一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





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「母の日に」

...2017/05/21 17:02...

風薫る爽やかな季節となりました。
5月も後半に入り、連日気温が25℃以上と汗ばむ
陽気の日が続いていますが、吹き抜ける風に乗り、
みずみずしい青葉の香りが駆け廻ります。

大型連休も終わり職場に人が戻った。
この時期に心配なのは心の疲れという。
いわゆる 「五月病」 だ。
連休明けのこの時期に発生しやすいらしい。
今春に入社した新入社員が多いという。
期待と現実のギャアップに悩み、新しい生活になじめ
ない適応障害が現れる。外は緑にあふれて弾むような
季節なのに、心はブルーな状態だ。

まじめで几帳面な方なら、思い当たることもあるだろう。
五月病の予防で大事なのは 「一人で悩まない」
「焦らない」 「気分 転換」 な、そうだ。

さて、最近は強まる日差しに負けんぞといわんばかりに、
木々が一層青々しさを増し てきました。この草木の青葉の
薫りが風に乗って届くので、「風薫る」 と表現するわけです。
逆に、この青葉の香りを運ぶ初夏の風のこと を
「薫風 (くんぷう)」 と言うんだそうです。
久しぶりに、のんび~りして いたらブログの事、
すっかり忘れていました。(笑)  再開します。

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「母の日に」

14日は母の日だった。
「母の日」 の歴史は1907年、アメリカのアンナ ・ ジャービス
と言う女性が、母の命日に開いた追悼式で、母が好きだった
という白いカーネーションを式の参加者に、母を偲んで
一輪ずつ手渡したのが始まりだと言われています。
アメリカでは、1914年から母の日は祝日となっています。

そんな母の日にと、かみさんが両方の母親にバラの花束
を花屋さんの宅配サービスを利用して贈ったようだ。
早々に実家の母から電話がはいり・・・・・心が温かくなる
贈り物でしたという。聞けば、花を届けてくれた花屋さんが
数十分後、バラの花を一輪持ってまた訪ねて来たとのこと。
そして、先ほどの花束にはバラが何輪入っていたかと尋ねたという。
本数を答えると、ホッとした表情で、一本少なかったのではと案じ、
確認に来たとのことで、丁寧にあいさつして帰っていったようだ。

わざわざ確認に来るなんて律義な方だと感心していたら、数分後、
その花屋さんが引き返して来て、「せっかくなので、お手洗いに
でも飾って下さい」 と、先ほどの一輪を置いて行ったという。
なんだか、うれしさが2倍にも3倍にもふくれあがったようで、
温かな気持にさせてもれえましたと大喜びしていた。
何気ない心使いは人の気持ちを和ませるんだなぁと思いました。

それから数日後。
外出からの帰宅途中、「来客なのでケーキを買ってきて欲しい」
と、かみさんからの連絡が入った。で、わざわざ戻って駅前の
ケーキ屋さんに立ち寄った。ここのケーキ屋さんのお母さん
とは顔なじみで、久しぶりだったので 「急いで帰って来て」
ということも忘れて話しこんでしまった。母の日も過ぎたころ、
一人暮らしを始めた大学生の息子さんから手紙が届いたらしい。
息子さんから手紙をもらったのは初めてだったので、不安も
あったが封筒を見ただけで込み上げるものがあったという。

息子さんは自分のやりたい勉強があると、わざわざ地方の
大学に入学された。四月から一人暮らしをしながら勉強に
励んでいるようだ。その息子さんからの手紙には 「お母さん、
いつもありがとう」 の文字。ひとり暮らしを始めたころは本当に
大変だったのか、「ようやく慣れました」 と綴ってあったようだ。

両親がバランスを崩さず過ごせるか心配だったこともあり、
親のありがたさが身に染みたという。何もしていない親だが、
思いやる心は伝わっているのかと思うと嬉しかったと話された。
こんなに 「ありがとう」 の文字が温かいなんて、言葉に込め
られた温度が日を追って心地よく、胸に迫ってくるようだと
喜んでおられた。

「ありがとう」 は、ほら相手に対する心のこもった感謝の
言葉だから、言った人にも 「ありがとう」 をわけてくれる。
だから素敵な心が伝わるんだと思います。
母の日に感謝とともに 「ありがとう」 と思うことが
一番の贈り物のはずだ。 それこそが 「母の日」 の
創案者の思いであり、願いであるはずだから・・・・。

育児に家事に、仕事にと頑張っておられる
全国のお母さんへ。母の日は過ぎたが、
いつも 「ありがとう」 ・・・・・・・・お母さん。


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チューリップ ― 昭和記念公園 2017 ―

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桜の季節が終わると毎年の恒例で、我が家は近所の家族とチュ
ーリップを見に出かけます。 チューリップと言えば、立川にある
国営 ・ 昭和記念公園。 都内とは言え遠いんですよね。出発時
は他県に行く感じで有痛になりますが、咲き乱れるチューリップ
を見ると一変に心が晴々とします。チューリップを鑑賞した後は、
其々の手料理を持ち寄ってのピクニック気分。私は広い原っぱ
に寝転がって昼寝。(笑) 4月末に出掛けました。

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「国営・昭和記念公園」 (立川市)
昭和天皇御在位五十年記念事業の一環として、国民が自然的
環境の中で健全な心身を育み、英知を養う場とするために、戦
後米軍が旧陸軍施設を接収した立川市と昭島市の両市にまた
がる立川基地跡地を記念公園として建設されました。昭和58年
(1983)10月26日に開園しました。面積165.3ha
相変わらず凄い人出でした。

開園時間 : 4/1~9/30の土 ・ 日 ・ 祝 9 時30分~18 時
入園料金 : 大人(15歳以上) 410 円 小人(小・中学生) 80 円
        シルバー (65歳以上) 210 円

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「フラワーフェスティバル 2017」
3月下旬から5月下旬までの時期に、公園内で次々とリレーしな
がら開花していく色鮮やかな春の花々を楽しんでいただこうとい
う趣旨で開催されるものです。渓流広場下流のチューリップをは
じめ、日本では珍しい水・樹・洋芝を背景にした圧巻のチューリッ
プ畑です。

今回のチューリップは、都内最大級106種22万株が春の彩りを
演出しています。渓流広場下流を中心に、ゆっくり遅咲きのチュ
ーリップに移行しながら見頃が続いていました。しかし、ちょっと
見頃が過ぎたかな~という感じで、どのチューリップも花が開き
過ぎの感じでした。チューリップは蕾の頃がいいですからね。

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「渓流広場 (渓流下流周辺)」
清流広場は、世界的なチューリップの名所 「キューケンホフ公園」
の前園長を招聘して、修景の設計施工を実施。本場オランダの絶
景を東京で楽しめるという。昭和記念公園のチューリップガーデン
は、2004年から始まり今年の春が13シーズン目です。

オランダが原産国と思われがちなチューリップですが、実はトルコ
から中央アジアにかけてが原産と言われています。なかでもトルコ
はチューリップを国花にも指定してされています。 また、もう一つ
の原産国では中央アジアの地域も有名です。 原産国となっている
トルコでは、チューリップのことを 「ラーレ(赤い 花)」 と言います。
もともとは、砂漠のような場所に自生していたと いいます。

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もともとチューリップは中国の西部に位置するチベット、中東から
地中海沿岸の地域に移住してきたトルコ民族によって植えられた
もののようです。

彼らはふるさとの花を民族衣装には欠かせないターバンやアクセ
サリー、生け花などの材料として使っていました。そして、ちょうど
オーストリアの大使としてトルコにいたA・G・ブズベックによって、
初めてチューリップがヨーロッパに持ち込まれました。彼は1554
年にコンスタンティノープル (現在のイスタンブール) 周辺でチュ
ーリップを見かけて、通訳に花の名前を聞いたところ、通訳がチュ
ーリパム (ターバンの意) と聞き違えてしまいました。以来、その
花は 「チューリップ」 と呼ばれるようになったというわけです。

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チューリップの形ですぐ思い浮かぶのは、ワイングラスに切り込み
を入れたようなもの。 ところが、バラのように花びらがたくさんつく
「八重咲き」 というものがあったり、ユリのように花びらが反り返って
咲く 「ユリ咲き」 というものがあったりと、種類は実にさまざまです。

「一重咲き」 は、花の形の多くは円筒形や卵形。満開を過ぎて
しまっても花の形がくずれないのが特徴です。
「八重咲き」 は、厚みのある花びらが何枚も重なった八重。
大輪の豪華な花を咲かせ、色も豊富です。
「フリンジ咲き」 は、縁に細かな切れ込みが入って、
ギザギザになっている個性的な花びらをしています。
「ユリ咲き」 は、花びらの先が長くとがっていて、ユリの花に似ている。
外側に反り返った状態で咲くのが特徴。
「パロット咲き」 は、花びらが丸まっていて深く切れ込みが入った咲き方。
オウムの羽のようにみえることから名付けられました。

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日本でチューリップの歴史が始まったのは、1863年のことだと言
われています。当時、日本では薬草のウコンの仲間と勘違いされ
ていたので 「鬱金香 (うこんこう)」 と名付けられました。

まだ数も少なかったため、一部の上流階級の人々や外国人が楽し
むものと思われていました。日本もチューリップが入ってきたばかり
のときは、庶民の手には届かず、チューリップの切花は1本5銭とい
う高い値段で売れていたようです。ちなみに当時の1日の労働賃金
は10銭~20銭でした。 そして江戸の末期になると、チューリップ
栽培が少しずつ始まりました。 こうして明治40年頃には本格的に
栽培されていったのです。

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「ネグリタ」  (上)  
永遠の愛という花言葉を持つ 「ネグリタ」 という紫色のチューリップ。
色合いがとても落ち着いていて、大人っぽくシックですが、丸みを
帯びた美しい青紫色です。大人な雰囲気をかもし出しているので、
派手な色合いが苦手な人にもおすすめのチューリップです。濃い
紫色のチューリッ プ 「ネグリタ」 は、親しい人への呼びかけでしょ
うか、何となく貴婦人という感じがしました。

