一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






いつも訪問して頂きありがとうございます。


「謝罪」

...2015/11/29 09:48...

各地から雪便りを聞くとやっぱり、冬が目前に迫って来ているん
だと思いますね。発達した低気圧の影響で、北海道の帯広市は
記録的な大雪のようでした。11月に積雪が40センチ以上となる
のは、1947年以来、68年ぶりなそうです。 東京は雪こそ降ら
ないが、時折吹く風の冷たさに身が縮む思いです。

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仕事帰りに同僚と、一杯、飲んで帰ろうと新橋に立ち寄りました。
新橋駅前の広場にある蒸気機関車がイルミネーションで飾られて
いつもより賑わっています。 冷えこむ寒い日には、熱い鍋料理を
フウフウいいながら頬張り、おいしいお酒をクイッといきたいもの
です。よくテレビのニュースで、サラリーマンがインタビューを受け
ている様子が映し出されますよね。その場所が、ここの広場なの
です。(下)

白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の  
   酒はしづかに  飲むべかりけり   若山牧水

秋の夜長、ひとり静かに酒を飲み、来し方行く末を思い人生を
考える。みんなで楽しく飲む酒もよいが、心を清ましてひとり飲
む酒はまた格別の味わいでもあるのです。若山牧水は、浪漫
的で清新な歌を数多く残しました。日本の美しい自然と季節の
移ろいを詠み、旅と酒をこよなく愛したことで知られています。
季節は ”秋” です。グラスを片手に秋の夜長を楽しみたい。


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「謝罪」

不祥事などで、関係部門のトップの人たちが一列に
並んで頭を下げて謝っている場面が、テレビで放映
されることが多い昨今だ。それを見るたびに、
ちょっとした違和感を覚える。

謝るという行為を公の場所で、何人かが一斉にして
いることへの違和感なのだろうか。テレビで謝罪する
前に被害者に謝罪しているのだろうか。謝罪は区切りを
つけるために必要かもしれないが、映像を見ていると
あまりに儀礼的な印象を受ける。

謝るというのは、非常に個人的で情緒的な行為。
自分の非を認めて、もう一度関係を修復するためのものだ。
単に頭を下げればすむというものでもない。それだけに、
個人的な関係でも謝るということはとても難しい。相手との
関係を考えなくてはならないときに、自分の世界の中に
入りこみ色々考えてしまって、相手との関係にまで
思いを寄せることができなくなりやすいからだ。

自分が全面的に悪かったと認めてしまうと、ますます
関係が悪くなってしまうのではないかと心配になる。
自分が悪いと考えてはいても、一方的にすべて自分が
悪いと思えないこともある。相手を不愉快な気持ちに
させて申し訳ないとは思うものの、そのように行動したり
した理由をわかてほしいと考える。申し訳ないという
気持ちと、自分の思いをわかってほしいという気持ちが
交錯して、素直になれなくなることもあるからだ。

こうした気持ちは、その人との関係を大事にしたい
という思いから生まれてきていることがある。しかし、
そうした考えが自分の心の中だけで進んでいくと、
逆に自分だけのことしか考えていないように見えてしまう。
何か言っても、かえって言い訳のように聞こえてしまう。

まず相手の気持ちに目を向けてきちんと謝ることが大切。
そうすることで、お互いに理解が深まるようになるのだろう。
相手の気持ちに思いをよせて・・・・。
謝罪の難しさを考えさせられます。

トラブルは、自分を成長させる為に来るのだという。
「深い部分の自分」 が 「そろそろ成長させてやろう」
ということで、その人に問題を与えるようです。
その経験が人として、一回りも二回りも成長させる。
トラブルは人格を成熟させるための、運命の強壮剤
なのだそうです。自覚して謝罪に取り組みたいものです。


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 「モネ展」  ~「印象、日の出」から「睡蓮」まで~
マルモッタン・モネ美術館所蔵 ― 東京都美術館 ―

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上野駅を降りると、モネ展。上野公園を歩くと、モネ展。駅のホームに
もモネ展。東京都美術館にも、モネ展。 開幕前には、上野はモネ展
で溢れていました。モネの 「印象、日の出」 が会期限定で21年ぶり
に東京で観られる。印象派! しかも 「印象派」 の名前の由来とも
なった作品となれば、見逃すわけにはいかない。美術好きの仲間と
観賞してきました。お楽しみに!

