一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。





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「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

...2019/10/13 09:04...

今朝は、昨夜の大型台風が嘘のように東京は
青空が広がっています。河の氾濫により、各地で
被害が拡大しているようです。皆さんの所は大丈夫
だったでしょうか。自然の猛威には逆らえないもどか
しさがあります。青空の遥か上で、お天道様が真剣
な眼差しで語っているに違いない。
人間がもたらした環境破壊に怒りの声。
「自然をなめるなよ」 ・・・・・と。

秋、全てが休息の時を迎える季節。
季節と同じように、人の生活にも、静と動、
活動と休息のリズムが必要です。

私の方は、だいぶ涼しくなってきたので、
ジョギングを再開した。公園の周囲は、ジョギング
をする人、更に犬と散歩する人が実に多いこと。
すれ違うたびにさまざまなワンちゃんに出逢えて楽しい。
そんな中で、こんな犬に出逢ったのだが・・・・・。

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この犬、何の種類の犬だと思いますか? 飼い主に聞いてびっく
りポンでした。この犬は秋田犬なんだそうです。秋田犬といえば、
あの 「忠犬ハチ公」 を思い浮かべますが、ふさふさとした毛がトレ
ードマークで、「ブサかわ犬 (不細工でかわいい犬)」 としてテレビ
で話題になり、映画にもなって人気の 「わさお (長毛秋田犬)」 と
同じ犬なんだそうです。 珍しいのでしょうか、たちまち人だかり。

飼い主の話によると、南樺太が日本領だった頃、秋田から多数の
漁民が現地に渡り、樺太と秋田の交流が盛んになるにつれて犬の
交流も盛んになり、秋田犬と樺太犬の混血が進みました。樺太犬
と言えば、有名なのは映画 「南極物語」 の 「タロとジロ」 です。南
極に置き去りにされても生き延びた彼らは、厳しい寒さにも耐えら
れる長毛の毛皮を持っていました。そのため、その血を引く秋田犬
にも、樺太犬の特徴である長毛が現れ、そうして生まれた長毛の
秋田犬は、「わさお」 のようなモフモフ ・ フサフサの容貌となった
ようです。なかなか流通されない入手困難な犬なんだそうです。

さて、抜けるような青空に、秋たけなわを実感する季節と
なりましたが、皆さんも楽しい連休を満喫して下さい。


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「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

またもや日本人の快挙だ。
スマートフォンや電気自動車などに欠かせない
リチウムイオン電池を開発した旭化成名誉フェロー
の吉野彰さんがノーベル化学賞に輝いた。「社会の
役に立つ技術とは何か」 を問い続け、粘り強く研究
と向き合ってきた証だ。

記者会見で、成功の秘訣を聞かれると、「柔軟性と執着心」
を挙げ、座右の銘に 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 と
語っていました。座右の銘とは 「常にその人の心に留めて
おき、自分の励ましや戒めとする言葉 」 のことを指し、
その人の人生の指針になります。稲が成長すると実を付け、
その重みで頭 (実) の部分が垂れ下がってくることから、
立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な
姿勢であるという事を意味することわざです。

「頭を垂れる」 という言葉自体に 「相手に敬意を払って
自分を謙る」 という意味があるので、稲が立派に成長する
に従って、稲穂の部分が垂れ下がってくる様子を、稲と稲穂
を成長していく人間に例えています。その過程では、強い
風雨にさらされたり、冷たい日や暑い日を乗り越えなければ、
立派な稲に成長し豊かな実を付けることはできません。

若い頃はまっすぐに上だけを向いて立派に成長し、色々
な荒波や苦労を乗り越え、立派な人格を形成した人物は、
偉くなればなるほど、頭の低い謙虚な姿勢になっていく
という意味として表現しています。

パナソニックを一代で世界的な大企業へと成長させ、
経営の神様として世界中に知られた松下幸之助氏も、
この 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 を 信条として、商売だけ
でなく人の生きる道として志していました。そうして身に付けた
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 という生き方を、社会に出て
からも生きる姿勢として社会貢献の場に生かし、多くの人々
の心を動かし、世界で通用する企業を作り上げ、常に時代の
先と人間を見ていた人格者たる所以なのかもしれません。

人間の成長は、稲が立派な黄金色に育つ過程のように、
強風や冷害、その他の困難に打ち勝って行く姿に似て
います。様々な困難に打ち勝ち、心を鍛錬できた人が、
「人格者」 や 「人徳のある人」 なのでしょう。
私たちも若い頃から常に成長を目指して努力を惜しまず、
たくさんの困難や挫折を経験し、人間としての徳を積んで
いき、実るほどに頭を垂れて生きていきたいものです。


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~浅草 ・ 浅草寺を周辺を散歩~ part 2

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浅草寺は、東京都台東区にある日本最古のお寺です。その創建
は推古天皇36年 (628) で、実に1300年以上の歴史があります。
浅草を代表する観光名所として知られますが、一般に雷門や本堂
にお参りし、その後は人気店のグルメを堪能して帰るのが定番で
しょうか。しかし、意外と 「へ~、こんなところもあるんだ」 と、楽し
める空間があります。今回は、そんな場所を少し紹介します。

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もともと雷門をくぐったあたりは浅草寺 「南谷」 といい、参道の両
側に支院のいくつかが並んでいました。南谷だけでなく、境内に
は多くの店舗が並び、伝法院から宝蔵門寄りの店は役店と呼ば
れ、水茶屋が並んでいたのに対し、仲見世は平店と呼ばれる、
玩具、菓子、土産品等を売る店舗が主だったようです。

宝蔵門寄りの店は20軒の水茶屋があったことから俗に 「二十軒
茶屋」 といい、美人の看板娘を置いて人気を集めてました。看板
娘に惚れ込んで朝から晩まで茶を飲み続ける者もおり、川柳に
「おおたわけ 茶店で腹を 悪くする」 と詠まれたほどです。伝法
院通りには、歌舞伎役者のオブジェが各店舗の屋根にあったり、
本堂の西側にもたくさんのお堂があり、また記念碑なども随所に
存在します。もし、時間があったら立ち寄って楽しんで下さい。

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浅草寺の 「雷門」 向かい側に、浅草文化観光センターがあります。
建築家・隈研吾氏によるモダンな建物の中には、浅草の観光情報
が充実しています。(下左) 8 階のカフェ横には無料の展望テラス
が設けられており、(下中) 浅草の町並と東京スカイツリーを眺め
ることができます。22時まで利用でるので夜景鑑賞にお勧めです。

東京スカイツリーの隣の金色のビルがアサヒビール本社の 「アサヒ
ビールタワー」 です。琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で、泡の
あふれるビールジョッキをイメージしています。21~22 階には高
級感あふれる、和洋食店、イタリア料理店などが並び一般の方も
利用できます。地上100mからの景色も楽しめます。その右には
ビルの陰で僅かしか見えませんが、変わった形のオブジェ(通称
「金のウンコ」) があります。(下右) フラムドール (フランス語で金
の炎の意味) 炎はアサヒビールの燃える心を、下にある土台は
聖火台をイメージしているんですよ。うんこじゃありません。(笑)

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「影向堂 (ようごうどう)」 (上) 「六角堂」 (下左) 「石橋」 (下右)
本堂の北西に建つ、寄棟造りの堂宇が影向堂です。「守り本尊」 と
いう仏様をご存じでしょうか? 干支ごとに、その年生まれの人を守
ってくれる仏様のことで、すべての守り本尊を拝むことができます。
とにかく観音様が主役の浅草寺。観音様の説法や活躍に対し、不
断に協力する仏様を 「影向衆」 と呼び、お祀りしている干支の守り
本尊なのです。「浅草寺の大黒天」 が祀られており、ご朱印所にも
なっています。 「六角堂」 は、東京都内で唯一現存する室町時代
の建物で、日を限って祈願すると願いが叶えられるというユニーク
なお地蔵様。「100日後までに彼女ができますように!」 など、日
数を決めてお参りするとご利益があるとされています。「石橋」 は、
浅草寺に東照宮が造営された元和4年 (1618) に参詣のため
の神橋として造られたというこの石橋は、現存する中で都内最古
の石橋とのこと。石橋の下には錦鯉がたくさん泳いでいました。

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「淡島堂 (あわしまどう)」 (上)
浅草寺の境内、本堂の西側に位置するお堂で、和歌山県の淡島
神社が元の淡島神をお祀りする堂が 「淡島堂」 です。この淡島神
は女性にとってのあらゆることをつかさどる神とされており、安産祈
願、子宝だけでなく、お裁縫が上手くなるとも言われています。使え
なくなった針を、柔らかい豆腐に刺して供養する 「針供養」 があり、
そのときは多くの女性で賑わいます。
「胎内くぐりの灯籠」  (下左)
淡島堂内で、やや見落としがちなのが、江戸時代から有名だった
「胎内くぐりの灯籠」。この灯篭の下をくぐることで、子どもの虫封じや
疱瘡 (ほうそう) 除けになるとされています。お子様を連れている方
が時々潜らせている姿を見かけます。
「天水桶」  (下右)
太平洋戦争が激しくなった昭和18年(1943)、浅草寺僧侶らによっ
て夜儀が執り行われ、この天水桶内にご本尊の観音様をお厨子ごと
奉安し、本堂の地中深くに納めたため、ご本尊は戦火を逃れたという。
戦後に再び地中より掘り上げられ、その無事が確認されたようです。

