一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「遠くを見てリラックス」

...2016/02/07 08:54...

2月 (如月)
年が明けて早くも1ヶ月が終わってしまいましたね。
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」 という言葉
があるように、2月もあっと言う間に過ぎていくのかも
しれません。でもご安心ください、今年は4年に一度
のうるう年ということで、いつもより1日多いのです。 
2月29日があります。何だか得した気分。毎日忙しい
というそんなあなたも、少しだけ余裕ができそうですよ。

それにしても今年は新年早々から、次から次へと
びくりポンな出来事が起こっています。 今度は、元プロ
野球選手の清原和博容疑者が覚醒剤を所持していた
として、覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕されました。
人気の野球選手でしたが、すでに引退した人とはいえ、
ファンや仲間を裏切った代償は大きい訳で、あらゆる
方面への償いを終える事を切に願うものです。

そんな中、こんな事もありました。
友人と食事をして店を出たら、後ろから息せいて 「お客さん」
と声をかけてくる若い女の子の姿。 さっき食事をした時の
接待係りの人でした。 「マフラーお持ちしました」。ずいぶん
走ってきたのでしょう、息をととのえる余裕もなく、でも笑顔で
マフラーを渡してくれました。忘れ物した友人は大感激でした。

そしてマフラーを受け取り 「ありがとう。ご親切は忘れません」
と友人がお礼を言うと 「雨模様ですのでお足もとお気をつけて
お帰りください」 と言ってくれました。若い人が自然に、こんな
会話ができることもうれしい出来事でした。

親切を受けると世の中の様子が違って見え、人々の行動に
和んだりしてしまうものです。帰りの電車内で学生さんが、
杖をついている年配の方にごく自然に席を譲る姿もあり、
また車内でスマホと睨めっこの多い中、楽しそうに会話を
する女子中学生の様子もやわらかに感じました。

さてさて、そろそろ、短くて長い今日の一日をスタート
させることにしましょう。良い日でありますように・・・・。

Have a nice day
   (よい一日を)


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「遠くを見てリラックス」

最近、街に怒っている人が多い気がする。
駅でぶつかったと怒鳴る人。店の対応に延々と
文句を言う人。最近の子どもは切れやすいと
言われるけれど、起こっているのは結構いい年
をした大人や、子連れの親たちだ。

外出先でトゲトゲした会話や態度に遭遇すると、
自分までもがイライラしてしまって悲しい。
かくいう私も、一時期イライラモード炸裂だった
ことがあるのだが、ある簡単なことに気づいて
からイライラ度が激減した。きっかけは、散歩。

イライラモードに陥っていたある日、もう駄目だ、
と家に持ち帰った会社の仕事を全部やめて近所に
散歩にでかけてみた。家のそばには広い公園がある。
ここを歩いているうちに、イライラがどんどん静まって
いる自分を発見。で、気づいた。理由は散歩そのもの
でなく、ひらけた場所を歩くことで、自然といつもより
遠くを見ながら歩いていることにありそうだ、と。

考えてみれば、忙しない通勤、店での買い物、
子どもの相手、狭い家の中。いつも二、三メートル
先しか見ない生活だ。忙しく家と学校や職場の
往復だけしていると、視界は限りなく狭くなる。
人間にだってなわばり意識はある。自分のなわばり
の距離だけを視界に日々暮らしていれば、そこを荒ら
されれば頭にくるし、細かいことばかりが気になるものだ。

以来、日々に 「遠くを見る」 ことを積極的に取り入れ
ることにした。できれば自然のあるひらけた場所を
歩いてみたけれど、そんな散歩は無理でも、
普段街を歩くときに意識して二、三個先の信号を
見るようにする。いつも見ないマンションの最上階や、
建物の間に見える雲や空に目を向けてみる。

自然と視界が上を向き、胸に空気が入って呼吸が
深くなっていくのがわかる。これ、簡単だけれど本当だ。
いつもの街の中でもちょっと遠くを見るようにすると、
いかに自分が狭い視界で暮らしていたかがわかって
ハットする。遠くを見てリラックス。

一度試してみて下さい。
いろいろと試すことは、ムダではありません。
ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。
人生に無駄というものはないもので、しかし、後にならないと、
その意味がわからないということがたくさんあるのも事実です。


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    湯島聖堂 ( 孔子廟 )

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神田明神へ参拝したその帰りに、ちょうど土・日曜日は 「大成殿」
公開の日だったので、「湯島聖堂」 に立ち寄って来ました。有名な
場所なのですが、意外と都内に住んでいる人や近郊の人も場所
は知っているが行った事は無いとか、受験の時にお守りをもらった
ことが有る程度の人が多いらしい。湯島聖堂は、幾つ かある国内
の孔子廟のなかでも代表的なもののひとつです。

