一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。







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「悲しきかな児童虐待」

...2017/09/24 08:27...

23日(土) は、秋分の日でした。
昼と夜がほぼ同じ長さになる日といわれており、
この日の前後7日間が 「秋の彼岸」 となります。

「暑さ寒さも彼岸まで」
春ならば余寒の寒さも薄らぎ春らしくなり、
秋ならば残暑もしのぎやすくなる時期であると
昔から言い習わされて来た言葉です。やはり、
「暑さ寒さも彼岸まで」 なのでしょうか。
今朝の東京は、いくぶん涼しいくらいです。

彼岸には、お墓参りに行く風習があります。
実は、春分と秋分の太陽に関係があるようです。
仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界
を 「彼岸」 といい、その反対側の私達がいる
世界を 「此岸 (しがん)」 といいます。

そして、彼岸は西に此岸は東にあるとされており、
太陽が真東から昇って真西に沈む秋分と春分は、
彼岸と此岸がもっとも通じやすくなると考え、
先祖供養をするようになったといいます。

迷い、悩み、煩悩に惑わされている人間が、
悟りの世界と通じるときですから、暑さ寒さや
それに伴う様々なつらさも、彼岸のころには
和らいで楽になると考え、励まされていたのでしょう。
自然に寄り添う暮らしの中で、「暑さ寒さも彼岸まで」
という言葉の深さが身に沁みますね。

昔と比べて気候が変化しており、従来の季節感
とのずれを実感することが多くなりました。
秋の夜長に・・・・・って昔の人が言ったとおり、
これから良い季節を満喫したいものです。


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「悲しきかな児童虐待」

「私達はこれほど子どもをかわいがる人々を
見たことがない」。幕末から明治に来日した欧米人の
多くが驚いたという。 大人たちがいつも子どもを抱き、
背負い、遊び、連れ歩き、 玩具を与えていた。
他人の子も愛情をもって世話をする。

夜、家の中で親子がむつみ合っているのを見て、
親の愛情の細やかさに感心したという。日本を訪れて
の欧米人の感想である。貧しい時代だから悲惨な境遇
の子も多かったはずだ。 だが、大人が手をかけて大事
に子どもを育てている。大人たちの子どもへのまなざし
の優しさは、欧米人の心に深く刻まれたのだろう。

時は流れ、人の暮らしは変わっても、そのまなざしだけは
残っていると思っていたい。だが、それにしては耳をふさぎ
たくなる児童虐待が増える一方だというのはどうしたことだろう。
子どもは泣くのが仕事。手がかかり、うるさいし、それが当たり前。
そんなことは誰でも分かっているはず。
親を選べず、事件に巻き込まれた子どもだけが災難だ。

先日、知人が虐待のあった裁判を傍聴して来たという。
普段、裁判なんて無縁な私たちだ。興味をもって話を
聞いた。裁判の傍聴は特定の方たちだけかと思って
いたが、実は誰でも傍聴できるようだ。

シーンと静まり返った部屋で、裁判長の声が響く。
被告人の声が低く重くのしかかる。咳をするのさえ憚れる
緊張の連続だという。いつもテレビで見るドラマのシーン
とは違う感想を持ったようだ。

私たちは、事件が起こるたびに、その後の様子や
なぜ起きたかほどんと知らずに過ごしてしまうものだ。
我が子を虐待し続け、あげくに死なせた事件である。
全容が明らかになるに従って怒りがこみ上げてきた。
普通の神経ではとても考えられないような所業である。
体が震えたと言う。

子殺しは決して現在特有な事象ではない。
確かに昔もあった。しかし、その理由はずいぶんと
変わってきた。うるさいから、邪魔だからといった
ほとんどおもちゃを壊すがごとき安易さである。
親が子どものままなのだ。

現代の育児事情は母親の比重が高く、夫の帰りが
遅かったり核家族や実家から離れていたりと、一人で
育児の決断の連続をしのいでいることが多いとも聞く。
毎日緊張を強いられ、母性が伸び花開いていくという
理想とかけ離れた状態にあるのだろう。
その中で心がぽきんと折れることも、子どもに
愛情がむかない時もあるかもしれない。

この状態の母親なら救いを求める力さえ残っていません。
そのタイミングで誰かに声をかけてもらって救われること
もあるし、手を差しのべられれば張りつめていた糸を
緩めることもできるのに。その時に誰かがいたら、
事件は子どもの未来も変わっていたかも知れない。

人の寿命は今85歳くらいだろうか。
わずか15年間、子育てに時間を費やすだけだ。
いい子に育てば、一人でも自立して生きていくものです。
子どもの泣き声が聞こえると気になるのは母親だけではあるまい。
救える命を優しい大人のまなざしで包んであげられぬようでは、
世界一の子ども好きと目されたご先祖様に恥ずかしい。 

周囲に 「お母さんが好き」 と話していた女の子。
その母親の手で短い人生を絶たれた日は誕生日だった。
どんなに虐待されようと子どもは、親が大好きなのである。
子どものこの気持ちが、いつ親に届くのだろうか。

子どもと言えども、「命」 大事だよね!

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特別展 「深海2017」  国立科学博物館
  ~最深研究でせまる ”生命” と ”地球” ~

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7月から始まった国立科学博物館の特別展 「深海2017~最深
研究でせまる ”生命” と ”地球” ~」 に行ってきました。 深海展と
いえば、ダイオウイカブームが最高潮に達した2013年の夏に行
われたことを記憶の方も多いのではないでしょうか。あのときは
「イカ大王」 なる謎キャラまで登場し、展覧会は大いに盛り上がり
ました。 今回も混雑すること間違いなし、時期を見計らってやっと
行って来ました。深海のさまざまな魅力が伝わる充実ぶりでした。

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特別展 「深海2017」 は50万人目の来場者を迎えたという人気。
夏休み中は凄い人出だろうとジッと我慢の子でした。(笑) チケッ
ト購入も混雑するだろうと上野駅構内の売り場で購入。(下右) 
会場ではチケット売り場に行列が出来て時間がかかりそうでした。
案外、上野駅構内のチケット売り場は知らない人が多いですね。

「国立科学博物館」
湯島聖堂内に博物館を設立したことに起源をもつ国立科学博物館
は明治10年 (1877) に創立された日本で最も歴史のある博物館
の一つで、国立の唯一の総合科学博物館です。自然史および科
学技術史研究機関として活動しており、452万点を超える貴重な
コレクションを保管しています。今年で140年を迎えます。

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会場に入るとまず感動するのがこちらのゲートです。深海展らしく、
こんな入口です。これから深海の世界へと潜っていくのだと実感し
ます。本来なら人間が足を踏み入れてはならない場所・・・・。この
一文でワクワク。ミステリアスで楽しみです。

深海と私たちの生活を結び付けて考えることは難しく思えるが、
実際は密接に関係しています。地球の中心部に一番近いのが深海だ。
深海を調べることは、地球生命のすべてを知る手掛かりとなる。深海の
生物にとどまらず、海底資源や生命の起源もわかります。いわば深海
にはお宝が埋まっているのです。現在、深海を調査することの重要性
が広く知られるようになり、その謎を解き明かすために様々な取り組み
が進められているようです。

特別展 「深海2017 ~最深研究でせまる “生命” と“ 地球” ~」
会期    :   2017年7月11日 (火)~10月1日 (日)
会場    :   国立科学博物館 (東京 ・ 上野公園)
開館時間 :   午前9時~午後5時 ※金・土曜日は午後8時まで
入場料   :   一般 ・ 大学生 1,600円、小・中・高校生 600円、

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「深海ってどんなところ?」
水圧は、10m もぐるごとに1気圧ずつ増えます。水深1000mで、
約101気圧、水深6500m では約651気圧で、1cm2 に約650kg
の力がかかります。例えると、小指の先にお相撲さん約4人が乗っ
かるほどの圧力となります。深海はとても寒い世界です。深海の温
度 (水温) は水深約1000m で2~4℃ となり、それより深い海で
もほぼ一定です。深海は太陽の光が届かない暗黒の世界です。
太陽の光は、水深200m 程度で海面の0.1%になり、水深1000
m 前後では100兆分の1程度のわずかな光になります。これは生
物が検知できる光の限界だとされています。その先は、完全な
「暗黒の世界」 です。

こちらは世界の深海底泥や砂などの堆積物。(上右) 色や粒の大
きさが場所によってこんなにも違うなんて、海はつながっているのに
不思議ですね。深海にはどれほどの圧力がかかるのかを分かりや
すく表現したのが、水圧でつぶれたカップ麺の容器やペタンコに潰
れた金属バットが展示されています。(下) 深海は冷たく暗いだけ
でなく、高圧な世界でもあるのです。

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「発光生物」 はなぜ光る?
生物が化学反応によって放つ光を「生物発光」 と呼ぶ。生物発光を
する生物は陸上から海の中まで)数万種にも及ぶが、とりわけ深海
の生物においては、90%以上の種が生物発光をするといわれる。
深海生物でも、ホタルのように発光を利用して雌雄が出会う例は知
られているが、それ以外の役割も数々の仮設として提唱されている。
発光によって攻める ・ 逃げる ・ 隠れることで生き延びてきた生物が
いる一方で、姿を隠した生物を見破るものまでいる。 深海生物は
生き残るために発光しているのです。

「4K超高感度深海カメラ」 (上左) 
ハイビジョンの4倍精細 (4K) で、通常のカメラと比べて600倍も高
感度。水深1000Mまで潜航可能、高性能ズームと首降り機能を駆
使して、深海生物の生きた姿や生物たちが放つわずかな光を克明
に捉え、深海の生物発光の研究に役立てます。
「チョウチンアンコウ」  (上右)
深海魚の中でも知名度が高い種のひとつ。チョウチンは獲物を誘う
ための誘引突起と先端の擬餌状体からなり、擬餌状体には発光細
菌が共生し、擬餌状体から延びる細かい枝の先端と根元が光ります。
発光で獲物に忍び寄る、おびき寄せるタイプ。
「コウモリダコ」  (下左)  
コウモリダコは、タコの祖先に近い 「生きた化石」。8本の腕は傘膜で
繋がっています。腕には吸盤のほかに触毛という柔らかい突起があ
り、吸盤から出す粘液でマリンスノーをまとめ、触毛で口に運びます。
ひれの後ろと両眼の間、腕の先端に発行器があり、そこから粘液状
の発光物質を放出します。
「クロカムリクラゲ」  (下右)
円錐状で高さ10 cm 程度の傘を持つクロカムリクラゲ。傘の内側が
黒いためにこの名前になりました。この黒い部分の内側に胃があり、
発光する動物を食べても光が外に漏れないようになっています。一
方、クラゲ自身は、何か刺激を受けると傘の表面から星屑のように
光り輝く青い粉を波状に発します。この光で相手を威嚇しているの
では? とも考えら れています。発光で逃げるタイプ。

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「水深ごとの深海生物図鑑」
ずらっと深海生物の標本が並ぶ 「水深ごとの深海生物図鑑」 は、
深さが変わると生物の種類や特徴が違い、比べてみるのも面白か
ったです。甲殻類、貝やナマコなどの海底生活者など、各種取り
揃えられていたのですが、なかでも奇妙なものがベニオオウミグ
モでした。 (上右) ほとんど脚ばっかりで、いったいどこが頭でど
こが胴体なのか。この前、ウミグモは 「脚呼吸」 するというニュー
スも報じられていました。実に不思議です。

「水深200~1000 m の上部漸深海帯中層の生物」 (上左)
生物の分布区分から 「上部漸深海帯」 と呼ばれ、太陽の光は深い
ほど水中に吸収され消失するが、この水深帯ではまだわずかに明
るさが残っています。弱い光を感知するため、巨大な眼をもった生
物がいます。赤い体色の動物が多いようです。
「水深1000~3000 m の下部漸深海帯 ・ 漸深層の生物」 (上右)
大陸棚から深海底へと続く大陸斜面の下層部分にあたり、生物の
分布区部では 「下部漸深海帯」 と呼ばれ、太陽の光は極めてわ
ずかしか届かず、水温も大きく低下します。表層からの有機物の
供給も乏しく、生物の種数や数は徐々に減少していきます。
「水深3000~6000 m の深海帯 ・ 深層の生物」 (下左)
大陸斜面が終わると、大洋低あるいは深海平原と呼ばれる平坦な
海底となります。地球全面積の半分以上を占める 「深海帯」 です。
太陽の光は全く届かず、眼を持たない種や体が白っぽい種が目立
つ。水温は1.5 ℃。環境の変化も乏しいので生物は種数少ない。
「水深6000 m 以上の超深海帯 ・ 超深層の生物」 (下右)
海溝の内部に相当し、「超深海帯」 と呼ばれる。タンパク質の構造を
変えるほどの凄まじい水圧などから、生物にとっては地球上における
極限の環境の一つです。しかし、海溝の最深部であろ10000 m を
越える海底にも生命が存在することが明らかになってきました。

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「発光生物シアター」
美しく光り輝く深海生物の最新映像と、映像に登場する深海生物
の標本が一緒に楽しめる 「発光生物シアター」。幻想的な空間に、
つい時間を忘れてしまう人も多かったです。 そのため混雑してた。

人間が到底生きていけない場所が、空、宇宙、そして深海です。
空や宇宙は見上げれば見える。はるか遠くの惑星ですら、天体望
遠鏡や人工衛星で詳しく見ることができるようになりました。しかし、
近くて遠い深海についてはわからないことも多く、それは13.5億
Km3 もある海水と、それが生み出す高圧、低温、暗闇が、人間の
立ち入りを阻んできたからです。深海の環境が、人間にとっていか
に過酷で高い壁であったわけです。

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「深海と生物、喰う ・ 喰われる」
深海は生物が生き延びるのが大変困難な領域です。ただでさえ食
べ物が少ない上に、暗闇で少ない獲物を探す難しさ、いつどこから
襲ってくるか分からない敵、深海での暮らしはきっと、私たちの想像
を絶するほど厳しいものです。そんな中で深海生物は、はるか昔か
ら、喰うために、喰われないために、さまざまな工夫や努力をしてき
ました。その積み重ねが今の深海生物を作り上げたのです。

