一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





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紫陽花 「おたくさ」

...2017/06/25 08:15...

「合掌」

がんで闘病中だったフリーアナウンサーで
歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻 ・ 小林麻央さん
が22日に死去した。海老蔵さんが自身のブログで、
「人生で一番泣いた日です」 と心境を吐露。

麻央さんは闘病中に 「癌の陰に隠れないで」 と医師に
励まされたことから、ブログを開設し、闘病の様子、家族
との生活などを伝えていた。病と闘っている多くの人が
励まされ、勇気づけられたことだろう。訃報を受け、悲しみ
と追悼の声であふれ、数多くの人らも偲んだに違いない。

真っ赤に目を充血させた海老蔵さんは、会見で一言一言
を絞り出すように 「息を引き取る瞬間、愛してると、その一言
を言って・・・。そのまま旅立ちました」 と麻央さんとの最期の
別れを説明。「いい遺言だなあ~」。素直にそう思った。

昔、久しぶりに会った友人から 「おばあちゃんが
亡くなってね」 と知らされた。友人はおばあちゃん子だった。
「みんな仲ようしいや」 そう言い残して、安らかに息を引き
取ったという。 それを聞いて 「いい遺言だなあ」。そう私が
つぶやくと、知人は 「それが不思議なもので、人と口論に
なったりすると 『仲ようしいや』 が 思い出されてね。
大きいところから言ってくれてるような気がする」
と話していた。

病と闘いながら言葉も ないまま死んで行く人の姿を想像
すると、家族らに言葉を残せるというのは、望ましい別れ
のようにも思える。 親しい人の死に接する機会がふえると、
失ったという思いと ともに死の側から生を見つめている
自分に気付く。 とりわけ死別の時に交わした言葉は、
心の奥に入ってくるものです。

病状が急変して、死に目には会えなかった方もいよう。
「ありがとう」 その言葉が耳に残る最期の声を思い出す
方もいよう。そんな時、死が照らす生の意味を自覚して
受け止めたい気がするものだ。

5年前、会社の年配の方が癌で亡くなった。末期がんで
手の尽くしようがない。せめて最期を家で過ごしたいと
実家に帰られて過ごした。ある日、夫婦で風呂に入っていた
時、彼は自分の足を見て、「すっかりやせ細ってカエルみたい
になってしまったなぁ」。このまま 「土にカエル」 のかなぁ」 と
つぶやいたという。奥さんは 「違うよ、お父さん。お父さんは
同じカエルでも 「ヨミガエル」 んだよ」 と言って背中を洗うと、
「そうだなぁ」 と涙声になっていたそうです。こういうやり取りが
できる夫婦なら、死の間際まで言葉を交わし、心のつながりを
深めたことだろう。

人は亡き人をふと思い浮かべ、その人と出会った幸せを
思ったり するものだ。その思いは、その人の最期の言葉と
ともにさらに深まるのではないだろうか。
悲しいかな、幾度となく繰り返すいじめや虐待。
身勝手さゆえに。。。。人とのトラブルの絶えない世の中。
おばあちゃんの 『みんな仲ようしいや』 が聞こえてきそうだ。

小林麻央さんのブログの最後に綴られていたのは、
「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように」 でした。
心からご冥福をお祈りいたします。合掌


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紫陽花 「おたくさ」

HYDRANGEA OTAKSA 『ハイドランゲア ・ オタクサ』。
この耳慣れぬ名は、シーボルトが名付けた紫陽花の
オランダ学名です。長崎には花びらをかたどった
「おたくさ」 というお菓子もあるようです。本日は、
そのシーボルトの 「愛の物語」 を語っることにします。

長崎といえば、江戸時代の出島など、幕府管轄の元で
の貿易統制政策の表舞台。時を遡ること三百年あまり、
八代将軍吉宗は享保5年・・・ということは、つまり西暦
1720年でございます。和蘭 (オランダ) からの書物輸入
が解禁されます。いらい西欧世界の多種多様な学術が
和蘭を経由して、日本に流れ込んでまります。
この奔流は人も当然のごとくに運んでまいりました。

ドイツ出身の医師シーボルトは、文政6年 (1823)、
出島のオランダ商館医として長崎に赴任します。
彼は赴任してすぐに一人の日本女性に懸想したのです。
今様に云いますれば一目ぼれでござります。
余談ですが、私もかみさんに一目ぼれし、
心動かされてしまったのでございまする。うふ
シーボルトが一目ぼれしたのは、その名をお滝といいます。
17歳の当時としては適齢期の女性でございました。

28歳のシーボルトは17歳の楠本滝と結婚するのです。
当時、出島には女は遊女しか入ることが許されなかったため、
表向き遊女としてシーボルトと暮らしたわけでございます。
シーボルトは、お滝を心より愛し 「決して彼女以外の女性を
妻に迎えることはない」 とお滝に誓ったのでございます。
そして2人の間には娘 (稲) が生まれ、幸せな日々を過ごします。

ところが3年後。とんでもない事件が相成るわけでございます。
当時、地図の類は国防上ご禁制の品でございました。
民俗学に傾倒していたシーボルトは日本の風習、植物、伝統、
美術工芸などあらゆるものを収集し、ヨーロッパで紹介しようと
考えておりました。その中に日本の地図なぞも含まれていた
のでございますから、ただでは済まない。

取り調べの結果、間諜 (スパイ) の容疑で、国外追放を
言い渡されてしまったのでございます。
ああ、どうなるお滝さん・・・・・・・。
当然ながら妻であるお滝も、厳しい取調べを受けるのです。
しかし、そこは惚れた相手のために、身命を投げ打つ覚悟
くらいはできています。決して夫・シーボルトの不利になる
ことは話さなかったのでございます。死ぬる覚悟でひと
ことも喋らず、根負けした役人が彼女を解放したので
ございます。いつの時代も女は強いのでございます。

さて、国外追放となったシーボルト。
彼はヨーロッパで、日本の伝統 ・ 風習、植物 ・ 動物、
美術 ・ 工芸を集めた 「日本民族学の博物館」 を建立し、
日本の素晴らしさを世界中に伝えたのでございます。

そして ―――――――― 。
オランダに帰国後、シーボルトは遠く離れ離れになり、
もう二度と会うことのできないお滝への想いをひとつの
名称にこめたのでございます。

それが、紫陽花の学名である 『オタクサ』 でございます。
シーボルトはつたない日本語で滝のことを 「おたきさん、
おたきさん」 と呼んでいたのです。目に見えるようでは
ございませぬか。

おたきさん・・・ おたくさ、でございます。

日本からシーボルトが持ち帰った日本原産の花。
「紫陽花」 の学名には、国に割かれても、消えることの無い
シーボルトのお滝への深い愛がこめられているのでございます。
ヨーロッパの紫陽花は、世界初の 『日本民族学コレクション』
誕生の副産物とも申せましょうか。また別の云い方をすれば、
国に引き裂かれた男女の切ない情愛の産物とも・・・・・。

お滝とシーボルトの間に出来た子が 「イネ」 さん。
大変な苦労をして医学の道に進んで、日本初の女医で
産科医となった幕末の西洋女医 ・ 楠本イネでございます。
そしておイネさんは、「たか」 という女の子を産むのです。
お母さんに似ています。やはり色白の美人だったようです。
「たか」 は母のように女医をめざします・・・・・が、
その話には胸が痛みます。まるで梅雨の庭に咲くあじさいの
ように、美しくもせつない女三代の物語へと続くのでございます。

                                おしまい。

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「紫陽花まつり」  白山神社 2017

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花を鑑賞するには、晴れた日のほうがいいかもしれません。
しかし、アジサイに限っては曇天や雨の日がよかったりします。
梅雨の時期に咲くアジサイを鑑賞するため、白山神社へ行って
きました。この時期になると、紫陽花を無性に観賞したくなります。
水道橋へ行ったついでに、一駅先の白山駅近くの白山神社へ。
残念ながらこの日はカンカン照りの暑い日で、晴天の日の紫陽
花は似合わないな~と思いながら、まずは紫陽花を紹介します。

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6月中旬頃に、文京区の五大まつりの一つ 「文京あじさいまつり」
が、白山神社で開催されています。白山駅から白山神社へ向かう
参道は、緑色の提灯が飾られ人の列が続いていました。 (下右)
真っすぐ進むと社号碑と大鳥居が現れます。(下左) いかにも
紫陽花まつりという感じで出迎えてくれます。(上) 石段を上った
先が白山神社です。ちかごろ毎年 「あじさい祭り」 の様子が、ニュ
ース番組でも紹介されるようになり、訪れる方が多くなりました。

  「第33回 文京あじさいまつり」
期間    :  2017年6月10日(土)~6月18日(日)
開催場所 :  白山神社 ・ 白山公園
※ 紫陽花まつり期間中、富士塚の公開や、歯ブラシ供養のほか、
   土曜日 ・ 日曜日を中心に賑やかなイベントも開催されます。

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「白山神社 (はくさんじんじゃ)」 (東京都文京区)

白山神社の創開は古く、天暦年間 (947~957年) に加賀の国一之
宮 ・ 白山神社を本郷の地に勧請したのが始まりと伝えられる。その
後、元和年間に2代将軍徳川秀忠の命で、小石川植物園の地に移
されたが、徳川綱吉がそこに屋敷を造営するにあたり、明暦元年
(1655) に現在地へ再度移されました。この縁で綱吉と生母桂昌
院の厚い帰依を受け、以降、徳川将軍家から信仰されたようです。
立派な権現造の社殿 (上) で、社殿の前には一対の狛犬。(下右)
両目が黄金に塗られた珍しい狛犬です。拝殿前は行列ができて
いましたが、まずはお参りを・・・。 (下左) 差し迫った悩みもない
ので、家内安全をお願いしました。

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「手水舎」
狛犬や手水舎の周りには見事な紫陽花が咲き誇っています。
狛犬の周りにも特別に紫陽花が飾られています。(上) 眼が金色
の狛犬さんは愛嬌があって可愛かったです! 手水舎 (下) の中
に龍の彫刻が施されており、江戸文化的な派手な神社ではない
ものの、しっとりとした雰囲気のある神社です。白山神社は、縁結
びの神とされる 「菊理媛神 (ククリヒメのカミ)」 が祀られています。
菊理媛神は、黄泉の国で喧嘩したイザナギノミコトとイザナミノミコ
トを仲直りさせた神様なので、縁結びの中でも復縁のご利益を授
かりたい人は訪れるといいと思います。

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期間中は、たいへんな賑わいを見せるが、何といっても面白いのは
“歯ブラシ供養” という歯の神様ならではの行事。白山神社は江戸
時代に歯痛止めの神様として信仰を集めたことから、紫陽花まつり
の期間中は歯ブラシ供養が行われるようです。

白山神社の境内は決して広いわけではないのですが、情緒があり
紫陽花がよく似合います。境内には青色のヒメアジサイ、赤紫系の
西洋アジサイをはじめ、ガクアジサイ、 ウズアジサイ、花火アジサイ
など多彩な色を見せ合う紫陽花、約3000株が植えられています。