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「仰高門 (ぎょうこうもん)」
湯島聖堂の正門は、「仰高門」 と呼ばれています。
一般見学者用の入り口になる門ですが、西方にあるため気付か
ない方もいます。(上) 通常は駅に近い聖橋からの西門 (下左)
や聖橋門から入構する人が大多数です。湯島聖堂の正門があり、
その 坂を 「相生坂」 (下右) といいます。聖堂入口の仰高門は、
孔子がどんな人物か訪 ねられた弟子が 「先生は仰げば仰ぐほ
ど高さをますすばらしい人です」 と答えたことに由来するという。 
江戸時代、仰高門 ・ 東舎での儒教経典の講義は、仰高門日講
と呼ばれ、武士だけ でなく、町人まで解放されていたようです。

史跡公開    入場無料
公開時間    午前9 時半~午後5 時まで(冬季は4 時)
大成殿公開   200 円 
(土・日曜・祝日に大成殿公開 (午前10時~閉門時間まで)
閉館日      夏季休業 8月13~17日の5日間
年末休業    12月29~31日の3日間

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「孔子銅像 」
仰高門を入って少し先に歩くと楷の木の右横奥に、巨大な孔子の
銅像が立っていました。 昭和50年 (1975) に台北のライオンズ
クラブから寄贈されたもので、高さ4.5メートル、重量は1.5 トン
もあり、孔子の銅像では世界最大のものと言います。韓国や中国
のように、儒教の教えが戒律として信仰されている国の方がもっと
大きな像があってもいいように思えるが、今のところ湯島聖堂の像
が世界一らしい。 孔子という知恵多き方を祀っているだけに神聖
な雰囲気です。やはりここは結界の中にいるような雰囲気で、外部
との空気 (気配) が遮断されている感じがしました。 孔子とは尊称
で、子は先生という意味。

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       【孔子】 (紀元前552年~紀元前479年)
中国の春秋時代の人で儒家の祖。仁の徳による政治を唱えました。
「孔子」 は2500年ほど前、中国の魯の国 (今の山東省曲阜市)
昌平郷に生れ、その教え 「儒学」 は、東洋の人々に大きな影響 を
与えました。儒学に傾倒した徳川5代将軍綱吉は、元禄3年 (1690)
湯島の地に 「湯島聖堂」 を創建、孔子を祀る 「大成殿」 や 「学舎」
を 建て自らも 「論語」 の講釈を行うなど学問を奨励しました。14年
間 にわたって衛、陣、鄭と諸国を放浪。69歳の時に魯に戻り、以降
は 弟子の教育と著述に専念します。弟子の数は3000人にもなった
と いいます。 「論語」 は孔子の言行録をまとめたものです。

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「入徳門 (にゅうとくもん)」
仰高門を入り孔子銅像を通って進んで行き、(下左) 右手に入徳門
が見えてきます。 (上) 「入徳門」 は、切妻造りで宝永元年 (1704)
建造され、その後の大火や関東大震災も焼失を免れてそのまま残
っており、聖堂内では唯一の木造建築物で貴重な文化財となって
います。入徳とは、「初学者が聖人の教えで道徳に入る門」 の意味。
人徳門から石段をのぼって杏壇門を入ると、東西に石畳を敷き詰め
た回廊があり、正面に大成殿があります。 「入徳門」 の扁額は藤原
基輔 (持明院家の人) の筆による。 (下右)

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聖堂境内自体は木立で覆われ、一瞬、都心に居るとは思えない
静寂さを味わいました。 さだまさしさんの歌で 「檸檬」 に出てくる
 あの日、湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて・・・・と、歌った
のが杏壇門前の階段 (上) のことです。日差しの反射で白く 見え
るようです・・・・が、この日は曇り空で反射していませんでした。(笑)
入徳門を潜って右手に手水舎があります。(下右) 階段を上って
見下ろした階段風景です。(下左)

日本では 「儒教」 や 「儒学」 の信仰は特別無いような気もするが、
実際に道徳、価値、行動など生活のかなで、自然に振舞われてい
る行動が、かなり影響されているらしく、日本人の名前によく使われ
る漢字の 「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」 など、儒教の理念を表
す言葉らしいです。