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「東京都美術館」 (上・下右) 「JR上野駅構内チケット売り場」 (下左)

9月の開幕以来、10月1日時点で来場者が10万人を突破し、現在
は50万人突破したという大変な人気。フェルメールの 「真珠の耳飾
りの少女」 が来日した時のように美術館を一周する行列を思い出し
不安になりました。上野公園の美術館の行列といえば、まずはチケ
ット行列、その後は中に入るための行列、と人気の催しなら、ふたつ
の関門を覚悟しなけばなりません。休日ともなると、何時間も待つ行
列となるわけです。そこで今回は比較的空いている夜間開催の日を
選びました。事前に購入していないためチケットは、JR上野駅構内
の公園口改札内の美術館チケット売り場で購入しました。4~5人が
並んでる程度で、スムーズに購入。 美術館の窓口は行列が出来て
いたのでラッキーでした。展示場の入口は、アレ~空いている。 
夜間は意外と空いていました。(笑)

【メモ】  「エキュート上野 チケットショップ」
上野駅構内の公園口改札近くにあります。扱っているチケットは、
上野公園にある美術館や博物館のチケットで、当日券や前売り券
の購入ができます。美術館や博物館で直接当日券を購入しようと
すると、並ぶことが多いので、当日券も事前に購入できるのは助
かります。割引券や値引き券は利用できないので、ご注意下さい。

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モネが生涯にわたり手放さなかった作品と、モネが購入したり贈られた
りして収集した他の芸術家の作品、いわばモネのプライベート ・ コレク
ションを紹介する展覧会です。モネが後半生を送ったジヴェルニーで
描かれた、晩年から最晩年の作品はみどころのひとつです。 6点の
「睡蓮」 のほか、庭に架けた日本風の太鼓橋を描いた 「日本の橋」
の連作は、なんと6点が一堂に会します。同じ主題を、モネはどのよう
に変奏させていったのか、モネの光の効果の探究を実際の作品で観
ることができます。 目玉は何といっても有名な 「印象、日の出」 と 「ヨ
ーロッパ橋、サン=ラザール駅」 。マルモッタン ・ モネ美術館の中核
をなす作品群で、滅多に貸し出されることはなく貴重な機会です。

「マルモッタン ・ モネ美術館所蔵 モネ展」
会期    2015年9月19日(土)~12月13日(日)
場所    東京都美術館
時間    9 時30分~17 時30分 (金曜日は20時まで)
当日券  一般 1,600円 学生 1,300円 高校生 800円 65歳以上 1,000円

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モネは晩年のものを中心に多くの作品を最期まで手元に残しました。
これらは息子のミシェルが相続しましたが、その後、ミシェルの遺志で
マルモッタン美術館に遺贈されました。その数およそ150点。 モネが
晩年に何度も取り組んだ 「睡蓮」 や 「日本の橋」 だけでなく、10代後
半で描いたカリカチュア(風刺画)や30代から40代の風景画も含まれ、
モネの画業を辿ることができる画家本人によるプライベート・コレクショ
ンです。この特別な作品群を譲り受け、マルモッタン美術館は、「マル
モッタン・モネ美術館」 と名称を変えたそうです。

第一章  「家族の肖像」
モネは家庭を大切にし、旅先からも家族を案じる手紙を頻繁に出したと
いう。自然を描くことに情熱を注いだモネは、肖像画をわずかしか描い
ていません。モネが亡くなるまで手元に残し、大切に保管された家族の
肖像画を紹介しています。モネによる妻や子供たちの肖像画は、画家
であり父親であったモネの素顔を垣間見せてくれます。冒頭を飾るのは
モネではなく、盟友ルノワール!という構成にちょっとビックリしました。

