一ヶ月に2回満月を迎える月を「ブルームーン」という。 そのブルームーンを見ると願い事が叶う・・・・。

       
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 「禅語に親しむ」

...2018/04/22 09:52...

毎日の生活の中で、
ちょっとした変化が訪れるのがこの時期。
通勤路に、まだなじんでいない背広姿が初々しい
新入社員らしき人を見かけることも多くなった。

毎年、毎年、この時期になると
「多分、初めて見た顔」 が増え、そして一ヶ月も
すれば、その顔が 「何度か見た顔」 に変わって
ゆくんでしょうね。その初々しい様子に、希望に
満ちた若かりし頃の気持ちを思い出します。

さて、我が社でも多くの新入社員を迎えた。
新入社員を迎えるにあたり、上司からこんな訓示
があった。人を育てるには、「やってみせ、言って
聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ」
というものでした。

リーダーたるもの自分がまず先にやってみせること、
そしてやり方や理由など説明してやらせてみせること、
できたら褒めてあげること、そうしないと人は動かない。
逆説的に言うと、自分が出来もしないことをやらせたり、
一方的にしろと言うだけで何の説明もしない、
そして出来たことに対して褒めることをしないリーダー
には、誰もついてこない。そんな心構えで、新入社員
を迎えて欲しい、と諭していました。

同じ船に乗った仲間。
波に乗っている時もあれば、波に逆らって漕がないと
いけない時もあるでしょう。順風満帆とは行きませんが、
切磋琢磨し、お互いが助け合って、志をもって歩んで
いきたいと思いました。

暖かな晩春の陽を浴び ながらのんびり過ごしたい。
と、思うのですが、ゴール デンウイークに向かって
仕事は忙しい毎日です。 仕事が片付かないと
ゴールデンウイーク処ではない。
体に気を付けながら、もう少し頑張りたい。


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「禅語に親しむ」

遅い昼食をとりに社員食堂にいったら
意外と混んでいた。で、相席させてもらったら、
以前、同じ部署にいた顔なじみの方だった。

近況を伺っているうちに話の中で、
最近、お茶のお稽古ごとを始めたらしい。
お茶を習って教えられたのが、オトコの拝見のしかた。
「男?」 と聞いて思わずニタリとしたが、そんなわけが
あるはずもなく、「お床」、つまりは床の間の掛け軸や
生け花のことだったという。(笑)

オトコの中では、墨跡なるものが喜ばれるらしい。
墨跡とは、本来は墨筆で書いた筆跡のことをいいますが、
日本では特に禅僧の書跡を指します。したがって、
そのほとんどが禅語となります。私にはちんぷんかんぷん。
稽古を積むうちに、ちんぷんかんぷんも積み重なって、
さすがに、これではいけないのではないかと思いはじめた。
お家元にお目にかかる機会があったので伺ってみたらしい。

「やっぱり、禅語は学んでおくべきでしょうか?」
すると、意外や、「勉強なんかしなくてもいいです」 という
答えが返ってきたようだ。禅語の本を開いて、解説を読み、
「なるほど」 という気になっても、それは単に借り物の
知識でしかない。禅語には、ただ 「親しんで」 いればいい。
生活の中で遠くなったり、近くなったりしているうちに、
ある日突然、向こうから歩み寄ってくるのが、
合蓄ある言葉というものらしい。へ~と感心した。

だけど、我が家にはオトコもなし、そもそも 「親しむ」
べき禅語が身の回りにあったためしがない。
で、こっそり、「ほっとする禅語」 なる本を買ったようだ。
これが、なかなかいいのです。と、話された。

例えば、「日々是好日」 という言葉には、
一瞬一瞬を積み重ねて今日がある。
楽しい時も、苦しいときも、その時々を精一杯過ごす。
後になって、あの事があったから今がある・・・いい経験
をした・・・と、何かしら必ず身になっているもの。二度と
来ない毎日は、すべてかけがえのない 「好日」 なのだ。

「どんな日もいい日だといえますか」 という言葉が
添えてある。解説は、ふんわりほんわかしていて、
決して押しつけがましくない。この本をお手洗いに
置き、少しずつ、禅語に親しんでいるのだという。

禅語は、禅宗の僧侶たちの逸話や経典などから
取られた言葉です。難しいと思われがちですが、
知らず知らず、日本人の生活に根ざしている言葉や
教えが数多くあります。例えんば 「一期一会」、
「知足 (ちそく)」、「無功徳 (むくどく)」 なども禅語です。
短い一句の中に込められた、先人たちの禅の心や、
悟りの境地に触れてみるのも良いかもしれません。

「柔軟心 (にゅうなんしん)」 という言葉。
~固定観念に囚われない柔らかな心~
自分の考えが正しいと思い込み、他人の意見を
聞かないと、一向に視野は広がらない。相手を思いやる
広い心を持てば、見落としていたことに気づくこともある。
凝り固まらず、柔らかな心でいれば、生きやすくなる。
なるほど、なるほど・・・・。

お茶室に行き来するたびに、オトコの禅語に
親しんでいらしたというお家元と、親しみ方が随分
違うような気がしないでもないが、それでもいつか、
言葉は私にも歩み寄ってくれるかな、と苦笑いしていた。

単にお茶を習うというのに、随分と奥が深いもの
なんだなぁ~と感心した。情報と共に、新しい言葉が
日々生まれる現代。それら新しいものから学び、ヒント
となることも多数ある。だが、先人達の言葉や知恵には、
何百年も生き続ける計り知れない底力がある。
禅語もその1つだろう。

禅語その言葉を見たり、意味を理解することで、
日常のふるまいや作法から生き方に至るまで、
何かに気付かされたり、豊かな人生を過ごす
ヒントを得るきっかけにつながるかもしれない。

「平常心是道 」 ~ありのままの心で生きる~
日々精進していれば、いざ何が起きても、
自然と 「いつも通りのあなた」 でいられるのです。



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「至上の印象派展  ビュールレ・コレクション 
      国立新美術館 2018

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ルノワールの 「可愛いイレーヌ)」 やセザンヌの 「赤いチョッキの
少年」、 モネ晩年の 「睡蓮」 の大作など、極め付きの名品が勢ぞ
ろいした美術展が行われていたのですが、春休みは混雑するだろ
うと思ってしばらく待機していました。職場の女の子達が仕事帰り
に美術館へ行くという。ご一緒にと誘われたので、美術ファンとし
ては断る理由もなくお伴しました。(笑) 仕事帰りに美術観賞して
疲れを癒すのもアリかなと、「国立新美術館」 のある乃木坂駅へ。

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夜の美術館は、これで2度目です。照明が印象的です。(上) 
受付も人がまばらで、これで絵画鑑賞ができるの?という感じです。
でも、ゆったりと鑑賞できそうな雰囲気です。(下左) チケット売り
場はどこか寂しげです。(下右) 国立新美術館は、企画展 ・ 共催
展会期中の 金曜日は20時まで開館しているんですね。

「国立新美術館」
国立新美術館は、コレクションを持たず、国内最大級の展示スペ
ースを生かした多彩な展覧会の開催、美術に関する情報や 資料
の収集 ・ 公開 ・ 提供、教育普及など、アートセンターとしての役
割を果たす、新しいタイプの美術館です。

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館内に入ると行き交う人もまばらで、昼の混雑は見当たりません。
美術鑑賞にはもってこいの環境でしょうか。購入したチケットから
して美しいですね。この絵は、ルノワールの 「可愛いイレーヌ」 と
いう絵で、この展覧会の一押し作品です。(下右) 入口の奥に
「可愛いイレーヌ」 が表示されて吸い込まれそうです。(上)
すでに20万人の来場者があるという。美術ファンの多いこと。

「至上の印象派展 ビュールレ ・ コレクション」
会期   :  2018年2月14日 (水) ~ 5月7日 (月)
会場   :  国立新美術館 企画展示室 〔東京 ・ 六本木〕
当日券  :  一般1600,円 大学生1200円 高校生800円   

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今回の 「至上の印象派展」 は、スイス人の実業家エミュール ・
ビュールレによって収集された美術品。中でも印象派・ポスト印象
派の作品は傑作中の傑作が揃い、その中から厳選された約60点
が出品されますが、そのうちの約半数は日本初公開です。絵画史
上、最も有名な少女像ともいわれるルノワールの 「イレーヌ・カー
ン ・ ダンヴェール嬢 (可愛いイレーヌ)」、スイス国外に初めて貸
し出されることになったモネ晩年の 「睡蓮」 の大作。1度盗難に
あった話題の絵もあります。そのコレクションの質の高さゆえ
美術ファンから注目されています。

第一章  肖像
題名の通り肖像画が展示されています。ここは印象派より前のアン
グルなどの作品もあり、印象派へと繋がるルーツも含めた内容とな
っています。アングルから 「線描を大切にするように」 とアドバイス
をもらったドガの肖像画が向かい合わせにありました。

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ジャン = オーギュスト=ドミニク ・ アングル 「アングル夫人の肖像」 
1814年頃 (左)  日本初公開
アングルの妻を描いた肖像画。穏やかに微笑みながらこちらを見つ
める彼女の姿は、アングルにしては珍しく、やや粗い筆遣いによって
描かれている感じでした。服などは習作であるかのように素早く形を
暗示するようなタッチで済ませています。新婚の記念的肖像画とか。

エドガー ・ ドガ 「ピアノの前のカミュ夫人」  1869年 (右)
他の肖像画が、対象となる人物の上半身をピックアップして、その表
情をとらえるのに対して、ここでのドガは、夫人の表情だけでなく、ピ
アノが置かれた室内の雰囲気を同時に描くことによって、対象となる
人物をより深く描きだしている感じがして、斬新な肖像表現を生み出
していると思います。カミュ夫人は、ドガの眼の治療をしていた眼科
医の妻で、女性らしいつつましやかさと同時に高い知性を感じます。

第二章  ヨーロッパの都市
ヨーロッパの都市景観を描いた作品が並ぶコーナーです。18世紀前
半のカナレットが描いた写真のような風景。 それから百数十年後の、
色彩の中に全てが溶け合うようなモネのロンドンの風景。二つの作品
は風景表現の歴史と画家の個性のあり方を明確に教えてくれます。

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アントーニオ ・ カナール (カナレット)  1738-42年 (左)
「サンタ ・ マリア ・ デッラ ・ サルーテ聖堂、ヴェネツィア」 
ヴェネツィアの街並みや聖堂が描かれています。陰影がハッキリして
いて遠近感もリアルに描かれているなどかなり写実的で当時の様子
が伺えます。運河を行く船や聖堂の前の人々など穏やかな風景で、
理想的な光景のように思えました。絵の前に立って眺めていると、絵
の中の景色が時間の経過とともに日暮れて、夜更けて、朝日が昇っ
て・・・・・と変化していく様を見られるような気がしてきます。

