一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。


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  皆さまも楽しい夏休みを!!  
       さて、8月に入って仕事が多忙になり、ブログを更新する時間的
       余裕がありません。誠に勝手ではございますが、今日から旧盆を
       挟んで 8月8日から8月20日 頃まで、このブログは、夏休みに入ります。
       どうか、ご了承ください。ちょっと心のリフレッシュもしてきます。


いつも訪問して頂きありがとうございます。

「もったいない」

...2017/02/05 18:38...

2月 (如月)
寒さのために更に着物を重ねて着るので
「衣更着」 という説があります。4日は立春でした。
冬至と春分の真ん中で、まだまだ寒いですが、暦の上では
旧冬と新春の境い目にあたり、この日から春になります。
梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり、春の始まりとなります。

2月3日といえば、「節分の日」。
そして、今では “豆まき” より “恵方巻” のイメージが強く
なっています。さて、各コンビニ、スーパー、回転ずしでは
恵方巻商戦ともいえるほど、あちこちで恵方巻のチラシやら
のぼりやらを見かけました。でも、その激しい恵方巻商戦に
までアルバイトにノルマを課す悲しい出来事が・・・・。

アルバイトで働く学生が、店から販売する数のノルマを
課されたという。店員に販売ノルマを課し、売れ残った
商品を労働者に自腹で買い取らせるという営業手法は
『自爆営業』 と呼ばれています。このような 『自爆営業』
は業務命令権の濫用 ・ 逸脱として違法になります。

こうした問題が発生する背景には 「コンビニ業界の歪んだ
構造がある」 と思います。本部からフランチャイズ店へ厳しい
売上目標が課されます。本部の設定する売上目標を達成する
ために仕方なく受け入れているのでしょう。こうした状況に追い
込まれたオーナーが、少しでも売り上げを確保するために取って
しまうのが、「従業員に対して販売ノルマを設定し、売れ残り品
を無理に買い取らせる」 という方法なのだと思います。

少し前には、風邪で欠勤したけど代わりの人を見つけられ
なかったからという理由で、休んだ分の 「時間 × 時給」 分を
罰金として給料を引かれた女子高生が話題になっていました。
買い取れとか天引きというのは労働基準法違反であります。

物をどれだけ仕入れてお客様にどれだけ売れるか、
予測するのは商売人、つまり経営者の役割です。イタリアの
屋台やイギリスの個人商店は、夕方になると物がありません。
スーパーはものが売り切れるので、午前中に行かないとダメです。
でも、それが健全なんです。
買わなければ恵方巻きブームは終わります。
余った恵方巻きを買わされる可哀想なアルバイト学生
の苦境の責任は、消費者である我々にもあるわけです。

便利だけれど、こうしたフランチャイズ店の仕組みを知って、
過激な販売商戦には、冷静に受け止めたいものです。
儲かるためなら、何をしていいと風潮があったら悲しい。
世界中の飢餓解消のため、こんな風習やめましょう!

この冬は例年に増して厳しい寒さでした。
しかし、少しずつ季節は春へと向かっていくことでしょう。
梅も咲いているようです。
一陽来復という言葉があります。
去って行った太陽が、めぐってまたやってくると言うこと。
厳しい冬もいつかは終わり、暖かい春がやってくる。
春は心楽しいものです。
春に咲き乱れる美しい花々が咲くのを待ちたい。


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「もったいない」

物を大切にしなさい。
これは良く私達が、子供の頃から親に言われてきたことです。
しかし、今は効率優先の世の中、使い捨ての物があふれて
いる世の中で、物を大切にしようと言ってもなかなか難しい
面があります。先日、10年位使っていた冷蔵庫が壊れました。
電気屋さんに見てもらうと、「直せますけど買った方が
安いですよ」 という返事。直せれば直したいなと思って
いたのですが、結局、買い換えることにしました。

電気製品に限らず、大概の日用品は壊れたら直すよりも
買い換える方が普通になってきています。たまに直して
使いたいなと思っても、直せる職人さんや技術を持った
人が少なくて思うに任せないのが現状です。
物を作り出している企業は、利益を上げるために存在します。
古くなった製品をどんどん捨て、新しい製品を次々に
買ってもらえば利益が上がるのは当然ですが、
このサイクルはエネルギー&資源の大量消費と
大量の廃棄物を出すことになります。

