
深かったそうで、彼の絵画には音楽と共にある作品も多いのです。

二人の少女がピアノに向かい楽譜を読む姿が描かれ、少女の愛
らしい表情や頭髪、衣服の動き、柔らかい肌の質感などの描写は、
まさに 「愛でる」 「安らぎ」 「ぬくもり」 「家庭的」 などという言葉が
相応しい絶妙な雰囲気を醸している感じです。主対象である人物
とピアノや楽譜、家具など、その動作、室内空間がひとつとなって
溶け合うかのような効果も生み出しています。家族の集うリビング
などに飾るのにぴったりの一枚です。 ピアノの ”音” までが聴こ
えてきそうな絵でした。

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「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ ・ ルロル」 1897-1898年頃
ルノワールのほかドガやモリゾなどとも交友のあった、画家であり
収集家としても知られていたアンリ ・ ルロルの二人の娘イヴォンヌ
とクリスティーヌをモデルに、当時裕福な富裕層の間で流行してい
た ≪ピアノ≫ を弾く姿を描いた作品。2 人のドレスの赤と白のコン
トラストが印象的です。美術収集家にして音楽愛好者でもあるルロ
ルの暮らしぶりが伝わってくるようです。背後の薄黄緑色の壁に飾
られる踊り子と競馬を描いた二枚の絵画はアンリ・ルロルが購入し
たドガの作品で、ルノワールは画面内にドガの作品を描き込むこと
によって、友人ドガへの友情を表している様にも感じます。

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東京メトロ千代田線乃木坂駅から美術館への通路に展示されて
いたポスター。つい立ち止まって見てしまいたくなります。

自分としては、南仏カーニュの自宅にて裸婦の戯れる理想郷的な
絵画を描いていた最晩年の作品群に一番心惹かれます。昨年の
モネ展や、今年の安田靫彦展もそうでしたが、画家の最晩年の作
品って、細かい技法は捨象され、抽象的で、辿り着いた自己表現
の極みみたいな凄みが感じられるんですよね。たった1 日で世界
的にも有名な名画の数々を観ることができる貴重なチャンスです。

第9 章 「身近な人たちの絵と肖像画」
身近な人たちを好んでモデルにしたルノワール。晩年は特に、
息子の乳母や信頼を寄せる画商ら、ごく親しい人たちを中心に描く
ようになります。触覚的で愛撫するような絵筆は、親密な感情ととも
に、肌の色合いや衣服の質感を描き出す画家の喜びを伝えてい
ます。ルノワールは生涯を通じて、注文に応え、身の周りからモデ
ルを見つけ出す、熱心な肖像画家でした。

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「薔薇を持つガブリエル」  1911年 (左)
画面全体から芳醇な香りが漂い、どっしりとした安定感とバラ色の肌
はルノワールならではのものです。そして、彼女の腕のたくましさ、頬
の赤さは、土の香りと包み込むような温かさを伝えているようです。
ガブリエルは、乳母としてルノワール家の家事手伝いとして、なくては
ならない存在となっていました。ルノワールの信頼と感謝は大きなもの
だったことでしょう。ガブリエルへの感謝も込めて、夢の中に咲くような
美しい薔薇を2 輪、作品の中のあでやかな彼女にプレゼントしたのか
もしれませんね。この 「堂々とした存在感」 は、遺作となる 「浴女たち」
へも継続されます。そして、40 歳年下のピカソにも影響を与えました。

「ジョス ・ ベルネーム=ジュヌ夫人と息子アンリ」  1910年 (右)
ルノワールを支えた画商ジョス・ベルネーム=ジュヌの妻と息子がモデ
ルです。黒のドレスをまとう夫人は優しいほほ笑みを浮かべていて、画
家への親愛の情が感じられます。ルノワールの作品の中には 「あれっ
?」 と思わせるような作品も少なくないのですが、この絵はちょっぴりと
格調高い感じです。画家が晩年を過ごした南仏のカーニュで描かれた。