クロード ・ モネ  日本初公開
「陽を浴びるウォータールー橋、ロンドン」 1899-1901年 (右)
光に満ちた、捉えどころのない霧がかった都市の情景が描き出され
ています。 テムズ河畔のホテルの部屋から見える橋の光景を画布
に、画面の右手前には帆船が描かれています。橋の堅牢な構造を
感じさせることなく、光が反射する水面と霞 (かすみ) が織り成す
幻想的な世界を軽やかな筆触によって描き出しているようです。
初めて観るけど似た作品をよく観るので割と見慣れた感じかな。

第三章  19世紀のフランス絵画
バルビゾン派やロマン派、写実主義といった印象派の先駆けとなっ
た画家たちのコーナーです。ドラクロワやコローなど、古典的な主題
を取り上げながら、その様式で近代への扉を開いた画家達の作品。

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ウジェーヌ ・ ドラクロワ 「モロッコのスルタン」 1862年 (左) 
1832年にドラクロワは記録係としてフランスの使節団によるモロッコ
のスルタン訪問に随行しました。帰国後持ち帰ったスケッチブックは
7冊にもおよび、それを元に心動かされた異国情緒溢れる色彩や民
俗文化を題材にした作品を沢山制作したそうです。この時の記録や
記憶を基に、多くの従者に囲まれたスルタンの威厳のある姿が鮮や
かに描かれています。 日本初公開

カミーユ ・ コロー  「読書する女」  1845-50年 (右)
赤い服の女性が熱心に本を読んでいる様子が描かれた作品です。
彼女が着ている赤いジャケットの色合いと周囲の茶系の色調との
静かな調和が素晴らしい。穏やかな光が少女を照らし、目線を辿
ると読書をしている少女の自然体なポーズがとても気に入った。
静かな雰囲気がありコローらしい感じですが、印象派に繋がる大
胆さもあると思います。

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夜間でもあり、シ~ンと静けさが漂う館内は、何か音でも出すと悪
い感じがして、子どもの頃、図書館に初めて入った時の緊張感に
も似てソロリ、ソロリと歩きました。(笑)  昼間の混雑と違って夜間
もいいですけど、混雑している雰囲気も良いなぁと贅沢な悩み。

「エミール ・ ゲオルク ・ ビュールレ」
ドイツに生まれ、スイスで後半生をすごした彼は、第一次、第二次
世界大戦を経験し、実業家として成功して富を築きました。彼は心
の拠りどころとして美術作品を収集し、コレクションはチューリヒに
ある邸宅の隣の別棟に飾られました。彼の死後、別棟は美術館と
して一般公開されましたが、スイス国外にコレクションがまとまって
公開されたのは過去に数回のみでした。世界的に報じられた4点
の絵画盗難事件以来、一般公開が規制され、チューリヒ美術館に
全コレクションが移管されることになりました。今回はビュールレの
コレクターとしての全体像がみられる最後の機会というわけです。

第四章  印象派の風景 ―― マネ、モネ、ピサロ、シスレー
印象派の画家たちは、肖像、静物、風俗など様々な主題に挑戦し
ましたが、最も熱心に取り組んだ画題が風景でした。穏やかな風
景に新しい時代の要素を取り入れて、徐々に印象派らしい作品
になってゆくのがわかります。真印象派のコーナーです。

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カミーユ ・ ピサロ 「ルーヴシエンヌの雪道」 1870年頃 (左)
ピサロは戦争を逃れて数ヶ月、ロンドンに滞在しました。自宅が占拠
される前に描かれた作品で、戦争の前の平和な日常を象徴するか
のように、柔らかい陽の光が雪道を照らす穏やかな光景が広がって
います。 自分が雪国で暮らせるとは思えませんが、絵画に描かれた
雪景色って、どうしてこんなに心惹かれるんでしょう。 雑音を全て吸
収し、シ~ンとした静謐な空気、光を反射して世界をお化粧する雪
・・・・・ そういったものが感じられるような気がします。 日本初公開

アルフレッド・シスレー 「ハンプトン・コートのレガッタ」 1874年 (右)
シスレーは、生涯にわたってほとんど風景画のみを描き、画家として
デビューしてから、亡くなるまで画風がほとんど変わりませんでした。
みずみずしく描かれた水面と、水面で遊ぶ人々と、のどかな農村の
風景が一体となって溶け込んでいます。かなりザックリした筆触で描
いています。レガッタというスポーツを主題にすることで動きの要素も
取り入れています。これぞ印象派!という感じの風景画で、見ていて、
いつまでも飽きの来ない作品でした。 日本初公開

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クロード・モネ 「ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑」 1879年頃 (左)
一面に真っ赤なヒナゲシが咲いて、子供や女性が花を摘んでいる
様子が描かれた作品です。ヒナゲシの花束を抱える白いドレスを
着た女性と右側に描かれた二人の男児。自然の光景の中に女性
や子どもを描くのは印象派絵画の典型例であり、背景には教会や
村が描かれ空は曇天なのですが、ヒナゲシの赤が強くて華やかな
印象を受けました。これは今回の展示の中でも特に気に入った作
品のひとつでした。元々風景画は好きですけどね。

エドゥアール ・ マネ 「ベルヴュの庭の隅」 1880年 (右)
マネが夏の間過ごしていたパリ近郊の別荘とその庭のようです。
マネは読書に没頭する紺色のジャケットを着た女性を、鑑賞者の
まなざしが向くように画面中心に据える一方で、彼女が周囲の花
や草木と調和するように細かいタッチを巧みに用いて描いている
感じがしました。色とりどりの花がさいた明るい庭の様子がつたわ
ってきます。周囲の花や草木と見事に溶け合い、調和しています。
これぞマネと 「実感」 する作品と思いました。 日本初公開

第五章  印象派の人仏 ・ ドガとルノワール
新しい試みを積極的に取り入れたドガと、慎重に印象派的表現を
取り入れたルノアール。2人とも、印象派と一括りすることのできな
い、強烈な個性。ポスターにもなっている作品、ルノワールの 「イ
レーヌ・カーン・ダンヴェール嬢 (可愛いレーヌ)」 が展示されてい
ます。生で見ると本当にきれいですね。特に顔が印象的でした。

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エドガー ・ ドガ
「リュドヴィック ・ ルピック伯爵とその娘たち」
 1871年頃 (左)
ドガの友人で、芸術家でもあったリュドヴィック・ナポレオン ・ ルピッ
ク伯爵と2人の娘を主題とした肖像画。大胆で自由闊達なすばやい
筆致と、透明感ある色遣いによって巧みに表現されている感じです。
右側の子の顔が集中的に描きこまれ、他はほのめかす程度の描写
で非常にメリハリ効いています。左側の子は人形的ですし、父親に
至っては顔かたちがまあ認識できる程度で首から下は茶色をシャバ
っと塗っておわりですね。(笑) ドガならではの魅力? でしょうか。

ピエール=オーギュスト ・ ルノワール 「泉」 1906年 (右)
65歳であったルノワールの健康状態は深刻化していました。しかし
ながらその創作意欲が衰えることはなく、豊麗で愛らしい裸婦が生
命力豊かに描き出されています。豊満な裸体の女性がこちらを観
て微笑みながら髪を触る仕草をしている様子が描かれている作品
です。割とこの作品も輪郭が分かりやすいかな。健康的な美しさを
感じさせ、これぞルノワールの裸婦といった感じの典型的な作品
に思えました。 日本初公開

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ピエール=オーギュスト ・ ルノワール
「イレーヌ ・ カーン ・ ダンヴェール嬢 (可愛いイレーヌ)」 
1880年
今回の主役と言ってもよいであろう、絵画史上最も有名な少女像とも
言われるルノワールの 「イレーヌ ・ カーン ・ ダンヴェール嬢 (可愛い
イレーヌ)」 にはひと際人だかりができていました。とても美しくて、一
緒に展示されているその他のルノワール作品と見比べてみても、この
絵が最高傑作と言われているのが頷けます。

裕福な銀行家のルイ ・ カーン ・ ダンヴェール伯爵の長女、イレーヌを
描いた作品。当時8歳であったイレーヌの栗色の豊かな髪やあどけな
い表情が、背景に描かれた深い緑の茂みによって引き立てられてい
る感じです。この少女を見ていると何とも、その幼さと真の女性の美と
の間に醸された雰囲気に飲み込まれてしまうような気持ちになってし
まいました。一旦会場を出ようとして、もう一度戻って、また戻ってと、
結局4~5回鑑賞したほどでした。(笑) やっぱし本物を見て分かる
魅力もあるものです。間違いなく人々の心をつかむ絵だと思います。
まつ毛と瞳はフランス人形そっくりです。もし、この子の向かいがわ
にあなたがすわっているとしたら、どんな話をしたいですか?
私は暫く立ちすくんだまま動けなくなりました。

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闇に浮かぶ美術館もいいですね。円すい形の入口の前にある建
物は傘立ての部屋です。濡れた傘を館内に持ち込まない為 に設
けてあるんです。(下左) 御存知でしたか? 庭先からは夜の六本
木のビル群が見えます。さぞや賑やかでしょう。

今回の一番の目玉作品、ルノワール 「イレーヌ ・ カーン ・ ダンヴェ
ール嬢 (可愛いイレーヌ)」。素晴らしい肖像なのに、描いた当時は
あまり理解されずに注文主は不満だったというのがちょっと意外です。
ちなみに、このイレーヌ嬢は90歳くらいまで生きたのですが、その後、
激動の人生が待っていたようです。そうした事を考えながら観ると、
より思い入れが増す作品かもしれません。間違いなく傑作でした。

第六章  ポール ・ セザンヌ
こちらの章は、近代絵画の父とも呼ばれるセザンヌの作品だけ6点
を集めた内容となっていました。そして、近代美術の金字塔ともいえ
る 「赤いチョッキの少年」 は、絵画を見ることの喜びのすべてを、
私たちに与えてくれます。

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ポール ・ セザンヌ 「パレットを持つ自画像」 1890年頃 (左)
画家としての自負にあふれたポーズで、パレットと絵筆を手にして
カンヴァスに向かうセザンヌ自らの姿を捉えた自画像です。その堂々
とした体躯は、簡素で無骨な仕事着に包まれています。画家の姿だ
けを簡素に素直に描きだした自画像は、社会から超絶し、孤独に制
作に励んだセザンヌの生き方そのものを反映しているように思えた。
セザンヌは生涯に、およそ25点の自画像を制作したが、初期の自画
像を除いて、画家として職業や設えもそこに加えることはなかった。

ポール ・ セザンヌ 「庭師ヴァリエ (老庭師)」 1904-06年 (右)
晩年に特有の瑞々しく軽やかなタッチで描かれた、この絵は未完成
ゆえ制作過程が生々しく残る感じです。「庭師ヴァリエ」 の置かれた
色が全て透明感のある暗い色と、マットな印象の明るい色が並べら
れ、プロヴァンスの陽光を一身に浴びているかのようです。頑固な
老画家と、辛抱強い老庭師がどう向き合っていたのかを考えるだけ
で何故か涙がでます。身の回りの世話もしていた庭師ヴァリエは、
最後のモデルでもありました。 日本初公開