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ピエール=オーギュスト ・ ルノワール
「新聞を読むクロード・モネ」  1873年  (左)
展覧会に入ってすぐにある作品が、モネが同世代の中でとりわけ親しい
関係にあったルノワールの 「新聞を読むクロード・モネ」 でした。彼らは
シャルルのアトリエで出会いルノワールが亡くなるまで60年近く友人の
関係が続いたそうです。初めてモネの家に滞在し、ルノワールはモネと
モネ夫人の肖像を何点か制作しました。パイプを燻らせるくつろいだ様
子のモネが描かれています。あごひげに素早いタッチで配されたオレン
ジやパイプの煙の青など、自由な筆遣いによる鮮やかな色彩が印象派
の予兆を感じさせてくれます。 33歳の時の風貌にしては貫禄あり過ぎ
ですね!この作品の右隣に 「クロード ・ モネ夫人の肖像」 (1873年)
が並べられ、視線を外し照れて恥ずかしそうな姿に暖かさがあり、あり
のままの素直な感情が伝わってきました。

クロード ・ モネ
「ポンポン付きの帽子をかぶったミシェル・モネの肖像」 1880年 (右)
モネの最初の妻カミーユとの間の次男ミシェル肖像。あどけない表情が
素早く描きとめられています。私生活では一足先に幸せを掴み始めた頃
の、ほのぼのとした雰囲気がこちらまで伝わって来る感じです。主に風景
を描いたモネは肖像画をほとんど手掛けていないので、彼の描いた肖像
画は滅多にお目にかかれません。モネの死後、ミシェルは遺された作品
を相続しますが、両親の墓参りに行く途中に自動車事故で亡くなります。
相続人がいなかったので彼の遺言により、絵画コレクションと不動産が
「マルモッタン美術館」 に寄贈。 こうした寄贈を受けて、 「マルモッタン
美術館」 は 「マルモッタン・モネ美術館」 と改称したようです。 ミシェル
2歳半の時の肖像画ですが、会場には1歳、5歳の肖像画もありました。

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クロード ・ モネ   「トゥルーヴィルの海辺にて」 1870年  
モネが7歳年下のカミーユと正式に結婚した年に描かれた一枚。ノルマン
ディーの有名な避暑地、トゥルーヴィルに出かけた際の光景のようです。
椅子に座る女性は海に背を向け、こちら側をぼんやりと見つめています。
おそろいのドレスを着た浜辺に座る女性は、読書に夢中になっているの
でしょうか。二人の間に視線を向けると、自由な筆さばきで描かれた波
打ち際で遊ぶ少年や、浜辺で時を過ごす大勢の人々が描かれています。
何気なく撮影した写真のような雰囲気ですね。作家モーパッサンはモネ
を 「狩人」 と称したそうです。由来はモネが好んでいた旅行。モネはさな
がら風景を狩るかの如く、各地を渡り歩いては、風景をキャンバスに写し
ていきました。

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モネ展、このマルモッタン・モネ美術館所蔵のモネ・コレクションから
選りすぐりの約90点を展示。 うち約7割がモネ自身の手によるもの
で、モネ自身が収集した作品やモネ愛用の品も展示されています。
マルモッタン ・ モネ美術館だからこそ実現できた “ 究極のモネ展 ”
でしょうか。彼の人生に沿って、画風の変遷を楽しむことができます。

第二章  「若き日のモネ」
学生時代の彼は勉強が苦手で、授業中はもっぱら友人や教師、有名
人の似顔絵などを描いて時間を費やしていたという。個人的な特徴を
誇張したり、物や動物に似せたりして人物を表すカリカチュアを描くこ
とから始め、次第に腕を上げ評判になりました。 この頃モネは描いた
カリカチュアを絵具や額縁を売る店のショーウィンドーに展示し、販売
していました。 本格的に画家を目指しパリへ行くための費用となった
そうです。モネの人物素描を評価しながらも 「画家として生きる道」 を
勧めたのはウジェーヌ・ブーダンだそうです。ブーダンの先見の明と
その助言に従ったモネの意識が後のモネを生んだのだと思うと、
カリカチュアも興味深いです。

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クロード・モネ 「劇作家フランソワ・ニコライ、通称クレルヴィル」 1858年 (左)
子供の頃、モネは授業をろくに聞きもしないでノートにカリカチュア (風刺画)
を書いていたという。学校の教師たちの風刺画から始め、描いたそばから店
のショーウィンドーに展示し販売していたそうで、現存するカリカチュアは65
点ほど残っているようです。紙に鉛筆を自由闊達に走らせ、すらすら~と描
いてしまった若き日のモネ作品は、他の展覧会では中々お目にかかれれな
い貴重なものです。その中の一枚が、18歳になった当時、鉛筆書きで描い
た風刺画 「劇作家フランソワ・ニコライ、通称クレルヴィル」 です。

