一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。




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「正義の持つ危うさ」

...2020/02/23 10:41...

二月も終わりに差し掛かるこの時期になると、
梅の花の香りがどこからか漂ってきます。
立春を過ぎ暦の上では春となったとは言え、
まだまだ寒い日が続きますから、多くの春の
花たちは未だ眠りの中。北の国では、その上
に雪の布団が被さっていることだろうか。

そんな花たちの目覚めの時期としては、
まだ早いこの時期に、早起きするのが、「花の兄」
とも言われる梅の花です。梅は他の花に先駆けて
春を知らせることから 「春告草」 とも呼ばれます。
都内では、もう梅が満開です。

さて、電車で座席に座っている客の全がスマホを
手にしている光景は、もはや珍しくないのですが、
最近はマスクをしている人だらけで異様な感じです。
周りを見渡してもマスクをしている人だらけです。
マスクをしていない人は肩身が狭い感じです。
くしゃみでもしようものなら、そばを立ち去る人も
いるくらい敏感に反応するほどの雰囲気。

これも新型コロナウイルスの影響でしょかね。
日に日に感染者が増えています。イベントの中止や
経済的にも影響が出始めているようです。少しでも
早く沈静化されることを願うしかありませんね。

東京都も来月15日までの今後3週間を 「感染拡大
防止の重要な期間」 と位置づけ、この期間中、都が
主催する大規模なイベントなどは、原則として延期、
または中止するとしています。3月1日に行われる
「東京マラソン」 も、一般参加は中止になりました。
なので、コロナウイルスへの警戒を最大級にしなく
ては・・・・と、3 連休の予定をキャンセルして、家に
引きこもることにしました。(笑)

皆さんも十分に気を付けて下さい、ませませ。


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「正義の持つ危うさ」

自分の行動が正義だと思ったとき、人間は
どれほどにも残酷になれる。職場の仲間と再上映
の映画 「ジョーカー」 を見て、そんなことを思った。

この映画は、善良な主人公が、社会に疎外され、
信頼している人とも関係性が作れず、徐々に悪に
染まっていくというストーリー。1980年前後のアメリカ
を舞台にしていますが、その時代背景は現代社会と
そんなに大きく変わっていないように感じます。

誠意を持っているとは思えない権力者が横暴を
ふるい、弱者を笑いとばしているようなシーンや
他人を蹴落としてでも利益を得ようとする競争社会
など、現在の社会でも起きているようなことが
描かれています。

そんな社会は、怒りや不安にあふれています。
そして、怒りや不安を覚える人は、自分を正当化して
「自分は間違っていないはずだ」、「間違っているのは
他人や社会だ」 と思い込み。自分自身が 「正義」 に
なりすまそうとします。もしかしたら正義だと思わな
ければ、怒りや不安な気持ちに押しつぶされて
しまうかもしれませんが。

絶対的な正義は存在しないと思います。
言い換えれば、人それぞれに正義を持っていると思う。
私たちは、自分の正義を頼りにし、行動しています。
それを 「自我」 と呼んでいます。それぞれの正義を持って
いることは、悪いことではありません。しかし、自分にとって
の正義が他人にとっての悪になることも少なくありません。
また、時代が変わることで、正義だと思われていたことが
悪に変わることもあるでしょう。

聖徳太子は十七条憲法のなかで、このようにうたっています。
「我、必ずしも聖にあらず。彼、必ずしも愚かにあらず。
ともにこれ凡夫のみ」。意訳すると 「私は絶対に正しいとは
限らない。また、他人も絶対に悪だとは限らない。お互い
に人間なのだから・・・・」。人は正しいことも行うが、過ちも
行ってしまいます。そんな絶対的正義が存在しないから
こそ、私たちは人に対して寛容でなければならない。

映画 「ジョーカー」 の主人公が行う悪は、彼にとっては
正義かもしれません。また、彼に共感する人も正義を
感じているのかもしれません。でも、私たちは正義の持つ
危うさを自覚しなければいけないのかもしれません。
映画鑑賞の後、居酒屋で 「正義」 の危うさを論議しました。
「本当の悪は笑顔の中にある」 と。

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湯島天神 「梅まつり」  2020

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先日、春日通りを通って友人宅へ行った帰りに、「梅が咲いてい
ないかな~」 と、立ち寄ってみたのが湯島天神。咲いていました。
ちょうど 「梅まつり」 が開催されていて、賑わっていました。切通
坂の途中にある、この登龍門から入るのが一般的です。子どもの
頃から、よく訪れた神社でもあります。湯島天神といえば、梅園
の見事さと泉鏡花の 「婦系図」 の舞台に なった事で有名です。

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「正門鳥居」
鳥居は神社の内と外との間に建てられ、神聖な境内と外界を分け
る役目を果たしていると考えられます。湯島天神の出入り口は4ヶ
所あります。登龍門の反対南側の入口にある青銅の鳥居。 こちら
が本来の正門です。 寛文7年 (1667) 創建と古く、江戸の面影
を残し都内に遺存する鋳造の鳥居として、製作も優秀なもので、
有形文化財に指定されています。鳥居の様式は神明鳥居といわ
れるもので、横木が二重になり、反りをもって、柱が内側に傾いて
います。横木の上の方を笠木、下の方を島木といいます。下部に
施された唐獅子頭部の装飾は、鳥居としては特異とされている
ようです。あまり見かけませんよね。 (下)

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「湯島天満宮 (湯島天神)」
湯島天神は、正式名称を 「湯島天満宮」 と言い、天之手力雄命
(あめのたぢからをのみこと) と菅原道真が奉られています。 その
起源は古く、雄略天皇の御宇2 年 (458) に創建され、湯島天満
宮と呼ばれるようになったのは、菅原道真公を祭った1355年 か
らで、その120年後、太田道潅によって修建されて、徳川家康の
江戸入りの後、江戸幕府の崇敬を受けています。 つまり元から
「天神様」 では無かったという事なんです。江戸時代は両方の名
前で呼ばれていて、明治維新後は湯島神社となり、平成12年に
「湯島天満宮」 にしたようです。ただ湯島天神という名、愛称の方
が広く知られている感じでしょうか。

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「社殿」
社殿は、本殿と、参拝する人のための拝殿が幣殿で結ばれている
「権現造り」 の建築様式で純木造です。平成7年 (1995) に造営。
旧社殿の土蔵造りは、江戸幕府が頻繁に起こる火災のため、「焼
け跡に建てる家はすべて塗家土蔵造り、瓦屋根にせよ」 という防
火対策を引き継ぎ、立て替えたものです。新社殿の外観上、特に
目につくのは正面屋根の大きな三角部分です。これは神社の地
形を考慮したもので、神社の南側の通りに面した鳥居のある場所
が、社殿の場所と約1メートルの高低差があるため、「妻」 と称され
る三角部分をより大きくして拝殿を立派に見せるためのようです。
さらに本殿は、拝殿より高いのが原則ですから、本殿の屋根を
より大きくして立派なものにしているようです。

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「絵馬」
天神様に祀られている菅原道真は学問の神様です。
境内に入ってまず目に飛び込んでくるのが圧倒的な数の 「絵馬」 。
受験生や親御さんたちが掛けた合格祈願の絵馬がずらり。普段、
神社で見かける絵馬掛けとは規模が違いすぎます。5 か所に同じ
ようにあります。しかし学問は、受験をひかえた学生だけではあり
ません。 仕事でさらなる活躍を目指す人にも、“ 学び ” は必須。
さすが湯島天神! なんと絵馬は毎年5~6万枚も奉納されます。

「学問・・・・努力すれば叶う」 と至極まっとうなご託宣を胸に・・・・・。
ちょっと余談。この湯島天神の絵馬は4種類あり 「開運絵馬」 のみで、
絵柄は正月から5~6月ぐらいまではその年の 「干支」、それ以降は
「牛に乗る天神様」 になります。この 「開運絵馬」 は、学業 (合格)
祈願だけでなく様々なお願い事が書かれて奉納されています。また、
この 「開運絵馬」 以外に合格祈願のご祈祷の時に記入する 「牛」
の絵馬、お礼詣りの時に授与される 「だるま」 の絵馬があります。

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毎年受験シーズンには合格祈願に訪れる受験生は数知れません。
訪れる度に大量の絵馬に祈りが託され、志望校や願いが書かれた
絵馬が、幾重にも分厚く折り重なる多さにビックリします。近付くと
木の香がするほどで、立ちのぼる 「気」 のようなものすら感じます。