「ミツクリザメ」   (上) 
獲物を襲う瞬間、あごが大きく前方に飛び出して獲物を捕らえます。
あごはその後もとの位置にきれいに収まります。歯の生え方も特徴
的で、口の内側に向かってはえるようです。一度くわえたら逃がさな
いような、フックの役目をしている。まるで喉から手が出ている感じ。
「ムラサキヌタウナギ」  (下左)
ムラサキヌタウナギは、なんと1 秒足らずの間に1 リットル弱の粘液
を放出して敵を退散させる 「スーパースライマー」。粘液には細かい
繊維が含まれているため、吸い込むと敵のエラが詰まってしまうそう
です。また、自分の体を結んで攻撃や防御をしたり、酸素がなくても
心臓が動いたりなど、とにかく驚きの生きものです。
「コンゴウアナゴ」   (下右)
深海にたくさん生息し、ふだんはサメや大きな魚に狙われる存在。
しかし、ひとたび死んだ動物や弱った動物を見つけると、すぐに
集まってきて集団で襲い架かる。サメなど硬い皮膚をもつ相手に
対しては、口やえら、傷口から侵入し、内側から内臓や筋肉を
食べつくします。深海底に沈んだクジラの死骸も食べるという。

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深海には、私たちの想像を超える巨大な生物が生息しています。
巨大化すると捕食者に襲われにくくなるといったメリットがある一方、
その巨大を維持するために非常に多くの食物を必要とします。

「ムラサキギンザメ」  (上) 
大きな胸びれで海底付近を優雅に舞う姿が人気のムラサキギンザメ。
ギンザメ類の特徴である板状にくっついた歯で貝類や甲殻類を食べ
ると言われています。くわえた魚が必死にもがいても放さない姿も見
られており、強いあごの力を持っているようです。見ると睨まれてい
る感じがして、思わず 「こっち見んな!」 と叫びたくなります。(笑)
「ユメザメ」   (下左) 
漆黒の体と大きな目が特徴のユメザメ。うろこ1枚1枚が大きく硬く、
敵に簡単に喰い破られない体表で、深海ザメのなかでも全長はさほ
ど大きくならないが、海底で活発に動き回り、獲物にしつこく食らい
つくハンターという。「夢」 とか言ってますが、かなり獰猛らしく、もし
出会えばその獲物は夢も未来も無くなるでしょう。目が完全に
やばい人のそれですよね。こわ!
「カグラザメ」   (下右)
世界中の深海に生息し、全長5mにも達する深海ザメ。夜行性で、
夜には海面近くまで上がってくることもあるようです。イカやタコ、硬骨
魚類から海生哺乳類まで何でも襲い、大きくなるとほかのサメをも餌
食っとしてしまう。まさにトップ・プレデター候補です。標本はなかった
のですが顎の骨がありました。強そう。

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「南極」
南極の大陸と海は、南極大陸を中心に時計回りに周回する 「南極
周極流」 と呼ばれる大規模な海流に取り囲まれることによって寒冷
な環境が保たれ、冬季には海氷が南極海を埋め尽くし、夏季には
その80%以上が消失する。海水の中には微小な動物や植物が高
密度で生息しており、これらの生物は、海水中に放出され、生態系
に取り込まれ、その影響は深海まで及びます。

「南極の海氷」   (上左)  
なんと、会場には南極の氷が展示されていました。普通の氷のように
見えるかもしれませんが、この氷にも含まれている豊富な栄養分が
南極海の生態系を支えているのだと思うと、壮大な気分に浸れます。
この中の微生物が春先から夏にかけて海水に溶け出し、深海生物
に影響を与えるそうです。
「堆積物」    (上右)
堆積物の中には、化石や風で運ばれた粒子が多く、100年で0.5cm
程度と南大洋と比べて非常に襲い速度で堆積するようです。堆積物の
ほとんどが珪藻で、珪藻がいかに大量に生産されているかを物語ます。
「オオオボロハダカ&タコウカイネン属の1種」  (下左) 
アジの開きと松ぼっくりをホルマリンに浸けたのか~と、思いきやこれは
オオオボロハダカ&タコウカイネン属の1種何だそうです。 面白いほど
いろんな種類の生物がいるんですね。南極のような極地では巨大化す
る生物もいるんだとか。原因は不明で 「ポーラー・ジャイガンティズム」
と呼ばれています。

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「巨大生物」
深海域は、沿岸域や淡水域に比べると圧倒的に広く、さらに調査
の手が届きにくいため、巨大な生物がひそんでいるのではという
気持ちにさせます。そんな期待を裏切らず、全長7 mを越える深
海ザメや触腕を含めると18 mに達する特大イカなど、広く深い
海では多くの巨大生物が確認されています。

「キタノクロダラ」  (上)  
全長1mを越え、体重も10kを越える深海の大型捕食硬骨魚類。
名前のとおり、日本では相模湾以北で生息すると言われたが、駿
河湾でも確認されたようです。やや干からびた印象。陸に上がっ
たせいもあるかもしれませんが、だいぶ老けた気がします。花金
のサラリーマンのような目をしていました。飲みすぎたのかな?
「オンデンザメ」  (下左)  
巨大深海ザメを代表する種のひとつ。皮膚は柔軟、背びれや胸び
れが小さく、小さい口と大きな口腔を利用して、獲物を吸い込んで
食べる。おもに低生魚類や無脊椎動物、海底の大型哺乳類の死
骸を捕食します。映像も迫力満点なので、写真に収めようと四苦
八苦している姿もちらほら。うおっ、でけえ・・・・・という感じでした。
「ソコボウズ」   (下右)
水深2000mを越えると、サメは少なくなります。その世界を我がも
の顔でくらすのがソコボウズ。海底の甲殻類や多毛類のほかイカや
魚も捕食することが知られ、広い食性をもつようです。無駄に美肌。
でも顔は完全にやばい酔い方をしています。

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やっぱり今回も深海生物のメインコンテンツは、世界最大の無脊椎
動物 「ダイオウイカ」 です。左側にスルメイカの標本が展示されて
いるのですが、スルメイカとダイオウイカのサイズ差がすごすぎて、
つい笑ってしまいました。同じイカとは思えません。とにかくデカイ。
こんなスルメじゃ気軽に肴にして一杯飲めません。(笑)

伝説の怪物 「ダイオウイカ」   (上) 
4 年前の 「深海2013」 で目玉だったダイオウイカ実物標本は、
今回は縦に展示。実物大の模型も展示されていました。(下左)
最大の記録は全長18 m に達し、「海の魔物」 として恐れられてき
ました。世界最長の無脊椎動物で、とくに獲物を捕らえる際に使う
触腕が長い。ほかの深海性のイカ類と同様に体にアンモニアを含
むことで、浮力を得ている。巨体の重さを水中でゼロに近づけ、エ
ネルギーの浪費を抑えて活発に泳ぐようです。2012年に世界で
初めてNHK取材班がダイオウイカの生きている姿を深海で撮影
に成功。特別に準備されたNHKの 「4 Kシアター」 で特大映像も
上映されていました。これぞ深海のロマンだ。でっけえええええ!
「ダイオウホウズキイカの腕」  (下右)
ダイオウイカより重さで上回るダイオウホウズキイカが登場。
南極海にすみ、成体全身標本は世界に3体しかないというレア生
物ということで、ここでは腕だけの貴重な標本です。博物館に保管
されている標本数も少ない幻のイカは、極地の深海に生息してい
るとのこと。極地の深海世界には、沢山の謎が眠っていそうです。
大英自然博物館より借りられた貴重な展示物です。

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「超深海の生き物たち」
深海の中でも6000mより深いところは「超深海」 と呼ばれます。
超深海は、奈落の底ですから、食べるものが少ない貧しい場所と思
われていました。しかし、超深海では、海底のがけ崩れなどによって
もたらされた栄養を使う独自の生命圏の姿が見え始めました。深海
の中でもより過酷な極限環境に生きる生物の驚くべき生態。超深海
で暮らす生き物たちの標本もありました。

「マリアナスネイルフィッシュ」  (上)
マリアナ海溝の8178mで、世界最深の魚類として撮影に成功、しか
も驚くべきことに、今回の調査ではマリアナスネイルフィッシュを捕獲
することにも成功し、その生態の一部が判明したとのこと。マリアナス
ネイルフィッシュの身体は普通の魚とは異なり、ゼラチンのような物質
で覆われています。超深海でも生きることができる秘密はTMAOとい
う物質にあるといいます。通常、水圧の高い深海の場合、生物を構成
しているたんぱく質が水分子に圧迫されてうまく機能しなくなってしまい
ます。しかし、このTMAOが体組織に多く含まれていると、水分子と結
合することで圧迫を防ぐことができるため、たんぱく質が機能停止する
ことなく深海でも生きることができるのです。8000mで生きる魚です。
「ヘイトウシンカイヒバリガイ (中央)」  (下左)
湧水域や熱水域に生息する二枚貝。浅海のイガイから沈木や生物の
遺骸を介して深海へ進出してきたと考えられています。エラの細胞内
にメタン酸化細菌を共生させて、栄養をもらって生きているようです。
「カイコウオオソコエビ」  (下右)
最も深くまで分布する生物のひとつ。魚をエサにすると大量に集まっ
てくる。植物のセルローズを消化できる酵素を持つことから、海底に
落ちてきた木なども食べることができると考えられています。

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水深1万mを越える最深部は、1000気圧に耐えなくてはなりません。
そんな過酷な超深海を調査観測するには、ランチャー/ピークル方
式の新しいタイプの探査機が必要になります。4KカメラやHDカメラ
を搭乗した高速大容量光通信装置を通して、ランチャー経由で鮮明
な4K映像を船上に送ることが出来る無人探査機が開発されました。
これによって8000以上で生息する魚を発見できたのです。

「無人深海探査機 ・ 江戸っ子1号」 (上)
無人深海探査機 「江戸っ子1号」 は、東京都と千葉県の町工場が
中心となり、研究機関、大学、企業などが共同開発された探査機で
す。おもりをつけて海中を降下させ、3個のガラス球の浮力で浮き
上がらせる構造。強い圧力がかかる深海では、ガラズ球が圧力に
耐えきれず砕けてしまう状態でしたが、1万2000mの耐圧試験に
成功し、実用化されたようです。日本海溝の水深約7800m付近
において、ハイビジョンカメラで生物の撮影に成功、今後の活躍
に期待されています。
「フルデプスミニランダー」  (下)
このランダーは従来のものよりコンパクトに作られ、1万mを越える
海底でも撮影や観測が行えるよう、浮力やガラス球などには、高圧
に耐えられる特殊品が使用されています。ライトは小型で安価にす
るために研究者の手作りのようです。カメラをはじめとする電子部品
はガラス球の中に組み込まれ、超深海の生物などを撮影できます。
水温・塩分・水圧を記録する装置も搭乗されています。

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この展示会は、土日・祭日は大混雑のために特別展入口付近で
整理券を配布する程の大混雑です。2~3時間は当たり前。チケ
ット持ってない人はさらにチケット行列で並びます。50万人もの人
が押し寄せたらそうなるわなぁ。(笑) やっと会場に入っても最初
のコーナー 「深海とは」 で深海に関する基礎知識を一通りやった
あと、次のゾーンで深海生物の展示が始まります。多くの人が深
海生物を見るために足を止めるので、全体を通じて深海生物ゾー
ンが一番混んでました。前回の 「深海展2013」 では 「深海の基
礎知識」 → 「深海探査艇」 → 「深海生物」 という流れだったので、
それに比べると前半に負荷が集中してる気がします。もっとも会場
の間取りは今回のほうが広めにとられてるようですし、前回の激混
みに比べたらそれなりに身動きが取れました。

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「生命の起源」  (上)
深海がなぜ 「生命起源」 と関係あるのかというと、深海底の熱水噴
出孔で生命が生まれたという深海熱水起源説です。深海底で熱水
が湧き出るところには、煙突のような岩ができます。原始生命が必
要とするエネルギー源 (水素や硫化水素などの還元物質) を持続
的に供給できる場として有力のようです。これがチムニーの再現模
型。(上左) チムニーはさまざまな生物のエネルギー源となるため、
写真では右下のハオリムシやオハラエビなどが密集していることが
多いようです。「コマチアイト」 35億年の海底で噴出した高温のマ
グマが冷え固まった岩石。原始生命のエネルギー源となる水素を
大量に放出しています。(上右)

「日本海の深海生物図鑑」  (下)
氷期の環境変化により、何度か大規模な絶命を繰り返してきた結果、
現在の日本海の深海性動物の多様性は非常に低く、また深海域を
特徴づけるような生物が見られないことや、他の海域の近縁種集団
に比べて、生息密度が高く水深分布範囲が広い特徴のようです。
ズワイガニ、トゲザコエビ等の他、貝類が多く展示されていました。

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「深海と巨大災害」
3 ・ 11 の大地震、東北地方太平洋沖地震の研究成果を中心に展
示しています。ここからは着眼点がガラリと変わります。深海生物か
らは離れて、地震断層にせまります。東日本大震災以来進められて
きた調査の成果を反映させ、深海底の地殻が震源となる地震災害
のメカニズム解説や、探査船 「ちきゅう」 の海底調査の解説といっ
た地学分野に割かれた展示でした。

「巨大な亀裂」  (上左) 
こちらは 「しんかい650」 が見た 「3 ・ 11」 の大地震で生じた深海底
の巨大な亀裂。(上左) 亀裂の幅は広いところで1mほどだが、遠く
まで続いている様子が分かります。亀裂の底部分は、柔らかい泥で
覆われているように見えます。この泥は、地震時に浅いところから運
ばれてきた泥であると考えられます。ゾッとしてしまう光景ですね。

