一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





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「5年がかりのお雛様」

...2017/02/26 08:15...

休日の朝は、なぜか心に余裕がありまね。
特に土曜の朝は・・・・・・・・。
「二月は逃げる」 と言う言葉通り、あと2日です。
早いですね。夕方も5時過ぎても空が明るくなった。
それと共に春も、そこまで来ている気がする。

友人宅を訪ねたら、彼のお爺ちゃんが盛んに
携帯メールを一文字ずつ確認しながら打っていた。
何回やっても文字数オーバーになるとボヤキながら。
すると彼が 「けんめいに打つからだよ」 というので、
お爺ちゃんはスー ・ フッーと息を吸っては吐いてリラックス。
再び取り組んでいた。本文ではなく、「件名」 の欄に入力
していることに気がつかなでいるようだった。(笑)
家族のこういう微笑ましいひとときっていいなと思う。

郵便屋さんのバイクの音、窓からそっと覗いてみれば、
封筒の束ひとつひとつ宛名を確かめている。
ポストがカタンと音をたてた。誰から手紙がきたのかな。
誰かが春を届けてくれたのうだろうか。


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「5年がかりのお雛様」


ピンクのおぼろが入ったちらし寿司とお吸い物と、
そして子供たちには白酒がわりに牛乳。これが本当の
モーモーの節句。(笑) 桃の節句にはお雛様が飾られ、
それは華やかで、端午の節句より豪華に思え、
子供ながらうらやましかったことを覚えている。

子どもの頃に我が家は、ひな飾りを毎年飾っていた。
が、母いわく。姉が生まれた時は、父が事業に失敗して
家も貧しかったが、お節句にお雛様を飾ってやりたくて、
3月1日の夜、こっそり買いに出かけたという。

いろんな物を安く売っている小さな店に入り、おじさんに
「お雛様とお内裏様だけ売って下さい」 と頼んだそうです。
すると 「しょうがねえなあ」 って売ってくれた。首は曲がっていて、
着物は人絹だったけど、「もう、うれしくってうれしくって・・・・」
持ち帰り、茶だんすの上に赤い布を敷いて飾ったという。
自分の子供時分は、ひな祭りの思い出はなかったと話す母。

翌年、残しておいた人形が気になって、同じ店に
また出かけたそうだ。「○○ですけど、残りの人形のうち三人
官女だけください」 というと、覚えてくれてたらしく、売ってくれた。
その翌年も行くと、おじさん、母の名前の書いた箱を出してきた。
五人囃子など残りを全部買い取るのに5年かかって雛飾りが
揃ったという。「母さんの心が通ってる人形だから、大事にしろよ」
と父が言う。姉は今でもその人形を大事にして、
自分の娘と一緒に、今でもひな祭りには飾ってるらしい。
我が家もかみさんが持参したひな飾りだ。共に母からの贈り物。

雛飾りは雨水の日に飾り始め、お節句を過ぎたらすぐにしまう。
そうしないと女の子は、お嫁に行けなくなるから、と言われている。
娘はそんなに早く嫁がなくてもいいという父親の気持ちもある。
しかし、いつまでも家に残っていては困るしとも思う。
でも、今年も早く片付けるか・・・・・。

 お内裏様 (だいりさま) と おひな様
   二人ならんで すまし顔 (がお)
   お嫁 (よめ) にいらした 姉 (ねえ) 様に
   よく似 (に) た官女 (かんじょ) の 白い顔



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  世界らん展  日本大賞 2017

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例年、かみさんが出かけるのが東京ドームで開催の 「世界らん展
日本大賞2017」。今年は母やママ友が都合で一緒に出掛けられ
なくなったらしい。一人じゃイヤと ” ごねる ” ので、(笑) 渋々お伴
で行って来ました。都会の真中にある東京ドームを蘭いっぱいに
埋めつくし、やすらぎ を感じる日が過ごされるのでは、との期待
を胸に優雅な蘭作品を堪能してきましたので紹介します。

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開催される東京ドームへ行ったら、以外にもスムーズに入れた。
が、相変わらず荷物検査やら回転ドアなどで混雑してた。東京ドー
ム内も凄い人、人、人です。世界ラン展は、国内で も最大級の花の
イベントで、毎年15万人もの方が訪れるんだそ うです。美しいもの
は人を元気にする力があるといいますが、とに かく凄い人で、人に
圧倒され花より人に酔いそうでした。 (笑)

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オーキッド・ゲートは、宝塚歌劇と欄が織り成す心躍る空間の演出。
ゲートをくぐると花の楽園で、ときめきのひとときが待っていました。
宝塚歌劇でレビューが上映され、今年は90周年なんだそうです。
その夢の舞台をイメージしたオーキッド ・ ゲートが来場者を迎え
てくれます。ゲート右手は宝塚歌劇の公演で、実際に使用された
衣装と蘭が織り成す空間を見事に演出しています。(下右) ドレス
は宝塚の方が実際に着たものだそうです。かなり細身 「どんなスリ
ムな体型しているんだよ」 と思いました。 宝塚歌劇団ならではの
「大階段」 をイメージしているそうです。ゲート左手には、今年の
テーマ ” 蘭にときめく ” がそのままに表現されています。(下左)

「世界らん展 ・ 日本大賞 2017」
会場    東京ドーム
日程    2017年2月11日(土)~17日(金)
時間    午前9 時30分~午後5 時30分
当日券  2200円、 学生 1300円

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「オーキッドゲート ・ ロード」
~欄に、ときめく~。蘭の魅力を存分に感じて欲しい。そんな思い
から、今年のテーマを決めたようです。コンテストにときめき、貴重
な蘭の展示にときめく、魅力あるステ-ジにときめく・・・。東京ドーム
でたくさんのことにときめく。そんな 「都会の真中の楽園」 にふさわ
しい、多種多様な蘭に包まれ た華やかな空間を演出し、来場者を
迎えまてくれました。

オーキッド ・ ロードの入口には、オンシジュームやエピデンドラムを
中心としたカラフルでボリュームのあるオーキッドツリー。 蘭のアー
チをくぐると楽園を照らす明かりや空中庭園が楽園へと 誘うように、
こぼれでる蘭の宝石たちなど、様々なシーンを設け展開し贅沢に
使った蘭の花が夢の世界へと誘ってくれます。

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「世界らん展 日本大賞 2017」
日本全国はもちろん、世界中のあらゆる地域から、愛好家、栽培家
が洋蘭、東洋蘭、日本の蘭を持ち寄り、一堂に会す 「世界らん展」。
今回で開催27回を迎え 「花の文化、蘭の文化」 を提案するイベント
として多くの方々に愛されています。第1回が1991年に開催されて
以来、毎年1回、2月中旬頃に文京 区の東京ドームで開催されます。 
展示には洋蘭、東洋蘭、日本の 蘭など、様々なラン科植物が世界
から約3000種10万株が集まり ます。開催期間中の来場者数は延
べ約15万人。開催地固定型の 蘭展としては、世界最大級の規模
を誇るようです。

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「日本大賞」  日本大賞にときめく。
今年も栄えある日本大賞を目指して、丹念を込めて栽培された多
くの蘭が寄せられます。厳選なる審査を経て選ばれたのがこの蘭
です。日本大賞には、賞金200万円とベンツが贈られるようです。

第27回 「日本大賞」
デンドロビューム グロメラタム ‘ ロング ウェル ’  (上)
( Den. glomeratum ‘Long Well ) 受賞者 ・ 永井 清氏 (神奈川県)
アマチュア愛好家で、2010年に次ぐ2 回目の受賞のようです。
審査講評によれば、花の色彩、花のコンディション、どの方角からも
美しく見える花姿が評価され、エントリー880作品のなかから圧倒的
な支持を得た大賞受賞だったそうです。

デンドロビウム ・ グロメラタムは、かつてデンドロビウム・スラウェシエ
ンセと呼ばれ、インドネシア・スラウェシ島付近で見られるランです。原
生地では標高1,200メートル付近の樹木に着生しているとのことです。
別名 : ボールデンドロビウムと呼ばれように、ボール状に花を咲かせ
ていました。高さ約80 cmほどの株に赤紫色の花がバランスよく咲き、
ボール状に咲いた花が美しかったですよ。本来は11月に咲く花を、こ
のタイミングに合わせたりと、大変なご苦労があったとか。楽しみとし
て取り組めるのが 「アマチュア愛好家」 の特権かもしれませんが、
一方では、「もの作りに対する執念」 の様なものも感じますね。

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「トロフィ賞」
洋蘭、東洋蘭、日本の蘭などあらゆる蘭の出品作品を41のカテゴ
リーに分け、ブルーリボン賞 (第1席)、レッドリボン賞 (第2席)、
ホワイトリボン賞 (第3席) を選出。ブルーリボン賞41作品が トロ
フィー賞に選ばれます。さらにトロフィー賞の中から上位18作品を
部門賞として選出します。部門賞の中でも最も優れた作品に授与
される最優秀賞が、栄えある 「日本大賞」 となります。

「ガストロルキスプルクラ ” フレデンスボルク ”」 (下左)
優秀賞、英国王立園芸協会特別賞、神保康紀氏の作品マダガス
カル島原産の原種です。26花茎、約200輪が咲いています。
見事な大株仕立てです。 運搬が大変でしょう。花全体が正面を
向いています。 愛情を受けて育った結果でしょう。

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「個別部門」
審査展示は個別部門、フレグランス部門、ディスプレイ部門、フラ
ワーデザイン部門、アート部門、ミニチュアディスプレイ部門の6つ
の部門に分かれ、それぞれたくさんの蘭が展示されていました。
個別審査部門には世界水準の作品が出展されているようです。

審査作品展示は6 部門で構成されています。
【部門1】 個別部門       【部門2】 フレグランス部門
【部門3】 ディスプレイ部門  【部門4】 フラワーデザイン部門
【部門5】 アート部門      【部門6】 ミニチュアディスプレイ部門

個別部門は、色々な花が展示されているので、個々の花を見て歩
きながら写真を撮るのが楽しい。名札などが邪魔になったり、気に
入った花が思うような位置になかったりで、結構写真にするのが難
しい。日本大賞のブースの両翼に、優秀な作品のトロフィー賞のブ
ースがあるのだが、このひな壇の花は、夫々特徴があって面白い。

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満遍なく日光が当たるように鉢の向きを毎日変えたり、一株ずつ
個別のカルテをつけたりと、一日も休まず手入れをされていると聞
きます。購入した時は500円だった株を、何年も手塩にかけて出品
されるほど見事な蘭に育てられたエピソードに感動します。 しかし、
どんな自慢の一鉢も、らん展のコンテスト当日に最もいい状態で咲
いてなければ意味がありません。 栽培されている方々の、このコン
テストに懸ける熱い思いが伝わりました。 初めは小さな株に過ぎな
かった蘭を、たゆまぬ努力で 「この日のため」 見事に咲かせていく。
何だか宝塚の生徒さんたちに重なる部分を感じて感銘を受けました。

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「アート部門」   (上)
審査対象:蘭を題材、素材にした美術工芸品で、絵画、ボタニカル
アート、写真、アートフラワー、プリザーブドフラワー押し花、ドライ
フラワー、各種工芸7カテゴリーに分類した作品で、こちらは芸術
といった感じです。

「フラワーデザイン部門」  (下)
蘭を主たる素材としてデザインされた フラワーデザイン作品。ディ
スプレイデザイン、インテリアアレンジメント、ブーケの3カテゴリー
の作品審査を行います。選出されたトロフィー賞12作品から部門
賞6作品(最優秀賞1・優秀賞1・優良賞1・奨励賞3)が選出されます。
芸術やアートには疎いので、ふ~んとさらりと見回すだけでした。(笑)

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胡蝶蘭がこれでもか~と言わんばかりに山積みされていて、様々
なシーンを設け展開し贅沢に使った胡蝶蘭の花が夢の世界へと
誘い 「都会の真中の楽園」 にふさわしい、多種多様な蘭に包ま
れた華やかな空間を演出し、来場者を迎えまてくれています。

「ディスプレイ審査部門」
ディスプレイ部門では、洋蘭 ・ 東洋欄 ・ 日本の蘭など、あらゆる
蘭を使った飾り付けの作品が展示されていました。規模が大きく、
見応えがあって、いったい蘭を幾つ使っているのか気になります。
なんとも贅沢な作品だろうと眺めていました。どれも皆、力作ばか
りで見ているだけでため息がでます。やっ ぱり胡蝶蘭の艶やかさ
には引かれますね。

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「第一花壇 (埼玉県)」  (上)
嫁ぐ日、幸せをかみしめながら、花嫁衣装に目をやる・・・・・。蘭の
花に包まれた着物が、そっと花嫁を守ります。最高の喜びの日を、
蘭の花たちで表現したようです。豪華な着物は、すべて蘭の花で
作られていて感動しました。(上右)
「松本洋ラン園&望月蘭園 (東京・茨城県)」  (下左)
今年は 「寛政の改革」 から230年にあたります。その時禁令が敷か
れた 「かるた遊び」 の代用品として考案さえたのが花かるた (花札)
でした。その図柄にランがつかわれていたらと思いのデザインとか。
「メルティス (東京)」  (下右)
進化の花・蘭は、姿、香り、色彩ほか、その魅力は、私達を惹きつけ、
一つ一つの花がそれぞれに咲き誇ります。蘭の色彩を夢にたとえ、
心ときめく表現をし、あなたの夢は・・・と問いかけているようです。