絵馬に目を通すと弟さんへの合格を願うお姉さんが小さな文字で
びっしりと書いていたり、先に合格を勝ち取っている人から友へ、
「君なら 出来る、がんばれ!」 という熱い思いだったり。そんな中、
ふと目に止まった絵馬がありました。お願いばかりの絵馬に混じっ
て、「ありがとう」 と書かれた絵馬がありました。(下右) 「人に礼を
つくすように神様にも同じようにお礼をすること」 と、お礼参りと感
謝の気持ちを持つことの大切さを感じた次第。虫のいいお願いに
ならぬよう、日ごろから感謝の気持ちを改めて気づかせてくれます。
皆さんの願い事が叶いますように・・・・。

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境内には、「手水舎」 (下左) の右手に新しい牛像 (上) が、左手
に古い牛像 (下右) の、計2 頭の 「撫で牛」 がたたずんでいます。

菅原道真は、丑の年に生まれ、丑の日に亡くなっため、牛と縁が
深いと言われています。 また、道真は亡くなる時に、「自分の遺骸
を車にのせて人にひかせず牛の行くところにとどめよ」 と遺言をし、
その牛が動かなくなった場所を墓所としたため、座り込んだ姿勢で
あると言われています。牛は天神さんのお使いといわれ、湯島天
神の境内にも石造りの臥牛が祀られています。牛の角を撫でてい
かれる人や手を合わせる人、体の調子が悪い人は自分の身体の
悪い部分を撫でる。私はというと・・・・・頭かな。 (笑) 多くの人々
から 「撫で牛」 と呼ばれ信仰を集めています。

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境内にはいくつもの石碑があります。ちょっと紹介します。

王貞治氏の 「努力の碑」  (上)
絵馬掛けの向かいにあった石碑に刻まれた 『努力』 の二文字。
やはり必要ですよね。 これは王貞治選手が昭和52年通算本塁打
756号を達成。読売巨人軍に入団以来試練の嵐に耐え、心技を研
鑽した努力の結晶であるとし、王選手の生涯の座右銘である 「努力」
の碑を建立。これを記念し,王選手は白梅一樹を献木したようです。
泉 鏡花の 「筆塚」  (下左)
梅の木が多数植えられた樹林の中に、「婦系図」 の作者である泉鏡花
自筆の文字を刻んだ筆塚が建っています。お蔦と主税の悲恋を描いた
物語 「婦系図」 として登場するのがこの湯島天神です。当時の婚姻制
度に圧し潰されてゆく愛の姿が、鏡花独特の演劇的手法で描かれてい
ます。 『湯島通れば思い出す、お蔦主税の心意気~ 』 なんて、湯島
天神を訪れると、お年寄りの方はメロディーが浮かんで来るそうです。
「ガス灯」 (下右)
ガス灯は、文明開化のシンボルで、明治時代の象徴でした。この境内
にも五基あり、“文明開化” の象徴として東京の夜を照らしていました。
やがて電気の光に代わり撤去されました。昭和56年 (1981) に、ガス
会社からの寄進により、「男坂」 の上にガス灯を設けられ、現在も点灯
されています。「湯島の白梅」 の歌詞中に 「♪ 青い瓦斯灯、境内を出
れば本郷切通し」 が登場します。夜霧にうかぶ青白い瓦斯灯のそば
にたたずむお蔦と主税。明治の雰囲気が感じられます。

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「奇縁氷人石 (きえんひょうじんせき)」  (上)
境内梅園の一角に 「奇縁氷人石」 という石柱が立っています。
江戸時代の迷子の伝言板のようなものです。人ごみで子供を見失
った親や迷子を見つけた人が子供の特徴や待っている場所を紙に
書いてこの石に貼り付けた 「迷子知らせ石標」 というわけです。「迷
子石」 は江戸各地、人の多く集まるところにあり、相応の成果があっ
たらしい。 湯島天神境内の 「迷子石」 は、江戸時代の湯島天神が
人で賑わい、江戸有数の盛り場であったことがわかります。
「水平式日時計」  (下)
此の日時計は御大典 (天皇陛下の即位の礼と大嘗祭) を記念して、
鍛冶橋の欄干を軸に日時計を作り奉納されたもので、参拝の人々
から親しまれてきました。戦後の混乱期に放置のまま永い間忘れ
られておりましたが、改めて水平式日時計として復元したものです。
日時計は、影を利用して視太陽時を計測する装置です。

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湯島天神の東側は石段になっています。勾配のゆるい女坂の石
段と、きつい男坂の石段があります。こちらの梅は満開近い状態。
男坂から 見返る梅に 女心がまた揺れ・・・・・。

「男坂 」  (上)
天神石坂は38段の石段坂で別名は天神男坂という。江戸時代は
湯島神社への参拝のための坂であったようですが、その後、本郷
から上野広小路に抜ける通り道になったようです。男坂が生活道
路としても重要な道であったことがうかがえます。急な階段です。
「女坂」   (下)
急な坂の男坂に対して、ゆるやかな坂なので女坂という。途中に
足休みがあることに由来するという。 踊り場が長いです。 広重の
絵はこの女坂を見下ろすように描かれているんだそうです。この
女坂下に時々、女占い師がいるんですよね。不思議な雰囲気で。

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「湯島天神 ・ 梅まつり」
湯島天神は、江戸時代より 「梅の名所」 として多くの庶民に親しま
れて来ました。昭和33年 (1958) に開催された梅まつりも、今回
で63 回を迎えることになりました。氏子各町会をはじめ、関係諸
団体の支援を得て、毎年、回を重ねるたびに盛大さを増し、期間
中延べ40万人が訪れ、初春の東京年中行事として、各テレビ局
で放映され、新聞紙上を飾り、今では春の風物詩となっています。
でもね、訪れるたびに思うのですが、子どもの頃はもっと梅の花が
木々にたくさん咲いて、桜の満開のように見事だったんですけど。
年々、花数が少なくなている感じがします。

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湯島天神と言えば 「湯島の白梅」。湯島神社は言わずと知れた梅
の名所です。もちろん菅原道真公の 「東風 (こち) 吹くかば 思い
起こせよ 梅の花 主 (あるじ) なしとて 春な忘れそ」 にちなんで
植えられた梅の木。その梅が主を慕い太宰府まで飛んでいったと
いう 「飛梅伝説」 もあるようです。境内には、白梅を中心に300本
の梅が植えられています。 これを有名にしたのは、泉鏡花の小説
「婦系図」。早瀬主税とお蔦の別れ話の舞台になった場所です。
池が配され四季折々の表情を見せてくれる日本庭園もあります。

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湯島天神の梅は、その8割ほどが白梅らしい。 確かに境内を歩い
ていると目にするのはほとんどが白梅でした。でも数こそ少ないが
寒紅梅や紅千鳥に豊後などの薄紅色の梅も見かけられます。

湯島天神といえば、シニアの人たちの中で 「湯島の白梅」 を思い
出す人が多いのではないかと思います。 「湯島の白梅」 は、芝居
や歌謡曲で一世を風靡しました。 『切れるの別れるのッて、そんな
事は、芸者の時に云うものよ・・・・・ 私にゃ死ねと云って下さい。』
というお蔦のセリフは非常に有名です。泉鏡花の師匠は尾崎紅葉
です。金沢生まれの泉鏡花は18歳で 上京し尾崎紅葉の家で書生
となり、薫陶を受けました。「婦系図」 は明治40年、鏡花34歳の時
の作品です。 泉鏡花の夫人すずは、もとは神楽坂に桃太郎という
名で 出ていた芸者で、師匠の尾崎紅葉は二人の関係を絶対にゆ
るさず、 「女を捨てるか、師匠を捨てるか」 とまで鏡花に迫ったそ
うです。 そのため、二人は泣く泣く離別を決意したそうです。 この
体験が 『婦系図』 の湯島天神の場の下敷きに なっているといい
ます。 なお、尾崎紅葉がなくなった後、 泉鏡花はすずとめでたく
結婚したという。 そう言えば、園内で歌ってる年配の方がいました。

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道真公が愛した梅の花は、樹齢70~80年の白加賀 (白梅) を中
心に月影、豊後梅、寒紅梅などが敷地内を彩ります。 きっと昔から
湯島天神の白梅は見事なものだったのだろう。 湯島天神の梅は梅
園だけでなく、東側の 「男坂」、「女坂」 の横手や本殿裏手などでも
見ることができます。 のんびりと境内を散策してみると楽しいです。
静かな山里で 見る梅も風情があって良いですが、こうした有名な
梅園での 「梅まつり」 の賑わいも、これはこれでなかなか楽しい。
少し肌寒かったので 甘酒も売れていましたね。ウイー