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「杏壇門 (きょうだんもん)」
階段を上り、または西門から入ると、まず目にするのが 「杏壇門」
です。 間口20メートル、奥行4.7メートル、入母屋造り。 杏壇門の
杏壇とは、山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺址のことらしい。
宋の乾興のとき、大成殿を後方に移し、教授堂の跡地を瓦敷きに
して 「壇(高台)」 とし、周囲に杏を植え、そこに門扉が設けられ、
杏壇門の名称が付けられた。昭和10年 (1935) にコンクリート造
で再建されたものです。 杏壇門をくぐると、独特の威圧感がある
黒い立派な大成殿があります。 「杏壇」 に掲げてある扁額の書は、
徳川家達公 (徳川宗家大16代) の筆によるものらしいです。

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杏壇門を入ると大きな 「大成殿」 が目に飛び込んできます。
どれも黒塗りで統一されていて美しさを感じます。孔子をお祀り
している大成殿の前に立つと、なにか圧倒されてしまいます。

「大成殿 (たいせいでん)」
大成殿は、孔子廟の正殿のことを言います。孔子廟は儒学の祖孔子
をまつる廟で、聖廟とも呼ばれています。当初は先聖殿と呼ばれまし
た。(先聖とは孔子のことです) 。その後、湯島に遷った時に、大成殿
に変更されました。孔子の他、顔曽思猛といわれる顔子 ・曽子 ・子思
・ 孟子の四賢人を祀っています。大成殿は江戸の大火や関東大震災
により焼失し、その度に再建されて現在の大成殿は昭和10年に建設
されました。大成殿は間口20m、奥行14mの長方形の建物です。
「大成殿」 の扁額 (下右) は、伏見宮博恭王の筆 (明治から昭和
時代前期の皇族、海軍軍人)。元々は徳川綱吉の筆でした。

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杏壇門から一歩足を踏み入れるとシーンと静寂が訪れ、まるで 異
空間に迷い込んだような気がします。なんだか緊張感があり、 まさに
由緒正しい学問の場所にふさわしい雰囲気です。 お~~! 『黒』
ちょっと、威圧感がある 「黒い廟」 だ。門は日本のお寺でも見るので
さほど違和感はありませんが、大成殿の回廊や中庭は (下) 見事に
中国風です。何だか日本じゃないみたい。そうだ、中国映画の中に
出てくるお堂がこんな感じですよね。

「湯島聖堂」
第五代将軍 ・ 徳川綱吉によって建てられた孔子廟。この孔子廟は、
元々は儒学者 ・ 林羅山の私邸にあったもので、徳川綱吉の肝いり
で湯島の地に移築され、あわせて林家の私塾もこの地へ移転。その
後私塾は幕府直轄の学問所になり、「昌平坂学問所」 と呼ばれ発展
し、明治以降の東京大学や筑波大学などの源流となりました。将軍
職についた綱吉は、学業を重んじ、孔子のおこした儒学を理想とされ
る “仁 (じん) ”、つまり、人を思いやるということを実行しようとしたの
でしょう。それを人だけではなく、生きもの全般に広げて考えたのが
「生類憐みの令」。命を大切にという、当り前の道徳を教えるために
はじめたことでしたが、戦国時代の価値観を引きずってきた江戸の
人々に、命の尊さを広めたのは間違いなく綱吉です。残念なのは
その理想が、まわりの人の解釈によってゆがめられてしまったこと。
それまでの時代にはなかった、生きものを大切にする心が、日本人
の中に根づいたとも言われています。本質的には決して、悪法では
なかったと思いますよね。

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「近代教育発祥の地」 学問所の跡地は、そのほとんどが湯島聖堂
の反対側、現在の東京医科歯科大学 ・ 湯島キャンパスと なってい
ます。

湯島の地に聖堂を創建し、その後およそ100年を経た寛政9年
(1797) 幕府直轄学校として、世に名高い 「昌平坂学問所」 を開設
しました。明治維新により、聖堂は新政府の所管となり、この地に設
立された東京師範学校 (今の筑波大学)、東京女子師範学校 (今
のお茶の水女子大学) などが置かれ、湯島聖堂は維新の一大 変革
に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地とし
ての栄誉を担いました。明治維新後に一時昌平坂学問所は閉鎖され
ますが、やがて他の幕府研究機関などと合併されて、後の東京大学
へと繋がっていったそうでございます。

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大成殿の内部は、土 ・ 日 ・ 祝日のみ公開されていますが、平日
は扉が閉鎖されています。 内部の見学は200円でした。写真撮影
について係の方に尋ねると 「ご自由にどうぞ!」 とのことでした。
孔子を祀るところを孔子廟と言い、別名として孔廟、聖廟、文廟とも
言い、孔子を祀る祭祀を 「釈奠」 というそうです。大成殿内部には、
孔子の聖像が中央の神龕 (厨子) に収められており、左右側面に
は、孔子の高弟たち、四賢人 (孟子、顔子、 曾子、子思) の像が
安置されていました。(下) 