いまは全世界を上げての環境保護の時代。
もっと直して使うという考え方を企業自体が取り入れても
良いのではと思います。企業は収益が上がればいいわけです。
製品を修理しやすい構造にしたり、「もったいないサポート」
窓口のようなものをつくったりして、直せる物は直して
使うというエコを前面に出したアピールをすれば、会社の
イメージ向上に寄与し、ひいては増益にもつながっていく
のではないでしょうか。消費者も修理代について
応分の負担は理解出来るのではないかと思います。

「もったいない」 という言葉、その心は物の命を
最大限に生かし切ると言うことだろうと思います。
私達を包んでくれている山や河や海などの自然にも命があり、
その一部を使って私達が作り出す様々な物にも命があります。
その命を粗末にせず、最大限に使い切ろうという精神は、
私達自らの命を大切にし、他人の命をも大切にし、人生を
丁寧に生きることに繋がっていくのではないでしょうか。
「もったいない」 という言葉とその心、大切にしたいものです。

環境分野で初のノーベル平和賞を受賞した
ケニア人女性、ワンガリ ・ マータイさんによると、
「もったいない」 という日本語は、他の言語に直訳する
ことの出来ない、物や環境を大切にする気持ちを表す
素晴らしい言葉だとのこと。日本の伝統的な感性である
「もったいない」 という気持ち、大切にしたいですね。

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 「穴八幡宮」   ~ 一陽来復 ~

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 お金を使っても、その使った分、お金がかえってくるというお札を
配っている神社がある。「え? 使った分かえってくるお札。じゃあ、
お金を使っても使っても、減らないってこと?」。そのお札、期間限
定で、冬至から節分までしか授与されず、しかも、決められた時に
決められた場所に貼らないと御利益がない。 毎年 、冬至の12月
22日~節分の2月3日まで、お守り ・ お札の授与が行われます。
と、いきなり、なぞめいた話から始めます。

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「鳥居」
地下鉄東西線の早稲田駅で降り、地上に出ると早稲田通りと諏訪
通りの交差点の角に鳥居が見えます。(上) 地元の人には 「八幡
様」 と呼ばれ親しまれているこの神社ですが、創建は1062年 (康
平5年) です。鳥居の先はすぐに石段になっています。鳥居をくぐり、
石段を上るともう一つ鳥居が現れます。参道の両側には、沢山の縁
起物の屋台が並んでいます。(下右) そのため参道はもの凄く込み
合います。左側はちょっとした庭園のようになっています。その先に
は石垣があり、まるでお城のような造りになっていました。二つ目の
鳥居をくぐり、石段 (下左) を上ると隨神門へ辿り着きます。

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「流鏑馬像」 (上)  「高田馬場の開場式典絵図」 (下右)
最初の鳥居の左横に流鏑馬 (やぶさめ) の説明があり、階段の左
側の石垣の上には大きな流鏑馬像が。(下左)  私はまだ生で流
鏑馬と言うものを見たことがないので、いつか見てみたいですね。

流鏑馬は、平安末から鎌倉時代に武士の間で盛んに行われた射
技で、三代将軍家光の時代に高田御殿別荘地に馬場を造るよう
命じます。いわゆる高田馬場です。以来、歴代将軍家の厄除け祈
願や若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納されたようです。
明治維新後、長く中断され昭和9年 (1934) に皇太子 (今上天皇)
ご誕生奉祝のため再興され、昭和54年から会場を近くの戸山公
園に移し、毎年大勢の観客を集めて催されているようです。高田
馬場と言えば、元禄7年 (1964) 茶屋町通りに面した馬場の一角
で、中山安兵衛が叔父の決闘の助太刀をした江戸の名所でした。
現在、隣接した水稲荷神社にその顕彰石碑があるようです。

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「隨神門 (光寮門)」
石段を上りきると視界が開け、とても立派な朱色の門が目に飛び
込んできます。「随神門 (光寮門)」 です。煌びやかで立派です
が、平成十年 (1998) に再建されたもので、まだ新しさを感じます。
隨神門の中には左右とも弓などを持った像がありました。(下)
神社の門のうち、門の左右に随身像を安置した 門は 「随身門」
と呼ばれます。 守護神である随身像は、 向かって左の随身像
(吽形) は矢を持って鎮座し、向かって右の 随身像 (阿形) は
刀を持って鎮座しています。口が開いている方 を阿形 (あぎょう)、
口を閉じている方を吽形 (うんぎょう) と言う。  随身姿の二神像
は、俗に矢大神 ・ 左大神と称し、怪し い入門者を見張っいます。
隨神門の後ろには流鏑馬に関係があるのでしょうか馬の像です。