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「市川団十郎 「暫」 の像」   (上)    
銅像は、本堂裏の観光バスが駐車する広場にあります。高さ4メー
トルほどの台座付きの立像で、歌舞伎の 『暫 (しばらく)』 の演目。
悪を成敗するため忽然と姿を現す際に 「暫く」 と一声高く叫んで、
「にらみ」 を効かせる場面の姿です。像の迫力に圧倒されます。
大正8年 (1919) 江戸歌舞伎ゆかりの地、浅草に劇聖と謳われ
た明治の名優九代目市川團十郎の銅像が作られたが、第二次
世界大戦中の金属回収で、銅像も供出の命を受けます。そして
40余年が経った1986年、12代市川團十郎襲名を機に復元の
機運が高まり、ここに 「暫」 の銅像が再現されました。

「こちら葛飾区亀有公園前派出所記念碑」  (下)
格式高い浅草神社の境内に 「こちら葛飾区亀有公園前派出所
(通称 : こち亀)」 の碑がありました。週刊少年ジャンプにて40年
もの長きにわたり連載された国民的漫画です。この浅草神社が主
人公である両津勘吉を育み、多くの感動を生み出しました。この
碑は、両さんの少年時代の友情を描いた 「浅草物語」 にちなみ、
人を思いやる気持ちの大切さ、そして子供たちが夢や遊び心を
忘れず健全なに成長してくれるよう願いを込めて建てられたよう
です。平成十七年建立。

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「奥山 (新奥山)」  (上)
江戸の昔、今の浅草寺本堂の西北一帯は、欲に 「奥山」 と呼ばれ、
江戸の盛り場として大道芸人や見世物小屋で大いに賑わう、場所
であったようです。明治以後、その賑わいは浅草寺西側の浅草公
園六区へと移り、六区は日本一の興行街 ・ 映画のメッカとして栄
えたが、その前身が奥山だったといわれます。現在は、新奥山と
して整備され、関係する諸碑が建てられています。

「瓜生岩子 (うりゅう いわこ) 女史の銅像」  (下)
諸碑が立ち並ぶ奥山庭苑に銅像があります。台座付きの座像で、
晩年の姿を描いています。故郷、福島で没した4年後に渋沢栄一、
久野徳五郎などの篤志家により明治34年 (1901) に浅草寺に
建立されました。瓜生岩子は、明治時代に社会的な弱者、貧困児
童の救済やそのための施設の設立に尽力した慈善家 (社会奉仕
事業家) です。自身、度重なる不幸に見舞われながら、人生を社
会事業に捧げたことから、「日本のナイチンゲール」 とも呼ばれ
ています。その功績により、女性として初めて藍綬褒章受賞。

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「曽我廼家五九郎顕彰碑」  (上)
浅草の喜劇王と言われた曾我廼家五九郎 (そがのや ごくろう) の
顕彰碑です。明治~昭和前期に東京浅草などで活躍した喜劇俳
優で、この石碑には彼が主演を演じた映画 「ノンキナトウサン」 が
描かれていて、その上には彼が好きだった 「群盲撫象」 の文字も
一緒に刻まれている。奥の永生の壁は世界平和を祈願して建立。
「喜劇人の碑」  (下左)
大衆演劇の聖地といわれる浅草らしい 「喜劇人の碑」。笑いの先人
達の名前を残そうと昭和57年に建立。ボードビリアン、コメディアン
として活躍し、楽曲演奏を取り入れたボーイズものの創始者として
知られる川田晴久を筆頭に、榎本健一、大宮デン助など24人の
名前が刻まれ、世を去った喜劇人たちを偲んで造られたようです。
「映画弁士塚」  (下右)
無声映画時代の往年の名弁士たちを記念して昭和33年建立。
弁士で活躍した方々の記念碑です。映画は活動写真といいました。
はじめは音声はありません。「無声映画 (サイレント映画)」 といい
ます。無声映画の解説をする方を活動弁士、略して弁士と言う。

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仲見世通りを浅草寺方面へ。伝法院通りと交差する道を右に曲が
って進むと、何やら歌舞伎役者の派手なオブジェに出逢います。
(下右) 周りを見回すと各店舗の屋根、ひさしにも盗賊のオブジ
ェがあるのに気づきます。(上) 「白波五人男」 は、鼠小僧と並
ぶほど有名な盗賊たちを描いた歌舞伎の演目として親しまれて
きました。主役は五人の大盗賊。用心棒となってこの通りを守っ
ています。「白浪五人男」 探しは意外と面白いのでお薦めです。
東京スカイツリーをバックに、派手なオブジェと記念撮影をする
外国観光客がたくさんいました。

「日本駄右衛門」  (下左)
日本駄右衛門は、伝法院通りの東側を散策していれば必ず見つ
かります。白浪五人男の首領で、親と生き別れになって盗賊に身
を持ち崩した。実の子を捨てた過去があり、玉島逸当という立派
な武士に化け浜松屋に客としてやって来て、弁天たちの正体を
見破る。しかし実はこれが浜松屋の金すべてを盗み取る計画の
発端。実在した盗賊 ・ 日本左衛門から名をとったと言われる。

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伝法院通りには、魅力あふれる店舗が並んでいます。通りの店を
眺めると、かりんとう屋さんと手ぬぐい屋さんがあります。軒で胡坐
をかいているのは弁天小僧菊之助です。そして、もつ焼きの千代
乃家の壁にへばり付いているのは忠信利平でした。

「女形 ・ 弁天小僧 菊之助」 (上)
美形の盗賊で、江の島弁財天の稚児出身のためか弁天小僧と呼
ばれる。稚児のときから手癖が悪かったため追放され、兄貴分の
南郷力丸と悪さをしていた。通し上演で出る 「初瀬寺」で は、武家
の若殿に化けて姫君を騙し、駄右衛門の手下となってからは、美し
い娘に化けて強請を働く。極楽寺の屋根の上で、立ったまま腹を
切るという凄惨な最期を遂げる。

「神出鬼没 ・ 忠信利平」  (下)
駄右衛門の手下で、もとは赤星の家来筋だった。「初瀬寺」 で百両
の金を手に入れるが、稲瀬川の谷間で偶然赤星と出会い、赤星の
境遇を聞いて金を渡そうとするが、逆に赤星から仲間にしてほしい
と頼まれたいきさつがある。

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弁天小僧菊之助がいる店の前には、ラーメンの 「よろゐ屋」 があり
ます。その屋根に腰掛けているのは赤星十三郎。さてどん尻に控
えしは・・・南郷力丸ですが、これがちょっと分かり憎い処にいます。
明治43年創業の 「中村屋本店」 という珍味屋の3 階のベランダに、
しかもドイツの国旗を背景に立っていました。

「最年少 ・ 赤星 十三郎」  (上)
もとは武家信田家の中小姓で優しい風情の色男。「初瀬寺」 では、
忠義のために百両の金を得ようと、回向料の百両を盗んで捕まえ
られる。稲瀬川では主筋の千寿姫の最期に居合わせ、自分も死ん
でしまおうとしたが忠信利平と出会い、盗賊の仲間となる。

「元漁師の船強盗 ・ 南郷 力丸」  (下)
出自は漁師で、弁天小僧の兄貴分となって二人組で悪さをしてい
たが、ともに駄右衛門の手下となった。娘に化けた弁天小僧ととも
に、コワモテのお供の若党 ・ 四十八 (よそはち) と名のって強請
の片棒を担ぐ。

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「お尋ね者 ・ 鼠小僧治郎吉」
オレンジ通りの角まで来ると着物ショップ 「胡蝶」 の屋根に怪しい
人影が。浅草奉行所がこんな御触書を出しています。「お尋ね者、
伝法院通りに出没し、江戸中の人々を驚かす不届き者。その名は、
鼠小僧治郎吉! 何処かに潜んでいる。注意深く、一軒一軒探し
てください」。(下右) 江戸中を騒がせる鼠小僧がこの辺りにいる
という。人相書きも出ていますね。あっ、呉服屋の屋根に! 千両
箱を抱えて! 隣はなんと番屋です。いよいよお縄頂戴か・・・・・。

「鼠小僧次郎吉」
江戸後期の盗賊。もとは職人だったと言われる。大名屋敷を中心
に盗みに入り、人を傷つけない義賊として評判になり、鼠小僧と呼
ばれていました。大名を狙ったのは、警備が甘いうえ、体面上被害
届が出にくいのが好都合であったためで、盗んだ金は博打などに
使い果たしたという。最後に上野小幡藩松平家に入ったところを
捕縛された。鈴ヶ森で磔にされて、両国の回向院に墓があります。

