一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。








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「履物を揃える自由」

...2018/09/30 10:15...

大型で非常に強い台風24号が接近中。
九州地方では、近づいているではなくて、既に真っ只中
でしょうか?今回の台風は掛け値無しに凄い台風のようです。
国際宇宙ステーションからの台風の画像には、見たことも
ないような、大きくぱっちりとした台風の目が写っていました。
撮影した宇宙飛行士は、「誰かが地球の巨大な栓を抜いた
ようだ」 とコメント。それだけ巨大なわけです。

7月の西日本豪雨や今月上旬の台風21号の被災地も
通過する恐れがあり、記録的な暴風になる可能性もあり、
関東や東海でも最大級の警戒が必要と呼びかけています。
各地に被害がなく通り過ぎますように・・・・・。
タノンマス 人(°。° *) この通り

さて
24日は 「十五夜」 ということで、東京も雲の合間から
たいそう見事な中秋の名月を眺めることが出来ました。
でも、仕事の都合で遅くなってしまったこともあり、
団子は調達できず、団子をお月様にお供えすること
が出来ませんでした。 お月様、ごめんなさい・・・。
かみさんは 「中秋の名月だったの?へ~」 でお終い。
季節の行事も、こうして薄れて行くんでしょうね。(笑)

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デジカメで撮ったのですが、東京の 「十五夜」 はこんな感
じで、秋の夜空を照らしていました。最初は雲がかかって
いて、 (下左) 心配したのですが、やがて雲が去り見事
な月。(上) だが、せっかくの月も雲に覆われて姿を隠し
てしまいました。皆が見つめるので照れて隠れたのかな?

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ 
   わが身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里)

月を見ていると、あれこれと悲しい思いが湧いてくる。
秋はわたしのところだけに来るわけではないのだが 、
悲しみを映すのは、やはり月がふさわしいのでしょう。
恋の思いを託すのも月、故郷を思い出させるのも月。
月は歌人たちの 「あはれ」 を受けとめてくれるのですね。

何はともあれ、空に煌々と輝くお月様を眺めること
が出来てよかった。曇りで中秋の名月の夜に月が
見えない場合の呼び名を 「無月 (むげつ)」 という
らしい。名月の夜が雨となってしまった場合は「雨
月 (うげつ)」 というようです。いずれにしろ 「無月」、
「雨月」 にならなくてよかったですよ。皆さんの所は、
秋の夜風を感じながらお月見を楽しまれたでしょうか。
毎月のように月を鑑賞する月があるけれど、
名月を見る月といえば、まさに今月のこの月ですね。

月々に月見る月は多けれど
      月見る月はこの月の月   (よみ人知らず)


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「履物を揃える自由」

珍しいワインが手に入ったので・・・と誘われ友人宅を訪ねた。
玄関先で挨拶していると、ちょうど息子さんが帰宅した。
靴を脱いだまま家に上がろうとしたので、彼は 「脱いだ靴は
揃えなさい」 と注意していた。そこへ一緒にお孫さんと帰宅
したおじいちゃんが一言。「靴を揃えるか、揃えないかは
この子の自由」 と言い出し、ひと悶着。彼と父親との
躾、子育て論争が始まった。彼の父は元校長先生。

「脱いだ靴は揃えなさい」 と、親がわが子によく言って
聞かせます。子どもたちも深く考えずに 「そうするもの」 だと
思い育ってきたはずです。「揃える自由」 があるということは、
「揃えないで脱ぎっぱなしにする自由」 もあるということですよね。
例えば、「片づける自由」 もあれば、「散らかしっぱなしにする自由」
もある。「しぶしぶ勉強する自由」 もあれば、「楽しく勉強する自由」
もある。「傷ついた人を助ける自由」 もあれば、「見て見ぬフリを
する自由」 も・・・と、きりがないくらい 「自由」 はあります。

このように考えると、私たちの生活は常に 「自由」 です。
そして、常にどのような自由を選択するのかの連続。
彼の父親は、何でも好き勝手に生きることを勧めているのではなく、
どちらを選ぶのか決める自由があるからこそ、人間としてより良い
ほうを選ぶことが大切で、それが教育の根源であると考えている
ようです。それは、ただ躾や知識を押し付けるだけでは、日々の
生活とかけ離れており、その詰め込まれた知識が実際には
役に立たず、もっとも大切な子どもたち自身が考える
心 (力) を育ててはいないということでした。

「なぜだろう」 「どうしてだろう」 という子ども自身の
中から自ら学ぶ意欲を引き出したい。ただ覚えるだけの
死んだ知識ではなく、生きた知識を与えたい。教室や机の
上での学びにとどまらず、日々の生活の中で問題解決に
取り組む力を育むことを大切にすることはとても大事です。

自由とは、自分のためだけのわがまま勝手、
好き勝手な自由ではありません。私たちには、靴を揃えて
脱ぐか、面倒だから乱雑に脱ぎ散らかすかの選択の自由が
あります。しかし、靴を乱雑に脱いだ場合には、自分の靴が
どこにあるか分からず、履くときには不自由を感じますし、
他の人にも迷惑をかけます。靴を揃えて脱ぐことが、
自分にとっても周りにとっても高いレベルでの自由が
得られることが分かるのでしょう。

自由とは何でしょう? これほど難しい言葉はありません。
よりよく生きる選択は、大人に限ったことではありません。
子供でも同じようにきちんと自分自身で選択が出来るために、
知識、教養、やさしさ、思いやり、生きる力などを学ぶことが
大切になのです。生活の中から、自然の中から、
生きた学びの場にしていきたいものです―。

こんな訓話を聞いたことがありませんか?
「親」 という漢字を分解すると、「木」 の上に 「立」 って
「見」 る、となります。これは、小鳥が巣立つ時に、親鳥は
少し離れた枝から 「大丈夫、がんばれ」 「こっちの枝に
飛んでおいで」 と声を掛けて見守る様子が描かれた
ものなのです。ここに親のあるべき姿があるのです。
決して手取り足取り教えるのではなく、親鳥のようにそっと
子どもを信じて見守ってあげなくてはならないのです。

お行儀や決まりごとに盲目的に従わせるのではなく、
子ども自ら考えて 「自発的によい規律をつくり」 守らせること、
その結果として 「自然に礼節に叶いつつある」 ことが重要。
子ども自身が試行錯誤を繰り返しながら、何が正しいかを
自然と理解できるようになるよう導いてやるべきであると。
彼のお父さんの教育方針に妙に納得して帰りました。
子どもの自立を見守ろう、ってことでしょ。「親」 の一字は、
我が子を気づかう、切ないまでの親心、そのものなのですね。


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特別展 「縄文―1万年の美の鼓動」 2018
    東京国立博物館 ・ 平成館

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今から約1万3000年前、氷期が終わりに近づいて温暖化が進み、
入り江や干潟が生まれ、現在の日本列島の景観が整いました。
この頃に日本では土器作りが始まります。縄文時代の幕開けです。
こんなに長く続いた時代なのに、学校の授業では一瞬だったと思
います。この縄文の生命エネルギー、縄文が発信する超時間的
未来、そのすべてが、わたしの想像力と野生力を刺激しました。
そんなわけで、会期終わりが間近にせまった頃に出掛けました。

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日本で初めて縄文時代だけに光を当てた今回の記念すべき 「縄
文展」 は、基本的に制作年代順となっていますが、それだけでなく、
テーマを設定し見るべきポイントを示してくれています。展覧会構
成に合わせ、見せ方にも大きく変化を付けているので、実は茶色
の物体しか展示されていないのに、実に 「多彩」 な魅力で溢れて
いるように感じました。

「国立博物館 (愛称 トーハク)」 (本館) (上)
東京国立博物館は明治5年 (1872)、文部省博物局が湯島聖堂
大成殿において最初の博覧会を開催したとき、わが国最古の博物
館としてその産声をあげました。日本で最も長い歴史をもつ博物館
です。本館 ・ 東洋館 ・ 表慶館 ・ 法隆寺宝物館 ・ 黒田記念館 ・平
成館の6個の展示館があります。日本を中心とした東洋諸地域の
美術作品と考古遺物約11万7千件以上を収集 ・ 保管しています。

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夏の暑い日でもあり、しかも夏休み中で学生や子供たちも大勢訪
れるだろうと予測して早めに出かけましたが、ご覧のような行列が
並びます。外でこれ位ならと思いきや、実は館内の1階ラウンジの
方にも行列が出来ていました。館内の行列が玄関外へと並んで
いるのです。皆さん傘を差していますが、日除け用に貸し出して
いました。熱中症対策だったのです。歴史好きの多いこと。

「平成館」
日本では最も古い歴史ある博物館の東京国立博物館の施設の
中の1つの平成館は、平成11年 (1999) 皇太子殿下のご成婚
記念として開館し、平成27年 (2015) にリニューアルオープン
しています。館内は1階が考古展示室となっており、考古遺物が
多数展示されており、石器時代から近代までの日本の歴史の
流れを展示物を見て学ぶことができます。2階が展示室。
平成館は、東京国立博物館本館より左奥にある別棟です。

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エントランスの正面階段下でチケットを見せエスカレーターで2 階
の会場へ進みます。 縄文展は2つの会場に分かれていました。
第1会場 (下左) は土器が中心、第2会場 (下右) は国宝の展示
と縄文の多種な土偶が中心なので、土偶の方からじっくり見たい
人は、2室目から見学することも可能でした。見どころ沢山。最後
のコーナーでカメラ撮影の可能な展示カ所があり、皆さん大変。
会場内は渋滞もありましたが、まあまあ鑑賞が出来ました。

縄文時代の造形美にスポットを当てた展覧会です。
わたしの縄文時代の知識は、中学生のときの歴史の授業で止ま
っていて更新されてないんですけど、今回は考古資料に美術の
視点から迫ると聞いて、それだったらわかるかもしれない・・・・と。
博物館はいつも適度な解説をキャプションに書いてくださるので、
不勉強でも何とかなるかも思ってましたが、予想を超えてはるか
におもしろかったです。特に土偶が! 一度にあんな量の土偶
を見たのは生まれて初めてかもしれません。

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突然ですが、問題です。江戸時代が約300年弱です。平成に至
っては30年でその幕を閉じますが、縄文時代って何年くらい続い
たかご存知でしょうか? 驚くことなかれ、何と一万年以上も続い
たのです。大切なので何度も書きますね。一万年!です。

本展では 「縄文の美」 をテーマに、縄文時代草創期から晩期まで、
日本列島の多様な地域で育まれた優品を一堂に集め、縄文時代の
人々が生きていく上で作り出したさまざまな道具に宿る 「暮らしの美」。
縄文土器の造形美の変遷をたどる 「美のうねり」。縄文土器と世界各
地の土器を見比べる 「美の競演」。国宝に指定された火援型土器や
土偶が集う 「縄文美の最たるもの」。縄文時代の願いや祈りを体現し
た造形を集めた 「祈りの美、祈りの形」。そして、岡本太郎ら芸術家
や作家が愛した縄文の美を紹介する 「新たにつむがれる美」。最大
のみどころは、縄文時代の国宝6点が集結すること。さらには教科
書でもおなじみの土偶などが展示されています。

第一章 暮らしの美
氷期が終わった日本列島は温暖で湿潤な気候に変わり、人々は
この豊かな自然環境を利用して狩猟や漁撈 (ぎょろう)、植物採
集などをしながら、竪穴住居に暮らす、定住型の生活を始めます。
煮炊きのための土器や調理道具から、猟や漁に必要な武器、
それを作るための道具まで、生活のために生み出された様々
な道具に表れる美意識を観ていきます。

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会場の入口には、縄文時代の年表と出土品を表した日本各地の遺跡
マップ。そちらで一度、縄文時代について、一通り学んで進みます。

重要文化財 「磨製石斧」 縄文時代前期 秋田建立博物館 (左)
秋田県東成瀬村上掵 (うわはば) 遺跡出土
石器には、打ち欠いただけの打製石器と、磨いて仕上げた磨製石器
があります。このうち木を伐る斧 ( オノ) として使用されたと考えられる
石器が磨製石斧です。石斧の材料には硬くて粘りがある、緑色をした
蛇紋岩が多く使用されました。うっすらとタテに筋を入れたりしてとても
丹精込めて磨かれています。 これは秋田県で出土し、石は北海道産
のものなんだとか! 謎が深まります。石には魔力があるのかも!

重要文化財 「尖頭器」  旧石器終末期~縄文時代(草創期) (右)
長野県南箕輪村 神子柴遺跡出土 個人蔵 (伊那市創造館寄託)
そのままペンダントになりそうなきれいな紡錘形の石器は、木の先に結
びつけて大型動物に向かって投げるなど、槍として使われていました。
狩りの対象はゾウやオオツノシカといった大型動物から、イノシシやシカ、
鳥など中型で動きの素早いものに変わりました。尖頭器で大きい動物を
追っていましたが、縄文時代には石鏃を矢の先に付けてすばしこい動
物を狩るようにもなります。石の表情が現代アートのようにも見えました。

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重要文化財 「木製編籠 (縄文ポシェット)」 縄文時代中期 (左)
(青森県三内丸山遺跡出土 ・ 縄文時遊館保管)
縄文時代の遺跡から出土した編組製品で立体的な形が分かる全国
唯一のものです。植物などで編んで作られた小さな籠で、もはや何の
植物かわからないくらい真っ黒でした。「縄文ポシェット」 という可愛い
通称を持つ籠には、クルミの皮が残っていたとのことです。それも展
示されていました。森を歩きながら木の実を採って、ここに入れてい
た姿が浮かびますね。古代のクルミ! ロマン!

重要文化財 「土製耳飾」 縄文時代(晩期) (右)
(東京都調布市下布田遺跡出土   江戸東京たてもの園蔵)
多摩川中流域の遺跡から出土した直径約10センチの極大型の色鮮
やかで優美 な 「土製耳飾」。縄文人は、髪飾りや耳飾りなどの装飾
品を身につけて自身を飾っていました。漆の赤やヒスイの緑、鹿角や
貝の白など、そこには現代と変わらない美意識が存在したのでしょう。
耳飾りは見事な透かし彫りで、モチーフは花なのか植物なのか・・・・。
現代のイヤリングみたいに、てっきり輪っかを耳たぶに挟むのかと思
っていたら、耳たぶに穴をあけて耳飾りをまるまる嵌めこむらしい!
イメージ図が描いてあったけど、あれ痛くないのかな・・・・・。

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「微隆起線文土器」 縄文時代(草創期) 青森県立郷土館蔵 (左) 
青森県六ヶ所村遺跡から出土したもので、縄文草創期に製作され
た土器は、縄目も横一列で非常にすっきりしています。底が尖った
筒状の土器で口に向かってわずかに広がる。一見、シンプルな土
器ですが、等間隔に丁寧に刻まれた水平方向の線は、上方では
一部に波文様がほどこされて、アクセントとなっています。その薄
さといい、下方に向けての曲線美といい、口縁のリズムある隆起
といい、侮るべからずの一品です。

重要文化財 「壺形土器」 縄文時代 (晩期) 文化庁蔵 (右)
青森県十和田市滝沢川原から出土。縄文晩期になると縄目の文様
は平らになり、形状も立体というよりエンボス加工のような控えめな質
感へと変化しています。実用本位なシンプルな形の中で、陶磁器の
絵付けのように、あくまで 「入れ物」 としての機能を邪魔しない程度
のデザイン性へと後退しています。

第二章 美のうねり
いよいよ本格的な縄文土器が登場。露出展示もあって、見ごたえが
ありました。縄文時代の名前の由来になった縄目文様は、縄文時代
草創期後半から見られるようになり、中期になると立体的な装飾に。
後期・晩期には沈線で描く文様が増えます。縄文土器の造形の移り
変わりを見ることができます。

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重要文化財 「深鉢形土器」 縄文時代 (中期) 道訓前遺跡出土
群馬 ・ 渋川市教育委員会蔵 (左)
「深鉢形土器」 は、ねん土紐の貼り付けと半肉彫の沈線によって
描かれた滑らかな曲線文様。これらは縦横無尽のようでありながら、
破綻することなく見事に器面に描き尽くされています。口縁には大
きな環状突起、底部を覗く部分全体を埋めるように流文 (渦模様)
が刻まれていました。これを見て、琳派の流水模様が日本人に
とって根源的なものなんだと思いました。

重要文化財 「片口付深鉢形土器」 縄文時代(前期) (右)
埼玉県ふじみ野市 上福岡貝塚出土 個人蔵
片口 (注ぎ口) が付いた深鉢形土器は、関東地方縄文前期の関山
式土器に出現します。胎土に植物繊維を含んでいますが、胴部の羽
状縄文の美しい土器です。 片口の配された口縁部付近には竹管を
引いたうえに粘土紐が貼付され、胴部の羽状縄文と組み合わさって
複数段の文様を構成しています。線刻の模様も緻密でした。

第三章 美の競
日本列島だけではなくアジアのほかの国やヨーロッパの土器を紹介
もしていました。約1万年前の各地の文化を垣間見られました。しか
し、一番インパクトがあったのは、一緒に展示されていた日本の 「焼
町土器」 でした。やっぱり縄文式土器の存在感は別格ですね。

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「彩陶鉢」  新石器時代 (後期)  東京国立博物館蔵  (左) 
中国甘粛省あるいは青海省から出土した物です。彩陶とは赤みが
かった胎土の表面に黒、赤などの顔料で文様を描いた土器のこと。
両面には渦巻き状の文様が大胆に描かれています。中国の先史
時代のなかでも、ひときわ華やかな彩陶が作られた甘粛省の馬家
窯文化期 (前31003年頃~前2000年頃) の物のようです。煮物
などの盛りつけに使っても、はたまたサラダボウルとして使っても、
ちょうどいいサイズねと、後ろで見ていたおばさんの声に苦笑い。

重要文化財 「焼町土器」 縄文時代 (中期) (右)
群馬県道訓前遺跡出土 群馬 ・ 渋川市教育委員会蔵
焼町土器は浅間山麓から中信地方、群馬県にかけて分布する土器。
その派手な装飾にはメガネ状の突起・曲線・多数の点などの抽象的
な文様がつけられている。それらの記号には、縄文人のどのような
メッセージが隠されているのだろうか。実用品でないと疑問もあるが、
内面には煮炊きの際の焦げつきがみられるようです。人形の文様が
あり、口縁部から底部まで複雑な模様が丁寧に描かれています。

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縄文時代は、旧石器時代が終わったおよそ1万3000年前から
約1万年間続いた時代を縄文時代と呼びます。その名称は縄目
の文様をもつ土器が使われたことに由来します。縄文時代の始ま
りに少し遅れて氷期 (ひょうき) は終わりを迎え、日本列島は温暖
で湿潤な気候に変わり、現在と同じ山や森、そして川や海といっ
た景観が整います。当時の人びとは、この多様な自然環境を利
用し、狩猟や漁撈、植物の採集を基本的な生業として定住生活
を行いました。また土器や石器といった実用的な道具に加え、
装身具、土偶や石棒といった儀礼の道具などを作り出しました。

第四章 縄文美の最たるもの
縄文時代の遺跡は9万件以上ありますが、出土品で国宝に指定
されているのはわずか6件。その6件が初めて一堂に会します。
さすが特別展! 360度透明なガラスケースで展示されていた
ので、いろんな角度からじっくり鑑賞してきました。実物の美しさ
は、写真で受けた印象の何十倍でした!