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ポール ・ セザンヌ 「赤いチョッキの少年」 1888-90年
セザンヌの肖像画のなかでも、もっとも有名な作品で、盗難事件に
もあった 「赤いチョッキの少年」。「イレーヌ嬢」 とともに、チラシの
もう一つの表紙を飾っています。こちらも展示のキー ・ ビジュアル
になっていて絵の前は人が集まっていました。

肘をつき、物思いにふける少年。頭を支える腕の直線や、背中や
手前に長く引き伸ばされた腕の曲線が、カーテンやテーブルクロ
スの斜めの線と絶妙な均衡を保っています。全体的に暗めの青
系統でまとめられ、よく見ると両腕の長さが全然違うのです。でも、
ぱっと見た感じは特に違和感を感じず、絶妙のバランス感を保っ
ているという感じがします。セザンヌならではの不思議な空間描
写能力が冴え渡った作品。少年のつぶらな瞳も素朴な感じで素
晴らしいです。絵はモチーフを上手く再現するだけではなくて構
成も大事な要素なんだなぁ。知れば知るほど深いです。

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館内の照明に温もりや優しさが感じられ、夜ならではの落ちつい
た雰囲気の中での美術鑑賞は贅沢なひとときです。この照明に
よって昼間とはまた違った表情を見せる美術館。昼の混雑を避
けて金曜日の夜間観賞の方がいいかなと思いました。本当の美
術ファンが好む時間帯ではないでしょうか。でも一つだけ気にな
ることが・・・。静まり返る室内で、女性のハイヒールのカツカツと
いう音が気になりました。本人は気付かずの感じで、あちこち移
動するたびに音がして、鑑賞していた年配の方も気になるらしく、
係りの人にスリッパに履き替えさせてと注文してました。(笑)
いつも思うのですが、どうにかならないのでしょうかね。

第七章  フィンセント ・ ファン ・ ゴッホ
セザンヌと並ぶポスト印象派の代表的画家ゴッホの作品6点集めた
コーナーでした。出品作はこの画家の様式の変遷をたどるのに十分
な多様性を見せていますが、それが僅か6年の間に描かれたものと
知るとき、驚きと戸惑いが私たちを襲います。変化がよくわかる構成。

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フィンセント・ファン・ゴッホ 「花咲くマロニエの枝」 1890年 (左)
ゴッホの最晩年の作品の一つ。まるで木版の削り跡のような細長い
筆致でマロニエを描いた作品です。青い背景に白い花や緑の葉が
映えるのですが、意外と色合いは柔らかめに感じるかなと思います。
うねるようなタッチが特徴のゴッホ作風ですが、絵の具の盛り上がり
はしっかりとあるものの、不思議と画面に光沢はなく素焼きの陶器
のような感じです。力強さとちょっと不安になる雰囲気がありました。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「日没を背に種まく人」 1888年 (右)
ゴッホ 「日没を背に種まく人」 などは、美術の教科書や学校の図工室
にポスターが貼ってあったりして、見たことがある人もいると思います。
ミレーの種まく人と同じポーズの人が描かれ、鮮やかながらも趣のある
太陽が印象的な作品です。夕日を背にして種まく人や、画面中央に位
置する大きな木は、逆光で黒っぽく描かれ、色彩の対比は強烈。画面
の上下を断ち切り、樹木と対比させることで、鑑賞者の視線を人物に
引き付けています。 構図には、明らかに浮世絵の影響がありますね。

第八章  20世紀初頭のフランス絵画
ロートレックの洗練されたデザイン感覚、若き日のピカソ、ゴーギャンと、
ナビ派・・・・。造形的な探求に飽き足らず、人間の内面に迫ろうとする
画家たちも登場し、20世紀絵画のもう一つの方向性を示します。

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ポール ・ ゴーギャン 「贈りもの」 1902年 (左)   日本初公開
西洋の文明社会から逃れ、タヒチでの生活を始めて以降、ゴーギャン
は現地の人々を鮮やかな色彩と平面的な構図の中に描き出しました。
左の女性が花を手に持ち、隣の赤子を抱いた女性に差し出そうとする
儀式的な場面。物静かで穏やかな物腰、生まれたばかりの乳児が母
親の腕の中に身を委ねる姿勢からは、楽園の雰囲気が醸し出されて
いる。色面と輪郭線を使った画風が力強い生命感を感じさせました。

アンリ・ド ・ トゥールーズ = ロートレック 「コンフェッティ」 1894年 (右)

イギリスの製紙会社のために制作されたポスターの習作です。コン
フェッティとは、カーニバルの時に使用される紙吹雪を意味します。
1890年代、ロートレックは、役者や踊り子、そして歌手をモデルに
多数のポスターを制作しました。楽しげな表情を浮かべる女性は、
画家が長年描き続けていた女優のようです。  日本初公開

第九章  モダン ・ アート
フォーヴィスムやキュビスムなど、その後の絵画の急激な変貌を予
兆するモダン ・ アートの一群の作家たち。新しい表現方法が誕生
した頃の作品群です。謎めいた作品の数々にお手上げです。(笑)

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ジョルジュ ・ ブラック 「ヴァイオリニスト」 1912年  (左)
これは円錐を逆にしたような背景に、ヴァイオリンを分解したようなも
のが描かれた作品です。割とごちゃごちゃしていて、焦げ茶の画面
に黒い輪郭を使って表現しています。非常に実験的な雰囲気があり、
キュビスムの発明の様子が伺えましたが、どう表現していいの分かり
かねます。(笑) 形体をバラし過ぎて、一見ではよくわからなくなって
います。でも音楽も聞こえてきそうで、吸い込まれそうでした。

パブロ ・ ピカソ 「花とレモンのある静物」 1941年 (右)
説明によると、ナチスドイツにいるパリ占領期に描かれた作品で、戦
争の暗い影を落としているとのこと。その点は、今一つピンと来ない
のですが、太く黒い線、角ばったフォルム、レモンの黄色の他の色と
の対比など、見ていてインパクトはとても強かったです。画面を分割
する黒い線は、占領下の不安や苦悩を感じました。 キュビズムの作
品は、お兄さん苦手で説明しようがありません。 日本初公開

第十章  新たなる絵画の地平
最後の部屋にモネの代表作の一つである 「睡蓮の池、緑の反映」 が
展示されています。この作品1点のみでこれまでスイス国外には一度
も出たことのなかった門外不出といわれたモネの最高傑作です。

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日本人がまだ見たことのないモネの 「睡蓮の池、緑の反映」 でござ
います。(上)  展示の最終室にはモネの巨大な絵が展示されてい
るのですが、嬉しいことにこの作品に限り写真撮影が可能となって
いました。(下左) 非常に大きいサイズです。どれだけ大きいか、
人物を入れて撮影してみました。(下右)  日本初公開

クロード ・ モネ 「睡蓮の池、緑の反映」 1920-26年頃
200点以上もの睡蓮の池を描いたモネの 「睡蓮の池、緑の反映」 は、
高さ2メートル、幅4メートルほどもある大作。あえて池全体ではなくて
一部分だけを切り取って描くことで、空間の広がりを想起させる・・・・。
池の想像を鑑賞者に委ねる、大胆でハイセンスな絵だと思いました。
これは元々、部屋を埋め尽くす壁画の1枚として制作されたが、時代
を先取りしたその狙いが理解されず、買い手が付かないままモネ没
後のアトリエに残されていました。しかし、後にビュールレはそれらの
価値に気づき購入します。結果的にその数年後にこの作品は世間
に認められるようになり、そのことがビュールレ自身の評価にも繋が
りました。幸いなことに会場が意外なほど空いていたので、うんと贅
沢に好きなだけ行ったり、来たり立ち止まったり、たっぷり堪能でき
シアワセ。これを自邸に飾れるなんて贅沢すぎるよビュールレさん。

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「盗難にあった4点も勢揃い」
2008年に、強盗団によってビュールレ美術館から4点の絵画が盗
まれ世界的なニュースになりました。 盗難にあったのは、ゴッホの
「花咲くマロニエの枝」、(上左) セザンヌの 「赤いチョッキの少年」
(上右) のほか、ドガの 「リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち」
(下左) モネの 「ヴェトゥイユ近郊のケシ畑」 (下右) の4点です。
ゴッホとモネは同月中に、ドガとセザンヌは2012年までに無事回収
されました。この盗難事件以降、一般公開は規制されましたが、本展
にはこれら4点が全て展示されていました。盗難にあった4枚の絵画
は、いずれも100億円前後の値がつきそうな作品ばかりです。揃って
見られるのは、きっと日本では最後の機会かも知れませんね。

プライベート美術館では、絵画を守るための十分なセキュリティ設備
を確保できません。この状況を打開するため、財団は、2020年まで
にそのコレクションを一括してチューリヒ美術館に移管することを決定
したのです。「うん、それなら良かったよね・・・。一件落着」 という話に
なるのですが、一旦チューリヒ美術館に移管・収蔵された後は、それ
以降、ビュールレ・コレクションの珠玉の作品群を海外へ搬送するの
が難しくなりそうだからです。つまり、日本でビュールレの集めた印象
派の傑作群を 「展覧会」 と言うかたちで気軽に楽しめるのは、恐らく
今回の展覧会がラストチャンスになる可能性が濃厚だということなん
ですね。だから、絶対に見逃せない展覧会だったんです。

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世界屈指の絵画収集家エミール ・ ゲオルク ・ ビュールレが集めた
「ビュールレ ・ コレクション」。一般的な展覧会と比べてそれほど出
品点数が多いとは言えませんが、全く不足感は感じませんでした。
やはり今回来日したのは、コレクション自体が印象派、ポスト印象
派を中心としたまとまりがあり、とても観やすかったというのが大き
かったと思います。

美術館に行って生で絵を見ると、筆のタッチや絵の具の厚みや艶
感、迫力は生で見ないとなかなか伝わらないかもしれません。それと
絵に出会った瞬間の興奮を感じることだと思います。何より絵に出会
った瞬間の興奮!! 展示部屋に入る前の瞬間や、次はどんな絵が
あるんだろう、見たことのある絵かな? と、想像してワクワクしている
瞬間も楽しいんです 。そして個人的に好きなのが、展示部屋の真ん
中辺りに立って部屋一面を見渡すことです。これは好きな絵に囲まれ
ているという実感を得ることができるんです。 生で見ることで、感動も
興奮も倍増するんですね。そんな感じで 「ビュール レ ・ コレクション」、
見終わって来ました。いい日になりましたよ。心が浄化されました~。

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今回の展示は有名画家の絵で、それぞれが影響し合っていること
や写実主義~印象主義~ポスト印象主義~フォービスム~キュビ
スムと西洋絵画の流れもわかりやすかったです。出展作品の約半
数が日本初公開のため、絵画に詳しい方でも満足出来る内容では
ないでしょうか。東京・国立新美術館での開催の後、福岡・九州国
立博物館、名古屋・名古屋市美術館を巡回の予定。個人が集めた
圧巻の印象派コレクションまとめて日本で見られる最後のチャンス、
優品の数々を、是非堪能してみてください。私も見応えありすぎて、
感動しすぎて、まだ消化しきれていないので、期間中にもう一度訪
れて、記憶と感動をしっかり定着させたいと思っています。





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「元気の素は挑戦」

...2018/04/15 09:12...