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あじさい一つ一つが色鮮やかで、いつまでも見ていたくなリます。
アジサイは非常に多くの形態があり、広く 「アジサイの仲間」 として、
いくつかの種類があります。
【アジサイ】
両性花がすべて装飾花に変化したガクアジサイの1タイプと言わ
れており、日本では古くから親しまれている。狭い意味でアジサイと
いうと本種を指し、あまり使いませんがホンアジサイの呼び名もある。
ユニークな品種に装飾花が丸みを帯びるウズアジサイがあります。
【西洋アジサイ】
日本に自生しているアジサイが中国経由でヨーロッパに渡り、
そこで品種改良され、日本に逆輸入されたものの総称です。
花色が豊富で主に鉢花で扱われているアジサイの主流です。
装飾花だけの品種もあれば、両方の花を咲かせる品種もある。
従来のアジサイと区別するために属名の 「ハイドランジア」 の
名前で呼ばれることも多いようです。

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アジサイは昆虫によって花粉が運ばれる虫媒花であり、野生には
ハナカミキリやマルハナバチがよく訪れる。ガクアジサイの中心に
ある両性花が小さいのは、花の密度を高くして1匹の1回の訪問
で、多くの花を受粉させようとしているそうです。

【がくあじさい】
ガクアジサイとは、アジサイの原種のひとつで、一般的知られてい
る 「ホンアジサイ」 とは違って、花の中心に蕾のような花が集合し、
その周りにガクと呼ばれる葉っぱが変化した部分がついているの
が特徴です。日本に分布、漢字で書くと 「額紫陽花」 で、両性花
の周りに咲く 装飾花を額縁に見立てたのものです。
【ヤマアジサイ】
「やまあじさい」 は一般的に、「がくあじさい」 より小ぶりで、凛とした
美しい花を咲かせる人気のあじさいです。装飾花が白から濃い赤に
染まる人気の 「紅」 や、白い小さな八重の花を咲かせる 「富士の滝」
など約80種種、1600株があるようです。

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あじさいは水気を好む植物で、雨が降っている時の方がいきいき
する植物です。そんなあじさいに梅雨のイメージがあるのは、ちょ
うど梅雨の時期に見頃を迎えるからでしょうか。梅雨の季節を彩る
紫陽花。 アジサイは、花だけではなくその葉も美しく、いっしょに
鑑賞したいものですね。とくに雨に濡るアジサイの花や葉は美し
いものです。この日は晴天でしたけどね。(笑)

「あじさい」 はもともと日本の固有種で、18世紀にヨーロッパに渡り、
品種改良され、「西洋あじさい」 がうまれました。その後、「西洋あじ
さい」 が日本に逆輸入され、日本の庭木として一般に広まりました。
その品種改良に使われたのが 「がくあじさい」 の種類といわれてい
ます。派手な印象の 「西洋あじさい」 と比べ、「日本原種のあじさい」
は花も小さく楚々として控えめな印象です。

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「ダンスパーティ」  (上)  
変わったネーメングですが華やかですね。観賞していた年配の方
が、「ダンスパーティ」 ――と聞いて思い浮かぶのは歌 「ダンスパ
ーティの夜」 と言って歌いだしました。 赤いドレスがよく似合う、
君と初めて会ったのは、ダンスパーティの夜だった、踊り疲れて二
人で、ビルのテラスに出てみたら星がきれいな夜だった。 皆さん
から拍手喝さいで、本人は上機嫌でした。こんな歌知らない。(笑)
「墨田の花火」   (下左)
名前がおもしろい。花火のように星型の花が飛び出すような形を
しています。これも紫陽花の一種。特徴的なすがたですね。
夜空に音もなくパッと広がる花火に見え、音が後れてやって来る、
その前の感じがします。隅田川の花火大会、チョウ込むんだよね。
「美山八重紫 (ミヤマヤエムラサキ)」  (下右)  
花の色、両性花と装飾花の割合は栽培条件により変化するという。
条件がよいと八重化した両性花も生長するためらしいでっす。京都
府美山町で発見されたそうです。 有名なかやぶきの里などがあり、
情緒のある所で、そこで生まれた紫陽花のようです。名前のとおり
落ち着いた、しっとりと雰囲気の紫陽花でしょか。

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「アナベル」  (上)
アナベルの特徴は、小花がたくさん集まってボール状に大きな塊
を作ることです。1つ1つの花は大きくありませんが、密集して大き
くなっているため、とても美しく見応えがあります。光と蔭の中で変
化する白さが、なんともやさしくてたまりませんね。咲き始めの淡い
黄緑色から、幼子が少女に成長するような、じゃじゃ馬娘が花嫁
になっていくのを見るような、清々しい純白に変わっていく紫陽花。
ウエディングドレスを着た花嫁という感じでしょうか。これ好きかも。
「渦紫陽花 (ウズアジサイ)」   (下)
丸みのある装飾花が、貝殻のように渦を巻くように咲き、萼片が
スプーンやお皿の縁のように巻き上がっているのが特徴です。
花びらがちょっと肉厚で、内に丸まっているのはウイルスにやら
れて変化したのが 後に園芸種として固定されたそうです。ウイ
ルスも時には美しいものを創りだす手助けをするんですね。近く
にいたお子様に声をかけられました。「これは何の花~」 って、
オタフクアジサイ (お多福紫陽花)」 ですよ。ご存知でしたか? 
江戸時代からある品種で、別名を 「オタフクアジサイ」 とも呼ば
れています。この紫陽花だけは、私も知っていました。 エッヘン

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「ピーチ姫」  (左)  
ピーチ姫、名前から連想される通り、明るいピンク色の花はとても
かわいらしく、装飾花の咲き始めは淡い黄緑色をしている花弁が、
徐々に透き通るようなピンク色に変化していく様は、毎日見ていて
も飽きないと言われます。優しいピンクの花色が、まさしく母の日
に贈りたい、そんな感じでしょうか。花形はテマリ咲きのようです。

「マース」  (右)
なんてモダンでおしゃれな花びらなんでしょう。
紫がかった青と白がとても綺麗で、随分とカラフルな花柄の品種
も多く出回るようになってきており、とにかく驚かされることが少な
くない、最近のアジサイですね。花嫁が持つブーケみたい。主と
聖母様の護りと祝福が、いつも二人に降り注いでおりますように
・・・・。花を贈る心を贈る、清楚な美しい、そんな紫陽花でした。

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「ラピスラズリ」   (左)  
ラピスラズリというのは、神秘的な青さが特徴の鉱石の名前です。
その名をつけられたアジサイは、花はテマリ咲きタイプで、装飾花
がたくさん集まって咲くようです。咲き進むにつれ、花弁の外側か
らだんだんと色づいて、 最終的には、装飾花全体が青色に染まり、
神秘的なラピスラズリ (青金石系) と同じような色合いになります。
豪華な宝石を散りばめたような姿に心動かされる素敵な紫陽花。
「ヒメアジサイ」  (右)
普通のアジサイに比較して花が女性的で、花が優美ということか
ら 「姫あじさい」 の名が付けられたそうで、可憐な紫陽花です。白
から水色そして淡青へと変化しますが、変化というよりも色が濃く
なるようです。紫陽花の七変化は、心が変わるのを嫌う武士には
好まれなかったそうです。独特の青色ですが、ヨーロッパでは酸
性土壌の地が多く、そのため赤色に開花するという。「ロゼリア」 
との名があるようです。鎌倉の明月院でよく見かけますね。

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白山神社の境内は狭いのですが、隣接している白山公園と合わ
せて3000株の紫陽花ですから、あっという間に観賞し終わります。
豊島園等の紫陽花と比べると物足りないかも知れません。

あじさいの語源は、「あづさい」 と言う言葉が変化して生まれたも
ので、「あづ」は「あつ」で集まるの意、「さい」 は 「さあい」 (真藍)
からきた言葉で、青い花が集まって咲くと言う意味の言葉です。
日本は酸性土壌がほとんどですので、自生種は、ほとんど青い
花だったはずです。 移り気、心変わりのイメージとは裏腹に、
アジサイの語源は、青い花と決めつけているのは、これまた
意外ですねえ。

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なんでも紫陽花は、土の性質によって色を変えるといいます。
あっちは紫、こっちは青で、あさって向けば赤紫色・・・なんてことも
あるわけです。で、色定まらぬ花ゆえに、「移り気」 なんて不名誉な
花言葉になったのでしょうか。実は、アジサイの多くは土壌の酸性
度によって花色が変化します。酸性が強ければ青色が強く、アル
カリ性が強ければ、赤色が強くなります。リトマス試験紙と反対で
すね。土に影響されず色が固定する品種もあるようです。そんな
色の移り変わりを楽しめるアジサイの原産国は日本なんですね。
知っていましたか?  季節が限られる花、今だけのお楽しみを
満喫したいものです。

   梅雨どきに 濡れるあじさい 艶やかな

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梅雨の庭にひときわ鮮やかな色を放つアジサイ。その風情ある姿
に心ひかれると同時に落ち着きも感じるのは、多くのアジサイが日
本原産で、親しみやすいからでしょうか。さらに魅力を増したアジサ
イの世界を堪能するのもこの時期の楽しみです。

このあじさい オランダでは学名が 「オタクサ」 といいます。江戸時
代に日本に滞在したシーボルトは医師としての立場が有名ですが、
動植物に関しても深い知識を持った科学者でもあったのです。日本
にいる間、たくさんの動植物を採取し、標本も作成して母国にも送っ
ており、ヨーロッパにおける日本の植物の研究の基礎になったとい
います。日本に居た期間、楠本滝 (通称お滝)」 という名前の女性
と結婚しました。愛する日本人妻、その名を取って、アジサイには
Otakusa (お滝さん) の名を付けたといいます。アジサイは、日本
女性 (大和撫子) のイメージなのでしょうか。

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色とりどりの紫陽花が調和されて素敵です。紫陽花って、こうやって
まとめて見ると本当に綺麗ですね。昔はあまり好きではなかったの
ですが、今頃になって何故かとても好きになってしまいました。知人
などはトイレの傍に植えられていたためトイレの花と言ったイメージ
が強く、あまり良い印象がないと笑ってました。本殿裏手の公園や
裏山にも咲いているので、見落とす人もいます。いずれにしろ落ち
着いたたたずまいの境内に咲き乱れる 「紫陽花」。これもまた風情
があっていいものです。

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「富士塚お山開き」
富士塚とは、江戸時代に盛んになった富士山信仰に基づく富士山
へ登り、お参りすることがブームとなります。しかし、誰もが富士山
まで行けるわけではありません。そこで、近所の神社などに小山を
つくり、そこを登ることで富士山へ登ったことと同じ御利益があると
いうわけです。ここ白山神社にも富士山信仰の浅間神社が祀られ
実際に富士山から持ってきた溶岩などもあります。 この山の斜面
にいろいろなアジサイが植えられています。普段は門が閉鎖され
ているのですが、紫陽花まつり期間中は一般公開されます。江戸
時代は、きっと見晴らしも良かったのでしょうが、周りをビルに囲
まれて何も見えませ~ん。小山よりビルの方が高い現代です。

