一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。






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「 こだまでしょうか 」

...2017/03/12 09:50...

弥生(やよい)の月です。
草木がだんだん芽吹く月であることから弥生という。

3月5 日は啓蟄 (けいちつ) でした。土の下で冬ごもり
していた虫たちが、穴から出てくる頃といわれています。
この時期から咲き始めるスミレは、歩道のコンクリートの
すき間に根付いて、花を咲かせるほどの強い生命力を持っ
ています。スミレの元気に負けないように、朗らかな毎日を
過ごしたいですね。

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さて、昨日3月11日は東日本大震災の日でした。前代未開の巨
大地震から6年目を迎えました。11日は、地震発生時刻の午後
2 時46分、日本列島は鎮魂の祈りに包まれたはずです。

先日、銀座 ・ 数寄屋橋交差点で、皆さん 「銀座 ・ ソニービル」 に
向けて写真を撮っている場面に遭遇。 実は 「Yahoo!JAPAN」
が銀座のソニービルの壁面に、今月6 日から出した広告のようです。
この広告はよく見ると、Yahoo!のロゴ以外に絵や写真がなく文章
だけです。このビルの広告が、いま話題となっているそうです。
3月12 日まで掲示しているようです。

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Yahoo!JAPANでは、震災から6年がたち、記憶が薄れつつあ
る中、「防災意識を高めてほしい」 という思いから、震災を象徴する
「津波の脅威」 を表現するため、この広告を出したそうです。そして、
この広告は 「想像してもらう」 ことも狙ったそうです。ただし、被災者
の心情に配慮することを考え、過度な表現を避けて、「テキスト」 と
「津波の高さ」 を組み合わせるアイデアになったようです。

( 原文 )
3月11日。この日が来るたび、私たちはあのときのことを振りかえる。
東日本大震災から、早くも6年が経った。災害なんて、もう起きるな。
毎年のように私たちはそう思うけれど、災害はいつかまた、たぶん、
いや確実におきてしまうだろう。あの日、岩手県大船渡市で観測さ
れた津波は、最高16.7m。もしも、ここ銀座の真ん中に来ていたら、
ちょうどこの高さ。想像よりも、ずっと高いと感じたはず。でも、この高
さを知っているだけで、とれる行動は変わる。そう。私たちは、今、備
えることができる。被災した人たちの記憶に想像力をもらい、知恵を
蓄えることができる。あの日を忘れない。それが、一番の防災。
ヤフーはそう思います。

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東日本大震災では、最大16.7m の津波が東北地方の太平洋
沿岸を襲い、甚大な被害をもたらしました。この広告が掲載されて
いる 「銀座ソニービル」 の高さは地上およそ31mです。ですから、
もし銀座に津波が押し寄せていたら、津波はビルのちょうど真ん
中あたりまで届いたということになります。数字だけでは想像しが
たいですが、ビルの高さを利用し、津波の高さをリアルに表現す
ることで、津波の恐ろしさを伝えているというわけです。赤い印の
津波の高さと、横断歩道の人物を比べるとその高さがわかります。

地震>雷>火事>親父。 地震が怖くて当たり前なんですよね。
一番ですからね。先祖の教えを守るべしと思ったしだいです。

【お詫び】
先週は、出張三昧でブログは更新できませんでした。
年度末のために、今月は時々あるかもしれません。
ご了承下さい。 ペコ


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「 こだまでしょうか 」

こぶしの白い花が咲き始めると、東北地方では農作業
が始まるという。北国に春を告げるこぶしの開花を前に、
東北を襲った未曽有の大地震と津波。あの日から6年。

孤立して救助を待つ人、肉親、知人を探し続ける人。
食料、薬品、燃料・・・・・。あらゆる物資が不足している
なかで、そこに雪も降り積む寒気の厳しさ。地震 ・ 津波
から生き残りながら、過酷なまでの試練に耐えてる被災
者の姿に、あの日、皆さんも心痛めたに違いない。

振り返って、思い出して欲しいことがあります。
当時、AC ジャパンのCMが、東日本大震災に伴う
CM 差し替えで話題を呼びました。
その作品の一つが 「こだまでしょうか」。