「東北地方太平洋沖地震における津波発生模型」  (下)
あの日津波はどのようにして起こったのか? この 「東北地方太平洋
沖地震における津波発生模型」 が設置されていて、スタートボタンを
押せば、一目瞭然で分かるようになっていました。 映像による津波
発生のメカニズムの解説もとても分かりやすかったです。

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「有人潜水調査船 『しんかい6500』」 (上)
深海調査には必要不可欠な存在、有人潜水調査船 「しんかい65
00」。現在までに1500回以上深海の調査を行なってきた大ベテラ
ンです。全世界の海の98%を調査できるすごい乗り物です。東日
本大震災後の調査でも大活躍しました。しんかいがとらえた東日本
大震災後の海底の様子は横のモニターで映像を見られました。
地球深部探査船 「ちきゅう」   (下左)
2005年7月に完成した 「ちきゅう」 は、 世界最高の掘削能力 (海
底下7000m) を持つ地球深部探査船です。この船の完成によっ
て、今まで人類が到達できなかったマントルや 巨大地震発生帯へ
の掘削が可能になりました。 「ちきゅう」 は、国際深海科学掘削計
画 (IODP) の主力船として、 巨大地震発生のしくみ、生命の起源、
将来の地球規模の環境変動、新しい海底資源の解明など、人類
の未来を開くさまざまな成果をあげることを目指しています。
「サイバーチェア」  (下右)
「ちきゅう」 に搭載されている 「サイバーチェア」 (海底下を掘削す
る機器の操縦席) の実物展示もありました。世界最大の探査船は、
地震発生地帯や海底下生命圏の掘削にも貢献しているんですね。

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「有人潜水調査船 『しんかい 6500』 (耐圧穀内部)」
有人潜水調査船 「しんかい6500」 のコックピットです。いくらロボット
の性能が高くなっているとはいえ、やはり有人探査は夢がありますね。
直径2メートルの球形で、定員は3名、1回の潜行時間は8時間まで。
この中に乗って深海を旅している自分を想像するだけで、世界が
違って見えるような気がしました。

「しんかい 6500」
深海の調査には、TVカメラや手の役割をするマニピュレータを搭載
した無人探査機などの水中ロボットが用い られるのが一般的ですが、
人間が直接観察することの重要性から、6500m の深さまで潜ること
ができる有人潜水調査船で、1989年に完成しました。世界トップク
ラスの潜航能力を持ち、日本近海だけではなく、インド洋、南大西洋、
カリブ海、など世界中の海で調査を行っています。海中では、電波は
使用できません。その代わりに 「音波」 を使います。海中での音は、
地上にくらべてはるかに遠くまで伝わります。深海の調査でも音波
で海底の地形を調べたり、潜水船と母船との通話や画像通信に
使用しています。

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実際に堀削に使われたパイプと試料を採収したコアビット、ドリル
ビット。(上) コア試料の採収のため、外側に付いている歯で周り
の地層を削っていく。柱状に削られた地層は、内部の容器に収納
され、容器とコア試料だけが船上に回収されます。

2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生したことを受
けて、海洋研究開発機構は地震後の海底を地球深部探査船 「ち
きゅう」 で調査しました。その結果、海底に多くの亀裂が確認され
ました。地震によってすべった断層。地質試料を採収、孔内に温
度計を設置し、断層に残っている摩擦熱を測定したという。海底
下約1000m の断層ませ堀削パイプを数百本も継ぎ足していく
のは気の遠くなるような作業だったという。(下左) 富士山ふた
つ分 (下右) にも相当する海面下7000m 以上の試料は世界
初の取り組みだったようです。

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「東北地方太平洋沖地震の地震断層」
採取されたコア試料 「東北地方太平洋沖地震の地震断層」 です。
(上) うろこ状に地層が変形しており、地震のすべりによる力を受け
たことがわかります。(下左) 「シュードタキライト」 (下右) 地震時
に断層が高速ですべると摩擦熱が発生し、温度が1000℃以上に
達すると岩石が溶けます。溶けた岩石が急速に冷えて固まることで
出来た岩石をシュードタキライトと呼びます。津波の巨大化の原因
は滑りやすい粘土層であることを解明。コア試料の実物も世界で
初めて公開されました。

地球深部探査船 「ちきゅう」 により実施された 「東北地方太平洋沖
地震調査掘削」 において、宮城県東北沖約200kmの海底下深部
(水深6889m、海底下約820m) から採収されました。特に感動し
たのが、世界初公開となる 「東北地方太平洋沖地震の地震断層」
の展示です。あの3 ・11地震、津波発生のメカニズムの解明に繋が
った地震断層のコア試料、その実物を間近で見ることができました。
これはもう、ただただスゴイ! それしか言えません・・・。

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「海底に眠る資源」
日本は周囲を海に囲まれており、日本の海で多くの海底資源が発
見され、実用化を目的とした調査・研究が行われています。例えば、
「メタンハイドレート」 は、メタンと水が合わさった氷のようなもので、
燃える氷とも呼ばれます。日本の経済水域内で確認され、日本の
ガス消費量約96年分にあたり、エネルギー事情の救世主として実
用化が期待されています。この将来開発されるかもしれない深海
鉱物資源は研究者以外めったに見られない標本です。

「マンガンノジュール」  (上)
近未来の資源として期待されているのがマンガンノジュール。微細
な鉄 ・ マンガン酸化物で構成され、南鳥島東方沖の密集域が発見
されました。新たな資源への可能性が広がり、実用化に向け、更な
る期待が寄せられています。
「石油の原液」  (下左)
私たちの生活を支えるエネルギーや様々な材料の元となる化石燃
料。陸上の油ガス田だけでなく北海油田や海底油ガス田の探査 ・
開発も盛んに行なわれています。展示試料は精製前の原油です。
「マンガンクラスト」  (下右)
海山の斜面や頂部に玄武岩や石灰岩等の基盤岩を覆うように存在
する鉄・マンガン酸化物で、数百~数千万年をかけて成長したと考
えられています。 マンガンクラストの成長縞や層構造からは、気候
変動や隕石衝突などの過去の地球で起きた出来事を読み取ること
ができるようです。

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「深海と地球環境」
「近未来の花 ~光るペチュニア~」  (上)
展示の最後の方に、入り口が布で覆われた怪しいスペースがあり、
「何だろう?」 と思って入ってみると、中には 「光る花」 が展示され
ていました。これは、海洋プランクトンが持つ発光タンパク遺伝子を
ペチュニアに組み込んだものです。一見、普通の花のように思える
が、照明を消すと、そこには光る花が現れる。最新のバイオ技術を
活用して、深海生物から抽出した 「生物蛍光」 タンパク質の原理を
応用した研究も進められているようです。未来の花になるかも?
「発光前のペチュニア」 (上左) 「発光後のペチュニア」 (上右)

「浮遊性友孔虫 (海洋酸性化の変動)」  (下)
地球温暖化と海洋酸性化の生物への影響・・・、というと難しそうに
聞こえます。でもこの微化石の模型は、もれる光の量が多いほど酸
性化により殻が薄くなっていることを示す展示です。原因は、化石
燃料を燃やして発生した二酸化炭素を海が吸収しているからで、
酸性化が進むと甲殻類やサンゴ、貝などが硬い殻を作れなくなる
恐れがあります。 酸性化の影響を受けて殻が薄く、骨密度が低下
した個体の拡大模型。左側が影響を受け浮遊性友孔虫。(下右)

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「深海を調査する機器」
日本の深海研究の現場で活躍する探査機や深海調査に携わる調
査船の紹介コーナー。このような最先端技術が詰まった調査船に
より、深海の多様な謎が解き明かされているのです。

「黒鉱養殖装置(熱水モニタリング)」  (上左)
足のあるロボットみたいにも見えるかもしれませんが、別に歩き出し
たりはしません。なんと鉱物の「養殖装置」です。海底から噴出する
熱水には、微量ながらさまざまな金属が含まれています。その金属
を沈殿させて採取する目的で開発されました。現在はまだモニタリ
ングの段階だそうですが、「養殖もの」 の鉱物なんてぜひ見てみた
いものです。
「自律海洋観測ロボット」  (上右)
海中へ沈降され海中を漂流します。深海から浮上しつつ水温や塩分
を観測。同じサイクルを繰り返し、海面に到達すると人工衛星経由で
観測データーを送信。再び海中に潜って観測を繰り返します。海面
から水深4000m までの深海の水温と塩分を観測できる小型の自
律海洋観測ロボット。 
「クローラ式無人探査機 (ROV) 試験機」  (下)
これは画像システム試験機で、4つのカメラと4つのレーザーレンジ
ファインダーを用いた3Dアラウンドビューモニター技術を、フリッパ
式クローラを持つ小型ROVに搭載した試験機のようです。母線で
操作するオペレーターが瞬時に海底やROVの状態を把握できる。

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科学博物館のイベントは写真が撮れるような柔軟さがあります。
今回もフラシュやビデオ動画は撮影禁止でしたがそれ以外は撮影
OKでした。ただ一か所だけ新種の生物ゾーンが撮影禁止でした。
セキトリイワシ科の生物の新種が展示されていたのですが、まだ申
請中のため撮影禁止でした。(上) ちょっと面白い注意書きを見つ
けてしまいました 「肩車禁止」。(下左)  混雑の為、お子様に肩車
して見せてあげようという親心もわかりますが、危険ということの表
れでしょうか。深海イラストコーナーがあって、展覧会の音声ガイド
のナビゲーターを務めた中川翔子さんの描いたイラストも展示され
ていました。(下右) とても上手でした。

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深海と聞くと、ダイオウイカなどの奇怪な生物を思い浮かべてしま
うが、今回の特別展では、深海生物や発光生物についての研究
だけでなく、深海と関わりのある自然災害や海底資源にも焦点が
あてられ、特に “奇跡のコア”、その掘削にはどれだけ多くの方の
労力が費やされ、また、このコア試料の研究が今後の地震研究に
どれだけ活かされるのかを思うと、得も言われぬ感動を覚えます。
深海の面白さや可能性に触れることが出来ました。どれも興味
深い内容でした。

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今でこそ当たり前のように深海の世界に触れることができる私たち
ですが、その背景には研究者たちの血の滲むような努力があった
に違いありません。長い月日を経て、深海をここまで近い存在に
感じられるようになった 「今」 を生きる私たちは、とても幸せです。
いつどんなタイミングで深海行きのチャンスが訪れるか分からない
ので、その前にダイビングライセンスを取得して、もっと海のことを
勉強して・・・・なんてバカなことを考えていますが、いくつになって
も 「少年よ、大志を抱け」 精神で夢を見続けていたいと思います。
そして、最後にひとこと、やっぱり 「深海」 はおもしろい!





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「子育てより大事な仕事はない」

...2017/09/17 09:43...

先日まで主役だった蝉の声に代わり、
草の茂みからはバッタやコオロギの大合唱。
高く澄み渡った空にはうろこ雲が流れ、吹き抜ける
風も幾分涼しくなりました。夏の間に枯れたり疲れ
てしまった気持ちを捨てて心機一転、秋らしい姿に
衣替えして過ごしたいですね。

さて、
昨日、ウォーキングしていた公園で、 ワンちゃん
と一緒に颯爽と歩く年配のご婦人に出会いました。
その姿がとてもハツラツとしてステキだったもので、
ご婦人がベンチで休憩されているときに、思わず
声をかけたんです。

聞けば御年78歳、毎日1 時間以上はワンちゃん
と一緒に散歩するのが習慣なのだとか。
他にも健康の秘訣ってありますか? と尋ねると、
「よく食べて、よく動いて、よく笑う。年齢を重ねるほどに、
そういう基本的なことが大事になるのよね」 と、大きな
笑顔でおっしゃっていて、 本当にその通りだなぁと!
まだまだ高齢者と呼ぶには早そうなご婦人の様子に、
若々しいパワーと生きる知恵をおすそわけして
もらったような気がしました。

明日、18日は 「敬老の日」 です。
元々は、兵庫県のある村で高齢の方を大切にし、
その知恵を借りて村作りをしようという趣旨から
「敬老会」 が開催されたことが由来となっている
そうです。 調べてみると、日本以外の国々でも、
敬老の日と同じように 祖父母をはじめ高齢者を
敬う日を制定している国が多くありました。
国や文化は違っても、ご高齢の方を大切に
しようという想いは万国共通なんですね。

敬老の日と解っていてもなかなか・・・・・・。
そんな時は、電話を1 本入れてみてはいかがでしょう?
「元気?」 「変わりない?」 という何気ない一言でも
お孫さんの元気な声は、おじいちゃん、おばあちゃん
にとって嬉しいものではないでしょうか。

敬老の日は、小さな村からはじまり、それが全国に広がり
今の形になっています。敬老の日とは言っても、日本人が
昔から大切にしてきた目上の人を敬う気持ちと相通ずる
ものがある様に思います。
日頃から相手を 「敬う心」 が大切かもしれません。

  たはむれに  母を背負いて そのあまり
       軽き (かろき) に泣きて 三歩あゆまず
                            石川啄木


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「子育てより大事な仕事はない」

以前、退社された元同僚 (女性) と偶然出会い、
その後のこと等を話す機会があった。彼女は、仕事を
テキパキこなす (キャリア) 女性だった。結婚してしばらく
共働きをしていたが、二児の母親となった今、当時の自分
を 「何も分かっていなかった」 と振り返る。

「何でも一人でできると思っていた。ところが子どもを
産んで初めてベビーカーで外出した時のこと。たった
三段の階段が上がれない。周囲に助けてもらわな
ければ、立ち往生してしまう自分に気付いた」 という。

人はみんな誰かのお世話になって、周囲に助けられて
生きている。子育てはそんな当たり前のことを改めて気付
かせてくれた。すると周りの風景も変わって見えてくる。
見回せば車いすの人など様々な人がいる。かっての
自分はそんなことに見向きもしなかったという。