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「手水舎」 (上)  
隨神門をくぐり参道を進みますが、両側に屋台が並んでいるため、
見落としがちですが 「手水舎」 が右側にあります。柄杓がない手
水舎でした。柄杓を使わずにお清めをする手水舎は、私にとって
ここが初めてです。近くに行くとセンサーが反応し、自動で手水が
出てきます。 人影を察するとセンサーで水が出るのに驚きです。 
トイレみたいで好きじゃないけど、都内の神社では、こういうスタ
イルが定着しつつあるのでしょうかね。柄杓で清めたいワタシ。
「布袋尊像」 (下)
手水舎の隣にはもう一つ大きな手水舎のような建物が。こちらには
「布袋様」 が祀られていました。こちらの布袋さん 「布袋像の水鉢」
といって、慶安2年(1649) に造立の 「新宿区内最古の水鉢」 だ
そうです。 江戸城吹上御所に置かれていたのを、徳川家光により
奉納されたものだそうです。ただ、これはレプリカとして造られたも
ので、本物は神社に保管されているようです。 布袋尊像を撫でる
とご利益があるようで、撫でらせて頂きました。つるつるしたなだら
かで心地よい触感です。新宿区指定文化財 (工芸品)。

念のため、布袋様とは・・・・。
唐の末期の明州 (現在の中国浙江省寧波市) に実在したといわ
れる仏教の禅僧。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした
袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身ともいわれている。
願い事を念じながらなでると効果が大きいみたいです。

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「狛犬」
拝殿に向かうと両側にお決まりの狛犬が鎮座しています。とても
大きくて立派で荘厳な雰囲気がありますね。神社によっては狛犬
ではなく、狐や牛などの場合もあります。 狐は稲荷神社、牛は天
満宮に見られ、共にお祀りされている神様の神使 (お使い) で
あるとされています。

拝殿に向かって右側が 「阿形 (あぎょう)」 で口を開いており、
左側の狛犬が 「吽形(うんぎょう)」で口を閉じています。左右に
一対で置かれ、それぞれの口元は 「阿吽 (あうん)」 の形を表
していることが多く、主に魔除けの為に置かれていると言われて
います。 阿吽の呼吸の 「阿吽」 はインドの古い言葉 (サンスクリ
ット語) のアルファベットの最初と最後の文字を意味し、初めが
「阿」、最後が 「吽」 ということで、阿吽とは 「初めから終わりまで」
を意味しているといわれています。それにしてもサンスクリット語
のアルファベットの最初と最後の文字が 「あ ・ ん (うん)」 という
ことで日本語の五十音に似ているのには驚きました。

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「穴八幡宮」
名の由来は、八幡神を祠る別当寺を建てるために境内南側の崖を
整地したとき横穴が見つかり、中からは金銅の御神像が現れ、それ
以来 「穴八幡宮」 と呼ばれるようになりました。また、その話を聞い
た三代将軍徳川家光は、穴八幡宮を幕府の祈願所、城北の総鎮
護としました。その後、歴代の徳川将軍も度々参拝したと伝えられ
ています。商売繁盛や出世、金運UP、開運、蟲封じなどにご利益
があるとされています。毎年、この神社で冬至の日に行われるのが
「冬至祭」。江戸の元禄年間あたりから、冬至の日の 「穴八幡宮」
は、早朝から人々で大賑わい。歳末の江戸の風物詩となっていた
ようです。

創建は平安時代、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と
太刀を納め、八幡神を祀ったのが始まりと伝えられています。ご祭
神は応神天皇 (おうじんてんのう)、仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)、
神功皇后 (じんぐうこうごう) です。応神天皇は八幡神と同一とされ
ています。仲哀天皇は応神天皇の父、神功皇后は応神天皇の母
です。この三神は合わせて八幡三神と言われています。