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江戸庶民にとって湯島天神の観梅は、参拝を兼ねての数少ない
娯楽のひとつでもあったようです。現代も梅園には、梅を見なが
らそぞろ歩きを楽しむ人や梅の花にカメラのレンズを向ける人、
ベンチに座ってのんびりと観梅を楽しむ人など観梅客で賑わう。

京都から太宰府に追われる際に道真公が詠んだ、「東風 (こち)
吹かば にほひおこせよ 梅の花 主 (あるじ) なしとて 春を忘
るな」 という歌を聞いたことのある人も多いはず。その後、主であ
る道真公を慕った庭の梅が太宰府まで飛んでいったという 「飛
梅伝説」。伝説によれば、道真公が大切にしていた桜の木は、主
人が遠くへ旅立った悲しみのあまり枯れ木となり、松の木は太宰
府まで飛ぼうとしたものの途中で力つき、梅の木だけが、太宰府
までたどりついたといいます。粘り強い梅の木、仕事運アップを
祈願する我々も、そのパワーにあやかりたいものです。

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子どもの頃、親と湯島天神へ行くのが楽しみでした。湯島天神の
近くに 「鳥つね」 という鳥料理専門店があり、帰りは必ず親子丼
を食べて帰ったものです。(上) 我が家は、今もそれを受け継い
でいて、帰りに久しぶりに立ち寄って食べてみました。(笑)

今なお江戸と明治時代の情緒漂う湯島で、大正元年 (1912)
に産声を上げた鳥料理の老舗。頑固一徹、鳥ひとすじ。心の底
から 「うまい!」 と叫ぶことのできる、極上の親子丼です。(下右)
老舗の鶏肉専門店だけあって、鶏肉は名古屋コーチンと秋田の
比内鶏の2 種類入っていて、身がやわらかくプリプリしてます。
卵が違うんですよ。オレンジ色に近い濃い黄色で、ほとんど生に
近いとろっとろの半熟の状態で出てきて、まるで卵かけご飯のよう。
1個100円それを3個も使います。やっぱり高い卵は違いますねぇ。
名物親子丼、1500円って高い気がしちゃいますけど、一口食べ
て、百万ドルスマイルが出ます。食べれば納得。多くの芸能人も
密かに通うほど昔から有名です。

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湯島は昔から武家や町人が住んでいた町で、いまでも昔の花街
の名残りがあり、そこかしこになんとなく色香が漂い、下町の粋な
風情を感じさせてくれます。現在の湯島周辺は、東京大学をはじ
め多くの大学があり、神田川をはさんだ向かい側は、学生街の御
茶ノ水です。東京の学校を受験する人なら、一度はお参りしたい
神社です。「合格しますように!」 と願った学生時代が懐かしい。

梅一輪  一輪ほどの 暖かさ

服部嵐雪の俳句で、梅の花が一輪また一輪と咲くにつれて、
気候も少しずつ暖かくなって行く。春よ来い 早く来いと願う。





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「無難な人生」 『有り難い人生』

...2020/02/16 09:50...

2月も半ば。
受験シーズンも山場を迎えるころですね。
巷を賑わせている新型コロナウイルスも心配で、
受験生のみならず、ウイルスに負けない体力
を保つことを心がけておきたいところです。

薬剤師の知人から聞いた話ですが、
病気やウイルスを防ぐ免疫力を司るのは、
ずばり腸だという。私たちの免疫力のおよそ
70%が腸でつくられていることをご存知ですか?
腸のなかにある免疫組織が、体内にとりこまれた
病原菌を分解し、抗体をつくる働きをしていて、
その抗体がウイルスの体内侵入 (感染) を
防いだり、毒素を中和したりしているという。

免疫細胞と大きく関わりがあるのが、腸内細菌です。
私たちの腸内には、1000種、1000兆個以上の
腸内細菌が存在していて、それらと免疫細胞が
タッグを組んで、外敵から身を守っています。
近年では、腸内フローラという言葉も聞きます。

免疫力には腸内細菌が関わっているわけですから、
免疫力を高めることは簡単。腸内細菌の種類を
増やせばよいのです。空気が乾燥していて、
ウイルスが蔓延しやすい季節こそ、腸内細菌の
餌になる穀物や野菜類、豆類、果実類など
植物性食品を摂ることが重要で、発酵食品を
意識して摂る事も大事なようです。

日に日に感染者が多発すると、
人混みの中は避けねばと心配になりますね。
まずは、マスクに手洗いにアルコール消毒と
準備したいところですが、なにせどこも品物は
売り切れで手に入らない。困ったものです。
2月は逃げると言いますが、
早く 「コロナウイルス」 は逃げ去って欲しい。


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「無難な人生」 『有り難い人生』

今年、東京オリンピックが開催される。
観戦したくて熱心にチケットを予約するも当確なし。
スポーツは、様々な競技があって楽しいはずなのに・・・。
普段はあまり日本ではポピュラーでない競技も沢山
ありますが、色んなところで頑張っている人が
たくさん居るのだなと思いながら見ていました。

特にマイナーなスポーツは、期待を一心に背負って
凄いプレッシャーと闘ってきた人気のスポーツ選手に
比べて、冷ややかな目で見られがちですが、熱心に
取り組む姿には、心から拍手を送りたい気持ちになる。

結果として・・・・やっぱりと、課題を残した競技となるわけ
ですが、選手の表情やインタビューのコメントなどを
聞いていると暗さは全くありませんね。それどころか、
むしろすでに次の課題に向けての意気込みを語って
いる選手がほとんどです。こういう部分がスポーツ選手
たるゆえんなのでしょう。

目の前のやるべきことに最善を尽くし、
結果に関してはしっかり正面から受け止め、
自分で課題を探し克服する、という手順を体が
覚えているのだと思います。

この姿勢は、物事に対しての取り組みにも
参考になるのではないでしょうか。人は真剣に物事
に取り組めば取り組むほど、様々な課題や障害と
ぶつかってしまいます。でも、それを克服していく事が
人間を成長させてくれるし、幸せにしてくれるのでしょう。

真剣に取り組まなければ課題や障害にも気付かない
生活を送ってしまう。オリンピック選手のプログから、
次のような言葉をみつけました。

難題のない人生は 『無難な人生』 
難題のある人生は 『有り難い人生』

皆さんはどちらの人生を選びますか?
私なら、後者を選んで欲しいと思っています。


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衆議院  「憲政記念館」 2020

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日枝神社に初参りした帰りに、国会議事堂でも参観しようとした
のですが、年初めで休館らしく残念。そこで近くの憲政会館でも
見学しようと立ち寄りました。普段は、、国会議事堂を見学する
小中学生の修学旅行や社会科見学の団体も多いのですが、
この日は年配の団体さんがいました。トイレは何処ですか? 
と聞かれるしまつ。(笑) たまには政治に関することも・・・。

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国会議事堂正面の前には、「国会前庭」 と呼ばれる公園が広が
っています。その公園に隣接して建っているのが、憲政記念館。
江戸初期には加藤清正の屋敷が建てられ、幕末には井伊直弼
の上屋敷となり、戦前には陸軍の参謀本部があった場所です。

「憲政記念館」
憲政記念館は、昭和35年 (1960) に憲政の功労者である尾崎
幸雄を記念して、 尾崎記念会館が建設されます。その後、これを
拡大して議会開設80年を記念して、議会制民主主義についての
認識を深めることを目的として、昭和47年 (1972) に 「憲政記
念館」 が開館しました。外観的なインパクトは、それほどでもあり
ませんが、日本の議会政治について学ぶことが出来る施設です。

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エントランス前には、「憲政の神様」 と呼ばれた尾崎行雄の銅像
と石碑が建てられており、水をたたえた池には鯉たちがゆったりと
泳いでいます。(上) 石碑には、「人生の本舞台は常に将来に在
り」 と刻まれています。(下) 「現在なしていることは、すべて将来
に備えてのことである」 という意味で、昭和8年秋、郷里三重県に
帰った尾崎行雄は、自邸に落ち着き、政争に明け暮れた76年間
を振り返って、「老成に安んぜず、将来に目を向けねばならぬ」
と自戒を込めて、この警句をつくったとされています。

「憲政記念館」 (東京都千代田区永田町一丁目)
入場料   :  無料
開館時間  :  9 時30分~17 時
休館日   :  毎月末 

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おなじみの 「尾崎行雄の銅像」 が、来館者を出迎えてくれます。
銅像は、昭和35年 (1960) の尾崎記念館建設に合わせて建立
されました。尾崎行雄の銅像は、正面玄関の池に立ち、帽子を持
った右手を高々と掲げ、来館者に 「ようこそ諸君!」 と呼びかけ
ているようです。このポーズは1950年、尾崎がハワイを発つ祭
の姿といわれ、91歳の尾崎の印象が見事に浮かんでくる姿です。