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「国宝 ・ 土偶 中空土偶」 縄文時代 (後期) 北海道著保内遺跡
出土  函館市蔵 (函館市縄文文化交流センター保管) (左)
函館市茅部地区で、地元主婦が農作業中に畑の中から発見した
のが 「中空土偶」 です。内部が空洞に作られていることから中空
土偶と呼ばれています。両腕が失われていますが、肩が張り出し
た立ち姿の自立しない土偶です。頭部から脚先まで全身が薄く
精巧につくられており、文様構成にも優れています。男性っぽい
特徴も持っていますが女性のようです。国宝としての十分な風格
と存在感を放ちながら、古代からの無言のメッセージを伝えよう
としているかのようでした。見れば見るほど引き込まれてしまう
不思議な魅力を持っているんですよ。

「国宝 ・ 土偶 縄文の女神」 縄文時代 (中期)) (右) 
(山形県舟形町 西ノ前遺跡出土)
これが 「女神」 なの? とつい思ってしまいますが・・・・、この土偶
は一応、胸があり、妊娠中に濃くなる正中線があり、女性ということ
になっています。ただ、顔がまったく表現されていないところにミス
テリアスなものを感じますよね。上半身はあっさりしているのに、下
半身はどっしり。後ろの方から見ると、ウエストのくびれ具合がすご
いんです。 一体、どういう人が作ったのだろうかと考えてしまいます。
こういう土偶があると、『宇宙人じゃね?』 っていう話が出てくるん
ですけどね。現代美術に匹敵する造形美といわれてます。

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「国宝 ・ 土偶 仮面の女神」 縄文時代 (後期)  (左)
長野県茅野市中ッ原遺跡出土  野市蔵 (尖石縄文考古館保管)
墓と考えられる土坑群の一つから出土したこの 「仮面の女神」 は、
死者への鎮魂と再生を祈るために埋葬されたと考えられています。
顔の表現が仮面をつけたような土偶は、一般に 「仮面土偶」 とい
います。この土偶は呪術師と思われる人のお墓から出てきている
ので、代々、その村の呪術師に継承されてきたものではないかと
思われます。しかも、女性の呪術師だったのではと思われます。
色々な祈りが込められていたものだったんでしょうかね。

「国宝 ・ 土偶  縄文のビーナス」  縄文時代(中期) (右)
長野県棚畑遺跡出土 茅野市蔵 (茅野市尖石縄文考古館保管)
膨らんだ腹部、ふくよかな下半身から豊穣の女神として 「縄文のビー
ナス」 とニックネームがつけられたようです。一般的に祭祀の途中で、
すべて壊されることが多かった土偶ですが、この 「縄文のビーナス」
は、小さな土のくぼみに横たえられ、完全な形で見つかったそうです。
このお腹の膨らみ具合から妊娠中の女性のようです。ヘルメットをか
ぶっているような形で結髪が表現されています。それから、よく見る
と内股なんですよ。(笑) 土偶は安産や子孫繁栄を祈るために作
られたと考えられ、まさにその祈りを体現したかのような土偶です。

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「国宝 ・ 火焔型土器」 縄文時代 (中期) 新潟県十日町市笹山
遺跡出土  新潟 ・ 十日町市蔵 (十日町市博物館保管) (左)
縄文土器と言えば誰もが思い浮かべるのが火焔土器。私などは、
火焔型土器を見るといつもソフトクリームのコーンを思い出してしま
います。(笑) 特徴は、まず鶏のトサカのような形 (鶏冠状) をした
4つの大きな突起がある事。これが火焔を表現しています。また突
起の間に鋸歯状のフリルがあります。さらに土器の開口縁部に周
囲の底部側と区別するためのメガネ状等の突起が付いています。
焦げが付着しているものもあり、煮炊きに使われたと思われ、そう
でない個体もあり、祭りなどの非日常的な用途に供されることも
あったのではないかと考えられます。

「国宝 ・ 土偶 合掌土偶」 縄文時代 (後期) 青森県八戸市風張
遺跡出土  青森 ・ 八戸市蔵 (是川縄文館保管) (右)
縄文時代の土偶のなかには、当時の人びとの思いを端的に伝え
るしぐさや行為をかたどったものがしばしば見られ、これは膝を立
てて座り、胸の前で両手を合わせるその姿から 「合掌土偶」 と呼
ばれ、祈りそのものの姿とも云われています。疑問だったんです
が、この 「合掌」 ポーズ、今の私たちにとっては祈るポーズですけ
ど、縄文時代にはもしかしたら全く違う意味のポーズだったりしな
いのでしょうか。実は出産の様子を表現しているという説もあります。
この土偶のチャームポイントは、口だと思うんですよ。なんだか、
しゃべりそうじゃないですか。漫画の吹き出しが浮かんでますよね。

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日本が縄文時代の頃の世界では、どんな状況だったのかといえば、
古代エジプトでは、この頃ハサミ、カミソリ、鏡がすでに存在し、クフ
王のピラミッドは43階建てのビルと同等の高さです。またインダス
文明が始まります。レンガ造りの家には、浴室と井戸があり、今で
いう水洗トイレまであったのです。世界にはすでに、すごすぎる文
明が存在しいてます。なんだか縄文時代が、ちょっと悲しくなって
気ますが、土器や土偶をじっとみていると、遠い遠いはるか昔の
先祖が、これらをつくって使っていたと思うと感動してしまいます。

第五章 祈りの美、祈りの形
縄文時代の祈りの美、祈りの形の代表が土偶 (どぐう) です。人間
のかたちをしたものが土偶ですが、土製品には動物、魚や鳥など
の色々な種類があります。それぞれが想いを込められてつくられ
ているようです。いったいどんな想いなのでしょうか?  教科書で
見た有名な土偶にも遭遇します。

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「土偶装飾付深鉢型土器」  縄文時代(中期)  (左)
神奈川県・大日野原遺跡 個人蔵 (神奈川県相模原市立博物館) 
海を越えて大英博物館にも展示された、大日野原遺跡の土偶装
飾付き土器です。縄文土器の口に、ちょこんと乗っかるように愛ら
しい土偶がついた大変珍しい土器です。容器の縁に小さなポーズ
土偶がくっついていて、うっかり 「コップのフチ子か!」 と突っ込
むところだったが、コップならぬ土器の現代にも通じるデザイン?
縄文版コップのフチ子さん。思わず笑っちゃいました。(笑)

重要文化財 「人形装飾付有孔鍔付土器」 縄文時代 (中期) (右)
山梨県・鋳物師屋遺跡出土  山梨・南アルプス市教育委員会蔵
南アルプス市の鋳物師屋遺跡から出土した縄文土器。土器にも、
人面付きとか人形把手付きとかあります。これは、「人形装飾付有
孔鍔付土器」 という長い名前。有孔鍔付は、つばにあな (孔) が
ありっていう意味。樽形の胴部には大きく口を開け、右手を上げ
る人が目を引きます。どこか歌っているようにも、こちらに語らい
でいるようにも見えます。土器は単なる容器としてだけではなく、
祈りの道具としての役割も担っていたようです。イヨー

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重要文化財 「ハート形土偶」 縄文時代(後期) 個人蔵 (左)
“インスタ映え” 必至のハート形土偶。言うまでもなく顔がハート形
をなすことから名がつけられたようです。現代では当たり前に使わ
れるこのハート形が、数千年前の日本に存在していたというのは
なんとも不思議な事実です。個性的なその姿から、多くの人に愛
されてきた土偶です。その人気から切手のデザインにも採用され
ました。写真だとエッジが立ってしまうのですが、実物は土で作ら
れた柔らかい雰囲気があります。そんなところも、実物を見る時
の面白さがありますね。何度見ても不思議な造形で、視線の先
が気になります。何を眺めているのかな・・・・・。

重要文化財 「猪形土製品」 縄文時代 (後期) (右)
青森県弘前市 十腰内2遺跡出土  青森 ・ 弘前市立博物館蔵
しっかりと大地を踏みしめ、威嚇するかのように前を見据える猪。
耳や尾、背中の毛を立て、威嚇している様子がよく伝わってくる
感じでした。イノシシをはじめ、縄文時代にはしばしば動物を象
った土製品が作られました。このような動物形土製品には、動物
そのものがもつ力を畏れ、敬った当時の人びとの思いが凝縮さ
れている気がします。自然に畏敬の念をあらわしていた縄文人
たちの姿が見られますね。現在と同じように縄文時代にも猪が
いたんだ~と、ちょっと感動しました。

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  重要文化材 「遮光器土偶」 縄文時代 (後期)
  青森県つがる市木造亀ヶ岡出土   東京国立博物館蔵 

日本でもっとも有名な教科書でもお馴染みの 「遮光器土偶」。
土偶といえば、この遮光器土偶を思い浮かべる人が多いでしょう。
その特徴的なアーモンド形の目の表現には、さまざまな解釈があり、
「雪中遮光器 (スノーゴーグル)」 に似ていたことに由来するとか。
小学生の頃に 「遮光器土偶」 を見て 「宇宙人」 説の洗礼を受け
ました。(笑) 何度見ても不思議な出で立ちをしています。

遮光器のような目に加え、大きな臀部、乳房、太ももと女性をかた
どっているといわれます。また、胴部には紋様が施され、朱などで
着色された痕跡があるものが多く、これは焼く際にひび割れをしな
いようにするためだと考えられています。完全な状態で発見される
ことは稀で、足や腕など体の一部が欠損していたり、切断された状
態で発見されることが多いという。多産や豊穣を祈願するための儀
式において土偶の体の一部を切断したのではないかと考えられる。

第六章 新たにつむがれる美
考古学の研究対象としての 「縄文」 とは異なる 「縄文」 の魅力を
見出したのが作家や芸術家たちです。「芸術は爆発だ!」 の名言
で知られる岡本太郎でした。彼が考える芸術の本質に強く揺さぶ
りをかけたのが、東京国立博物館で出会った縄文土器でした。
岡本太郎や川端康成など、著名人に影響を与えたものが並びます。

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展覧会の最終章では、岡本太郎が東京国立博物館で出会った
縄文土器が展示されています。こちらは撮影可能なコーナーに
なっています。大勢のひとだかりで全体象を撮るのに苦労した。

「芸術は、爆発だ!」 という名言で知られた彼が、「思わず叫び
たくなる凄み」 と表現し、彼が考える 「芸術の本質」 に強く揺さ
ぶりをかけたのが、東京国立博物館で出会った縄文土器でした。
その土器は三つの 「深鉢形土器」。あの岡本太郎が言葉をなく
したとか、もうそれだけで彼が受けた衝撃が伝わってきますね。
芸術家であると同時に民族学者でもありました。「四次元との対
話・縄文土器論」 という論文を発表し、火焔型土器の写真を載
せ、考古学的な分析ではなく、造形美や四次元的な空間性、宇
宙観など社会学的、哲学的な見地から縄文土器を解釈しました。

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皆さん鑑賞が終わって、1階のラウンジで休憩をしている処ですが、
入場する前は、このラウンジの右側に何重もの行列が出来ていま
した。(上) やっと解除されてゆっくり休んでいる風景です。
それ程凄い人でした。お決まりの記念写真コーナーがラウンジ
に設置されていました。(下左) そして売店の様子。(下右)

まだまだ謎も多いですが、だからこそ想像がふくらむ縄文時代。
縄文の人たちも日々の生活の中で、大いに美意識を抱いていた
ということが全体を通して感じました。現代人から見たら縄文人は、
「原始的」 な生活を送っていたとイメージしがちです。「縄文人は
日々の暮らしのために必死に木の実を拾ったり、鹿を追い回し
たりする日常で、死産や怪我や病気も多くて大変な生活だった」
と自分も思っていました。しかし、そんな厳しい環境の中であっ
ても、日常生活における彩りや美意識を非常に大切にしていた
のではないか、と思わせます。今まで縄文人に対して 「原始的」
だというおごったイメージを抱いていたのではないか、そんな
ことを考えさせられました。

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縄文の世界観、豊かさ、自然との共生、そして文明とは何なのか、
さまざまなことを考えさせられました。結局、現在のところ、歴史的
区分としての先史時代、文明時代の分岐点は金属器の出現です。
すなわち土器から銅、青銅器、そして鉄器が画期になっているよう
に思います。金属器を知った社会が、やがて専制国家を生み、大
規模戦闘、すなわち戦争をひきおこし、人類はそのような 「文明」
の時代へと移行してきたわけです。進化が時には身を滅ぼす。
そう思うと土器の時代が、人の暮らしに合っているのかも知れない。
そんなことを思いながら平成館を後にしました。





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「東京ラブストーリー」

...2018/09/23 08:56...

今日は 「秋分の日」。
昼と夜がほぼ同じ長さになる日といわれており、
この日の前後7日間が 「秋の彼岸」 となります。

「暑さ寒さも彼岸まで」。
春ならば余寒の寒さも薄らぎ春らしくなり、
秋ならば残暑もしのぎやすくなる時期であると
昔から言い習わされて来た言葉です。厳しかった
夏の暑さも、さすがにこの頃は治まりつつあります。
やはり、「暑さ寒さも彼岸まで」 なのでしょうか。

彼岸には、お墓参りに行く風習があります。
実は、春分と秋分の太陽に関係があるようです。
仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの
世界を 「彼岸」 といい、その反対側の私達がいる
世界を 「此岸 (しがん)」 といいます。

そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされており、
太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、
彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、先祖供養
をするようになったといいます。迷い、悩み、煩悩に
惑わされている人間が、悟りの世界と通じるときですから、
暑さ寒さやそれに伴う様々なつらさも、彼岸のころには
和らいで楽になると考え、励まされていたのでしょう。
自然に寄り添う暮らしの中で、「暑さ寒さも彼岸まで」
という言葉の深さが身に沁みますね。

さて、明日の24日 (月) は中秋の名月。
この日に限らず、月を眺めていると心が和みます。
何気なく見上げた夜空。 輝く月・・・・・。ただただ、
それを眺めているだけでも気持ちが落ち着きます。

<名月を とってくれろと 泣く子かな>  小林一茶

「あのきれいな月を取ってぇ」 と子が泣いてねだる。
それに応えてやれない親の切ない思いと、子どもの
無邪気な可愛さがうかがえる俳句ですよね。

平安時代から十五夜には観月の宴が開催されてきました。
ススキや月見団子を供えてお月見をしたり、仕事帰りに
立ち止まって月を眺めたり。月うさぎに思いをはせながら、
十五夜の月をゆっくりと愛でてみてはいかがでしょうか。


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「東京ラブストーリー」

 何から伝えればいいのか 分からないまま
   時は流れて 浮かんでは消えてゆく・・・・・。

ドラマの冒頭、公衆電話を使う永尾完治と、
彼を迎えに来た赤名リカが登場するシーンで始まる
「東京ラブストーリー」。放送当時のライフスタイルに
「織田裕二も鈴木保奈美も若い!」 と、今、職場で
再放送を見た人達から 「懐かしい」 と反響を呼んで
話題になっている。

私も知らなかったのですが、フジテレビの連続ドラマ
再放送枠の 「メディアミックスα」 で、今月の14日から28日
までの期間、関東ローカル番組として、14年ぶりに 「東京
ラブストーリー」 が再放送されているのです。そんな話を
帰宅して話したら、かみさんもビデオに撮って見てるという。
思わず 「え!ホント」 と、喜び満開で早々に録画を見た。
今、見ても心をときめかせる名作は色褪せない。

「1991年に放送された作品です」 という
テロップが入り始まった。田舎から東京の会社に就職した
永尾完治 (織田裕二) は、幼なじみで大学の医学部に通う
三上健一 (江口洋介) と久しぶりに東京で再会したが、
新しい生活になじめない完治は、三上に対して劣等感を抱く。
会社では、同僚の赤名リカ (鈴木保奈美) に振り回される日々。
そんなある日、完治は片思いをしていた幼なじみの関口さとみ
(有森也実) と再会。しかし関口は同級生の三上に心惹かれ
ていた。完治は自由気ままに生き、恋愛にもまっすぐな赤名リカ
から一途に愛を打ち明けられ、その恋愛は成就するように見え
たが・・・・・。リカとカンチの複雑な恋愛模様を織りなすラブ
ストーリーだ。