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いよいよ、本殿にて心を静かに参拝です。私は、あまりお金には縁
のない人生を送って来た気がするので、その辺りも含め、しっかり
とお参りしようと決意して向かいます。(笑) 黒塗りのお宮って、神
田明神や日枝神社と違ってシックで趣が異なる厳かな雰囲気です。
何故か凄く緊張します。やはり拝殿前は行列が続いています。

参拝の御賽銭箱には神拝詞 (となえことば) がありました。

祓い給い 清め給え (はらいたまい きよめたまえ)
神ながら (かむながら) 奇しみたま (くしみたま)
幸え給え (さきわえたまえ)

神拝詞を黙読し、宝くじ当たりますように・・・・。
大金が当たり、どうしようと困りますようにと願います。(笑)

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さて、この穴八幡宮 (東京・早稲田) では、「一陽来復」 の御守が
頒布されます。お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年
節分の日までであり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る事
ができます。ときに長い行列になる穴八幡宮の冬至の日のお参り。
人々のお目当ては、「一陽来復 (いちようらいふく)」 御守です。

ところで 「一陽来復」 はなぜ、冬至を指す言葉なのか?
一陽来復は、古代中国占いの書 「易経」 に出てくる言葉で 「陰が
極まって陽が生ずる」 ことを表しています。陰が極まるは、陰が終
わる。陽が生ずるは、陽が戻ってくる。と、置き換えてみてください。
陰が終わって、陽が戻ってくる。となります。もっと簡単に言うと、太
陽が力を取り戻す。つまり、明るい時間が増えていく。ということです。
明るい時間が増える起点となる日といえば? もう、繋がりましたね!
「冬至」 です。元々の意味は、「冬が続いた後、春の訪れのきざしが
現れる」 です。この春は、旧暦でいう春ですから新年が来るという意
味も含んでいます。古来では冬至を新年の起点として考えていました。

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冬至になると、多くの東京の人が向かう場所がある。それが早稲田
にある 「穴八幡宮」 です。ここの 「一陽来復」 というお札をもらう為
に、とてつもない人数があつまり、寒空の下、数時間も待つのです。
しかしこのお守り、頒布開始は冬至当日から。この日のみ朝5時か
ら頒布場が開きますが、前日からの徹夜組や観光バスで乗り入れ
が出るほどの混みようで、2~3時間待ちは当たり前で、8万人の方
が訪れるというから驚きです。信心深い人は、この冬至の日にお札
をもらって、その日の深夜0 時に恵方に向けて貼るのだろう。ただ、
このお札は冬至から節分までの期間、ずっと手に入るし、お札を貼
タイミングも、冬至、大晦日、節分の3 回ある。最終日の節分までも
うすぐだったので、訪れたらこの行列。 時間と共にどんどん人が増
えていきました。途中に古札守納所があり、1年たったお札をここに
納める様になっています。(下)

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元禄時代からの習慣なので、ご利益があったからこそ、延々と続い
てきたんだろうと思います。何しろ冬至の日の混雑は物凄くて、夜
明け前から行列ができる早稲田界隈の名物です。 この日の列は
以外にも厳かに進み、やっと販売所へ辿り着きました。(下)

我が家は、江戸っ子の父が毎年除夜の鐘を聞きながら、このお札を
貼るのが恒例行事。紅白が終わるころに恵方を確認し、椅子を持ち
出して来て、ゆく年くる年を見ながら、貼る準備をして、新年とともに
ペタとお札を柱の一番上に張り付けてから、あけましておめでとう、
と言い合ったものです。これがずっと当たり前にあった光景でしたが、
私が社会人になり一人暮らしを始め、結婚してから、このお札は途
絶えたと母は愚痴る。(笑) いつの頃からか、穴八幡にお札をもら
いに行くのは私の役割になり、同級生と毎年、クリスマスあたりに
古いお札を納める為、神社によく足を運んでいました。

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やっと手にi入れた 「一陽来復御守!」 。
「一陽来復」 の他にも、財布に入れて持ち歩く 「懐中御守」 や通帳
などを入れておける 「福財布」 も人気です。私は 「一陽来復御守」
(800円) と財布に入れて持ち歩く 「懐中御守」 (300円) を購入。
そしてせっかくなので実家の分も購入。御守りと一緒に 「説明書」
をいただきました。このお守り、白い紙を丸めたような円筒形の立
体的な構造。つまり、筒状になっているのですが、この中にお祓い
された金柑 (キンカン) と銀杏 (ギンナン) が1 個ずつ包まれてい
ます。キンカンとギンナンで 「金」 と 「銀」 。金銀財宝に不自由する
ことなく、融通がついて苦しむことがないということから、金運アップ、
商売繁盛を願う人々が広く全国から集うのだそうです。穴八幡宮に
伝来する 「一陽来復御守」 は、財運 ・ 金運アップのお守りとして、
江戸から今に伝わる特別なものなのです。