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「日本洋蘭生産協会 ・ 東日本支部」  (上左)
激動する世界情勢や大規模な自然災害に脅かされている昨今。
「再生」 「復活」 「不老(美)」 する力をもつと信仰されている霊峰
富士を様々な蘭の華に力とときめきを感じてもらいたいと富士山
を表現しています。
「岡山県立興陽高等学校 ・ 造園デザイン科」  (上右)
足利尊氏が安国寺として建立した禅寺である岡山頼久寺。その
庭園は備中奉奉行となった小堀遠州が築きました。白砂や皐月
の大刈込で表された庭園の情景を蘭の艶やかさで表現しました。
「キヌナーセリー (栃木県)」  (下左)
バレンタインをテーマにオリジナル品種の 「ときめき」 をメインに
ワイヤーで吊る下げて装飾し、心ときめくハート型をデザインした。
胡蝶蘭の優雅で繊細な美しさを表現しています。
「岐阜県立恵那農業高等学校」  (下右)
今年創立50周年を迎え、開校当時からラン栽培に取り組み、地域
の方々にランの素晴らしさを伝えて、学校で栽培したランを使用し、
ふるさとに春が訪れるランたちがときめく様子を表現したようです。

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胡蝶蘭というと、あでやかで優雅な姿を思い浮かべますが、実に
いろいろな種類があり、やや高級な鉢花として知られてい ます。
色彩に富んだ 形の胡蝶蘭たちが、蝶のようにドーム内を舞って
いる感じでした。

「胡蝶蘭」
蘭と言えば、胡蝶蘭が思いつくほど代表的な花ですね。その美し
さから日本でもなじみの人気の蘭です。花が蝶の舞っている姿に
似ているところからギリシャ語の 「蛾のような」 に由来しているとか。
ふっくらと丸みがあり、行儀良く並んで咲く花は気品と可愛らしさを
兼ね備えて、花色は白やピンク、紫色など褐色の斑点が入るもの
もあるようです。一度花を咲かせると2ヶ月程度花が保ち、花期が
長いのが特徴。胡蝶蘭の花言葉は 「幸福が飛んでくる」 と言われ
ているほど、大変縁起の良い花です。昔から祝い事やプレゼント
などに幅広く用いられ、たくさんの人々の幸せを運んできました。
ピンクの胡蝶蘭は 「あなたを愛します」 の意味も秘めています。 
いつも訪問して下さる “あなた” に、ピンクの胡蝶蘭を・・・・・。うふ

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何度も、何度も見ても不思議な蘭です。この蘭は特に何で、何の
為にこんな形なんだろう~と思いますね。ひと味違う蘭の代表。

「オペディラム」
パフィオペディラムは、花弁の一部が袋状になった、不思議な花姿
をした蘭です。花の一部がふくろ状になっているのは、ハチが袋に
落ちて出て来るときに花粉をつけさせるためにこの形状になったと
考えられています。袋状の花弁が食虫植物を思わせるため、虫を
取ると言うのは事実無根なんだそうです。花色は複雑な色合いや
模様が多く、改良品種では斑点の模様を生じる点花タイプ、背萼
片に縦筋が顕著なタイプなどが目立つようです。花の形が丁度女
性の靴を思い起こさせる形をしていることから 「女神のスリッパ (サ
ンダル)」 と呼ばれるようです。 日本での栽培は長く歴史的に水戸
徳川家のコレクションが有名なんだそうです。 主に東南アジアに
自生する地生蘭で、洋ランでは少数派に属します。花型はとても
個性的な形をしており、インパクトがあります。その独特な姿には
味わい深いものがあり、多くの愛好者がいるようです。

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らんが盛んになった江戸時代のお話。
江戸時代当時は、年中花を見ることが出来なかったために、葉の
柄や姿を観賞するという日本独特の園芸文化が育ちました。蘭は
武家や公家など、特殊な層の人達に愛され、現在も古典園芸とし
て受け継がれているようです。

多趣味の11代将軍徳川家斉は、富貴蘭も趣味のひとつとして楽し
んでいて、大名や武家の間でも流行っていました。 手の油が付か
ないように、「ホヤ」 (貴金属の金網) をかぶせ、刀剣の作法のよう
に口には懐紙をくわえて観賞したとされています。富貴蘭は芳香
があるので、大名等がカゴで移動するときに中につるし香りを楽し
んでいたようです。

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「蘭おもしろコーナー」  (上左)
花の咲く植物中、最も多くの種類があると言われるランの中で、花
の形や香りに特徴のある蘭を紹介。花や株のつくりを分かり やす
く説明するパネルもあり、大人から子供まで楽しめました。

動物や昆虫そっくりに見えるランをそろえたコーナーでは、サルに
似ていると注目の 「ドラキュラ属モンキー ・ オーキッド」。もの凄く
小さくて分かりません。(上右) 何とかアップで撮れました。(中央) 
まさに猿顔に似ていますよね。その他にコブラに似ている 「コブラ
・ オーキッド」 (下右) や蝶に似た 「バタフライオーキ ッド」 やハチ、
クモなどに見える個性豊かなランが勢ぞろい。香りをかぐコーナー
では、甘い 香りや爽やかな香りなど、バリエーション豊かな香りを
鼻を近づけて 堪能できました。 チョコレートみたいな香りがする
「オンシジュームシャリーベイビー」(下左) ランが虫たちを誘うた
めに尽くしたあの手 この手の進化が見所でした。見た目、香りな
ど、五感にもわかりや すい品種を集めた 「蘭おもしろコーナー」
は楽しかったです。

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「あなたの知らない蘭との出会いコーナー」   (上)
     ~光を愛する蘭と地中に息づく蘭~
植物は生きていくために光合成をしています。でも、光合成をしない
蘭があるのをご存知ですか?植物をやめた植物ともいえる、光合成
だけでなく、開花もせずに、菌に頼って生きている珍しい蘭。 昨年、
新しく発見されたばかりの蘭が2種類、さらに世界で初めて交配に成
功した蘭が1種類が展示されていました。他に非常に日光を好む蘭
や多種多様な姿、多彩な花を咲かせる珍しいランの紹介をしていま
した。このコーナーは、毎年行列が出来る上、一時間以上も待たな
ければなりません。今回は入場して真っ先に駆けつけました。
20~30分ほどで入場が出来たのでラッキーでした。

「クロシマヤツシロラン」 (中左と中央)
進化するなかで光合成をやめるばかりか、花粉を運んでくれる昆虫
など、他の生物との共生関係までも変化させた欄科植物。花を咲か
せる事をやめ、菌に頼って生きている珍しい蘭というわけです。
「タブガワムヨウラン」 (下左)
鹿児島県屋久島で発見された新種の蘭。島内の椨川流域の樹林で
発見され 「タブガワムヨウラン」 と命名されました。夏に白い花を咲
かせるようです。(下右) 
世界初! 「光合成しない蘭の交配種」  (中・右)
世界ではじめての光合成をしない植物の人工交配種の開花に成功
したシンビジュームです。実験室から初めて飛び出て世界らん展に
デビューしたようです。 どれも小さくて地味な花ですが、学術的に
貴重なものばかりのようです。

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「暇屋崎省吾の蘭世界」  (上)
国内外で大いに活躍の場を広げている華道家 ・ 假屋崎省吾さん
による特別展示。今回のテーマは 「ハートフル」。ランとご自身が
デザインプロデュースされた着物を融合した、百花絢爛で華やか
な世界を表現されていました。四面が違った着物で彩られ、ゆるり
とまわって楽しみました。

「宝塚歌劇紹介ブース」  (下)
「世界らん展 2017」 の象徴である蘭の女神 「オーキッド ・ ミュー
ズ」 に就任した宝塚歌劇団月組トップスターの珠城りょうさん。就任
時には珠城さんに特別仕様の蘭が贈呈され、期間中、宝塚歌劇団
ブースに展示されていました。(下左) また宝塚歌劇団5組のトップ
スターが実際に着用した衣装も展示されます。(下右) 宝塚歌劇団
の華やかな世界に蘭の花はとても似合いますね。

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「志穂美悦子 ・ フラワーディスプレイ」  (上左)
狛犬や仁王、沖縄のシーサーなど、一対で存在する宗教的な像の
モチーフに、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動してい
るさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼ぶ。優美な蘭で、そんな対
の強い作品を創作したようです。

「日本いけばな三大流派 特別企画展示」
日本を代表するいけばな三大流派 (池坊 ・ 草月流 ・ 小原流)
による、見応えのある豪華いけばな展示が行われていました。
「春光 (華道家元池坊)」 (上右)
寒空から微かな春のきざしが感じられる光が、私達の心の中にさし、
うれしい季を待ちます。木々の芽が膨らむと共に私の心にも来る春
を待ち、一歩を踏み出す準備をします。春の兆しを感じたイメージ。
「躍動する春 (いけばな草月流)」  (下左)
竹の真っ直ぐな強さと、しなやかさが空間を捉える。春への待ちき
れない想いを表現し、竹に囲まれた小作品には咲き誇る蘭がいけ
られており、様々な春の表情を演出しているようです。
「琳派調いけばな (いけばな小原流)」  (下右)
日本の代表的な 「琳派絵画」 を背景に花をデザインとして捉える
小原流独特の琳派調いけばな。今回は金屏風の中に蘭と和をコ
ラボレートした現代琳派として艶麗繊巧の世界を。

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「沖縄美ら海水族館」  (上)
「世界らん展」 の常連となった沖縄美ら海水族館は、今年も大迫力
の水槽を展示。南国の蘭に彩られた水槽の中を、カラフルな熱帯魚
が悠々と泳いでいます。(上右) 水と花のコラボレーションが、神秘
の光景を創り出していました。

「大使夫人のテーブル ・ デスプレイ」  (下)
世界各国の大使夫人による蘭をモチーフにしたテーブル ・ ディスプ
レイが披露されていました。蘭とともにそれぞれのお国柄が表現され
たテーブル・ディスプレイには、大使夫人の温かなおもてなしの心が
こもっていいる感じでした。「世界らん展」 の名にふさわしい、華麗な
競演を楽しみました。

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「蘭の花を育てる運動」
この運動は 「蘭に触れ合うことで身の回りの自然や資源を大切に
する心を育んでもらうこと」 を目的に1992年にスタート。学校や
病院をはじめとする団体や施設にランを寄贈し、栽培に取り組み
ながら、自然を大切にする心を育くんでいくもので、「蘭の花を育
てる運動」 も26 回目を迎えるようです。今回は全国から合計24
団体が参加。育てたランの育成記録と、実際に育てた実物のラン
を会場内に展示されていました。ただでさえ難しい蘭の栽培、皆
さんよく観察し、その記録には驚くものばかりでした。

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「販売エリア」
会場の約半分を占める販売ブース。蘭の苗や切り花だけでなく、
蘭のテラリウムやドライフラワー、香水に雑貨、園芸資材などを販売
しているブースもありました。育ててみたいけど蘭は難しそうと思う方
には初心者向けの蘭もありましたし、店の方が育て方や気を付ける
ポイントなども丁寧に教えてくれていました。 この他にもステージイ
ベントやご当地の飲食ブースもあり、ここでしか見られない、買えな
い蘭や商品が豊富でした。一通り鑑賞してビール休憩の後は、販売
ブースを隈なく回って買い物です。 余りにも種類が多くて迷うのも当
然ですが、 高いのには手が出せない。(笑) かみさんは、両家の実
家と友人 に胡蝶蘭とカトレアを購入して送ったようです。ちょっぴりと
いうより、 だいぶ財布が軽くなりました。(笑)

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バラの好きな方は意外と蘭は苦手な方も多いと聞きますが、でも
蘭もさまざまな表情をもっていて、好きな方はのめり込んでしまうほ
ど好きになると言います。花屋で見かける蘭の種類は決まったもの
しかないので、これだけまとまってさまざまな種類の蘭の花を見られ
る機会は貴重でした。それに香りの良い蘭ときたら酔ってしまいそう
なほど素晴らしい香りを放つのです。蘭のすばらしさをよくご存知の
方も、蘭はちょっと苦手・・・・と思っている方も、ぜひ1度、「世界らん
展日本大賞」 に足を運んでみてはいかがでしょうか? きっと意外
な発見と驚きに出会えます。






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「自然と語ろう」

...2017/02/19 08:38...