なにせまだ携帯電話が広く普及する前の話なので、
待ち合わせの場所で会えなかったり、連絡が取れなかったりと、
現代ならメール1通で解決できてしまうようなトラブルが次々起こる。
でもこういったことでヤキモキするから “ムズキュン” できるし、
よりいっそう切なさが増すことも事実。時の流れを感じさせる
一方で、鈴木保奈美さん演じる赤名リカの 「カ~ンチ!」 を、
超久しぶりに聞くことができた。ドラマの各話のクライマックスで
流れる小田和正さんが歌うテーマ曲 「ラブ ・ ストーリーは突然に」
も作品をより印象的なものにして心が躍った。

出会いの話を聞くと、懐かしい思い出がよみがえったり、
別れ話だとちょっと切なくなるような想いになるものだ。
ふと昔、、後輩が落ち込んでいるので励ましに居酒屋に
誘ったことがあった。飲みながら「先輩、僕はもう駄目です」
と、あまり強くない酒を何度も飲みながらうな垂れていた。
彼女に会ったら手紙を渡され、そのまま帰ったらしい。
その手紙には、「さようなら」 と書かれてあったという。
どんな事情があったのか聞くことさえためらった。

その時、「東京ラブストーリー」 を思い出した。
終盤で主人公の赤名リカは、恋してやまないカンチこと
永尾完治の故郷 ・ 愛媛県へ傷心の旅にでる。追いかけてきた
カンチとの、つかの間の幸せな時間。別れを言えないリカは駅
のホームの柵に白いハンカチを結び付け、先に電車で去る。
残されたカンチがハンカチをほどくと、赤い口紅で 「バイバイ、
カンチ」。あれは別れのシーンなのに、いつしか恋人たちの
聖地みたいに、その場所を訪れるカップルが後を絶たず、
白いハンカチがいくつも結んであったという。

感情移入して見入る面々を横目に、カンチは 「何だか
はっきりしない男」 だったのだ。別れもやり直しも切り出せ
ないでいるのを見て、それは愛情ではなく彼の優しさに
過ぎないだろうことがわかって、だから 「こちらから別れて
あげる」 という形に持ち込むことで、相手の罪悪感を軽減し
自分のプライドも守る合わせ技をみせる。そんなシーンだった。

恋する人とのつながりは、何ものにも代えがたい。
人生に降り注ぐ光の中でも最も明るく力強いもののように思え
ますが、そのまぶしさゆえに足を踏み外したり、その 光が急に
消えてしまったとき、周りが何も見えなくなって しまったりするの
かも知れません。その繰り返しで人は強くもなり相手を思いやる
心も育つと思う。「それでいいんだよ」 「みんなそうして来たんだよ」
自分がそうだったように、嗚咽する後輩の背中をさする自分がいた。

彼女自身もせつなくて、せつなくて、ひとり部屋の片隅で
膝を抱いて泣いていたかもしれない。人それぞれ別れ方
があるだろうけれど、心を傷つけずに別れる方法は
無いものだろうかと思ったりする。

あの日あの時あの場所で、君に会えなかったら
僕等は、いつまでも、見知らぬ二人のまま・・・・・。

悩んだり落ち込んだりと・・・・・・。
人はそうして一歩また一歩と成長していくものなのです。
そして青春はショッパイ味もする。


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「はっきよい KITTE」
JPタワー商業施設 「KITTE (キッテ)」 2018

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東京駅前にあるJPタワー商業施設 「KITTE」 で食事しようと立ち
寄ったら、1 階 アトリウム内に櫓が組まれ、のぼりが立っていてビ
ックリ。相撲の魅力を気軽に体感できる 「はっきよいKITTE」 と要
する 「大すもう展」 が開催されていました。もう九月場所が終ろう
としていますが、場所前の8月末頃のものです。 相撲の取り組み
は見られなかったのですが、大相撲に関する資料が展示されて
いたので紹介します。はっきよい、残った残った。

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「KITTE (キッテ)」
JR 「東京駅」 丸の内南口より徒歩約1分。日本郵政が初めて展開
する商業施設で開業は2013年。「KITTE」 というネーミングは、
「切手」 と 「来て」 という2つの言葉に由来します。旧東京中央郵便
局の局舎を一部保存 ・ 再生した部分と新築部分からなる JPタワー
の地下1階から地上6階までの7つのフロアがKITTEのフロアです。
全国各地のご当地銘品を扱う食物販店舗や日本のモノづくりへの
こだわりと、日本ならではの美意識を感じさせる物販店舗、地域で
愛される老舗の味、地元で話題の飲食店舗など東京駅前・丸の内
にあるショッピングスポットです。

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国内外で人気の大相撲のイベント 「はっきよい KITTE」 が開催
されていました。「日本らしさと、あたらしさを」 をコンセプトに日本
の国技と言われている相撲を通じて伝統的な日本の文化を体感
できるというものです。開催期間中1 Fアトリウムに本物の土俵を
設置し、まるで両国国技館にいるような空間を演出。また、最終
日の8月26日 (日) には「大相撲KITTE場所」 を開催し、迫力
のある幕内力士の取組や、横綱の土俵入りなどが楽しめます。

「はっきよいKITTE」
開催期間 :  2018年8月13日(月)~26日(日)
会.  場  :  JPタワー商業施設 「KITTE」

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昨年 ・ 一昨年と開催され好評だったようで 「はっきよいKITTE」
を今年も開催されました。都内での巡業相撲は珍しいですね。

期間中の最終日には、三段目 ・ 幕下トーナメント、横綱をはじめ
とする現役幕内力士が登場し、幕内土俵入り、横綱の土俵入りや
綱締め、全幕内力士による取組等を間近で観覧でき、その他にも
ちびっこ相撲、相撲甚句や髪結い、力士トークショーなど盛り沢山
の内容を披露し、丸の内にいながら両国国技館さながらに大相撲
の魅力を肌で感じ出来るというイベントのようです。

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そして目玉となるのはやはり、千秋楽となる8月26日に開催される
『大相撲KITTE場所』 でしょうか。この夏巡業 「大相撲KITTE場
所」 は、観覧するには参加条件があり、観覧方法は、1Fは 「1 階
座席券」、2Fは 「2 階観覧券 (立見エリア)」 が必要で、3~5階
から入場無料の自由観覧となっているようです。

8月4日(土)~11日(土)、KITTE館内の店舗で、1回の買い物
&食事で、3,000円以上を利用された方が、レシートを抽選会場
にて事前抽選により当選された方に、1階座席券、2階観覧券を
発行するようです。いずれの座席券も直接に販売は行わずに買
い物をした方に権利があり、抽選で見られるという仕組み。

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訪れた時にはすでに抽選は終わっていたので、3~5 階から入場
無料の自由観覧となっているようなので、4階に上がってみました。
こんな感じでの観覧になります。1階は土俵の周りを塀で囲むよう
ですし、2階も後ろではまず見えませんから、要領よく見ようとして
も無理です。(笑) 一昨年は2階以上は自由観覧出来ましたけど。
でも、土俵外でも1 階に居ると出入りするお相撲さんを間近で見
られるので楽しむ事ができます。 多分、人でイッパイなはずです。

そんなわけで、「大相撲KITTE場所」 は次の日だったこともあり、
力士になりきることができる 「すもう撮りカメラ」 や関取が使用す
る明荷、力士の仕事の一つとも言われている “食事” にフォーカ
スを当て、実際の食事の量を大きなレシートで分かりやすく可視
化した展示なども行い、大相撲の魅力を楽しく学ぶことができる
「大すもう 展」 が土俵の周りに展示されていたので、そちらを見
ることにし ました。相撲グッツも販売されていました。

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「懸賞金旗」  (上)
お相撲さんが取り組みをするまでの間、呼び出しが土俵に上がっ
てスポンサーの名前が入った幕 (旗) を持って土俵を一周するとき
の、あの懸賞旗です。NHKの放送では懸賞旗を持った呼び出しが
土俵に上がった瞬間、テレビで懸賞旗を映さないようにしているの
で、見たくてもじっくりとは見られないのが現実なんですけどね。懸
賞金は1本6万2千円。内訳は、勝った力士に56,700円、取組表
掲載料 ・ 場内放送料といった手数料として相撲協会に5,300円
支払われるのだそうです。白鵬対鶴竜の取組に対して懸賞61本
が懸けられました。勝った白鵬は、この一番だけで345万8,700
円も懐に入ったわけです。土俵にお金が落ちてると言われます。

「力士の手 ・ 足形 (時津風部屋 ・ 大畑)」  (下)
力士の大きく厚い 手のひら。相撲の技の一つに、平手で相手を突く
「突っ張り」 があります。日頃から力士は、鉄砲柱と呼ばれる柱に向
かって左右の突っ張りを繰り返す稽古を行ないます。 したがって、
指の長さのみならず、手のひらも厚く、総じて大きな手のようです。
大きく甲の高い肉厚な足を自分の手足と比べる事ができます。
力士の稽古の一つである 「すり足」。股関節周りの柔軟性を強化し、
体幹を強化するために行うそうですが、毎日すり足を繰り返すため、
足の裏は磨り減り、甲の高い肉厚な足になっているようです。

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「板番付表」
番付 (ばんづけ) は大相撲における力士の順位表。正式には 「番
付表」 という。いわゆる横綱から序ノ口までのような段階に分けて
書かれています。この板番付は、印刷された紙の番付表が発表さ
れた後に、幕下格の行司2~3人が分担して書く。板はヒノキ製で
高さ約2メートル、幅約1・5メートル。本場所の2、3日前に会場入
り口近くの目立つ場所に掲げられます。屋根にあたる部分は 「入」
の形に組まれ 「入屋根形」 といい、大入り満員を願ったもの。

番付は「相撲字」 と呼ばれる独特の書体で、番付は上位者ほど大
きく太く、地位が下がるにつれて格ごとに小さく細く書かれる。最上
段に幕内力士、2段目に十両と幕下、3段目は三段目、4段目に
序二段、5段目に序の口と年寄、呼び出しらの名が並ぶ。中央に
は 「蒙御免 (ごめんこうむる)」 と太い字で書かれてます。 江戸
時代に相撲が幕府の許可を受けての興行であることを掲示して
以来のもので、現在も番付に書く慣例になっているようです。

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「力士の番付分布」
現役力士683名の番付分布の様子です。十両以上の力士は関取
と呼ばれます。関取になると、付き人がつき、相撲部屋での雑用が
原則的に免除されたり、自分のしこ名が入ったのぼりを立てたり、
サインを書くことが許されるようになるそうです。右側が頂点の横綱
で、下段は序の口となります。(上) 十両以上の横綱まで。(下右)
幕下、三段目、序二段、序の口では序二段が最も多いです。(下左) 
幕内は40名以内、十両は26名以内という枠が決まっていますから
誰かが落ちないと上に上がれません。勝負の世界は厳しいですね。

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元人気力士だった高見盛 (現 ・ 振分親方) の 「明荷 (あけに)」
が展示されていました。「あけに」 って 「明荷」って漢字なんですね。
TVの中継で聞いたことはありましたが、意外な漢字でした。空け荷
かと思いました。(笑) 明荷は力士たちの大切な商売道具です。

「明 荷 (高見盛 / 現 ・ 振分親方)」」  (上左)
明荷とは、十両以上の力士 (関取) や行司が荷物を運ぶときに使う
籠です。中には化粧廻し、締め込み、浴衣、小物類、雑品 (テーピ
ングテープ) といった、お相撲さんの身の回りの品が入っています。
力士の場合、関取になると、始めて持つことができます。本場所では、
初日に支度部屋に運び入れ、千秋楽まで各力士の明け荷がズラー
ッと置いてあります。また地方巡業にも持ち運び、旅行鞄としての役
目を果たします。真竹を割った板で井桁に編んだ上に丈夫な和紙を
幾重も張り、漆で塗り固められており、作りとしては丈夫な竹籠です。
蓋には朱色で持主の四股名が書かれています。

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「力士の出身地」
こちらは現役力士683名の出身分布です。黄色は横綱、赤は関取、
白は幕下以下の力士を表しているようです。場内アナウンスでは都
道府県名 ・ 国名 (外国出身力士) が呼び出されており、東京が最
も多く53人、愛知39人、大阪38人、兵庫36人、福岡、鹿児島が共
に32人。外国ではやはりモンゴルが一番多くて22人でした。幕内
力士だけでも6人もいるんですね。そして外国出身力士は24ヶ国に
及ぶようで、47都道府県の中で多く横綱を輩出しているのは、北海
道の8人 (千代の山、吉葉山、大鵬、北の富士、北の湖、千代の富
士、北勝海、大乃国) とか。まだ横綱を輩出していないのは16府県
あるそうです。

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「力士の体重」 (上)
現役力士683名の体重分布を表しています。力士になるためには、
新弟子検査があり、167 cm、67㎏が合格ラインのようです。110 ㎏
から140 ㎏付近が最も多く、幕内力士平均体重が162 ㎏ らしい。
現役最重量力士は、ロシア出身で山響部屋の序二段 ・ 大露羅
(おおろら) 関。288 ㎏ だったようですが、現在は292.6 ㎏ を
記録しています。(下左)

「栃ノ心の体重 (169㎏)」  (下右)
大関 ・ 栃ノ心の体重と同じ砂袋も展示され、皆さんが持ち上げよう
としますが・・・・。この数値はツキノワグマの一番大きいサイズ並み
の体格のようです。私も挑戦しましたがビクともしませんでした。(笑)
平幕力士として幕内最高優勝を決め、初優勝から大関へ昇進。
3人目のヨーロッパ出身者の大関誕生も九月場所は大関2場所目
でカド番です。大丈夫かな? ジョージア出身で春日野部屋所属。

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「力士が食べるご飯1食の量」 (上)
力士が食べる1食の量も、一般的な量と比較展示、高~く盛られた
量に驚いてください。(笑) 今でこそ、カロリーがどうのバランスがど
うのと言われていますが、その昔は、とにかくでかくなれ喰うのも仕
事のうち、だったようです。 ご飯は一般的な1食 (右側) で、左が
佐渡ヶ嶽部屋の琴欣旺 (東三段目) の1食の例。ド~ンと、ごはん
約7合のようです。

「時津風部屋の力士4人分の食事」 (下)
面白かったのはこれ! 焼肉などを食べた時のレシートですが、
右が一般男性4人の焼肉レシート。左が力士4人の焼肉レシート。
(下左) 長さがはんぱじゃないですね。(笑) 一般のサラリーマン
4人分の食事代は40,690円に対して、 時津風部屋のお相撲
さん4人分が食べた焼肉代が128,770円でした。消費税が何
と9,503円なり。支払いはすべて位が上の関取が支払うようで、
我々の様に割り勘ではありません。(笑)

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会場内にはいろいろと色々な資料等が展示されていて、 「スー女
(相撲好き女子)」 やスーツケースを持った外国人も大勢いて、珍
しい展示品に見入って、やたら写真を撮っていました。昨年、一昨
年と行なわれていたようで、一味違った催し物が観られるのも、東
京では珍しい巡業の楽しみです。江戸時代より現代まで脈々と受
け継がれてきた大相撲の魅力を体感できる絶好の機会。最終日
は横綱をはじめとする全幕内力士による本場所と同じように取り
組みが行われ、当日は凄い人出になると思う。魂と体がぶつかり
合う、真剣勝負の大相撲。応援するこちらにも、力が入ります。
そんな相撲を観戦したかったなぁ~。残念!

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今年、平成三十年は、明治維新から数えて百五十年目に当たり
ます。KITTEの大相撲興行にちなんで 「明治の綺麗な大相撲絵
葉書展」 が旧東京中央郵便局長室で開催されていました。明治
三十年代から大正時代にかけて、デザイン的にも優れ、趣向を
凝らして制作された沢山の綺麗な絵葉書が見られます。カラー
写真の無い時代の美術品ともいえる貴重な絵葉書です。

この旧東京中央郵便局長室 (上) は、歴史的建造物の保存と合
わせ、東京中央郵便局の歴史を継承する空間として、1931年の
創建当時の雰囲気が感じられるよう、内装を保存・再現されました。

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「常陸山 (ひたちやま )土俵入り」  (上)
常陸山谷右衛門は、明治32年 (1899) の入門、順調に昇進して、
第19代横綱となる。相手に相撲を取らせてから、反撃に転じる相撲
を得意とし、柔の梅ヶ谷、剛の常陸山として角界の隆盛期を築いた。
大正3年 (1914) 引退し、出羽ノ海襲名。出羽ノ海部屋を角界随
一の大部屋へと育て上げた。力士の社会的地位の向上や国技館
建設にも貢献したようです。

「浮世絵風絵葉書」  (下左)
化粧まわしのバレンや四股名に金彩を施し、グリーン、赤、藤色など
を配した明治の浮世絵風絵葉書。作者は美邦は当時の力士の姿絵
を多数残しているようです。これはイラストによる力士姿6枚組セット
の一部で、左が第20代横綱・梅の谷藤太郎で、右が第22代横綱 ・
太刀山 (たちやま) 峰右衛門です。

「明治時代の力士群像」  (下右)
これは明治33年以降に活躍した力士たちの絵葉書のようです。カラ
ーの無い時代なので、手彩色、エンボスが施されているようです。

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「各地国技館の開館記念絵葉書」
名古屋国技館。(上左) 威風堂々、威容の姿を見せているのは両
国国技館。初代国技館は現在の国技館とは異なり、京葉道路沿
いの本所回向院の境内にあったようです。(上右) こちらは大阪
新世界にあった大阪国技館です。(下左) いずれも明治時代の
舞台となった国技館です。

国技館 (こくぎかん) は、国技を行うための施設のこと。日本では
国技といわれる相撲を指すことが多い。日本相撲協会の興行施設
は、両国国技館、大阪相撲協会の興行施設は、大阪国技館でした。
天保4年 (1833) から回向院で相撲興行が催されていたことから、
明治42年 (1909) に旧国技館は、同境内に建設されました。明治
20年代初めごろから安定した興業が開催できる相撲常設館の建設
が必要になり、明治30年代になって常設館が建設されたようです。

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その他、漫画で学ぶ相撲と題して、相撲を題材にした漫画も置か
れていました。(下左) また、あら不思議、自分の顔が力士風に!
タブレットのカメラで、自分の顔を撮影すると、髷を結った顔がお
相撲 さんに早変わりというのもありました。(下右) 時間制で残
念ながら体験できませんでした。

稀勢の里が横綱昇進したとき、田子ノ浦部屋がある東京都 ・ 江戸
川区の小学校で開かれた横綱昇進報告会に出席し、そこで 「どの
くらい米を食べるのか」 と子供たちに質問された際に苦笑いしなが
ら 「10代、20代前半は1升ぐらい食べたこともあったけど、今は茶
碗1杯ぐらいです」 と答えていたのを思い出しました。関取は体が
出来上がっているので、普通の人と変わらないようです。

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普段は買い物や食事などで賑わう 「KITTE」 は、相撲ファンが入
れ替わり立ち替わり、多くの人が次々に絶え間なく出入りしていま
した。大相撲の巡業が開催された 「KITTE」 は、色んなイベントが
行われているんですよね。クリスマスには大きなツリーが飾られる。
相撲協会と 「KITTE」 とのコラボですが、もう少し工夫をすれば、
大勢の相撲ファンが楽しめるのになぁ~と思いながら、また、
続けて欲しいと願いながら東京駅へ向かいました。





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「お蔭様」

...2018/09/16 18:35...