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「浅草六区」 (下右)
“浅草六区” といえば、かつては見世物小屋が集まり、一大興行街
として栄えた街です。現在、“六区” という町名はなくなりましたが、
その名残を感じることができるのが、この 『六区ブロードウェイ』 。
戦前は 「松竹劇場」、「常盤座」、「オペラ館」 がにぎわいを見せ、
エノケンなどのスターが全盛を誇っていた。その後、「浅草フラン
ス座」 が開場するなど、“大衆芸能” の聖地として、多くの芸人が
ここを目指しました。浅草演芸ホールと浅草東洋館が入るビル (上)

「浅草演芸ホール」 (下左) 
萩本欽一やビートたけしなどを輩出した、お笑いの殿堂 「浅草
演芸ホール」 は、鈴本演芸場 (上野)、新宿末廣亭、池袋演芸
場とならぶ、東京の 「落語定席」 のひとつです。「落語定席」 とは、
一年中、休まずいつでも落語の公演を行っている劇場のことで
「寄席 (よせ)」 とも呼びます。昭和39年 (1964) のオープン
以来、落語協会と落語芸術協会が交互に公演を行っています。
昼の部と夜の部は、原則として入替えがありませんので、好き
な時間に心ゆくまで 「演芸」 を楽しめます。

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「浅草東洋館 (浅草フランス座演芸場)」  (上)
萩本欽一、渥美清、ビートたけしら多くの演芸人を輩出した浅草フ
ランス座が、装いを新たに平成12年、新たな演芸場・浅草東洋館
として再オープンいたしました。建物を同じくする浅草演芸ホール
とともに、現在は、都内で唯一 「いろもの寄席 (漫才、漫談、コン
ト、マジック等)」 を連日開催する演芸場です。

「浅草東洋館」 は、昭和26年 (1961) に開業した 「浅草フランス
座」 に始まります。ストリップ劇場であった浅草フランス座は、ストリ
ップの合間にコントなどの軽演劇を上演していました。これが評判
になり、「東洋劇場」 が生まれることになります。舞台では、渥美清、
長門勇、由利徹、東八郎などがコメディを演じ、人気を博しました。
また、東洋劇場のオープンとともに、浅草フランス座がビルの4 階
と5 階に移動しました。同時にエレベーターが設置されたのですが、
後にエレベーターボーイとして雇われるのがビートたけし (北野武)
なのです。活躍した芸人(渥美清 ・ コント55など) の写真が壁に
展示されてます。(下) 今では、漫才のナイツで有名な演芸館に
なりました。ナイツが出演する時は満席になるようです。

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「鳩ぽっぽ」  ( 浅草寺境内の歌碑 )
浅草寺の境内に童謡 「鳩ポッポ」 の歌碑があります。
作詞した東くめ女史が観音さまの境内で、鳩とたわむれている子供
らの愛らしい姿をそのまま歌によまれたもので、昭和37年 (1962) 
に建立された。「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ…」 で始まる曲のタイトルを
「鳩ぽっぽ」 だと思っている人もいますが、その曲は 「鳩」 が正しい
タイトルのようです。両方とも 「豆を食べに来い」 と言っていますが、
「鳩」 は 「食べたら 一度にそろつて 飛んで行け」 とあり、「鳩ぽっ
ぽ」 の方は 「たべてもすぐに、かへらずに ぽっぽぽっぽと、鳴い
て遊べ」 と、作詞者の優しさが現われています。お馴染みの 「鳩」
の方は、作詩 ・ 作曲者不詳になっているようです。

かつて浅草寺と言えば、参拝客が鳩に餌を与える様子がひとつの
名物で、この歌碑の近くに 「はと豆」 を売っていて、私も子どもの
頃によく鳩に餌をやった記憶があります。現在は 「鳩に餌をあげ
ないで下さい」 という立て看板が立ち、時代の流れを感じます。

「鳩ぽっぽ」   東くめ作詞 ・ 滝廉太郎作曲
 はとポッポ  はとポッポ
    ポッポッポと  とんでこい
   お寺の屋根からおりてこい
    豆をやるからみな食べよ
   食へてもすに帰らずに
    ポッポッポと鳴いて遊べ  

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「天高く馬肥ゆる秋」
お出かけによい季節が巡ってまいりました。日本を訪れる外国人
観光客の方が年々増加していますね。外国人観光客の中でも人
気スポット 「浅草」。いつも混んでいて、もう何度も訪れているし、
行こうと思えばいつでも行けるので、と、すっかり足が遠のいて
いました。今回、足を運ぶ機会に恵まれ、「観光名所 ・ 浅草」 を
隅から隅まで楽しんでまいりました。色々なことを発見したり、
食も楽しめて・・・・いやぁ、浅草はいいですね。





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「幸せ」 を感じる時間

...2019/10/06 11:33...

10月らしからぬ真夏日がありつつも、朝晩の涼しさで
季節の移り変わりを実感します。眠れなかった夏の夜は、
なかなか辛かったのですが、快適に眠れるようになって、
気持ちよく目が覚めるも、ああ、また寝ちゃった。
うれしい寝坊の日が続く。

それでも・・・・・昨日は暑かった~。
朝から気温が上昇し、東京も真夏日となったようです。
炎天下の中、日影のない路上に出て交通整理を行う工事
関係者を見かけたほか、コンビニに立ち寄りアイスを買い
求め、その場で食べる人や汗を拭きながらの女性もおり、
それぞれが暑さに耐えながら日中を過ごしていました。
十月だよ、どうなっているの? と、お天道様を見つめるが
「私のせいじゃない!」 とそっぽを向いていました。(笑)
しかし、今朝は逆に涼しすぎるほどです。

うら恋し わが背の君は 撫子が 
    花にもがもな 朝な朝 (さ) な見む

これは大伴池主が 「私の恋しいあの方が撫子の花
ならば毎朝見られるのに」 と詠った歌です。
ナデシコは秋の七草のひとつとして知られ、「なでしこ
ジャパン」 など日本では女性を例える花としても有名です。
淡いピンク色の可憐な花を小さな子に例え、撫でたい
ほど可愛らしいことから 「撫でし子」 となったという。

やっぱり秋は恋をしたい季節ですね。 
今年の秋は恋をしてみませんか・・・。
恋はいいものです。 うふ

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「幸せ」 を感じる時間

しあわせは いつも自分の こころがきめる  (相田みつを)

日々の生活の中で、「幸せ」 を感じる時間は
どのくらいあるでしょうか?  1日、1回ほど? それとも
10 回ほどでしょうか? 人によって、また、おかれた環境
によっても異なるでしょうが、幸せを感じる時間が多ければ
多いほど、楽しい毎日を過ごせそうです。

さて、このことばには、2つの意味があるのでは
ないかと思います。1つ目は、普段、自分の周りに当たり前に
ある幸せに気づいているか、ということ。2つ目は幸せ、不幸せ
という価値観は自分の思い込みで生まれるということです。

1つ目の 「当たり前にある幸せへの気づき」 とは、
今日も一日をつつがなく迎えられ る幸せ、朝ご飯がおいしい
と感じる幸せ、おはようと挨拶を交わしてくださる人がいる 幸せ
・・・と、幸せを数えていけばきりがありません。そして幸せを数え
れば数える ほど、実は自分を取り囲む幸せがたくさんあるのだと、
実感できるのだと思います。

2つ目の 「幸せという価値観は自分の思い込みで生まれる」
とは、具体例を挙げれば、 どんなに恵まれて幸せそうに見える人
でも、本人が幸せだと思っていなければ、その人は幸せではないと
いうことがあるでしょう。幸せとは、例えばお金に不自由しないことだ、
容姿に恵まれていることだ、などという定義は、自らが作りあげた
価値観です。その価値観に振り回され、今が幸せだと感じられない
こともあるかもしれません。

しかし、本当は、自分に都合のいい出来事も、悪い出来事も、
すべての出来事が自分を本当の幸せへと教え導きたい神様の
プレゼントなのではないでしょうか。相田みつをさんの 「しあわせは 
いつも自分のこころがきめる」 という言葉は、私には、「神様の、
必ず私たちを一人も漏らさず幸せにしたい、せずにはいられない」
という心を知り、信じ、喜び、受け取った 「自分の心」 だと思えます。

同じ出来事を経験しても、感じ方は人それぞれです。
そうであれば、神様に与えられている多くの幸せに気づけるよう、
幸せセンサーの感度を上げて、楽しいことをたくさんキャッチして
みてはいかがでしょうか。幸せは、いつも自分の心が決める。


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~浅草 ・ 浅草寺を散歩~

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お寺や日本の歴史が好きというカナダの人が来日したので、一緒
に案内をして貰えないかと友人に頼まれ行って来ました。季節の
移ろいを感じたいときや、静かに散策を楽しみたいときに、ふと足
が向くのは神社仏閣です。神社仏閣の代表と言えばやはり浅草
でしょう。人が多すぎて静かに散策出来ないけど。(笑) 昔からあ
る神社や、時の権力者が開いた寺などそれぞれに歴史があり、見
どころたっぷり。観光に来たらまずはおさえておきたい場所です。