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しとしと降る雨の中で、ホットな心を明るくさせてくれる素敵な花。
この 「紫陽花」 という漢字でどうして 「あじさい」 と読むのでしょうか?
どう考えてもこれは、完全に当て字としか考えられませんよね。物
の本によると平安時代に唐の白楽天の詩にあった 「紫陽花」 とい
う花名を、強引に日本のあじさいにあててしまったところから生ま
れたという。誰がそうしてしまったのかはわかりませんが、よっぽど
「紫陽花」 の字からくるイメージが気にいったのでしょうね。しかも、
もとの中国の 「紫陽花」 という花がどんな花かついては、未だによ
くわからないようです。しかし、中国でもあじさいは咲いています。

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「文京あじさいまつり」 が開催される敷地内では、境内や隣接する
白山公園には露店も出て、土 ・ 日になると催し物も開催されるため、
大いに賑わっていました。テント内から売り子の元気な呼び込み声
が響いていました。特に人が並んでいたのが、玉こんにゃくとお団
子だったが、ビールや焼き鳥、コロッケなどもあり、どれも値段も良
心的な価格で美味しそうでした。出来たてのコロッケを試食しました。
美味しかったです。この日は暑かったので、かき氷の売れること、
行列が出来ていました。私は焼き鳥とビールで喉を潤しました。

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紫陽花に蛇の目傘も似合いますが、もう少しどうにかならなかった
のでしょうかね。せっかくの蛇の目傘も年季が入り過ぎてボロボロ
でした。(上) 特設ステージでは、様々な催しが行われています。
ちょうど小学生の演奏が終わり、フラダンスが行われてました。(下)

梅雨時の季節を代表する花として、日本でも愛され続けている。
紫陽花って不思議な花だなあと思います。 ほんと色々な色が、涼し
げな感じなんですよ。 自然ってすごいですよね~。 きっとエアコン
や扇風機のなかった時代、 紫陽花とうちわと草履姿で涼をとったの
でしょうかね~。 もうその姿から涼しさを醸し出してくれています。

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時の移ろいを、こんなに魅惑的に色彩で表現する 「紫陽花」 は、
植物界の絵師。甘く柔らかな色の表情、紫陽花は色彩の魔術師。
色の移ろいが面白く、梅雨空にもっとも映える花の一つだと思い
ませんか。紫陽花一輪に見る 『季』 (とき) の移ろい、味わい。
そんな中で、ハート形の紫陽花を見つけました。(上左)
境内に中国の革命家 「孫文の座石の碑」 もありました。(下) 

【豆知識】
1910年6月のある夜、東京の宮崎滔天宅に寄寓していた孫文は、
宮崎滔天とともに文京区白山神社にやってきて、境内の石に座り、
中国の将来やその経綸について熱く語り合ったという。孫文の革命
への情熱に感銘した宮崎滔天は、生涯を通じ中国革命を支援し続
けます。その孫文は、中国における革命の先駆者となり、台湾では
孫文は「国父」 として崇められ、中国もまた孫文を高く評価されてい
ます。中国統一を目指すも道半ばで病没。孫文の長男の龍介さん
は、NHKの人気連続テレビ小説 「花子とアン」 で、主人公の花子
の友人、蓮子と駆け落ちする帝大生、龍一のモデルといわれます。
妻は蓮子のモデルとなった歌人、柳原白蓮 (本名 ・宮崎燁子) です。
歴史をたどっていくと、色々な人と繋がっていて面白いですね。

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裏庭でひっそりと咲いた花。強い太陽にまぶしそうだった花。
水切れで度々萎れていた花。一輪しか咲かないで疎まれた花。
アジサイとは思ってもらえずに 「これは何の花~~~」 って道行
く人が、小さなお子さんに尋ねられた花。そんな梅雨時の紫陽花。
日本は雨が多い国で、とくに梅雨の時期はシトシトと・・・。雨が長
くつづきます。この時期、アジサイはよく雨に濡れて色彩も鮮やか
になります。紫陽花は、万葉集にも歌われ、昔からわが国の雨の
季節に風情を与えてきました。しっとりと雨に濡れて、まわりから
の土や葉っぱの香りとともに。紫陽花は梅雨に似合う花でした。

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アジサイには青酸配糖体 (グリコシド) が含まれており、それが
中毒の原因であると考えられています。綺麗なものには、トゲや
毒が潜んでいる物なのですね。万葉集のなかでアジサイを歌っ
た歌があります。

あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを
   いませわが背子 みつつ偲はむ 

あじさいが幾重にも群がって咲くように変わりなく、いつまでも
お健やかでいてください。わたしはこの花を見るたびにああなた
を思い出しましょう。そんな感じでしょうか。「八重咲くごとく八つ
代にを」 と、永続性を強調していますね。梅雨のジメジメした時
期は気分も憂鬱になるけれど、紫陽花が梅雨に咲くのは、憂鬱
さを和らげてくれる花なのかもしれません。






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「笑顔が幸せそう」

...2017/06/18 10:48...

<生まれて、すみません>
太宰治の言葉で最も有名なひとつです。

先週はやけに忙しい週でした。
やっと同僚たちとと飲みに出かけた。
その席で、読書好きな同僚が 「19日は太宰治が入水して
6日後、遺体が見つかった日なんだよな」 と突然、話された。
昭和23年6月13日、太宰は愛人山崎富栄と玉川上水の急流
に入水自殺する。2人の遺体はひもで固く結ばれていたという。
遺体が発見された19日は、太宰治の誕生日でもあったのです。

太宰は恵まれた環境に生まれながら、自らに対する不信感、
劣等感が強い。その裏腹の自尊心も強く、前期、後期は
生活が荒れ、中期が最も安定した作品が多い気がする。
『走れメロス』 『お伽草紙』 など文章の魅力が光る作品だ。

その太宰治は美和子夫人への遺書に、「あなたをきらい
になったから死ぬのでは無いのです。小説を書くのが、
いやになったからです」 と書いて あったという。生誕百年
の年に生地青森県旧金木村に銅像が建てられたようだ。
「私はあの 『人間失格』 の作者だよ」 と言ったのだろうか。
明日19日は、いまも 「桜桃忌」 として忍ぶ人は多い。

さて、今日は6月の第3日曜日。
アメリカでは 「父の日」 として祝日になっています。
これにならって我が国でも 「父の日」 なんですね。

「父の日」 の始まりは1910年、妻を亡くし男手一つで
6人の兄弟を育ててくれた父に感謝したいと、兄弟の一人
が母の日にならって提唱したのが始まりと言われます。

ちなみに、母の日のカーネーションに対応する、
父の日のシンボルフラワーは薔薇です。
カーネーションが、イエスの死に涙した母マリアの
涙の跡に咲いた花として、「母の愛」 を象徴する花
だったのに対して、イエスの血の跡に咲いた薔薇は、
天上の父なる神の愛を象徴するものとして、父の日
の花となったという話が伝わっています。

「母の日、いいね。お母さんにちゃんと有り難うと
いうんだよ。え、父の日。そんなものも有るのか。
いいよ気にしなくたって」 と、心中は 「母の日祝って
もらって、お母さんが羨ましいな」 と思ったって、表立っ
てはこれくらいの余裕の発言をしておきたいものです。

薔薇の花もプレゼントも無くたって、全然気にしませんよ。
そうですよね。さあさあ、全国のお父さん、今日も何事も
なかったように、いつもと同じように日曜日を過ごそうじゃ
有りませんか。なんだかいじましいかな・・・。 (笑)


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「笑顔が幸せそう」

買い物に出かけたかみさんが、ニコニコしながら帰宅。
「何で、そんなに楽しいの?」 と問いかけた。
なじみの花屋さんで花を選んでいると、「いつもニコニコ
して楽しそうですね」 と言われ、そのあと立ち寄った酒屋の
奥さんにも 「笑顔が幸せそう」 と言われて嬉しかったという。

「笑顔が幸せそう」
高校時代、お父さんがよく駅まで車で送ってくれたらしい。
当時、部活で忙しかった彼女は、父との会話はもっぱら朝
の車の中だったようだ。かみさんが何かで愚痴をこぼした時、
「困難にぶつかったら、まず自分に笑いかけてみるといい。
笑顔は問題解決の最初の一歩だよ。

そして、人に会ったらまず笑顔。笑顔は平和的な武器と
いうところかな」 と言ったお父さんの言葉は、その後も
ずっと心の片隅にはまり込んでいる。だから人に会っても
笑顔でいられるのだという。そういえば、かみさんが落ち
込んでいる姿をあまり見かけない。結婚前も後も 「悩み
なんて無くって幸せな人だね」 と、よく言ったものだ。

先日、家族で食事に出掛けた時、「笑顔が幸せそう」 という話を
思い出して、「キミの笑顔は天下一品。僕の使命はキミの笑顔を
守ること。結婚してからずっとそう思っているんだよ」 とちょっと
照れくさかったけれど、そう言ったら、お父の言葉と私の言葉が
見えない糸でつながっていたのかなと不思議に思ったらしい。
が、娘には 「昼からなに惚気てるの?」 と言われるしまつ。

生きていたら悩みや心配事は日常茶番事です。
でも、そんな時はまず鏡の前に立ち自分に微笑みかけてみる。
「どうした、元気が無いね」、「君らしくないぞ」
そう言いながら、ニッコリと笑顔を見せる。
自分自身に笑顔を振り向けると、案外自信がつくものだ。
思ってるほど深刻ではないんじゃないの? と。

笑顔は、他人を楽しませたり和ませてもくれる。
でも、実は自分自身を勇気付けてるものだ。
鏡の自分に向って・・・・笑顔。
よ~し、その笑顔で今日も頑張ろう。

笑顔の似会う人って素敵ですよね。うふ


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 「五月祭」  ― 東京大学 2017 ―

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友人から東大 ・ 五月祭への誘いの電話。誘われると断れない
性格の私。(笑) 五月祭は久しぶりだ。学生気分を味わい、少し
英気を養ってこようと出かけ てきました。赤門を潜ると、なぜか東
大生になった気分。相変わらず大勢の来場者で賑わっていました。

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凄い人混みでしょう。安田講堂に通じる銀杏並木通りです。 (上) 
混雑することはわかっていたのですが、それでもすごい人に、思わ
ず 「わあ~」 と叫んでしまいました。何処へ行っても人、人、人です。

「五月祭」
毎年5月に東京大学の本郷地区キャンパスで開催される学園祭
です。今回で90回目を数える五月祭は、その起源を大正12年に
まで遡ります。戦争による中止も含めて90年に亘って、東大 生の
学術や研究発表の場として学生のみならず一般の方々にも 親し
まれてきました。秋の学園祭シーズンとは外れた時期に開催され
るため注目度も高く、約500の団体が参加し、来場者数は2日間
で15万人とその規模 において全国屈指の学園祭となっています。

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東京大学・本郷キャンパスの敷地の大半は元の加賀藩・前田家
の上屋敷の跡地でした。ここに東大の前身校のひとつである東
京医学校が移転してきたのは明治9年 (1876) の事になります。
この東京医学校と神田にあった東京開成学校という二つの官立
専門学校が合併して東京大学が誕生したのは明治10年の事で
した。江戸幕府の昌平坂学問所や天文方、及び種痘所の流れ
を汲みながらも、欧米諸国の諸制度に倣った、日本で初めての
近代的な大学として設立された日本の最高学府。 主に教養課
程を実施する駒場キャンパス、専門教育を行う本郷キャンパス、
大学院課程のみの教育を行う柏キャンパスに分けられています。 