高く澄んだ青に白いうろこ雲が広がる、
秋らしい空を見ることが多くなってきました。
ひと雨ごとに暑さが和らぎ夜も長くなります。
猛暑と言われ長かった夏から秋へと少しずつ
バトンタッチしていることを感じますね。

明日17日は、「敬老の日」 ですね。
敬老の日は、兵庫県多可郡 野間谷村 (現在の多可町) で、
行われていた敬老行事 の 「としよりの日」 が始まりとされています。
「老人を大切にし、お年寄りの知恵を借りて村作りをしよう!」
と、農閑期にあたり、気候も良い9月15日を 「としよりの日」
と定めて、敬老会などを開いていたという。

小さな村ではじまったこの慣習が、兵庫県全体で行わ れる
ようになり、その後には全国へと広がっていったようです。
「多年にわたり 社会に つくしてきた老人を敬愛し、長寿を
祝う日」 として9月15日を 「敬老の日」 とする国民の祝日
が制定されたのだそうです。 いわゆる 「ハッピーマンデー
制度」 の実施に伴い、 現在は9月の第3月曜日を
「敬老の日」 として制定されました。

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山手線 ・ JR浜松町駅の名物 ・ 小便小僧のブロンズ像が7月下旬
に撤去された。その後 「猛暑のため夏休み中です」 との張り紙のお
知らせが。8月末には元通りになるというので、先日、下車して訪れ
てみました。あれ~、いつもの場所に無い。9月には復活しているは
ずなのに撤去されてる~! (下左) 老朽化 ? で中止? それとも
酔っ払いに破壊された? なんて、あれこれ推測しながら探したら、
現在よりも田町寄りのホームの端っこに移設されていました。(上) 
これまで像があった位置は、ホームに停車した電車の先頭車両付
近です。ホームドアを設置するとスペースが狭くなることから、乗り
降りに支障しない位置へと移設したようです。ホームドアは、まず
山手線側に2019年度末までに、そして2021年度以降、京浜
東北線側にも設置される予定のようです。

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9月の衣装として、毎年定番になっているお祭りの衣装が着せら
れていました。祭の太鼓がテンテケテンと 鳴っちっち・・・・。復活
に万歳! 像が設置されたのは、昭和27年 (1952) のこと。
昭和61年 (1986) からは地元のボランティアの手芸グループ
「あじさい」 によって、月替わりで異なる衣装が着せられており、
浜松町駅におけるひとつの名物ともなっていました。小便小僧
の初めての 「お休み」 は、毎月着せ替えを行ってきた 「あじさ
い」 の皆さんにとっても、初めてのお休みになったようです。

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ホームの端っこに追いやられてる小便小僧くん。放水は元気一杯
なのですが、台座の前にある池が以前よりもかなり縮小されている
のです。(下左) 場所的に狭いので仕方がないのですが、放水す
るおしっこが、案内碑の後ろに当って飛び散っています。(上) 
辺りは水浸しです。冬は凍るのではないかと心配です。

「老人」 というと、いかにも老いて体の機能が衰え、 心ならずも
人様の厄介にならなければ生きていけない存在。そんな語感が
あると思います。 しかし、漢字本来の 「老」 という字の持って
いる意味は、単に年をとっているというだけではありません。

よく時代劇に出てくる、「家老」 「老中」 「大老」 等という
藩や幕府の重役の役職名には 「老」 という字が使われて
いますよね。しかし、必ずしも老人がその役に就いていた
わけではありません。「老」 という字は、様々な経験を積んで
世の中のことについて深い知識を持ち、尊敬に値するのが
本来はそのような意味です。

敬老の日は、小さな村からはじまり、それが全国に広がり
今の形になっています。敬老の日とは言っても、日本人が
昔から大切にしてきた目上の人を敬う気持ちと相通ずる
ものがある様に思います。
日頃から相手を 「敬う心」 が大切かもしれません。


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「お蔭様」

私のおばあちゃんが、いつも口癖のように
言っている言葉に 「お蔭様」 というのがあります。
今日は昨日のおかげさま。私はあなたのおかげさま。
あなたは私のおかげさま。みんながみんなを支えて
のおかげさま。感謝感謝で幸せいっぱい。

街で昨日落ちていたゴミが、今日はなかった。
昨日までなかった花が、今日は植えてあった。
町が綺麗なのは、朝からゴミ拾いをしている人のお陰です。
私たちが過ごす “当たり前の日常” は、実は当たり前では
ありません。誰かのお陰様に支えられています。目に見えない
“お陰様” に気づいた人だけが、当たり前に感謝できるのです。

この 「おかげさま」 とは、他人から受けた助けや親切に対して
感謝の気持ちを込めていう言葉のことです。とはいえ、なぜ人
に感謝する気持ちが 「おかげさま」 なのか気になりますよね。
「おかげさま」 の語源は、「おかげ」 に丁寧の 「様」 をつけた
ものです。もともと神仏などのご加護を意味する言葉です。
神仏など偉大なものの 「陰」 で、その庇護をうけるということです。

直接的に相手が何かしてくれたわけでなくても 「おかげさまで」
を使うことがよくあります。例えば上司や仕事関係の人など、
周囲の人々の日頃からの支えがあってこそ仕事がうまくいった、
という意味で使うわけです。「自分一人では成し得なかったけれど、
みんなの協力や応援があったからうまくいきました」 という謙虚な
姿勢を表すことができるからです。たしかに便利な言葉ですが、
うわべだけでなく一回一回に感謝の気持ちを込めて使うことが
できれば素敵です。

「ありがたいな」 と思えなくなったとき、人は感謝を忘れています。
ありがたいと思えなくなるのは、それが “当たり前” になったときです。
料理を作ってもらうのも、母親が家事をするのも当たり前。
安全な食や生活があるのも当たり前。当たり前と思ったときから、
感謝を忘れていきます。

感謝する対象は、人だけではありません。物でも同じです。
物に感謝できる人は、物を大切に扱い、愛着も生まれます。
寿命が来たとき、寂しいという気持ちも芽生えます。 感謝や
感謝を寄せる対象が増えるほど、人生は彩り、豊かになるのです。

今の世の中は、技術革新も早く、価値観も様々です。
いきおい、「年寄りの智恵」 など前時代的と感じられてしまいます。
しかし、長く生きた人はそれだけ人生経験が豊富です。
人が社会で生きていく上での様々な経験的な知恵というものは、
いつの時代にあっても後に続く者にとって貴重な情報です。

敬老の日を前に、ふと、おばあちゃんの口癖を
思い出した 「お蔭様」。 今日は昨日のお蔭様。
私はあなたのお蔭様。みんながみんなを支えてのお蔭様。
当たり前ではなかったことを思いだそう。
感謝の気持ちを大切に・・・・・。


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   「目黒のさんま祭り 2018 」

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食欲の秋とは言いますが、秋の楽しみといえば 「秋刀魚」 ですよね。
その秋の味覚のサンマが無料で食べられるイベントとして、毎年ニ
ュースにも取り上げられるほどの盛況ぶりを見せる 「目黒のさんま
祭り」。サンマだけでは物足りないので、かみさんにおむすびを作っ
てもらい娘と行ってきました。今年は久しぶりの豊漁という事もあっ
て、人出も多いのではと思い早めに出掛けました。   

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さんま祭りの会場は、J R目黒駅東口から少し先の目黒通り沿いの
周辺一帯の一部が使われて行われます。すでにテーブルや炭火
台が並べられ、何人かの方が準備に取り掛かっていました。(下左) 
目黒通りの片側車線沿いには、すでにすごい人の行列です。(上)
ヤバイよ、やばいよ、と何処かの番組のように発しながら最後尾の
方へ向かいます。(下右) 例年より人出が多い気がします。何とか
上大崎交差点までは行かず、手前で並ぶことがで きました。 ホッ 
次から次へと人が来て、皆さん慌てるように次第 に小走りになっ
ていました。(笑)  気持ち分かるだけにすでに並 んでいる人は
苦笑い。早い人は朝5時ころからで、昨夜から並ん だ兵もいて、
8 時頃には千人が並んだようです。

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いつもはオシャレな雰囲気の目黒駅前の解放的なストリートが、
美味しそうなさんまを焼くスモークに包まれる。「目黒のさんま祭り」
は、目黒の商店街の昔ながらの人情とあたたかさを呼び戻すため
に、平成8年から始まった 「さんま祭り」 なんです。「目黒の良さ」
と 「さんまの良さ」 を分かってもらうために、毎年7千匹の新鮮な
秋刀魚に1万個の芳醇すだち、500本の辛味がおいしい大根が
使われます。例年3 万人以上の来場客に振る舞う、東京を代表
する祭りのひとつになりました。

「食べて笑って、お代は無料!」 が コンセプトの 「目黒のさんま祭り」
は、九月の第一日曜日に目黒駅東口で開催。今年で23 年目です。
目黒駅周辺の飲食店でも、宮古から直送されたサン マを使った
特別メニューを売り出すようです。 

名称    「第23 回 ・ 目黒のさんま祭り」
日時    9月9日(日)  午前10 時~午後14 時 (予定)
会場    JR目黒駅東口 目黒通り

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「目黒のさんま祭り」 という言葉を多くの人が一度は聞いたことが
あると思います。例年TVでも放送されますから。 このイベントの
きっかけはもちろん 「さんまは目黒にかぎる!」 のオチでおなじ
みの古典落語 『目黒のさんま』 からのようです。

「目黒のさんま」
天候に恵まれた初秋の日。お殿様がご家来を連れて、目黒不動
参詣をかねての遠乗りにでかけました。目黒に着かれたのは昼近
くのことでした。近くの農家から、秋刀魚を焼くいい匂いが漂って
おります。なんとも美味しそうな匂い。う~ん。こりゃ、お殿様と言え
どもどうしても食べたくなる。農家の方に頼んで、焼きたてのサンマ
を譲ってもらった。初めて食べた秋刀魚の味が忘れられない。

お殿様は、生まれてはじめての秋刀魚がすっかり気にいるも屋敷
の御膳にサンマが出る訳もなし。ある日のこと、親戚からのお呼ば
れで出掛け 「なにかお好みの料理があれば・・・」 というので、すか
さず秋刀魚を注文した。驚いた家老は日本橋魚河岸から最上級
の秋刀魚をとり寄せた。このように脂が多いものをさしあげ、もしも
お体に触っては一大事と、蒸したうえ、 小骨を丁寧に抜いて、だし
がらの様になった秋刀魚を出した。「なに、これが秋刀魚と申すか」
脂が抜けてぱさぱさの秋刀魚がおいしいはずがありません。「この
秋刀魚、いずれより取り寄せたのじゃ?」 「日本橋魚河岸にござり
ます」 「あっ、それはいかん。秋刀魚は目黒にかぎる」 と豪語した。

徳川家光が将軍在位の頃 (1623年~1651年頃) のおとし噺。
大名の世間知らずを笑った庶民の落語でした。

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目黒駅前商店街振興組合青年部の皆さんが、早朝から着々と午
前10 時に炭火焼サンマを配布する予定で準備中です。秋刀魚
を焼く前に振り塩といって、一定の高さから塩を左右に振りながら
均等に落とします。 うま味を閉じ込め、臭みを取り除いてくれるよ
うです。「宮古の塩」 を振り掛け準備中。(上) そしてサンマといえ
ば大根おろし。7 千人分の大根おろしを作るのは大変です。大根
おろし機が活躍します。(下左) 作りだめをすると水分が無くなっ
てしまうので、作るタイ ミングが難しいと話していました。紙皿に、
魚の下に敷く 「かいしき」 まで用意する演出に感心します。
驚いた事に笹の葉もお湯で茹でていましたよ。

【豆知識】
「かいしき」 は、主に料理の下に敷く植物の葉などを意味します。
漢字では【掻敷】 と書きます。 焼き魚を盛りつける場合は、魚の向
きと “あしらいもの” の位置にルールがあります。頭がある魚をその
まま出す場合、頭は左、腹が手前になるようにおきます。皿の上で
魚が泳いでいるかのように見せるのが コツ のようです。焼き魚の
お供に定番のすだちやレモン、大根おろしなどは、「あしらいもの」
といい、必ず魚の手前、右横におくのが和食のルールのようです。

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岩手県宮古市から提供された秋刀魚を “炭火焼きの技” で、焼き
上げる 「炭火焼きさんま」 の準備開始です。(上) 宮古のサンマは、
水揚げされたばかりの新鮮なさんまを 「三陸沖の海洋深層水」 が
ブレンドされた氷で鮮度保持しているそうで、身のしまりが良くなっ
て獲れたての鮮度のまま運ばれてくるとの事。(下左) 炭は着火
しにくいので最初は、空気が通りやすいように隙間をあけて炭を
置き着火するんだそうです。炭が赤くなったら炎がおさまって灰を
かぶるまでしばらく待つ。炭の表面が灰をかぶって白くなり、安定
した火力を保つようになったら OK と係の方が話していました。
これを 「オキの状態」 と呼ぶんだそうです。(下右) 炎が出てい
る方が燃えやすいと思いがちですが、それだと肉や魚の表面だ
けが焦げてしまうようです。何事も聞かないと分かりませんね。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」 と言いますから。炭は
和歌山県みなべ町から備長炭が提供されているようです。

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目黒といっても、山手線の目黒駅は品川駅が港区にあるように、
住所は品川区に属しています。目黒のさんま祭りは、目黒駅前の
目黒駅前商店街が主催しているので、正確には品川区の 「さんま
祭り」 なのです。秋刀魚は、名前に秋が入っているくらいですので、
秋ならではの味覚と言って過言ではないでしょう。そして、もちろん
その豊漁に感謝して我々が開催を楽しみにするのが、そう 「さんま
祭り」 でございます。

『目黒のさんま祭り』 が始まった当初は、宮古市産のさんま全てを
築地から仕入れていました。理由は、「この時期の宮古産のさんま
は、東京で9 月に食べられるサンマのなかでいちばん美味しい」。
偶然目に留めた 「目黒のさんま祭り」 の記事で、配られるサンマが
岩手県宮古産であると知った宮古市長が感動し、翌年から無償提
供を申し出たのが始まりで、以後、翌年から宮古市が提供し続け
ているんだそうです。平成23年の東日本大震災で被災したにも
拘わらず、その年も秋刀魚を送り届けたという。自分たちの災難も
顧みず、サンマを提供し続ける姿に、素朴な東北 の方の心の温
かさを感じ嬉しくなりますね。宮古市の皆さんに感謝です。

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秋刀魚を焼くと 「プシュッ、プシュッ」 と音がでます。その時、秋刀
魚も荒海を生きてきた 「猛者 (もさ)」 であると思ったりします。その
荒海の名残のように、サンマからモクモクと煙が出てくると同時に、
何ともいえない美味しそうなニオイがそこら中に広がっていきます。
まさしく 「海のいのち」 であり、「秋刀魚のいのち」 そのものなので
はないでしょうか。 「秋刀魚」 が焼きあがっていきます。炭火で焼
いた秋刀魚。煙と焦げた匂いが堪りません。美味しそうです。今年
は久々に豊漁と聞きます。ふっくら 身が詰まって脂の乗った美味し
そうな秋刀魚を早く食べたい。(笑) 黒目のまわりが濁っておらず、
くちばしが黄色いものが特にサンマの鮮度の目安になるようです。

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秋刀魚の香ばしいにおいが辺りを包みはじめます。しかし、まあ、
凄い煙。これが、いいんですよね。秋の風物詩です。煙がもうもう
と立ち込めます。でも焼いている方は、かなり大変でしょうね。

焼き始めはあまり煙が出ないのですが、徐々にサンマの脂が炭
に落ち、煙がもうもうと出るようになると目にしみます。 焼き手が
ゴーグルを付けているのは煙対策なのです。 (下左) 大量のサ
ンマを焼く煙で目の前が見えなくなります。 焼く人は、暑さと焼く
熱とで大変だ。 何しろ7千匹のサンマを焼くのですから ・・・・・。
サンマを焼く煙と臭いで充満。まさに完全防備のグリルマンです。
(下右) 焼き手は苦労が絶えません。感謝ですね。

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食欲をそそる香ばしい匂いがあたりを包みます。 「ジュージュー」
「パチパチ」 焼ける音が聞えます。網の上に置かれるやいなや、
あっという間に旨そうな匂いを放ちながらこんがりときつね色に焼
けたさんまが美味しそう。東京で9月に食べられる 「一番おいしい
サンマ」 は、専門店や料亭でもなかなか味わえない 「トップクラス」
の味のようです。いい感じに焼けてます。焦げ具合もいいです。
焦げすぎない絶妙のタイミングで来場者に振る舞われます。
サンマの匂いがぷ~ん。