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浅草寺の 「雷門」 向かいに、浅草文化観光センターがあります。
浅草に訪れる方に役立つ情報やサービスが充実している。8 階
に展望テラスが設けられており、浅草の町並と東京スカイツリー
を眺めることができます。展望テラスから眺めた浅草寺周辺です。

浅草は日本だけでなく、世界中から人が集まる人気観光地です。
浅草寺を中心に広がるバラエティ豊かな商店や東京スカイツリー
をはじめ、歴史や文化を感じられるスポット、娯楽が楽しめるスポ
ットなど、様々な観光が楽しめます。また、美味しいグルメも目白
押し、観光に疲れたら、癒しの湯スポットまであります。

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「雷門」
雷門通りに面して建つこの門こそが 「雷門」 です。なんだか見る
だけで 「浅草に来たな~」 と、胸がワクワクしてくるのは、威勢の
いい雰囲気と活気に包まれるからでしょうか。浅草のシンボル ・
雷門の前は、いつも記念写真におさまる国内外の人びとでいつ
も賑わっています。ガイドブックなどでもドーンと写真が載ってい
る 「雷門」 の大提灯はあまりにも有名です。(下左)

ちなみにこの 「雷門」 の正式名称は 「風雷神門」 。風神・雷神は、
風や雷をつかさどる神さまであり、浅草寺の護法善神で、元々雷
門はこの二神の名前から 「風雷神門」 と呼ばれていました。何度
も大火等で焼失し、最後に焼失してから100年ほど何もない状態
だったようですが、松下電器産業 (現・パナソニック) の創始者で
ある松下幸之助氏が昭和35年に現在の門を寄進し、今日に至り
ます。雷門の中央にある大きな提灯の底には、、「雨を降らす力
があり、火事から人々を守る」 と言われている龍の彫り物があり
ます。(下右)  さて、門をくぐって浅草寺へお参り。

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「仲見世」
浅草寺のシンボル 「雷門」 から中へ入ると、宝蔵門まで約250m
にわたって、参道の両側にお土産屋等の店舗が並ぶ。日本で最も
古い商店街のひとつであり、いつも活気に溢れています。 ここは
「仲見世」 と言って、浅草寺の表参道にあたります。仲見世の発祥
は、参拝客が多くなったことにともない、付近の住民に清掃をする
ことを条件に軒先に店を出す許可を与えたことが始まりと言われる。

活気溢れる参道には、下町情緒溢れる老舗のお店からお土産もの
屋さんまでズラリと並んでいて、日中や土日などはかなりの人出で
賑わっています。1個から買える食べ歩きグルメなども多く、店先で
食べるよう指導してるそうですが、通行人の服を汚してトラブルも絶
えないようです。また仲見世通りのお店は、閉店時にはシャッター
を閉めています。そのため開店前や閉店後には、シャッターに描か
れた 「浅草絵巻」 が楽しめ、仲見世通りのもう一つの顔として人気。

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「宝蔵門 (ほうぞうもん)」
雷門をくぐり、人通り賑やかな仲見世を歩いてゆくと、前方に堂々
たる朱塗りの楼門が参拝者を迎えてくれます。宝蔵門は、天慶
5年 (942) 創建。その後、度重なる火災消失に見舞われますが、
江戸時代は徳川家光、戦後はホテルニューオータニ創始者の大
谷米太郎氏の寄進により再建されました。門は初層が五間で、両
端の二間には仁王像を奉安し、(下右) 中央の三間が通行のた
めに開口しています。

宝蔵門には、雷門と同じように提灯が吊り下げられ、その横には
吊り燈籠が架けられています。(下左) 提灯は高さ約4m と雷門
の物より小ぶりです。提灯には大きく 「小舟町」 と書かれています。
この小舟町は中央区の日本橋小舟町の事で、日本橋小舟町奉賛
会より奉納されたものです。吊り燈籠は高さ約3 m ・ 重さ1トンの
銅製で、昭和63年 (1988) に 「魚がし講」 より奉納されました。
奉納以来、現在までに2 回かけ替えられています。

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「大わらじ」
宝蔵門をくぐったら是非振り向いてみて下さい。門の裏の両側に
「大わらじ」 がかけられています。(下) 高さ 4.5m ・ 幅1.5 m、
重さ500 kg 。山形県村山市の奉讃会によって、昭和16年に始ま
り、およそ10年に一度、大わらじが奉納され続けているようです。
延べ人員800人、一ヶ月をかけて制作されたもので、藁2500 ㎏
を要し、大変な労力が必要で、まさに信心の結晶といえます。わら
じは仁王さまの力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの
寺を守っているのか」 と驚いて魔が去っていくといわれています。

「雷門」 は、松下幸之助氏の寄進により建てられ、本堂の手前に
ある 「宝蔵門」 も大谷米太郎さんという日本の鉄鋼王、日本三大億
万長者の一人と呼ばれた大金持ちに寄進されたものでした。こんな
バカでかい立派な門はいったいいくらかかるのか、そんな門を寄進
するほどの金持ちも、その後に事業に失敗して会社を買収されてし
まったようです。私も今回初めて知りましたが、昔は太っ腹なお金持
ちが昔はいたんですね。

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「常香爐 (じょうこうろ)」  (上)   
お参り前のお約束。きちんと常香爐とお水舎でお清めをします。
ご本堂の前には煙がたちのぼる 「常香爐」 があります。仏様に線
香を供え、その煙を浴びることで心身を清める場所です。 本来は、
お香を焚く際に出る煙を体にかける習慣は、参拝前に体のけがれ
を洗浄するために行われますが、浅草寺では 「この煙を悪いとこ
ろにかけると治る」 という噂が広がりました。老若男女を問わず、
さらには外国からの観光客も煙をかけている人を多く見かけます。

「手水舎」  (下)
本堂へのお参りの前に手や口をすすいで身を清める場所です。
八角形錆御影石造りの手水鉢の上には龍神像があります。(下左)
こちらは、近代日本彫刻の礎を築いた高村光雲作。龍や龍神は、
水をつかさどる神です。天井絵は 「墨絵の龍」 で、東韶光画という。
さすが由緒あるお寺です。

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「浅草寺 ・ 本堂 (観音堂)」
入母屋造りの大屋根は、勾配が非常に急で棟が高く威風堂々と
した佇まい。年間約3000万人の参詣者が訪れる浅草寺は、鎌倉
時代から江戸時代にかけ、様々な歴史上の人物の信仰と守護を
集めました。その後、現代に至るまで 「浅草観音」 の名で庶民に
も親しまれる民間信仰の中心地となったのです。

本堂の創建は、ご本尊が示現された推古天皇36年 (628) に
さかのぼります。檜前浜成 ・ 竹成の兄弟が隅田川で観世音菩薩
のご尊像を感得したのち、草刈り童子によって藜で屋根を葺いた
堂に一時安置された。その後、土師中知が私邸を寺として、この
聖観世音菩薩のお像を奉安したのが、本堂の起源であるという。

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「本堂内」
堂内は内陣と外陣に分けられており、外陣に入ると正面上に雄渾
な筆致で 「施無畏 (せむい)」 と書かれた扁額が掛かっています。
(下左) 「施無畏」 とは、観音さまのはたらきそのものを意味する。
外陣は天井まで約10m の大きな空間です。(上) 天井に描かれ
ている三面の大きな絵には、中央が川端龍子画 「龍之図」、左右
が堂本印象画 「天人之図」 「散華之図」です。(下右) 江戸時代
の参拝者は天井を見上げて天人にも祈願していたようです。

内部は二間の畳敷きになっており、上段の間にはお厨子に納め
られた 「秘仏」 のご本尊聖観世音菩薩、下段の間にはご本尊の
身代わりである 「御前立ご本尊」 の聖観世音菩薩のほか、徳川
家康、徳川家光、公遵法親王などの護持仏であった観音像が
安置されています。

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「五重塔」
京都の五重塔は有名ですが、浅草寺境内にもかなり立派な五重塔
があります。本堂の西南に位置し、なかなか存在感のある五重塔は、
天慶5年 (942) に建立され、その後焼失と再建を繰り返して太平
洋戦争で焼失する前の塔は、徳川家光により建立されたもので国
宝だったそうです。昭和48年 (1973) に再建された鉄骨 ・ 鉄筋
コンクリート造りの塔で高さ約53 mです。外から見ると地上面から
建っているように見えますが、実際は基壇状の建物 (塔院) の上
に建っています。日没後はライトアップされ、朱色が鮮やかに夜空
に浮かび上がります。

五重塔は、お釈迦様の遺骨を納める墓所であり、仏教寺院に多い
仏教建築で仏舎利塔とも呼ばれています。インドはドーム形ですが、
大陸を渡たり中国でこのような形になったことから、日本でも現在の
ような五重塔となっています。