「パープルプリンス」   (下)
花の色は紫がかったピンクで、背丈が低いので鉢植え向きなんだ
そうです。プリンスの名はつくけれど不思議の国の王子という感じ
で、さすが 「プリンス」 の名前だけ合って上品な色合いです。 一
口に紫と言いましても、赤っぽいものから黒っぽいものまでいろい
ろな紫色のチューリップがありますが、このパープルプリンスとい
う品種のチューリップは、とても発色の良い明るい赤紫色なので
特にお勧めです。

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「オリンピック フレーム」  (上)
オリンピックの聖火の名を冠したチューリップ。その名の通り、黄色
にまるで聖火のような真っ赤なラインが入るのが特徴のダーウィン
ハイブリッド系のチューリップのようです。オリンピックフレームは小
さめの黄色い花で、日があたると眩しさを感じさせるほどのチューリ
ップです。黄色地に赤筋が入る華やかな花色ですが、確かに赤色
が燃え上がる聖火にも見えますね。(上左)

「ゴールデンオックスフォード」  (下)
なんだかごっつい名前ですが、シンプルにかわいい黄色のチューリ
ップです。 オックスフォードは英国南部の大学都市名。目が覚める
ような鮮やかな黄色が印象的で、花びらの縁に沿って細く赤いライ
ンが入ります。この品種はいい香りがするんですよ。 いい香りを持
つのは、なぜか黄色の品種に多いと言われています。黄色の丸い
花はクセが無く誰にでも愛されるチューリップのような感じがします。
日を浴びると透き通るような黄色の花で、春らしい明るく好きになり
そうです。

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昭和記念公園は、広大なチューリップ畑があるのかと思ったら、
木立や水の流れをうまく利用して、チューリップの花壇が配置され
ている感じでした。チューリップガーデンのみでなく、散策路のあち
こちに色とりどりのチューリップが植えられており、大いに目を楽し
ませてくれます。チューリップを眺めながら渓流や芝生の間を散策
するのも楽しいものです。 チューリップは園芸品種が非常に豊富
で、日本では約1000種類が 販売されている言われています。
種類は花の形、色と模様、咲く時期により、固有の名前が付けられ
ています。小学生の頃に学校でチューリップを栽培したけど、そん
なにあるとは全然思わなかったなぁ~。 水辺に広がる青い芝生の
中に、色鮮やかなチューリップが咲き誇っています。

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「ホワイトトライアンファター」  (上)   
冠のように美しい純白の花が咲き、花もちが非常に良いチューリッ
プで、つんととんがった花びらが踊るように広がっています。白いチ
ューリップには、品質の良い切り花向け品種や観賞価値の高い特
徴的な品種が少なく、バラエティーの拡大が求められますが、純白
のドレスを纏って優雅にワルツを踊る 「ホワイトトライアンファター」
といった感じです。透き通るような白さが眩しいくらいです。凛とした
純白のゆり咲きチューリップというのもなかなか大人な感じですね。

「白雲」  (下)
純白で大輪の 「白雲」 は、花色がソフトなアイボリーホワイト。有名
な砺波平野で生産された富山生まれのチューリップのようです。群
れ咲きは、白雲なびくごとく見え、遠くからだと雲みたいです。真っ
白な花は、清楚な雰囲気が漂いますね。チューリップの本場、オラ
ンダでも品種登録され、特許を取得しているようです。皇室にも献
上されたチョーリップという。富山の温もりに抱かれ、人に愛されて
育った 「白雲」 は、今度は故郷を遠くはなれた場所で、誰かを幸
せに咲くのでしょうか。白色のチューリップの花言葉は 「失恋 ・ 失
われた愛」 です。う~ん、白いチューリップは好きなんですけどね。

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「ミランダ」   (上) 
チューリップと言われないと分からないかもしれない、ド迫力なのが
「ミランダ」 というチューリップ。ラナンキュラスやシャクヤクにも負け
ない色と大きさで誇らしげに咲いていました。 どの花にも負けない
くらいインパクトあるチューリップでした。大人で華やかな雰囲気を
演出するレッド ・ チューリップでしょうか。とってもゴージャスな花が
咲くのですね! 貴女、燃えてるのね。そんな色合いでした。うふ

「ラルゴ」   (下)
牡丹の花に似た、花びらの多いタイプの八重咲きで、鮮やかでボリ
ュームのある花をつけるようです。丈も低く鉢植えに最適のようです。
明るく光沢のある情熱的な赤が印象的でしたが、アップで花だけ見
たら、チューリップかどうかわからない感じですよね。 とても目立つ
八重咲きの真っ赤な花が、まわりを従えている感じでした。ラルゴと
言えば、ヘンデルのラルゴを昔、音楽の授業か何かで聴いて素敵
な曲だと思った記憶があります。ラルゴとは、「幅広くゆるやかに、
豊かな」 の意味。 ゆったりと豊かな心で花を楽しんで頂きたい
・・・・そんな思いから名付けられたのでしょうかね。

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渓流広場を進むにつれて、素晴らしい景色に、新緑とチューリッ
プのコラボは本当に美しく素晴らしいガーデニングのデザインに
感動してしまいました。木の周りに 「わーわー」 集まったチュー
リップたち。木のお爺さんはチューリップの子供達にどんなお話
を聞かせるのでしょうかね。

チューリップの原産国はトルコ。
トルコからオランダにチューリップが伝わったのは16世紀頃で、
日本には江戸時代後期に伝来したとされ、栽培が少しずつ始ま
ります。そんな中、米どころとして有名な新潟や富山でも米の裏
作としてチューリップに着目し、他の地域に比べてより熱心に栽
培していたことから、「日本チューリップ発祥の地」 として知られ
るようになりました。日本での球根生産は、新潟県や富山県で
国内シェアの98%を占めるほど大規模な栽培が行われていま
す。最近では品種の技術も進み色も豊富で、様々なチューリッ
プがあるという。

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「ファンシーフリル」  (上)  
花びらのふちがフリンジ状にギザギザしている淡いピンク色のチュ
ーリップです。「フリンジ咲き」 とは花びらの先が洋服のフリルのよう
に細かく切れ込みが入ったもので、フリンジド系の品種は葉が大き
いものが多く、花を包み込むように着く場合があるようです。 fancy
は、しゃれた、風変わりな等を意味する、いわゆる 「女の子趣味」
を形容していることが多いので、名前通りに可愛いネーミングです。
淡い色合いとギザギザの花弁が可愛らしい印象を与えてくれます。
一度植えると毎年植えたくなる花ですね。

「クリスタルスター」 (下)
クリスタルスターという名前の黄色いチューリップ。こちらも花びらの
ふちがフリルのようになっているフリンジ咲きで、華やかなチューリ
ップです。太陽の光が当たるとまぶしくて、目が覚めるような黄色い
チューリップです。混じりけのない色鮮やかな黄色で、時間が経つ
と印象が少しずつ変わるので面白いです。 澄んだ空にあざやかな
黄色がよく映えます。 可愛いチューリップです。

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「ダブルタッチ」  (上) 
艶やかな紫の花弁が幾重にも重なった八重咲きのチューリップ。
白にピンクのフチ模様が上品な美しさを出しています。何より花
が大きい! 大輪です。見ごたえあるチューリップです。後ろを通
り過ぎる方々も口々に 「牡丹みたい!」 「芍薬みたい!」 「薔薇
みたい!」 「これがチューリップ!?」 。それぞれに 「~見たい」 
と言うほどチューリップとは思えない花に違いない。

「ブラウニー」  (下)
幾重にも重なったオレンジ色のグラデーションの花弁。とてもシック
な花色が特徴の八重咲きチューリップです。 今までにない雰囲気
の大人っぽいスタイリングの花壇にピッタリする感じです。 アメリカ
ではおなじみの焼き菓子 ・ ブラウニーではありません。 (笑)
花びらがギュッとつまった色も鮮やで、丸顔に複雑なメイクを施し
たかのような美しさがあります。これもチューリップなんですね。

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オランダと言えばチューリップというくらい、オランダは栽培・品種
改良ともに盛んに行われていて、自他国認めるチューリップ大国
となっているようです。世界各国へと輸出されていて、日本にも
オランダ産のチューリップがたくさんあるようです。

実は初めて花の静物画が描かれるようになったのがオランダ絵画
だと言われているほど、オランダの人々は花が大好きです。プレゼ
ントの花束には、やっぱりチューリップが人気なんだそうです。また、
休日ともなればガーデニングに精を出し、春には、どの家の庭先で
もチューリップを見かけるほど国民に親しまれているようです。チュ
ーリップが咲き乱れる春の庭から、オランダの人々にとってチューリ
ップは生活の一部ということ何でしょうね。花のある生活いいですね。

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「夢の紫」   (上)  
ユリ咲きには珍しいピンクがかった明るい紫色で、大人っぽく個性
的なチューリップです。数千種類あるチューリップの品種のうち紫
色のユリ咲きはたいへん少なく、待望されていた品種であることか
ら 「夢の紫」 と命名されたようです。紫のチューリップの花言葉は
「不滅の愛」 です。 大人っぽい印象を与える紫色のチューリップ
は、いつもと違ったシックなイメージで愛を告白したり、長く付き合
ってきた二人の記念日などに愛を再確認したりするシーンにぴっ
たりですね。大人っぽく個性的な紫のチューリップで永遠の愛を
誓ってみませんか。

「シネダキング」  (下)
たぶん園内では、1、2 をを争うくらい目立つチューリップだと思い
ます。赤い花びらの外周が黄色に染まっており、やや背が高いチ
ューリップ。綺麗に整列されたチューリップも綺麗ですが、並びに
曲がりがあるとまた違った面白さを感じます。特徴があるとまた違
った雰囲気に見えます。陽気な陽射しの中チューリップもいろん
なパフォーマンスをしてくれます。個性があって面白いチューリッ
プでした。「お ・ い ・ で ・ま ・ せ」 と迎えてくれました。

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「ロイヤルテン」  (上) 
白と桃の配色バランスが素敵な可愛らしいチューリップです。
品の良い色と形に笑み漏れるロイヤルテンは花の王様という感じ。
花冠の底は白く、ほんのり淡い優しいピンク色が、ここへおいで と
優しさに包まれそうな手招きをしています。こっちへおいで、神秘
の世界に連れて行ってあげようと。心を奪われそうなチューリップ。
なんて可愛いんでしょ。誰しもが好きになれそうなチューリップです。
光りのマジック、ほら・・・花びらがひかってる。好きになりそうです。