毎年この時期は、「1年生になったら」
「新入社員の意気込み」 と、先栄あるムードに
思わず晴れやかになり、この時期に桜花が祝う
かのごとく、タイミングよく咲いてくれたでしょうか。
4月に入り、新入社員、新一年生として新生活を
始めた方も多いのではないでしょうか? 
なんだか私達もフレッシュな気分になります。

さて、ぽかぽか陽気で、のどかな春の日。
信号待ちをしていたら、新入生と思しきお子さんと
母親が、さほど長くもない横断歩道を、お子さまの
手を取ってさっさと渡って行った。信号が赤なのに。
確かに短い横断歩道は、待つのが面倒と思う気持ち
はわかります。けれど、これから社会のルールを
学ぶべき子どもが一緒なのだから・・・・。

「お母さん、まず先生が真っすぐ歩いてよ。
それを見てするから」。イソップ寓話の 「カニと母親」
にある 「斜めに歩いちゃだめよ」 と、カニの母親が
注意すると、子カニがこう返したという短いお話。
教える方が真っすぐに生き、歩く。そして、その時に
そのことを教えるのが大切なのだという教訓です。
イソップのカニさんもびっくりしていることだろう。
最近、大人の方を教えないとだめなんですね。

そして、新入社員の方は、何かと緊張したり、
初体験が多く、苦労の多いことだろうと思います。
高村光太郎の詩 「道程」 の中の “僕の前に、道はない。
僕の後ろに、道はできる。”  というのがあります。
新入社員の方は、焦らず、ゆっくり、でも確実に
ことを進めて頑張ってほしいですね。
身体にも、心にもやさしい生活ができますように!


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「元気の素は挑戦」

来日する外国の方が坐禅をしたいという。
友人から、どこか場所を知っているか? 
と相談された。最近、観光より禅等の実体験をしてみたい
人が多くなったようだ。今はどこも予約で満杯らしい。
上司に相談したら、知り合いの住職を紹介してくれた。

坐禅なんて職場の研修で一度体験したくらいだ。
坐禅をすることで精神を統一し、自分と向き合う時間を
設けると、心の中に変化が生まれてきます。集中力が
鍛えられる、心が落ち着く、ストレスの解消などと言われ、
精神面に非常にプラスの影響を与えます。坐禅をする
ことにより自我を捨て、無の境地を目指すことは、心を
リラックスさせる方法として体験者が増えているのだろうか。

お願いに訪れたら、特別に許可を頂いた。
住職の 「ご一緒にどうですか?」 とのご厚意に甘えて
私も体験することにした。背筋を伸ばし、禅堂内はシ~ン
と静まりかえる部屋で、息を整える。あまりにもの静けさに
呼吸することさえ憚れる思いだった。なれない姿勢で
いるだけに相当苦しかった。

警策を持った僧が近づいてきたので、叩かれるかと
思ったら、人生がねじれているせいか、姿勢もねじれて
いたみたいで、ちょっと左に傾いていたのを直すよう
促された。一般の人を警策で叩くことはないようだ。
それでも、じっと座るっていうのは、結構な苦痛だった。
姿勢の貧弱さに戸惑ったが、心の安らぎを得た。

さて、終わってから住職の法話があった。
話の中で、男時 (おどき)、女時 (めどき) という言葉が
よく出てきた。「人生には良い時、悪い時もあるという意味
ですね」 と、伺ったら 「そうです。長い人生の中には、必ず
そういうことが起きます。で、男時の時は、天狗になっては
いけないんです。そして女時の時は、ぐっと耐える。
仏教の言葉で忍辱 (にんにく) と言いますが、耐え偲ぶんです。
そうすれば、また男時が巡ってきます。」 「これは、会社の
経営者の方々にお話しするときなどにも、よくする話でが、
普段の仕事や家庭でも、そういうことはあるでしょう。」
と、話された。

能楽を大成させた世阿弥 (ぜあみ) は、
物事には時流によって優勢 ・ 劣勢が必ずある。これを
「男時 (おどき)」、「女時 (めどき)」 という言葉で表現し、
その弟子たちに残しています。世阿弥は晩年、佐渡に
流され亡くなるまで、能のことを考え悩み続けたという。

「凡人には、社会復帰も絶たれているのに、なぜ、
そこまで考え悩むのか? 考えて、どうなるのという気が
しますが・・・・」、と知人は応えた。すると 「今の人は、
すぐに 『それが何になるの?』 って言うでしょう。
世の中、そんなに有償のことばかりではないんです。
大体は、無償なんです。」 と答えた。

人を好きになるんだって無償の行為でしょう。
例えば小説を書いても認められない。何度でも書いて、
それでも認められなくても、本人が書きたいんだったら、
それでいいじゃないですか。周りがとやかく言うことじゃない。
努力や勉強は、命ある限り果てがないものです。
写経だってそうです。「書いたら、何かいいことありますか?」
って若い人で聞く人がいます。それを期待してやってないですよ。
だけど、自分が望まないとき、不思議にいいことが起こったりします。
そういうものです。有償を期待せず、挑戦し続けるのが人生です。

しかし、年を取ってくると、新しいことを始めるのにも、
おっくうにもなります。人は知らないものに向かって
挑戦している時は、心も体も若くいられるんです。
年を言い訳にしたら、その通りの戸籍年齢になる。
精神年齢は違うんです。自分の年齢は自分で作って
いくつもりで頑張りなさい。

いい泉は、くめば尽きないものです。
でも、くもうとしなければ、水はわかないかもせれません。
自分で自分の年齢、戸籍年齢を言って、もう、おれは年だから
って思ったら、その瞬間、その通りの年になって衰えてしまう。
やりたいことを、いくつになっても見つけてチャレンジして
いけばいい。一から勉強。新しく知ることで新しい世界が
開けてくるもんです。そして、そのことが元気のもとになるんです。
と、話された。座禅よりこちらの話に頷いた。

調子の波は誰にでもあるものですが、捉え方ひとつ、
自らの導き方一つで道が開けてくるかもしれません。
元気のもとは挑戦し続けることなんですね。


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洗足池公園 (勝海舟の墓)

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幼馴染の友人が洗足池近くに引っ越して行ったので、仲間で訪
ねました。近くには大きな洗足池があって、中原街道もあるので
すが、意外と閑静な住宅街が広がって、そりゃあ素晴らしい場所
で、羨ましく思いました。帰りに池の湖畔をぐるりと1周してみまし
たので紹介。お目当ての桜は、池のほとりと池の西北部一帯に
広がる桜山が見ものなのですが、すでに散っていました。ガックシ

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「洗足池公園」
五反田から中原街道を多摩川方面に向かい、環状七号線を越えて、
右側に大田区立洗足池公園があります。周囲1.2Km、広さ約4万
平方メートルの洗足池を中心に桜、柳、松林などの樹木の取り囲ま
れた、趣のある公園で、住民の憩いの場所となっています。桜の広
場や貸しボート等が設けられいて、家族ずれの訪問者も多い。池の
奥の小さな丘には、桜300本が植えられ、春には桜の名所として、
花見客で大賑わいする場所です。池の東岸には、勝海舟の墓もあ
ります。公園入口付近にある石碑 (上) は、大正12年建立の中原
街道改修記念碑。江戸と相模国を繋ぐこの中原街道、嘗ては急坂
が多かったようで、大正時代に大掛かりな改修工事が行われた事
が記されています。

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池の畔を時計回りに進んでいくと、赤い鳥居が目に飛び込んでき
ます。千束八幡神社の鳥居で、そばに池に架かる太鼓橋と大きな
木がそびえ立っていました。松や柳などの樹木も多く、落ち着いた
雰囲気のあるオアシス。ここから先は多くの見どころに出会えます。

「千束八幡神社」 (上)
千束八幡神社は、洗足池の西のほとりに鎮座する神社です。品陀
和気之命 (応神天皇) を祭神とする 「旗挙げ八幡」 とも呼ばれる。
貞観2年 (860) に、千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請され、
平将門の乱の際に鎮守副将軍として関東へ派遣された藤原忠方は、
その後に千束八幡を氏神としてこの地に残り、池上姓を名乗った。
奥州討伐へ向かう源義家が戦勝を祈願したとも伝えられています。

「弁天島の弁財天社」 (下)
弁財天社は、洗足池にぽこっと突き出た弁天島 (下左) に建って
います。橋を渡り島へ入ると、木立の中に建つ赤い鳥居が出迎え
てくれます。(下右) 創建の年代は不詳で、古来より洗足池の守
護神として池の北端の小島に祀られていたが、長い年月の間に
池中に沈んだという。数多くの人の夢枕に現れたため、庶民の尽
力で再建され、地域密着の弁天様らしい雰囲気です。弁天島に
渡る赤い太鼓橋がレトロで、いい雰囲気。周辺は自然な豊かさに
小鳥のさえずりも聞こえてきて癒されます。

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池に浮かぶ水鳥を眺めながら、水上に架けられた長い木橋を歩き
散歩します。天気は曇り空、あたりは静かでのんびりモードです。
いやぁー気持ちが和みます。

「池月橋」 (上)
千束八幡神社境内を出てすぐの洗足池に架かる木造三連太鼓橋
の池月橋。初代の橋は、平成7年に開通した比較的新しい橋です。
周辺環境と調和させるため、木橋を採用していました。この池月橋
は、毎年、洗足池公園で行われているイベント 「春宵の響」 の舞台
として、地域に慕われる景勝地に溶け込んだ橋となっているようです。
演奏会では、浮かぶ船や洗足池の水面に響き渡る和楽の幻想的な
笛の音が池月橋で奏でられます。橋の名は、ある名馬伝説に由来。

「名馬池月像」 (下)
平安時代末期に石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、武将を従えて鎌
倉へと向かった。 その途中、洗足池の畔に宿営し、諸将の到着を待
った。その折、どこからともなく野馬が飛来。突然、源頼朝の前に現れ、
この野馬は、「池に映る月影のよう」 であったことから 「池月」 と名付
けられ源頼朝の乗馬とされた。これを吉兆とし、旗を差し上げ大いに
喜んだという。馬の像に乗ってしまう人もいるらしく 「馬に乗らないで
下さい」 との看板が脇に立っていました。(笑)