「一陽来復 (いちようらいふく)」 ‥‥いい言葉ですね。

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境内の左手には、他の社殿と同様、部材には金色、黒色、朱色を
基調とした極彩色を施し、平成二十七年 (2015) に再建されたば
かりの豪華な鼓楼が、江戸時代と同じ位置に見ることが出来ます。
その昔は、時刻や緊急事態を知らせるための役割を果たす太鼓
を置いた建物です。(上) 寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を
置くことから 「鼓楼」 と呼ばれています。拝殿の右側奥には神輿
庫らしき建物が続き、その奥にはもう一つ神社への入口がありま
した。(下左) 境内には立派なご神木 (下右) が、地表に出て
いる根っこがすごいです。樹木の手入れがよく行き届いている。
木を見ていると癒されます。疲れているんでしょうか、私は。(笑)

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「神武天皇遥拝所」
小さな鳥居の奥に 「神武天皇遥拝所」 と書かれた石碑が立って
います。神武天皇は日本の初代天皇とされる人物です。ここに立
つと背筋を伸ばされる感じがします。「ちゃんと立ちなさいよ」 と叱
咤激励されているといったら分かりやすいでしょうか。 スゴイ視線
を感じるから不思議です。この石碑の両側にいる狛犬さんがとて
も特徴的でした。(下左) 一角獣と獅子の狛犬の頭に宝珠を乗
せており、宝暦五年 (1755) 頃に造られ、近年は見かけないほど
古いものらしいです。(下右)

神社に 「神武天皇遥拝所」。
読んで字の通り神武天皇を遥拝する所です。といっても遥拝が分
からないと難しいですよね。遥拝とは遥 (はるかに) 拝 (おがむ)
ことを言います。遠くにある神仏や御神体などに対して、本来は間
近で参拝すべきところを遥拝所という場所を作り、その方角を遥か
に眺めながら参拝することを言います。 イスラム教のモスクには、
メッカの方角を記した柱があり、それに向かって礼拝を捧げますが、
あれと似ているといえます。西暦1940年は、神武天皇が即位して
「皇紀2600年」 にあたる年で、神武天皇の陵墓、神武天皇を祭
神にした橿原神宮がある奈良県橿原市の方角に向けて遥拝所を
全国に作られました。それが現在でも神社に残っているわけです。

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隨神門の脇の鼓楼がある広場には、もう一つの入口に通じる階段
があります。(上左) その先には石垣があり、まるでお城のような
造りになっています。(下右) 周囲は庭園風に整備されています。
(下左) 社殿は第二次世界大戦の戦災で焼失し、戦後、本殿や
拝殿こそ鉄筋コンクリートで再建されたが、平成になってから鼓楼、
隨神門、出現殿、と木造で再建され境内の整備が進んだようです。
中に入れませんが、ここが 「穴八幡宮」 の由来となった 「神穴」 が
ある場所のようです。(上右) 神穴の前に出現殿を再建され、霊
窟前に扉を設け、それをお守りする出現堂を平成18年建立した
ようです。

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表参道の鳥居の土台部分をよく見ると、「亀」 の姿になっているの
に気付きます。(上右) これは鳥居の台座を 「亀腹」 と呼ぶことに
由縁するんだそうで、大きな鳥居を石の亀さんが両側の柱を支え
ています。(上左) 南側の鳥居の足元には金の亀の装飾も豪華。
(下左) また拝殿の黒塗りの柱にも金色の亀の飾りも豪華です。
(下右) 亀は大地を表す象徴との意味もあるようです。亀が建物
を支えてるんですね。中国や韓国では亀跌 (きく) と称して石碑
の台に亀の石彫を用いるのが普通のようで、中国で は亀は神亀、
霊亀などと称され、その甲の文様 (亀甲紋、亀背紋) は吉祥の
意味をもって衣料、家具その他に多用されるそうです。