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「赤門」 国の重要文化財指定  (上)
東大の代名詞ともなっている赤門は、加賀藩十三代前田斉泰が
文政10年 (1827) に十一代将軍家斉の娘 「溶姫」 を正室に迎える
ために建てられたものです。当時の慣わしとして、三位以上の大名
が将軍家から妻を迎える際には、朱塗りの門を建てたのです。彼女
を御守殿とよび、奥向きの門を朱で塗り黒の金具を使います。正式
には御守殿門と呼ばれる。 左右に両番所という唐破風造りの番所
を置いていたようで、加賀百万石にふさわしい豪華な門を誇ってい
たわけです。往時の原型を残す唯一の門です。知名度の点で赤門
が正門だと思われがちですが、こちらこそ東大 の 「正門」 です。
(下左) 正門の大扉を通して見る銀杏並木、そ の奥の安田講堂は、
これぞ東大と言うべき美しい風景です。秋の銀杏並木は最高です。

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「法文2号館 (法学部、文学部)」 (上左)  国の登録有形文化財
東大の正門から安田講堂に向かう銀杏並木沿いにあり、正門から
見て左側の建物が法文一号館、右側が法文二号館です。 二号館
が昭和13年 (1938) に竣工し、銀杏並木の道を挟んで左右対称
に設計されており、其々にアーケードがあり、列柱には古代ギリシ
ャ風の彫刻が刻まれた贅沢な造りです。 (上右) 
「教育学部棟」 (下左) 
赤門を入った通りの左側に見えるのが教育学部です。外から見ると、
北側にある総合図書館や史料編纂所などの施設と 繋がった1 つの
大きな建物のように見えますが、入り口は総合図書館などに比べて
質素な造りで、外壁は比較的綺麗に見えます。少人数制教育を旨と
する学部とあってか、地上4 階 ・ 地下1 階建ての決して広くはない
スペースに学部のほとんどの施設が集約されているようです。
「理学部1号館」  (下右)
西棟と中央棟からなる比較的新しい建物 です。安田講堂の真後ろに
ある高層建造物のため、景観を台無しにしていると言われているよう
です。中央棟2階には元理学部教授小柴昌俊のノーベル賞受賞を記
念して 「小柴ホール」 が設置されたようです。現在は物理学科、天文
学科、地球惑星物 理学科、地球惑星環境学科および素粒子物理国
際研究センター が利用しているそうです。

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「医学部2 号館本館」  (上) 
赤門をくぐり直進すると、広々とした前庭とその奥に佇む医学部本
館に行き当たります。 この建物は法文1 ・ 2号館など、本郷キャン
パスにある多くの建物と同様、名高い建築家内田祥三氏の設計に
よって建てられました。南北に長いのが特徴で、中央の白いアーチ
がとてもきれいです。前庭のベンチに座って読書をする学生の姿を
よく見かけます。昭和11年 (1936) に完成。
「工学部1 号館」  (下左)  国の登録有形文化財
関東大震災で倒壊した工科大学本館の跡地に建設されました。
老朽化が目立ったため、昭和10年 (1998) に改修されました。
元々は 「日」 の字の形をした建物であっそうですが、中庭だった
部分はガラスの屋根がかけられ、建築学科の 製図室や図書室
などになっています。現在は主に社会基盤学 科、建築学科が利
用しているようです。 東大見学に来る人は何故か、この場所だけ
はほとんどいないようです。工学生だけが知る 「穴場」 とか。(笑)
「工学部6号館」 (下右) 
昭和15年(1940) に建てられ、4階建ての内部には研究室や実
験室が多く、一 般的な教室は各階に数える程しかないようです。
地下にも大掛かり な装置を持つ実験室があり、ゴシック式の外
見に似あわず科学の最先端の研究が行なわれているようです。
物理工学科、計 数工学科に所属している教授、准教授の半数
近くが、ここで研究を行なっているため、これらの学科の本拠地
と言える感じのようです。

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「安田講堂 (大講堂)」  国の登録有形文化財
安田講堂は赤門と並んで東大のシンボル的建物です。安田財閥
の創始者・安田善次郎の、匿名を条件での寄付により建設された
が、安田の死後に寄付を行ってたことが知られるようになったこと
で、安田を偲び安田講堂と呼ばれるようになりました。大正14年
(1925) 年に竣工され、正式には大講堂と言います。 昭和43年
(1968) の東大紛争では学生によって占拠されるなど、激しい攻
防戦の舞台にもなりました。その傷跡が今も残っています。(下左)
現在は学位記授与式や卒業式、講演などに使用されています。 

【メモ】 「安田善次郎」
安田財閥の祖。天保九年(1838)富山藩における下級武士 (足軽)
の子として生まれる。安政5年 (1858) 奉公人として江戸に出ます。
最初は玩具屋、ついで鰹節兼両替商に勤めた。やがて安田銀行
(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ) を設立、
損保会社 (現在の損害保険ジャパン)、生保会社 (現在の明治安
田生命保険) 等を次々と設立します。大正10年 (1921) 9月27日、
神奈川県大磯町にある別邸に弁護士を名乗る男が現れ面会。
自宅応接間で刺殺されます。日比谷公会堂も寄贈したものです。

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「ジョサイア ・ コンコルド像」 (上)  
本郷キャンパスの工学部1号館の前に広場があり、明治時代に来
日し、工科大学講師として、また多くの建築を手がけ活躍したジョ
サイア ・ コンドルの像が置かれています。優秀な弟子たちを次々
に世の中に送り出し、明治期の建築の多くをコンコルドによって作
られました。文明開化の象徴として有名な鹿鳴館や神田のニコラ
イ堂は代表作です。日本の女性と結婚し、1920年東京で没する。
工学部1号館前広場は、歴史を感じる校舎に緑も多く落ち着く場
所です。普段は人も少なく眺めもいいので、学外の人も来られる
ので、お昼時には犬の散歩をする人もいます。
「三四郎池」  (下)
東大本郷キャンパスのほぼ中央にあるこの池は、元和元年 (1615)
の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家が徳川将軍から現在の敷地を
賜り、その上屋敷の中に庭園を築造した際に作られたようです。池
の形が 「心」 という文字をかたどっており 「育徳園心字池」 と名付
けられたようです。夏目漱石の名作 『三四郎』 は、ここを舞台とした
ため 「三四郎池」 と呼ばれるようになったようです。樹木が鬱蒼と
生い茂り、建物がほとんど視界 に入らない、自然が豊かな癒し系
スポットなので、講義をさぼって散歩やデートするのにちょうどよい。 
東大生はサボらないか。(笑)  公式マスコット 「めいちゃん」 を
池に浮かせていました。(下右)

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「東大 ・ 五月祭」
大正2年5月5日に行われた第1回大園遊会が起源とされる歴史
ある学園祭で、5 月中~下旬の土 ・ 日曜日に、本郷地区キャン
パスで開催されます。学生の自主的な学術、文化活動の場として、
各学部等を代表する学生有志による五月祭常任委員会が、大学
側との協議に基づいて企画 ・ 運営を行っているようです。

第90回 ・ 五月祭テーマ 「つつむ、ひらく」。
つつむことは、想いを込めること。ひらくことは、期待を込めること。
五月祭には、丁寧に作り、育て、選んだ 「とっておき」 が詰まって
います。何が入っているかは、あけてみてのお楽しみ。 五月祭と
いう 「箱」 に面白さ、楽しさ、驚き、いろいろな想いを込めています。
届いた贈り物をひらくときに感じるようなわくわくを、五月祭でも感じ
ていただけたら、という思のようです。

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「折紙博物館」
赤門からキャンパス内に入ったので、最初に訪れたのが教育学部棟。
東京大学折紙サークル 「 Orist」 の展示場。現代折紙の普及や発展、
何より折紙を楽しむことを目的とした折紙サークルのようです。「写真
を撮っても良いですか?」 と聞くと、了解の上に説明までして下さった。
愛嬌のいい子でした。おぉ、映画 「ロード ・ オブ ・ ザ ・ リング」 に登
場する黒の乗手 「ナズグール」。(下左) 「バイオリン」 (下中) そして
バイオリン奏者。(下右) 紙を折ることで生まれる幾何学的な造形を
楽しむ分野の一つに、「平織り」 と呼ばれるものがあります。平織りは
全体の折り線が互いにリンクしていて、折るときには全体を一度に折
る必要があるんだそうです。「平織り」 という折り方。(上右)

誰もが小さい頃に慣れ親しんだ折紙ですが、説明によると現在では
折紙の研究も進み、その理論も確立してきています。今までのよう
な経験的な見地に加え、数学的な見地から折紙を創作し、次々と
新たな分野が開拓されているそうです。展開図から折っていくもの
や、理論を用いて精緻に折っていくものなど様々なようで、芸術と
称すのに十分な域に達しているという。また人工衛星の太陽電池
パネルの折り畳みや自動車のエアーバッグの折り畳みなど、工学
分野へ折り紙の技術が活用されていると話していました。 現代折
紙に触れ、忘れていた創造への好奇心を探してみてください。

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「日本列島立体地図」
法文1号館だったでしょうか、地文研究会地理部による 「日本列島
の立体地図」 が展示されていました。毎年、日本列島の立体地図
製作を受け継ぎ、8年もの歳月を経て一昨年完成したようです。大
きさの都合上、一部のみの展示でしが、部屋いっぱいに広がる日
本地図には圧倒されました。部員の解説もありました。

そもそも立体地図とは、国土地理院が発行している20万分の1の
地勢図を用いて作った日本列島の模型です。30年以上前から製
作されており、毎年、作っては捨てていたが、2008年からは完成
したものを保管しておいて、次の年度に作ったものと繋げて展示す
るようになったようです。 日本列島の形そのままに並べると択捉島
から与那国島まで17m近くにもなるようです。材料は1つの地域に
対し3枚の地勢図と3mm のスチレンボード。1枚の地図の等高線
をなぞるだけでも、5時間かかったりする大変な作業だったようです。
「関西地方」。(上右) 「岩手宮古市」 (下左) 「四国高知市」 (下右)

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工学部エリアでは、主に工学部の各学科が展示 ・ 発表を行って
いました。日本が誇る世界最先端の技術を見ることができるだけで
なく、実際に体験できる企画もあり、文理を問わず、子どもから大人
まで楽しむことができます。もし気になることがあれば、学生が分か
りやすく説明してくれていました。

「ロボット操縦体験」
入部したばかりの新1年生が1ヶ月という短い期間の中で、作り上げ
た手動ミニロボットを来場者の方々に操縦体験してもらう企画。また、
入部して1年間、学んできた技術の集大成として製作した自動ロボッ
トによるロボット競技実演も行なっていたようです。たくさんのロボット
が自動でフィールドを動き回るさまは圧巻でした。子どもたちが一番
喜ぶような企画だったのでしょう。 目の輝きが違っていました。 この
東京大学工学部丁友会 「RoboTech」 は、NHK大学ロボコン、その
世界大会であるABU大学ロボコンという、ロボットコンテストで優勝
するために活動している団体のようです。昨年、テレビで見ました
が、NHK大学ロボコン大会で、みごと優勝していました。