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「伝法院」
浅草寺本坊門 (下左) の奥には、江戸中期に建てられた浅草寺
の本坊である伝法院があります。客殿 ・ 玄関 ・ 没者の間は安永
年間の建築で、客殿は山内二十四ケ寺の住職の修行道場であり、
写経の会などもここで行われています。門内は一般非公開となっ
ております。時々、内部の国宝級の資料等を公開する時は、庭苑
なども開放します。五重塔脇の狛犬がある入口から入ります。(上)
伝法院通りにあるのが浅草寺本坊通用門。(下右)

「伝法肌」 とはその昔、ここの門番が住職法親王様の威光を頼んで
無茶なことをしたことから、粗暴な振る舞いをする悪い意味でしたが、
その後転じて男伊達 (おとこだて) のある気風 (きっぷ) のいい者
を指して 「伝法肌」 と言われるようになりました。

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「浅草神社」
浅草寺本堂の右隣にあるのが 「浅草神社」 です。実はこの神社は、
浅草寺が創立されるきっかけとなった仏像を見つけた漁師の兄弟
を祀っている神社なんです。 また、仏像を観音菩薩だと見抜いた
「土師中知」 も一緒に祀られているので、浅草神社には3人の神が
祀られています。そのため、浅草神社は別名 「三社様」 と呼ばれ、
浅草神社のお祭りは 「三社祭」 と呼ばれています。5月に行われ
る三社祭では、浅草の町内から約100基のお神輿が集まって、
町を練り歩きます。期間中は浅草の街がお祭り一色に彩られます。
浅草神社は、明治時代に入るまでは浅草寺と一体でしたが、明治
の神仏分離により浅草寺とは別法人になったということです。徳川
3代将軍家光公の寄進による権現造りの社殿は、国の重要文化
財に指定されています。

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外国人観光客が訪れたい日本の名所として必ず名前があがるほど、
海外からの熱い視線が注がれる、「THE江戸」 を感じることができる
場所が多いのが特徴の浅草。歴史的建造物も多く存在し、日本の
文化と情緒を感じることができる街並みや、浅草寺を中心として神
社やお寺の多さも魅力のひとつでしょうか。外国人観光客から熱い
注目を集める浅草エリア。東京スカイツリーや雷門などの 「日本ら
しい」 名所が一度に感じられる江戸下町の魅力あふれる観光スポ
ットです。そんな観光地として日本が誇る浅草の魅力でしょうか。

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「弁天堂」  (上)
本堂の東南部にある弁天山と呼ばれる小高い丘の上に建ってい
ます。白髪の弁天様がお祀りされていることから、「老女弁天」 と
呼ばれています。特に霊験あらたかだということで、「関東三弁天」
のひとつに数えられています。弁天様は七福神唯一の女神です。
天女のようないでたちで楽器の琵琶を持ったお姿が、よく描かれ
ます。音楽はもちろん、芸事 ・ 芸能の上達にご利益があります。

江戸の名鐘 「時の鐘」  (下)
弁天堂に向かって右手に鐘楼があり、そこに掛けられている鐘が
「時の鐘」 です。鐘は元禄5年 (1692) に五代将軍徳川綱吉の
命により改鋳され、江戸の市中に時を告げていた鐘のひとつです。
深川に居を構えていた松尾芭蕉が 「花の雲 鐘は上野か 浅草か」
という句を詠んでいます。戦時中、多くの寺の鐘が供出を余儀なく
されたなかで、弁天山の 「時の鐘」 は特に由緒がある鐘ということ
で残されました。現在も毎朝6時に役僧によって撞かれており、
大晦日には新年を告げる 「除夜の鐘」 が鳴らされます。

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「おみくじ」
参詣に訪れた際に欠かせないのが、ご本堂周辺にあるみくじ所で
の運試し、ご存じおみくじです。浅草寺では、日中は至る所でおみ
くじを楽しめますが、夜間ライトアップ時間帯は本堂の脇にある場所
のみが可能です。無人ですので、自らの責任で100 円を収めたら
みくじ棒を引き、その棒に書かれた番号の整理箱の引出を開き、中
のみくじ箋を受け取ります。もしも 「凶」 が出たら、みくじ掛に結んで
帰ります。浅草寺ではこの後お焚きあげして、観音さまとのご縁を結
んでくれるとのこと。何だか安心ですね。「吉」 のおみくじは自宅へ
持ち帰って、ときおり読み返すといいようです。

浅草寺のおみくじ、「凶」 が出やすいことで有名なのはご存知ですか。
おみくじは、「凶 ・ 吉 ・ 末吉 ・ 半吉 ・ 小吉 ・ 末小吉 ・ 大吉」の7種
類で構成されています。その中で 「凶」 の割合は30%と、とても高い
確率になっているんです。そのぶん、大吉が出たらとっても運が良い
あかし! 浅草寺を訪れたら運試しにぜひ引いてみてください。

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浅草寺は、初詣で多くの参拝客が訪れることでも有名です。三が
日における参拝者数は、約280万人にも及びます。境内には多く
の屋台が出店しており、お祭りムードを味わうことができます。周
辺には東京スカイツリーなど日本を代表する観光スポットがある
ほか、食べ歩きが楽しい仲見世通りや歴史を感じる老舗グルメが
あるので、子供からお年寄りまで誰もが楽しめるスポットです。

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「大黒家天麩羅」 
お腹が空いたので立ち寄ったのが、「まずかったら、銭はいらねい
よっ!」 的な自信満々の江戸っ子の意気を感じる 「天ぷらの大黒
屋」 へ入ることにしました。浅草伝法院通りにある店の前は、相変
わらず沢山のお客さんが並んでいました。メニューをながめ迷いに
迷ったのですが、エビ2匹とかき揚げとで1.750円の天丼にした。
(下右) おおっ~出てきました。蓋付きの丼で出てくるとは予想外
です。「蓋が閉まらない」 って知っていて蓋するところも江戸っ子っ
ぽくて気に入りました。玉手箱をあけるようにそっと蓋を取ります。
湯気とともにいい~香り。おや?普段食べる天丼とちょっと違う。
黒いです。江戸前天丼の特徴であるごま油と、厚めの衣に染み
た濃いタレに食欲をそそられます。エビをつまみ上げてみました。
ほ~っら! 甘辛いタレのきいたしっとりした衣にかぶりつきます。
するとエビの身が歯に心地よい反発してきてプリッと噛み切れる。
うまーい! かき揚げにも小海老がたくさん入っていて、タレがか
かったご飯もたっぷり入っています。これが創業1887年の老舗
の天ぷら屋 「大黒家」。食べ終えたらお腹はかなり満足でした。

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浅草寺といえば雷門や仲見世通りなどが、よくテレビなどに出て
くるので 「行かなくてもだいたい知ってるよ」 と思ってる方も多い
かもしれませんが、それほど有名じゃなくても楽しいスポットは
たくさんあります。また過去に行ったことがある人でも、スカイ
ツリーが一緒に見える風景は、また新鮮だと思いますよ~。

青空をいつもより広く感じる境内は、四季折々の庭園美もあり、
ゆっくり散策するにも絶好の場所です。針供養が行われる 「淡
島堂」、徳川家光ゆかりの 「薬師堂」 など、いろいろなお堂が
あり、時間にゆとりがある場合は、のんびり巡って見ることを
おすすめです。ゆっくり浅草の散歩が出来て楽しかったです。





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いつも訪問して頂きありがとうございます。    


~ 音楽から歴史が見える ~

...2019/09/29 16:27...

9月も残り 1日。
秋の足音が聞こえてきたような気がします。
秋といえば、スポーツ ・ 食 ・ 行楽 ・ 読書 ・ 芸術・・・。
何かを始めたり、どこかに出かけたりがぴったりな季節です。
私も、暑さが少し落ち着いてきたので、テニスを再開したり、
ジョギングをしたりと、週末は外で過ごすことが多くなりました。

来た時よりも美しく──。
これはもはや日本の心を表すと言ってもいいかもしれない。
近年、海外で日本人の 「掃除」 が取り上げられる機会が
増えているが、またしても日本の心が話題になっている。

「ラグビーW杯2019 日本大会」 は、各会場で世界の代表
チームが熱い戦いを繰り広げている。サッカーW杯では
日本代表が、ロッカーを清掃して、テーブルの上にロシア
語で 「ありがとう」 を意味する 「スパシーバ」 という文字が
書かれたメッセージを残し称賛された。 今大会では日本
のおもてなしを返すように、選手たちが試合後に観客席に
向かって深くお辞儀をしたり、ロッカールームを清掃したり、
各国の “おもてなし、美ロッカー運動 ”が広まっているとう。

東京スタジアムを使用したフランスの選手たちが、試合後に
ほうきなどを使ってロッカールームを自ら清掃。また、東大阪
市の花園ラグビー場で対戦したイタリアとナミビアの両チー
ムも 「ほうきを貸して」 と、試合後にロッカールームを清掃、
綺麗にして去ったという。多くの人から称賛の声が寄せら
れた。「ラグビーの母国」 英国でも反響を呼んでいるようだ。