サンマには、血液の流れを良くするといわれるエイコサペンタエン
酸が含まれており、脳梗塞・心筋梗塞などの病気を予防する効果
があるとされています。 また、ドコサヘキサエン酸も豊富に含まれ
ており、体内の悪玉コレステロール (LDL) を減らす作用、脳細胞
を活発化させ、頭の回転を良くする効果もあるとされているようです。

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有り余る待機時間の中、皆さんジッと我慢の子。行列の目的は皆
んな同じ。(上) 秋の味覚といえば 「さんま」。焼きたてのさんまと
大根おろしとご飯の組み合わせは秋の食卓の定番で、想像する
だけでお腹が空いてきます。目黒駅前で煙が立ち上る中、宮古産
の旬なサンマを食そうと大勢の人が待機していると、「開始する時
間は10 時を予定していましたが、予定を1時間早め9時に提供を
開始します」 と、主催者側が説明すると拍手が沸き起こりました。
サンマの焼ける芳ばしい匂いがどんどん近づいてきて、胸 が高ま
ります。(下右) そして・・・・・並んだ順番に数十人単位で秋刀魚
が焼かれている会場へ導かれます。入り口で配布される皿と箸
を受け取り、(下左) 焼きたてのサンマをトレイに一尾を乗せて
もらって完了です。

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長い行列の末にようやく秋刀魚を受け取った後は、徳島産の 「す
だち」 に栃木県那須塩原市の 「辛味大根おろし」 と 「べったら漬
け」 を添えてもらって完了です。どれも余すところないビックなライ
ンナップ。付け合せとして注目したいのがべったら漬け。この漬物
は東京新高屋のべったら漬けで、これがまたさんまに合うんです。

「すだち」 は徳島県神山町から届けられるんだそうです。 (下左)
しかもそのすだち、1万個もの無料提供。 神山町さん、太っ腹! 
そしてビタミンたっぷりのすだちでお肌の綺麗な 「すだち大使」 が、
わざわざ徳島からやって来てくれました。可愛いかった。(上右)
さんまと言ったらやっぱ り 『大根おろし』。栃木県那須塩原の高林
から提供されています。(下中) そして東京では、旬の秋刀魚の
付け合わせには 「べったら漬け」 が欠かせない。秋刀魚の油分苦
味を和らげ、 箸休めに最適。カリッとするあの感触がたまりません。
全力で行列を愉しみ、すべてのアイテムをゲットしたら食事処へ。、

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宮古市の粋なはからいに心から感謝をし、行列をならび抜きゲッ
トした炭火焼の秋刀魚。これ、皿を伝わって、「パチパチ! ジュー
ジュー!」 いってるんです。アチチチチ。まさに焼きたての秋刀魚
です。「東京っ子の秋は秋刀魚にべったら漬」 と、秋刀魚にべった
ら漬けは最高です。用意したおむすびと共に頂きました。ちょっと
気になったのが、隣組の家族の子。所々を箸で摘まんで食べるの
で、食べた後の汚いこと。魚の食べ方を知らないのかなあ~。

醤油をかけて、すだちをビューッとやると、さんまもジューッと応える。
そこにまろやかな辛味の大根おろしを 「これでもか!」 とたーっぷり
乗せて、はふはふ。び、美味、脂がジュワッと乗っていて旨い。なの
に身はふわっふわで軽やか。まさに風味豊潤、芳ばしい。ホワッホ
ワの柔らかい身に、塩気の効いたパリッとした皮。焦げ目がまた良い。
クリーミーなさんまの 「肝」 もトロけるような滋味! ホァ?、 美味い!
うんまいです! これぞ日本人の魂の味。こんなに美味しいさんまを
頂けるのは本当に感謝です。長時間ならんだ苦労で頂いたサンマ
の美味しさが増しているような気がしました。

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ずらっとイートスペースにテーブルが並んでいて、そこで皆さんと
美味しくサンマを頂きました。サンマを求めて長蛇の列ができ、焼
き上がったサンマが次々に振る舞われました。来場者らは備長炭
で香ばしく焼き上げた秋の味覚を多くの人が楽しんでいました。テ
ーブルエリアにはイスがありませんので、皆さん立ったり、しゃがん
だりと工夫しながら、ジューッと音を立てるサンマを焦らずにゆっく
りと堪能していました。行列で知り合った方によると、昔、目黒に
住んでいた時、その頃は今ほどまだ 「目黒のさんま祭り」 は流行
ってなく、普通にさんまを頂くことが出来たようです。テレビで放送
されてから行列が出来たようです。一時は五反田駅方面まで行
列が出来たそうです。今現在は早くから並ばないと、さんまには
出会えないお祭りになってしまったようです。

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天高く馬肥ゆる秋。
青い空にはいわし雲がひろがり、のどかな初秋の目黒。と、言いた
いのですが、この日は少々お日様もお疲れ気味の空模様。熱射病
も心配なく、人の熱気と煙に負けそうでした。ジュウジュウ焼かれて
いる秋刀魚にお目が留まったお殿様。そのなんとも美味しそうな匂
い。う~ん。こりゃ、どうしても食べたくなる。お殿様は初めて食べた
秋刀魚の味が忘れら れなくなってしまう。庶民ならなおさらで、落語
のネタにあやかって、ひたすら路上でさんまを焼きまくり、参加者に
振舞うというのが祭りのメインコンテンツなのですが、主役のさんま
は毎年、網の上に置かれるやいなや、あっという間に旨そうな匂い
を放ちながらこんがり焦げていくサンマ達。焦げすぎない絶妙の
タイミングで来場者に続々振る舞われるのです。

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凄い! 行列の規模が違います。私たちが食べ終わった後も行列
は延々と続いています。午前10 時まえで、最後尾はメインストリー
トから一本曲がった道まで伸びるというエキサイティングっぷり。でも
皆さん思い思いに待ち時間を楽しんでるように見えました。こうなっ
たら、ジタバタしてもしょうがない! なんてったって、さんま祭りです。

目黒駅前で始まった 「さんま祭り」 いまや都内の各地でも行われて
いるんですね。目黒川付近の田道広場公園が会場 の目黒区民祭り
の一部として行われる 「目黒のSUNまつり」 が気仙沼産のさんまを
用意して行なわれます。さらに東京タワーでも大船渡産のサンマで
「東京タワーさんま祭り」 が行われています。目黒の隣にあたる渋谷
区恵比寿では 「恵比寿ビール坂祭り」 も開催され、こちらはサンマ
のつみれ汁が無料配布されます。この様に今では全国のサンマの
水揚げ地で同様の祭りが催されるようになり、目黒駅前で始まった
行事のパターンは、いまや全国に受け継がれているようです。

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目黒駅前のロータリーでは、ふるさと物産展や商店街ワゴンセー
ルなどの他に、特設ステージでは太鼓演奏や歌謡ショーなども繰
り広げられていました。(上左) さんま関連の商品を販売する屋台
あり、人で溢れていました。たぶん秋刀魚を食べられなかったか、
諦めた人がこちらの物産展などで楽しんでいるのでしょう。毎年、
宮古水産高校の生徒さんが祭りに参加し、生徒たちは実習で作っ
た 「さんまの缶詰」 等を販売していました。(上右) 秋刀魚会場の
入口には 「東日本大震災義援金」 募金箱も設置されていました。
頑張れ! 「目黒のさんま」 の故郷、岩手県宮古市と。(下左)
チビッ子に大人気の岩手県宮古市のゆるキャラ、サーモンくん
とみやこちゃん。双子の鮭の兄妹なんだそうです。(下右) また、
毎年行われている入場無料の落語会 『目黒のさんま寄席』 も
大入り満員の大盛況。本物の 「さんま」 に負けない新鮮な笑い
を皆さんに届けていたようです。

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例年、話題になる 「目黒のさんま祭り」。毎年秋になると、「目黒の
さんま祭り」 が、ほとんどの放送局で放送されます。 年々メディア
への露出が増え、多くの人に認識されているのでしょう。参加する
人が増えているようです。そして報道関係の方も大勢取材に来て
いました。東京の秋の風物詩といっても過言ではありません。

「さんま祭り」 が終わった数日後、食卓を囲んでポツリとひと言。
「秋刀魚が食べたいなぁ~」。するとかみさんは 「この間、さんま
祭りで食べてきたんじゃないの」 とつれない返事。(笑) 週末に、
夕食のテーブルの上に、ちょこんとのっていました。勤めから帰っ
て、思わず 「お!サンマ」 と叫んでしまいました。特段珍しいもの
ではありませんが、箸をつけて口に入れた途端、その美味しさに
素直に驚いてしまいました。やっぱりサンマは美味しい。 昔は、
路地などで、七輪で秋刀魚を団扇で煽って焼いている情景が
あったようです。江戸の長屋で、明治に大正、昭和の頃に・・・・。

さんま焼く 煙突の影 のびる頃     寺山修司

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帰り際に目黒駅前の目黒通りに目をやると、我が目を白黒と疑う
かのような光景が広がっていました。しかし、目白ではなくここは
目黒なのです。煙がもうもうと立ち上がる中で大勢の人だかりが
目黒通りを占拠している。あれは火事か騒動か、いや、秋刀魚を
ひたすら焼いているだけなのです。さんまを焼いている場所から
モクモクと煙が上がってさんまの匂いがプンプンしています。そし
て煙の出ている付近は大勢の人で埋まっています。

目黒通りの行列の先は、上大崎の交差点から都道418号線を五
反田方面に下って、タイ王国大使館付近まで行列が続いていたよ
うです。秋刀魚を食べる列が1キロ近くに及び、3~4時間くらい並
ばなければいけないとのこと。食べ終わった余裕からか、長いこと
並んだ後のさんまの炭火焼は、さぞかし美味しいんだろうな? と、
人ごとの様に思ってしまうほどでした。 (笑) 「今、並んでも、秋刀魚
を食べられるかわかりません」 と呼びかけていたそうです。
あらためて 「目黒さんま祭り」 の凄さを知りました。

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東日本大震災で住民が深刻な避難生活を強いられたにも関わら
ず、「美味しい秋刀魚を食べてもらいたい」。自ら被災しても他人を
思いやる純真な想いが人の心を動かす。素朴な東北の方々の心
温かさとともに 「徳を積む」 ことを感じます。例年、3万人以上が
集まり、無料のサンマと生さんまも振る舞われたようです 心の
こもった宮古の皆さんの秋刀魚。やはりサンマは 「目黒」 に
限ります・・・・・・なぁ。いや、宮古に限ります殿!





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朝ドラ 「半分、青い」

...2018/09/09 15:03...

先週は台風の上陸で、関西空港をはじめ
各地で多大な被害をもたらしたにも拘わらず、
今度は北海道で震度7の地震。自然の猛威に
なすすべもない。ここ数年の異常なまでの
自然災害に不安を感じる。

9月になりカレンダーに使われている写真などは
秋一色ですが、実際にはまだ蒸し暑い空気が
居残っています。まだ暑い日が続きますが、
早くきれいに澄み渡った秋空を見たいものです。
秋って聞くとワクワクしますよね! 
夏が嫌い! という人は多いと思いますが、
秋が嫌い! という人は少ないはず。
夏の終わりは秋の始まりであり、
ウナギの終わりはサンマの始まりなのです。

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先日、所要で東京駅表面玄関口に降り立ったのですが・・・・。
快晴でしかも雨は降っていなかったのですが、なぜか路上に薄く
水を張った 「水景エリア」 が登場した。ムッムッと思い、近くに居た
係りの方に伺うと、東京駅丸の内駅前広場の路上に、深さ約5ミリ
の水を張り、歩く人たちに心地よさを味わってもらう取り組みを始
めたんだそうだ。周辺の御影石の舗装より、表面温度を約10度
低くすることができるという。9月中旬まで、悪天候を除き、
午前9 時から午後5 時まで続ける予定という。へ~

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御影石で舗装された中央広場の左右2カ所に設けられ、それぞれ
縦22メートル、横15メートルの広さ。溝からしみ出た水 (下左) が
わずかな勾配で路上を流れ、地中の浄化装置との間を循環する
仕組み。(下右) 気化熱によって周囲の気温を下げる効果も期待
されるという。恐る恐る歩いてみたが、靴底までで裸足なら気持ち
いいはず。午前中、子供たちがはだしで走り回ったり水を掛け合っ
たりして楽しんだらしい。東京駅前で水遊びができるなんて驚き。

さて、夏が終わって切ない・・・・けれども、
秋は秋で好きという声もよく聞きますよね。
わたしも例外にもれずなのですが、万葉集の和歌に
書かれている季節を分類すると、ダントツで秋を詠んだ
歌が多いです。古今を問わず、秋は物思いに耽りやすい
季節なのでしょうか。そして、秋の運動会や遠足、学園祭
やら何かとダウンしている暇がないのが学生さんの9月です。
我々も学生さんに負けずに頑張りたいものです。


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朝ドラ 「半分、青い」

職場での昼食を挟んでの昼休み時間。
仲間たちが年配の方と珍しく話し込んでいるのに遭遇。
8月1日 (水) 放送されたNHK朝ドラ 「半分、青い」
の事を議論していたのだ。

家族を 「邪魔になる」 と言って捨て、映画監督になる
という夢を選んだ夫に、ヒロインが 「死んでくれ」 と言っ
たことが、どうやら話題になっていた。ちょっと見逃すと
家族構成まで変わってしまいかねないような、
急な展開になっているストーリーだったのです。

後日、知人から録画したビデオを借りて見た。
問題の105 話はこうだ。、急に夫が 「別れて・・・ほしい」
と言い出す状況からスタートし、妻と夫の言い合いが続く。
夫婦喧嘩で10分・・・朝からなかなかヘヴィである。
それでなくても、全国的に朝から連日、異例の猛暑だ
というのに、どうしてこの時期に不快指数のあがる
エピソードをもってきちゃったのか・・・と思いつつ。

夫の映画への夢は、その手に封印できないほど
膨らんでしまった・・・と想像するとなんとも切ない。
「夢はな~んもしてこんもんなあ。来るものは拒まず
去る者は追わず。夢はなんにも責任とってくれへん。
罪が深いわ」。確かに夢はこわい。だからこそ、お互いに
夢の地獄に堕ちる前に、見切りをつけて結婚したはず
だったのに、ここへ来て、もう一度夢に引き返そうとする。
だから 「家族は邪魔になる」 と言うと、妻は 「死んでくれ」
と怒り心頭に発する。

これくらいいがみあう夫婦は、きっといるんじゃないかな
とは思った。なぜなら、しょっちゅうニュースで幼子が
犠牲になる、いたましい事件が報道されているではないか。
どうして、そんなことに? とにわかに信じられない行動を
している若い夫婦たち。そう思ったら、貧しさにも耐え懸命
に育児をしてきたのに、自分だけ夢に走った夫に苛立ち、
口汚く罵ってしまうことはありそうだ。

もちろん賛否両論あり、「ヒロインの気持ちがわかる」
という意見もあれば、「死んでくれは言い過ぎだ」 
「朝から 『死んでくれ』 はないだろう」 という意見もあった。

夢を追いかけることについて、個人の自由で悪いとは思わない。
でも、ヒロインが妊娠して一度夢を諦めたとき、この夫は夢を
諦めてもいいと思えるくらい大切なものに出会ったのだと、
わたしは思った。

この夫は夢を捨て、一度 「家族を守る」 と誓ったのである。
それを裏切り、一度絶った夢をまた追いかけることを自分の
第一にしてしまうことには、わたしは賛成できないと思う。
確かに、大きな夢を持ってしまい、大きなチャンスが
来たら、なびいてしまう気持ちはわからなくはない。
夢がかなう人間は一握りであるし、チャンスを追いかけ
たくなる気持ちもわかる。

しかし、彼には5歳の娘と妻がいる。
私は親になったことはないから、親の気持ちってどういう
ものかわからないという女子社員もいた。でも親に育てて
もらって、子どもの目線に思うことがあると話す。

それは、私たちに安心して夢や希望を見させるために、
親が厳しい現実を見てくれていたのではないかと
いうことだった。現実というのは、生活やお金のこと、
将来の備えなどいろいろである。

平穏で安定した生活、生活にかかるお金、必要な道具を
そろえたり、食事・洗濯などの家事に至るまでさまざまである。
親になったからには、一度守ると誓った人を守り通さなければ
ならないと思うし、家族をもったからには、理想で現実を
奪うことは許されないと思うとも語った。

確かに 「死んでくれ」 は論理的にも良くない言葉であった
かもしれない。しかし、夫に裏切られ、頭が真っ白になり、
思わず出た言葉が 「死んでくれ」 だったのであれば、
それはヒロインの率直な思いだっただろうとわたしは思う。

なんびとたりとも “私の道” を阻むことは許されない。
そして “私” は私だけでなく世界に生きている人全員が
それぞれの “私” だ。「半分、青い。」 は、もっとも理想的な、
でも、もっとも難しい問題に向き合っている。
他者も自分も尊重する方向に向かうのか、そうならないと
収まらないと思うのだが、果たして ・・・・・・。

「死んでくれ」 の一言では、正しいとか間違っている
とかは判断しにくい。人生とは一体誰のものなのか?
何のために生きるのか? と問われているようで、
印象に残ったセリフです。人間関係や身持ちの動き、
経過を見て、ヒロインの 「死んでくれ」 という表現が自分の
価値観にどう触れるのか、もう一度考えてみたいと思った。


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「ルーヴル美術館展」  国立新美術館 2018
  ~肖像芸術―人は人をどう表現してきたか~

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今年もやって来ました! 3年ぶりの 「ルーブル美術館展」。世界
で最も入場者数が多く、毎年800万人を超える入場者が訪れて
いるという、パリにあるフランスの国立美術館。普段はフランスの
ルーブル美術館でしか見られない貴重な絵画 ・ 彫刻。見に行き
たいとは思っても簡単にフランスまで足を運べない・・・。成らば日
本で本物を見ておきたい。やっと開催終了間際に行ってきました。
芸術の秋に先駆けて、今回は美術展の紹介です。