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学生の活気がもたらす賑わいの中に、本学の知的蓄積がつめ込
まれ、他にない個性を与えているのなど興味深いものばかりです。

「ライントレースカー」  (上)
白い紙の上に描いた黒い線の軌道に沿って前進するライントレー
スカーを、PID制御を用いての実験。センサーとして自ら光を発し、
そのはね返りの強さを検出するフォトリフレクタを取り付けたもので、
黒は光を吸収し白は反射させるため、これによりラインとフィールド
とを区別することが出来るようです。ここで読み取った信号を電圧
値の変化として計算機に送り、タイヤを駆動するモータに対する制
御入力へと変換しているので黒い線上を走り回る仕掛けのようです。
「Ball&Plateの実験」  (下)
計数工学科制御班では、板の上のボールを自在に操る実験を行な
っていました。カメラで (下左) 読み取ったボールの位置情報をもと
に、板の傾きを制御しています。ボールが中央で安定するように制
御しているところです。(下右) ボールの位置をカメラで認識し座標
を変換することでその時刻における状態を取得。 プレートの傾きと
連動するように取り付けたサーボモータについて予めモデリングを
行い、それを元にボールの位置情報を計算するこで、モータへ与え
るべき制御入力を求めてボールが常に平面に留まるという仕組み。

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長年にわたり学生の研究発表の場として位置づけられてきた五月
祭は、多くの学術的な催しを有して、驚くものばかりで楽しかった。

「イオンクラフト」  (上)
小惑星探査機 「はやぶさ」 などにも応用された、静電気による推進
力を用いた飛行物体、イオンクラフトが浮上、加速する様子の実験。
細い銅線とアルミホイル,バルサ材の3種類の部品からなるシンプ
ルな構造です。(上右) 銅線とアルミホイルの間には約30kVの高
電圧がかかています。イオンは強い電場によって加速され、電気的
に中性にされてから外部に放出され容器中で浮上されます。(上左)
「炎曲げ」  (下)
原子イオンと電子に分かれた状態 「プラズマ」。通常とは違う状態で
あるために、それは私達の普段暮らしている世界とはまた違う性質を
示します。不思議なプラズマの性質についての実験。プラズマ状態に
ある 「ろうそく」 に、電場をかけることで炎が曲がる様子を観察できます。

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皆さんは 「物理」 や 「数学」 と聞いてどんなイメージを持ちますか?
小学生や中高生ならば、何か難しそう、よく分からない、という感じ
でしょうか。大人の方ならアインシュタインみたいな天才だけが楽し
める世界。高校の時に微分積分で挫折した、などという声が聞え
てきそうです。(笑)

確かに物理と数学の世界は奥深く難しい部分もあり、実際まだわ
かっていないことも多くあります。今のところ 「水がなぜ凍るのか」
について人間は完全な答えを出せていない、と聞くと驚くかもしれ
ません。けれども、物理や数学は身近にたくさん潜んでいます。例
えば皆さんが普段何気なく使っているスマホでの地図の検索機能
や音声認識機能、3DメガネやLED電球。どれも物理と数学の知
識や技術が欠かせません。物理工学を背景とした 「体験しながら
物理を学べる」 実験、計数工学科からは、数理工学を背景とした
「見てふれてゲーム感覚で数学を楽しめる」 展示をたくさん用意し、
そんなに面白いことできるのか、といった疑問に答えるべく展示が
たくさん用意されていて、楽しい学術企画展示でした。さすが東大。

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「模擬裁判」
今年で69 回目を迎える、五月祭有数の歴史を誇る裁判劇です。
シナリオ ・ 判決文は現役裁判官の監修を受けた本格的なもので、
ドラマとしても、法律学習としても十分に楽しめる内容でした。五月
祭模擬裁判も、民事事件と刑事事件を隔年で題材とすることが常
となり、現在では毎年、安田講堂で1.000名を超えるお客様を集
めて行なっております。ミス東大の方が弁護士役で出演されること
もあり人気が更に高まったのか、長い入場待ちの列に並びました。
皆さん演技がたいへん上手で、労働法や雇用契約についての概
説があり勉強になりました。今回、この 「模擬裁判」 が目的のひと
つでした。最後の挨拶の人が、「カンペを見ます!」 との言葉は
潔くて、さすが東大生だと感心しました。

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『手折られた花』 と題した、「アイドルと恋愛禁止条項」 をテーマと
した民事事件裁判劇でした。人気を博していたアイドルグループ
の一人が、ファンである一般男性との交際を報じられ、事務所との
間で結んだ恋愛禁止条項に違反したとして、突如事務所を辞めさ
せられてしまう。交際という事実を理由に、事務所は契約を解除で
きるのか? そもそもアイドルであることを理由に、恋愛をする自由
を奪ってもよいのか? そんな内容でした。

「判決」
恋愛禁止条項は、違反した場合に契約を解除できる旨を定めており、
これを読み合わせて同意している。にもかかわらず、恋愛していたと
認めるような行動を取っており、条項違反といえること。恋愛禁止条
項は、アイドル業にとって一般的にみられ、かかる権利を放棄するこ
とで、著しい不利益が生じるとはいえない。本件契約は使用性と賃
金性が認められ雇用契約といえる。原告の恋愛禁止条項違反によ
り被告が被った損害は大きく、契約解除が不当であるとはいえない。
よって、契約解除の処分は妥当とし、原告の請求はこれを棄却する
こととし、主文の通り判決する。要約すると、こんな感じでした。長時
間を要したので頭がこんがらかり、私には法律は無理だなと実感。

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学園祭でオペラ!?
東京大学歌劇団では、本公演のほかに五月祭でも演奏会を開催
していますが、学園祭におけるオペラ公演は珍しく、五月祭に彩り
をそえていました。この公演も人気のひとつで、私たちもオペラ公
演を楽しみにしていました。やっと席を確保して観賞しました。

「東京大学歌劇団」 は、オペラを公演している、一般大学のサーク
ルとしては日本で唯一のサークルのようです。団内に合唱団、管弦
楽団、舞台スタッフを抱えており、オペラの舞台のすべてを自分たち
の力で作りあげる 「完全自主公演」 を実現しているのが最大の特徴
という。「カルメン」 のダイジェスト版を1 時間半程度の演奏会形式で
披露し、演目の魅力を短い時間に詰め込んだダイジェスト版は、見ど
ころにあふれた濃密な内容で、オペラの魅力をたっぷり味わいました。

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有名なオペラ 『カルメン』 より 「ハバネラ」 他、抜粋しての演奏でした。
どこか耳馴染みのある楽しい楽曲ばかりで、華やかなオーケストラと
歌声による演奏が、無料で鑑賞できるオペラ演奏会は最高でした。

「 オペラ   『カルメン』 」
舞台はスペイン、アンダルシア地方。タバコ工場で働くジプシー女
のカルメンは、情熱的な美女で男たちに大人気ですが、恋をしても
半年ともたないという奔放な性格。このカルメンに誘惑され一目惚
れしてしまったのが、純情な性格の伍長ドン ・ ホセで、彼女のため
に軍隊を抜け出して密輸団に加わったりもしたのに、結局カルメン
は二枚目の人気闘牛士エスカミーリョに心を移してしまいます。
カルメンのことが忘れられないホセは、彼女に復縁を求めますが、
カルメンは 「私は自由に生き、自由に死ぬのよ!」 と言い放ち、
きっぱりと拒絶します。逆上したホセは短刀でカルメンを殺して
しまう、というストーリーだったでしょうか。

心の赴くままに生きるカルメンに対して、人間の弱さを垣間見せる
ホセ。つまり、この二人の恋には、最後は 「死」 しか待っていなか
った、というのが悲しいかな必然な気もします。そう思うと、物語の
最後で泣きながら愛する人を殺すホセの姿の方に、カルメン側に
立ちつつも、ホセの気持ちもわからなくもない、という人も多いはず。
さて、あなたは最後にどちらの立場で涙を流すでしょうか。

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合唱とは異なり、オーケストラの演奏に合わせて歌うオペラは迫力
も満点です。誰もが聴いたことのある前奏曲や、カルメンの歌う 「ハ
バネラ」 など、有名な曲がズラリとならんでいるので、「オペラは長く
て・・・」 と思う人でも退屈しません。第2幕で歌う 「闘牛士の歌」 は、
文句なしにかっこいいですし、また、第3幕で可憐な娘の歌うアリア
「何が出ても恐くない」 は、叙情的で極めて美しい曲です。スペイン
を舞台にした異国情緒あふれる音楽が、オペラ入門者にも親しみ
やすさを提供してくれます。いや~、実に素晴らしかったですよ。

オペラについて、どんなイメージを持っていますか?
ただ大きなお腹をしたオペラ歌手が、これまた大きな声を張り上げる.
そんなイメージを持っている人がほとんどではないでしょうか。そうい
ったネガティヴな印象にもかかわらず、かなり高額のお金を払っても、
オペラを観たい! と思っている人が現在でもたくさんいます。オペラ
はこれまで400年もの間、世界中の人々を魅了し続けてきたすばら
しい芸術なのです。特にクラシック音楽をよく聴く人や、家でテレビを
見ているより生の舞台を観るのが好きという人が、一度でもオペラを
生で鑑賞したら、思いっきりハマってしまうのかもしれませんね。

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「ステージ」
キャンパス内で歩みを進めていくと、華やかな雰囲気の中にアカデ
ミックな一面を認めることができるのもまた、五月祭の魅力のひとつ
でしょうか。安田講堂前のメーンステージでは、音楽ライブ (下右)
が披露され凄い人出で盛り上がっていました。キャンパス各地で華
やかなパフォーマンスが催されるなど、(下左) 楽しいひとときを過
ごせます。工学部前広場では、さまざまなサークルが、数々の魅力
的な企画が用意されていて、来場者の方々を楽しませていました。

「東京大学フラメンコ舞踏団」 (上)
ほとんどの人が大学からフラメンコを始める人が多いようですが、
プロの先生を呼んで練習している、本格的なグループのようです。
カンテという歌の役割も必要で、歌 ・ ギター ・ 踊り ・ パルマが揃
ったひとつのパフォーマンスは、華やかな衣装にも注目でした。
単なる趣味で行っているグループと思いきや、どうしてどうして・・・
本格的なもので魅力たっぷり、つい見入ってしまいました。

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普段は落ち着いた雰囲気に包まれている本郷キャンパスですが、
五月祭当日にはところせましと模擬店が立ち並び、学園祭特有の
エネルギッシュな一面をのぞかせます。最近の五月祭はまさに 「な
んでもあり」 。それを反映して か、開催されるイベントも 「やわらか
い」 ものが目につくようです。でも、学園祭の華のひとつの模擬店
が注目度も高く、人気があります。場所によっては凄い人混みで、
通り抜けるのに一苦労しま す。酒類が許可制になっているのは
時の流れでしょうかね。 「みんな青春してるなぁ」 っと思いました。
めちゃ可愛い東大・女子学生がいたことも書き込んでおこう。(笑)