「ワシントン」   (下)
黄色い花びらに赤いラインが特徴で、とても印象的なチューリップ。
こちらも 「シネダキング」 と同様に黄色と赤のミックスなんて、とて
も新鮮ですが目立ちますね。花によって赤の入り方が少しずつ違
って、皆違う姿をしていました。チューリップと言えば、オランダ!
と思われる方が多いかもしれませんが、実はこのワシントン州も世
界第2 位のチューリップ球根産出地で、特にスカジット ・ バレー
地域はチューリップの町として有名なそうです。ワシントンは、一重
咲き早生種と一重咲き晩生種を交配したトライアンフ系の中生咲き
のチューリップです。

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チューリップは恋愛にまつわる伝説が多い花で 「男性からの積極
的な求愛に困惑した美しい女性が、女神に頼んで花にしてもらっ
たのがチューリップ」 とか 「恋人の死を知って身を投げた男性の
真っ赤な血だまりからチューリップが咲いた」 とか、情熱的であり
ながらどこか悲しい物語に登場します。

オランダといえば、風車とともにチューリップが代表的な花です。
そんなオランダに、チューリップにまつわるこんな話があります。

ある美しい少女に3人の騎士が求婚をしました。一人は黄金の王冠、
もう一人は剣、最後の一人は財宝を渡して愛をささやいたのです。
しかし、三人の騎士から求婚されたものの、誰とも選べぬ少女は悩
んだ末に、花の精霊に願い、自分を花の姿に変えてもらったのです。
そして、花の姿に変えられた少女の名から、その花はチューリップと
名付けられたのです。そのため花が王冠を、葉が剣を球根が財宝
を象徴しているといわれます。花全体の花言葉 「博愛」 「思いやり」
はこんなところからかも。 この春、ちょっと恋をしてみませんか。

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開園して間もない時間では人も少なかったのですが、 時間が経つ
につれて、徐々に人が増えだして来ました。童謡などにも登場し、
幼い頃から親しんでいる花の一つが 「チュ ーリップ」 です。ユリ科
の植物で、球根ができて、そこから生長し ていきます。とても育て
やすく、種類も豊富なため人気があります。 チューリップ、色とり
どりできれいです。赤白黄色と明るい色のチューリップたちが並
んで咲いている様も素敵な眺めです。

チューリップには香りを持つものがあるようです。
フローラル調 (花香調) のほのかな香りが特徴で、特にユリ咲き、
八重咲き品種に、香りの良い品種が見られる傾向のようです。
暖かいほど香り立ちが良くなり、7~8分咲き位の咲き具合がベスト。

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 咲いた、咲いた、チューリップの花が、
     なーらんだ、なーらんだ、赤、白、黄色。

その童謡のように、可愛らしいチューリップたちの出番です。
渓流への映り込みも爽やかに、チューリップの季節は毎年行って
いるようですが、何度見てもカラフルで美しいようです。 沢山の方
が、カメラを向けてパシャ、パシャパと撮っていました。大きなカメ
ラを持った女性。このチューリップにレンズを向けていた彼女の
カメラがとらえた花は、どんなふうに輝いていたのだろう・・・・・。
ちなみに下左の写真は、チューリップを掘り起こしているのでは
ありません。(笑) 根元からのアングルを撮ろうとしているのです。
写真の撮り方にも色々あるんですね。一口にチューリップといって
も、咲き方も色も様々です! お好みにあったチューリップが
見つかるとよいですね~。

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色とりどりにカラフルな花を咲かせるチューリップ。桜とともに陽気
な春の色を感じさせる花です。休日に訪れた人々は、それぞれの
楽しみ方があるようです。ベンチに腰掛けてチューりプを眺めなが
ら弁当を食す老夫婦の姿が多く見受けました。 (上) 「お父さん
こちらが鮭で、こっちは梅干よ」。おばあちゃんが朝早くに作って
来たおむすびを花に囲まれてほおばる姿は花にもまして素敵で
した。私達も老後は、そうありたいと思います。 一人静かに花と
お話する人、(下右) 絵を描く人 (下左) 様々な人々が休日を
楽しんでいました。

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園内には犬を連れている方が多かったです。(下左) 可愛いワン
ちゃんを見かけたので、お願いして写真を撮らせて貰いました。
写真撮り慣れしているせいか、ジッとポーズをとってくれました。
撮り終えて 「ありがとう」 と言ったら近寄ってくるんですよ~。
可愛いじゃないですか。周りはいつの間にかカメラを持った方が
大勢囲んでいました。(笑) 人気者のワンちゃんでした。(下右)

やっぱりチューリップは 「あ~か~ し~ろ~ きいろ~♪」。
赤や白いチューリップが混在して咲くにぎやかな印象のチューリッ
プ畑を中心に、ローズピンクや赤、紫、白などチューリップの列が、
ゆるやかな起伏に沿って咲き、色彩鮮やかな織物のように広がっ
ています。ふっくらとした花が色とりどりに咲き乱れている様子は、
きらきらとした宝石をちりばめたようです。 その花の美しさゆえ、
ヨーロッパでは昔、かなりの高値で取引されていたほど。様々な
人たちを魅了する優雅な花だったのです。

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思わず 「うわぁ、イイ色だなぁ!!」 と声に出して言ってしまいました。
チューリップを見ているだけで、いつまでたっても、その場を離れ
られなくなるようなチューリップたちの饗宴。花に囲まれ、緑に囲
まれ、夕方には美しい夕陽との出会い。自然を満喫した1日でした。
もちろんチューリップは、言葉に表せないくらい見事でした。何度
も行きつ戻りつ、名残惜しげにチューリップを見納めながら家路へ。 
チューリップに囲まれて、楽しい一日でした。





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「思えば思われる」

...2017/04/30 10:50...

みどりの日、こどもの日のゴールデンウイーク
の到来で、人口流動が活発化する季節です。
こいのぼりが春風におよぐ季節になった。

私たちが子どもの頃は、青空の下で屋根より高い
こいのぼりが見られたものだが、今時は少子化に
加え住宅事情が影響して小型化し、マンションの
ベランダどころか、机上で楽しむミニチュアサイズ
のものまで登場しているようだ。

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今日、浅草を訪ねたら相変わらず凄い人出でした。そして
外国観光客の多いこと。外国語が飛び交って、ここは日本
なのだろうかと、ふと錯覚を起こすほどでした。そんななか、
浅草寺の横で、こいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいた。

「子どもの日」 が近くなると、幼稚園児が自分で
作った黒と赤や青のこいのぼりを持って帰る姿を
よく見かける。それは、娘の思い出につながる。

赤と青の色を選んで2 匹のこいのぼりを作った。
パパの黒のこいのぼりはどうしたのかなと思いつつ、
2 匹は誰かと聞くと、「赤はママで、青は自分」。
パパはどうでもいいのかなと半分すねてしまった。
こいのぼりが風になびく季節になると思い出す。
子育て真っ最中の頃の懐かしい出来事だ。

良寛が 「春は花 山ほととぎす 秋はもみじ花」 と
歌っているように日本の四季は世界に誇れるものだ。
それに川、海、山、池なども豊富に存在し、外国には
ない美しさがある。

ゴールデンウイーク。
今年は、5/1、2に休みを取れば9 連休とか。
皆さん、楽しいゴールデンウイークを・・・・・。


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「思えば思われる」

人間には世の中から認められたいという
欲望があるという。それは自分という存在の
確認であり、一生続く欲望と見られるようです。
こんな話を聞いたことがあります。

もっぱらお年寄りをダーゲットに詐欺商法を
持ちかけられ、被害にあったおばあちゃん。
それを知って駆け付けた家族。
「何でこんなバカなことに引っかかるの?」
すると、おばあちゃんはこう言ったそうです。
「そやけど、あなたたちよりも彼らの方が
ほんまに優しかった」。

「優しかった」。すなわち自分の存在をちゃんと
認めてくれた、というわけです。病院でも長期入院中の
お年寄りには 「今日は顔色がいいですね」 といった
看護師さんの一言が、薬より何倍も効果があるという。
わかる気がする。

子どもは見舞ってくれなくなった。自分は忘れられて
いるのだろうか。ふとそんな思いにかられがちな病院で
看護師さんからかけられた一言。それもずっと見守って
くれていたんだと思える言葉。うれしいに違いない。

知人の臨床心理士が言っていた。
「相手を認めることが私たちの仕事の基本です。
悪いところを直してあげようなんて思っていたら、
みなさん、心を開いてくれません。いいところを探して
相手の存在をちゃんと認める。そういう人間関係が
できてはじめて向かい合えるんですよ」 。
私ふうに言えば、それは 「思えば思われる」 関係だ。

人間関係は難しい。苦手な人物はいろいろいる。
嫌いだから付き合わない。それですむなら、そうしたい。
しかし職場などではそうもいかない。どうするか、
とりあえず見方を変えてみる。彼の良いところは
なんだろう。その人ならではの持ち味はあるものだ。
先の臨床心理士の話だと、悪いところと思えるところでも、
見方を変えれば、それがその人の憎めない
ところだったりするという。

長所の一つや二つはすぐ見つかるだろう。
後はその良いところを大切に思って接してみる。
すると、彼の態度も変わってきた・・・・・。
思えば思われる、である。

昨今は 「心の病」 はもちろん、いじめも増えている。
世の中の息苦しさは増す一方のようです。
悲しいかな、それは思えば思われる関係ではなく、
嫌えば嫌われる関係を物語るものだろうと思います。

心理学では 「好意の返報性」 に対して 「嫌悪の報復性」
というそうだ。報復なんて、怖い話ではないですか。
互いに 「思えば思われる」 、この関係でいたいものです。


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伝法院   ~浅草寺の本坊と国の名勝庭園~

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「浅草観音うら ・ 一葉桜祭り」 の 「花魁道中」 を見た後、浅草寺
へと戻ったら伝法院庭園入口の付近へたどり着きました。ちょうど
春の伝法院庭園の特別公開が開催されていました。案内した外
国の方が、ぜひ庭園を拝観したいと言うので、入口にいったら最
終入園時間は4 時とのことで慌てました。 伝法院庭園の拝観に
は 「大絵馬寺宝展」 の拝観も含まれており、数々の寺宝や江戸
情緒の残す庭園は一見の価値ありと思い、寺院庭園を散策して
みました。庭園からは、浅草寺の五重塔と東京スカイツリーが見
えるスポットですが、この日は曇り空、五重塔は修復中なので見
ることは出来ませんでした。上の写真は以前に撮ったものです。