「尾崎幸雄」
明治、大正、昭和を通じて、護憲運動を進め、官僚政治・軍国主
義に反対した政治家。明治15年 (1882)、大隈重信の立憲改進
党に参加。明治23年 (1890) の第1回衆議院議員選挙に当選、
以後25回連続当選し、犬養毅らとともに藩閥による官僚政治に
反対し、憲法を基にした議会政治を実現しようとする護憲運動を
進めた。財産などによる制限のない選挙制度を実現しようとした
普通選挙運動でも活躍し、「憲政の神様」 と呼ばれた。96歳没

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「 尾崎メモリアルホール (1 階)」
玄関ホールすぐには、「尾崎メモリアルホール」 が設けられており、
衆議院から憲政功労者として表彰され、名誉議員の称号を贈られ
た尾崎行雄の足跡をしのんで、遺品、著作、書跡、写真などを展
示しています。また、昭和3年 (1928) に録音された尾崎行雄の
演説も聴くことができます。(下右)

「晩年の揮毫」  (下左)  
「美事なる 此議事堂に ふさわしき 
     議員を得るハ 何時の代ならむ」 九四翁行雄

昭和11年(1936)11月、17年の歳月を費やして国会議事堂が
完成した。この年に起こった2・26事件以降、政党政治の危機を
感じていた尾崎は、全体主義に傾斜していく議会人の姿を嘆き、
「立派な建物になりはしたが、この議事堂にふさわしい議員は
いつになったら現れるのだろう」 と詠じたという。現在の政治家
を見ていると、今も通じるものを感じますね。

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米国ワシントン ・ ポトマック川の桜並木が、日本から100年以上
前に贈られた 「日米親善」 の象徴であることはよく知られている。
尾崎が東京市長時代に桜を贈った日米親善コーナーもありました。
「ハナミズキ原木の株」 (下左) 米国より贈られたハナミズキの原
木の切り株で、花が結ぶ日米友好親善のシンボルとして陳列。
「ワシントン市から贈られた鍵」 (下右) 尾崎は91歳の時に渡米。
その時に市から尾崎に 「市の鍵」 を贈って敬意を表したという。

「桜とハナミズキ」
明治45年 (1912)、当時東京市長であった尾崎行雄が日米親
善の証として桜を贈り、その返礼に、大正4年 (1915) 米国から
ハナミズキが贈られました。 当館庭園のハナミズキは、尾崎記念
会館 (現憲政記念館) の建設が決まった際、あらためて米国から
寄贈され、竣工と同時に植樹されたものです。日本に初めてハナ
ミズキをもたらし、4月中旬から5月上旬にかけて見事に咲き揃い、
その清楚な花姿は多くの人を魅了しています。 また、米国へ贈っ
た桜も、現在も見事な美しさでポドマック湖畔の春を彩っています。

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尾崎が愛用した遺品をはじめ、「衆議院名誉議員」 の称号など功
績を讃えるものから、政治活動の分野まで興味ある資料が展示
されています。何しろ日本の憲政とともに歩んだ人物ですから。

「2 ・ 26事件メモ」 (下左)
昭和11年(1936) 2月26日朝、「昭和維新」 を唱える陸軍将校に
率いられた兵が首相官邸、蔵相私邸などを襲い、高橋是清蔵相等
を殺害した。これは、尾崎のもとに集まった事件に関する情報メモ。
「翼賛選挙に対する抗議文原稿」  (下右)
時局重大を理由に1年延期した総選挙に、非推薦で立候補した
尾崎は、この翼賛選挙を憲法違反の行為であると批判し、東条
英機首相らに推薦制の取り消しを要求した。翼賛政治体制協議
会は、候補者を推薦し、推薦者には政府の支援を得て臨時軍事
費から流用した選挙費用を与えた。いわゆる翼賛選挙です。

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1階の館内では、議場体験コーナーや憲政の歩みコーナーなど、
国会の組織や運営などを資料や映像で、わかりやすく紹介すると
ともに、憲政の歴史や憲政功労者に関係のある資料等を展示し、
とても見応えのあるものとなっています。

「議員登院表示盤」  (下左)
この表示盤は、昭和36年 (1988) 3月まで衆議院玄関で使われ
ていたものです。登院表示盤は、議事堂本館や分館の入口に設
置され、議員は自分の名札を 「赤地」 から 「黒地」 にかえして登
院したことを示した。現在は押しボタン式からタッチパネル式に
切り替わり、衆議院玄関を含め5 ヵ所に設置されているようです。
「門標」  (下右)
これは、現 ・ 国会議事堂が竣工した昭和11年(1936) 11月から
昭和44年 (1969) に国会外構が改修されるまで掲げられていた
ものです。向かって右側が 「衆議院」。左側が 「衆議院通用門」。

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「議場体験コーナー」
議場体験コーナーは、衆議院議場を体験することができます。
実際の4分の3の大きさで作られていて、使用されていた議員席
にも座ることができ、机には記名投票で使う木札 (白票が賛成票、
青票が反対票) が置かれています。我々一般庶民でも、永田町の
センセイの雰囲気を幾何か味わうことができます。ほとんどの見学
者がとりあえず座ります。わずか10 数席ですが、狭いとか、硬い
とかの感想を言いながら、必ず行うのが目の前の議員氏名の名札
を倒そうとすること。これは倒れません、ハイ。(上) 皆さんと同様、
私も議員席にちょと座って、本会議中の居眠り体験をしました。(笑)

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「国会の仕組コーナー」 や 「情報検索コーナー」 では、パソコン
で国会の仕組や世界の議会をわかりやすく紹介するほか、国会
の知識をQ&A方式で、ランキングを競うなど楽しみながら学習
もできます。国会関係のホームページや、衆参両院の審議中継
などを見ることができるようです。戦前・ 後の歴代首相の答弁の
声が聞けたりと、ちょっと変わった物もありました。(下右)  また、
「国会の速記 (衆議院) コーナー」 も、ありました。(下左)
館内の資料をしっかりみれば政治がより理解できます。

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速記コーナーでは、速記の歴史や会議録ができるまでの過程を
パネルや資料などで、また、普段目にすることがない速記符号も
見ることができます。「チン時計」。 (下左の奥)  帝国議会当時
から使われていた速記用時計で、5分毎に速記者交代の号鐘が
鳴ります。現在は、速記者席に時計が備え付けられています。
「速記用紙」 (上) 1分間に約350字、1秒間に6字程度を記録。
用紙は、書道半紙を反切りにして、背を糊付けしたもののようです。

「速記符号」   (下右) 
速記符号は、高速化する話し言葉に対応するため、限られた長さ
の直線、曲線、円や点を駆使し、書き取る線量を極力減らすなど
の改良がなされています。線量を減らせば高速度に対応できるが、
位置や読みが複雑化し、それを正しく反訳する頭脳が要求され、
他方、誤訳の防止を重視すると線量が増え、高速度に対応でき
ない面があるといいます。

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「第一展示室 (2 階)」
憲政記念館は、2 階が第一展示室で、1 階が第二展示室になっ
ているんですね。ですから最初に2 階へ進んでから、1階を見学
する感じです。嬉しいことに写真撮影はOKですが、写真禁止マ
ークのついている資料は禁止となっていました。(下左)

2 階に上ると最初に 「憲政史シアター」 があり、議会思想が移入
された幕末から今日に至るまでの憲政史に関する映像が見られ
ます。また、「憲政史映像選択コーナー」 では、パソコンで様々な
憲政の歩みを見ることが出来ます。その他に歴代の内閣総理大
臣や憲政史上の人々等、人物の肉声を聞いたり、履歴を検索で
きる 「映像検索コーナー」 に、「立体ビジョンコーナ」 では、初め
ての議会での出来事を立体映像で見ることもできます。

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「憲政の歩みコーナー ・ 壁面コーナー」
明治維新から帝国議会を経て現在に国会に至る憲政の歩みを、
文書類をはじめ、関係資料・写真などで見ることができます。憲
政の歴史に関係ある資料の企画展示も行っているようです。歴
史の教科書に載っているような物品が多数展示されていますが、
板垣退助や伊藤博文など超有名な人たちにまつわる展示品
など、とても楽しく拝見しました。

明治維新、大正のデモクラシー、昭和の帝国議会などの激動期
に関わる資料が沢山あります。5.15 事件、2.26 事件で斃れ
た政治家の資料も有ります。また、歴代首相や政治に大きく関わ
った、政治家の直筆の書なども有ります。それそれ書体に特徴が
あり、興味深かったです。