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キャンパスに入って、まず目につくのは模擬店。キャンパス内の通
りという通りにずらっと並び、五月祭に訪れた人々で賑わってます。
中でも牛串は東大名物。東大の牛串はおいしいと言われています。
確かに周りを見渡すと牛串の模擬店がたくさんありました。(上右)

一見、よくある大学の学園祭の風景に見えますが、実は東大の模
擬店には秘密があるようです。「東大の1~2年生にはクラスがあり、
模擬店を出店している多くは1年生のクラスのようです。「1年生が
毎年、これまでの模擬店のデータを調べ、どういう模擬店にすれば
どのくらい儲かるのか、本気で利益を上げるため分析しているんで
すよ。だから、人気のある牛串の模擬店が多いんです。」 と学生の
方が話してくれました。なんでも、値段設定にも戦略があるそうで、
在庫状況と値下げ幅の関係まで計算しているとか。さすが東大生!
おもしろい店名から、オリジナルのゆるキャラまで、模擬店には東大
生の工夫がいっぱい。東大生ならではのアイデアを見て歩くだけで
も楽しいかったです。ちなみに 「ゆっきーお姉さんのぎゅ~くし★」
という模擬店で牛串をいただきました。美味しかったです。

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アットホームな雰囲気を持ち味に、みんなが積極的に取り組む仲の
良いサークルという感じで盛り上げていました。地味目なテントが並
ぶ印象のある模擬店の中に、華やかでエキゾチッ クな雰囲気の店
舗が、ふっと出現していたりの雰囲気の中で面白い店を発見。

「東大アンキパン ・ 自動販売機」  (上) 
医学部の脇に自動販売機が設置されていました。この自販機の中
に人が入ってて、お金の受取り、商品出し、お釣り出し、すべて中
の人が素早くやってくれます。つり銭口からお釣りをもった手がニョ
ロと出てきて、かなり面白かったです。(上右) 東大の暗記パンを
食べて学力を上げようという感じで、暗記パンが200円、コーラー
は100円、ラムネが200円でした。漫画のドラえもんの 「暗記パン」
のように、一瞬で記憶できる方法さえあれば・・・。そう考える人は
たくさんいたことでしょうね。 「暗記パン」 かなり人気があるようです。
「蛇口からみかんジュース体験」   (下)
蛇口をひねるとみかんジュースが出る。以前、テレビで蛇口をひね
るとお茶がでて、生徒はうがいをするという放送を見ましたが、こち
らはみかんジュースですから、嬉しいじゃないですか。ならば・・・と
思ったのですが、残念ながらかなりの人気のようで整理券を持った
方のみのようでした。この企画の目玉は 「蛇口からみかんジュース
体験」 ですが、それだけではなく、珍しいみかんの販売も行ってい
るようです。東京では手に入らない 「春みかん」 も販売してたとか。

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ハチ公というと、誰しもが渋谷駅前の忠犬ハチ公像ですよね。実は
東京大学にもハチ公像があります。 農学部キャンバス内にハチ公
とその飼い主である上野英三郎博士の像です。(上) ハチ公没後
80年にあたる2015年3月8日に除幕式を行ない、90年ぶりに再
会したハチと上野博士の姿の像です。 「めいちゃん神社」 (下)
図書館の工事が始まる前までは、合格者の受験番号が掲示され
ていた合格通り。ここで合格の喜びに浸ったという思い出の場所
には、公式マスコットの 「めい」 ちゃんの神社が出来ていました。

東大生と接すると、好人物でしっかりした印象の人がほとんどです。
話からも知性が伝わってきました。話が上手って大事なことですね。
たしかに受験期って勉強だけに打ち込むイメージがあります。でも、
社会に出てから大事なのは、それだけではありません! 話をする
こと、自分の意見を言えること、周りと助け合うこと、など人は人と関
わらずには生きていけません。勉強に打ち込むのはほんとに大事
です。でも勉強してない間、友人、家族と一緒に過ごす時間を大
切にしてほしいなって思います。東大の女子学生は、頭が良すぎ
て敬遠されがちですが、それを除けば、純粋で思わず抱きしめ
たくなるほどでした。(笑)

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日本の最高学府である東大。その東大生が準備と努力を重ねて
きた五月祭。模擬店なども数多く出店され、研究展示も盛んで、
多彩な企画が全体を盛り上げていました。最先端の研究成果を
学んだり、「 なんだ、医学って意外と面白いじゃん。」 と思ったり、
子どもから大人まで、専門知識がない方も楽しめる学園祭でした。
過去に戻れたら、猛勉強してチャレンジ・・・、なんて夢を持って
しまいそうです。私の頭では絶対に無理ですけどね。赤門を出た
時は、ちょっと頭が重く感じました。少しだけ知識が増えたかな? 
忘れそうなので頭を動かさずに帰宅しました。(笑)
東大、五月祭! 久しぶりに充実した一日を過ごしました。





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締め言葉に 「感謝」 を

...2017/06/11 08:15...

突然ですが、
6月10日は何の日だったかわかりますか?
昨日の6月10日は 「時の記念日」 でした。
初めて知った! という方もいるでしょうか。
英語でも 「Time is money. (時は金なり)」 という
ことわざにもあるように、時間というのは誰にでも
平等に与えられた、二度と取り返すことのできない
大切なものです。

時ははるかにさかのぼり、天智天皇の時代。
天智天皇が日本で初めて設置した水時計、
「漏刻 (ろうこく)」 が時を刻み、 鐘を打ち鳴らしました。
日本初の時計が時を刻み鐘を打った日。
その日が6月10日だったのです。

楽しく過ごした思い出の時間と過ぎ去った時間の
尊さを考え、これから訪れるであろう未来の時間
を大切にしたいですね。

さて、うっとおしい梅雨の季節に、鮮やかな花を咲か
せて、気分を晴れやかにしてくれるのが紫陽花です。

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近所にも紫陽花が咲いていました。わあ~綺麗というほどでも
ないのですが、この時期に見かけると、そろそろ梅雨の時期か
なと感じさせる。小さい花がよりそって、一つの美を作り上げて
いるところに日本人らしい、相手を想い寄り添う気持ちという
のを連想させてくれます。

関東地方も梅雨入りしたようです。
この時期は雨や曇りの日など、すっきりとしない日は、
紫陽花の美しい姿に出会うと心もゆるみます。
紫陽花は、つぎつぎと色を変えてゆくので 『移り気』
という花言葉があるらしい。フランスでは 『元気な女性』
となるそうだ。アジサイのように色とりどりに未来の夢が
描けるような社会になってほしいですね。

華やかでありながら慎ましい” 紫陽花 ” を、
恋しい彼女の姿にたとえるなら・・・・
そう、あなたかも知れません。うふ
楽しい週末を・・・・・・。


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締めの言葉に 「感謝」 を。

職場で会議が終わり、休憩のひとときを仲間と
雑談していた時の事。同僚がちょとした残業を手伝って
もらうた後輩に 「突然悪かったね」 と、ねぎらうと 「いいえ、
とても勉強になり、ありがとうございました」 と思いがけなく
感謝され、改めて後輩を見直したと話していた。

一方、他に依頼した仕事が終わった時に 「忙しい中、
大変だったろう、お疲れ様」 と言うと 「はい、忙しくって
バタバタだったので本当に大変でした」 と返事した人も
いたという。人それぞれだけれど、珍しくぼやいていた。

「終わりよければすべてよし」 と言いますが、一つの物事
の締めの言葉が 「感謝」 で終われたらいいに違いない。
忙しくて大変だったかもしれないけれど、その中にも
「こんな発見がありました」 「すごくためになって、
ありがたかったです」 などと。

社内の旅行を企画した先輩が、いみくじも言って
たことがある。「終わった時に、いやぁ、疲れたけれど
楽しかったたよ!」 と言われると、やって良かったって
元気が出るけれど 「疲れた、天気も悪いし」 と文句
ばかりの人にはがっくりくるね」 と話した事がある。

言葉には、やはり思っている本心が声のトーンや表情に
なって、自然に相手に伝わるものです。お行儀よく相手に
愚痴を言うな、ということではないのです。それ以上に相手
に対する 「ありがとう」 の気持があるかないか、なのだと思う
のです。研修、勉強、進学、就職など世話になった人に、
どんな感謝の言葉を贈っていくかだと思います。

本当の気配りは人間性からにじみ出てくるものです。
仕事をするに当たって、まず心を磨くことも大事なん
ですね。「締めには感謝を」 は、人間関係を信頼に
導く土台なのかもしれない。

枕草子に 「よろずのことよりも、情けあるこそ、
男はさらに女もめでたくおぼゆれ」 というくだりが
あります。すべてのことに優先して、思いやりの心が
あることは男はもちろん、女にとっても素晴らしい・・・・。
そんな意味合いだろうか。

一日の仕事の終わりに 「お」 や 「さま」 まで付けて
「お疲れ様でした」 と言い交わすのが 「僕らの国」
ニッポンなはず。「お疲れ様」 に、たった 「一言」
の感謝の大切さを感じたしだいです。


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  「神田祭」  神輿 ・ 宮入 2017

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「天下祭」 として知られる神田祭に行ってきました。実は前日に行
なわれる神幸祭の方に行く予定でしたが、雨天のため諦めました。
実際には、雨天でも神幸祭は行なわれているのですが、ただ私が
行かなかっただけです。(笑) 神幸祭は、神田・日本橋エリアを巡
行し、大規模な行列の祭礼絵巻を繰り広げる神田祭のメイン神事。
翌日に行なわれた神輿宮入の方に行ってきました。圧倒されました。

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神田明神前の大鳥居がある場所に着いた時には、もう人と 宮入
する神輿でいっぱいでした。熱気と暑さでムンムン。混雑は予想
していましたが、神田明神付近で混雑するところは境内と参道と
鳥居の前付近だけです。これらだけが異様に混雑し、他は道路
も通行止めになっていて、特に混乱した感は有りませんでした。
祭囃子の音が心地よく聞こえ、神輿を担ぐ威勢のいい声が聞
こえてきました。やはりお祭りです。興奮してきました。

東京都心に初夏の訪れを告げる 「神田祭」。
神田明神への神輿・宮入ばかりでなく、神輿一行は、千代田区
神田・ 丸の内・日本橋・電気街秋葉原・神保町と都心のオフィス
街に繰り出し各地で賑わいます。特に秋葉原駅前の中央通りは
幾つもの神輿が担がれ、大変な賑わいだったようです。

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江戸時代より続く 「神田祭」 は、元和年中までは船渡御であった
と言われています。延宝年中までは毎年斎行されていたが、山王
祭 (千代田区 ・ 日枝神社) と隔年で斎行することになり、以後は、
今日までに2 年に一度、斎行されることが恒例となっています。
今年は本祭にあたり、神幸祭もあって華やかなお祭りになります。