「急いでいるから」 という自分の都合でどれだけの
人をけちらしてきたのか。そんな反省をするように
なったのも、子どもを授かったからこそだと話された。
6歳の息子と1歳半の娘。初めての出産後も働き、
休憩時間になるたび、家にいる息子を気にしてしまう
自分を自覚。以来、仕事はすっぱり辞めた。

子育てとフルタイムの仕事を両立する女性はたくさん
いるのに、なぜ自分はできないのかと悩んだ時期が
あったようだ。そんなとき、息子の幼稚園の園長先生に
「子育てより大事な仕事があったら教えてほしい」 と言われ、
迷いが消えたという。今は子育てを優先するのが
私のスタイルなのだと思えるようになったのだと話す。

その息子さんも四月から小学生に。
たくましく育ってほしいと夏休みに野外合宿を勝手に
決めてしまったらしい。息子さんは素直に参加していたが、
ある日 「この合宿って僕らしい?」 と尋ねられ、ハッとしたという。
よかれと思ってしたつもりでも、彼の個性を尊重できていない
ことがあるかもしれない。息子さんの言葉がそれに気付か
されたようだ。過剰な期待が子どもにも負担にしかならない。
だからこそ 「丈夫でさえいてくれれば 」 というシンプルな
気持ちは忘れずにいたいと思っていると話された。

子を授かり、子育てする事によって親はそれぞれ
悩みながら子どもと共に人間としても成長するのだろう。
大事にしたいのは、彼女の言う妊娠が分かった瞬間に
感じた 「丈夫に育ってくれればいい」 という素朴な
思いなのかもしれない。

「子育てより大事な仕事はない」
     この気持ち大事にしたいですね。

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「ボストン美術館の至宝展 2017」 
~東西の名品、珠玉のコレクション~ 東京都美術館

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ボストン美術館の至宝展では、今しか見られない至宝たちが勢ぞ
ろい。これを逃したらしばらく見られないかも!? 普段あまり現代
アートや中国美術には興味がないのですが、注目の印象派の絵
画が来日ということで、会期後半は混雑が予想されるので早めに
・・・・と思って観賞して来ました。まさに秋の芸術にふさわしい展
示でしたので、ちょぴっと紹介です。

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混んでいる時だと、このスペースに列ができて並ぶのですが、(下左)
まったく並ばずチケットカウンターへ入れました。東京都美術館の
話題の展示会は、いつも人出が多いので有名ですが、今回はあ
まりにもスムーズなので、ちょっと調子抜けしました。(笑) 

「東京都美術館」
「都民のための美術の振興を図る」 いう目的で都が設置する公立
美術館です。美術館や動物園などの文化施設が集積する通称 「上
野の山」 の一角に位置し、東京を代表する文化施設群の一翼をなす。
大正15年 (1926) に日本で最初の公立美術館として開館しました。

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ボストン美術館の展覧会はこれまでも繰り返し開催されてきましたが、
幅広い内容を総合的に紹介するのは、日本では約40年ぶりとなるよ
うです。この素晴らしいコレクションの形成に寄与したコレクターやス
ポンサーの活動にも光を当て、古代エジプト美術、中国美術、日本
美術、フランス絵画、アメリカ絵画、版画 ・ 写真、現代美術と、東西
の名品の数々を堪能できる展示会です。開幕が待ち遠しかった~。

「ボストン美術館の至宝展」  ~東西の名品、珠玉のコレクション~
期間  :  2017年7月20日(木) ― 10月9日 (月・祝)
場所  :  東京都美術館 企画展示室

第1章  「古代エジプト美術」
開館当初から、ボストン美術館で重要な位置を占めていた古代エジ
プト美術。三大ピラミッドが建つギザで発掘された王の頭部や、墓か
らのレリーフ、ヌビアの王の立像、ジュエリーなど、古王国時代の出
土品を中心に展示されていました。当然ながら、作品はみんな紀元
前。なのになんで、こんなにも完全なる人の頭が再現できるのか ?

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「ツタンカーメン王頭部」  (紀元前1336-1327年) (左) 初来日
この王の頭部に名前はありませんが、第18王朝の若き王ツタンカー
メンと考えられています。アーモンド型の眼、官能的な唇、その魅力
的な顔立ちは 「王家の谷」 で発見された黄金のマスクに似ていると
されています。凛とした顔だち、額に長方形の布を当て、耳を出す
形で頭を覆うネメス頭巾を被った姿が印象的な、エジプトの豊かな
文化・文明に感動。そんな歴史にも想い馳せる、素敵な空間でした。

「メンカウラー王頭部」  (紀元前2490-2472年)  (右)
このメンカウラー王の頭部は、ギザの第3 ピラミッド内部から見つかっ
たもので、紀元前25世紀頃の作品です。額の蛇や特徴的なあごひ
げが、王族であることの印を刻んでいます。約4500年前に、こんな
に写実的な彫刻が作れていた、ということに驚きです。エジプト文明
はハンパないなぁと思いながら見ていました。美しい頭部像です!

第2章  「中国美術」
古代エジプト美術に続き、中国美術作品。陳容が13世紀前期に描
いた 「九龍図巻」。雨を統べる存在でもあり、皇帝の象徴でもある龍。
陳容は、有名な九馬図や九鹿図に影響を受け、9匹の龍がこの世な
らざる世界を駆け巡るという渾身の大作等多数展示されていました。

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    周季常  「五百羅漢図」  (南宋 ・ 1178年頃)
元は京都の大徳寺で大切に保管されていた、南宋時代に製作され
た全100幅の 「五百羅漢図」 シリーズの一部です。 明治の廃仏毀
釈運動で荒廃した寺院を立て直すため、岡倉天心らの仲介により、
ボストン美術館とフリーア美術館へ合計12 幅が売却されたようです。
卓抜した画技と豊かな彩色を誇る中国・南宋時代の仏教絵画を代表
する名品です。 それにしても、この絵、12世紀の作品とは思えない
状態の良さです! 幸いなことに、まだ日本には82幅現存しており、
その全ては重要文化財指定を受けています。いつか残りを全部見
てみたいなぁ。今回は南宋絵画の名品が2点里帰りしました。

【メモ】 五百羅漢
羅漢は釈迦の弟子として、すでにこの世にいない釈迦の残した法を
求め、それを悟ったものとして人々に信仰されてきました。各地で様
々な五百羅漢の画像や木彫、石像が盛んに制作されたようです。五
百羅漢を訪ねれば、いまは亡き大切な人に対面できるという信仰が
広まったようです。

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徽宗  「五色鸚鵡図巻」  (1110年代頃)  (上)
中国の王朝・北栄の第8代皇帝の徽宗 (きそう) によって、杏の花が
咲きほこる庭園を鶏が飛ぶ姿を記録するために皇帝が描かれた作
品です。中国南部の地である嶺表から、“ ズグロゴシキインコ “ とい
う珍しい鶏が宮廷へと献上された出来事を記念して描いた絵と言わ
れています。繊細な筆使いで自然描写がなされ、鸚鵡の毛はふん
わりして、のど元の赤と杏子の白い花のコントラストが、ガラス越し
とはいえ、近くで見ても美しかったです。

陳容  「五龍図巻」 (部分)  1244年   (下)
約10メートルに及ぶ長大な絵巻で、沸き立つに描かれるのは9匹の
龍が、沸き立つ雲と荒れ狂う波の中を飛翔する姿が筆墨によって描
かれている存在感抜群の作品でした。実物の他に、見やすいように
拡大展示もされていました。じっくりと細部まで鑑賞し、墨に墨を重
ねる 「破墨」 や墨をはね散らす「溌墨」 と呼ばれる巧みな技法が
使われている箇所もあって見応えありました。

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ボストン美術館の凄いところは、開館以来約150年にわたり、一貫
して市民たちの力によってコレクションが築かれてきたところです。
個人コレクションの一括贈与、寄付金を原資とした作品購入を繰り
返すことで、世界屈指の美術館へと成長してきました。開館当時は
5千点だった作品は現在では50万の作品を所蔵しています。主要
なコレクションからえりすぐった、珠玉の80点が来日したのです。

第3章  「日本美術」
ボストン美術館に収蔵された日本絵画の作品群は、日本国外に所在
するものとしては最大のコレクション。その作品の大半は、19世紀後
期に日本を旅したボストンのコレクターたちによってもたらされたもの
でした。彼らはボストン美術館で顧問をしていた岡倉天心らとともに、
日本文化に対する正当な評価を生み出すことに貢献したのです。
初めて里帰りを果たす作品も含め、江戸美術の優品を紹介展示。

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喜多川歌麿  「三味線を弾く美人図」  1804~06年頃  (上)
北斎、広重、写楽と並び世界的に知られる浮世絵師 ・ 喜多川歌麿
が晩年に手がけた男女の視線と恋心の交錯を、絵画と狂歌で表し
た優品。髪飾りを身に着け三味線と撥を手に、音を調整する女性。
画面左側の文字は、優美な視線の先に五人の狂歌師が女性へ
の思いを寄せた狂歌で、どれも片思いを嘆くものばかり。今で言う
「ラブレター」 のようなもの。ちょっと切ないなぁ。

曾我蕭白  「風仙図屏風」  1764年頃  (下)
勢いよく渦を巻き、強風を呼び起こす黒雲。荒れ狂う波濤、揺れ動く
木々のなか、剣を持つ男が橋を挟んで黒雲に対峙しています。緊張
感ある攻防の後方には、風に吹き飛ばされた滑稽な表情の男たち。
その後ろには白と黒の兎のつがいがひっそりと姿を見せている。墨
の濃淡、線と面、緊張と弛緩、大胆さとユーモアを巧みに織り交ぜた、
蕭白の代表的作品です。表情に注目してみると、何だが楽しそうです。
大変な時ほどなぜか笑ってしまう事がありますが、彼らもそんな心境
だったのでしょうか? 想像が膨らみます!

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英一蝶  「涅槃図」  1713年  (左)
ひと際目を引く 「涅槃図」 は、絵の部分だけで高さが約2.8メートルに
及ぶ大迫力の大作。。約170年ぶりに大規模修復を行い、満を持して
日本へ初の里帰りです。お釈迦さまが涅槃に入られた (亡くなられた)
のを、十大弟子、菩薩、羅漢や様々な動物が嘆く様子が描かれていて、
悲しみにくれる以上に、猫の睨みに震え上がるネズミの表情が面白かっ
たです。この絵を拝した人々は、まるで絵の中に入り、涅槃の瞬間に立
ち会うかのごとく祈りを捧げたのでしょう。鮮やかな色彩も美しいです。
海を渡ってから、その作品を実際に見た人はごくわずか。江戸時代の
人々が祈り、想いを馳せた、一蝶による幻の巨大涅槃図は凄かった。

酒井抱一  「花魁図」  18世紀  (右)
前々から興味のあった酒井抱一の 「花魁図」。やっぱり花魁姿には
目を惹かれますね。着物を美く重ね、鮮やかな赤と柔らかな曲線。
ボストンの人が海を越え持ち帰ったこの作品。その良さを共感して、
ボストンの収集家の 「ドキドキ」 感まで味わえた気がします。左下
の文字は、この画を所蔵していた河鍋暁斎が、明治16年4月7日
の日付けで 「歌川豊寛の筆也 歌川家之元祖なり」 との改文を
書き込んでいます。

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ボストン美術館は、日本と非常にゆかりの深い美術館です。特に、
明治時代から岡倉天心、フェノロサ、モースらによって収集が続け
られた日本 ・ 中国の東洋美術コレクションは10万点以上となりま
した。明治初期の廃仏毀釈運動により危機的になった仏教美術
作品や、寺院に所蔵されていた日本美術作品は、ボストン美術
館のおかげでかなりの数が保全されたという経緯があります。

第4章  「フランス絵画」
ボストン美術館の中でも特に強い魅力を放つのが、フランス絵画
コレクションです。19世紀後半、文化的刺激を求めてヨーロッパへ
と旅立ったボストニアンたちは、さまざまな時代に生まれた美術品
を愛で、その収集に励みました。モネ、ルノワール、セザンヌ、ピサ
ロ・・・絵画史に名を刻む巨匠たちの作品により構成された展覧会
のハイライトです。ゴッホ 「郵便配達人 ジョセフ・ルーラン」 と 「子
守唄、ゆりかごを揺らす オギュスティーヌ・ルーラン夫人」 が夫婦
揃って、来日が目玉のようです。

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クロード ・ モネ  「睡蓮」  1905年  (左)
モネは、自分の家の庭に川から水を引き大きな池をつくり、そこにたく
さんのすいれんを植えて、20年も描きつづけました。その庭の池に浮
かぶ睡蓮を見つめながら描いたモネの傑作の1枚の絵です。下から上
へと遠ざかるように奥行きを感じさせる睡蓮や、水面に映る空と岸辺の
木々が、絵画の外に広がる無限の空間を想像させてくれます。睡蓮を
ちゃんとした花びらまで形どっているのは手前の一個だけ。あとはアウ
トラインを点々で描いているのに、遠くからみるとたくさんの睡蓮がむし
ろ遠近感をしっかり持ってリアルに表現されてて不思議でした。睡蓮が
咲く様子を見るだけでキモチが静かになる感じでした。

クロード・モネ 「くぼ地のけし畑、ジヴェルニー近郊」 1885年  (右)
「光の画家」 と呼ばれたモネが、時間や季節とともに移りゆく光と色彩
の変化を鮮やかに描いた作品です。明確な輪郭線はなく、筆跡の大き
さや形、方向性によってくぼ地のけし畑が見事に表されています。モネ
の絵は巧みな色使いで、太陽光を浴びたキラキラ感が表現されていて、
フワッと草花の香りまでしてきそうで郷愁を誘う1 枚です。

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ジャン=フランソワ ・ ミレー  「編み物の稽古」  1854年頃  (左)
ミレーが絵の画題を求めて滞在したフランスのバルビゾン村の庶民の
生活情景を描いた傑作。女性は自らの仕事を膝に置き、娘に編み物の
手ほどきをしています。窓からは柔らかな光が広がり、簡素な生活が丁
寧に、優美に描かれています。日常のありふれた風景や、そこに暮らす
農民たちを穏やかに描かれ、暗めの色使いの中にも、温かみが感じら
れます。 母から娘に伝える編み物。親子のぬくぬくした、ほっこりした
「温度」 が伝わってきました。