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仲見世通りから伝法院通りを左に曲がって、少し歩くと右手に門
があります。(上) こちらが通用門ということになります。(下右) 
通用門は明治36年に移築したものです。尚、仲見世通りを宝蔵
門に向かって歩くと、伝法院通りを渡ったすぐの左手、奥まったと
ころにあるのが荘厳な表門です。この表門をくぐると、浅草寺の本
坊であり貫首の居宅でもある伝法院です。 その敷地の大半を占
める伝法院庭園は、観光客の喧騒から隔絶され、静穏な空気が
流れる、江戸時代から継承される都内に残る数少ない寺院庭園
です。(下左)

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浅草寺の向かって左側、五重塔とその足元の建物が 「五重塔院」
と呼ばれています。その五重塔の横側に伝法院の庭園入り口が
あります。(上) 通常は扉が開いていますが、拝観終了後に撮っ
たので入口は閉まっています。浅草寺・伝法院庭園 「特別公開」
のお知らせ。(下左) 時間がなかったので慌てましたが、こちら
が入口になります。(下右) 毎年この時期に一般公開しています。

  国指定名勝 「伝法院庭園特別拝観と大絵馬寺宝展」
開催場所 : 伝法院庭園
開場時間 : 午前10時~午後4 時30分 (最終入園午後4 時)
拝観料   : 300円 (同伴者で中学生以下は2名迄無料)
※ 特別公開の収益は東日本大震災の義援金になるようです。

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先ずは 「大絵馬寺宝展」 などを観てから庭に出ます。浅草寺の
お宝である 「大絵馬」 など文字通り特大の絵馬の数々は現代の
ギャラリーであり圧巻です。「大絵馬寺宝展」 内での写真撮影は
禁止でした。出口の様子です。(上左) 出口には浅草寺の屋根
瓦として使用されているチタン瓦も展示されていました。(上右)
庭園に向かう場所から、後ろのビルみたいな物は修復中の五重
塔なんです。(下左) なかなかの景色なのですが残念でした。
以前、撮った時の写真を紹介しておきます。五重塔の右側に
東京スカイツリーが見えています。(下右)  見事でしょ。

「大絵馬寺宝展」
浅草寺が所蔵する貴重な大絵馬・扁額をはじめ、ご本尊の由緒と
寺の歴史を描いた 「浅草寺縁起絵巻」 や絵画工芸などの浅草寺
の多くの寺宝のうち、約60点の精華が特別に展示されていました。
幾度の火災や震災をくぐり抜けて、今に伝わる貴重なもので、浅草
寺の歴史と文化を物語る上で重要な作品群です。いつもは、お寺
の長押の上にあって、見上げるだけの大絵馬が、すぐそばで見ら
れて迫力満点でした。徳川秀忠、家光奉納の蒔絵馬が見所です。

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数々の見応えある寺宝を拝観した後は、伝法院庭園の散策です。
順路どおりに庭園を観ていきます。(下右) 最初は、「経が島」 を
中心としている池の庭園です。池の中に浮かぶ 「経が島 (きょう
がしま)」 には、一字一石の写経が地に埋められており、聖域とし
て扱われているため、立ち入り禁止になっています。(上) 池の
水面に映る五重塔と、本来なかなかの景色ですが、修復中の囲
いのみで残念。(下左) この 「経が島」 の周りは木々に囲まれ
ているせいか、都会にいながら空気がおいしく感じられます。

「伝法院庭園 ・ 経が島」
庭園入口から入りますと左手、北の池のほぼ半分を占めているの
が経ケ島で、浅草寺の中興第一世の忠豪上人の墓塔や石碑壁、
写経が埋められている浅草寺の聖域のようです。経が島から少し
進む (下右) と施無畏 (せむい) 橋があります。施無畏というのは、
畏れなきを施すと読みます。これは恐れを取り除くという意味です。
施無畏橋が、安心して訪れる人を歓迎しています。

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経が島から少し進むと大書院の前庭が見えてきました。伝法院 ・
大書院の手前には樹齢300年のしだれ桜が、その見事な枝に
花をつけています。残念ながら曇り空で、しだれ桜も映えません。

浅草寺の伝法院は、もともとは浅草寺の住職らが生活する場所
としての 「本坊」 として造営されていたようです。本坊とは、主に
その寺院のトップである住職が生活を営む 「家屋」 のことです。
つまり、これが 「伝法院」 の役割であり起源と言うことになります。
江戸時代より、時の将軍や天皇家を招く場所とされており、明治
時代まではいっさい非公開とされていました。つまり、一般の人
は立ち入ることが叶いませんでした。しかし非公開であるのは現
在も同じなのです。ただ、古来とは違うのは、桜が満開に花を咲
かせる 「春」 や紅葉の 「秋」 に期間限定で公開されるようです。

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「伝法院庭園」
江戸時代前期より、ごく限られた人にのみ入園を許されていた浅草
寺の伝法院庭園。 戦災を免れることができたため基本的な庭園の
様相が大きく変わらず、当時の趣を現在にまでとどめています。

「伝法院」 の庭は、大きな池の回りをぐるりと一周して見る、池泉回
遊式の庭園です。この庭園は、寛永年間 (1624~1644年) に江戸
初期の大名茶人として知られる小堀遠州 (こほりえんしゅう) が築
いたものです。伝法院は、徳川将軍などが御成りの際に御膳所と
して使用したことから、大名ですら簡単に拝観できない秘庭でした。
庭園には石燈篭や宝塔が配置され、また四季折々の色をみせる
広葉樹も多く植えられ、一歩一歩違う景色をみせてくれます。この
伝法院の庭園は、平成23年に国の名勝に指定されています。

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浅草の町から、庭園へ一歩足を踏み入れると、そこは別世界。
雷門や仲見世の大賑わいとは対照的で、浅草の喧騒からは想像
もつかないほどの静寂があたりを包みます。都会の喧騒を忘れさ
せてくれる木々で囲まれた庭園につい見とれていると、この庭園
を造った遠州の偉業を称えずにはいられません。 京都の大きな
お寺に比べたら、それほど広い庭ではないのでしょうが、賑やか
な浅草の中にあると思うと奇跡のような空間でした。

約1万平方メートルあるこの庭園の周りは背の高い樹木で囲まれ
て、庭の中央にある池の周りは、キレイに手入れされた芝と松が
青々と茂っています。なだらかな起伏が設けられている園内の池
には鯉が泳ぎ、木々には野鳥がとまり、長閑な景色を楽しめます。
庭に面した大書院から西側の池を眺めると、左手に大きな築山が
あり、その山頂から流れ落ちる三段の枯滝石組と水面を表現した
州浜が広がります。そのまま視線を中央に移すと、出島や中島に
よって起伏に富んだ護岸が展開します。

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池に映る姿が美しい 「大書院」 は、寄棟造、浅瓦葺きの屋根を持ち、
東に渡り廊下がついています。4 時過ぎたので、縁側の戸板引き戸
が閉められました。庭の池側に降りると錦鯉が優雅に泳いでいます。
明治4年 (1871) に再建された、浅草寺本坊伝法院の書院の一つ。
上の間 ・ 中の間 ・ 下の間に分かれ、江戸時代、浅草寺は法親王
の兼帯寺であり、法親王様ご来寺の際には、大書院の間にて休憩
なされたようです。大書院の左側に微かにスカイツリーが見えます。

「大書院」
一般の住宅では、床の間の脇にある棚と障子で構成されたコーナ
ーを指すことが多いです。原形は、安土桃山時代に武家や貴族な
どの客殿形式として完成し、後に住宅形式となった 「書院造り」。
文章を書いたり書物を読んだりする空間が形式的に残ったもの。
日本の仏教寺院で僧侶が学問する場所。公家・武家住宅では居
間兼書斎として用いた部屋でしたが、一棟の建物全体を呼ぶよう
になったようです。 今でいう書斎のような場所でしょうか。

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大書院は、室内の華麗な装飾,庭園の眺望に配慮した柱配置な
どに近代的な技巧を凝らした造りになっています。 通常は外から
室内を眺められるように雨戸や障子も開けられていますが、訪れ
た日は終了間際だったので雨戸が閉じられていました。以前に訪
れた時の写真で紹介します。その時は、「お茶はいかがですか」
とお茶までいただいて、この一服のお茶に心癒されたものです。

知人が伝法院の内部を特別に見学した経験があって、聞くところ
によると玄関を入ると広く長い廊下。その先に見える、客殿の広間。
そして、台所、新書院の脇を通り、さらに奥へ進むと、こちらは築百
年余りの大書院。三室に分かれた奥の間には、床の間そして天袋
と地袋を備えた違い棚。各部屋には、桐、牡丹、水鳥の欄間彫刻
がそれぞれ施されており、その凝った細工や高い技術に、ため息
がでるほどだったようです。回廊から一望できる庭は、都会にいる
ことを忘れて美しさに浸っていたいほどだったそうです。ふ~ん

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池の周囲に小径がめぐらされた「回遊式庭園」であり、歩むごとに
景観の変化を楽しめます。北側の池から西南の池の間は渓流の
ようになっています。庭園の諸所に石塔や石灯籠などが置かれ、
景観に趣を添えます。石橋を渡れば、岬のように池に突き出した
大出島に出るようです。喧騒を離れて、しばしの静寂。土の上を
歩き、風に吹かれ、若芽の柔らかな緑を愛で30分の散歩でした。
園内には 「大島桜」 や 「しだれ桜」 が自生していますが、曇り空
では満開の桜も映えませんね。(笑) 終了間際だったので人もま
ばらで、ゆったりと拝観できました。散歩にはよかったのですが、
土日となると訪れる人も多く、大混雑するようです。

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「新書院」
こちらは大正時代に造られた書院だそうで、書院群は明治後期から
大正期に復興された建造物のようです。縁側は前面ガラスで覆われ
ていて、昔のガラスですから、その歪みがまたいい感じで光を反射し
ているのです。“ 時 ” を感じさせます。素敵です。書院前の藤棚は
古い藤木にもかかわらず高貴な色を醸し出しているといいたいので
すが、残念ながら藤棚には藤の花は咲いていませんでした。 書院
前のソテツが見事です。いろいろな角度から知人が見ていましたが、
それがまた何故か自分のふる里の実家を思い出してキュンとなって
いました。(笑)  家の造りが同じだったんでしょうかね。
父母はお元気でしょうか。