クロード ・ モネ  「アドルフ・デヌリー」  1858年 (右)
広い額にひげ面にスカーフ!ワンピース着て手にギター持っている。ふと、
どこかで見た感じダナぁ~と思っていたら、後ろの方から谷村新司に似てな
いという声が聞こえた。思わずそうだと苦笑い。そういえばクラスにひとりは
先生の似顔絵をノートに描く子が必ずいましたよね。 何だかそういうの思い
出しながらモネも少年時代を思い浮かべていました。 こういう絵を描いてい
たモネに運命の出会いがありました。その人とはウジェーヌ・ブータンでした。
モネの才能を見抜き 「ここに留まらないことを期待する。 デッサンをしなさい。
そして風景画を描きなさい」 と助言しました。モネはこの助言を聞き入れ、
油絵の具で絵を描くようになります。

【メモ】  カリカチュア
個人的な特徴を誇張したり、物や動物に似せたりして人物を描いた絵の事。
滑稽や風刺の効果を狙って描かれるため、現在ではしばしば戯画、漫画、
風刺画などと訳されまた同一視されるが、もともとは16世紀イタリアに出現
したと考えられ、技法・画風を指して使われた言葉です。イタリア語で 「荷
を負わす」 「誇張する」 を意味する Caricare が語源です。

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第一印象を大切にしながら先入観にならずに物語が広がるという音声
ガイド。理想です。今回も音声ガイド借りました。展示されている解説に
はないエピソードなども語られていてとても興味深かったです。 モネは、
印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、時間や
季節の移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家でした。

第三章  「収集家としてのモネ」
モネの家にはまさにタイトル通り、彼が収集し愛でた作品が飾られて
いました。モネに影響を与えた人の作品に囲まれてほかの画家との
つながりや彼の審美眼を垣間見せてくれるもので、画家モネをより深
く理解する手掛かりとなります。 モネが敬愛したドラクロワの作品や
10代のモネに戸外制作を勧めたウジェーヌ・ブーダンの水彩画など、
自ら他の画家たちの作品を蒐集し、大切に自宅に飾って楽しんできた
モネのコレクションを展示されたコーナーです。

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ウジェーヌ ・ ドラクロワ  「エトルタの断崖、馬の脚」  1838年  (左)
モネも訪れたというル・アーヴル近郊の景勝地を描いたものです。
そびえ立つ石灰層の絶壁が大きく描かれ、前景には浜辺に打ち寄せる白
波が巧みに捉えられています。波の浸食によって形成されたアーチ部分は、
タイトル通り 「馬の脚」 のようにも見えます。モネは、若い頃からドラクロワ
を称賛していました。19世紀フランスのロマン主義を代表する画家です。

ヨハン ・ バルトルト ・ ヨンキント  「ポール=ヴァンドル」 1880年 (右)
さざめく波。風を受ける帆。素早いタッチの風景とほんのり赤みを帯びた
空の繊細な色がとてもいいですね。モネ自身の言葉によれば、彼に 「決
定的な眼の教育」 を施した画家でした。自然をよく観察し、一瞬の光を画
面に定着させるヨンキントの作品は、モネのみならず多くの印象派の画家
たちに影響を与えたようです。スペイン国境に近い南仏の港が落ち着い
た色彩で描かれた作品で、ヨンキントの死後の競売で、モネ自らが購入
した作品のようです。オランダ出身の画家です。

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いよいよモネの世界を存分に堪能できます。とばかりに、魅惑的な作品
が続きます。どの絵の前にも黒山の人だかり。 それでも昼の人混みで
ごった返すよりは、静かな雰囲気でゆったりと鑑賞ができます。鑑賞に
食い入るあまり、人の流れもやや滞りがちになりました。夜の美術館っ
て、どことなく素敵に見えませんか。