エドガー ・ ドガ  「腕を組んだバレエの踊り子」  1872年頃  (右)
ドガは踊り子をモデルとした作品を多数残している 「踊り子の画家」 とし
て有名です。表情は読み取れませんが、舞台裏で出番を待っているの
でしょう。鑑賞者は、ドガの視線を辿り舞台裏の様子をのぞき見ることに
なります。ドガは、一瞬一瞬の動きをとらえ、何十枚、何百枚ものデッサ
ンをしてから、それらを組み合わせて作品を仕上げたと言われています。
この作品はドガが亡くなったとき、彼のアトリエに未完成のまま残されて
いたものなのだそうです。

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ゴッホは浮世絵を収集し、日本を舞台とした小説を読み、南フランスの
気候や景色に日本を重ね、憧れを強めていきました。本展のメインの
一つ、ゴッホが描いた郵便のおじさんと奥様の肖像画で、夫妻の肖像
画が揃って来日するのは、今回が初めて !  こうして2枚同時に観ら
れる機会に恵まれ、テンションがマックスの私でした。キャー

フィンセント・ファン・ゴッホ 「郵便配達人 ジョゼフ・ルーラン」 1888年 (左)
パリを離れ見知らぬ土地に暮らし始めたゴッホにとって、ジョゼフ・ルーラ
ンはモデルとなってくれる数少ない友人だったという。ソクラテスに喩えた
立派な顎鬚をもつ頭部だけでなく、魅力的な手の動きも力強く丹念に表
現されており、青を基調とした画面に、制服の装飾やボタンの黄色が効
果的に配されています。離れて見るとちゃんとした顔なのに、近づくとベ
ターっと塗っている箇所が多く、驚き不思議でした。ゴーギャンとの共同
生活が破綻した際、ゴッホは自らの耳を切った。ジョゼフは入院した彼を
定期的に見舞い、彼に付き添ったという。じっとみていたら隣りに住んで
いるおじさんが、 「どうも!」 と話しかけてきそうな気がしてきました。(笑)

フィンセント・ファン・ゴッホ  「子守唄、ゆりかごを揺らす
オーギュスティーヌ・ルーラン夫人」
1889年 (右)
花が描かれた壁紙を背に椅子に座る女性が、手に揺りかごを揺らす紐
を持っており、赤ん坊の娘をあやしているようです。あたたかな母性を感
じさせる作品です。 夫人の絵は、有名な 「ゴーギャンとの共同生活」 の
後に描かれた作品と見られ、デフォルメされた姿や黄土色の顔つきは、
あからさまにゴーギャンの影響を受けているような感じもして面白いです。
一年でこんなにも表現の変わった作品が描ける、ゴッホの器用さに驚き
ます。 絵の変わりように対して、ゴッホには 「まあ、いろいろあった一年
だったからね~」 と言ってあげたくなります。どちらも圧倒的存在感の
ある作品・・・。言葉はいらない気がします。

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カミーユ ・ ピサロ 「ポントワーズ、道を照らす陽光」 1874年 (左)
ピサロが住んだパリ郊外にあるポントワーズの風景です。都会を離れ、
田園地帯に実際に身を置いて、身の回りにあるごく普通の情景が率直
に描かれています。比較的幅の広い筆遣い特徴的な表現は、ピサロの
初期作品にみられる特有の技法です。ピサロは、風景をたくさんかいて
いて、「色の魔術師」 とよばれています。ピサロの性格は温厚で、画家
仲間の信望が厚かったといわれています。そんな感じもする作品です。

アルフレッド ・ シスレー  
「サン=マメスのラ ・ クロワ=ブランシュ」
 1884年  (右)
川の浅瀬に枯れ木の影が川の中に入っていく感じもして、シスレーの
水辺の絵を見つめると、まるでそのせせらぎまで聞えてきそうだ。でも静
かで寒そうな絵です。シスレーはサン=マメスに滞在し、その間に300
点ほどの絵画を制作した、という生涯印象派の風景画を作り続けたザ ・
印象派。シスレーは、他人に失礼なことをするような人でなく、おとなし
い性格でした。風景画をかきつづけましたが、人がらと同じで、おだや
かで落ち着いた、そしてすみきった絵が特徴です。でも、作品がほとん
ど売れず、まずしさの中でひっそりと息を引き取りました。いつの時代
でも、芸術だけで生きていくって凄い覚悟だなぁと思うのでした。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール 「陶製ポットに生けられた花」 
1869年  (左)
ルノワールは花を描いた静物画について、それは裸婦の肌の表現のため
の実験であり、花の実験をとおして得られた成果をほかの作品に応用する、
と語っています。花の種類によって筆使いが違うのも素晴らしいですが、こ
うしたものを描くことによって明暗や色彩の配置を実験していたとか。質感
や光の表現が素晴らしいです。ルノアールの描く絵は、明るく、そしてやさ
しい。絵をかくことが好きで好きでたまらなかったルノアールは、70才を過
ぎて腕と足が自由に動かなくなってからも、車いすにのり、指に絵筆を結び
つけ、息を引き取るまで、絵をかきつづけたといわれています。やっぱり
こんな絵を観られるのが嬉しいですね。

ポール ・ セザンヌ  「卓上の果物と水差し」  1890-94年頃 (右)
青系の色調の背景と机に、暖色で丁寧に描かれた果物。丸みが強調され、
存在感を増して見えます。制作に時間をかけるというセザンヌには、花より
も持ちの良い果物が適していました。画家の静物画の特色を表す優品です。
「静物画」 は、「風景画」 「人物画」 と異なり、果実や切り花、食用の動植物
など、自らが動くことのない命なき自然を選び、それを構成して美をつくり、
絵画空間を形成しています。セザンヌの作品から多くの画家が学び、新し
い描き方を工夫していったことから、セザンヌは、「近代絵画の父」 といわ
れています。

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展示されている美術品は、大きく分けて7ジャンルに分かれてい
ます。行く前は 「それじゃテーマが散漫になっちゃって、焦点が
ボケるんじゃないのかな」 と思っていたのですが、実際に展示さ
れている作品のレベルの高さを見て、そんな杞憂は吹き飛びま
した。どのジャンルも非常にハイレベルで、むしろ 「あー、こんな
作品もあるのか!」 と唸らされる見事なラインナップでした。

第5章  「アメリカ絵画」
アメリカのアートといえば、抽象表現主義といった 「現代アート」 に
名作が多いイメージですが、今回は、アメリカ絵画の草創期の作品
群を堪能することができます。現代アート以前のアメリカ絵画作品を
見れる機会は意外に少ないので貴重な機会でした。

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ジョン ・ シンガー ・ サージェント 「フィスク ・ ウォレン夫人
(グレッチェン ・ オズグッド) と娘レイチェル」
 1903年  (左)
肖像画家として絶大な名声を有していたサージェントの作品。作家 ・
詩人でもあったウォレン夫人は、光沢のあるドレスに身を包んでいます。
背後に見える母子像に呼応するように寄り添う母と娘の姿が、ピンク、
赤、金色の鮮やかなシンフォニーとともに描かれています。ドレスの質
感の艶やかさもさることながら、この母娘の美しいこと。ブロンズの髪や
うっすら赤らんだ頬の巧みな描写と優しい色合いに、思わずうっとりし
てしまいます。肖像画家サージェントの名声を高める作品となった1枚
です。縦1.52メートル、横1.03メートルほどある大きな肖像画です。

ジョン・シンガー・サージェント 「ロベール・ド・セヴリュー」 1879年 (右)
スカートスーツを着ていることから幼さが窺える7歳の少年。逃げ出そう
とするように身をよじらせる犬を、身体を少し左に傾けて抱いています。
生き生きとした少年の様子が伝わる、愛らしい肖像画です。。野心的な
アメリカ人画家・サージェントは主にイギリスを拠点として活躍しましたが、
イタリアに生まれフランスで美術教育を受けた生い立ちから、欧州各国
の影響を受けた独特な画風が特徴的です。伝統的な古典技法を用い
て多数の肖像画を手掛けた 「最後の肖像画家」 とも呼ばれています。

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フィッツ ・ ヘンリー ・ レーン 「ニューヨーク港」  1855年頃  (左)
港の風景を描くスペシャリストだったというヘンリー・レーンの写実絵画。
19世紀半ば、アメリカで最も賑わっていたニューヨークの港を描いた
作品。帆船のむこうには蒸気船があり、時代の移り変わりも描かれてい
ます。この頃のニューヨークは貿易が盛んで、活気に溢れている様子が
伝わってきます。帆船から蒸気船へ移り変わる、時代の変化を見るのも
楽しいですね。アメリカの牧歌的な様子が伝わる、技巧的な作品でした。

ワシントン ・ オールストン  「月光」  1819年  (右)
絵画修業でイタリアやフランスの色々な風景画を描いたというオールス
トンの作品。幻想的で魅力的な絵です。月は中空に上がり、その白い光
は眼鏡橋の橋脚の間を通って広がっています。馬に乗る人、若い家族ら
しき人々。小さなドラマが月光の中にあるような幻想的な感じがしました。
でもこれ、実は想像の風景なんだそうです。映画の中のワンシーンの
ようなロマン派風でしょうか。

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展覧会の音声ガイドには、竹内結子さんが起用されていました。
聞いてみて非常にびっくりしたのが、その落ち着いた語り口・・・。 
アナウンサー顔負けのしっかりした読み上げは、奇をてらっておら
ずオーソドックスですが、内容が染み渡るように頭に入っていきます。
ガイドコンテンツも、解説パネルやキャプションを上手に補完するも
のでした。ただ音声ガイドがなくても東京都美術館では、全ての展
示品に解説パネルが設置されています。

第6章  「版画 ・ 写真」
19世紀半ばから20世紀にかけてのアメリカを描写した収集作品
の中から、アメリカを代表する芸術家の作品が展示されています。
モノクロの世界に映しだされた、当時の人々の暮らしや自然の美
しさにはどこか懐かしさすら感じます。この時代のアメリカの様子
を見ると、いつも、「どうして日本は、こんなに物資豊富で、進ん
でいる国に戦争を挑んだろうね。」 と愚かさを感じてしまいます。

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エドワード ・ ホッパー 「機関車」  1923年  (左)
ホッパーの意外なエッチングの作品に目を奪われました。全部で4点
あるうち、1つがこの 「機関車」 です。黒々とした機関車がトンネルの前
で止まっています。機関車の存在感が際立ち、その先に広がるトンネル
の闇と周囲の明暗のコントラストによって、迫力が感じられますね。力強
い車輪をはじめ、金属の強い量感など、情景描写も巧みです。現代の
電車にはない重厚さからか、機関車は今でも人気がありますよね。

ウィンスロー ・ ホーマー 「八点鐘」  1887年  (右)
激しく波立つ海の船上で、男たちが計測器を手に船の位置を確認して
います。19世紀のアメリカ風景画を牽引した画家ホーマーは、エッチン
グ (版画) による繊細な描写で、荒々しい海に立ち向かう人間の姿を
とらえています。左の1人は六分儀を用いて太陽を読み、もう1人は自
分の六分儀で終わった観測の高度を読んでいるように描き、いくらか
美術的な逸脱をしているようです。

第7章  「現代美術」
19世紀~20世紀以前の作品が多く収蔵されていることで知られるボス
トン美術館ですが、現代アートをけん引するアーティストの作品も多数
展示されていました。成長著しい現代美術コレクションから現代アート
らしいポップで鮮やかな作品たちが、見る人を元気にしてくれます。
面白かったのは、お皿に盛られた新鮮な果物が朽ち果てるまでの映像
を、早送り再生するビデオ作品。サム ・ テイラー ・ ジョンソン 「静物」。
果物が徐々に新鮮さを失い、腐敗していくのに対し、お皿とその傍に
置かれた青いボールペンが不変であるのが印象的でした。

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村上隆  「If the Double Helix Wakes Up・・・」  2002年  (左)
©2002 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

最初に目に飛び込んできたのがなんと日本の現代アートの旗手、
村上隆の 「If the Double Helix Wakes Up・・・」。 お馴染みの 「ドッ
ブ君」 が空中だか水中だかを浮遊している。変なおじさんって感
じの人ですが、アニメ的な絵で有名な人です。六本木ヒルズの花
のキャラクターとかをデザインした方です。モチーフの繰り返しだっ
たり、視覚を歪ませるようなトリッキーな模様だったり、デザインの
実験みたいな不思議な絵でした。

アンディ ・ ウォーホル  「ジャッキー」   1964年頃   (右)
© 2017 The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc.
/ ARS, N.Y. & JASPAR, Tokyo E2509

1963年に起きたケネディ大統領の暗殺事件後には、広く配信された
大統領夫人ジャクリーンの写真をもとに複数の肖像画を制作し、それ
らを組み合わせ作品にしている。そこには事件前の笑顔のジャクリー
ンや葬儀の際に深い悲しみに暮れる彼女の姿が繰り返し登場しました。

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美術展を観終ると、今回の展覧会の大注目作品であるゴッホの
「ルーラン夫妻」 の大きなパネルが置いてあるスペースがありま
した。どうやら、この中へ入って写真を一緒に撮れるようです。
皆さんは中に入ってピースしながら写真を撮っていました。

お気に入りの一枚を探すもよし、新たな好みのジャンルと出会うも
よし、色々な楽しみ方ができ、ボストン美術館のコレクションの凄さ
が良く分かる、素晴らしい展覧会でした! ここまで幅広い内容の
展覧会って他にあまり見かけません。ボストン美術館のハイライト
的な展示で、最初から最後まで楽しむことができました。エジプト
美術や中国美術など、こういった機会でなければ見ることのない
作品まで見られて最高でした。

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今回の 「ボストン美術館展」 は、ゴッホの作品が全面的に宣伝
されているのでフランス絵画が集結しているように思ってしまいが
ちですが、サブタイトルに 「――東西の名品、珠玉のコレクション」
とあるように、日本や中国、アメリカの名作も多く来ていました。
見逃せないコレクション80点の作品を、じっくり観賞できる展覧会
でした。帰りは公園内のスタバで、コーヒーを飲みながら展示を
振り返って楽しみました。満足、満足の美術展でした~。





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いつも訪問して頂きありがとうございます。


「電話を受けたら名乗る?」

...2017/09/10 08:05...