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この地域の古い地名は 「千束 (せんぞく)」 で、その名は平安時
代末期の文献にも見られるようです。由来としては仏教用語の千
僧供料 (せんそうくりょう) の寺領の免田であって、千束の稲が貢
租 (税) から免除されていたとする説や、「大池 (洗足池の別称)」
を水源として灌漑に利用されたので稲千束分の税が免ぜられてい
たとする説などがあるようです。しかし後に、身延山久遠寺から常
陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとりで休息し足を洗った
という言い伝えが生まれ、千束の一部が 「洗足」 となった。この伝
承から 「洗足池」〟と呼ばれるようになったと言われています。
そうかぁ~、だから洗足池なんだ。

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池の桜公園裏方にある勝海舟の墓入口。(上左) 「勝海舟の墓」
と 「西郷隆盛留魂碑」 の標柱があります。(上右) 一番奥が勝海
舟夫妻の墓、墓の左側に隣接して 「西郷隆盛留魂祠」 があります。
歴史好きの散策スポットてもあるこの公園には、明治維新後、晩年
に暮らしていたという勝海舟の墓や別邸跡があるのです。

「水船(手水石)」 (下左)
海舟墓の手前の右手に手船 (手水石) がありました。勝海舟が亡く
なった直後の明治32年 (1899) に、勝海舟を慕う人々によって墓
前に奉納されたものです。背面には加納治五郎、榎本武揚、津田
真道、赤松則良ら著名な人々50余人の名が刻まれていました。

「東京奠都70周年記念碑」 (下右)
勝海舟墓の左手に、横長の碑がありました。当時の東京市長小橋
一太が識した碑文には東京遷都70年 (昭和14年1939) を記念
して 「両雄ノ英蹟ヲ貞石に勒して之ヲ顕彰シ永ク後昆に傳フ」 とあ
った。これは西郷隆盛と勝海舟、両雄の顕彰碑です。

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「勝海舟夫妻の墓」
勝海舟の墓は洗足池の東側、桜公園の近くに建っています。生前
から勝海舟は別邸があった洗足池のほとりに墓を建ててほしいと。
「富士を見ながら土に入りたい」 との思いがあったことから、現在の
地に富士山が見える方向を向いて、夫婦並んで五輪塔が建てられ
ています。石塔の右側が勝海舟の墓です。(下左) 石塔の 「海舟」
の文字は、徳川慶喜の揮毫と伝えられています。(下右) 近くの桜
公園では、子どもたちの元気な声で溢れていました。そんな平和な
光景を、お墓が見守っているかのように見えました。

「勝海舟の最期」
明治32年 (11899) 1月19日、風呂上がりにトイレに寄った後に倒
れ、侍女に生姜湯を持ってくるように頼んだが、間に合わないとして
持ってこられたブランデーを飲んですぐに脳溢血により意識不明と
なり、息を引き取った。最期の言葉は 「コレデオシマイ」 だったという。

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「勝海舟の別邸 (洗足軒) 跡」
中原街道を渡り、すぐの洗足池図書館の前に洗足池の景色を愛
した勝海舟の別邸跡がありました。(上) 茅葺風の別邸を 「洗足
軒」 (下右) といい、戦後焼失してしまい、現在跡地は大田区立
大森第六中学校の敷地になっています。かってこの建物が建っ
ていたことを示す案内板もあります。(下左) 

鳥羽 ・ 伏見の戦い (1868年) で幕府軍が敗れると、徳川慶喜より
幕府側の代表として任じられた勝海舟は、官軍の参謀 ・ 西郷隆盛
と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。
その際、通りかかった洗足池の池畔の茶屋に立ち寄り休息しました。
晩年、その洗足池周辺の風景を愛した勝海舟は、この池畔に 「洗足
軒」 という別邸を設け、西郷隆盛と日本の将来について歓談したとも
いわれています。

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大田区北部に位置する区立洗足池公園は、都内でも有数な大き
さの池を有し、桜や紅葉の名所としても広く知られ、季節には近隣
はもちろん遠方からも沢山の見物客が訪れ賑わいをみせます。江
戸時代には、歌川広重による連作浮世絵 「名所江戸百景」 の中
にも描かれ、古くから景勝地として人々に親しまれています。

幕末明治期に活躍した 「勝海舟」 の名前くらいは誰もが知っている
ことでしょう。海舟は幕府の長崎海軍伝習に参加した後、万延元年
(1860) に咸臨丸の艦長となって福沢諭吉らとともにサンフランシス
コに渡ります。また、幕府側の代表として官軍の西郷隆盛と会談し、
江戸城の無血開城に尽力。当時の江戸の街は戦火から救われた。
明治維新後も海軍卿、伯爵、枢密顧問官などを歴任しています。

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「西郷隆盛留魂祠」
勝海舟が西南戦争に敗れて城山で自刃 (切腹) した西郷隆盛を
悼み、建てたという 「留魂祠」 が勝海舟の墓の隣接にありました。
西郷隆盛と勝海舟との会談によって 「江戸城の無血開城」 が実
現し、当時の江戸の街は戦火から救われた。しかし、明治10年
(1877) の西南戦争で、西郷隆盛は自らが創った明治新政府に
よって滅ぼされます。敵将とは言え、お互いに親交が深かった勝
海舟が、西郷隆盛の霊を祀った留魂祠です。(下右)

「留魂祠」 は、西郷の七回忌を供養して祀られたもので、留魂祠
の名は、漢詩 「獄中有感」 の 「願留魂魄護皇城」 に由来します。
祭神は南洲西郷隆盛です。(上) 「留魂祠」 参道の鳥居の前に
「南洲西郷先生留魂祠手墨之碑」 と陽刻された石標もありました。
(下左) 明治維新の両雄は、今なお相並んで我が国の将来を
見守っておられるのです。

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「西郷隆盛留魂詩碑」
西郷隆盛は、明治初期に起こった西南戦争によって死去します。
これを惜しんだ勝海舟は、西郷隆盛の三回忌にあたって内密に
私費を投じて建てたものです。当初は葛飾区の木下薬師浄光寺
境内に建てましたが、荒川放水路開墾に伴い、現在の場所へ移
されました。 自らの墓所のそばに、碑や祠を置 くことは、当時は
憚られたのであろう。勝海舟没後の大正2年、ようやく両雄はこの
地で相まみえ、眠ることになります。 いまなお豊かに残る閑静な
洗足池と勝海舟の墓が、幕末の偉人たちが歩んだ歴史を思い
起こさせてくれますね。

留魂碑の表面には、西郷隆盛の漢詩一首が故人の書体で刻まれ、
その背面には、勝海舟の自筆で碑建立の動機が記されています。
勝海舟が留魂碑に選んだ西郷隆盛の漢詩は、文久3年 (1864)、
薩摩藩国父島津久光の怒りを蒙り、沖永良部島に流罪とされた時
の作で、「獄中に感あり」 と題する七言律詩です。勝海舟が留魂碑
にこの詩を選んだのは、西郷隆盛の揮毫したものが遺っていたこと
にもよるが、なんといっても <死後もこの世に魂魄を留めて、天子
の皇城をお護りしたい> という西郷隆盛の忠誠心を人々に広く知
らしめ、それによって逆賊の汚名を晴らしたいという切なる願いに
よるものであったかもしれません。この石碑はあちこちにある石碑
の中でも秀逸です。歴史好きなら涙してもおかしくないっ!
だって、表面が西郷隆盛の詩。裏面が勝海舟筆。感動的ですよ。

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「徳富蘇峰書碑」 (上)
祠のそばに昭和12年に建てられた碑がありました。勝海舟と西郷
隆盛の江戸城無血開城の偉業をたたえた徳富蘇峰の詩碑が青木
藤作ら九人の人々によって建立されたのがこの石碑です。徳富蘇
峰は、明治20年代に赤坂氷川の勝海舟の邸内の借家に住み教え
を受け、勝海舟を生涯の師の一人と仰いでいました。西郷どんと勝
海舟の両雄によって江戸市民の命が救われた偉業を讃え、両雄を
忍ぶ内容が刻まれています。

「南洲先生建碑記」 (下左)
留魂誌碑の工事を勝海舟に任された玉屋忠次郎が、明治16年
(1883) に建てたもののようです。留魂誌が明治12年に彫刻さ
れ、谷中の石工群鶴の元から浄光寺に至る経緯が記されている。

「勝海舟追慕碑」 (下右)
大正2年(1913)に勝海舟門下生の富田鐡之助が記したもので、
留魂誌碑が建立されてから現在地へ移設されるまでの経緯や、
有志により留魂祠が建てられたことが記されています。

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洗足池の風景に感嘆し、別邸と墓所を設けた勝海舟。今では池
の周りは閑静な住宅の多いこの地も、当時は自然の多い郊外だ
ったのです。水辺の景観の面影を今も残しています。大きな池の
ある公園が近くにあったら、勝海舟でなくとも憩いの場所ですよね。

人間の運命というのはわからないものです。維新前夜の両巨頭、
江戸明け渡しの会見で、「西郷さん、江戸はもう徳川のものでは
ない、日本の首都だ。 それでもあなたは攻めるとおっしゃるか」
「わかり申した。勝殿の御意見、わたしの考えとして、総督府の連
中にお伝え申そう」 と、語りあった間柄。それから十年後は反乱
軍の首魁として、西郷どんは鹿児島の城山に露と消えた。一方、
幕末の血で血を洗う権力闘争のなか、日本の未来を見通し、革
命の志士でもなく、偉大な軍人でもない勝海舟が、江戸無開城を
やってのけたスケールの大きさ、その奇才ぶりに、人々は共感を
覚えるのだろう。しかし、勝海舟の晩年は、子供たちの不幸に悩
み続け、その上、孫の非行にも見舞われ孤独な生活だったという。

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「遊歩道」
広い池を一周する遊歩道は整備され、清掃が行き届いているので
ゴミも落ちていないきれいな公園です。 閑静な街並みにある落ち
着いた雰囲気があって、心地よい風を頬に感じながら、太陽の光
が水面に反射してできる模様を見たり、湖畔の縁ではエサを求め
る鯉やアイガモたちのお相手をしたり、ゆったり時を過ごすのは、
何とも癒やされるはずです。また置かれたベンチに座って、ランチ
したり、本を読んだり、何もしないで池の風景をただぼぉっと眺め
たり、思い思いの過ごし方が楽しめますよ。ただ残念なのは桜の
名所でもあり、肝心の桜がすでに散ってしまったことです。桜山や
桜公園等、あちらこちらに桜が咲き誇ります。本当に残念でした。

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こちらは池の畔の寺、「御松庵 ・ 妙福寺」。日蓮宗の古刹です。
この寺院の境内には伝説の松の木があるという事なんですが。
と言う事で、境内へ入って、竹林の道を進みます・・・・・ありました。

「日蓮上人の銅像」 (上)
御松庵は日蓮に関する伝説がもとになって成立した草庵で、日蓮
に帰依していた池上宗仲の館に立寄るため、千束の池にさしかか
ったとき、池のほとりで休息。このとき水中から七面天女が出現し、
日蓮が旅立ちをしたので道中守護をしてきた旨を告げ、日蓮の読
経を受けて消え失せた。その後、このことを記念して、土地の人達
が、堂宇を立てて七面天女を安置したのが、御松庵のはじまりで
あるという。法衣をかけた袈裟掛の松を護る護松堂が建てられ、
この堂名から御松庵と呼ばれるようになった。御松庵境内には
日蓮上人の銅像がありました。