「こだまでしょうか」  金子みすゞ

「遊ぼう」 っていうと 「遊ぼう」 っていう。
「ばか」 っていうと 「ばか」 っていう。
「もう遊ばない」 っていうと 「遊ばない」 っていう。
そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」 っていうと 「ごめんね」 っていう。
こだまでしょうか、 いいえ、だれでも。

山口県生まれの女性童謡詩人、金子みすゞの作品です。              
「 こだまでしょうか 」 のこの詩の中に ”こだま” という言葉が
あります。この言葉には、実はこんな意味があるんですね。
”こだま” といえば、山に向かって 「ヤッホー」 と叫んだら
ヤッホーと同じ言葉が返ってくる。しかし、金子みすゞの
詩に込められている ”こだま” は、「まるごと受け止める」
という意味で使われています。

たとえば、子供が転んで膝を擦りむき、「痛い!」 と言った
時に、親が 「痛かったね」 と 痛みを受け止めてあげる。
そうすることによって本人の気持ちと、その痛みは半減するん
ですね。逆に、「痛い!」 と言った子供に、「痛くない!」 とか
「我慢、がまん!」 と言い、痛みを否定されると、痛みや気持ち
は押し込めるしかなくなるんだそうです。悲しみを告げた相手
が、自分のことのように受け止めてくれたら悲しみの気持ちは
軽くなります。

この金子みすず の詩 「こだまでしょうか」 のCMは、震災で
心に大きな傷を負った全ての人たちを、被災しなかった周り
の人たちが、正面から丸ごと受け止めて励ましてあげよう!
という、きっとそんな気持ちが込められていたんだと思います。

「人」 を 「憂える」 と書いて 「優しい」 という字になります。
先の大震災は、大きな爪痕を残したが、人間の素晴らしさ
を再確認できました。被災者の心が安らぎを取り戻すにも、
地域社会を立て直すにも、長い年月を要します。万人が
同時にとはいかないことも頭の隅に置かなくてはならない。
知恵と優しさを存分に発揮して 「相手に寄り添う」 気持ち
を取り戻したいものです。

こぶしの花言葉は信頼、友情といいます。
それぞれの心に特別の思いを刻んだ六年でした。
あらためて、「ことば」 の持つパワーって凄いんだな
と感じました。言葉は人を傷つけることもあるけど、
こんなに人を癒したり、受け止めたりすることが出来る
んですね。無機質な現代社会で、金子みすゞのこんな
詩に接して、心の洗濯をするのもまた良いものです。



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湯島天神  梅まつり  2017

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先月、春日通りを通って友人宅へ行った帰りに、「梅が咲いてい
ないかな~」 と、立ち寄ってみたのが湯島天神。咲いていました。
ちょうど 「梅まつり」 が開催されていて、賑わっていました。切通
坂の途中にある、この登龍門 (夫婦 坂) から入るのが一般的で
す。意外とよく訪れる神社でもあります。湯島天神といえば、梅園
の見事さと泉鏡花の 「婦系図」 の舞台に なった事でも有名です。

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「正門鳥居」
鳥居は神社の内と外との間に建てられ、神聖な境内と外界を分け
る役目を果たしていると考えられます。湯島天神の出入り口は4ヶ
所あります。登龍門の反対南側の入口にある青銅の鳥居。 こちら
が本来の正門です。 寛文7年 (1667) 創建と古く、江戸の面影
を残し都内に遺存する鋳造の鳥居として、製作も優秀なもので、
有形文化財に指定されています。鳥居の様式は神明鳥居といわ
れるもので、横木が二重になり、反りをもって、柱が内側に傾いて
います。横木の上の方を笠木、下の方を島木といいます。下部に
施された唐獅子頭部の装飾は、鳥居としては特異とされている
ようです。あまり見かけませんよね。 (下)

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「湯島天神」
湯島天神は、正式名称を 「湯島天満宮」 と言い、天之手力雄命
(あめのたぢからをのみこと) と菅原道真が奉られています。 その
起源は古く、雄略天皇の御宇2年 (458) に創建と伝えられ、湯島
天満宮と呼ばれるようになったのは菅原道真公を祭った1355年
からで、その120年後、太田道潅によって修建されて、徳川家康
の江戸入りの後、江戸幕府の崇敬を受けています。 つまり元から
天神様では無かったって事なんですね・・・・。江戸時代は両方の
名前で呼ばれていて、明治維新後は湯島神社となり、平成12年
に湯島天満宮にしたようです。ただ湯島天神という名、愛称の方
が広く知られている感じでしょうか。