まだまだ暑さがありますが、どことなく、
夏の勢いが遠のいてきたように感じる。
いつの間にか夕暮れも早くなってきています。

そんな日没前後に 「ツクツクボーシ」 という
鳴き声が重なります。鳴きはじめからメインの
旋律へ、次第にアップテンポになって旋律も
変化してフィナーレへ。短いながらも起承転結
のある一つの曲のように感じます。

 灯りはぼんやりともりゃいい・・・・。
仕事を終えて帰ろうとしていたら突然、
同僚から 「みんなでちょっと飲んで帰らない?」
と誘われ駅近くの 「赤ちょうちん」 へ。

 肴はあぶったイカでいい・・・・・。
酔うほどにつぃつぃ同僚は大熱唱してしまい、
お隣さんに怒られるし、私は誤り役でした。
すこし飲みすぎ、はしゃぎ過ぎたかな?
でも、たまにはストレス発散しないとね。
金曜はちょっと酔って帰宅。ウイ

セミの中でも一番遅くに鳴きはじめるという
ツクツクボーシは、夏の終わりを告げながらも
最後まで盛り上げようとしてくれる、けなげな
音楽家さんです。夏の疲れが出やすい時節です。
くれぐれもご自愛ください。

昨夜も近所の方と一杯・・・・。
ちょっと二日酔い気味なので、
この辺で失礼しちゃおうかしら。うふっ


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「電話を受けたら名乗る?」

知人が所要で相手の家に電話をしたら、
応対した若い娘さんが 「ハイ!」 といって押し黙った
という。こちらは最初に名乗っているし、通常なら相手
の方も名乗るはずなのに・・・とぼやいていた。

電話となると、まず最初に自ら名乗り、相手を確認する。
電話を受けた方は応対した後にひと仕事待っています。
自分以外だったら 「△△さんから電話です」 と取り次ぎ
をしたり、不在であれば伝言を受ける。おまけに敬語を
駆使して丁寧に対応する必要があるわけです。

職場の新入社員研修でも、「電話が鳴って3 コール以上
待たせてはいけない。もし、3 コール以上経ってから電話
を取ったら 『お待たせしました』 の一言を忘れないように」。
そのように指導されたことを覚えている。ある意味で電話
応対は、新入社員が仕事に慣れるための最初の登竜門
であったはずです。個人の家庭でも同じだと思います。

その話を聞いて別の友人は 「若い子は固定電話に不慣れ
ですから」 という。いわく 「ケータイ (携帯電話) は、電話を
掛けるにせよ受けるにせよ、話す前に相手が分かっている。
なるほど。携帯には 「熊さん」 「八つぁん」 などと名前を入
力しているから、呼び出しと同時に分かって 「なんだ熊公
かい」 となる。

対してイエデン (家庭の固定電話) は、今でこそ表示機能
が一般化したが、それでも不特定多数と話す機会は多い。
庶民に電話が普及し始めた頃、玄関近くに置く家庭が
多かったのは来客を迎える気分で対応したからだろう。
ケータイの普及とともに、イエデンは減り続けているようだ。
イエデンがある世帯は7割、世帯主の年代別で30代は
4割に届かず、20代は1割未満だという。

電話を受けたら率先して名乗る ――― それがいいとは
一概に言えない時代。見知らぬ番号なら防犯上、うかつに
名乗らないのが無難。対応したくなければ出なければいいし、
拒否設定も出来る。通信技術は世界をつなぐ一方で、
「個」 を際立たせる方向にあるようだ。

一見簡単そうに見える電話応対ですが、言葉遣いにはじまり、
間の取り方や相槌の打ち方、引継ぎ事項のメモ、用件の復唱
など、短時間でこなさなければならない事柄が詰まっており、
一朝一夕にできることではありません。

近頃はメールでのやりとりが浸透したためか、電話対応を
苦手とする若者が増えているようです。そもそも応対が
苦手な上に、出てみないと用件がわからないことが多く、
恐怖心を抱く人が多いようです。いわば 「電話恐怖症」 と
いうやつでしょうか。

会社やその家庭のイメージを左右しかねない電話応対
だけに、改めて考えさせられるスキルの一つといえそうです。
その上で、お互いが信頼できるいい世の中にしなければと思う。
赤い紙きれ1枚の 「通信」 を拒めない時代が終わったのは、
たかが72年前です。
対人間関係の希薄の現れなのかもしれません。


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「はっきよい KITTE」 
JPタワー商業施設 「KITTE (キッテ)」 2017

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東京駅前にあるJPタワー商業施設 「KITTE」 に食事をしようと立ち
寄ったら、1 階 アトリウム内に櫓が組まれ、のぼりが立っていてビ
ックリ。相撲の魅力を気軽に体感できる 「はっきよいKITTE」 と要
する 「大すもう展」 が開催されていました。今回は相撲の取り組
みは見られなかったのですが、大相撲に関する資料が展示され
ていたので紹介します。はっきよい、残った残った。

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「KITTE (キッテ)」
JR 「東京駅」 丸の内南口より徒歩約1分。日本郵政が初めて展開
する商業施設で開業は2013年。「KITTE」 というネーミングは、
「切手」 と 「来て」 という2つの言葉に由来します。旧東京中央郵便
局の局舎を一部保存 ・ 再生した部分と新築部分からなる JPタワー
の地下1階から地上6階までの7つのフロアがKITTEのフロアです。
全国各地のご当地銘品を扱う食物販店舗や日本のモノづくりへの
こだわりと、日本ならではの美意識を感じさせる物販店舗、地域で
愛される老舗の味、地元で話題の飲食店舗など東京駅前・丸の内
にあるショッピングスポットです。

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国内外で人気の大相撲のイベント 「はっきよい KITTE」 が開催
されていました。「日本らしさと、あたらしさを」 をコンセプトに日本
の国技と言われている相撲を通じて伝統的な日本の文化を体感
できるというものです。開催期間中1 Fアトリウムに本物の土俵を
設置し、まるで両国国技館にいるような空間を演出。また、最終
日の8月27日 (日) には「大相撲KITTE場所」 を開催し、迫力
のある幕内力士の取組や、横綱の土俵入りなどが楽しめます。

「はっきよいKITTE」
開催期間 :  2017年8月20日 (日)~27日 (日).
会  場  :  JPタワー商業施設 「KITTE」

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昨年 ・ 一昨年と開催され好評だったようで 「はっきよいKITTE」
を今年も開催されました。都内での巡業相撲は珍しいですね。

期間中の最終日には、三段目 ・ 幕下トーナメント、横綱をはじめ
とする現役幕内力士が登場し、幕内土俵入り、横綱の土俵入りや
綱締め、全幕内力士による取組等を間近で観覧でき、その他にも
ちびっこ相撲、相撲甚句や髪結い、力士トークショーなど盛り沢山
の内容を披露し、丸の内にいながら両国国技館さながらに大相撲
の魅力を肌で感じ出来るというイベントのようです。

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そして目玉となるのはやはり、千秋楽となる8月28日に開催される
『大相撲KITTE場所』 でしょうか。この夏巡業 「大相撲KITTE場
所」 は、観覧するには参加条件があり、観覧方法は、1Fは 「1 階
座席券」、2Fは 「2 階観覧券 (立見エリア)」 が必要で、3~5階
から入場無料の自由観覧となっているようです。

8月1日(火)~18日(金)、KITTE館内の店舗で、1回の買い物
&食事で、2,000円以上を利用された方が、レシートを抽選会場
にて事前抽選により当選された方に、1階座席券、2階観覧券を
発行するようです。第1部:200組400名、第2部:200組400名。
いずれの座席券も直接に販売は行なっていないというわけです。

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訪れた時にはすでに抽選は終わっていたので、3~5 階から入場
無料の自由観覧となっているようなので、4階に上がってみました。
こんな感じでの観覧になります。1階は土俵の周りを塀で囲むよう
ですし、2階も後ろではまず見えませんから、要領よく見ようとして
も無理です。(笑) 一昨年は2階以上は自由観覧出来ましたけど。
でも、土俵外でも1 階に居ると出入りするお相撲さんを間近で見
られるので楽しむ事ができます。

そんなわけで、「大相撲KITTE場所」 は次の日だったこともあり、
力士になりきることができる 「すもう撮りカメラ」 や、化粧まわし、
明荷などの展示を行い、大相撲の魅力を楽しく学べる 「大すもう
展」 が土俵の周りに展示されていたので、そちらを見ることにし
ました。相撲グッツも販売されていました。

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8月20日から26日までは、土俵を中心に 「大すもう展2017」 が
行われていました。間近で見る事が少ない力士に関する品々や、
『はっきよいKITTE』 だけのオリジナル展示が開催されています。
ここでも外国の方が興味深く観覧やスマホで写真をパチリ。(下)

「懸賞旗」  (上)
お相撲さんが取り組みをするまでの間、呼び出しが土俵に上がっ
てスポンサーの名前が入った幕(旗)を持って土俵を一周するとき
の、あの懸賞旗です。懸賞旗って、あんまり普段は注目していない
のですが、というより、NHKの放送では懸賞旗を持った呼び出しが
土俵に上がった瞬間、懸賞旗を映さないようにしているので、見た
くてもじっくりとは見られないのが現実なんですけどね。懸賞金は
1本6万2千円。内訳は、勝った力士に56,700円、取組表掲載料
・ 場内放送料といった手数料として相撲協会に5,300円支払われ
るのだそうです。白鵬対鶴竜の取組に対して、懸賞61本が懸けら
れました。勝った白鵬は、この一番だけで、345万8,700円を懐に
入れたわけですね~。

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横綱 ・ 稀勢の里の化粧まわしが展示されていました。話題になっ
た漫画 「北斗の拳」 のキャラクターがあしらわれた3本ぞろいの化
粧まわし。横綱稀勢の里に 「ラオウ」、(上右) 太刀持ちに 「ケン
シロウ」、(下左) 露払いに 「トキ」 と、 「北斗の拳」 の三兄弟が
並んだ状態。化粧まわしと同じデザインの懸賞旗もあるようです。

「化粧まわし」
化粧まわしは、大相撲の関取が土俵入りの際に締める儀式用の
「廻し」 です。博多織の布の先端に豪華な刺繍と馬簾 (ばれん)
の付いたエプロンのような大きな前垂れを持つ高価な廻し。横綱
の場合は本人の分の他に太刀持ち、露払い役の力士の分も含め
た三つ揃い (いわゆる三点セット) です。協賛企業や出身校など
のスポンサー (後援会、タニマチ) から贈られるものが多いとか。
一般的な化粧まわしは、安いもので100万円程度、高いものに
なると数千万円もするものがあるようです。

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元人気力士だった高見盛 (現 ・ 振分親方) の 「明荷 (あけに)」
が展示されていました。「あけに」 って 「明荷」って漢字なんですね。
TVの中継で聞いたことはありましたが、意外な漢字でした。空け荷
かと思いました。(笑) 明荷は力士たちの大切な商売道具です。

「明荷 (あけに)」  (上左)
明荷とは、十両以上の力士 (関取) や行司が荷物を運ぶときに使う
籠です。中には化粧廻し、締め込み、浴衣、小物類、雑品 (テーピ
ングテープ) といった、お相撲さんの身の回りの品が入っています。
力士の場合、関取になると、始めて持つことができます。本場所では、
初日に支度部屋に運び入れ、千秋楽まで各力士の明け荷がズラー
ッと置いてあります。また地方巡業にも持ち運び、旅行鞄としての役
目を果たします。真竹を割った板で井桁に編んだ上に丈夫な和紙を
幾重も張り、漆で塗り固められており、作りとしては丈夫な竹籠です。
蓋には朱色で持主の四股名が書かれています。

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会場内にはいろいろと色々な資料等が展示されていて、 「スー女
(相撲好き女子)」 やスーツケースを持った外国人も大勢いて、珍
しい展示品に見入って、やたら写真を撮っていました。昨年、一昨
年と行なわれていたようで、一味違った催し物が観られるのも、東
京では珍しい巡業の楽しみです。江戸時代より現代まで脈々と受
け継がれてきた大相撲の魅力を体感できる絶好の機会。最終日
は横綱をはじめとする全幕内力士による本場所と同じように取り
組みが行われ、当日は凄い人出になると思う。魂と体がぶつかり
合う、真剣勝負の大相撲。応援するこちらにも、力が入ります。
そんな相撲を観戦したかったなぁ~。残念!