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「終戦の詔書原案」  (上)
昭和20年 (1945) 8月14日の御前会議で、ポツダム宣言の受
諾が決定され、詔書が発布されます。翌15日正午、いわゆる 「玉
音放送」 が行なわれたのち、「内閣告諭」 が読み上げられました。
「聖断既に下る」 として、国を挙げて 「国威を恢弘 (かいこう)」 す
る決意を明らかにするとともに、「内争」・「軽挙妄動 」 を戒めました。
早稲田大学教授で内閣嘱託の川田端穂が作成した原案です。
「高橋光威電報 平田東助宛」  (下左)
大正9 年 (1920) の総選挙に圧勝し、原敬内閣の政権運営は安
定します。しかし翌年、原敬は関西での政友会大会に向かう途中、
東京駅改札口付近で刺殺された。高橋内閣書記官長が、即日、
内務大臣に凶報を知らせた電報。原は、第19代 内閣総理大臣。
「昭和天皇 「大喪の礼」 案内状」  (下右)
戦前から戦後の昭和激動時代を歩まれた昭和天皇は、昭和64年
(1989) 1月7日に崩御され、同日、新元号は 「平成」 と決定され
ます。在位62年余りの昭和天皇の 「大喪の礼」 は、平成元年2月
24日に新宿御苑で行わた。その時の 「大喪の礼」 の案内状です。

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国会議事堂に隣接する国会前庭は、憲政記念館や時計塔のある
北庭と、回遊式庭園の南庭からなります。北地区は、三権分立を
象徴するとされる時計塔が建てられシンボルになっています。(上)
噴水の他に、ベンチや休憩スペースが多々あります。多種多様な
桜が植樹され、米国から贈られたハナミズキは、4月中旬から5月
上旬にかけて見事に咲き揃い、その清楚な花姿は多くの人を魅了
しています。

「時計塔」
尾崎記念会館 (現 ・ 憲政記念館) 建設時に、施設の一環として、
塔前面の噴水池 ・ 花壇とともに設計され、昭和35年 (1960) に
完成。三面塔星型は、立法 ・ 行政 ・ 司法の三権分立を象徴した
ものです。塔の高さは 「百尺竿頭一歩を進む」 と言うことわざの努
力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺 (30.3m)
よりも高くした31.5 mに設定されています。チャイムは10 時 ・
13 時 ・ 17時 に鳴動します。これは、衆議院、参議院の会議
開会時刻と退庁を標準にしたものです。

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永田町界隈に勤務する国家公務員らにとっては憩いの空間で、
「永田町のオアシス」 と称される。昼休みになると、衆参両院と省
庁から多くの職員が訪れ、ランチタイムを楽しみます。小学校の
社会見学でも、国会議事堂を見学した後は、お昼は噴水広場で
お弁当という光景もしばしば見かけます。この噴水広場はテレビ
ドラマ 「相棒」 のロケ地としても有名です。ちょうど、警察庁と警
視庁の建物がバックに映りこむので、意味ありげな会話シーン
には、ここがよく登場しています。「噴水広場」 (上)

「電子基準点 (東京千代田区)」   (下左)
この電子基準点は、我が国の準天候衛星システムや米国のGPS
などの衛星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な
三次元位置を計測 ・ モニタリングする施設です。
「日本水準原点標庫」   (下右)
全国の土地の標高を決める基となる 「日本水準原点」 があります。
軍事的な理由から全国の測量を進めた参謀本部 ・ 陸地測量部
(国土地理院の前身) が、この地に置かれていた名残である日本
水準原点が園内に存在することが有名。改修工事中でした。

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国会 (衆議院 ) の組織らしく、ちょっといかめしい感じを想定して
いましたが、職員の方もやさしく案内 ・ 対応していただきました。
少し敷居が高い施設かと思っていましたが、実際に訪れてみる
と魅力的なコンテンツが盛りだくさんでした。すばらしい展示の
割には、結構空いていて、ゆっくりと見ることができました。政治
に関心がない人でも、歴史に興味があれば十分に楽しめます。
これがきっかけで政治に関心を持つことが出来るかもしれません。
ぜひ、国会議事堂見学の際に立ち寄られてみてください。





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「言葉を選ぶ人は、行動を選ぶ」

...2020/02/09 13:51...

立春を過ぎたとはいえ、まだまだ寒さは続きます。
先週は東京も冷え込み、気温が氷点下になり、
今シーズン一番の寒さとなっています。
寒い日が続き、ついつい出不精になりがちです。

立春を過ぎ、暦の上では春を迎えてから体験する寒さを
「冴え返る」 と表現します。冴えるには、冷えるという意味と、
光や音、色などが澄むという意味があります。
また、「頭が冴える」 のように、技量、腕前が見事である
という意味もあります。「返る 」 には、もとの状態に戻ると
いった意味がありますから、「冴え返る」 は単に余寒という
のとは違って、一度、温かい春の気を感じた後に、
その春の気を鋭利な刃物でそぎ落としたように、
一気に冬の寒さに戻る、そうした見事な、逆転劇
のような寒の戻りを感じさせます。

今年は立春後に暖かな春の気を感じた後、
この冬一番の厳しい寒さというわけです。

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」 という言葉が
あるように、2月もあっと言う間に過ぎていくのかもしれません。
でも、ご安心ください。今年は4年に一度のうるう年ということで、
いつもより 1日多いのです。 2月29日があります。
何だか得した気分。毎日忙しいというそんなあなたも、
少しだけ余裕ができそうですよ。

寒い日、暖かい日、そしてまた寒い日・・・と繰り返し
ながら、だんだんと春になるのだとは思います。
春の訪れを一層、恋しく感じるこの頃です。。
ああ、早く暖かくならないかな・・・。
こう寒いと、日向ぼっこのひと時が欲しいですね。


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「言葉を選ぶ人は、行動を選ぶ」

「おはよう。昨日、休みだったから心配しちゃった」 
「うん、もう元気よ!」
「そんなこと気にしなくとも!」
「そうかなあ・・・・」

何気なく遣った言葉、配慮しながらの言葉、
思い切って発した言葉、優しさに溢れた言葉、
元気付けられる言葉など、いろいろな言葉があります。
「言葉を選ぶ人は、行動を選ぶ」。これは、学生時代に
恩師から言われた言葉です。「今は、どの言葉を使うことが
適切なのか」、「どんな言葉で話すべきなのか」 など、
言葉を選ぶことのできる人は、おのずと自分の
とるべき行動も選んでいるというのです。

私たちは、大勢の人とともに生活をしています。
だから、そこに人間関係が存在し、その関係をどう
築いていくかということに、心を悩ますことも多いのです。
特に、子どもを取り巻く私たち大人は、子どもへの言葉
かけや行動の一つ一つが、子どもたちに大きな影響を与
えることを心に留めておかなければならないと思います。
中 ・ 高校生時代は、大人びたようであっても、
まだまだ経験が浅いうえに、多感な時期でもあります。

朝、生徒がうつむきながら教室に入ってきたら、
「ん?」 と気付き、「○○、元気ないな。朝飯、食べたか?」
と、肩をポンとたたく、そんな先生がいれば、生徒はきっと
元気が出ます。でも、反対に 「おい、ちゃんと挨拶せんか!」
では、決して元気は出ないでしょう。

また、お子さんが 「ただいま」 も言わず、黙って自分の
部屋に入ってしまったら、「あれっ?何かあったのでは?」 
と察し、「今日のご飯、○○の大好きな○○よ!」 と、
にこっと微笑んでくれる、そんなお母さんの言動は、
お子さんの重たい心を軽くします。「ただいまぐらい、
言ってよ!」 では、心はますます重たくなってしまう。

時間に追われていたり、悩みがあったり、
体調が優れなかったりすると、ついつい心ない言葉や
乱暴な言葉、ぶっきらぼうな言葉を遣ってしまいがちです。
子どもの言動から、心の動きを受け止めることが
できるためには、こちら側に 「ゆとり」 が必要です。

時には、休日に映画や音楽 ・ 絵画等を鑑賞したり、
趣味としていることを思う存分にしたり、家族との触れ合い
を深めたりする中で、心の栄養を、心の休養をたっぷり
摂ってみませんか。人間関係をつくるきっかけは 「言葉」 です。
相手のことを考えた言葉を選ぶ、相手のことを考えた
行動を選ぶことができるようなりたいものです。


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特別展 「大浮世絵展 」
「― 歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 ・ 夢の競演―」