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「拝殿」
菅原道真公を祀っていることから学問の神様として知られ、受験
シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れますが、普段から
も学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せています。
境内には茶店や休処が常設され、楊弓場では宮芝居や大相撲が
行われ江戸庶民にとって、数少ない娯楽地のひとつでもあったの
で、なかなかの繁盛を見せていたらしいです。現在でもイベントの
多さに納得します。湯島周辺には東京大学をはじめ多くの大学が
あり、神田川をはさんだ向かい側は、学生街の御茶ノ水です。東京
の学校を受験する人なら、一度はお参りしたい神社です。私も都内
の神社の中で、明治神宮に次いで参拝の多いのが湯島天神です。

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「絵馬」
天神様に祀られている菅原道真は学問の神様。
境内に入ってまず目に飛び込んでくるのが圧倒的な数の 「絵馬」 。
受験生や親御さんたちが掛けた合格祈願の絵馬がずらり。普段、
神社で見かける絵馬掛けとは規模が違いすぎます。5 か所に同じ
ようにあります。しかし学問は、受験をひかえた学生だけではあり
ません。 仕事でさらなる活躍を目指す人にも、“ 学び ” は必須。
さすが湯島天神! 凄いでしょう。なんと絵馬は6万枚もあるという。

「学問・・・・努力すれば叶う」 と至極まっとうなご託宣を胸に・・・・・。
ちょっと余談。この湯島天神の絵馬は4種類あり 「開運絵馬」 のみで、
絵柄は正月から5~6月ぐらいまではその年の 「干支」、それ以降は
「牛に乗る天神様」 になります。この 「開運絵馬」 は、学業 (合格)
祈願だけでなく様々なお願い事が書かれて奉納されています。また、
この 「開運絵馬」 以外に合格祈願のご祈祷の時に記入する 「牛」
の絵馬、お礼詣りの時に授与される 「だるま」 の絵馬があります。

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毎年受験シーズンには合格祈願に訪れる受験生は数知れません。
訪れる度に大量の絵馬に祈りが託され、志望校や願いが書かれた
絵馬が幾重にもつり下げられる多さにはビックリしてしまいます。

絵馬に目を通すと弟さんへの合格を願うお姉さんが小さな文字で
びっ しりと書いていたり、先に合格を勝ち取っている人から友へ、
「君なら 出来る、がんばれ!」 という熱い思いだったり。そんな中、
ふと目 に止まった絵馬がありました。丁寧な文字で 「ありがとう」
とだけ書か れていました。お願いばかりの絵馬に混じってたった
一枚 「ありがとう」 って。お願いするばかりの参拝ではないのです
ねぇ・・・望む春を迎え た人や絵馬に祈願した人の中でどれほど
の人がお礼参りに来るので しょう? 感謝の気持ちを改めて気
づかせてくれます。 皆さんの願い事が叶いますように・・・・。

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境内には、手水舎の右手に新しい牛像 (上) が、左手に古い
牛像 (下左) の、計2頭の 「撫で牛」 がたたずんでいます。

菅原道真は、丑の年に生まれ、丑の日に亡くなっため、牛と縁が
深いと言われています。 また、道真は亡くなる時に、「自分の遺骸
を車にのせて人にひかせず牛の行くところにとどめよ」 と遺言をし、
その牛が動かなくなった場所を墓所としたため、座り込んだ姿勢で
あると言われています。牛は天神さんのお使いといわれ、湯島天
神の境内にも石造りの臥牛が祀られています。牛の角を撫でてい
かれる人や手を合わせる人、体の調子が悪い人は自分の身体の
悪い部分を撫でる。私はというと・・・・・頭かな。 (笑) 多くの人々
から 「撫で牛」 と呼ばれ信仰を集めています。(下右)