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第10 章  裸婦、「芸術に不可欠な形式のひとつ」
ルノワールが伝統的な画題である裸婦に積極的に取り組むように
なるのは、晩年になってからです。悪化するリウマチ、第1 次世界
大戦に従軍した息子たちの負傷、妻アリーヌの死に直面しながら、
「最善を尽くしきるまでは死ぬわけにいかない」 と、裸婦の大作に
挑み続けました。画業の最後にたどり着いたのは、豊満な肉体と
バラ色の肌を持つ裸婦像でした。

「大きな裸婦 あるいはクッションにもたれる裸婦」  1907年 (上)
豊満な肉体をくねらせて、気だるい雰囲気でベッドに横たわる裸婦。
ルノワールの持病であったリュウマチ性関節炎や顔面神経痛が悪
化し、体調が著しく衰えていた頃の晩年期を代表する裸婦作品の
ひとつです。横長の画面の中央へ配された僅かな白布を股に挟み
ながら横たわる裸婦は、緊張の色をまるで感じさせない非常に自然
体な姿態で描かれており、観る者に柔らかな安心感を与えてくれる。

「横たわる裸婦 (ガブリエル)」  1906年頃  (下)
横たわる裸婦という主題は、ルノワールが敬愛していたティツィアー
ノにまで遡り、19世紀には、アングルやマネがそれを再解釈した作品
を残しています。東洋趣味の背景に裸婦を描 く「オダリスク」 の主題
も流行しましたが、ルノワールはそういった要素は暗示するだけにと
どめて、カーニュのアトリエに設えられたベッドに寝そべる、気だるげ
で官能的な裸婦を描きました。ご存知ガブリエルがモデルです。

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「浴女たち」  1918-1919年  
この大作はルノワールの人生における最後の数か月に制作され
ました。リウマチで動かなくなった手に括り付けられた絵筆は、その
苦闘を思わせないほど軽やかに、豊かな緑と薔薇色の裸婦を描き
出しています。晩年の彼と親交のあったマティスは本作を 「最高傑
作」 と称え、ルノワール自身も 「ルーベンスだって、これには満足し
ただろう」 と語ったとされています。

念願だった 「浴女たち」 の展示。ルノワール展の最後に飾られてい
ました。これ、ほんとうに死に際に書いたもの?と思うほど、明るい絵。
歳をとり死へと向かっている時って、マイナスの感情から暗い絵とか
が生み出されるものなのかなーと、漠然と考えていたわけですが、
この絵は全く違った。生き生きとしており、生命力が感じられます。
この絵をもって展示は終わりということもあり、すぐには離れたく
ないような思いが・・・・、しばらく魅入っちゃいましたね。

CC19529.jpg
優しい色彩と柔らかな光の世界。
ルノワールの作品は光の表現に一貫性があるので、すぐ 「ルノワ
ールだ」 と分かるものが多いんですが、初期のそれっぽくない作
品も複数あり、興味深かったです。ルノワールの絵画は、もれなく
安らぎと幸せをくれます。素敵な絵画の数々とともに過ごす時間。
タイムスリップして、古のフランスを旅してきたようでした。何百年
もの時を経て、いいと言われる作品って改めて素晴らしいですね。
平然とこともなげに美しさを見せてくれているものに私たちは簡単
に 「 いいね!」 なんて言ってるけれど、それが生まれるまでのす
ごい奥行きや信念があって敬意というか、畏敬の念を覚えます。
心揺さぶられる、とても豊かな時を持てました。

国立新美術館には9月にはダリが来るし、10月には上野の森美
術館で、 デトロイト美術館展があってモネ、ルノワール、ゴッホ、
マティス、セザンヌ、ピカソなどの印象派画家が集結するし、東京
都美術館にはゴッホとゴーギャンが来る。もう、うれしすぎる今年
の秋。ワクワクの芸術の秋になりそうです。





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