昨日は雨水 (うすい) の日でした。
しかし、本格的な春の訪れにはまだ遠く、
大雪が降ったりもします。三寒四温を繰り返しながら、
春に向かっていきます。ところで、お雛様は雨水の日に
飾り始めるといいと聞きますが、どんな理由なんでしょう?
あなたの 「気になる」 は、わたしの 「気になる」 。
では、ご一緒にスタディーターイム。

お雛様を飾るのに良い日とされている 「雨水」 ですが、
そもそも雨水とは、なんの日なんでしょうか。雨水は 「うすい」
と読みます。 「あまみず」 と呼んでしまうと意味が違って
しまいますのでくれぐれも間違えの無いように・・・・。
現在広まっている定気法では太陽黄経が330度のときで、
立春から数えて15日目頃、今年は2月18日になります。
立春は 「春のきざしが感じられるころ」 のことをいい、啓蟄は
「冬眠していた虫が地上へ出てくるころ」 のことをいいます。
この2つの間にある雨水は、冬が終わって春へと変わって
いく動きがみえてくる季節といえます。

この日から、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃。
これから春になっていくよ~って、お知らせの日なんですね。
山に積もった雪もゆっくりと溶けだし、田畑を潤します。
昔から、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。
草木が芽生える頃で、春一番が吹くのもこの頃です。

お雛様を飾ると良いと言われるのは、この日に飾ると、ズバリ!
良縁に恵まれると、言われているからなんです。
やっぱり女の子は、すてきな旦那様とめぐり逢って欲しいですね。
なぜ、雨水に良縁?
といっても、なぜ雨水と良縁が関係があるんでしょう?

理由は諸説あるようですが、日本神話から来ているようです。
雨水から雪が雨に変わり、春に向かっていくので、農作業の
準備などが始まります。この時期から、草木も芽吹き、雪解け
水が川に流れ始めます。じつは、水は命の源であるとされ、
母と考えられていたんです。なので、水の神様は、子宝の神様
とされていたり、安産の神様として崇められていました。
このような理由から、お雛様を雨水の日に飾ると良縁に
恵まれると言われるようになったようです。

生命の源である、水の神にあやかって、雨水の日に
ひな人形を飾ると良縁に恵まれる。可愛い子供が
幸せであるように願う気持ちの現れなんですね。
我が家も娘とかみさんが、何やら押し入れに頭を
突っ込んで、ひな飾りを取り出していました。(笑)
出掛けようとしたら、娘が 「パパ~、出かける前に
ひな壇作ってからにしてよね~」 だって。

ひな飾りを飾っている期間中、お酒を飲むと幸せな
気分になれる・・・・・と、勝手に解釈して晩酌を楽しみたい。

♪  金のびょうぶに うつる灯 (ヒ) を
     かすかにゆする 春の風
    すこし白酒 (シロザケ) めされたか
     赤いお顔の 右大臣 (ウダイジン)


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「自然と語ろう」

人生って、いいことも続くけど、悪いことも続く。
やはり悪いことが続くとかなり落ち込むものだ。
普段の生活の中で、楽しいことや良いこともある
はずなのに、それらが目に入らない。それどころか
「なんで、こんなに悪いことばかり続くのだろうか」 
「わたしのどこがわるいんだろう」 「私は、こんなに
一生懸命なのに」 と、自分を正当化したり、
自分を責めたりする。

こうなると最悪の状態だ。
「どうでもいいや」 と投げ出したくなる。
仕事も生活も何もかも放り出してしまいたくなる。
まさに 「どん底」 だ。そんな 「どん底」 から立ち直る
ために、「自然の中に身を置いてみるんだよ」 と
上司が話した事があった。

上司の友人は会社を経営していたが倒産した。
借金取りに追われ、自殺も考えたらしい。
「もう死にたい」 と、長年寄り添った奥さんに言ったところ、
その奥さんは 「死ぬ前に何したい?」 と聞き返したという。
「南の島に行って、ボーッとしたい」 と答えたら
「行ったらいい」 と言われたという。とてもそんな状況じゃない。
でも奥さんに背中を押され、南の島に出かけたという。

コバルトブルーの美しい海を見ているうちに、
自分のちっぽけさに気づき 「命までとられるわけでもない」
「死ぬ気で向かい合えばなんとかなるかも」 と、思えてきたらしい。
今は再び再建するための準備をしているようです。
そう上司が話されて 「どうしょうもなく落ち込んだ時は、
大自然と会話してみるといい」 と話された。

そういえば、学生時代に友人が失恋してすごく落ち込んでいたとき、
彼を励まそうと何人かで企画して登山に誘って行ったことがある。
南アルプスの山々を眺めているうちに彼は突然 「自分がこの世に
いるだけで奇跡だよなぁ」 「失恋したくらいでくよくよしてる自分が
情けない」 「恋の楽しさを教えてもらったと思えばいいよなあ」 と
いつの間にか前向きな彼がいた。

自然を相手にすると自分を見つめなおす気持になる
から不思議だ。人生っていいことも悪いこともあるんだ。
だから心に休みも必要なんだね。そして自然と語る。
たまには、自然と語る時間を作って、
心に休みを持ちたいものです。


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マリー ・ アントワネット展 2017
~美術品が語るフランス王妃の真実~  六本木ヒルズ

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すでに30万人が訪れているという話題の 「マリー・アントワネット展」。
会期末までに絶対に行くと言っていた、かみさんのお伴で鑑賞して
きました。独身時代 「ベルサイユのばら」 が大好きで 「ヴェルサイユ
宮殿」 に出掛けたほど、半端じゃなく好きらしい。そういう淑女達が
ワンサカ訪れて凄い人でした。(笑) 来場者の八割が女性でした。
私の方は、フランス革命を知るのにいいかなと、久しぶり二人で
デート気分です。ちょびっと紹介します。

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開催される森アーツセンターギャラリーは、六本木ヒルズ森タワー
52階 (下左 ) で展望台と同じフロアにあります。森アーツセンター
ギャラリーへの入場は専用の入口 (ミュージアムコーン) (上) から
です。チケット売り場のフロアは人でいっぱいでした。チケットを購
入するのに30分以上かかり、さらにエレベーターに乗るまでジグ
ザグに列を成し狭い部屋のうえ、私の周りは年配のご婦人の団体。
化粧の匂いで気分が悪く成るほどで、エレベーターに乗れたのは
30分後。1時間以上かかって52階へ。先が思いやられます。

「マリー ・ アントワネット展」 美術品が語るフランス王妃の真実
会期  2016年10月25日 (火) ~ 2017年2月26日(日)
会場  森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ 森タワー52階)

フランス王妃マリー ・ アントワネット (1755-1793) が暮らした
ヴェルサイユ宮殿の企画 ・ 監修のもと、彼女の激動の生涯を辿る
企画。肖像画はもちろん、王妃が愛用した食器や漆器、家具、身
に着けた衣服、そして革命期の資料など、美術的、歴史的に貴重
な品々200点あまりが展示される。最大の見所は、王妃が実際に
使った家具や同時代の浴槽などとともに原寸大で再現がなされる
のは史上初の試みのようです。

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それではさっそく、展覧会の会場へ!
エレベータを降りて係りの方に案内されたのが列の最後尾。え~
また行列です。(下右) ジッと我慢の子で待つこと10分。(下左)
も~並びました。待たされました。疲れました。あなどってました。(笑)
やっと会場内に入ると、高級感あふれる真紅の壁があらわれます。
ぐっとマリー ・ アントワネットの世界に引き込まれます。14歳で
政略結婚。そして異国の王太子妃へ。

第一章 ウィーンからヴェルサイへ、皇女から王太子妃へ
マリー ・ アントワネットは、ハプスブルク家の皇帝フランツ1世と、
オーストリア大公マリア=テレジアの15番目の子として生まれます。
彼女はシェーンブルン宮殿で幼年時代の大部分を過ごしたが、ル
イ15世の孫の王太子 (のちのルイ16世) とマリー ・ アントワネット
との 「縁談」 がまとまり、これを機にハプスブルク帝国と、そのライ
バルであったフランスとの絆が確固たるものになった。オーストリア
皇女からフランス王太子妃となるまでの少女時代の様子を紹介。

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マルティン・ファン・マイテンス 「1755年の皇帝一家の肖像」  (左)
会場に入って最初に目にするこの絵は、教科書でも見たことのある
「1755年の皇帝一家の肖像」。子沢山で知られたオーストリア大公
マリア ・ テレジア夫妻と子どもたち12人の様子が描かれています。
真ん中のゆりかごにちょこんと座っているのが、末娘であるマリー・
アントワネットです。マリーの母は、子供が生まれるたびに肖像画を
宮廷画家に描かせて祝ったそうです。同様の構図の肖像画が子供
の数だけあるのですね。

「チェンバロを弾くオーストリア皇女マリー・アントワネット」  (右)
こちらも有名な肖像画。フランスへの嫁入り直前と推測される絵です。
チェンバロを弾く姿が優雅ですね。うら若きオーストリア皇女が座って
いる場所は、赤い幕と風景画が嵌(は)め込まれた板張りの壁からわ
かるように宮殿の一室でしょうか。この後1770年4月、アントワネット
は14歳でウィーンを離れ、フランスへ嫁ぎます。

第二章 フランス王太子との結婚
1770年、マリーは14歳でフランスのルイ15世の孫、ルイ・オーギュ
スト (のちのルイ16世) に嫁ぎます。ここには、結婚祝いのセレモニ
ーの美術や絵が飾られていました。

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アンドレ・バセ 「マリー・アントワネットのヴェルサイユ到着」
若く美しいアントワネットの評判はたちまちフランス中に広がり、大
勢の民衆がヴェルサイユ宮殿に押し寄せ、その結婚を祝ったと言
われています。ハプスブルグ帝国とフランスの絆を堅くするための
政略結婚ですが、本人はまだ14歳。 何が何だかわからなかった
でしょうね~。ここには王立セーヴル磁器製作所 「王太子の結婚
祝いのテーブル飾り」 の模型も展示されていました。

第三章 即位-マリー ・ アントワネット誕生
1775年6月、ルイ16世の戴冠式はランスの大聖堂でフランス王
家の伝統に則り挙行されました。この戴冠式はルイ16世の治世
下において最も贅を尽くした行事だったようで、ルイ16世の王と
しての最初の言葉は、「神よ守り給え、このように若くして国を治
める私たちを!」 であったという。

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ジョゼフ ・ シフレ ・ デュプレシ 「ルイ16世」 (左)
ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「王妃 マリー ・ アントワネット」 (右)
結婚して4年後、ルイ15世が亡くなると、二人は若くして王位に就い
たのです。 1774年、ルイ16世の即位により、マリー ・ アントワネット
はフランス王妃になりました。 この時、ルイ16世は20 歳、マリー ・
アントワネットは19 歳でした。ルイ16世の肖像画を見ると、人のよさ
そうな感じがします。王家に生まれなければ、きっと平穏で幸せな市
民生活を送っただろうと思わせる温和な表情ですね。このルイ16世、
愛人を1人も作らず子供の面倒をみる良い夫・良い父親だったという。
白い肌、青い瞳、ブロンドの髪のマリー ・ アントワネットの美を人々は
賞賛! 肖像画を見ても、その美しさはわかります。しかし当時のマリ
ー ・ アントワネットは、パーティ三昧な毎日だった様子。 まだ19歳、
遊びたい年頃ですからね。自由奔放な王妃の浪費は、この頃すでに
始まっていたようです。

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マリー ・ アントワネットといえば、日本では漫画 「ベルサイユのば
ら」 で一躍有名になったフランス王妃。オーストリア皇女として誕
生し、14歳でのちにルイ16世となるフランス王太子と結婚。その
後、革命の波にのまれて37歳で断頭台の露と消えます。フランス
革命までの約20年、ヴェルサイユ宮殿で過ごしたマリー ・ アント
ワネットにとって、人生の最も輝かしい時代を過ごした 「思い出の
宝石箱」 とも言えます。

第四章 マリー ・ アントワネットと子供たち
ルイ16世とマリーには子供が3人いました。王妃は最初の女児を
出産後、1781年に待望の男児を出産します。彼こそ長い間待ち
望まれていた嫡子でした。が、末娘ソフィーが生まれたが、この子
は数ヶ月後に亡くなったようだ。マリー ・ アントワネットも彼女の母
同様に、子供たちの肖像画を多く残しています。 浪費家の一面
はありつつも、子供にとっては良き母だったようです。子供たちの
肖像画がそれを語っていました。

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フランソワ ・ メナジョ 「1781年10月22日の王太子ルイ ・ ジョゼ
フ ・ グザヴィエ ・ フランソワの誕生の寓意」

結婚11年目の皇子誕生の様子を寓意とした作品です。青い服を
着たフランス国家の擬人像が王太子を抱き、後ろには天使たち、
右下では役人たちが王太子を迎え入れようとしています。完全に
神のような扱いで描かれていて、その為この作品の本図は革命
で破壊されたそうで、この作品はその下絵のようです。

第五章 ファッションの女王としてのマリー ・ アントワネット
輿入れのためフランスに到着したマリー ・ アントワネットは、パリの
華やかなファッションを目の当たりにし、瞬く間にその虜となった。
ファッションにお金を注ぎ込み、実家の母にまで怒られるほどだっ
たそうですが、彼女のファッションは常に貴族達の話題の的でした。
ここでは、帽子やドレスなど華やかな衣装のヴィジュアルをじっくり
見ることができました。

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エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「フランス王妃 マリー
・ アントワネット」
 (左)
フランス貴族のファッションリーダーとして、ダチョウの羽をつかった
アクセサリーや派手なデザインのドレス、高く結い上げた髪型など、
次々とあたらしいファッションで注目を集めました。そんな王妃の散
財ぶりに、国民からの不満は、じわじわと高まっていったようです。