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境内にはいくつもの石碑があります。ちょっと紹介します。

王貞治氏の 「努力の碑」  (上)
絵馬掛けの向かいにあった石碑に刻まれた 『努力』 の二文字。
やはり必要ですよね。 これは王貞治選手が昭和52年通算本塁打
756号を達成。読売巨人軍に入団以来試練の嵐に耐え、心技を研
鑽した努力の結晶であるとし、王選手の生涯の座右銘である 「努力」
の碑を建立。これを記念し,王選手は白梅一樹を献木したようです。
泉 鏡花の 「筆塚」  (下左)
梅の木が多数植えられた樹林の中に、「婦系図」 の作者である泉鏡花
自筆の文字を刻んだ筆塚が建っています。お蔦と主税の悲恋を描いた
物語 「婦系図」 として登場するのがこの湯島天神です。当時の婚姻制
度に圧し潰されてゆく愛の姿が、鏡花独特の演劇的手法で描かれてい
ます。 『湯島通れば思い出す、お蔦主税の心意気~ 』 なんて、湯島
天神を訪れると、お年寄りの方はメロディーが浮かんで来るそうですよ。
明治の悲恋物語を偲んでみるのもいいものです。
「ガス灯」 (下右)
ガス灯は、文明開化のシンボルで、明治時代の象徴でした。この境内
にも五基あり、“文明開化” の象徴として東京の夜を照らしていました。
やがて電気の光に代わり、残っていた男坂上の一基も撤去されました。
昭和56年 (1981) に、ガス会社からの寄進により、「男坂」 の上にガス
灯を設けられて、現在も点灯されています。「湯島の白梅」 の歌詞中に
「♪ 青い瓦斯灯、境内を出れば本郷切通し、」 が登場します。夜霧に
うかぶ青白い瓦斯灯のそばにたたずむお蔦と主税。明治の雰囲気が
わきおこり、感慨しきりになりますね。

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「奇縁氷人石 (きえんひょうじんせき)」  (上)
境内梅園の一角に 「奇縁氷人石」 という石柱が立っています。
江戸時代の迷子の伝言板のようなものです。人ごみで子供を見失
った親や迷子を見つけた人が子供の特徴や待っている場所を紙に
書いてこの石に貼り付けた 「迷子知らせ石標」 というわけです。「迷
子石」 は江戸各地、人の多く集まるところにあり、相応の成果があっ
たらしい。 湯島天神境内の 「迷子石」 は、江戸時代の湯島天神が
人で賑わい、江戸有数の盛り場であったことがわかります。
「新派の碑」  (下左)
境内の男坂上の付近に、新派記念碑が建ています。昭和 52 年
(1977) 新派劇創立90年を記念して新橋演舞場の玄関脇に建立
されたものが、劇場の改築にあたり、湯島天満宮境内に移された
ものです。新派とは、江戸時代に発展した歌舞伎 (旧劇) に対し、
現代の恋愛悲劇などを演ずる演劇のことをいう。 「湯島の白梅」
は、新派の当り演目でしたので、新派とは深い縁で結ばれてい
る湯島天神ではないかと思います。
「講談高座発祥の地」 の碑  (下右)
男坂の階段を上ると左に、講談の 「高座」 発祥の地とされる由来
を示す記念碑を建っています。講談は江戸時代半ばころまで、街
角の辻講釈など、聴衆と同じ目線の高さで演じられていましたが、
湯島天満宮の境内に住みそこを席場としていた講談師・伊東燕晋
が、文化4年 (1807)、 徳川家康の偉業を語る際に、高さ三尺の
高座を設けたことが高座の始まりとされています。

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湯島天神の東側は石段になっています。勾配のゆるい女坂の石
段と、きつい男坂の石段があります。こちらの梅はまだチラホラ。
男坂から見返る梅に女心がまた揺れる

「男坂 」 (上)
天神石坂は38段の石段坂で別名は天神男坂という。江戸時代は
湯島神社(天神)参拝のための坂であったようですが、その後、本
郷から上野広小路に抜ける通り道になったようです。男坂が生活
道路としても重要な道であったことがうかがえます。急な階段です。
「女坂」 (下左)
急な坂の男坂に対して、ゆるやかな坂なので女坂という。途中に
足休みがあることに由来するという。 踊り場が長いです。 広重の
絵はこの女坂を見下ろすように描かれているんだそうです。この
女坂下に時々、女占い師がいるんですよね。不思議な雰囲気で。
「おんな坂碑」 (下右)
女坂登り口の右手には歌手 ・ 原田悠里さんの 「おんな坂」 発売
を記念して石碑が建てられています。「おんな坂」 の文字は北島
三郎さんが揮毫しています。原田悠里さんは鹿児島大学教育学
部卒業。卒業後2年間、横浜市の公立小学校にて音楽の教師を
していた。偶然出会った北島さんの舞台に感銘し、歌手への道を
志したようです。紅白にも出場したとか。