注目の 「 印象、日の出」 の作品。
作品の左下には 「Claude Monet.72」 と自筆のサインがあります。モネが
1872年にル・アーヴルを訪れた記録はなく、長い間、様々な憶測が飛び
交いました。一時は、「日の出」 ではなく、「日の入り」 ではないかとさえ言
われたこともありました。議論に決着をつけようと、マルモッタン・モネ美術
館が調査を行いました。19世紀に撮影された写真や地図をもとに、モネ
が作品を描いた場所。さらに作品から太陽の位置や潮位を調べ、当時の
気象記録から天気や風向きまで調べたました。決定的なのは水門だった
ようです。なかなか判別出来ないかもしれませんが、画面中央には水門
があり、開いています。その開門時間と太陽の位置を比較検討。 結果、
作品は1872年11月13日、朝の7 時半頃を描いたことが判明。 実は
この日は1872年、モネ32歳の誕生日の前日でした。 その時モネは
何を思い、何を感じて描いていたんでしょうかね。

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クロード ・ モネ  『 印象、日の出 』  1872年
展示会の目玉である 「印象、日の出」 は、ほかの作品とは別の特別室
に1点だけ展示されていました。やや暗がりの中、強めのライティングが
施され、浮かび上がる 「印象、日の出 」 は、本当に 「日が昇ってきてい
る」 感じで、その場にいるかのように錯覚させてくれました。想像してい
たより小振りな作品にもかかわらず、名画の放つオーラと統一感、細部
の光と色彩の豊かさに思わず息を飲み、その場で足が釘付けになり
ました。この絵を見るだけに長蛇の列に並んでも惜しくないほどです。
東京で鑑賞できるのは21年振りとのこと。わたしは昼間の喧騒を避け、
夜間の特別展示でじっくりと作品を鑑賞いたしました。うふ

モネが幼少期から18歳までを過ごしたフランス北西部の町、ル・アーヴ
ル港に上る太陽・・・・今から140年以上前の1872年、モネはこの光景
をカンヴァスに描きとめました。この作品こそが “印象派” という言葉の
由来となった 《印象、日の出》 です。早朝のル・アーヴルの港に昇る太
陽と、朝もやの中でその光で染められる空と海。前景には小舟が浮か
び、後景には高いマストをもつ大型の船が表されています。船や人物
は素早い筆触で曖昧に描かれています。モネが描きたかったのは、港
の湿気を含んだ空気や昇り始めた太陽の光といった、留めておくことが
難しい印象そのものだったのでしょうか。

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クロード ・ モネ  「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」 1877年
今回、もう一つの目玉である 「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」 を観
てない気がした・・・と思って再度最初から鑑賞し直し、でも無い。係り
に聞いたら 「サン・ラザール駅」 は後半に出展だそうで、この日は観
られられませんでした。「印象、日の出」 は前期9月19日~10月18
日まで展示、「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」 後期の10月20日
からの展示でした。いわゆる目玉となる作品を2点用意し、前期と後
期に分散して顧客を呼び込むという方法でしょうか。都美術館もなか
なか商売上手です。なので、この作品を観るために再度訪問しました。

サン=ラザール駅は、セーヌ川沿いのパリ近郊の町やノルマンディー
の海岸に向かう汽車の発着駅で、当時のフランスでもっとも多くの人
が利用していました。モネは駅の近くに小さな部屋を借り、鉄骨にガ
ラス屋根の近代的な駅舎や、勢いよく蒸気に包まれる線路や汽車な
ど、多様な姿を見せるサン=ラザール駅を何度も描いたようです。
汽車はほんの少し頭をのぞかせるだけで、その近くの人物も粗い筆
触で描かれています。モネは、近代的な駅舎でも汽車でもなく、立ち
上る蒸気と目に見えない匂いや熱気、駅の雰囲気を画面に描きた
かったのでしょうか。でも見応えのある一枚でした。

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どんなことが起きようと、前に進めば何かが見えてくる。そんなことを感
じさせるような展覧会。ゆっくり時間をかけて、モネの豊かな創造の世
界に迫り観賞する人々。静まり返る美術館ですが、絶えず人が行交う
夜の東京都美術館でした。夜の美術鑑賞もなかなかいいものですね。