試合中だけでなく、ロッカールームでもスポーツマンシップ
を見せて素晴らしいです。さすが紳士のスポーツですね!
日本人らしい美徳が表れたシーンを誇らしく思った。
ラグビー ”にわか” ファンの一人として、ラグビーW杯を
おもてなしを胸に楽しみたい。

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~ 音楽から歴史が見える ~

皆さんは音楽が好きですか?
私もクラシック音楽がとても大好きです。
先日、友人に誘われてコンサートに行って来ました。
すると吹奏楽部に所属する近所の女子高生の親子や
幼馴染の人や仕事関係の方などと遭遇し、挨拶しな
がら 「楽しみだね」 とウキウキ気分で音楽鑑賞でした。

「クラシック」 といえば、非常に堅苦しくて、
聞いていて眠くなる・・・・を思う人がいるかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。「クラシック」 と呼ばれる
音楽が作られた当時にしてみれば、私たちが考える
「流行歌」 と大して変わらない位置づけだったんですよ。
ですから、「クラシック」 と呼ばれる音楽は、当時の流行
やメッセージがふんだんに盛り込まれているんです。
その中の一つを紹介しようと思います。

私のお気に入りの曲の一つに 「序曲1812年 」 という
曲があります。作曲者はピョートル ・ チャイコフスキー。
「くるみ割り人形」 などを作った人として非常に有名です。
しかしこの曲は、クラシック音楽の中でも非常に珍しい
ことですが、通常楽器としては扱われないものを楽器
として使われていることで知られています。
何だと思いますか? それは 「大砲」 です。なんで?
と思うかもしれませんが、実はその理由はタイトル
からもわかります。

1812年という年は、フランス史上最大の英雄である
ナポレオンがロシア遠征を行って、大損害を出して撤退
した年です。ロシアでは、今でもロシア遠征を「祖国戦争」
と呼び、誇りに思っています。この年は、ヨーロッパ史に
おいても非常に重要な年です。当時無敵だと思われて
いたナポレオン率いるフランス軍がロシア軍に大敗した
という事実は、ナポレオンのことを快く思っていないヨー
ロッパ各国に勇気付けることになり、後のナポレオンの
滅亡へと繋がっていくきっかけとなったからです。

さて、「序曲1812年」 は、フランス軍がロシアに攻めてくる
様子や、ロシア軍がフランス軍をやっつける光景を表現して
います。その最大の盛り上がりを見せる部分で 「大砲」 の
出番がやってきます。「大砲」 を用いることで、ロシア軍が
フランス軍をやっつけたことを強調しているわけです。
通常のコンサートホールで行われる演奏では、バスドラム
で代用される事が多く、片面のヘッドの除去やチューニング
を狂わせる等の効果音的な楽器加工も行われます。

チャイコフスキーは、この曲の作曲をとても嫌がりました。
彼は友達への手紙の中にも、「この作品を愛情もって作っ
てはいない」 といっているくらいです。それでも彼は短期間
でこの曲を完成させて発表しています。するとロシア国内で
大反響を巻き起こし、世に知られる曲となりました。 ただし、
この曲はフランス国内ではほとんど演奏されることはありません。
だって 「フランスが負けた」 ことを表現している曲なのですから。

私が伝えたいことは、「芸術作品」 として世に残っているもの
には、それぞれの背景があり、作者の思いや意志が込められ
ているということです。「読み取る」 ということは、単に 「国語
の問題で正確に答えを出す」 というだけではありません。
なぜそういう結論に至ったのか、ということを掘り下げて
考えることこそ、真の 「読み取り」 なのです。


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松方コレクション展
国立西洋美術館開館60周年記念

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国立西洋美術館で開催している 「松方コレクション展」 の入場者
が40万人を突破した程の人気ぶりに、美術ファンとしてはジッと
していられない。(笑) 職場の仲間を誘って鑑賞して来ました。
芸術の秋に相応しいスタート時期です。今年2度目の美術鑑賞。
国立西洋美術館を訪れるのも実に久しぶりです。

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「国立西洋美術館」
国立西洋美術館は、フランス政府から寄贈返還された松方コレク
ション (印象派の絵画及びロダンの彫刻を中心とするフランス美術
コレクション) を基礎に、西洋美術に関する作品を広く公衆の観覧
に供する機関として、昭和34年 (1959) に発足しました。 以来、
広く西洋美術全般を対象とする唯一の国立美術館として、展覧事
業を中心に、西洋美術に関する作品および資料の収集、調査研究、
保存修復、教育普及等を行っています。また、平成28年 (2016)
に国立西洋美術館を構成資産に含む 「ル ・ コルビュジエの建築
作品―近代建築運動への顕著な貢献―」 が、世界遺産一覧表
に記載されました。上野恩賜公園内にあります。

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大方の予想はしていたのですが、西洋美術館前の広場へ入った
途端、凄い行列が目に飛び込んできました。チケットを購入する
のに最後尾が40分待ちだという。(上 ・ 下左) 私たちは事前に
上野駅構内にある 「MUSEUM TICKETS (美術館チケット売場)」
で購入していたので安心です。(下右) 「松方コレクション展」 を
購入する方が多かったみたいで、こちらも行列が出来ていました
が、約20分位待ったでしょうか。人気の展覧会はチケット売り場
から大行列ができます。 ただでさえ体力を使う人気の展覧会、
入場くらいはスムーズにいきたい・・・・。上野駅構内の売り場で、
博物館や美術館の展示会のチケットを購入することをお勧め。

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神戸の川崎造船所 (現 ・ 川崎重工業株式会社) を率いた松方
幸次郎 (1866~1950) は、第一次世界大戦による船舶需要を
背景に事業を拡大しつつ、ロンドンやパリで大量の美術品を買い
集めます。当時の松方のコレクションは、モネやゴーガン、ゴッホ
からロダンの彫刻、近代イギリス絵画、中世の板絵、タペストリー
まで多様な時代 ・ 地域 ・ ジャンルからなり、日本のために買い
戻した浮世絵は、約8000点も加えれば1万点に及ぶ規模でした。

「松方コレクション展 (国立西洋美術館開館60周年記念)」
会期:    219年6月11日 (火)~9月23日 (月・祝)
開館時間: 9 時30分~17 時30分 金・土曜日9 時30分~21時
観覧料金:  一般1.600円、大学生1.200円、高校生800円
         中学生以下は無料。

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西洋美術館の展示会場 (下右) は、地下なので階段から降りてい
きます。(下左) 入口を入って右側に進むと階段があります。(上)
奥の方に人の行列が見えますが、これは外でチケットを購入す
る人たちの行列がガラス越しに映っているわけです。凄い行列。

西洋美術館開館60周年を記念した本展では、名高いゴッホ 《アル
ルの寝室》 や、2016年に発見されたモネの 《睡蓮、柳の反映》 等
国内外に散逸した名品も含めた作品約160点や歴史資料とともに、
時代の荒波に翻弄され続けた松方コレクションの百年に及ぶ航海
の軌跡をたどる展示会です。

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「プロローグ」
展覧会の冒頭では、コレクターとしての松方幸次郎、そして彼が思い
描いた 「共楽美術館」 の構想の概要を松方コレクションの象徴的存
在であるモネの 「睡蓮」 や松方幸次郎について資料とともに紹介。

フランク ・ ブラングィン 「共楽美術館構想俯瞰図、東京」  (左)
こちらは麻布に作る予定だった美術館の構想図です。ロの字状の
回廊と中央に噴水があり、堅牢な西洋風の建物となっています。
日本人画家が本物の西洋美術を観る機会もないので、この美術
館で本物を見せてあげたいという考えで計画したようで、日本人
が西洋を知ることの助けにもなると考えていたようです。造船所
が経営破綻して、この美術館は夢のままに終わってしまいました。

フランク ・ ブラングィン 「松方幸次郎の肖像」 1916年 (右)
これが松方幸次郎の姿です。作品収集に協力した国際的な芸術家
ブラングィンが、口髭を生やしパイプを握ってソファに座る背広姿の
松方幸次郎を生き生きと描いた作品。背景には赤紫色の花模様が
あり、何処と無く華やかな雰囲気もあります。カンバスの裏側には
「1時間で描く」 との旨が書いてあるそうです。

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    クロード ・ モネ 「睡蓮」 1916年
「プロローグ」 で 「睡蓮」 が、濃紺の壁を背景に色鮮やかに来館
者を迎えてくれました。コレクションの目玉を最初に持ってくるとは、
西洋美術館は、なかなか度胸のあることをしますね。1921年に
モネの代名詞的な作品郡の1つです。いつも常設の部屋にあるの
で見慣れている感じはありますが、睡蓮の葉っぱ、花、水面、木々
の反映などが色とりどりに表現されていてリズム感を感じさせます。
日本で本物の西洋美術を観せたいという松方幸次郎の志に共感
するものがあったのかもしれません。これだけの名作を日本で観
られるのは、松方幸次郎のおかげですね。