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「天祐庵 (てんゆうあん)」
伝法院庭園内には 「天祐庵」 と呼称される茶室があります。名古
屋の茶人である牧野作兵衛が、安土桃山時代に千利休が京都に
建てた 「茶室不審庵 (ふしんあん)」 そっくりに天明年間に造った
ものです。もとは名古屋、そして向島の徳川圀順邸、その後は上
目黒の津村重舎邸にありましたが、昭和33年伝法院の庭園に移
設されました。天祐院の名前がついたのは、伝法院に移設されて
から付けられた名前で 「天を祐 (たす) ける」 という意味合いに
なるそうです。天祐庵の腰掛待合所もありました。(下右)

【メモ】
津村重舎氏とは、現在の薬品メーカー 「株式会社ツムラ」 の前身
である 「津村順天堂」 の創業者です。津村順天堂と言えば、年配
の方は 「バスクリン」 を思い出すのではないでしょうか。精製する
過程で出る ” くず ” を従業員が持ち帰り風呂に入れたところ、夏
のあせもが消え、冬には体がよく温まるという経験をヒントに 「くす
り湯中将湯」 を発売。さらにこれを改良 ・ 研究の結果を得て 「バ
スクリン」 が出来と言われています。 また徳川圀順氏とは、元 ・
日本赤十字社社長であり、水戸黄門さん (徳川光圀) の子孫です。

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小石に縄で結んである小さな石を見て、ここでも外国の方に質問
されてしまいました。 (下左)  よく見ると庭先に縄で結んである石
が置かれています。(下右) これは茶道における約束事 (作法)
で、茶庭や露地の飛び石を伝わっていくと、小石に縄で十文字に
結んである小さな 「関守石」 が置いてあることがあります。この石
が置かれた場合、「これより中に入ることは遠慮されたし」 のメッセ
ージがこめられています。いわゆる通行止めを意味します。新書
院前の水鉢の間にも木材に花を生けて置いてありました。(上)
止め石、留め石、関石、踏止石とも呼ばれています。物言わぬ
石に多くのメッセージが込められている 「関守石」。知れば知る
ほど面白く、奥の深い日本文化の一つなんですね。

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日本全国のみならず、世界各地から訪れる人で溢れるばかりの
浅草。しかし、伝法院庭園に一歩足を踏み入れると、誰しもその
変化に驚かされます。すなわち町の喧騒から静寂へ、草木と池
泉が織り成す豊かな自然へと一転します。

庭園は鑑賞する場所によって表情を変え、それぞれに私たちを楽
しませてくれます。庭園にこの趣きを写して、池や流れの岸にゆる
い傾斜で小さな玉石を敷き詰めた部分を州浜と言うのだそうです。
池を配した美しい日本庭園は外の人出が嘘のような静かさ。都心
の賑やかな場所にいることを忘れてしまうくらいです。仲見世の大
賑わいとは対照的です。庭を造った小堀遠州も、こんなに東京の
開発が進むとは思っていなかったと想像できます。

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「石棺」 (上)  
大書院の隣の新書院の前に、古墳時代の石棺という石造物が置
かれていました。説明によると、明治初年に本堂裏手にあった熊谷
稲荷の塚を崩した際に出土したという 。浅草寺一帯は遺跡地にな
っており、種々の出土品もあるようなので、専門家の話を聞いてみ
たい気もします。初めはここに似つかわしくないように思いましたが
高札を読んで、なるほどと納得しました。古墳時代に住んでいた豪
族のものらしい。江戸時代、海辺に近かったこの周辺です。その昔
には古墳時代の人が生活していたのですね。石棺は一枚岩です。

「石燈籠」 (下)
伝法院庭園には、数基の石燈籠が安置されています。この石燈籠
は、江戸時代前期の延宝3 年 (1675) に小堀政延によって奉納
されたもののようです。当初は本堂前や本堂裏に、やがて現在の
地に移されたようです。小堀政延は、近江小室藩第3 代藩主で、
政延の祖父が伝法院庭園を手掛けたとされる小堀遠州です。祖
父の造園と伝わる庭園に、孫の奉納にかかる燈籠が置かれ、浅
草寺と小堀家の縁の深さを感じされられますね。

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「三社船祭礼再興碑」 (上)   
浅草 ・ 三社祭の始まりは正和元年 (1312) と伝わっています。
明治時代以前、本祭礼において執行される船祭礼が隔年で行な
われていたようですが、経済的な困窮お理由に明和6年に一時
中断されたそうです。この碑は百十五両という多額の出資お行い、
船渡御再興を実現し、永続させる基礎を作った功績を讃え、明
和8年 (1771) に造立されたもののようです。三社祭が現在まで
継承されているのは、祭礼の復興に尽力した人々の証なんです。

「石造多宝塔」 (下)
天祐庵から出口へと向かう途中、囲いの中にあった燈籠の一基が、
宝篋印塔のようでもあり、そうでもないような妙な形をしている事に
気が付きました。説明によると、応永三十二年 (1425) の造立で
製作者は不明。上部には饅頭型を作り出していることから、きわめ
て特異な形態の多宝塔のようです。この宝塔に窓を穿って石灯籠
に転用したという事らしい。

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池に沿って南に行くと鎮護堂との境に出ます。柵の外にある鎮護
堂は明治時代に伝法院の守護として祀ったものです。(上) 境に
沿って進むと、二つの池をつなぐ水路がありました。池を配した美
しい日本庭園は、外の人出が嘘のような静かさです。都心の賑や
かな場所にいることを忘れてしまうくらいでした。

昔、NHKで放送しているブラタモリの番組で、伝法院が紹介され
ていたのを思い出しました。やはり非公開のため、番組では特別
に中に入れてもらったようです。番組では住職さんがタモリさんと
久保田祐佳アナを案内していました。住職の解説では、伝法院
はかつて僧侶や将軍以外立ち入りを禁止された神聖な場所で、
震災戦災にも耐え、江戸時代の姿をそのまま残していると言っ
たような内容でした。私も時々観ていますが、ブラタモリは隠れ
た人気みたいですね。

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関東大震災や太平洋戦争で江戸情緒の多くが失われた浅草に
おいて、その風情を今日に伝える庭園です。池泉を回遊して大
書院の向かいにある中島に立つと、飛石を配した州浜と大書院
を通して、五重塔とスカイツリーを同時に眺めることができる絶好
の撮影ポイントです。しかし、五重塔は修理中だし、スカイツリー
は曇り空で見えず。今回は本当に残念でした。以前の写真で紹
介します。(上) でも、庭園内から観えるスカイツリーが新旧の
建築物のコラボレーションで、ここは浅草なんだと思いました。

【おまけ】
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上野桜祭りのブログで紹介した 「時の鐘」。浅草にもありました。
本堂南東にある小高い丘は、弁財天を祀る弁天堂が建つことから
弁天山と呼ばれました。(上) 現在は公園となっており、弁天堂に
向かって右手に鐘楼があり、そこに掛けられているのが浅草 「時
の鐘」です。(下) 鐘は元禄5 年 (1692) に五代将軍徳川綱吉の
命により改鋳され、江戸の市中に時を告げていた鐘のひとつです。
時計が現在のように普及していなかった江戸時代、時の鐘が人々
に時刻を知らせていました。戦時中、多くの寺の鐘が供出を余儀
なくされたなかで、弁天山の 「時の鐘」 は、特に由緒がある鐘と
いうことで残されたようです。現在も毎朝6時に役僧によって撞か
れており、大晦日には新年を告げる 「除夜の鐘」 が鳴らされる
ようです。





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「お母さんが好き」

...2017/04/23 20:53...

青森地方では桜が満開と聞きました。
すでに東京は桜が散り、その姿さえ見当たりません。
日本列島、長い島国ということがわかります。
雨が降ったり、風が強かったりするたびに、はかなげに
散っていく桜を見ると、季節限定の美しさだとわかって
いても、なんだかちょっぴりせつなくなってしまいます。

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でも、街には新入生や新入社員らしき人を
見かけることも多く、その初々しい様子に、
希望に満ちた若かりし頃の気持ちを思い出します。

さて、我が社でも多くの新入社員を迎えました。
やはり、新入社員が入社してくると、職場のそれまで
の雰囲気が一変し、ピリッとした感じが伝わってきます。
また、自分の新入社員時代の失敗談に花が咲いたりと、
先輩社員も何となくソワソワしています。

入社式で社長がこんな訓示をしていました。
社会人としてのスタートを切った皆さん。
私の信条である 『真実一路』 という言葉を贈りたいと
思います。これは、自ら正しいと信じる道を貫き通す、
という言葉です。書物や歴史、先輩や同僚から学び、
自分は何をすべきかを必死になって考える。

そうして自分のやるべきこと、正しいと信じられる
道が見えれば、たとえ周りの人に反対されたとしても、
それを信じて突き進んでいくことで、必ずや目標を
達成することができる、私はそう信じています。

社会人として成長を続けていくと、様々な壁に
直面することがあります。そのようなとき、自分は何を
正しいと考え、重きを置く価値はどんなものか、といった
自分の 『軸』 をしっかりと把握していれば、どのような
環境であっても、そこに立ち戻って物事を考えて
判断することができます。時代の変化の波に
流される心配もなくなります。

今日から皆さんが取り組む仕事は、「小さな仕事」
「地道な仕事」 であると感じることが圧倒的に多い
と思います。 一見、小さく見える仕事であっても、
そこには必ず、皆さんそれぞれの知恵やアイデア
を施す余地が無数に存在します。

自分 なりに工夫をし、相手の期待を少しでも上回る
仕事に仕上げる ことができれば、そこには新たな価値が
生まれます。そうした 創意工夫を積み重ねることによって、
その仕事は 「誰にでもできる仕事」 ではなく、「自分だから
こそできる仕事」 へと昇華していくのです・・・・・と。 
心新たに・・・・・私も頑張りたい。

Where there's a will there's a way.
   ( 志あるところに道あり )


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「お母さんが好き」

久しぶりに小学校の頃の仲間たちと飲み会があった。
会社や知人たちと違って、幼馴染は子どもの頃の
自分に戻れる気がして嬉しいものだ。
大いに盛り上がった。

一人だけ 「風邪気味なので・・」 と酒を控えた。
「この時期に風邪かよ」 と思ったが、彼は体調が
悪いと決まって 「風邪をひいた」 が口癖だった
のを思い出した。いつまでも変わらないその姿に、
幼馴染はいいなあと思う。その 「風邪」 にまつわる
ユ~モアな詩を小学校の教師をしている一人が
話してくれた。

ぼくもかぜをひいた。
だから、「バカはかぜをひかない」
という言葉を思い出して、お母さんに、
「ぼくはバカじゃないね」 と言った。
そしたらお母さんが、
「今はバカでもかぜをひくのよ」 と言った。
バカはかぜをひくの? それともひかないの?