「妙福寺の袈裟掛けの松」 (下)
時は弘安5年 (1282)、鎌倉時代の事。病を得た日蓮が身延山
久遠寺から常陸国 (茨城県) へ湯治へ向かう途中、この池の畔
で旅の疲れを癒すためにひと休み。袈裟をそばにあった松の木
に掛けて、池の水で足を洗ったのだと伝えられています。袈裟を
掛けたと伝承される松の木。洗足池公園にある妙福寺の境内に
あります。その後、日蓮は現在の池上本門寺付近にあった池上
宗仲の館で入滅しました。

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この池は、ボート以外にも公園で楽しめるのが、野鳥観察です。
何と公園でカワセミが見られるのですよ。ほかにもメジロ、ムクドリ、
白サギやカモメの姿も見られ、野鳥観察公園かと思えるほど、様々
な鳥がやって来て、訪れる人たちの目を楽しませています。

「ゆりかもめ」
東京都のシンボル鳥です。ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬にな
ると日本各地に渡ってくる、普通に見ることのできるカモメです。梅
雨の始まりとともに北部に戻っていきます。このカモメの楽しさは、
冬は頭部が真っ白なのに、夏場は真っ黒に変化することです。夏
羽は眼の周りの白さがくっきりと際立ち、意図的にお化粧したよう
で、ちょっとユーモラスにも見えます。昔はミヤコドリと呼んでいた。

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「アオサギ」 (左)
珍しい鳥を発見。飛んでいる姿の雄大さから、ツルの仲間と勘違い
される方もいます。アオサギを漢字で表すと蒼鷺となります。目の上
にある冠羽や翼の一部首の斑点の色もよく見ると紺色がかってます。
昔の日本では白でも黒でもない中間的な淡い色を蒼 (アオ) と称し
たため、この鳥をアオサギと名付けたのであれば、日本人が色に対
して繊細な感性を持っていたということでしょうか。孤独にたたずむ
姿は、水辺の王様といった風情さえ感じさせますね。

「カワウ」 (右)
全体に光沢のある黒色で、目はエメラルドグリーンで美しい鳥です。
しかし、たくさん魚を食べ漁業被害を引き起こすので、むしろ害鳥と
してマークされる存在。はっきり言えば嫌われものです。(笑) カワウ
は魚とりが得意。普通、水鳥の羽毛は撥水力がありますが、水の中
でスムーズに動くために、羽毛の撥水力を極力落としています。羽
毛に水がしみ込んで重くなり、飛べなくなってしまいます。羽を乾か
す必要があり、翼を広げている姿も結構な頻度で見られます。
「お前、カラスだろう」 というと、違うと首を振ります。嘘で~す。(笑)

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野鳥のほかにも、甲羅干ししている亀の親子や、オタマジャクシ、
カエル、夏は蝶々や蝉などの昆虫も観察できます。無数にいる鯉
の群れには人面魚も交じっているとか。 そして、犬を連れて散歩
している芸能人もいるようです。

「オオバン」 (左)
頭や首は黒い羽毛で被われ、胴体はグレーの羽毛をしています。
嘴から前額にかけての額板と呼ばれる部分が真っ白というコント
ラストのはっきりした水辺の鳥です。オオバンは餌を取られても威
嚇をしたり追い払う行動をしません。争っても勝ち目がないのでし
ょう。カモたちにとっては、食べ物を恵んでくれる幸せを呼ぶ鳥。
一生懸命に潜って水草をくわえて上がってきて、餌を奪われて
いく姿は、仕方がないとはいえかわいそうです。クスン

「カルガモ」 (右)
他のカモがシベリアなどの北方から冬に日本に渡ってくる冬鳥で
あるのに対して、一年中見ることのできる 「留鳥」 です。春先にな
ると親ガモの後を、一生懸命にお尻をフリフリして追いかける子ガ
モのお引っ越し姿は、何とも愛らしい何度みても心ときめきます。
ヒナを育てる環境をよりよくするためだと考えられます。 カルガモ
の子育ては 「巣は用意する。安全は確保する。エサは自分で取っ
てこい」 というスパルタ育児。 ヒナが早く自立するためのようです。

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「キンクロハジロ (金黒羽白)」 (左)
白と黒のコントラストが綺麗で冠羽に黄色い目は雄。このカモの
名前は全て色から来ています。キンは金色で、このカモの光彩が
黄色いことから、全身が黒いことから 「クロ」、そして翼の上の部分
には白いまだら模様 (斑紋) が入ることから 「ハジロ」 を取り、「キ
ンクロハジロ (金黒羽白)」 と名前がつきました。雌は全身、濃淡
の差はあれ、褐色をしています。日本では冬季に越冬のため飛
来し、冬の間でしか観察する事ができません。もうそろそろ繁殖
のため、シベリアへ戻る時期でしょうか。

「マガモ」 (右)
代表的なカモの仲間、マガモです。国内に飛来するカモの仲間の
中で最も数が多いのがこのマガモ。冬鳥として越冬に日本列島各
地にやって来ます。オスの頭部は、光沢を帯びた緑色に嘴は全て
黄色で目立ちます。マガモは古来、人との付き合いの古いカモで、
人はこのマガモを飼いならして家禽化しアヒルを作りだしています。
カモは、昔から良く歌に詠まれています。

春雨や喰はれ残りの鴨が鳴く   (小林一茶)

一茶の時代 (江戸後期)、カモは貴重な食糧源であったのでしょう。
まだ寒い雨、生き残った鴨の声は何を物語っているのでしょうか。
一茶の句には一見単純そうで、その裏にあるものの深さを考え
させられますね。

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駅前や街道沿いから一歩入ると、都内屈指の広さを有する淡水池
が広がっており、静かで環境のよいところだと思います。東側には
水生植物園などもあり、草木が多く、色とりどりの葉っぱや花びら
が日々を楽しくしてくれます。洗足池で見られる冬の野鳥はほとん
ど水鳥ですが、かっては水鳥以外にも色々な野鳥が渡りの途中で
滞在するため、見ることが出来るようです。瞬間池中のユリカモメ、
一斉に飛び立ちました。オオタカが来たのです。平和そうに見える
公園でもやはり野生の厳しさはあるのです。スズメもさっと藪の中
に避難します。どうして全部がほぼ同時に飛び立てるのか不思議
です。その中でカワウだけは全く動じませんでした。(笑)

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公園から眺める夕日がとてもきれいで、東京にもこんなに美しい
公園があるのか、と訪れるたびに感じる、そんな洗足池です。どこ
かヨーロッパにでもいるような錯覚を感じるのは、私だけだと思い
ますが、おススメの場所です。これだけの範囲に、誰もが知るさま
ざまな年代の偉人所縁の場所があるのは、なかなか興味深いの
ではないでしょうか。この池畔には源頼朝や日蓮上人、勝海舟、
西郷隆盛など歴史上の偉人達に所縁のある場所が点在し、歴史
好きにはたまらない様々な伝承が残されています。史跡に纏わる
伝承や偉人達が生きた時代に思いを馳せつつ、夕日が美しい時
間帯に散策して見るのも良いところです。久しぶりに歴史と向き合
い、自然に癒されたひと時でした。





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「捉え方ひとつ」

...2018/04/08 14:19...

先週から入学式、新年度を迎え、
お子さまが進学したり、職場でも異動が多い
時期ですから、生活環境が変わったという方も
いらっしゃるかもしれませんね。何かと緊張したり
忙しい季節です。私の友人も転勤になったようで、
ギリギリの日程まで東京で仕事をし、この週末に仙台へ!
仕事をしながらの引っ越し準備、距離に関わらず
なかなか大変そうでした。

一週間前には枝一杯に咲き誇っていた
桜の花ですが、東京はもう花よりも緑の葉が一面
に顔をのぞかせる存在に変わってしまいました。

それでも桜の木の下から見上げると、のんびり屋の
花でしょうか、葉の陰からぽつりとひと花、はずかし
そうに遅れて咲いている姿を見かけます。葉っぱの
影から顔をのぞかせるその姿はなんとなく、
「遅刻しました・・・。」 と、はずかしそうに、
教室に入ってくる子のようです。

春眠暁を覚えず、桜の花にもついうっかり朝寝坊
してしまった、うっかり屋の花なのかもしれません。
自分の朝寝坊は困りものですが、花の朝寝坊なら
大目に見てもよさそうです。朝寝坊の余花の
おかげで、ちょっとだけ春の風情を楽しませてもらう
ことが出来るのも嬉しいものです、

春におくれて咲く花を 「余花 (よか)」 と言うんだそうです。
のんびり屋さんでも、一歩一歩の歩みが大事なんです。
今週もマイペースでいきましょう。


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「捉え方ひとつ」

「先生、〇〇君は掃除の後、ちり取りをきちんと
しまわず、箒たてに、立てかけたままにしていました。
掃除用具はみんなが使うものだから、きちんと
決められたところに戻さないといけないと思います。」

小学校の一日の終わりにあった 「反省会」 で、
よくこんなことを言われました。私の場合はもっぱら、
ここで登場した 「〇〇君」 で、指摘される側の立場でした。

こう言われると、反論の余地はありません。
確かにおっしゃる通りで、間違っているのは
「〇〇君」 であるのは、誰の目にも明らかですから。
内心では 「その場で言ってくれれば、すぐに直したのに」
なんて思いながらも、反論の余地なしなので 「ごめんなさい。
これからは気を付けます」 と、謝ることになります。 
もっとも、こんな粗忽な〇〇君は、何日かしたらまた同じ
ことをしてしまって、また 「反省」 させられるのですけれど。

思い出してみると、まあ、よくあんなどうでも
よいことを大真面目にやっていたものだなと思います。
とはいえ、小事を疎かにするものは大事をなせないと
いいますから、小さなうちからこんな指摘を受けて、
自分の粗忽さを認識しておくことは無駄では
ないかもしれませんが。

さてさて、子供の頃にはよく見かけたこんな光景を
最近、全国ニュースで目にしました。多分皆さんも
ご存知と思いますが、舞鶴市で起こったあの事件。

知らない方もいらっしゃるかもしれませんので、
その事件のあらましを書けば、相撲の地方巡業が
行われた舞鶴市で、挨拶のために土俵に上がった
舞鶴市長が突然倒れ、倒れた市長を救護するために
何人かの人が土俵に駆け上がりました。その中には
市長に救命処置を施した女性もいたのですが、
このときに 「女の方は土俵から降りてください。」
という場内アナウンスが流れたことが 「大問題」
だというのでした。