第一章  「ロンドン 1916-1918」
展覧会は8章に分かれ、最初は 「1 ロンドン 1916-1918」。
作品が2段、3段に掛かり、海外の美術館のような雰囲気に圧倒さ
れます。1916-1818年、川崎造船所の社長であった松方はロン
ドンを拠点に自社船を売込み、作品収集も始めました。ここでは、
作品と資料を通じて松方コレクションのはじまりの様子を紹介。
ここの展示には、イギリスの焼失した倉庫にあった絵画のリストも
あり、重要な作品もあって、非常に悔やまれます。

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ジョン ・ エヴァリット ・ ミレイ  「あひるの子」 1889年  (左)
西洋美術館の人気者の女の子がお出迎えです。特定の少女の肖
像画として描かれたものではなく、その題名が示すように、画面の
手前に見えるあひるの子と少女が重ね合わされた、寓意的風俗画
と解釈されているようです。この幾分貧しげな少女の中に、アンデル
センの童話 『醜いあひるの子』 のあひるの子と同じような将来の変
貌を見させようとしているものと考えられようです。少女に当てられ
る光が、暗い背景からその姿を浮かび上がらせ、印象的な効果を
高めている感じです。

ダンテ ・ ガブリエル ・ ロセッティ  「愛の杯」 1867年  (右)
女性が金色の 「愛の杯」 を掲げています。背景には、旧約聖書の物
語を表す4枚の真鍮の皿と、忠誠や永遠を象徴する蔦の葉が見られ
ます。額縁の銘文には 「甘き夜、楽しき昼/美しき愛の戦士へ」 とあり、
この女性は、戦いへおもむく恋人のために乾杯しているのでしょうか。
「愛の杯 (ラヴィング・カップ)」 は、親しい者、特に恋人同士でくみ交
わす杯で、それにふさわしくハートの模様が付けられていると説明が。

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第二章  「第一次世界大戦と松方コレクション」
松方が造船所の経営拡大を推し進めつつ、コレクションを築き始めた
1910年代後半のヨーロッパは、第一次世界大戦という時代でした。
この頃、大戦を題材とする絵画や版画、ポスターなどが多く作られた
そうで、松方コレクションにも第一次世界大戦を巡る作品が多数含ま
れているようです。ここにはそうした戦中戦後の作品が並んでいました。

リュシアン ・ シモン 「墓地のブルターニュの女たち」 1918年頃
こちらはフランスのブルターニュ地方の女性たちが喪服姿で描かれ、
真新しい墓の前でじっと墓を観ているようです。傍らには娘らしき子供
もいて、戦争によって失われた家族の存在の大きさを感じさせますね。
フランスの旗のような物や花が供えられていることもあり、何故か全体
的に明るく爽やかな色彩となっているのが意外な感じです。水彩の軽
やかさもあって、ちょっと奇妙な感覚でした。解説によると、この画家は
従軍したそうで、戦後の様子も描いていたのだとか。

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第三章  「海と船」
川崎造船所 (川崎重工業の前身) の社長を務めた松方は、初期
のコレションに海や海景を主題とする絵が多かったようです。本業
が造船所だけあって気になる題材だったのかもしれません。この
セクションでは、日露戦争を描いたヘミーの海戦画や難破の悲劇
を描いたコッテの大作、1921年の皇太子裕仁親王の訪欧を記念
した海景画などが展示されていました。

ウジェーヌ = ルイ ・ ジロー 
「裕仁殿下のル ・ アーヴル港到着」 1921-1922年
こちらは皇太子時代の昭和天皇が、訪欧した際に現地の画家に注
文して描かせた作品のようです。皇太子が乗船した御召艦 「香取」
と供奉艦 「鹿島」 がル ・ アーブルに着いた様子らしく、万国旗や
旭日旗が掲げられ沢山の人が岸に集まっています。甲板にも多く
の制服姿の人の姿が見受けられます。全体的に色は淡く軽やかで、
筆致も大胆で爽やかな雰囲気となっていました。

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第四章  「ベネディットとロダン」
美術館設立という明確な目標を定めた松方は、やがて近代彫刻の
父ロダンの作品収集へ向かいます。1918年、松方はレオンス・ ベ
ネディットが館長をつとめるパリのロダン美術館と契約を結び、大作
「地獄の門」 を含め、最終的には50点を超える彫刻作品を入手して
世界有数のロダン ・ コレクションを築いたようです。有名な 「考える
人」 や 「地獄の門」 のマケット (彫刻の試作のための雛型 (ひなが
た) などもありました。

オーギュスト ・ ロダン  「地獄の門」  1880-90年頃  (上)
新しく建設される予定のパリの装飾美術館のために入口の門扉の制
作を政府から依頼され、ダンテの 『神曲』 地獄篇に登場する 「地獄の
門」 をテーマとした大作です。未完の大作で、ロダンの生前には結局
鋳造はされなかったようです。しかし、5メートルを超える作品の前に
立つと、その存在感と迫力に圧倒されます。美術館の前庭に展示さ
れているので、入館料を払わなくとも鑑賞できます。(笑)  

オーギュスト ・ ロダン 「考える人」 1881-1882年  (下)
裸の男性が岩の上に坐り、両足を引き寄せ拳を顎にあてて、夢想し
ている姿でしょうか。西洋美術館前の庭に像がありました。教科書
にも載っている有名な作品です。考える人は、「地獄の門」 の門の
上で地獄を観ている人物を切り出したものです。(上右) この肉感
的で力強い表現はロダンの魅力ですね。館内にはマケットが展示
されていました。「地獄の門」 から独立した 「考える人」 は、一個の
思索する人物ではなく人類共通の普遍的な人間像となったようです。

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1927年 (昭和2年)、昭和金融恐慌のあおりで造船所は経営破綻
に陥り、コレクションは流転の運命をたどります。日本に到着してい
た作品群は売り立てられ、ヨーロッパに残されていた作品も一部は
ロンドンの倉庫火災で焼失、さらに他の一部は第二次世界大戦末
期のパリでフランス政府に接収されました。戦後、フランスから日本
へ寄贈返還された375点と共に、昭和34年 (1959)、国立西洋美
術館が誕生し、ようやく松方コレクションは安住の地を見出したのです。

第五章  「パリ  1921-1922」
パリで集めたコレクションのコーナーです。数々のパリの有名画廊で
次々と重要作品を購入して、コレクター松方の名を知らしめました。
この滞在期にモネのアトリエを訪れて、《睡蓮》 をはじめとする作品
を多数購入しています。このセクションでは、モネやルノワール、ゴ
ーガン、ゴッホらの名品の数々とともに、華やかなパリを舞台に成
熟したコレクターとして活躍する松方の足取りをたどります。

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クロード ・ モネ  「舟遊び」 1887年  (左)
こちらはモネを訪ねて入手した作品のようです。この作品も下手を
すれば日本に返還されなかったのではないかという傑作。描かれ
ているのは、女性2人が小舟に乗り、水面を漂っている姿のようす。
しかし、画家の関心は二人の女性ではなく、水面に映る一瞬、一
瞬の光景にあるのではないかとの解説。この作品を鑑賞している
と、水上の光景よりも、水面の光景のほうにまず目を向けてしまう。
船の半分しか描かないという大胆な構図が面白い。

ポール ・ ゴーガン 「扇のある静物」  1889年頃  (右) 
こちらはゴッホとの共同生活が破綻した直後に描いた作品。やは
りフランスから返還されなかった重要な傑作です。手前にリンゴや
カップなどの静物が描かれ、奥には花が描かれた扇が飾られてい
ます。ややセザンヌにも似た感じですが、色鮮やかで生き生きとし
た雰囲気がありました。描いた時期も時期だけに、これも返して
貰えないのも分かる気がします。でも、返してよ~。(笑)

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ピエール = オーギュスト ・ ルノワール 「帽子の女」 1891年
この美術館でも特に人気の高いコレクションです。ルノワール本来
の繊細で柔らかい筆使いが甦った代表的作品。ルノワールらしさ
が詰まっている名品です。私も好きな絵の一つで部屋に飾りたい。

この作品は、画面全体総てが柔らかな表現になっているですが、
モデルのポーズが自然で力みが無く、上流社会の豊かさと清潔感が
溢れ、顔と手は透きとうるような白さで柔らかな表情。レースがあちこ
ちにあしらわれた白いドレス、そして白を基調に青や黄色が混じる帽
子が、この時代 「真珠の時代」 と言われたように真珠の輝きに満ちて
います。印象派から作風を変え、様々な表現に挑戦していこうとして
いるルノワールの意図がよく表れた作品ですね。

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フィンセント ・ ファン ・ ゴッホ 「アルルの寝室」  1889年
ゴッホの作品 「アルルの寝室」 が、オルセー美術館から一時帰
国しています。実はこの作品が松方コレクションだったとは知りま
せんでした。サンフランシスコ条約の賠償の一つとしてフランスに
取られてしまっています。個人資産を政府間の交渉で賠償の対
象にしてしまうのは、どうなのかとも思いますね。返せ~~