第四章  モティーフの狩人  
面白いタイトルですね。モーパッサンがモネについて述べた 「彼はも
はや画家ではなく、実際のところ狩人であった」 という言葉から取った
のでしょうか。後半生を過ごすジヴェルニーに安住する以前にモネは
よく旅をし、旅先の風景を描きました。まるで 「狩人」 のようだと称され
たモネは、移ろうモティーフを画面に素早く捉えています。 こちらの
展示は 「狩人・モネ」 の真骨頂ともいえるべき作品群の構成でした。

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クロード ・ モネ  「雪の効果、日没」  1875年  (左)
家々の屋根や地面にかなりの雪が残る夕暮れのが描かれています。
どんよりとした空には、微かに沈みゆく陽の光が映し出され、煙突から立ち
上る煙も見えますね。雪の世界を白の単調な広がりではなく、雪に反射す
る繊細な光を捉え、微妙な色彩を自由な筆触で軽やかに表されています。
セーヌ川沿いのアルジャントゥイユの町並みのようで、モネの描いた郊外
の風景画では珍しいモチーフでもあるそうです。 でもモネが朝、夕暮れ、
日没とそれぞれの光、色の違いをキャンバスに写し取ろうとしているのが
よくわかります。

クロード ・ モネ  「オランダのチューリップ畑」  1886年  (右)
説明によると、ジヴェルニーに移る前にはよく旅をしていたというモネは、
旅先でも多くの作品を描いています。こちらの作品は2回目のオランダ
旅行で描いたとされる 「オランダのチューリップ畑」。色とりどりのチュー
リップ畑にオランダの象徴である風車が描かれ、オランダらしい風景が
広がっています。ほぼ中央の地平線が、起伏のないどこまでも続く大地
と空の広がりを感じさせます。うっすらと雲掛かった空の隙間から降り注
いだ光が反射し、風に揺れる風景を印象派独特の淡いタッチで見事に
描き出しています。でもモネにしては軽いタッチの絵だなと思いました。

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大混雑を予想して夜の時間を選びましたが、それでも若干は混んで
いたけど、見たかった 「印象、日の出」 が良く観れて満足しました。
小学校の夏休みに画家を調べる宿題があって、私はモネだったん
ですよね。母と東京駅近くのブリジストン美術館に行き、初めてモネ
の絵とご対面しました。好きな絵って小さい頃から変わらないね。

第五章  睡蓮と花 ―綬ヴぇるにーの庭
庭造りが好きなモネは自ら花の種類と配置を考え、絵を描くように美しい
庭を育てていきました。 邸宅前の花の庭だけではなく、やがて敷地を広
げ池を造り、睡蓮の咲く水の庭を実現しました。「睡蓮」 も、ジヴェルニー
の庭から生まれたものです。制作のためにモネは、敷地の一画にガラス
張りの大きなアトリエを建てたようです。 「睡蓮」 や睡蓮の池のほとりで
育てられた花々を描いた作品が展示されていました。

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クロード ・ モネ  「キスゲの花」  1914-17年   (左)
キスゲの花は夕暮れに鮮やかな淡黄色のユリに似た花が咲き、翌日の朝に
しぼみます。モネはさまざまな種類の花に興味を持ち、よく描いたといいます。
自邸を浮世絵で飾ったモネは、水の庭のまわりで日本の植物を育てたという。
明るい外の世界を描きたかった印象派の画家たちは、混色をせずに絵の具
を置き並べるという手法を使い、こうして描かれた絵画は、近くで見ると様々
な色の点でしか見えないが、離れて見ることにより鑑賞者の目の中で色が
混ざり合い、明るい色になる。その視覚の作用を利用して、光の表現をしよ
うとしたという。この絵はまさに離れて見る絵でした。

クロード ・ モネ  『小舟」  1887年   (右)
やや縦長の正方形に近い画面のほとんどを占めるのは、透明な川の底で
光を反射する水草です。水草は、黄色や赤の筆触がまるで小さな魚の群れ
のように川の流れに揺れ動き、誰もいない小舟と暗い川底のうごめきは、
異世界のような少し不気味な雰囲気さえ醸し出している感じでした。説明で
モネは水中の世界を描く難しさについて、手紙に書き残したという。 「川底
で揺れ動く水草と水を捉えるという、不可能なことに取り組みました。それは
眺める分にはすばらしいのですが、描こうすると気が狂いそうになります。」

