一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。
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              aisatu10_20100424143608.gif 皆さまも楽しい夏休みを!!
               家族サービス&夏休みのため旧盆を挟んで
           8月10日から8月20日 頃まで、このブログをお休み致します。
               どうか、ご了承ください。熱中症にはくれぐれも注意を!

いつも訪問して頂きありがとうございます。


「器用貧乏」

...2019/03/31 08:04...

桜が満開です。
21日に東京は桜が開花し、初夏の陽気に
驚いたのか、慌てて桜も目覚めたようです。
お待ちかね、春が来ましたよ~と。
東京は、すでに 「桜満開」 となり、待ちに待った
お花見シーズンがやってきました。

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昨日、早朝にジョギングしながら公園に立ち寄ったら、もう場所取
りをしている。さらにテントまで張ってあるのに驚きました。(上) 
そして近所の庭先の桜も満開です。(下) 新宿御苑に家族で花見
に出かけた知人は、入園料が200円から500円に値上がりしてる
と、ぼやいていた。花見のための値上げではなく、1月からなんです。

花見客で、どこもかそこも人でいっぱいだ。
江戸の昔には 「見合わせ桜」 という言葉があったという。
遠方の桜の開花を知るために、江戸人はそれと開花期
を同じくする近くの桜を見定め、これを 「見合わせ桜」 と
呼んだという。近くにあるそのものを見て、遠く彼方に
想いをはせる・・・・・。 

例えば、遠方にお孫さんのいる方が、近所に住む同じ
年頃の子どもを見て、「孫の背丈もこのくらいに伸びたかな」
と、想像する心にもどこか似ている。新聞もテレビもインター
ネットもない時代に、桜を愛でつつ、遠くそこに暮らす人を想う。
「思いを重ねる」 とか 「思いをはせる」。 
心のなんと温かく美しいことだろう。

最近、そういうことをすっかり忘れていました。
「見合わせ桜」 、いい言葉ですね。
皆さんの 『見合わせ桜』 は如何ですか。
花の命は短いといわれるように、開花から
あっという間に満開をむかえ、散ってしまう桜。 
桜の花を愛でながら、 ほっとするひとときを
過ごしてみませんか?

さて、明日4月1日は新しい元号が決定する。
官公庁や、学校の一年の区切りである 「年度」 で
いうところの平成31年度がもう少しで終わります。
次の元号が公表され、5月からは新しい元号になる。
元号と新元号に込められた意義を待ちたい。

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「器用貧乏」

早速ですが、皆さんは、
「器用貧乏」 という言葉を知っていますか?
この 「器用貧乏」 という言葉の意味を辞書で調べてみますと、
「なまじ器用なために、あちこちに手を出し、どれも中途半端
となって大成しないこと」 とあります。器用であるがゆえに
ひと通り何でもできてしまうけれど、一芸に秀でるといったこと
がなく、どれも中途半端で終わってしまうことを表す言葉です。

先日、社内研修に参加して、この 「器用貧乏」 を知った。
多趣味で何でもソツなくこなせるオールラウンダーでありながら、
今ひとつパッとしない人のことを 「器用貧乏」 という。こうやって
文字にすると何だか悪口のような響きがありますが、実際には
良い意味で使う人もいれば、良くない意味で使う人もいます。
器用なのに貧乏という、ちょっとユニークな四字熟語です。

講師の話を興味深く聞いた。
せっかく入社した会社で高い役職に就く前に転職してしまい、
転職先では、またゼロからスタートという人をよく見かけます。
「器用な人」 というのは、どこの世界にもいます。何でも器用
にこなせてしまうためにハングリー精神が育ちにくかったり、
中途半端なうぬぼれが原因で向上心に乏しく、良きにつけ
悪しきにつけ、適当なところで努力をやめてしまったりする。

一方、不器用な人というのは、「自分は不器用だ」 という
自覚があるため、出来なくても落ち込みません。
また、そもそも多くのことに手を出さず、一つのことに集中し、
根気強くやり続けることが出来ます。結果的に器用な人と
比べ、諦めない力と継続力で上回り、最終的には不器用な
人が大成するんだそうです。「不器用」 は立派な才能であり、
最高の人生に導いてくれる武器となり得るようだ。

次に、一つの仕事に根気強く取り組んでいると、
必ず壁にぶちあたります。それも一度や二度ではなく、
何度も試練に直面することになるでしょう。そのような時に
どうすべきか、という話が二つ目のお話であります。

例えば、マラソンのことを考えてみて下さい。
マラソンの面白さはどこにあるのでしょうか。なぜランナー達は、
42.195 ㎞ もの距離を苦しい思いをして走るのでしょうか。
マラソンというスポーツは、スタートからゴールまで時間が経つに
比例して苦しさが増していくと思われがちですが、実はそうでは
なく、苦しい時間帯と体が楽になるタイミングがあります。
これ は 「ランナーズハイ」 とも表現しますが、ふとした瞬間、
体が軽くなって、すいすい走れる感覚に変わるのです。
この感覚がマラソンの奥深さであり、ランナー達はこの感覚を
忘れることが出来ず、もう一度味わいたい、とマラソンに挑むのです。

しかしながら、日頃からつらい練習を積んで、この 「デッドポイント」
を乗り越える経験をしていないと、この快感を味わうことは出来ません。
これは仕事も同じです。常日頃デッドポイントを乗り越える経験を
している人は、その先に楽な瞬間が訪れることを知っているので、
「もうひと踏ん張りしよう」 というパワーが沸いてきます。
従って、これから仕事で音を上げそうになった時には、
まずはデッドポイントに到達するまで努力を続け、その上で
「キツイ、もう嫌だ」 と思った時には、「今、自分はデッドポイント
の最中にいるが、これを乗り越えられたら楽になれる」 と
自分に言い聞かせることが肝要ですと話す。

器用貧乏な人は、実際に経済的な貧乏ではなく、
器用であるが一つのことを極められず、中途半端に終わる
という意味での貧乏なんですね。しかし、仕事においては
活躍するのが器用貧乏でしょう。器用なためできる仕事の
幅が広く、周りから重宝されるのです。ただし、幅広い仕事
をこなせばひとつの業務に集中できないため、成長しに
くくなってしまいます。能力はあるけれど執着心がない。

器用貧乏と聞くと、あっ自分のことだ、あの人のことだと
身近な人の顔がすぐに思い浮かんでくるかもしれません。
どんなことも、器用に要領よくできてしまう器用貧乏な人は、
羨ましい存在でもあります。でも不器用なのろまな亀が、
叱咤激励されながら、歯を食いしばり、要領が悪いながらも
日々努力している姿は、それなりに頼もしいものです。
ただ、何かを極めるためには、相応の行動を起こさなければ
ならないのは確かのようです。

Versatility never pays. (器用貧乏)

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   上野東照宮 社殿拝観 2019

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国立科学博物館で 「千の技術博 特別展」 を見た後、公園内の
スタバでコーヒーを飲みながら、さて、どうするか? 家康公が祀
ってある 「上野 ・ 東照宮」 を参拝することになった。日光東照宮
には規模は劣るものの、上野公園という身近な場所で、貴重で
豪華な江戸建築を目の当たりにすることができる社殿拝観を
して来たので紹介します。

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「大鳥居」 (上) 国重要文化財
上野公園の遊歩道に面している石造の大鳥居が 「上野・東照宮」
の入口です。鳥居には、「寛永十年癸酉四月十七日 厩橋侍従 ・
酒井雅楽頭源朝臣忠世」 という文字が刻まれています。ここから
分かることは、寛永10年 (1633) に酒井忠世 (江戸幕府の老中
・大老) によって奉納された、ということ。その名の通り大きな石造
りの鳥居は迫力満点! ところどころ黒ずんでいて歴史を感じます。
備前の御影石が使用され、関東大震災(大正12年-1923) の揺
れでも傾かず、その工事の頑丈さは、当時非常に驚かれたという。
「水舎門 (みずのやもん)」 (下右)
鳥居を潜って、最初の門へ来ると、両袖の塀はなんとコンクリート
ブロック積の塀に紅殻で着色されただけのもので驚きました。安易
に作った門という感じです。天井を見上げて驚かされました。 傷み
は激しいが豪華な造りのものには違いない。そして通常の門形式
に当てはまらないのだが・・・疑問はすぐに解けた。本来は門では
なく唐門前にあった御水舎の上屋だけを門として移築 ・ 再利用し
たもののようです。天下の東照宮です。 家康公もさぞや御不満
ではないでしょうかね。

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参道両脇に整然と並んでいる石灯籠 (上) は、武士が神君をお守
りしているようだと称えられています。参道に200基以上あり、ほと
んどが現在の社殿の建築の年に諸大名より奉納されたものです。
全国の諸大名の名前を見ると錚々たる顔ぶれです。家康公が各
地の大名から大きな崇敬を受けていたことがうかがい知れます。

「銅燈籠」 国指定重要文化財。 (下)
東照宮社殿唐門前と参道に、五十基の銅燈籠が並んでいます。
唐門両側6基 (下左) は徳川御三家 (紀伊・水戸・尾張) より寄進
されたものです。家康公の13回忌に藤堂高虎 (伊勢国三重県 ・
津藩主)が奉納した1基が最も古いようです。こちらは諸大名から
奉納された銅灯籠で、これらの燈籠は1つ1つ奉納された者が異
なり、そのほとんどが江戸時代の大名による寄進です。(下右)
そもそも燈籠とは、寺院において仏像を照らしたり、法要を執り行
う際の周囲の浄化や、神社では神事においての 「穢れ」や「邪気」
を祓う目的も含めて火を灯すものです。こんなにも多くの灯籠が
あれば、穢れも邪気も尻尾を巻いて退散しそうですね。

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「手水舎」 (上)  
手水舎は、神社、寺院の参道脇または社殿脇に置かれ、参拝者が
身を浄めるために手水を使う施設のことで、多くの手水舎は、四方
転びの柱が用いられ、四方吹き放しとなっており、その中に水盤が
据え付けられています。柄杓が置かれており、柄杓にすくった一杯
分の手水 (ちょうず) を使い、手や口を漱ぎ清め一連の所作を行う。
「神楽殿 (かぐらでん)」  (下左)
東照宮の参道を歩いていると、石灯篭や銅の灯篭の先の参道脇
にありました。明治7年に深川木場組合から奉納されたものです。
建物の屋根の勾配の美しさは都下随一と言われているらしいです。
が、確かに見た目優美ですが、他の神楽殿に比べ簡素で控えめな
感じの印象を受けました。毎年お花見の時期には御神楽の奉納が
行われることでも有名です。四方を柵で囲ってあり、あまり近づけ
ないのが残念でした。
「狛犬」  (下右)
多くの灯籠がびっしりと立ち並ぶ参道の先に、高い台座の上から
見下ろす大きな狛犬がいました。大きくせり上がり、アンバランス
なまでに発達した大胸筋は、まるでボディービルダーのようです。
威風堂々としたその体つきに似合わず顔は小さく、尻尾の大きさも
控えめになっています。神殿に置かれていた木彫狛犬の流れをく
む、堂々たる姿の石造狛犬は、モデルになった狛犬がいたという。

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上野恩寵公園は、動物園や美術館などで賑わっていますが、
こちらは意外とひっそりとした雰囲気。かつて江戸の人々の家康
公への信仰の対象であったこの御宮は、江戸時代と変わらぬ姿
で、今もなお多くの方に心の安らぎを与えています。視線の先に
は、何やらキラキラと輝く美しい建物が・・・・・。

「上野東照宮」
元和2年 (1616)、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の
枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲し
いと遺言されました。天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今
の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多
くの伽藍や子院が建立されました。寛永4年 (1627) 、その一つ
として創建した神社 「東照社」 が上野東照宮の始まりです。
朝廷より正式に宮号を授けられ 「東照宮」 となりました。

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「唐門」  (上)  国指定重要文化財。
参道を真っ直ぐに進むと、この豪華な唐門に突き当たります。正面
に見えてくるのは黄金に輝く門 「唐門」 です。豪華で見事な門構え
をしています。この唐門の奥に社殿があります。外国人にも人気の
撮影スポットです。海外からも多くの方がお参りされます。

上野東照宮の唐門は、正式名称は 「唐破風造り四脚門」 と言います。
つまりは、四脚門 (よつあしもん) に唐破風の屋根が乗ったと言う解
釈です。唐門は慶安4年 (1651) の建築で、総金箔の門で両側上
部にある松竹梅と錦鶏鳥の透彫は精巧で美しく、室町桃山時代の
技術を集大成したものとして評価されています。天下泰平の願いを
込めて彫られたと考えられています。規模こそ小さいですが、日光
の東照宮とよく似てます。 東照宮に見ることのできる唐破風はどれ
も特徴的で、江戸時代の徳川家の権威と威容をよく表しています。

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唐門の扉の左右には、日光東照宮の 「眠り猫」 で有名な 左甚五
郎作の 「昇り龍 ・ 降り龍」 の彫刻があります。この龍は毎夜、不
忍池の水を飲みに行くという伝説があります。一説によると 「何か
を成し遂げた偉大な人ほど頭を下げている」 ということから、この
下を向いている龍こそが 「昇り龍」 なんだとか。左側が降り龍で、
右側が昇り龍です。裏側にも彫刻があり、内側は社殿を拝観し
ないと見られません。

「名工 ・ 甚五郎の水呑みの龍」
三代将軍 ・ 徳川家光が上野寛永寺の鐘楼建立にあたり四隅の
柱に左甚五郎をはじめ木彫の名人4人を選んで、それぞれ1匹ず
つ の龍を彫らせたが、左甚五郎の彫った龍だけがなぜか夜な夜
な柱から抜け出して、上野の不忍池に水を飲みに降りるようになり
大騒動となった。そこで左甚五郎が 「可愛そうだが足止めをする」
と言って、金づちで龍の頭へくさびを打ち込むと、その夜から龍は
水を飲みに降りなくなったという話が伝わっています。東照宮では、
寛永寺に鐘楼と鐘は残っているが、鐘楼の四本柱に龍 の木彫は
ないことから、唐門の 「昇り龍 ・ 降り龍」 こそが、左甚五郎作の
「水呑み龍」 だと伝えているようです。

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「透塀 (すきべい)」  国指定重要文化財
社殿をぐるーっと囲んでいるこちらの壁は、透塀と言います。菱格
子の塀で向こうが見えることから 「 透塀」 と 呼ばれている。(下右)
透塀の総長は175mあり、「本殿 ・ 幣殿 ・ 拝殿」 を囲む形で守護
する玉垣の役割を担っています。昔は極彩色だっ たが、現在は
下地の朱漆塗りのままになっています。慶安4年 (1651) 造営。

中世の絵巻物にも多く描かれているので、古い時代の神社では
非常に多く用いられたようです。近世の神社でも、寺院建築の回
廊の影響を受けて、壁面に格子をはめこみ、腰下に彫刻を付け
て 屋根を設けたものが、しだいに多く用いられたといいます。
代表的な遺例としては日光東照宮のものがよく知られています。

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「透塀の彫刻」
上下に施された300枚もの彫刻は、塀の上段には花木山禽 (野山
の動物と植物) (上)、下段には海や川の動植物 (水草鳥魚) (下)
が、どれも雌雄、陰陽の姿として生き生きと表現されています。獣や
鳥、魚の他、蛙や貝、なまず、蝶、かまきりや想像上の動物など珍
しい彫刻が、内外両面に色鮮やかに彫られいます。これらの彫刻
の下絵のデザインは絵師 ・ 狩野探幽が描き、別の彫師に彫らせ
たと思われます。平成21年 (2009) の修理時に生彩色 (いけざ
いしき) がほどこされました。生彩色とは、彫刻に漆を塗り、金箔を
押した上から絵の具で色を付け、彫刻をより美しく、立体的に見せ
る彩色方法です。不幸なことに戦後、進駐軍の土産に持ち去られ
るなどして、現在は200枚だけのようです。無い場所には、彫り物
のない板が嵌め込まれているようです。進駐軍さん返して~。(笑)
 
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ここを訪れる人は外国の方が結構多いのです。 日光ほどの規模
はなくても、都心で手軽にプチ日光が楽しめる魅力があるのかも
知れません。参道から上野動物園内にある旧寛永寺五重塔が
見えます。見学は動物園の入園料を払って入る必要があります。

家康は、死を目前にして、秀忠に 「徳川の世は安泰だろうか」 と
尋ねた。安心できないという秀忠の答えに満足したという。それは、
人生の目標の達成に向けた、あらゆる努力が大切だ ということだ。
結果を得ることだけに気をとられるのではなく、努力の積み重ねを
忘れてはいけないということだったようです。家康はこの言葉を心
に留めていたに違いない。豊臣秀吉との合戦の小牧 ・ 長久手の
戦い (1584年) では、同盟を結んでい た信雄 (信長の遺児)が
単独で秀吉と講和してしまう。戦いの大義名分が 「信雄を助けて
秀吉を討つ」 であったため、家康はそれまで優勢だったにもかか
わらず撤退し、その後、秀吉に臣従する。万全な天下統一を成し
とげるため、謙虚な姿勢で優 れたものから学び、学んだことを
おろそかにしない家康の厳格 さや忍耐強さを、学生時代に聞
いてすごいと思ったものです。

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「上野東照宮の社殿 」  (国指定重要文化財)
上野東照宮の最大の見どころはなんと言っても、金色に煌めく社
殿です。「これでもか!」 というくらい金箔が沢山使われており、豪
華絢爛なことから、「金色殿」 とも呼ばれています。平泉の中尊寺
金色堂と並んで日本に二つしかない金色殿ともいう。社殿の目の
前に来たとき、古くから人々に尊ばれてきた空気感を全身に感じ
ました。足の先から全身に震えが走るほど、「金色殿」 から発せら
れる荘厳な雰囲気に圧倒されます。唐門までは無料で行くことが
できますが、社殿を近くで見る場合は拝観料が必要になります。
大人 (中学生以上) は500円です。唐門の内側になります。