バカはかぜをひかない?
その言葉よりもこの親子関係の話の方が話題になった。
「今はバカでもかぜをひくのよ」。 お母さん、きつ~い
ひとことですね。きっとこの詩を書いた子は 「あなたは
バカじゃないよ。平気、平気」 という言葉を待っていた
に違いない。でも、現実はそう甘くはなかった。(笑)

こんなきつい冗談が通じるのは、親子関係の土台が
しっかりしているからでしょう。この子もクールに受け
止める余裕があるから、こんな詩が生まれたのでは
ないでしょうか。

両親が忙しくてなかなか家族でゆったり過ごすことが
できない子すらいます。そんな子は、ときどき親の愛情を
確認したくなるものです。子どもは、親の愛を獲得する
一番の近道は 「頭のいい子になること」 だと感じています。
「ぼくはバカじゃないね」 という言葉の裏に、「ぼくを好きか
どうかを知りたい」。そんな気持ちが潜んでいることもある。
と、この幼馴染の教師は話していた。

例えば、公園や乗り物で時々見かける、スマホに
夢中のお母さん。「あっ、ねぇねぇお母さん、見て~!」
お母さんは、スマホから目を離さず・・・。しかし、「見て、見て」
と言ってくれる可愛い時期は、ほんの一瞬だったとしみじみ
思います。共有したい時間、見てと言った時に見てくれると
いう安心、確信は親子関係における大切なベースになります。

なるほど、一緒にいても 「心あらず」 では一緒にいるとは
言えない。短い親子の時間をムダなく大事に過ごす。
忙しい親にしてみれば何とも厄介ですが、たまには
ぼくの方をしっかり見てよ、というアピールかもしれません。
普段の何げないやりとりが、子育ての勝負どころになる
こともあるのだなぁと思います。触れ合う時間の多寡よりも
質が大切とよく言いますが、あながちそうなのかも知れません。

愛されていると安心すれば、子どもは自ら育つ、
元気がでるのです。親が子どもに愛情を注いで、
子どもに接して、子どもに諭し、子どもと一緒になって
勉強してみる。「お母さんが好き」 「自分が好き」 と
言う子に育ててあげたいものです。


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  江戸 ・ 吉原 「おいらん道中」
     浅草観音うら ・ 一葉桜まつり

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外国の方を案内するので協力してくれと、知人に頼まれて出かけ
たのが 「浅草観音うら ・ 一葉桜祭り」。馴染みのない方も多いと
思いますが、浅草・浅草寺の裏側を少し行ったところの浅草警察
署の前の通りを 「一葉桜小松橋通り」 といいます。そこで毎年行
なわれるのが 「一葉桜祭り」 。その祭りで 「花魁道中」 があると
いう事です。最近は意外と外国の方にも人気のようです。柔らか
い薄桃色の花びらが風に舞う曇り空の下で、花魁道中は滅多に
観られませんから楽しみです。

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この日は、朝から小雨が降ったり止んだりの空模様。開催するのか
不安でしたが、取り敢えず出掛けてみようと浅草寺の北側 「観 音
裏」 にある小松橋通り (上右) に着いたら、もう人でいっぱい。(上左)
係りの方に聞いたら開催するとの事で一安心。でも空模様が・・・。

2003年、江戸開府400年を機会に、「八重桜を街路樹とした町づ
くり」 を提案。観音裏の小松橋通りを中心に、一葉桜 (八重桜) を
植樹しました。それを記念して 「浅草観音うら ・ 一葉桜まつり」 が
行われるようになりました。八重桜は4月には桃色の花をつけ、夏・
秋には青々とした葉の美しさで道行く人を和ませてくれます。(下右)
八重桜を街路樹にしている町並みは東京でも珍しいようでます。
「浅草観音うら一葉桜まつり」 の会場近くの台東区千束3~4丁目
付近は、江戸時代、日本一の遊郭であった 「 吉原 」 が、明暦の
大火 (1657年) 後に中央区日本橋人形町から移り、第二次世界
大戦後まで約300年も続いたところです。

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「浅草観音うら一葉桜まつり」 は浅草寺の北にある 「観音うら」 と
呼ばれるエリアで開催され、「浅草観音うら三大祭り」 の一つに数え
られています。一番の見どころは 「江戸吉原おいらん道中」 です。
かつて “吉原” において一番格が高い遊女である花魁は芸事を究
め、高い教養を持っていました。江戸時代、吉原は遊郭であると同
時に文化の発信地でもありました。花魁には簡単に会えず、会うた
めには引手茶屋を通して呼び出しをしなければなりませんでした。
その際、花魁は見習いの禿 (かむろ) や振袖新造など大勢の供
を連れて歩いたのが 「おいらん道中」 です。江戸吉原ならではの
「花魁ショー」 には、当時の花街の様子が窺え、豪華絢爛な花魁
が練り歩くので、年々見物客が増えて人気があるようです。

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毎年4月第2土曜日に繰り広げられる、江戸情緒を今に伝える無形
文化財 「江戸吉原おいらん道中」 。吉原の土地で代々受け継がれ
てきた華やかな花魁道中を、華やかな歴史絵巻を演出しています。
平成15年に始まり今年で15回目のようです。地元の人による児童
・園児によるパレードで始まり、花やしき少女歌劇団によるパフォー
マンス、「江戸吉原粋花街乃賑」 ステージショーや和太鼓演奏など
が浅草 ・ 小松橋通りの特設ステージで行われます。また柳通りには、
模擬店やフリーマーケットも出店。

名称 : 第15回 「浅草観音うら一葉桜まつり 」
       「~江戸吉原おいらん道中~」
日程 : 2017年4月8日 (土)
時間 : 10時~16時 (花魁道中は13時と14時45分の往復路)
場所 : 台東区浅草 ・ 一葉桜小松橋通り
      (千束3丁目交差点から浅草7丁目交差点まで)

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吉原といえば何か物悲しいイメージがある柳の木を連想しますが、
それまで不評だった柳の木に代り、八重咲きのサクラである一葉
桜が通りに植樹された記念して毎年開催されているイベントです。
威勢のいい 「木遣り」 が響く中、纏 (まとい) が舞っています。
行列は木遣りから先導の金棒引きに続き、手古舞、提灯持ち、
禿 (かむろ)、花魁 (太夫)、振袖新造と続きます。

「木遣り (きやり)」 (上)
「木遣り」 本来は、読んで字のごとく木を遣り渡す(運ぶ)という意味
ですが、威勢のいい町火消のお兄さん達に唄われる唄のことです。
もともとは大木など運び出す時、その力を一つにまとめるための掛
け声、合図として唄われたものでした。このように作業唄であったも
のが、寺社や家などを建築すること自体が慶事であったことから、
おめでたい唄として唄われるようになりました。江戸の中期ごろには、
鳶職人の人達の間で盛んに唄われていたそうで、そのうち町火消が
鳶職人を中心に誕生したため、木遣り唄も自然と町火消の中に溶け
込み、受け継がれていったといわれています
「金棒引きの男衆」 (下)
花魁道中の先導役で、露払いの役目をします。金棒引きの音だけ
が響き渡ります。静かな行進です。 左手の提灯に注目。提灯を後ろ
へ回して腰の当たりで逆手に持っています。(下右) 提灯の文字が
後ろの方に向いています。 これは後に続く人の足元を照らすため
に、後ろ向きに持っているようです。当時は暗かったわけですから、
後ろに細かい気配りをしたんですね。

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「手古舞」 (上)
江戸時代の祭礼で、男装の女性が山車 (だし) や神輿の先駆を
して舞ったのが始まりと言われています。持ち物は右手に "金棒"
(上に鉄製の輪が4~6個付く鉄製の棒)、左手に自分の名前が
書かれた 「提灯」 を持ち、本来は木遣りを歌いながら行進するん
だそうです。現在一般には、この 「てこまえ」 の姿を真似た衣装
を着て祭礼、その他の催し物で練り歩く女性たちのことをいうよう
です。山王祭や神田祭を中心とした江戸の祭礼でよく見かけます。
「雅屋」 (下左)
歌舞伎には幼少の頃から芸を磨き、代々受け継ぐ世襲制のシステ
ムがあります。日本の最高峰芸術として後世へ芸を受け継ぐ方々を
尊敬、尊重しながら、一方で江戸に栄えた楽しい 「歌舞伎」 を創り、
難解と思われがちな歌舞伎をもっと身近に感じて貰えるものを創り
国内外へ伝える組織のようです。
「助六」 (下右)
江戸の伊達男の助六は、花の吉原で大いにもてるがあちこちで喧嘩
を売る暴れん坊。その恋人の花魁 (おいらん) 「揚巻」 も、豪華な衣
裳に身を飾り、強い相手に臆することなく言いたいことを言いまくる。
華やかな吉原を舞台に登場する人物。油揚げの 「揚げ」 とのり巻き
の 「巻き」 から 「揚巻」 と呼ばれるようになりました。そして 「助六所
縁江戸桜」 の主人公・助六の愛人である吉原の花魁の名前も同じく
「揚巻」 という名前でした。このつながりから、寿司の揚巻も歌舞伎の
助六の人気にあやかるようにと、いなり寿司とのり巻きの詰め合わせ
のことを、いつしか 「助六」 と呼ぶようになったのです。

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「提灯持ち」
大きな箱提灯に太夫の名前が入った箱提灯を持つ男衆のことで、
「象潟 (きさかた)」 太夫 (上右) と 「藤浪」 太夫 (下左) の名が
見えます。提灯持ちの着物には、入り角文様がちりばめられて
おります。片手で提灯を持っていますが、かなり重そうです。