ルイ ・ オーギュスト ・ ブラン, 通称ブラン ・ ド ・ ヴェルソワ
「狩猟をするマリー ・ アントワネット」
 (右)
王妃が経験豊かな乗馬の騎手であったそうで、描かれているのは
特に好んでよく行っていた狩猟の情景のようです。マリー ・ アント
ワネットは優美で軽快な様子で馬に横乗りしています。後景には、
上半身に聖霊騎士団の青いリボンをかけたルイ16世がいます。

第六章 王妃に従えた家具、調度品たち
マリー ・ アントワネットは衣裳だけでなく、インテリアにもこだわりが
あり、こちらでも流行の最先端! 特に花と真珠のモチーフがお気
に入りで、タペストリーや燭台もあれば、なんと日本製の漆器類も
収集していたそうです。様々な調度品が見られました。

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「寝台の上掛け」 1770年頃 (左) 
繻子地にシェニール刺繍で、アントワネットがとくに好んだ花柄の壁布。
これもゴージャスなデザインですね。ヴェルサイユをはじめとする宮殿
の装飾に執着したアントワネット。莫大なお金をつぎこみ、当時の流行
にあった家具調度品を揃えていきました。当時フランスがアメリカ独立
戦争に介入したことで国家財政が厳しくなっていたにもかかわらず、
王妃の散財は加速するばかりだったといいます。

「桃形蒔絵合子」 (右)
桃太郎さんが生まれてきそうな桃型の漆器。専門家によると中国向け
に作られたものとの事。当時、日本と清朝、清朝とフランス王室の間に
は交流があり、その過程でこの漆器がヴェルサイユに渡った、とも考
えられるそうです。当時の世界情勢の縮図・・・とも言えそうですね。
マリーアントワネットが日本のモノを目に手にしてたんですね。

第七章 再建された王妃のプチ ・ アパルトマン
ここでは王妃が実際に使用していた家具や、同時代の浴槽などを
使用してプライベートルームを再現! 居室、浴室、図書室の3つ
の部屋で構成されています。ついに部屋まるごと登場ですよ。

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【展覧会の注目ポイント! 王妃の部屋の再現】
マリー ・ アントワネットのプライベート空間、浴室、居室。これがな
んと今回の会場でも再現されました。実際に使った家具などを用い、
原寸大で見ることができるのです。現代は残っていない図書館は、
かつての設計図とともに最新デジタル技術で音や映像で演出して
いました。王妃の寝室の金襴をふんだんに用いた数々は、王妃の
金銭感覚が狂うのもさもありなん、という豪華さです。なにしろ、当
時のヴェルサイユ宮殿は、ヨーロッパ各国の王室に誇示された豪
華な宮殿の見本帳のようなものだったのです。その裏で、財政が
慢性的な赤字であったことなど、若い王妃には知る由もないこと
だったのかもしれません。

会場内に再現された居室だけは、特に写真撮影が許可されてい
ましたが、人が多すぎて撮るのに難儀でした。居室に展示されてい
る ≪寝台≫ の脚部はエジプト女性がかたどられています。 これは
マリー ・ アントワネットが特に好んだ装飾だったそうで、ヴェルサイ
ユ宮殿には他にもこのモティーフで飾られている場所があるとか。

第八章 マリー ・ アントワネットのセーヴル磁気の食器セット
インテリアに凝っていたマリー ・ アントワネットが、漆の器を好んで
いたのは驚きでしたが、なんと伊万里焼をイメージした和食器も購入
していたそうです。展示されている食器はいずれも美しくて、あまり古
さも感じないのが凄いです。

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王立セーヴル磁器製作所 「日本 (皿)」 (左)
このコーナーは王妃が好んだ食器が展示されていました。 ズラリと
並ぶセーヴル食器のなかには、日本風デザインのものも。このお皿
は、伊万里焼から着想を得たものと考えられています。 王妃の母、
マリア ・ テレジアは日本の漆器をこよなく愛していたようで、その趣
味は娘にも受け継がれました。王妃自身もパリの美術市場で漆器
を買い集めたり、ヴェルサイユ宮殿には彼女のコレクションが残され
ています。これは 「日本」 という名前が付けられた食器で、日本の
食器を好んだ母、マリア ・ テレジアに贈ったものだそうです。
お母さん想いなんですね。

王立セーヴル磁器製作所 「豪華な色彩と金彩の食器セット」 (右)
マリー・アントワネットはこのように最高級の洗練された日本の漆器類
を収集し、これらを私室で大切に保管した。コレクションの全容は様々
な形の、独創性に溢れた70点を超えるもので、その多くが17世紀の
ものだったようです。この頃、日本では徳川家治の時代ですかね。

第九章 王妃の私的な離宮 : トリアノン
ルイ16世から贈られたプチ・トリアノンは、マリー ・ アントワネットだけ
の世界。ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮のひとつ、プチ ・ トリア
ノンは、宮廷の陰謀や中傷から逃れる彼女のオアシスだったのです。
トリアノンの地図や美術品、子供たちとの肖像画なども見られました。

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クロード=ルイ ・ シャトレ 「ヴェルサイユの岩場とベルヴェデーレ」
1774年に、王妃がルイ16世によって与えられた 「プチ ・ トリアノ
ン」 の様子もうかがえます。形式ばった宮廷生活を嫌ったアントワ
ネットは、この私的な離宮の敷地内に池や田舎風の離宮を作らせ、
牧歌的な暮らしを夢みました。照り返しを受けた湖の水面が夢幻
的な魅力をもたらしている感じでした。 かたくるしい宮廷から抜け
出してごく親しい友人を招き、オペラや舞踏会を開き、大胆なファ
ッションを楽しんだようです。しかし楽しい時間もつかのま国民の
不満が爆発。いよいよ革命が始まります。そして悲劇の結末へ。

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エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「ゴール ・ ドレスを着た
マリー ・ アントワネット」
 (左)
王妃はシンプルなシュミーズ ・ ドレスを着て、宝飾品は身につけず、
麦わら帽子をかぶり、ダチョウの羽根飾りをつけています。王妃が
身に着けているのは、ゴール ・ ドレスと呼ばれたシュミーズ・ドレス。
確かに当時流行していたものですが、あくまで親密な場面で身に着
けるもので、公的肖像画にふさわしい衣装ではなかったため、悪評
が広がり、この作品はサロンから運び出され別の絵が代わりに展示
されたという。その世間知らずのほどをよく表しているのが、この肖
像画だという。

エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「マリー=テレーズ ・
シャルロット ・ ド ・ フランス、通称マダム・ロワイヤルとその弟の
王太子ルイ ・ ジョゼフ ・ グザヴィエ ・ フランソワ」
  (左)
ルイ16世とマリー ・ アントワネットには婚姻後8年の月日が経って
も跡継ぎがいなかった。 1778年のマダム ・ ロワイヤルの誕生は
国王夫妻を安堵させたという。 その3年後、ついに王位継承者で
あるルイ ・ ジョゼフ ・ グザヴィエ ・ フランソワが生まれます。 幼き
王太子は水兵風のシルクサテンの衣服に身を包み、聖霊騎士団
の勲章と空色のリボンを身につけている。 マダム ・ ロワイヤルは
麦わら帽子をかぶり、縞模様のタフタで袖口が繊細なレースで縁
取られたドレスを着ている。彼女は小さな弟に対して見守るような
愛情深い眼差しを注いでいる感じです。

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「解読された1792年1月4日付の手紙」 (左)
およそ200点の美術品が集う今回の展覧会で、とりわけ大きな人垣
ができていたのが、マリー ・ アントワネットから恋人フェルセン伯爵へ
宛てた手紙 (複写) の展示ケースです。2人が使った暗号表の実物
と、墨塗りの手紙の複製が展示されていました。フランス革命勃発後
も、暗号を使うなどしながら手紙を交わしていました。中には部分的
に黒く塗りつぶされているものもあり、その解読が試みられ2016年、
ついにその一部が明らかになりました。フェルセンへの手紙の墨塗り
の下から浮かび上がったのは、「あなたを狂おしいほど愛しています。
一瞬たりともあなたを敬愛することをやめられません」 という文字。女
性らしいやわらかい文字で、情熱的な愛の言葉が書かれていました。
ガラス越しに食い入るように見ていた人が多かったです。

「アクセル・フォン・フェルセン」 (右)
彼こそがマリー ・ アントワネットの恋人であり、革命の動乱において
国王一家を堅固に支援し、また1791年の悲劇の逃亡 (ヴァレンヌ
逃亡事件) のお膳立てをしたアクセル ・ フォン ・ フェルセンです。
スウェーデンに戻った後、彼は生涯を通じて亡き王妃の思い出を抱
き続けたという。王太子カール ・ アウグストに毒を盛ったというあらぬ
疑いをかけられ、王太子の葬儀当日、群衆によって惨殺されました。
スウェーデンの礼服に身を包みヴェルサイユ宮に現れた時、舞踏会
で仮面をつけた女性が、優しく手をとってお喋りを始めました。女性
が仮面をはずすと、それは誰もが知っているフランスの王妃、マリー
・ アントワネットでした。王太子を出産していたマリー ・ アントワネット
は、後継者を生んだということで、安堵してフェルセンとの恋に積極
的になったことは想像に固いことです。言い方はどうであれ、現在の
言葉で言い表すと、不倫でしかないのですが・・・・・。

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【首飾り事件】
この首飾り事件は、ラ・モット夫人がロアン枢機卿に王妃が首飾り
を欲しがっていると持ちかけた詐欺事件で、王妃そっくりのニコル
・ ゲイという娼婦を使って信用させ、ラ・モット夫人はロアン枢機卿
に高価な首飾りを売りつけた後にそれを預かり分解し、イギリスな
どに売り払いました。 ロアン枢機卿は王妃に嫌われていたので、
何とか取り入ろうと必死になっていた隙をつかれただけですが、
王妃は自分の名が使われ侮辱されたとロアン枢機卿を逮捕させ
ました。しかし彼は無罪となり、逆に無関係だったはずのマリー
・ アントワネットが作らせたと国民は信じたようです。この事件は
軽薄で浪費家というマリー ・ アントワネットのイメージを定着させ、
王室にも大きな打撃を与え、世間の批判が高まる結果となった。

第十章 首飾り事件
いよいよ悲劇のエンドロールへと向かいます。国民の不満爆発の
きっかけとなった大スキャンダル 「首飾り事件」 が起こります。マリ
ー ・ アントワネットは詐欺の被害者でありながら、国民の信頼を失
う結果になってしまいました。マリー ・ アントワネットには、とんだと
ばっちりだったのですが、王妃としてのイメージを失墜させた事件
です。ここには、問題の首飾りの複製が展示されていました。

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エリザベト=ルイーズ ・ ヴィジェ ・ ル ・ ブラン 「白いペチコートに
青いルダンゴト・ドレスをを羽織って座るマリー・アントワネット」
 (左)
この作品は、亡命先のサンクトペテルブルクで画家の手元に置か
れたものです。王室から注文を受けた最後の作品を手掛かりに、
おそらく本人を目の前にすることなく描かれたと言われています。
追憶の中の王妃を、画家はどんな思いで描いたのでしょうか。
王妃のドレスやその裾の毛皮の質感、足をのせたクッションの
タッセルは息をのむほどの緻密さでした。

シャルル ・ オーギュスト ・ べメールとポール ・ バッサンジュの
原作に基づく 「王妃の首飾り (複製)」 
(右)
これは 「首飾り事件」 で王妃のために作られたとされる首飾りの復
元です。オリジナルは647個2800カラットのダイヤでできていたそう
で、帯状に並び中央には特に大きなダイヤが配されています。恐
ろしく豪華で贅沢な雰囲気があり、浪費家として有名だったマリー
・ アントワネットが作らせたと国民は信じたようです。 枢機卿が
これに気づけば、歴史は変わったのかもしれません。

第十一章  革命の動乱の中の王妃
フランス革命がテーマの部屋では、バスティーユ占領の絵画や風
刺画、逃亡のルート、バスティーユ監獄のミニチュア、そしてマリー
・ アントワネットが義理の妹と刺繍をしたじゅうたんが展示されてい
ます。絨毯は、マリー ・ アントワネット晩年の2年間に制作された
ものだそうで、あまりに大きくてビックリ。こ、これ本当に作ったの?  
と驚きました。

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シャルル・テヴナン 「シャン・ド・マルスの連盟祭1790年7月14日」
連盟祭は、、「国民と法と国王への忠誠」を誓うことを表明するため
集結した民衆と国王との和解を象徴するものでした。この時、巨大
な円形スタンドが整備され、楕円の会場中央では 「祖国の祭壇」
が、数千の聖歌隊と音楽隊による賑やかなミサを迎えることになっ
ていたようです。階段を一段一段上がり、宣誓する王と、マリー ・
アントワネットはその後方で王太子 (のちのルイ17世) を腕に抱
いています。この憲法制定をめぐる合意に基づく王と国民との幅
広い賛同は、翌年、国王一家の逃亡事件によりその限界が露呈
し、1792年王政は崩壊したのです。