慶安4年(1651) に三代将軍 ・ 徳川家光公が、大規模に造営替
えを したものが現存する社殿です。当時は寛永寺の一部でしたが
戦後神仏分離令により寛永寺から独立します。その後、戦争や震
災などの災厄に一度も倒れることなく、江戸の面影をそのまま現在
に残す、貴重な文化財建造物で、保護の為、社殿内は非公開とし
ております。 約300年という長きにわたる江戸時代を築いた徳川
家康公の他に吉宗公、慶喜公、 そして寒松院 (藤堂高虎)、天海
僧正の御神体が安置されております。

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参道側から拝殿、幣殿 (石の間)、本殿の三つの部屋から構成さ
れる権現造りです。こういう造りの拝殿は、日光東照宮とココだけ
だそうです。当時の幕府権力の象徴を感じますね。唐門以上に
豪華絢爛な社殿は、間近でみると圧倒されてしまいます。

普通、重要文化財に指定された神社は中に入ることが出来ない
のですが、以前は中に入れたので、これには驚いた記憶がある。
拝殿には家康着用の陣羽織、家康遺訓の掛け軸など遺品も展示
されていました。上を見上げると、一尺桝目の格天井に沿って三
十六歌仙の額が並べてあるが、金箔が剥がれたものが多く、破損
の様子が痛々しいかった記憶もある。修復後は、扉が閉められて
いて拝殿内部の拝観が出来ないようです。残念ですね。

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社殿外壁には豪華な彫刻が施されています。日光東照宮ほどの
絢爛豪華さはありませんが、それでも豪華な装飾が至る所に施さ
れています。さすがに総金箔というわけにはいきませんが、それ
でもあちこちに昔の金箔の名残が見て取れ、見物する人々を楽
しませてくれます。この上野の東照宮は、ひっそりとした中に驚
くほどの歴史を感じさせてくれます。歴史好きにはたまりません。

拝殿にある東照宮額は、後水尾天皇の真筆で純金、壁画は狩野
探幽作で桃山期の豪華雄大な画風による唐獅子が描かれてます。
社殿外壁の彫刻は鷹、鶴、鳳凰や獅子が力強く表現されているほ
か、松、菊、牡丹、芙蓉などの植物の美しく施されています。柱上
部や彫刻周囲の文様は、置上彩色 (おきあげざいしき) で装飾さ
れ、胡粉を何度も塗り重ねて厚みを出し、その上から金箔を貼る
ことで、文様が立体的に輝くよう工夫された豪華な彩色方法です。

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「唐門の内側」 (上) 透塀内から見た唐門の風景です。(下右)
日光では、あの有名な 「陽明門」 にあたる門なので、当時は遥か
に豪華なものだったのかも知れません。陽明門が一日眺めても飽
きないことから 「日暮らしの門」 と呼ばれるなら、こちらは夕暮れ前
の門でしょうか。彫刻・彩色・飾り金具が施され絢爛豪華な門です。

家康公は、人生に大切なことは、五文字で言えば 「上を見るな」。
七文字で言えば 「身のほどを知れ」 と言っています。大事を成し
遂げようとする者は、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく
穏便にすますようにせよ。滅びる原因は、自らの内にある。やっぱ
り凄いですよね。天下統一した人の名言は、1つ1つの言葉に重
みがありますね。

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「唐門裏側の彫刻」 唐門の唐破風の軒下の極彩色透彫りと飾り。
唐門の上 「染部分」 (下左) は、金箔を重ねて立体的にする置上彩
色を行っており、下から見上げた際に立体的な金箔が美しく輝いて
見えるようにしてあるという。この彩色方法は社殿に多くみられます。

上部の表面に 「錦鶏鳥」 (下右) の透かし彫りがあります。透かし彫り
は裏表どちらから見ても美しく見えるよう一本の木を両面から掘り出す
高い技術が必要で、当時の技術の集大成したものとして評価されて
います。NHK-BS2が2004年に放送して人気になった韓国ドラマ
『チャングムの誓い』 で、チャングムの幼少期からのライバルだった
クミョンが逃がしてしまって苦労した、あの錦鶏鳥です。希少価値の
高い珍鳥で、財運と福運をもつ慶鳥として大切に崇められています。

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唐門の裏側から見た扉の両側にある透かし彫りは 「諌鼓鳥」 と
松竹梅の透彫りが施され、室町 ・ 桃山時代の技術の集大成です。

「諌鼓鳥と松竹梅の透かし彫り」
昔、中国の皇帝が朝廷の門前に太鼓を置き、天子の政道に誤り
がある時は人民にそれを打たせてその訴えを聞こうとしたが政治
に誤りが無く打つことが無かった為、太鼓は苔生し鶏が住みつく
ほどであったと言われ、漢詩にも読まれています。天下泰平の
象徴とされ、徳川幕府も平和が続くよう願って彫られたと考えら
れています。 見事な透かし彫りでした。

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「大楠」  (上)
樹齢600年以上の上野の祖木といわれている御神木です。幹の
太さは8 m以上で、高さは約20mあります。樹齢600年といいま
すから、徳川家康江戸入府以前、将軍足利義持の室町時代から、
ここに根を下ろしていたことになります。根本はコンクリート固めで
あるとの表示がされていました。やはり歳ですからあちこち痛むの
でしょう。(笑) こちらは拝観料を収めて観ることができる透塀内。
「栄誉大権現」  (下)
本殿脇にお祀りしてあり、「お狸様」 と呼ばれ親しまれています。
まさか家康さんが 「狸親父」 と呼ばれていたからではないと思い
ますが・・・。江戸時代に奉献され大奥にありましたが、大奥で災
いをもたらし追放。その後も安置された大名、旗本諸家を潰した
悪業狸 として有名でしたが、東照宮に寄贈されてから災いがな
くなったといわれています。現在は、「たぬき=他を抜く」 という
ことで、受験の神様として信仰され、毎年多くの受験生の方が
合格祈願のお参りをされます。特に浪人の味方のようです。

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「お札授与所」  (上左)
幕末に寛永寺に彰義隊が立て籠もった上野戦争でも、第二次世
界大戦でも東照宮は、倒壊の危機を免れました。「奇跡的に倒壊
を免れて現存している」 と言うことで御守りが重宝されています。
ですが、忍者の 「手裏剣」 の形をしたお守りがありました。(上右
の左側) そう言えば・・・徳川家康を京都から岡崎城へと逃がす
のに一役買った忍者がいます。その忍者の名前を 「服部半蔵」
と言います。「服部半蔵」 は、最強の忍者として脚色され様々な
映画 ・ ドラマに登場し、忍者ハットリ君のモデルにもなっています。
そんな服部半蔵に因んだお守りなんでしょうか。珍し御守りです。

東照宮らしい特徴的なものは絵馬でしょうか。たぬきと ぼたんを
描いた栄誉権現社の御本尊のたぬき絵馬で、たぬきを 縁起物
として他 (を) 抜 (く) と書き、必勝祈願、学業成就に御利益 が
あるそうです。そして、その絵馬の多くが観光で訪れたので あろ
う外国人が書いたと思われるものが圧倒的に多いのです。(下左)
英語、フランス語、アラビア語っぽいものまで、多種多様です。

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「徳川家康の遺訓」
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる
時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

この意味は、おおよそ次のようなものです。
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなもの
です。急いではいけませんよ。不自由が当たり前と考えれば、不
満は生じないものです。心に欲が起きたときには、苦しかった時を
思い出しなさい。がまんすることが無事に長く安らかでいられる基
礎で、「怒り」 は敵と思いなさい。勝つことばかり知って、負けを知
らないことは危険です。自分の行動について反省し、人の責任を
攻めてはいけない。足りないほうが、やり過ぎてしまっているより
は優れているのです。 こんな感じでしょうか。

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幕府権力の象徴、煌びやかな 「東照宮」。江戸の象徴 「金色殿」。
金色殿や唐門も良かったのですが、白い上衣に緋袴 (ひばかま)
姿で、お守りなどを販売している巫女さん。「上野東照宮」 は将軍
のお膝元なだけあってか、巫女さんもとても可愛いかったです。

この東照宮、さほど有名ではありませんが、その建物はもちろ、
のこと、門や柱、塀、果ては灯篭にいたるまで、すべてが国の
文化財に指定されているほどの価値があります。上野公園へ
出掛け、お時間のある方は、訪ねてみてくださいませ、ませ。





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              aisatu10_20100424143608.gif 皆さまも楽しい夏休みを!!
               家族サービス&夏休みのため旧盆を挟んで
           8月10日から8月20日 頃まで、このブログをお休み致します。
               どうか、ご了承ください。熱中症にはくれぐれも注意を!

いつも訪問して頂きありがとうございます。


「十里の一歩と百里の一歩」

...2019/03/24 13:58...

「暑さ寒さも彼岸まで」
その言葉の通り、春分の日の翌日は東京は22度もあった。
彼岸の頃になれば、春ならば余寒の寒さも薄らぎ春らしくなる。
と、思いきや一転して、昨日は寒かった~。10度くらいだった
でしょうか。寒暖の差の激しさに戸惑い、北海道は雪が降った
というから驚きです。日本列島の長さと気候に改めて驚きます。

そんな、時ならぬ北海道の雪に驚き、また、時ならぬ雪の日に
大事件が起こった年が江戸にはありました。それは、今から
159年前のことです。1860年3月24日がその日。
この日は歴史上有名な、「桜田門外の変」 が起こった日です。

桜田門外の変は、日米修好条約締結や開港政策、
それに安政の大獄などによる倒幕派への強圧的な政策をとり
続ける大老井伊直弼への不満から、水戸 ・ 薩摩の浪士が
井伊大老の登城を狙って襲撃、井伊大老を暗殺した事件です。

桜田門外の変が起こった日、江戸には大雪が降ったとのこと。
それにしても、この時期に 「大雪」 とは驚きです。
江戸の人々もこの大雪は 「前代未聞」 といぶかった
そうですから、当時の人達も驚いていたようです。

もし、この日がこんな天気でなければ、ひょっとして
井伊大老の暗殺は失敗に終わって、日本の歴史も
今とは違ったものになっていた可能性もありますね。
「歴史にもしもはない」 といいますが、
やはり 「もしも・・・」 と考えてしまいます。

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さて、今朝は爽やかな日和りの東京です。
この暖かさに答えるように、東京でも桜の花が咲き始めました。
公園を歩いていると、桜の木の下で頭上を見上げる家族ずれ、
カップルの姿がそこかしこにありました。皆一様に、
咲き始めたばかりの数輪の花を見上げているのでした。
まだ2分咲くらいですが、きっと、週末は花見客で
桜の名所はごった返すことでしょうね。

今も昔も、この時期になると多くの人が楽しみにしている
のが花見。桜の花が散ってしまうまでの短い期間、
江戸の桜の名所を古地図片手に散策してみたい。

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「十里の一歩と百里の一歩」

十里の旅の第一歩。
百里の旅の第一歩。同じ一歩でも覚悟が違う。
三笠山にのぼる第一歩。富士山にのぼる第一歩。
同じ第一歩でも覚悟がちがう。
どこまで行くつもりか。どこまでのぼるつもりか。
目標がその日その日を支配する。

この言葉,まさにその通りだとは思いませんか?
この言葉は、横浜高校野球部の監督として何度も同校を
全国大会に導き、今はプロで活躍している松坂投手をはじめ、
多くのプロ野球選手を育てた監督の座右の銘なのだという。
松坂投手自身もその影響を受けて、自らの座右の銘にして
いるほどのようです。座右の銘は、自分の人生を狂わさない、
言わば羅針盤の役割も果たしてくれます。
何かあったときに思い返すだけで力が出てきます。

先日、居酒屋で幼馴染と飲んでいたら、近所の少年野球
の監督さんと遭遇。一緒に飲んでいて貴重な話が聞けた。
この言葉の持つ意味は深いものがあり、私も感銘をうけました。

目標や夢に置き換えて考えてみました。
簡単に達成できるものよりも、さらに険しく高い目標を設定して
その実現にむけた一歩を踏みだす。人間、気持ちの持ち方一つで
全てが変わります。強い気持ちを持つ! という動作が大切なのです。
諦めたその瞬間ゲームオーバーなのです。全てが終了してしまいます。

高い目標を達成するまでには、非常に苦しくなる時期が必ずある。
スランプに陥ってみたり、思いもしない妨げがあったり。
そういったものに出くわした時は、決してひるまず、
目標達成というゴールへ向けて着実に進んでいる
自分が、今そこにはいるのだということを自覚する。
そう考えるだけでも力が湧きますよね!

少年野球の監督さんが体験を例に話してくださった。、
高校生の時、河川敷で行われる校内耐寒マラソンで10 km を
走った時のこと。自分の持ちタイムで走りきろうと思えば決して
きつくはありません。10 km といっても最初は流れに乗って
いくので楽ですが、道中のポイントポイントでペースが上がると
脱落組がでてきます。ここで一踏ん張りするかどうかで全てが
決まります。7km地点を越えたあたりから9kmまでがヤマになります。
ついていくだけで精一杯の状況なので一番苦しい時です。
とにかく遅れはとらないということと、ただただ呼吸を整える
ことだけを考えていたという。

しかし、不思議なもので、あと1kmの看板が見えると今度は順位を
意識しだします。前を1人ずつ抜いて1つでも順位をあげていくぞ、
と気合をいれ、今まで一歩一歩歯を食いしばって走っていたのに、
何故か足も軽くなりラストスパートを決める自分がそこにはいました。
監督自身、短距離が得意だったので出来たのかもしれませんが、
あの時の快感はいまも忘れることができないと話す。
日頃の練習の成果が一番大切な時にだせたことは自信にも
つながったようです。

私たちの日頃の取り組み方も一緒なんですね。
目の前の行動も大切ですが、その先にある大きな目標
(自分の将来の夢) を実現させるためには何をするべき
なのかを、いい機会なので今一度考え直してみたいものです。
十里の旅ではダメですよ!
百里の旅の第一歩を踏みだす覚悟を決めて、
日々の行動を起こしていきましょう!

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明治150年記念
日本を変えた 「千の技術博 特別展」 2019

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同僚に誘われ終了間際に行って来たのが、国立科学博物館で
開催されていた日本を変えた 「千の技術博 特別展」。 明治改
元から150年、そして2019年に予定される改元。 時代が転換
するこの機会にあわせて日本を大きく変えていった科学 ・ 技術
の成果が一堂に集まるというので興味深く、出掛けました。

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「国立科学博物館」 (上)
明治10年 (1877) 設立の、国立では唯一の総合科学博物館。
約452万点に及ぶ貴重なコレクションを備え、自然と科学技術に
親しむことのできるスポットです。展示は日本館と地球館に分かれ
ており、それぞれ自然と生き物の歩みが詳しく紹介されています。
チケット (下右) は上野駅構内の販売所で購入したので、特別展
の入口に直接向かいました。(下左)

日本各地の大学 ・ 研究機関や企業などから、約600点を超える
貴重な科学 ・ 技術の遺産が上野の国立科学博物館に大集合!
世界に誇る科学 ・ 技術をつくり出した人物や世の中との関係に
まつわるエピソードを取り上げ、新しい技術に接した時の人々の
驚きや、当時の世相なども紹介していました。 中でも、「重要文
化財」 や、「化学遺産」、「機械遺産」、「情報処理技術遺産」 等
に認定された約50点の資料は特に注目でした。

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明治150年を記念した展示会で、明治から平成に至るまでの、
日本を変えた科学技術に焦点を当て、貴重な資料のほか、化学
者 ・ 技術者の発明 ・ 発見にまつわるエピソードや世相、関連す
る写真などをあわせて紹介しています。日本の科学技術の歩み
を振り返り、その強みや面白さにスポットライトを当てることにより、
科学 ・ 技術の未来を考えるという企画のようでした。 国立科学
博物館の展示会は、写真撮影がOKなのが多いです。資料に
なりそうなものは、パシャパシャ写真を撮って来ました。(笑)

明治150年記念
日本を変えた 「千の技術博 特別展」
会期     2018年10月30日( 火) ~ 2019年3月3日( 日)
会場     国立科学博物館 (東京 ・ 上野公園)
時間     午前9時~午後5時
入場料   一般 ・ 大学生1.6001,円 小 ・ 中 ・ 高校生600円

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第一章 明治維新 科学と技術で世が変わる
明治維新から明治20年代までを区切りとして、教育や科学者の
登場、度量衡・医療制度の制定、産業や西洋建築、電気通信な
ど西洋の科学技術の導入で、まさに世の中が一変していきました。

西洋の科学は、江戸時代でも、一部の学者には知られていました。
しかし、多くの庶民が学ぶようになったのは、明治になってからだと
いわれています。学校教育などを通して、国民のほとんどが科学の
初歩を学ぶ・・・・・そんな時代がやってきました。鉄道や通信などの
近代化を国家主導で進め、また 「学制」 や 「医制」 を発布し、近代
的学校制度と衛生 ・ 医療制度の基礎をつくります。日本人が主導
的役割を果たせるようになるまで、多くの外国人教師や技術者に
指導を仰いだのです。