江戸は東京になり、政権は薩長連合。「神田祭」は徳川将軍の祭り
ですから、こんな祭りは擁護するはずもなく、祭りそのものが低調に
なっていったようです。美しい文化財のような山車は、栃木や青梅
や鴨川などの関東各地の都市にどんどん売却されてしまいました。
そこで、小江戸と呼ばれる地方の祭礼文化が発展したようです。
江戸市民は、山車に変えて電線を潜れる神輿を神田祭に採用。
そして現代の 「神田祭」 は、神輿が中心となりました。このように
時代と共に変化してきたのが 「神田祭」 の文化です。

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「神田明神 (神田神社)」
平安時代の天平2 年 (730)、武蔵国豊島郡芝崎 (現在の千代田
区大手町将軍塚周辺) に創建された古社で、延慶2年(1309) に
平将門の霊を相殿に祀り、「神田神社」 と名付けられました。 時を
経、徳川家康が江江戸城改築に伴い神田台に、さらに江戸城 の
表鬼門に当たる現在地に移転しました。それ以降、歴代将軍の崇
敬も篤く、神田明神は江戸の総鎮守として庶民に至るまで人々の
崇敬を集めてきました。 神田明神の正式名称は 「神田神社」。
でも、江戸っ子は 「神田明神」 と呼ぶ。(笑) 「大己貴命 (だいこく
様)」 と 「少彦名命 (えびす様)」 に 「平将門命 (まさかど様)」 が、
祀られています。【縁結び】 【火伏せ】 【商売繁昌】 【勝運】 の御利
益があります。江戸に鎮座して1300年の歴史をもつ神田明神。

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「宮入儀式」
御社殿前に到着した氏子たちは、2 礼2 拍1礼の参拝をしたあと、
全員頭を垂れ、恵比寿様と大黒様から福鈴と打ち出の小槌での
お祓いを受けます。 その後、地区の総代より挨拶があり、一本締
で締めます。 「良い」 に通じる3 ・ 3 ・3 ・1 の手拍子が境内に響
きます。 皆様方、お手を拝借 「いよ~、シャンシャンシャン・・・・」。
無事に宮入を済ませ、担ぎ手の労をねぎらいます。興奮の宮入参
拝も無事に滞りなく・・・。さあ、地元へ戻るぞぉ! 手締のあと神輿
一行は随神門手前の脇道から町内に戻ります。参道は群衆で埋
まり、遅々として進みません。氏子町会の神輿宮入は、一日がか
りの難作業なのです。朝8時30分頃から始まり、最後の神輿宮
入りは夜の8時過ぎになってしまいます。正直、私などは、そこ
まで付き合えません。(笑)

「宮入り」
「神輿」 というのは、神様の乗り物です。お祭りの多くのパターンは、
神社で神様を神輿に乗せ、氏子地域を巡回し、神社に帰って神輿
から神様を降ろすという形をとります。その神社に帰ることを 「宮入
り」 と言うわけです。神社から出すときは、「宮出し」 といいます。

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「セイヤー」 の威勢のいい掛け声で気合の入った一団は、随神門
を潜って一気に境内へ入ります。その後も、色とりどりの半纏を身
にまとった氏子たちが神輿を担いで境内に入り、祭りは最高潮に
盛り上がっていきます。夏を思わせる強烈な陽射しが神輿に反射
する光景はまさに圧巻です。 一度に次から次へと神輿が宮入した
ら大混雑になりますので、各神輿の 「神輿渡御委員」 の方が本殿
と連絡を取りながら進行をさせます。神田明神近くの本郷通り湯島
聖堂前交差点から神田明神下交差点。巡回のゴール地点は神田
明神前ですので、多くの神輿がここで宮入の為に待機します。(下)
木々の生い茂っている所が、湯島聖堂になります。

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これぞ江戸の祭りという注目イベントが、この 「神輿 ・ 宮入」。
200基の氏子町会神輿が、おおよそ決められた時刻に神社へ練
り込み宮入参拝します。ふんどし姿の担ぎ手もいて、境内は 「神
田っ子」 の熱気と興奮でいっぱいになります。おみこしを担ぎ、上
下に揺すり、ワッショイ、ワッショイすることを 「もむ」 と言いますが、
「もむ」 という言葉には、いろいろな意味があります。ここでいちば
ん近い意味は、激しくゆすり動かす。大勢の人が入り乱れて押し
合う。 おもいきり元気よく、激しくゆすり動かす 「もむ」 ですね。

「江戸っ子だってねぇ」 「神田の生まれよ!」 「嬉しいね、寿司食い
ねぇ」 。神田を語らずして江戸は無し、というくらい切っても切れな
い縁。今回は、各町会の神輿を紹介しながら、昔の街の様子も紹
介してみます。江戸や明治時代に想いを馳せてみて下さい。

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「外神田一丁目 万世橋町会」  (上)  
万世橋の名前は、明治6年 (1873) 昌平橋よりもやや下流に架け
られた 「萬世橋 」 に由来し、日本初の石橋です。当時、武家地だ
った神田仲町と神田花房町は町屋となり、商人や職人が移り住む
ようになりました。神田花田町と合わせ外神田一丁目に変わり、現
在に至っています。電気街として有名な秋葉原も、この万世橋地
区内にあり、戦前からすでに電気部品やラジオなどを扱う問屋や
小売店があったようです。
「外神田四丁目 松富会」 (下左)  
江戸時代この地域は、武家屋敷以外に商人や職人の住居が立ち
並ぶ 「松下町」 「永富町」 と呼ばれる町屋があり、町名から一文字
ずつ取って新しい 「松富町」 が誕生しました。町の真ん中を走る
道は、江戸時代に将軍が上野の寛永寺へ参詣するときに必ず通
る道で、将軍御成の当日は沿道の家は火を使うことも許されない
ほど、厳重な警備体制が敷かれていたようです。
「神田中央連合 神田猿楽町町会」 (下右)
猿楽町は古来、芸術文化に関係の深い町です。「猿楽」 は今で
いう 「能楽」で、武士達に親しまれ江戸幕府の儀式の際に用いる
音楽、舞踊 に指定されました。 徳川家康と縁が深かった猿楽師
の人々の屋敷が、こ の一帯にあり 「猿楽町」 という町名が生まれ
たと言われています。文学では夏目漱石が青春時代に、この近く
に住み、町内の錦華小学校 (現お茶の水小学校) に在籍し、
秀才ぶりを発揮したといわれています。

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「外神田地区連合 神田五軒町々会」 (上)  
「五軒町」 の名前の由来は、江戸時代、この界隈に上総久留里藩
黒田家、下野黒羽藩大関家、安房勝山藩酒井家、播磨林田藩建
部家、信濃上田藩松平家と、5つの大名屋敷が並んでいたことか
ら名付けられました。明治維新の時に政府によって屋敷は召し上
げられ、この地は神田五軒町とかわります。 その後、人家が立ち
並ぶようになり、てんぷら屋や寄席などができ町は賑わいました。
「東神田地区連合 岩本町一丁目町会」 (下左) 
町の北側を通る 「金物通り」 の名前が示すように、かつては金物
問屋が軒を並べて、竜閑川を利用した木材の運搬とともに物流の
中核地でした。かつて町内を流れていた 「竜閑川」 は終戦後に埋
められ現在に至りますが、江戸の頃より変わらないのは、この川筋
を神田と日本橋の境界としていたことです。現在は千代田区と中央
区の区境となっています。
「東神田地区連合 神田東紺屋町会」  (下右)
江戸時代、この界隈は町人と武士の屋敷が混在している地域でした。
明治2年(1869)に、これらの町が合併して 「東紺屋町」 となりました。
「紺屋」 という町名は、江戸時代から明治時代にかけて、紺屋頭の拝
領地であり、藍染職人が住んでいて染物業が盛んであったことに由
来 します。非常に仲良くまとまった町会で、町会の仲の良さは神田一。

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「外神田地区連合 宮本町会」  (上)  
宮本町は、明治2年 (1869) に神田明神門前町となった後、明治
5年 (1872) には境内などの社地を編入して、神田宮本町となり
ました。江戸総鎮守のお膝元で生活することを、誇りとする住民の
心意気が形になった名前です。宮本町には、明治10年 (1877)
創業の 「開花楼」 があります。料理屋としての他に、当時として
は貴重な文化事業が再三開催されました。
「日本橋一部地区連合 室町一丁目会」  (下左)  
日本橋魚河岸、呉服屋、両替店が栄え、現在にまで至り、老舗と
なっている店も多く、商業・金融の中心地となっています。宝町一
丁目内にある 「三越」 は、延宝元年 (1673) に越後屋号で旧本
町一丁目に店を出し、「店前現銀無掛値 」 の看板を掲げ、現金に
よる正札販売商法と、切り売り商法の新商法によって成長しました。
明治37年 「三井の越後屋」 を二字につめて 「三越」 と改めたと
言われています。
「神田中央連合 小川町」  (下右)
古くは鷹狩に使う鷹の飼育を行う鷹匠が住んでいたことから、元鷹匠
町と呼ばれていたが、元禄六年 (1693) に小川町と改称されました。
五代将軍綱吉が 「生類憐みの令」 を施行、鷹狩を禁止したため改称
されたという話が伝わっています。 明治時代、小川町には西洋料理
店や ビリヤード場、小川町警察署があり、学生たちで賑わう街でした。

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神田明神で行われる 「神田祭り」 は、山王祭 (日枝神社)、深川
祭 (富岡八幡宮) と並ぶ江戸三大祭りの一つです。 江戸時代、
神輿をはじめ氏子町々より出された山車や附祭、幕府御用の御
雇祭りといった長蛇の祭礼行列が江戸城内、内郭内へ入り、徳
川将軍や御台所 (将軍夫人) が上覧し、大奥女中たちも見物し
たことから 「天下祭」 と称されていました。現在では2年に一度、
山王祭と交代で開催され、今年は本祭りというわけです。江戸
の天下泰平を祈願し、幕府公認の祭礼であったようです。

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「中神田十三ヶ町連合 神田須田町一丁目南部町会」  (上) 
江戸時代の町内には菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や
仏具を売る店など、さまざまな商品を扱う店があったと言う。現在
の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老
舗の商店が数多く営業しています。 かつて、須田町交差点の一
角で、銀座線の入口近くには 「立花亭」 という寄席がありました。
寄席は震災で焼けましたが、東京でも有数の寄席の一つでした。
「東神田地区連合 神田松枝町会」  (下左)  
江戸のころ 「お玉が池」 という広大な池があり、桜の名所で池畔の
茶屋の看板娘お玉は美人で、二人の男の間で悩み、池に身を投じ
てしまう。亡骸は池の畔に葬られ、そんな伝説から名が付きました。
そのゆかりの 「お玉稲荷」 もマンションの狭間にぽつんと現在も残
っています。周辺には江戸の文人や学者が多く暮らし、伊東玄朴ら
蘭方医達が、安政5年 (18581) 種痘館を設立します。お玉が池種
痘所が、いまの東大医学部の出発点と言われています。北辰一刀
流で知られる千葉周作が開いた江戸の三大道場 「玄武館」 も 「お
玉ヶ池」 そばにありました。坂本竜馬が通ったのは千葉周作の弟 ・
貞吉の 「桶町小千葉道場」 でした。
「東神田地区連合 神田大和町会」  (下右)
この地が 「大和町」 と呼ばれるようになったのは、享保年間の頃です。
内神田にあった大和町の人々が、ここに代地を与えられ移転してき
たため、大和町代地となりました。幕末のころには、この町から隣の
東竜閑町にかけて、駄菓子問屋が数百軒ほどが軒をつらね、ずい
ぶん賑わっていたと言われています。またここには、蝋燭やべっこ
う細工、箪笥などをつくる職人も多く住んでいました。