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「国立新美術館」
国立新美術館は、コレクションを持たず、国内最大級の展示スペ
ースを生かした多彩な展覧会の開催、美術に関する情報や資料
の収集・公開・提供、教育普及など、アートセンターとしての役割
を果たす、新しいタイプの美術館です。この時期のチケット売り場
は、暑さ対策でテントが張られます。(下右) 私は東京メトロ千代
田線乃木坂駅改札口 (美術館直結) の方から入場します。
そして帰りは正門から出るのが、お決まりのコースです。うふ

「ルーヴル美術館展」 ~肖像芸術―人は人をどう表現してきたか~
会期     2018年5月30日 (水)~9月3日 (月)
開館時間  10時~18時 (金・土曜日は21時まで)
会場     国立新美術館企画展示室
観覧料    一般1.600円、大学生1.200円、高校生800円

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さすがにルーブル美術館から作品が来るというだけあって、混ん
でいるかと思いきや、会場にはスッと入れました。2015年の 「ル
ーブル展」 は30分待ちだったが、あの時はフェルメールが来た
からねー。むしろ書道展の方が年配の方を中心に混んでいた。

人の似姿を描く肖像は、スマートフォンの高性能カメラで意のまま
に自分を撮ることが当たり前となった現代社会において、いまや
最も身近な芸術といえるかもしれない。 しかし一方で、最も長い
歴史を持つ芸術ジャンルでもあります。 「ルーヴル美術館展」 で
は、3000年以上も前の古代メソポタミアの彫像や古代エジプトの
マスクから19世紀ヨーロッパの絵画 ・ 彫刻まで、きわめて広範に
わたる時代 ・ 地域の作品を対象としながら、肖像が担ってきた
社会的役割や表現上の特質を浮き彫りにするという展示会です。

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撮影スペースがあって、顔をはめて撮影するパネルが展示会入り
口近くに置いてありました。皆さん、パネルの中に自分の肖像を埋
め込んで記念撮影する方が結構いました。最近、この手の物が多
いですね。今回の展覧会は、肖像芸術が集められていることもあり、
著名作家の作品が目白押し! というモノではありません。そのた
め作品解説を読んで時代背景などを把握しながら見てまわるスタ
イルになります。でも会場は、お客さんは結構いましたが、大きい
作品も多い為か以外にも混むこともなく、 ほぼ自分のペースで
観ることができました。

「プロローグ マスク―肖像の起源」
まずプロローグの 「マスク―肖像の起源」 では、古代エジプトの
2つの異なるタイプのマスクを紹介。エジプトでは来世での生を
死者に確約する為にマスクを作ったそうで、新王国時代のマス
クは理想化された姿として表され、1~3世紀頃になるとミイラの
顔は、板に描かれた肖像で写実性が重視され故人の生前の容
貌が表されたようです。これらのミイラ肖像画は、19世紀末にファ
イユーム地域で数多く出土したことから 「ファイユームの肖像画」
と呼ばれるようです。

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「棺に由来するマスク」 新王国時代 (前1391~53年) (左)
エジプトのミイラの棺は、初期王朝時代は長方形でしたが、新王国
時代にはミイラをかたどった木製の人型棺が広く普及したようです。
これは蓋の頭部を飾っていたマスクの顔の部分で、本来は釘で蓋
に固定されていました。その顔立ちは、故人の容貌を再現したもの
ではなく、来世で永遠の生を得るにふさわしく理想化された顔を表
現してるようです。大きな目と弓なりの眉は、青いガラスによる太い
線で、優美に形作られ、目の中は黒と白の石は象嵌のようです。

「女性の肖像」 2世紀後半エジプト (右)
エジプトがローマ帝国の支配下にあった頃には、ミイラの頭部を飾
るために板絵の肖像画が盛んに制作され、ミイラ肖像画も故人に
似ていることが重視されました。大きな瞳が印象的な女性の顔立
ちは、鼻筋やあごのラインに微妙な陰影がほどこされ、緻密に描
出されています。真珠のイヤリング、大粒の金の首飾りなど豪華
な装身具の描写から、上流階級の女性と推測されます。目にも
生気が感じられ、かなりリアルな感じでした。

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肖像画は、歴史的な人物関係がわからないと良さがわからない気
がして苦手意識がありました。でもこの展覧会で完全に苦手意識
が吹き飛びました。キュレーションの力ってすごいです。プロローグ
としてマスク2枚の展示を挟んだ後は、かなりの分量が彫像、立体
作品で構成されています。あまり自発的に彫像は観てこなかった
というか、むしろ割とスルーしがちだったんですけど、一気にまと
めて観ると面白いですね。乃木坂駅改札口からの入口の方です。

「第1章 記憶のための肖像」
「人の存在を記憶する」 という肖像の最も古い役割についてのコ
ーナーで、古代から19世紀までの品が並んでいます。古代の地
中海世界では祈願成就や信仰の証として自身の彫像などを奉
納し、信心の記憶として残す習慣があったそうです。また、葬礼
美術として亡くなった人や親族の記憶を残すために肖像が作ら
れたそうで、その習慣はキリスト教が普及しても続いたようです。

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「ボスコレアーレの至宝 エンブレマの杯」 35-40年頃 (左)
食器の中央部分に、男性の胸像が、裏側から立体的に打ち出さ
れた超絶技巧な作品でした。精妙な銀の打ち出し細工が施され
た酒盃や皿などの豪奢な銀器は、特別な饗宴の時に用いられ、
客人をもてなすと同時に、一家の富を印象づける役割を果たした
ようです。祖先崇拝が行われていた古代ローマでは、祖先の胸像
や立像、デスマスクや肖像画を家屋の中に飾る風習がありました。
これが2000年前に製作されたとはとても信じられません。
古代ローマ人、恐るべしです・・・。

「女性の頭部」 150-250年 (右)
墓所には、矩形にくりぬかれた墓室のなかに石棺が安置され、
墓室の蓋は死者の肖像彫刻で、また石棺の上面や側面は墓を作
った一家の群像彫刻で飾られました。こうした彫像はローマ美術の
影響を受けて、立体感のある高浮き彫りの手法で制作されています。
一つひとつ微妙に表情が異なるため、故人の顔を模したかのように
見えますが、実際には墓用として量産され、葬儀屋や彫刻家の店
で売買されていたようです。瞳に薄い青色が残るこの作品は、彩色
の痕跡をとどめる貴重な1点のようです。

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ジャック=ルイ ・ ダヴィッドと工房 「マラーの死」 17944年頃 (左)
「マラーの死」 は、教科書に出ていた記憶があります。ダヴィッドと
その工房のメンバーが、カラヴァッジョ作 「キリストの葬送」 から構
図を借用して制作した葬送の肖像のようです。風呂で湯に浸かっ
ている時に刺殺され、風呂にはテーブルのような蓋があり、裸体
の男性が手紙とペンを手に持って胸から血を出して琴切れたよう
に項垂れています。フランス革命の象徴でもあった新聞記者、
マラーの死は、革命を支援する市民たちの英雄となりました。

ジャン=オーギュスト=ドミニク ・ アングル
「フランス王子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ ・ ド ・
ブルボン=オルレアンの肖像」 
1842年 (右) 
7月革命で王位についたルイ ・ フィリップ王の息子オルレアン公
の肖像画です。勲章をつけた軍服をまとい、二角帽を携えた軍人
でもある若き公爵。ベルギーや北アフリカで輝かしい戦功をあげ、
自信に満ちあふれた整った顔立ち。彼は温和な人柄で、文学や
美術に造詣が深く、勇敢さでも名高い人物だったようです。この
絵が完成した数カ月後に馬車の事故により31歳の若さで亡くな
ってしまいます。生きていれば、「権力の顔」 として機能したはず
の肖像が、彼のあまりに早すぎる死によって、「記憶のための肖
像」 となってしまったのです。

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ルーヴル美術館といえば、いわゆるルネサンス期以降の巨匠たち
の作品だけでなく、メソポタミア文明からギリシャ、エジプト、ローマ
といった、古代の作品群も多数所蔵しているのです。この展示会で
は、彫刻作品を中心に、普通に2000年、3000年前といった時代
の作品が多数並んでいるのが特徴です。肖像作品は、特に時代
や地域ごとに 「コード」 と呼ばれる決まった表現の仕方 ・ ルール
がハッキリ見られますが、時代 ・ 地域によって、少しずつ異なる
「コード」 の違いを見比べてみるのも楽しいですよ。

「第2章 権力者の顔」
王や皇帝にとって自分の肖像は、効率よく権勢を拡散できる有効
な手段でした。そこには、誰が見ても最高権力者だと分かるように、
彫刻や絵画だけでなく貨幣やメダル、嗅ぎたばこの箱まで多岐に
渡る媒体で表され権力を広く知らしめたようです。ここにはそうした
権力者達の肖像が並んでいました。

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「アレクサンドロス大王の肖像 ・ 通称 「アザラのヘルメス柱」 
2世紀後半 (左)
このアレクサンドロス3世 (ギリシャの王) が、東方に遠征してギリ
シャ文化をアジアに波及したためヘレニズム美術が生まれ、ガンダ
ーラ美術が生まれ、さらに文化は東に進み海を越えて日本の仏教
美術まで到達した、わずか32歳で早世しましたが、歴史の大きな
うねりを引き起こした壮大な人物の肖像。自分の権威を知らしめ
るために肖像彫刻を沢山作らせたそうです。ある程度理想化され、
英雄のイメージを民衆に記憶させる肖像という感じでしょうかネ。

「王の頭部 ・ 通称 (ハンムラビ王の頭部)」 紀元前1840年頃 (右)
この小さな男の頭の彫刻は、古代オリエント芸術の最も有名な作品
の一つで、帽子を被り、長い顎髭をたくわえているハンムラビ王です。
古代メソポタミアの古バビロニア王朝の王です。ハンムラビ王と言え
ば、皆さんが即に考えつくのは 「目には目を、歯には歯を」 で知ら
れるハンムラビ法典ではないでしょうか。ハンムラビ王がめざした正
義とは、社会的に強い立場の人が弱い立場の人達を虐げる事の
ないように保護する事でした。王の威厳と男気を感じます。

「ハンムラビ法典」
紀元前1700年頃、古バビロニア王国の6代目の王であるハンムラ
ビが成文化した法典が、ハンムラビ法典です。ローマ法典とナポレ
オン法典と並んで、世界の3大法典の1つです。過度な復讐を認め
ない、人々が平和に暮らせるルールを定めました。現代では、「や
られたらやりかえせ」 の意味で使われたり、復讐を認める野蛮な規
定の典型と解されたりすることが一般的ですが、「倍返しのような過
剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」。
すなわち、あらかじめ犯罪に対応する刑罰の限界を定めること (罪
刑法定主義) が、この条文の本来の趣旨で、刑法学においても
近代刑法への歴史的に重要な規定とされ、その後の文明の発達、
社会の発展に大いに影響をおよぼしました。

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セーヴル王立磁器製作所 (ルイ=シモン・ボワゾの原作に基づく)
「フランス王妃マリー ・ アントワネットの胸像」 
1782年 (左)
日本でも良く知られている王妃。豪勢に盛り上がった髪型の後ろ
側はどうなっているのだろうと胸像の後ろ側を覗いて見たら、髪は
一部三つ編みになっていて、リボンでくくっていました。フランス宮
廷の贅沢は、この人の前からとっくに始まってましたが、贅沢の波
にそのまま乗っかってしまい延長させてしまって、とうとう人々の
反感を一身に受けてしまう羽目に。大革命後にギロチンに架け
れれることが信じられないような美人。

セーヴル王立磁器製作所
「国王の嗅ぎタバコ入れの小箱」
 1819ー1820年 (右)
ナポレオン1世の失脚後、ブルボン王朝復古となりルイ18世が即位。
そのルイ18世が注文したという工芸品。嗅ぎタバコ入れの蓋の裏側
には、嗅ぎタバコを入れる小さなスペースがあります。箱の本体は、
楕円形のミニアチュールのプレートを収納できる仕様になっており、
使用者はそのなかから1点を選んで嗅ぎタバコを入れる部分に飾る
ことができました。このミニアチュールに描かれたのは、いずれも過
去の巨匠たちが描いたフランスとヨーロッパ諸国の王侯貴族や、
文学者、哲学者の肖像画が描かれています。

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フランス皇帝ナポレオンは、古代ローマの皇帝像とフランスの国王
像の双方の表現を自らの肖像に巧みに取り入れ、君主としての正
当性を強調する戦略をとっています。ナポレオンコーナーに展示
されている彼の作品から窺い知るができます。

クロード ・ ラメ 「戴冠式の正装のナポレオン1世」  1813年 (左)
ナポレオンに関する展示はいくつかありますが、月桂冠に白貂の
毛皮、ビロードのマントを身につけたナポレオンの立像。特にマン
トの表現が見事で、滑らかなビロードの質感や、フワッとした部分、
刺繍が重なった部分など、大理石とは思えないほどの表現力です。
等身大よりやや大きめで、杖を持ち堂々とした姿です。ナポレオン
がフランス皇帝に即位し、帝位への就任を宣明する儀式である戴
冠式を行ったときの姿を表したもので、元老院の議事堂であるリュ
クサンブール宮殿の 「皇帝の間」 を飾るために制作されました。

フランチェスコ ・ アントンマルキ
「ナポレオン1世のデスマスク」
 1833年  (右)
1821年にナポレオンが息をひきとったのち、石膏でデスマスクが
作成されました。それを主治医が顔の部分だけを持ち去り、デス
マスクの複製をブロンズと石膏で作成。このデスマスクも人気が
あって、複製がいくつも作られて高値で取引されていたそうです。
生前の威厳はここにはなく、ただ安らかに眠っているような優し
い表情が印象的でした。何故なのか、首の下の部分にコインが
埋め込まれてます。

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アントワーヌ=ジャン ・ グロ
「アルコレ橋のボナパルト (1796年11月17日)」 
(左)
こちらは今回のポスターにもなっている作品で、ナポレオン ・ ボナ
パルトが27歳の時にイタリアでオーストリア軍と戦った時の姿を描
いています。振り返った精悍な顔つきで、割と大胆な筆致で描か
れているためスピード感のようなものも感じさせます。素早い筆致
なのは同じポーズを取るのをナポレオンが嫌がって短時間で描か
ざるを得なかった為のようですが、かえって絵として面白くなって
いるように思いました。この作品をナポレオン自身が高く評価した
そうで、これを描いたグロにとって出世作となったのだとか。

アンヌ=ルイ ・ ジロデ ・ ド ・ ルシー=トリオゾンの工房
「戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像」
 1827年 (右)
ナポレオン1世は、頭には古代ローマ皇帝のように黄金の 「月桂
冠」 を頂き、「緋色の天鵞絨」、フランス王室象徴の 「金色の蜜蜂
文」 を散りばめた 「白貂」 の毛皮マントを身につけており、自身が
創設したレジオン ・ ドヌール勲章が胸元を飾っています。民衆の
ために絶対的権力者をひきずりおろしたはずが、今やその権力
に目がくらみ、自分がその地位につこうとしているのです。今まで
ボナパルトの庶民性に深く共感していた作曲家のベートーヴェン
がこれに激怒したのは有名な話です。

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鑑賞も人の流れに乗れば大丈夫でした。壁にしか展示できない
絵画と違って、彫刻は360度観られます。そのため彫刻エリアは
スペースが結構あり、じっくり鑑賞できます。ということで、様々な
肖像を多面的に観ることができる展示となっていました。これだ
けの揃えは流石はルーヴル美術館と言った感じですが、ダイジ
ェスト的な感じだと思います。

「第3章 コードとモード」
「コード (伝統的な型)」 と共に 「モード (流行)」 を取り入れた肖像
のコーナーです。ルネサンス以降、肖像を所有する人とモデルの
裾野がブルジョア階級からさらに下の階層へと広がり、個人的な
記念や贈り物など私的な用途の為に制作されたようです。それら
は上流階級の肖像表現の伝統的な 「コード」 を踏襲しつつ、一方
で各時代の地域 ・ 社会に特有の 「モード」 が反映されたようです。
ここにはそうしたルネサンスから19世紀の作品が並んでいました。

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フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 「第2代メングラーナ男爵、
ルイス・マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネスの肖像」
1791年 (左)
スペインの巨匠 ・ ゴヤは、宮廷画家として子供の肖像画も多数
手がけました。こちらは犬を連れた男爵の姿を描いた作品ですが、
男爵と言っても2歳8ヶ月の小さい男の子です。フリルのようなもの
をつけていて身分の高さを感じますが、あどけない雰囲気がある
のは年相応かな。犬は猟の嗜みの為の存在のようですが、子供
にとっては良い遊び相手のようで、小さく可愛らしく描かれてます。
背景の部分が多く、肖像が中央に寄っている為 ちょこんとした
感じに見えるのも面白い構図でした。

フランツ ・ クサファー ・ メッサーシュミット 「性格表現の頭像」
1771-1783年 (右)
こちらは、苦渋な表情に顔を歪める初老の男性。作者であるフラ
ンツ ・ クサファー ・ メッサーシュミットが、自分をモデルに、様々な
表情の奇妙な頭部像を製作したうちの1点です。 なぜこんなユニ
ークな頭部像を作ったのか? その理由は、妄想に悩まされた自
分自身を治療する目的だったとされます。 だから、彼は生前これ
らの作品群を一切発表しませんでした。没後にアトリエでまとめて
発見されたのです。最初見つけた人はさぞ驚いたことでしょうね。