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1789年7月14日。王政に対する民衆の不満が爆発し、フランス
革命が勃発します。革命の直接的な原因は財政破綻です。 この
破綻を民衆は、『赤字夫人』 と言われたマリー ・ アントワネットの
浪費であると信じて疑いませんでした。実際に使った金額は国が
引っくり返るほどのものではありませんでしたが、民衆は王妃のせ
いで国が傾いたと信じていたのです。それほどマリー ・ アントワネ
ットの評判は悪くなっていました。またルイ16世は、これまで王妃
の愛がフェルセン伯爵に向いているのを知っていましたが、人生
の最後の最後でやっと妻に愛されていると実感することができ、
司祭に対し、自分の髪の毛と結婚指輪を王妃に渡すように頼み、
『別れるのが辛いと伝えて欲しい』 と言い残して断頭台へ。

第十二章  牢獄から死刑台へ
監獄に幽閉されていたときに着用していた肌着やヘアバンド、靴の
展示もありました。 死刑台に向かうマリーの肖像画もあり、悲しい最
後なだけに、胸が苦しくなります。家族と引き離されていたルイ16世
は、1793年1月21日に断頭台へのぼります。そして1793年10月
16日、ついにアントワネットも死刑執行の日を迎えます。

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ウィリアム ・ ハミルトン 「1793年10月16日、死刑に処される
マリー ・ アントワネット」

処刑台に向かうマリー ・ アントワネットの姿を描いた一枚。髪を短く
刈り取られ両手を後ろ手に縛られて革命広場 (コンコルド広場) の
断頭台に向かうアントワネット。白い服に白い帽子そして毅然とした
姿勢が印象深いですね。 1793年の10月16日12時15分、刑が
執行され、マリー ・ アントワネットは37歳の若さで、その短くも劇的
な人生を閉じたのです。こうして、ヴェルサイユに咲いた一輪の花
は、美しくはかなく散っていったのです。

贅の限りをつくした華やかな宮廷生活から、時代の波にのまれ、監獄、
そして断頭台へ。あれほどファッションを愛し、豪華絢爛なドレスに身
を包んで暮らした彼女が最期に身に付けたのは、白の質素なチュニ
ックでした。群がる民衆たちの好奇と憎悪にみちた表情とは対照的に、
さいごまで気品を失わず静かに死に向かう王妃の姿が印象的です。

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1792年8月、チュイルリー宮殿が襲撃されたのち、王家はタンプル
塔に投獄されます。囚われの身となった彼らが衣装一式を所望した
ため、革命政府は王室に仕えていた御用商人にそれを依頼したが、
供給された下着や衣類は質素なものであったようです。

「マリー ・ アントワネットのシュミーズ (肌着)」 (左)
王妃の身の回りの品のなかには、「15点の小さなレースが施された
薄手の布製シュミーズ」 があった。このシュミーズは、バチストと呼ば
れる薄手のリネンの白布で出来ている。バチストは18世紀末にはも
はや贅沢品ではなく、下着などに用いられるようになったようです。
マリー ・ アントワネットの死後、王妃のシュミーズは娘マリー=テレー
ズによって保管され、その後、タンプル塔の警視の手に渡ったという。

「マリー ・ アントワネットの 「サン=チュベルティ風の 短靴」
(王妃の処刑もしくは埋葬の時に収拾)
 (右)
死刑判決を受けて、死刑台に連行されたマリー・アントワネット。
群衆の憎悪とは対照的に高貴で毅然とした態度で向かった彼女。
「そのときに脱ぎ落としてしまった短靴はある人物に拾われ、すぐ
さまある貴族に拾われた」 と書かれた資料から、おそらくマリー ・
アントワネットが忌まわしい日に履いていたとされるものです。

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アレクサンドル ・ クシャルスキー 「王妃マリー ・ アントワネット」
これは晩年の黒い喪服に身を包んだマリー ・ アントワネットの胸像
です。ルイ16世が処刑されてからはずっと喪服だったそうで、背景
も暗く牢獄の中で描かれているようです。 ちょっとやつれ気味に見
えて、かなりマリー ・ アントワネットと違った感じがします。牢獄での
生活が大変だったことが想像されます。ヴェルサイユ宮殿が所蔵す
るこの絵は、クシャルスキによる数々のレプリカの一点という。多くの
レプリカが制作されたことは、王政復古以降、マリー ・ アントワネッ
トが君主政の殉教者として崇拝の対象となった証なんでしょう。処刑
の前日、看守に 「今まで親切にしてくださってありがとうございました」
と声をかけ、看守が号泣してしまったという逸話も残っています。

第十三章   殉死した王妃の崇拝
ルイ18世による王政復古期の1814年からブルボン家が断絶する
1830年のあいだに、前例がないほどの規模で広く流布したという。
フランス国外でも画家たちが、国王一家の末路を主題とする作品を
広く流通させ、亡くなった王妃のイメージは、その後、ロマン主義的
な崇拝の対象となったそうです。

    EE20802.png
エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランの原画に基づく
「王妃マリー ・ アントワネットと子供たち ( タピスリー)」
 (左)
ブルボン王朝の継続を実現したマリー ・ アントワネットへの敬意を
示すこのタピスリーは、ヴィジェ ・ ル ・ ブランの絵画の複製を織り
出された物のようです。フランス語でタピスリーは、壁掛けなどに
使われる室内装飾用の織物の一種。綴織壁掛のことです。

赤いドレスと赤い帽子を被った王妃の膝元には、末子のノルマンデ
ィー公爵ルイ ・ シャルルが座っており、年上の娘マリー=テレーズ
・ シャルロット ・ ド ・フランスは母親に体をすり寄せています。第一
王太子ルイ ・ ジョゼフ ・ グザヴィエ ・ フランソワは聖霊騎士団の勲
章の正章を身に付け、誰もいないゆりかごのカーテンをわずかに開
いている。空のゆりかごは、このタピスリーの下絵として使われた原
画の制作中に、生後わずか11ヶ月で夭折したソフィー ・ エレーヌ ・
ベアトリクスの存在を暗示しているようです。マリー ・ アントワネット
は生涯4人の子どもを授かりました。彼女の育児スタイルは、愛情た
っぷりで優しく、時には厳しい教育ママ。遊びにふけっているイメージ
の強い彼女ですが、子どもたちには立派なお母さんだったようです。

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『ベルサイユのばら』 を持ち出すまでもなく、日本で最もその存在を
知られている外国の王妃。 もしかしたら 『源氏物語』 よりもマリー ・
アントワネットの生涯は多くの日本人に知られているかもしれません。
王妃として、女性として、母として、華やかすぎるくらいの生活の陰で、
心にぽっかり空いてしまっている穴を埋める 「何か」 を必死に探し求
めていた。 そんなマリー ・ アントワネットの生き様に人々は憧れや共
感を抱くのかもしれませんね。最後までフランス王妃として、そして母
として威厳と気品を守り、露と消えていくマリー ・ アントワネット。 亡く
なる前の妹につづった手紙などは、紙にびっしりと、小さな文字で悲
痛な思いがつづられています。思わず目頭が熱くなるものばかりです。

私はルイ16世の戴冠式での一言がすべてを示唆していたのかと
思わざるを得ませんでした。『神よお守りください・・・国を統治する
には若すぎる私たちを・・・・・』。やはり2人は若すぎて周りの大人
が多すぎたのか・・・・。時を超え、人々を魅了してやまないマリー・
アントワネット。フランス革命でその命を散らした気高き王妃。今回
の展覧会は、歴史上の人物としてではなくひとりの人間としての存
在を、時代の空気とともに立体的に味わい、思いを馳せることが
できる貴重な機会でした。

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生誕から260年以上たった今も、多くの人々を惹きつけてやまない
「フランス王妃 マリー ・ アントワネット」。運命によって、想像もしな
い試練を受けた悲劇のヒロイン。私にとってマリー ・ アントワネット
という人は実際の出来事に加え、つくり出されたイメージとが混ざり
合って、「実際にはどんな人だったんだろう」 と想像力が無限に尽
きることなく膨らんでしまう、不思議な魅力を持つ人です。もう260
年以上も前に生きた人物に、なんだかずっと片思いをしているよう
な状態です。こうした彼女は、「悲劇の女王」 なのかもしれません。

マリー ・ アントワネットの最期の言葉は、『さようなら、子供達。
あなた方のお父さんのところに行きます。』 でした。





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「確証バイアス」

...2017/02/12 10:45...

昨日の2月11日は 「建国記念日」 だった。
明治憲法下の時代には紀元節と呼ばれる祝日でした。

上巳の節供が 「桃の節供」、端午の節供が 「菖蒲の節供」
というように、節目となる日にその季節の代表的な植物の
名を取って呼ぶことがありますが、紀元節も季節の花の
名前を用いた 「梅花節 (ばいかせつ)」 という名があります。
立春過ぎのまだまだ寒さの残るこの時期の紀元節には、
他の花に先駆けて咲く花の兄とも呼ばれる梅の名を
付けて呼ばれたものと言われています。

東京での梅の開花の時期は2月の始め頃といわれています。
私もすでに先週末に結構盛大に花をさかせた梅を見て
いますので、この時期の 「梅花節」 の呼び名はなかなか
結構なものに思えました。もっとも、この時期になって大型
の寒波が押し寄せていますから雪の梅花節なんてことに
なるかもしれませんけれど。

ここ数日からまた本格的な寒さとなっています。
しかし、空を見上げて歩いていたら、アマギヨシノの
枝が目にとまりました。枝先にはたくさんの花のつぼみ。
まだまだつぼみらしからぬ大きさですが、寒風の中で
かすかに春の足音を聞いたような気がしています。

春よ来い! 早く来い!


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「確証バイアス」

人は誰でも、無意識のうちに自分に都合のいい情報、
自分の主張を後押しするような情報ばかりを集める
傾向を持っています。この傾向が行き過ぎると、
視野が狭くなったり、思考が偏ったり、それにより
思わぬ失敗をしたりすることがあります。
また、この傾向を利用した犯罪も存在します。

駅で出会った近所の年配の方と話ながら帰宅。
先日、変な電話がかかってきたという。受話器をとると
「おばあちゃん。携帯電話を水の中に落としたんだ。
携帯買ってよ」 と、突拍子もない言葉に驚いたとのこと。
彼女には孫がいないので 「番号を間違えたのではないか」
と、言おうとしたらしい。でも、待てよ。振り込め詐欺かも
しれない。迷ったが、しばらく相手と話してみようと思ったらしい。

「買ってと言われても困るわよ。いくらするのよ」
「5万5千円するんだ。すぐ振り込んでよ」
確かに詐欺に違いない。声は10 代後半か。
端々におじる声がしてまだ慣れていないようだ。
「自分で働いて買いなさい」 と言うと、「おばあちゃん
頼むよ。今、振り込んでよ」 と、また言い出した。

彼女はだんだん腹が立ってきたという。
孫がいないせいか 「おばあちゃん」 と言われたことがない。
それだけに 「おばあちゃん」 の一言にショックだったようだ。
確かにあと数年で 「後期高齢者」 になるのだがとぼやいてた。

「私には孫がいないの。だまされないわよ。
そしてね、おばあちゃんではない」 と言い返したらしい。
相手 は 「ふざけんなよ。くそばばぁ」 と、ガチャンと電話を切った。
またまた腹が立ち、老いを否定する自分がいたと屈託なく笑った。
幸いに被害には合わなかったようだ。

銀行の振込み機の前で、思いとどまるよう行員らが説得しても
「子が大変なことに」 と応じず、みすみす大金を詐取される。
実に不可解に思える話だが、心理学を学んだ知人に聞くと、
これは 「確証バイアス」 という誰にでもあり得る心理の働きらしい。
認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する
際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視、
または集めようとしない傾向のことで、認知バイアスの一種という。

例えば、ちょっと欲しいと思ったものはネットで、感想、レビュー
を検索して、良いことが書いてあるのを探してしまいます。
「欲しい」 と思ったら、その商品が良い物であることの
確証を探すため、評価の高いレビューばかり探してしまう。
「オバサンはモラルがない」 と考えていればモラルの
ないオバサンばかりが目に付きます。
礼儀正しいご婦人もたくさんいるのだが・・・。

「自分は内向的だ」 「気が弱い」 などと思い込むと、
その証拠となるような行動ばかりに注目してしまい、
更に内向的で気が弱い人間になっていく。
友人は親身になってアドバイスをしてくれるのだが、
自分の思い込みを否定するような忠告には耳を
貸さないどころか、「そんなことはない!」 と、ますます
冷静さを失わせてしまう。「あえて」 自分と異なる意見
に強制的に触れ、考えてみることが肝要だという。

人間なら誰でも持っているこの傾向、行き過ぎると
認知を歪め、思わぬ失敗に繋がってしまうこともある。
「振り込め詐欺」 も、確証バイアスを利用した犯罪。
振り込め詐欺の手口は誰でも知っているのに、
詐欺の被害者は後を絶たない。
ここにも、「確証バイアス」 の力が働いているようです。

バイアスを形づくるのが、人だとしたらバイアスを
壊すのも人だということなのだと思います。
誰もが 「確証バイアス」 という檻の中で生きている、
ということを認識しておきましょう。その上で、敢えて
自分の意見とは異なる主張に触れていくことが大切です。