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クロード ・ モネ   「睡蓮」  1903年  (左)
「光の画家」 と呼ばれたモネは、同じモチーフを異なった時間、異なった光
線の下で描いた連作を数多く制作しています。その中でもっとも有名な作品
が、1890年代終わりから描きはじめた 「睡蓮」 の連作で、モネの代名詞と
もなっています。 言わずと知れた「睡蓮」ですが、こちらの作品は1903年に
描かれたもの。近い視点から水面を捉え睡蓮の花や映り込む柳の形態が比
較的はっきりと水面に映えているのが分かります。幾つかの睡蓮の絵を見ま
したが、連作の 『睡蓮』 も作品によって蓮の花の咲き具合や、描いている
時間などが異なり、色々な光の表情を見せてくれますね。

クロード・モネ  「睡蓮」  1907年  (右)
庭造りの好きな彼は、自ら花の種類や配置を考え、花の庭だけでなく、睡蓮
の咲く水の池を造りあげた。 そしてモネが亡くなるまでに睡蓮の池をモチー
フにした作品 「睡蓮」 を200点以上制作したと言われています。1907年の
「睡蓮」 は筆触がやや粗くなり、睡蓮や木々の影は池に溶け込んでいくよう
です。画面上部にポプラと柳が逆光により濃く映り込み、画面下部に向かっ
て空が描かれています。逆転した構成は観者の見方を揺るがし、むしろ惹
きつける感じでした。

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クロード ・ モネ  「睡蓮」  1917-19年
モネの視力が急速に衰えて、通常ならば絵画を制作するのが困難にな
るほど晩年は視力は著しく低下したようです。 他の絵はあまり描かなく
なり、もっぱら 「睡蓮」 に傾注したようです。 1917年から1919年頃の
「睡蓮」 では水面が緑、赤、紫、黄色と豊かに彩られ、睡蓮を探すのが
困難なほどです。 ダイナミックな筆跡は、モネの衰えない熱意を感じさ
せます。 しかし、このようなモネ晩年の躍動的な 「睡蓮」 が高い評価を
受けるのは、1950年代の抽象表現主義の台頭まで待たなくてはなり
ませんでした。 ある種、偏執的に近いような、彼の内面から湧き立って
止むことのない欲求に突き動かされます。睡蓮の作品を見較べながら、
彼の創作意欲の源泉って一体何だ?と、しばし空想してしまいました。

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1912年、72歳になったモネは右目に違和感を覚えます。白内障を患
っていたのです。少しずつ目に映る色も描く色彩も変化していきます。
失明を恐れて手術を拒否していたため症状は悪化し、「赤が泥のような
色に見える」 と話しています。今回、モネが晩年使っていた黄色のメガ
ネが展示されています。ある眼科医は 「白内障の手術後、世界が極端
に青みがかって見えるのを嫌って黄色いレンズを使用した可能性が高
い」 と指摘しています。 作品の他に、モネの眼鏡、パイプ、パレットが
展示されていました。

第六章  「最晩年の作品」
最晩年のモネの作品は、粗い筆触で、それまでの繊細な色調とは異なり、
赤系もしくは青系の色彩が強く、抽象画に近いものです。こうした作品には
白内障の影響も窺えます。描く対象はジヴェルニーの庭に限られていき、
池に架けた日本風の太鼓橋やバラの小道のように同じモティーフが繰り返
し描かれました。これらの作品は、モネのもっとも内面的な部分を垣間見せ
てくれると同時に、白内障の手術後も破棄されず、モネが生涯手放さずに
残した作品だったようです。