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平成26年 (2014) に、開館20周年を記念して約38万人を動員
した 「大浮世絵展」 に続く、その第二弾となる展覧会があるという
ので、浮世絵好きの知人に誘われ、お屠蘇気分が抜けきれない
開催末に鑑賞してきました。今回は、そのなかでもとりわけ人気の
高い絵師5人に焦点を当て、見応えがある 「浮世絵展」 だという。
浮世絵に詳しい知人なので、解説付きという感じで鑑賞しました。

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隅田川を渡って両国へ行くのは実に久しぶりです。両国と言えば
お相撲さんの街ですが、その国技館の近くにあるのが江戸東京
博物館。階段を上った広場が3 階になります。(上)

「東京都江戸東京博物館」
東京都江戸東京博物館は、江戸東京の歴史と文化をふりかえり、
未来の都市と生活を考える場として平成5年 (1993) に開館し
ました。高床式の倉をイメージしたユニークな建物で、開館以来、
東京を代表する観光スポットにもなっています。常設展は、徳川
家康が江戸に入府してから約400年間を中心に、江戸東京の
歴史と文化を実物資料や復元模型等を用いて紹介しています。
常設展はエスカレーターで5 ・ 6 階に上っていきます。(下右)

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歌麿の美人画、写楽の役者絵、北斎・広重の風景画、国芳の勇
壮な武者絵と機知に富んだ戯画と、5人の絵師の得意ジャンル
に絞り、5人の絵師を紹介する各章が単独の展覧会としても十
分見応えがあり、まさに各絵師の展覧会5つが一堂に会したよ
うな、豪華な内容となっています。元禄の歌麿 ・ 写楽の作品は
国内になく、国内はもちろん、欧米の美術館、博物館、個人コレ
クションなどから 「誰もが見たい」 名品を集めた展覧会です。

特別展 「大浮世絵展―歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演」
会期     2019年11月19日 (火)~2020年1月19日 (日)
会場     東京都江戸東京博物館1階特別展示室
開館時間  午前9 時30分~午後5 時30分
観覧料    一般 1400円 大学 ・ 専門学校生1120円
        中高校生 ・ 65歳以上700円

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3 階のチケット売り場で特別展と常設兼用のチケットを購入。(下左)
展示会場は1階なので、エスカレーターで下ります。(下右) 会場
入り口 (上) を入ると意外と混雑していました。浮世絵は海外でも
人気ですが、あちらこちらに向こうにと、外国の方の姿が多数見受
けられました。浮世絵を愛好する方には 「よくぞこれだけ!」 と、
驚きを与えてくれる展示会のようです。

第1章  喜多川歌麿  (1753年頃~1806年)
美人画と言えば歌麿。浮世絵美人画の第一人者としてその名を
知らしめました。 特に上半身をアップで描く 「大首絵」 の表現は、
歌麿作品の美質が凝縮されています。恋に悩む表情や、ふとし
たしぐさに垣間見える心の揺れなど、女性の内面に鋭く迫った
絵は大人気となりました。しかし、その生涯については、実はよ
くわかっていません。文化元年 (1804)、風紀取締りの処分を
受け、その二年後にこの世を去りました。

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喜多川歌麿 「婦人相學十躰 浮気の相」  (左)
寛政4~5年 (1792~93) 頃 (ミネアポリス美術館蔵)
最初の展示室は、喜多川歌麿の大首絵からはじまる。現代の感覚
では、浮気というと道ならぬ恋を想像する。しかし当時は、文字どお
り 「浮ついた気分」 を意味していた。女性は胸元がはだけ、無防備
な様子。お風呂上りらしく、手には手ぬぐいを持っている。誰かが
来たのか、声をかけられたのか、顔は画面右の方向に向けられて
いる。どうして浮ついていのるか。その想像は、見るものに委ねら
れていると知人が説明してくれた。想像する楽しさがあるのだろう。

喜多川歌麿  「婦女人相十品 ポペンを吹く娘」  (右)
寛政4-5年 (1792-3) 頃  (メトロポリタン美術館蔵)
描かれたのは当時大流行していた市松模様の着物を着て 「ビード
ロ」 を吹く娘。ガラス製の玩具で遊ぶ娘が振り返った瞬間に見せた
表情には、無邪気さがあふれている。「ポペン」 とは 「ビードロ」 の
こと。フラスコ型のガラス性玩具で江戸時代に流行しました。また、
繊細な生え際も見どころの1つで、最も難易度が高いと言われます。

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喜多川歌麿 「当時三美人」 (左)
寛政5年 (1793) 頃 (ギメ東洋美術館蔵)
寛政の三美人とされた、当時を代表する三人の女性を一枚に描き
込む贅沢な作品です。昭和時代風に言えば、アイドル三人娘を撮
ったプロマイドという感じでしょうか。パッと見て、どの女性も似た顔
に見えるかもしれない。しかし、ゆっくり見比べると、目の強さ、眉の
ラインなど個性を感じられます。どんな人物だったのか。どんな物語
があるのか。歌麿があえて残した三人娘に思いを馳せて見たい。

喜多川歌麿 「難波屋おきた」   (右)
寛政5年 (1793) 頃 (ミネアポリス美術館蔵)
歌麿は、モデルを特定できる美人画を多数残しています。たとえば
この 「難波屋おきた」 は、浅草にある茶屋の看板娘の 「おきた」。
もともと評判の美人であったが、歌麿が浮世絵にした事で人気に
火がついたという。実在する女性を描くことは少し前からあったが、
歌麿は巧みな似顔表現によって、女性に抜群の存在感を与える
ことに成功しています。茶托にのせたお茶碗を慎重に運ぶ様子
が伝わってきます。江戸っ子は茶屋に毎日通ったのでしょうかね。

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喜多川歌麿  「針仕事」 大判錦絵3枚続
寛政6-7年 (1794-5) 頃  (大英博物館蔵)
歌麿の絵の中に母と子のふれあいが描かれているものがあります。
針仕事をする女性に子供を加え、町人の日常生活を描いた三枚続
の作品です。左側の母親は、裁縫道具を傍らに置き、透ける素材の
反物を広げ、夏のきものを作るところだろうか。彼女は紫地の蜘蛛絞
りの浴衣に、表が黒繻子 (しゅす) で裏が縞の昼夜帯を一つ結びに
締めています。これを見ていると、子供が母親の仕事を邪魔してい
る感じなどは、今でも育児に共通するものがありますね。当時の浮
世絵は、誰でもわかるようなものとして出版されて、江戸の人々は
それを買って楽しんでいたわけです。

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浮世絵が生まれたのは、17世紀の江戸です。当時の日本は、
戦国時代が終わり、江戸幕府による安定した世の中になり、庶民
の文化が生まれます。その代表が浮世絵です。富士山に宿場町。
美人に妖怪。その名の通りに、浮世絵は、最先端の流行や全国
の名所など明るく楽しいテーマを描き、庶民の新しい娯楽となり
ました。江戸っ子の心をつかんだ浮世絵は、明治になると次々に
欧米に渡ります。浮世絵の大胆な表現は、西洋の画家たちに衝
撃を与えました。その画家の一人にゴッホがいました。

第2 章 東洲斎写楽 (生没年不詳)
江戸の 「バンクシー」 とでも言うべき謎の絵師。わずか10 ヶ月の
活動期間に、役者絵を中心に140点の作品を残して姿を消します。
鮮烈な作品で、後の時代にも多大な影響を与えました。寛政6年
(1794) に役者の大首絵でデビューするも、特徴を極端にデフォ
ルメした描写は、当時としては前代未聞。今回は代表的な大首絵
を集めていますが、これだけのボリュームと良質なコンディション
の写楽は、二度とお目にかかれません。謎の浮世絵師 「写楽」。

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東洲斎写楽  「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」   (左)
寛政6年 (1794)   (ベルギー王立美術歴史博物館蔵)
歌舞伎の演目 「恋女房染分手綱」 の中で、三世大谷鬼次が演じ
た 「奴江戸兵衛」 を描いた作品。悪役の役者が相手をにらみつけ
る場面。役者は常にスマートに描かれるのがお約束であった時代
に、写楽は悪になりきって力演する役者を描きました。役者その人
が悪に見えるような描き方に、憎々しげな表情が素晴らしいです。
作品、一度は目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。

東洲斎写楽 「市川男女蔵の奴一平」  (右)
寛政6年 (1794)  (大英博物館蔵)
先に紹介した 「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」 と対になるのが、この
作品で、劇中の立ち位置にあわせて向き合う形で展示されています。
伊達与作の家来 「奴一平」 が江戸兵衛に襲われる場面。江戸兵衛
に立ち向かう勇敢さを表現しています。ちなみに奴一平を演じている
「市川男女蔵 (おめぞう)」 は、当時14歳の少年。確かにほかの写楽
の役者絵に描かれた役者に比べると、ちょっと華奢で初々しさを感じ
ます。この奴一平の鮮やかな襦袢の赤にインパクトがありました。