【孟子】 孔子の孫の子思の門人に学び、のち孔子と同じく諸国を
巡り、王道 ・ 儒家の思想を説き、儒家の伝承者をもって任じた。
特に、人間の本性を善とする 「性善説」 が有名です。
【顔子】 孔子同様、貧窮の中で学問を好み、殊に徳行に厚く、
「論語」 の中でも孔子に激賞され、孔子の門人の中でも最も
優れた人物とされる。
【曾子】 顔子同様 「論語」 の中によく登場し、孔子の思想を伝え
るのに最も功績のあった一人。
【子思】 孔子の孫で、孔子の弟子 ・ 曾子に学び、衛に仕えた。

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湯島聖堂ってお寺でもないし、神社でもないし、不思議に思って
いたら、儒教の始祖である孔子を祭っている 「孔子廟」 だったん
ですよね。 「聖堂は 宗旨の知れぬ 手を合わせ」。

孔子は、それまでのシャーマニズムのような原始儒教 (ただし 「儒
教」 という呼称の成立は後世) を体系化し、一つの道徳 ・ 思想に
昇華させました。 その根本義は 「仁」 であり、仁が様々な 場面に
おいて貫徹されることにより、道徳が保たれると説いたといいます。
江戸時代の儒学、なかでも朱子学は、君臣・親子の別をわきまえ、
上下の秩序を重んじる学問であったことから、封建社会の教学と
して重んじられた。寛永7年 (1630) 三代将軍家光は、祖父家康
以来、幕府の侍講であった林羅山に、上野忍ヶ岡に敷地を与え、
学寮 (学問所) と書庫を建てさせたようです。

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大成殿の屋根にある鬼龍子 ・ 鬼犾頭は2代目で、元の 「鬼龍子」
・ 「鬼犾頭」 (上右) が、大成殿の中に展示されていました。 大成
殿屋根の飾り付けで、寛政年間の作。 関東大震災で焼け 落ちた
もののようです。 大成殿内部、孔子を祀る 「釈奠」 前 。(下)

学生時代、いつも 「お静かに・・・」 が口癖だった恩師に聞いた話で
は、儒学というのは、そぼ降る雨のように沁みわたってくる、やさしい
学問なんだという。わたし自身も、そう思いますね。「儒は柔 (じゅう)
なり、濡 (じゅ) なり」 という言葉もあります。儒学は 「柔」 =おだや
かな道を守ることをいい、決して目立ったいさましさを鼓舞したりは
しない。「濡」 (うるおす) とあるごとく、春の雨にぬれて大地が潤い、
緑林が光り輝くように、しみじみ人々の心の襞 (ひだ) に通っていく
教えなんですね。儒学は、やさしく降る雨のような学問だと言って
いました。

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大成殿内に 「宥座の器 (ゆうざのき)」 が展示されていました。
「宥座」 とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の
説いた 「中庸」 ということを教えるものです。 注目です。

壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときは
まっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれて
しまいます。孔子は 「いっぱいに満ちて覆らないものは無い」。 と
慢心や無理を戒めました。入れ足りなくてもダメ、入れ過ぎてもダメ。
ちょうど良い分量の時に、器は水平を保つ。食べ過ぎもせず、 食べ
足りなくもない、腹八分目の状態、すなわち慢心や無理を戒め
「中庸」 を説いた孔子の教えです。

たとえば、夫婦、男女の恋人同士や、職場の人間関係などすべて
にそれはあてはまる気がします。「相手がもっとこうあってくれたらよ
いのに」 と思う気持ち。「何でこんな風にしてくれないのか」 などと
いう気持ちは、同じような事かもしれません。他人の欠点を指摘し、
批判する事はたやすい。それよりも、「他人の欠点我これを補充す
る」 のこころで接してやる事ができれば、どんな人間関係も結果温
かい ものになる。何事も 「足るを知る」 という事ではないだろうか。

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大成殿は、シンプルな建物ですが屋根の四隅の神獣や大棟の両
端の鯱のような飾りに目が行ってしまいます。大成殿の屋上には、
鬼龍子 (きりゅうし)、鬼犾頭 (きぎんとう) と呼ばれる守護獣が置
かれています。 「鬼龍子」 は一種の鯱 (しゃち) 型で、頭を外側
に向けて取り付けられていて、龍頭から鯨のように水を噴き上げ
ています。(上) 想像上の神魚で水の神として火を避け火災を防
ぐ意味があるそうです。 また流れ棟の四隅角に 「聖獣・鬼犾頭」
が鎮座しています。(下) 狛犬に似た姿で、 顔は猫科の動物に
似ており、牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹 ・ 龍腹となっています。
想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという。