おばあちゃん、いや彼女は、まだすれていない若者が、
自分の行為に早く気付いてくれたらと彼の将来を案じていた。
それにしても、考えると何気に深い心理学ですね。


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   「春節」── 横浜中華街  2017

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横浜に住んでいる友人から食事の招待を受けて、横浜 ・ 中華街
へ行ってきました。中国では旧暦の正月を 「春節 (しゅんせつ)」
といい、盛大にお祝いする風習があります。横浜中華街でも 「春
節」 を迎える1月28日の前夜、横濵關帝廟と横濱媽祖廟の両廟
でカウントダウンが行われ、街は新年を迎えるお祝いムード一色
に包まれたようです。 正月気分が抜け切れずのまま、また正月
気分を味わってきました。 異国の正月を体験するのもなかなか
楽しいものです。

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中華街 (朝陽門)
日の出を迎える門で、朝日が街全体を覆い繁栄をもたらすとい
う 意味が込められています。この門が中華街の象徴です。守護
神は青龍神で門柱の色は青。元町・中華街駅からは、この牌楼
を通って 中華街へ入ることになります。

中華街
安政6年 (1859) に横浜が開港した時、埋立て地 「横浜新田」 の
海岸沿いにたてられたこの地域は、外国人居留地に隣接してい
たため、中国人貿易商等の本拠地となって、チャイナタウン (中
華街) として栄えたようです。日本に居ながら、横浜 ・ 中華街で
エキゾチックな中国の文化に触れることができる街です。

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横浜・中華街は外国人居留地が発展した街で、安政4年にペリー
提督が浦賀に来訪したときに、徳川幕府が横浜を貿易港として定
めたのが始まりとされています。 横浜は欧米人の居留地として商
取引を行って発展しました。 当初の中国人は千人ほどでしたが、
年を追うごとに貿易も盛んになって、それと共に中国人の数も増え、
不慣れな日本食や洋食ではなく、中国料理を食べられるように考え、
外商に勤める料理人が独立し、主として中国人を対象に商売をして
現在の街として栄えて往ったようです。

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横浜 ・ 中華街が一年で一番盛り上がる 「春節」。
春節とは中国のお正月で、伝統ある祝い事であり、中国だけでは
なく、全世界の華人にとって最も大切な伝統的な祝日です。 春節
は国民の祝日で多くの人は一週間の連休になるようです。

今年は1月28日(土) が春節 (旧暦の元旦) で、 この春節を祝い、
横浜・中華街では一月一日から春節の最終日2月11日である元宵
節まで、獅子舞が各店舗の商売繁盛や五穀豊穣を祈願してまわる
「採青」 や、中国の伝統文化を楽しむことができる 「春節娯楽表演」、
中華街の祝舞パレード 「祝舞遊行」、元宵節を祝う 「元宵節燈籠祭」
と毎年恒例の春節イベントが盛大に繰り広げられるようです。
お正月気分いっぱいの中華街となります。

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予想はしていましたが、横浜 ・ 中華街に着くと凄い人です。 中華
街通りは人で埋め尽くされていました。 少しずつ空が暮れはじめ、
ネオンやイルミネーションが闇に 浮かび始めます。ドラゴンの電飾、
街角の蒸籠 (セイロ) から 立ち上る蒸気、ときどき耳に入る中国語。
いつしか、中国のどこかの街を旅しているような気分になってきます。
なんとも華やかな雰囲気で、日本の中華街でも西暦の年明けよりも
春節の方が新年ムードが高まると言う わけです。 寒さをふき飛ば
す元気な出迎えに気持ちが一気に盛り上がりました。

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中華街に着いた時は、すでに 「採青」 が始まっていて、通りは近
づくことも見る事さえできないほど、人で埋め尽くされていました。
凄いの一言。夜の方が若干、人も少なく見物出来るというので
食事後に見学しました。

採青 (さいちん)
「採青」 とは、神様のお使いである獅子が銅鑼や太鼓のド派手な
音に合わせて乱舞し、店先に吊るされた好物の青菜と、ご祝儀の
紅包 (ほんぱお) をパクリと加え、各店舗の商売繁盛や五穀豊穣
を祈願し舞います。新年を祝うと共に富貴吉祥を祈る 「春節」 伝統
行事のひとつです。 伝統的な獅子は黄色を基調に色とりどりの配
色で、「黄」 は仁徳と高貴、「赤」 は知恵と勇気、「黒」 は勇猛と若さ、
「白」 は沈着と冷静、「青」 は強さを意味しているようです。
フワッとした毛と大きな瞳が可愛いです。

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爆竹が豪快に鳴り響きます。爆竹は安全の為に箱の中に入れて
行います。バチバチバチ、凄い音でした。(上) 爆竹は、「邪気を
祓い、福をもたらすもの」 としてお祝い事に欠かせないもので、獅
子舞と共に爆竹を鳴らすとそのご利益は何倍 にもなり、沢山の福
が来るといわれているようです。
「福字」 (下左)
中国では春節に赤い 「福」 の字や赤地に金箔の字を入口や窓に
「福」 の字を逆さまに貼る習わしがあるようです。これは、ある人が
うっかりして 「福」 の字を上下逆さまに貼ったところ、道行く人がそ
れを見て、「福倒了、福倒了」 (福が逆さまだ)と言った。 「福倒了」
は 「福到了」 (福が来た) と同音であるため、人々は 吉兆とみなし
て、福が入ってくると縁起を担いでいるようです。
「花文字」 (下)
花文字は古くから中国で育まれた伝統ある芸術のひとつです。
文字をかたどっている絵柄のひとつひとつには、開運のメッセージ
が込められています。龍は成功や上昇、蝶々は幸福、太陽は希望、
鯉は出世、商売繁盛など、文字色についても赤は健康に効く色、
緑は安全と縁起物として祝い事で使われるようです。

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獅子舞に欠かせないのが、シンバルや太鼓、銅鑼。 横浜中華学
校校友会国術団 (獅子舞 ・ 舞踊) の皆さんが 獅子舞を盛りたて
て演奏し来街者を魅了します。 横浜には二つの華僑学校があり、
学校の卒業生を中心とした 組織があり、獅子舞はそれぞれのメ
ンバーと二つの華僑学校 の生徒さん達が協力して行っているよ
うです。 獅子5頭で5隊に分かれ、爆竹とリズミカルなドラや太鼓
に合わせ、横浜中華街で勇壮で豪快な獅子舞を披露してました。

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店の入り口には、ご祝儀の紅包 (ほんぱお) がぶら下っています。
これは、ご祝儀袋を用意した店の前で、店の繁栄を祈願して獅子
が舞う伝統行事です。獅子が店頭に用意された祝儀袋をくわえ取
って食べる事を表しています。「採青」 の種類や舞い方は百種類
を超え、「採青」 をしてもらったお店や人には 「百福臨門」 といわ
れるほど沢山の幸せが来るといわれています。このご祝儀袋とい
うのが昔は青菜 (獅子 の大好物) に包まれていたそうで、「青を
採る」 ということで 「採青」 と言うネーミングとなっています。「紅包」
には 「大吉大利」 「福」 など、おめでたい言葉が書かれています。
(下左) 店によっては青菜を付けた紅包 (下右) や二階の壁に
貼ったり、吊るして獅子に取ってもらう店もあります。(上)

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獅子 (中に人が入っている) が、パクッとご祝儀袋をくわえて舞う
姿が、とってもユーモラスです。 2 階からご祝儀袋をぶら下げて、
獅子舞が届くか届かないかギリギリのところで、じらすお店もあり、
それに困ったような仕草を見せたり、悪戦苦闘する獅子舞もなか
なかカワイイ。つるしたご祝儀だって、ぐーんと背伸びして、パクッ
ととってしまいます。周りからは拍手、拍手の嵐でした。1 軒1 軒
回るので、 すべて回り終えるに、夜遅くまでかかるようです。中に
はビールを差し出す店もありました。(下右) この時は学生では
なく大人の人に獅子を代わってもらい、グイっと一杯。ビールケー
スごと奉納され、一段と鐘や太鼓の音が鳴り響いていました。

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獅子は、お店の中にまで入り込み、跳ねるように踊りながら回って
いきます。 店内に入ってきた獅子が、お客の頭を咬みつきます。
この獅子にパクリと頭を咬んでもらうと、厄を祓い福が来る 「開運
厄徐」 や 「無病息災」 のご利益があるとされています。 (上) また、
獅子が悪いものを食べてくれた、咬まれたけれど無事だった とい
う事から 「健康長寿」 をもたらすという意味もあるようです。 最後
は伸び上がって、入口に下げられたご祝儀袋をパクリ。 お見事!
ババン、バチバチバチッ。 獅子を讃えるかのように、賑やかに爆
竹が鳴り響きました。 グイーンと獅子が立ち上がる立技はマジ
お見事です。 (下左) お尻役が頭役を肩車しちゃいマス。すご
くスムーズに獅子が 立ち上がるので、本当に生きている感じがし
ました。 お尻役の方は、終始前かがみでさらに肩車もするので
さぞやお疲れのことと思います。(下右) 

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中国において獅子舞のことを 「舞獅 (ピンイン)」 と呼ぶようです。
現在演じられる形は清の時代に確立された形で、北方の北獅と
南方の南獅の系統があるといいます。獅子頭と前足に1人、後ろ
足と背中に1人の2人と楽団で構成されています。旧正月や商店
の開店祝いなどの祝いで 「招福駆邪」 として演じられるようです。
「春節」 期間中は龍舞、獅子舞をはじめ、舞踊や中国伝統芸能
の演技などもあり、お正月気分いっぱいです。

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風にのって漂ってくる爆竹の火薬の匂い、遠く聞こえる銅鑼の音を
耳にしながら、通りで湯気を立てている中華まんの蒸籠の前でひと
休み。「ひとつください」 受けとったチャーシューまんは、 ずっしりと
重く、アツアツ! 少し冷えてきた指先に、じんわりと 熱が伝わって
きます。皮はフワフワ、具はたっぷり。 立ったまま街角で頬張るの
も、お祭り気分でなんだか楽しい。この後、娘とかみさんはお土産
を買って帰宅の途に・・・・。 ジャ~ンジャン。シンバルの音が聞こ
えてきます。どうやら 獅子もこちらに向かってきたみたい。食べた
らまた元気が出て、 私はもう少し見学の為、音の鳴る方へ向かい
ました。

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「春節」 期間中、横浜中華街はとても賑わいます。有名店の店の
前はどこも行列でした。「春節」 だけの期間限定メニューを出して
いるレストランも見逃せません。さて、何を食べようか。

中国では、大晦日 「除夕」 から家族が集まって餃子を作ります。
年越しに餃子という習慣は明の時代ごろからといいます。餃子が
とてもおいしく、その形が金子や銀子に似ていて縁起が良いから
と言われているようです。しかし、最近物質的に豊かになった北京
など都市部では、豪華な料理やお菓子をテーブルに並べたり、
家族みんなでの外食を楽しんだりしているようです。

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招待してくれた友人が予約した店は、中華街の中央通りに、ひと
きわ目を引く日本最古の中華料理店 「聘珍楼」 という店でした。
すでに獅子が乱入して大騒ぎした後だったので静かでした。ゴー
ジャスなシャンデリア、窓が美しくその空間にいるだけで幸せにな
れちゃいそうな気分。それよりも豪華すぎて、思わず友人に親指
と人差し指を丸くして、お金! 大丈夫と訪ねたら、ニャッと笑って、
今日は正月だからといってました。持つべきものは友ですね~。
彼は会社の入社同期で、親の後を継ぐため退社して、横浜に
住んでますが、家族同士の付き合いが続いている友人です。
チャイナレストランでゆっくり美味しい 料理、「春節」 ならでは
の味も楽しみました。

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食事を楽しみながら知識を深め、さらにテーブルを囲んで会話が
弾む。やっぱり食卓から始まるコミュニケーションは素敵ですね。
ところで、中華の回転テーブルって実は中国生まれではないとか。
東京の雅叙園が発祥で、着物の袖を気にしながら女性が取り分
けるのを見て開発に至ったという。日本人ってやっぱり異文化を
取り入れて自国に合うようにアレンジするのが得意なんですね。

中華料理の基本コースは、前菜、湯、主菜、主食、点心なようです。
前菜は三種盛り (窯焼きチャーシュー、クラゲ、巻き蝦の湯引き)
でした。次に 「杞子の味入りフカヒレスープ」。(上左) 杞子の実が
甘くていい味だしてます。「海老のチリソース」 (上中) 海老チリに
春巻きの皮のパリパリも良いアクセントになって美味しかったです。
「ピータン、塩卵、ひゆ菜の炒め物」 (上右) 細かく刻んだピータン
に塩卵が味のアクセントで、ひゆ菜と春雨たっぷりでヘルシーです。
そして 「東坡肉」 (下左) 黒酢ベースに、四川梅菜という青菜を
使い、黒糖等を入れて味にコクを加えたソースが特徴で、たまらな
いほど恋する豚肉でした。「廣州炒飯」 (下中) パラパラと一つ一
つの米がほぐれ、それでいてしっとり感を失わずにいるという絶妙
な炒飯でした。最後は 「杏仁豆腐」 (下右) 豆乳入りの杏仁豆腐
は、ツルンとした昔ながらの杏仁豆腐に比べて、もっちりとした弾
力で食べ応えのある逸品でした。お腹も心も温まり、ふわっと幸
せな気分に満たされました。ご馳走さまでした。

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獅子を追いかけていたら、いつの間にか中華街内の山下町公園に
辿り着いていました。5 頭の獅子が集結し、爆竹が鳴り響き、銅鑼
や鐘が鳴り響き、商売繁盛や五穀豊穣を祈って最後の獅子が舞う。
客からは大きな歓声が沸き起こります。中華街の華僑学校の生徒
さんたちが、 頭役としっぽ役が呼吸をあわせ舞いながらアクロバ
ティックな 動きを見せます。中国の獅子舞は、横浜中華街でも綿
々と受け 継がれてきた伝統芸能なそうです。 まさに横浜中華街
の 「春節」 ならではの華やかな雰囲気を味わうことができました。

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「春節」 は今や横浜の観光を代表する行事ともなり冬の風物詩と
もなっております。熱気溢れる 「採青」 も、まだまだ続いています。
とっぷりと 暮れた空から、北風が頬を冷たく撫で去ります。そろそ
ろ帰宅する時刻です。今夜は獅子が好物をあちらでパクリ、こちら
でパクリする 「採青」 の夜。 私もちょっと贅沢して、通りを軽やか
に 進んでいく獅子を追いかけながら、あっちの店、こっちの店に
寄って食べたり、飲んだり 「春節」 を楽しみました。

2017年も全家平安 ( 一家が安泰でありますように )







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「もったいない」

...2017/02/05 18:38...