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東洲斎写楽  「市川鰕蔵の竹村定之進」   (左)
寛政6年 (1794)   (ボストン美術館蔵)
歌舞伎の演目 「恋女房染分手綱」 の一場面、前半の山場である
「道成寺」 の主役で、能師役の竹村定之進を描いた作品。自らの
娘の不義密通が明るみに出て、謝罪の為、娘の身代わりとなって
切腹をする役どころでした。山のようにがっしりとした構図の中に、
その姿を収めるのは、当代随一の名優 ・ 市川鰕蔵 (えびぞう)。
偉大な芸風を誇る鰕蔵の、たぐいまれな風格を十分に描ききって
堂々たる風格を感じます。写楽の代表作として、日本のみならず、
海外でも有名で人気の高い作品です。

東洲斎写楽  「四代目岩井半四郎の重の井」   (右)
寛政6年 (1794)  (メトロポリタン美術館蔵)
「恋女房染分手綱」 の中で、「お多福半四郎」 と呼ばれた四代目
岩井半四郎が演じた 「重の井子別れ」 の場面を描いた作品です。
馬子を我が子と知りながら涙をこらえて突き放す。悲しみに決意
をおりまぜた表情です。写楽は舞台上の真の姿、その役柄や場
面をリアルに写し出していますね。写実的ではないにも関わらず、
目の前に存在するかのような人間味を感じさせました。

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「北斎の画室復元」  天保13年頃 (1842)  江戸東京博物館内
葛飾北斎の画室を、弟子の露木為一 (明治時代の浮世絵師) の
描いた 「北斎借宅之図」 をもとに再現した風景です。北斎は本所
割下水 (現在の墨田区亀沢付近) で生まれ、生涯に90回あまり
も引っ越ししたと伝えられます。この模型は、そうした仮住まいの
うち、83歳ころの北斎が榿馬場 (現 ・ 墨田区両国四丁目付近)
の借家に娘の阿栄 (おえい) と住んでいた時の彼の画室です。
このような、狭く、粗末な家から世界的な傑作が生まれました。

第3 章 葛飾北斎  (1760~1849)
浮世絵のレジェンド。19歳で浮世絵の世界に飛び込み、90歳で
亡くなるまで第一線で活躍を続けました。古稀を過ぎてから錦絵
の揃物を多く手掛け、特に 「冨嶽三十六景」 シリーズで新たな
風景画の世界を切り開き、北斎の名を不動のものにしました。
米ライフ誌が選んだ 「この1000年で、最も重要な功績を残した
世界の人物100人」 に唯一選ばれた日本人であり、近年最も
注目を集めている浮世絵師です。世界でも著名な葛飾北斎。

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葛飾北斎  「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
天保2-4年 (1831-33) 頃  (ミネアポリス美術館蔵)
北斎の 「冨嶽三十六景」 で描かれているのは、自然の雄大さ。
視界が急に開けるような面白さがあります。「神奈沖浪裏」 が千円
札やパスポートに北斎のデザインが採用されたことで、江戸時代
でこのストーリー は、終わったわけではなく、現代に続く感じです。

誰もが知っている、「浮世絵と言えば、これ!」 というくらい世界的
に有名な作品です。北斎が長年に渡って描いてきた波の作品の
中でも、ダイナミックな構図と静と動が交錯する画面は圧巻です。
現在の横浜本牧沖から富士を眺めた姿を描く。嵐の中、遠景に
見える富士山は、どっしりとした不動の富士です。波が押し寄せ
てくる瞬間をとらえた、鷹の爪のような波頭の迫力が、この作品
の魅力の一つでしょうか。荒れ狂う海の中、よく見ると、おしおく
り船を必死に漕ぐ人々もいます。北斎さんが71歳頃に描いた
46枚シリーズの中の1枚です。世界で2番目に有名な絵という。
では、1番有名な絵は何ですか? と聞くと、「そりゃ~、レオナ
ルド ・ ダ ・ ヴィンチの 『モナリザ』 よ」 と。さすが北斎さん、
ライバルも違いますね。

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葛飾北斎  「冨嶽三十六景 深川万年橋下」   (左)
天保2-4年 (1831-33) 頃  (東京都江戸東京博物館蔵)
江戸時代の深川は、隅田川を渡った東側で 「川向こう」 と呼ばれ、
新興地ゆえの自由な雰囲気があり、新しいものがどんどん出来る、
いきいきとした街だったようです。万年橋も往来の人々で大変賑
わっています。隅田川に浮かぶ船の中から、万年橋を見上げた
ような構図が印象的です。橋のカーブが美しいアーチをもって描
かれ、橋と川の間からのぞく、スッキリ晴れた富士山もいいです。

葛飾北斎  「芥子 (けし)」    (右)
天保 (1830-44) 前期  (ミネアポリス美術館蔵)
北斎の花鳥画の中でも、高く評価されている作品。中央に大きく配さ
れた芥子の花が強い風にあおられ、たわんだ瞬間の様子が捉えられ
ています。背景の薄藍色が青空のようにも見え、すがすがしさを感じ
させます。花弁や花芯かしんは詳細な描写がなされていますが、葉
は葉脈の描写はあるものの、形としては簡略化されています。制作
されたのは江戸時代後期の天保初年頃ですが、最近描かれたと
いっても通用しそうな表現です。 可憐な芥子が印象的でした。

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葛飾北斎  「冨嶽三十六景 凱風快晴」
天保2-4年 (1831-33) 頃  (東京都江戸東京博物館蔵)
浮世絵で富士山と言えば、すぐ頭に浮かぶのが、この 「赤富士」
と呼ばれ有名です。冨嶽三十六景シリーズを代表する作品。画題
にある 「凱風」 とは南から柔らかく吹く風を意味しており、このこと
から夏の富士山を描いたものと認知されています。

鱗雲が浮かぶ快晴の空に、山肌が赤く染まった富士。大変シンプ
ルな配色と大胆な構図が印象的です。無駄がなく彫り ・摺りにと
っても高度な技術を要する作品でもあるようです。赤く染まった山
肌が印象的で、富士の裾野にある樹海も細かな点で絶妙に描い
ています。色鮮やかな赤富士は、日本人の心象風景と言える
北斎の最高傑作です。富士山の姿は、いつ見ても見飽きません。

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「浮世絵」 を作るには、 下絵を描く版木を彫る紙に刷る。
という3 つの作業が必要です。作業は分業制で、それぞれ「絵師」、
「彫り師」、「刷り師」 と呼ばれる職人が担当します。中でも重要なの
は絵師。絵師が浮世絵の作者になります。まず黒い墨で下絵を描
きます。下絵の黒い線を元に彫を入れ、「墨版」 と呼ばれる版木を
彫り師が作ります。墨版ができると、何枚か紙に刷って、再び絵師
に戻します。カラーの版画を作るためには、「色版」 と呼ばれる色
ごとの版木が必要だからです。絵師は紙に色をつけ、色ごとの下
絵を作ります。この下絵にもとづき、彫り師は色ごとの版木 「色版」
を作ります。全ての版木が彫り上がったら、刷り師は版木に色を
のせ、重ね刷りをして完成させます。

第4 章 歌川広重 (1797~1858)
広重は武士の家に生まれましたが、父が早世して13歳で家を継ぎ、
15歳頃に浮世絵師に入門し27歳で隠居して画業に専念するよう
になります。役者絵、美人画、武者絵など、多彩なジャンルの作を
こなしていましたが、北斎に刺激を受けてか風景画を描きはじめ、
「東海道五拾三次之内」 は、彼の絵師としての方向性を決定づ
けたようです。以後、風景画の名手として名を馳せました。

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歌川広重 「東海道五拾三次 丸子 名物茶屋」  (左)
天保4-5年 (1833-34)  (原安三郎コレクション)
芭蕉の句 「梅 若菜 丸子の宿のとろろ汁」 と詠われた丸子宿の
情景。横田山を背景に大きく詳細に描かれた茶店には 「名ぶつ 
とろろ汁」 と書かれた看板が立てかけられている。床机に腰掛け
た旅人が大きな口を開けて、名物のとろろ汁を美味そうに食べて
います。茶店前の梅がほころび、のんびりとした春の気分を醸し
出しているのは、明るい薄紅色で占められた空間処理の巧みさ
にあるようです。現在の静岡県静岡市駿河区のようです。