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「エジソン クラスM (蓄音機)」 (上)
エジソン最初の商用蓄音機の一つ。バッテリーによる電動式で、
書き込みと消去ができる。この蓄音機はエジソンがアメリカ公使を
通じて明治天皇に献上した蝋菅蓄音機だそうです。東京科学博
物館として上野公園内に新たに開館した記念として、昭和6年
(1931) に宮内庁よりエジソン蓄音機と地球儀などが下賜され
たそうです。ボディには、銘板がついていて、「発明王トーマス ・
A ・ エジソンから天皇陛下へ。敬意を表して」 と刻まれています。
左側のは明治時代の宮中で使われていた電気扇風機です。
「蘇言機 (重要文化財)」 (下左)
わが国で最初に音が録音 ・ 再生された錫箔蓄音機。エジソンの
フォノグラフの発明を聞いたイギリス人が本機を制作し、来日後
の明治11年 (1878) に、東京大学理学部の実験室で日本初の
録音 ・ 再生実験を行ったようです。中央の円筒に錫箔を巻いて、
そこに金属の刃で表面を刻んで録音するのだそうです。この機械
から日本の録音文化が始まったのか、とロマンチックな気分にな
りますね。凄い名前です。「言 (言葉) が蘇 (よみがえる) 機械」。
「平野冨二の活版印刷機」 (下右)
明治初期の印刷界のパイオニアである平野冨二が手掛けた現在
する最古の機械。インクを盛った組活字板の上に紙を置き、そこ
に上蓋をしてプレス場所へと移動させ、人力でレバーを引いてプレ
スし印刷する。NHK朝の連続ドラマ 「花子とアン」 にも登場し、実
際に撮影にも使用されたそうです。機械遺産に認定されています。

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第二章 科学で変える
わが国の150年の科学 ・ 技術の歴史のなかから、いくつかの身近な
科学のトピックスを取り上げていました。初めての女性科学者の誕生、
明治時代に科学の研究から生まれた 「アドレナリン」、技術の発達に
日本人が大きく貢献した 「水晶振動子 ・ 時計」 と 「磁石 ・ フェライト」、
新しい質量の定義 「シリコン単結晶」 など見所がありました。

明治・大正の頃、欧米でも女性科学者はあまりいませんでした。日本
では、大正2年 (1913) に東北帝国大学理科大学 (現在の理学部)
に帝国大学としては初めて女性の入学を許可し、女性科学者が誕生
する芽ができたようです。そん時入学したのが、数学科の牧田らくと
化学科の黒田チカ、丹下ウメの3名です。黒田は日本女性2人目の
理学博士となり、丹下はアメリカで博士号を取得した後、日本女性
2人目の農学博士となりました。黒田の研究論文も展示されてました。

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「水晶時計の表示部 (国産第一号)」 (上)
東京工業大学教授の古賀逸策が、温度変化に極めて安定的な水
晶振動子を考案し、それを用いた標準時計などを開発した。古賀
方式の水晶振動子は、ほとんどの電子機器の中に多数使われて
います。理化学研究所の池辺常刀の設計による第一号で、一種
の同期電動機で、時刻を示す文字盤を備えています。当時、世界
一正確な時を刻んだ水晶振動子です。左側は、水晶振動子の切
り出し模型で、水晶を板状に切り出して両面に電圧を加えると、結
晶に変形が生じる。この現象を 「逆圧電効果」 と呼びます。それ
を応用すると、正確な発信器をつくることが出来るんだそうです。
「タカヂアスターゼ薬 (紙箱)」 (下左)
高峰譲吉が発見した消化酸素を製品化したタカヂアスターゼは、
科学的成果が製品に結びつき、世界各国で発売されました。現代
でも胃腸薬、消化薬の成分として活用されています。夏目漱石の
「吾輩は猫である」 にも登場しますね。また、助手であった上中啓
三が結晶化に成功したアドレナリンは、当時多くの研究者が競っ
て研究しています。(右側の瓶) 日本人が発明した世界的胃腸薬。
「K . S磁石鋼、新K . S磁石鋼」 (下右)
テレビや携帯電話など、ほぼすべての電子機器やスピーカー、モー
ターなどに使用されている磁性材料、それがフェライトです。酸化鉄
の粉末にさまざまな金属酸化物の粉末を混ぜ合わせ、高温で焼き
固めてつくる。 強い永久磁石になるハードフェライトと、磁気をよく
通すソフトフェライトを発明したのも日本人でした。これが無ければ
情報通信機器は存在しなかったのです。世界も驚いた強力磁石。

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第三章 くらしを変える技術
電気の登場により暮らしはより便利になりました。現代の生活に電
気が無いと生活が困難です。長時間電気が通じないと、電化製品
だけでなく、社会全体が機能しなくなります。電気の登場により、家
の中や夜の街をあかるくし、人々の生活と労働の場を広げました。
さらにそのシステムを利用した電化製品の普及は、人々の生活を
大きく変えました。

「あかり」 は、明治時代を通して大きく変わりました。江戸時代の灯
火に加え、カンテラや西洋ランプが広まり、続いてガス灯と電灯が
現れました。それに伴い夜は明るくなり、夜間の労働を生み出す。
しかし、家庭電化製品が登場したのは、まだほとんどの家庭に電気
が通じていない頃でした。わが国で初めて芝浦製作所 (現・東芝)
が電球つき電気扇 (扇風機) を製造したのは明治27年(1894)。
この時はまだほとんどの家庭に電気は通じておらず、電灯が灯っ
た家でも部屋にコンセントはありませんでした。

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「ガス灯とアーク灯」 (左)
明治の始めにランプに続いて登場したのはガス灯でした。石炭か
らつくったガスは、そのまま燃やすだけであかりとして利用できた。
さらに光量が5倍になるガスマントルの発明によて、炭素電球より
昼光にちかく輝くガスのあかりは商店などで愛用された。日本で
初めて電気による照明の実験は、明治10年 (1877) 頃。虎ノ
門の工部大学校講堂で、アーク灯が点けられたようです。(右側
がアーク灯) これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯され
た瞬間でした。目もくらむような光がほとばしり、講堂を照らした。
「攪拌式電気洗濯機 ソーラーA型」 (右)
アメリカからの技術導入により製造された国産第一号の電気洗濯
機。たらいと洗濯板を使う洗濯は、主婦の仕事のなかでも重労働
であったため、当時の主婦の家事労働時間を大幅に削減してライ
フスタイルを大きく変えました。戦後いち早く普及したようです。昭
和5年(1930) 頃の製品で、当時の価格で370円だったようです。

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「自動式電気釜 ER-4」 (左)
ある一定の年齢層の方には懐かしいデザインかもしれません。
電気で米を炊く装置は戦前からあったが、経験と勘に頼ってきた
火加減を自動化するのは容易ではなかた。東芝から自動式電気
釜が発売されたのは昭和30年 (1955)。発売当初はなかなか売
り上げは伸びなかったという。大事なご飯を 「楽して炊こう」 とする
など、あまり感心なこととは思われなかったことのようです。
「電気冷蔵庫 SS-1200型」 (右)
日本初の家庭用電気冷蔵庫。家庭用冷蔵庫普及のきっかけは、
アメリカ製のモデルを国産化し、国内生産への先鞭をつけた冷
蔵庫です。昭和5年 (1930) 東芝製で、当時の価格は720円。
当時の大卒初任給が50円の時代。当時の 「大卒」 というのは、
今の 「大学」 ではなく、全国に8つしかない 「帝国大学」、つまり
「超エリート」 だったのですから、そのぐらいでも妥当でしょうね。

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第四章 産業を変える技術
動力源としての発動機をはじめ、自動車、鉄道、船舶や航空機か
ら産業用ロボットや宇宙探査まで、技術は150年の間に驚異的な
進歩を遂げました。モノを燃やし、その熱で機関を動かし動力を
得る。それが蒸気機関車、スターリングエンジン、ガソリンエンジン
などです。さらに高速で回転する機関が必要となりパーソンズター
ビンが考案されました。現代の火力や原子力の発電所も、蒸気を
発生させ、タービンを回していることに変わりなく、その原型はパー
ソンズタービンです。

日本に初めて自動車が輸入されたのは明治31年 (1898) です。
その後自動車製作の挑戦が始まり蒸気自動車などがつくられ、自
動車産業の先駆けとなった。高度成長期には高速道路の建設が
進み、自動車産業の発達と自動車の普及は社会に変化をもたらし、
その社会の要請に応えながら、技術開発が進められてきました。
その間、東洋工業 (現 ・ マツダ) のロータリーエンジンやホンダ
のCVCCエンジンなど、世界が驚く独自の技術も開発されました。
現代ではより環境にやさしく、安全な車を目指して、再び電気
自動車が開発され、自動運転の実現も間近となっています。

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「パーソンズタービン」 (上左)
現在火力発電所や原子力発電所などで使用されているタービン
発電機の原型の一つで、イギリスの機械技術者が、1884年に
発電機駆動用に発明した軸流反動蒸気タービンです。反動ター
ビンは静翼 (固定羽根、衝動タービンのノズルに相当) で圧力降
下させるとともに、動翼 (回転羽根) でも圧力降下させ、動翼から
流出する蒸気の反動力によってロータを回転させるものです。
「全電気式産業ロボット (MOTOMAN-L10)」 (上右)
昭和52年(1977)、国内で初めて開発された全電気式の産業用
ロボット。従来の油圧式から全電気にしたことで、位置や速度の制
御性に優れ、保守点検が容易なことから、アーク溶接の自動化を
担い、わが国の自動車産業の品質の安定化とコストダウンに貢献。
その技術は進化し、日本はロボット大国と言われるようになりました。
「電気自動車とロータリーエンジン車」 (下)
20世紀はじめの電気自動車。(左側) 1900年頃のアメリカでは
約3割が電気自動車だったという。しかし、安価で性能の良いガソ
リン車が大量生産されにつれ、充電のわずらわしさや走行距離の
限界から、開発されなくなっていったという。展示している車は国
内を走った記録はないが元々熊本県球磨村の博物館にあったも
ので、大正9年 (1920) 頃の車のようです。世界を驚かせた実
用的ロータリーエンジン搭載のマツダ ・ コスモスポーツ車。(右側) 
東洋工業 (現 ・ マツダ) が昭和42年 (1967) に販売した乗用
車です。ロータリーエンジンは、熱エネルギーを、往復動機構を
経ることなく回転運動に変換できる原動機です。

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第五章 モノを変える技術
日本では古来より、天然の産物をうまく利用してきました。幕末に
西洋の科学技術が導入されると、積極的に新しい物質をつくり出
して活用するようになります。石炭の利用や製鉄は近代化の基盤
となり、空気から肥料をつくって食料が増産され、天然物や石油
などから新しい材料を生産して生活を便利で豊かにしました。

20世紀初頭にドイツで開発されたハーバー・ホッシュ法による空気
中の窒素ガスを使ったアンモニア合成は、日本だけでなく、世界の
本格的な近代科学工業の幕開けを告げ、しかも人類を救った画期
的な発明でした。日本の産業を支えた鉄鋼や炭鉱のほか、空中の
窒素から肥料や燃料を作り出すアンモニア合成技術から合成樹脂
・ 繊維、生活を変えた新素材まで化学の進歩が果たした役割を
紹介しています。

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「射出成型機とセルロイド製品」 (上)
射出成型機 (上左) は、熱可塑性樹脂を成形する装置で、プラス
チック材料を熱で溶かして金型に高圧で注入し、冷却して成形する
もの。戦後、日本の各社がこの装置をモデルに射出成型機をつくり、
戦後の日本のプラスチック製品の原点となったようです。初期のプラ
スチックであるセルロイドの製造がはじまり、昭和12年 (1937) に
は、生産量は世界一となったようです。かつては、筆箱や石けん箱、
玩具など身の回りのいろいろなものがセルロイドで造つくられました。
(上右) その後、石油系プラスチックにその座を譲り汎用樹脂とし
ての役割を終えました。おきあがり人形は、幼い頃、こうした人形で
遊んだ方も多いでしょう。(右上) 昭和の香りがする石鹸箱 (左下)
は、かぐや姫 「神田川」 の世界。小さな石けんをこうした石けん箱
にいれて風呂に行ったと思われます。 洗い髪が芯まで冷えて、
小さな石けんカタカタ鳴った。その上にあるのが筆箱です。
「ストッキングと第一号ナイロン紡糸機」 (下)
今や生活になくてはならない合成繊維ですが、日本におけるナイロ
ンなど合成繊維の歴史は比較的浅く、本格的に普及するのは戦後
になってからです。日本で初めて、昭和17年 (1942) にナイロン
の紡糸に成功したナイロン紡糸機。(下右) 東洋レイヨン (現・東レ)
は、ナイロンのサンプルを入手して研究し、製糸に成功。独自技術
により製造したナイロンストッキングを発売した。(下左) 「戦後、靴
下と女性は強くなった」 といわれたほど、ナイロンの登場によりスト
ッキングが強くなり、女性のあこがれのまとであったようです。

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第六章 生命に関わる技術
日本の科学研究は、東アジア特産の天然物の研究によりいち早く
世界レベルに達し、世界的な医薬品の開発はノーベル賞へと結実
しました。日本の伝統的な産業である養蚕や稲作は、明治期にな
ると科学的な品質改良が取り入れられ、大きく進歩しました。植物
や動物などを科学的に研究することで天然物化学や生命科学が
発展していきました。油脂や薬などへの応用、近代日本の主要
輸出品であった養蚕や日本の食糧を支えた稲の品種改良など、
私たちの生活はより豊かになりました。

人類は古来より、植物や動物を直接利用して暮らしてきました。
栽培植物であるイネや飼育動物であるカイコの品種改良は、長い
年月における経験と努力でなされました。明治時代になると、新し
い生物学の知識に基づいた育種法などが導入され、品種改良は
革新的に進歩しました。そして現代は植物や動物のゲノムが解
読されつつあり、生物の利用の仕方が全く変わろうとしています。

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「カイコ (家蚕) の品種」 (上左)
日本は、カイコを育て生糸を取る養蚕は、桑の生育に適しており、
江戸時代には幕府も奨励し非常に盛んでした。養蚕の技術も進
み、養蚕秘録のような技術書も書かれたようです。そして日本独
自の優良蚕品種開発が進み、輸出の第一は生糸であり、わが国
の近代化を支えたようです。江戸期から昭和期の繭の標本です。
「世界初のスタチン」 (上右)
天然物化学の伝統は現在でも引き継がれ、遠藤章博士は、約6千
株のカビとキノコを調べて生体内でのコレストロール合成反応を
阻害する物質を発見し、高コレストロール症の治療薬 「スタチン」
の開発に結びつけました。「スタチン」 は世界中の数多くの患者
を救った薬です。青カビの一種から発見されたのです。
「コシヒカリ (水稲農林100号) と現代の米の祖先」 (下)
植物の栽培は、気象条件によって左右されることから、冷害が起
こると、大きな被害を出してきました。研究熱心な農家が、冷害に
負けずに育っていた株を何年にも繰り返し栽培することによって、
独特の品種が生まれました。昭和28年 (1953) に越南17号の
系統名を付け誕生したのがコシヒカリ。(下左) 冷害でほとんど
のイネが実らなかった中、実をつけた稲穂の籾を原種として育成
し誕生されたのが、亀の尾4号で陸羽132号の親。現代のお米
の祖先のようです。(下右) 

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第七章 街づくりを変える技術
地震、雷、火事、親父。この怖いものリストの1番と2番は自然災害
です。突然襲ってくる自然災害。その国土で快適にかつ安全に暮
らすために、防災の技術が発達しました。震災の経験は耐震設計
を生み、重機は環境を住みよく変え、レーダーは自然に備える礎と
なりました。高層建築を支えた耐震設計、地震研究や土木 ・ 防災
技術を紹介。戦時中に発達した重機やレーダは、戦後民生用とし
て発展し、防災の場面で活躍しています。

光をとらえれば、遠くのものを見ることができます。電波をとらえれば、
遠くにあるものを知ることができます。第二次世界大戦中に発達した
レーダー技術は、戦後になると、航空、船舶の安全を監視し、気象
現象を観測し、今では自動車にも搭載されるようになりました。また、
レーダーの技術を応用した電子レンジは、家庭になくてはならない
家電製品となっています。

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「コマツブルドーザー G40」 (上左)
大規模な土木工事を人力で行うのは効率が悪い、そこでブルドー
ザーがアメリカで発明され、1940年代に日本にも輸入され、発電
所工事などに使われました。第2次世界大戦中、飛行場建設などの
目的で開発されたのが、国産初のブルドーザーです。ガソリン機関
トラクターの前方に、押土用のプレードを装着して改造し誕生した。
油圧方式は当時として画期的だったようです。それにしても、こん
なデカイのをよく会場に入れたなぁーと感心した。(笑) 
「富士山レーダー用マグネトロンM159A」  (上右)
富士山頂に、世界最大の気象レーダーがありました。これはレーダ
ーの心臓部です。昭和34年 (199) の伊勢湾台風による被害を契
機に、日本に近づくおそれのある台風の位置を早期に把握するため、
気象庁によって建設されたものです。高度成長期の日本を巨大台風
から守った 「富士山頂気象レーダー」。富士山に気象庁富士山気象
レーダーが設置されたのは昭和39年(1964)。気流の不安定な山
頂に、重量オーバーのドームをヘリコプターで設置するという無謀な
計画。その完成に心血を注いだ無名の男たちの挑戦を紐解いていく、
NHK総合テレビで放送された 「プロジェクⅩ 挑戦者たち」 をDVDで
見たことがあります。 当時、世界でも 最も高所に設置され、最も遠く
までの気象を観測できる最新鋭の施設で、以降、平成11年 (1999)
に気象衛 星にその役目を譲って歴史を終えるまで、35年間にわたっ
て日本の気象観測の文字通り最前線でありつづけたのです。