2月 (如月)
寒さのために更に着物を重ねて着るので
「衣更着」 という説があります。4日は立春でした。
冬至と春分の真ん中で、まだまだ寒いですが、暦の上では
旧冬と新春の境い目にあたり、この日から春になります。
梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり、春の始まりとなります。

2月3日といえば、「節分の日」。
そして、今では “豆まき” より “恵方巻” のイメージが強く
なっています。さて、各コンビニ、スーパー、回転ずしでは
恵方巻商戦ともいえるほど、あちこちで恵方巻のチラシやら
のぼりやらを見かけました。でも、その激しい恵方巻商戦に
までアルバイトにノルマを課す悲しい出来事が・・・・。

アルバイトで働く学生が、店から販売する数のノルマを
課されたという。店員に販売ノルマを課し、売れ残った
商品を労働者に自腹で買い取らせるという営業手法は
『自爆営業』 と呼ばれています。このような 『自爆営業』
は業務命令権の濫用 ・ 逸脱として違法になります。

こうした問題が発生する背景には 「コンビニ業界の歪んだ
構造がある」 と思います。本部からフランチャイズ店へ厳しい
売上目標が課されます。本部の設定する売上目標を達成する
ために仕方なく受け入れているのでしょう。こうした状況に追い
込まれたオーナーが、少しでも売り上げを確保するために取って
しまうのが、「従業員に対して販売ノルマを設定し、売れ残り品
を無理に買い取らせる」 という方法なのだと思います。

少し前には、風邪で欠勤したけど代わりの人を見つけられ
なかったからという理由で、休んだ分の 「時間 × 時給」 分を
罰金として給料を引かれた女子高生が話題になっていました。
買い取れとか天引きというのは労働基準法違反であります。

物をどれだけ仕入れてお客様にどれだけ売れるか、
予測するのは商売人、つまり経営者の役割です。イタリアの
屋台やイギリスの個人商店は、夕方になると物がありません。
スーパーはものが売り切れるので、午前中に行かないとダメです。
でも、それが健全なんです。
買わなければ恵方巻きブームは終わります。
余った恵方巻きを買わされる可哀想なアルバイト学生
の苦境の責任は、消費者である我々にもあるわけです。

便利だけれど、こうしたフランチャイズ店の仕組みを知って、
過激な販売商戦には、冷静に受け止めたいものです。
儲かるためなら、何をしていいと風潮があったら悲しい。
世界中の飢餓解消のため、こんな風習やめましょう!

この冬は例年に増して厳しい寒さでした。
しかし、少しずつ季節は春へと向かっていくことでしょう。
梅も咲いているようです。
一陽来復という言葉があります。
去って行った太陽が、めぐってまたやってくると言うこと。
厳しい冬もいつかは終わり、暖かい春がやってくる。
春は心楽しいものです。
春に咲き乱れる美しい花々が咲くのを待ちたい。


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「もったいない」

物を大切にしなさい。
これは良く私達が、子供の頃から親に言われてきたことです。
しかし、今は効率優先の世の中、使い捨ての物があふれて
いる世の中で、物を大切にしようと言ってもなかなか難しい
面があります。先日、10年位使っていた冷蔵庫が壊れました。
電気屋さんに見てもらうと、「直せますけど買った方が
安いですよ」 という返事。直せれば直したいなと思って
いたのですが、結局、買い換えることにしました。

電気製品に限らず、大概の日用品は壊れたら直すよりも
買い換える方が普通になってきています。たまに直して
使いたいなと思っても、直せる職人さんや技術を持った
人が少なくて思うに任せないのが現状です。
物を作り出している企業は、利益を上げるために存在します。
古くなった製品をどんどん捨て、新しい製品を次々に
買ってもらえば利益が上がるのは当然ですが、
このサイクルはエネルギー&資源の大量消費と
大量の廃棄物を出すことになります。

いまは全世界を上げての環境保護の時代。
もっと直して使うという考え方を企業自体が取り入れても
良いのではと思います。企業は収益が上がればいいわけです。
製品を修理しやすい構造にしたり、「もったいないサポート」
窓口のようなものをつくったりして、直せる物は直して
使うというエコを前面に出したアピールをすれば、会社の
イメージ向上に寄与し、ひいては増益にもつながっていく
のではないでしょうか。消費者も修理代について
応分の負担は理解出来るのではないかと思います。

「もったいない」 という言葉、その心は物の命を
最大限に生かし切ると言うことだろうと思います。
私達を包んでくれている山や河や海などの自然にも命があり、
その一部を使って私達が作り出す様々な物にも命があります。
その命を粗末にせず、最大限に使い切ろうという精神は、
私達自らの命を大切にし、他人の命をも大切にし、人生を
丁寧に生きることに繋がっていくのではないでしょうか。
「もったいない」 という言葉とその心、大切にしたいものです。

環境分野で初のノーベル平和賞を受賞した
ケニア人女性、ワンガリ ・ マータイさんによると、
「もったいない」 という日本語は、他の言語に直訳する
ことの出来ない、物や環境を大切にする気持ちを表す
素晴らしい言葉だとのこと。日本の伝統的な感性である
「もったいない」 という気持ち、大切にしたいですね。

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 「穴八幡宮」   ~ 一陽来復 ~

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 お金を使っても、その使った分、お金がかえってくるというお札を
配っている神社がある。「え? 使った分かえってくるお札。じゃあ、
お金を使っても使っても、減らないってこと?」。そのお札、期間限
定で、冬至から節分までしか授与されず、しかも、決められた時に
決められた場所に貼らないと御利益がない。 毎年 、冬至の12月
22日~節分の2月3日まで、お守り ・ お札の授与が行われます。
と、いきなり、なぞめいた話から始めます。

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「鳥居」
地下鉄東西線の早稲田駅で降り、地上に出ると早稲田通りと諏訪
通りの交差点の角に鳥居が見えます。(上) 地元の人には 「八幡
様」 と呼ばれ親しまれているこの神社ですが、創建は1062年 (康
平5年) です。鳥居の先はすぐに石段になっています。鳥居をくぐり、
石段を上るともう一つ鳥居が現れます。参道の両側には、沢山の縁
起物の屋台が並んでいます。(下右) そのため参道はもの凄く込み
合います。左側はちょっとした庭園のようになっています。その先に
は石垣があり、まるでお城のような造りになっていました。二つ目の
鳥居をくぐり、石段 (下左) を上ると隨神門へ辿り着きます。

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「流鏑馬像」 (上)  「高田馬場の開場式典絵図」 (下右)
最初の鳥居の左横に流鏑馬 (やぶさめ) の説明があり、階段の左
側の石垣の上には大きな流鏑馬像が。(下左)  私はまだ生で流
鏑馬と言うものを見たことがないので、いつか見てみたいですね。

流鏑馬は、平安末から鎌倉時代に武士の間で盛んに行われた射
技で、三代将軍家光の時代に高田御殿別荘地に馬場を造るよう
命じます。いわゆる高田馬場です。以来、歴代将軍家の厄除け祈
願や若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納されたようです。
明治維新後、長く中断され昭和9年 (1934) に皇太子 (今上天皇)
ご誕生奉祝のため再興され、昭和54年から会場を近くの戸山公
園に移し、毎年大勢の観客を集めて催されているようです。高田
馬場と言えば、元禄7年 (1964) 茶屋町通りに面した馬場の一角
で、中山安兵衛が叔父の決闘の助太刀をした江戸の名所でした。
現在、隣接した水稲荷神社にその顕彰石碑があるようです。

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「隨神門 (光寮門)」
石段を上りきると視界が開け、とても立派な朱色の門が目に飛び
込んできます。「随神門 (光寮門)」 です。煌びやかで立派です
が、平成十年 (1998) に再建されたもので、まだ新しさを感じます。
隨神門の中には左右とも弓などを持った像がありました。(下)
神社の門のうち、門の左右に随身像を安置した 門は 「随身門」
と呼ばれます。 守護神である随身像は、 向かって左の随身像
(吽形) は矢を持って鎮座し、向かって右の 随身像 (阿形) は
刀を持って鎮座しています。口が開いている方 を阿形 (あぎょう)、
口を閉じている方を吽形 (うんぎょう) と言う。  随身姿の二神像
は、俗に矢大神 ・ 左大神と称し、怪し い入門者を見張っいます。
隨神門の後ろには流鏑馬に関係があるのでしょうか馬の像です。

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「手水舎」 (上)  
隨神門をくぐり参道を進みますが、両側に屋台が並んでいるため、
見落としがちですが 「手水舎」 が右側にあります。柄杓がない手
水舎でした。柄杓を使わずにお清めをする手水舎は、私にとって
ここが初めてです。近くに行くとセンサーが反応し、自動で手水が
出てきます。 人影を察するとセンサーで水が出るのに驚きです。 
トイレみたいで好きじゃないけど、都内の神社では、こういうスタ
イルが定着しつつあるのでしょうかね。柄杓で清めたいワタシ。
「布袋尊像」 (下)
手水舎の隣にはもう一つ大きな手水舎のような建物が。こちらには
「布袋様」 が祀られていました。こちらの布袋さん 「布袋像の水鉢」
といって、慶安2年(1649) に造立の 「新宿区内最古の水鉢」 だ
そうです。 江戸城吹上御所に置かれていたのを、徳川家光により
奉納されたものだそうです。ただ、これはレプリカとして造られたも
ので、本物は神社に保管されているようです。 布袋尊像を撫でる
とご利益があるようで、撫でらせて頂きました。つるつるしたなだら
かで心地よい触感です。新宿区指定文化財 (工芸品)。

念のため、布袋様とは・・・・。
唐の末期の明州 (現在の中国浙江省寧波市) に実在したといわ
れる仏教の禅僧。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした
袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身ともいわれている。
願い事を念じながらなでると効果が大きいみたいです。

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「狛犬」
拝殿に向かうと両側にお決まりの狛犬が鎮座しています。とても
大きくて立派で荘厳な雰囲気がありますね。神社によっては狛犬
ではなく、狐や牛などの場合もあります。 狐は稲荷神社、牛は天
満宮に見られ、共にお祀りされている神様の神使 (お使い) で
あるとされています。

拝殿に向かって右側が 「阿形 (あぎょう)」 で口を開いており、
左側の狛犬が 「吽形(うんぎょう)」で口を閉じています。左右に
一対で置かれ、それぞれの口元は 「阿吽 (あうん)」 の形を表
していることが多く、主に魔除けの為に置かれていると言われて
います。 阿吽の呼吸の 「阿吽」 はインドの古い言葉 (サンスクリ
ット語) のアルファベットの最初と最後の文字を意味し、初めが
「阿」、最後が 「吽」 ということで、阿吽とは 「初めから終わりまで」
を意味しているといわれています。それにしてもサンスクリット語
のアルファベットの最初と最後の文字が 「あ ・ ん (うん)」 という
ことで日本語の五十音に似ているのには驚きました。

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「穴八幡宮」
名の由来は、八幡神を祠る別当寺を建てるために境内南側の崖を
整地したとき横穴が見つかり、中からは金銅の御神像が現れ、それ
以来 「穴八幡宮」 と呼ばれるようになりました。また、その話を聞い
た三代将軍徳川家光は、穴八幡宮を幕府の祈願所、城北の総鎮
護としました。その後、歴代の徳川将軍も度々参拝したと伝えられ
ています。商売繁盛や出世、金運UP、開運、蟲封じなどにご利益
があるとされています。毎年、この神社で冬至の日に行われるのが
「冬至祭」。江戸の元禄年間あたりから、冬至の日の 「穴八幡宮」
は、早朝から人々で大賑わい。歳末の江戸の風物詩となっていた
ようです。