ゴーギャンと生活を共にしたアルル時代の部屋の中を描いたもの
で、同じようなバリエーションが3つあるうちの最後の1つで、母親
の為に描いたようです。青い壁の部屋にベッド、机、椅子、肖像画
などが描かれていて遠近感が強調されたような感じに見えます。
色使いの明るさにゴッホの個性を強く感じる作品です。耳を切って
倒れていたのもこのベッドだったりと、ゴッホのアルル時代の出来
事を凝縮したような部屋ですが、残念ながら家は、第二次世界大
戦の際に破壊されてしまったそうです。絵に描かれた左隣はゴー
ギャンの部屋だったようです。もう一度、フランスよ返せ~~。

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第六章  「ハンセン ・ コレクションの獲得」
松方幸次郎は、コペンハーゲンの実業家ウィルヘルム・ハンセンの
優れたフランス絵画コレクションの一部を競合の末に購入に成功。
これらは、世界恐慌の影響で川崎造船所の経営が破綻したときに
散逸しましたが、それらの何点かは、現在日本各地の美術館等に
保存されています。これらの作品群から集めた10点を展示。

エドガー ・ ドガ 「マネとマネ夫人像」 1868-69年頃 (左) 
マネ夫人がピアノを弾き、マネがソファに座って聴いている場面。
面白いのは、画面の右側が切り取られ、夫人の顔が分からなくなっ
ていること。変わった構図だなと思ったら、ドガから作品を贈られた
マネは、夫人の顔の出来が気に食わないということで切り取ってし
まったようです。マネの気性の激しさを絵で感じるとは何とも皮肉。
それにしても、どんな風に描いてあったのか気になりますね。

クロード ・ モネ 「積みわら」  1885年  (右)
こちらは大原美術館の所蔵品で、積みわらの連作のひとつです。
積みわらの傍らで、モネの2番目の妻アリスと次男が日蔭に入って
休んでいる様子が描かれています。全体的に斜めにタッチが残って
いて、風の流れのようなものを感じると共に、明暗がついて強い日差
しまで伝わってくる感じです。のんびりとして理想的な光景です。

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エドゥアール ・ マネ 「ブラン氏の肖像」  1879年頃  (左)
国立西洋美術館の常設でお馴染みですが、爽やかさと威厳が感
じられます。マネは、同時代のパリに生きる人々の 「今」 を描き、
近代絵画の道を切り拓きました。印象派の画家たちは彼を範と仰
ぎました。グレーのシルクハットに青紫の夏服を粋に着こなし、小
道でポーズをとるブラン氏。マネらしい現代性にあふれた作品で、
晩年に印象派の画家たちから影響を受けた明るい自然光の表現
が顕著です。この肖像画はブラン氏の手元には渡らず、マネの死
後、ドガが入手していました。

エドゥアール ・ マネ 「自画像」  1878-79年  (右)
マネは生涯で2点しか自画像を残しておらず、マネが晩年になっ
て残したという僅か2点の自画像の内の1点で貴重な作品です。
毅然とした画家の姿が、小道具や説明的なものをいっさい省い
た暗い背景にくっきりと浮かび上がっています。画家としての誇
りが静かに、しかし、きっぱりと表現されている感じです。上着や
右手が未完成のまま残されてことが、かえって生き生きとした
みずみずしさを生んでいます。マネが切り開いたといわれる
近代的な絵画の魅力のいったんがここに見て取れますね。

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第七章  「北方への旅」
松方幸次郎の意外な側面について紹介されていました。1921年
の渡欧の際、松方幸次郎は海軍から最新鋭のドイツの潜水艦の
設計図を密かに入手するように依頼されていたそうで、ドイツ ・
スイス ・北欧を訪れてゴーギャンやムンクなどを購入しています。
それらを日本に送ったわけですが、その中に設計図を紛れ込ま
せていたのではないか? と考えられるようです。派手に絵画を
買っていたのも陽動かもしれないとのことでスパイ映画さながら
のエピソードです。ここでは、松方コレクションがその奥行を深め
た北方への旅に光をあてます。

エドヴァルド ・ ムンク 「雪の中の労働者たち」 1910年
こちらは西洋美術館に寄託されているけど観る機会が少ない作品。
雪の中で、ツルハシやスコップを持った労働者が列をなして作業し
ている様子を描いたもので、寒々した中で逞しい雰囲気となって
います。特に肩にスコップを担いだ労働者は大きく描かれ、
存在感と共に労働への賛歌を感じさせました。

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第八章  「第二次世界大戦と松方コレクション」
ここでは昭和金融恐慌のあおりで川崎造船所が経営破綻に陥り、
第二次世界大戦期にかけて、松方コレクションは散逸の時代を迎
えています。このコーナーでは、戦後の日仏政府間の返還交渉と、
パリの松方コレクションが1959年に国立西洋美術館設立へ結実
するまでの流れがわかる展示になっています。

アンリ ・ マティス 「長椅子に坐る女」  1920-21年 (左)
こちらも疎開の時に売られた作品で、ニースのホテルでくつろぐ
アンリエット ・ ダリカレールという女性が描かれています。ソファ
で肘をついて休んでいて、ちょっとアンニュイか感じがするかな。
ピンクのカーペットや青いドア、緑の花瓶など色彩が鮮やかで、
縞模様が多用されるなどリズムも感じられます。非常に良い絵
なのに何故よりによって、これを売ったのか疑問でした。
良い絵だから資金になったのかな?

ピエール = オーギュスト ・ ルノワール
「アルジェリア風のパリの女たち (ハーレム)」 1872年 (右)
こちらは西洋美術館の人気のコレクションですが、危うく返還され
ないところでした。フランス政府は、松方コレクションの返還の条
件として美術館の設立を要求し、それがきっかけとなって国立
西洋美術館が出来たという経緯があります。何だかんだで松方
幸次郎が夢見た共楽美術館が実現したとも言えますね。オリエ
ンタルな衣装を身にまとった官能的な女性たちが描かれたこの
一枚は、ルノワールがドラクロワの「アルジェの女たち」に触発
されて描いた作品とされています。

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「エピローグ」
モネの 「睡蓮、柳の反映」 は、かつて松方コレクションにありなが
ら、長らく行方がわからなかった作品です。フランスでカンヴァス
の上半分が失われた状態で発見され、翌年、松方家から国立西
洋美術館に寄贈されました。半世紀を経たこの 「幻の睡蓮」 は、
20世紀の激流を乗り越えてきた松方コレクションの象徴的存在
といってもいいでしょう。展覧会の最後のセクションでは、
修復した本作品を初公開され注目されていました。

クロード ・ モネ 「睡蓮、柳の反映 (修復)」  1916年 (上)
こちらがモネのアトリエで購入したものの行方が分からなくなり、
2016年にフランスで発見されて西洋美術館へ寄贈されました。
縦2m、横4mほどある大画面ですが、上半分は失われてしまっ
ています。それでも下半分は睡蓮の花が咲いていたり、青い
葉っぱが連なっているのが分かるくらいには修復されています。
破損部分が多かったため、1年もの時間をかけて修復が行われ、
今回、世界初公開されているのです。欠損した部分は黄昏色の
空のようにも見え、これはこれでアリな印象。残った睡蓮の部分
と、不思議な調和を見せていました。残された白黒写真から、
AI が元の色を推定、最新鋭のデジタル技術で復元された
「睡蓮、柳の反映」 も紹介されていました。(下)

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松方コレクションは、遠い西洋からいろいろな問題を乗り越えて
日本にやってきた強者たちなんですね。「国立西洋美術館」 を作
ったといっても過言ではない 「松方コレクション」。国立西洋美術
館にモネの大作やロダンの作品がやたらと多いのは、松方幸次
郎氏の功績ゆえ、ということがよくわかりました。

ちなみに、残念ながら実現はしなかったわけですが、松方幸次
郎は、自分のコレクションを基にした美術館を構想していました。
その名も、「共楽美術館」。「松方美術館」 という案も出ていたそ
うですが、彼はそんな考えを 「ケチくせえ!」 と一蹴したそうです。
自分の名前を冠した美術館は、松方曰くケチくさいのですね。(笑) 
それはともかく、“共に楽しむ” 共楽美術館。何て素敵なネーミン
グなのでしょう。60周年を機に、国立西洋美術館から 「共楽美
術館」 に改名してみるのもいいのでは?

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馴染み深い印象派の絵画が多く展示され、初心者でも楽しめ
ました。松方氏の想いが長い年月を経て実ったのを感じました。
特に 「睡蓮 柳の反映」 は、損傷が酷い当作品を、昔撮られた
白黒の写真と AI を使って、復元したんだってぇから、絵画ファン
かしたら涙なしでは見れねえってぇモンすよ。ふだん常設展で見
ている絵画たちも、展示の仕方で見方がずいぶん変わるんだな
~ということも発見できました。あの人、この人の作品がチョイチ
ョイと出てくるので、やや興奮気味に名画が辿った数奇な物語
と共にじっくりと堪能しました。





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