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「分割陽極マグネトロン」  (下左)
マグネトロンとは、極超短波の電気振動をつくりだす真空管。世界に
先駆けて日本人の研究が実用化に貢献しました。第2次世界大戦時
にレーダーの心臓部として開発が進み、民生用としても研究開発が
進められ、現在の電子レンジなどに使用されています。西洋の模倣
から脱却し、やがて世界を圧倒する独自の技術を獲得していった日
本の変遷や様々な分野における世界の動きが詳しく解説されていて
大変勉強になった。
「電子レンジ (業務用 DO-2273B)」 (下右)
昭和36年 (1961) に開発された日本初の業務用電子レンジ。
国鉄時代の食堂車に採用され、昭和36年(1964)の新幹線開業時
からビュッフェで、温かい料理を提供するという当時としては画期的
なサービスで、評判となったようです。その後、電子レンジ用マグネ
ットロンの開発が進み、小型化、低価格化により、瞬く間に家庭用
調理家電として普及しました。

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第八章 モミュニケーションを変える技術
遠くへ瞬時に正確に情報を伝える。実現させたのは電気による通
信技術でした。19世紀に有線電信で始まり、20世紀に入ってラジ
オやテレビなどが登場し、情報化社会へと発展してきました。そして、
コンピューターや人工知能(AI)は、人の想像を超えた速度で進化
しつつあり、人々のコミュニケーションが変わりつつあります。情報
通信技術が発展して、あらゆる産業に影響を及ぼし、我々の生活
を今までもこれからも一変させる可能性を秘めています。情報処理
と電気通信技術、音響 ・ 映像 ・ 光学 ・ 半導体技術の源流から
今までを圧巻の展示で構成していました。

1960年代に日本の社会に登場した、計数型電子計算機とよばれ
たコンピューターは、その名の通り計算やデーターを仕分けする目
的で導入されました。その後、プログラムを変えることにより、ゲーム
やワープロ、制御など多様な目的に使えるようになっていきました。
さらに、半導体技術の進歩はコンピューターの性能を飛躍的に上げ、
人間の能力を超えた大規模なシステムの制御や予測を可能にし、
大きく世の中を変えようとしています。自動計算機から人工知能へ
・・・・・時代は動こうとしています。

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「家庭用卓上電話と公衆電話」 (上)
黒電話は、アメリカ製の電話機のデザインに学び、自動式のための
ダイヤルを中央に配置し、コンパクトなスタイルとなり、以降の電話器
のスタイルの原型となった。保守すれば現代でも使用可能のようです。
黒電話は昭和8年ころ。黄色の電話は、電話ボックス用公衆電話で、
100円が使える公衆電話。昭和47年頃のもの。赤電話の正式名称
は「委託公衆電話」で、一般の電話と区別するためだったようです。
ダイヤルを廻した経験がない方も多くなった現在、黒電話や赤い公
衆電話が懐かしいですね。
「ポケットベル (ポケベル)」 (下左)
当初は呼び出し用端末として、電話をかけると着信音が鳴り、いつで
もどこでも呼び出せるというもので、呼び出された人は公衆電話等で
折り返し電話をかけ連絡を取っていました。その後送信者の電話番
号や10文字程度の数字列を送信できるようになり、「0840 (おはよ
う)」 「0906 (おくれる)」 「88951 (はやくこい)」 などの数字を使
ったメッセージのやりとりが大流行しました。サービスは終了しました。
「ショルダーホン100型」 (下右)
自動車から離れても利用できる車載 ・ 携帯兼用型自動車電話は、
電電公社の民営化の1985年に完成。その名も 「ショルダーホン」。
文字どおり、肩から下げて持ち運ぶことができ、歩きながら話せる。
今では当たり前のことですが、固定電話しかなかった当時はまさに
夢のアイテムでした。「しもしも~」 でお馴染みバブル芸人の平野
ノラさんで脚光を浴びたアレです。やはりどんなにお洒落なポーズ
をとってもゴツイです。(笑) スマートフォンにつながる端末の原型。

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「ニコン NIKKOR-S」 (左)
ニコン初の交換式一眼レフカメラで、世界中の報道カメラマンに愛
用されるきっかとなった機種。昭和39年(196)の東京オリンピック
のシンボルマークとして有名な亀倉雄策氏がデザインを担当した。
このレンズの製造年は1972年。グアム島で元日本兵、横井庄一
氏が発見され、ポツダム宣言から約28年経って帰国。同氏の 「恥
ずかしながら帰って参りました」 という発言が流行語となった年。
「テープレコーダーG型」  (右)
創業から数年して、東京通信工業(現・ソニー)が本格的に民生用の
分野に進出するきっかけとなった製品。しかし当初は、16万円という
高額であったため、一般消費者には手が出なかったようです。昭和
25年 (1950) の製品で、原品は未来技術遺産に指定されています。
テープレコーダーは、磁気テープなどのテープ状の記録媒体に、信
号を記録 (および再生) する装置で、普通、磁気テープに磁気記録
の形で電気信号を記録する。

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「ソニー ウォークマン 一号 TPS-L2」 (左)
昭和54年 (1979) にウォークマン1号機 「TPS-L2」 が発売された。
「音楽を携帯し気軽に楽しむ」 という新しい文化を創造した。小型化・
軽量化 ・ 薄型化を限りなく追求したのもウォークマンの歴史であった。
当初はあまり売れなかったが、西城秀樹が上半身裸、短パンでウォ
ークマンを聴きながらローラースケートをしている写真を雑誌に掲載
されたのを機に、店舗で品切れが続出し、その後の大ヒットしたという。
「ソニー ポータブルテレビ TV8-301」  (右)
ソニーが開発した世界初の直視型ポータブルトランジスタテレビ。
光を電気に変える光電管や信号を憎幅する電子管が登場して本格的
なテレビの研究が始まり、高柳健次郎が最初のテレビの研究を開始。
1926年12月25日、奇しくも大正天皇崩御の日。高柳博士は、石英
版に書いた 「イ」 の字の映像を機械式の円形撮像装置で読み取って、
電子式のブラウン管に送り、映像を映し出すことに成功します。世界
で初めてブラウン管に映像が送られた瞬間でした。「テレビ」 という
メディアはここから発達していきます。

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「HITAC5020 日立製作所製」 (上)
東京大学で真空管式計算機TACの開発にかかわった方が、日立
製作所に入社し開発を先導したという。努力と根性でつくたわが国
初の大型コンピューター。配線ミスひとつ許されない根性ものです。
科学技術計算だけなく事務計算にも適してるように設計され、加減
算を1秒間に約5万回できる処理能力をもち、外国機とそん色ない
性能であるが、現代のパソコンとは比較にならないようです。右側
の青いのが地球シミュレーター (初代) で、世界のスーパーコンピ
ューターのTOP500で2002~2004年の間計算速度第1位。
地球温暖化予想や地球内部ダイナミクスなどの研究に貢献した。
「日本語ワードプロセッサ JW-10」  (下左)
初の日本語ワードプロセッサ。文章の読みを文節ごとに区切って
入力する文節指定入力と漢字部分を指定して入力をする漢字指定
入力を供用することで、効果的な日本語入力を可能にした。かな漢
字変換技術で開発された言語処理技術は世界中の象形文字入力
技術に大きな影響を与えたといわれています。昭和54年(1979)
発売で、プリンターを搭載し、価格は630万円だったようです。
「電子式卓上計算機 コンペットCS-10A」 (下右)
オールトランジスター・ダイオードによる電子式計算機として、昭和
39年(1964) に世界でも最初期に発売され、その後の小型化や
普及に道を拓いた製品。ゲルマニウム ・ トランジスタ530個とダイ
オード2.300個を含む約4.000点の部品からなり、重量は25㎏
もあったようです。定価は53万5千円で、当時の大衆的な乗用車
とだいたい同じ値段だったようです。

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明治初年からの工業技術、産業技術の進歩スピードの半端なさを
目の当たりに出来る展示会でした。工部大学校を始め、様々な教
育機関で学んだ人たちが、いろんな分野で生活に必要になる技術
を開発していったんだなあと思った次第。「こんな短い年数で、ここ
まで進化したのか」 と、あらゆる分野の技術革新が手に取るように
感じられる展示でした。実用的なものはもちろん、コミュニケーショ
ンロボットのような娯楽に近いものもあって、人の暮らしを感じました。
痛そうな治療法の絵やレトロ家電、平野ノラが持ってる電話の実物
があって、意外と楽しかったです。紹介したのは、ほんの一部でしか
ありません。それにしても技術ってホント進んでるんだね。





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              aisatu10_20100424143608.gif 皆さまも楽しい夏休みを!!
               家族サービス&夏休みのため旧盆を挟んで
           8月10日から8月20日 頃まで、このブログをお休み致します。
               どうか、ご了承ください。熱中症にはくれぐれも注意を!

いつも訪問して頂きありがとうございます。


「基礎の大切さ」

...2019/03/17 09:40...

やわらかな日差しのぬくもりに心が 浮き立つ 「春隣」。
日中は気温もあたたかく感じるようになってきましたね。

3月は卒業シーズン。
お子さんの卒業式だという方もいらっしゃるでしょう。
最近では、ランドセルリメイクが流行っているそうです。
使い古したランドル。処分するには忍びないという方が、
パスケースや長財布など、今後も使用できるものや、
ミニランドセルを作って記念になるものに作り替えるらしい。

さて、かみさんが近くの幼稚園の前を通った時の事。
園内の方に何となく目をやると、女の子が縄跳びをしている
姿が目に入ったという。女の子は縄とびにまだ慣れてない
様子だが、一生懸命跳んで、おそらく5回くらい跳べたのだろう。
誇らしげな笑顔で、先生のところまで走っていったという。
すると、先生が笑顔でその女の子をギューッと抱きしめ、
何回も頭をなでた。心温まる光景に、かみさんは自分の
幼稚園時代を思い出したようだ。

5歳のころ、大好きだった先生に抱っこしてもらいたくて
仕方がなかった。でも、内気だったのでどうしても言い出せず、
積極的に抱っこしてもらっている友達のそばで、その様子を
じっとみているしかなかった。ある日、もじもじしていると
先生が手招きして、抱っこしてひざのうえにのせてくれた。
一度もせがんだことはないのに、様子だけでわかって
くれたことが本当にうれしかったという。

もう何十年も前の出来事だが、いまでも、あの時の先生の
ぬくもりを覚えている。思えば、その頃から少しずつ、
積極的な子になっていった気がすると話していた。

そんなかみさんの話を聞きながら・・・・・・。
親は、わが子をいっぱい抱っこしてあげないといけない
と思った。身近なぬくもりは、きっと元気のもとになるの
だろうから。幼い心は、やっぱり親のぬくもりが大事なん
だろうから。何よりもそばにいてくれるだけで安心なの
だろうから。幼い心はいつも望んでいるに違いないから。

いちばん大切なもの それは 「いのち」。
そんなあたりまえのことが おろそかにされてる今、
いのちの尊さ、子どもの人権を考えなければなりません。
何よりも大事な子供の 「いのち」 を親として守らねばなりません。
昨今の児童虐待なんて、親のすることではない。
自分たちが望んだ小さな命を責任を持って育てなければと。
ほんものの親になるために・・・・・・そう思いました。

そして、来週は春分の日がありますね。
いよいよ、また新しい季節のはじまりです。
春分の日の、日の出の陽光にはパワーがみなぎっていると
聞いたことがあります。早起きしてたくさん光を浴びてください。
春らしい日差しが注ぎ、心が和む日も近い。
上着をを脱いで飛び出そう~。
いち、にいっ、さぁ~ん。

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「基礎の大切さ」

「学問の道は奥が深くて、何年やってももうこれでいい!
ということはないが、テーマを決めたら三年を一つの
区切りとして、集中的にやってみるといい」 と職場の
上司に何かの折に触れて言われたことがあります。

最初の三年間が基礎を固める上で特に重要だという。
何をやるにしても 『石の上にも三年』 といいます。
たとえば子どもの場合、ピアノ教室でも水泳教室でも、
書道塾でも珠算塾でも、一旦通わせたら、才能の有る
無しにかかわらず三年位はじっくりとやらせてみないと、
基礎が身につきません。

中には器用な子供もいて、基礎をしっかりやらなくても
一通りこなす子もいますが、実はこれが落とし穴なん
だという。親の欲目で、うちの子は才能がある!
と勘違いしてしまうんですね。器用な子は始めはパッと
華やかに見えますが、基礎がしっかり身についていないと、
ある所でパタリと進歩が止まってしまうようです。
ウサギとカメの童話のように、ある時点でコツコツと
地道に努力して来た者に必ず追い越されてしまうらしい。

この時、親も子ももう一度基礎からやり直すことに
気付けば良いのですが、親の欲目と子のうぬぼれで、
あれがダメならこれがある!これがダメならそれがある!
とばかりにダメの梯子をした挙げ句、結局は何一つモノにならず、
すべてが中途半端な器用貧乏で終わってしまうことになります。

孔子の教育方針に 「子以四教。文 ・ 行 ・ 忠 ・ 信」 という
のがあります。子 (し)、四 (よつ) を以 (もっ) て教 (おし) う。
文 (ぶん) ・ 行 (こう) ・ 忠 (ちゅう) ・ 信 (しん) と読み下します。。
 
一、 「文」 本をよく読むこと。
二、 「行」 口先だけでなく実行すること。
三、 「忠」 人に親切にすること。
四、 「信」 約束は必ず守ること。

という感じでしょうか。これなどは現代でも 「家庭教育の指針」
として、立派に通用するのではないでしょうか。 

子どもには、しっかりと基礎を学ばせるのが大事なんですね。
基礎知識 ・ 基礎体力 ・ 基礎技術を身につけさせる。
余程特異な才能でもない限り、基礎を疎かにした子は伸びられ
ないんです。何事も徹底した反復練習をしないと、身に付かない
ものです。 「親の、子に対する贈り物の中で最良最大のものは、
子供に良き習慣を身につけさせることです」 と何年か前に語った
上司の言葉を思い出しました。

We must learn to walk before we can run.
   (走る前にまず歩き方を習わなくてはならない )

何事も 「基礎が大切」 なんですね。


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   ~春を探しに~
         ― 浜離宮恩賜公園 ― 

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春の陽気に誘われて 「浜離宮恩賜庭園」 に行ってきました。 本当
は、ここが目的で出かけたのではなく、秋葉原へ電子部品を購入し
た帰りに浜松町駅の小便小僧に会いに寄ったのですが、ホームで
カナダから来たという方に 「浜離宮恩賜庭園」 に行きたいが、と訪
ねられ、説明するのも面倒だし、ちょうど菜の花が咲いていることも
あり、案内がてら一緒に行った次第です。近頃は、外国の観光客
の多さに驚くばかりですね。何処へ行っても外国人ばかり。(笑)

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「浜離宮恩賜庭園」 (上) 「大手門橋」 (下左) 「大手門出入口」
(下右) 浜離宮恩賜庭園へは、色々な行き方がありますが、今回
は、JR ・ 新橋駅の地下道を通って汐留方面に向かいます。 大手
門橋付近の交差点は工事中もあって、分かりづらく複雑です。
築地川にかかる大手門橋を渡り、大手門から入って行きます。

開園時間 :  午前9 時~午後5 時
入園料   :  300 円 ・ 65歳以上150 円

庭園入口には無料の音声ガイドを外国の方に提供しています。
これがすぐれもので、説明設定の場所に近づくと自動的に反応し
て解説が始まります。自由自在に園内を散策して、なにもしなくて
も音声ガイドしてくれるので、外国の方にも人気のです。入場料金
は300円と、いつもながらお財布に優しい価格です。個人的には
浜離宮はあまり にも広すぎて、庭園とは思えない造りだと思うの
ですが、春の菜の花と言えば、都内ではここ浜離宮恩賜庭園が
あまりにも有名です。 今回は菜の花と梅の花を中心に紹介します。

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この地は、寛永年間 (1624-1644年) までは、将軍家の鷹狩場
で、 一面の芦原でした。ここに屋敷を建てたのは、四代将軍家綱
の弟で甲府宰相の松平綱重。その後、綱重の子の家宣が六代将
軍になったのを契機に、屋敷は将軍家の別邸となり、名称も 「浜
御殿」 と改められました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、
改修工事が行なわれ、11代将軍家斉の時にほぼ現在の姿の庭
園が完成しました。明治維新ののちは皇室 の離宮となり、名前も
「浜離宮」 となりました。その後、 関東大震災や戦災によって、
御茶屋など貴重な建造物が焼失 したり樹木が損傷し、往時の面
影はなくなりましたが、昭和20年東京都に下賜され、昭和21年
に都立公園として一般公開されるに至りました。

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まず最初に向かったのがお花畑。都心のオアシスの貴重な花畑
の 絶景です。春の陽射しに、恩賜庭園の菜の花畑が 一面黄色
い花 で輝いています。都会にも春が訪れた、そんな光景ですね。
一度 スイッチが入った春の花たち、菜の花が一面に広が り見頃
を迎え、 確実に春は訪れているようです。

これぞまさに、「都会のオアシス」!
汐留に集まる日本が誇る企業のオフィス群の足元に、浜離宮恩賜
庭園の菜の花畑は広がっています。  まさか、東京の都心のど真
ん中に、それも高層ビル群に囲まれてこれほどの規模の菜の花畑
があったとは。その圧倒的スケールに、誰もが驚嘆することでしょう。 
こんなトコロが東京のヨサ。高層ビルの麓にある菜の花畑もいいも
のです。 数万本の菜の花の絨毯が見頃を迎えていました。

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都会のビル群を間近に控えた庭園 ですが、その光景に不思議と
違和感がありません。都会にこれだ けの菜の花畑は貴重 ですね。
(上) 菜の花畑のはるか向こうに、晴海ふ頭で見たビルが立ち並
んで いて、すごく不思議な空間です。(下) 菜の花に溶け込んで
しまうくらい目 の前で飽きるまで見つ めていました。黄色い花に
は何か元気が貰えそうです。