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レンブラント ・ ハルメンスゾーン ・ ファン ・ レイン
「ヴィーナスとキューピッド」
 1657年頃  (右)
光と闇の魔術師」 とも言われたレンブラントは、自画像 ・ 肖像画を
遺しています。愛の女神ヴィーナスとキューピッドの神話的な構図
を借りつつ、彼の内縁の妻ヘンドリッキェと、彼らの娘コルネリアを
描いたものとされています。不思議といつまでも見ていたい気分
にさせられる傑作でした。レンブラントの、奥さんに対する深い愛
情が伝わってくるような作品です。

サンドロ ・ ボッティチェリと工房 「赤い縁なし帽を
かぶった若い男性の肖像」
 1480-1490年頃  (右)
こちらは赤い帽子の男性がやや斜めを向いた姿で描かれた作品。
ちょっと平面的な感じもしますが、陰影もあって写実的に描かれて
いて、目の辺りにボッティチェリらしい特徴を感じます。昔は肖像と
言えば横向きの 「プロフィール」 が一般的な構図だったのですが、
次第にこうした正面を向くようになっていったようです。赤毛の青
年の凛々しい姿で、富裕層らしい気品が感じられる人物像でした。

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今やロイヤルファミリーやセレブの写真は、ネットで世界中に拡散
され、スピーディに消費されてゆきます。身分のある人にとっては、
生きづらい世の中かもしれません。古き良き文化、肖像画が描か
れていた古代から19世紀までの時代は、今よりも天上人との格
差が開いていたのだと推察されます。国立新美術館での展示
「ルーヴル美術館展 ・ ~肖像芸術 ―人は人をどう表現してき
たか~」 は、歴史に名を残した人々の肖像に畏怖の念を抱か
されますね。

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さすが 「美の殿堂」 と言われるだけあって、展示の中には、絵画
作品を中心に、美術史に名を残す巨匠たちの作品がゴロゴロ含
まれています。ここまで彫刻の死んだ目ばかり観てきたからか、
この方の目に映る光のインパクトがすごい! 思わずじーっと眺
めてしまいます。光一つでこんなに表情って生き生きするんだね。

エリザベート ・ ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「エカチェリーナ・
ヴァシリエヴナ ・ スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像」
  1796年
佐々木希似の34歳! という高スペックなこのお方。ヴィジェ ・ ル
・ブランは、マリー ・ アントワネットの肖像画家として特に有名です。
こちらを観て微笑む青い服の女性が描かれ、美貌で女性らしく、巻
き髪でやや首を傾げて魅力的な雰囲気があります。瑞々しい肌や
緻密な表現で、モデルの美しさを存分にあらわしているようでした。
このモデルは、ロシアのスカヴロンスキー伯爵の妻、エカチェリー
ナです。34歳の時の肖像画とのことですが、惚れ惚れするほど
可愛いですよね。展覧会でも、この絵の前で足を止める人が多く
(私もその一人)、「かわいいー」 と大評判でした。おそらく展覧会
の一番人気作品なのでは?! と思いました。何度も戻って見て
しまいました。この絵、好きかも。うふ

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展示会の中でも最も注目したいハイライト作品が、こちら。今回の
ポスターにもなっている目玉作品です。27年ぶりに来日した、ヴェ
ロネーゼの 「女性の肖像」、通称 「美しきナーニ」 です。ルーヴル
美術館が所蔵する数々のルネサンスの肖像画のなかでも、最高
傑作の一つとして名高い作品です。肖像画が大衆化してきた感じ。

ヴェロネーゼ 「女性の肖像 ・ 通称(美しきナーニ)」 1560年頃
胸に手を当てた青い服の金髪の女性が描かれています。身分の
高そうな格好をしていて、恐らくヴェネツィアの貴族の理想像と考
えられているようですが、誰を描いたかは分かっていないようです。
胸に手を当てるのは夫への忠誠を示し、金髪はこの時代の美人の
条件だったようで、貞淑な印象を受けます。服装も当時の流行を
反映しているようで、質感豊かに描かれている感じです。光沢の
ある藍色の高貴なビロードのドレス、薄いヴェールの質感、身に
まとっているアクセサリーの描き込みなど、ほれぼれするような
美しさです。ルネサンスの傑作の1つであるのは間違いないと
思います。それより気になったのは、左手の結婚指輪の部分。
この女性、実はお金持ちの主婦だそうです。ガックシ

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「モナ ・ リザ」 がルーヴル美術館が所蔵するフィレンツェ派の肖
像画の傑作であるのに対し、こちらの 「美しきナーニ」 は、ヴェネ
ツィア派の肖像画の傑作といわれるほどの逸品なのだそうです。
そして、注目したいのは絵の中の女性の不思議な表情。宙のど
こかをさまよっているような視線は、鑑賞者がどこに立っても、彼
女と目を合わすことができないと言われています。確かに会場で
チャレンジしてみましたが、全く視線が合いませんでした。様々な
感情の入り混じった表情をどう読み解くかも鑑賞ポイントでした。

「エピローグ アルチンボルド ―― 肖像の遊びと変容」
展覧会の最後を飾るのが、アルチンボルドの 「四季」 シリーズの
《春》 と 《秋》 です。昨年、国立西洋美術館でも展示会が開かれ
ました。紛れもなく世界で数十点しか存在しない、超貴重な国宝
級作品です。そんなアルチンボルド作品が見れるとは、日本って
本当に展覧会大国ですよね。私のように観逃した方はチャンス!

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16世紀後半に活躍したアルチンボルドは、さまざまな動植物や
事物を寄せ集めて構成した人物画によって絶大な人気を博した。
アルチンボルドの絵画の最大の特徴は 「多義性」 にあります。
鑑賞者は、作品のなかに人物の姿を見ながら、同時にそれを
構成する花の一つひとつを識別することができ、1点の絵画を
肖像画としても、静物画としても楽しむことができるのです。

「ジュゼッペ ・ アルチンボルド 《春》 」 1573年 (左)
80種類もの花々や草葉が描き込まれているという。頭部は花々、
胸は草葉。左下のアイリスは胸のお守りとなり、右上の白いユリ
は、帽子に付された羽を表すとか。眼はパンジーから、白い襟は
フランスギクとスノーボールツリー、衣装の袖部分はレタスとタン
ポポの一種から構成されているとのこと。 一つ一つ違う種類の
草葉が実に丁寧に描かれていて原画を観ると圧巻です。

「ジュゼッペ ・ アルチンボルド 《秋》 」 1572年 (右)
秋の収獲物と紅葉した木々から構成されて、頭髪を構成するブド
ウが目立つ。右上の大きなカボチャには、何故かカタツムリが乗っ
かっています。様々な秋の作物を組み合わせて人の顔のようにし
ています。秋の収獲物を描いた静物画的要素が濃い作品です。
世界各国の花が描かれているのは世界中の花を観られる機会
があったことを示すので、当時の神聖ローマ帝国の強大な国力
も伺えるようでした。何度観ても発想の面白い作品ですね。

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展覧会の主力となる作品は彫刻と絵画です。これに加え、メダル、
アクセサリー、銀食器など、様々なジャンルでルーヴル美術館の
保有する優れた肖像作品が展示されていました。特にアクセサリ
ーや小物類の展示コーナーは、一区画だけトンネルのような入り
口で区分けされています。中は、ぐっと照度が落とされて、暗室
のようになっていました。その中で、きらびやかにライトアップされ
た各アイテムが楽しめるように演出が工夫されていました。

こうやって 「肖像」 だけを並べると 「どの画家の作品」 かっていう
のを忘れて、画面そのものに集中できるということは新鮮な体験
でした。どこそこ美術館展、誰々コレクション、誰々回顧展を気に
せずに作品に集中することって、徹底して同じ館の肖像に絞ら
ないとできないことなのかもしれないなと思いました。

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今や日本では、「エルミタージュ美術館展」 「プーシキン美術館展」
「デトロイト美術館展」 等々、毎年のように世界中の著名な美術館
の作品が日本にいながら楽しめる展覧会が目白押しです。その中
で、今回は 「ルーヴル美術館展」 でした。今回、足を運んでみて
思ったのは、他の美術館とはひと味もふた味も違う 「美の殿堂」
としての歴史の重みでした。古代ギリシャ ・ エジプト文明の作品
から近代の作品まで、幅広いジャンルのマスターピースを満喫で
きる、この夏の美術展でした。いつまでも会場の雰囲気に浸って
いたくなる。そして、鑑賞後、 “イイ美術展だったなぁ” が自然と
口をついて出る展覧会でした。

いやぁ、 “美術鑑賞” って、本当にいいもんですね。





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「待つ」 余裕

...2018/09/02 07:11...

9月は別称で 「長月 (ながつき)」。
これは日を追うごとに夜が長くなるから、
そう名付けられたともいわれています。

9月になったにも関わらず、
当たり前のように暑い日が続いています。
一時期の連続猛暑日の頃に比べると、暑さも幾分
和らいでいるかなと、感じます。空を見上げると、
もくもくと沸き上がる夏の雲の上には、砂をすっと、
箒 (ほうき) で掃いたような秋の雲を時々見かけます。

正岡子規に 「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」 がある。
夏から秋への序曲を空の変化からみているのでしょう。
茶道の世界などでは、暦月が九月になると茶室での
着物が、それまでの夏の着物 (絽 ・ 紗) から単衣の
着物に替わるのだとか。残暑が続くとはいえやはり
季節も夏から秋へと変わって行くわけですね。

さて、
お子さんのいらっしゃるご家庭では、
長かった夏休みもそろそろ終わりですね。
私も街中で子どもの姿を見かけるたび、そうか
夏休みだったなと感じていました。時折近くの家
から聞こえて来る、「ママア」 と母親を呼ぶ声を聞くと、
親御さんたちにとっては、「やっと終わる」 という
気持ちでしょうか。今年は9月1日、2日が土日なので、
9月から新学期を迎える学校の子ども達にとっては、
少しお得感がありますね。

私の職場では、夏休み最終週は宿題の
追い込みで大変!という声もチラホラ・・・・。
何はともあれ、暑く長~い夏休みお疲れさまでした!
今日は、大きな雲が空を覆い、連日の強い陽射しを
遮ってくれました。凌ぎやすい朝を迎えた東京です。


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「待つ」 余裕

インドに行っていた知人が帰国。
仲間達と一緒に会ったら、いきなり 「日本は分刻みの
国だな」 と話し出した。「13年前に起きたJ R福知山線
の事故も遅れてはいけない、と急いだせいで起きた」
と切り出して、「インドでは」 の話となった。

「5 ・ 6 時間遅れの列車など珍しくもなんともないですよ。
サーンチーの仏塔を訪ねた時は9 時間遅れでした」。
日本だと駅員に詰め寄るなど、大騒ぎとなるだろうが、
インドでは騒ぎ立てる人などいない。それどころか、
こんなもんだろうと、みんな思っているので、
何だかんだとおしゃべりしたり、新聞や雑誌を読んだり、
むしろ楽しそうにその時間を過ごしているんだそうだ。

「ただし」 と話を続けた。
「列車がやって来ると、早く乗り込もうと先を争うんです。
さっきまであんなにのんびりしていたのに・・・・。
この人たちは常に 『今』 を 生きているんだと思ったという。
日本人は前ばっかり見ています。自分のいる 「今」 が
飛んでいる。今をどう生きるか。いかに生きるか。
それが人生なんですけどね」 とも語った。

ケータイをかけながら横断歩道を小走りに渡るなど、
前のめりの日本人の曲型かもしれない。
パソコンが立ち上がる数秒さえ長いと感じる人が
増えているというから、エレベ-ターホールの
いらついた顔など当たり前かもしれない。

野球の監督がこんなことを話していた事がある。
いわく。「いいバッターとは待てるバッターなんです。
どんないいピッチャーでも必ず失投します。ヒットに
できるその球が来るまで、しっかり待てるかどうかです」。

待つ。その余裕から生まれるヒット。
ヒット企画なども余裕からうまれるものだろうが、
今日の多くは職場ではボーっとする時間でさえない。
無駄の排除で心の余裕も奪われ、みんな忙殺されている。

「忙」 は 「心を亡くす」 の意。
そして 「殺」 という強調語。見れば見るほど
怖い2文字である。「待つ」 余裕がヒットを生む。
時間の余裕、心の余裕、生活の余裕、仕事の余裕・・・・。
一度、考えてみたいですね。


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特別展 「高校野球 100回目の夏」 2018
   野球殿堂博物館 (東京ドーム)

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大阪桐蔭高校の史上初の2度目の春夏連覇で幕を閉じた高校
野球。全国校から目標にされた大阪の強豪校がプレッシャーを
跳ね返すのか、それとも秋田の金足農業高校が白河の関を越え
て深紅の大優勝旗を持ち帰るのか──ドラマのような組み合わせ
になったこともあって、決勝は日本中の関心を集めました。 この
夏の甲子園は、記念すべき100回大会。以前、東京ドームに立
ち寄った時、「野球殿堂博物館」で、高校野球の特別展が開催
されていました。遅まきながらチョット紹介します。 

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東京ドームシティの “顔” とも言える日本初の全天候型多目的スタ
ジアム。プロ野球 ・ 読売ジャイアンツの専用球場 (本拠地)です。
巨人戦開催時に設置されるバルーン 「ビッグジャビット」。(下右) 
ジャビットの顔と手を模した高さ約4メートルもあるバルーンです。
子どもたちに人気で、一緒に写真を撮っている姿を見かけます。

「東京ドーム」
東京ドームは、昭和63年 (1988) に後楽園球場の実質的な代替
球場として後楽園競輪場の跡地に開場。空気膜構造屋根を持つ
アメリカのメトロドームをモデルとして設計された。いわゆるドーム
の屋根は、空気の力で膨らんでいます。開業以来、野球はもちろ
んのこと、コンサートや展示会など年間を通して多種多様なビッグ
イベントが開催されています。

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昔は野球を見たけど最近は見ないなあ~、という人もにも楽しめる
博物館です。それほど広い施設ではありませんが、じっくり見るな
ら1時間以上は必要です。プロ野球のみならず高校野球や大学
野球に関する展示物もあります。東京ドーム21ゲート右側です。

「野球殿堂博物館」 
昭和34年 (1959) に日本初の野球専門博物館として開館。野球
界の発展に貢献し功労者として表彰された 「野球殿堂入りの人々」
の肖像レリーフを飾っている他、プロ ・ アマを問わず野球の歴史資
料から話題性の高い資料を数多く収蔵・展示。収蔵品は実物及び
写真を含め約4万点、又、野球その他のスポーツ関連図書を5万点
所蔵している日本で唯一の野球専門博物館です。常設展示コーナ
ーでは、日本での野球の歩みをたどることができます。

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「高校野球 100回目の夏」 特別展
全国高校野球選手権がこの夏、第100回の節目を迎えるのを記念
して、野球殿堂博物館で5月29日 (火) から9月30日 (日) まで、
「高校野球 100回目の夏」 と題した特別展が開催されています。

史上唯一の3連覇を成し遂げた中京商 (現中京大中京=愛知) の
優勝旗レプリカや、第61回大会 (1979年) で延長十八回の死闘
を演じた星稜高校 (石川) 対箕島高校 (和歌山) 戦の試合球など
歴史を感じさせる計84点や今回で3代目となる 「深紅の大優勝旗」
も初めて公開されていました。見ていてワクワクします。(笑)

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中京大中京 (愛知)、広島商 (広島)、松山商 (愛媛)、PL学園
(大阪) など各都道府県で全国高校野球選手権の最多出場校の
ユニホームや歴代優勝校の色紙 (箕島、横浜、池田など)、写真、
第1回大会出場記念メダルなども展示されています。 高校野球
ファンならずとも必見です。展示内風景。(下)

「第17回大会 (1931年) 優勝旗とユニホーム」 (上)
中京商 (現 ・ 中京大学附属中京高校) は、1931年 (昭和6年) の
第17 回大会決勝で嘉義農林 (台湾) をやぶり 、初出場、初優勝を
達成、32年、33年も優勝し、史上唯一の大会3 連覇を成し遂げま
した。33年の第19回大会準決勝対明石戦で延長25回を完投する
などエースとして連覇に貢献した吉田正男投手着用のユニホーム。

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「ポスター」
大会開催を知らせるポスターも展示されていました。中京大中京
高等学校や甲子園歴史館より借用された歴史を感じされるポス
ターもあり感慨深いものがあります。

「第29回大会ポスターと第30回大会ポウター」 (上左)
第29回大会 (1947年) の優勝は小倉中。エース福島一雄投手が
全5試合完投、九州勢の初優勝でした。(左側) 第30回大会は、
学制改革により大会名称が 「中等学校」 から 「高等学校」 に変更。
小倉が大会2連覇。福島一雄投手が5試合完封勝利と大活躍した。
「第20回大会ポウターと第30回大会ポスター」 (上右)
第20回大会 (1934年) の優勝は呉港中。エース藤村富美男投手
(元阪神で1974年殿堂入り)。(上側) 第30回大会の珍しい横向
きのポスター。(下側)
「第100回 (2018年) 大会ポスター」 (下左)
あいがとう!夏100回、これからもという今年お馴染みのポスター。
今年は100回大会、さらには平成最後の大会と、例年にも増して
盛り上がりを見せる夏。大阪桐蔭高校の史上初となる2度目の春
夏連覇でした。
「第58回 (1976年) 大会ポスター」 (下右)
第58回大会の優勝は桜美林。深紅の大優勝旗が60年ぶりに
東京へ帰ってきました。初出場の桜美林がPL学園相手に勝利。
校歌の歌詞の中に 「YES、YES、YES と叫ぼうよ~」 という当時
としては斬新なフレーズが甲子園に高らかに鳴り響いたという。

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会場内には様々な貴重資料がガラスケースに納めて展示されて
います。高校野球ファンなら誰しもがワクワクするような要素が
いっぱいつまっています。