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「中神田十三ヶ町連合 神田鍛治三会町会」 (上) 
この界隈が鍋町と呼ばれていた理由は、江戸幕府の御用鋳物師
を務めていた、椎名山城が屋敷を構えていたためであると言われ
ています。鋳物師とは、鍋や釜をつくる職人のことです。鍋町に住
んでいたのは、このような御用職人ばかりではありません。紅や白
粉などの化粧品、傘、菓子、釘や打物などを扱う各種の問屋を
はじめ、馬具や武具をつくる職人まで店を構えて住んでいました。
「東神田地区連合 東神田豊島町会」 (下左) 
豊島という町名の由来は、町奉行が 「この一帯が属している豊島郡
には豊島村という地名がすでにあるが、それとは別に豊島町という
町名があってもいいだろう」 として名付けられたという説があります。
江戸時代、このあたりには「比丘尼横丁」や、髪油として美男葛の油
を売る店もあったことから俗に 「桂横丁」 と呼ばれた通りもありました。
明治になると旅館や砂糖商等も集まり、大変活気のある町会です。
「外神田地区連合 神臺会」 (下右)
この地は、日蓮宗の幸龍寺や曹洞宗の万隆寺の寺領でしたが、明
暦の大火 (1657年) 後、江戸幕府の火災対策の政策により、神田
神社の裏手も、この新政策に沿って、城内の御台所御賄方の武家
屋敷として再建されました。この地の住んでいた武士たちの希望も
あり、町内に 「町屋」 が作られ、以降、町人の町として発展を遂げ
ました。「神臺会」 の名称は、日露戦争戦勝記念の山車 「石橋」
の提灯に 「神臺会」 の文字となっていたため現在も、この名称を
町会名として使用しています。今年で123年の歴史があります。

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神田明神の境内は、ご覧のような状態。凄い人でしょう。
狭い境内は人で埋め尽くされ、そこへ宮入の神輿が入って来る
わけです。身動きが取れない上に、神輿が容赦なく動き回ります。
酸欠状態必至です。祭です・・・。まさに非日常の世界を楽しめる
二年に一度の神田祭です。「ゆっくり。ゆっくり。真っすぐねぇ」 誘
導すり係の声が飛び交います。一方、神田の各町内会でも神輿
が練りあるいて盛り上げて、宮入するわけです。終始こんな感じ。

神田明神の歴史は古く、西暦700年頃には神田明神の元になる
神社があったと言われています。 かの平将門公をお祀りし、広く
関東で崇拝される神社となりました。現在の場所に移動したのが
16161年。この頃から神田明神の名称を名乗るようになりました。
今年がご還座401年というのは、この場所に移って約401年と
いう事なんですよ。凄い歴史ですねえ~。

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江戸っ子にとってお祭りは血が騒ぐイベント。前日の神幸祭が厳
かに行われるとしたら、この日は彼らの威勢の良いセイヤ!セイヤ! 
が、一日中響き渡るということに。きらびやかな神輿を楽しみながら、
迫力ある勇ましい掛け声に圧倒されちゃって下さい。(笑)  江戸幕
府開府以降、代々の徳川家に保護されるようになり発展していきま
した。お祭りの山車が江戸城内に入り、将軍が見物されたという
「天下祭」 の異名もあるのですから、もう凄いの一言に尽きります。.

「江戸っ子だってね」 「神田の生まれよ」。「寿司悔いねぇ」。
ちなみに私は、神田生まれではありません。 _| ̄| ガクッシ

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今もなお神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々
の総氏神様として、伝統と創造を併せ持つ、これらの町々を常に
見守り続ける 「明神様」 です。そんな明神様を慕い敬う神輿が社
殿前に到着。突然、大歓声が沸き起こりました。 ムム、人気の神
輿か? と思ったのですが、よく見ると緑の半纏を着た女性に注
目しています。小池百合子東京都知事でした。(下右) 祭壇前
の階段に整列していた手古舞さんたち全員が振り向き、(下左)
観衆はスマホ手に大騒ぎなのです。こんなにも人気があるんだ
と呆気に取られてしまいました。(笑) 

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各町内会の持つお神輿が一斉に神社に集結します。前日の神幸
祭が優雅なら、こちらの神輿宮入は熱気が弾けんばかり。威勢の
よい掛け声が神田中に響き渡る様子は、粋そのものです。前日は
神田明神のお神輿が氏子各町を巡幸したわけですが、今度は氏
子各町の神輿が神田明神を目指します。とにかく神輿の数が多く、
一体、何基あるんだろうかと思うくらい後から後から明神目指して
坂道を上ってきます。鳥居の前の本郷通りは待機神輿で一杯です。
大小200超えの神輿、揃いの半纏を着た氏子たちの姿。これだけ
の数が集まるのは神田祭だけといえます。氏子たちの熱気あふれ
る雄壮な神輿宮入に圧倒される一日になります。

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神田明神境内には、二基の人形山車が展示されていました。
江戸三大祭は、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」
と謳われたように、神田祭も元々は山車の出る祭りでした。

「桃太郎人形山車」  (上)
岩本町二丁目岩井会所有の 「桃太郎人形山車」。型式は江戸
単層型お太鼓山車の中間的な作りで、桃太郎人形の背後には、
桃に吹貫をつけた江戸初期の型式を引き継いだ 仕立てになっ
ています。右手に軍扇、左手に太刀の凛々 しい立ち姿。前髪た
ちの少年の初々しさと厳しい目力を持 つ武家の強さが同居する
清清しいお顔が上品な雰囲気を 醸し出しています。紅顔のその
表情は憂いに満ち、 まるで今にも微笑みそうでした。

「加茂能人形山車」  (下)
加茂能人形山車は、徳川上期の作で江戸時代の有名な天下
祭りに第十番に曳き出し、鉾山車のうち最も精巧優美なもので
あったようです。上覧の際、将軍家より再三褒章を賜り、また、
浮世絵版画に単独で山車の一枚檜として売り出されたのは、
この山車のみで、その華麗は他に比肩するものがなかったと
いう。大正12年関東大震火災により惜しくも烏有に帰した。
江戸時代そのままの姿を昭和30年に復元されました。

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「神田松枝町会の羽衣の山車」
江戸時代の神田祭では37台もの山車 (だし) が巡行したそうです
が、 現在は神輿が中心となっており、山車は再現されたものなど、
3台が神輿の渡御にあわせて巡行するに過ぎないようです。 神田
松枝町は、現在ほとんど姿を消してしまった山車を今も 大切に守
り伝えているわけです。今回、唯一宮入した山車です。

羽衣山車 (はごろもだし) は、昭和13年 (1938) に松江町町会が
造ったものです。戦時中は疎開していたため焼損を免れた。 町名
の 「松江」 と能の三保の松原の天女伝説 「天女の羽衣」 をひっか
けたものだという。山車は単層囃子台型で、人形 のみがカラクリで
上下したり、クルリと一周する自慢の構造になっています。(下左) 
後側には大太鼓が置かれ、後から歩きなが ら叩けるようになって
いるようです。

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ねじり鉢巻きキリリと締めて・・・。江戸っ子の 粋で鯔背 (いなせ) な
姿は、やはりこの鉢巻きからでしょうか。 (上左) 最近、神輿を担ぐ
女性の進出が著しいですが、鉢巻も女性に似合う結び方です。これ
は 「くわがた結び」 というそうです。昨今のお祭りギャル に、最も人
気のあるスタイルのようです。 祭りだワッショイ!ワッショイ! 威勢
のいい掛け声が聞こえます。 お神輿の進路を決まる役割の方が先
頭で誘導します。「お先棒を担ぐ」 とは人の手先となってものごとを
すること。特にお先棒の先端は 「華棒 (はなぼう)」 といい、神輿の
進路を決める大事なポジションのようです。(上右) 前日に神幸祭
が行われたのですが、途中から 「附け祭」 の行列も加わりました。
附け祭とは、曳き物 (ひきもの) と呼ばれた巨大なはりぼての人形。
人気漫画 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」 が参加したようで、境
内に展示されていました。(下) この行列は江戸時代から続いてい
るそうで、当時も最も人気があったんだとか。江戸時代の人も現代
の私達も、こういうものに喜ぶところは同じなんですね。

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神田祭の本祭り。裏祭りが終わって、氏子の血が騒ぐのはもちろん
のこと、神田の街そのものが落ち着かない。祭りのもう一つの華で
ある 「半纏」 も花咲かせます。なかなかの魅力、そして各町会のオ
リジナリティが見えてきます。町会の揃えた誂え袢纏に袖を通す優
越感は、神輿担ぎ者の醍醐味なようです。 祭り気分に染まる感じ。

徳川政権の精神的基盤を支えた祭礼が、神田祭です。明治維新
の とき徳川慶喜が大政奉還して身をひいたのですが、一部の幕
臣彰 義隊が寛永寺に立て篭もりました。 江戸の人々は幕府軍と
新政府 軍のどちらを支持したでしょうか。 魚河岸の人々は260年
の恩義 のある徳川家びいきでしたから官軍に対して竹槍を持って
刃向か おうとしたのです。徳川様あっての江戸市民は、寛永寺に
立て篭 もった彰義隊を憐れんだといわれています。幕府の巧みな
宗教政策を含めて、巧みな政治手腕がそこにはあったのであります。
政治と宗教は切っても切れないということの例証でしょうか。

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恙無く立派に美しく神輿 ・ 宮入参拝を終えると、それぞれの地域
に静かに帰ります。神田界隈を練り歩くお神輿を見て外国人観光
客は興奮し、日本人の僕らも興奮。神田はこの日一日中、活気に
満ち溢れていました。 神輿宮入、おめでとうございます。

今や神輿には、セイヤ ・ ソイヤが主流となってしまった感じですが、
かつては現在でも頑固にその伝統を守っている、深川祭同様、「ワ
ッショイ」 であったといいます。和を背負う、和をもって平和を担ぐ。
和一処、皆がひとつになって、力を合わせることの意味のようです。
聖徳太子の 「和をもって尊し」。 ひとつの目的を達成するためには
秩序が乱れていてはいけない、と、「和」 を尊んできたのではない
でしょうか。何事も大事なことですね。

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江戸時代は武家社会ですから、通常は庶民が将軍の前に行くこと
などはできません。ただ、庶民が山車とともに江戸城内に 入ること
ができた神田祭を誇りとした伝統は今もなお受け継が れています。
「神田祭」 が終わり、浅草の 「三社祭」 も終わり、そして、日枝神社
の 「山王祭」 を迎え終えると、東京は暑い夏に向かいます。

  「 神前に 一本締の 祭かな 」






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