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菜の花は、地中海沿岸を原産とするアブラナ科の植物で、日本へ
は弥生時代に中国から渡来したと言われています。菜の花その物
を食べるようになったのは、意外と遅く、明治時代以降のことです。
それまでは照明用の燃料である菜種油を採るために、栽培されて
いたと言われています。現在では、地球に優しいリサイクル資源
として注目されています。私たちが食用とする菜の花は、成長過
程によって呼び名が異なります。 若い茎葉が食用になるときは
「青菜」、花を付けているときは 「菜の花」、種子ができたときには
「油菜」 と呼ばれています。

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花畑の中を歩ける道があります。菜の花によって作られる一面の
イエローカーペットの中を歩くのは、本当に気持ちの良いもの。
その心地良さは、どれだけ歩いても飽きることがありません。
誰もが癒されると思います。

日本を代表する花である 「桜」 と並んで、春を象徴する花と言えば、
「菜の花」 でしょう。関東では春の訪れを告げる2月下旬から暖かく
なった4月にかけて咲き誇る、まさに春の花です。菜の花というと、
もっと広大で雄大な自然の中に見渡すかぎり咲き誇る姿をイメージ
していましたが、都心のビル街に咲く姿は東京ならではのものです。  

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花畑中の一部を切り取ってしまえば、ここが都心のど真ん中だなん
て分かりません。背景にはどこまでも続く黄色い菜の花畑が広がっ
ている・・・・かのよう。 実際にかなり広いのは確かですけど。 春の
陽射しもあったので、菜の花が一段と鮮やかに見えました。アマチ
アカメラマンの多いこと。年配の女性の方が、一眼レフのファインダ
ーを覗いて真剣に撮っていました。こちらはデジカメです。(笑)

  菜の花畠に、入日薄れ~
大人になっても、好きな歌にあげる人が多い 「朧 (おぼろ) 月夜」。
「春風そよふく 空を見れば」 というような、日本的な豊かな季節感
を表現し懐かしさのあるメロディーです。一番は、春風が小さい花
びらを揺らす一面の菜の花畑。二番は、さらに時が進み、「里わの
火影も」 「森の色も」 「田中の小路を たどる人も」 のように見えるも
のだけでなく、「蛙のなくねも」 「かねの音も」 など耳でとらえたもの、
そして 「・・・・も」 で列挙されるすべてのものが霞んでいる、のどか
な春の情景です。歌を口ずさめば、だれでも心の中に静かで幻想
的な菜の花畑が広がります。 それは、いつかどこかで見た事が
あるような思いを抱かせます。まさに春めく風景です。

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東京都心部というと広大な菜の花畑が作れるような場所など、まず
期待できない訳ですが、そんな都心のしかも一等地にある浜離宮
恩賜庭園では、毎年、春になると広大な菜の花の群生が見られれ
るのです。高層ビル郡も菜の花をのぞいているのでしょうかね。
こんなトコロが東京都、しかも銀座のすぐ近くにあるんですよ! 

背後に見える高層ビルは、向かって右端半分に映っているのが
「電通本社ビル」 で、通称 「カレッタ汐留」 ビルです。3番目のビル
がコンラッド東京が入る 「東京汐留ビル」、左隣りの青っぽいビル
が 「汐留住友ビル」 です。さらに隣が 「日本通運本社ビル」 です。
左端の2塔ビルは 「タワーマンション」 です。

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黄色のジュータンと青空のコントラストが気持ちいいです。
一般的に春到来を告げる季節の風物詩と言えば、真っ先に思い
つくのが桜・・・ソメイヨシノの開花だと思いますが、広い敷地内に
黄色い絨毯のように咲き誇る菜の花もまた同様に春到来の風物
詩じゃないかと思います。特に菜の花の場合は黄色い花が 「春
の陽気」 を連想させるので、桜の開花以上に春らしく、そして温
かみのある光景じゃないかと思います。そんな光景が東京・・・、
しかも都心のど真ん中で見る事が出来ます。浜離宮こと 「浜離
宮恩賜庭園」 です。 左側のビルが 「電通本社ビル」 です。

今日はよく晴れた暖かい日。黄色のジュータンの菜の花。春をま
どろむ鳥たちにやさしい春を感じました.。 菜の花畑で1時間以上
過ごしてしまいました。いくらでもシャッターが切れてしまってキリ
がないし、せっかくなので浜離宮を少し散歩しました。 ただし、
思ったよりも広すぎて、すべてを回ることは出来ませんでした。

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春を告げる菜の花のほかに、忘れてならないのが梅の花。
日差しの暖かくなるこの時期に、一足早い春の到来を告げるのに
梅の花があります。春がそこまで訪れていることを気づかせてくれ
る梅の花は、サクラと並び、古くから日本人に愛されてきました。

浜離宮恩賜庭園にも梅林があり、八重寒紅 ・ 白滝枝垂 ・ 冬至 ・
八重野梅 ・ 紅千鳥など、様々な種類の梅があります。見頃は3月
上旬。早いものでは八重寒紅が1月から、枝垂梅は2月中旬が見
頃のようです。今年の梅は、全体でみると比較 的ゆっくりとしたペ
ースで咲き始めてるようでした。まだ頑張って梅が咲き残ってます。
梅の花の甘い香りに、顔もほころんだ一日で した。

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ここでも菜の花の他に梅にも外国の方が群がって、盛んに写真を
撮っていました。都会のオアシスに満足しているようです。梅は枝
に沿うように咲きます。桜のように密集して咲かないのが特徴で、
そのため写真に撮ると、ちょっと散漫な感じになってしまい残念。

梅は中国原産の花木で、朝鮮半島を経由して日本に渡ってきたと
いわれています。正確な渡来時期はまだわかっていませんが、『万
葉集』 では100首を超える歌が詠まれていることから、奈良時代に
はすでに栽培されていたようです。観賞価値の高い花を咲かせる
「花ウメ」 と、薬や食品加工用に向く良質の実をつける 「実ウメ」 に
分けられ、目的の違いにより剪定方法や肥培管理など栽培方法が
異なるようです。花ウメの観賞対象は花のほかに香りや、幹の形や
枝ぶりです。寿命の長い樹木なので、年月をかけて樹形をつくる
のも楽しみの一つのようです。

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「緑萼 (リョクガク)」 (上)
ウメと言うと白やピンク色などを連想しますが、花の色は微妙に薄
い緑だが、名前のようにつぼみを包む殻が緑なので、遠めにもはっ
きり緑色がかって見えます。枝垂れ性のものは リョクガクシダレと
呼ばれるようです。中国が原産地で、日中友好の品として中国か
ら各地に寄贈されているようです。「桜より 梅が好みの隣国で 
緑萼梅は珍重されて・・・・」。

「豊後 (ぶんご)」 (下)
「豊後」 はウメとアンズの交雑によって生まれたものです。ウメの花
は元来白色ですが、アンズと交雑することで花色の分化が生まれ、
紅梅ができたといわれています。遣唐使により九州地方にもたらされ
たものが、全国に広まったといわれています。ブンゴウメ (豊後梅) は、
その名の通り豊後国 (今の大分県) が、発祥とされていて、江戸時
代には杵築松平家から徳川将軍家にその実の砂糖漬けが献上され
ているなど、古くから豊後の名産として知られていたようです。「清楚
で優美な花」 と形容され、その通りの気品溢れる花であると思います。

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「見驚 (ケンキョウ)」 (上)
梅の女王とも呼ばれ、淡い桃色の大輪の花は八重咲きで、見るも
のを驚かせるということから、見て驚かせる (見驚) と命名された
とのこと。野梅系 ・ 野梅性の遅咲きの梅で、まさに咲き始めでした。
花の色は淡い桃色ですが、開花が進むと白色になるようです。豪快
に咲いてびっくりさせようか? そんな感じの梅でした。女王という
よりもウメのお嬢様という感じでした。この梅は好きかも・・・・。うふ

「白加賀 (しらかが)」 (下)
花も実も楽しめる古くから親しまれてきた優良品種。花粉少なく、
受粉樹が必要のようです。関東地方に多く流通している青梅で、
果皮は淡黄緑色で、肉厚で緻密です。旬は6月中旬からで、用途
としては梅干しや梅酒、梅シロップなどに向いています。江戸時代
から栽培されていたようですが来歴は不明のようです。梅酒か~。

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思い通りにならない淡い紅色、紅色、絞りの花がつく。このたまに
咲くうすい桃色がイイ。咲分けも良いし、一輪、一輪と探し、更に
一輪の花びら2~3枚がピンクに咲くのを見つけるのも楽しいです。

「思いのまま」
梅には、一本の木に紅白の花を一緒につける種類があります。
それが 『思いのまま』。(上) どんなふうに花が咲くのか、人間の
手では決して制御できないことから、『思いのまま』 と名づけられま
した。一本の木に白や紅と違った色の花が咲くことを 『咲き分け』、
花びらそのものに色が混じることを 『絞り』 と言います。(下右)
こちら人間の方の 「思いのまま」 ではなくて、梅自身の 「思いのま
ま」 に咲くことに、計り知れない自然の不思議さを感じます。「ああ
もした い、こうもしたい」 とは思いますが、なかなか思い通りにな
らない昨今、 「梅の木」 の方から 「思いのまま」 の気持ちを聞け
るものなら、 聞きたいものですね。 (笑) この梅に気付かない方
が多かったです。「思いのまま」 の札を見つけても何なのか・・・と。

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花木園に、見事な 「カンヒザクラ (寒緋桜)」 が咲いていました。
誰もがイメージするような淡い白色でわーっと花が咲くのではなく、
濃いピンクのつり鐘状の花がかわいらしく咲いています。どこより
も早く春の訪れを感じさせてくれるカンヒザクラ。そのかわいらしい
佇まいの桜を堪能しました。「沖縄で、全国初の花見」 とのニュー
スが毎年ありますが、花見の花は、この 「寒緋桜」 のことです。

「カンヒザクラ (寒緋桜)」
寒緋桜の特徴は、濃いピンクの花が釣り鐘のように下向きに咲く。
(下右) やや小ぶりな一重の花が咲き、同時にいくつも花が咲く
ため、それほど小さくは感じません。むしろ下向きに咲く姿が、他
の桜にはない美しさと迫力を生み出しています。「寒」 い時期に
「緋」 色の花が咲く 「桜」 ということで、寒緋桜と呼ばれるようにな
ったようです。沖縄では桜と言えばこのカンヒザクラ (寒緋桜) を
指します。 文字通り 「あでやか」 な赤にも紫にも近い濃い色は、
やや気まぐれで美しい女性を連想させます。ちなみに桜の花言
葉の一つに 「優美な美人」 というものがあります。こちらも美しい
女性に例えられていますが、寒緋桜もまた美しい女性に例えら
れているんですね!

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冬の寒さがまだ厳しい時期に、一輪また一輪と咲く梅の花は、派手
な美しさこそ感じられませんが、そこは何となく耐える力強さといった
ものを感じさせる早春の花だと思いますよね。今ではお花見というと
桜のことだが、万葉時代には梅の方が人気があったようです。「わが
園に 梅の花散る ひさかたの 展より雪の 流れくるかも」 というの
は、万葉歌人の大伴旅人が梅に感嘆して詠みました。

「ウメ (梅) に関わる諺」
「サクラ (桜) 伐るバカ、ウ メ (梅) 伐らぬバカ」 というのは、春に咲く
代表的な花であるサクラとウメの2ツを対比しつつ、栽培上の注意を
示したもの。サクラはむやみに伐ると、切り口から腐敗しがちであり、
剪定するときには注意が必要である。一方、ウメの樹は剪定には強く、
むしろ、かなり切り詰めないと徒枝が伸びて樹形が台無しになるばか
りでなく、実の付き方も悪くなるという諺です。

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菜の花や梅に引き寄せられるのは人間だけではありません。花に
は蜂や蝶や鳥などが群がっているのが常です。ここ菜の花畑でも、
その一角でハクセキレイ達の賑やかな声が! またムクドリが蜜を
吸いにやって来たようです。あれっ、こんなところに猫が散歩して
いて、ちょっと驚きです。やけに人なつっこいネコでした。(上)

「ム ク ド リ」 (下左)
全身は黒味のある褐色で、頭は灰色がかった黒褐色。
目の周囲から頬にかけて不規則な白斑があります。この白斑は
個体によって違っていることが普通です。くちばし、足は黄色です。
地上を歩いて餌を探すことが多く、その時にはくちばしを草株の間
に入れて開くことで、地面や草株にひそむ虫を探しています。
「リャー リャー」 とか 「キュリリッ」 といった鳴き声をします。
「ハクセキレイ」 (下右)
頭から背は黒色か灰色で、腹と翼は広く白色で、尾が長いセキレイ
の仲間。白い顔に目を通る細い黒線があります。海岸、河川、池沼
など水辺の他に、農耕地、駐車場、道路、工場内の舗装地など他
の鳥が利用しない無機質的な場所にも生息できています。「チチン 
チチン」 と鳴きながら、波形に飛ぶのはセキレイ類の特徴です。
水生昆虫の他、小さな虫類を捕えています。

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「中島の御茶屋」 (上)
中島の御茶屋は、江戸の大名庭園等に設けられた園遊接待のた
めの施設です。宝永4年 (1707) 6代将軍徳川家宣が建てられて
以来、将軍をはじめ御代様、公家たちがここで庭園の見飽きぬ眺
望を堪能したのでしょう。水の面に映える橋と茶屋の姿は、風趣に
富んでいます。室内は畳部屋 (下左) の他に、テーブルといす席
が設けられています。団体客が退席したので立ち寄ってみました。

将軍や公家の方々は、ここ中島の御茶屋で 「茶」 を楽しみながら
眺望を堪能したというので、私も季節限定の 「上生菓子抹茶セット」
を注 文 (下右) して、お殿様気分で抹茶を一服頂き ました。「春に
ちなんで菜の花をあしらいました」 と生菓子の説明を受けました。
四季折々の季節感が小さな菓子の中に彩られ、口の中にも春が
広がった感じで美味しかったです。結構なお手前でございました。
最初はテラス以外は、人も少なかったのですが、直後に十数人の
外国人観光客の一団がやってきたので退散。

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都会の菜の花は、江戸の香りを今に伝える庭園で力強く咲き誇っ
ていました。東京の歴史の流れを江戸時代から見守ってきた、
浜離宮恩賜公園で和を感じ、心癒されました。

庭園内でも外国人観光客がたくさんいて、浜離宮は観光スポット
になっているようです。たしかに和の雰囲気いっぱいでイイでしょ
うね。庭園の池には、ビルが映り江戸・明治・現代が不思議に調
和して見えます。現代人の目から見ると、公園も庭園も変わらな
いものとして映るかもしれません。もし同じ散歩をするなら、確か
にジュース代くらいの入園料はかかりますが、こういう場所で散
歩をしてほしいと思います。歴史と伝統に触れる、いいチャンス
になりますから。「浜離宮恩賜庭園」 は、お勧めです。





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              aisatu10_20100424143608.gif 皆さまも楽しい夏休みを!!
               家族サービス&夏休みのため旧盆を挟んで
           8月10日から8月20日 頃まで、このブログをお休み致します。
               どうか、ご了承ください。熱中症にはくれぐれも注意を!

いつも訪問して頂きありがとうございます。


「東日本大震災から8年」

...2019/03/10 18:36...