今でも相撲協会は伝統的に女性を土俵に
上げないということから、こんな時にまで、
それを言うのかということで、それを非難する
論調で報道されたことが多かったようです。
「相撲協会の体質が問われる」 とか、「市長の命
よりも伝統が大事なのか」 という批判が集中しました。

確かに間違いじゃないと思います。
だけど、それほど大上段に構える問題なんでしょうか。
どこの世界にも、融通の利かない人はいますし、状況
判断出来ずに、とんちんかんなことをしてしまう人もいます。
めったにない出来事などに遭遇すると、普通の人でも
おかしな行動をとってしまうことはよくあります。

この一見とんでもない場内アナウンスにしたって、
そうしたおかしな行動の一つであって、「何があっても
女性は土俵に上げてはならない」 などという信念の
もとのアナウンスとは私には思えませんでした。

それに、居合わせた関係者のだれも、救護措置を
行う女性を、力づくで土俵からおろそうなんてして
いなかったわけですから。相撲の巡業ですから、
それこそ力持ちの力士が沢山いたでしょうに、
人命より相撲協会内の慣習を優先させたという
ことではなかったと思います。

「みんな、大人なんだから、いちいちそんなことで
揚げ足取りするなよ」 と報道に言いたくなります。
今回の例だけでなく、なんだか近頃はこんな 「小学校
の反省会」 並みの批判や、指弾が目に付くようになった
と感じます。むしろ、こうしたアナウンスがあったにも
かかわらず、人命を優先して土俵上で救護活動を
つづけた女性の勇気を讃えたいです。

現実の社会での善悪、正邪の判断なんて、
小さなころに思っていたほど、単純なものばかりじゃなく、
画一的なものではありませんでした。でもその難しい
ことができるようになるってことが、大人になるってこと
なんじゃないのかなと思っていました。

倒れた市長さんは、くも膜下出血だったそうですが
一命はとりとめたとか。何はともあれ、これだけは
よかったですね。救護活動に当たられた方々の
迅速な対応には、賛意を送りたいです。
この点だけは、たぶん異論はないでしょうね・・・。
人の命より伝統を重んじる人なんていません。


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「皇居 ・ 東御苑」 を散歩・・・・。

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春季皇居・乾通り一般公開を見学した後、せっかくなので、皇居 ・
東御苑を見学するために移動しました。「乾門」 の脇の小公園を
廻って北桔橋門から入りました。皆さん、武道館のある北の丸公
園か、東御苑の方へ進んだようです。歴史の詰まった場所なの
で紹介してみます。二の丸庭園の方は、お兄さん疲れちゃって
素通りしてパスしました。(笑) ご了承くださいませませ。

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「北桔橋 ・ 門」 (上) 「平川豪側」 (下左) 「乾濠側」 (下右)
『北桔橋 (きたはね ばし) 』 は、竹橋から千鳥が淵に抜ける通称
「代官町通り」 の北の丸公園入口の正面にある小さな橋です。
ここは、東の 「平川濠」 と西の 「乾濠」 を分ける 土橋 になってい
る部分で、いわゆる 「橋」 になっているのは、皇居東御苑の入口
から僅か5~6mの部分のみです。乾通り一般公開を見学した一
部の方々が東御苑を散策しようと訪れていました。この 『北桔橋』
を渡って、「北桔橋門」 から皇居東御苑に入ることができるのです。

【跳ね橋】
江戸時代ここには 「北桔橋門」 という 「枡形門」 がありました。
この門を入ったすぐ正面には江戸城の 「天守閣」 があり、この門は
江戸城北側の守りの最重要地点でもあったわけです。そのため橋
の形状を 「跳ね橋」 (橋の片方を跳ね上げて渡れなく出来る) とし
たことから、 『北桔橋』 と呼ばれるようになっています。江戸時代に
はこの橋はほとんど跳ね上げた状態になっていたらしいですが、
現在でも、門の柱には橋を跳ね上げるために滑車をつるしたと思
われる金具が残っています。

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「北桔橋門」 をくぐって、なだらかな坂を進むと天守台の裏側に
たどり着きます。(下左) 石垣の脇にテントが設置されていました。
「荷物検査」 が行われていました。(上) 普段、御苑内に入るのに
荷物検査は無いのですが、乾通り一般公開という特別な日なので
しょう。バックなどの中身を調べられました。 テントを抜けると見え
てきたのが 「桃華楽堂」。(下右) 昭和41年に完成し収容人員は
200名の音楽堂で、音楽好きの香淳皇后さまの還暦記念として建
設されたようです。「桃華」 の由来は、香淳皇后さまの誕生日が三
月なので桃の節句にちなんで桃とし、華の字形は十が六個と一で
構成されていることから、還暦 (数え年61歳) を意味するというこ
とで命名されました。花弁を形どつた屋根と八面体が珍らしいです。

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江戸時代、江戸城に入城するまでに全国からやってきた大名達は
各門に設置されていた番所 (検問所) を通っていました。「番所」
とは、警備の詰所のことす。現在、百人番所、同心番所と大番所
の三つが残っています。江戸城最後の固めのため、検問所で睨
みを利かせ、昼夜警固にあたっていました。

「百人番所 (検問所)」 (上)
大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、長さ50
メートルを超える百人番所です。大手三の門を守衛した江戸城本丸
御殿、最大の検問所でした。日常の任務は江戸城大手三之門の警
備を4組の百人組が交替で詰め、その詰めた番所が 「百人番所」 と
して東御苑に現在も残されています。

「同心番所」 (下)
大手門から三の丸尚蔵館の前を過ぎた大手三の門の内側には
同心番所があります。江戸城へ登城する大名を監視しました。
ここを駕籠に乗ったまま通ることができたのは、尾張 ・ 紀伊 ・ 水
戸の徳川御三家だけで、それ以外の大名はここで降ろされ、検問
を受けました。同心とは、江戸幕府の諸奉行 ・ 所司代 ・ 城代 ・
大番頭などの配下に属し、与力の下にあって、庶務・警備の仕事
をしていた下級役人を総称したものです。

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本丸と二の丸に進む分岐点の百人番所を過ぎ、最後の番所であ
る 「大番所」 を過ぎ、石垣を見ながら坂道を上ると、本丸正門の
中雀門があります。中雀門を抜けると、現在は広々とした広場で
すが、かつてはここに広大な本丸御殿が広がっていました。

「中之門跡」 (上)  
大手三の門を抜けると左手に百人番所、右手に中之門があります。
中之門の石垣は、丁寧に加工された大形の石材が隙間なく積む 「切
込みはぎ」 と呼ばれる技法で積まれています。また、石垣に使われて
いるのは、瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩で、西国大名から
献上されたと考えられます。こうした石垣は、大名の登城路や天守台
主要な部分だけにみられるものです。

「大番所」 (下)
大番所は、大手中之門の内側に設けられ、他の番所よりも位の高い
与力 ・同 心によって警備されていたといわれています。江戸城本丸
へは最後の番所であり、警備上の役割はきわめて重要であったと考
えられています。大番所は再建されたものですが、背後の射撃用の
石段も古く風格のある立派な建物です。

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「江戸城本丸御殿跡広場」
この天守台から見える大芝生とその周辺は、江戸城本丸御殿が立
ち並んでいました。現在は広々とした芝生の広場となっていますが、
約150年前までは、この場所に幕府の中央政庁や将軍の政務を執
るための部屋と私的空間、そして大奥などがありました。当時平屋の
建物がびっしりと立ち並び、江戸を動かす中枢が存在していたこの
場所に想像を巡らせながら眺めるとワクワクしますね。

本丸御殿は、表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていました。
表は、将軍の謁見など公的な儀式、行事、幕府諸役人の執務の場で、
中奥は将軍の日常生活、政務を執る場で、大奥は御台所と呼ばれた
将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。江戸城本丸
の玄関に達するまでに、大名は家格により大手門、大手下乗門まで
に馬や駕籠を降り、武家最上位の御三家でも大手中ノ門まで、玄関
に乗り物を横付けできたのは朝廷の勅使のみであったようです。

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「本丸大芝生広場」
広い芝生広場は解放され、寝転がって休むこともできます。ただ、
場所が場所だけに節度ある行動を求められます。芝生から周囲に
ある各樹木園の花がよく見えます。とにかく広いです。明治維新の
直後、本丸跡は焼け野原で、第二次大戦後も野菜畑や桑畑の時
代もあったようです。そして本丸跡は気象台発祥の地でもあり、
明治期から昭和30年代まで気象庁の官舎もありました。

この広い大芝生の広場の端の方に、小さな石が埋め込まれている
のを発見。近くに寄ってみると、石碑には 「午砲台跡」 とありました。
(下) 明治の時代から正確な時間を知らせるために、ここに午砲台
が設置され、正午を知らせる空砲が打たれていました。 この空砲の
音は 「ドン」 と呼ばれ、土曜日は正午にドンと鳴ったら仕事が終わる
ので、一日の半分が休みで 「半ドン」 と呼び、今でも半ドンと言う言
葉が残っているわけです。昭和4年 (1929) に廃止されたようです。
砲台と言うと戦時の物かと思いましたが、時間を知らせる平和な目
的の物だったんですね。また、あまり知られてませんが、この広場
で皇宮警察音楽隊によるランチタイムコンサートも行われています。
開催日は不定期ですが、いつも人々を賑わかせているようです。
次回は4月12日(木) 12時15分~12時45分に開催予定です。
雨天は中止のようです。平日じゃん、無理ス。

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「江戸城天守跡 (天守台)」
東御苑北側、本丸広場に佇む石垣は 「江戸城天守台跡」。この台
の上に、江戸城の天守閣がそびえ立っていました。現在の国会議
事堂程度の高さであったと言われています。 展望台として眺望を
望むことができ、この日は普段と違って柵が設けられ行列が出来
ていました。(下左) 天守台の上はベンチのみです。(下右)

江戸城最初の天守閣は慶長12年 (1607)、二代将軍徳川秀忠の
代に完成。その後、寛永15年 (1638) 三代将軍家光の代に、江戸
幕府の権威を象徴する国内最大の天守閣が完成した。「江戸図屏
風」 によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。この壮大な天守
閣も明暦3年 (1657)、完成から僅か19年で 「明暦の大火」 の飛び
火のために焼失し、城下の復興を優先すべきとの提言により、以後
天守閣は再建されることはありませんでした。 「天守閣石垣跡」 だ
けが当時の様子を偲ばせています。 復元してほしいですねぇ~。

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「大奥跡」
大奥は現在の天守台跡の南側一帯。広々とした芝地となっている
広場の敷地の半分を占めたという大奥跡。かつて徳川の姫たちの
生活の場であった場所に立っている事を思うと、その心は300年
前の大奥へ・・・。現在は井戸と思われる場所のみで、残念ながら
往時を偲ぶものはありません。 (下右)