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「高安関の体重 (174㎏)」  (上)
大関 ・ 高安の体重と同じ、砂袋も展示され、皆さんが持ち上げよう
としますが・・・・。この数値はツキノワグマの一番大きいサイズ並み
の体格のようです。私も挑戦しましたがビクともしませんでした。(笑)
高安関はハーフで父親が日本人、母親がフィリピン人です。ハーフ
だからというわけではないかもしれませんが、高安関はかなり毛深
いことでも有名です。
「力士の手」  (下左)
力士の大きく厚い 手のひら。相撲の技の一つに、平手で相手を突く
「突っ張り」 があります。日頃から力士は、鉄砲柱と呼ばれる柱に向
かって左右の突っ張りを繰り返す稽古を行ないます。 したがって、
指の長さのみならず、手のひらも厚く、総じて大きな手のようです。
「力士の足」  (下右)
大きく甲の高い肉厚な足を自分の手足と比べる事ができます。
力士の稽古の一つである 「すり足」。股関節周りの柔軟性を強化し、
体幹を強化するために行うそうですが、毎日すり足を繰り返すため、
足の裏は磨り減り、甲の高い肉厚な足になっているようです。

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「寿司」
力士の食事の量を比べた展示もありました。力士の一食分で寿司
95皿。(上) 一般的な一食は寿司20 皿が展示されていました。
(下右) 聞いた話によると一度に2升ぐらいのご飯を食べる力士
もいるようです。握り寿司1貫のシャリが約20g、2升分となると約
320貫。ネタもあるのでここまでいくかどうかわかりませんが、一
皿2貫としても100~150皿ぐらいいくんじゃないかと愚推します。
ちゃんこ鍋をたらふく食べた後に、回転寿司を73皿、夜にまたちゃ
んこ鍋と、居酒屋でメニューのほとんどを食べ、帰りにコンビニで
弁当二個とデザート。そしと朝、普通にぶつかり稽古している力士
もいたようです。量よりも金額の方がスゴイと思いますけどね。(笑)

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力士が食べる1食の量も、一般的な量と比較展示、高~く盛られた
量に驚いてください。(笑) 今でこそ、カロリーがどうのバランスがど
うのと言われていますが、その昔は、とにかく、でかくなれ、喰うのも
仕事のうち、だったようです。
「ソバ」  (上)   
そばは約20人前。これは時津風部屋の大畑 (三段目) が、一度に
食べた量のようです。大食いと言われる一般の方でも行けそうです。
「ご飯」  (下)
ご飯は一般的な1食 (下右) で、左が佐渡ヶ嶽部屋の琴欣旺
(西三段目) の1食の例。ド~ンと、ごはん約7合のようです。

力士の大食いでは、体の出来あがった関取衆よりも、幕下以下の10
代後半の若い衆の方がすごいようです。世間一般では高校生位の年
齢の子です。力士は身体を大きくするために、若手の力士はドンブリ
飯10杯がノルマになってる部屋もあるようです。普通の人だって若い
時はドンブリ飯を何杯もお変わりするじゃないですか? 体育会系な
らなおさらですよね。お相撲さんによって個人差があるものの10代の
相撲取りならそれなりに食べるのでしょう。まあそれでも一応、昔の
記録では、ドンブリ飯23 杯というのが伝え聞く記録があります。

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その他、漫画で学ぶ相撲と題して、相撲を題材にした漫画も置か
れていました。また、あら不思議、自分の顔が力士風に! タブレ
ットのカメラで、自分の顔を撮影すると、髷を結った顔がお相撲
さんに早変わりというのもありましたが、時間制で残念ながら体
験できませんでした。土俵の角にモニターが映っている場所。

稀勢の里が横綱昇進したとき、田子ノ浦部屋がある東京都 ・ 江戸
川区の小学校で開かれた横綱昇進報告会に出席し、そこで 「どの
くらい米を食べるのか」 と子供たちに質問された際に苦笑いしなが
ら 「10代、20代前半は1升ぐらい食べたこともあったけど、今は茶
碗1杯ぐらいです」 と答えていたのを思い出しました。関取は体が
出来上がっているので、普通の人と変わらないようです。

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「力士、行司、年寄が書いた手紙 ・ はがき展」
江戸、明治、大正、昭和の力士、行司、年寄が書いた手紙 ・はが
き等を4 階の旧東京中央郵便局長室で解説文章付で展示されて
いました。今までに残された珍しい資料で、力士がどんな手紙を
書いていたのか、歴史を感じられる展示です。

「書中見舞い (昭和18年 ・ 第37代横綱 ・ 安芸ノ海)」  (下左)
双葉山の70連勝を阻んだ横綱 ・ 安芸ノ海が、巡業先大連から出
した暑中見舞い。差し出し場所は相撲興行場内と書かれています。
当時、中国で満州巡業が行われていたんですね。不世出の名力士
双葉山、 安芸ノ海に70連勝を阻まれたとき、「津波が押し寄せて
くるような、地鳴りのような轟音がした」 という。アナウンサーは 「双
葉負けたね! 確かに負けたね!」 と確認してから 「双葉山敗れる
!」 とのアナウンスをした 「世紀の一番」 で知られる名勝負。
「横綱 ・ 稀勢の里の実物大手形色紙」  (下右)
横綱 ・ 稀勢の里の実物大手形色紙と左には稀勢の里が横綱に昇
進したときに昇進披露宴の後援会にあてた挨拶状。他に稀勢の里
の絵葉書やフレーム切手セットなども展示されていました。

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力士が書いた巡業の御礼状や、打ち合わせに使用した電報など、
大相撲を通じて逓信の歴史に触れることができる、貴重な展示会
でした。相撲ファンにはたまらない資料かも知れませんね。

「小結 ・ 光風と横綱 ・ 柏戸の挨拶状」  (上)
大正期の小結光風 (てるかぜ) 貞太郎が出身地秋田由利本荘市
の後援会に出した挨拶状。国内巡業を好成績で過ごし、次に大阪、
神戸を経て台湾に向かう旨が書かれています。下は病気やケガで
4場所連続休場した横綱 ・ 柏戸が、昭和38年9月場所に出場し、
見事全勝優勝を遂げて 「涙の全勝優勝」 と讃えられた。 これは
その時に後援者に出された挨拶状全文です。

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「大横綱 ・ 双葉山と大関 ・ 三根山」  (左)
69連勝した戦前の大横綱双葉山が、戦前の宝塚の大スター天津
乙女さんに贈った昭和15年5月場所の番付と封筒。(左側) 江戸
の昔から力士が贔屓筋に番付を贈る風習が今も受け継がれている。
昭和30年代、子どもに人気のあった三根山が、少年ファンの求め
に応じて送った自身のサイン入りプロマイドとメンコ。(右側) 受け
取った少年は、さぞかし感激したことだろう。
「23世吉田追風死去の弔電」  (右)
昭和14年、相撲界に功績のあった23世吉田追風死去の際に、
当時の相撲協会長・竹下海軍大将、横綱双葉山、武蔵山、男女の
川や大阪相撲大錦などが発した弔電です。相撲の家元で 「横綱」
を考案し、任命していました。現在の横綱は、日本相撲協会が任
命しています。、「相撲の祖」 として天皇より命を受け、相撲の神
様と言われていた、由緒正しき家柄です。

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「相撲グッツ販売」
「はっきよいKITTE」 だけのオリジナル商品も販売していました。
期間中だけの限定商品も販売され、かわいいポストカード ・ 力士
キーホルダーなどを販売しているほか、KITTE館内の各店舗でも
オリジナル商品や相撲関連グッズが販売されていました。靴下、
ハンカチ、えびせんべい、パンなどがあります。外国の方が沢山
グッツを購入していたのが印象的でした。

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普段は買い物や食事などで賑わう 「KITTE」 は、相撲ファンが入
れ替わり立ち替わり、多くの人が次々に絶え間なく出入りしてい
てました。大相撲の巡業が開催された 「KITTE」 は、色んなイベ
ントが行われているんですよね。クリスマスには大きなツリーが
飾られていました。相撲協会と 「KITTE」 とのコラボですが、もう
少し工夫をすれば、大勢の相撲ファンが楽しめるのになぁ~と
思いながら、また、続けて欲しい・・・・と、願いながら東京駅へ
向かいました。





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いつも訪問して頂きありがとうございます。


「ドイツからの客」

...2017/09/03 11:12...

9月になりました。
9月は別称で 「長月 (ながつき)」 とも呼ばれますが、
これは日を追うごとに夜が長くなるから、そう名付け
られたともいわれています。カレンダーに使われている
写真などは秋一色ですが、実際にはまだ蒸し暑い空気
が居残っています。でも、ここ2~3日は涼しい風を感じ、
季節の移り変わりを実感します。

「秋きぬと 目にはさやかに 
     見えねども風の音にぞ驚かれぬる」

秋になった兆しは、まだ目に見えないが、鳴る風の
音の中にその気配を感じて驚いた、ということだろうか。
千年以上も前に創られたこんな歌が口をついて出てくる。
日本人ならば誰でも理解できる感覚だ。
日本人の感性って本当にいいなぁと思う。

茶道の世界などでは、暦月が九月になると茶室での
着物が、それまでの夏の着物 (絽 ・ 紗) から単衣の
着物に替わるのだとか。残暑が続くとはいえ、やはり
季節も夏から秋へと変わって行くわけですね。

希節に恵まれ四季折々様々な歳時の中で生活が
根付いている島国の日本である。天気のことは自然
の現象で、私たちには致しかたないことではあるが、
春は春らしく、夏は夏らしく、秋は秋らしく、冬は冬らしく、
あって欲しいと願わずにはいられない。

夏の終わりは秋の始まりであり、
ウナギの終わりはサンマの始まりなのです。


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「ドイツからの客」


日本から10 時間かけて飛行機から降り立つと、
そこは中世ヨーロッパの街並だ。石畳に西洋建築、ふと見れば、
日本で暮らす私たちにとっては珍しいヨーロッパ車だらけである。

ハンブルクからドイツを代表する国際高速列車、(いわゆる日本
の新幹線)で、ドイツ鉄道のハノーバー駅に着くと、ルネッサンス
様式の見事な新市庁舎や、ヘレンハウゼン王宮庭園の幾何学的
な庭園があり、ライネ川沿いにある北ドイツの主要都市のひとつ
ハノーファーという街がある。

そのハノーファーからドイツの友人家族4人が、夏休みを利用して
我が家と知人宅を訪れた。2度目の来日で親日家の家族である。
一度目は奥さんを伴っての新婚の頃。今回は小学生に成長した
お嬢さんも一緒の訪問だった。直接お嬢さんたちに会うのは
初めてなので私たちも楽しみにしていた。

エーデルさんとは、知人と学生時代にドイツへ行ったときに
知り合った。当時、お互い剣道をしている関係で話が弾み、
家にも招待され5日ほど過ごした。それ以来、共通の趣味を通して
の知り合いである。連絡を受け、かみさんと知人の奥さんは案内の
準備や、要望のあった武家屋敷の手配に忙しかったようだ。

当日、到着に合わせ知人と共に成田空港へ。
到着口では一目見るなりお互いに満面の笑顔。2人のお嬢さん
たちは色白で、青い目と金髪が美しくひときわ輝いて見えた。
我が家に着き、食事会とプレゼント交換の後、事前に用意した
お琴を彼の奥さんやかみさんたちが即興で弾き始めた。
間の取り方なども上手で、音楽のセンスを感じた。

都内を見学した後、知人の故郷である秋田の角館へ。
武家屋敷では当主の方が案内して下さり、満足そうな家族に
ホットした。2人のお嬢さんは興味を持ち、カメラのシャッター
を押している姿がおかしかった。その後、花巻市 (岩手) の
大沢温泉へ向かい、浴衣に着替えて夕食の膳へ。箸の使い
方がとても上手だった。お風呂タイムでは、ゆっくりと
温泉気分を味わって長旅の疲れも取れたようだ。

そして、えさし藤原の郷へ。
池には中尊寺から株分けされたハスがピンク色に咲き綺麗
だった。次女の子はコイの餌やりに夢中。長女は甲冑姿にも
変身して楽しんでいた。やがて太鼓の音に鹿踊りが始まり、
思い出深い旅行となったようで、たいそう喜んでいた。

「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」。

人生の最高の楽しみの一つは、仲のよい友人とともに酒を
くみかわし、歓談することであるという、孔子の人間味のある
喜びが、この一語から伝わってきます。東日本では天候不順
の続いた日々でしたが、我が家も知人も、ドイツからの来客を
迎えて、まさに充実した夏休みを過ごすことが出来ました。

成田空港で再訪を誓い、笑顔で 「Tschüs. (チュス) 」 と
ドイツ語のあいさつを交わして別れた。


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「風鈴のれんストリート」 東京ミッドタウン2017

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六本木へ家族で買い物に出掛けた帰り、立ち寄った東京ミッドタ
ウンのガレリア館内に 「風鈴のれんストリート」 が設置されていた
ので、ちょっと覗いてみました。風鈴と言えば、川崎大師の 「風鈴
市」 が数も多く有名なのですが、面白そうな企画なので、各フロア
を廻って楽しみました。季節的には過行く感じですが、まずは
「風鈴のれん」 を楽しんで下さい。

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「東京ミッドタウン」
東京ミッドタウンは、東京・赤坂にある複合施設。防衛庁本庁檜町
庁舎跡地の再開発事業として、平成19年(2007) に開業しました。
6つの建物が立ち並び、オフィス、ホテル、ショップ、レストラン、スー
パー、美術館などの施設があり、今年で開業10周年だそうですが、
施設内はとても綺麗でハイセンスな時間が過ごせます。

一昔前は高級料亭やバー、クラブなどがひしめく夜の街としての
イメージが強かった赤坂・六本木エリアも、六本木ヒルズのオープ
ンを皮切りに東京ミッドタウン、赤坂サカスなどの複合施設が次々
と誕生し、お洒落なスポットに変貌を遂げました。現在では昼から
夜まで、刺激を求めて流行に敏感な人々が集まります。また、国
立新美術館、森美術館など文化施設も多く、芸術の街としても
注目されています。

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「風鈴のれんストリート」
東京ミッドタウン内のガレリア館内に、さまざまな風鈴がのれんに吊る
された 「風鈴のれんストリート」 が3か所に設置されていました。東京
ミッドタウンのデザイン専門施設が実施する企画展。現代アーティス
ト西野達さんとのコラボレーションで、江戸風鈴や陶器など、素材も
音も違うたくさんの風鈴が吊るされたのれんをくぐると、あたりに涼し
げな音が鳴り響く、というもの。風鈴とひと口に言っても、素材やデザ
インなど種類は様々です。「備長炭風鈴 (和歌山)」 は、備長炭の
「カラカラッ」 という音にも風情があります。素材によって 「リンリン」
「チーン」 「カランカラン」 など音が違いますが、個人の好みは様々
です。地域名産の素材を活かした個性あふれる風鈴にも注目です。