6日は啓蟄 (けいちつ) でした。
「土中で冬ごもりしている虫」 の意味で、大地 が
暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、
穴から出てくる頃といわれています。

さて、関東地方で春一番が吹いたという。
昨年より8日遅いとのことです。
東京もここ数日は 「春」 の訪れを感る日々です。
春一番は立春から春分までの間に、日本海側
の低気圧に向かって強い南風が吹き、気温が
上がった場合を指す。以前は震えるほどの
寒い日もあったが、ぽかぽか陽気だ。

だが、「春が来た!」 と思いきや、同じ日本でも
北国は寒さに震える日々という。こうも季節の
違いに驚く。北国にお住まいの方は、
まだ 「春遠し」 なんですね。

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近くのビルの駐車場で随分カラフルな車を発見。こんな車もあるん
だぁと近づいてみたら、なんとステッカーが沢山と貼られていました。
しかも交通安全ステッカー。それも日本全国のあらゆる神社のステ
ッカーが所狭しと貼られています。ご当地の神社でなければ売てい
ないので、日本全国を回ったのでしょうかネ。各神社で祈願された
お守でもあるわけです。凄いと思います。

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「車に直接貼れるステッカーお守り」
神社やお寺に行くと、いろんな種類のお守りやお札の片隅に交通
安全祈願のステッカーが売られていることがあります。 交通安全
お守りの車内に取り付けられる吸盤タイプは、皆さん取り付けて
いる方もいるとは思いますが、1~2枚はあるかもしれませんが、
これほどのシールは無いんじゃないですか。道行く人が、必ず
振り返ってみていました。(笑) なのでチョット紹介しました。

交通安全もあれば、航空安全もあるんですね。(下右 ・ 鳥居の形)
現在の羽田空港付近で一大行楽地として栄えた穴守稲荷のものです。
第二次世界大戦後に空港拡張のための強制退去の対象となりました
が、 地元の人たちの協力で、今はやや陸側に移転しています。
もともとは海村の水の神様だったようです。 左側のは、神奈川県藤沢
市江の島の江の島神社です。凹凸のステッカーです。色々あるんですね。

「一陽来復」 という言葉があります。
去って行った太陽が、めぐってまたやってくると言うこと。
厳しい冬もいつかは終わり、暖かい 春がやってくる。
春は心楽しいものです。 北国でも間もなく春が訪れます。
春に咲き乱れる美しい花々が咲くのを待ちたい。
皆さん、車は安全運転で・・・・・。

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「東日本大震災から8年」

東日本大震災の発生から8年となります。
岩手、宮城、福島の3県では約3000人余りが、今でも
プレハブ仮設住宅での暮らしを余儀なくされているという。

震災のあと最大11万人以上がプレハブの仮設住宅で
暮らしていました。自力での住宅再建や災害公営住宅の
建設が進んで退去する人は増えました。一方で、震災から
8年となる今でも多くの人が仮住まいの不自由な生活を
続けていて、一部の地域では土地のかさ上げなど土地
区画整備事業の遅れが課題となっているようです。

「津波を見たら高台に逃げろ」
岩手県宮古市田老地区。明治29年、昭和8年、そして、
平成23年と巨大津波に襲われてきた。中学生になると、
津波の脅威を学ぶのだという。「とにかく逃げる」。
50代の漁師は言う。東日本大震災で自宅と漁師小屋を
流され、いまも仮設小屋で作業する。震災時はトラックを
走らせ高台に逃げた。

田老地区には 「万里の長城」 と呼ばれた総延長2.4キロ、
高さ10メートルの防潮堤があった。昭和8年の津波を経て
整備され、津波に強い街をつくったはずだった。だが大震災
の津波はこれを越えて押し寄せた。高さは平均16メートル。
181人の死者 ・ 行方不明者を出したのだという。

そして今、この地区に新たな防潮堤が整備されている。
高さは14.7メートル。灰色の真新しい構造物を見上げて、
漁師は言った。 「人工物は、いつか自然に負ける。だから
『まず逃げろ』 なんだ」 と。防潮堤は少なくとも時間稼ぎ
にはなった。津波にのまれた人は逃げなかったか、
逃げたのに自宅に戻った人がほとんどという。
「いち早く避難するのが大事なのに、防潮堤を
生かせなかった」 と悔やむ。

新たな防潮堤で一定の安全が確保されるとして、
高台に移転せず、低い土地で家を再建した住民もいる。
「とっさのときは判断が鈍る。ハードがあっても逃げる意識
を持たなければ、また大事なものを失う」 と懸念する。

「まずは高く、遠くに逃げる」
津波からの避難は高い場所に逃げるのが大原則だ。
しかし、近くにビルや高台があるとはかぎらないし、
高齢者や障害者、小さい子供は逃げるのが難しい。
想定外だった東日本大震災は、日本のさまざまな
「常識」 を覆した。その教訓を次代にどう活かすか。
いつか来た道に戻らないためにも、もう一度考えたい。


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    世界らん展 ・ 日本大賞 2019
        - 花と緑の祭典 -

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例年、かみさんと母が出掛けることから我が家の恒例行事になっ
ている 「世界らん展日本大賞」。 今年は母やママ友が都合で一
緒に出掛けられ なくなったらしい。一人じゃイヤと ” ごねる ” の
で、渋々お伴 で行って来ました。(笑) というのも当日、土曜休
日出勤をしたので月曜が代休でした。皆が仕事をしている平日
は何となく気が引けるのですが、代休と思い出掛けて来ました。
都会の真中にある東京ドームを蘭いっぱいに埋めつくし、やす
らぎ を感じる日が過ごされるのでは、との期待 を胸に優雅な
蘭作品を堪能してきましたので紹介です。

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「東京ドーム」
開催される東京ドームへ行ったら、平日にも関わらずこの行列です。
スムーズに入れるどころか、チケットを購入するところから並んで、
入場するために並んで大変でした。暇な人がいるのか蘭愛好者が
大勢いるのか驚きと感心しきりです。入場するのは、相変わらず荷
物検査やら回転ドアなどで混雑してた。そして、東京ドー ム内も凄
い人、人、人です。世界ラン展は、国内で も最大級の花の イベン
トで、毎年15万人もの方が訪れるんだそ うです。美しいもの は人
を元気にする力があるといいますが、とに かく凄い人で、花より人
に圧倒されまくり、人に酔いそうでした。 (笑)

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世界最大級のランの祭典 「世界らん展2019―花と緑の祭典」 が、
東京都文京区の東京ドームで開催。日本全国はもちろん、世界中
のあらゆる地域から、愛好家、栽培家 が洋蘭、東洋蘭、日本の蘭
を持ち寄り、一堂に会す 「世界らん展」 です。 会場には世界18カ
国・地域の約3000種、約10万株、250万輪以上の花を展示する。
29回目の今年は、蘭はもちろんバラやチューリップ、ひまわりなど
の 「花々」 や多肉植物 ・ 食虫植物などの緑があふれる 「花と緑の
祭典」 へと生まれ変わっています。 世界初公開の 「光るシクラメン」
などが見どころでした。

「世界らん展 2019 - 花と緑の祭典 -」
日程   :  2019年2月15日 (金)~2月22日 (金)
会場   :  東京ドーム
当日券  :  2.200円、ナイト券1.200円

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「オーキッド ・ ゲート」
リニューアル開催を迎え 「世界らん展2019 -花と緑の祭典-」
の始まりの場所です。幅約20m、高さ5mの巨大なゲートには、胡
蝶蘭やカトレア、リカステなど溢れんばかりの蘭を使用し、また 「蘭
いぱい」 の圧倒的なスケールのゲートが来場者を迎えていました。

主役は色とり どりの蘭。デンファレ、デンドロビューム、オンシジュー
等、小道にはカトレアも。大きな花、小さな花、ぜ~んぶ蘭なんですよ。
ゲートをくぐると花の楽園が待っていました。蘭の美しさだけではなく、
その力強さをも表現した夢のある入口です。蘭に囲まれて歩くだけで、
とても幸せな気分になります。

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「世界らん大賞 2019」
メインディスプレイを抜けて真っ直ぐ進むと、日本大賞を受賞した
欄が展示してあります。大勢の人が足を止めて見つめていたり、
盛んに写真を撮っていて、大混雑でした。今年も栄えある日本大
賞を目指して、丹念を込めて栽培された多 くの蘭が寄せられまし
た。厳選なる審査を経て選ばれる 「大賞」 作品は一点だけです。
日本大賞に は、賞金200万円と副賞としてベンツ1台が贈られ
るようです。(下左) 受賞した作品の前は人だかりで、 一向に
前に進めなくて苦労しました。(笑) 誰が受賞したのでしょう。

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胡蝶蘭というと、艶やかで優雅な姿を思い浮かべますが、実に色
々な種類があり、やや高級な鉢花として知られてい ます。色彩に
富んだ形の胡蝶蘭たちが、蝶のようにドーム内を舞って いる感じ
でした。 花弁と覆輪の色の取り合わせが目新しいです。(下右)

「胡蝶蘭」
蘭と言えば、胡蝶蘭が思いつくほど代表的な花ですね。その美し
さから日本でもなじみの人気の蘭です。花が蝶の舞っている姿に
似ているところからギリシャ語の 「蛾のような」 に由来しているとか。
ふっくらと丸みがあり、行儀良く並んで咲く花は気品と可愛らしさを
兼ね備えて、花色は白やピンク、紫色など褐色の斑点が入るもの
もあるようです。一度花を咲かせると2ヶ月程度花が保ち、花期が
長いのが特徴。胡蝶蘭の花言葉は 「幸福が飛んでくる」 と言われ
ているほど、大変縁起の良い花です。昔から祝い事やプレゼント
などに幅広く用いられ、たくさんの人々の幸せを運んできました。
ピンクの胡蝶蘭は 「あなたを愛します」 の意味も秘めています。 
いつも訪問して下さる “あなた” に、ピンクの胡蝶蘭を・・・・・。うふ

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何度も、何度も見ても不思議な蘭です。この蘭は特に何で、何の
為にこんな形なんだろう~と思いますね。ひと味違う蘭の代表。
パフィオペディラムのみが展示されているコーナーがあり、色、形、
種類と多様にあることに驚きました。このように 「袋」 はあるものの、
出来方や役割が全く違うものもあるんですね。

「パフィオペディラム」
パフィオペディラムは、花弁の一部が袋状になった、不思議な花姿
をした蘭です。花の一部がふくろ状になっているのは、ハチが袋に
落ちて出て来るときに花粉をつけさせるためにこの形状になったと
考えられています。袋状の花弁が食虫植物を思わせるため、虫を
取ると言うのは事実無根なんだそうです。花色は複雑な色合いや
模様が多く、改良品種では斑点の模様を生じる点花タイプ、背萼
片に縦筋が顕著なタイプなどが目立つようです。花の形が丁度女
性の靴を思い起こさせる形をしていることから 「女神のスリッパ (サ
ンダル)」 と呼ばれるようです。 日本での栽培は長く歴史的に水戸
徳川家のコレクションが有名なんだそうです。 主に東南アジアに
自生する地生蘭で、洋ランでは少数派に属します。花型はとても
個性的な形をしており、インパクトがあります。その独特な姿には
味わい深いものがあり、多くの愛好者がいるようです。

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蘭は、英語でオーキッド 「 Orchid 」。この 「Orchid」 は、ギリシャ語
のオルキス 「Orchis」 に由来し、蘭の英語名オーキッド (Orchid)
の語源になったと言われています。

「ギリシャ神話とオルキス」
そもそもそのオルキスとは、ギリシャ神話に登場する山野の精サテ
ュロスの息子で、血統的に陽気で好色漢でした。ある祭りの夜、酒
に酔って女官に悪戯を働いたことが、神々の長ゼウスの怒りに触れ、
その罰として八つ裂きにされ野に捨てられてしまったのです。変わ
り果てた息子の姿を見た父サテュロスは、息子の身体を元に戻して
欲しいと願うものの、聞き入れて貰えなかったのです。しかし、なげ
き悲しむサテュロスを見たゼウスは、八つ裂きにしたオルキスを、
花に変えたのでした・・・・。つまりこの花が 「蘭」 という訳です。

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個別部門の審査は、41のカテゴリー区分で第1席 (ブルーリボン
賞) を獲得した作品をトロフィー賞とし、更にその中から選ばれた
18作品が部門賞となります。その中から、大賞1作品、優秀賞作
品、優良賞作品が選ばれ、その他15作品が奨励賞となるようです。
どれも力作ばかいで、その技術の高さに驚くばかりです。

審査展示は個別部門、フレグランス部門、ディスプレイ部門、フラ
ワーデザイン部門、アート部門、ミニチュアディスプレイ部門の6つ
の部門に分かれ、それぞれたくさんの蘭が展示されていました。
個別審査部門には世界高水準の作品が出展されているようです。
色々な花が展示されているので、個々の花を見て歩きながら皆さ
んは楽しんでいました。名札などが邪魔になったり、気に入った
花が思うような位置になかったりで、結構写真にするのが難しい。

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巨大な 「オーキッドゲート」 を潜ると、ゲートの先に広がるのは、プ
ラントハンター西畠清順氏のプロデュースによる 「シンボルロード&
モニュメント」 の世界。不思議な樹木が生い茂る30メートル の 「シ
ンボルロード」 には、コンテスト上位に輝いた 「らん」 の作品が展示
されていました。コンテスト上位賞に輝いた素晴らしい 「らん」 と樹木
が織りなすシンボルロード。例年と違って受賞した欄が身近で観賞
できるコーナーでした。欄の匂いを嗅ぐ方もいて混雑気味でした。

胡蝶蘭の花言葉は、「幸福が飛んでくる」 です。 可憐で幸せが舞い
込んでくるイメージから、贈答用として大変喜ばれているようです。
貰ったことないけど。(笑) 開店 ・ 開業 ・ 就任など、多くの方々に
愛され繁栄していくことを願う意味合いが込められているという。
さらに、鉢植えは 「根付く」 という意味を持つため、「幸福が根付く」
という縁起の良いものとして選ばれているんだそうです。

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「シンボルロードモニュメント」 を更に進むと、日本大賞のブースが
ありました。その大賞の両翼に、優秀な作品のトロフィー賞のブー
スがあります。 日本大賞以外の優秀賞、優良賞、奨励賞の最上位
4作品の内、群馬県の神保康紀さんの作品が3つも受賞の快挙です。

「優秀賞」 2位 (上左)
「カトレア シュロデレー アルバ ‘ヘラクレス’」 神保康紀氏 (群馬県)
唇弁喉部に黄色い模様の入った花をつけ、全体が白花。たくさんの
花が、株を覆い尽くすほどにすき間なく咲いています。全部で228
輪咲いているそうです。いわば、集合美が評価されたのでしょうか。
ギリシャ神話に出てくるヘラクレスは、色々なことができたようですが、
このカトレアは、どう言う意味でヘラクレスと付けたんでしょうね。
「優良賞」 3位 (上右)
「リカステ サガノ ‘アワユキ’」 斉藤正博氏 (茨城県)
純白で大輪の花を咲かせるリカステ。一度にたくさんの花が咲きそろ
い、花はいずれも見るものの方に顔を向けてくれています。リカステ
独特の大きく広がる葉は、展示のために後から葉を指したのかと思
うほど優美に広がり、美しい株姿になっています。出品者は、これま
で何度か日本大賞を受賞した方で、気品あふれるさすがの一株です。
「奨励賞」 (下左)
「デンドロビューム レポリナム ‘ヒペリオン’」 神保康紀氏 (群馬県)
「奨励賞」 (下右)
「ガストロルキス プルクラ ‘フレデンスボルグ’」 神保康紀氏(群馬県)
こちらの両作品も神保さんの出品。迫力のある大株で、来場者を魅了
していました。神保康紀さん3つも賞に輝いて凄いですね。ご本人は
大賞が取れなくて残念だったでしょうね。個人的には、こちらの花の
方が好きですけれどね。神保さん、今回は残念ですが、実力はある
方なので、いずれ 「大賞」 を取られるかも知れません。

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「日本大賞」 (第1位) 櫻井 一氏 (東京都)
「パフィオペディラム エメラルド ゲート ‘グリーン グローブ’」
初の日本大賞受賞のようです。花がひとつなので、ゴージャスさは
ないけれど、花の形も葉の付き方も線対称で、背筋がすっとなるよ
うな高貴な空気をまとっていました。その名の通り 「エメラルドグリ
ーンと深い黄色が生み出している花弁の色彩」 と 「よく整った花の
形」 が審査員から高く評価され、見事にグランプリを獲得しました。

大賞の花の気品あふれる姿に誰もが納得するでしょうね。でも素人
目には 「これが~」 と言うのが素直な感想です。近くの方が花の丸み
がきれいだとか言ってましたが、そう言われると艶もあり綺麗に整って
いる感じもします。でも、どれもランというのは品がありますね。らん展
で賞を獲得するランは気品のあるものが多いですが、ランの世界は
奥深く、中には醜いものもありますよね。(笑)

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らんが盛んになった江戸時代のお話。
江戸時代当時は、年中花を見ることが出来なかったために、葉の
柄や姿を観賞するという日本独特の園芸文化が育ちました。蘭は
武家や公家など、特殊な層の人達に愛され、現在も古典園芸とし
て受け継がれているようです。

多趣味の11代将軍徳川家斉は、富貴蘭も趣味のひとつとして楽し
んでいて、大名や武家の間でも流行っていました。 手の油が付か
ないように、「ホヤ」 (貴金属の金網) をかぶせ、刀剣の作法のよう
に口には懐紙をくわえて観賞したとされています。富貴蘭は芳香
があるので、大名等がカゴで移動するときに中につるし香りを楽し
んでいたようです。

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「ディスプレイ部門」
ディスプレイ部門では、洋蘭・東洋欄・日本の蘭など、あらゆる
蘭を使った飾り付けの作品が展示されていました。規模が大きく、
見応えがあって、いったい蘭を幾つ使っているのか気になります。
なんとも贅沢な作品だろうと眺めていました。優秀な作品ばかり。

「日本洋蘭農業協同組合」 ~天空の城~ 最優秀賞 (上)
白いコチョウランの雲海に浮かぶ城を、オンシジュームとエピデン
ドラムで彩り、せせらぎの音が聞こえる早春のさわやかな早朝を
イメージして表現したという。「天空の城」 のスケールの大きさと、
膨大なランの量には驚きましたね。天空の城とはなんとまぁ~
壮大なネーミングですね。洋ラン生産者の協同組合のようです。
「日本リカステ協会」 ~未来への懸け橋~ 奨励賞 (下左)
ランの花を通じて人と人との繋がる心豊かな社会 ・ 花であふれ
るライフスタイルを目指したいとのこと。らんの花が未来への懸
け橋になることを願い制作したようです。そうでありたいですね。
「全日本蘭協会」 ~蘭舞踊~ 最優秀賞 (下右)
森の大樹を舞台に色とりどりの衣装を身にまとった蘭の妖精たちが、
楽しくダンスを踊っている世界を表現したようです。全日本蘭協会と
いうのは、蘭愛好家の会員数が一番多い組織です。池袋サンシャ
インのらん展を主催しているのは、この協会だったでしょうか。

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高校生が自分達で栽培したランを展示するパワーに感動しますね。
ここまで展示するまでの舞台裏の努力のほうに想いが、どうしても
行ってしまいます。プロを相手に価値ある作品です。

「東京都立農業高等学校」 
 ~フラワーファッションショー~ トロフィー賞
 (上)
服飾科生徒が制作したドレスを用いて、緑地計画科と都市園芸科が
力を合わせて 「花のファッションショー」 を演出。その艶やかさに人だ
かりができていました。普段の授業では学ぶことのできないことを学
べたと思います。一方、創作造形部がハンギング作品も出展し、
トロフィー賞を受賞していました。
「岐阜県立恵那農業高等学校」 ~五穀豊穣~ 奨励賞 (下左)
学校でシンビジウムやランの原種を栽培しているようで、そのランを
用いて棚田を表現しているようです。平成最後のらん展に共に歩んだ
感謝の気持ちを込めて制作したという。プロの生産者の協同組合等の
大規模なディスプレーに負けじと、高校生のディスプレーも頑張ってい
るのが素晴らしいですよねえ。
「岡山県立興陽高等学校」 ~未来へ~ 優良賞 (下右)
平成から新しい時代へ。世界がひとつに繋がる! スポーツの祭典
2020。そんな二つの想いを表現してみたという。橋の袂に水琴窟
が設置されてい、耳を澄ませば未来から音が聞こえて来そうでした。
一つ一つの作品を じっくり干渉するに値する作品ばかりですね。