大奥は大別して玄関口である 「広敷向」、将軍の寝所である御小
座敷、御台所居所などのあった 「長局向」、奥女中たちの居住空
間となる御殿向に区画されていました。「御台所」 をはじめ将軍の
生母や子ども、さらには側室の居室、「長局向」 と呼ばれる2階建
ての長屋などが何棟も立ち並び、部屋数は軽く100を超えていた
といわれています。掟は厳しかったようで、3代将軍家光の乳母で
権勢をふるった春日局は、ある時に門限に遅れ、門衛が掟の例外
を認めず、春日局は寒い一夜を門前で過ごしたという話もあります。

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「石室 (いしむろ)」
本丸跡の蓮池濠沿いにあるのが石作りの蔵です。文字通り、石で
組んだ室 (むろ=部屋) で、内部は20平方メートルほどの広さと
なっています。入口には扉を取り付けた穴があるので、耐火性に
優れた扉があったことがわかります。 表の石組には焼けたような
痕があり、本丸御殿が度重なる火災で炎上したときの焼痕と推測
できます。一見防空壕にも見えるため、抜け穴だとか、金蔵という
説もあるようですが、耐火性の必要なものを納める蔵だったので
はと思われることから、大奥御納戸の脇という場所柄から大奥の
調度品や文書類を収蔵する富士見御宝蔵と考えられます。

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蓮池濠側から見た 「富士見多門」 。(上) 蓮池濠に面する石垣の
上にあります。一方、東御苑側は、西側に面した天守台に向かって
左手の坂道を上った小高い場所に位置し、木々に囲まれています。
東御苑側から見た富士見多門です。(下)

「富士見多聞」
城郭の石垣上に建てられた 「富士見多聞」 は、正確な建築年代は
不明ですが、明暦3年 (1657)、明暦の大火で焼失した多聞を万
次2年 (1659) 頃に再建した可能性があるという説があります。
その後、関東大震災での損壊や昭和43年の解体修理を経て、現
在に至っているようです。江戸時代の江戸城本丸には,このような
多聞が各所に築かれていましたが、現存するのはこの富士見多聞
だけのようです。

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東御苑側の 「富士見多聞」 のある場所では、長い行列が出来てい
ました。(上) これまでは外観しか見ることが出来ませんでしたが、
一昨年から内部が一般公開されました。平日はすぐ入れる様です
が、土・日曜日ともなると混雑するようです。入る時は靴を脱ぎ、ビ
ニール袋に入れて行動します。(下右) 室内は写真撮影OKです。

日常的に公開されている東御苑の中にあるため、従来も外観を見
ることはできたが、外国人観光客の増加を目指し政府が進める国
の施設公開の一環として、新たに開放されることになったようです。
東御苑の公開日で、公開時間は季節によって異なりますが、午前
9時~午後3時半。入場料は無料です。月曜日と金曜日が休み。

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これが内部で~す。建物内部って意外と殺風景なものですよね。
室内は木材を組み合わせたシンプルな構造となっていて、天井の
高さは思ったよりも低かったです。内部中央には、江戸時代に敷
居の裏側に使われていた材木が展示されており、(下右) 古い大
工道具による仕上げ跡が確認できます。造りはしっかりしている感
じです。(上) 斜めの補強木材が目立つせいか思ったより古さを
感じさせません。補強木材は関東大震災後の修理時のもののよ
うです。(下左)

「多聞」 とは、防御をかねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫
のことで、多聞長屋とも呼ばれていました。 鉄砲や弓矢が納められ、
戦時のときには格子窓を開けて狙い撃つことが出来ました。本丸の
周囲は、櫓と多聞で囲まれて万が一に備えられていたようです。日
本各地の城にあった多聞の中には、武器、諸道具、文書等の収蔵
庫として使われた例もあり、平時には多様な用途に使用されていた
ようです。

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蓮池濠から富士見多聞までの石垣の高さは、約19 mにもなる為
に内部の格子窓からは皇居の美しい景色が眺められます。格子窓
からは、普段は入ることができない皇居内の乾通りや、宮内庁庁舎
などを見ることができるのです。 四季折々に.秋の紅葉山の紅葉や
春の乾通りの桜など新しい眺望の場になりそうです。(下左) 窓は
引き戸になっていて、開閉ができ格子窓にガラスがはめ込んでます。
現代においては、雨風凌ぐためには仕方がないことです。富士見多
聞が築かれた頃は、徳川幕府によって統治された天下太平の時代。
あまり戦を想定する必要性もない可能性もありそうですが、その施設
が残っているだけでも、すご~いと思いませんか。

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細長い部屋とはいえ、次から次へと入場したら大混雑になります。
入場数が制限されていて、一組のグループが見学し終わると、次
の組が入るというシステムでした。待つのは大変ですが、おかげ
で戦国時代より取り入れられ、平時は武器庫や書物の収蔵庫と
なっていた 「富士見多聞」 の内部を堪能できました。

本丸御殿内の将軍の日常生活の場である 「御休息」 の近くに位置
している為に 「御休息所前多聞」 とも呼ばれていた 「富士見多聞」。
築かれた時には徳川の地位は安定しており攻撃に備える必要性が
なく、確認はできませんでしたが襖 (ふすま) が備えられていた形跡
がある事から、倉庫以外の用途があったと言われています。

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「松の廊下跡」
天守台に向かって左手の木立となっているところに、将軍との対面
所である白書院等がありました。忠臣蔵の刃傷事件で有名な 「松
の廊下」 の場所には、所在を示す碑が建てられています。(下)
周囲は木々に囲まれた静かな場所なので、散策の途中でゆっくり
休憩したい方が、近くのベンチに座って、当時江戸を騒がせた大
事件を想像しているようです。東御苑で必ず立ち寄る場所ですね。

「朝廷と幕府の儀式」
江戸幕府では毎年の正月に将軍名代として高家が京都御所に上
り、新年の祝賀を申し上げ、朝廷は答礼として朝廷と幕府の間を取
り持つ武家伝奏役の勅使が江戸に下向、将軍に拝謁して天皇の聖
旨、上皇の院旨を伝える行事がありました。この慣例は朝廷と幕府
の関係を密接に保つための重要な儀式であり、朝廷、幕府の双方
とも最大級の饗応を持って対応したといわれます。 この儀式を司る
高家筆頭が吉良上野介で、勅使饗応役は播磨赤穂藩主の浅野内
匠頭だったのです。松の廊下は、浅野内匠頭が吉良上野介に斬り
かかる刃傷事件が起きた場所です。殿中での刃傷はご法度であっ
たので、浅野内匠頭はその日のうちに切腹となりました。 その後、
赤穂藩は取りつぶしとなり、家臣たちは浪士となります。

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江戸城本丸の大広間から将軍との対面所である白書院を結ぶ L
字形の廊下がありました。これが 「松の廊下 (松之廊下再現模型
・ 江戸博物館)」 です。(上) 畳敷の廊下に沿った襖に狩野探淵
による浜の松に千鳥が乱舞する障壁画が描かれていたことから
「松の廊下」 と呼ばれた。刃傷松の廊下 (長安雅山画) (下左)

<松の廊下刃傷事件>
「殿中でござる!!」 「お放しくだされ、梶川殿!!」 という、あの
シーンです。元禄14年 (1701) 3月14日、京都からの使者 (勅使、
院使) を江戸城でもてなすための接待役を命じられていた赤穂の
藩主 ・ 浅野内匠頭長矩が、江戸城松之大廊下で高家 ・ 吉良上野
介に刃傷に及んだことに端を発します。この一件で加害者とされた
浅野内匠頭は即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしと
なった。その結果を不服とする赤穂藩家老 ・ 大石内蔵助をはじめ
とする赤穂浪士47名は、紆余曲折の末、元禄15年12月14日未
明に本所 ・ 吉良邸への討ち入りに及び、見事その首級をあげる。
その後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称し、「元禄赤穂
事件」 と呼んでいます。欲に言う 「忠臣蔵」 です。

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「富士見櫓」
皇居坂下門右手奥に高くそびえる三重の櫓が、「富士見櫓」です。
こちらは東御苑内から見た富士見櫓です。(上) 高い石垣の上に
慶長11年 (1606) 三層の初代富士見櫓が完成。その後に起きた
「明暦の大火」 により天守閣とともに焼失。その二年後に再建され、
二度と再建されることがなかった天守閣に代わって、この富士見櫓
を天守閣の代わりにし、江戸城のシンボル的な役割を果たしました。

「櫓」 とは、城郭の隅や城門の上などに設けられた見張りや防御の
ための施設です。多聞と同様,平時には収蔵庫等,多様な用途に
使用されたようです。現存するのは、伏見櫓、桜田巽櫓、富士見櫓
の3ヶ所だけです。慶応4年 (1868)、幕府軍 (上野彰義隊) との
戦いで、討伐軍を指揮した大村益次郎は、富士見櫓から上野 ・ 寛
永寺の堂塔が炎上するのを見て勝利を確信したといわれています。

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どこから見ても美しいその姿から、「八方正面の櫓 」 とも呼ばれ、
江戸時代には将軍が時折、この櫓にのぼり品川の海や両国の花
火を眺めていたという。その風格と威容は、戦国の世を忍ばせる
貴重な文化遺産です。日本固有の歴史美 「富士見櫓」 は、江戸
時代の姿を幻想させてくれます。

富士見櫓前に広場が整備され、従来よりもより間近で櫓を鑑賞で
きるようになっています。苑内は緑豊かな雑木林に日本庭園や皇
室関連の施設、江戸城の遺構など歴史的な史跡も見ることができ、
国内のみならず海外からの旅行者も多く訪れます。 2018年3月
27日に入園したイギリス人で、開園以来の来場者数が3000万人
に達したようです。欧米の方は個人行動が多いと聞きますが、この
グループは団体客のようで、皆さんで写真に収まっていました。
「スミマセン、オネガイデキルマスカ」 怪しげな日本語で写真撮り
を何人もの方に頼まれて,パシャ。お兄さんは写真撮りの腕は確
かですから、皆さん大喜び。うふ ここでも外国の方の多いこと。

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「大手門 (高麗門)」 (下)
大手門は、江戸城の門の中で、大名が通った門として知られてい
ます。最初の大手渡櫓門をくぐると枡形と呼ばれる広場があらわれ
ます。(下右) 大名たちは、この枡形の広場で威儀を正し、馬を下
りて右手の高麗門を潜ったようです。(下左) この門をくぐると東御
苑の中を散策することができます。

日本史上最大の城郭といわれる江戸城。その大きさは一般的な
大名の70~100倍もあったそうです! さらに城内には威信を
かけて築かれた巨大天守閣があったとされています。というのも、
江戸城は将軍 ・ 徳川家の居城。豪華絢爛な構築物が建ち並び、
徳川家の力を世に知らしめた城郭だったのです。江戸時代の火
事や関東大震災、そして空襲などの影響で、残念ながら多くの
歴史遺産は焼失してしまいましたが、今でも壮大で威厳のある
石垣を見ることができます。緑豊かな都心のスポット皇居。史跡
巡りをしながら東御苑を、たまには散歩するのもいいものです。





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