「山田哲人選手着用ユニホーム ・ 小笠原槙之助選手グラブ ・
平沢大河選手使用バット ・ オコエ瑠偉選手ユニホーム」 
(左)
履正社高等学校の山田人選手 (現ヤクルト) は、第92回大会に
出場し、2回戦でホームランを放ったがチームは敗退。東海大相模
の小笠原槙之助選手 (現中日) は、第97回に出場、決勝で勝ち
越し本塁打を放って優勝。仙台育英の平沢大河選手 (現ロッテ)
は第97回に出場、3本塁打を放つも東海大相模に敗れた。関東
第一高のオコエ瑠偉選手 (現楽天) は、第97回1回戦で49年
ぶりに1イニング2本の三塁打と活躍も敗退。
「朝鮮や満州選手関連の資料」 (右)
第12回大会で、8強入りした京城中の選手たちと朝鮮大会の観衆
の写真や準優勝した大連商の選手の写真などが展示されています。
朝鮮は第7回から第26回まで参加。満州は第12回に準優勝とか。
大正15年当時は満州でも予選大会が行われていたんですね。へ~

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「第1回大会 (1915年) 参加章メダル」 (左)
第1回大会に参加した全選手に配布されたもの。この年は雨が多く、
準決勝の和歌山中(現・桐蔭)と京都二中(現・鳥羽)の対戦が1-1
で迎えた9回裏に降雨ノーゲーム (再試合の結果、京都二中勝利)
になるなど、天候の影響を受けた大会だったようです。

「第1回大会の広島中 (現・国奏寺) ユニホーム ・ 鳥取中 (現 ・ 鳥
取西) ユニホーム ・ 第1回全国野球大会記録等」
 (右)
記念すべき第1回大会(1915年)の開幕試合は、鳥取中と広島中が
対戦。鳥取県の鳥取中と島根県の大社中(現・大社)との山陰代表戦
は、応援の過熱からいずれかでの開催は危険との判断により、全国
大会と同じ豊中球場で開催。鳥取中はそれを制して出場だったとか。
広島中は広島商を破り、山陽代表として出場。鳥取中との開幕戦は
打撃戦となり、広島中は11点差の9 回に大会第1号となる本塁打
などで4点を取る粘りを見せたものの、打ち合いを制した鳥取中が
14-7で記念すべき大会勝利を飾ったようです。高校野球100年
となった2015年の第97回大会開会式のために復刻されたユニホ
ームのようです。「RIJO」は、広島城の別称 「鯉城」 を表すようです。
他に「第1回全国野球大会記録」。これは大会や予選のほか、大会
前の茶話会、各校にまつわるエピソードが記載されたもののようです。

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選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会の2大
会を総称して 「甲子園」 と呼びます。通常、新入学生 (1年生)
の選手は夏の大会のみしか出場できない(春の大会は新学期
の2年生、3年生の選手のみとなる) ため、甲子園出場のチャン
スは3年間で最大5回になります。夏の甲子園は、毎年8月に開
催され、各都道府県1校ずつ、北海道の場合は南北海道 ・ 北
北海道の2校、東京都の場合は東東京 ・ 西東京の2校の合計
49校によるトーナメント大会。学生スポーツ最大の大会で、優
勝校には大深紅旗が贈られます。夏は朝日新聞社主催です。

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「大優勝旗」
大正4年 (1915) の第1回から第100 回までの歴史をたどる特別
展 「高校野球 100回目の夏」 の目玉はやはり 「深紅の大優勝旗」。
第100回全国高等学校野球選手権記念大会の開催に合わせて、
「深紅の大優勝旗」 が新調されたようです。今回、新調される優勝
旗が三代目となります。 この三代目になる優勝旗と、第40回大会
(1958年) から使用されている現在の優勝旗 (二代目) も野球
殿堂ホールにて展示されていました。「これが全国の球児が目指
す優勝旗か」。その存在の偉大さに、心が打たれました。優勝当
事者以外にまじかで見ることが出来ないので貴重な体験です。

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「二代目の大優勝旗」
大優勝旗は、1915年に選手権大会の前身 「全国中等学校優勝
野球大会」 が始まるにあたり制作されました。しなやかな風合いの
「綾錦 (あやにしき) 織り」 で織られたが、選手らが金糸や生地の
糸をお守り代わりに引き抜いたり、汗や泥がついたままほおずり
したりしたため傷みが激しくなり、58年の第40回記念大会で2代
目が新調されました。山口代表の柳井高校が受け取りました。
よく見ると、黒ずんでいるところやほつれているところもあって、
60年の歴史を感じさせ、そこには数々のドラマがあったでしょう。

昨夏優勝の花咲徳栄高等学校 (埼玉) が手にし二代目の優勝旗。
全ての高校球児が憧れる 「深紅の大優勝旗」 は、重みがありますね。
優勝校には1年間保管され、後に返還されますが優勝の 「記念旗」、
つまりレプリカが授与されるらしいです。初代優勝旗は大阪にある
「中沢佐伯記念野球会館」 に保存されており、大会期間中は甲子
園球場内の 「甲子園歴史館」 で展示されるようです。気になった
のが、優勝旗に取り付ける優勝校名が書かれた長いリボン。正式
名は 「竿頭綬 (かんとうじゅ)」 というそうです。(下左) 第4 回大
会 (大正7年) は米騒動のため中止と記載されてます ? (下右)

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新調された 「三代目大優勝旗」
大優勝旗は縦120センチ、横150センチ。重さはポールの部分を
あわせると約10キロある。ハトと月桂樹の絵柄に 「優勝」 の文字
が金色に輝き、下部にはラテン語で 「VICTORIBUS PALMAE
(勝者に栄光あれ)」 という文字が織り込まれています。先代と同じ
西陣織の 「つづれ織り」 の技術で織られ、制作には1年2カ月か
かったようです。制作費は約1200万円。大優勝旗を前にして、
この旗が、将来の高校球児たちのはつらつとした活躍により、
伝統の重みを引き継いでもらうことを願います。

今年は100回大会、さらには平成最後の大会と、例年にも増し
て盛り上がりを見せた夏。1日1000回のスイング、毎朝お弁当
をつくり続けたお母さん、仲間のため叩き続けた太鼓。甲子園
に出場できるのは、わずか1%強の高校のみ。ほとんどの高校
が夢叶わず、夏が終わります。しかし、全力で戦ったからこそ、
敗れた球児も賞賛されるのが、高校野球の魅力だと思います。

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夢の甲子園をつかむため、全ての時間を 「野球」 にささげてきた
球児たち。その夢が閉ざされた時がありました。第4 回大会が中
止に追い込まれました。当時は中等学校野球大会でした。

いまから百年前の1918年の第4回大会が中止になったのは 「米
騒動」 によるものでした。米騒動の騒ぎのもとは富山で起こります。
当時、米の値段が異様に高くなっており、社会問題とされていた。
東京行きの貨車に米が積み込まれていると聞いた民衆二千人が
駅に殺到し、富山の騒動と米価の高騰ぶは止まず。やがて関西
でも、京都から始まり大阪、神戸と広がった大暴動は、警察や軍
隊をものともせずに破壊を続け、無政府状態を作り出しました。
この状態で全国野球大会の開催は出来ないと、開会式直前に
中止となったのです。その翌年に開催された第5回大会は、地元
の神戸一中 (現 ・ 神戸) がスイスイと勝ち進んで優勝したという。
地元 ・ 兵庫県勢として初優勝を果たした偉業を讃え、同時にス
タンドの大観衆へのサービスも兼ねて、この年から閉会式のトリ
を飾る場内一周の優勝行進が行われるようになったのですが、
それを拒否したのです。その理由は神戸一中ナインいわく 「我
々は母校のために頑張ったのだ。見世物じゃない」 と。“文武両
道” のバンカラ気風が横溢した時代を反映したものだったという。

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「優勝盾」
毎回、優勝校に贈られるのは深紅の 「優勝旗」 だけではありません。
「優勝盾」 もあります。 優勝旗は翌年に返さないといけませんが、
優勝盾は優勝校が持ち続けます。盾は毎年違うデザインのものが
製作されます。選手たちが勝利の喜びを分かち合うひとコマです。
上と下の写真を見比べて分かりますが、わずかな角度の違いで
印象が変わるんですね。選手そのものを描くことでチームという
大きな一つの命を表現している感じがしますね。素晴らしいです。

「第91回 (2009年) 「優勝盾」 中京大中京」 
決勝で、中京大中京6点リードの9 回裏2死走者なしから、日本文理
(新潟) が5点を追い上げる猛攻を見せ、あと一歩のところまで追い
つめるも、結果は10-9で中京大中京が逃げ切り、史上最多の7度
目の夏の全国制覇を達成しました。

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「優勝記念サイン色紙」
甲子園を沸かせた優勝校の選手の直筆サイン色紙も展示されて
ました。優勝記念の寄せ書きみたいなものでしょうか。年月が経つ
とその重みが感じ取れます。懐かしい選手のサインもありました。

「第48回・53回・56回・57回・58回・61回大会サイン色紙」 (上)
上の写真は上段左から、第48 回 (1966年) 中京商、第56 回
(1974年) 銚子商、第58 回 (1976年) 桜美林のサイン色紙。
下の段は左から、第53 回 (1971年) 桐蔭学園、第57 回 (19
75年) 習志野、第61回 (1979年) 箕島のサイン色紙です。
「第65回 (1983年) PL学園」 (下左)
1年生のKKコンビの活躍により5年ぶり2度目の優勝。あの桑田
真澄 (巨人) 選手と清原和博選手が甲子園を湧かせました。桑田
選手は下段中ほどに、清原選手のサインは上段左端にありました。
「第54回 (1972年) 津久見、第63回 (1981年) 報徳学園」 (下右)
津久見は7度目の出場にして初優勝を果たした。(左側) 報徳学園
も7度目の出場で初優勝。金村義明 (近鉄他) が活躍した。(右側)

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「歴史パネル」
大正4年(1915)、大阪朝日新聞の主催で「第1回全国中中等学校
優勝野球大会」が大阪・豊中球場で開催。年々多くのファンを集める
ようになり1917年の第3回大会から兵庫・鳴尾球場へと移り、第10
回(1924)大会から兵庫・甲子園球場がその舞台となりました。歴史
を飾る優勝校をパネルで紹介していました。

「第1回~10 回大会 (1915~1924)」 (上)
第1回大会は予選に73校が参加し、本大会は10校が出場。京都二
中が決勝で延長の末、秋田中 (東北秋田) に勝利。初の栄光に輝く。
今年の夏の甲子園で、秋田の金足農業が100年目の思いを決勝で
戦ったのも、第1回の優勝争いをしたためなんですね。
黒い部分は第4回大会 (1918年)。米騒動のため、大会中止。
「第80回大会 (1998年) 横浜 (神奈川)」 (下左)
史上最多の55代表が出場。横浜の松坂大輔選手 (現 ・ 中日) が
決勝で無安打無得点試合を記録。史上5校目の春夏連覇を達成した。
「第88回大会 (2006年) 早稲田実 (西東京)」 (下右)
早稲田実の斎藤佑樹投手と駒大苫小牧の田中翔太の両エースが決勝
で対決。延長15回引き分け再試合となり、翌日、早実が4-3で初優勝。
後に早稲田実業に進学する清宮幸太郎 (現 ・ 日本ハムファイターズ)
が野球を始める契機となった試合だったようです。

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「各都道府県 最多出場校ユニフォーム」
47都道府県それぞれの最多出場校の本物のユニホーム。全国最
多38回の出場を誇る北海 (南北海道) や、2016年の地方大会を
最後に休部したPL学園 (大阪) のほか、早稲田実 (西東京)、
横浜 (神奈川)、星稜 (石川) など、各校の各都道府県の最多出
場校のユニフォームを一堂に展示しています。最多出場校が同数
の場合は、甲子園での勝利数の多い学校を展示しているようです。

ユニフォームといえば、高校野球の魅力のひとつのようです。
なにかと制限が多い高校野球のユニフォームですが、その制限の
なかで個性的なデザインにしているチームや、名門らしく古くから
受け継がれてきたデザインのユニフォーム。甲子園に出場する際
にデザインを新調するチームもあるようです。そのユニフォーム姿
に憧れて、高校を選ぶ中学生もいるとか。制服の可愛さで高校を
選ぶ女子中学生のように・・・・。

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「中越 (新潟)、松商学 (長野)、高岡商 (富山)、星稜 (石川) の
ユニホーム」
 (上) 左から紹介します。

「中越高校」 のユニフォームは、グレーのシャツにネイビーの縁取り
刺繍。アルファベットの 「CHUETSU」 の文字は太めのゴシック体。
甲子園に出る度にストッキングの赤色のラインを増やすようです。
「松商学園」 は、マーク地も、縁取りも、ラインも、アンダーシャツも
黒です。左袖の校章の部分だけ、学校のカラーであるグリーンが
使われています。右袖の 「松商學園」 は学校ロゴにもなっている。
「高岡商」 のユニフォームは、クリムゾンレッドとゴールドが特徴で、
左袖の校章にもゴールド糸が使われワッペンではなく、直刺です。
全胸マークの書体は早稲田型という感じですね。出場回数18回。
「星稜高」 は、言わずと知れた超名門校。クリーム色の上下に青
い帽子のカラフルなユニフォームは、1度見れば忘れられないイ
ンパクトがあります。袖に学校法人稲置学園のマークが入ってい
ます。キャップの 「星」 の文字をあしらったデザインも個性的で、
覚えやすいユニフォームだと思います。松井秀喜選手出身校。

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ユニフォームに詰まった歴史を感じながら見る甲子園もなかなか面
白いです。近年は胸の校名が刺繍か昇華プリントもあるようです。

「天理 (奈良) ・智弁 (和歌山) のユニフォーム 」 (左)
「天理高」 の紫の野球帽を被り、大きな 「天理」 の二文字の入った
ユニフォームを着て甲子園を目指したいという関西圏の有望選手は
多いという。左袖には梅の花をかたどった天理のマークと、「奈良」
の文字が刺繍で入っています。奈良の古豪、最後の優勝は1997年
の春、以来優勝がありません。出場回数28回、2度目の全国制覇。
「智弁学園」 和歌山県代表、おなじみ智弁学園和歌山高校のユニ
フォームといえば 「智辯レッド」 ですね。アンダーシャツやストッキン
グも赤色で統一されたデザインは、野球ファンでなくとも一度見たら
覚えてしまったという方も多いことでしょう。天理高が一時代を築く
前、この地域において強豪といえばこの智弁学園だったという。

「早稲田実 (東京) ・ 横浜 (神奈川)」 (右)
「早稲田実」 は、春夏1回ずつの全国優勝を誇る名門、ご存じ早実
です。早稲田大の系属校なのでユニフォームも白と臙脂の早稲田
スタイル、左袖にBの文字が入っている。「WASEDAなのにB?」 と
疑問に思うが、これは実業 (Business ) の 「B」 を表すようです。
「横浜高校」 といえば松坂大輔投手、筒香嘉智選手をはじめ数々
のプロ野球選手を輩出する、高校野球の超名門校。グレーの地に
「YOKOHAMA」 の文字はネイビーの縁取り刺繍です。左袖の校
章ワッペンも刺繍です。このユニフォームを何度も目にしたことの
ある方が多いことでしょう。出場回数17回、2度の優勝を誇る。

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「甲子園の土」
3年生部員にとってこの大会の決勝以外で負けると高校野球生活
が終わるという意味をこめて 「夏が終わる」 と表現されるようです。
大会途中で敗退したチームが、試合終了直後に甲子園の土を拾
い集める光景はよく見かけます。優勝 ・ 準優勝校は試合終了直
後に土を拾い集められないことで閉会式終了時で中継が終了す
るため、大会途中で敗退したチームのみが行うものと誤解されて
いる場合もあるようですが、実際には優勝 ・ 準優勝校も閉会式
や記念写真撮影、インタビュー終了後、グラウンドから去る寸前
に土を拾っているそうです。また1、2年生の中には、もう一度戻
ってくるという意味を込めて持ち帰らない者もいるようです。

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「高校野球 100回目の夏」 特別展の後は、「常設展示コーナー」
や 「野球殿堂コーナー」 を見学。こちらの 「野球殿堂コーナー」 で
は、現在にいたるまでの日本の野球界の発展に大きく貢献した人
物たちの功績をたたえた肖像レリーフが展示されています。(上)

今年1月に亡くんった星野仙一さんのユニホームと色紙が展示され
ていました。(下左) 星野仙一氏は、中日・阪神・楽天の監督を務め、
北京オリンピック野球日本代表の監督も務めました。死去まで楽天
の球団取締役副会長を務めていました。 色紙には 「夢」 という文字。
また平成30年野球殿堂入りした松井秀喜氏、金本知憲氏、原辰徳
氏のユニホームやバット等も展示されていました。(下右)

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高校野球にどういったイメージをお持ちだろうか。「爽やか」 とか、
「青春」 とか、「清清しさ」 といった清廉潔白なイメージを持ってい
る人が多いのではないでしょうか。確かに、グラウンド上の彼らは
眩しさすら感じるほどに、爽やかに、そして全力に泥臭く、一瞬一
瞬の時間に全力を掛けている。その全力のプレーに胸を打たれ、
野球ファンを辞められないという人も大勢いるのだと思います。

憧れの優勝旗を目指した球児。まるで自分のことのように地元の
代表校を応援した人、優勝旗には、一人一人の思い出が刻まれ
ています。今大会の選手宣誓。近江高校の中尾雄斗主将の言葉
です。「私達はいま、100回という長く、重みのある歴史の上に立
っています。甲子園は勇気、希望を与え、日本を平和にしてきた
証しです。私たち選手一同は、多くの人々に笑顔と感動を与えら
れる、最も熱い、本気の夏にすることを誓います」。今大会でも諦
めない、ひたむきなプレーが笑顔と感動を与えてくれました。その
姿から、新たな優勝旗にもこれまでに負けない歴史が刻まれて
いくことを確信しました。多くの球児が目指し、数々の名勝負を
生んだ 「深紅の大優勝旗」。その特別展は見応えがありました。





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