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「かさがわナーセリ」 ~マイ ガーデンテラス~ 奨励賞 (上)
水の音と吹き抜けるそよ風が、生活に潤いを与えてくれるような、
理想的な植物栽培を楽しむことが出来る庭を洋ランと観葉植物で表
現したようです。時の流れに、文句も言わず、悲観もせず、ただただ
黙々と、その美しさは、我々の心を癒やしてやまない・・・・。
「越後洋らん倶楽部」 ~越後の蘭吹雪~ 奨励賞 (下左)
越後の豪雪地域である新潟の荘厳で美しい冬景色をディスプレイ
のテーマとして制作したようです。越後の吹雪なんて、傘がアクセサ
リーで変わっていて面白いです。吹雪の日に越後で和傘をさすかど
うかは異論があるところですが、きれいで良いですよね。ランと和傘
を使った 「越後の蘭吹雪」 が印象的でした。
「所沢洋蘭会」 ~春の訪れ~  (下右)
雪解けを待ちかねて、草花が芽吹きのときを迎える。春の到来である。
色とりどりの花にさそわれて、人々もまた活動的になる。蘭の持つ魅力
を通じて、やすらぎの空間を表現されているようです。花と緑の素敵な
庭を楽しめました。タイトルも思いが伝わってきて興味深いですね。

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咲き乱れる多彩なランと個性的な草花に魅せられ夢見る眠り姫は、
心を躍らせ、いざ目覚めの時へ。花と緑の素敵な庭を楽しみ下さい。

「日本洋蘭生産者協会 東日本支部」 
 ~新たな幕開け~ 奨励賞
 (上)
平成最後の洋らん展、新しい時代の幕開けにあたり、東日本の洋ラン
生産者が、その技術の結晶である蘭の花々を持ち寄り、胡蝶蘭30本
をはじめ集団の力強さ、躍動する生命の美しさを表現しているという。
多くのものを寄せ集めてひとつの景色を作るとなると、それだけ沢山
のランを同時に綺麗に咲かせなければならないものでしょうから、単
体で展示するよりもはるかに大変な苦労ど努力が必要なのでしょう。
コンセプトを練るとか、配置図を検討するとか、大勢のひとの力がな
いと出来ない部門ですね。一目見て 『おお!すげぇ!』 となりました。
「東京原種カトレア研究会」 ~さとやま~ トロフィー賞 (下右)
山や森で静かに友達と懐かしい日々。川で水浴びをしり、おにごっこ、
かくれんぼなどを日が暮れるのも忘れて遊んだ幼い時をこの作品で
思い出してほしいとの思いで製作したようです。その人なりの思いを
ランの花を使って表現する。ランの花自体はあまり多くはないですが、
川といい、野山など気持ちは伝わってきます。

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「アート ・ フラワー等各部門」
審査対象:蘭を題材、素材にした美術工芸品で、絵画、ボタニカル
アート、写真、アートフラワー、プリザーブドフラワー押し花、ドライ
フラワー、各種工芸7カテゴリーに分類した作品で、こちらは芸術
といった感じです。 蘭を主たる素材としてデザインされた フラワ
ーデザイン作品。ディ スプレイデザイン、インテリアアレンジメント、
ブーケの3カテゴリー の作品審査を行います。選出されたトロフィ
ー賞12作品から部門 賞6作品 (最優秀賞1 ・ 優秀賞1 ・ 優良賞
1 ・ 奨励賞3 ) が選出されます。 芸術やアートには疎いので、
ふ~んと、さらりと見回すだけでした。(笑)

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「大使夫人のテーブル ・ デスプレイ」  (上)
世界各国の大使夫人による蘭をモチーフにしたテーブル ・ ディスプ
レイが披露されていました。蘭とともにそれぞれのお国柄が表現され
たテーブル・ディスプレイには、大使夫人の温かなおもてなしの心が
こもっていいる感じでした。「世界らん展」 の名にふさわしい、華麗な
競演を楽しみました。

「沖縄美ら海水族館」  (下)
「世界らん展」 の常連となった沖縄美ら海水族館は、今年も大迫力
の水槽を展示。南国の蘭に彩られた水槽の中を、カラフルな熱帯魚
が悠々と泳いでいます。(下右) 水と花のコラボレーションが、神秘
の光景を創り出していました。

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「假屋崎省吾と志穂美悦子 ・ I KKO」 (上)
益々活動の場を広げている華道家 ・ 假屋崎省吾さんの 「フラワー
アーティストの世界 華寿絢爛」 と言う作品。いつも派手さがありま
すが、自身デザイン・プロデュースの着物を組み合わせた、優美な
世界を演出しています。他に志穂美悦子さんの繊細で、煌めく美し
さに挑戦した 「煌めき」 と美容家としてはもちろん、デザインや音楽
活動など多彩な角度から 「美」 を追求するI KKOさんの 「蘭の世
界」 も特別展示されていました。

「日本いけばな三大流派」 (下左)  「盆栽」 (下右)
日本いけばな三大流派、「華道家元池坊」、「いけばな草月流」、
「いけばな小原流」のここでしか見ることが出来ない競演。日本古来
から続く伝統美を堪能出来ました。また盆栽の巨匠 ・ 木村正彦氏に
よ る 「登龍の舞」 をはじめ、東洋ランとこコラボレートを披露し、異な
る魅力の融合による、新たな世界を展開していました。ここのコーナ
ーは外国の方の多さにびっくりポンでした。(笑) 盆栽も人気です。

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「食虫植物と光るシクラメン」
世界らん展日本大賞2019では、いくつかの特別展示がありました。
今回は 「食虫植物と神秘的な花々」 展と、同時展示の 「世界初公
開の光るシクラメン」 を取り上げていました。外部の光が入らないよ
うボックスの中に展示してあります。相変わらずの人気コーナーで、
いつも行列が出来て時間が掛かるのが難点。貴重な蘭が見られる。

亜熱帯地方で咲く世界最長の花弁を持つ花としてギネス記録に認定
されている蘭 「パフィオペディラム属サンデリアンム」 (上右) や、いま
話題の食虫植物 「ネペンテス属ウツボガラス」 (下左) など不思議な
進化を遂げた植物がいっぱい展示されていました。この光る花は、深
海のプランクトンから発見された蛍光物質を使って人工的に作られた
花です。(下右) 遺伝子を組み替えているから、外の空気に触れない
よう、厳重に管理されていました。光る花は4年ほど前、国立科学博物
館の 「ヒカリ展」 で初めて見ました。下村脩博士が発見した緑色蛍光
タンパク質を、遺伝子組み換え技術でトレニアに入れたところ、花も光
らせることに成功した。このシクラメンにも同じ緑色蛍光タンパク質が
使われたのでしょう。ガラス張りなので、写真を撮るのに苦労しました。
下村博士は緑色蛍光タンパク質発見で、ノーベル化学賞受賞した方。

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「光と花のシンフォニー」
今回、最先端メディアと生花がコラボレートした、妄想的なフラワー
アートの世界が広がる空間を演出した場所がありました。幅15m
の高精細LEDウウォールに映し出され、最先端メディア8Kと花と
が融合した妄想的な空間に誘い込まれてしまいました。(笑)

8Kリアルタイム3DCGアニメーションを始め、8K高輝度レーザー
プロジェクターによる日本の花や自然、芸術などが、「究極の映像
美」 で映し出されていました。(上右 ) また大型4KLDEウォール
を中心に、球体LDEやすだれ状LDEが、可憐な花びらや花で彩
どられた扇が舞う和の映像 (下左) による、優雅な 「彩り」 に心地
よい 「癒やし」 が感じられ、和楽楽器と臨場感溢れる映像のコラボ
に満足でした。皆さん暫し、蘭と時間を忘れて楽しんでいました。

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「販売エリア」
会場の約半分を占める販売ブース。蘭の苗や切り花だけでなく、
蘭のテラリウムやドライフラワー、香水に雑貨、園芸資材などを販売
しているブースもありました。育ててみたいけど蘭は難しそうと思う方
には初心者向けの蘭もありましたし、店の方が育て方や気を付ける
ポイントなども丁寧に教えてくれていました。 この他にもステージイ
ベントやご当地の飲食ブースもあり、ここでしか見られない、買えな
い蘭や商品が豊富でした。一通り鑑賞してビール休憩の後は、販売
ブースを隈なく回って買い物です。 余りにも種類が多くて迷うのも当
然ですが、 高いのには手が出せない。(笑) かみさんは実家と友人
に胡蝶蘭とカトレアを購入して送ったようです。ちょっぴりというより、
だいぶ財布が軽くなりました。(笑)  帰りの足取りは重かったです。

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素晴しい蘭、珍しい蘭...蘭展に行かなければ見られない貴重な
モノばかりでした。 本来ランも自然の植物。風に吹かれて揺れる、
そういう姿はとても素晴らしいですね。高価な花で、お祝いの時に
紙に包まれたまま置かれている、という蘭のイメージを、暮らしの
中で楽しめるものにできたら嬉しいですよね。ほんとにさまざまで
奥が深い、ハマルと抜けられなくなるもののようです。ご注意を!
美しいもの見て感動した 「世界らん展日本大賞2019」 でした。
蘭に魅せられた人々の人生絵巻に酔いしれた世界らん展でした。
素晴らしかったです。





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              aisatu10_20100424143608.gif 皆さまも楽しい夏休みを!!
               家族サービス&夏休みのため旧盆を挟んで
           8月10日から8月20日 頃まで、このブログをお休み致します。
               どうか、ご了承ください。熱中症にはくれぐれも注意を!

いつも訪問して頂きありがとうございます。


「やさしい心の持ち主」

...2019/03/03 08:31...

3月 (弥生) です。
春を告げるように先週、知人からセツブンソウの
花便りが届いた。このセツブンソウ、地中に塊茎を持ち、
落葉した林でいち早く地上に出て光の春を独り占めし、
木の葉の陰になる初夏には、さっさと地中にこもるらしい。

つまりカタクリコなどと同じくスプリング ・ エフェメラル
(春のはかない命) と呼ばれる草花で、はかない
「春の妖精」 と言われているようだ。何やら確実に
春はそこまで来ている。こんな花便りが届くと、
何かホットする。

3月3日は、ひな祭りですね。女の子をお持ちの
ご家庭では、雛人形や桃の花を飾ったりしているでしょうか。
今の雛人形を飾るスタイルは、江戸時代の中期ごろから
始まったもので、もともとは邪気や厄を払うための行事で、
人形に先々に降りかかる災いを移し、その人形を川に
流す 「流し雛」 が行われていました。今でもその名残を
感じるイベントが各地であるようです。

それにしても日本には季節ごとに、様々な伝統行事や
節句があるなぁと思います。暦も冬至 ・ 大寒 ・ 立春など
二十四節気のほか、季節や動物たちの変化を知らせる
七十二候というのがあります。6日には 「啓蟄」 です。
まさに春の息吹を感じるようなものばかり。
寒い冬の間は、どうしても心も体も縮こまりがちでしたが、
春のイメージに乗じて上昇気流にのっかって行きましょう。

 雪が溶けて 川になって 流れてゆきます
  つくしの子が はずかしげに 顔を出します
  もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか

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「やさしい心の持ち主」

先日、電車に乗っていた時のことです。
小学生の男子児童3人が座席に座っていたのですが、
そこに老夫婦が乗車してきて彼らの前に立ちました。
少年たちはお互いの顔を見合わせていました。
どうやら席を譲りたいのだけれど、あと一歩の勇気が
出せずに困っているようでした。

その時、少年の一人が立ち上がり、老夫婦に 「どうぞ」 と
いって席を譲りました。残りの2人も続いて席を譲りました。
しかし、その老夫婦は遠慮して座りませんでした。
少年たちは勇気をだしたのに断られてしまい、力が抜けて
しまったようです。結果的には彼らの親切は断られてしまい
ましたが、その行動は立派でした。

やさしい心の持ち主は、いつでもどこでも
われにあらず、受難者となる。
なぜって、やさしい心のこち主は、他人の
つらさを自分のつらさのように感じるから。

この詩は、電車で席をゆ譲れずにうつむいている
少女をみて、うたったものです。中学一年のとき、
担任の先生に教わったものです。優しさを表に出して
他人に親切な行動をとるのは、とても勇気のいることです。
思春期の人は特にそうかも知れない。
思ってはいるのだけれど、照れが先に出てなかなか
行動に現せないでいる。

反対に受ける側も一言 「感謝の気持ち」 を相手に伝える
ことも大事な気もします。「感謝の気持ち」 を一言受ければ、
感謝されて悪い気分になる人はいないと思います。
自分の行動が感謝されれば、他人への思いやりも一層、
深まるに違いない。彼らのささやかな行動を見て、勇気を
出すことはとても難しく、また大切であること、そして一人が
勇気ある行動を起こせば、その波が必ず周りに
伝わるんだなぁと思いました。

私たち大人は、それに気付かず、彼らの素晴らしい
芽を摘み取っているのかもしれない。そう思っていたら、
そばにいた初老の方が彼らの行動を見ていたのだろう、
この少年たちの頭を撫でながら次の駅で下車していった。
照れる少年達の笑顔がやけに眩しかった。

少し照れ屋さんなのは 心が優しい証拠です。
少し照れ屋さんなのは 素直な証拠です。
照れてる姿から 私はそう思います。
春の間近いことを感じる出来事でした。


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「迎賓館赤坂離宮・ 和風別館」  2019
   天皇陛下御在位三十年慶祝行事

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天皇陛下御在位三十年慶祝行事の一環として、迎賓館赤坂離
宮が無料で一般公開されるというので、和風別館の参観予約を
申し込んだら抽選に当たり2月24日 (日) に出掛けて来ました。
和風別館と庭園 (前庭及び主庭) のみと思っていたら、今回は
本館も無料で見られるというのでラッキーでした。和風別館の参
観は初めてなので、ワクワクしながら出かけました。紹介します。

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「迎賓館正門」 (上) 「庭園を見学する列」 (下左) 「西門」 (下右)
四ツ谷駅を出ると、新宿通りと外堀通りが交差する 「四谷一丁目
交差点」 「見附橋」 です。この辺りはちょうど、千代田区、新宿区、
港区の区界になっていて、四ツ谷駅の東は紀尾井町 (千代田区) 、
西が四谷 (新宿区) にな り、南が迎賓館 (港区)、その裏手が赤
坂になります。迎賓館の右手に進むと、安鎮坂になていて、平成
6年、タレントの北野武 (ビートたけし) さんが、この坂下でバイク
運転中に自損事故を起こし、重傷を負った話は有名です。おっと、
無駄話はこれくらいで・・・・・。

迎賓館正門前に着いたら正門の左側は凄い行列でした。本館等を
参観する人達かと思ったら、どうやら庭園を見学する列でした。ホッ
係りの方に伺ったら本館と和風別館の参観者は右側の西門に進ん
で下さいとのことでした。通常の参観とは異なり、今回は事前申し込
みで、抽選に当たり参観許可証を受け取った方のみが、本館または
和風別館が無料で参観できるようです。もちろん庭園も無料です。

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参観者は中に入るためには四段階のチェックを通らなければなり
ません。 最初は西門で参観証の有無だけをチェックされます。
今度は受付で参観証と本人確認の身分証明書を提示し、 事前に
登録していた情報確認します。その次は空港と同じような金属探
知機・手荷物赤外線検査と物々しいものです。まあ当然ですわね。
迎賓館はご存知のように、「外国の元首や首相など宿泊その他の
接遇を行うために設けられた国の迎賓施設」 ですからね。前庭に
はこちらの門から入ります。(下左) 本館内部を見る入口は、主庭
に通じる本館横の部分が入口になっています。(下右) 入口手
前のテントで音声ガイドも利用できます。200円だったかな。

本館の参観者はスムーズに検査を受けているのですが、和風別館
を参観する我々は特別に呼び止められ、時間を記したホルダーに
パンフレットや本館用のチケットなど渡され説明を受けました。何だ
か特別扱いを受けている感じで気分がよかったです。(笑) ホルダ
ーを首に掛けてイザ出発。和風別館の参観者は、人数が少ないの
で目立ちます。本館は2階の3つの部屋と中央階段と二階大ホール
を見ることができました。「朝日の間」 は、天井絵画等の内装の改
修工事のため、現在は閉室しています。

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いよいよ迎賓館前の広場に・・・まずは前庭へ。中に入ると・・・・と
にかくひっろ~い! すご~い。超豪華!  あまりにも広いので、
別世界にいるような錯覚を起こさせます。庭の向こうに大きく広が
る石畳に豪華絢爛な宮殿スタイルの建物。『ベルサイユのばら』
でオスカルがロザリーに出会った当初、ベルサイユ宮殿を見せる
あのシーンみたいで感動しました。(上) 石畳が日本にいること
を忘れさ せ、エキゾチックな光景が展開されています。(下右)
まるでヨーロッパの 観光地に来たような気分になります。迎賓館
の前庭はとにかく広く、 少々の人が入っても、それほど混雑して
いるようには見えません。

迎賓館は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地
の一部に、明治42年 (1909) に東宮御所 (皇太子の居住) とし
て建設されたもので、当時日本の一流建築家や美術工芸家が総
力を挙げて建設した日本における唯一のネオ ・ バロック様式の
洋風建築物です。平成21年 (2009) に、明治以降に建てられ
た建造物として初めて国宝に指定されました。