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「一陽来復御守」 について神社の扉にも解説が大きくはり出されて
います。(上) 手に入れた 「一陽来復」 は、自宅でお参りをする必
要があります。お参りとはすなわち、壁に貼付けることを指している。
今回は 「節分の日から立春に変わる夜中の十二時に貼ります」 と
の張り紙もありました。(下右) 家族がいつも団欒して集まる部屋に
貼りますが、お守りはご神体でもあるため、画鋲などで留めてはなら
ないとされています。穴八幡宮境内の露店で買ってきた 「金銀融通、
家内安全」 の金色の台紙に、筒状の 「一陽来復御守」 の裏面に両
面テープが貼って準備をします。大事なのは ”落とさないこと” です。
一度落ちてしまったら効力がなくなってしまうとされています。

恵方は亥子 (真北から少し西よりの方角) の方の反対側の壁のな
るべく高い所に御祭りとのことで、場所を確認し脚立に乗って私は
スタンバイ。娘が時計を確認しながら、30秒前、3、2、1、はい。
(* ゜ー゜)ノ [] ペ タッ (下左) 福の神 (打出小槌) のご利益があり、
お金に恵まれ幸せになりますよう。 どうか (。-人-。) タノンマスー!

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江戸から伝わる縁起に乗る東京の風習。帰るころには何倍もの人
の列が続いていました。ともかくこの 「一陽来復」 という言葉をよく
かみ締めつつ、己の運気、周囲の運気の流れに敏感でありたいと
思う。ご利益を信じるか信じないかはその人次第ですが、祭事には
その土地ごとの歴史や慣習が大きく息づいています。今こうして多
くの人が列をなすように、江戸の昔からお守りを求めて多くの人が
並んだに違いない。お守りの姿や形は変わったかもしれないが、
時代を越えて人々を惹き付ける風習をなぞることで、街に積み重
なったかつての生活が浮き立ってくるのではないだろうか。最後に
「一陽来復」 という言葉が、今の日本の閉塞情況を打開する知恵
となることを祈念したいものです。

「ご利益を絶対いただきたい!」 というあなたもよかったらぜひ。
金銀融通のご利益をいただいて、物心ともに豊かな2017年に
しましょう。「穴八幡宮」 様お願い致します。

【おまけ】
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地下鉄東西線の早稲田駅で降り、2番出口 (下右) を出て右側に
早稲田通りの交差点の向かい側角に酒屋さんがあります。(上)
この酒屋さん、どこにでもありそうですが、実は元禄7年 (1694)
剣客 ・ 安兵衛が、高田馬場の決闘で助太刀に駆けつけるときに、
馬場下の 「小倉屋」 で、枡酒を一杯飲んでから駆けつけたといわ
れています。穴八幡神社を通って高田馬場まで約400m登って
行かなくてはならず、一息入れるには丁度良い場所にありました。
その 「小倉屋」 がこの 「KOKURAYA] という酒屋です。 (下左)
江戸時代から320年続く老舗で、そのときの升は、今でも家宝
として残されてるとのこと。

後日談
助太刀をした安兵衛の評判を聞きつけた赤穂藩士の堀部弥兵衛が、
安兵衛を娘婿に迎え入れて堀部安兵衛となります。赤穂藩主・浅野
内匠頭長矩の松の廊下刃傷事件は、7年後の元禄14年のことです。
翌年、堀部安兵衛も参加した赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件
(元禄赤穂事件) が起きるのです。

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「夏目漱石誕生の地」
その 「KOKURAYA] という酒屋の隣のビル前には、夏目漱石の
生誕百年を記念して建てられた 「夏目漱石誕生之地」 という黒い
みかげ石の石碑があります。 ここが文豪 ・ 夏目漱石が慶応3 年
(1865) に牛込馬場下の夏目家の五男として、この地に生まれ
ました。当時は明治維新後の混乱期であり、生後すぐに里子に
出されるなど漱石の幼少時は波乱に満ちていたようです。漱石
の父は、代々この地の名主で、その漱石の父親が地名に自家
の名を付けたのが、家の前の坂 「夏目坂」 なのです。(下左)

こうした何気ない街角が、歴史を語ってくれます。散歩するのも
楽しくなって来ます。みなさんの街にはどんな歴史が刻まれて
いるのでしょうか? 歴史って面白いですね。






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