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「論語」 は、今から2500年も前中国の春秋時代に,孔子の言葉を
その弟子たちによって書かれたものです。 論語が朝鮮半島を経
由し 日本に伝わったのは、応神天皇 (十五代) または継体天皇
(二十六代) の時代であると言われています。それ以降日本にお
いて 「論語」 が 読み継がれてきました。このように、2500年以上
も前から現在まで 読み告がれていますが、何故こんな古い書物
がいまだに愛読されているのでしょうか? 永く読み継がれてきた
「論語」 は日本人の精神構造に多大な影響を与え、心の故郷と
しての存在を増してきたのかもしれません。人は生きるため必ず
「思いと行いの拠り所」 を何かに求めようとします。人間としての
「生き方を求めますが」 その時に一つの 「光明を」 投げかけて
くれ、道しるべとしてくれるのが 「論語」 なのかもせれませんね。

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【楷樹 (かいじゅ)】
仰高門を入って進むと、敷地内には珍しい 「楷樹」 があります。
「かいのき」 とも言います。 楷は、中国山東省の曲阜市の孔子の
墓所や各地の孔子廟にも植 えられています。 このように孔子と縁
が深く、科挙の進士に合格 したものに楷の笏を送ったことから 「学
問の聖木」 とされています。 枝や葉が整然としているので、書道で
言う 「楷書」 の語源になった とも言われています。日本に到来した
のは大正4年頃で、聖堂に植え られている楷は、「曲阜の樹の正子
に当る聖木である」 と案内板に書かれていました。 (下左) 
石碑は 「孔子銅像建立ノ記」 です。(下右)

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杏壇門の入り口の近くには、「合格」 と書かれた絵馬がたくさん奉
納されています。 学問への御利益を求めて参拝する受験生など
も多く、絵馬やお守りの他、学業成就鉛筆も入手できます。

湯島聖堂は、儒学の聖堂とあって受験シーズンになると合格祈願
のために多くの受験生が訪れます。「学問成就」 「合格祈願」 をし
た後は、「合格祈願の鉛筆」 (上右) を購入する受験生の姿も多く
見受けます。受験生ではない私は、場違いに 「健康祈願」 をして
しまいました。(笑) 湯島聖堂の絵馬は、通常の絵馬と違い 「合わ
せ絵馬」 (下右) といって、二枚の絵馬を表側が外側になるように
重ねたもので、それらの内側の面に祈願する事柄を書き込んでか
ら紐でしばって絵馬置き場にかけます。これにより、他人に見られ
ることなく、学問の神様だけに心からお願いをすることができるとい
うわけです。こんなところに孔子の教えが生かされているんですね。

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子曰く、の出だしで始まる 「論語」。一度くらい、どこかで聞 かれた
ことがあると思います。ちょっとだけ有名な一節を紹介してみます。

子曰、「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑
はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順 (したが) ふ。七十
にして心の欲する所に従へども、矩 (のり) を踰 (こ) えず」 と続き
ます。 孔子が一生を回顧して、その人間形成の過程を述べたもの
です。「私は十五歳のとき学問に志を立てた。三十歳になって、そ
の基礎ができて自立できるようになった。四十歳になると、心に迷う
ことがなくなった。五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚
できた。六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解でき
るようになった。七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのまま
やっても、人の道を踏みはずすことがなくなった」 ということでしょうか。

わたしもここ数年は、孔子の教えのもつ意味が、実感できるようにな
ってきました。悟りの境地に、達しはじめたということですかね。(笑) 
いえいえ、そうではないんです。この年になって、人間としての基礎が
やっと出来たかな、といった理 (ことわり) がわかるようになったんです。
これが天命を知る、ということかもしれませんね。

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都会の喧噪も、塀を1枚隔てただけでかなり静かな空間で湯島聖
堂には、今も厳格な空気が漂っていて、ここに入ると気が引き締ま
る思いがします。 江戸時代からの 「学問所」 としての伝統を受け
継いだ近代教育発祥の地。現在、多くの学校がこの近辺に集まっ
ているのは、そうした伝統が息づいているのだと思います。個人的
に学ぶことも大いにありますが、実は、孔子の生きた時代と、今の
社会はよく似ているんだそうです。社会が停滞していて、人々の心
も沈んでいた。そんな中、自らの周辺から少しずつよくしていこうと
考えたのが、孔子だったんです。 孔子の教えは、いまでも十分に
役立つんですね。わたしも、儒学の聖堂に立っていると、身がしま
るような、改めてしっかり学んでいきたいような気もちになりました。





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