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やはり近くから見ると、そのスケールに改めて感動します。西洋風
宮殿建築の偉大さ、尊厳さ、静寂感、いろいろな感情が生まれて
きます。この玄関広場は賓客の歓迎式典なども行われるようです。 
よくテレビで歓迎式典をみますね。赤い絨毯が敷かれた通路を歩
く姿は優美です。外壁は、すべて花崗岩で覆われ、壁の最も厚い
所では、1.8メートルの厚さがあります。強固な基礎、厚い壁のた
め、関東大震災にも耐えることができたようです。 当然、内部も見
学したのですが、残念ながら写真撮影禁止なので外観のみです。

この建物は。昭和天皇や今上天皇が一時期住んだ以外、東宮御
所としてあまり使用されることなく、戦後、建物は皇室から行政に
移管され、国立国会図書館、内閣法制局、東京オリンピック組織
委員会などに使われていました。その後、我が国の国際社会へ
の復帰とともに、外国の賓客を迎える機会が多くなり、国として賓
客をもてなす施設の必要性が高まり、昭和43年から5年有余の
歳月と総額108億円の経費をかけて、赤坂離宮の改修を行い、
昭和49年(1974)に国の迎賓施設、迎賓館として完成しました。

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「霊鳥と天穹」 (下左)  「甲冑」 (下右) 
兜 ・ 鎧で武装した鎧武者が正面玄関の屋根の上に、国威を象徴
する2つの 「甲冑」 が、その両脇には吉瑞を象徴する 「霊鳥 (鸞)」・
「天穹」 が飾られています。日本が独自の文化を守りながらの西洋
化と富国強兵に突き進んでいた時代を象徴して、天皇を 『武勲の
者』 という印象を表現するために、正面玄関の屋根飾りなどに鎧
武者の意匠があるなど、建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の
意匠が混じった装飾になっているようです。

「中央の屋根飾りをご覧ください」 と解説員。 「上に載っているのは、
非常に珍しい、兜なんですよ」。本当に、兜と鎧が載っていて、驚き
ました。「ちゃんと、阿吽の形を取っているんですよ」。目を凝らして
みると、左の武士は 「あ」、右の武士は 「うん」 と口が開閉しています。
そして霊鳥の鸞が天球儀を守っています。この天球儀は世界を表し
ているんだそうです。世界平和を願う証なわけです。へ~と感心。

【メモ】 阿吽
口が開いている方を阿形(あぎょう)、閉じている方を吽形(うんぎょう)
と言う。転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動して
いるさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼びます。

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本館内の見学を終えると、今度は南側の主庭に進みます。(下左)
本館南側には、主庭と呼ばれる噴水を中心とした西洋庭園があり
ます。南側の建物は本館の裏側になります。(上)  花壇のお花は
季節ごとに植え替えています。春にパンジー、夏にサルビア、秋に
マリーゴールド、冬は葉牡丹です。現在パンジーにかわり、春はも
うすぐですねえ~。テントを張った休憩場所もありました。(下右)

建物の外は自由に撮影できます。前庭は逆光なのですが、主庭の
方は見事な青空が広がって絵になります。本館館内には、そこら中
に係員が立って監視していましたが、主庭の方にも係りの方が監視
をしておりました。夏は大変だろうな~と、思いがら通り過ぎようとし
たら、静かに首を垂れ、「実るほど首を垂れる稲穂かな」 という感じ
で、さすがは内閣府の方の行き届いた接待に感心しきりです。 

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主庭は全面砂利敷きであり、中央には噴水池や花壇が設けられて
います。賓客に日本を感じて頂くために敷地内には様々な樹木が
植えられ四季折々の景色が楽しめるようです。 特に雪化粧をした
主庭は、ここが都心の中心部であることを忘れさせるような凛とした
世界になるようです。皆さん噴水と本館を背に、スマホやデジカメ
で記念写真をパチリ!  撮影スポットのようです。

春を迎えると、主庭を飾るのは日本を代表する花 ・ サクラ。
ソメイヨシノをはじめシダレザクラなど、数種のサクラを楽しめるよう
です。山庭 (さんだい) には長さ115mの 「せせらぎ」 があり、その
一角に 「ハナショブ」 が植えられています。ハナショブが咲く6月ご
ろになると、主庭の西側にある 「フユボダイジュ」 が花をつけます。
梅雨が明け、暑い夏を迎えると迎賓館は、たくさんのセミの声に包
まれ、夏に彩りをくわえるサルスベリ。そして秋になるとモミジとイチ
ョウが色づきます。青い空に映えるモミジの赤とイチョウの黄色。 
こうして迎賓館の主庭では、一年を通じて国賓 ・ 公賓の方々は、
ゆったりとした 「和のおもてなし」 を楽しまれているようです。

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「主庭大噴水池」
迎賓館には2つの庭園があり、噴水は南側の主庭にあります。
噴水池の中に設置されているタイプですが、まずその大きさに驚
かされます。水中のノズルは円形に多数並べられ、いずれも中央
に向かって水を噴出しています.。外側はひとつずつ間隔を空け
て並べられ、こちらは低い放水となっています。

花びらのような形状をした噴水池の中に、皿を伴った、西洋庭園風
の噴水が2段重ねで中央に置かれています。噴水の皿にはシャチ
の像が置かれており、まるで水の中で飛び跳ねているように見える。
この中央の噴水を囲んで、伝説の生物であるグリフォンの像が4体
置かれています。(下左) グリフォンには 「大切なものを守る」 とい
う役割があると言われています。さらによく見ると、このグリフォンが
乗っている台座の側面には、口から水を流すライオンの顔が取り
付けられています。(下中) グリフォンに挟まれるように亀の像も
8匹います。(下右) 池を泳ぐかな、と楽しい想像をしてしまうほ
ど精巧に出来ています。このように、細かな装飾が随所に施され
た意匠となっていて、見応えのある、普段は見ることが出来ない
立派な噴水です。時々見事な虹も見られるようです。

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さあ、待ちに待った 「和風別館」 の参観です。こちらは迎賓館の
本館と違って、ルートに沿った自由参観ではなく、ガイド付きの参
観です。主庭の噴水の近くにあるテントが集合場所でした。(上)
12 時の時間なので集合は11時45分でした。(下左) 受付を
すませて待機して時間が来たら係りの方が案内に付いて一通り
説明がありました。(上左) 参加者は一組20名で、ちょうどよい
人数でしょうか。和風別館へは主庭の小径から行きます。(下右)

「参観エリア」
和風別館 (主和室、即席料理室、茶室、和風庭園など)
所要時間の目安  和風別館+庭園 : 1時間から1時間30分程度
参観時間 : 10時30分、11時、11時30分、12時、12時30分、
         13時、13時30分、14時、14時30分、
          15時 (15時の回は英語ガイドツアーです)
人数    : 各時間20名です。事前に予約申込のみ
          (個人での申込み、代表者を含め4名まで)

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ガイドさんが説明しながら庭を進んでいきます。最初に出逢った
のが、エリザベス女王が来日記念に植樹したイングリッシュオーク
でした。さらに進むと見えてきました。(下) これが 「迎賓館 ・ 和
風別館」 の 「游心亭」 です。(上) 建物の手前には大きな池。

「游心亭 (ゆうしんてい)」
和風別館 「游心亭」 は、東宮御所などの設計で知られる建築家、
谷口吉郎氏の設計により昭和49年 (1974) に建設されました。
迎賓館本館で執り行われる行事や接遇が洋式であるのに対し、
和風の意匠と純日本のおもてなしで諸外国の賓客をお迎えする
ための施設として利用されます。日本の 「家」 と 「庭」 が持つ美し
い特性を感じていただくとともに、お茶 ・ お花 ・ 和食などにより、
「和」 のおもてなしを提供しているようです。こちらは宿泊施設は
なく、食事会や茶会など、国賓の接遇イベントで利用されます。

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和風別館の庭園側の方から進んで建物の中に入ります。(下右)
建物の右端が庭に出る入口になっていました。(下左) 裏庭の玄
関前まで到着しました。ということで撮影はここまでです。内部から
は撮影禁止になります。内部も一部屋づつガイド (職員) の方が
詳しく説明してくださいました。

「正面玄関と渡り廊の坪庭」
表面玄関から続く渡り廊の右手は孟宗竹が植栽され、竹林の手前
には京都の白川砂に貴船石が配されている和の空間が広がります。
坪庭が見える廊下側が、主賓が入場する正面玄関になるそうです。
正面玄関の左脇にかけられた銅製の外灯には、五七の桐の御紋
章がついていました。孟宗竹と美しい石の景観を愛でながら室内
へと向かいます。玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えます。
皆さん靴をバラバラに脱いで、ちょっと気になりました。(笑)

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最初に案内された部屋が主和室です。主和室は47帖の畳敷きの
広間で、中央には掘りこたつ式の座敷で、高さが変えられるテーブ
ルが設置されています。天井には、水盤からの光の反射がよく入
るように勾配があり、その工法は天井板を竿と称する細い材で押
さえて天井を張り、杉中杢と呼ばれる杉の樹心に近い部分から得
られる板を用い、板張りの目透かし部分の裏側に敷目板を用いた
ものです。この勾配は、雨が多く夏の暑い気候で生まれた、日本
建築の特徴である軒の出の深い屋根を連想させます。テーブル
は床下に収納でき、全面を畳敷きとすることで着物や生花の鑑
賞の場として、また日本舞踊なども催されるようです。また、池に
差し込んだ太陽の光が反射して、廊下の天井や柱に水の 「ゆら
ぎ」 が映し出され、日本的な趣を演出しています。部屋前には
過去の接遇時の写真が掲示されていました。(下右)

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主和室を過ぎて奥へ進むとカウンター席で 「寿司」 や 「天ぷら」
などを楽しめるカウンター席の即席料理室があります。料亭のよう
なこちらの料理室は主和室よりも少人数の場合に利用されるそう
です。離れの古民家に来たような部屋でした。即席料理室のさら
に進むと 「待合」 と呼ばれるスペースがありました。玄昌石の床に、
一枚板の長椅子、そして、つくばいがあります。庭先には、クロマ
ツの葉を交互に市松模様に敷き松葉が施されていました。苔が
霜で傷まないよう毎年、庭師さんが作業をしているという。先輩か
ら後輩の方へ技術を伝承しながら作業されているようです。妥協
しない丁寧で堅実な手仕事に職人魂を感じました。

さらに進むと
「茶室」 があります。茶室は少し広めの部屋になっており、一段高
いところに4畳半の畳席があって、そこで茶席が催されるそうです。
外国の賓客の方など正座が苦手な方は、畳に上がらず椅子席で
茶を楽しむこともあるとか。こちらには人間国宝が作った茶器や
京都大徳寺のご僧侶が書した掛け軸が飾られていました。全て
の部屋を見学して玄関にもどると、何とみんなの靴が見事に揃え
てあって、行き届いた職員の方の 「おもてなし」 に感服しました。

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主和室の廊下を挟んで窓際の足元には池が広がり、錦鯉が泳ぐ
のを見ることができます。広間の前で、アメリカのトランプ大統領が
器を豪快に逆さにして鯉に餌やりをしたあの場所で、「ああ、ここな
んだ~」 と、これまた違う意味で興味深かったです。

別館前に広がる池は、元は水盤として作られて20センチ程の深さ
だったそうです。そこに当時の総大臣であった田中角栄氏の提案
で、錦鯉30匹ほど放たれたそうですが、鯉の生育には浅すぎたよ
うで、その後に深く掘り下げて今の形になったということでした。鯉
は紅白、三色、山吹黄金、銀松葉と様々。もちろん、天皇陛下の
提案で生み出された鰭長錦鯉もいて珍しいのですが、ガイドさん
について歩くツアーなので錦鯉を観察する間も与えられず残念。
鯉は人影を察知すると集まって来るようです。日本人には当たり
前の風景ですが、外国の賓客には、室内から錦鯉へのエサやり
が喜ばれるらしいです。

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和風庭園の大きな起伏のある築山には、白梅の木が18本、紅梅
が5本植栽されていて、ちょうど花を咲かせていました。梅の花が
ほころんできましたが、満開になるのはもう少し先になりそうでした。

迎賓館とは違い、和風別館は落ち着いた上質な和風建築です。
室内の見学の際、妙に豪華さとは不釣り合いな、スリッパが並べて
あったのですが、それは見学者用のスリッパで、賓客は素足のよう
です。和室の大テーブルは掘りごたつ式になっていて、正座する文
化の無い海外の賓客に配慮し、電動で格納できるようです。派手さ
はありませんが、至るところに人間国宝とされる職人の技や最高の
素材が、至る所にさり気なく設置されてありました。

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冷たい空気の中でしたが、和風庭園の梅の花のつぼみはほんの
りとふくらみを見せています。この日は、ぽかぽか暖かく春のようで、
和風庭園の紅梅と白梅の花が大きく開き、ふんわりと春の香りがし
ます。まるで春への小さな足音が聞こえてきそうでした。主和室の
大きな窓からは、座っていても日本庭園がよく見えるようになって
いて、目線に合わせて築山に梅が植えられているのがわかります。

見上げると、天井の窪みや電灯が六角形でした。六角形は谷口
吉郎氏がよく使うモチーフです。書家西川寧氏による游心亭の銘
板がありました。遊が 「さんずい」 なのは、水に縁のある建物だか
らだそうです。遊心は文字通り 「心を遊ばせること。 心をほしいま
まにして楽しむこと」 という意味です。この和風別館が賓客に寛い
でいただくための施設であることを示しています。日本の伝統的
美意識を表現するための 「和の意匠」 を館内の至るところにちり
ばめられ、そこに秘められた意味を知ると日本の美意識の凄さに
自然と足が震えました。(笑) 

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和風別館のツアーは、ガイド担当者にもよるのかもしれませんが、
およそ1時間ちょっとでした。終ると庭を通って戻ります。見学には、
ガイドのほかに皇宮警察のお巡りさんが同行し監視。 あまり自由
行動が出来ません。貴重な作品が陳列されているにも関わららず、
ゆっくり見られませんでした。なので、聞き分けの良い 「良い子」 で
の見学でした。(笑) 和室の大きな窓から見える梅の木は美しく、
ヒマラヤ杉は高くそびえるようで、本館の凛とした美しさも素晴らし
いと思うけど、和風別館の佇まいはまさに日本的で素晴らしかった。
日本ならではのおもてなし外交の最前線を見せていただきました。

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天皇陛下御在位三十年記念式典に合わせ、 当日に限りで、宮内
庁から特別に旧御料車が、本館正面玄関前に展示された日産プ
リンスロイヤル。こんなに近くで拝めることはなかなかありません。
初めて見ました。皇室用ナンバープレートが外されている。もう
廃車扱いなのだろうか。5月の天皇の即位の日 には、トヨタセン
チュリー に切り替わるのだそうです。展示車両は、昭和44年から
平成20年3月まで御料車として使用されていたようです。

「旧御料車 (ニッサンプリンス ・ ロイヤル)」 昭和44年製
排気量 : 6.373CC  エンジン : V型8気筒水冷式
全長   : 6.15m  全幅    : 2.1m 高さ : 1.76m
重量   : 3.660㎏  乗車人数  : 8名

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「主庭の記念植樹」
和風別館に行く途中には、昭和50年 (1975) に英国エリザベス
女王とフィリップ殿下が来日記念に植樹した イングリッシュ・オーク
は、こんなに大きく育っています。ウィンザー城 の庭園に植えてあ
った若木を空輸したものだそうです。(上) また主庭の西側の木々
の中に、1974年に来日した米国のフォード大 統領 の手により記
念植樹された1本のハナミズキです。(下右側の木) 4月から5月
ころに、たくさんの花が咲くようです。旧ソ連のゴルバチョフ大統
領が1991年に来日した時に植えられた菩提樹です。(左の木) 

今から100年以上さかのぼる昔、日本から3000本にも及ぶ桜の
苗木を贈った返礼として、米国からハナミズキの苗木が贈られま
した。 日本からの桜の寄贈100周年を記念して、米国は現在も
ハナミズキの苗木3000本を日本各地に届けしているようです。
ケネディ大使も伊勢を訪れた時、1000本目となる苗木を神聖
な伊勢神宮に植樹したそうです。 きれいな花を咲かせる樹木。
その苗木を日米両国が寄贈し合えるなんて素敵ですね。毎年、
春になって桜やハナミズキが花を咲かせるころには、互いに分
かち合っている根源的なもののことや、日米両国を結びつけて
いる強い絆を、きっと思い起こすでしょう。迎賓館を囲むように
木々が植樹されており、季節の花々に彩られる趣となっている。

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参観を終えて・・・・。
富国強兵、殖産興業など、ヨーロッパの国々に追いつけ追い越せ
だった明治や大正の時代の雰囲気が色濃く残っていて、日本の
近現代の精神性が凝縮した建物のように感じられました。今もここ
が迎賓館として外交上の公式イベントに使われているという事実が、
大変興味深いです。しかし、あまりにも華やか過ぎて住まいには不
向きという昭和天皇の弁。私も豪華すぎて、きっと眠れない夜を過
ごすのではと、チト心配になりました。(笑) 有り得ないけどね。

迎賓館内部は、どの部屋もきらびやかな内装と調度品が見事です。
細部まで行きとどいた装飾は圧巻です。息を飲むって、こういうこと
なんだと思いました。固く門の閉ざされた感じの迎賓館は、感動す
るばかりでした。セレブでゴージャス、日々の日常からかけ離れた
贅沢な時間を過ごすことが出来ました。首脳会談や晩餐会が行わ
れる公用室や、7メートルを超える大きな噴水など、沢山の見どこ
ろがあるので、ぜひ多くの方が参観して頂ければと、思いながら
・・・迎賓館を後にしました。





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