箱提灯とは、火袋 (紙を貼った覆いの部分) を縮めると上下の箱
の中に畳む構造になっています。上下に丸い蓋のある提灯です。
これは畳むと中に納まる事から箱提灯というらしいです。 16世紀
後半安土桃山時代の頃から作られていた箱提灯は、江戸時代に、
主として武家、貴族や吉原のおいらん等が外出の時これを使った
他、富裕な町家では婚礼等の儀式などにこれを用いたと言われて
いました。

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「禿 (かむろ)」
さて次は、赤い着物を着た禿 (かむろ) です。沿道からは、わあ、
可愛いとの声が・・・・。禿 (かむろ) とは、将来の 「花魁 (太夫)」
の候補生として、花魁の身の周りの雑用や行儀作法の見習いを
する10歳前後の少女のことで、たばこ盆とキセル入れを抱えて
登場します。(下左) 復路はたばこ道具を持っていません。(下右)

「禿坂 (かむろ坂)」
西五反田四丁目と小山台一丁目の境を下る坂で、一年に一度一
週間ほど、桜のトンネルに覆われる美しい坂道を 「かむろ坂」 と
いいます。江戸時代の少し悲しい言い伝えが残されていました。

江戸時代の延宝七年(1679)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩
士平井 (白井) 権八が鈴ケ森刑場で処刑され東晶寺に葬られた。
権八と恋仲の遊女 ・ 小紫は権八の処刑の報を聞いて店を抜け出
し、東晶寺に向かい墓前で悲しみのあまり自ら命を絶った。 この時、
帰りの遅い小紫を探しにきたお付の禿が帰り道でならず者に襲わ
れ、逃げ場を失い桐ケ谷の二ツ池に身を投げたという。 これを哀
れんだ近くの人が、亡骸を池の傍らの丘に葬り、その後、この一帯
の丘陵をかむろ山、これに通じるこの坂を 「禿坂」 と呼ぶようになっ
たと伝えられています。時代の発展とともにかむろ山は削られ池も
なくなり、現在その面影は坂道の名にしか残されていません。平井
権八は歌舞伎や浄瑠璃の主人公 「白井権八」 としても登場し、相
思相愛の小紫の話は、歌舞伎 「浮世柄比翼稲妻」 にもなっています。

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江戸の風情が今も残る浅草寺の北側 「観音裏」 にある一葉桜 ・
小松橋通りでは、「花魁道中」 の花形で豪華絢爛な 「花魁」 の登
場です。「象潟太夫」 と 「藤波太夫」 の2人の花魁が妍を競います。
かつらや衣装等合わせると30 ㎏にも及ぶ重量のものを身につけ
るため、美貌だけでなく、精神力や忍耐強さ、足腰の強さ等体力面
も要求されるそうです。

花魁の履き物は3 枚歯の高下駄で、大きく外側に八の字を描くよう
な歩き方から 「外八文字」 と呼ばれています。この優雅な歩み方は、
踏み出した足を地につけ、外方向に開くもので2 町を歩 くのに2 時
間を要したといいます。対して、京都島原では内側に 八の字を描く
歩き方で 「内八文字」 というそうです。稽古しても、一人前になるに
は三年はかかったという。石の上にも三年。何事も修行が第一
なんですね。

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沿道を優雅に練り歩くのは 「象潟太夫 (きさかただゆう)」。「江戸
吉原おいらん道中」 は、その華やかさから、まるで歴史絵巻を見
ているようです。「おいらん道中」 そのものも珍しいもので、東京
では滅多に見ることができません。華やかで美しい 「象潟太夫」
を演じるのは元宝塚の方らしいですよ。

「花魁道中」 は、多数の応募者から選ばれた一般女性が1年間
の練習を積み、このおいらん道中に臨むそうです。行列を構成
する男衆や新造などは、すべて地元の人たち。八重桜がはらは
らと舞い散る中、一歩一歩ゆっくりと外八文字を描きながら進む
花魁。匂い立つような色気に、我を忘れて見入ってしまいました。
その間、数分だったのか十数分だったのか・・・・・。ゆっくりゆっく
りと進む美しい行列には、その場を異世界に変えてしまう作用が
あったように思えました。

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花魁道中の華、こちらは 「藤浪太夫」 です。重そうな三枚歯の高下
駄を履き、男衆の肩を借りてシャナリ、 シャナリと独特な歩き方です。
衣装の豪華なこと。「色」 と 「粋」、「教養」 に 「芸」 までも兼ね備えた
花魁は、いわば女性の最高峰といった感じでしょうか。

花魁 は吉原遊廓の遊女で位の高い者のことをいいます。見習い
の少女が太夫のことを 「おいらの所の姉さん」 と言ったのが起源と
言われています。江戸時代、京や大坂では最高位の遊女のことを
「太夫 (たゆう)」 とも呼んでいました。花魁には教養も必要とされ、
花魁候補の女性は幼少の頃から禿(かむろ) として徹底的に古典
や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などの教養、芸事を仕込ま
れていたようです。大名の相手も勤めるので、話術などのほか礼儀
作法も修得する必要があったので しょうね。 現代風でいえばスー
パーモデルと文化人をミックス したような存在といえるでしょうか。

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花魁のそばで支えるのが 「傘持の男衆」 (上) と 「肩貸しの男衆」
(下) です。「傘持の男衆」 は、大きな傘を太夫の後ろから差し掛
けています。江戸初期まで傘は貴人が使う物という感覚が強くて、
武士を含め日常の雨よけ日よけは 「笠」 が一般的でした。ある意
味、長柄傘は貴人の象徴なのですが、実は平安期から長柄傘は、
遊女さんの目印でもあったようです。左手は後ろ向きで大変そう。
「肩貸しの男衆」 は、花魁 (太夫) が外八文字で歩く際に、無くて
はならない存在の男衆です。 花魁は、三枚歯の高い黒塗りの下
駄を履いています。外八文字と言われる、外側に大きく踏み出す
独特の歩き方をするので、肩貸しの肩に手をそえてバランスを
とらなければ歩くのは困難と言われています。一人では歩けな
いようです。側に付いて警護の役割もします。それにしても肩に
手を当てる場所にハンカチを添える心配りに感服です。

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「振袖新造」
振袖新造は、禿 (かむろ) から成長し、独り立ちする前の花魁付の
見習のことです。格の高い 「太夫」 になる将来が約束された役とい
われ、おもに 「花魁 (太夫)」 の身の回り全般をお世話します。禿の
中でも将来太夫になれることを約束された女の子で言わばエリート。
容姿が美しく、芸事などを楼主からみっちり仕込まれるようです。こ
のほかに 「番頭新造 (全てを取り仕切り、マネージャー的な役割を
担う 禿 (かむろ) ・ 振袖新造のお姉さん的な役割です。) 等もある
ようです。「新造」 とは武家や町人の妻を指す言葉であったが、後
に未婚の女性も指すようになったという。

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「吉原の狐舞ひ」
近くの吉原神社を中心に活動する江戸吉原の 「吉原の狐舞ひ」
が、おいらん道中に華を添えます。江戸の昔、吉原は廓の四隅と
大門の外には計5つの稲荷神社があり、遊女たちの信仰を受け
ており、遊女たち自身も 「狐」 と呼ばれていたりと、なにかと狐に
所縁のある街であったようです。そんな遊郭のある吉原では、大
晦日の夜に獅子舞の代わりに狐の面をかぶり、御幣と鈴を持ち、
錦の衣で美しく着飾った 「狐舞ひ」 が現れ、笛や太鼓の囃子を
引き連れて練り歩き、新年を寿いだと伝われております。当時は
吉原の中でしか見ることのできなかった特別で、粋な芸だったこ
とがうかがえます。こうした粋な芸であり、苦界に生きる遊女たち
の貴重な娯楽でもあった 「狐舞ひ」 も、遊郭の解体とともに姿を
消したようです。

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小松橋通りの往路の花魁道中が終わると、メインステージでは、
まずは望月太左衛社中と元吉原二三松姐さんによる 「江戸夢模
様」 2調鼓を披露。吉原の狐舞、江戸吉原粋花街之賑のおいらん
ショーが繰り広げられ、威勢のいい小太鼓の音が鳴り響き、一葉
まつりに花を添えていました。ステージ前は凄い人で、小雨も降る
中、何とかテントの中に潜り込んでの鑑賞でした。(笑) 本来はス
テージに屏風を飾るのですが、小雨模様で飾れなかったようです。

幕府が江戸に移った慶長年間(徳川二代秀忠)に、庄司甚左衛門
が幕府に願い出て現在のよしまちべに芸者さんの集まる所を作り
ました。よしが茂った原だった事から “よし原” と呼びましたが、明
暦の大火で焼失した以降、浅草田浦に移し、これを “新よし原” と
改称し、当時の粋な人が集まる江戸文化のもうひとつの発祥の地
となりました。芸を売るというプライドと格式を持ち、芸事をみっちり
仕込まれた芸者と太鼓持ちによる独特のお座敷芸も生まれ、粋な
お客様たちに珍重されました。

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「花魁ショー ・ 座敷の場」
吉原では様々な作法や独特のルールがありました。客が花魁とは、
最初の顔合わせである 「初会」 から始め、2回 (裏を返す)、3 回
目 (馴染み) と少なくとも3 回登楼しなければ、親しく接することが
出来ませんでした。ステージでは 「座敷の場」 で、掛け見世、盃毎、
煙管毎など、その様子が再現されました。

花魁ショー 「江戸吉原粋花街乃賑」 三浦屋店先の場の一幕。
舞台は、遊郭として栄えた吉原。主人公の助六は男だてに身をや
つして吉原に通い、往来を行き交う男たちにけんかをふっかけ、刀
を抜かせようとします。助六を間夫に持ち、相思相愛なのが三浦屋
のおいらん 「揚巻」 です。彼女に言い寄る男衆。現れた助六は、江
戸紫の鉢巻き、背中に尺八を差し、黄色の足袋にげたを履き、蛇の
目傘持った右腕を高く上げて見得を切ります。江戸っ子が最も粋を
感じる男だてのいでたちです。振袖新造に囲まれる助六。(下中)
「象潟太夫」 は、「揚巻」 として舞踊ります。(上) 大勢の若い衆や
禿を伴って登場する 「揚巻」 が纏うのは金をあしらった打掛の 「掛
け見世」。(下右) 花魁一の揚巻が、この打掛を脱ぐと鮮やかな紅
色の色っぽさにウットリ。(下左)