創建は平安時代、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と
太刀を納め、八幡神を祀ったのが始まりと伝えられています。ご祭
神は応神天皇 (おうじんてんのう)、仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)、
神功皇后 (じんぐうこうごう) です。応神天皇は八幡神と同一とされ
ています。仲哀天皇は応神天皇の父、神功皇后は応神天皇の母
です。この三神は合わせて八幡三神と言われています。

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いよいよ、本殿にて心を静かに参拝です。私は、あまりお金には縁
のない人生を送って来た気がするので、その辺りも含め、しっかり
とお参りしようと決意して向かいます。(笑) 黒塗りのお宮って、神
田明神や日枝神社と違ってシックで趣が異なる厳かな雰囲気です。
何故か凄く緊張します。やはり拝殿前は行列が続いています。

参拝の御賽銭箱には神拝詞 (となえことば) がありました。

祓い給い 清め給え (はらいたまい きよめたまえ)
神ながら (かむながら) 奇しみたま (くしみたま)
幸え給え (さきわえたまえ)

神拝詞を黙読し、宝くじ当たりますように・・・・。
大金が当たり、どうしようと困りますようにと願います。(笑)

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さて、この穴八幡宮 (東京・早稲田) では、「一陽来復」 の御守が
頒布されます。お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年
節分の日までであり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る事
ができます。ときに長い行列になる穴八幡宮の冬至の日のお参り。
人々のお目当ては、「一陽来復 (いちようらいふく)」 御守です。

ところで 「一陽来復」 はなぜ、冬至を指す言葉なのか?
一陽来復は、古代中国占いの書 「易経」 に出てくる言葉で 「陰が
極まって陽が生ずる」 ことを表しています。陰が極まるは、陰が終
わる。陽が生ずるは、陽が戻ってくる。と、置き換えてみてください。
陰が終わって、陽が戻ってくる。となります。もっと簡単に言うと、太
陽が力を取り戻す。つまり、明るい時間が増えていく。ということです。
明るい時間が増える起点となる日といえば? もう、繋がりましたね!
「冬至」 です。元々の意味は、「冬が続いた後、春の訪れのきざしが
現れる」 です。この春は、旧暦でいう春ですから新年が来るという意
味も含んでいます。古来では冬至を新年の起点として考えていました。

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冬至になると、多くの東京の人が向かう場所がある。それが早稲田
にある 「穴八幡宮」 です。ここの 「一陽来復」 というお札をもらう為
に、とてつもない人数があつまり、寒空の下、数時間も待つのです。
しかしこのお守り、頒布開始は冬至当日から。この日のみ朝5時か
ら頒布場が開きますが、前日からの徹夜組や観光バスで乗り入れ
が出るほどの混みようで、2~3時間待ちは当たり前で、8万人の方
が訪れるというから驚きです。信心深い人は、この冬至の日にお札
をもらって、その日の深夜0 時に恵方に向けて貼るのだろう。ただ、
このお札は冬至から節分までの期間、ずっと手に入るし、お札を貼
タイミングも、冬至、大晦日、節分の3 回ある。最終日の節分までも
うすぐだったので、訪れたらこの行列。 時間と共にどんどん人が増
えていきました。途中に古札守納所があり、1年たったお札をここに
納める様になっています。(下)

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元禄時代からの習慣なので、ご利益があったからこそ、延々と続い
てきたんだろうと思います。何しろ冬至の日の混雑は物凄くて、夜
明け前から行列ができる早稲田界隈の名物です。 この日の列は
以外にも厳かに進み、やっと販売所へ辿り着きました。(下)

我が家は、江戸っ子の父が毎年除夜の鐘を聞きながら、このお札を
貼るのが恒例行事。紅白が終わるころに恵方を確認し、椅子を持ち
出して来て、ゆく年くる年を見ながら、貼る準備をして、新年とともに
ペタとお札を柱の一番上に張り付けてから、あけましておめでとう、
と言い合ったものです。これがずっと当たり前にあった光景でしたが、
私が社会人になり一人暮らしを始め、結婚してから、このお札は途
絶えたと母は愚痴る。(笑) いつの頃からか、穴八幡にお札をもら
いに行くのは私の役割になり、同級生と毎年、クリスマスあたりに
古いお札を納める為、神社によく足を運んでいました。

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やっと手にi入れた 「一陽来復御守!」 。
「一陽来復」 の他にも、財布に入れて持ち歩く 「懐中御守」 や通帳
などを入れておける 「福財布」 も人気です。私は 「一陽来復御守」
(800円) と財布に入れて持ち歩く 「懐中御守」 (300円) を購入。
そしてせっかくなので実家の分も購入。御守りと一緒に 「説明書」
をいただきました。このお守り、白い紙を丸めたような円筒形の立
体的な構造。つまり、筒状になっているのですが、この中にお祓い
された金柑 (キンカン) と銀杏 (ギンナン) が1 個ずつ包まれてい
ます。キンカンとギンナンで 「金」 と 「銀」 。金銀財宝に不自由する
ことなく、融通がついて苦しむことがないということから、金運アップ、
商売繁盛を願う人々が広く全国から集うのだそうです。穴八幡宮に
伝来する 「一陽来復御守」 は、財運 ・ 金運アップのお守りとして、
江戸から今に伝わる特別なものなのです。

「一陽来復 (いちようらいふく)」 ‥‥いい言葉ですね。

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境内の左手には、他の社殿と同様、部材には金色、黒色、朱色を
基調とした極彩色を施し、平成二十七年 (2015) に再建されたば
かりの豪華な鼓楼が、江戸時代と同じ位置に見ることが出来ます。
その昔は、時刻や緊急事態を知らせるための役割を果たす太鼓
を置いた建物です。(上) 寺の鐘楼に対して、神社では太鼓を
置くことから 「鼓楼」 と呼ばれています。拝殿の右側奥には神輿
庫らしき建物が続き、その奥にはもう一つ神社への入口がありま
した。(下左) 境内には立派なご神木 (下右) が、地表に出て
いる根っこがすごいです。樹木の手入れがよく行き届いている。
木を見ていると癒されます。疲れているんでしょうか、私は。(笑)

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「神武天皇遥拝所」
小さな鳥居の奥に 「神武天皇遥拝所」 と書かれた石碑が立って
います。神武天皇は日本の初代天皇とされる人物です。ここに立
つと背筋を伸ばされる感じがします。「ちゃんと立ちなさいよ」 と叱
咤激励されているといったら分かりやすいでしょうか。 スゴイ視線
を感じるから不思議です。この石碑の両側にいる狛犬さんがとて
も特徴的でした。(下左) 一角獣と獅子の狛犬の頭に宝珠を乗
せており、宝暦五年 (1755) 頃に造られ、近年は見かけないほど
古いものらしいです。(下右)

神社に 「神武天皇遥拝所」。
読んで字の通り神武天皇を遥拝する所です。といっても遥拝が分
からないと難しいですよね。遥拝とは遥 (はるかに) 拝 (おがむ)
ことを言います。遠くにある神仏や御神体などに対して、本来は間
近で参拝すべきところを遥拝所という場所を作り、その方角を遥か
に眺めながら参拝することを言います。 イスラム教のモスクには、
メッカの方角を記した柱があり、それに向かって礼拝を捧げますが、
あれと似ているといえます。西暦1940年は、神武天皇が即位して
「皇紀2600年」 にあたる年で、神武天皇の陵墓、神武天皇を祭
神にした橿原神宮がある奈良県橿原市の方角に向けて遥拝所を
全国に作られました。それが現在でも神社に残っているわけです。

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隨神門の脇の鼓楼がある広場には、もう一つの入口に通じる階段
があります。(上左) その先には石垣があり、まるでお城のような
造りになっています。(下右) 周囲は庭園風に整備されています。
(下左) 社殿は第二次世界大戦の戦災で焼失し、戦後、本殿や
拝殿こそ鉄筋コンクリートで再建されたが、平成になってから鼓楼、
隨神門、出現殿、と木造で再建され境内の整備が進んだようです。
中に入れませんが、ここが 「穴八幡宮」 の由来となった 「神穴」 が
ある場所のようです。(上右) 神穴の前に出現殿を再建され、霊
窟前に扉を設け、それをお守りする出現堂を平成18年建立した
ようです。

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表参道の鳥居の土台部分をよく見ると、「亀」 の姿になっているの
に気付きます。(上右) これは鳥居の台座を 「亀腹」 と呼ぶことに
由縁するんだそうで、大きな鳥居を石の亀さんが両側の柱を支え
ています。(上左) 南側の鳥居の足元には金の亀の装飾も豪華。
(下左) また拝殿の黒塗りの柱にも金色の亀の飾りも豪華です。
(下右) 亀は大地を表す象徴との意味もあるようです。亀が建物
を支えてるんですね。中国や韓国では亀跌 (きく) と称して石碑
の台に亀の石彫を用いるのが普通のようで、中国で は亀は神亀、
霊亀などと称され、その甲の文様 (亀甲紋、亀背紋) は吉祥の
意味をもって衣料、家具その他に多用されるそうです。

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「一陽来復御守」 について神社の扉にも解説が大きくはり出されて
います。(上) 手に入れた 「一陽来復」 は、自宅でお参りをする必
要があります。お参りとはすなわち、壁に貼付けることを指している。
今回は 「節分の日から立春に変わる夜中の十二時に貼ります」 と
の張り紙もありました。(下右) 家族がいつも団欒して集まる部屋に
貼りますが、お守りはご神体でもあるため、画鋲などで留めてはなら
ないとされています。穴八幡宮境内の露店で買ってきた 「金銀融通、
家内安全」 の金色の台紙に、筒状の 「一陽来復御守」 の裏面に両
面テープが貼って準備をします。大事なのは ”落とさないこと” です。
一度落ちてしまったら効力がなくなってしまうとされています。

恵方は亥子 (真北から少し西よりの方角) の方の反対側の壁のな
るべく高い所に御祭りとのことで、場所を確認し脚立に乗って私は
スタンバイ。娘が時計を確認しながら、30秒前、3、2、1、はい。
(* ゜ー゜)ノ [] ペ タッ (下左) 福の神 (打出小槌) のご利益があり、
お金に恵まれ幸せになりますよう。 どうか (。-人-。) タノンマスー!

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江戸から伝わる縁起に乗る東京の風習。帰るころには何倍もの人
の列が続いていました。ともかくこの 「一陽来復」 という言葉をよく
かみ締めつつ、己の運気、周囲の運気の流れに敏感でありたいと
思う。ご利益を信じるか信じないかはその人次第ですが、祭事には
その土地ごとの歴史や慣習が大きく息づいています。今こうして多
くの人が列をなすように、江戸の昔からお守りを求めて多くの人が
並んだに違いない。お守りの姿や形は変わったかもしれないが、
時代を越えて人々を惹き付ける風習をなぞることで、街に積み重
なったかつての生活が浮き立ってくるのではないだろうか。最後に
「一陽来復」 という言葉が、今の日本の閉塞情況を打開する知恵
となることを祈念したいものです。

「ご利益を絶対いただきたい!」 というあなたもよかったらぜひ。
金銀融通のご利益をいただいて、物心ともに豊かな2017年に
しましょう。「穴八幡宮」 様お願い致します。

【おまけ】
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地下鉄東西線の早稲田駅で降り、2番出口 (下右) を出て右側に
早稲田通りの交差点の向かい側角に酒屋さんがあります。(上)
この酒屋さん、どこにでもありそうですが、実は元禄7年 (1694)
剣客 ・ 安兵衛が、高田馬場の決闘で助太刀に駆けつけるときに、
馬場下の 「小倉屋」 で、枡酒を一杯飲んでから駆けつけたといわ
れています。穴八幡神社を通って高田馬場まで約400m登って
行かなくてはならず、一息入れるには丁度良い場所にありました。
その 「小倉屋」 がこの 「KOKURAYA] という酒屋です。 (下左)
江戸時代から320年続く老舗で、そのときの升は、今でも家宝
として残されてるとのこと。

後日談
助太刀をした安兵衛の評判を聞きつけた赤穂藩士の堀部弥兵衛が、
安兵衛を娘婿に迎え入れて堀部安兵衛となります。赤穂藩主・浅野
内匠頭長矩の松の廊下刃傷事件は、7年後の元禄14年のことです。
翌年、堀部安兵衛も参加した赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件
(元禄赤穂事件) が起きるのです。

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「夏目漱石誕生の地」
その 「KOKURAYA] という酒屋の隣のビル前には、夏目漱石の
生誕百年を記念して建てられた 「夏目漱石誕生之地」 という黒い
みかげ石の石碑があります。 ここが文豪 ・ 夏目漱石が慶応3 年
(1865) に牛込馬場下の夏目家の五男として、この地に生まれ
ました。当時は明治維新後の混乱期であり、生後すぐに里子に
出されるなど漱石の幼少時は波乱に満ちていたようです。漱石
の父は、代々この地の名主で、その漱石の父親が地名に自家
の名を付けたのが、家の前の坂 「夏目坂」 なのです。(下左)

こうした何気ない街角が、歴史を語ってくれます。散歩するのも
楽しくなって来ます。みなさんの街にはどんな歴史が刻まれて
いるのでしょうか? 歴史って面白いですね。






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あたたかな気持ち 
風船に乗せてとばします
拾ってくれた人の心に
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