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「湯島天神 ・ 梅まつり」
湯島天神と言えば 「湯島の白梅」。湯島神社は言わずと知れた梅
の名所です。もちろん菅原道真公の 「東風 (こち) 吹くかば 思い
起こせよ 梅の花 主 (あるじ) なしとて 春な忘れそ」 にちなんで
植えられた梅の木。その梅が主を慕い太宰府まで飛んでいったと
いう 「飛梅伝説」 もあるようです。境内には、白梅を中心に300本
の梅が植えられています。 これを有名にしたのは、泉鏡花の小説
「婦系図」。早瀬主税とお蔦の別れ話の舞台になった場所です。
池が配され四季折々の表情を見せてくれる日本庭園もあります。

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湯島天神は江戸時代からウメの名所として庶民に広く親しまれて、
現在もなお都内の梅の名所として各TV局、マスメディアの放映又、
各新聞紙上を飾ります。

今回、湯島天神を参拝したのは梅の咲く季節、 折しも 「梅まつり」 が
開催されており、境内には露店が並び、 大勢の観梅客で賑わってい
ます。残念ながら満開とまではいかないようだったが、それでも境内
随所に咲き誇る梅は大変に綺麗に咲き誇っていました。菅原道真公
を祀る天神社であれば、境内に梅園を設けるのも当然のことかもしれ
ない。現在、境内の梅園には約20種、300本ほどの梅があるという。
毎年2月上旬~3月上旬には梅まつりが開催され、多くの奉納演芸も
あり賑わいます。17~19時には夜観梅のライトアップも行われます。

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湯島天神の梅は、その8割ほどが白梅らしい。 確かに境内を歩い
ていると目にするのはほとんどが白梅でした。でも数こそ少ないが
寒紅梅や紅千鳥に豊後などの薄紅色の梅も見かけられます。

湯島天神といえば、シニアの人たちの中で 「湯島の白梅」 を思い
出す人が多いのではないかと思います。 「湯島の白梅」 は、芝居
や歌謡曲で一世を風靡しました。 『切れるの別れるのッて、そんな
事は、芸者の時に云うものよ・・・・・ 私にゃ死ねと云って下さい。』
というお蔦のセリフは非常に有名です。泉鏡花の師匠は尾崎紅葉
です。金沢生まれの泉鏡花は18歳で 上京し尾崎紅葉の家で書生
となり、薫陶を受けました。「婦系図」 は明治40年、鏡花34歳の時
の作品です。 泉鏡花の夫人すずは、もとは神楽坂に桃太郎という
名で 出ていた芸者で、師匠の尾崎紅葉は二人の関係を絶対にゆ
るさず、 「女を捨てるか、師匠を捨てるか」 とまで鏡花に迫ったそ
うです。 そのため、二人は泣く泣く離別を決意したそうです。 この
体験が 『婦系図』 の湯島天神の場の下敷きに なっているといい
ます。 なお、尾崎紅葉がなくなった後、 泉鏡花はすずとめでたく
結婚しました。

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道真公が愛した梅の花は、樹齢70~80年の白加賀 (白梅) を中
心に月影、豊後梅、寒紅梅などが敷地内を彩ります。 きっと昔から
湯島天神の白梅は見事なものだったのだろう。 湯島天神の梅は梅
園だけでなく、東側の 「男坂」、「女坂」 の横手や本殿裏手などでも
見ることができます。 のんびりと境内を散策してみると楽しいです。
静かな山里で 見る梅も風情があって良いですが、こうした有名な
梅園 での 「梅まつり」 の賑わいも、これはこれでなかなか楽しい。
少し肌寒かったので 甘酒も売れていましたね。ウイー