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クロード ・ モネ  「バラの小道、ジヴェルニー」  1920-22年
モネの最晩年期を代表する作品のひとつで、モネの邸宅の前にあった
バラのアーチのある小道を描いたものなそうです。視力が衰えた彼は、
この作品の画題となった薔薇の小径の姿を正確に捉えることはできな
いほどだったようです。それでも、彼は自らが造園した薔薇の小径から
受けた霊感を感じ、混沌としながらも光とそこに落される影(陰影)が織
り成す絶妙な色彩を、彼独特の筆致で描いたのでしょう。もはや小径の
明確な形体・形象は殆ど見られず、それは楕円形と色彩による抽象画
のようだです。ハッキリ言って、これが薔薇だとはちっともわからない。
小道って言われなければ、それもわからない。 でも、見たことのない
バラの小道が目の前に広がるような不思議な感じがしました。様々な
色が織りなすバラの小道は、まるで幻想の世界に訪れたような感覚さ
え覚え、しばらく眺めていました。

BB2120.jpg BB2116.jpg 
クロード ・ モネ 「日本の橋」  1918-19年 (左)  1918-24年 (右)
自宅兼アトリエで造園した庭の池に架けられた日本風の太鼓橋を悪化す
る白内障に煩わされながら描いた作品です。画家の命とも言われる視力
が晩年は著しく低下していたが、それでも彼は作品を作り続けたようです。
1918年頃描いた蓮池に架かる 「日本の橋(左)」 は、それが太鼓橋であ
ると知っていなければ分からないほどです。また1918-24年の 「日本の
橋 (右)」 は、中央に緑色で二本の湾曲した線がおぼろげに描かれてお
り、その形状から、この二本の緑色の線が池に架けられた日本風太鼓橋
であるということを何とかうかがい知ることができます。 視力が低下する以
前に描かれた同画題の作品と比較してみると、もはや太鼓橋としての形を
僅かに感じられるほど形象は抽象化され、あたかもこの風景を夢裡で見て
いるような非現実感が漂っている感じです。失明の恐怖と隣り合わせとな
りながらも、あくなき探究心がそこには見て取れ、観者にとって絵画に対
する熱情や、彼が描き続けた庭への愛情さえ感じ取れて心が複雑でした。

BB2188.jpg
暗闇の中、上野公園の噴水付近は若いカップルで熱々ムード。羨ま
しく思いながら、近くのスターバックスに立ち寄ってコーヒーを一杯。
カップルと違って、こちらはコーヒーまでも苦く感じた。(笑)

今まで幾つもの美術展でモネの作品に触れる機会は多く、それなりに
自分も観る経験を重ねてきました。ところが、今回の展示を観てさまざ
まな発見に気づき、そして新たな疑問が投げかけられた美術展だった
ように思います。最後の一室の作品群の、モネらしさ・印象派らしさと
はかけ離れた作品に対峙した時の混乱と衝撃。観たいモネとは激しく
異なる最晩年の画風。抽象画の世界に足を半分突っ込んでいったん
じゃないか?と感じるほど、20世紀っぽい前衛的な形で彼は人生を終
えるのだが、亡くなった1926年からしばらくの間、彼はある意味 「忘れ
られた画家」 になりかけていたのを知り、それにまた驚きを覚えました。
「人に歴史あり」 といいますが、モネもまた彼の業績をきちんと再評価
するだけの舞台を作ってもらえた幸せな画家だったのでしょうか。

BB2187.jpg
晩年の作品のコーナーに移ってゆくと、周りの人たちからこんな声が
聞こえ始めました。 「モネらしくない」 「えーっ・・・」 「意味がわからな
い」 「何、これ!」、といったような反応でした。 確かにモネといえば、
パステルカラーの淡い色彩を優しいタッチで描いた作品群が目に浮
かびますが、個人的に晩年の作品が最も 「モネらしい」 と感じました。
何故ならそれらが、モティーフの狩人であり、当時の前衛芸術家であ
り、家族を愛したモネの 「美しいこころ」、「目に映ったもの」、そして
「長い画家生活の中で培ってきた技術」 のすべてが一体化した、す
なわち画家 ・ モネそのものをキャンバスに強烈に叩きつけて生まれ
た傑作に見えたからです。

帰りの上野駅のホームでモネ展を知らせる看板を見かけました。
この作品をみた時、私はモネを目で見たものをそのまま心に映し、
それを圧倒的な技術でもって最高の芸術品に昇華するすべを
知っている 「本物の画家」 だったのだろうと再認識しました。
待つホームに電車が入ってきて車窓の人となり・・・・家路へ。
「モネ展」 語彙の貧しさが少し哀しいけれど、でも良かったです。







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