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「チリリン、チリリン」 と鳴る涼しげな音色に耳を傾けてました。と言
いたいのですが、何しろ館内ですから当然風もなし。のれんをかき
分けることによって、布が揺れると吊るされている風鈴もチリリンと
揺れて涼やかな音色を奏で、耳でも涼を感じようというわけです。

全国に様々な風鈴があるのに驚きました。ガラスはもちろん、陶器
・ 鉄器 ・天然石等。地域の特色が風鈴にも使われていて、なるほど
~~と思いました。 ちょっと面白かったのが、「サヌカイト風鈴」 で、
古代のロマンを感じられるその音は、安らぎを感じる 「風の水琴」。
暑い夏、風鈴の音で涼しさを感じるのは良いものです。

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風鈴の祖先は、古来中国の 「占風鐸 (せんふうたく)」。竹林に下
げ、音の鳴り方や風向きで吉凶を占うものでした。これが仏教と共
に日本に伝えられ、魔よけとして用いられたのが 「風鐸」 です。お
寺や貴族の屋敷の軒下四隅などにつり下げられ、この音が聞こえ
る範囲は災いが起こらない、疫病神が入ってこない、などと言われ
ていたようです。江戸時代になると、青銅製の多かった風鈴にガラ
ス製が登場します。

ポルトガルから製法が伝わったガラス (ビードロ) で長崎のガラス
職人が風鈴を作り、大阪や京都、江戸で売り出します。それから
100年後 (天保以後)、江戸でもガラスが作られるようになり、
庶民も涼しい音色を楽しめるようになったのです。

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「サヌカイト風鈴」  (香川)
香川県の山で産出される音を奏でる希少な天然石 「サヌカイト」
の風鈴です。 美しく、どこか儚く、安らぎと古代のロマンを感じられ
るその音は、同じ音、同じ形のものはない 「オンリーワン」 の音色
という。いちばん心地いい音色を奏でるサイズをみつけるために、
ひとつひとつ丁寧に石を切り出し、形を整えて作られるようです。
100万年の時が奏でる悠久の讃岐の音色と言われています。

「サヌカイト」
世界中でほぼ香川県のみで算出されている安山岩。ドイツの地質
学者が 「讃岐 (さぬき) の岩」 の意をこめ 「サヌカイト」 と命名。叩
くと神秘的で澄んだ美しい音を奏でるところから、地元では 「カン
カン石」 と呼ばれています。古くは矢じりや石刀として使われ、江戸
時代頃からは吊るして鳴らす石として親しまれてきました。1964年
の東京オリンピックの閉会式で、サヌカイトの石琴が奏でる凛とした
調べが世界中の人を魅了したようです。

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「KAKURA陶器風鈴」
  (大阪)
KAKURA陶器風鈴は、ほっこりとしたやさしい音色でなごませてく
れる陶器の風鈴。風の強い日でも耳ざわりな硬質音ではなく、近所
への気がねがいらないひかえ目な音色のようです。軸から糸でつ
ながれた揺れの部分に、0.6mm という薄さに仕上げた革を使い、
陶器×革の組み合わせが斬新なKAKURAの陶器風鈴です。

「KAKURA (カクラ)」 は、少数先住民族の部族名からとったブランド
名で、先住民族の暮らしを見習って、「本質を見る目」、「大切なもの
の再生」、を基本テーマに生活に潤いを与える道具を、できる限り環
境に配慮した素材でデザインし、「日々の暮らしをデザインする」 気
持ちで、つかい手の心を豊かにすることを目指した製品開発を行な
うなどインテリア雑貨を展開している会社という。

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庶民の生活のなかに風鈴が入ってきたのは、天保 (1830~1844)
の頃で、広く普及したのは幕末から明治期のようです。風鈴の歴
史は、ガラスの歴史に関わりが深い。有名な浮世絵に喜多川歌
麿の 『ビードロを吹く娘』 があります。ビードロとはガラス製の音
の出る玩具で、口から息を吹き込んだり吸ったりして音を出して
遊ぶものです。底面部分のガラスが薄くなっていて、ペコペコと
動きます。 その音から 「ポッぺン」 「ポピン」 とも呼ばれました。
当時のガラスは鉛分が多く、今より柔らかかったからできたので
しょう。 歌麿の美人画に出てくるくらいだから、高貴な遊びだっ
たことは想像できますね。

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「有田焼風鈴」 (佐賀)
有名な有田焼は、元和2年 (1616) 有田の町外れにある泉山に
白磁鉱を発見して始まったといいます。特に和食器は品質もよく、
家庭内にも多く使われています。磁器である有田焼の風鈴には
ガラスの風鈴より少し低い音色の心地よい音と、白磁ならではの
品と趣があるのが、有田焼風鈴の特徴のようです。短冊にラミネ
ート加工を施しているので時間が経っても、曲がりにくく、汚れに
くく更に、風が均一に当たり、有田焼磁器の美しい音色を楽しめ
るようです。風鈴にしては勿体ない贅沢な感じですね。

有田焼とは基本的には、佐賀県の有田地区周辺で生産された磁
器の焼き物を 「有田焼」 と言いますが、現在は佐賀県の伊万里 ・
吉田地区、長崎県の三川内 ・ 波佐見地区などで生産された焼き
物も称して 「有田焼」 と呼ばれる事もあるようです。

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「南部鉄器風鈴」
  (岩手)
南部鉄器の技法を生かして、鉄を使って作らた南部風鈴はあまり
にも有名です。陶磁器やガラスと比べて、金属特有のひときわ高い
音色が特徴です。音の良さで言ったらこの風鈴が一番でしょうか。
古き良き時代の息づかいを伝える南部風鈴は 「残したい日本の
音百選」 に選ばれています。 日本で風鈴と言えば 「これ」 という
人が多いそうです。風鈴の澄んだ音色でひと時の涼を感じたい。

南部鉄器の産地は岩手県盛岡市と奥州市水沢区。盛岡市は17世
紀中頃南部藩主が、京都から釜師を招き湯釜を作らせたことが始ま
りとされ、奥州市は平安時代末期、平泉の藤原清衡が武具等を鋳
物で作らせたのが始まりと言われています。保温性、耐久性に優れ
た南部鉄器は、欧米でも大人気。現在は中国等東アジアでも南部
鉄瓶が高く評価されているようです。

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「紀州備長炭風鈴」  (和歌山)
硬く焼き上げた紀州備長炭を使用した風鈴です。備長炭は和歌山
県の特産品である馬目樫という上質の樫の木を素材とし、千二百
度という高温で焼き上げ硬く上質な木炭です。備長炭風鈴は、備
長炭そのものの形を生かしてつくられ、硬質な澄み渡る響きのい
い音色のようです。

備長炭は炭の密度が高く、金属音のような高い音色が出るということ
で、それを風鈴にしてしまおう! と作ってしまったんだとか。カンカン
としながらもカサカサした乾いた音色が、夏の暑い夜の枕元にオスス
メだそうですよ。たしかに独特の音で、そんなに大きい音ではないの
で寝る時にいいかもですね。さらに備長炭なので消臭効果もあり、
冷蔵庫にもオススメです。(笑)

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チリン、チリン・・・・・凛と響く音色が、涼を運びます。 風情、風雅、
風趣という言葉もあるとおり、世界広しといえども 「風」 の愛でる
心を持つのは日本人だけかも知れません。 中でも、風を音に変
えて、その風情を楽しむ風鈴は、まさに 日本人ならではの楽しみ
といえるでしょう。

江戸時代の末期、天秤に沢山の風鈴をぶら下げ、江戸八百八町
を売り歩いた風鈴売りたち・・・・。彼らは物売りには珍しく売り声を
あげることはまずなかったと言われています。 売り物の風鈴が、
そよ風を受けて軽やかな響きを奏でれば、それにまさる売り声は
なかったからでしょうか。 「売り声も なくて買い手の 数あるは
音にしらるる 風鈴の徳」 という狂歌に読まれる程、風鈴は一世
を風靡したようです。

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「江戸風鈴」  (東京)
色鮮やかな絵付けが楽しめる、ガラス製の江戸工芸品。風鈴とい
ったらやっぱりこれですね。私には一番聴きなれた江戸風鈴の音
が一番ほっとできるかもです。江戸時代から継承されてきた下町
のガラス職人による吹き硝子で、金魚・朝顔など夏らしい絵柄を
内側から描くのが特徴。下の口の部分がギザギザに作られており、
ふり管が触れるだけで清涼感ある音色を奏でます。 実は、これが
江戸風鈴の涼やかな音の秘密なそうです。日本を代表する風鈴。

江戸末期に、江戸の問屋である上総屋留三郎が長崎で技術を取
得し、帰国後安価でガラス風鈴を作ったのが江戸風鈴の始まりと
されています。型を使わずひとつずつ手作業で吹いているため、
1つずつ音が異なります。現在では2軒のみが、江戸風鈴を作り
続けているようです。

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「青銅風鈴」  (富山)
青銅の質感や輝きを最大限に生かし、高い技術力で、伝統工芸品
である高岡銅器をシンプル、素材の美しさを表現する為、一品一品
手作業にこだわり、味わいのある風鈴に仕上げたようです。青銅の
音色が何とも言い難い感じです。目をつぶって音色を楽しみたい。

高岡銅器は、江戸時代の初め、加賀前田藩が、鋳物の発祥地であ
る河内丹南の技術を持った7人の鋳物職人を招いて鋳物工場を開
設したことに始まります。高岡鋼器は花器、仏具等の鋳物に彫金を
施す 「唐金鋳物 (からかねいもの)」 を作り出したことにより発達し
ました。明治時代には、パリ万国博覧会に出品されたことから世界
でも知られるようになり、全国の生産量の9割を占めるまでに至っ
ています。

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日々の喧騒からちょっと離れ、「日本の音」 と称される、爽やかな風
を受け、心地よく鳴り響く風鈴の音、その美しい余韻を味わうのも良
いものです。冷房のなかった時代に日本のむしむしとした湿気の多
い暑い夏をやり過ごすため、日本人は風鈴の音を聞くことに涼しの
風情を感じてきたのでしょう。

ガラス風鈴は、透明感が涼しげで夏にピッタリの素材。「江戸風鈴」
が有名ですが、伝統の美しさを感じさせ、風に揺れるシャボン玉の
ように見えました。陶器風鈴は、有田焼、備前焼、普通に有名な陶
芸の産地で風鈴もたくさん作られているんですね。金属系では、南
部鉄瓶が有名な岩手県の 「南部風鈴」 「高岡青銅風鈴」。金属製
は色合いは鈍いですが、音はきれいだと言うファンも多いのです。
その他、地域名産の素材を活かした個性あふれる風鈴にも注目。

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「備前風鈴」 
 (岡山)
「備前風鈴」 は、粘土に鉄分が多く混ざっているため、他の素材の
風鈴より深みがあるのが特徴。また、より高く澄んだ音になるよう、
極力薄く作られています。ひとつひとつ手作りのため、同じ備前風
鈴でも音色が違うのも人気の理由という。毎年夏には岡山市内を
走る路面電車で、この備前風鈴を車内に吊るし、音色で涼を演出
する 「風鈴電車」 というイベントが行われ、風が吹くと 「チリンチリ
ン」 と心地よい音が響き、乗客を優しく癒してくれるようです。

備前焼は、日本六古窯のひとつとして奈良末期から平安朝時代に
完成され、釉薬を一切使わず、土と炎と人の技のみで生み出されま
す。千年余りの長い歴史を経て、その作風を今に受け継いでいます。
材料の美しさと造形の簡潔さが、「土」 と 「火」 の芸術とも言われて
います。茶道の侘び寂びに通じるような素朴な音色を奏でるそうです。

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「小樽ガラス風鈴」  (北海道)
小樽ガラス風鈴は、宙吹きという技法を用いて、職人が丹精込めて
一つ一つ丁寧に仕上げているため、一つ一つの音色が異なるのも
特徴です。北海道という大自然をモチーフにして生まれ、ガラスの
街である小樽では、軽やかで涼風を呼ぶ癒しの音色が街に響き、
風鈴の涼やかに包まれるようです。

小樽を代表する工芸品として広く知られる小樽ガラスは、北海道開
拓を支えた港町という歴史を背景に生まれました。それは、電気が
まだ普及していなかった頃、石油ランプや漁業用の浮き球製造と
いった実用品作りを始まりとしています。その後、電気の普及によ
り石油ランプ等の実用品の需要は、時代の変化とともに需要が減
っていたガラス製品を小樽ガラス製法の高い技術を生かし、花瓶、
グラス、コーヒーカップなどに生まれ変わり、小樽のガラス文化へ
と成長し、風鈴をはじめ多くの工芸品を生み出すようになりました。

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風鈴は日本が誇る大切な日本文化の一つだと思います。手作りの
技術の素晴らしさはもちろんの事、伝統と歴史あるモノです。子供
の頃は、夏になると風鈴を飾ることが当たり前でしたが、近頃は風
鈴の音色が聞こえることが少なくなり、寂しく感じていました。しかし、
節電により力を入れている私たち。今こそ、自然が届けてくれる風
により涼しさをもたらしてくれる風鈴の素晴らしさを、皆で味わうと
共に、後世へ風鈴の魅力を伝えていければと思いますね。猛暑
厳しい中、日本の夏を、風鈴の音色で楽しみたいですね。

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会場内は、風鈴の素敵な音を聞きながら、とても賑やかでした。
涼やかに揺れる風鈴を愛で、夏の情緒を満喫している人が多か
ったです。訪れていた老夫婦も 「風鈴のれん」 は楽しかったらしく、
通路の椅子に腰かけられて、ズ~ット風鈴の話をされていました。
あちこちから、のれんをかき分けられ様々な風鈴の音色が聞こえ
て来ます。まるで、アンサンブルを奏でている様でした。 そんな
ことも思ったガレリア館内の 「風鈴のれんストリート」 でした。





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Author:takasan
ようこそ!

ちょっとした幸せな風景
あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
ほんわかと届きますように。

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