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「おみくじ (恋みくじ)」 (上)
普通のおみくじのほかに、ここでは 「恋みくじ」 があります。 「素敵
な人が現れますように、出会えますように・・・・・」 乙女心でしょうか。
女子高生に人気があるようです。 勝負運はこちら獅子舞で。(下右)
訪れる外国の方には人気らしいです。実は、この湯島天神 「江戸の
三富」 のひとつとして知られ、幕府公認の宝くじが境内で売り出され、
江戸時代には大変な人気だっ たと言います。現在、学業成就のご
利益で有名な湯島天神ですが、江戸時代の富くじに因み、くじ運、
勝負運の神さまとして宝くじ運などにもご利益があるとされています。
絵馬に比べて、おみくじ処はほんの少しで寂しい限りです。(下左) 

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「イベント」
湯島天神では2月8日~3月8日の期間、恒例の 「梅まつり」 が開催
されています。昭和33 年より続く 「梅まつり」 も、今回で60 回という
事で、なかなか歴史を感じますね。毎年回を重ねるたびに盛大さを
増し、期間中は45万人の人出を数える湯島天神の早春の風物詩と
して都民 に親しまれています。

特設奉納舞台 (下右) では、白梅太鼓、日本舞踊、フラダンスや講
談、カラオケコンクールなど、実に沢山の催しがあり、特に満開の梅
の中でのお茶会などは、なかなか雅な感じではないでしょうか。また、
東京大学の漫画クラブの学生さんによるチャリティー似顔絵コーナー
は人気のひとつでした。(下左) 私が気に入ったのは、この薩摩琵琶
の演奏。(上) 琵琶は暗いというイメージがありますが、ベ~ンと揺れ
る音色は、確かに明るいと言うよりは暗い。でもお祭りっぽい楽しい演
奏だってできるんですね。耳なし芳一が弾いているのは 「平家琵琶」
のはずなので、近代琵琶 (薩摩琵琶・筑前琵琶) とは音や演奏形式
が全く違いました。薩摩琵琶では、色々な話を、琵琶の 「合いの手」
を入れながら語ります。合いの手はその話の情景を描写するものな
ので、情緒的だったり激しかったり、けっこう音楽的でよかったです。

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「切通坂」  (上) 石川啄木 『二晩おきに』 の自筆の碑。 (下)
湯島天満宮の敷地に沿って、切通坂という坂道があります。湯島
の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく 切り開いて
できた坂なのでそう呼ばれています。 左の石垣の上が湯島天神。

明治40年頃の東京の夜は、今からは想像もできないほど暗かった
のです。この暗い坂道を天神下から素足に下駄、古びた絣の着物
に袴をはいた青年が黙々と上ってきました。22歳の石川啄木です。
当時、石川啄木は本郷弓町の理髪店 「喜之床」 の2 階に間借りし
ていた。一家5人を養うため朝日新聞社に校正係として勤務し、二
晩おきに夜勤もした。夜勤の晩には、終電車で上野の広小路まで
来 たが、本郷三丁目行きの電車はもう終わっています。啄木は湯
島神社の石垣をまさぐりながら、さまざまな思いを抱いて暗い切通
坂を上り、帰路を急いだという。啄木は、その頃の切実な生活の実
感を伝える歌を、数多く詠んでいます。切通坂に建てられた啄木の
記念碑には原稿ノートに記された歌が自筆の文字で刻まれています。

二晩おきに 夜の一時頃に 
切通しの坂を上りしもーー 勤めなれかな      
                      明治の歌人 石川啄木

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湯島は昔から武家や町人が住んでいた町で、いまでも昔の花街
の 名残りがあり、そこかしこになんとなく色香が漂い、下町の粋
な 風情を感じさせてくれます。それにしても湯島というのは不思
議な街で、神社があるかと思えば歓楽街が あり老舗があります。
何とも言えないゴタゴタ感があります。 かなり特異な街と言える
のではないかなぁと思ったりもします。

梅一輪 一輪ほどの暖かさ

服部嵐雪の俳句で、梅の花が一輪また一輪と咲くにつれて、気候
も少しずつ暖かくなって行く。もうじき境内は梅の香り で溢れてい
るのではないかと・・・・・。春よ来い 早く来い。







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