歌川広重  「東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪」   (右)
天保5-7年 (1834-36) (ミネアポリス美術館蔵)
深々と雪が降る寒村の夜の情景を描いています。寒さの中を蓑
を着た人や、傘をさした人が雪の積もった道を一歩一歩、歩いて
いく。人影もまばらな夜の街道、音もなく深々と降る雪の情景は、
現実の蒲原は温暖な気候で雪深い地域ではなく、絵師の心象
風景のようです。お互いに顔を合わせず、背を向けて遠ざかっ
てゆくようすは、ものさびしい雰囲気を高めていますね。

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歌川広重  「東海道五拾三次之内 庄野 白雨」    (左)
天保5-7年 (1834-36) 頃  (東京都江戸東京博物館蔵)
突然の夕立に慌てて駆け出す人々が主題です。「白雨」 とは、夕
立やにわか雨のことです。突然の風を伴った激しい雨に、坂道を
往来する人々を生き生きと描写したこの図は、広重の最高傑作の
一つとして知られています。強風に揺れる遠景の竹薮を、輪郭線
の無い二重のシルエットにして奥行きを出し、画面を無数に横切
る細い線が、雨の向きや勢い、細かさまでも表現しています。
雨の音や足音、竹薮のざわめきなどが聞こえてきそうですね。

歌川広重 「東海道五十三次 「日本橋 朝之景」   (右)
天保4-5年 (1833-34)  (東京都江戸東京博物館蔵)
江戸から京都へ向かう東海道の起点である日本橋の朝の景色。
その東海道を描いたシリーズの巻頭を飾るにふさわしく、参勤交
代の大名行列が朝早く江戸を出発する様子が描かれています。
一方で、魚を天秤棒で担いだ一団が、向こう岸にあった魚河岸
から仕入れを終え、行商に出かける様子も描かれており、江戸
で一番賑わっている早朝の日本橋の活気が伝わってきます。

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歌川広重   「大はしあたけの夕立」   (左)
安政3-5年 (1856~1858)  (東京都江戸東京博物館蔵) 
大橋は日本橋の浜町から深川六間堀の方にかかっていた橋で、
幕府の御用船 「安宅丸」 の船蔵があったことから、安宅 (あたけ)
と呼ばれました。にわかに降り出した夕立の様が、実に見事に描
かれ、雨に濡れないように着物の裾をまくり上げ、傘を目深にか
ぶり帰路を急ぐ様子が伺えます。雨を細い線で表わし、霞む向
こう岸をぼかしを使うことで遠近感がある感じがしますね。

歌川広重   「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」    (右)
安政4年 (1857)  (東京都江戸東京博物館蔵)
「亀戸梅屋舗」 は、かつて亀戸天神社の裏手にあった梅園で、
龍が大地に横たわったような「臥竜梅」が有名となり、第8代将軍
徳川吉宗も訪れるなど、春の行楽地として大いに賑わっていた。
柵の向こうに見える見物客からもその様子が窺える。画面手前
に横切るほどの大きさに梅の枝を描き、奥の景色を覗かせる構
図は斬新で、赤と緑という配色も刺激的です。ゴッホがこれを元
に油彩による模写作品を残したことでも知られています。

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浮世絵が登場するまで、絵画は貴族や武士など上流階級の人た
ちが楽しむ特別なものでした。でも、浮世絵は美人や役者、当時
の流行など庶民の生活に密着した題材を描き、手に取りやすい
サイズと価格で、一気に普及しました。世界的にみても、浮世絵
ほど質の高い絵画が大規模に広まった例はありません。浮世絵
は、江戸時代のファッション誌であり、ポスターでもありました。
当時の人達は、浮世絵を見て、最新のヘアスタイルや着物の柄
をまねしたり、部屋の壁に浮世絵を貼ったりと楽しんでいました。

第5 章 歌川国芳 (1797~1861)
国芳は、江戸日本橋の染物屋の家に生まれ、幕末に活躍した
浮世絵師です。そのユニークな画風から、「奇想の絵師」 などと
呼ばれ、水滸伝の一連の作品で脚光を浴び、自身の大好きな
猫をはじめ、魚や狸などを擬人化したコミカルで愛らしい戯画
も多く描きました。反骨と風刺の精神に富んだ作品群は、当時
の人々の圧倒的支持を得、多くの門人が集まり、浮世絵師の
最大派閥を形成。その系譜は昭和の日本画家まで連なります。

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歌川国芳 「相馬の古内裏」 弘化2-3年 (1845-46) (上)
相馬の古内裏とは、平安時代の武将、平将門が下総国相馬に
建てた屋敷のこと。平将門は乱を起こすが鎮圧され廃屋となる。
ところが、平将門の娘の滝夜叉姫が、父の遺志を果たそうと妖
術を使って、古内裏に夜な夜な妖怪を出没させる。そこで武術
に長けた大宅太郎光圀が退治に出向き、骸骨に襲われる場面
を描いています。江戸時代の読本 「善知鳥安方忠義伝」 を題
材にした作品。三枚続の構図で描かれ国芳の代表作てす。

歌川国芳  「宮本武蔵の鯨退治」 弘化4年 (1847) (下)
江戸初期の剣客 ・ 宮本武蔵を描いた浮世絵で、鯨退治の伝説
をもとに描かれています。三枚続きの画面いっぱいに横たわる
大鯨。海面は斜に迫り上がり、平衡感覚を失う程に荒れ狂って
おり、一方画面の右上端に切り取られた空には暗雲が立ちこ
めているが、鯨の背に乗る武蔵の表情には一抹のかげりも無く、
自信に満ちあふれています。画面一杯に横たわっている鯨と、
それに対して全く怯む様子のない武蔵の姿が印象的です。

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歌川国芳 「其まヽ地口猫飼好五十三疋」 嘉永元年 (1848) 頃 
「猫飼好五拾三疋 (みゃうかいこうごじゅうさんびき)」 と題した作品
は、猫好きで知られた国芳の面目躍如たる作品。東海道の五十三
の宿駅に日本橋と京都を加えた五十五の地口 (語呂合わせ) で、
様々な猫たちの姿を描いています。いずれも憎めない愛嬌があり、
親近感を覚えずにはいられません。猫と共にその土地の名産など
も描かれており、猫の姿を楽しみながら東海道も旅できる作品。

タイトルにある 「其のまま地口」 の地口とは語呂合わせのこと。
「猫飼好」 と書いて 「みやうかいこう」 と読ませるところも猫好き国芳
ならではのユーモア。一匹一匹の猫を詳しく見ていくと、どれも言葉
遊びになっています。猫好きな国芳が描いた猫で辿る東海道。もち
ろんはじめは 「日本橋」 = 「二本だし」 という洒落。(下左) 最後は
京都 (京)=ぎゃう。何とも独特の語呂合わせで面白いですね。

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歌川国芳 「坂田怪童丸」 天保7年 (1836) 頃 (左)
坂田怪童丸は、金太郎 (後に坂田金時) の通称で、江戸時代多く
の浮世絵に描かれています。怪童丸と巨大な鯉の組み合わせは、
共に端午の節句飾りのモチーフで、そのイメージを一つにまとめ
た国芳らし発想です。鯉は滝を登って龍になると言われています。
滝を登る鯉の躍動感あふれる尾の描写が印象的です。伝説や逸
話などを題材にした作品には物語の説明 (左下) が見られます。

歌川国芳  「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」 (寄せ絵) (右)
弘化4-嘉永5年 (1847-52)
戯画のうち 「寄せ絵」 と呼ばれるもので、人間の目、口から眉毛、
鼻、丁髷にいたるまで、そしておそらくは着物の中の身体つきに
ついても、さまざまな姿態の人間を組み合わせて表現するという
ユニークな趣向に富んだ作品です。確かに 「みかけは怖い」 が
「人が集まるのは人望があってこそ」 という類いの文字も記され
ています。当時の人たちの方が、想像力 (創造力) が豊かだっ
た気がする。着物の文様から鎌倉時代の武将・朝比奈義秀とか。

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今回、浮世絵作品の大部分が、海外から集められていることには
ほんとうに驚きました。5人の浮世絵師の名作が大集合。とても見
ごたえのある内容でした。1枚1枚をじっくり見ることは、叶いませ
んでしたが、それでも満足度の高い展示会でした。写楽の作品を
一度にたくさん鑑賞した機会が今までなかったので、とても印象
深かったです。歌麿、北斎、広重、国芳もお馴染みの作品ばかり
で、作者ごとの構成になって、それぞれの描き手の紹介やこだわ
りが紹介されたパネルもあり、特徴がつかみやすい展示でした。
思っていたより人が多く、浮世絵の人気の高さを感じました。
両国なので、帰りは 「ちゃんこ」 を食して帰りました。うふ





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風船に乗せてとばします
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