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花魁ショー ・ 座敷の場 「盃毎」
妖艶で華やかな花魁文化は 「遊女評判記」 等の文学作品や浮世
絵に描かれるなど、古き良き江戸の文化として語り告がれています。
そんな 「座敷の場」 の 「盃毎」 で、花魁の心を映し出す一場面です。

お大尽を迎え、花魁と契りを交わす 「固めの杯」 を実演します。
まずは振袖新造からお大尽へ盃が渡され、これを飲み干します。
手が震えています。客席からは笑いがこぼれます。続いて花魁に
も盃が渡され・・・受け入れて飲み干すか? 固めの杯です。神道
の結婚式で、夫婦となる男女が神前で3種の盃を用いて酒を飲む
三々九度と、共に盃で酒を飲む固めの杯の儀式ということです。
今年のお大尽は、浅草三丁目東の町会長さんだったようです。
花魁もこの杯を飲み干し、めでたくお大尽さん大願成就です。

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花魁ショー座敷の場 「煙管毎」
花魁は、煙管 (きせる) に、刻みたばこを詰めて火をつけます。
シーンと静まり返った会場に緊張が走ります。というのも、この煙草
を客に渡すも渡さぬも、花魁の胸三寸にあるからです。花魁と客が
契りを交わす 「煙管渡し」 の実演です。いわゆる 「お気に入り」 か
どうかの瀬戸際なわけです。緊張します。

煙管 (きせる) は、喫煙道具の1つで、雁首と吸い口の部分の両端
だけ真鍮が使われ、途中は竹が使われ素通しになっています。位
が上ると帯の幅が広くなり、それに合せてその帯にさす煙管も長く
するしきたりがあり、煙管の長さで格が分かったようです。また、刻
みたばこは良質な日本古来の銘葉 (在来種) を主原料とし、熟成
した芳醇な香りとうま味を味わう事が出来るようです。

【豆知識】
乗車駅と下車駅近くの切符 (または定期券) を使い、間を無賃で
乗車する不正乗車の一種をキセル乗車といいますよね。これは煙
管 (きせる) の作りが、吸い口と刻み煙草を入れる火皿の両端だ
け金属で出来ていることから、入口 (乗車駅) と出口 (下車駅) の
分だけお金を払う乗車方法をキセルに例えた言葉のようです。
元は学生の隠語でしたが、 明治以降に一般でも広く使われる
ようになったそうです。

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小松橋通りに到着したとき沿道はアマチュアカメラマンが場所取り
に争奪戦中でした。年に1度の機会を逃すまいと、みなさん鼻息が
荒い、荒い。土地柄なのか、来ている人の年齢層は高めで、疲れ
ないようにとの配慮からか椅子持参の方もいました。そして、やた
らと知らない人に話しかけられます。それにしても外国の方の多い
こと凄かったです。この場所だけでも外国人が7人くらいいました。
(上) 昔は富士山と芸者が日本のイメージでしたからかも知れま
せんが、どこでこんなイベントを調べるんでしょうかね。

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歩く美術って言っていいほど、その豪華な着物を着て堂々と歩い
てお披露目する絢爛豪華な打掛は見事な出来栄えです。、

「衣装」
花魁の着物は 「見せること」 が一番重要でした。そのため実用性は
ほとんどありません。 現代でいうなら、ステージ衣装のようなもので
しょうか。 基本的な重ね方は、襦袢などの下着類を着て、その上に
小袖を2枚ほど重ねます。そこに帯を結び、さらに打掛を3枚ほど重
ねるのです。花魁の着こなしで特徴的なのは、帯を前で結ぶ 「前帯」
でしょう。前帯はもともと既婚者を表す結び方で、遊郭では一夜限り
の妻を意味しました。結び目が前にくるので大きな柄を見せやすく、
特に帯を前に垂らす 「まな板帯」 (下左) はお気に入りの絵柄を目
立たせられるので多くの花魁が好みました。浮世絵でもまな板帯姿
は定番です。裾を長いまま引きずって歩くと、裾がめくれてしまった
り足に纏わりつくことがあり、それを防止するために裾の部分に
「ふき」 といわれている綿を入れて、厚みを出していました。(下右)

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「下駄」
それぞれの履物に注目して見ました。足を撮ってごめんね。 「わっ
ちの下駄はえらい重いので、踏んでしまうとたいへんでありんすぇ」

花魁が履く黒塗りの三枚歯下駄 (上左) は、重量が片足で3 ㎏ も
あったといわれます。(上左) そのため、独特の歩き方 (外に大き
く脚を開き、八の字を描く歩き方) が考案されました。江戸でも昔は
京都をまねて内八文字だったといわれてます。 当時の有名太夫
「勝山」 が外八文字で歩いた事がキッカケ。そこで京は内八文字、
江戸は外八文字になったといわれます。30センチの高さが有る下
駄で練り歩くのですから大変だと思います。「禿 (かむろ)」 が履い
ているのは、舞妓さんなどが愛用する底の厚い 「ぽっくり 下駄」
(上右) でしょうか。因みに舞妓さんの新米が履く下駄を 「おこぼ
の下駄」 と言って、内側に鈴が付けられているようです。 歩くと
コボ、コボと音がなる事から、おこぼと言います。 「振袖新造」 の
は、やや高さのある2枚歯の下駄です。(下左) そして手古舞さん
は 「わらじ」 という事です。 (下右)

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花魁の髪型は、伊達兵庫 (だてひょうご) です。髷用に折り曲げた
髪の毛を脳天に突き立てて、その根本を残った毛でぐるぐる巻いた
形のことで、上下に広げるとちょうちょうの形になります。これが 「伊
達兵庫」 (上) のようです。遊女の代表的な髪型は、伊達兵庫、つ
ぶし島田、丸髷といったところで、歌麿の浮世絵のほとんどが灯籠
鬢の丸髷なそうです。「振袖新造」 (下右) の髪型は、日本髪の代
表的な髷を3つに折り畳んだ島田髷。「島田髷」 には様々な種類が
あり、「投げ島田」 や 「つぶし島田」、「くるわつぶし」 など根がずっ
と低い髷も平たいものを結うようです。修行中の 「禿 (かむろ)」 は、
おかっぱ頭だったが吉原等では、禿島田という髪飾りを沢山付け
た高島田になったようです。

高島田と言えば、上流武家の女性が結った高島田は正式な儀式の
場には必ずこれを結いました。最も根が高く上品な形が文金高島田
です。元々は武家の若い女性の髪形でしたが、次第に花嫁の髪型
として用いられるようになり、明治以降には花嫁の正装として白無垢
や打掛を着る際の定番の髪型として定着していきました。嫁ぐ娘の
ために母親が髪の中に小判を一枚忍ばせ、そのために高く結い上
げられたことが文金と呼ばれる髪型の由来とも言われています。

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特設ステージでの花魁ショーが終わると、再び復路の 「花魁道中」
の開始です。花魁の前を歩くかむろ役、後ろを歩く振り袖新造役も
一般区民が協力しているのです。満開の一葉さくら並木をしずしず
と歩く姿は、素人とは思え無い風格でしたよ。

「指切拳万、嘘ついたら針千本呑~ます♪」
子どもの頃、よく約束の厳守を誓うために行われる、おまじないの
合言葉ですよね。よく考えると、約束するのに“指を切る”とは、物
騒なことです。この 「指切り」 は遊郭の吉原が発祥という。男女が
愛情の不変を誓い合う証拠立てることを 「心中立」 と言いますが、
指切は、遊女が客に対する心中立てとして、小指の第一関節から
指を切って渡したことに由来しているようです。 これにはかなりの
激痛が伴うため、それほど愛してるということを意味し、貰う客も、
遊女の思いに応えるくらいの気構えが必要であったといいます。
しかし、実際に切る遊女は少なく、贋物(模造品)の指が出回った
らしいです。 そして、この 「指切」 が一般にも広まり、約束を必ず
守る意思を表す風習へと変化したようです。今では簡単に 「指切
りげーんまん♪」 と歌いながらしていますが、本当は切ない恋心を
抱いた遊女達が、惚れた男に 「あなただけを 愛している」 と
誓う為の真剣なものだったんですね。

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華やかな花魁の姿に、江戸時代の優雅な雰囲気を感じます。
花魁はどんな職業であったかなんてことは抜きにして、豪華絢爛
たる江戸吉原おいらん道中、これからも日本の文化遺産として、
未来に伝えていきたいですね。

教科書では教わらない歴史上の人物の奥深き心情をたどると、
華やかな表舞台の裏では、悲惨な人生を一生懸命生き抜いた
「遊女」 の姿があります。江戸の人々が一生に一度は行きたい
と願った吉原遊郭。そこは 「理想の恋愛」 を楽しむ場所だった
のでしょうか 。格の高い太夫や花魁は、理想の恋人たるべく、
美貌に加え、様々な芸事や教養を身に付けて自らを磨き上げた
江戸のスーパーウーマンにほかならなかったのでしょう。その華
やかな世界の裏側では、いろいろと厳しい波乱の生涯を終えた
わけです。吉原は裏文化の発信地だったのかもしれませんね。
報道関係の方も取材にたくさん見えていました。(下左)
本格的なテレビ用カメラで中継もしていました。(上)

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日が傾き、町が闇色に暮れるほんの少し前――。
仲の町の茶屋に吊るされた灯籠に、ぽつりぽつりと灯りが点りは
じめる。そこに陽が登ったかと見紛うほど眩しい光を纏った花魁が、
供を引き連れて現れた。「おい! 見ろよ!」 「あれは・・・藤浪太夫
・・・じゃねぇか」。 僅か数分の距離を、小一時間もかけて練り歩く
―― のちに 「花魁道中」 と呼ばれる儀式。遊女という波乱の生涯
を終えた、たくさんの美しき人達を思い浮かべながら、浅草は
オモテも裏も奥が深いと感じる思いで後にしました。

はらはら舞い散る 桜吹雪
艶の異世界 夜明けを知らず
桜大門 見返り柳
此処は郭 (くるわ) の龍宮城





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